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2020-10-19

恋人が緊急入院した

あれこれ忙しく、どこかに書かずにはいられなくなってしまったので増田に。

 

昨日の朝、一緒に住んでいる恋人が早朝からおなかがいたいと言った。

もともと良性の腫瘍があり、年に2回ほど経過観察のため病院に行っていた。痛みの位置的にも腫瘍がわるさをしている可能性が高く、はやめに診てもらったほうがいいと考えてかかっていた病院救急外来電話

当直の先生へ病状を伝えたところ、やはり腫瘍が原因になっている可能性が高いとのこと。いつ来てもいいと言われ、簡単に支度をしてタクシー病院へ。

 

診察前に熱をはかりにきた看護師さんにお友達ですか? と聞かれてパートナーですと答えた。家を出る前に関係を聞かれたらなんて言えばいいの? なんて話していたのが役立つ瞬間だった。

診察中は待合室のベンチで待機。MRIをすませた段階で、痛み止めの点滴を打たれている恋人のところに通してもらえる。パートナーと伝えていたのがよかったらしく、全体通して家族扱いしてもらえていた。外科先生がきて、病状の説明。やはり問題腫瘍が原因とわかる。

今日手術してしまうのがよいそうで、そのまま手術の説明をうける。日曜に手術、水曜まで入院三泊四日の予定だそうだ。また、コロナ禍のために面会ができなくなっているとのこと。腹腔鏡手術担当先生説明がていねいで感じがよく、好印象だった。入院の準備と手術の準備をするのでと言われ、そのまま二人でしばらく待機。朝からなにも食べていなくていいかげんおなかがすいたので、長丁場になったときのために持ってきていた焼き菓子を食べた。おいしい。

その間に恋人家族に連絡していた。コロナ禍のこともあってわたしはまだ恋人のご両親にお会いしたことがなかったけれど、恋人伝いでお母さまとLINEを交換し、はじめて直接連絡をとる。優しい言葉が返ってきて一安心…。

 

手術に関する書類わたしだけ窓口に呼ばれて記入をした。無料の病室の都合がつかないらしく、室料がかかると言われて同意書を書くよう案内される。インターネットでつけた知識をもとに、病院都合の部屋の変更は料金がかからないと聞いたことがあると思うんですが…と話すと、無料のお部屋をご本人も強くご希望ということですね? と念押しされてしまった。こわい。窓口のかたが先生確認しますと下がっている間に恋人にこういうことになってますと連絡。正直、手術をしてもらう時点でこちらは命を握られているに近いわけで、軽い気持ちネゴシエーションがおおごとっぽくなると入院中の待遇がわるくなったらどうしよう、などと心配になってしまう…(とはいえ病院の方は皆さんとても親切でていねいでした)。

戻ってきた窓口のかたによると、火曜までは有料の部屋が無料で使えるが、最後の一泊については無料の部屋があかない場合交渉必要とのこと。わたし仕事があり、面会もできないのでおそらく入院患者本人に交渉しろということだろう。入院必要人間にそんなめんどうなことをさせるのか…? というきもちでいっぱいだったけれど、これ以上めんどうを起こしたくなく、その条件をのんしまった。窓口のかたが室料についての新しい同意書を持ってきたので、それにサインする。文言が変わっていて、系列病院に移動させられても文句を言いませんみたいな内容になっていた。すごく不安だったけれどサインをしてしまう。

恋人のもとにもどって、室料の件をかんたんに話した。退院するまで部屋の件は不安だしよくないことが起こらないといいなと思っている…。べつにお金に困っているわけではないんだし、払ってしまったほうがよかったのかなあ。

 

しばらく待って、病棟に移動することになる。待ち時間恋人はすこし寝ていた。わたしも気疲れしてしまってベッドの柵にもたれて目を閉じていた。

移動までの間、面会できないので、ナースステーションまでですと念を押された。恋人が病室へ連れていかれてしまうのを見送って、ナースステーション横のソファで待つ。すこし前におなじようなかんじで手術と入院をした友人に役に立った持ちものを聞いたり、自分でもあれこれ体験記を読んだりしてこのあとの荷造りのことを考えていた。

看護師さんが来て、もうすぐ手術ができるがいまはまだ時間がわからないこと、もう面会ができないので帰ったほうがよいことを伝えに来た。うすうすわかっていたけれど、もう退院まで恋人の顔を見ることはできないらしい。ここでお別れです、という時間を1分でもつくってもらえたら最後に手を握ったりなんか話したりできたのにな、というきもち病棟へ移動した際に預かったままになっていた恋人荷物看護師さんに渡して、荷造り&買い物のために病院を出る。

 

恋人の通っていた病院は、比較的家からも通いやすいところで、今回それが助かったなとおもいながらユニクロ無印良品成城石井マツキヨに行く。途中おなかがすいてしまってたまごサンドを買って食べた。

あってよかったものリスト、いろいろ見ているとジャムふりかけがあげられていることがおおかった。恋人お菓子ジャムをふだん食べないので、いろいろ迷ったけれど三島食品紅鮭菜飯を買う。

ちょこちょこ連絡事項をやり取りしていた恋人に手術内容について聞かれて、返信しながら恋人もいろいろそれどころじゃないのかも、とあらためておもった。わたしが同席していられてよかった。

買い物でスマホから目を離している一瞬のうちに恋人は手術室にはいってしまったようだった。買い物をすすめながら、わたしは手術が完了したあと連絡をもらえるのだろうか、と急に不安になる。そもそも手術って家族が手術室の前で祈りながら待つようなイメージだった。今回は面会ができないのでそれができないことはまあわかっているし、荷物を持ってくるためには帰ってこないと電車もなくなってしまうから、一度帰宅する必要はあった。ここでようやく腹腔鏡手術の所要時間を調べる。持ちもののことばかり考えていた。

 

買い物をすませて家に帰り、iPhoneの着信音を最大にする。

荷物を準備していると、ちょうど手術開始から2時間弱のタイミング電話が鳴った。手術は無事終了、とくに合併症などもなく予定通りに終わったとのこと。恋人麻酔で寝ていて、連絡がつくまでまだかかるそうだ。電話を終えて、恋人のお母さまにも連絡する。はじめ恋人はお母さまに、わたしへ連絡先を教えておいてと言われたとき電話番号を伝えてくれようとしたのだけれど、LINEにしておいてよかったとおもった。既読がすぐについて、しばらくして返信がある。とても安心したことや、わたし病院先生へのお礼など。

わたしはいまたしか恋人生活をしていて、おたがいがおたがいのいちばん関係者だとおもっている。籍を入れることはできないけれど、指輪の交換もした。けれど、わたしという存在によって、恋人のお母さまは手術の結果をいちばんに聞くことができなくなってしまったんだ、とおもうと、わたし恋人をとってしまったような気がした。

 

荷造りをすませてふたたび病院に向かうころには、通常の面会時間はすでに終了していた。守衛さんに伝えて手続きをおこない、ふたたびナースステーションへ向かう。

看護師さんに荷物を渡すと、荷物を渡しがてらとくに持って帰ってもらうものはないか恋人に聞いてもらえた。わたしはそこですでに恋人が目を覚ましていたことを知ることになる。恋人の病室はナースステーションからいちばんかいのに、恋人の病室に出入りする看護師さんを黙って見ることしかできない。毎日一緒に寝起きしているのに、いまは恋人が起きているかどうかも他人に聞くまでわからないのがむしょうに悲しくて、泣きながら病院を出た。

 

最寄り駅にふたたび帰り着くころにはすでに22時をまわっていて、どうしようか迷ったけれど松屋で夕食をとって23時には寝た。わたしは寝付きがいいほうではないので一人寝はかえってねむれるかも、とおもっていたけれどねむりは浅く、病院に行く夢や恋人と過ごす夢ばかり見た。

 

日付変わって今日恋人はまだ具合がよいとはいえない状態のようだけれど、連絡はとれている。このままなにごともなく病院を出て、しばらくはつらいだろうけれど、ゆっくり回復できればいいなとおもっている。

不安なのかさみしいのかわからないけれど、誰かに話したくてしょうがないし、けれどおなじ温度感問題を共有できそうなひとがいないのがしんどい。昨日から泣いてばかりいる。

恋人はさみしくて毎日泥酔しているかも、なんて軽口をたたいたけれど、いまは夜ごはんになにを食べたらいいかよくわからない。

2020-10-08

光の増田を読んでしまって吐露したくなったので書く

母親が癌になって7年たった。

発見時は原発から他の部位にも転移していたしなんなら骨転移もしていてステージはⅣだった。

これはもう長くないのかな、でも早く死にたいって言ってたし医療保険入ってないしどういう手をつかったのか年金も払ってないし

70手前でこの状況は本人の望んだ人生だったのでは、と思っていたら大本腫瘍摘出から怒涛の抗がん剤治療が始まった。

抗がん剤やるんだ…と思いつつもまぁ手術したならしないといけないのかな、

ところでホスピスとかって予約いるんかなと思ってたらあっという間に7年経った。

コツコツ貯めたらしい貯金は心もとない額になった(本人談)らしいし

高額医療制度を使っても父親年収のおかげで月15~25万は出ていくらしいし

父親だって後何年働けるかわからないし

まじでこの先に不安しかない。

今は父親が働いてるからなんとか医療費も払って治療もしてるけど

ステージⅣってなんだったん…?と思ってしま自分がいる。

正直孫の顔も見せたし(姉がだけど)、光の増田のように別にあれこれしてあげたかった気持ちもわかないし、

もし先に父が倒れたらどうすんの…?

