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2023-03-14

サウジアラビアイラン外交関係正常化

イスラエルにとっては打撃らしいけど、まぁそれはそうなんだろう。

平和ってなんなんだろうな。スンニ派シーア派対立って、イスラエルが裏で糸を引いている部分もあるんだろう。

十字軍国家も200年も持たなかったから、イスラエルが数百年後存在しているイメージがわかない。

ってことをぼんやり思った。

漠然とした。多分私の人生の話。

急に昔の話をしたくなったので衝動ではてぶに登録した。

多分春だからだと思う。これは花粉症の症状の一つ。

そもそも、真夜中にこのブログを開設するあたり、私はもう正気じゃない。

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漠然とした。多分私の人生の話。

5歳の頃、家族旅行アメリカへ行った。国外旅行へ行くのはこの20数年間でこの一度だけ。知らない言語に囲まれて、知らない文化に触れた、初めての経験

私はそれまで、父親よりも背の高い人間がこの地球にいるなんて知らなかった。

幼稚園キリスト教系だった。でも園の中に十字架とかそういう「偶像」がなかったので、私が日々の中に神の存在を感じる機会は非常に限られていた。お弁当を食べる時になると手を合わせて祈りを捧げた。「神よ、日々の糧に感謝いたします。アーメン」。この時間くらいじゃないだろうか。

先生たちは定期的に聖書の話をしてくれたけれど、当時の私には理解できなかった。そして多分先生たちも私たち理解することを求めていなかった。卒園式で綺麗に装丁された聖書記念品にもらった。字が読めるようになり、心に哲学概念が沸いた年齢になった時に初めて読み返した。そしてようやく何かしらは理解できたと思う。多分。…。時間差があるね。

でもこれだけは覚えているのがある。園長先生という方は非常に柔らかいお話の仕方をなさる方だった。わかるようなわからないような、でもそれはそれとして言葉がスーッと染み込んでいくようなお話をなさっていた。

先生はいつもこうおっしゃっていた。唇に歌を忘れずに。光の子として歩みなさい。

前半は知らない。でも後半は聖書の一節だ。「あなたがたは、以前には暗闇でしたが、今は主に結ばれて、光となっています。光の子として歩みなさい。光から、あらゆる善意正義真実とが生じるのです」

小学校の頃は全く覚えてない。

中学時代勉強はできるような、できないような子供だった。

英語音楽国語だけできた。でも国語担当教師と年がら年中喧嘩してたので評定に定期テストの点数が反映された記憶がない。

英語は楽しかった。小さい頃漠然定型分だけ覚えて旅行に行ったあの「英語」が、形ある理論知識として目の前に再び現れた。いうなれば、旧友との再会のような。互いに少し成長していたけれど。

音楽は、心の拠り所を得るために気まぐれで合唱部に入ったら急に歌えるようになった経緯がある。何それって話なんだけど、私もよくわからない。ただ、ある日ある時急に突然「声の出し方、響かせ方」が分かった。2年生の時、ソプラノソロパート担当させてもらった。嬉しかった。あれは、私が自分の実力だけで勝ち得たもので、そして私にもできるものがあるのだという証明になったから。音楽先生卒業式の日私の母をとっ捕まえて手を握ってこう言ったそうな。

お嬢さん音大に行きたいと言ったら、どうか止めないで入れてあげてください」と。

周りの子供たちは「自由」が増え、レンタルショップビデオを借りた。麓の街に行って、友達同士で服を選び合った。私にもそんな自由が欲しかった。漫画の貸し借りをしてみたかった。アニメ情報を共有してみたかった。

ある日、一緒にピアノを習っていた友人から楽譜を借りた。

彼女は「あなたが弾きたい曲が入ってる楽譜、家にあるから貸してあげる。家まで来て」と言った。彼女の家は私の家とは少し離れていた。やや逆方向寄りなのだ。でも私は彼女について行った。そして楽譜を借りた。

家に帰ると母は非常に機嫌が悪かった。ただいま、という挨拶に対して返ってきたのは「どこほっつき歩いてたわけ?」だった。確かに帰宅時間は通常より20分ほど遅かった。

正直に話した。友人の家に寄って楽譜を借りてきた、と。楽譜没収された。

ちなみにその友人は時々漫画も貸してくれていた。しかし母はそれを目敏く見つけて隠した(母はよく私が学校にいる間に私の部屋に入って物を漁っていた)。そして3週間ほど経った頃にクロゼットから出してきて「あの子に返してきなさい、今すぐに」と言ったのだ。

少し考えればわかること。この家は、何かが少しずつ狂ってる。

私にも自由が欲しいとゴネた事がある。他の女の子みたいにガーリーな服(当時は少し露出があるのが流行っていた記憶がある)が着たい。髪を伸ばしたい。休日友達とお出かけをしたい。バレンタイン友達チョコレートの交換をしたい。

ことごとく跳ね除けられた。

おしゃれがしたいなら家でやらないで外で自己主張して頂戴。学校お菓子を持ち込むのは校則違反でしょ?(それをバレンタインの日だけは黙認されてるから私にもやらせてくれと言ったのだが。)お出かけして遊ぶ暇があるならピアノ練習して勉強したらどう?アンタは目の前の遊びを取って将来を失うつもり?それに私たちがアンタのピアノ習い事にどれだけの月謝を払ってると思ってるの?その分ちゃん練習してよ。

そんな言葉で私の心はポッキリだった。でもその時はまだ幼かったので「高校生になったらきっと変わる」と思っていた。

ちなみに上記言葉を言われた後で私は一度だけ地域お祭りに友人と行ったことがある。

一言で言えば、つまらなかった。目に映る何もかもがくだらなく見えて、そんなくだらないものにはしゃげる友人たちが寧ろ一周回って羨ましく思った。その日の私はピアノ練習もしなかったから、鍵盤が恋しかった。結局皆より一足早く帰宅したはずだ。

…そんな私の感想に、母は非常に満足げだった。こればかりは癪にさわる。

高校私立女子校入学した。良い大学に行くことだけが目標だった。それさえ達成できたなら、きっと私の人生は報われると思った。おしゃれらしいおしゃれをしなかったことも、友人と行ったお祭りを楽しめなかったのも、バレンタインの日にお菓子作りをしなかったのも、全部全部。

周りの友人は有名らしいアイドルにどっぷりとハマっていた。週末になれば電車に乗って遠くへ行き、グッズを買い、ブロマイドを買い、皆で見せ合って楽しんでいた。

街のお祭りを楽しめなかった女は、アイドルの良さもわからなかった。女の子たちが「ねえねえ、このひとカッコいいと思わない?」と見せてくるのを適当に「ほんとだ、カッコいいね」と返した。

ちなみにミュージカルをやる部活に入ったが、言わずもがな母は私がそこに入部するのを死ぬほど嫌がったし、門限は昔よりもシビアになった。当然遊べなくなったし、部活も毎回早退していた。それは舞台本番の1週間前でも変わらなかった。先輩も同期も私の家の事を理解してくれていたことだけがいである。あの人たちは皆優しかった。でもその優しさに永遠に甘えるわけにもいかなかった。当時私はスマホを持っていなかったから「今日だけは門限を伸ばして」と公衆電話から家に電話をかけた。「それなら家に入れてやらない」とだけ返されて電話を切られた。私は職員室の前で泣きながら「どうしろって言うんだよ!」と叫んだ。

