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はてなキーワード: 必然性とは

2015-12-22

http://anond.hatelabo.jp/20151222151929

ファミリーネームと個人の名乗りが一致してなければいけない合理的必然性もないけどね。

ファミリーネームなんて外部から識別子なわけで、同じ姓の家ばかりの村の例を引くまでもなく。

[]手塚治虫幸運な男(ブラックジャックより)」

★★★☆☆

面白さは★★★★☆だけど、BJである必然性があまりなかったので一つ減らした)

前置き

1巻7話。

あらすじ

イラン国営石油タンクが爆発し、日本人を含む大勢技師犠牲になるが、ある現地の技師が「悪運強く」生き残る。

技師は、大金持ちの息子である日本人技師死体を見つけ、パスポート大金の入った財布を盗み取る。

その金でBJ日本人技師の顔に整形してもらい、裕福な生活をすべく何食わぬ顔で日本帰国する。

しかし、日本人技師母親から石油ショックで一文無しになってしまったと聞き、ショックを受ける。

それならば元の顔に戻してイランに帰ろうとBJに頼むが、金がないため断られる。

諦めて日本で働くことにした技師は、幼少時本当の母親に道具のように扱われた経験から自分の稼いだ金はすべて自分のものだと頑なになる。

そんな技師母親は優しく甲斐甲斐しく世話を焼いたため、いつしか幼いころに理想としていた母親を手に入れたと思うようになり、親孝行するようになる。

ところがある日、技師母親入れ歯を見つける。

歯が生えているはずの母親入れ歯を持つ疑問を何気なく母親にぶつけると、母親は家を飛び出してしまう。

技師母親を見つけた時にはすでに急性肺炎のために残りわずかの命になってしまっていた。

今際の際に母親から聞かされたのは、自分は本当の母親ではなく、財産目当ての赤の他人だったという真実

しか技師と同様、二人で暮らすうちに情が芽生えたと懺悔する。

技師自身真実告白しようとするが、その前に「母親」は息を引き取る。

その後、技師はくにへ帰って人生をやり直す決意をしたとBJ宣言し、イランへ飛び立つのだった。

感想

これ読んだ記憶なかった。初めてかも。

BJにしてはちょっと長かったけどだらだらした感はなかった。

シンプルに展開が進むから

最後まで読むと、タイトル幸運な男って意味がいろんな意味解釈できて面白い

いろんな偶然と縁が巡り巡ってトータルで考えたら、全部のことが幸運なんだな。

でもこれとほぼ同じネタ読み切り最近アフタヌーンで読んだなあ・・・

すごい記憶力を持つ女子高生がいて、ひょんなことから見知らぬおばあちゃんにさまざまなおばあちゃんの記録を叩きこまれて、おばあちゃんが死んだ後におばあちゃんとして振る舞って孫と話してほしいって頼まれる。

んで実際にそのときがきたけど、実はその孫もおばあちゃんに孫の記録を覚えさせられただけの赤の他人だったって話。

ピノコor印象に残ったセリフなど

ラスト空港で見送るBJが、技師の決意を聞いて「私の知ったことじゃないね」と言い、

じゃあなぜわざわざ空港まで見送りにきてくれたんだ、という問いに「私の出番がすくないからさ…フフフ…」なんてメタネタで〆たのがなんかおかしかった。

確かに整形するって要素しか医者要素なかったし、整形だけならBJでなくてもぶっちゃけよかったしね。

ランキング

1.ときには真珠のように

2.白いライオン

3.シャチの詩

4.えらばれたマスク

5.閉ざされた三人

6.幸運な男

7.からだが石に…

8.報復

2015-12-21

自分のドロドロの感情に沈んで死にそうだ

すごくどうしようもないんだけど、本当に毎日ゲロ吐きそうなほどつらいから書く。

自分は30代に入ったアラサーの男で、本当にしがなく生きてきて、普通に働いてて、普通に友達がいて、たぶんそんなに駄目な人生は歩んでいない。

年収は多くはないが、まー平均よりはちょっと上くらいで、順調に役職ついている。

今、彼女はいないし、たまに枕にうっぷして「彼女ほしいいいいいよぉぉおふえぇぇぇえ」と叫びたくなることはあるが、

そうはいっても普通に毎日楽しい。いやまあ、ゲロは吐きそうになるんだけど。

それなりの進学校から偏差値高い大学いって、普通にサークル入って、モテたいとか思って外見を磨いたりして、

それなりに男女交際して、会社入って、で、「結婚適齢期」ってやつにみごとに足をツッコんだ。

というかもう30超えてて、アラフォーが目の前に見えてくるから結婚適齢期」はぶっちゃけすぎてる。

女の方がやり玉にはあがるけど、男もまー「どうなの?」ってしょっちゅう聞かれるようになる年齢だよな。

自分自身結婚願望は大きくなくて、というのもたぶん「子供が欲しい」と思ったことが一度もないからだ。

子供自体かわいいと思う。

別に子供嫌いではない。Facebookに流れてくる他人の子供へのヘイトを募らせることもないし、

の子供(姪)のことも「天使だ!」ってかわいがれる。めっちゃ貢いでる。

だが、子供が欲しいと思ったことがない。

から結婚」の必然性も感じたことがない。

なんなら「子供すごい好きで早く子供欲しいし結婚したい」っていう彼女のその言葉気持ち悪さとプレッシャーを感じて

「無理だ!」と別れたこともある。若かったのもあるが。

結婚」に重さを感じたわけではなくて無邪気な「子供が欲しい」という願望に気持ち悪さを感じた。

彼女に限らず、普通に子供欲しい」っていう男にも女にも一定気持ち悪さというか、異星人感をうける。

まじで「なんで?」って気持ちになる。

もちろん、厳密に言えば「出産」と「結婚」がイコールじゃないことなんてわかってる。

シングルでも子供を産んで育てることはできるけど、今の日本法制度の中ではあえてそうするメリットもないし、

風当りが強いのは確かだから、まぁほぼ同義ということで話を進める。

個人的にはシングルどうのとか関係なく、本当に腹の底から「ほしいいいいいいい」って願って収入のある(もしくは親に頼れる)人は

男女共にそれを選べばいいと思うし、そこに「片親かわいそす」とかいう奴は地獄に堕ちろとは思う。

(まぁ女性シングルになるのと、男が産んでもらってシングルやるハードル全然ちがうが)

話がそれた。

で、だ。俺が吐きそうになるのは、そうやって「結婚そんな興味ないな」と思っているのに

結婚制度」に乗らなきゃなーってどっかで思っているからだ。

明確に「子供がほしい」とか「結婚したい」って願望があるわけでもないのに、

結婚しなきゃ」ってプレッシャーに押しつぶされそうになる瞬間がめちゃくちゃある。

自分でもよくわからない。

他人目線を気にするな」と言われても、なんというかこちらが気にしてなくても「うっとおしい」と思うことを言ってくる人は

めっちゃいるし、実際「既婚じゃない」という理由の面倒な押し付けみたいな圧力もある。

姉が結婚してるから、あたりまえに両親も俺に「結婚はー?」と聞かれる。

不細工デブで非モテで彼女いなくて結婚できなかったら「やっぱり(とりあえず痩せろpgr)」

仕事ばっかりしていて社畜やってたら「やっぱり(仕事ばっかの男はびみょー)」

イケメンでちゃんとしててそこそこ市場ニーズがありそうなのに結婚できなければ「やっぱり(中身に問題が)」

ありとあらゆる論理で殴られる。

本当にうっとおしい。

なんでこんなに「結婚」だけでできそこない扱いされなきゃいけないのだろうか?