てか将来病気がみつかったら治療はしないで早く死にたい、だから保険年金も払わないってあれだけ言ってませんでしたっけ…?

まじで意味がわからない。姉の子(母からしたら初孫だった)が小学校はいるまで生きてられるか…とか言ってたけど

なんか余裕で生きてそうな気がする。

てかそここだわるなら保険はいって年金も払っておけよって思ってしまう。

母親のことを1mmも心配できない。

2020-10-02

anond:20201002015806

多発性の腫瘍の再発で

太く見えるのだとしても

あなた方には笑い者にするのだね

ここはそういうところ

ガンの治療脱毛の人は気の毒で

なかに腫瘍がある人は(良性)なら、わらいもの

だらしないとか罵詈雑言

健康って素晴らしいですね。

2020-09-28

anond:20200928211140

普通の人はそんなふうにはならないので

なにか問題を抱えてるのは間違いないね

脳に腫瘍でもできてるんだろうか

2020-09-08

飼っていた猫が亡くなった

今朝、実家で飼っていた猫が亡くなったと母から連絡があった。

結婚して実家から出て一年半、最初一年は定期的に猫に会いに実家に帰っていたのだけど、

コロナ禍でなかなか帰れずここ半年ほとんど会いに行けてなかった。

こんなことなら、コロナなんて気にせずもっと会いに行ってあげれば良かった。

夫や義両親の目なんか気にせず、もっと頻繁に実家に帰るべきだった。

亡くなった今日そばにいてあげることができなかったので、

母の日プレゼントを渡しにGW実家に帰ったとき最後のお別れになってしまった。

目に腫瘍ができていて片目しか見えてなくて、足の力も弱っていてほとんど起き上がれないのに、

撫でると「おかえり」って言おうとしているみたいに、こっちを見てかすれた声で鳴いていた。

力がなくてもうほとんど声なんか出ないのに。

頭をなでて「頑張ってるね」って声を掛けた。

辛そうでも頑張って生きている、いやそれともこの子意志ではなくムリヤリ生かされてしまっていて辛いのか分からない状況に涙が出そうになり、でもその猫を一生懸命介護してくれている母の前かで泣いたりしたらいけないと思い、その日は緊急事態宣言下で県をまたいだ移動を自粛する動きがある時期だったこともあり、「また来るからね」と言って、短時間帰宅した。

それからも定期的にLINEで母に猫の様子を聞いていた。

「相変わらず寝たきりだけど、ご飯もなんとか食べてくれてるよ」とか

ちょっと食欲が減っているけど夏バテかもしれない」とか

メッセージをもらうたびに「コロナ落ち着いたらまた会いに行くね」って返していた。

ほんとは、弱っていくあの子をもう一度見るのがつらくて先延ばしにしていただけだった。

母は毎日辛くてもあの子そばにいてあげたのに。

ほんとにごめん、ほんとにごめんね。

コロナなんて言い訳で、あなたの姿を見るのがつらくて避けていただけなの。

最後そばにいてあげられなくてごめん。

かまってほしいとそばに来てくれた時に「あとでね」って言って冷たくあしらったりしたこともあったね。

結婚してから全然会いに行かなくてごめん。

謝ることばかり。

捨てられててボロボロになっていたあなたを妹が拾ってきて、

20年も家族でいてくれてありがとう

私が連れてきたお友達にも優しく接してくれてありがとう

弟猫たちが喧嘩してるときは、その貫禄で止めてくれたりしたよね。

私が結婚して家を出たあとも母のそばにいてくれてありがとう

長期出張中だった妹が実家に戻ってきてすぐにお別れの日が来てしまったのは、

やっぱりひとりぽっちで寂しく過ごす母をぎりぎりまで支えてくれてたんだね。

無理させちゃってごめんね。

今は謝ることしかできないや。

ほんとはあなたとの楽しい思い出を書こうと思ったんだけど。

まだ形あるうちに最後のお別れしに会いに行くから待っていてね。

2020-09-05

失われた半身

腫瘍とともに 母であることを切除した人間の下で

私は あの者の人生訓に 縛られた

赤貧と結核で 聴力の弱ったあの者は

私に 食事書物以外を 望まぬことを強いた

他人他人論理に基づくことは 私を社会から切り離すための あの者の説教切り札であった

夜中には 失われた半身の 記憶が蘇る

私にはかつて 愛する者がいた

私は 瞳を見れば吸い込まれ 魂の離れがたいような その者も私を観ている そうした幸福なひとときがあった

偶然の符号と 交わされる言葉のすべてに 不思議確信があった

あの人は 向日葵のような 輝かしい人だった

家へ帰ると私は 術後床に着く病人の 小言を聞いたが

あの瞬間を 永遠に感じたことを 思い出していた

2020-08-27

甥と酒を酌み交わす日に、俺はきっと坊主になる。

おっさんだけど、今、髪を伸ばしている。

何かの願掛けとか、散髪代の節約とかではない。

好物のラーメン蕎麦を食べるときは麺と一緒に吸い込んでしまうし、シャンプーリンスの他にコンディショナーやヘアパックまでして、さらドライヤーで乾かす手間が面倒でたまらないが、それでも髪を伸ばし続けている。

その結果、後頭部には結構サイズポニーテールがぶら下がっている。

俺の体格はいい方で、プロレスラーに間違えられることも過去に数度あったが、最近マスクポニーテール起因のオールバック状態でその頻度は格段に上がった。

俺ならこんな見るからに怪しい風体の男に声を掛けるどころか、前から歩いてきても相手を逆上させないように気を使い進路を変える。

その点、声を掛けてきてくれる方々の肝の太さが羨ましくもある。あとは俺がプロレスラーでさえあれば、みんなが幸せになる。

俺にはもうすぐ二十歳の誕生日を迎える甥がいる。

彼は生後半年大人の握りこぶし大の腫瘍を除去する手術から生還したサバイバーだ。

手術後、小さな体には何本もの管が突き刺さり、その時の傷跡は今なお残っているし、当時は薬の影響か体毛が抜け落ちた状態だった。

その姿をNICUで見た俺の両親は涙が止まらなかったそうだ。

再来月、その甥とついに飲みにいけることとなる。

今は亡き父の念願を、おじさんたちで果たそうと企画している最中だ。

俺が髪を伸ばしている理由は「ヘアドネーション」のため。

多少の不便を堪えれば、小児がんで髪の毛が抜け落ちた子供のためのウィッグ材料となる毛髪を寄付できる。

ハゲしまう前に、白髪がこれ以上増える前に、今日もトリートメントを欠かさずにする。

から、甥と酒を酌み交わす日に、俺はきっと坊主になる。

2020-08-14

MRI検査腫瘍が見つかって、

正体がよくわかんないか超音波検査しましょうねって言われたんだけどMRIでわかんないもの超音波でわかるってことある???

超音波ってあの白黒でザラッザラの映像が見れるやつでしょ?