その部活は1年生の冬に廃部になった。まあ色々あったのだ。晴れて私は本当に勉強しかすることの無い暇人になったのである

英語にのめり込んだ。きっと海の向こうの人たちが喋ってる言語は私の住む世界を広げてくれると思った。

音楽は私の心の拠り所だった。親には「私たちがアンタのピアノ習い事にどれだけの月謝を払ってると思ってるの?その分ちゃん練習してよ」と言われていて、それでよくピアノが嫌いにならなかったな、と思わないでもないが、それはひとえにピアノ先生の教え方が非常に上手かったからだ。あの先生は一生の恩師と言っても良いだろう。ピアノ技術だけでなく、音楽を体全体で楽しむことの大切さを教えて下さった。

必死勉強して、そこそこ良い大学に受かった。当時は大学入試の定員規定が厳しくなったばかりだったか絶対浪人すると思ってたけど、受かった。第0志望、希望希望通りの学科

高校生の頃(というか小学校中学から)ずっと母は私に「アンタみたいに頭の悪いやつは、私の時代なら商業高校に行ってたよ。今はいいね、アンタみたいなバカでも人並みに高校に入れて受験できるんだからさ」と言っていた。

何度も娘をバカだと言わなくて良い。言われなくても本人がちゃんと分かってる。

大学は色々な地域から色んな人たちが入学していた。

同じ地域に住み、同じ景色を見ていた小中、その延長線上にあった高校とはまるで違っていた。私のような実家住まいもいれば、一人暮らしで頑張る人もいた。

でもこれだけは断言したいが「明日屋根心配しなければならない人」は私以外あの空間には存在しなかった。

大学講義は遅くて6時に終わっていた。母は言った。

「7時半には返って来れるでしょ」

まり、7時半が門限だということだ。大学生の、門限が、7時半。

あんまりだよ、と泣いた。父を説得しようとし、父方の祖母を説得しようとした。大学生なんだよ、大人だよ?と。でも父は母のイエスマンだったし、祖母(と叔母)は如何せん価値観が若干古かった。「7時半は十分遅いよ、お母さんは譲歩してる方だと思う」と言って譲らなかった。

遊ぶことはなかった。化粧もしなかった。ファンデーションだけだった。化粧なんてね、若いうちは要らないの。それが母がいつも言うことだった。

少し考えれば分かること。あの時の母は、私を完全にコントロールたかったのだ。

大学2年生の時、母に内緒彼氏を作った。

その年の秋、私はこれまた突然、手首を痛めた。関節炎だった。ピアノの弾きすぎ、PCの打ちすぎで利き手ではない左手に過度の負担がかかったらしい。もうピアノは弾かないでください。と言われた。

あの時の絶望といったら。私は身近な人を突然亡くした経験はないけど、多分親友がある朝突然死んだらこういう気分なんだろう、と思った。うまく使えない左手、もう弾けないピアノ。虚無感、なんて言葉じゃ補いきれないものだった。

私にとってピアノはそれほど大きな存在だった。嬉しい時も辛い時も一緒にいたのが、ピアノであり、音楽だったから。

その時急に現れたのが昔の知り合いだった「彼氏」だった。

少しずつお互いのことを話す中で私は小さな打ち明け話をした。休日が大嫌いなんだ、と。

当時母は土日のたびに癇癪を起こしていた。やれ私の歩き方が気に食わない、やれ私の話し声が気に入らない。どうしてアンタは私の気に入るように振る舞わないの?と。当時私は土日の早朝6時〜9時でコンビニアルバイトをしていたので、その早朝勤務の後に母の喚き声を聞くと言うのはどうにも「来る」ものがあった。

さて話を戻すと、私の打ち明け話を聞いた彼は私を週末のお出かけに誘った。電車の向こうの街でかれこれこういう催し物があるらしい、行ってみようよ。気分転換にさ。と。そういう具合に。そして私はその誘いに乗った。

母には「友達と出かけてくる」とだけ言った。情報は不足しているかもしれないが、嘘はついていない。少なくとも当時は彼はまだ「友達」だった。

そしてその友人は彼氏になった。

から告白された時、私は一種のチャンスを感じた。きっと私は自分証明できるとお思った。私の人生は私のもので、私の人生の決定権は私が握っているのだと。

しかも、当時の私が心から欲していたのは「絶対的な安全」だった。そして痛めた手首によって失われた「心の拠り所」だった。

きっと彼ならそれらをくれるだろうと思ったので、私は彼の告白同意した。

まりにも、身勝手


彼はそれ以来ちょくちょく私を外へ連れ出した。

その度に私はまるで世間一般に溶け込んだ気分になっていた。世間一般の「普通の子」になれたように思った。そしてその時私は心から喜んだ。「生きてる!」と無邪気に思えた。

私が勝手に出かけ、挙句彼氏まで作ったので、母は怒った。最初父は「別にいいんじゃないか?」と言っていたが、母があまりにも怒るので父も手のひらクルリと返した。

彼の名前学歴を言わされた。ひどく侮辱された。

母は私から家の鍵と財布の金、銀行カード没収した。お前に鍵と金を渡すと碌なことにならない、と言いながら。(ちなみにこの銀行カード、取り返したら今度は月に3万、家に入れる事を要求された。当然今度は私の生活費が足りなくなってバイトを増やしたら、要求される金額がまた増えた)

母は、アンタがどこへ行ったか全部わかってるんだからね!と怒鳴った。最初意味がわからなかったが、どうやらあの時の母は私をスマホGPS機能で追跡していたらしい。それが判明した時、私は泣いて彼氏に詫びた。どうしようもないものに巻き込んでしまったと思った。ざっくり言えば、母のやったことは犯罪に近いのだ。

彼は「気にしてないよ」と言った。

私は「いや、そこは気にしてくれ」と思った。というか、そう言った。

彼は「お前がかわいそうだ、どうにかして救いたい」と言った。

その心はありがたかったが、ありがたがると同時に私はそれを拒絶した。

「かわいそう」と軽々しく言えた彼はどこまでも温室育ちだった。4人家族ペット付き、平均的かそれよりも幾許か上の環境で、ぬくぬくと、二親に愛されて育ち我らが王子様のような扱いを受けてきた彼が言ったのは、永遠に「かわいそう」な立場にはならないであろう人間の、無意識傲慢だった。

「救いたい」と言った彼は、きっと人間人間を救えると信じていたのだろう。確かに信じるものは救われるとは言うけれども、彼氏とはいえ第三者立場人間他人を救えるのなら、今頃イエスキリスト聖母マリアもこの世から用済みだろうし、仏典聖典も要らない。でも世界にはそういうもの存在するのだ…。彼はそれをちゃんとは理解していなかった。