別に望んでない、といったらそれで済む話ではないのか?と厨二心が全開になる。

これだけならまだ外部圧だけの話だが。

結婚してないとまともじゃない人」というレッテルのつらさもそうなんだけど。

ぶっちゃけ「こいつでも結婚できたのに」と誰かを見てしまうことがあって自分の汚さに辟易する。

同級生でももう結婚してるは当たり前だし、子供もいるが、正直「なぜこいつが?」とか、ある。

それこそイジメやったことがあるのとかもいるし、お顔立ちが残念な奴もいる。

その人たちは賢く、うまく、相手とゴールしたのかもしれないし、

すごく愛し愛されて結婚したのかもしれないし、

俺のようにめんどくさい拗れがなく、普通にレールが「結婚」を通過したのかもしれない。

でもなんでこの人たちできて俺はできないんだろう。

俺なにかしたっけ?とか。

あれ理想高かったっけ?とか。

そもそも結婚したい理由なんだっけ?とか。

別にステータス「既婚」を手に入れるための結婚とか本末店頭だし意味なくね?って頭ではわかってて、

でも「積極的未婚」なわけでもないし、

「既婚」ステータス手に入れられないとずっと外部に殴られるんだよなっていう想像やす未来を思うと暗澹たる気持ちになる。

別に付き合わないでもセックスはできるんだけど、いまさらそんな性欲をぶちまけるパッションはないし、

ただただ「かわいいねー」って言うだけならペット飼うだけでいいし。

世の中の婚活本とか、セオリー本とか、全部まるっと含めて「結婚したいなら行動しろ」って言われるし、

いやそんなことは知ってますよって思うし、別に婚活自体が嫌なわけではないし、彼女いらねぇとか、

嫁いらねぇとか、結婚墓場からいやだとか思ってるわけでもないんだけど。

結婚したいから結婚する」っていう強固な信念を持てないからどうしても「人ベース」になってしまうんだけど、

じゃあ「合う」人と、無事「ゴール」決められるようになるまでこの精神摩耗が続くのかよって思うとこれまた地獄で、

なんかつらくてつらくてつらくて吐きそうになるし、もう勢い余ってこの世から消えたくなったりする。

いいとしこいたオッサンがなにしてんだ…って自己嫌悪も振ってきて結構どん底だ。

多かれ少なかれの人がきっともってる感情だと思うんだけど、上手くいった人の話きいたって意味ないし、

からといってうまくいってない人と一緒にいても意味ないし、

もはや俺には祈るしか道が残されていないのでは!?という飛躍思想帰結していくのだけども、

ここでまたフリダシに戻るのが「そんな結婚したいんだっけ?」「なんのために?」ってことなんだよね。

ごめんゴールも結論もないんだ。

とにかくこの出口のないメビウスの輪の中に囚われていて、吐き出さないと自分の吐しゃ物にまみれて死にそうだから書いてみた。

願う事は「結婚してもしなくても別に普通」な世界だけど、そんな世界がそんなくるとは思えないし、

その世界がくることを願うくらいなら「とりあえず」結婚してバツつけるほうが簡単なんではないかとも思うから

神様助けて下さいって神頼みしながら沈むこととする。

なんかもうとりあえずペット可マンション購入して、かわいい動物と暮らすのが俺にとって一番いい生活なのかなー。とか思ったりはする。

自分のつらさがわからん

2015-12-15

http://anond.hatelabo.jp/20151215135653

  1. 他人著作物引用する必然性があること。
  2. かぎ括弧をつけるなど,自分著作物引用部分とが区別されていること。
  3. 自分著作物引用する著作物との主従関係が明確であること(自分著作物主体)。
  4. 出所の明示がなされていること。

を満たさないと引用とはみなされないので出所の明示だけでもアウトなんだけどね。

2015-12-11

鋼兵氏炎上騒動簡易まとめ

はてなブログに端を発する、人気歌い手解説動画投稿者の「鋼兵」((http://dic.nicovideo.jp/a/%E9%8B%BC%E5%85%B5))氏の炎上騒動を簡単にまとめました。

かいことは出来るだけ省いて簡略化。要約には多分に増田主観的記述が入ってますが、わかりやすくするためですので予めご承知下さい。尚、増田は鋼兵氏に批判的な立場です。


①鋼兵氏が「男でもわかる「おそ松さんブーム」の理由必然性ゆっくり雑談】」という動画を「ニコニコ動画」に投稿((動画削除済み:http://b.hatena.ne.jp/entry/www.nicovideo.jp/watch/sm27629315))。本人の知名度もあり、10万回以上再生されるなど人気を博す。



はてなブロガーの「百合子」氏(id:yurico15)が上記の動画批判する記事投稿((記事削除済み:http://b.hatena.ne.jp/entry/yrc.hatenablog.com/entry/2015/11/21/185553及びhttp://b.hatena.ne.jp/entry/yrc.hatenablog.com/entry/2015/11/21/230936))。自分ブログ記事の一部が鋼兵氏の動画引用(のちに盗用と訂正)されていると指摘((盗用された記事http://yrc.hatenablog.com/entry/2015/11/12/020539))。また動画の内容そのものも「おそ松さん」を不当に貶めるものだとして強く非難した。



③鋼兵氏が上記ブログ記事コメント((当時のキャプションhttp://matome.naver.jp/odai/2144753442305118301/2144946795682476203))。「引用元動画に明記したので、盗用だと思われないようにして欲しい」とし、何かあればメールアドレスまでお願いすると要請するが、この時メールアドレスを一度間違えて記載する。



百合子氏が続編となるブログ投稿((記事削除済み:http://b.hatena.ne.jp/entry/yrc.hatenablog.com/entry/2015/11/22/012516及びhttp://b.hatena.ne.jp/entry/yrc.hatenablog.com/entry/2015/11/22/033438))。引用ではなく盗用と書くべきであった旨を謝罪、またニコニコ動画権利者削除を申請したと記述。また、2ちゃんねるYoutube板の鋼兵氏のアンチスレッドを見ていると記述する。

後に判明することだが、この時点で百合子氏は鋼兵氏に一度メールを送っていたものの、上記の間違ったアドレスに送り、そのため両者の連絡が一週間ほど遅れていたと判明。メールの送信間違いに気付かなかった原因は百合子氏当人が話していないため、不明



⑤鋼兵氏と百合子氏の間でメールの遣り取りが行われる。



百合子氏が騒動の終結を宣言するブログ投稿((http://yrc.hatenablog.com/entry/2015/11/30/105015))。「ほぼ解決に至ることが出来た」「鋼兵様より訂正版のアップロード、今回の経緯報告、当ブログへの意見などが発表されます」などと記述。「当ブログ内における鋼兵様およびその他個人・団体への誹謗中傷等はこれを一切禁じさせていただきます」とし、関連記事を全て削除する。



⑦鋼兵氏が上記おそ松さん動画の訂正版((http://www.nicovideo.jp/watch/sm27742624))、及び「私の動画盗作だと言われている件について」((http://www.nicovideo.jp/watch/sm27740256))と題する動画投稿後者の内容をかいつまんで説明すると、

自分動画記述一般的に言われていることを記載しただけであり、上記ブログの盗用でも引用でもなく、著作権法に照らしても問題ない。盗用だというのは不当な中傷である

百合子氏により、盗用などしていないのにデマ拡散されそうになり、それは信用毀損罪、業務妨害罪に当たる

百合子氏とのメールの遣り取りの中で、相手が一週間もメールを送ってこなかったのにいきなり「文化庁長官への通報」を示唆され、また最後のやりとりにて不当に短い返信期日を設定された。そもそも盗用などしていないので、これは常軌を逸した要求であり、不当なものである

百合子氏がブログアスペルガー障害告白していたことについて「なんだか可愛そうになってきた」、アンチスレッドを見ていた事について「アンチマインドコントロールされている」と記述

相手方が終息を宣言したにも関わらず、上記のように百合子氏を激しく批判する内容であったため、鋼兵氏の支持者とアンチの間で論争が起き、大百科の掲示板炎上

また、動画コメントの内容は概ね鋼兵氏に同情的なものだったが、後に鋼兵氏が自身批判的なコメントを削除している事が判明((http://nicoco.net/sm27740256))。同時に、百合子氏が女性であることや、アスペルガー障害揶揄する中傷コメントが多数投稿されるが、何の対処もされず放置される。



⑧鋼兵氏がニコニコ生放送にて「ライオンに噛まれている。 このままだと自分が死んでしまうからナイフで刺した」「あのブログのせいでチャンネル退会する人間が出たので業務妨害」「個人攻撃はしたくなかったんだけど……」などと発言((http://matome.naver.jp/odai/2144753442305118301?&page=7))。発言についてTwitter上で鋼兵氏を批判したid:kyoumoe氏がブロックされる。



⑨「リットン調査団」と名乗る人物が「鋼兵氏と某ブログ主権利問題について」((http://www.nicovideo.jp/watch/sm27760581))と題する動画投稿。内容をかいつまんで説明すると、

・鋼兵氏の「一般論なので問題ない」とする主張は間違いであり、百合子氏の当初の主張の通り、法律上の盗用の要件は満たされている

メールの遅延について、積極的に連絡しなかった鋼兵氏の側にも問題がある

アスペルガー障害マインドコントロールに関する記述は明確な人権侵害であり、鋼兵氏は速やかに動画を削除し百合子氏に謝罪するべき

といったもの

動画話題性もあり、三万回以上再生されるなどヒットするが、多分に百合子氏へ同情的な記述が見られたために、「公平性に欠けている」との批判殺到し、コメント欄炎上している。



