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2021-07-16

anond:20210716175337

>>それは謝罪してるとは言わないだろ<<

ってお前が決めることじゃないよ。

パラリンピックに携わる人は小学校まで身辺調査して

その頃から間違ってない人権意識を持ってたか調べるっていう超管理社会を求めるんやね。

はいやだなそんな社会

anond:20210716110745

その仕事にある程度の「危険」(非管理領域)が予測されるとき雇用者使用者安全や衛生に対して責任義務を負うというのは別におかしい考え方ではないよね。つまりあくま合法的言い訳だけをタテにするとしても、「"自由恋愛"という危険が極めて多く発生することが予測される密室的な営業形態において、従業員精神的・肉体的な安全を維持するためのしかるべき処置」を雇用者義務とするのは適切であると言える。



ここは正論だと思います。一方でセックスワークには、仕事性質上「従業員精神的・肉体的な安全を維持するためのしかるべき処置」を確保することが非常に難しいという特性もあり、それによって他の肉体労働現場のようなレベルで「その仕事にある程度の「危険」(非管理領域)が予測されるとき雇用者使用者安全や衛生に対して責任義務を負う」ことが現実的に困難なのであれば、そもそもそれを「仕事」として認めるべきでない、という意見もあります合法化によってこの水準を向上できる(すべきだ)という意見もあるし、合法化によって従業員安全維持を徹底しようとすれば、多くの利用者個人による非管理売春流れる、という意見もあります

売春周旋行為を伴う管理売春セックスワーク現場を「真っ当な仕事」として整えることで、かえって利用者への魅力が薄れ、利用者も働き手も「真っ当でない」非管理売春現場に潜っていくという懸念は、パパ活SNSやひととき融資などの隆盛を見ると、すでに進行中だともいえますプロフェッショナルサービス業というより、それこそ「ボスに性を提供して対価として餌の分け前貰うような行動」に近い「仕事」なので、素人でも誰でもお互いの合意が成立すればすぐにできてしまますSNS一般化した現在、こうした非管理売買春への敷居は以前よりもさらに低くなり、捕捉も規制も極めて難しくなりました。どうすればセックスワーク現場で(1)を実現できるのか、というのはとても悩ましい問題です。

セックスワークをめぐる議論について

確認したいのだけど、「セックスワーク(ここではフィジカルかつ直接的に自らの”性”を売る業を指す)を仕事として認めよ」という主張のうち、

 (1) セックスワークも「仕事」として、労働者としての権利安全要求が適正に認められるべき。

 (2) セックスワークも「仕事」として、自由職業選択の結果の一つでありプロフェッショナルとして堂々と称えられる世の中になるべき。

この二つの主張には大分距離がある気がするのだけど、往々にしてごっちゃになってないか? だって(2)がなくても(1)は実現できるよね。(プロフェッショナルとしてはなかなか称えられることのない仕事であることと、その従事者を労働者として認めることとは全く別の話。たとえばパートタイムの3K労働者など。)

で、前者に反対する人はそれこそ頭の固いお役所とか某会議矯風会の人らくらいで、ほとんどの人は反対しないと思うけど(たとえば昨年の国のコロナ支援金から風俗業が外されたニュースを不自然に感じる人は多かっただろう)、後者についてはなかなか理解を得るのが難しい状況で、そして、両者が混ざり合うと、(2)に足を引かれて結局(1)が実現していかない気がするのだけどどうだろう。正直なところ(1)を実現したいなら(2)の話は置いておいてひたすら(1)を訴える方向で進める方が適切だと思うし、意図してそこを混ぜられると、(1)の話で反対しにくくさせて一緒に(2)を実現させてやろうという政治的な思惑でやってるんでしょと感じる。だが、そのやり方は結局、(1)の実現が遅れることで発生し続ける犠牲を伴うので、やはり悪手だと思う。

メモ書きは以上。以下は暇な人向けの余談。

(1)に反対する人ってどんな人だろうか? 「頭の固い役所」って書いたけど、おそらく法関係の方からは「売春そもそも違法なので、薬の売人が業として保護されないのと同じに決まってんだろバーカバーカ」的な批判があるのだろうと想像はつく。けど、それはおかしくて、風俗自体は業の形態からから法でガチガチに縛られているし、きちんと課税もされてるわけで、従業員も当然「合法」な存在なわけよ。ただ、彼らが密室で客と何してるかは、店もお上も預かり知らぬ、というテイで。そうやってきちんと法の下に置かれている存在なのに、給付金支給するような場面で急に「アンタら法の外の存在給付金とかありえんしw」みたいな分け方するのは、ちょっと理屈が立たないんだよね。いや法の外にある実態知ってるなら取り締まれ、と。そうじゃないなら素直に給付金出せよ、と。

あるいは、”性”に関わる部分は雇用者管理できない所で自己判断でやってるのだから雇用者がそこに対して責任義務を負う必要はない、という見解もあるかも知らないけど、肉体労働現場でも、普通より危険性の高い職務現場(まさに雇用者管理ができない領域のある所)については手当を出したりすることがあるし、コロナ感染危険がある現場いかせるなら雇用者義務としてPCRが受けられるようにするなんて当然行われてしかるべきものなんだから、その仕事にある程度の「危険」(非管理領域)が予測されるとき雇用者使用者安全や衛生に対して責任義務を負うというのは別におかしい考え方ではないよね。つまりあくま合法的な言い訳だけをタテにするとしても、「"自由恋愛"という危険が極めて多く発生することが予測される密室的な営業形態において、従業員精神的・肉体的な安全を維持するためのしかるべき処置」を雇用者義務とするのは適切であると言える。

それから、「セックスワークは誰もがイヤイヤやってんだ、何が仕事だヴォケが!」って方向から批判岡村発言への藤田批判的な)もあるのだけど、これに関しては、まさに(1)と(2)を混同した議論典型であって、この主張に立つ限り、少なくともこの世から風俗業を滅ぼさない限りは「じゃあ(1)もできませんね」ってなって誰も救われない結果にしかならないだけであって、よろしくないと思うんだよ。いや、そういう人はたぶん誰も救われなくなって風俗自体がこの地上から消えてくれればいいと思ってるのだろうけど、たとえばボスに性を提供して対価として餌の分け前貰うような行動ってサルの群れでも見られるという説もあるのだけど、そうなるともう我々が一体何を滅ぼしたがっているのかよく分からない(人間か?人間が憎くて滅ぼしたいの?)ことになるので、それはそれで極論と思う。  

