はてなキーワード: 合格発表とは
大学受験の合格発表の日は長い1日だった。母親と上京して掲示板で自分の受験番号を確認した。その足で、不動産屋に向かい、物件を何軒か回った。途中、同じ大学を受験していた高校の友人と偶然出会った。表情でお互い合格していたことを理解し、少し芝居がかっていたがその場で抱き合った。
前の彼女と別れた日は長い1日だった。2週間ぐらい別れる別れないのやり取りを繰り返して、最終的に二人の中で結論が出た日、彼女に関連したものを全て捨てた。敢えて燃えるゴミの日のゴミとして雑に捨てた。
息子が生まれた日は長い1日だった。当時私は長期の出張で海外に出ており、息子が生まれたことを聞いた。破水したという連絡の後、当時私が住んでいたアパートの周辺の公園にあった小さな森の中をぐるぐると歩きながら連絡を待っていた。
私達は受験を控えていたので、付き合ってはいたが頻繁に会うことはなく勉強に取り組んだ。
志望校にことごとく落ち落胆していた私だったが、滑り止めは流石に受かっているだろうと考えていた。
そして、滑り止めの合格発表日が訪れた。その日はバレンタインデーであった。
その駅に向かう途中に私は合否確認を行った。結果は不合格であった。
私は浪人を決めた。
彼女と会うとチョコレートを渡された。「ありがとう」と私は言った後に、浪人する事を伝えた。
「私はもう進路決まりました。残念ですが、別れましょう」
人生で初めてフラれた私はひどく動揺した。
浪人生活が始まってしばらく経った5月頃、彼女から連絡があった。
「やっぱりよりを戻したい」
アホな私は承諾した。
高校時代は彼女とはプラトニックな付き合いをしていたが、気がつけばそのような関係性も終わっていた。
性行為というのは完全に脳をアホにするのかもしれないと当時の私は真剣に思うほどであった。
夏までは猿のように性行為に勤しみ、それに反比例するように私の成績は落ちていった。
流石にまずいと感じた私は、9月頃から彼女と会う回数を減らしていった。
こんな事を彼女に伝えながら1ヶ月に1〜2回程会っていた。
そして年が明け、センター試験まであと1週間といった頃、彼女から連絡があった。
その時の私は怒りというよりも、もうどうでもいいという気持ちの方が強かった。
センター試験前に動揺させるような事をしやがってというぐらいの気持ちであった。
ただの学生と浪人生の付き合いであったので、家の鍵を渡しているような事もなく、私はスムーズに承諾するはずであった。
彼女が私のそのジーパンを気に入り、自分のジーパンのように履いていたのだ。
「いや、もういいでしょ。ジーパンはもうしょうがないと思って。彼氏も今家にいるし。」
私は彼女の家に向かった。
「おい!お前気持ち悪いんだよ!家に来んなよ!」
「俺はお前に用ない、ジーパンを取りに行くだけだ」
電話は切られた。
そして彼女の家に着いた。
見た事もない軽自動車が止まっていた。その車のフロントガラスの内側にキ○ィちゃんのぬいぐるみが置いてあった。
私が今に至るまでキ○ィちゃん人形を見ると殺意が湧くのはこの為である。
「私の自転車のカゴにジーパン入れてます。取ったら早く帰ってください」
私はジーパンを手に取ると安堵した。
私が本当にただジーパンを取りに来ただけである事を確認して安堵しただろうか。
彼女に文句を言うでもなく、新しい彼氏に殴りかかるわけでもなく、私はただジーパンを返してほしいという気持ちであった。
帰り道になんだかよくわからない政治家のポスターを見ていると、思いっきり蹴り破りたくなった。
しかし私は思いとどまった。そういった行為は罪に問われる事を思い出したのだ。
「俺はもうジーパンを取り返したんだ。今後の人生をより良いものにしてやる」
そんな事を思いながら帰路に就くのであった。
こんな事が起きてしまったのか自分の学力足りなかったのか、センター試験の結果は散々であった。
当時、一斉休校自体の是非は客観的には誰にも分からなかったと思う。
ただ2/27を待たずして、期末考査が終わったことを良しとして早々に前倒しで春休みにしている高校もあったので(都内)、予感はしていた。
私が当時思ったのは一斉休校の是非でなく、発表から休校までのスケジュールに対する疑問だ。これは多くの教員が感じたことだと思う。
一斉休校が発表されたのは2/27木曜の夕方、もう多くの教員は退勤している時間帯で、その内容は3/2月曜日からの休校だった。
これはあり得ない。最低でも休校は3/3火曜から、小学校では3/4からにすべきだった。なぜか。
3/2月曜から休校ということは、2/28金曜が生徒の最後の登校日になるにも関わらず、そのための対応策を練る時間が全く取れないということだ。2/28金曜は朝から生徒が登校して来るのに、朝の時点では学校で何も決まっていないのだ。
まして、27日のそれは対策本部の決定だった。それが文科省→各自治体の教育委員会→各学校と降りてくるのにも最低でも半日はかかる。校長はそそくさと校長会議に出かけていったが、ほとんど何も得るところなく帰ってきた。
2/28といえば、3/2の合格発表へ向けて最後の点検作業などがあり、生徒も午前中で帰宅させていた所が多かったはずだ。本当に何も出来ず、生徒にはただ教科書を出来るだけ持ち帰り、学校のホームページを欠かさず見るよう伝えるくらいしか出来なかった。
休校開始のタイミングを1日か2日前倒しにすることが、防疫上大きな問題であったとも思えない。文科省含め、無能の極みだったと今でも思う。
私には三つ下の妹がいる。私が幼かった頃、妹はそれより三つ幼かった。
私はお姉ちゃんだったけど大切なおもちゃを妹に譲れなかった。お母さんのだっこの順番を譲れなかった。いつだって私はピンクや赤を選んだ。妹がいつも後ろをついて歩いてくるのが嫌だった。スーパーに行った時、いきなり走り出して妹を撒いたことだってある。
でも妹はしばらく私を追って見つけられないと分かれば私がお母さんの元に戻った時にはもう既にお母さんの横にぴっとりとくっつくようにしてそこに立っていた。
それでも妹は私を「お姉ちゃん」と呼び続けてくれた。
そんな妹が受験を終えて今年の春、とうとう高校生になった。三つ小さかった妹は幼い頃と変わらない顔つきで背だけが伸びた。
