はてなキーワード: Rom専とは
今のジャンルではいくつか小説やイラストを描いてはみたものの、ほとんどROM専。
いつも片思いフォローしている神絵師や神字書きの供給を受け取ってばかりの存在で、本当なら絵描きにも字書きにも認識されないタイプの人種。
それでも、今のジャンルが人気が出た当初からこのジャンルのおたくとしては存在し、
最初期に私が作品を数点あげたことがきっかけで、仲良くしてくれるようになった絵描きさん、字書きさんが数人いたりする。
ここのところ界隈には常に不穏な空気が漂っていた。
いろんな絵師さん、字書きさんが口々に「嫌いなものを好き好んで見に来なければいいのに」とか、
「あいつらって本当にヒマだよね、無視が1番」などと呟いていた。
これが推しカプのアンチに対しての文句だということに気づくのに大した時間はかからなかった。
もともと、人気もあるが叩かれやすいカプで、ジャンル開始当初から5chや愚痴垢などが推しカプを叩いていることに私は気づいていたからだ。
私の友達になってくれた絵師さん、字書きさんもそのことを愚痴り、界隈では連鎖反応が起き始める。
アンチが作った愚痴垢やスレのことなどまるで知らずに活動していた人たちがどんどん知り始めた。
鍵垢が増えていく。
毎日毎日、絵師や字書きが「界隈荒れてるのでもうやめます」などと一言を残して垢消ししていく。
どうしてそんなことになったのか?
彼女のことをAとする。
Aの言い分はこうだ。
「こちら側に迷惑行為をした人がいて、それはこのジャンルではルール違反。
その1人のせいで界隈の全員が迷惑している。
これからこのジャンルで活動していく全員の首を締めることになるので、
このジャンルにいる全員に行動を改めてもらいたい」
と、1000人近くのフォロワーがいる垢を鍵にして騒ぎ始めた。
さらには、
「今回何が起こっているのか、知らない方にはDMしてくれたら教えます」
さらには、このことを察知したアンチ側の人間が、勢いを増して推しカプを叩くようになったのだ。
アンチ側にはお題箱を設置している人間がいて、アンチに賛同する意見、また、アンチに仕返ししたい意見などが集まっていて、常に火に油状態になっている。作品や作家の晒しなども行われている。
アンチはアンチで私の推しカプを叩く、私から見たら最悪の集団だが、
この事態をここまで大きくしたのは、間違いなくAの存在だと思う。
さらにどうやらAは、A目線で見て迷惑行為にあたる行動をとっているオタクに直接DMをして、その行動を止めるように促しているようだ。
しかし断られると「界隈のみんなを守りたいからDMを送ったりしているのに悲しいことばかり言われる。一部の方のせいでみんなが迷惑をするのが1番よくない」とツイート。
…守る?どこが?
「今晒されている方はフォロワー数の少ない方です。気づいた人は優しく指摘してあげてください」
カチンと来る言い方にむかっ腹が立つ。
Aは鍵垢とやりとりしていたので、相手方のツイートを見ることはできなかったが…
「ツイートが愚痴垢に晒されている人に鍵をかけたほうがいいとDMしたら『あなたの評判はとても悪いですよ」と言われてブロックされた」
「フォロワーさん100人程度の人。こういうキチガイのせいで界隈が荒れるのが耐えきれない」
「迷惑な人が早く別界隈に消えて欲しい」
………。
正直言ってこの界隈はもうおしまいだと思う。
彼女は「一生懸命頑張ったのに、界隈を守れなかった」と呟いたりするんだろう。
おまえの余計な正義感がジャンルを潰した意識など、まるで無いままに。
全体の流れを見ていると、アンチの存在を知らなかった人たちに余計な恐怖を植え付けて、Aのせいで界隈全体が萎縮していっているように思えてならない。
Aと仲のいい人の中にも、Aに引いている人がいるのではないだろうか?
僕は腐男子である。異端であることは重々承知なのだが、ずっと息苦しくて仕方がない。中学生の時にこっそり読んだ姉の某92擬人化BL同人誌に突き落とされてしまって以来、ずっとだ。
これはひとえに小心者であるが故なのだが、でもなってしまったものはしょうがないし、同胞の作品は絵でも文でも口に入れたいし、作品を発表して萌えを共有したいという当然の欲求が出てくる。少しここで息苦しさを吐き出すことを許されたい。日記って書いてスッキリするところあると思うし。
まず僕がBL作品に出会ったきっかけは前述の通りである。それまでの僕はよくいるタイプのクソガキロードを辿ってきた。と思う。
幼少期は車が大好きで一日中ミニカーでブンブン言っていたし、小学生に上がると遊○王やらポ○モンやらのカードを集めて争い、近所の友達と寺の木登り競争をして落下して頭を縫い、ワールドホビーフェアとかにも行った。
じゃあトリガーとなった姉はというと、気付くと既にオタロードを走っていた。姉の部屋はキラキラした顔がいっぱいで、漫画も沢山持っていた。パソコンに向かってニヤニヤしてる時もあったので、まあもう腐っていたしサイトも飛び回っていたんだろうと思う。話し方もオタ丸出し。当時そんな彼女に抱いていた感情は、“恥ずかしい”だった。
とか言いつつ僕にも当時、誰にも言えない密かな趣味があった。「不在中の姉の部屋に忍び込み、彼女の所有する漫画群を読み漁ること」だ。自分でもコ○コロやジャ○プを買わないこともなかったが、はっきり言ってたまに読めればそれで良かった。まず買うのが面倒くさいとか、途中だから話がわからないとか、そういうのが勝ってしまっていた。
今思えば平手打ちものなのだが、とにかくスリリングな読書タイムにハマっていた。その日も同じ犯行に及ぼうとして、少し様子の違う本を発見した。それが件の某92擬人化BL同人誌である。
衝撃だった。
元ネタの方は(刊行版だが)既に姉の部屋を漁り、読了済みだった。知ってる漫画の登場人物達が、まさかあの二人が、そういう関係だったらどうなるかを描いた漫画が存在するなんて。
ここで面白いと感じ、他にもないのかと検索をかけてしまったのが全ての敗因だと思う。
その日のうちに僕は個人サイトの存在、pixivというサイトの存在を知り、漁っていくうちに自らがどっぷりハマりこんでしまったのである。後から気付いたのだが姉とは逆CPだった為、彼女の部屋に忍び込むことはこれ以来無くなった。
腐った趣味を得たことは友達の誰にも言ったことはない。徐々にオタク化もしていったが、小心者の僕は高校に上がっても一人でメイトにすら行けなかった。あくまで姉の付き添いという態で無ければ行けないような、オタクとも呼べぬカスだったのである。
まあでも一人で行くようになる頃にはpixivアカウントを取得し、ツイッターもやるようになっていた。しばらくのROM専を経て、僕はアカウントを増やして自ら二次創作をするようになった。途中某事務所プロデューサーになったりもしたのだが、結局のところは大体いわゆる女性向け界隈にいた。
アウェーなことははっきりと分かっていた。
ここでも僕は小心者を発動し、男であることは伏せていた。感想を送るにも何を呟くにも敬語で一貫し、顔文字や絵文字の使い方にも気を遣った。女ですと騙っていた訳ではないが、つまるところネカマに違わない。
だが、男のままで界隈に居座る勇気はなかった。腐女子は許されても、腐男子は許されないと勝手に感じていた。始まりの地である某92擬人化ジャンルは比較的男性を見かける方だったと思うが、それでも取り繕うことはやめられなかった。女性の目はもちろん、男性の目も怖かった。
そんな中、唯一真実を知っているのは姉だけだった。結局僕は腐男子バレし、珍獣扱いをされている。分かってはいた。彼女に悪気は無い。悪意なき侮辱だ。だからこそ、姉以外には隠し続けた。同じことを繰り返したくはなかった。
なんでそこで作者の性別が出てくるのだろうとシンプルに思った。女性の手によるものは、無性別だろうに。男が作ると女の作った一作品と等しくは見てもらえないのか?