⑩今後予想される展開

・鋼兵氏アンチスレッドの有志による、鋼兵氏への批判動画作成中。近日投稿されると思われる。

・鋼兵氏が歌い手に復帰するとの情報有り。


参考資料

・「【自演歌い手の鋼兵が大炎上!?KUNとのやりとり他経緯まとめ」(http://matome.naver.jp/odai/2144753442305118301)

・「毒舌インターネットボイストレーナー鋼兵さん(@kouhey0427)、今頃盗用に反論するも案の定な結果に - 今日も得る物なしZ」(http://kyoumoe.hatenablog.com/entry/20151208/1449507148)

Youtube板鋼兵アンチスレッド

2015-12-10

[]小山宙哉宇宙兄弟」27巻まで

★★★☆☆

これ読む前に読んだのがやまむらはじめだったから、それに比べるといい意味ですごくわかりやすマンガだなあって思った。

序盤はよかった。

選抜試験後は、面白く無い訳じゃないけど、中だるみがすごかった。

まあ簡単に宇宙にいけるわけじゃないってことを描くにはこれでも短いくらだってのはよくわかったけど。

週間で追いかけるのはちょっとこれしんどくねーかって感じ。

アメリカ編はやっぱり取材が難しいのか、訓練がほとんど描かれてなくて、メンツが仲良くなるまでをそういった試練の中で描くというような描写がなかったのが残念だった。

アメリカンジョーク的なラジオが好き。

途中で最新刊近くのやつをパラっと見ちゃって、日々人死んだの!?って思っちゃったけど、今のところ27巻では死んだって描写はないからよかった。

月での第一声もよかった。

捨てキャラがいなくて序盤のキャラも後でちゃんと出てきたりするからいいね

序盤の展開とかも後でうまく活かされてたりとか。

なんかどんどんムッタが都合のいいスーパーマン的な存在になっていったのはちょっと微妙

序盤のダメ男っぷりがまったくなくて、感情移入がかなりしづらいキャラになってしまった。

ムッタがみんなを巻き込んで味方にしていくような展開がちょっと続きすぎた。

周辺キャラもそれぞれ濃い設定を持ってて、それをだらだらしすぎることなく入れてくるのはよかった。

でもクールメガネ過去編とマフィアのところは内容の割に長すぎる気はした。

せりかのネット炎上日本の悪いとこーみたいなのが出てるけど、結局都合よく実験成功ちゃうのが、うーんって感じ。

うまくいきすぎて・・・うまくいかなかったらそれはそれでフラストレーションたまるんだろうけども。

ある程度落として都合よく持ち上げてってのの繰り返しすぎてちょっとなあ・・・

ふたつのスピカ国内の訓練的なやつだけで終わったのがちょうどいいあんばいだった気がした。

度胸星も訓練は国内メインでさくっと終わった気がする。

でも国内選抜終わった後を描いたマンガは確かにこれまであまり見たことなかったから、それは面白かった。

度胸星続き読みたいなあ・・・

以下読みながら途中で書いた感想メモ

モノローグは私、会話は俺

回顧録みたいなもんなのかな

最初に読んだときは7,8巻のムッタが宇宙飛行士に選ばれたところまでだった

ふたつのスピカ度胸星宇宙飛行士選抜ものをすでに読んできてて、選抜試験にはもう飽き飽きしてて、

ぶっちゃけいまいちだなーと思ったから、

なんとなく選ばれたところで一区切りと思って読むのやめてた

今回は他に読むものがないなーと思って何気なく手にとって改めて最初から読んだ

やまむらはじめのあとだとやっぱりすごくいい意味での差を感じるなあ・・

マンガなんて単純に相対比較できるもんじゃないけど、やっぱりマンガとしての完成度はこっちが高く感じる

こんなん絶対一般受けするやんって感じで宇宙兄弟自体にひねくれもの的な生理的反感を抱いてしまう俺ですらそう思っちゃう

やまむらはじめ感想で書いたけど、作者の伝えたいことは1/10000しか伝わらない

宇宙兄弟はそれを承知の上で、丁寧に丁寧に描かれているから、こっちにもほぼストレートに伝わってくる

わかりやすいのがすべていいわけじゃないけど、やまむらはじめと対比するとこっちの親切さが身にしみる

あと個人的にすごいと思ったのは、メインキャラクターだけじゃなくてサブキャラクターにもしっかり設定があって、なおかつそれがマンガの中で描かれてること

俺は街の灯を見てその一つ一つに人がいて人生があってって考えて気が遠くなるタイプ人間なんだけど、

マンガキャラクターでそれを描くのは、人気や尺の関係でだいたい難しいことが多い

よくてそういうバックグラウンドをにおわせることができる程度

あほかがよければそれでも十分なんだけど

でもやっぱりにおわせるだけの描写と、実際に回想として描かれるのとでは全然重みが違ってくる

それもダラダラ長過ぎることも、必然性を感じさせないこともなくっていう絶妙なさじ加減で入れてくれるからすごいし、違和感を覚えない

ワンピースとかブリーチで回想に入ったまんま連載期間で数ヶ月なんてのが好きじゃない自分の飽きっぽさを、熟練した執事みたいに理解して用意して次へ進めてくれる

2015-12-04

http://anond.hatelabo.jp/20151204171642

要するにゾーニングっていう「もっともらしいことば」を

自分と合わない意見人間が使ってるのが気にくわない!

ってことかな?

で、すでに指摘されまくってるように、ゾーニングってことば自体マーケティング以外にも様々な文脈で使われてきてるんで

(それこそ児童ポルノにおける議論でも)

自分たまたま知ってた解釈ひとつ振り回して、

ゾーニング」ってことばの定義自体を相手から奪おうとしてもしゃーないわけよ

「望まない人間の目に絶対にいれないことな不可能」にって筋ならまだなんとかなるかもしれんが

レンタル屋とかはすでにやってるからなー筋悪だろうなあ

大体元増田自体、「ゾーニングはしてた!」って相手の土俵に乗ってるしね

あとは、「そこまで徹底的に隠す必然性はない」って方向かね

これならまだ議論になる

がっこうぐらし~その1~武器について1

これから毎日朝起きたらがっこうぐらしに関する1記事を書こう。

幸いここは匿名なはず。

今日がっこうぐらしに登場する武器についてのその1をお送りする。

がっこうぐらしで出てくる武器には様々なものがあるが、

そのうち一番良く描かれるものはなんといってもシャベルであろう。

今日はそのシャベル必然性について考えたい。

必要性

まず、がっこうぐらしにはその性質ゾンビが出てくる。

生徒はそれを撃退する必要がある。

そのため、正常な生徒の一人は少なくとも武器を持つ必要がある。

ゾンビ撃退することができ、さら日常系という世界観を保つためには、

家庭で普通に存在するものでありかつ威力のあるもの必要である

日常系という世界観を保つという条件のため、家庭で普通に存在するとしても、

例えば包丁などのあからさまに危険であるものは除かれる。

続いて考察しなければならないのはシャベルもつそのイメージである

例えば前述の条件ならフライパン武器にしてもよい。

しかフライパンには少なから調理という家庭的イメージが付き沿う。

やはりゾンビを倒すというためには身軽で外向きなイメージを持ったものがよい。

そういうわけでやはりシャベル必要であったのだ。

しかゾンビは少なからず「土」というイメージを持つため、

それと同じイメージもつシャベルは相性が良い)

2015-12-03

[]ゴージャス宝田キャノン先生トばしすぎ

今気づいたけどエロ漫画家ってgoogle日本語入力の候補に全然出てこないのな・・・

ハナハルですら出てこない

★★★☆☆

評判よかったのだけは知ってたから期待してた

ようやく読む機会があった

確かに評判も頷ける出来だった

自己言及エロ漫画だった

エロ漫画家とは何か?

何をやっているのか?

どうあるべきか?

結局結論としては熱量至上主義だったのは賛否両論ありそうだけど。

要はオナ禁状態衝動にまかせて書けっていうようなもんで。

まあそりゃそうよねーと

似たようなテーマを扱ったマンガはたくさんあるけど、商業エロ漫画エロ漫画テーマにこれをやったということはすごいと思う

これでエロ自体にも必然性を絡めていれば100点満点の何も言うことなしだったけど、

さすがにそこまではできてなかった

まあエロ漫画から・・・

いや、キャノン先生の幼少から性質ってところが少し絡められてたか

んーエロ抜きバージョンにして出したら結構売れると思う

犬センセのストレンジカインドオブウーマンみたいに

まあロリエロって時点でストレンジ~ほどの一般大衆への訴求力はなくて、

しろこのご時世にこんなもん出しちゃったらヤバイから無理だろうけども

なんかクソ虫ゴロ太のあのマンガとノリが似てるなあって思ったら、

エロ漫の星の金平守人初回特典小冊子には寄稿してたらしいw

2015-11-30

同性愛者を「異常人間」と呼びたい人へ

異性愛者は正常で、同性愛者は異常だ、と言う人がいる。本当だろうか?