受験生だった頃の妹はコップ1杯分ほど飲み残したペットボトルを床に置き、脱いだ服を脱いだ形のまま床に捨て、また新しい炭酸飲料を開け、またコップ1杯分残したペットボトルを床に転がした。
真夜中でも日も昇らないような早朝でも時間を構わず家の中で鳴り続けるアラームの音は睡魔に負ける寸前でも再び起きて勉強をしようと妹が設定しているものだった。しかし、そのアラームの音が止められることはなかった。なぜなら起きないのだから。
可愛かったはずの妹を心の底から鬱陶しく感じた。
それでも妹は受験生だったからストレスもあるだろうと姉として妹の支える立場だと気を強く持ち、妹にとっても私にとっても残りわずかの辛抱と思い、耐えることにした。
そして待ちに待った3月。妹は志望校から一つランクを下げた高校に合格した。
合格発表の日、照れくさそうな晴れ晴れとした表情で受験番号の横に並ぶ妹を写真に収めながらこれで何もかも大丈夫になると思った。
ところがストレスから解放された妹はどこかに出かけたいあれを食べたいこれが欲しいと常に駄々をこねた。
私はそれでも妹にとって優しくて何でもできるすごいお姉ちゃんであり続けたくてアルバイトで稼いだなけなしのお金で妹を色々なところに連れていき、色々なものを食べさせた。
少しは欲しいものも買ってあげた。
私が「どう?」と聞くと妹は「おいしい」と答えた。時には「楽しい」と答えた。そのくらいだった。
それでもたまに遊びに行くのを断ると妹は不貞腐れた。
喜んでもらいたくて良かれと思ってやっていたことが妹の中では当たり前になっていた。連れて行ってもらって当たり前。買ってもらって当たり前。
真夜中に友達とギャーギャーと盛り上がりながらテレビ電話をする妹の声を聞いて、四六時中入学祝いとして買ってもらったスマホにかじりついて声を掛けても返事すらしなくなりただ液晶の光に煌々と照らされ続ける妹の顔を見ていたら、もう私の「かわいい妹」じゃないんだなって思った。
キッチンから食卓に運んだ箸やご飯茶碗や食器を配膳しようとしない。食べた後の食器はつぎの朝まで食べたまま。何度言っても直らない飲みかけの炭酸飲料を床に置く。最近はそれを私のせいにしようとしたりする。目覚ましを一度止めた後スヌーズにして1時間近くも10分間隔で鳴らし続ける。到着時間に家を出るくせに「遅刻したら怒られる」と車を運転する母を急かす。壊れた笛のような鼻歌を同じフレーズを繰り返して歌い続ける。自分が悪いときでも絶対に謝らない。謝るようにしつこく言った時でもお笑いコンビの響のような謝り方しかしない。他にも嫌いなところはもっとある。
正直今まで何か一つやってあげた分、一つ見返りを求めていたけどもう何もしてあげないし何も期待しないことにする。
そう言ったら「ゴメンネ」「これから頑張るから」と言われたけどその後、洗うように頼んだ皿が朝まで手付かずのままシンクに横たわっているのを見て「何がこれから頑張るだ」と妹が洗わなかった皿を代わりに洗いながらこれを最後にしよう。これから妹の使った食器は洗わないことにしよう、と自然と思えた。妹の分の食事も用意しないし、妹が返事をしないなら私だって返事をしない。私が妹にしてあげられることなんて何も無いんだから。
私が妹のお姉ちゃんじゃなくなったら私はただ妹より3年分多くご飯を食べているだけの人になるけどそれでもいいよ。
もう妹には何もしてあげない。
妹がいなかったらもっと楽だったのにな。
お姉ちゃん辞めたら私、何になろうかな。
まずはおめでとう!君は今までよりもより刺激的な毎日を4月から送ることになるだろう。
入社にあたって、やるべきことは何か。
でも、一朝一夕で変わるものではないし、仮にできなかったとしても入れば自然とできるようになるからそこは安心してくれて大丈夫だ。
本当にやるべきことをこれから教えよう。
…幼稚園児か!と思うよね。残念ながら、入隊した君は幼稚園児どころか地球最下等生物になったような扱いを受ける…ことはないけどまあとにかく厳しいんだ。供与されるロッカーに鍵をしなかったり、もともと鍵のかかっていない引き出しなどは管理が甘いと窃盗被害にある。これをこの業界では「スティール」と呼ぶ。こいつは、タチの悪い先輩だと他の部署の連中の所持品とまぜまぜしたり、財布は…金だけを抜き取られてどこかに放り投げられたりする。
…つまり、どんな持ち物でも名前を書いておいた方がみつけやすくて無駄な時間が省けるということだな!
入隊して一番最初にしばかれるのは、存在というものだ。世間的に言えば、生存権のことだがキャラの濃いやつは悲惨だ。
…なぜかって?毎日しばかれて睡眠をとる暇もないのに上司の機嫌が悪いせいでまた、しばかれてしまうからだ!
時間がないのにしばかれることでさらに時間がとられるという悪循環…これはかなりキツイぞ!
おすすめは、閻魔帳を描かなくても弁護士に頼れるボイスレコーダーだ。ただし、前述のロッカーのものが荒らされることを想定して常に肌見放さず一緒に持っていくこと。
まだ入隊に余裕がある諸兄はヒゲ脱毛をするだけでかなり生活に余裕が生まれる…はずだ。
転職先といったら、同級生が薦めてくる自衛隊とか…マジで止めとけ。
おすすめはFXだ!ちょっと頭が良ければ相場感を外さずに合間合間に資産総額が増やせてめっちゃ楽!!
最後に、出会う他業種は大切にすること。嫌いな奴が何人かできるだろう。でも、転職先が人間関係から生まれることもあるから仲良くするに越したことはない。
まずはおめでとう!君は今までよりもより刺激的な毎日を4月から送ることになるだろう。
入隊にあたって、やるべきことは何か。
でも、一朝一夕で変わるものではないし、仮にできなかったとしても入れば自然とできるようになるからそこは安心してくれて大丈夫だ。
本当にやるべきことをこれから教えよう。
…幼稚園児か!と思うよね。残念ながら、入隊した君は幼稚園児どころか地球最下等生物になったような扱いを受ける…ことはないけどまあとにかく厳しいんだ。供与されるロッカーに鍵をしなかったり、もともと鍵のかかっていない引き出しなどは整頓が甘いとぐっちゃぐちゃにされる。これをこの業界では「台風」と呼ぶ。こいつは、タチの悪い教官だと他の相部屋の連中の所持品とまぜまぜしたり、隊舎…寝泊りする宿舎のどこかに放り投げられたりする。
…つまり、どんな持ち物でも名前を書いておいた方がみつけやすくて無駄な時間が省けるということだな!