それがポジティブな意味であれ、ネガティブな意味であれ、線を引かれていると思った。同じように楽しんでは貰えないのかと、自分の作品の感想ではないが少し落ち込んでしまった。
姉も似たことを言っていたことがある。バレた時に言われた言葉もあって、僕は彼女に二次創作活動をしていることは明かしていない。
はっきり言って気にしなきゃ良い。何もそこまで考えて呟かれたものでもないだろう。
だが小心者の僕には、耐えがたいものがあった。ショックのあまり、ありのままで呟いてしまった。ROM垢だったし、少しくらい構わないだろうと。「差別とまでは行かずとも壁を感じる。そんな自分の感性がしょーもな過ぎて辛い」と。
でもそこに、反応を下さった方がいた。一緒に悩んでくださると共に、ご自身の腐女子ならではの葛藤もお聞きした。
こちらが拝見するばかりの関係だったにも関わらず、だ。とても勇気をもらった。
まあ現在彼女が僕をどう思ってるかは知らないが。というくらいには月日が経つ。
結局のところ未だに僕は変われずにいる。小心者から脱却できず、ぬるいネカマで作品を投稿し続けているのである。実際頂いた感想にも、「貴女」と書かれていたことがある。立派な嘘つきだなと思った。心も痛いしそろそろネカマ行為をやめたいのだが、やめる勇気もない。それでここに駄文をしたためている。やはりカスである。高校生から何も変わってない。
もし変わる為一歩踏み出すのなら、すっぱり「私」を殺してしまって転生するのが堅実かと考えている。全く別人として、新たなアカウントを運営していくのが良いかと。
しかしまず僕は、姉に謝らなければならない。今でも僕は、姉に然るべき謝罪もしていないのだ。こういうところから、変わらなければならない。
フォローというわけじゃないが、姉の存在も悪いことばかりでは無い。大体好きな作品の系統は同じだし、推しになる人物は大体重なる。気兼ねなく話せる、好みが近い人がいるのは非常に良い。
しかしながら、姉とはことごとく逆CPになってしまうのである。これも高校生の時から変わっていない。二人の関係についての解釈は概ね同じなのに、結論のカップリングが逆になってしまう。僕ら姉弟は両者ともに左右相手完全固定タイプなので、互いが最強の地雷なのである。姉が弟×兄が好きであれば僕は兄×弟が好きだし、姉が青×赤が好きであれば僕は赤×青が大体好きになる。
前者については「今回は左右同じだと思ったのに〜!」と言われたが、僕は一度もその感覚に陥った事がない。何を根拠にそう思うのか。傲慢だとは思わないのか。多数派は正義ではない。僕はこの味を食べたいからこの味を作って美味えなとなる。この感覚の差も縮まる事はないのだろうなと思うと、息が詰まる事がある。異端なのはこちらだとわかっているからだ。
身バレ覚悟で書いてます。昔、親がネトウヨになっててヤバいみたいな記事を読んだのですが、その逆みたいなやつです。
元々両親ともに政治に関心が高く、幼少期はサンデーモーニングを見るためにチャンネル権を奪われ、プリキュアが見れなかった。まあ、政治の話するのは自由だし(プリキュアが見れないのは嫌だけど)いっかとは思っていた。幼〜高とスクスク育っていった私だったが、小学校高学年の時に「インターネット」に出会った。当時の私はインターネットの情報をすぐ鵜呑みにしてしまい、掲示板に溢れる陰謀論のようなものもすぐ信じてしまい、親に話してしまった。(今となっては黒歴史である)その度に親は「インターネットの情報は嘘が多いんだから、気をつけなさい!」と言っていた。
数年が経ち、私はTwitterを始めた。最初は使い方がわからなかったが、今では慣れ、オタクトークを楽しくやっている。そんなある日の事だった。両親がFacebookを始めた。
まあ、両親共に趣味がある人だったのでそういう趣味のことを話すためなんだろうなと思った。数日後に父親が「面白い動画があるよ!」とタブレットを見せてきた。犬とか猫の動画なのかなと期待して覗いた。
……そこには文字だけがゴテゴテと載った陰謀論を流し続ける動画があった。
「本当に首相そのものだよな〜」父は笑いながら見せた。そうだね、と私はちょっと引き気味に同調した。
まあ、その時からそういう傾向はあったのかもしれない。
話は変わるのだが、私は幼少期から「人の悪口」を聞くのがメチャクチャに苦手だ。たとえ嫌いな人だったり、悪人だとしてもその人の預かりしれぬ所で悪口を言うという行為がなんというかとても卑怯に思え、すごく嫌な気持ちになるのだ。
文字だけの動画を見た時、私が「嫌だな〜」と思ったのは、こういう事なのだろう。
数年後、私は家を出て働きはじめた。そしてこの2~3年前くらいになってから、勤務先が近いとの理由で実家に住むことにした。実家に帰ると、親がTBSのラジオにどっぷり浸かっていた。朝から晩までラジオによる政治の愚痴を聞かされ、部屋に籠ったり出かけることが増えた。食卓でも政治の愚痴や政治家の悪口を聞かされた。同調しないと、納得するまで反論された。
正直しんどかった。いや、全てが全て逆の考えを持ってるとかそういう訳じゃないけどあいちトリエンナーレの件では「一方の政治的な主張ばかりするのはどうなの?」と言ったら、同意するまで「今までの安倍政権が…」「歴史的なものを無視するな」と言われた。福祉とかそういうのに関してはわりかしまあそうだよな…という気がしたけど、めちゃくちゃな事を言うこともあったので話を逸らしたり同意をしながら過ごした。
また、両親が特にキレていたのが「NHKはアベのことばかり報道する」と言う点だった。いや、完全にお前の認知バイアスだろ……と思っていたが、そうだねと同意するしか無かった。
そのうちに母親がTwitterを始めた。「政治の情報収集をするから」との事だった。いわゆるROM専とのことだし、スマホ関係に疎い母親のことだからオタクアカウント(下ネタとかBLのことしか呟いていない)が見つかることはないだろう、と思ったが怖かったので、こっそり盗み見してアカウントを特定した。初期アイコンかつ初期idの母親のアカウントは、ネット論客や偏った報道で有名なメディアが。いいね欄にはツッコミどころ満載のアベアンチの漫画があった。
親の気持ちはわかるし、今の政府に不安な気持ちも分かる。森友問題とか説明しろよと思うしね。だからといって、コロナの件で経済も医療も回すのわりと無理ゲーなのに、四六時中ずっとそういう話を聞いて共感して同調して不満をぶくぶくと膨れ上がらせている人にもなりたくない。というか、不満ぶくぶくクリーチャーに親がなってしまっているのがとてもしんどい。
これをもし親がみているなら、インターネットや政治的な考えと少し距離を取って欲しい。まず、穏やかな気持ちになって欲しい。あなたが不満に飲まれる必要は無いんだ。
わたしはROM専で、自分で作品を生み出したことはありません。
それは、神絵師さんと神字書きさんに妄想を押し付けていたのでは?ということです。
神絵師さんだから、神字書きさんだからきっといい人なんだろう、というわたしの妄想を勝手に押し付けていました。
(ここで1つ言っておきたいのがいい人、の定義はわたしなりの定義です。うまい言葉が見つからなかったのでいい人、としていますが詳しくは「わたしと考え方や価値観が合う人」という認識です。)
これは実体験なのですが、Aさんの作品を拝見し、素敵な作品だ!と思いすぐフォローをしました。Aさんはとてもフォロワーが多く、たぶんいわゆる「神絵師」に分類される人です。
でも、日常のツイートであれ…?そんなこと言っちゃうの…?というようなことが多くありました。
その度にすごく残念な気分になっていました。
でもそれってわたしが勝手に神絵師=いい人っていう妄想を押し付けていたんですよね。
その人に直接悪いことをされた訳でもないのに、自分と価値観や考えが違うからって勝手に不快になってた。
Twitterで検索すれば絵は見れるし、わざわざフォローして不快な気分になるってすごい相手にも失礼すぎる…。
神絵師さんや神字書きさんに対してそれはちょっと…って思うようなことあると思うし、神絵師さんや神字書きさんの言うことや考えが絶対正しいわけじゃないと思います。(常識的なことを除いて)
そう思ったときは、焼きマシュマロやクソマシュマロ送るんじゃなくてそっとフォローを外すことが1番だな、とわたしは思います。
人間なのでなんか性格合わないな〜って人います。絶対。たぶん。きっと。
文才なさすぎで意味わかんないこと言ってますが、マシュマロなどの匿名ツールは好きな絵師さんや字書きさんに、直接感想や気持ちを言うの恥ずかしいけど伝えたい!ってときに使おうぜ!!!!!って話です(?)
