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なぜニッポンから「腰巻きビル」は無くならないか - Togetterまとめ
このような建築様式を「腰巻きビル」と呼ぶのが一般的なのかどうか分からないのですが、日本国外にまったく例がないわけではありません。
Norman FosterによるHearst Tower (2006) というビルがありまして、これはたくさん賞を獲ったのですね。
マンハッタンのシアターディストリクトとヘルズキッチンの境界、コロンバスサークルから8番街を少し南下したところにあります。
Hearst Tower, New York City | Foster + Partners
何が評価されたのかというと…
要するに、懐古と復興の共存であり、過去と未来の架橋であり、そうなるべき文脈と必然性があったのです。
その観点で言うならば、日本の「腰巻きビル」にも同様の経緯を経たものが少なくないのは周知の通り。
これは歴史建築物を保全する取り組みとして、きわめて先進的であったと言えるのではないでしょうか?
文化財保護の必要性と、都市計画上の要請と、構造設計上の制約、これらの折衷案が「腰巻きビル」であるとしたら、なかなか面白い建築群なんじゃないかと思います。
そういう背景があるとしたら、ですが。
最弱無敗の神装機竜みながら
「あの乳の下にある青い布はなんなんすかね?」
「腹巻?」
「あれアンダーバストから巻いてあってウエストらへんにベルトしてるけど、ベルトより上がぺろーんてなんないのかね?」
「コルセットみたいに爪でみっちり締め付けてあるんじゃない?」
「太ったり痩せたりしたら着れなさそうなのって成長期の女子に向いてない制服だよね。いやわかるよ乳を強調したいからアンダーバストから下のシャツを抑えたかったんでしょ。でもさーそれだったらもうちょっとやりようがあったのではないか。ベストにするとか」
「アーハイハイ」
「その点35試験小隊はホルスターの革紐みたいなん乳の下に巻いてて必然性があって良かった。乳の間に布が挟まってるのはいただけなかったけど」
「もうさー乳袋については諦めよ?」
「乳を強調したいならちゃんと布を描いて欲しいんだよねー。いやアレはそういう立体裁断されたシャツだと思おうとしたよ?でも落第騎士の英雄譚で姫がシャツ脱いだら胸の部分が全然立体的じゃなかったんだもん!乳を包んでた布どこいった!」
「わかった、わかったから」
本当に女がエロいんだよ。自分男だけど、これは女性差別なんかじゃないよ。
ぶっちゃけ、妹すらエロいよ。童顔巨乳ということもあるけどさ。
そろそろ結婚するにも限界に近い歳だけど、女エロすぎてセックスどころかオナニー不可避だよ。
母親も俺の性欲をよく分かっていて、もうできちゃった婚でも構わないと言っていた。
俺が大学生のとき、毎晩朝帰りしてくるから変だなと思っていたらしい。
母に「たまには直帰してきなよ」って良く言われていたんだけど、
これは「親の顔を立てて遊び人やめろや」という婉曲話法だったんだって。
何だ、いい母親じゃん。こんな息子でごめんね。
ちなみに、母だけは女でもエロくない。そもそも女という意識すらないが。。
コンビニの女性店員がエロくて、同じコンビニに出禁くらうほどアプローチすることがある。これは深刻な問題。
朝通勤するときにランドセル背負った女の子を見かけるだけで性欲で動悸が激しくなる。不審者感丸出し。
ギリギリエロくないのは、乳幼児レベル。女性と女児多すぎて週末のショッピングセンターでナンパしまくり。
中年、高齢者、中高生、大学生、もちろん20代の女性もエロい。一番エロいのはどうしたって女子高生。
あと、メガネをかけた女性は年齢を問わずに艶めかしい。股間が膨らむ。
仕事上の必然性があるなら何とか支障がないレベルに性欲が抑えられる。
別に男の娘にも性的関心があるわけじゃない。決してゲイではない。