私の状況も、世界の状況も、「聞いて知ってはいる」けど「理解」はしていなかった。

彼氏母親という人は、息子から私の家の状況を聞いて、こうコメントした。

「あそこの大学の子だと聞いて安心していたのに。それじゃあ全く、訳アリのお嬢さんを拾ってきたってこと?」

…ってうちの母がいうんだ、面白いよな、訳アリだなんて。と彼は笑いながら言った。少なくとも彼の中で「訳アリ」という言葉一種ネタとして消費されたらしい。

私は彼氏ができた、とか勝手に出かけた、とかそういう「罪」で度々家を追い出された。そんな時私を匿ってくれたのは大学の友人たちだった。

追い出されるたびに顔色が悪くなる私を見て友人は私の目を閉じさせ耳を塞がせ、その間に家中刃物という刃物を知らない場所に隠した。彼女曰く「今のアンタに刃物を見せたらすぐさま死んでしまいそうで怖い」。当時の私は一体どんな顔をしていたのだろう。

結局、私は彼と別れた。

彼は普通の家で育った普通人間だった。そんな温室の彼を「私」という人間に巻き込み、異常なものを見せ、その一部だけでも経験させてしまたことは、私が負うべき「罪」のように思った。そして、そんな異常な場所から彼を一刻でも早く遠ざけようと思った。「かわいそう」という言葉も「訳アリ」という言葉も、ネタとして理解できる世界に戻そうとした。

それが正しいかどうかは本当にわからない。でも身勝手だったとは思えど、あの時の私にできた「最善」の判断は、それだった。

どうか彼には「普通」の彼女ができていてほしいと思う。そして、私の視界に入らないところで幸せになってほしい。

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大学3年生になり、2つの喪失、「普通」の概念について考える日々、加えてコロナ禍。最悪だった。それでも秋までは保った。そして秋になって体調を崩した。

感情がわからなくなった。楽しいとか、嬉しいとか、悲しいとか。

指先から血の気がひいた。四六時中まるで体全体が後ろから引っ張られているような感覚だった。

ほんの少し正気に戻ったその瞬間に病院に行き、うつの診断を貰った。ついでに精神安定剤も貰った。(本来抗うつ剤をもらう予定だったが、そういう精神に効くタイプの薬を飲んだことがなく不安だったため、安定剤からスタートになった)

家族はまるでお手本のような否定言葉をぶつけてきた。

仮病だ、とか、考えすぎだ、とか、甘えだ、とか。診断をした医者はヤブだ、とも言った。そして私から保険証現金没収した。よって私は途中で治療が止まっている。


正直、大学3年4年をどう過ごしたか記憶がない。

ちなみにかの「原神」を始めたのは4年の最初だったか、それくらいだったはずである。(タブレットデバイス様様で、こういうゲーム自分スマホに入っていれば「実体」が無いので、両親は私が流行りのゲームを始めただなんて夢にも思っていない)





うつの診断を受ける前だったか後だったか、とにかくその辺りの時期に私は数回手首を切った。そのうちの一つだけ、鮮明に覚えている。

衝動に任せて切って、うっすらと血を滲ませた。最悪だったのはそれが金曜日で翌日にはバイトがあったということだ。(※この時は体調の限界やらシフトの都合やら色々なものが重なって、私のシフトは早朝6時〜9時ではなく、9時〜12時に移っていた。そこには私の幼馴染の男の子も一緒に働いていたので、早朝から働いていた時よりは幾分気が楽ではあった)

さて左手首を切って血を見て1時間、なんとなく冷静になった時に気が付く「待てよ、明日バイトじゃん」は本当に最悪だ。急いで薬をぬり(強めのステロイドだった気がする)、ガーゼを乗せて包帯を巻いた。

翌朝幼馴染の彼は「それ、どうしたんです」と聞いてきたので、私は笑って言った。

「関節炎の湿布


この幼馴染、私が怪我をしたとなるとまるで問診か何かのように問い詰めるのである。どこで怪我をしたの、どうして怪我をしたの。その時何があったの、いつもと変わったことでもあったの。

手首は数回掠った。そしてもし、もう一度でも金曜日にそれをやった上で「どこで、どうして怪我をしたの」と問い詰められたら、私は誤魔化せる自信がなかった。

そもそもコンビニアルバイトなんて、いつヘルプ要請が入るかもわからないものなので、それが金曜日じゃなくても、手首を切るのは普通にアウトだった。いつか誤魔化せない日が来ると思ったし、その調子で切ってたら取り返しのつかない事になるのは目に見えていた。

それ以来、手首を切るのは自制している。少しばかり、褒めてほしい。

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先日、この幼馴染と少しばかりの遠出をした。

出かける予定を作ったことを正直に母親に白状し、許可を得た(これがまたハードルが高かった。)母は私たち電車で行ったと思っているが。

私は彼が運転する車に乗って遠出した。





帰りの移動だった。彼は、夜の暗闇が一番好きだと言った。

私も夜が好きだと返した。夜は良いなと思う。あの暗闇も、程よい明るさも好きだ。

その日すっかり疲れてしまっていた私はぼんやりと、彼に少しばかりの昔話をした。

まだ私が早朝6時のバイトシフトに入っていた頃、5時に起きて支度をしていたから冬の早朝は真夜中みたいに真っ暗だったのだと。そして少し季節が春に近づくにつれて日の出時間も早くなり、西の空は暗く、東の空は明るくて、私はその真ん中に立っているような錯覚を覚えたのだと。まるで、昨日と明日の境目にいるような気分だったと。

ある時私は親に家を追い出されて、月曜火曜ならまだしも金曜日に追い出されたのなら翌朝のバイトは始発電車に乗らないと間に合わなかった。まだ空が真っ暗な時間にそっと友人の家を出て、電車の窓の外がうっすらと明るくなるのを見ていた。

そう言った。話し終えてからようやく自分が一体なんの話をしたのか、一体彼に何を聞かせていたのか気がついた。

変な話してごめん。私の家の騒動を知ってて私を家に泊めてくれた友人くらいしか知らない話だ、多分他人に初めて話した、幼馴染の女の子ですら知らない話だ…。と途方に暮れながら謝罪したところ、彼は「そうだろうね」と言い、こう続けた。

