元々、オタクだった。
ガラケーの時代は個人サイトを巡り、日々サイト主様に感謝をする毎日を送っていた。
言葉を綴ることも、語彙もない。ましてや一オタクの感想など……と卑屈に思っていたこともあり、感想は送れないけれど、拍手を送る日々だった。
元々他者と関わることが苦手、コミュ障であることからROM専でいることは心地良かった。
そんな毎日の中でとても大好きなサイト主様がある日突然消えてしまった。その頃はまだ成人していなかった自分には、社会人であるサイト主様の私生活が忙しくなってしまったのだ、と勝手に解釈をすることにした。
寂しい、という気持ちとどうして感想を一度でも送らなかったのだろうと後悔をしたのは恐らくその時が初めてだったと思う。
だが、新しいジャンルに出逢い、そして場所もTwitterへと移り変わり、考え方や生み出す作品が好きな人が出来てその気持ちは少しずつ薄れていった。その方が生み出す作品にファボを飛ばすのに精一杯であったものの、それでも楽しく日々を過ごさせてもらっていた。
そんなある日、また転機が訪れる。
そのツイ主様が心を痛めて、所謂病みツイートをされたのを見かけ、辛抱堪らず初リプを送ってみた。言葉は拙く、けれど誤解を与えないような言い回しを必死に調べて、たった数行を何度も読み直し、何十分も掛けた後に送った。
返って来た返事は要約すると『ありがとうございます』と言うものではあったが、心は何処か晴々としていた。それが自己満足、とはわかっていても返事が来たのが嬉しかった。
だがそのお方もやがて消えてしまい、途方に暮れる日々が始まってしまったのだが其処は割愛させていただく。
月日は流れて、私も社会人となりストレスばかりの社会の波に揉まれる中で何故か声優さんにハマった。楽しそうに仲間と話す声や日常の話、好きな食べ物や嫌いな物の話、どれでも聞いたり、見ているだけで楽しく、
『凄いな』『自分も頑張ろう』
など、元気を貰い、なんとか仕事も頑張れていた。
その頃からイベントにも足を運ぶようになり、稼いだ給料を元に其処でストレスを発散する術を覚えた。
そんな時だった。
行ったライブイベントで、初めて触れるジャンルに落ちたのは。元々そのコンテンツ自体は好きな声優さんも出演されていたので、知っていたがいまいち足を踏み入れられずにいた。
しかも、目的とする声優さんがいるユニットではない別のユニットに落ちてしまった。
それからと言うもの、そのジャンルを漁り、Twitterのアカウントも取得し直し、元気にROM専になっていた。
だが、そのジャンルに対する熱は熱く、誰かと話したくて仕方がなかった。しかし、創作をしない人間が絵師さんや文字書きさんに話しかけるなど敷居が高い、かつ恐れ多いと思っていたため、何を思ったのか私は自分で創作を初めてしまった。
初めてフォロワーになってくれた方々は、
と、言ってくれたが少しでも報いたいなどと思ってしまった私は創作活動に精を出した。
反応を貰えるのが楽しく、日々増えるフォロワーさんの数に嬉しくなる日々を送っていた私にちょっとした事件が襲い掛かる。
卑怯にも無関係を装いたかったが、そうはいかず。矢面には立たなくともちょっとその揉め事に名前を出されたりしたが、何とかやり過ごした。
私は初めてフォロワーになってくれた人側にいたのだが、その前後からそのフォロワー(Aとする)と何やら摩擦が生じるようになったきた。
地方住みであり、イベントには来れないがそのジャンルも声優さんも好きであり、話すのは楽しかった。
だが、事あるごとに、
『25過ぎてイベントに行くのは痛い』
『年齢を考えた方が良い』
と、言う指摘を受けることが増えた。更にAは私が創作したものに対しても好みではない、と言ってみたり、
『別の人は天才だ』
などと言うようになった。
貰えるだけ良い、と初めは割り切っていたが、あまりにもそう言うことが増えた。
なので、心の平穏なためにもAとは距離を置こうと決め、少しずつ離れて行くことにした。
そんな時に舞台にハマった。
まさか、とは思ったが若手俳優に、2.5次元に……?と自分で驚いた。