入隊して一番最初にしばかれるのは、服装容儀というものだ。世間的に言えば、身だしなみのことだが髭の濃いやつは悲惨だ。
…なぜかって?朝からしばかれて髭を剃る暇もないのに髭がしっかりされていないとまた、しばかれてしまうからだ!
時間がないのにしばかれることでさらに時間がとられるという悪循環…これはかなりキツイぞ!
おすすめは、洗面台に行かなくても髭が剃れる電気シェーバーだ。ただし、前述のロッカーのものが荒らされることを想定して柔らかいケースと一緒に持っていくこと。
まだ入隊に余裕がある諸兄はヒゲ脱毛をするだけでかなり生活に余裕が生まれる…はずだ。
持ち物といったら、入隊祝いにもらった時計とか…マジで止めとけ。壊れるから。G-SHOCKとかじゃないミリタリーモデルの時計は大抵脆い時計なのでほんとにやめよう。わたしは壊して4万円くらいかけて修理したぞ。
おすすめはBaby Gだ!ちょっと腕が細めな人であれば腕時計を外さずに戦闘服や制服のワイシャツの袖が通って着替えがめっちゃ楽!!
あとは、裁縫道具。これは階級章や名札の縫い付けに使うのだが、縫い付ける服の生地、そして階級章が分厚いので厚手用の針を何本か。そして、指抜きもしっかり用意しよう!これだけで、入隊前後のクソみたいな縫い付け作業もすこし快適になるはずだ。あ、幹部候補生のひとはやらなくていいので安心してくれ(多分)
わたしは、サフィールという靴クリームを愛用しているが、よく伸びて光りやすい。自衛官の靴は短靴とよばれるものは黒なので、黒い靴クリームが一つあれば持つはずだ。あと、戦闘服装のための方編上靴や半長靴と呼ばれる靴は側面が柔らかい革なので、乳化系のクリームもあると便利。
最後に、霧吹きだ。
百均の霧吹きを買って行こう。霧吹きは、教育隊生活におけるスーパースターだ。
ろくすっぽスチームが出ない隊舎のアイロンの代わりに霧吹きで代用するし。靴磨きの時にも、輝きを増すために霧吹きですこし水を与えながら靴を磨く。さらに、ベッドメイクが終わったベッドのシワを消すために、霧吹きで湿らせる。
霧吹きは、教育隊の主な仕事であるアイロンがけ、靴磨き、ベッドメイクの3つすべてに活躍する主力装備品だ。
このくらいやっておけばきっと大丈夫。
それでは新隊員生活を楽しんでくれ。
最後に、出会う同期は大切にすること。嫌いな奴が何人かできるだろう。でも、教育隊は連帯責任を問われるから仲良くするに越したことはない。
多くの人の目に留まれば、役に立ちそうな人に届くかなと思って増田を選びました。
漫画アクションに連載されていた、藤原さとしさんの漫画作品です。教育隊の模様を脚色して描いた作品です。あくまでフィクションなので間に受けないで下さいね。
ちなみに、教育期間中に読んでほしいオススメの漫画は1日外出録ハンチョウです。土日しか外出できない境遇が似ていて、とても感情移入できるのでおすすめです。
・整理整頓を定着させる
いざという時は素早く必要なものを取り出すことが必要です。また、自分以外の誰かかが必要なものを取りに来ることもあるので決められた物が決められた通りに置かれないと困ります。そういった癖付けを行います。
台風があるときは、教官の呼び出しとセットのことが多いです。呼び出しの制限時間までに何をすべきで何を諦めるべきか、同期とどう協力して解決するか。策を組み立てて対処する力を養います。連帯責任なので、汚い奴がいる部屋だと逆に一番綺麗にベッドメイクした奴が飛ばされたりしますし、否応なしに全員のベッドが立ってる日もあります。
慣れてくると、みんなの運動靴を使って床に文字を書いてくれているのに気がついたり、服に毛布を詰めて人形を作ったりされているのを笑ったりする余裕ができます。
どうせやられるなら楽しんだもん勝ちです。
わたしも好きではないです。無駄だなと訓練中は何回も思いました。
でも、誰もが嫌で、キツくて、逃げられない状況を手軽に演出できる、合理的なやり方なのかなと思います。代替できる何かを見つければ、業務改善で第3級賞詞がもらえるかもしれませんね!
台風が起きるのは、自衛隊の中でも教育隊や学校と呼ばれる機関です。
修業して普通の部隊に配属されれば行われません。もし、部隊で台風をやられたら速やかに営内の先任や、分隊長士に相談しましょう。それは指導ではなくいじめですから…。
教育隊や学校の使命は、普通の人を自衛官にすることです。自衛官に求められるのは、真にキツくて、嫌で、逃げられない状況下で、与えられた職務を遂行する人間です。
入隊式の前に、教育の趣旨の説明を受けるとともに「服務の宣誓」というものを書かされます。
服務の宣誓の内容は、
「私は、わが国の平和と独立を守る自衛隊の使命を自覚し、日本国憲法及び法令を遵守し、一致団結、厳正な規律を保持し、常に徳操を養い、人格を尊重し、心身を鍛え、技能を磨き、政治的活動に関与せず、強い責任感をもって専心職務の遂行にあたり、事に臨んでは危険を顧みず、身をもって責務の完遂に務め、もって国民の負託にこたえることを誓います」
この時点で納得できない場合はサインをせずに家に帰ることができます。
いきなり教育が始まるわけではなく、入隊式までは長いオリエンテーションのような期間がありますし、入隊式が終わらないと教育も始まりません。
まずはお疲れ様でした。
もう合格発表済みの人も、発表待ちの人もいると思うけれど、この増田がプラスになるのであれば幸いです。
受験なんてしょせん入口や通過儀礼に過ぎないんだから、終わったらさっさと脱皮しましょう。
週刊朝日やサンデー毎日の合格ランキングでハァハァ言ってるオッサンをたまに見るけど、あんな中年になってはいけない(戒め)
もちろん自分で目標を設定してそこに至るまでのプロセスを追求したり、自発的に机に向かう習慣を身に付けられるといった点はプラスの効能だとは思う。
ダルビッシュや本田圭佑のような現役アスリートですら、引退後を見据えてビジネス書を読んでいるのは有名な話である。
もし仮に君の周りに誰もメンター役となる存在を見つけられなかったとしても、読書なら時間と場所を選ばず可能だ。
勝間和代はこのように著している。
なぜ読書をする事で本質にたどり着きやすくなるのか?