こうやって考えてくると、もう純粋に(1)だけを批判する理屈というのは、ちょっと成り立たないと思うんだよね。

anond:20210715130237

女性自由を確保するなら、売春合法化は欠かせないと思う。

公営管理したほうがいい。

あと女性男性サービスを買えるようにしたほうがいい。

2021-07-15

anond:20210715160729

「僕の環境では大丈夫」ってよく言いますね。知らんがなって思います

全部管理してるのは自分なのに。

セックスワーク差別無知からやってくる」というけれど…

自分セックスワーク擁護派だけど、「セックスワーク差別無知からやってくる」(https://anond.hatelabo.jp/20210714185723)を書いた元増田ロジックはだいぶマズいというか突っ込まれどころが多いので、もう少し理論武装してください。通常の賃労働とは違うセックスワーク固有の困難というのは確かにあって、セックスワーク当事者たちも、そのことはきちんと問題化しているので。

安全確保

そもそもセックスワークというのはワーカーの安全確保がとても難しい。行為性質的に、どうしても個別性・私秘性が求められ、たいていは誰からも見られない場所、多くの場合密室で、1対1で行うということになる。特に店舗風俗では完全にアウェイ相手の自室に1人で入っていくことになるので非常にリスクが高い男性相手女性セックスワーカー場合フィジカルに圧倒的な差がある。事前のルールで決められた以上の行為強要する顧客もいる。自室にカメラを仕込んで盗撮を仕掛ける顧客もいる。そういった「意図的な悪意のリスク」に一定確率さらされるというのは、建設現場など通常の肉体労働では起こらないセックスワーク特有リスクだ。

健康リスク

健康問題についても、「内臓を売ってるってことなら、サラリーマンは眼球を売ってるでしょ」みたいな悪質な比喩問題を誤魔化してしまう。臓器を売り渡しているわけではないが、臓器(内性器や口腔)を使わせる自由は売っていて、このことには普通の「ワーク」にはないリスクが伴う。特に女性器への挿入を伴うセックスワークは、眼球で何かを見ることとは比較にならない健康上のリスクがある慢性的侵襲、性感染症意図せぬ妊娠など、就労を一時中断したり、離職を決断しなければならなくなったり、将来的な妊孕性を損ねてしまうといったケースも普通にある。またワークを通して何かあったとき労災環境も全く確保されていない。その点、何度も比喩に使われている建設業は、労災労働環境保全過去事故反省もあって、非常にしっかりしている(たぶん平均的なサラリーマン職場よりちゃんとしてる)。そういうところも大きな差がある。

感情労働

セックスワークが売るものは、性行為とその行為に伴うさまざまなファンタジーだ。このファンタジーには「その行為が単なる金銭目当てのサービスであってほしくない、金銭の対価として自分提供される商行為であってほしくない」という利用者幻想も含まれることが多い。お金のためにやっているのに、「お金のためだけにやっているわけではない」ようなフリをすることが求められたり好まれたりするという倒錯的な構造がある。たとえば、実際は気持ちよくないのに気持ちよがって見せる、相手好意を持っているように見せる、セックスが好きだから自分天職だと演じる、など。別のペルソナを身に付け、本当はそうではないのにそうであるように振る舞うのは感情労働一種で、このことはワーク当事者にとってストレスになることが多い。多くのサービス業には感情労働的な性質があるが、その「程度」は全然違う。身体への性的アクセスを許して、そのことに快感を感じているように演じて、相手にはビジネス以上の繋がりを感じているように振る舞うということを1日に何回も繰り返すのが、本人の精神健康にどう影響するか想像してみてほしい。

職業としての向上・展開の難しさ

セックスワークは長く生業とするのが難しい。特に日本男性向けセックスワーク業界では「プロ」へのニーズが低い。これはさっきの「その行為が単なる金銭目当てのサービスであってほしくない、金銭の対価として自分提供される商行為であってほしくない」という幻想とも密接につながっている。セックスワーク業界は、セックスワークに関する技術を徹底的に磨いたベテランプロフェッショナルほどサービス付加価値高まる、という構造になっていない。むしろ技術が拙いことが「素人っぽさ」「初々しさ」として評価されることもある。風俗店でもAVでも「新人」には高い価値がつけられる。普通の賃労働では技術の拙さが評価につながることはないが、セックスワークではプロありすぎないことが求められる。経験を積むことはさほどプラス評価にならない(時にマイナス評価になる)のに、年齢が上がることはマイナス評価に直結していく技術より容姿・年齢がワーカーの付加価値を左右するから素人女子高生女子大生セックスワークの分野で高い付加価値を持ってしまうし、加齢を経てセックスワークに携わり続けることが難しくなっている。メディアの発達によって、その気になればいつでも誰でも性行為を売れるようになったことで(援助交際からパパ活SNSまで)、ますますプロ付加価値は下がっている。

これは私見だけど、この構造があるので、元増田の言う「合法化したほうが業界団体ができたり、まともな資本が入ってきたりして安全面含めたセックスワーカー労働環境がどんどん良くなっていくと思う」については自分はあまり肯定できない。管理されていてセキュリティを確保されているプロは、管理されていないリスキーアマチュアに売り負ける。今後セックスワークはどんどんネット経由で地下に潜っていく。それを防ぐには、管理売春合法化と同時に、非管理売春の厳格犯罪化と取締りを行うことになる。普通の「ワーク」にはこんなことは起こらない。このこと自体セックスワーク特殊性をよく表している。

こういうセックスワークをめぐる構造問題特殊性ちゃんとわかった上で、それでもセックスワーカー権利獲得とセキュリティ向上のために活動しているアクティビストには頭が下がる。そこでしか働けない人、そこでしか働きたくない人がいる以上、そういう人達がより安全に快適に働ける環境作りをしていくという意味では労働運動の正道だし、圧倒的に女性就労者が多い現場で固有の問題を考えていくという意味ではフェミニズムの本道でもある。自分としては精一杯支援したい。

元増田セックスワーク擁護をしたいなら、こういうセックスワーク当事者支援者が認識している論点無視したり、「ワーク」全般セックスワークを脇の甘い比喩でまぜこぜにしたりして、本人達の意に沿わない正当化をしないほうがいいと思う。あの書き方だと、逆に「無知だけどセックスワーク擁護してる人」になりかねない。