「よく、怪我しませんでしたね。危ないでしょう、色々と」





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今も私は「普通ってなんだろう」と考えている。

家では相変わらず母がつまらないことで喚き散らしているし、私の髪の一本一本にすら執着し干渉している。そして相変わらず父は母のイエスマンだ。


幸せになりたいな、と思う。

でもまず私は「幸せってなんだろうな」から思考を巡らせなければならい

そもそもはいまだに感情の生成についての問題解決していない。

たぶん私という人間も私の家族も、私の家の一族も何かしらが「おかしい」のだ。皆が皆で、それぞれ違うベクトルで狂ってるから、その異常性に気がつきにくい。

でも気がついた人が気がついた時に「終わらせなければならない」。母は自分自分母親と絶縁した。もしかしたらそれはいつか来る自分未来だと思う。

それはそれとして、もし誰かが私の幸運をほんの少しでも願ってくれているのなら、多分、私はまだ幸せだ。

2023-03-13

anond:20230313214228

塩は減りは少ないけどほぼ毎回使う。俺の場合は。

昔、探偵ナイトスクープだったかなにかのテレビ番組で「プロ素人料理の違いはどこで生まれるのか?」って企画があって

同じ鮮度の材料を使ったり、プロに切ってもらった材料素人主婦料理したり色々条件を変えて結果わかったのは、決定的にプロ素人とで料理の味を変えるのは

レシピにある“少々”とか分量の指定のない調味料の量」だった。

まり塩少々とか胡椒少々とかそういうの。

0.1gとかそのくらいの塩の量の違いで料理の(確か炒飯作ってた)味が全然違うという結果。

それ見てから料理の味がイマイチだなーと思ったときは塩を入れて調整するようにしてる。

ぼんやりした味のとき醤油とか麺つゆいれてもぼんやりしたままなんだよね。

コスプレイヤーを見て子どもを作りたくなくなる独身中年男性

顔の良い女子同士がコスプレしてSNS画像を上げあってるのを見て、

この二人がつるんでるのってお互いに顔がいいからなんだろうなと思ってしまった。

似たような距離感の顔の良くない子とはそういうつるみ方はしていないことも裏付けになるだろうか。

おっさんからしたら上げられた画像を見て感謝こそすれ、嫉妬感情を覚えるとは思わなかった。


両親の顔が良くなかったらこうやって遊ぶこともできないんだろうな、と思うとイマジナリー顔の良くない女子気持ちになってさみしくなる。

男が見てこれなんだから、今の女子学生とかSNS一般人なのに綺麗でかわいい女が目に入りやすくて、嫉妬で狂っちゃうだろうな、大変な時代だろうなと思う。


顔のいいコスプレイヤーを見て、生まれた時点で与えられた手札次第でやれることってホント変わるよなぁってぼんやり思って、

今は整形があるって言っても結局そのための資本金

必要だし、多分ある程度の限界値もあるだろうから結局ハンデは埋まらないし、ブス・ブサイク可哀想なことには変わりないし…

と言った具合に30半ばのおっさんなのに、生まれ環境の差を理由に人を羨むのをやめられない。

自分がうまくいかなかったことを子供代理させようと思っても、半分は自分の血が入っていて、自分の家庭がいい影響を与える要素もないからうまく行くはずもない。

何代下ってもブサイクスタイルが悪いことは遺伝していくと思うと子供可哀想だな、と思うと家庭を持つことにも消極的な考え方になる。

いまだに他人比較してどうか、という尺度勝手に落ち込むんだけど、大人なみなさんはどう折り合いつけてるんでしょうか。

ときどき叫んで発狂したくなるわ。

2023-03-12

フォトジェニックに拘る親

梅園のベンチに座ってぼんやりしてたら目の前の岩?の上に1.2歳位の子供を座らせる親が居た。

子供ストロー付きのペットボトルを持たせたので水分補給させてるんだと思ったら持ち方・首の角度・咥え方を指示し始めた。

理解が出来るような歳じゃ無いから指示された以外の方向を向いたりストローを口から話したりと子供自由にしてたんだが親大激怒

よく分からないものの親の怒号が怖いからか言われた通りのポーズ子供がした途端シャッター連打。

満足するものが取れたのか、子供がやっと飲み物自分のペースで吸い出したらペットボトルを取り上げて泣かせてた。

ポーズからしてふとした瞬間を切り取った系のだと思うんだけどわざわざ捏造する必要があったのかそして目の前1mも離れてないベンチに人が座っててその奇行を見せても大丈夫と思ったのが心底怖かった。

横浜お土産とは

横浜出身で、今は都内に住んでいる

首都圏在住の、横浜出身・在住ではない知人に、「横浜お土産といえば」と問われ、真っ先に思い浮かんだのが鳩サブレー。でも鳩サブレー鎌倉横浜ではない。

次に思い浮かんだのは、横浜駅の予備校に通ってた時にたまに買ってたステラおばさんのクッキーだけど、調べてみたら本社白金横浜というわけではなかった。

もうちょっと考えると、大船軒の鯖の押し寿司とか、崎陽軒シュウマイとか、華正樓や重慶飯店の月餅くらいを思い浮かんだんだけど、押し寿司シュウマイは、日々の往来で通りかかって買う分にはいいけど、なんかお土産として不適切な気がする。

軽い話なんだけど、横浜駅周辺で買える条件で、そこまで足を伸ばしたならお勧めしたい、自分で買って帰っておうちで食べて美味しくて嬉しいというものはあるだろうか?

# 崎陽軒のをシュウマイと書いてることにご批判多数。ごめんなさい😰 横浜市でも山中鄙びたとこの出とはいえ、どの駅にも売店あるんで無意識的には認識してたと思うんですが、ぼんやり過ごしていたようです。すみません

anond:20230312002337

大学受験の時日本史教科書一問一答使ったけど頭に入んなくて、漫画読んでから教科書一問一答問題集手つけたらスッと入ったよ。全体像ぼんやり知るための導入には良い

2023-03-11

30年以内に「首都直下地震」が発生する確率は70%なんだそうだが、

自分が生きているうちに起きると考えると、東京に住んでいていいのかな、とぼんやり思う。

嫌いよりも好きを大切にしよう

合わない人とのことを考えるより、

本当に好きな人のことを考えよう。

全員のことを好きにならなくてもいい。

強く見えて意外と繊細で、

でも、やっぱりドシっと構えてるところがあって、

そこがかっこよいというか、憧れるところで。

芯の通った雰囲気と、自分世界観

そういえば、自分感覚ぼんやりするって言ってたなぁ。

自分があった人がそうなっちゃうのって、どんな気分なんだろう。

2023-03-10

ドラマ孤独のグルメの隠れた問題点

深夜にテレビの音量をミュートにしてチャンネルを回してたんだけど、テレ東チャンネルを合わせた時に、ドラマ孤独のグルメピックアップされた番宣が映ってたのを見かけた。

久しぶりに(最後に観たのが8年前ぶりで)その最近孤独のグルメ番宣でちらっと見たけど、松重さんが美味しそうに食べてるように見えなかった。

食べてる画の松重さんが若くないように見えた。食べてるカットで目元周辺やおでこや生え際辺りをぼんやり見ていたがお爺ちゃん風貌のように見えてしまった。

お爺ちゃんが無理矢理食わされてる感がしてしまって。 ――かつて加藤茶が今の嫁さんと結婚してからの頃に2ちゃんねるスレとかコピペブログとかのネットにあった嫁による虐待疑惑・悪評噂の要因になったような出来事を思い出してしまった。(単に、加藤茶に油っぽい高カロリー気味の年相応ではない食事を嫁が与えてたりしてた光景を思い出した。)

なんか「本当においしく食べているんだろうか…」とか思ってしまったのだ。「あの歳になると、米とか食べ応えある物や、学生青年が好む男子向け料理をそんなに多く食べたくないんじゃないのか…」とか勘繰ってしまった。

そう自分が思う前に事前に軽く知っていた知識として、松重さん孤独のグルメ撮影時期になるとドラマ撮影時に好んで多く食えるように食事習慣を調整してるらしいが、それでも食わされてる感がしてしまった。