匿名でしか書けないことだが、私は小さい頃からR-18作品を見たり書いたりしてきた。
我が家には子どもが自由に使用していいパソコンがあり、私は時間があればネットサーフィンを楽しんでいた。母も父も特に使い方などを教えはしなかった。ネットリテラシーに欠けまくった私は検索して出てきた記事にあるリンクに片っ端から飛んでいた。そうすると怪しいエロサイトに辿り着いたりする。その衝撃的な内容に驚く間もなく、身体が疼いて興奮してしまった。性に目覚めたての小学生(この頃9歳〜10歳である)の執念は凄まじく、夏休みには一日15時間くらいひたすら二次系のエロ画像まとめサイトを延々巡っていたこともある。自慰をすることもなく(膣が勝手に収縮する感覚はあった)、ただ興奮しながら見るだけだ。もっとマシな夏休みの使い道があっただろうに…。
エロを見ることに対する罪悪感はまるでなかったが、いけないことだとは分かっていた。コンビニに置いてあるエロ本に近づいた時、「子どもは見ちゃダメよ」と側にいた母から言われたし、何よりサイトが「18歳以上ですか?」と警告してくる。それでもバレなきゃいいだろうと開き直っていた。
そして私は12歳の時に色々あって腐女子になった。ひたすらパソコンでカップリングを検索し、残されていた個人サイト(全盛期は過ぎ去っていた)をたくさん巡った。そこでも平気で所謂「裏」「背後注意」と表記されている作品を当然のように見ていた。何度「18歳以上ですか?」と聞かれてもyesと入力し続けた。
やがてpixivの存在を知った。ユーザー登録しなければ見られない作品が多かったので、悩んだ末にアカウントを作成することにした。
そこで私は年齢が20歳になるように誕生日を登録した。こうしなければR-18作品を見られないことを知っていたからだった。初めてそこで罪悪感と薄暗い後ろめたさが生まれた。
ROM専でいれば良かったものを、私には制作意欲が生まれてしまった。推しカプの作品を作りたくなったのである。絵で作りたいものを表現するのは難しかったので、先ず文章を書くことにした。pixivの作品投稿のページに直でチマチマと1000文字〜3000文字?の小説を書き込んだ。タイピングが遅すぎて半日くらいかかった覚えがある。とにかく無事に嗜好を詰め込んだ作品は完成し、その日中に投稿した。
12歳のクソガキが書いたその小説は思っていたより評価された。運が良かったとしか言いようがない。書いた推しカプは旬ジャンルで波に乗っており、私はそこに女体化と妊娠要素を乗っけていた。(人を選ぶ要素のある作品は一定のニーズにより評価されやすい気がする)ブクマは最終的に300程頂いたと思う。ありがたい話である。
勿論文章は下手くそ極まりなかった。めちゃくちゃ改行するしポエムのような心理描写が並べられているだけの小説だった。語彙もなく背景描写もなく、今でも内容を思い出す度恥ずかしくなる。今あのクオリティーで出せば3ブクマとつかないだろう。
あの頭の悪い文章たちをちゃんと読者は成人済の書いたものだと信じていたのだろうか?未だに誰かにはバレていたんじゃないかと思っている。
それでも作品を評価されたことが嬉しかったし、もっと書きたいと意欲的になった。時間が有り余っていた私はどんどん書いた。三日おきに投稿していた時もあった。ちゃんねる風にも手を出したり新しくはまったジャンルの小説も書き始めた。
好き勝手書いた作品に点数もブクマもコメントも頂けて、二次創作は順調に幸せだった。
しかし成人を騙れど中身は思春期真っ盛りの子どもである。イタイ時期が私にもあった。(これは現在進行形かもしれない)特にキャプションにそのテンションは如実に現れていた。腐女子特有のキャラ語りの気持ち悪い文章だとか、中学生イキリオタのノリだとか、ひたすらポエムを並べたりだとか…その辺だ。ここにも到底書けない。恥ずかしい限りである。
ちなみに当時の名前は“キルリマ”と読ませる当て字だった。好きな厨二臭い漢字を入れて下されば幸いである。
自分を何故か居酒屋の娘だと設定し、フォロワーとメッセージ上で交流したこともある。本当にチョイスの意味がわからない。高校の頃の苦手科目を聞かれて焦ったこともある。中学一年生には何も分からなかった。
結局最初に作ったアカウントは、「あ、やり直したいな」というある日の思いつきで消去した。使用歴は半年ほどである。
そしてすぐに作り直したアカウントは今日まで続いている。そこからは比較的真面目に書き始めた。依然性癖は変わらなかったが、文章はちょっとだけマシになった。
そして新アカウントでとうとうエロを書いてしまった。ギリギリ中学一年生だった。しかも内容は強姦である。馬鹿じゃないのと思う。その時にエロを書くのは難しいと知った。キャラに喘がせながら喋らせるのは難しいし(『ぁ』とか『、』などの適切な量が未だに分からない」の性器の比喩表現も一歩間違えたらギャグになる。あと単純に文章力が低いので艶やかな文体に出来ないのだ。出来上がったのはただの拙い成人向け小説であり、エロい文章ではなかった。
それでもこりずにいくつか書いた。挿入なしのプレイものばっかり書いた。意味がわからない。しかしネタに走ったわけではなく、大真面目に書いていた。
中学校三年間で書き上げて、今でも削除せずに支部に残してある小説は40程ある。評価数はブレブレでブクマだけで言っても1桁から4桁までまちまちだ。正直字書きとしてのレベルが分からないが、凡才だったことには変わりない。私の作品は「特殊属性(女体化、妊娠、過去捏造シリアス、嫌われ、ちゃんねる系)」がついていないと評価されない傾向にある。純粋な文章力はたかが知れていた。
最古の小説は6年前のものだ。それを怖いもの見たさで読み返しては勝手にダメージを食らっている。
高校に上がってから部活で忙しくなり、小説は書けなくなった。支部のアカウントはROM垢と化した。Twitterにも成人向けと騙ったROM専アカウントがあり、私は日々両方で二次創作を漁るだけになった。
途中うっかりnmmnにハマり、検索避けが備わった件のサイトでいくつか軽い小説を書いた。そこでも年齢を偽った。18歳以上じゃないとフォローできない方が多かっただけでなく、単純にエロを書いてしまったからでもある。内容は複数人ものだったと思う。未だにまともなセックスを書いたことがない。
そして今年の春に18歳を迎えた。4月1日になった瞬間に今まで我慢していた成人向け同人誌と目一杯買った。エロ同人もAVも買った。購入だけは18歳まで出来なかった。(だからどうしたということではあるが)
ここまで長々と自分の創作記録を書いてきたが、実は自分のしたことに今は全く罪悪感を持てていない。後ろめたさは確かにあるが、皆やってるんじゃないかと思い込んでいるのだ。
ちゃんと18歳まで一つのエロを見ることもなく過ごした人を心から尊敬する。とびっきりの自制心をもって制御できる方だと思う。いや、単に私の心が弱すぎるのか。それとも性欲が強いのか。
一つ思うことは、上に書いた支部のアカウントが特定されないか、ということである。別に晒されても燃えても仕方のないアカウントだが、上の情報だけで特定できたらすごいな〜と思う。
少し前に話題になっていた「おけパ」ことおけけパワー中島で有名な同人女のはなし、最新話を読んだのよ。同人女③と④ってやつだね。これ、自分にも覚えがある。①や②も好きだけどね、③-④の方が共感性が高かった。そしてその主人公を羨ましく思う。
https://www.pixiv.net/user/32130471/series/87285
自分も、昔好きだったジャンルで入り浸っていた小説サイトがあった。ゲームジャンルなのだけど、メジャーではない。でも決してマイナーほどではない供給があった。界隈に数多ある作品の中で、そのサイトの小説が一際好きだった。
その頃の自分はオリジナル漫画をメインとして据えていたので、二次創作をしたことがなく、完全なる一介のROM専としてその小説サイトに日参し、更新があれば感想を述べるなどをしていた。思い上がりでなければ、名前を覚えられていたような自負もある。しかしそれ以上の交流はなかった。それに満足していた。彼女を褒め称える場で、自分の話をする必要はないと思っていたからだ。今は少し後悔している。
いつしかその小説サイトの更新は途絶えてしまう。寂しいなと思いつつ、時折思い出しては小説や日記に更新がないかをチェック。過去作を読む。その繰り返し。ジャンルも衰退し、完全なる放置サイトと化していたので、油断していたのかもしれない。
数年後、サイトは消えていた。まさかと思った。消えるとは全く想定していなかった。今まで色々なサイトが消えていたのに、なぜその危険に気付かなかったのか。他のサイトが消えてもそれほど大きなショックがなかったからだ。危機感が足りなかった。消えることを知っていたらローカル保存していただろう。何も残っていない。何度も読み返したけれど、断片的にしか思い出せない。消えてから更に数年経った今では、好きだったという感情しか思い出せないのだ。
最初のうちはひどく落胆して、それ以上のことはしなかった。けれど月日が経つたびに中毒症状のように読みたくなった。ふとしたワードでそのゲームを思い出すと、彼女の小説が読みたくなった。探した。兎に角探した。Twitter、Web検索、Pixiv。サイト名や作者の名前、ジャンル名いろいろ組み合わせてみたが、見付からない。相互リンクしていた人のサイトが時折ヒットしたが、そのサイトももはや廃墟だった。今やそれすら見付からない。
作者の一次創作サイトは幸い消えていなかったが、こちらも長いこと更新がない。それでもブックマークしていて本当によかったと思い、そこに書かれていた連絡先へ、ドキドキしながらメールを送ることにした。当時◯◯と名乗っていた者です。あなたの小説がまた読みたい、どうか何らかの方法で公開していただけないか。要約するとそのような内容であったと思う。つらつらと長文になってしまったが、失礼がないか再三確認をした。送信後、メーラー・デーモンは返ってこなかったが、未だ返事もないため届いたかもわからない。
その後も検索をやめられなかった。似たような境遇の人はいないかと探した。同じサイトの作者を探す人の嘆きがあれば、気持ちが和らぐような気がした。しかし見付からない。自分のツイートしか出てこない。好きだったのは自分だけだったのかと錯覚した。そんなはずはない、他と比べるのは悪いが、彼女の文章は抜きん出ていた。文の端々が瑞々しかった。記憶が美化されている自覚はあるが、当時の自分を夢中にさせたことは記憶違いではない。好きだった。
未だに彼女を探している。
もはやジャンルに戻ってきて欲しいのではない。新作を書けだなんて思っていない。あわよくば過去作を再度読ませて欲しいが、それ以上のどうこうはない。新ジャンルを楽しんでいるならそれでいい。
この漫画は一貫して努力が報われる幸せな終わりを迎えているが、自分にはそれがついぞやってこない。努力が足りていないのか。