なぜ異性愛者が正常なのかというと「人間は子孫を残すために生まれてきたからだ」と言う。

しかしその「ために」というのがどうにもアヤシイ

その「ために」は何のための「ために」なのだろうか?

事実として、多くの人間には、種を残すための本能のようなものが、遺伝子的にプログラミングされているらしい。

そう考えると、同性愛者というのは、プログラムの「バグ」のようなものにも見える。

バグ=異常」。極めてシンプル理屈だ。

しかシンプル理屈ほど、疑ってかからなければならない時もある。

ここで考えなければならないことは、「そのプログラムはなんの『ために』存在するのか?」ということではないだろうか。

なぜ種を残す本能存在するのか? そもそもなぜ人間は、あるいは生物は、その種を後世に残そうとするのか?

難しい問題である無茶苦茶ムズカシイ。なんとなれば、「人はなぜ生きるのか?」というような問題にも繋がってくるからだ。

科学価値判断をしない、という文脈に立った上で言うならば、科学的に見て、人間が生きることに意味目的理由存在しない。

あるひとりの人間が、人間としてこの世界に生まれたのは、単なる物理現象の膨大な積み重ねにすぎず、そこに必然性のようなものは全く無い。全く、である

人間は子孫を残すために生まれてきたんでしょ?」と言う人がいるかもしれないが、そういう人には逆に問いたい。「じゃあなんのために、人間は子孫を残すの?」と。

おそらくこの質問に回答できるのは、宗教的議論だけだろう。「終末の日を待つため」とか。「自分を産んでくれた先祖に恩返しするため」とか。

しかしあえて言わせてもらうなら、あなたがこの世に存在するのは、先祖あなたのためを思って子孫を残そうと努力したおかげなどでは決して無い。ただ単に、「種の保存」という遺伝子プログラムに従っただけのことである。身も蓋もないことを言えば、ただセックスしたいからセックスしたら子どもが生まれただけである。いや、ホントはもうちょっと複雑だろうけどね。

「よりよい種を残すことが人類目的だ」というようなことを言う人もいるが、それも科学的に見て間違っている。

生物進化するのは、環境適応するため、である。「より良い」などという概念は、人間的な価値判断に過ぎない。

より正確に言うならば「多様な個体の内、環境適応した個体が生き残る」という形で進化は進む。

人間が今の人間のカタチをしているのは、大雑把に言えば、単なる偶然に過ぎないのである

どうも「人類は今まで子孫を残してきた」という事実と「だから全ての人間は子孫を残すべきだ」という価値判断をごっちゃにする人が多いようだ。事実価値判断は分けて考えなければならない。

あなたが「全ての人間は子孫を残さなければならない」と考えるのは個人の自由だ。しかしそれはあくまでもあなた個人的思想であり、社会的合意ではない。

あるいは、成員全てが子孫繁栄のためだけに邁進するような、そんなブラック企業じみた社会に、本邦はなりつつあるのだろうか? そうしたい人は結構いるみたいだが。

話を冒頭に戻そう。

確かに、人間のうちの多くが、「種の保存」を遺伝子的にプログラミングされている。

しかしだからといって、そのプログラムが多少ズレている人が、直ちに常人であるという話にはならない。

なぜなら、そのプログラムは、様々な偶然の積み重ねによって、そのような文字配列になっただけであり、あらかじめ種の保存を目的として書かれたものなどでは決して無いからだ。

もし足し算が出来ない表計算ソフトがあったとしたら、それはれっきとしたバグである所与の目的と違う動作を、バグと呼ぶのだから

しか人間は、人間遺伝子は、誰かによって何かの目的によって作られたプログラムでは無い。人間遺伝子目的は無い。「ために」も無い。

そして目的存在しないプログラムには、「バグ=異常」もまた、存在しないのではないだろうか。

2015-11-27

3Pの可能性を(2)

http://anond.hatelabo.jp/20151122033704

じゃあ、どんな可能性が拓けるのか考えてみたのだけど、体位という観点からは男1が男2の口に入れるかアナルに入れるかの2パターンに対して、女1がどうにか絡むという大きくは2パターン収束されそうで、実はそんなに可能性が拓けそうもない。最初体位パターンが増えるのでは?と思って書いたのだけど、シチュエーションの方で可能性を拓かないといけないということが分かった。少し、拓いてみた。

1.男1実は男2のことがパターン

男1が女1の後ろに挿入、男2が女1の前に挿入。男1が先に終わる。男2続けるが、実は男1は前から男2の事が好きで…男2のアナルに挿入。

2.循環型三角関係

男1は女1が好き、女1は男2が好き、男2(受)は男1が好き。三方一両損な解決策として、男1が男2に挿入、男2が女1に挿入。

男1は、男2を突くと女1が反応するので、まるで女1としているような雰囲気であるが実際に入れているのは男2のアナルなのである。一両損。

女1は好きな男2に入れられて喜ぶが、男2は男1に掘られて喜ぶだけで蚊帳の外感が。一両損。

男2は、好きな男1に掘られて嬉しいのだが、男1は女1ばかり見てるし、好きでもない女1と目があって気まずい。一両損。

3.性同一性障害

性同一性障害ゲイの女1。ディルドを入れて男2に挿入、男1は女1のアナルに挿入。

乙女、念願のゲイックスに感動。

ふむ。ここに、それぞれのキャラクターやら、そんなシチュエーションに陥る必然性何かを加えていけば、1回分のエロマンガにはなりそうなのかな。よくわからんが。こんなてきとーなのでも考えるのは大変だった。それが何であれ創作するのって大変ですね。

2015-11-21

http://anond.hatelabo.jp/20151120183916

ま、数学必然性なんて言ったら年末カウントダウンすんのも震災の時刻に黙祷捧げるのも数学的にはまったく意味のない行為からな。

数学というよりは数秘術っぽいけど、これはこれで面白いんじゃね、とは思ったよ

匿名ダイヤリーっぽいネタじゃないけど

2015-11-20

次回は8400年後! 2015年11月21日ミラクルな日

以下、知人のFBから転載

2015年11月21日は非常に珍しい日です。

この日を西暦8桁で表すと 20151121 となります

電卓で √20151121 と打つと 4489 と出てきます。つまり平方数なんです。

これは 1990年5月21日以来25年ぶりのことであり、次回は 2024年10月1日です。

さらに、電卓に √4489 と打ち込むと 67と出てきます。つまり二重平方数なんです。

これは1785年6月25日(65^4)以来230年ぶりのことであり、次回は3164年6月25日(75^4)です。

またさらに 20151121 を素因数分解すると 67^4 であることが分かります。日付が素数の4乗からなる二重平方数となるのは西暦13年3月21日(19^4)以来2002年ぶりのことであり、次回は 10406年4月1日(101^4)です。

一年に一回必ず来る11月11日111111秒なんかよりずっと奇跡的。

一人で感動しているのですが、分かってくれる人いないかな

追記:

数学必然性がないことは承知しております。ただ、遊びとしてもなかなか面白いと思いましたのでご紹介した次第です。

追記2:

二重平方数と4乗で言い換えているだけというご指摘は当たらないかと思います素数の4乗からなる二重平方数と言っていますので、筆者はより対象限定たかったのだと思います。少しもったいぶった書き方ではありますが。

2015-10-31

がっかりホモって誰得なんだろう

漫画を読んでいるとたまにどう見てもホモだよなーってキャラ唐突ホモじゃなくなる事がある。

例えばこち亀マリア唐突に女になった上に両津を好きではなくなった。

もやしもんの蛍も唐突キスしてきたり嫉妬したり執着したりホモしか見えなかったが唐突ホモじゃなくなった。

必然性があるならいいんだ、デビルマンみたいにどう見てもホモだったけど男とかホモとか超越した存在でしたみたいなのは全然いい。

でもマリアや蛍がホモだったりホモじゃなくなるのにどんな意味があるのか、誰が喜ぶのか意味わからん

2015-10-30

http://youkenwoiouka.hatenablog.com/entry/2015/10/30/101102

あ、この記事

全く必然性がないが、こうやって自分記事ちょっと青二才おだてつつ紹介したらツイッター拡散してくれるからPV乞食みたいな人間一時的にだけ青二才を持ち上げるのパターンだ。