この違和感視聴者が気付くのも時間問題だと思ってしまった。ゆるやかに人気が落ちていくのではないかと思った。既にあるドラマ版の孤独のグルメドラマファンだけではなく、最近新規視聴者孤独のグルメファンが付きにくくなるのではないかと。

最近孤独のグルメ制作側の事情は知らないけど、昔のシーズンの頃だけ番組を観てた自分からするとそう思ってしまった。不特定多数が見るネットでそういう事を言っていいのか分からないけど…。

 

 

なんだろう、年を重ねた今の松重さん風貌問題だろうか…。

フードポルノという言葉があったが、グルメドラマってある意味ポルノ撮影のように、その人が年齢を重ね出演して実演してる事が演者側の意図や嗜好も含め 適してこなくなってくるのが思っているよりも早いジャンルなんだなと。(老いについてはポルノに限った事ではないだろうけど。)

いやこれ、年齢層によって見方感想が違うっていう事なんだろうか。食欲がある中年から見たら「いい食べっぷり」っていう評価で、食欲が無い中年から見たら「頑張ってあえて食べてるのを応援したくなる(?)」的な若干捻くれた評価なんだろうか。

自分20代後半でまだ一応食欲はある方だけど、イチ青年から見ても「食わされてる感じがする」なんだけども…。 (ちなみに自分はどちらかというと孤独のグルメ松重豊さんのファンでもない。)

勝手関係ない記事思い出したけど、ソルマックでも使うんだろうかね…食事シーン撮影される演者は。

2023-03-09

青春辞書に失敗の言葉なし」でググると高いところにブルワー=リットンの『最後男爵』が出典だって出てくるサイトがあるんだけど、正しくは『リシュリュー』だそうだ。

増田にもあった。

anond:20090309015930

まあどっちの作品ちゃんと読む気はないんだけど、「ペンは剣よりも強し」と同じなんじゃん……プロジェクト・グーテンベルクの『最後男爵』で検索してみてもどこにもそんな言葉が無いか不思議だったんだけど、かなり長い間ぼんやり抱えてた謎がとけた。

っていうかグーテンベルグまで見に行ったのに英語Wikiquote 見たり bulwer-lytton quotes とかでググらなかった自分馬鹿だった。

2023-03-08

anond:20230308090023

からそれが才能とか性格とかじゃなくて

遺伝とか疾病によってそうなってるんじゃねって話だよ

なんでもそうだよ

悪い意味での才能、性格、そうやってぼんやりとした表現で表されるものも、因果を辿ってくと科学的・社会的構造によってもたらされているもんなのさ

人間個人善悪帰着させようとするのは愚かな考え方だよ

追記あり】おばあちゃんの金の延べ棒

亡くなったおばあちゃんには秘密があった。

大昔、おばあちゃんの家に遊びに行った時、こっそりお仏壇の奥に隠してあったのを見せてもらったことがある。並んでるピカピカの金の延べ棒。

ルパン3世漫画でよく出てくる延べ棒より小さいサイズだったけど、形は全くアニメと同じで、ななめ四角で刻印みたいなのがあって、まぎれもない「お宝!」感にすごくドキドキした。

「孫の数だけ買っているの。おばあちゃんが死んだら一つずつあげるから大事にしてね」

それから20ちょっと後におばあちゃんは亡くなった。ちょっとした資産家だったおばあちゃん財産は、家業をついた娘の1人(母の姉妹)がうけついだけど、孫に用意された延べ棒の話はでてこなかった。亡くなる数年前からボケてしまってたし、誰にも伝えてなかったのかな。

財産を受け継いだ娘のひとりも急な病気で亡くなり、おばあちゃんの孫のひとり(私のいとこ)が財産をうけついだけど、やっぱり延べ棒の話は出てこなかった。

人の財産に口を出すのは災いの種。「延べ棒あった?」って一度も聞いたことはないけれど、孫に用意したことが誰にも伝わってなくて、どこかで処分されちゃったんだろう。

札束みせられたんだったら、多分こんなに気にならなかった。ピカピカでずっしりとした秘密のお宝、おばあちゃんがこっそり見せてくれたあの延べ棒、もう一回見たかったな。

追記

え、いっこ880万円!?

ぼんやりした記憶だと、いっこ100万円ちょっとって言ってたと思うんだけど。。。って調べたら、金の値段ってめちゃめちゃ高くなってるんだね。

880万円×9人(孫のかず)で8000万円の金塊かー!

ほんとのお宝だ!!

あと、なんかエッチ連想する人が多いのに驚いた。金の延べ棒の力やっぱりすごい。

2023-03-07

anond:20230307123138

複数人独身男性複数人養子親権を持って子育てするのが不自然じゃない社会になんねーかなあとうすらぼんやり思うことはある

公明党も立派なカルト勢力ということ

安倍氏に対する銃撃事件を発端に、自民党統一教会蜜月メディアに取り上げられた事から自民党カルトとみなす世論が以前よりも広く浸透した昨今だが、その自民党の連立与党である公明党に関しては、メディアであまり取り上げられる事も無いせいかぼんやりとしたイメージしか持ってない人も多いと思われる。

結論から言うと、公明党自民党と同じく立派なカルト勢力だ。それも統一教会支持母体となっている勝共連合と同じくらい、その思想には過激ものが見受けられる。彼らのそれが如実に表れるのが選挙期間中だ。

周知の通り、今年の3月の後半から4月にかけては統一地方選挙が行われる。

選挙に浮足立たない政党など存在しないが、公明党のそれは少し事情が異なる。なぜなら、公明党宗教法人である創価学会支持母体政党であり、その選挙活動にはほぼ確実と言って良い程、創価学会の現役信者を動員する為だ。

選挙期間中、信者は知り合いへの家庭訪問や連絡などの選挙活動に駆り出される。ここで言う知り合いとは友人知人という枠では収まらず、少しでも関係のある相手であれば対象となる。

創価学会信者である知り合いか選挙の時だけ連絡が来る」「深い関係でもないのに急に一方的選挙協力の話をされた」という創価学会に対する苦情は、この活動が原因だ。

信者には報酬など無く、ともすれば上記の様な活動による人間関係悪化からトラブルに発展する事も少なくない。それでも信者選挙活動に汗を流すのは、創価学会の教えが正しいと心の底から信じているからだ。

そして宗教が己の教えの正しさと信者の結束を補強する為、しばしば「攻撃するべき敵」を作り出す様に、この創価学会選挙活動においてもその手法は取り入れられている。つまりは、対立勢力悪魔である

公明党はこれまで様々な相手悪魔化してきたが、特に旧民主党勢力共産党に関しては実に過激な主張を繰り返している。

それは公明党が今回の選挙活動信者に配布した内部討議資料に、以下の様な文言が並んでいることからも分かる。

選挙目当ての野合集団立憲民主党”に騙されるな!

今春の地方統一地方選挙で、地域によっては「野党統一候補」の擁立を画策している。政策理念が相反するにも関わらず、選挙の度に野合を続け、目先の利益ばかりを優先するその姿からは、「国民生活を守る」という政治家としての責任感は全く感じられない。「実行力」も「実行する気」も無い彼らの主張に騙されてはいけない!