女性がエロく見えるきっかけがあるわけでもない。気づいたら興奮するようになっていたんだ。
会社で優しい女の同僚が話かけてくることもあるけど、カウパー出るし、怒張を隠せない。
うちの会社はいい人ばっかで、俺は普段無口だけど口説き熱心な肉食キャラということで許されている感じだ。
こんなに女を求めるのは俺だけなんだろうか。全国にどのくらい同類がいるんだろうか。
本当に女が怖いんだよ。自分男だけど、これは女性差別なんかじゃないよ。
そろそろ結婚するにも限界に近い歳だけど、女怖すぎてデートどころかアプローチすら不可能だよ。
母親も俺の性格をよく分かっていて、もう結婚も孫も諦めていると言っていた。
俺が大学生のとき、女っ気が全然ないから変だなと思っていたらしい。
母に「たまには夜遊びしてきなよ」って良く言われていたんだけど、
これは「親に気兼ねせずに女の子と遊んできなさい」という婉曲話法だったんだって。
何だ、いい母親じゃん。こんな息子でごめんね。
ちなみに、母だけは女でも怖くない。そもそも女という意識すらないが。。
とにかく女が病的に怖いよ。何で怖いのかよく分からない。
コンビニの女性店員が怖くて、同じコンビニにいけなくなることがある。これは深刻な問題。
朝通勤するときにランドセル背負った女の子を見かけるだけで恐怖で動悸が激しくなる。不審者感丸出し。
ギリギリ怖くないのは、乳幼児レベル。女性と女児多すぎて週末のショッピングセンターを利用できない。
中年、高齢者、中高生、大学生、もちろん20代の女性も怖い。一番怖いのはどういうわけか女子高生。
あと、メガネをかけた女性は年齢を問わずに恐ろしい。背筋が凍る。
仕事上の必然性があるなら何とか支障がないレベルに恐怖が抑えられる。
女性が怖くなったきっかけがあるわけでもない。気づいたら怖がるようになっていたんだ。
会社で優しい女の同僚が話かけてくることもあるけど、言葉につまるし、目も合わせられない。
うちの会社はいい人ばっかで、俺は普段無口だけど仕事熱心な真面目キャラということで許されている感じだ。
どうしてこんなに女が怖いのかわからない。
こんなに女を怖がるのは俺だけなんだろうか。全国にどのくらい同類がいるんだろうか。
思うところが多かったので増田に書く。
労働マッチングが今のところ使うべきじゃないのは元記事で嫌って程わかることだからそれについては話さない。
それ以外に、内容がソーシャルワーク以外にも、
IT系の仕事に共通して言えることが多いと思い、自分も感じたところまとめる。
これが本当に罪深い。
私が知っている範囲だと、よく「ディレクター」はいらない…なんて話が飛ぶ。
こまごました詳細が分からない人にとって、「交渉」というのは「駄々をこねる作業」にしか見えないので、
でもその認識は大いに間違っている。
大工にとっては全く畑違いの話なので「よくわかりません」と答える。
こういう不幸を防ぐために、ディレクターのような調整役が要る。
大工にいくら積んだところで素晴らしい電化製品の調度は不可能だ。
世の中のクライアントに、ディレクターの本当の仕事を知ってほしい。
世の中では、おそらく
ディレクターが何をしているのか、分かる人は少ない。
それは仕方のない事だが、
せめて発注する側のクライアントになる人にだけは、それを理解しておいてくれたら
もっと皆がしあわせになれる道があるんじゃないかと思った。
「余計なもの」が一体どんな役目をしているのか。
つまり、ディレクター(調整役)の仕事の効用が周知されたら、少しだけ世の中の仕事がよくなるのではないかと思った。
これも、クラウドアウトソーシング以外で、零細~中規模くらいの会社だと、
社内でも普通にある。
ベンチャーで一発あてよう!といったノリで参入してきた人が割と多い。
(本当に多様で、国の機関にいた人や、銀行のSEをやっていた人など様々だ。)
他業種ながら、パワフルでパンチのある経歴で、