追記

みなさんコメントありがとうございます自分的に重要な指摘だと思ったことにコメントします。

id:allezvous 「それを防ぐには、管理売春合法化と同時に、非管理売春の厳格犯罪化と取締りを行うことになる。普通の「ワーク」にはこんなことは起こらない」法律行為代理医療行為を筆頭にした資格制の業務でよくあるような

行為との対比は一度書きかけてやめたのですが、コメントいただいたので少し書いてみます。医行為法律行為代理免許制資格になっている理由は、提供するサービスの質を保ち、その利用者保護するためだと思いますが、上記理由セックスワークを許認可制とする場合、その制度設計はワーカー側の身体健康安全利用者から保護することが主眼となり(そのことは利用者を守ることにも繋がると思いますが)、目的と方向が真逆になっています

セックスワーク特殊性ひとつに「ワーカーの身体による利用者へのサービス」ではなく「ワーカーの身体への、利用者一時的アクセス権」自体を売るという側面と、それに伴う固有の脆弱性(vulnerability)があります。他の一般的な「ワーク」で、こうした受動的・対象的・客体的な要素を持つ賃労働、「利用者から自分が何かをされるのを受け入れること」自体サービスとする賃労働を、私は他に知りません(あえて言うなら猫カフェの猫はそうかもしれません)。この構造は、セックスワーク普通の「ワーク」になることを難しくしている、ひとつアポリアだと思います

追記追記

id:aquatofana さん、id:m7g6sさん、id:pekee-nuee-nueeさん、id:yetchさんが、「受動的・対象的な要素を持つ賃労働」の例として、医療・製薬業界治験バイトを挙げてくださいました。確かに身体のもの一時的供出、それに伴う健康的・身体リスクの受忍という点で、似通った部分があります。一方で治験というのは、旧厚生省治験検討会の方針もあって、一貫して労働ではなく善意ボランティアという体裁になっており、支払われるお金治験協力への直接の報酬ではなく「被験者負担軽減費」(治験参加に伴う物心両面の種々の負担を勘案した、​社会的常識範囲内における費用の支払いによる被験者負担の軽減のための費用)という名目になっています報酬金額制限されていること、終了後に4ヶ月の休薬期間が設けられていることも含めて、「ワーク」にならないような工夫が凝らされていますとはいえ、実際は色々な抜け道を駆使して治験ボランティア収入だけで暮らすことも不可能ではないようですが)。

国や業界がなぜ治験を純然たる「ワーク」にしなかったのか、してはいけないのか、というのは、セックスワークの「ワークとして成立することの困難」を考えるうえで、ひとつの手がかりになるかもしれません。治験については、おそらく行政にも医療従事者にも『①個人自己身体一時的相手使用させ、②相手の〈自己身体使用〉に伴う身体的・健康リスクを引き受けること、それ自体を商行為にしてはいけない』という感覚が強くあるのだと思います

このうち①は、みなさんご指摘のように、多くのセックスワーク業態に含まれている要素です。②は、本来セックスワーク現場から排除されているべきですが、現実には看過できない頻度で発生している要素です。しかも実際にリスク事象が起こったときには、その責はワーカー自身に帰されがちです。たとえば、ワーカーが性感染症感染したり、意図せぬ妊娠をしたとして、世の中で利用者管理監督者・ワーカーのうち誰を責める言説が多いかといえば、圧倒的に「風俗で働いてるワーカーの自業自得」という声だと思います(そしてそのことは、仮に売春周旋行為合法化されても変わることはないのではないかと思います)。これは、多くの人が「セックスに直接関わる行為には、どれだけ運用を工夫しても一定身体的・健康リスクが伴う」と理解していることの現れだとも言えます

セックスワークには利用者がやってよい行為」と「やってはいけない行為」の距離が極めて近いという特徴もあります性的に興奮している利用者は、意図して、あるいは意図せずに、その「やってよい行為」と「やってはいけない行為」を隔てている薄皮を破るかもしれません。いわゆる本番行為がある性風俗店派遣風俗では、その〈薄皮〉は0.02mm厚のコンドームだけかもしれません。あるいは、キス禁止にもかかわらず、抱きついているワーカーの顔をつかんでキスを迫ること。本番禁止にもかかわらず、素股というサービスを受けているときにワーカーの腰を掴んで挿入を試みること。おっパブで働くワーカーの乳首舐めるのではなく、噛むこと。「自己身体のもののへの直接のアクセス利用者許可している」という脆弱状態にあるので、利用者が予め設定したライン欲求や興奮とともにほんの少し踏み越えただけで、ワーカーの健康リスクに直結するという構造があります

建設業では現場建設従事者に健康診断結果の提出を義務付け、毎朝朝礼を行い、現場パトロール実施し、ヘルメット安全帯・安全靴・長袖服の着用を義務づけるなどして、そのワークに伴うリスク可能な限り抑制します。風俗業界では、店員ドライバー男性による様々な処罰(いわゆる「業界流儀」)によって、そのワークにともなうリスク可能な限り抑制します。この両者は、似ているようで違います建設業では、ワークの現場監視し、ワーカー自身を防護し、事故リスクを減少させ、事故時のダメージを最小化しています風俗業では、ワーカー自身利用者から防護することはできません(一時的身体へのアクセス権を利用者提供すること=ワーカーの身体利用者から防護しないこと自体が、サービスに含まれいるからです)。管理者がワークの現場監視し、利用者が「やってはいけない行為」に及ぶ瞬間に介入して中断させることもできません(処罰担当者は、実際の行為が行われている空間の外にいるからです)。

中規模以上の建設現場では、しばしばゼロ災の継続日数が掲示されていますが、店舗風俗では、しばしば出禁罰金などの制裁行為を受けた利用者たちの顔写真掲示されています代表的な「業界流儀」です)。これは、後者では、たとえ事後の処罰があっても禁止行為に及んでしま利用者一定数いること、そしてその行為被害を受けたワーカーも同数いることを表していますセックスワーク現場でワーカーがさらされる健康的・身体リスク抑制が「事後制裁」という形式しか行えず、それが現実抑制力として100%機能しているわけではないことは、セックスワーカー安全衛生の確保、そしてそれが大前提になるはずのセックスワークの「普通のワーク」化を困難にしている、重要な要因だと思っています

この追記追記ちょっと取り留めなくてすみませんが、治験という切り口から考えたことをつらつら書かせていただきました。

anond:20210715100818

良い酒はとても美味しいんだよ!