ーーー立憲民主党無能実態ーーー

危険1 忘れたらアカン!悪夢民主党政権はNO! 国民政治不信を増大させて、日本中を大混乱に陥れた罪は大きい!

危険2 口だけは達者!やるやる詐欺の「ペテン政党」 実現できない政策ご都合主義の甘い言葉国民を惑わす!

危険3 自分勝手な「選挙ファース党」 国民置き去り!政策そっちのけ!選挙名物「立憲の野合工作

大嘘国民を欺き続ける”日本共産党”に騙されるな!

危険1 今も昔も変わらない「暴力革命政党」 オウムテロ組織と同じく、政府警察マークされている団体

危険2 暴走する「政界あおりドライバー」 何でも反対!国民不安感情につけこむ、悪質政党

危険3 自語相違の発言国民を騙す「無責任政党」 発言が二転三転!相変わらず支離滅裂

危険4 旧ソ連母体として誕生したのが日本共産党 暴力革命ルーツ!?

いかがだろうか。この様に、まるで過激極右雑誌に並ぶ様な文言選挙活動で用いているのが公明党なのである

更に醜悪なのは、この対立候補に対する悪魔化が、デマ印象操作、物によってはブーメランであるという事だろう。

例えば、「何でも反対」だが、立憲民主党共産党も全ての政策に反対していない為、これは完全にデマによる印象操作だ。

他にも、政府警察マーク危険政党という文言だが、他国においてカルト認定され、社会問題にもなった創価学会母体公明党がこれを言うのはブーメランに思える。統一教会とズブズブの関係自民党と連立与党である事も思えば尚更だ。

悪夢民主党政治不信の点においても、自民党の連立与党として数十年間もの長期にわたり活動してきたにも関わらず、経済少子高齢化対策の面で殆ど成果を出せず、「クリーン政治」を謳いながら2021年には遠山清彦衆院議員在宅起訴されたことは記憶に新しく、また自民党の度重なる汚職には見て見ぬふりをして連立与党を続けてきた現在公明党が、他党に対してこれを言う資格があるとは到底思えない。

また、最大のブーメラン選挙協力の点だろう。公明党上記のような過激文言で他党を悪魔化する一方で、すぐに掌返しをする風見鶏の様な性質がある。

今は連立与党関係である公明党自民党も、かつては犬猿の仲とも言える状態であり、公明党は自らのポスターに「「消費税」は悪だ」「消費税はきっぱり廃止です。」と記述するなど、消費税増税を繰り返す今の状態とは言っている事が真逆だった。

維新との関係もそうだ。公明党維新に対する姿勢には一貫性が無く、これまで選挙の度に協力と対決の方針コロコロと変えている。この様な公明党右往左往に疑問を感じるのは選挙活動に参加していた信者達も例外ではない。

敵対関係にある時は相手悪魔化している為、そこから一転して協力、というのは受け入れられない信者も少なくない。中にはこの様な公明党の動きに不信感を抱き、選挙活動創価学会自体をやめてしま信者も発生している。

特に普段から活動にそれほど熱心でない創価学会所謂宗教2世3世においてはこの動きが顕著であり、こうした部分は統一教会にも共通する点だろう。

この様に、身内の信者からすらも白い目で見られる政治権力を得るためのなりふり構わない公明党こそ、上記の「二転三転」「ペテン政党」「自分勝手な「選挙ファース党」」「理念なき野合」そのものではないだろうか。信者信仰心を利用して虚言で都合よく誘導し、己の利益の為に利用する。まさにカルトである

日本の政治カルトの力を使った自民党公明党が牛耳っているという、この状況の深刻さについて、今一度良く考えてみて欲しい。

2023-03-02

25歳の誕生日

小学生の頃、学校図書室で

あんた、24歳で死ぬよ」

と言われた記憶がある。

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当時高学年女子の間で、図書室にあった占い本のシリーズが大流行していた。

星座だとか手相だとかをテーマにしたチープな装丁の本で、同じ世代の人なら あ〜あれかとわかってもらえるかもしれない。

大人気だったそのシリーズの何巻かをたまたま貸し出せた同級生女の子が私を占い、確かにそう言ったのだ。

24歳で死ぬよ、と。

その頃はそんな年齢の自分なんて想像もできなかったけど、妙に具体的な数字だったので今日までなんとなく覚えていた。

あの女の子の顔はまったく思い出せない。

もうこの記憶事実なのか、なにかの創作物とごっちゃになった妄想なのかもわからない。

ただそう言われたことと、図書室にあったオレンジ色の長机だけを覚えていた。

24歳になってからの1年、

時間フライトや車の運転中、突然体調が悪くなった時など、その度にもうすぐ死ぬのかなぁなんて阿呆なことをぼんやり考えてきた。

さな呪いだった。

そして今日、25歳の誕生日を迎えた。

ぜーんぜん無事。

余裕で元気。

元気で良かった。

モンブラン買ってきてひとりでお祝いしちゃったよ。

くだらないけど、いつもよりちょっと特別誕生日になった。

2023-02-26

anond:20081002202711

社会党社民党村山政権で連立内閣やってそのあと一気に尻すぼみというぼんやりした印象だったけれど、実際は2000年頃でもまだまだ存在感あったのか

小泉純一郎訪朝2002年。これが決定的だったのだろうか

2023-02-25

anond:20230224182101

迷いがある時点でやめといた方がいい

かなり大きな負担であり彼氏の方もそれを自覚してるからこそ言い出せない、という事情はあるにしても

愛情マックスである結婚直前の状態で感じる義家族へのぼんやりした不安は、結婚愛情が並みレベルに落ちた時には憎んで恨んでやまない憎悪になってると思う

というかなってる、そういう結婚した子が身近にいる

今の時点で迷うならやめとけ

今の時点で恋愛感情に浮かされて愛でなんでも解決できる気がしているなら止めはしないが、知人の愚痴を長年聞いている身としてはできればやめとく方をおすすめする

2023-02-24

anond:20230224140137

お前みたいなのって、どういうわけか個人情報流出怖いみたいなイメージぼんやりしたまま固まってるよな。

 

国家情報管理されるの怖い」と思ってるくせに、

楽天アマゾンメルカリに余裕で住所登録するし

インターネット占いサイトポンポン生年月日やメルアド流したりする。

 

お前の個人情報なんてとっくに知れ渡ってる、お前自身がそうしてるんだから、今更マイナンバーが何だって言うんだ。

だいたい、国家が本気になったらマイナンバーなんかなくても徴兵ぐらいされるわ。

前世記憶が蘇った

突然前世記憶が蘇った

俺は昔男だった

女になりたいと思ってたし、女だったらイージーだと思ってた。

優しいとか人当たりがいいとか言われてたし、フツメンだと思うし(チビ&&デブ&&ハゲとかではない)、家事もわりと好きだ。

会社勤めが苦痛なので、そのへんの非モテ童貞ちょろまかして結婚に持ち込めば悠々自適お気楽人生が待ってると思っていた。

 

男だった頃は女慣れしてない非モテ気持ち悪いなんて思ったことなかった。

自分童貞で女に憧れる気持ちがわかるし、哀れみと可愛さすら感じていた。

俺が女だったら理想のお姉さんになりきって乳でも触らせてやって童貞卒業させてやりたいなんて思ったものだ。

 