2020-08-13

少年サッカー指導者だった父が末期の胃がんを患った

春に行った自治体の定期健診で貧血が指摘され、再検査で大きな胃がんが見つかった。

自覚症状として胃の痛みはなく、便秘気味で便が黒かったがまさか胃がんとは思わなかったそうだ。

がんは肝臓転移していてステージVI、父の人生の終わりが見えてしまった。

父はずっと、おそらく40年は少年サッカー指導者をしていた。60歳くらいでアキレス腱を切っても辞めずに指導を続け、指導した子供は数知れず、教え子からJリーガーも輩出した。

葬式やったら弔問客が会場に入りきらないんじゃないかなと本気で思ってる。このコロナ禍でなければだけれど。

そんな父が検査結果に呆然とし、潔く開き直り抗がん剤による化学治療を開始した。

なんの問題もなく治療が進んでいると聞いていたけれど、それはやっぱり子供安心させるための嘘で。

抗がん剤の影響か若干のせん妄があるようで、様子を見に行った姉に話した言葉はだいぶ支離滅裂だったそうだ。

入院治療中に暴れて生理食塩水の点滴を引き抜いてしまい、針抜いちゃうと本当にやばい抗がん剤の点滴中は例外的家族の付き添いが許可された。

化学治療に用いる抗腫瘍薬は「認知症患者精神症状をきたしやすい」。

認知症患者に。

ということは、つまり

今まで考えないようにしてきたけれど、普段はしっかりしていてそんな心配はないと思っていたけれど。

強くて、怖くて、大きかった父が、弱っている。失われつつある。

父の人生は終わりが見えてしまった。ロスタイムに入ってしまった。今はアディショナルタイムっていうんだっけ。

スコアは勝っているだろうか。孫の小学校入学を見届けるため、あと1点くらい頑張ってくれるだろうか。

2020-08-07

anond:20200807184816

今すぐ脳神経外科に行って、脳のCTを撮ってもらってください。

脳の中に腫瘍ができたせいで、脳の活動に異常をきたしている可能性があります

大袈裟かと思われるかもしれませんが、検査して異常がみつからなければ、それでよいのです。

2020-08-05

から腫瘍ボコボコさいはつしてるっていってんじゃん

どんなフラットお腹でもどうしようもないよ多発性だから

それをだらしないと嗤う人って

ガン治療で髪が抜けた人のことも嗤ってそう

16年間、小学校からの付き合いだった飼い犬が死んだ。感情吐露する

リン、飼い犬のリン今日死んだ。いや人気者過ぎて神様だか上位存在のもとに出張してやったのか、あるいはグルメだったから今の世界に飽きてちょっと三千世界だの並行世界だのを渡り歩きに行ったのかもしれない。

感情が高ぶっている。だからこの高ぶりが残っているうちにこうして文章を残す。

伝えたいテーマ気持ちがあるわけではない。

ただ今人生で一番の悲しみが、哀しみが、非常に緩やかに、それでいて確実に風化してしまう、過去になってしまう、忘れてしまうことが恐ろしい。

そう、全部昔のことになって、リンのことが、お犬ドッグ、猫ドッグ痕跡がすべて消えるのがたまらなく恐ろしい

からこの高ぶりが残っているうちにこうして文章に残す。

この犬の歴史を、私の感想を、感情を、願望を

ごちゃまぜにしたまま

整理もせずただ出力する

誰かの目に当たることを前提としてはしていない。もしかしたら自分からあてにいくことはあるかもしれない。

もしこれを誰かが見ているのだとしたら、恐らく自分自分からこれを公開したのだろう。恥ずかしいやつだ。

だけどこれは、この感情が風化してしまう前に、本当にあったんだぞと。この喪失は、悲しみは確かに此処にあったのだぞと歴史に傷跡を残したい一心で残すだけの文である

いや文ですらない、言葉っぽい何かが連なっているだけだ。いつか赤ら顔で悶絶しながら読み返すのかもしれない自分、それ以外の不幸と幸運の数奇の嵐の

旅路の中でここに立ち寄ったあなたにこれだけは忠告しておきたい。ここから読んでも何も得るものはない。

リン2004年我が家にやってきた。

その時のことは割と覚えている。確か小学校入学を控えた私が出先でペットショップをみかけ、そこで売られていたチワワに一目ぼれして買って!とせがんだ数日後、

母親がケースに入れて

家にやってきたのがこのダックスフントロングのリンである。えぇ・・・となったものだが

それ以前に「犬を飼うなんて!世話とかできんやろ!」という兄弟たちの猛烈な親への抗議に押されてそれどころではなかった



話は変わるが私の小学校入学までの歴史うんこである。なんだったか、親がアメリカ真剣争いしただの外国人雇って私を誘拐しただのろくでもないワードが飛び交っている。

そのせいでPTSDだのなんだのを幼くして発症した私は家に引きこもることとなり、入学までに備えておくべき社会性だのなんだのというものはまるでなかった。

当然、学校が始まってからというものまったく馴染めなかった。なんなら字もかけなかったし口もきけなかった。

当然、つらい

そんな私を救ってくれたのがお犬様のリンだった。

何せこいつは素直だった。ごはんがあるとわかるやすり寄ってくるし、おもちゃやらなにんやらを取られるとか不快な思いをするとすぐ威嚇してくる。一般的にはワリとクソ犬の類だったと思う。

だが、やたらとクソみたいな口撃でマウントを取ってくるDQN同級生、肝心な時と肝心じゃないときにまったく役にたっても味方になってもくれない家族、クソみたいな気づかいぐらいしかできない新興宗教にハマってる女性担任先生

本人がクソなら周りもクソが集まる中、お犬はストレート感情を示してくれたし見た目も人畜生より何倍もよかったから目の保養にもなった。本当にこれだけが私の支えだった。

支えの代価としてドッグフードではなくミンチ肉を要求され続けることになるとは思ってもいなかったが。いやマジでドッグフード単品だと食べなかったよあいグルメかよ。

んでそんなお犬様を連れて散歩などをしていると、公園に生息している同級生たちはその可愛さにつられてホイホイ♂やってくる。そして当然散歩してる自分との会話になる。こうして私は犬から社会立場まで与えられたのだ。お犬様バンザイ

こうして私とお犬ドッグの日々は続いた。日々飽きるごはん!(日替わりじゃないとやだ)テコでも動かない散歩!(俺はこっちの方向に行きたいんだ人間風情が決めるな)

もふもふ!(もふもふ!)とまぁ輝かしい思い出はいっぱいある

途中で良性の腫瘍で手術することになったり、悪性のがんで手術したりしたがなんか生き残ってた。すごいなリンちゃん

これが2015年ぐらいのお話。当時大学受験を控えていた私は大層メンタルを乱されたがお犬はケロっと生きていた。だからだろう。なんとなくお犬はずっと一緒に居続けるなんて幻想無意識のうちに抱いていた。

大学に入ったころあたりに耳が聞こえなくなった

私は焦った。犬の老化を、ひいては死を実感してしまたから。

お犬自身はへーきそうに日々を過ごしていた。

18年19年ごろにはぴょんぴょんはねていたような段差が登れなくなった

それでもごはんはいっぱい食べてたし、まぁ多少はねという気持ちだった

20年に入ってからごはんを食べなくなった。元から飽き性だったので中々気が付かなかったが、肝臓が半分ダメになってた。それでもお肉はちょこちょこ食べてたし、大丈夫だろうと自分をいいきかせつつ、注射器ミルクを与えるなどをやっていた

今年20年の5月ごろ、私は仕事のため家を離れていたが

発作のようなものが起きたらしく病院へ。

てんかんと診断された。あと心臓が止まりがちなのも判明した

お薬はもらったし、容体も安定してるからまだ

8月に死んだ死んだしああ駄目だ。

16年だ。16年以上一緒にいたのに思い出せない。楽しいと感じてたはずのあの日々が思い出せない。いや大まかにはわかる。でもディティールがわからない。あのとき具体的にどんなことがあってどんな気持ちだったのが、リンと何したのか、リンはどんな顔してたかリンとどんなことしたのか、リンは、リン

思い出してやりたいのにずっと最近の畳みかけるような悪化の一途の記録だけが頭をよぎる。

つらい。悲しい。ひどい。

あいつは走るのが好きだった。それはもうべらぼうに早くて、当時ディープインパクトなんて馬が流行っていたかディープコンパクトなんて親が呼んでた。近所の小学生自転車すらものにしなかった。昨日までだって散歩してたぐらいだ

でもだんだん走ることはしなくなった。ジャンプだってしなくなった

あいつは食べるのが好きだった。しかグルメドッグフードを与えたところまったく口にせず、苦肉の策の一環でミンチ肉を混ぜてやったらバクバク食べた。以降、それが彼女の常食になった。医師からも適量であればと言われ、犬自身もそれじゃないと食べないのだからこっちは懐痛めてお肉代も出さねばならなかった。それを食べてなお、台所で何かをあさったり、おやつ野菜の切れ端をやると飛んでやってきて全てをかみ砕いて食べていった。さながらブラックホールだった。