あの頃、絵を描いていることを伝え、当該ジャンルで二次創作に乗り出していたら、彼女と何らかの交流が出来ただろうか。その行動をしたところで、興味を持ってくれる保証なんてないのに。
ただの吐き出し。
ジャンルAはそれなりに大きい、BCも母数がどんどん増えている。
最初は自己満足だったのに、増える閲覧数とブクマがとても嬉しかった。
今までここまで人に構われたことがないので、なんだかドンドンとタガが外れたのかな、とも思う。
ここまで同人活動をするのはジャンルAが初めてで、今まではROM専。
BCの短文を書き続けてたら、恐らくそこそこジャンル内で有名になった。
今までROM専なのでこんな事はもちろん初めて。フォロワー数が一気に増えて、有難い事にファンです、なんて言葉も頻繁にいただくようになった。
のが、いけなかったんだと思う。
Pixivでブクマ数が3桁に乗らないことが多くなった。なんだか落ち込むようになった。
ブクマ3桁なんて、本来中々あることではないだろう。だけど、最初に書いたBCでブクマ数がものすごく増えていったのだ。
BCの勢いが本当に凄かった。毎日毎日新しい作品が上がり、新しい書き手が増え、大手さんも多くなり、BCを満遍なく追うのが難しいくらいに母数が増えた。
自分はBCの母数が少ない頃から書いていた。それで最初の頃はブクマ数が凄くなったんだと思う。それだけなのに。
初期からいるからブクマ数が多くなる→新規参入の人もとりあえずブクマ数高い作品だから読む→自分が知られる、というループが出来ているのもあるのだろう。
最近は、書いてもそんなにブクマ数が増えない。Twitterでも、イイネとRTが伸びない。
自分が好き勝手に書いているだけなのに、なんで反応が鈍ると落ち込むのだろうか。本当に嫌だ。
BCは好きだ。自分が読みたいと思ったものを書いているだけなので、周りへの配慮もない。それでも反応が多かったのが、今まで二次創作をしたことのない自分を勘違いさせたのだ。
自分は人気があると、僅かでもそう思えてしまうだけの材料があった。
書けばすぐにブクマが付き、Twitterに上げればRTは伸び、RT後の感想もあり、マシュマロもたくさんもらった。
それが、変わった。
ブクマも伸びない、通販もそこまで捌けない、今度のイベントで本を出すのでその取り置きを募集したが声が少ない。
もちろん声をかけてくれる方は一定数いる。毎回きちんと反応をくれる方はいる。とてもありがたいことだ。でも、数は多くなくなった。
新しくBCを書いている人が増えた。私なんかよりもよっぽど素敵な文章だ。
読みたいのに、嫉妬心で読めなくなった。あんなにBCを求めていたのに、なんだか面白いと思えない。
Twitter上での交流も盛んにしていた。それも減ってきた。
私は、自己満足のためにBCを書いていたのに、いつの間にか反応が欲しくてBCを書いていたのか、と落ち込んだ。
いやでもそうじゃない。自分が書いたBCは最高に興奮する。それに同意が欲しいだけなんだ。
同じなようで同じじゃない、あくまで自分は書きたいBCは今後も書き続けるだろう。でも、傍から見れば同じことだ。
人と交流をすることも億劫になった。BC間で大多数に受け入れられている解釈が自分は苦手だからだ。
Twitterですでに相互になってしまった人をブロックする勇気はなくて、ミュートにしたらとてもすっきりした。
でも、反応する気がないのにフォローを続けていても良いものだろうか。さっさとリムれば良かった。
現在の悩みは反応がイマイチな本の部数だ。前回もあまり反応はなくて、少なめに印刷したら何回も増刷を望まれた。
それで対応したけど、面倒なので一回で終わらせたい。でも反応がないのが怖い。
前回の数を参考にしても、割と人を選ぶ内容の本だからわからない。前回は結局200くらい捌けたけど、アンケートや取り置きの依頼は100もいかなかったのに。
本当わからない。欲しいと言ってくれる方には届けたいのに、反応がないからわからない。
前回、欲しい方には取り置きますと反応しなかったのに、完売ツイートをすると再販希望と言ってくる人がうじゃうじゃいた。困る。最初から言っててくれ。再販するのも楽じゃないんだ。
多目に刷るか、どうするか。今の自己肯定感のなさとかではとてもじゃないが100刷る勇気も出ない。でも100は行きそうにも思うけど、本当か?
とかなんとかいうもやもやを抱えたままTwitterではニコニコし続けるのが疲れてきた。
元気な時は楽しいだけなのに、疲れると嫌な点ばかりに目が行く。
とりあえず、反応がないのは寂しいので、読んで少しでも良いと思ったらブクマやイイネが欲しい。
それだけで救われる気もするし、結局数字を気にする自分にも吐き気がするのだ。
化粧、服、なにもわからないし頭に入らない
悪目立ちしたくないのでとにかく普通の感じになりたい
デブだからマネキン買いはできない(ダイエットはしているけど一瞬で痩せられるわけではないので)
自称おしゃれ女子は好きな服を着ればいいんだよ☆好きなメイク極めればいいんだよ☆みたいなことばっかり言いやがる
ねえわそんなの
なんだ好きな服って
ファルシのルシがパージでコクーンなんだけどどっちのポロロッカだと思う?くらいわけわからんわ
そうなるとネットの自称おしゃれ女子は好きな服がないなら何もアドバイスしようがないよぉ……とお手上げで去っていく
なんだそれは
好きな服とかいう概念がなくても服は毎日着なきゃいけないだろう
二次創作は創作意欲や好きなキャラがないと作れないからそれがないうちはおとなしくROM専に甘んじていろと言うのとは違って
服はどんなに気力がなくてもどんなに関心がなくても着なきゃいけないもので全裸で外に出るわけにいかないだろう
好きな服が分からない人は客じゃないのか
数万円を握りしめイオンのコスメカウンターに行ってもどういうメイクにしたいか方向性を持たない人はちょっと^^;とか言って追い返されるんだろうか
服屋のおねえさんも好きな服とかいう概念を持たない人にこれがいいですよとおすすめする技術はないんだろうか
女装したい人向けのサイトならファッション用語が一切分からないし自分がどうなりたいかも何も分からない人へのアドバイスが載ってたりするんだろうか
なにもわからない
30代前半の女オタクです。
学生の頃はオタクがバレたらイジメられる(下に見られる)風潮があったので、
「アニメ好き」「同性愛描写のある作品が好き」なことは絶対に周りに言えなかった。
中高生の頃は全盛期だったやおい系HPを作成したこともあったけど、
大学生になる頃には完全にROM専になっていてオタクと交流した経験が皆無。
令和になってあるジャンルに出会い、十数年ぶりに沼にハマり創作を始めた。
推しと推しCPへの想いを呟き、絵や小説をTLに流すだけの壁打ちみたいなTwitteアカウントを作り、
数はすごく少ないけれど、相互フォローの方が少しずつ増えた。
そして有難いことにフォロワーさんが作品にリプを下さることもあるのだけど、
その返信を打つのが本当に苦手。
私は「創作することが生きがい!」「絵(文章)が上手くなりたい」とかあまり無くて、
推しや推しカプへの愛を吐き出して作品に昇華することで満足するタイプなので
感想嬉しい!と思うけれど「ありがとうございます!嬉しいです!」しか言えない。
ほんと毎回それしか言えない。
「えへへ、好きです(大量のハート)」「わわ・・・嬉しいです(涙)(涙)(大量のハートとキラキラ)」
みたいなの、可愛いのみんなどこで習うの?自分の童貞臭いリプなんなの?と頭を抱えてしまう。
下ネタの言い合い(?)みたいなのも苦手で出来ないし(人様が言う分には何とも思わない)
イプ誘っていただいてしてみたりもしたけれど、文章のやり取りが固いから距離縮まんないし。
仲良くなりたいんだけど、その感じに合わせて返事できないから、ビジネス文みたいになってしまう。
は~~~~オバさんつら~~~~~~~~~~~~~~という愚痴でした。
二次創作の漫画同人誌出してる腐女子だけど、確かにフォロー欄見たらほとんどが何かしらの作品出してる人だわ。冷たい言い方に見えるかもしれないけど、基本的に好みの推しCPを見たくてフォローしてるから作品上げてない知らない人をフォローする理由がないんだよね。だからと言ってROM専の人のことを人権ないとか思ったことないし、そもそも同人作家にフォロバされなかったり内輪向けの作品を見せてもらえなかったりしたからといって人権がないわけじゃないよ。
増田の場合、絵を描いても完成させられないって言ってるってことは絵が全く描けないわけじゃないよね?完成しないと上げちゃいけないルールなんてないし未完成でもどんどん投稿したらいいと思うよ。わたしも最初は鉛筆落書きしか描いてなかったけどそれでも交流してくれる絵師さんや文字書きさんもいたよ。好きな作品に積極的に感想送ったりしてたのもあると思うけどね。
私は腐女子である。過去には自らイベントに参加し本を頒布するなどもしたが今はただの出戻りROM専である。
私が二次界隈から去っている間に、この創作世界にも様々な変化があったように思う。
主に夢だ。
こんなにも市民権?をとっているとは過去の腐女子には想像もつかなかった世界である。
彼女らは大変に気遣って住み分けし、支部ではタグを入れて事前注意をしてくれるし、別に避けているわけではないが彼女らの主張をSNSなどで見たことがない。少なくとも私は。
女体化。
別に嫌いではない。支部でジャンルに女体化を描く人はいく人もいる。しかし大勢いるそのうちの一人にもやっと来る。
その人はいわゆるツイ廃で、心を病んでいる。よく死にたいツイートをしている。自らメンヘラを自称している。
私は過去の経験から、8割くらいの二次同人女は過去未来現在のどこかで心を病んだことがあると思っているので別にそれは気にならない。
TwitterというのはSNSの中でも危険度の高いツールだと思う。呟きツールというだけあって、脳と指先が直結している。
気軽に自分自身についてツイートする。そして自分の好きなキャラについて考察したりする。
しかしこちらは同時に同じような意見を見ることになるので、彼女のキャラ考察というのはキャラでなくてご自身のセルフ考察であるなあというのが分かってしまうのだ。
何しろそのキャラは某人気王道バトル少年漫画の主人公であるので、間違ってもフロイト的な、全ての心の問題は性問題であるみたいな、そういう考察にはなり得ないのだ。
女体化作品でも作者が透けて見えなければよかった。たとえキャラ崩壊してだれおま状態でも気にならない。
しかしこんな明確に自分の問題をキャラに投影して、このキャラの考察はこうでこうで、などと大真面目に語られるともはや二次というより彼女が彼女自身を描いたエッセイ?を見せられているような気になってしまうのだ。
エッセイも好きだ。しかし、それは自分を客観的に見れていたらの話ではないか?