青二才ってとりあえずトラバ飛ばしてちょこっとだけほめておけば誰にでも反応するからPV乞食にすりよられる。

青二才もそのあたりわかってる上で営業のつもりでやってるんだろうけど傍から見てるとほんとちょろいやつやな―って感じてしまう。

最近青二才トラバ飛ばして擦り寄ってくるやつの8割くらいがほんとろくでもない。

ミニマリストやらすぐにPV稼ぎましたいくらアドセンスで稼げましたってはしゃいじゃうシロクマが嫌いなタイプブロガーやね。

面白いことにまず最速で目立ちたいっていう目的を果たした後青二才に接し続けてる奴が皆無。

まり露骨過ぎて草生える

乞食なのはええとしてももうちょっとうまくやれや。利用してやる気見え見えすぎて引くわ。

多少まともかなと思ったのは同人を売りたいって言ってる奴くらい。 しかあいつは青二才から絡んだのに丁寧に返信してくれただけでその後青二才に一切絡んでない。青二才あいつは俺が育てたって思ってんだろーけど。

互助会だなんだというつもりはないけども、もうちょい人の見極めできるようになろうや。

あんまり露骨PV乞食には反応せんでええんやでつーか反応せんほうがええんやで。

青二才って本当にそこらへんのヒトの見極めが幼稚園レベルなんかと。 チヤホヤしてくれてる間はいい人、自分文句をいうのは悪い人、程度にしか認識できてないんじゃないかと心配になるわ。

PV乞食くらいならええけど、なんか危ないことの片棒担がされんように気をつけーな。


上の人は青二才FX教えてやってくれよ。

2015-10-26

http://anond.hatelabo.jp/20151026194332

>ここでは知っている言葉を敢えて使わなかったという体になっていますよね

いや、(ほとんど)知らなかった言葉を使わなかっただけですよ。知らないなら使いようがないのは当たり前ですよね?

そして「論理的定義が役に立たない」以上、「性的に消費」という自分の実感をちゃんと表してくれる言葉があるならそれを使わない理由などどこにもないわけです。(特に「知らない言葉(性嫌悪)を使う」という不可能手段を用いる必要必然性もありませんでした)

で、どこが矛盾でしたか

 

>使うべきではないと考えているのでこうして指摘をしています

へぇ、俺の私的な「匿名日記」にあなたの「考え」の許可を取る必要があるわけですか、知りませんでした。

あと、「サービスを消費」をメタファーですよ? というかほとんどの言葉最初メタファーで慣用化されてるだけですよ。そもそもを言えば漢字メタファーだし、文字自体メタファー的な構造を持ってますわな。

あとは個人的日記メタファーを使ってはいけないというのは初耳ですね。ネットに公開されてるからですか? ツイッターとかでもダメですか? 結構やってる人は多いと思いますけど、いちいち取り締まってるとしたらご苦労さんですね。

あ、いいこと思い付いちゃったんですけど、あなたのこれまでの発言からメタファー探してきちゃっていいです?

2015-10-04

わたしのどこが好き、と聞いてみた話

いい年をしてはじめておつきあいした男性は、少し変わった性格をしている。

こんなこと聞く人間にはなりたくなかった、こういうことは、代替不能なものとして言語化されないほうがベターなんじゃないかと思いながら、

一度「わたしのどういうとこが好きなの」と聞いたら、「話のレベルが合うところ」という答えがかえってきた。

聞かれなかったけれども、わたしは、相手のどこが好きかよくわからない、でもなんとなく好きだと思っている。

確かに、年金制度国際秩序いかにあるべきかとか、好きな仏像だとか、たまに呆れつつそんな話題で普段しゃべっているけど、めちゃくちゃ一般的というわけではないだろうもんな。ちなみに政治的意見全然合わないので、ここまでくると人生観の違いだろうから先は怖いな、とも思っている。

それじゃあ、話のレベルが合うところが好きだというなら、どうしてその相手と付き合って、あげくセックスする必然性があるんだろう、どういうロジックでそうなるんだろう、というのがいまいちからない。別に嫌じゃない、私にだって性欲はあるし、雰囲気に乗ってべたべたしてしまうこともあるから理由ロジックを求めるなんて結局は無意味ことなんだろうとは思う。

しかしたらわたしは、相手にも、よくわからないけど好きだ、と言ってほしかったのかもしれない。あるいはそれと同じくらい何かすとんとくる理由を。

結局私だって性欲とノリで動いているし、相手もそうなんだろうとわかっているけど、いまいち自分のなかでは割り切れずにこじらせているという話。

2015-10-03

抱きまくらの本質

毛糸マフラーを巻いて道を歩いていると、まるで恋人がうしろから抱きついてくる感覚で、首がくすぐったい。「ふふ、あたたかいでしょ」「うん、あたたかいね」と脳内妄想で甘いデートに興じ、ふと笑みがこぼれてしまう。私は人目をはばからず、ニヤリニヤリと歩いていた。通行人たちがギョッとした顔を向けてくる。私のような冴えない男が、行き交う人々から注目を集めてしまうのはいささか恥ずかしく、彼女化したマフラーが「ね、家に帰ろ? ふたりきりで、ね?」と急かしてくる。

よし、家に帰るか。しかし私は玄関口でマフラーを投げ捨てて、ベッドにジャンピング土下座して《抱きまくら》に強くハグするのだった。マフラーが悲しそうに悲鳴を上げて廊下にへたり込む。私もつくづく罪な男だと思った。モテる男は辛いのだ。

スーツも脱がず、私は灼眼のシャナの抱きまくらを抱きしめた。シャナは照れるように「くぎゅう」と鳴いた。カバーAmazonで 22,000円で買った。シャナ小説も全巻読んだし、アニメDVDフルコンプした。(アニメ版まさか完結まで見れるとは思わず、5年待ったかいがあった。人生長生きするものである)でもコミックは持っていない。

ところで、私は子供の頃から、あのモサモサして食べにくいメロンパンが大嫌いだったのだが、シャナ出会ってから人生が変わった。今では毎朝メロンパンカリカリとモフモフを食す、至福のひとときメロンパンを頬張るとき、私はいつもシャナ笑顔を思い浮かべている。それが仕事の活力になるのだった。はてなブログで「人生を変えた一冊は?」みたいなお題があったが、私にとっては間違いなく灼眼のシャナである。おかげで私は今この時を死なずに生きている。(しか今週のお題は何だ? 「結婚を決めた理由?」 おのれはてな絶対に許さない)

シャナに「今日可愛いよ」と語りかけると「うるさいうるさいうるさい」と怒られた。いやよく考えれば抱きまくらはシャナではないし、抱きまくらはしゃべらない。ここは無何有鏡の向こうにある偽りの世界なのだ。本物のシャナは、今頃坂井悠二とイチャラブしているのだろう。心の底を冷たい風が吹き抜けて、私はますます枕を強く抱いた。ずっとこうしていると、私が抱いているのか、私が抱かれているのか、わからなくなる。でもそれは、私が子供の頃からずっと夢見ていた、幸せひとつの形なのだった。

そろそろ本題に入るとすると、私は「抱きまくら」の本質はどこに所在するのだろうかと考えていた。カバーではなく、中身の綿でもないとすると、私が今この瞬間に愛しているシャナは、いったいどこにいるのだろうかと。

自分の頭のなかだろうか? 否、それでは妄想でよく、抱きまくらである必然性がない。

私が抱きまくらを愛する理由、それは「あたたかさ」なのである

無い胸に顔をうずめると、ほんのりとあたたかい。そのぬくもり。確実に、彼女は生きていると思わせる現実の「感覚」たとえ彼女非実在で、手の届かない次元にいる少女だとしても、このあたたかさだけは、真実なのである

無機質な紙のページを捲っているのではない、ブラウン管電気信号を眺めているのでもない、私は今この瞬間に「あたたかさ」を抱きしめているのである最近ネット世界殺伐としてきた。人が人を愛するという感覚を、私は忘れずにいたい。