でもだんだん食べなくなった。大好きなミンチ肉も、ささみも、きももいらないとそっぽを向いた、おやつだって途中で残した。

耳がよかった。あいつの前で隠れても物音を立てればすぐ見つかった。

聞こえなくなった。

目もよかった。遠くから俺を見つけた瞬間しゅばばばばっと風のようにやってきた

あんまり見えなくなった

昨日まで生きてた

生きてなくなった

できなくなった、なったなったなった

老化というのは、時の流れというのはあんまり残酷ではないだろうか

あいつにはいろんな楽しみがあった。色んな特技があった。色んなやりたいことがあったはずだ

でも全部時の流れに奪われた。挙句の果てにまだ生きられたはずなのにみんなが寝てる間に布団が絡まって呼吸困難になったのが原因で死んだ。

きっと、病魔に蝕まれたりするよりは楽だったのかもしれない

それでもあんまりじゃないか。もうちょっと穏やかな死でもよかったじゃないか

何故私の血肉は、命は、寿命は分け与えるように、捧げられるように作られていないのか。

神様はひどい。こんなことばっかするんだもの

それから。忘れられるのもつらい。

リンは、犬は確かに此処にいたはずなのに、もういない。

から忘れられていく。いつか痕跡もなくなって、私の中から過去になってしま

この悲しみが、喪失が、リン存在が、

ただ過去にあっただけという設定に成り下がってしまう。

5年前、がんと最初に診断されたときからリンが死んでしまうこと、リンが忘れられてしまうことがたまらなく恐ろしかった。恐ろしかたから、目をそらし続けた。

逸らし続けた結果がこれだ。感情を抑えきれず、認められず、八つ当たりのように何かを打ち続けてないとおかしくなりそうだ。

嘘。半分嘘

何かをやってないと狂いそうなのは本当

でもそれは全部じゃない。

書いている間。ちょうどこの欄をかいてるあたり、気持ちが落ち着いてきた

落ち着いてしまった。

まさしく上に書いた通り過去になろうとしてる。まだ知らせを聞いて数時間しかたってないのに。亡骸みて2時間程度なのに。私の悲しいとやらの感情はそんな程度だったのか。16年とはそんなに軽かったのか。自分への失望が、時の流れへの絶望で砕けそうだからそれからまた目をそらすために、文として意味を成すかも怪しい文章をつづり続けている。

話はここで終わり。

オチなんてない。きっと明日もっと落ち着いてしまっている。過去にしてしまっている

から、この感情迸りだけは、残しておきたかった。その100文の1でも、読んだ誰かに伝わればいいけど。いや無理だなこりゃ

あ、でもちょっとだけ光明もあったんだ。

これを記さないのは嘘だから、こっちも付け加える。

犬が死んだことについてLINEで知人に送りまくった。

天に召されたようちの犬、時々でいいから思い出してやってね。と

さながらスパムメールだ。忘れられてしまう恐怖に勝てずにありったけの種を無造作にばらまいたのだ。

そしたら、結構な人が反応をしてくれた。前から連絡のあった知人についてはすごい心のこもったであろう言葉と、忘れないという宣言をいただいた。

無理やり引き出したような感じではあるが、とても、とても救われた。クソな環境だのなんだのと一番上で言ってたが、今ではいい知人・友人に恵まれてる。というかこの知人友人みんなリンきっかけにできたやつらばかり。また犬に救われてしまった。

あと、もう一つ。緊急されたって連絡が来たその時間自分はまだ夢の中だったわけだけど

夢の中でそのリンが出てきた。

ケージの中に入れられてるリンが目の前にいて、おやおやと思って出して撫でてやるとすごい喜んで、顔を擦り付けてくるし伸し掛かってゴロゴロしてくるしでおおどうしたどうしたと、なぜか感じたリアルな重みと温かさを感じていた。そしてメールが着て目がさめて、あとはご存じのとおり。

あいつの人生ならぬ犬生の後半は特にだが、私は飼い主として至らない点が多すぎた

今回死んだのだって、私が交通云々を考えずに実家にいれば防げたかもしれないのだ。

つらい。あまりにも申し訳がない。

でも、でも、夢に出てきたんだ。それっぽい挨拶をしていきやがったんだ。

きっとあいつ的には、私は及第点だったんだろうか。そう思いたい。

こうして書いてると、ディティールのつぶれた思い出がちょっと輪郭を取り戻してくる。

なんというかあいつはもふもふで、何かとみんなを魅了していた。

それでいて家では猫のようにそっけなくふるまうし、膝にのって寝てくる。ネコドオオッグ

気ままなやつだった。だから入れ込んだ。

あいつは老化と共にできないことばかりになっていった

だけど最後にわかたことがある。

あいつはクソ演出家だ。

散々救わせておいてほとんど見返りを渡さなかった私に対して

最期は夢の中にきて如何にもな挨拶をして去っていった。

陳腐ドラマにありそうな展開だ

夢なんて人の脳が手元の情報をもとに作りだすまやかしだ。

今回だってたまたますごい偶然を引き当てただけなんだろう

それでも、それでも、私はこんな都合のいい夢にすがっている。救われてしまっている。

お前にしてはまあよくやったのだとあいつに言ってもらえてるような気がして。崩れ去る寸前のところで踏みとどまれしまっている。

嗚呼リン。俺がお前にしてやれることはもうないけど、たぶんお前はいっぱいいいことをしたから、あの世やら並行世界やら生まれ変わりやら、どのルートでも幸せになれるよ。

あんなに人を笑顔にして、俺も救ったんだもの。誰も文句はいわないって。

から、俺がソッチに逝ったときはまた気が向いたら顔見せてほしい。

いやどうせお盆だ。夢の中にでも出てきておくれ。

これから俺はお前の居ない世界で生き続けていくんだけど、さすがにつらいから。

もうちょっと、お顔見せてほしい。

いやしめくくりとしてこの執着はちょっとあれだな。

とにかく、また会ってもふもふさせてくれる日を待っている。

よくぞ俺のそばに来てくれた。ありがとう

2020-07-30

anond:20200730210012

 ダウン症患者はめったにがんにならない。長年の謎なのだが,もしかすると抗がん遺伝子の数が通常よりも多いためではないかと考えられてきた。ダウン症は21番染色体が1本多いために起こる病気からだ。

 21番染色体には231個の遺伝子があるが,その1つであるDSCR1遺伝子が1コピー余分にあると腫瘍の拡大が抑えられることを,ボストン小児病院研究者たちがマウスとヒトについて確認した。同遺伝子はカルシニューリンという酵素の働きを妨げることによって,がんが必要とする血管ができるのを抑えている。新たながん治療薬のヒントになりそうだ。また,21番染色体には血管新生を阻害する遺伝子が4つか5つ存在する可能性があるという。Natureオンライン5月20日号に掲載

2020-07-26

anond:20200726231858

キミはルッキズムを治そう

『顔ニモマケズ』一度は読んでみるといいぞ

口唇口蓋裂(唇や上あごがつながっていない症状)の女性は、中学いじめを受けて「死んじゃおうか」と思うまでに追い詰められている。しかし、アート系の高校に進学したことで超個性的同級生に囲まれて、「私、すごい普通からこのままだと埋もれてしまう」と逆に焦るほどになったという。

眼球の腫瘍で片目をなくした男性は、就職活動面接で目のことが大きな壁になる。そこで「第一印象比重が大きい面接は、自分向きのシステムではない」と考えてインターンで働くところを見てもらい、みごと内定を勝ち取っている。

 

学生時代口唇口蓋裂の子がいたよ

他にもピグモンとか大やけどとか色々

2020-07-23

anond:20200723221725

ダウンはならないけど障がい者になる可能性はある

そもそも多様性を認めないなら有性生殖する必要性がない

技術的に人間クローン可能だぜ?

有性生殖を止めようの方が建設的な訴えでは?