明らかに美化?した理想の悲劇の主人公。女体化。もはやなり変わり夢と化している男性キャラ。
絶世の美人(元はフツメンの男性キャラである)登場人物全員このキャラを愛している。総受け固定、などと語られると
(自分ではなく好きなキャラを語っているというつもりなので)、こちらとしてはヲチ目線で見るしか無くなってしまうではないか。
男体のままならまだ自分をごまかすことができたかもしれないが女体化。
もちろんこちらは見なきゃいいだけの話なのだが、こんな彼女のリアルな友人も見ているだろう垢で、欲求不満です通りすがりの誰でもいいみたいな作品をその女体化キャラでリアルチックに描かれられると、そんな赤裸々で大丈夫かとハラハラしてしまう。
なんだかひと昔前の携帯小説の援助交際女子高生みたいなこと言っている。
援助交際ってお金が目的なんだと思ってたけど、あれ、普通に欲求不満なだけの人もいたのだろうか?
BLという隠れ蓑を纏っているなら他人にその願望をバレたくはないと思っているんじゃ無いだろうか。多分だけども。
きっと未来に死ぬほど後悔しそうな気がするのだけど、ひと事ながら大丈夫なのだろうか。
それとも恥ずかしいと思うのは私がオババだからで今の若い人は平気なのかな。
なんかこう書くとエラソーだなと思ったんで付け加えますが、正直BLの性的表現というのは私も含め全て自己の投影だと思ってます。
自分の性についておおらかに表現するのに抵抗がある女性が、男性同士です、私とは無関係ですよ、という名目の元に性的なものを創作物として昇華させていると思ってます。
大人になってからアニメ・ゲームオタクになった。情報交換や交流をしたくてTwitterも始めてわかったのだが、TLを見てるとオタクは生活水準が高い人が多い。
そもそも金がないとゲームも漫画もグッズも買えない。特に同人ができる人はオタクとして活動できる経済力、時間、恵まれた環境を持ち合わせているのだろう。
極端だが、某政治家の孫などがいい例だ。
率直に言うと諸々の価値観が合わない。
購入したグッズの数で争ったり、ソシャゲで課金するのが当たり前という風潮。
おけパ騒動に垣間見る、二次生産者を頂点とするオタクのヒエラルキー。
TwitterなどもROM専になるのが自分は一番生きやすいと悟った。
あと、オタクになるのが遅かったせいか、自分は二次創作をしようとするとその事しか考えられなくなる。
主婦業をしながら、仕事をしながら創作している人もいるが、要領よく両立できない自分と比べてしまって惨めになる。
そういう人達と関わると自分がどういう思いをするか?安易に想像できてしまう。
自分はあいにく経済的にもコロナに影響されるワーキングプアだ。
同人を読んで休日を潰したり、絵を描いていて仕事に遅刻しかけたこともあったが、どれだけ二次元に時間を割いても実益は少ない。
急にオタクを辞めることは難しいが、原作を中心にほどほどに楽しもうと思った。
【追記】
ある人物の名前を間違えていたので、ぼかす方向で訂正しました…!
皆さんコメありがとうございます。
腐女子やNL厨の方は、夢女子から創作に対する感想メッセージを送られたり、夢垢からTwitterのフォローをされたりしたらどう思いますか?
自分はpixivもTwitterも夢一本でやっていて、絵を投稿しています。
そのため、相手がもし自分のアカウントを見に来てしまい、地雷を踏んでしまったらどうしようと不安で感想メッセージを送ることができません。もちろん人目に触れないようワンクッション置いて投稿しているのですが、夢女という存在そのものが地雷だったら創作のモチベーションが下がってしまうのかな、と思ってしまいます。
自分はAというキャラが推しで、Aが恋愛している姿が好きなので腐、NL、夢問わず色々な作品を見ます。
魅力的なAの恋模様を描いておられる作者さんがいたら、応援したくて堪らなくなり、感想が湧き出て止まらなくなってしまいます。
しかし相手を不快にさせてしまう可能性を考えると何も送りつけられません。
ましてやTwitterなんかは、ブロックされたら相手の絵が見れなくなってしまうので、フォロー突撃もできません。
自分で妄想したり描いたりするのは夢がメインなので、アカウントを分けていないのですが、やはりROM専の匿名アカウントを取得して、夢女子だという事を隠してこっそりとメッセージを送るのが無難でしょうか…。
私が腐女子全盛期だったころ、二次創作のイラスト、漫画、小説は個人サイトでしか見ることが出来なかった。
サーチエンジンやら○○同盟やら、いくつもの組合のようなものを経てお気に入りの作家を探すのには、それはそれは苦労した。
ブラウザのお気に入りに登録したそのサイトを毎日のように巡回し、更新されていないかを血眼になって確認していた。
あの頃から私も歳を重ね、社会に揉まれ、仕事の楽しさを覚え、現実世界をそこそこ楽しみ、アニメやゲーム、漫画からは暫く距離を取っていたのだがひょんなことからまた腐女子界隈に身を置くことになった。
まずTwitterに驚いた。
しかも数名じゃない、数え切れないほどの神様が毎日のように素晴らしい絵や小説を上げている。
かくいう私はTwitterを開き、TLが更新されていないか親指を上下に動かしてヒュポヒュポと音をさせるだけである。
苦労してなまはげのように作品を探し歩いてた日々から考えるとありえないほど楽。Twitter最高。
非生産者の古の腐女子のツイートなんていったい誰が読むのだろう、という気持ちが強く、TwitterはROM専だ。
落ち込んでいる作者がいれば匿名でメッセージを送り、素晴らしい作品を見ればいいねを押し、おめでたいことが報告されたらまたいいねを押す、このいいねは、いいねのいいねだ。
他にも、元気を出してのいいね、めっちゃわかるのいいね、心配だよのいいね、大丈夫ですよのいいね、など私はいいねに全感情と全肯定を含んでいる。神様には一切伝わってないと思う。
ただ、不穏な内容もたまに流れてくる、それがすごく残念である。
絵が描けない、文字を綴れない私にとって、好きな物を具現化してくれる作家達は文字通り神様のような存在だ。
彼女たちが何を好きで、何を表現しようと、私たち読者は黙って享受すべきだ。
彼らは無償のエンターテイナーで、私たちは通りすがりの通行人だ。
嫌なものであれば素通りすればいいし、好きなら立ち止まり、チップや感想を渡すのが筋だと思う。
だというのに作家に対して、あれは書くな、ああしろ、こうしろ、という輩が多すぎる。
なにを贅沢なことを言っているのか。
描いてくれる、それを無料で見せてくれるだけで充分ではないのか?
生きていれば、そういう生き方もあるよね、そういう考え方もあるんですね、立場が違えば主張も変わってくるのが当たり前だよな、と思う場面も多々あると思うのだが。
ダ・ダ・恐山のTwitterで「近寄るな……解釈が混ざる……」という発言があった(正確にはこのセリフを含むツイート)。
このツイートを最初見たときはなんとなくわかる〜くらいの気持ちだったから、全然意識してなかったんだけど、今になって急にめっちゃこれ……ってなってる。
現在めちゃくちゃに流行っている、多分みんなわかるので名前は伏せるけどでっけーやつが大元のソシャゲに、私も爆ハマりしてしまった。
爆ハマりした後、腐女子である私はいわゆる「推しカプ」ができて、最初はROM垢でその推しカプを描いている人たちを見ているだけだった。
しかしそのうちに自分でも描きた〜い生産した〜いとなってしまい(私は絵描きです)、新しくアカウントを作りそこで自由に自分の好きなカプを描いたりキャラを描いたり、語ったりしていた。
アカウント作りたてのこの時はフォロワー数10人とかでほぼROM専状態。フォローしている人はみんな大好きな絵を描く人たちだけ。みたいな。
でもそのうち、仲良くお話出来る人とか推しカプについていっぱい語ってくれるフォロワーみたいなのほしいな、という欲が出てきてしまった。
人間なので仕方ないと思うけど、やっぱり絵を褒められると嬉しいし、描いたらいっぱい見てほしいし、もちろん推しカプ仲間が増えるのは嬉しい。
そうして私は繋がりたいタグ云々あれこれに手を出した。推しカプは結構大きいカプ(少なくともマイナーではない)なので、すぐにタグはそれなりに広まって相互の人数も増えた。
そこまでは良かった。それなりに話せる人も増えたし、楽しかった。絵を描いたら細々といいねをもらい喜んでもらえた。嬉しかった。
だんだんRTとかで絵が回って、フォロワーが増えてきた。といっても最近話題の神とか何千人フォロワーとかじゃない。
それに比べたら本当に少ないけど、それでも普段ひっそり暮らしている私にとってはめちゃくちゃ多いフォロワー数になってしまった。
※何度も言いますが普段から表で活動している人に比べたらマジで少ないです
相互の人数もめちゃくちゃ増えた。もちろん全員好きな絵を、文字を書く人だから、見ているだけでも楽しい。
毎日推しカプがどこかで更新されるタイムラインは、あまりにも私の精神を豊かにした。
けど、このあまりの豊かさに、私の心がキャパオーバーしてしまった。
というか大半がそういう人(オタクは考察をよくするので当たり前かもしれない)で、毎日いろんな解釈や考察が流れてきた。
ここで本題の「解釈が混ざる」という話になるのだが、推しカプ、マジでびっくりするほど考察がある。解釈がある。
すごい。口開けてれば賢い人たちが考え出した考察や解釈が流れ込んでくる。マジ?