最近だとKindleやオーディオブックも充実しているので、わざわざ分厚いハードカバーを持ち歩かなくとも良い。
ただ佐伯泰英のように人気作家でもほとんど電子書籍化されていないケースも多いので、そこはあらかじめ調べておこう。
自分の専門だの関係なく、出来るだけ脳味噌の柔らかいうちに読書を習慣レベルに落とし込んでおけば、その知識の蓄積が後々役に立つかもしれない。少なくとも就活のエントリーシートで「好きな本・作家」の欄は埋められる。
年配者のよく言う「若いうちにもう少し本を読んでおけばよかった」となってからでは遅いのである。
前述の通り、読書は自分の視野や価値観を広げる手助けになってくれるだろう。
ただ読書というのは一般にじわじわ効いてくる場合が多い。即効性を期待してはいけない。ではたかだか数日で劇的にライフハックを起こすにはどうしたら良いか?
とりあえず、海外旅行に行って現地の人と異文化交流でもして来ることをお勧めする。それもできるだけ若いうちにだ。
理由としては30歳を過ぎると自分の人格というものは9割方固定化してしまうだろうし、何より社会人になったり家庭を持つようになると生活が仕事や家族中心となりがちで、まとまった休みを取るのが難しくなるからだ。
金銭面を理由に躊躇する人もいるだろうが、韓国や台湾だったら時期によってはLCCで沖縄よりも安く行けるだろうし(その分日本から距離的に近すぎるので日本語が通じてしまうのはある意味ネック)、
数万や数十万程度なんて半年バイトでもすれば稼げるだろう。加えて君はどうせ数年後社会人になるのだから(修士博士志望の人は例外)、10代20代のうちにお金で買えない人生経験を得られると思えば実に安いものである。
自分の場合は学生時代インドに1か月滞在したのだが、現地民と出会う中で良くも悪くも「豊かな国のツーリスト」にしか思われていないんだなあ、と痛感する毎日だった(もちろん出会ったインド人が全員、という訳ではなかったけれど)。
この経験は今でもプラスになっているし、日本にいる限りは味わえなかった感覚なのだろう。
以上、参考程度に。
https://anond.hatelabo.jp/20200130105418
この文章の続きだ。
時間がなかったので、このあたりは本当に真剣に勉強してた。超直前期に関しては、何日か会社を休んで取り組んだ。行政法に関しては、pdfテキストを何周もしていくうちに、相変わらず全然意味がわからない箇所が出てきたりするので、ようやくネットで調べたりもした。これはけっこう良くて、行政書士試験レベルの行政法知識に関しては、ネット上にすごくうまく説明してくれている人がたくさんいる。とても役に立った。
最後の二週間くらいから、条文素読の時間が長くなっていった。具体的には前述の通り、憲法(1条から8条まで。それから統治は全部。これだけ)と、あとは行政法だと、行政手続法・行政代執行法・行政不服審査法・行政事件訴訟法・国家賠償法。とりわけ行政手続法・行政不服審査法・行政事件訴訟法。
試験前日(11月9日)は、行政手続法・行政不服審査法・行政事件訴訟法を全部一度通読した。
ちなみに、最終的にpdfテキストは、憲法4周、民法5周、商法2周、行政法10周、基礎法学は不明、一般知識7周だけやった。これは試験勉強期間を通じた累計回数ね。
上智大学が試験会場だった。俺は昔から、試験当日はほとんど勉強しない。フレッシュな頭で試験にのぞみたいからだ。とはいえ、試験2時間くらい前に四ツ谷駅についたので、いちおう条文でも読もうかと思い、駅のところのBECKS(だっけ)で条文を少しだけ読んだ。気になる箇所だけね。
それから試験一時間くらい前に試験会場に到着して、席の場所を把握して、あとは会場建物前の階段のところでずっとストレッチをしてた。これも昔からの試験前の作法だ。長い試験中の身体のストレスを軽減するために、念入りにストレッチをする。
目の前では、行政書士試験界ではおそらく有名人なんだろうと推察される男性と女性が、なにやら撮影をしていて、ときどき通りがかった受験生に握手を求められている。
そうそう、試験会場は時計がないとのことだったので、この日のために100円ショップで腕時計を買ったんだぜ。
スタートから良い感じで順調に解いていった。過去二回の模試とは比べものにならないほど、確信を持って進めることができた。一般知識を含め、3問から5問くらい、伊藤塾の全2回の模試で出た知識が役立った。模試は完全に受けて正解だった。
15:15に途中退席して試験会場を出たけど、たぶん合格してるだろうなと思った。
合格発表日がいつかについては、スケジュールに入れていたので覚えていたものの、当日は普通に会社で仕事をしてミーティングをこなしたりしているうちにすっかり忘れていて、15:00くらいに、「あっ、そういえば合格発表確認しないと」と思ってサイトを見たら合格してた。合格してるだろうとは思っていたけど、やはり安ど感はあったね。来年また同じことをするのはちょっと嫌だったし。
その他、雑感など
・試験の難化傾向について
行政書士試験は難化が進んでると聞いていたけど、これはたぶん本当だ。20年くらい前に合格した人たちから、楽勝の試験だと聞いていたけど、想像よりはずっと勉強しないとダメだった。だいたい、昔はテキストもすげー薄いやつしか存在しなかった気がする。
上のほうにも書いたけど、模試は受けるべき。その時点での自分の状況を知ることができるから、勉強の方針を調整していけるし、何より、予想問題としての価値が思ったよりあって驚いた。
・条文を読むべきか否か
行政書士試験の勉強ブログなんかを見てると、「条文は読むべきか否か」みたいな議論があるのがわかる。こんな議論がある時点で、司法試験とは比べものにならないレベルの試験でしかないなとは思うんだけどさ。行政書士試験については、これまた上に書いたけど、憲法(1条から8条まで。それから統治は全部。これだけ)と、あとは行政法だと、行政手続法・行政代執行法・行政不服審査法・行政事件訴訟法・国家賠償法。とりわけ行政手続法・行政不服審査法・行政事件訴訟法は読むべきだ。
だってさ、これらの法律に関しては、行政書士試験の問題って条文知識そのまんまのものばっかりなんだもん。それってつまり、事前に正解が記入された解答用紙を読んで良いって言われてるようなもんじゃん。読まないでどうするの? って思う。
何も特別な対策はしてない。行政書士試験の記述式問題なんて、ふつうに行政書士試験の勉強をしていれば解ける程度のものでしかないもん。逆に、全然解けないんだったら、それは単に勉強が足りてないだけだ。お前は元々法律の勉強をしていたからだろだって? ちがうね。今回はじめて勉強した行政法についても記述式対策なんて全然してなくても問題なかったぜ。過去問を見ていると、ほんのごくまれに行政書士試験にしては難しすぎるだろってのが混ざってたりするけど、単にその年の受験生が不運だってだけの話であって、対策してどうにかなるもんじゃない。