ダウン症でがんが少ないのは、血管新生制御遺伝子がカギになっている

ダウン症候群の患者では多くのタイプのガンの罹患率有意に低く、この広範ながんに対する抵抗性は、1コピー余分に多い21番染色体上にある231個の遺伝子のうちの少なくとも1つが発現亢進することにより与えられていると考えられる。このような遺伝子の1つにDSCR1(Down's syndrome candidate region-1、RCAN1としても知られる)があり、血管内皮増殖因子(VEGF)による血管新生シグナルをカルシニューリン経路を介して抑制するタンパク質コードしている。

今回我々は、DSCR1がダウン症候群患者組織およびダウン症候群モデルマウスで増加していることを示す。

さらに、Dscr1遺伝子を1コピー導入することによる適度な発現の増加が、マウスにおいて腫瘍増殖を有意抑制するのに十分であり、この抵抗性がカルシニューリン経路の抑制に起因する腫瘍血管新生が不足した結果であることを明らかにする。

 

我々はまた、DSCR1と別の21番染色体上の遺伝子Dyrk1aによるカルシニューリン活性の低下が、血管新生を顕著に抑制するのに十分であると考えられる根拠を示す。これらのデータは、ダウン症候群の患者においてがんの罹患率が低下するメカニズム提唱し、カルシニューリン経路、その調節因子である DSCR1 と DYRK1a がヒトにおける多くのがんにおいて有望な治療標的になりえることを示唆している。

 

[nature] Down's syndrome suppression of tumour growth and the role of the calcineurin inhibitor DSCR1

https://www.nature.com/articles/nature08062

2020-07-05

2日後に猫を見送った

anond:20200607214557

2日後の早朝、猫は旅立った。

5時に起きた時にはもう息をしていなかった。

猫の手足は冷たく固まっていたけれど、そっと抱きしめた細い細い身体は温かかった。

夫と二人で猫にがんばったね、お疲れさま、ありがとうと言って泣いた。

前日は猫と一緒に過ごした。

シッコをしたらペットシーツを替えて身体を拭き、数時間おきに寝返りをさせてマッサージをした。

鼻が詰まったらコットンで拭いたり、赤ちゃん用の鼻吸い器で鼻水を取った。

ごはんを食べる量が減り始めてから昔のように鼻を垂らす事が増え、薬を飲ませてもなかなか治らなかった。

猫の目は薄く開いたまま、静かにベッドに横になってゆっくり大きく呼吸をしていた。

顔をこちらに向けたり起き上がろうとしたりと意識はあった。

口をクチャクチャ動かしたらスポイトで数滴水を飲ませた。頭を支える私の腕に小さな手を乗せて満足そうな顔をして、時々ポロっと緑色の目から涙をこぼした。健気で強くて優しい猫だった。

猫に話し掛けてたくさん名前を呼んで撫でた。

夜になり、夫が猫の隣で寝ると言った。

猫の生活スペースの囲いを外し、敷き詰めていたペットシーツも全て片付けた。

19年前、猫を拾ったのは夫だ。鼻水を垂らして所々ハゲボロボロの子猫が近寄って来たのをそのまま連れて帰ったらしい。

夫は猫を飼った事はなかったけれど、猫に一目惚れだったそうだ。私が来たのは15年前だ。猫を保護して大事に育ててくれた夫には感謝しかない。

夫の膝の上や隣が猫の定位置で、いつも夫の隣で寝ていた。

猫のベッドの隣に布団を敷き、夫は猫の小さな手を握って寝た。夫の隣で寝る事が出来て猫も安心したのだろう。

私達が悲しむから、死に目は見せたくなかったのかもしれない。最期まで優しい猫だった。

亡くなった猫に手を合わせ、身体を拭いて毛がふわふわになるようにブラッシングした。

そっとベッドに寝かせた猫は穏やかに眠っているようだった。薄く開いた目もキレイに澄んでいた。今にも起きてこちらを向きそうなのに。

夫は猫に突っ伏して泣いていた。

猫が体調を崩してから、老猫介護や看取りのブログペット葬儀の事を少しずつ調べていた。

近くのペット葬儀をしているお寺に個別立会の予約をした。

棺は大きめのダンボール箱を買った。

猫は狭い所と箱が嫌いな猫らしくない猫だから、大きめで底の浅いものにした。

棺の底にペットシーツを敷いてベッドごと猫を寝かせ、ピンク色のタオルをそっと掛けた。

寒がりなのにごめんね、と言ってタオルを巻いた保冷剤を多めに入れ、断熱シートを被せた。顔を見たらどうしてもたくさん撫でて声を掛けたくなってしまう。

線香と棺に入れる花を買い、祭壇に飾る写真も用意した。

供養写真は何枚でも良いと言われたので、昔大判プリントした写真をメインにした。7歳くらいの健康的でモコモコのかわいい姿。

他にも何枚かPCスマホから探してコンビニプリントした。

スマホに変えてから写真が圧倒的に少なかった。いつでも撮れると思ってほとんど撮っていなかった。

猫の大好物の猫草も買った。ごはんだよと呼んでも来ないのに、草買って来たよーと言うと飛んで来る子だ。

6年前にごはんに見向きもしなかった時も、猫草を買って来たら大喜びでムシャムシャ食べていた。

猫草とちゅーるとお花の他に、思い出の物をいくつか棺に入れた。

夕方にお寺へ行く前も、葬儀の合間にも二人で何度も棺を覗いては猫の名前を呼んで撫でた。

亡くなったら触れないかもと思っていたけれど、とにかく愛しくて名残惜しくて、かわいい猫に触れたくなってしまう。

猫の毛の手触りを忘れたくなくて、たくさん撫でた。頬の下の毛が特に柔らかくてふわふわで大好きだった。

お坊さんは棺で眠る猫と写真を交互に見て、キレイ身体ですね、珍しい模様だと言っていた。

お経の後、小さなケースに遺髪を納め最期のお別れをした。

猫を見送り火葬が終わるまでお寺の休憩所で夫と過ごした。猫の思い出を話して時々二人で泣き、これからの事も話した。

の子は私達の大切な子で、たくさんの幸せと思い出をもらった。

火葬は辛いけれど、待っている間に次第に気持ちが穏やかになっていくから不思議だ。

よく晴れた日で、夕方でも少し蒸し暑いくらいだった。

猫と夫が出会ったのはたくさん狛犬が奉られている神社駐車場だった。

猫はなぜか大きな犬が好きで、ゴールデンレトリーバーラブラドールテレビに映るとうれしそうにじっと見ていた。

病院でも猫には無反応なのに、大きな犬が来るとキャリーの隙間から覗いて楽しんでいた。

性格も犬みたいな所があった。

猫はひょっとしたら狛犬神様の子で、神様の所に帰ったのかもしれない。

神様の所なら安心だ。甘え上手のとてもかわいい子だから、きっとみんなに好かれて幸せに過ごせるだろう。

二人でお骨を全て拾い、花柄の骨壺に納めた。お骨はとても立派だった。

腕の細い骨がしっかり残っていて、担当の人がこんなにキレイに残っているのは初めて見ましたと言っていた。

4月までは流し台に飛び乗れた、足腰の丈夫な猫だった。

白い布で包んだ骨壺を抱えひっそりと静かになった家へ帰った。

初七日を過ぎてから、小さなおりんと骨壺カバーを買った。

お寺から名前と命日や忌日の入った供養表も届いた。オプション遺影を入れてもらい、とてもかわいい供養表になった。近くに良いお寺があって良かった。

仏壇ガラス扉付きラックDIYキットをホームセンターで買って色を塗った。

四寸の骨壺カバーがぴったり納まる高さで、位牌と供養表、遺影の他に遺髪ケースとお守りの鈴や首輪毛玉を飾った。

気に入っているけど、手を合わせるといつも泣いてしまう。

毎朝仏壇ごはんと水をお供えしてお線香を焚き、二人で手を合わせる事が新しい習慣になった。

夫は必ず猫におはようと声を掛けている。

私は流し台と洗面所水飲み場の水を相変わらず毎日替えている。

お世話になった病院挨拶に行き、後日お悔やみのお花を頂いた。もう病院へ通う事もないのだろう。

猫のいない生活はとても静かだ。

そろそろ猫が起きる頃かなとふと思っても鈴の音や小さな足音は聞こえてこない。

特に実感するのは帰宅直後。ニャーニャーと急かして抱きついて来るあの子はいない。

いっぱい撫でて、かわいいねと言って名前を呼んで抱っこしたい。会えるものなら会いたい。同じ模様の猫はどこを探したって出会えない。

猫と一緒に過ごしていた毎日が当たり前ではなくなってしまった。

5月の初め頃、夜に突然猫がニャーニャー鳴いて居間で寝ている夫を起こそうとした事があった。

ニャーと呼び掛けながら片手で夫の肩を何度も掻いている。春頃から甘えた声で鳴く事が減って来ていたので、珍しいなと思った。

爆睡している夫にあきらめると、今度は私のお腹に乗ってニャーニャー言いながら片手で顎の下を撫でて来た。

猫がいつも私にする撫でろの催促で、爪を立てずに小さな手でチョイチョイと頬や顎の下を撫でる。肉球と毛が両方楽しめるとても幸せ感触

うれしくて猫をたくさん撫でた。

猫は満足するとまた夫の所へ行き、一生懸命起こしていたがやっぱり夫は起きなかった。

猫は思い出を作りたかったのかもしれない。

お別れが近い事をもっとから知っていて、少しずつ準備をしていたのだろう。

私達が気づくのが遅くて猫に辛い思いをさせてしまったのが本当に申し訳なくて、あの時こうしていたら今も一緒に居たのかなと何度も思う。1日でも元気に長生きして欲しかった。