2015-09-24

[]片山ユキオ「花もて語れ」※4巻まで

5巻収録分から週間連載になったらしく、クオリティや中身が別物になってたら困るので、

少なくとも確実に面白かった4巻までの感想を書いておく。

朗読マンガという唯一無二のジャンル

ただ朗読するとか地味なだけでしょと思いきや違った。

ただの吹奏楽マンガと思ってソウルキャッチャーズを読んだときに度肝を抜かれた感じと似ている。

あらすじ。

主人公は幼い頃に両親を失った、雲を見て空想するのが好きな女の子

両親を失ってうまく話せなくなり、周りから浮きがちになるが、

学芸会担当した朗読によって、少し救われる。

時はたち、就職して新社会人となった主人公は、

また昔のようにくじけそうになっているところに朗読と偶然再会し、

まれ朗読の才能で、気づかぬうちに周りと自分自身を救っていく――。

作品の中で扱われる作品実在作品

4巻までだと、

やまなし

花咲

トロッコ

が取り上げられた。

マンガから当然音声はない。

からソウルキャッチャーズと同様、音が核であるはずのジャンルを扱う上での難しさがあるため、

生半可なマンガだと逆に朗読自体コケにすることにつながりかねない。

しか吹奏楽ピアノ等と違って、朗読はひたすら読むだけで絵面も地味になる確率が非常に高い。

そういった高いハードルをしっかりと助走をつけてきっちり飛び越していく、確かな地力のあるマンガだ。

朗読とは、ただ読むだけではなく、解釈表現力によって完成するものであり、

一見シンプルだが奥が深く、簡単そうに見えて難しいことが存分に伝わってくる。

やまなしトロッコをはじめとして、何も知識のない状態で黙読して読み流すだけでは絶対意識しないような読解の視点多種多様呈示され、

すでに知っている物語をより深く味わえる面白さを知ることができる。

朗読という視点を得たことによって、より黙読の読書も奥深くなるという発見すらある。

また、単に朗読ハウツー本にとどまらず、マンガとしての完成度も高い。

超人主人公によって単純に周りが救われる、下手すると勧善懲悪モノになりかねないようなことはない。

主人公自身も、様々な障害葛藤を抱えており、朗読によってそれらと向き合い、少しずつ自己実現していく。

ただそれゆえに、主人公トラウマというか問題ネタが尽きたときの展開のさせ方が心配にはなる。

でもこれだけのものを描ける作者なら、5巻以降もしっかりと中身の濃いもの提供してくれると信じたい。

重箱の隅をつつくと、1巻のマリコとの出会いきっかけは少々無理やりすぎるんじゃないかなとか、

 選ぶ朗読作品とそれによって状況が解決される人間がいつもいるのが都合よすぎるように思えることもないわけじゃないけど、

 物語必然性として許容できるレベルだと思う)

実を言うと、だいぶ前に花咲山の3巻あたりまでを初めて読んだときは、面白いとは思ったがそこまで心にこなかった気がした。

それからだいぶ時間がたって、自分の周りの状況が大きく変わった今改めて読むと、ものすごく心にきて、地味だが静かな感動を覚えて涙が出た。

心の隅の本棚に置いておいて、たまに読み返したいマンガリスト入り。

久しぶりに熱く感想を語ってしまったけど、そうさせる熱量もつマンガだったことをわかっていただけたら幸い。

2015-09-23

http://anond.hatelabo.jp/20150922235019

二人で食事に行くのはデートなのか?

ケースによるだろうなあ、としか

一緒に飯を食う必然性があり、まあまあカジュアルな店でワリカンで飯を食うなら(相手が先輩ならオゴリもありだろうが)、それはデートとは言わんだろうが、

休みとかに、必然性もないのに、カジュアルとは言えそこそこ選んだような店で、男が奢るよといって飯を食うなら、別にデートと言ったっていいだろ。

問題は、形じゃなく、そこに込めた「思い」だと思うんだよ。あまりに沢山の人と出会いすれ違う時代に生きてるとそうなりがちなのは分かるけど、大事なのは目の前にいる相手が何を考えているかを考えること、感じることじゃないのか。今回のことは、一応仕事仲間でもある相手の「思い」に気付きもせず通り過ぎて(思いに「応えろ」とは言ってないぞ)、かつ、自分を「ブサイク」とか言っちゃうその無神経さに対して(あんたを育ててくれた親に対しても、また、告白してくれた相手に対しても、やっぱりそれは失礼なんじゃないか?)、非難された、ってことじゃないのか。

目の前の「人」や「今この時」を大事にできるのが、容姿関係なく「きれい」な人であり、そして生き方だろう。のべつまくなしにやりゃ疲れんだから、しないときもあってもいいさ。でも、人間ときどきはそうしてもいいと思うし、増田だってそれぐらいは分かってんだろう。ただ、今回はそのタイミングを読み違えたという話なんだよな。

それが分かってんなら、増田はきれいだし、もちろん「ビッチ」なんかではないと思う。

2015-09-21

明らかに釣り

anond:20150921062632

 

これが真実なら、ここで明かすはずがなく、絶対に隠そうとするはず。

今の時点で、過去風俗歴を明かす必然性がない。

喜びにひたっているはずで、暗黒史を明かす意義がない。

明らかに釣り

受賞者を貶める意図だね。

 

2015-09-10

世界いちばん遠回りな世界一周

もう誰も覚えていないと思うけど、3年ほど前、ここに、"Hello world!"というタイトルエントリ投稿した。あの話の続きをしようと思う。

※このお話はたぶんフィクションです。実在の人物や団体とはあんまり関係ありません。

※前回のあらすじ:高校中退工場派遣プログラマホームレス自立支援施設プログラマ海外放浪職業訓練世界一周アプリを作る


あれから3年、いろんなことがあった。またプログラマとして働いたり、またホームレスになったり、福島除染作業員をしたり、本当にいろいろあったけど、 今回の主題にはあんまり関係ないのでざっくりはしょる。今回の主題世界一周についてである

はいつか世界を巡る旅をする。10年くらいかけて。わりと本気で。その計画を立てるためのアプリケーションも作った。でもそのアプリ正式リリース以降、開発が頓挫している。開発を進めるにあたって、致命的な問題があることがわかったからだ。それは、開発者である自身が、この世界について何も知らないに等しい、という問題だ。

開発者は、システム化する対象に関して、誰よりも精通していなければならない。業務用アプリケーションの開発なら、 その会社の業務フローについて、社内の誰よりも詳しくなくてはいけない。システム開発とはそういうものだ。そして今度の対象世界だ。すべての国だ。それを僕自身が知らなくてはならないのだ。

しかし世界は巨大で、そして複雑だ。

国連加盟国は現時点で193か国。それぞれの国の下に州や省や県があり、その下に市区町村があり、そういった階層的な行政単位以外にも、歴史的背景から自治区になっているところや特別行政区連邦直轄領もあり……。

そういや連邦ってなんだろう。なんとなく知っているようでいて、詳しくはわからない。王国共和国ってどう違うんだろう。国の形ってなんでこんなにいろいろあるんだろう。いやそもそも国ってなんなんだ。どうすれば「国」になるんだ。

国連に加盟していればいいのか。いや国連非加盟の国もあるじゃないか。国家の三要素(領域人民主権)を満たしていればいいのか。しかしそれを満たしていることを誰が認定するんだ。他国から承認があればいいのか。その他国は誰が国だと承認したんだ。政治的問題から国なのか国じゃないのかはっきりしない地域だってたくさんある。国とか国じゃないとか最初に言い出したのは誰なのかしら。

それは世界一周アプリの開発中に国データをちまちま作っていたときにも思ったことだ。もしかして「国」というのは、僕が思っていたほど絶対的で、はっきりしたものではなく、相対的で、曖昧ものなんだろうか。

からない。わからないことだらけだ。こんなもの本当にシステム化できるのか。複雑ってレベルじゃねーぞ。これが仕事だったら「うんこー☆」とかいいながら全力で投げ出しているところだ。しかしこれは仕事ではない。これは仕事ではないので、真剣に取り組まなければならないし、投げ出すわけにはいかないのである

だけど、 どうしたらいいんだろう。世界はあまりに巨大で、複雑で、茫洋としている。何かとっかかりが必要だと思った。基点が必要だと思った。人でも物でも事柄でもいい。それをとっかかりにして、基点にして、少しずつ裾野を広げていけばいいのではないか。そう思って、自分記憶を探ってみる。僕の基点、時間軸と空間軸の原点、それは子供のころ、ブラウン管の向こうに見た、落書きだらけの大きな壁だった。


1989年11月ベルリンの壁崩壊した。僕が9歳のときだった。ニュースは連日連夜、この話題で持ちきりだった。興奮気味に壁を壊す人たち、全身で喜びを表現する人たち、泣きながら抱き合う人たちもいた。世界中が大騒ぎになっているようだった。僕はその映像を、意味もわからずただぼんやりと見ていた。

それからしばらくして、社会科教科書世界地図が大きく書き換わった。ソ連という国がなくなり、新しい国がたくさんできたのだという。国がなくなる? 国が新しくできる? その意味もまたよくわからなかった。

時間軸は一気に飛び、ベルリンの壁崩壊から20年以上たったころ、僕は生まれて初めて日本を出た。半年かけて海外放浪した。特に目的もない旅だった。だからその場所に行ったのも、ほんの気まぐれだった。

ベトナムホーチミン市にある戦争証跡博物館ベトナム戦争記憶を後世に伝える博物館だ。旅の途中にふらりと立ち寄ったそこで見たものを、僕はいまでもフラッシュバックのようにありありと思い出せる。