これやばいな……マジですごい……天才か?って頭悪い発言しかできないんだけど、本当に毎日そんな感じだった。
そうしてそんなふうに垂れ流される考察たちを与えられるまま飲み込んでいるうちに、自分の解釈や考察がなんだったか分からなくなっていた。
いや、元々そんなに考察するタイプじゃないけど、それでも自分の中のカプ観とか解釈とかそれくらいはあったはずなんだ。
少なくともこんなにフォロワーが増えるまでは。
それが今では、自分の見ているカプ観は他人のものなのか自分で考え出したものなのか分からなくなってしまっていた。
新しい情報が出されて、自分なりに咀嚼して解釈を出すのが基本だったんだけど、今はそれをする前にタイムラインに考察・解釈が溢れるからまずそれを咀嚼してしまう。多分これが良くないんだと思う。
だからタイムラインを見るのをやめました。やめたというか、あんまり見ないようにした。解釈が混ざるから。
もう混ざってしまった解釈を一旦まっさらにしたい。まっさらな状態で推しカプに触れて、もう一度解釈し直したい。それを自分のものにしたい。
twitterで同じジャンルのファンと繋がる、つまり相互フォロワーになるという目的で使うタグだ。
だが上位ツイートに出てくるのはほとんどが、神絵師と呼ばれる数千~数万フォロワーを抱える絵描き層だ。
では彼ら彼女らはそのフォロワーのすべてと相互フォロワーであるのか?
否である。
「私と同じくらいのフォロワー数がある、
人気のクリエイターはこの機に繋がってください。
広めてくださいね」。
そういう意味だ。このタグはもはや承認欲求を満たすために使われている。
私もある程度人気な界隈で絵を書いている一人だ。
私は一番最初に友達つくりのためにこのタグを使ってから、もう使っていない。
数千人のフォロワーがいるなら、その人達から友達ができたらいいと思っているからだ。
気になる人は神絵師や神字書きだろうとなかろうと、そもクリエイターでなかろうと、ファンなら誰でも仲良くさせて貰えれば嬉しいからだ。
もっとも、だからみんな私みたいにするべきだと言うつもりはない。
が、このタグやジャンルを承認欲求のために使うのはジャンルにもファンにも失礼だと思う。
でもそれを隠す努力をしてみてほしい。
本人が思ってるより見ててばれてるし、きついです。
https://anond.hatelabo.jp/20200629213448
おけパ中島がバズリ
https://twitter.com/sanada_jp/status/1269465337675698176
https://anond.hatelabo.jp/20200706042509(感想屋そのものには誘導したくない)
要約すると、
『とても文章力のある感想書きが界隈を席巻してしまった』という内容の愚痴増田が話題になる
↓
神字書きと字書きを題材にした創作漫画の登場人物『おけけパワー中島』に注目が集まる
↓
有償でポジティブな感想を書きますと言いだした『感想屋さん』を名乗る人物が、サービス内容の不備や文章の稚拙さおよび返金対応への不誠実さなど千々に炎上
ここ一週間ほどの間で、以上のような文脈が発生した。
この結果、感想屋という文言に幾つかの意味合いが発生してしまい混乱を招いたり、炎上したものと似た屋号のサービスへの悪影響が心配されたり、純粋な長文感想書きが誤解から心を痛めたりしている。このあたりは個々に注意されたし。また、有償の『感想屋さん』の問題点については羅列していったらきりがないので、特別に記述はしない。
前置きが長い。
私はオタクである。特に創作はしていない。時折、特に萌えを感じた時に短文を書く程度の人間である。昔長文を書こうとしたが冒頭三千字を書いたあたりで挫折し放置している。その上特に交流もしていないし、感想も書かない。一言で言えば、ROM専である。
それなのに、私には妙な自信があった。それは言葉にするならば、「俺だって本気出せば書ける」。小説はそれなりに読むオタクだから、ちょっとした文章ならば書ける。商業のような文章は無理でも、なろう程度なら。書評は無理でも、紹介文くらいなら。また嫌なことに、学生時分は図書委員会だの新聞委員会だので短文を書いて「本を読む人だから文章がうまい」と言ってもらって有頂天になったりしていた(今自分で思い出して、あれはお世辞だったのだろうと恥じ入っている)。
そんな私が、ここ一週間の流れを追って、何を思ったか。
まず増田を読んで、二次創作するオタクは大変だなあ、と他人事のように思った。
二次を書き、二次を読み、交流し、その動向に一喜一憂する。どうも大変そうだ。ROM専はその点気楽でいい。だが、まあ、感想というのは良くも悪くも人に影響を与えるものなのだな。時には感想を書くのも、善行かもしれない。そのように思った。
次におけパ中島に触れた。
最初は創作物として面白く読み、リツイートした。その後おけパ中島が話題になっていることを知り、もう一度、我が身我が事として考えてみた。私にとっての神とは誰だろう、おけパは誰に当たるだろう。実際に当てはめてみると、ツイッターでつぶやかれている感想は、なるほどもっともと思えるものも多々あった。私の悪いところは、ツイッターにすぐ感化されるところだ。オタクの嘆きに共感し、すぐに自分で考えついたように錯覚する。私は、まるで自分が主人公になったかのように(馬鹿げたことだ)酔いしれ、おけパ中島への薄っぺらい恨み節をツイートしてみたりした。
感想屋が出してきたものは、かなりひどいものだった。界隈のオタクの気持ちを踏みにじるものだったし、何より悪文だった。それは野次馬である私にさえわかるものだった。下手くそで、金を取るような文章ではなかったし、そも人に見せられるような文章ですらなかった。
その程度の文章に、私はひどく動揺した。
何が私に衝撃を与えたかって、それは、その悪文が、私の書くものに途方もなく似通っていたことだ。
いや、あそこまでの悪文ではない。ない、と信じたい。下ネタを好まないゆえにあそこまでの下劣さではない、はずだ。
だが、似ている。文章の構成が、筆の運びが、何より配慮の欠けた思考回路が。私もかつてこういう文を書いて、自信満々に教師に提出したことがなかったか。こういう感想を、臆面もなくファンレターとして出しやしなかっただろうか。その稚拙な文章が他人を傷つけていたかもしれないことを、否定できない。
それは、他人よりも本が好きだという自負だ。小説を読むのが好きなことと、文章を書くのが得意なことを、取り違えて混同した、おぞましい勘違いだ。その上、私が読むのは『他人に比べて』多い程度であって、誇れる程ではない。何一つ、誇れることなどなかったはずだ。眼高手低とはこういう事を言う。
私は自分の文章に向き合ったことがあっただろうか。何度も推敲し、多面的に読み直し、練り上げた文章を書き上げたことなど、一度でもあっただろうか? そう問うてみれば、一度もなかった。この文章だって、ほとんど読み返さず、激情のままに綴っているだけだ。プロットも、描写力も、考えて作ったことなど、一度もない。
私自身が、物事を考えたことはあっただろうか。物語を読んで、薄っぺらい表面的な理解をしてすべてを分かった気になったことは。まるで自分で考えたかのような顔をして、他人の考察を口にしたことは。私は、私自身の無能と向き合った事が、これまでに一回でもあったのか?
これは恐ろしい事だ。誰かにとって恐ろしいのではない。タイムラインのオタクにとって恐ろしいのではなく、創造上の誰かにとって恐ろしいのではなく、私にとって恐ろしい。誰かではない。私の恐怖だ。私の足元が崩れ、私の心が崩れている。他人事ではない。それが、こんなにも恐ろしい。
私は今、パソコンでエディタを開いて、この文を書いている。隣にはもうひとつウインドウが開いていて、そこはまだ新規ファイルのままで、まっさらだ。そこに、小説を書いてみようと、思っている。
私は感想屋にすらなれない。
『なれなかった』と、過去形にしたい。今、切実にそう思う。せめて自分に誇れる自分でありたい。
そして、今度こそ。
自分で読み返してひどいな、これ。
様々な立場から様々な意見が飛び交い、その意見に対する反応の量も多い。このエントリもその一種である。
自分は完全に七瀬や友川側の人間であるが、本題はおけけパワー中島ではない。むしろそのタイプの同人女のことは好意的に捉えている。
ここで言いたいのは、「七瀬や友川の努力は本当に目標設定からして間違っていたのか?」についてである。
七瀬や友川の自己肯定感について言及した増田がバズっていた。その増田自体は非常に深層の問題の言語化が上手いと感じた。あまり主語が大きい発言はよくないかもしれないが、近年の同人女界隈の問題は多くが大きすぎる拡張自我と自己肯定感の低さ、自他境界の曖昧さなどに帰着されると感じていたので、この結論になると感じる人も多いだろうと思った。
それと並行して、「神も人間なのだから、人間扱いしないと仲良くなれるはずがない」という意見も散見された。
その類の意見に関しても、盲目的に崇拝されるより対等に接してもらえる方がとっつきやすいのは確かだろう。
これらの意見には非常に納得させられたし、全くその通りだ。自己の願望を他人に投影して行動すべきではないし、他人はコントロールできないということをしんから分かっていれば七瀬や友川のような行動は起こさないだろう。
だが、出発点である、憧れの神にフォローバックされたい、同じカプを愛好する者として仲間になりたいという感情自体はそこまで不健全なものではないはずだ。その結果小説の上達を目指した七瀬や友川の選択がそもそもお門違いである、というような意見に対して反論すべくこの増田を書いている。
第一、ここはリアルの教室でも職場でもなく、インターネットの同人社会である。最初にフォローされた時点でフォローバックをするかどうか、これから仲良くなるかどうかを決めるのに、「作品が好みかどうか」は最重要項目ではないのか?(そもそも、フォローバック=仲良くなる、ではないのかもしれない。しかし、私はインターネットで通話をするほど仲良くしている人間がFF外の人間である例はリアルの友人以外である場合以外に見たことがないので、このような考えに至っている。また、七瀬や友川が最初に抱いた感情を「仲良くなりたい」だと定義しているが、ここの解釈と表現に関しては個人差があると思われる)
確かにこのような実利主義を実生活にも反映したらメンヘラ認定間違いなしだろう。だがそもそも、同人を介した人間関係は作品ありきではないのか?