小さい頃から家に猫がいるのが当たり前だったけれど、猫の死と直接向き合ったのはこれが初めてだった。

実家最初に来た猫とは仲が良くていつも一緒に寝ていた。ちょっと素っ気なくて「ニャ」と短く鳴く猫だった。

その猫は腫瘍が原因で13歳で亡くなった。最期は怖くて何も出来なかった事をずっと後悔している。

積極的治療緩和ケアもしなかった親を恨んだ。自分がもし世話をしたら親に何か言われるのが嫌で。とても幼稚だった。

動けなくなった猫が弱々しい声で何度も「ニャーー」と長く鳴いていたのが今でも耳に残っている。

その実家猫への思いもあって、最期まで悔いのないように看たかった。

猫がいない生活をするのは一人暮らしの時以来だ。その時も猫を保護して実家に連れて行った。

猫は欠かせない大事存在だ。見たいし触りたい。毎日一緒に過ごし、寝顔を眺めたい。

でもこの先、猫と一緒に暮らす事はないのかも。

いつか縁があったらとは思うけど、たくさんの幸せを猫からもらうほど別れが辛くなる。

今はネットニュース保護されて幸せに暮らす猫達の記事を読んで、猫ちゃんよかったねと癒されながら毎日過ごしている。

開封ごはんや猫砂やペットシーツをもう少ししたらどこかへ寄付しようと思う。

前の投稿ブクマブコメありがとうございました。猫は強く生きました。

みなさんの猫達が幸せ長生きできますように。

2020-07-01

女子とは

とある水族館飼育員が紹介されたニュースを見て、イケメン飼育はいいのに◯◯女子は駄目なのか!と紛糾している人がいるが

イケメン対義語美女美少女であって女子ではない

女子対義語男子でありイケメンではない

女子」はただ単に性別女性という意味しか持たないはずなのに清楚で可憐美少女という意味内包しているイメージがついてしまっている

なので「◯◯女子」というのはそのラベルを貼られることにより、自分がブスだという自覚ちゃんとある人まで勝手に「あなたミスコンに選ばれました!!」と無理やりステージに上げられ、じろじろ見回されて「何がミスコンだ!全然美女じゃねえだろ!!身の程を知れ!!」と罵倒されるような居心地の悪さがあるのだ

美少女コンテストエントリーするなんておこがましいことなんか一切考えていないのに、美術館に絵を見に来ただけなのに、「美術館女子」というラベルを貼られることにより「美術館キャンペーンガールコンテストエントリーしに来た女」のように見られ審査対象になることへの不快感

美術館女子に限らず「◯◯女子」への反発はそういう心理から来ているのではないだろうか

少なくとも私はそうだ

私が女子高生の時はブスなのに女子高生という肩書きを背負うのが苦痛で仕方なかった

女子高生というのは長い睫毛を少し伏せて気だるげに携帯ポチポチしてミニスカ黒髪ロングストレートの似合う美少女でなければならないはずで私のようなキモヲタデブスが名乗っていいものではないのに高校に進学したら女子高生にならなければならない

大学生になり制服を着なくてよくなった時は心底ほっとした

◯◯女子だけではなくて女性にまつわる色々な言葉、例えば巨乳なんかもそうだと思う

胸の大きい人向けのブラジャーシャツを扱った専門店ができたというニュースを見て、巨乳美女を見放題!と反応していた人がいたが

なぜ美女が来ると思うのだろう

ボディービルダー努力を重ね胸板をパンプアップさせるのと違ってほとんどの巨乳は言ってみればただ「生まれつき胸の腫瘍が大きい」だけの人であり、大きなサイズのブラを求めるのも足が大きすぎる和田アキ子がわざわざ大柄な外国人男性用のブランド靴を取り寄せるようなものと同じである

から巨乳と言ってもとんでもないデブやブス、おばあさん、レズビアン幸せな家庭を築いている二児の母とか、しまむらに靴下を買いに行くのと同じでただ単に買い物をしたいだけの色々な人間が客として来店するだけなのに勝手巨乳=自らの意思で男を誘うイキモノ、ナンパOK美女、などのイメージを付随させる

そもそも「女」と聞けば勝手に美しいもの勘違いする男性が多すぎる

増田でも投稿者女性と分かれば自分が抱けるレベル容姿認定してちんぽ騎士団がいきり立つ

「◯◯女子なんてどうせブスばっかりだろ」「この増田画面越しでもブスなのが伝わってくる」私はそう言われた方がずっといい

2020-06-30

長期で頭痛とか来るなんて

初めての長期で頭痛とかあったので薬の効果が来るまで紛らわしに書く

1日目

薄い頭痛が1日続く「夏バテかな?」と思ったが薄い長時間頭痛とか今までない。

常備してある葛根湯を飲む

2日目

薄い頭痛が治らない。両側か頭全体にじわりときて硬い物を噛むと来る頭痛みたな感じ。

昨日は酷く暑かったのかな?と思い葛根湯を飲む

3日目

また続いている。症状が明らかに少しも改善してなかった。

通常は葛根湯なしで一晩寝れば頭痛なんか治るので(そもそも長期で頭痛はありえない)

ヤバイと思い明日は暇なのでそんな痛くないが病院行く予定を入れる。

から本格的に痛くなってくる。寝付けないのでネットで症状しらべてマッサージとかやったが効果がなく時間かせぎすらできてない。時間かせぎに5分でも休憩が欲しい。

1時間ほどしか寝れなかった。

4日目

少し痛さが増している。脳内スキャンやらその他検査してもらったが脳内腫瘍やら危険物存在せずちょっと安心する。神経なおすうんたらの薬をもらう。

薬飲んだが効くまでに時間がかかる(長く感じる?)。風邪ならプラセボ効果で薬飲んだら「どんどん良くなるぞい!」感があるが頭痛プラセボ効果ゼロである

1時間半ぐらいかかって軽くなってきたんでやっと休息がとれ横になる。

夕方ごろからじわじわ痛みだしたので薬は痛み引いても飲もうと忘れないようにしたが、夕飯少し前にまた激痛が戻ったので早めに夕食を取り薬をのむ。

今ここ 若干薬がきく

2020-06-27

20代でガンになるということ

プロローグ 

 大学院での苦しかった日々がおわり、新しい日々が始まろうとしていた矢先のことだった。

精巣腫瘍が見つかったのだ。幸いにも転移はなく、腫瘍部分を含めた精巣を除去すれば問題はない。

その後の病理検査で今後の治療方針が決まるが、生存率は他のガンに比べて高いので安心してほしいと医師に告げられた。

頭の中が真っ白になり、待合室でみたMAD音楽が空回りしていたのを今でも覚えている。

ただ待ってほしい、なんで俺なのか

精巣腫瘍になるのは10万人に1人の割合らしい。

いけいりかこ選手白血病ですら発症率は10万人に6.3人であるらしい。

これをたまた読んでいる読者が全員男性である仮定して、10万人読んで初めて1人が罹患するような話である

しかもこの精巣腫瘍、痛みもないため発見されにくい腫瘍なのである

好発年齢は20代から30代(働き盛りに発症するのもタチが悪い)。

私はたまたま痛みとしこりがあったことと、学生時代から友人に金玉デカいということで

いじられていたからこそ早期発見に繋がった珍しいケースであるが、発見が遅れて肺やリンパ節転移するケースが多いようだ。

家に帰って寝て起きてから思ったこ

20代でガンになるなんて思ってもみなかった。

罹患した人はそういうだろう、私もその一人だ。

10から新しい会社入社し、バリバリ稼ごうとしていた未来もくすんでしまった。

これから転移、再発を繰り返すのではないか明日に怯えつつ、精一杯生きていくしかないのである

辛い人生になったとしても耐えるしかないのは、いつの世も同じなのだろうか。

ただ一つだけ嬉しかたこ

私は20歳の時にがんで父を亡くしている。

父も働き盛りの最高潮の時期に罹患し苦しみながら死んでいった。

あの時父に向けていた目線は同情に似た気持ちであったが、

最後までガンになった患者としての父の気持ちを分かってあげられることはできなかった。

今ガンに罹患し、初めて父が背負っていた未来への緊張、不安感、ストレス

完全ではないとしても同じように感じれているのではないかと思う。

私は、このような形であるが父と同じ境遇を経て、思いを重ねて合わせることができて非常に嬉しく思う。

最後に…

こんな駄文最後まで読んでくれた読者らに感謝を申し上げると共に、

何か金玉にしこり、痛みを感じたらすぐに泌尿器科へ診察してもらうことを強く勧める。

早期発見により生きていける精巣腫瘍患者が一人でも多くなることを切に願う。

追記(6/27~)