美味しい酒は値段も高かったり管理も面倒だったりするから

実際にはまずい合成酒アルコールに香料入れただけのやつ)も

結構あるけど

日本ビール結構どれ飲んでもちゃんとしてるし、日本酒や焼酎レベル最近かなり高い

どぶろくとか甘酒とか梅酒とかも充実してきてこの辺りいろいろ探検甲斐があるよ。お勧め

2021-07-14

昼過ぎ都内長浜屋に入ってラーメン食ってたんだけど

中国人?みたいな店員ワンオペで切り盛りしてて、途中から入店してきた自治体職員に「歩道看板出てるから店の中に入れてくれる?」っていう指摘を受けてるシーンを見たんだけど「日本語ワカラナイ」って返して、「日本語わかる人今お店にいる?」っていう問に対して「イナイ」って答えて切り抜けてたんだよね。

ラーメン美味かったら文句ないけど、管理体制クソ過ぎないか外国人ひとりに店任せるとか相当杜撰だわ。

コロナの在宅勤務で暇なので地球征服しようと思う

俺は地球王になるのだ

地球征服比較簡単だと思う。

圧倒的科学力があれば良い。

例えばスタートレックに出てくる反物質エンジンで反重力不思議レーザーで亜空間通信フォースフィールド兵器を作る

ホワイトハウスに横付けし降伏勧告、逆らえばズドン天安門でもやる

うひゃひゃ

 

なぜ地球王になりたいか

愚問だ

世界中から美少女を集めハーレムを作るに決まってる。

 

だがしかし、俺、そんなにセックス好きだったか

妻ともレスだ、性欲なんぞとうに干からびている

そもそも俺、アナニストじゃないか

お尻の穴に器物挿入し前立腺刺激による快楽を得る派。

結婚前にドライ体得し結婚後はご無沙汰だが、今でもたまに前立腺うずく

心置きなくアナニーに耽れた独身時代が懐かしい。

ともかくセックスとは別次元快楽を知っている俺が今更美少女集めてセックスして楽しめるわけがない。

恐らく秒で飽きるだろな。まぁいい。

 

あとやってみたいのはパンとサーカスコロッセオ

凶悪犯とか集めて殺し合いさせるの。

オマエラにもダイジェストくらいは見せてやるよ。

 

一方で地球王になる代償はデカ

世界中から美少女集めるのはいいとして、一生面倒みるか?

年季が開ければ里に返してやらねばならないが、俺の性癖ペラペラ喋られても困る。ハズい。

セーラー服ブルマスク水コスプレさせられてケツ穴にエネマグラを挿入しアヘってる王様に陵辱された。

しかし小さくて早かった、とかとか。

無論口止めはするがどこかから漏れる。

そう考えると一生軟禁するしかあるまい。

仮に一ヶ月に10人の新人を入れるとしてもスタメン50人くらいで十分で

毎月10人が引退で入れ替わることになる。

50年続ければ6000人

王宮近くにマンションを建てて衣食住の面倒を見てやろう。

この経費、管理バカにならん。

 

そんなことよりも俺は命を狙われ続けるだろう。

熟睡もできない、食い物になにか入っていないかとか。

 

そこで考えた。

俺の心臓センサーを付け停止検知したら大虐殺シーケンス作動する旨を周知する。

さしずめ人類の半数が死んじゃうくらいの。

まり俺の突然死は世界が道連れ、暗殺など企てるバカはいないだろう。

ブラフとナメる奴もいるだろうからたまに誤作動で数億人くらい殺す。

 

だが考えてみりゃそこまでして地球王として君臨してなにが楽しいのだ。

人生コスパ悪くね?

普通に飲み屋の小娘と浮気したり、たまに妻には出張と偽りアナニーを楽しむので十分じゃないか

庶民最高。

 

それよりもどうせ地球王として君臨するならいい人になって褒められたい。

地球に残る不平等不条理を消し去るのだ。

富の偏在を緩和しみな平等にチャンスを得られる社会を作る。

戦争民族宗教の争いを無くして互いに価値観を認められるような社会を作る。

 

だがしかし問題イスラム教だ。

奴らは多産。

文化経済成熟すると少子化になるはずだがイスラムだけは増え続ける。

仮に世界から貧困撲滅、公衆衛生改善を行うとイスラム人口が爆発する。

いくら産んでも厳しい自然環境で淘汰され人口均衡する時代なら良かったが。

マズい。

 

そこで地球政府としては宗教自由保証するがイスラム教例外的禁止するしかない。

彼らには改宗してもらう必要がある。

あと中国インド人口多すぎなので一度ちょっと調整する必要はあるだろう。

俺は平和主義なのでウイグルとかは国家独立させる。

イスラム改宗してもらう必要はあるが仕方あるまい。

 

これくらいいい人だと寝首を襲われる心配も無い。

熟睡できる。

 

やれやれ、考えてみりゃ地球王も楽じゃねぇな

やめとくわ

anond:20210714092310

カメラ一台置いて、画像認識できるマシンも置いて、バッテリー管理もして、リアルタイム通信もして。

人力よりずいぶん高くつきそうだな

anond:20210714092310

調査範囲道路を同時に集計しないといけないのに、調査範囲道路すべてに装置を置くのか?

カメラ管理データ管理は?

カメラ路上放置するん?

チェコ民族意識社会主義ブルマー

序文

あれだけブルマーについて調べたのだから、しばらくはブルマーに対する知的関心も収まるだろう。そう思ってはいものの、何となくツイッターブルマー検索したときに、ヨーロッパ女の子ブルマー姿を目撃し、疑問が再発した(画像はこちらフェチの人のアカウントにつき注意)。結局、東欧ブルマーの普及っていつからだったんだ?