銃器、対戦車地雷、その他さまざまな武器弾薬が「こうやって使われていたんだ」といわんばかりに、実際に使用している場面の写真と並べて展示されている。銃を突きつけられて悲壮な顔をしている男性、道ばたで血まみれになって死んでいる子供、虫の死骸のように雑多に並べられた人の死骸、そんな凄惨な写真がこれでもかと並ぶ。

何か、自分の中で価値観が急速に書き換わっていくのを感じた。頭の中がぐちゃぐちゃになって、いろんな言葉が浮かんでは消えていく。

資本主義

共産主義

イデオロギーとは何だ?」

そのとき同時に頭の中に浮かびあがってきたのが、子供のころに見たベルリンの壁崩壊ニュース映像だった。あれから20年以上たってようやく僕は、あの人たちがどうしてあんなに泣いたり喜んだりしていたのか、少しだけ理解できたのだ。


あの博物館で僕がもっとも強く感じたのは、「戦争悲惨だ」という事実ではなく、「どうしてここまでのことになったのか?」という疑問だった。人が人を虫けらのように殺す、その理由が知りたい。そこには絶対にそれなりの経緯があるはずである。東西冷戦とは何だったのか、僕はまずそれを知らなければならない。

しかしこうなるともう最初から世界史をやり直したほうが早いんじゃないかと思った。よし、時間軸を一気に人類歴史の始まりまで巻き戻そう。

まずは大河流域で文明がおこる。チグリス・ユーフラテス川ナイル川インダス川黄河。うわー、すげー懐かしい。そして農耕が発達する。食料を安定して収穫・保存できるようになると権力が生まれる。そこから世界各地で似たような権力闘争が延々と繰り返される。

特に印象深いのが「カノッサの屈辱」だ。十代のころ、学校でこれを習ったとき意味がわからなかった。この人たちは何をそんなに必死になっているんだろうと思っていた。いまならわかる。目的は、権力そのものなのだ。人の頭を踏みつけること、人を思い通りに動かすこと、それ自体が目的であって、権力によって得られる富や名声は二の次なのだ。それは自分の経験を振り返ってみてもわかる。ヤンキー世界でもエリート世界でも、どんな場所でもどんな階層でも、人間が集まれば、始まるのはいつも頭の踏みつけあいである。それが直接的か間接的か、下品上品かという違いはあれど、やっていることは同じだった。だから世界史に記されたこのくだらない争いの数々も、いまは実感を持って理解できる。

そして絶対的権力者である神によって凍結されていた歴史が、ルネサンス以降、急速に動き始める。宗教改革名誉革命フランス革命。それまで聖職者王侯貴族が持っていた権力が少しずつ引き剥がされていく。そしてフランス王国フランス共和国に。ああそうか、王国共和国の違いって「王様」がいるかいないかなのか。さらに現代の「国」という概念国民国家というのも、このころに生まれてきたもののようだ。人類歴史から俯瞰すれば、ここ200年くらいの「流行」にすぎないのだ。

しかしフランス革命って華々しいイメージだったけど、こうして改めて調べてみると、革命政権恐怖政治によって何万もの人間が処刑されていたり、何度も王政に戻っていたり、混沌としすぎていて、華々しいなんてとてもいえない血まみれの革命だったのだと気づかされる。

そんな混沌の中、産業革命を経て、歴史さらに加速する。権力のあり方も変わる。聖職者王侯貴族に変わって資本家が台頭してくる。資本主義が加速する。貧富の差が拡大していく。賃金労働者悲惨労働環境で搾取され続ける。暗澹とした空気の中、社会主義共産主義という思想が台頭し始める。ロシア革命が起こる。世界初社会主義国ソビエト連邦誕生する。

いままで社会主義ってあまりいいイメージはなかったけど、こうして順序立てて成立の経緯を追っていくと、歴史の中での必然性がわかる。みんな、もう誰も頭を踏みつけあわずにすむ世界が欲しかったのだ。だから既存の権力や富や労働のあり方を強制的に変える。そしてそれが国の形を変える。そうか、国の形ってこういうふうに決まるのか。

しかし計画経済ってなんだろう。どうしてそんなもの必要になったんだろう。と思って、初心者向けの経済学の本を何冊か読んでみた。めちゃくちゃおもしろかった。経済ってこういうものなのかと思った。市場経済では必ず景気は好況と不況を繰り返し、いつかどこかで恐慌を引き起こす。そんな繰り返しをさせないために、計画経済では政府の計画にしたがって商品を生産する。そうか、そんな経済の形もあるのかと思った。ずっと現代日本で生きてきた僕にとっては、市場経済があたりまえすぎて、市場自由がどうの規制がどうのといわれても、これまでピンとこなかった。「あたりまえ」のことは、対比されるものがないと、それを知覚することさえできないものなのだと知った。

その市場経済へのアンチテーゼとしての計画経済は、しかし破綻する。いつ、どこで、誰が、何を、どのくらい欲するか、なんてことを計算し尽くすには、リソースが足りなさすぎたのだ。結果が出ているいまだからいえることなのかもしれないけど、少数の頭のいい集団演算能力よりも、多数の平凡な人間無意識的な分散コンピューティング見えざる手)のほうが演算能力は遥かに高いのである

そして社会主義自体も破綻する。ソ連型の社会主義では一党独裁必要とする。しかし絶対的な権力は絶対的に腐敗する。それは歴史証明している。独裁政権必然的暴走していく。これも僕は経験として知っている。「いじり」がいつも「いじめ」に発展するのと同じだ。他人おもちゃにできる、自分の思い通りにできる、これは権力である。そして「いじり」は場の空気によって正当化されるので抑制がない。抑制のない絶対的な権力は暴走する。だから 「いじり」はいつも「いじめ」に発展する。企業内のハラスメント家庭内虐待も同様だ。人間は好き勝手にできる状況に立たされたとき、好き勝手振る舞うものなのだ。そうか、チェックアンドバランスってそのために必要なのか。絶対的な権力は絶対に生み出してはならない。権力は絶対的に抑制されなければならないのだ。三権分立を唱えたモンテスキューさんマジパネェすわ。

こうして自由主義資本主義矛盾への疑問から生まれた社会主義共産主義は、自身内包していた矛盾によって自壊していく。そして時間軸と空間軸はまた原点に戻る。冷戦象徴であり、永遠に世界を二分し続けるかのように思われていたベルリンの壁が、ささいな行き違いからあっけなく崩壊する。ほどなくしてソビエト連邦から次々に構成国が離脱し(国が新しくできる)、連邦は解体される(国がなくなる)。

天秤の片方から社会主義共産主義が脱落したことにより、その後、世界はまた自由主義資本主義へと大きく傾いていく。混合経済社会主義的な部分が次々と取り払われていく。その結果が、派遣法改正だったり、リーマンショックだったりするのだ。そしてそれらは僕の人生にも多大な影響を与えている。そうだ、これはひとごとではない。遠い昔にあった「歴史」でもない。僕がいま生きている「現代」の話なのだ

そうか、世界ってこういうふうに動いていたのか。少しずついろんなことがわかってきた。国とは何か。イデオロギーとは何か。なぜ法の支配必要なのか。なぜ憲法必要なのか。しかしそれよりも何よりも、ひとつ重大な事実を確信した。それは、世界のすべてを知ることは絶対にできない、ということだ。

ミクロ領域――個人の感情や行動、これはわかる。マクロ領域――世界市場や情勢、これもわかる。しかし両者がどのように関連しているのか、個人の感情や行動が、どのように影響しあい、どのような力学が働いて、世界市場や情勢を動かすのか、逆に、世界市場や情勢が、個人の感情や行動にどのような影響を与えるのか、それを計算し尽くすことは、誰にもできない。それは人間演算能力の限界を遥かに超えているからだ。

「俺は世の中の仕組みをわかってる」「裏の論理まで知ってる」と嘯く人にはたまに出会うけど、そういう人が本当に世界の仕組みを知っていたことは一度もない。本当にただの一度もなかった。陰謀論マクロミクロの間にある巨大で複雑な回路をショートさせただけの反知性主義にすぎない。僕はそんなチートに興味はない。僕は真正から正攻法で、その回路を解析したいのだ。そうでなければ意味がない。

ああ、そうか、経済学とは、それを解き明かそうとする学問なのだマクロミクロの間にある巨大で複雑な回路。それを解析するのが、経済学や、その他の社会科学なのだ。僕はそれを、もっと深く学ばなければならない。