実際は想像と違った。

なんというか、女の体に慣れきってしまったのだ。

変な言い方だが男だった頃想像していた「お姉さんになりきった自分」は、男としての心と女の体が分離してた。

男の自分他者の体を使う感覚、だから想像の中で自由に操れた。

今は自分の心と体が切り離せない。

乳くらいならもませてやってもいいが、中に挿れられることに抵抗を感じてしまう。

遊び道具として捉えていた(自分の)女の体が絶対守るべき貯金みたいに感じてしまう。

非モテ童貞とヤるのは資金を頼りない銀行マンに預けるようなものだ。

ヤリチンならそこまで不安感はないが、性欲もあまりないのでヤリチンとわざわざヤる意味を見いだせない。

 

普通の女は恋愛感情で良さそうな男とヤれるんだろうが、俺は今でも恋愛対象は女性だ。

女性を好きになることもあるが、女友達の一人もできなかった俺は憧れの女性友達にすらなれない。

でも男だった頃あった性欲由来の独占欲とかもなくなったので、たいしてつらいと思わなくなった。

 

レズにでもなるかと思ってそっちの世界を覗いたこともあったけど、

女と結婚してもイージーになれるわけでもないし、性欲もそんなにないしメリットがない。

 

というわけで前世も今も非モテなのは変わらずだが、昔ほど惨めに感じないのは女のいいところだと思う。

性欲に苦しめられないのもそうだし、男は男同士の中で序列をつけたがる。

モテない、女に愛されない自分というもの肯定できなかった。

 

女のデメリット仕事に関してだ。

 

自慢になるが、昔の俺は理数系が得意だった。

わりと優等生だったし、国立工学部に入ってエンジニアとして働いていた。

今回もそのルートに入ろうと思っていた。工学部女子モテるし、安牌な男みつくろって結婚すればイージーだと思ったからな。

 

これは人によると思うが、女になると理数系が弱くなる。

 

昔はもっと違った。理由はわからないがなぜか理解できたんだ。

数字記号もっとくっきりと見えていた。

今は全部ぼんやりして見える。

視力問題と言うか、認識力が落ちた感じがする。

 

俺は別に数学意味とか見出してたわけじゃなくて、ただ人より出来たから好きなだけなんだな。

できなくなったら興味なくなったし、勉強する気も消えてしまった。

結局たいして興味はないがなぜか出来る英語を生かして英文科に入り、今は事務として働いてる。

 

今でも考えることは好きだ。

好きだけど、理数系の思考回路がふさがってしまったせいかターゲットリベラルアーツに向く。

社会をどうしたらいいかとか、差別はどうすればなくなるかとか。

 

そっちを専攻すればいいとも思うんだが、昔「食えもしないお遊びの学問」ってバカにしてたんだよな。

将来を考える必要のない女が学ぶものって。

その偏見が残ってるのと、実際学んだところで食っていけるイメージが湧かないので動けずにいる。

 

筋力や体力もないので仕事もすぐ疲れるし、全体的に行動力が落ちた。

とにかく昔と比べて体が重い。

オーバーに言うとクマの機動力持ってたのがパンダになった感じ。

いろいろな経験を積み重ねてあきらめるのはうまくなった。

 

なんか思う。

性が使えないんじゃ女って全然イージーじゃねえな。

結婚すればイージーなのかもしれないが、非モテちょろまかせない、恋愛感情も持てない俺にその道はかなり遠い。

男の気持ちもわかるんで、会社じゃ「話のわかる事務員さん」としての立場は得ているが、メリットと言えばそれぐらい。

2023-02-23

体がつらい(病院にかかるほどではない程度に)

ここ最近気温が上がったり下がったりなせいで自律神経が完全にぶっ壊れた。

しか今日生理2日目。

さらに今晩は夜勤

体が冷えてしょうがないし、寝汗は異常に出るし、首〜肩はガチガチで痛くて二度寝できなかったし、腰は痛いし腹は痛いし、昨日は下痢だったし、頭もぼんやりする。

明日夜勤明けでマッサージでもいこうかな、誰か新橋あたりでお手頃ないい店しらない?

anond:20230223081235

レスありがとうございますレス元です。

あなたも実際に80歳生きてみれば判ると思いますが、

例えば

孫が5歳なので、小学校卒業する7年後までは生きていたいとか

カラス仮面の完結を読みたいので、あと100年生きていたいとか

人間、その生きている時点での希望目標があります

もちろん20歳死にたいので、それ以上の寿命必要ないとか

人間の望む寿命は人ぞれぞれです。

ほとんどの人間は、望む寿命を全うしていません。

家族医師をしており、個人情報もあり直接的な話は聞きませんが、ぼんやりとした様々な話を耳にしていると、

 やはり早急な死を望む方は多くないと感じています

その限りある生の中で、皆が望む寿命を全うしたいのでは無いでしょうか。

昨今の権利権益に居座る老害の話とは、線を引くべき話だと、私個人は思います

2023-02-22

性嫌悪だけど普通恋愛がしたい

本質的には全く別の話なんだけど、セックスレスに関するエントリやそれに対する「セックスレスDVだ」という旨のコメントを読んで、性行為に対する嫌悪感自分パートナー人生に及ぼす影響について思うところがあったので自分でも書き起こしてみたいと思う。

私の性嫌悪根本は、幼い頃に5つ上の親戚から受けた性的ないたずら?によるものだとぼんやり思っている。

小学校低学年か保育園児くらいの時、近所の親戚のお兄ちゃん性交渉の真似ごと(というかほぼ本番に近い)のようなことをされている時期があった。相手も私も子供だったし、その時は何をされているかからずただ痛いから嫌というだけだったんだけど、あとからその行為意味を知って気持ち悪さが追いついてきた感じだ。

今でもなんとなく性行為に対して汚い、気持ち悪い、という感情がある。

性欲がないわけではないので、10代後半から20代前半くらいの頃はBL百合ものエロ漫画なんかはよく読んでた。だけど男女のものになると嫌悪感が勝ってダメだった。BL百合なら大丈夫なのはファンタジー感が強いからだったのかな。今はもうBLだろうが百合だろうがそういう性的ものに興味が湧かなくなっちゃった

高校生の時に付き合っていた彼氏とはプラトニック関係だったので、自分が「性嫌悪」にあたると気づいたのは大学生の頃だったと思う。

お互い一人暮らしで家が近かったこともあり彼氏とは家で会うことが多かったのだが、並んで座って笑いながらテレビを見ているとなんとも居心地の悪くなるような視線を感じることが多々あった。

私はなるべく目を合わせないようにしたが、ハグしたいという彼氏要望を断りきれずやっつけ仕事みたいにハグをしたのを覚えてる。それから彼氏と会うのが嫌になって結局数週間後に別れてしまった。その後にも一人付き合ったけれどハグもせずに別れてしまった。