旧司法試験を受験していたころ、早々に合格した連中が口をそろえて、「手広く勉強すべきじゃない。コアの部分をゆるぎないレベルにしておけば問題ない」みたいなことを言ってた。でも、俺は当時その意味がどうしてもうまく理解できなくて、けっこう手広く色んな本やらテキストに手を出しちゃってた。それが今回、だいぶ長い時を経て、行政書士試験を受けてやっとなんとなくその感覚を理解できた。
行政書士試験に関する色々な勉強ブログを読んでいると、公務員試験のテキストに手を出している人とか、行政法の基本書に手を出してる人とかたくさんいる。でも、声を大にして言いたいけど、そんなに色々やる必要はない。総合テキストと過去問と模試問題。これを基本として、わからないところはネットで調べればじゅうぶんだ。
そんなわけで、ここまでダラダラと書いたけど、何かみんなの役に立つ内容を含んでいたとしたらうれしいよ。じゃあね。
採点結果が戻ってきた 1月31日
208点だったよ。
もう10年以上も前の話。
発表が得意で、面白おかしく、周りの様子を伺ってはクラスの雰囲気を盛り上げようとする、そんな人を私は好きになった。
なんとなく、向こうから好意を感じる時もあったけれど、思春期真っ只中の私は何か行動に出るわけでもなく、ただただ席替えで近くになることを祈っていた。
サマースクールの話題で盛り上がる夏休み前、彼の口からはちょっと頭が良い学校の名前が聞こえてきた。
怠け者な私の内申点では厳しかった。同じ学校に通えそうになかった。
残念に思ったけど、進路で別れてしまうのは分かっていたから、悲しくはなかった。
特に行きたい学校がなかった私も、サマースクールに参加したことで、入学したい学校、入りたい部活を見つけることができた。
その学校はそこそこなレベルだったけれど、当時の私の実力では乗り越えなければならないハードルがいくつもあった。
不馴れな勉強に勤しむ秋頃、彼の口から私の目指す学校の名前が出た。
志望校は違うと思ってたから、当時は本当にビックリしたし、嬉しかった。
妄想も、それはもういっぱいした。
あとは私が頑張れば、その妄想が現実になると思うと、大嫌いな英語だって覚えてやろうという気になれた。
塾長からは「険しい道のりだ」と言われたり、模試の成績が酷かったり、などなど色々あったけれど、なんとか仕上げ、受験当日を迎えた。
試験会場には、もちろん彼がいた。
当時ハマっていた乙女ゲームのグッズである天然石を握りしめながら、試験に挑んだ。
試験の出来はなかなかのもので、塾長からも合格だろうと言われた。
安心した私は、受験からの解放を大いに楽しみ、あっという間に、合格発表の日がやってきた。
私の中学校は、結果を確認した後、報告する決まりで、受かった生徒と落ちた生徒は別の教室へ行くことになっていた。
無事に合格通知を受け取った私は、意気揚々と受かった生徒が集まる教室へ行き、先生に報告をした。
そのまま私は帰らずに教室に残って、受かった子達と高校での過ごし方を語らった。
受かった嬉しい気持ちを共有したいからではなく、彼を待っていたのだ。
しかし、彼が来ることはなかった。
私は受かって、彼は落ちたのだ。
家に帰って、私は一人で泣いた。親、塾の関係者、先生、友人、皆喜んでくれていた。それなのに、私は涙が止まらなかった。
もちろん、嬉し涙ではなかった。
同じ学校に通えると思っていたのに、4月からはもう別々になってしまう。春を感じさせる暖かな日差しが、より胸を苦しくさせた。
結局、その後は彼と距離が出来てしまい、連絡先も交換できずに卒業式を迎え、卒業。
高校に通うも、彼のいない高校生活を思い描いていなかった私の日々は淡々と過ぎていった。
どこかですれ違えないかと、駅に行っては姿を探した。見つけることはなかった。
彼の進学した学校は、体育祭も文化祭も非公開。繋いでくれる友人もいない。どうにもならなかった。
途中、気になる人もでき、初めてお付き合いすることもできた。それでもやっぱり、初恋の人は特別なのか、忘れることはなかった。
色々あって、その人と別れた後も、特別なままだった。
ただ執着しているのだと分かっていても、忘れられなかった。
疲れている時は、彼と幸せになる夢を見たりした。起きた後、更に疲れたことは言わずもがな。
この頃になると、思い出すことは僅かで、どんな仕事に就いているのだろうか、幸せな日々を過ごせているといいな、などの思いを馳せるだけで終わっていた。
結局、当時の彼とは遠距離がトリガーになり、振られてしまった。
相当なショックを受けた私は、忘れるのに随分と時間がかかった。
忘れるために、私は昔のことを良く思い出すようになった。
当然、彼のことも懐かしむように思い出した。
すっかり失恋から立ち直った頃、私はふと彼の名前を検索しようと思った。でも、勇気は出なかった。ストーカーチックな気がしたからだ。というか、たぶん、ストーカー。
それから数ヶ月後の昨日、中学の友人、高校の友人と立て続けに会って疲れた私は、いつの間にか眠りにつき、そして久しぶりに彼の夢を見た。
変な時間に寝た私は、変な時間に起きてしまい、妙なテンションになってしまった。
履歴に残るのが恥ずかしかったので、シークレットモードで検索した。
すると、彼らしき人物がヒットした。
作風を見る限り、本人に違いなかった。
私が何度も思い出し、夢で見た姿は、過去のものでしかないのだと、ようやく頭でも心でも理解できたのだ。
一緒に登校をしたかった私、一緒に文化祭を楽しみたかった私、告白をしたかった私。これらも、もう随分と前の私がしたかった、見たかった光景で、今の私が欲するものではないのだ。
初恋の人の名前を検索したら、恐ろしいことになるような気がしたけれど、そんなことはなかった。
きっと、これからも私は彼のことを思い出してしまうし、切ない気持ちになるだろう。
けど、今までとは違い、適切な距離をもって振り返ることができる。
院試に落ちた
合格発表の朝,起きて落ち着かなくてYouTubeを見ていた.
そしたら時間になったから,受けた大学のHPで合格発表のPDFを開いた.
結果は落ちてた.
初めて運動もしていないのに動悸がした.
面接時に少々鋭い質問があったが,きちんと答え,問題のない範囲だと感じた.
落ちた当日は凹んでたが,次の日からは割と元気になっていた.
でも,ここ数日自大の院試準備を進めるにつれて精神的にしんどくなってきた.
何もやる気にならない.森羅万象全てに対して苛立ちを覚えたかと思えば,全てがどうでもよく感じる.