進むベき方向性は見えてきた。しかしここからどうするか。独学ではもうこのへんが限界のような気がする。つぎはぎだらけの学習じゃなく、もっと体系的に学びたい。でもどうやって学べばいいのかがわからない。僕はまず、学び方を学ぶ必要があるのだ。それには、どうしたらいいのか。

頭の中に浮かんだのは、「大学に行く」という選択肢だった。


大学に行く。どうしてそんな選択肢が浮かんできたんだろう。これまで僕の中にそんな選択肢は存在していなかった。そのはずだった。これまでずっと金も時間もなく、ただ日々の生活に追われるばかりで、そんなことを考える余裕は一切なかった。そんなことを考えるくらいなら明日の飯の心配をしたほうがいい。ずっとそう思って生きてきた。

何より僕には自信がなかった。自分みたいな中卒の人間高等教育を受けたところで何の意味もないと思っていた。そんなの僕にはまったく関わりのない知識階級人間世界だと、大学なんて僕にはまったく何の関係もない、別の世界に存在するものだと思っていた。

でも思い返してみれば、その認識は少しずつ変化していた。いろんな仕事をしたり、あとさき考えず旅に出たり、プログラムを組んだり、文章を書いたり、そしてそれを不特定多数の人の目に晒したり、ずっと何かに追われるようにそんなことを繰り返してきたけど、その過程で、僕は何か大切なものを拾い集めてきた気がする。それはたぶん、自尊心と呼ばれるものだ。幼いころに失い、ずっと欠けたままだったそれを、僕はこの歳になって、ようやく取り戻すことができたのだ。

からいまは自分高等教育を受けることに意味がないだなんて思わない。大学が別の世界に存在するものだなんて思わない。ああそうか、だからいま、このタイミングで、「大学に行く」という選択肢が、僕の前にあらわれたのか。

あとはこの選択肢を選び取るかどうかだ。

いまの時代大学に行くなんてそんなにたいしたことじゃないのかもしれない。だけど少なくとも僕にとってそれは、とてつもなく勇気エネルギー必要なことだ。ホームレスになることよりも、右も左もわからないまま海外に飛び出すことよりも。

現実的問題もたくさんある。資金、学力人生の残り時間。いろいろと考え始めると、解決しなければならない問題が多すぎて、わけがからなくなってくる。もうどうでもいいじゃないかと投げ出したくなってくる。でも僕の中の何かが、そうさせてくれない。僕の中の何かが、そうじゃないだろうと責め立てる。

これには覚えがある。この熱には覚えがある。これは、あの旅の途中、自分の中に発見した、マグマのような熱量だ。感情になる前の感情。行動になる前の行動。名前なんてつけようもないほどプリミティブな衝動。僕はいままさに、それに直面している。そしてその熱量からは、どうあがいても逃げられない。それだけは確信できる。

だったらもう、覚悟を決めるしかない。本当にもう、そうするほかどうしようもない。

僕は大学へ行く。

そうやって覚悟を決めてみると、ものすごく気が楽になった。気分が軽くなった。

ああどうしていままでこんな簡単なことに気づかなかったんだろう。その想いはずっと自分の中にあったのに。

僕は、「大学へ行きたかった」のだ。

続き→http://anond.hatelabo.jp/20150910220232

2015-09-08

本当に佐野氏のエンブレム著作権的にアウトじゃないのかの論考

深津氏の文章を読んで、本当に佐野氏のロゴ著作権的にアウトじゃないか

疑問に思ったのでベルギー弁護士の人がやろうとしていた

ことを代わりにやってみた。

著作権侵害が成立するには

1.依拠

2.類似性

3.利用行為を行ったか

の3つをすべて満たす必要があるらしいので、順番に検討してみようと思う。

なお、著作権侵害が成立する要件については、こちら

(http://www.saegusa-pat.co.jp/copyright/cr_02_3.htm

を参考にした。


1.依拠

はつまりパクった経路が確認できるかをベルギー側が

証明する必要があり、Pinterestの閲覧の有無が争点になると思う。

当然ベルギーデザイナーPinterest自分ロゴ登録しているし

佐野氏もPinterest登録していたことが確認されている。

これによって佐野氏がベルギー側のロゴを見たということには充分妥当性があるように思う。

ここで佐野氏が実際にそのページをみたかどうかの証明必要ないし(もちろん証拠があればそれに越したことはないが)、

佐野氏がもし仮に、見ていないと発言しても、忘れたと発言しても依拠性が覆されることはない。



2.類似性

まず佐野氏のロゴベルギー側のロゴ類似している部分を列挙してみる。

類似点 ベルギー側のデザインの要素

・中心の縦の棒のパーツ

・左上と右下におかれたパーツ

・3つのパーツにより切り抜かれた円の形を視覚的に感得できること

・パーツの組み合わせにより『T』と『L』の合字が視覚的に感得できること

以上の4つではないかと思う。

(1)判例判断基準

判例では、他人著作物表現形式上本質的な特徴を直接感得できるかが判例判断基準となるようだ。

ここでは、"表現形式上の特徴"が争点となる。

9分割による"モジュール"による展開性や"書体"などは、

"構造的な特徴"となり、デザイン本質的な特徴ではない。

もし仮にまったく別のデザインなのに、モジュール展開性が

可能だったり、たまたま『T』の書体が一緒だとしてもそれは

構造的な特徴(つまりアイデアのこと)として処理され、

類似性があるとは認められないのと同じ。



(2)表現共通性

これは一目しただけで、類似していることが認められるのではないかと思う。

相違点はベルギーデザイナーデザインが外側に黒丸で囲んであり、

モノクロ(2色構成)で構成されているのに対し、佐野氏の、エンブレム

外側の黒丸に対する円がなく、4色構成であり、右上に赤い丸があることの

いであるが、これらの違いはベルギーロゴが土台にあってはじめて

成り立つものであり、ベルギーロゴ本質的な特徴であることが理解できる。

まりベルギーデザインが土台にないと、佐野氏のデザインはまず

構成できないことに着目したい。




(3)創作的部分の共通性

ここではベルギーロゴ創作的か、一般的かが問われる。

日本側は、幾何学的模様による構成は、どこにでもあると

主張していて立証は難しいように思える。

しかベルギーロゴが『T』と『L』の合字であることに

着目してみたい。

ベルギーロゴの着想の出発点は『T』と『L』の合字部分

である

それに対し、佐野氏のロゴの出発点は『T』のフォントである

原案を見てもそれは明らかである


佐野氏の案を出発点にすると、どうしてもロゴの右下にあった

パーツ(≒△)は右上にこないといけない。佐野氏の原案でも

右上に△があり、右下に△を入れる論理的必然性がなく、

ここに飛躍的がある。

ベルギーロゴには元々、『T』と『L』の合字であるという

出発点となっているため、飛躍的な超越はない。ここにベルギー

ロゴ創作性が認められる。

おそらく佐野氏は『L』の合字部分に気付かなかったのではないか。

ベルギー側のデザインが『T』のみのロゴだと思い込んだのである

日本人には一見なにも問題ないように思われる。しかし『T』の

右下にパーツを入れることは欧米では一般的ではないのである

まり佐野氏のロゴは、『T』としては非常に不自然な形状をして

いることになる。この不自然さこそ、一般的でないことの証明であり

創作性を保有しているということになる。

さて佐野氏はどこから、右下に三角(≒△)のパーツを配置する

という着想を得たのだろうか。


3利用行為を行ったかどうか

あきらかに五輪エンブレムとして利用すれば利用行為を行ったことになる。

佐野氏がエンブレムを取り下げたために、ベルギー側も告訴を取り下げるしかなかった。




おそらく以上のことをベルギー側は証明しようとしていたので

はないかと思われる。

これを読んでもみんな(深津氏や山本一郎氏を含む)は、佐野氏は

エンブレムをパクッてないということになるのだろうか、聞いてみたいところである

ついでに以前の自分記事

http://anond.hatelabo.jp/touch/20150903190148


よろしくどうぞ

2015-09-01

オリンピックってなに?

自分オリンピックはただのスポーツの祭典としか思っていなくて

開催地は毎回いろいろな国をまわるわけで今回久しぶりに東京が選ばれただけで、

競技場は場所必要から作るわけだし、ロゴなんかもイベントをやるには必要ものから作るという印象しかない。

そしてオリンピック自体は観客が楽しめて、選手は実力を出し切ることができる。ただそれだけでいいと思っている。

ただブコメなんかを見ていると以下のようなことを言う人が結構いて割と疑問に思っている。

id:citron_908 「今しか考えない日本人」って今回の東京オリンピックのもの象徴してるんじゃないの?日本全体を考えた時に、この時代オリンピック東京で開催する必然性は全くないと言っていい

オリンピックってなに?この時代ってなに?オリンピックを開催する必然性ってなに?

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