以前の調査でも、チェコポーランドにもブルマー存在していることまでは調べたが、言語の壁もあり画像検索にとどまっていた。ならば、まとまった時間が取れたことだし、しっかり調べてみるべきではないだろうか。元々チェコ文化には文学音楽を通してなじみがあることだし。ドヴォルザークいいよね。

調査方法

チェコ体操着事情

社会主義政権下では、制服を着て体育の授業に出るのが義務であった。

体操服としての制服は、第一共和国時代(1918-1938)にはすでに一部の学校やソコル(後述)で必要とされていたが、社会主義時代になって初めて一斉に普及し、広く統一されたものとなった。

男子は白いタンクトップに赤い短パン女子は短い袖に青いスエットパンツだった。この強制され対象階級のない社会主義未来象徴だった。これは1965年チェコの3回目のSpartakiada(東側体育祭、後述)のためにデザインされ、70年代から80年代にかけてが最盛期であった。1985年のSpartakiadaではチェコ国旗三色再現するため、赤いブルマも導入されたようだ(ここは誤訳かもしれない)。

女子の短パンはお尻の周りゴワゴワとまとわりつき、ウエストは高く、太ももにはゴムが入っていた。ブルマーによく似ているが、体育の授業のたびに太ももに跡がつくくらいきつかったという。

ちなみに、この時代運動靴は後に普段使われたり、バレーダンサーがはくようになったりしたそうだ。のちに、ポーランドなどに輸出もされたらしい。

Jednotný cvičební úbor: noční můra děvčat za socialismu - ExtraStory

https://www.abczech.cz/Jednotny-cvicebni-ubor-P7035300.html

ソコル

プラハで創設された民族的体育運動協会。現チェコ国民性形成重要役割を果たしたと言われる。元々はハプスブルク家から独立を目指す意図を持っていた。

ソコル設立の動きは他のスラヴ系民族にも波及し、1908年スラヴ・ソコル連盟設立された。チェコ以外にもスラヴ諸国連盟が加入し、1912年にはプラハで全スラヴ・ソコル祭典が開催される。1926年には180,000の観客を収容可能マスゲームの上演のためのGreat Strahov Stadiumが完成。

大戦間にソコルはより発展するが、ソビエト連邦では活動禁止された。ナチス下では解散させられるが、戦後協会は再建される。しかし、共産党政権下では東欧諸国のソコルは事実上活動禁止され、協会国外活動継続した。1948年プラハで開催されたソコル祭典の集団演技には98,000人の学童と273,000の会員が参加し、2週間にわたって行われた大会の中で共産主義政権への反発が露にされた。

チェコスロバキアではソコルの活動が停止した後、社会主義的な演出を施した「Spartakiada」というマスゲームを中心とした体育大会1955年から5年ごとに行われるようになった(後述)。

なお、もともとは同じユニフォームの着用、マスゲームの参加は過去には民族主義による開放感をもたらしていたが、関心が多様化した社会ではそれらの行為は拘束として受け止められているそうである。現に、上から国民教育しようとしたこ運動はあまり成果が出ず、徐々に管理主義的になっていったという。民族自由を求める戦いも、完全にクリーンというわけでもないらしい。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BD%E3%82%B3%E3%83%AB_(%E9%81%8B%E5%8B%95%E5%8D%94%E4%BC%9A)

Spartakiadaとは

ソビエト連邦スポンサーになったスポーツ大会であるソビエト連邦はもともとオリンピックに対抗し、これを補完しようとしていた。国際Spartakiadaは1928年から1937年に5度開催されたが、のちにこれは東側ブロックの国ごとのイベントになった。名前スパルタクスから来ており、プロレタリア国際主義象徴する。貴族的・資本主義的な(古代オリンピックとの対比になっている。

その後、チェコでは大規模場マスゲームを指す言葉にも転用された。これは先述のGreat Strahov Stadiumで5年に一度開かれた。規模は非常に大きく、1960年は75万人が国中から参加し、200万人がイベントを目にしている。

1955年から5年ごとに開かれたが、1970年プラハの春で中止、1990年ビロード革命で中断され、小規模な形で再開した。

1994年以降ソコル祭典は6年ごとに開かれているが、祭典のマスゲームパレードに参加する会員の多くは過去のソコルに馴染みが深い高齢者で占められているらしい。

Spartakiad - Wikipedia

https://en.wikipedia.org/wiki/Spartakiad_(Czechoslovakia):title]

結論

今後の研究


今後も調査継続したい。

anond:20210714000254

地方のどでかい家に住んでるけど、建ぺい率問題もあって、敷地内外ともに広くて管理は正直大変だよ。お金があるなら、地方マンション2部屋買ったほうが便利かもなと思うくらい。ただ、気兼ねなく物買っても置き場所は作れるし、ゲストまれるし、窓を開けたら庭が広がってて視線気にならないし、騒音オッケーバーベキューオッケーで、当たり前に享受してるありがたい点も多いんだろうなと思う。自分ちよりもさらにどでかい家に住んでる自営業友人宅は山の斜面一帯買って3階建ての7LDK書斎エレベーター付きっていう家にしてて、敷地から一歩も出ずに快適そうではある。完全にライフスタイルによる。

2021-07-13

anond:20210713175326

機械稼働率が悪いのは運用管理してるやつの責任だよね

稼働させられない無能発言権人権必要ないと思うわ

anond:20210713171318

稼働率に男の数はそこまで必要ないよね

病人管理病気管理などの面からみても、1:30くらいで組み合わせしていけばいいと思う

知能とか運動能力とかで選別して、未来日本を支える人材を量産していこう!

DMM英会話が安くていいなと思ったんだけどさ

FANZAの月額見放題チャンネルの会員なんだよね。

アカウントにするかな。講師側の管理画面に他サービスの利用みたいなの出たら嫌だな。

倭健命は良馬で軍団を作り、農民から警備料の米を貰い、安全のため山城に貯蓄して、城主管理させておき、また馬を輸入する。

投資家の始祖である

anond:20210713123050

スケジュール調整の権を他人に握らせるな!!

惨めたらしくうずくまるのはやめろ!!

そんなことが通用するならお前のプロジェクト炎上していない!

奪(うば)うか奪われるかの時に

主導権が握れない弱者が進捗を管理する?目途をつける?

笑止千万(しょうしせんばん)!!

弱者には何の権利選択肢もない!

悉(ことごと)く力で強者ねじ伏せられるのみ!!

バグを治す方法プログラマなら知っているかもしれない!だが!!

プログラマ共がお前の意思や願いを尊重してくれると思うなよ!


当然俺もお前を尊重しない!

それが現実だ!