これでおけけパワー中島が見ず知らずのROM専だったら七瀬や友川がやりすぎで気持ち悪いという意見にも納得がいくが、実際は綾城さんはおけけパワー中島に「新刊楽しみです」とコメントしている。
もちろんFF内、果ては作り手でなくてもコミュニケーションを取ろうとする人はいて、だからこそそのような層が七瀬や友川の思考回路に疑問を呈しているのだろう。だが少なくとも私が同人生活で見てきた5つほどのジャンルでは、所謂「神」と呼ばれている人たち、そして私の好きな作り手は自身の好みの作り手のみをフォローしていて、その創作者のコミュニティ内でコミュニケーションをとる例が圧倒的に多かった。このような事実を前に、「仲良くなるために自分の状況如何に関わらずコミュニケーションを取ろう」と思える人間はよほど素直だなと思ってしまうのだが、これはそんなに認知が歪んでいるのだろうか。
綾城さんにとっておけけパワー中島は、友達である以前に「好きな作品の作り手」なのである。
すなわち、同人文化の中で仲良くなるには、まず「作品」ありきで、かつ「コミュ力」も必要なのである。今回の件ではどちらか一方に軸を置いている感想や考察が多いが、私はこれは両方欠かせない要素だと考える。
よって、コミュ力以前にそもそも自分で「大したことがない」と思うような作品しか作っていないし、人の心を動かすようなものを作れてもいないのだろう。この時点で綾城さんに相手にされないと思うのはごく自然なことに感じる。これは数の話というよりむしろ創作に対する態度の問題である。七瀬は解釈を突き詰める方法で、友川はひたすら作品を完成させるという方法で、自分の作品を研いでいった。
(また、今回の件ではあまり触れられていないし、最終的に綾城さんが七瀬や友川の作品を認識するに至っているため杞憂ではあるのだが、そもそも同じカプを愛好するからといって仲良くなれるとは限らない。ほのぼのハピエン好きは死ネタを絶対に読まないし、相手固定派は雑食を先行ブロックしているだろう。これらの流動性はジャンルによるだろうが、確かに存在する)
このように、同人女がまず繋がるためには、作品で認知され、さらに積極的なコミュニケーションをとるという二つのステップが必要なのである。
個人的に綾城さんとおけけパワー中島は長い付き合いだからこそのあの距離感なのだと思っているが、それだって最初の出会いはリア友であったパターンを除けば、互いが互いの作品を良いと思ったからなのではないか?
多くの意見では、七瀬や友川が「自分が上手くなれば綾城さんと必ず仲良くなれる」と思っている、という点について批判されているが、私はそこまでの感情を読み取れなかった。思うに、逆なのである。「綾城さんと仲良くなるためには、仲良くなれるかどうかは定かではないがとにもかくにもまず上手くなる以外道はない」だと私は捉えた。十分条件ではなく、必要条件である。
別に仲良くなれなかったからといって逆恨みはほぼないだろうと思われる。友川の自問自答や毒マロを送りかけた点については私も異常だと思うが、七瀬に関してはふられたショック以上の感情はないように思う。コミュニケーション能力は確かに低いので、作品を認知してもらったこの先も関係は思う通りにならない可能性の方が高いのだろう。だが創作はさまざまな感情の昇華法であり、その頃には本人たちも気持ちに折り合いがついているものと思われる。
巷の反応を見る限り多くの人は同人の人間関係は対価ではないという意見に納得しているようだが、成り立ちからして対価でないという方に違和感を感じてしまう。批判している人たちが日常的に関わっているのは、なんの関係もない無作為に抽出されたジャンル者なのか?相手の生み出すものに何も感じていないのか?私にはその前提がどうしても疑問である。
最後になるが、この件に関して七瀬や友川の批判をしている人は大抵フォロワー数がフォロー数より多い。そんなことに囚われているから弱小なのだと言われてしまうと耳が痛いが、どうしても「パンがなければケーキを食べればいい」と言われている気分になるし、結局は各々が自分の経験に照らした発言しかできないので価値観の相違がもろに炙り出されるのだろうと思う。件の漫画は、同人観をはかる試薬なのである。
発端の感想屋さんの話題に乗って現れた有料感想屋さんとかとにかく話題の瞬発力が爆発している
TLが賑やかなので黙っておけばいいのに隙あらば自分語りがしたくなった
自分は自己愛が強いけれどコミュ障を言い訳にじっとり人を妬む型の字書きだった
内容云々よりもお手軽に読める文が更新頻度が高かったがために存在できた
書けるから書いていた
テンプレネタでも内容がない短文でも書いてさえおけば読んでもらえる立場だった
(後に5ちゃんで支部連投は嫌われると知ったが後の祭りだった)
当然ネタは常に枯渇していた
そんなときに現れてくれるのが多分傍から見たら「感想屋さん」と見なされるような存在だった
拙い文に感想をくれる人を私は求めた
そんな人たちは熱い感想文をたっぷりくれてそれに対する返信を重ねると自然と萌え語りが盛り上がる
萌え語りがまとまってくると私はそれを文にして公開した
更にそれに評価がつくともとの「感想屋さん」はその時点では実質的には「原案提供者」になっている
私は「原案さん」にフィードバックして更に萌え語りをヒートアップさせてしばしばそういう「二人で生んだ作品」を連載した
この内情を詳細に外部の人が認識することは出来なかっただろう
自己肯定感の根源である感想も作品の原案さえも「感想屋さん」から飛び出した「原案さん」に依存していた
生活サイクルや環境の変化である日ぷつりとメールが途切れて私はそれを深追いしない
依存しきった私はひとりで連載を続けることはない
また違う話を書き始めているうちにまた新しい「感想屋さん」が現れて次第に「原案さん」になっていく
萌え語りをしてもらってそれを文にすることが私の存在意義だった
自分が何を書きたいかなんてない機械の癖に感想を欲しがる傲慢さは唾棄すべき見苦しさだろう
今となってはジャンルもお互い知らないかつての「感想屋さん」であり「原案さん」だった何人かの人たちを思い出す
ジャンルの空気とか当時は全然考えたこともなかったけれどなんとなく昨今の流れで思い出してしまった
特にオチとかないし一度書いてお蔵入りしようかと思ったが派生の流れで「絵師でも字書きでもないROM専の人にもマシュマロで萌えツイートに対する感想とか送りたい」というツイートを見かけて
私にとっての「原案さん」たちも自分は何かを支部等に投稿していた訳ではなかったけれど少なくともその萌え語りが私を通して作品として生まれていたので
元々、オタクだった。
ガラケーの時代は個人サイトを巡り、日々サイト主様に感謝をする毎日を送っていた。
言葉を綴ることも、語彙もない。ましてや一オタクの感想など……と卑屈に思っていたこともあり、感想は送れないけれど、拍手を送る日々だった。
元々他者と関わることが苦手、コミュ障であることからROM専でいることは心地良かった。
そんな毎日の中でとても大好きなサイト主様がある日突然消えてしまった。その頃はまだ成人していなかった自分には、社会人であるサイト主様の私生活が忙しくなってしまったのだ、と勝手に解釈をすることにした。
寂しい、という気持ちとどうして感想を一度でも送らなかったのだろうと後悔をしたのは恐らくその時が初めてだったと思う。
だが、新しいジャンルに出逢い、そして場所もTwitterへと移り変わり、考え方や生み出す作品が好きな人が出来てその気持ちは少しずつ薄れていった。その方が生み出す作品にファボを飛ばすのに精一杯であったものの、それでも楽しく日々を過ごさせてもらっていた。
そんなある日、また転機が訪れる。
そのツイ主様が心を痛めて、所謂病みツイートをされたのを見かけ、辛抱堪らず初リプを送ってみた。言葉は拙く、けれど誤解を与えないような言い回しを必死に調べて、たった数行を何度も読み直し、何十分も掛けた後に送った。
返って来た返事は要約すると『ありがとうございます』と言うものではあったが、心は何処か晴々としていた。それが自己満足、とはわかっていても返事が来たのが嬉しかった。
だがそのお方もやがて消えてしまい、途方に暮れる日々が始まってしまったのだが其処は割愛させていただく。
月日は流れて、私も社会人となりストレスばかりの社会の波に揉まれる中で何故か声優さんにハマった。楽しそうに仲間と話す声や日常の話、好きな食べ物や嫌いな物の話、どれでも聞いたり、見ているだけで楽しく、
『凄いな』『自分も頑張ろう』
など、元気を貰い、なんとか仕事も頑張れていた。
その頃からイベントにも足を運ぶようになり、稼いだ給料を元に其処でストレスを発散する術を覚えた。
そんな時だった。
行ったライブイベントで、初めて触れるジャンルに落ちたのは。元々そのコンテンツ自体は好きな声優さんも出演されていたので、知っていたがいまいち足を踏み入れられずにいた。
しかも、目的とする声優さんがいるユニットではない別のユニットに落ちてしまった。
それからと言うもの、そのジャンルを漁り、Twitterのアカウントも取得し直し、元気にROM専になっていた。
だが、そのジャンルに対する熱は熱く、誰かと話したくて仕方がなかった。しかし、創作をしない人間が絵師さんや文字書きさんに話しかけるなど敷居が高い、かつ恐れ多いと思っていたため、何を思ったのか私は自分で創作を初めてしまった。