正直、こんなに反響があるとは思っていなかった。

最初に「死ぬわけじゃないのか」とコメントがついたときは、これぐらいの反響なのだろうと思っていた。

外出し、帰ってみると予想外の反響があった。質問等もあるのでここで言及しておく。

・どうして 「学生時代から友人に金玉デカいということでいじられていた」 ら 「早期発見に繋がった」 のか、高卒の僕にはさっぱりわかりませんでした 。

 私は地元の親しい友人と露天風呂に行くのが好きで、何かと理由をつけては友人とお風呂はいった。

どうも腫瘍がある左の精巣を包む陰嚢は陰嚢水腫らしく、お風呂に入るとテニスボールぐらいに大きくなった。(左:テニスボール、右:ウズラたまご

その金玉デカさに友人たちも、「果実」、「太陽タマゴ」、「大きすぎて実ってる」などのイジりをしていたのである。決して触っていたわけではない。

・種無しになるのか?

 左側の精巣を摘出するので種無しにはならないが、今後の治療や残った右側に転移するなどによっては種無しになる可能性が大いにある。

誰もが爆笑問題田中のように片玉でも子供が作れるわけではないので、安易に例として出すべきではないと思う。

病人会社組織はいやがるもんね 自分は定期通院で休めないので仕事干された。

 私もその可能性を持つ一人だ。ただ精巣を失い、仕事を干されても人生は続いていく。やるせない世の中である

20歳以降は人生消化試合という感が強いので、個人的にはさっさと癌にでもなって終わらねぇかなと思っている

 多くの人が大病を患えば若くして簡単死ねると思っている。私はこれは誤りではないかと思う。現にガンになったとしても

簡単死ねるわけではない。様々な苦しみの段階を経て死んでいく。おそらく発想する人の多くは病気についての理解が乏しいと思う。

さっさと終わっていい人生なんてない。好き勝手して長生きする人生のほうが幸福度も高いと思うのでやりたいことをやってほしい。

ガナニー

ガナニースレは私も当時拝読爆笑した覚えがある。ちなみにテニスボールほど肥大した陰嚢に性感帯はない。

しごいていても弾んで邪魔なだけである

・ 精巣ガンと乳がんパートナーがいると気づくというね。

私にもパートナーがいるが、第一発見者は私の右手であった。

パートナーは気付かなかったとのこと。

・こういうのってどういう流れで見つかるの?

本当に恐ろしいことをいうが、私の場合自発的受診きっかけだった。ここに寄せられた多くの

コメントの中にも精巣腫瘍についてのコメントブログのURLを貼ってくださっているが、

そのほとんどは自発的受診により発覚している。

自分の精巣に異変を感じたらすぐに受診してほしい。

何事もなければそれが一番であるからだ。

オモコロ記事について

オモコロギャラクシーさんが書いている記事精巣腫瘍になる前に読んでおり、

今回精巣腫瘍と診断されて再び読んだ。

一度読んでいたからこそ、今回の精巣腫瘍のことをある程度前向きに捉えられたのかもしれない。

オモコロ感謝である

金玉デカい事と発見の速さの相関性分からんので良ければ教えて欲しい。

金玉デカいと一言で言ってもパターンがある。男性諸君らはお分かりいただけると思うが、

袋の中にうずらタマゴのようなものがある。これが精巣である

一般的金玉がでかいというと、この精巣を指すわけではなく、

精巣を包む皮袋(陰嚢)全体を差し金玉デカいと称している傾向がある。

私の場合そもそも陰嚢水腫(袋の中に水がたまる)により外見上デカかった。

それを気にして定期的に左陰嚢全体を触っていた時に、内部の精巣にしこりを感じた。

のしこり、うまく表現できないのだが、正常な精巣の弾力をゆでたうずらタマゴとすると

しこり弾力は、固めのスーパーボール、昔のマウスボールのようなものである

また全体がそのような弾力になるのではなく、私の場合は精巣の下半分にしこり

あるようなパターンであった。

気になる場合自身の精巣を触診してみてほしい。

・その他コメントについて

 皆さんのコメント一言一句全て拝読させて頂いています

暖かいコメントや、同じ境遇人達からコメントもあり、とても励まされました。

ありがとうございました。皆様の人生にも良い出来事が続きますようお祈りします。

2020-06-22

anond:20200622225128

リョナに関しちゃワンクッション置くべきだと思う。

ただしリョナ規制すべきだとは思わない。その人がリョナ好きなのはうそう変えられないだろう。

(なんか脳内腫瘍を除去したら性癖が変わった事例もあるみたいだけど)

2万日前に生まれた男

まれて2万日目を迎えた。覚えていたわけではないが、Googleカレンダーリマインダで気づいた。節目なので、いったん今までの人生を振り返ってみる。1965年まれおっさんである

動物大好き

  • 自分人生を考えるうえで、動物愛は欠かせない。
  • 物心つく前に家で犬を飼っていた。小さい自分がその犬にまたがっている写真が残っていた。その犬の記憶はない。
  • 幼稚園の頃、家に白いモルモットがいた。死んでしまたことは覚えているが、その時は悲しいという気持ちはあまりなかったと思う。
  • ちょうど小学校に上がる頃に近所のお寺から雑種の子犬をもらった。3匹子犬が産まれて好きなのを選んでよいということで、白黒のメスをもらった。子供時代をずっと一緒に過ごし、大事なことはすべてこの犬から学んだといっても過言ではない。この子は19年と長生きした。
  • アパート暮らしをしていた大学3年の春、アパートの押し入れで猫が出産した。生まれたのは2匹だが、気づいたときに1匹は死んでいた。それがショックで、残りの一匹を大事に育てた。外飼いで、部屋にも自由に入れていた。
  • 翌年は4匹の子猫が生まれた。ある時急に4匹ともいなくなったが、詳しいことはわからない。結局、大学卒業の時に残っていたのは母猫だけであった、最後のお別れは部屋で一緒にご飯を食べた。
  • 34歳の頃、当時住んでいたアパート周りで子猫が3匹生まれた。近所に人がご飯を上げていたらしく、うちでは何も出さなかったが、うちの部屋にはよく遊びに来てくれた。
  • 今は、地域猫保護NPOに参加している。といっても、自分は家の周りの猫の面倒だけを見ている。外飼いであるが、家にも自由に出入りできるように、できるだけ窓を猫一匹分開けている。冬は寒いし、夏は虫が入るし、雨の時は泥だらけになるし、苦労は多い。思い出してみると、自分実家を出て、犬が亡くなった後、実家でも外猫を家に自由に出入りさせていた。血は争えないものである
  • 今では猫の外飼いが推奨されないのは重々承知してる。NPOでも、譲渡会で譲渡した猫は室内飼いを必須としている。しかし、すべての猫が譲渡できるわけではない。

家、家族

学校仕事

体のこと

趣味

こんなところである

2020-06-18

治験HPVワクチン接種を受けた12年後に前がん病変で手術した話

初めに断っておくと「HPVワクチンは効かない」という話ではないです。

ちゃんと初めて性交渉をする前にワクチン接種をした上で
・定期的に婦人科受診する習慣を若いうちからつけましょう
・娘を持つ親御さんは臭いものに蓋じゃなくきちんと向き合いましょう