最近は眠れない.眠る気にならないのだ,すんなりと眠りにでも落ちない限り,色々考えてしまい頭が冴え,じっとしていられない.
ここ数日勉強を一切していない.自大の試験は1週間後である.合格する見込みなど到底ない.
私より優秀な人材は私がぼーっとしている今も勉強に励んでいるであろう.
当の私は,院試に落ちたことを理由に甘え,学びを深めるために院進学を選んだのにも関わらず,学びを放棄している.
自大の院試に不合格したとなれば,自分の選択肢は3つに絞られる.
1. 就職
2. 院浪
3. 引きこもり
まず1だが,院試に落ち病んでるようなメンヘラ糞キモオタクなぞ,企業は欲してくれるのだろうか?自分は企業で役に立てるほどの,技術も能力も知能も無い.ただの無能である.今から就職活動を行っても,よくわからないIT土方が関の山である.
2についてはどうだろうか,たかだか1年やそこら大学に多くいたところでこの精神状態がよくなるだろうか?むしろ,同級生達は大学院の講義を受け,研究を行っていることだろう.私はご察しの通り精神が強くない.あるのは,しょうもない見栄とプライドだけである.精神的によろしくない.
3は,おそらく一番楽であろう.だが,しんどそうである.毎日何をして過ごせばよいのか.昨日今日などは一日中なにもせず,ぼーっとしているが,元来私は暇が嫌いである.そして,大学の費用まで親に出していただき仕送りまで頂いているにも関わらず親にこれ以上迷惑はかけたくない.
別解として,自殺などが考えられるが,死ぬのだけはゴメンである.祖父母のお葬式に参列し,死は多大なる迷惑をかけてしまうと感じた.それだけは勘弁願いたい.そこまでは精神を病んでいない.
甘えであることはわかっている.
他大の院試に落ちたからといって,自大の院試の勉強を今こうしてやっていないのは甘えであることは自認している.「院試に落ちて精神的に辛いのだ,許せ」と言えば,「仕方ないよね」と世間は言ってくれる.そう期待している.
だが,そう言ってもらえた所で何も解決にはなっていないのだ.私は何を求めているのか,どうしたいのか.分からない.
そう言って貰えば,合格になるのか?ならないだろう.
甘えるな,そんな人間社会から見ればゴミでしか無い.生きている価値などないのだ.マウスやラットの方が生きている価値が何万倍も高い.私のようなゴミ人間など必要としていないのだ.
二次面接を受けてから26時間、未だに御社からの連絡は無い。おそらく今回もまたお祈りだろう。
第一志望で、どうしても入りたかった会社だけあって今つらくてつらくてたまらない。
就活が上手くいかなくて自殺‼とか、学歴フィルターでエントリーすらできない‼とかそういう良くない噂が入ってきて、高校生ながらに就職活動は人の人生を決めるだけでなく生きる死ぬまで関わってくる超恐ろしイベントなんだと思っていた。
逆に学歴があれば就活なんてどうにでもなるのかなって思って、取り敢えず東大を目指した。
地元の国立大学を目指したけど、落ちた。そこなら受かると思ってたし、余裕かまして合格発表の掲示板見に行ったら自分の番号が無くて絶望したわそういえば。
結局受かってたそれなりのレベルの私立の大学に行くことになって、立地は最高だし、友人にも恵まれ、アルバイトとかも楽しみながらエンジョイしてたんだけどやっぱり就活が怖くて。
偏差値の高い国立大学には入れなかったから、なんかしなきゃって、留学に行ったし
インターンも行かなきゃなって色々応募したし(ほとんど落とされて、今の第一志望の会社しか参加できなかったけど)
就職活動で有利に進められるように意識高く持って比較的早いうちから準備をしてたつもりだったんだけどな~
今までやってきたものが何も意味なかったんじゃないかって思うよ
自分には自分なりの良さとか強みがあると思ってるし、それを面接では伝えられてると思ったんだけど 何がだめだったのかな。
いくつか覚えている要素を書くので、もしお店の名前を知っている人がいたら教えてほしい。
渋谷のセンター街、その中でもY字路の間に建つ雑居ビルの1階に入っていたお店だと思う。多分北海道ラーメンのお店だった気がする。
いつ行ったかも詳細に思い出せる。大学の合格発表の次の日である2011年3月11日の夕方だ。
第一志望に合格できた高揚感とともに地元から飛行機で東京に来て、家を契約したらお昼を食べようと思っていた矢先にあの地震が起きた。
地震直後ということもあり、大学付近で営業している店を見つけられなかった。
一緒に行った母親が自分以上に取り乱していたため、落ち着かせながら飲食店がありそうな場所まで向かった。
一切頼りにならない母親を連れ、グーグルマップでなんとか渋谷駅までたどり着いた。
渋谷にはたくさんの人がいた。そのラーメン屋の前にもたくさんの人が並んでいた。
限界までお腹が空いていたため、とりあえずその人達の後ろに並んだ。
日も落ちてきて冷え込んできた頃、ようやく店内に入ることができた。
暖房の暖かさに泣きそうになった。
何味を頼んだかすら覚えていないが、待たされた記憶はないのですぐに提供されたんだと思う。
猫舌にもかかわらずかきこむように食べた。しみた。この世にこんなに美味しいものがあるのかと思った。
母に聞こうにも、もう母はこの世にはいない。
ネットで合格発表のあとに合格者たちでオフ会やるものだからそれに参加しとけみたいなの読んで
自分が入る大学のオフ会(といってもただの食事会)見つけて参加してきたんだけど、
そこで一緒になった女子と話していたら急に感激したように胸をおさえて
「わたし、男子とちゃんと話せるか心配だったんだけど、話せてよかった~」
国公立大学の合格発表も終わり、進路が決まった人、残念な結果になってしまい来年への決意を決める人、色々あると思う。
そんな中で自分の失敗談から、同じような目に会う人が少なくなるようにここに書き残したいことがある。
タイトルそのままである。行くな、というと語弊があるが、こんな人はいかない方が良いと思いますよーということを言いたい。ちなみに私は医者ではなくコメディカルなので医学科のことはわかりません。そこはよろしく頼みます。
医療=安定、これは多くの人が思っているだろう。ある側面では、これは間違いではない。文系の就活に比べ遥かに倍率が低く、就職率は100%だし、ほぼ正社員で、公立病院なら公務員である。給料が極端に安いとかは少ない。
ここまでだとやっぱり安定してるじゃないか、と思うだろう。しかしこれは、
「4年(ないし3、6年)の間、しっかり勉学に打ち込み、コメディカルになりたい!という思いを持ち続け、最終的に国家試験に合格した」人だけがたどり着くゴールである。
1つずつ解説していく。
①勉強と実習がめちゃくちゃ多い
憧れのキャンパスライフなんてものはない。鈍器のようなサイズの教科書すべてがテスト範囲とかいうふざけた量の勉強と、分かりにくいくせにテストだけ難しい講義。ちなみに講義に選択権はない。全部必修である。終わったと思ったらひたすら立ちっぱなしの実習。まわりが旅行だ留学だとキラキラ楽しそうなのに、自分は訳のわからない課題におわれて、若い4年が終わる。最近、surfaceの広告みてスマホ割ろうかと思った。
入ったときには憧れを持っていた職種でも、だんだん嫌になることもある。そうなったときのリカバリーがまあききにくい。
医療系以外の学部だと、就活で色々な分野を受ける人もいる思う。しかし医療系だと、その専攻以外の就活をするのはかなりイレギュラーだ。前例が少なすぎてサポートもあまり受けられない。
例えば教育学部でも先生にならない人はある程度いるが、医学部系はずっとずっと少ない。ネットにもエピソードは少ないし、採用担当も怪しむ。なにか相当な志望理由を用意しないと詰む。他の学部なら必要なかったくらいの大袈裟な志望理由を生み出す必要がある。
③国家試験に落ちることもある
コメディカルでも合格率はバラバラだが、一番高い看護師でも90%前後である。いやいや9割うかるじゃん、と思うでしょ?でも考えてみよう。100人いれば10人落ちる。しかもあまり入学偏差値は関係ない。あなたは、絶対に下位10%に入らない自信はあるか?