初めてフォロワーになってくれた方々は、
と、言ってくれたが少しでも報いたいなどと思ってしまった私は創作活動に精を出した。
反応を貰えるのが楽しく、日々増えるフォロワーさんの数に嬉しくなる日々を送っていた私にちょっとした事件が襲い掛かる。
卑怯にも無関係を装いたかったが、そうはいかず。矢面には立たなくともちょっとその揉め事に名前を出されたりしたが、何とかやり過ごした。
私は初めてフォロワーになってくれた人側にいたのだが、その前後からそのフォロワー(Aとする)と何やら摩擦が生じるようになったきた。
地方住みであり、イベントには来れないがそのジャンルも声優さんも好きであり、話すのは楽しかった。
だが、事あるごとに、
『25過ぎてイベントに行くのは痛い』
『年齢を考えた方が良い』
と、言う指摘を受けることが増えた。更にAは私が創作したものに対しても好みではない、と言ってみたり、
『別の人は天才だ』
などと言うようになった。
貰えるだけ良い、と初めは割り切っていたが、あまりにもそう言うことが増えた。
なので、心の平穏なためにもAとは距離を置こうと決め、少しずつ離れて行くことにした。
そんな時に舞台にハマった。
まさか、とは思ったが若手俳優に、2.5次元に……?と自分で驚いた。
勿論、それを知ったAからは非難を受けた。ハマった俳優さんに対しても心無いことを言われて、限界だった。
そして私はAをブロ解したのだが、その後も非難轟々。だが、こうでもしないと自分の精神がおかしくなりそうなほどだった。
あれだけ好きだったキャラや声優さん、そしてジャンル自体も嫌いになりそうなほど追い詰められていた。それが自分勝手な理由だとしても、もう耐えられなかった。
それからしばらくは悶々とした日々を過ごしていたが、推し声優さん・推し俳優さんのイベントや舞台に参加するうちに頑張ろう、まだ好きでいたい、と言う気持ちを固めて改めて創作に打ち込んだ。
感想が欲しい、反応が欲しい。
いけない、とは思いながらも欲張りで身の丈に合わない思いを待つようになったのも、恐らくはAに卑下されたことも一因かも知れない。
尽く、
『話の内容が好みではない』
『Bさんは素晴らしい、本物の天才』
『Bさんほど素晴らしい人はいない』
等々、それを個人のメッセージアプリのやりとりで言われていたことを思い返すと気が狂いそうになったりする。
そんなAお気に入りのBさんも私と同時期に舞台にハマったこともあり、仲良く過ごしていた。
Bさん以外にも複数人仲良しと呼べる人がおり、所謂グループみたいなものを形成していた。
来れるイベントや舞台にも限りはあることは百も承知だ。その中でもCは地方住みながら、フットワークが軽く推しのイベント・舞台には必ず参加していた。私は休みが比較的融通の利く職種なため、Cとイベントや舞台に参加することが増えていった。
そんな時だった。
推しがちょっとしたイベントに出る、と言うのを知った時に私とCは参加しよう!と盛り上がっていたところにBさん達からは、
と、言いたげな雰囲気が漂っていたし、現にそれに近しいことは言われた。
なんとなく、そのイベント前からBさん達との温度差を感じるようになって来たが見て見ぬ振りをしていた。
仲良くしたい、このままでいたい。
そう思っていたから。
そして迎えた推しのイベント後、案の定私もCも燃え上がっていた。そして同じように燃え上がっている人を見つけて、盛り上がった。
その時はBさん達も生温い目で見守ってくれていたが、溝が深まったのはその後だった。
其処で埋められないほどの溝が出来上がってしまった。
全4パターンある舞台内容。推しのメイン回公演には仲良しグループが全員参加していた。
だが、私は4パターンもあるなら全部観たいタイプなので全てのパターンを観ることにした。
それはCも同じであり、1〜4パターン全て見た。
そして先のイベントで話すようになったDさんと色々あって、とても仲良くなることが出来た。
そう、其処からだった。
そんな一言に、配慮が足りなかったなと反省したが燃え上がっているものを早々消せず、CやDさんと話す機会がより増えた。
身勝手なもので、燃え上がっているものをわかる人と話すことが楽しくて仕方がなかった。
そしてBさん一味の中の一人に、
『最近、構ってくれないよね』
構ってくれない、とは何だろうか。
コミュ障だと自認している。他者とコミュケーションが円滑に取れないが、流石に社会人になり仕事で他者と話す機会や初対面の人にプレゼンしたり等々するようになってからは“他者と話せる自分”と言う偶像を作り出せるようになった。
雑に言ってしまえば“外面”だと思う。
職場でも“外面が良すぎる”と言われ、現在もクレーム処理やらを行う羽目になっているほど、ある意味“外面”を取り繕うことが出来るようになっていた。なので、昔は出来なかったふぁぼを安易に飛ばす、感想を送る、リプをする、と言ったことが少しは出来るようになっていた私に突きつけられた『最近構ってくれない』と言う言葉。
Twitterの中での友人ではあるが、間近にいる現実で顔を良く突き合わせるような存在でも職場の人でもない、ましてや家族でも恋人でもない人に、『構ってくれない』と言われることに首を傾げたくなった。ましてや、言ってきた人は私より年上。正直何を言っているのだろう、と思ってしまった。少し偉そうではあるが、構って欲しいと言うのなら何らかのアプローチが欲しいし、其方からリプなりなんなりをくれれば良かったのでは?とすら思ってしまった。
そもそも、だ。
拗れる要因となった舞台の待ち時間に、大手のツイ主さんと話す機会があり、初対面でこちらも緊張している時に大人数でその場に押し掛けて、その方を引かせていると言う所業をやらかしている集団に私は少し怒りを覚えていた。
初対面の人に対するマナーとは如何に……?と。
それ以外にも私を足掛かりに大手と顔見知りになろうとする魂胆が透けて見えたり、そのグループから、
『こう言うの書いて』
と、言われて書いたり(書いた後の御礼や感想等はなし)することが増えていて、これまた疲弊していた。
見返りを求めることが間違っているし、感想など貰えるものではない、御礼なんて持っての他。
それに其処のグループには熱心に感想を送ってくれる人がいるから、手離すのが怖かった。
実にずるいと思うし、他者を何だと思っているのだろうと自分でも思うけれど、その方がくれる感想は確かにモチベーションの維持にはなっていた。
だが、それも長くは続かなかった。
チケット争奪戦に敗れた私は取引垢で、チケットを譲っていただいたり、同行のお約束をいただいたりと奔走している時に、
『私達の分は?』
そう言われた時にもうダメだと思った。
本当にそんなことは思ってなかったかもしれない。
だけど、噛み合わない会話やテンポ、温度差、考え方、とにかく全てに耐えられなくなってしまった。
もう創作やめよう、其処まで思い詰めた。
そして正直、今でも思い続けながら創作をしている。
苦しい、辛い。
そう思いながらも創作することをやめられずにいる。そんな気持ちで創作をしていても、創作することで気分転換になることもあったからやめずにいる。だが、なんとなく私がBさん達から距離を取ろうとしていた頃からBさん達からの“いいね”が一切無くなった。
ああ、避けられてる。
そう察したが致し方ないと思った。
『Bさん達と何かあったのか、あえて“いいね”を飛ばしてないみたいですよ』
と、言われて現実を突きつけられた。
やっぱりそうか、と思う反面やはりショックだった。楽しかった日々が全て忌々しく思いそうな自分も嫌だし、もうそれが取り戻せない日々になってしまったことが悲しかった。
そして熱心に感想を送ってくれていた人も今は一切何の音沙汰もない。そんなものだったのだろう、と割り切るしかない。
だが、身勝手ではあるがあれほど好きと言ってくれていたのに掌を返したような振る舞いをされるのは軽く人間不信になる。
考え方や熱量の差、温度差や金銭感覚、どれも皆同じではないとわかっていても、それによって此処まで溝を深める事態になるとは思っていなかった。
今の気持ちは強いて言うのなら体育祭に命を賭ける側と賭けない側のような感覚だ。
命を賭けたところで何になる?と言う感じだが、どうせやるなら楽しくやりたい。
そして同じようにやっていたつもりが、実は遠目で見られていただけだった、そんな気分だ。
誰が悪いとかではない、ただ熱量が違うだけだった。それだけだ。
私が多くを求め過ぎて我儘になっていた部分もあるだろうが、相手側からも受け身にならないでぶつかってきてほしかった。
それが出来ない人もいる、と言うのもわかる。
けれど、社会人として生きているのなら最低限の歩み寄りはしようよ、コミュ障って言うけど仕事でどうしてるの?と言うのが率直な気持ちだ。
舞台で推しが出来たことがきっかけなのか、それともいずれはこうなることは決まっていたのか……
大人しく創作せずにROM専でいたらこんな気持ちにはならなかったのか、もうわからない。
ただ感想云々の話を目にして取り止めもなく吐き出したかっただけなので、すみません……
感想を貰えることは嬉しいこと、と言う認識だったけれど、そうではないんだなと実感しましたし、オタクの狭い世界でこうも拗れるのかと痛感しただけの話なんです……
それでも感想をいただけるのは嬉しいですし、モチベーションの維持や向上にもなるからいただけることを密やかに期待してしまうんです……