去年、リモートワーク用のつもりでPC買ったものの、全く使わず

でも数か月前まではたまに管理もしつつ、充電もしつつ、スリープモードにして

そのまま数か月忘れてた。

今電源コードつないで電源入れてみると、バッテリーはは当然0%なんだけど

デスクトップは、今スリープ解除したかのようにちゃんウィンドウとか残ってるのな。

自動で休止状態にでも移行したのかな。

最近PC結構タフだね。昔だったらこれで電源落ちてたと思う。

(ちなみに使ってない理由は、結局、会社貸与PCを持ち帰る事になったから。

どうしようかなこれ・・Win10Homeだけど、WSL2の実験場にでもしようかなw)

映画ってもうからなさそう

エヴァとか10年とかかけて興行収入たった100億。グッズやコラボ収入合わせても10年間の人件費賄えるのかな?監督やその他責任者はある程度貰ってるだろうから下請けやばいのかな。

鬼滅の刃制作期間短そうだし監督その他責任者もそんなに偉くなさそうだからあれだけヒットすれば問題なさそうね。声優若いから安いだろうし。グッズも死ぬほどあるし、売れるし。

いつからどこでやってるか分からないけど結構有名な俳優が出てる邦画が一番儲からなさそう。

声優と比べると俳優コストは段違いだろうし、アニメーターよりは少ないとは思うがCG映像担当もしっかり必要な割に興行収入全然したことなくてオタがほぼいないからグッズもそんなに売れない。興行収入だけであの女優キャスティングした費用飛んじゃうのでは?と思うくらい流行ってない映画たくさんあるよね。

しかも今は特に撮影ストップしたり公開延期になったり。公開されない限りお金回収できないよね、マジで大変そう。

あんまり流行ってないけどキャストだけ豪華な邦画は前からずっとあるからコロナ関係ないけどな。

俺は映画業界とか普段仕事でかすっても無いから他にもっと広告費とかいろんなアレがあるのかもしれない。ただ雑魚会社員の俺が普段関わってるプロジェクトですら、さら雑魚を何人か雇うだけで人件費のみで半年10億とか普通に飛んでってるから映画というのは一体どんなプロジェクトなのかと思った。予算管理するPMOみたいな人もいるんだろうか。実に興味深い。

またはディズニーランドキャストみたいな感じで儲からなくても作りたい監督とかがいるのかもしれない。知らん。

追記

なるほど不動産投資か。他業界でもやってる事だし納得はいくがやはりコンテンツだけではダメなんだなー。

2021-07-12

anond:20210712083806

京都大作戦地元から不安から第一週目やって、次の週止めたんだよね。雨とか要因にはしてるけど。

それ以上は不安の度合いがどれくらいか分かんない。

https://natalie.mu/music/news/436145

自分意見スポーツ医療と近しい分野はあるし、近しくない分野もあるからスポーツ界、医療界って十把一絡げは難しくないかと思ったので固有の整形外科とか書いた。耳鼻咽喉科皮膚科スポーツ関係あるとは思わないもん。

ちなみに、今度東京ドーム新日本プロレスがやるけどエンタメなのかスポーツどっちになるんだろうね。

この記事

> 「実は、茨城県医師会フェスが開催されることを知ったのが、6月18日ごろだったのです。ひたちなか市医師会役員先生からフェスが開催されることになって、医療提供体制とかそういった点から不安が大きいんだよ』という話がありました。県内だけでなく県外からも人が来るので、その話を機に『これは一医師会の話だけではなく、県内医師会全体に関わる問題だろう』となり、何回か会議も行い要請書を取りまとめました。あえてこのタイミング要請した、というわけではないんです」

https://jisin.jp/domestic/1998241/

を見たらさ、18日までは知らなかったし、それからロキノンなり、茨城県に問い合わせた感じがなくて、とりあえずの苦情にしか見えないんだよね。

苦情の内容も観客を減らす

→ 元々通常の半分以下の観客という対策を発表していた

対策の強化

ステージは5つあるのを1つだけにして接触のない動線にした。7万人入るところに3万人全員を入れる。駐車場の増加や分散での会場入りをさせているという対策を発表していた

フェス前後管理

チケット取得時に住所が書かれているし、誓約書を書かせている、またガイダンスフェス前後での大声での歓談の自粛依頼は記載済み

要望されたら、ゼロベースの申し入れにしか見えなくて、協議が続くのは無理と判断したと思う。フェス地元との協力は大切だからその中から反対があれば協議する必要があって、それがどれだけかかるかはフェスやってる側の人間から分かったんだろう。

一方で観客との信頼関係も大切だからありのままで話したんだろうと思うよ。自分達は自分達なりのベストを尽くしたって。

二週間開催とか、春のJAPAN JAMの1万から真夏の3万は増やしすぎとか思う。元々快適なフェスだったかオペレーションは慣れてるし、まん防最中JAPAN JAMで相当ノウハウもたまったろうが飛躍しすぎだ。1万5千ならいたかなと思う。

医師会という表現ニュースで騒がれているなら、たとえ内科医以外コロナに関わらない医師会にも仁義は切っておくべきだっただろう。

元増田のいうことはもっともかもしれない。その上で、この申し入れの内容、さらにその間にコミュニケーションをとらなかったのはロキノンに対しては全く信頼感はなかったのかなと思う。

https://www.ibaraki.med.or.jp/info/%e3%80%8crock-in-japan-festival-2021%e3%80%8d%e3%81%ab%e9%96%a2%e3%81%99%e3%82%8b%e8%a6%81%e8%ab%8b%e3%81%ab%e3%81%a4%e3%81%84%e3%81%a6%e3%80%80/

こういうのはどちらかが悪いとは思わないけど、「あ、また分断した」って思ったね。

いい加減「プログラミング理解できない人はいる」という事実を認め

てほしい。

プログラミング理解できない人はいます。いい加減この事実を認めて下さい。

こういう話になると、やれ「教え方が悪い」だとか、やれ「順序立てて学べば誰でも理解できる」などという輩が出てきますが、それは事実に反します。

まず、プログラミングは手順さえ覚えれば誰でもできるようになると言うものではありません。プログラミング理解するには、一定レベル論理的思考能力を要します。それが身に付いていない人には無理です。また、どんなレベルの人でも、プログラミングで分からないことは出てきますプログラミングができる人は、そういう時に、

といったことをして解決する力があります。そういう試行錯誤をしない人や、複雑だったり抽象的な概念を突き詰めて考えることをしない人に、プログラミング理解するのは不可能です。