勿論、それを知ったAからは非難を受けた。ハマった俳優さんに対しても心無いことを言われて、限界だった。
そして私はAをブロ解したのだが、その後も非難轟々。だが、こうでもしないと自分の精神がおかしくなりそうなほどだった。
あれだけ好きだったキャラや声優さん、そしてジャンル自体も嫌いになりそうなほど追い詰められていた。それが自分勝手な理由だとしても、もう耐えられなかった。
それからしばらくは悶々とした日々を過ごしていたが、推し声優さん・推し俳優さんのイベントや舞台に参加するうちに頑張ろう、まだ好きでいたい、と言う気持ちを固めて改めて創作に打ち込んだ。
感想が欲しい、反応が欲しい。
いけない、とは思いながらも欲張りで身の丈に合わない思いを待つようになったのも、恐らくはAに卑下されたことも一因かも知れない。
尽く、
『話の内容が好みではない』
『Bさんは素晴らしい、本物の天才』
『Bさんほど素晴らしい人はいない』
等々、それを個人のメッセージアプリのやりとりで言われていたことを思い返すと気が狂いそうになったりする。
そんなAお気に入りのBさんも私と同時期に舞台にハマったこともあり、仲良く過ごしていた。
Bさん以外にも複数人仲良しと呼べる人がおり、所謂グループみたいなものを形成していた。
来れるイベントや舞台にも限りはあることは百も承知だ。その中でもCは地方住みながら、フットワークが軽く推しのイベント・舞台には必ず参加していた。私は休みが比較的融通の利く職種なため、Cとイベントや舞台に参加することが増えていった。
そんな時だった。
推しがちょっとしたイベントに出る、と言うのを知った時に私とCは参加しよう!と盛り上がっていたところにBさん達からは、
と、言いたげな雰囲気が漂っていたし、現にそれに近しいことは言われた。
なんとなく、そのイベント前からBさん達との温度差を感じるようになって来たが見て見ぬ振りをしていた。
仲良くしたい、このままでいたい。
そう思っていたから。
そして迎えた推しのイベント後、案の定私もCも燃え上がっていた。そして同じように燃え上がっている人を見つけて、盛り上がった。
その時はBさん達も生温い目で見守ってくれていたが、溝が深まったのはその後だった。
其処で埋められないほどの溝が出来上がってしまった。
全4パターンある舞台内容。推しのメイン回公演には仲良しグループが全員参加していた。
だが、私は4パターンもあるなら全部観たいタイプなので全てのパターンを観ることにした。
それはCも同じであり、1〜4パターン全て見た。
そして先のイベントで話すようになったDさんと色々あって、とても仲良くなることが出来た。
そう、其処からだった。
そんな一言に、配慮が足りなかったなと反省したが燃え上がっているものを早々消せず、CやDさんと話す機会がより増えた。
身勝手なもので、燃え上がっているものをわかる人と話すことが楽しくて仕方がなかった。
そしてBさん一味の中の一人に、
『最近、構ってくれないよね』
構ってくれない、とは何だろうか。
コミュ障だと自認している。他者とコミュケーションが円滑に取れないが、流石に社会人になり仕事で他者と話す機会や初対面の人にプレゼンしたり等々するようになってからは“他者と話せる自分”と言う偶像を作り出せるようになった。
雑に言ってしまえば“外面”だと思う。
職場でも“外面が良すぎる”と言われ、現在もクレーム処理やらを行う羽目になっているほど、ある意味“外面”を取り繕うことが出来るようになっていた。なので、昔は出来なかったふぁぼを安易に飛ばす、感想を送る、リプをする、と言ったことが少しは出来るようになっていた私に突きつけられた『最近構ってくれない』と言う言葉。
Twitterの中での友人ではあるが、間近にいる現実で顔を良く突き合わせるような存在でも職場の人でもない、ましてや家族でも恋人でもない人に、『構ってくれない』と言われることに首を傾げたくなった。ましてや、言ってきた人は私より年上。正直何を言っているのだろう、と思ってしまった。少し偉そうではあるが、構って欲しいと言うのなら何らかのアプローチが欲しいし、其方からリプなりなんなりをくれれば良かったのでは?とすら思ってしまった。