また、落ちても次の年、というのも中々厳しい。国家試験は職種に関わらず、既卒生の合格率が圧倒的に低い。つまり、現役でこけてしまったらリカバリーが圧倒的に大変である。
つまり医療系学部は、一度レールから外れると極端にハードモードになるところである。これを、安定といって良いのだろうか?
どうしてもなりたい気持ちがあって行くのはとても素晴らしいことだし、正解だと思う。ただ、親に言われたからとか、何となく安定してそうだから、とかでいくには、あまりにも(時間や労力に対する)コスパが低い学部だと思う。
この投稿を見た人の参考に少しでもなれば嬉しい。
この増田は釣りかなと思ってるんだけどね、本当のことを書いてると仮定して答えるなら、職歴なしの人と、派遣を転々ととはいえ仕事をしていた人は全然違う。
それから、大学入り直そっかなーでも医者はさすがに無理だわーと増田を投下している人と、奨学金をゲットして大学入学し数多くのインターンを経て就職した人も全然評価が異なる。能力に差があるかや差別があるかは全く関係なく、ただ一つだけ、二つの増田の限られた情報だけで、断言できる違いがある。
前者はまだなにもしていない、後者はそれを成し遂げたから賞賛と祝福を得ている。結果を出す努力をしたからだ。
元増田もガキのケンカみたいにいちいちカッカして追記している暇があれば大学受験でもしていればまだ救いもあるが、残念ながら普通大学はおおかた入試はもちろん大半は合格発表すら終わっている。
大学入試のための勉強をどの程度しているかなどの自慢でもあればまだいい方だったがそれもないし、通信制の大学などを検討してみたりする様子もない。これで両者を比べようというのは、amazonで体組成計を検索しただけで10㎏のダイエットに成功した気になって、体組成計のかわりにふたまわり小さいサイズの新しい服をぽちっと買っちゃうぐらいのマヌケさだよ。
anond:20190301200621 自分の場合のことを書いておきます。説明会は絶対必須ってほどでもないかなと。
軽度の身体障害者です。四大卒で約40歳の氷河期世代。現在、派遣社員として一般企業で勤務(障害があることは伝えていない)。
昨年、障害を抱えることになって、就労にクリティカルな影響は出ていないけど、派遣の身分で安定性に不安もあり、今回の選考試験を受験。その記録をざっくり残しておきます。
基礎能力試験はかなり平易な印象。内容的には中学卒業程度では。転職活動でSPIとかやったことある人なら数的推理は十分かと。内角の和とか「知識」が必要な設問はほとんどなく、連立方程式ぐらいまで出来てれば十分。社会、理科は知識問題だし範囲広すぎて対策無理だと思うので、分かんなかったら適当に選ぶ、で。
作文はよく分からない(お題は「誠実とは」)けど、よっぽど支離滅裂なこと書かなければ大丈夫なんじゃないかなと。
ここからが、すでに話題になっている、阿鼻叫喚の地獄となった面接試験である。
二次選考のルールは「いずれの機関からも採用内定を受けられなかった場合は、不合格となります」であり、「全員に二次面接を課します」というルールではない。(参考→http://www.jinji.go.jp/saiyo/siken/senkou/2jichuijikou.pdf)
つまり、「面接のアポを取る」ところから、もう二次選考は始まってしまっているのだ。
一次試験の合格がWEBで発表された2月22日金曜AM10時をもって面接予約解禁、事前にルールをよく読んでいた志望者は志望省庁に速攻で予約をメールまたは電話で入れたが、「インターネット見れないから合格通知が来たらやろう」「平日で仕事中なので、帰ったらやろう」という人間はここで大きく出遅れることになってしまう。
これは、おそらく国家公務員一般職試験の官庁訪問のスタイルを踏襲したためだと思われるが、「面接の機会は合格者に等しく与えられるのだろう」と思っていた人にとっては、わけがわからなかったのではなかろうか。でもまあ、お役所の仕事ってそんなもんで、都道府県や市役所のホームページ見てても、「決まりを淡々と掲載」はしてても、「懇切丁寧に誰にでも分かりやすく紹介」なんてサービスはしてくれないんですよね。そういうところを受けているんだ、という意識は、持っておいた方が良いと思う。今後ふたたび受験する人も。
ただまあ、このやり方だと「在職中でバリバリ働いてくれそうな人」が出遅れてしまうので、省庁にとっても望ましくないのでは?とは思う。
私はその日職場に午前休を予め申請しており、午前中にメールで志望省庁2つを予約。また、予定していなかった省庁から電話で面接の案内がかかってきたので、そこも受けることにした。正直、リクルーティングの電話があるとは全く思っていなかったのでびっくりしたが、5ちゃんねるのスレッドやTwitterを見るとちらほら報告があった。受験票から読み取れる情報は
なので、おそらく大卒で就労に支障の少なそうな障害者を合格者リストから各省庁でリストアップしていたではないだろうか。
週明け、2月26日に開催された合同説明会に参加。「一次試験合格者対象」となっていたが、出入り自由だったので関係ない人もいそうだった(明らかに受験対象年齢を超えてるお年寄りとかもいた)。概ねどこの省庁も受け入れ準備は全く出来ていない(そもそも「障害者採用枠」などというものが今まではなかったわけで)ことが伝わってきた。配属先や職務内容もまちまちで、
といった感じ。(外務省、国税庁はホームページの募集要項に上記内容が記載されていた)
説明会で、「就労経験を生かした仕事に配属されますか」という質問に対し、「そうですね、全く仕事したことがない人だと困っちゃいますけど」などと口走ってしまう担当者もおり、中途採用なのか新人採用なのかの整理もついていないようだった。(係員級の採用でそれは流石にどうかと思うのだが)