たとえば、再帰関数が分からないとしましょう。具体的に何が分からないのかは人によって異なります。たとえば、

など。これらを解決するには、自分で仕組みを突き詰めて考えたり、コードを書いてデバッグしてみたり、調べたり人に聴いたりするしかありません。講師が気の聞いた喩え話などをすれば、たちまち疑問が氷解するなどということはあり得ません。

また、一口に「プログラミング理解する」と言っても、そのレベルは様々です。

  1. 代入や四則演算などが理解できる
  2. 条件分岐や繰り返しなどの制御構文が理解できる
  3. 関数クラスなどのモジュール機構理解できる
  4. 高階関数や非同期処理などが理解できる
  5. 計算量を見積もることができ、効率の良いコードが書ける
  6. ソフトウェア設計理解し、保守やすプログラムが書ける
  7. バージョン管理等の各種自動化ツールOSネットワークデータベース等のプログラミング言語以外の技術理解している

最初の2〜3程度が「自分の思うプログラミングの全て」な人が、軽々しく「プログラミングは誰でも理解できる」などと思わないでいただきたいのです。それは実用上は全然足りていません。サンプルコードをググりながら、やっとこさVBA複数エクセルファイルを集計できる程度の人が「プログラミングできる」気になっていては困るのです。

上記の大部分は、自分プログラム他人に見せるつもりのある人なら十分に習得しておく必要があります。ましてや、プログラミングで飯食おうと言う人間が、FizzBuzzに毛の生えたようなコードを読み書きするのに精一杯で、効率保守性に気を配れないのは論外です。

上記特に後半に書いたようなことは、誰にでもできることではありません。ちょっとしたコツや方針を守れば機械的にこなせるというものではなく、技術力の高い人でも熟考を要することです。彼らは、そうした高度なことを正しく考える力があるから技術力が高いのです。そういう力は、誰かに用意してもらったカリキュラム受動的にこなすだけではまず身に付きません。

anond:20210712152203

ここは ギルド です

 

衛生管理 の お話 が 聞きたいなら

2 階の 6 番窓口 まで お越し下さい

 

商売をする上で必要資格 の お話 が 聞きたいなら

6 階の 35 番窓口 まで お越しください

病気」と診断を受ける意味

かつて自分ネットで絡まれた奴の一人にやべーやつがいた。

そいつは一つの国語表現固執するあまり不特定多数に自説を吹聴して回り、

あまつさえ特定国語学者のアンチまで務めるという壊れっぷりであった。

自分国語表現の正しさには素人なりに厳しいつもりであるが、

流石に目に余るのでそいつプロフィールを見たところ「発達障害」という文字列が入っていた、

ああそういうことね、と冷たくレスを返してみると、案の定相手がいきり立ったものである

ひたすら自説の正当性大義名分を主張しヒートアップしていく一方、

発達障害のものには一言も触れることはなかった。


私はそれを見て、かわいそうなやつだなと思った一方、

「なんのためにこいつは発達障害自称しているのか」と思ったものである

自分素人なので詳しいことは知らんが、ネットちょっと調べた限りでは、

発達障害はどうでもいいことに固執する傾向がある」というような話があった。

(下手に曲解するといけないので、そういうふわふわした理解にとどめておく。)

その性質自覚しているなら、そうなっていると指摘された時に、

「すまんな」「ええんやで」とならなくては意味がないのではないか

逆に言えば、それができないのが発達障害なのかもしれんが。

いずれにしろ、彼が発達障害と診断された意味微塵も感じられなかったのである




そういえばもう一つ、「病気の診断」に関して思うことがあった。

一昔前に「新型うつ」という概念流行たころ、それを否定する風潮が強かった。

お茶の間にとって「うつ」とは「常に気分が落ち込んでいるべきもの」という偏見があった時代で、

(あるいは今もそう変わってはいないのかもしれないが、少なくともメディアの扱い方は違う気もする)

「やるべきことに直面すると落ち込む、解放されると嘘みたいに明るくなる」という新型うつを見て、

「甘え」や「仮病」の二文字が頭に浮かぶ人は少なくなかったであろうと思われる。

その様子を見ていた自分は当時まだ子供であったが、子供なりにその風潮を憂えたものであった。


いざ自身大人になってみると、うつ病の人が周囲にちらほら出てくるようになる。

私の交友関係はだいぶ狭いほうだが、それでもあんな人やこんな人がカウンセリングを受けている。

仕事で心を破壊された気の毒な人もいれば、体育大学に通いながら精神を病んでしまった人もいる。

健全精神健全な肉体に宿れかし。そう思わずはいられない。

無知の知ではないが、うつ病とはわからものだなという事だけがわかってくる一方、

彼らが日々己の心身と闘っている様子が切実に見えてくるものである


しかしながら、うつ病患者からといって100%同情されるわけでもない。

知人のとあるうつ病患者は、日々の体調管理すら苦労している様子が見て取れる一方、

もともと愚痴が多いうえに「かわいそうな自分」に酔うタイプであった。

それを日々聞かされる周囲の人はだんだんと耐えられなくなり、距離を置くようになってしまっていた。

うつ病であることそのものではなく、自分に酔うことを苦々しく見られていたのである


私の身内にも距離を置かれているうつ病患者がいる。

元々ヒステリックな部分があり、機嫌がコロコロ変わりやすく、

子供のころから見ていた自分は「こいつ病気なんじゃね」と思っていた。

私が大人になるにつれて傾向は見えてくるようになり、

どうやら忙しいだとか面倒なことが控えると機嫌が悪くなり、

思うようにならないことがあると、それをしばらく引きずる形でまた機嫌が悪くなるようであった。

それにもかかわらず自身勝手なこだわりでタスクを増やし、

頼れるものに頼ろうとしても結局文句ばかりで一向に楽になろうとせず、

そうして忙しくなるとまた機嫌が悪くなるというマッチポンプばかりをしていた。

ネットを通して「そういう人もいる」という知見を得て、そういう人なら仕方ないなと思っていた矢先、

本人からうつ病であると打ち明けられたのである診断書を見せられるでもなく。

そのとき私が抱いた感情は「かわいそう」とか「お気の毒」ではなく、

申し訳ないが「それ見たことか」「何を今更」「で?これからどうする?」という気持ちであり、

正直言って同情は一切わかなかったものであった。

なぜなら自らを病に落とし込んでいるようにしか見えなかったかである




近年は様々な病気、あるいはナントカ症というものが多数生まれてきている。

先日某ラジオでも取り上げられていたが、とくに恐怖症になると枚挙にいとまがない。

お酒恐怖症でーす!なぜなら目の前にあったら飲んじゃうから!違うかw」という投稿には個人的にムカついたが、

ほとんどは「落ち着きをなくす」「立っていられなくなる」のような割と切実な訴えであったし、

自身の友人知からもそういう話は聞いたり、あるいは付き合ってきたものである

そうした新たな病気やらなにやらというものの周知が試みられているのもまた現代であるが、

じゃあすべて見て聞いて覚えられるかと言えば、そんな余裕は多忙な一個人にはないし、

公の場で突然異変を起こした人を「あ!これネットで見たやつだ!」と100%適切に助けられる自信もない。

ましてや「病気認定差別的ものになりうることは過去現代も同じであり、

無垢マイノリティの方々が切実な訴えをなさっては、様々な人間が入り乱れて大騒ぎになるところである


では「病気」という診断は何のために存在するのか?百害あって一利なしなのか?