結論なので、分かってますよという人はここから先は読まなくて良いです。

続きを読む」が出来ていなかったら申し訳ない

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私について

30代後半、会社員、未婚、パートナーなし、子なし、一人暮らし

なぜこのエントリを書こうと思ったか

都知事選候補者が反ワクチンだとか某紙の反ワクチン報道が原因で接種率が下がった結果

最近になって対象世代に前がん病変が続出しているというSNS投稿を見て

思うところがあったので

HPVワクチン(4価)接種から前がん病変手術までの経緯

婦人科通い→治験に誘われる→協力(治験終了後に実薬接種が判明)→12年後に子宮頸がん検診に引っかかる→前がん病変で手術→経過観察中

要約するとこうなので、はいそうですかという人は次の大見出しに進んでください

ピルを飲むために婦人科に通っていた

私は元々生理が重かった。小学生の頃から塾の椅子を血で染めていたし、生理が重いというのは単に出血が多いだけではなく

授業中に身体をくの字に曲げながらトイレに行き、吐くわ下すわでそのまま保健室行きということもあった。

高校卒業後に自分携帯を持ち、調べるうちにピルには月経困難症を軽減する効用があると知って、

ピル処方に力を入れていると評判の婦人科に行ってみることにした。

ピルは私にとっては魔法のように素晴らしかった。生理は軽くなるし、いつ来るかわかるから慌てなくて済む。旅行ライブ生理と重なることと無縁になった。

婦人科に通ううちにHPVワクチン治験に参加しないかと誘われる

2007年、いつものように婦人科に行った私はHPVワクチン治験をやるが条件に合うなら協力しないかと誘われた。

一番印象に残っている条件は経験人数4人以下」

確か4人だったと思う。3人だったかもしれない。とにかく、HPVワクチンというのは本来初めての性交渉経験する前に

接種してHPV感染を予防するものなので、治験参加者にもある程度の制約があるということだ。

私は2003年5月に3人目の彼氏と別れて以来何もなかったので条件に合致するということになり、協力することにした。

治験は30ヶ月にわたり、終了後に「あなたに接種したのは実薬の4価ワクチンでした」と知らされた。

婦人科検診オールクリア10年以上続いた後、細胞診で引っかかる

その後も私は彼氏のいないフリーのまま、30代になってもピルを飲み続け婦人科に通い続けていた。

婦人科検診では何の問題もなく、世話になりはじめて10年を超えた婦人科からも「ワクチン打ったしね」と言われていた。

ところが2019年のある日、検診の結果を早く聞きに来いとクリニックから電話がかかってきた。子宮頸がん細胞診で引っかかっていた。

・前がん病変発見大学病院へ、そして手術

クリニックから連絡を受けた時点の細胞診結果は「ASC-H」というもので、追加の検査組織診)が必要な結果だった。

ところが組織診では要治療の所見が出ず、3ヶ月後にもう一度検査することになった。

そして3ヶ月後、今度は細胞診でASC-Hより2段階進んだ「HSIL」という結果になり、組織診では上皮内がんを含めた可能性のある

「CIN3」が出たため、私は手術のため大学病院を紹介されることとなった。

豆知識

子宮頸がんに関して、昔は前がん病変にあたるものを「0期」と表現していたが今はそれがない。

子宮頚部上皮内腫瘍」=「CIN」として、CIN3は放置すると浸潤がんに進行する可能性が高いため治療対象となる。

手術は「子宮頸部円錐切除術」といって、文字通り子宮頚部を円錐形に切り取る手術だった。

細胞診がブラシでこすった検体、組織診は米粒くらいに切り取った検体、円錐切除はさらに大きく切り取ってそれを病理診断に回すことになる。

幸いにして病理診断では悪性所見なし。私は現時点ではがんではなかったが、経過観察は続いている。

子宮頸がんHPV感染)に関する誤解

とあるアイドル子宮頸がん公表したらビッチ扱いされた話を聞いたことはあるだろうか。

これは私自身の誤解でもあったのだが、

HPVほとんどの場合免疫によって自然排出されるが、持続感染した場合は前がん病変を経てがん化する

この「持続感染」、決して「セックスの機会が途切れない」ことではないのだ。

ワクチン治験のくだりに書いているが、私に彼氏がいた人生の最終地点は「2003年5月である

前がん病変が出たということはHPV感染していたということだが、感染の機会は2003年5月より前なのだ

もっと言うと別れる前は数ヶ月に渡りレスだったので、人生最後セックスをしたのはさらに前ということになる。

2003年5月より前に感染したHPV2019年にがん検診で引っかかるまで体内で息を潜め続けていた

というのが私の身に起こったこなのだ

決してHPVワクチンが効かなかったわけではない、感染機会発生の前に打っておけ

前述の通り、HPVワクチンは初めての性交渉の前に打っておくものだ。

経験人数が少なくリスクが低いとみなされたものの、私が2007年ワクチン治験に協力した段階では、既にHPV感染していたということになる。

まり感染してから打っても意味はないよということ。その結果が手術することになった私だ。

どうしてもワクチンを打たないなら必ず婦人科検診を受ける習慣をつけろ

副作用報道のおかげで日本HPVワクチン接種率は地を這うような数字にまで落ち込んでしまった。

どうしても打ちたくない、うちの娘に打たせたくないならまあそれでもいい。

ならせめて早期発見のために婦人科検診を受けろ、娘に受けさせろ

これを声を大にして言いたい。

ワクチン接種率が下がったからって婦人科受診率は上がったか?上がっていないのだ。

初めに書いた「ワクチン接種率が落ちたことで対象世代に前がん病変が続出している」という(ソース不明の)SNS投稿

「前がん病変」のうちに見つかるのはきちんとがん検診を受けている人だ。

この状態なら手術にしても円錐切除で済んで子宮を取らずに済むし、私の場合円錐切除の入院は2泊3日、手術の2時間後には点滴等々すべての管が取れて

退院後は自力で歩いて帰宅できたくらいだから、前がん病変で見つけておけば大ごとにならずに済む可能性がまだあるのだ。

それがどうだろう、婦人科に行く習慣のない人が我慢我慢を重ねて色々な症状が出て初めて検査をしたら子宮全摘しか道がないとかいうことが本当にある。

親たちの偏見で娘の婦人科受診機会を奪っていないか

セックスうつるウイルスを防ぐワクチンなんて汚らわしいキーーーーーーーーーーーーーー!!!!!!!!!!!!!!

うちの娘にそんなもの必要ないキーーーーーーーーーーーーーー!!!!!!!!!!!!!!!!

という親のもとで育った娘さんが婦人科受診する心理的ハードルはいかばかりだろうか。

私は高校卒業後、まだ実家に住んでいた学生の時分にピルを処方してもらいに婦人科に通い初めたが、

ピルのことは学校の授業でも親からも教えられたことがない。そもそも初潮も誰からも教えられる前に来て、

パンツを血で真っ赤にしたまま何の病気だろうかと震えて小学校に登校したような有様だった。

結局私が自分の親に婦人科に通っていることと月経困難症改善のためにピルを飲んでいることを話したのは

30を過ぎてからだったと思う。同じく30代の従姉ががんのため子宮全摘した話を聞いた時だった。

娘を持つ親御さんには他人事と思わず、「生理が重い・つらい」は婦人科受診の十分な理由になり得るので、

健康管理の一貫としてしっかりと向き合うことで娘の命を、娘が将来子供が欲しいと思っているならその機会も含めて守ってあげてほしい。

2020-06-05

anond:20200604071026

排便欲

  

排便欲はどこから来るのかな?

腫瘍を排便したかったのかな?

腫瘍が排便したかったのかな?

しろ排便が見たかったのかな?

腫瘍ネコの排便を眺めたりするのかな?

2020-06-04

救急車を呼ぶのにお金をを払わせてほしい

深夜、下腹部の激痛で目が覚めた。呼吸もままならないほど痛みが強くなり、やがてお腹全体の強烈な痛みと強烈な排便欲(便秘はしておらず、便も出なかった)に襲われた。

救急車を呼んだ。痛み止めを点滴されると、痛みはすっかり収まった。精密検査の結果、痛みの震源地に良性の腫瘍が見つかり、後日手術を受けることになった。

痛み止めで痛みがすっかり引いたあと、なんだか申し訳ない気持ちになった。これだったら家でロキソニン飲んで(診療明細を見ると、点滴はロキソニンだった)、朝になったら通常の外来に行くべきだったのだ。貴重な救急医療無駄遣いしてしまった。罪悪感MAX

救急車を呼ぶとお金がかかるんだったら、まだこの罪悪感は薄らいだ。アメリカみたいに5万円くらいかかるなら、まあ強烈な痛みあったし、イーブンかなと思える。

治療を受けるまで、自分救急車レベル重症かどうかわからない。だからこそ、うっかり間違ったときのために5万円くらい請求してほしい。

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