世の中のカップルがどんな流れで性行為に至るのか想像もつかない。特に女性の方、抵抗ないのかな。

20代半ばを過ぎたけど相変わらず彼氏はいない。

学生時代には彼氏以外にも好きな男がいたから、Aセクというわけでもないと思う。

ただ、今考えれば私が好きになる男性はいつも友達として仲良くしてくれていた人で、私のことをよく知っているのに私のことを一切女として見ない居心地のよさを気に入っていただけかもしれない。

最近結婚のことも考え初めてマッチングアプリを始めたけど、マッチングしてデートするところまでは行ってもその次のステップのことを考えると親密な関係になるのが怖くてその先に進めない。

仕事に生きるには能力が足りないし、趣味時間潰すほど凝り性でもないし、30超えてから結婚相手を探せるほど美人でもない自覚があるので今のうちに彼氏を作りたいんだけど、相手の望むような性生活提供できる自信がない。

かといって自分に女という性以外に差し出せるような魅力があるとも思えない。

生涯のパートナーがほしいのはもちろんだけど、彼氏にお弁当作ったり、記念日にはちょっといいレストランに行ったり、2人で旅行したり、っていう普通カップルがするようなことへの憧れがある。ただ、そこに性行為は含まれてない。

セックスレスDVだってコメントがあったけど、セックスファンタジーしかない世界で生きてきた人間からするとけっこうな衝撃だった。

実際のところその考え方がどれくらいの割合の人に当てはまるのかはわからないけど、もし大半の人がそう感じるとしたらこからDVする可能性があるのに恋愛をしたいと思うのは傲慢なんだろうか。

今まで付き合った人に心を許せてなかっただけで、自分が本当に好きになった人に望まれて、ちゃんと心の準備ができれば普通セックス出来るかもしれない。今はそれに賭けてマッチングアプリやってるけど、1回女風にでも行ってみた方が肩の力抜けていいんじゃないかとすら思い始めた。

こういう話をすると同じように性行為苦手な人と付き合えばいいって言う人いると思うけど、そういう人はまずアプリあんまりやってないし性欲のない男性探すのって若いDINKs希望20代婚活以上に難しいと思う。

メンタル問題自分をノンバイナリーと思い込んでいた話

トランスジェンダーとその差別問題話題になってるから私の体験談を書きたいと思う

増田なので叩きは好きにどうぞ

当方23歳女

ASDADHD持ち

公立小学校特別支援学校高等部

精神疾患はないが精神科にかかっている

小学校の時は、絵が上手い子で有名だったし、大人しくて目立たない子だったけど、女の子らしい子ではなかったな

まり2013年精神科デビューしたこと

昔出された性教育の本は読んでいたし、言葉能力は優れていたので性知識Wikipediaで得た

精神科デビューの少し前に生理が来て、感覚過敏やら内科的な痛みに敏感なのもあってこの上なく嫌だった

当時は精神科医も支援者も、まだ変なのがいた

私のネット依存に対して、ネット機器を取り上げたりとか

後に知ったことだが依存症から依存対象物(例えばアルコール依存症ならアルコール)を取り上げるのはよろしくないんだって

それから自分はなんなんだろうか」と考え込んだ

性同一性障害と思い込んだんだけど、これは性同一性障害Wikiを見て存在は知っていたのでそれを思い出して「GIDかな?」と考えてた

バイセクシャルなのかもとぼんやり思っていたが、当時は明言できる程ではなかった

今はミレーナ入れてるけど、当時はPMSと経血が垂れる感触が嫌で何とかしたかった

当時は二次障害もあって母娘共に地獄だった

母親しょっちゅう殴ってたし、中2から不登校になった

ネトゲ廃人に片足突っ込んだり昼夜逆転して散々だった

でも上下両方の手術、ホルはしたくなかったし、可愛らしい女性と思われたいので胸や女性らしい体型はまだ好きだった

当時好きだった椎名林檎が歌えなくなるのが大きかった

この頃から自分ジェンダークィア、ノンバイナリーと思い込むようになった

ネットで調べて当てはめていったらそうなったんだと思う

その間に、精神科病院を何度も転院した

ネット禁止は1つ目の精神科だけど、2つ目の精神科先生が若手の人で慣れておらず、暴れる度に薬を大幅に増やされた

3つ目の精神科なんか最悪だった

先生が、言っていることは間違いでは無いが伝え方が下手な先生だった

例えば中3の私に「過去5年間にやった事を反省しろ!」とか、殴りたくて殴っている訳ではないのに「人を殴るのは異常だ」とか

それで病院に行く度にストレスを感じていた

思えばこのストレスもあるんだと思う

その後高等部に進学した

養護学校では一応形だけの受験はあるけど、学力を見る側面が大きい

その前後(2015年位)からLGBTが取り沙汰され始めた

それもあって余計に自分の性について色々考え始めた

女性の体はそのままでたかたから、エロ漫画であるようなふたなり女子になりたいと本気で思っていた時期があった

数年後

3つ目の精神科先生の幻影が見えた

それを突き飛ばしたら婆さん2人だった

言い訳にもならないが当時は病院にもろくに行ってなくて、切羽詰まった状況だった

よく心神喪失とかあるやん?あれは善悪区別がつかないと言うより、どちらかと言えば「そうせざるを得ないほど正常な判断ができない」に近いと思ってる

事件化して、私は逮捕された

逮捕時の取り調べで部屋に連れてこられた

あるのは大きな白い机とシンプル椅子刑事ドラマであるようなライトはない、あるのは軽いデジタル時計だけ

危険防止の為らしい

そこで身上を書いたり色々供述を述べた

時度供述調書を見せてもらい、必要に応じて私が手直しした

弁当差し入れられた

少し温かく、普通に美味かった

さなカリカリした梅干しの入った弁当だった

そこで精神科入院となった

3つ目の精神科

私は嫌だと言った

白い車に乗せられた

扉を開けると保護室だった

3つ目の精神科は、個室はおろか保護室にすらナースコールのない病院だった

先生から簡単には退院させんぞ!」と言われた

すぐさま私は怒って退院請求をした

理由もきちんと述べ、転院したいと書いた

それもあり私は転院し、そこで認知行動療法などの治療を受けた

ここでの治療については、専門書の類ではないのと、読みやすさの観点や本題とずれるので詳細は控える

その頃から患者さんとのやり取りなどで異性愛の男女の作法や、一般常識を徐々に知り始め、自分はノンバイナリーではなく、本来ビアン寄りのバイセクシャルではないかと考えるようになった

退院後は一悶着あって、その反省で自立の為の繋ぎとしてだが、生保を貰い一人暮らしをする事になり、彼氏も出来た

まだ先だが、彼氏同棲する事が決まればもちろん生保は切るつもり

最近、休息の為に入院したのだが、入院中に離人感(自分と外の世界の間に膜が張られているような感じ。現実世界VRに見えて少し面白かった)と解離性健忘(色々忘れて彼氏に怒られるくらい酷かった時期がある)が治った

安心出来る環境であったことなど様々な要因が絡んでいるのだと思う

私は忘れていた記憶を取り戻した

ずっと抱えていたもの

何となくモヤモヤする感じがあり、それにより分からなくなっていたのだ

それを自覚してからはノンバイナリーという概念から縁を切った

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