私が聞いたすべての省庁で、「新卒採用と同様の研修を受けさせる予定はない」という回答だった(国税庁のように最初から研修前提の告知を出している場合を除いて)。軽作業オンリーならそれでもいいが、普通の仕事も出来るならやらせる、なら同様に研修・教育も必要ではと思うが、これも「単に準備が出来てない(障害者の参加を想定した研修になってない)」部分も大きそうだった。
また、「障害の状態に配慮した勤務は可能ですか」という質問に対し、「フレックスやテレワークがあります」と回答していたが、今回の常勤採用では普通にフルタイムでの勤務が前提で、フレックスやテレワークといった配慮も一般の公務員が利用できるものと同等。「障害に配慮した勤務形態」などというものは存在しないようだった(そういうのは「非常勤」に寄せているのだろう)。
これは内閣府の担当者が言っていたことだが、「(フルタイムでの)勤務に不安がある方や、今回の採用で漏れてしまった方は、非常勤での採用も検討してほしい。今後、非常勤から常勤へステップアップする制度も用意されるので、働いてみて『大丈夫そう』だと思ってからでもいいのでは」とのこと。
面接は、非常に順調に進んだ。というか、最初に受けた第一志望の省庁に即日内定をもらった。
聞かれることは
と、まあ割と普通のことであった。個人的には一番最後の項目が問題で、今回の採用は国家公務員一般職係員級、「国家公務員 俸給表(一)」の一級からのスタートとなる。要するに、一般職の一番下からだ。ここに、民間での職歴16年くらいを加算すると、年収としては400万円ぐらいで、正直結構下がる。ただまあ、冒頭に書いたとおり、今の待遇に不安があるので、問題ありません、と回答した。
続いて、同じ日に設定していたリクルーティング電話のあった省庁とも面接。2時間ぐらい間が空いていたので、時間を潰すのに苦労した。こちらも大体同じような質問内容だったが、「年齢的に若い人間の下に立つことになるが大丈夫か」といったことも聞かれた。現職も派遣で職場の年齢的上下と関係なく仕事しているので、問題ないですと回答。やはり給与面のことは指摘され、「基本的に一定の間隔で昇級昇格していくので、すごく仕事が出来たからといってスピード出世があるわけでもないけど大丈夫か?」と言われた。まあそりゃしゃあないでしょという気持ちで、「大丈夫です」と回答。
内定をもらって、3月いっぱいで今の会社も退職か、と感慨深くなっていたところ、派遣先から正規雇用されることになり(並行して採用面接を受けていたのだ)、流石に長年働いていた先からの採用を断るわけにも行かず(給与もいいし)、内定先省庁へお詫びと内定辞退の連絡をした。私が辞退したことで内定された方は、ご自身と国民のために精一杯働いてほしい。私もこれからも頑張って働いていく。
人事院・各省庁側に期待したいこと
これは全くその通りだと思います。今回の選考対象となる「障害者」は、「障害者手帳」(身体障害者手帳、療育手帳(=知的障害者用)、精神障害者保健福祉手帳の総称)を持っている、またはその基準を満たす診断書が出せることが条件なのですが、これはもうピンキリなわけで。障害の程度・就労に及ぼす影響も千差万別ですし、就労経験自体も同じなわけで。あくまで、合格者の一サンプルとしてとらえていただければと思います。
それはそのとおりだと思います。自分も、今の派遣雇用継続なら(年収ガクッと落ちても)納得して公務員やるつもりでした。ちなみに、経験ゼロで高卒だと年収300万弱ぐらいからのスタートになるんじゃないかと。大卒だともう20万くらい乗るかな?
まあそういうことなんだろうな、とは思いました。こればっかりは、あくまで受け入れ側の基準だし、(もうちょっと配慮があってもいいとは思いつつ)「あらゆる障害者の面倒を見れられる体制を作れ」とまでは正直思っていません。
今回の国家公務員採用試験の決定的な差は各種説明会に参加すること。
これだけでかなり有利になります。
コッパン受験と同じですね。コッパンみたいにOB・OG訪問までしている人はそんなにいないと思いますが一次試験の前から
説明会に参加することは大切です。
もしも自分自身が人事担当者だったらという、他人の視点からモノゴトを考えることから戦いのはじまりです。
ここは有給でも仮病でもいいので休めということです。
本気度、真剣度を試されていると思いましょう。
内定出ている人は合格発表の日に各省庁などから電話連絡が来ています。逆アポがくるんです。
こちらから電話やメール予約するまでもなく、初日の面接を設定してもらえその場で内定。
内定数が足りた場合、すでに面接キャンセルも発生しているでしょうね。
今回のことで怒ってしまう、電話で各省庁に嫌味をいう、粘着する、結果的に業務の妨害レベルまでになってしまう人は公務員向いてないです。
発達障害の人は書面やウェブサイト、事前に説明されているルールが全てだと勘違いしてしまうこともあるみたいです。
きっちり予約ができて、予約ができなくても、あとからできる可能性があるはずだと思いこんでしまうのかもしれません。
しかし内定にこぎつける人は、事前説明会への参加から真剣に動いています。
新卒採用でも経団連ルールがある!!って信じてしまう人もいるかもしれませんが。
私の場合、偽情報、ウソに惑わされないように。現役、国家公務員の人に実際のところいつの段階から評価対象なのかを
聞きました。説明会からコッパン同様に真剣に来いということでした。
さらに今回の国家公務員障害者採用はできる限り健常者に近い人、繁忙期、国会対応など残業、無報酬残業までできる人が有利ということも聞きました。
そして今回の採用試験でパーセンテージを達成することはないということです。各社報道から達成できない目標を見直すってでましたよね。これです。
厚生労働省独自試験がどうやらその実証実験だったらしく、現非常勤障害者から常勤障害者に引き上げたパターンが多いということでした。
そしてこのケースが今後各省庁でも取り入れられることになっているそうです。仮にステップアップ制度と呼称するようです。