そもそも病気」は「病気」のレベルでなければいけないのか?

私はそうは思わない、というか、「病気」だけが特別である必要がないと思う。




西川貴教という歌手がいる。

彼はかなり前に、声帯ポリープ発見されたことがあったらしい。

声を出すお仕事の人にとっては特に厄介な病気であり、切除をしてしばらくお休みをいただくのが常である

しかし彼は「付き合っていけば味になる」と割り切り、手術をしなかったというのである

そのせいもあってか度々喉の不調で活動休止ということもあったようなのだが、

2011年の時には「プロとして情けない」とツイートした履歴もある。

そういう心持ちでいらっしゃることがまさしくプロである


身体と心の不調では話が違う、と言われるかもしれない。

しかしながら私が言いたいのは、彼はある種の病を「個性」として受け入れたということである

先ほど述べたように現代病気の種類が増えていく一方で、

病気とまでは言われないものや、単なる性格に過ぎないものも細分化されつつあるように感じる。

あなたはこだわり屋さんです」とか「あなたネガティブです」とか言われても、

それは正式病気や障碍ではないし、なんらかの公的な援助が受けられるわけでもない。

あるいは病気や障碍とまでは言い切れない「グレーゾーン」なるもの存在するようである

そういう「個性」が明らかになったときに、自分はどうするのか?

自分がその個性とどう「付き合ってい」くか考えていくべきなのではないか


もちろん病気や障碍には「どうにもならない」「仕方がない」部分はあるし、それに伴う人並み以上の苦労もある。

では病気や障碍であるからといって何もかも許されるのか?

自身身体コントロールできない病なら、どんなに偉そうにして厚かまし要求をしてもいいのか?

自身精神コントロールできない病なら、コントロールを諦めて好き勝手罵詈雑言を吐いてもいいのか?

一般人にとっては、大義名分があるから批判することは難しい。でも人として嫌な思いはする。

そうして直言を受けることなく、一部の優しい人に甘やかされ続け、他の人からは疎まれ

傍若無人にしてある種の孤独モンスター、言い換えれば「裸の王様」が生まれる。

とくにマイノリティにおける過激派は、どいつもこいつもこうなってはいいか




実は私も一度だけ、カウンセリングをすすめられたことがある。

相手は肉親でも何でもない、大学一助教授であった。

大学の授業に通えていない現状を憂えてのことであったと思われる。

当時の自分は「怠けているだけなのに病院に行かせてくださいだなんて…」と、

周囲に言い訳がつかないからと助言を封殺したのであるが、

今思うと「たとえ病気でなくても」医者にかかったほうがよかったのではないかと思っている。

自分が怠けてしまう原因を明らかにできたかもしれないから。


結局二度と機会は訪れなかった私であるが、

大学時代におけるリアルネット交流を通じて多くのことを学び、

時には大きなトラブルを起こして教訓を肝に銘じ、

また時には友人からの諫言も受けつつ自分自分なりに成長させることができた。

かつては絵に描いたような「メンヘラ」だった私も、

今では精神疾患を冷静に分析し、自身客観的に見られるようになり始めた、と思う。

そうか?と思われるかもしれないが、少なくとも昔よりはマシである

なぜなら今思い返すと「昔の自分」が恥ずかしくて仕方ないかである

未だに昔の自分に同情する部分もないわけではないが、

一方で人の振り見て我が振り直すことも多くなった。

それだけ人の、自身の「醜さ」というものをより理解できるようになったのである

自身の気分の落ち込みも「これは見苦しいな」「こうすればおさまる」と自己分析し、

専門家によらないセルフコントロール自分なりに築き上げてきた。

そんな自分から見ると、コントロールのもの放棄している人が理解できないのである




現代科学西洋医学時代であり、「病気を治す」ことに邁進しているものと思う。

しかし一方で、「付き合っていく病気」というものは決して無くなるものではない。

今のコロナ禍においてもワクチン接種が進む一方で感染は防げない!と言われたり、

変異株に対する懸念が未だワイドショーをにぎわせている。

一方で人類は今まで毎年インフルエンザと付き合ってきており、

新たな生活習慣においては鳴りを潜めたことで、日々の感染対策重要性が浮き彫りになった。

ワクチン打てばかからない!でもなければ、タミフル飲めば大丈夫!でもなく、

自分ができることをして病気と付き合っていくことこそが大事であると改めて示されたものと思っている。


以前ネット上で「自分の機嫌は自分で取る」という言い回し話題になった時には、

元ネタを離れた曲解もあってか賛否両論を呼んだようであるが、

それができるかどうかはさておき、やろうと思わなければ始まらないのである

不機嫌な自分正当化するだけでは、だだをこねる子供と変わらないのである

自分の心をなだめてあげること。

心の不調の原因に向きあうこと。

それをやらずして「病気」に甘んじていては何の意味もないのである


人はたいてい、何かしらのハンデを抱えている。

それでも人は、一般人に混じって生きていかなくてはならない。

病気や障碍を隠して生きるよりかは、カミングアウトできる世の中であってほしいが、

カミングアウト免罪符と誤解している人間は、その秩序を乱してしまう。


自分に対しては、病気個性を認め、なるべくコントロールしてみよう。

他人に対しては、病気個性を認め、なるべく受け入れてあげよう。

それらが並立して初めて、やさしい世界体現できるのではないか




そんな自分の願望を尻目に、今日ネットの「病人」たちはレスバトルにいそしむのであった。

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