そもそも、だ。
拗れる要因となった舞台の待ち時間に、大手のツイ主さんと話す機会があり、初対面でこちらも緊張している時に大人数でその場に押し掛けて、その方を引かせていると言う所業をやらかしている集団に私は少し怒りを覚えていた。
初対面の人に対するマナーとは如何に……?と。
それ以外にも私を足掛かりに大手と顔見知りになろうとする魂胆が透けて見えたり、そのグループから、
『こう言うの書いて』
と、言われて書いたり(書いた後の御礼や感想等はなし)することが増えていて、これまた疲弊していた。
見返りを求めることが間違っているし、感想など貰えるものではない、御礼なんて持っての他。
それに其処のグループには熱心に感想を送ってくれる人がいるから、手離すのが怖かった。
実にずるいと思うし、他者を何だと思っているのだろうと自分でも思うけれど、その方がくれる感想は確かにモチベーションの維持にはなっていた。
だが、それも長くは続かなかった。
チケット争奪戦に敗れた私は取引垢で、チケットを譲っていただいたり、同行のお約束をいただいたりと奔走している時に、
『私達の分は?』
そう言われた時にもうダメだと思った。
本当にそんなことは思ってなかったかもしれない。
だけど、噛み合わない会話やテンポ、温度差、考え方、とにかく全てに耐えられなくなってしまった。
もう創作やめよう、其処まで思い詰めた。
そして正直、今でも思い続けながら創作をしている。
苦しい、辛い。
そう思いながらも創作することをやめられずにいる。そんな気持ちで創作をしていても、創作することで気分転換になることもあったからやめずにいる。だが、なんとなく私がBさん達から距離を取ろうとしていた頃からBさん達からの“いいね”が一切無くなった。
ああ、避けられてる。
そう察したが致し方ないと思った。
『Bさん達と何かあったのか、あえて“いいね”を飛ばしてないみたいですよ』
と、言われて現実を突きつけられた。
やっぱりそうか、と思う反面やはりショックだった。楽しかった日々が全て忌々しく思いそうな自分も嫌だし、もうそれが取り戻せない日々になってしまったことが悲しかった。
そして熱心に感想を送ってくれていた人も今は一切何の音沙汰もない。そんなものだったのだろう、と割り切るしかない。
だが、身勝手ではあるがあれほど好きと言ってくれていたのに掌を返したような振る舞いをされるのは軽く人間不信になる。
考え方や熱量の差、温度差や金銭感覚、どれも皆同じではないとわかっていても、それによって此処まで溝を深める事態になるとは思っていなかった。
今の気持ちは強いて言うのなら体育祭に命を賭ける側と賭けない側のような感覚だ。
命を賭けたところで何になる?と言う感じだが、どうせやるなら楽しくやりたい。
そして同じようにやっていたつもりが、実は遠目で見られていただけだった、そんな気分だ。
誰が悪いとかではない、ただ熱量が違うだけだった。それだけだ。
私が多くを求め過ぎて我儘になっていた部分もあるだろうが、相手側からも受け身にならないでぶつかってきてほしかった。
それが出来ない人もいる、と言うのもわかる。
けれど、社会人として生きているのなら最低限の歩み寄りはしようよ、コミュ障って言うけど仕事でどうしてるの?と言うのが率直な気持ちだ。
舞台で推しが出来たことがきっかけなのか、それともいずれはこうなることは決まっていたのか……
大人しく創作せずにROM専でいたらこんな気持ちにはならなかったのか、もうわからない。
ただ感想云々の話を目にして取り止めもなく吐き出したかっただけなので、すみません……
感想を貰えることは嬉しいこと、と言う認識だったけれど、そうではないんだなと実感しましたし、オタクの狭い世界でこうも拗れるのかと痛感しただけの話なんです……
それでも感想をいただけるのは嬉しいですし、モチベーションの維持や向上にもなるからいただけることを密やかに期待してしまうんです……