会社の評価も上がり、黎明期からもう10年以上経った今では、彼らがコントロール側(偉い人枠)に就いていることが多い。
だが、その人たちが大事な決定権を持ち、ことを牛耳っているのが
そしてその彼らが、さも全て知っているような顔で
社内では、偉い人になっているので、「(あれ?変なこと言ってるぞ…?)」と思われても、あまりツッコみが入らない。
誰かが、その偉い人達に口添えできる仕組みがあれば、
またその偉い人達が、「自分だけでは、ことを十分に把握できるリテラシーはない」と自覚できていて、わかる人間に意見をきちんと仰げれば
これもまた、少し世界が優しくなるのではないかと思った。
(※世の中には、その辺ができている偉い人も大勢います。ですが、歴史の流れでできていない方もまだまだ多い…という意味です。)
一番不幸なパターンは、
政治的にはあってるんだろうけど、その下には無数の屍が転がるので、その責任を持つ覚悟は忘れないでいてほしいと祈るばかりです。
例え、政治的な必然性があって結果的に行動は変えられないとしても、
・自分が行っている事に自覚を持っていて、できる限りの努力をしようとするのか、
・無意識で、無関心に気にしないで進むのかでは、
だいぶ、状況が変わってくるのではないかと思う。
そうやって、いろいろ施策を考えても、
やはり始まってみないとわからない穴はたくさんある。
そして、作業者は見えないところで、地獄へ続く穴へドコドコと進んでいく。
それをどうにかするには、
見通しのいいところから、ちょっとしたアドバイスを与えることだと思う。
(手伝いはしなくても)
方向を少し変えられるかもしれない。
その人たちにとっては、「当たり前」がなんなのかわからない。
なので、妙な上流の指示も
甘んじて受けてしまい、
そこに、ちょっとした
ツッコみを覚えられるし、
道はずいぶんと変わるものだと思う。
つらつら思う事を書いたが、構造を変えるにはどうしたらいいのか、
最近は本当によく考える。
できることは少ないけれど、
>3. そもそも私に好意を持つ必然性が感じられない(好意というより同情では?と)
△核心はここなのでは?
一連のエントリ―を読んで疑問に感じたのは、
数をこなす事に躍起になって、
ひとりひとりの相手が見えていないのでは?
そして、増田はおそらく客観的にはそれなりにスペックの高い男性だ。
ここで増田が、
情熱を込めて力説できたならば、
天秤は大きく傾いたのではないかと感じている。
が、そもそも増田はこの女性を本当に恋愛対象としてみなしていたのだろうか?
もし本当にこの女性が好きなら、
かなりの確率で押し切れる気がする。
http://anond.hatelabo.jp/20160220235709
これが真意をついてるのでは?
本当にこの人私のこと好きなの?誰でもいいんじゃないの?と感じているわけで。
彼女という存在が欲しいだけで、本当に自分のことを理解してくれて好きになってくれたわけじゃないことに
気づていたんだよ。
なんとなく分かってきた気がする。
この増田の「誰でもいい」感はダメだろう。その彼女が言う通り必然性がないもん。増田的には実際必然性なんか無いわけだから当然なんだけど、誰でもいいというのは、転じて「この俺がここまで条件下げてやってるんだぞ」感にもつながるだろう。増田は意識してないだろうけど。相手からすればそんな奴とわざわざ付き合いたくはねーわな。
モテない童貞のオタクとかに多いんだけど、女性を人間扱いしてないやつって結構いるように見えるんだよな。て言われてもピンと来ないだろうけど、人間扱いしてないってのは別に虐げて奴隷扱いするとかって意味じゃない。相手にも感情があって、人生の様々な悲喜があって、悩んだり間違えたりしながら生きてきてるんだってことを感覚で理解できてないって意味だ。(モテる男女でもこういう人間は多いけど、それは顔とかコミュ力とか経済力とかの強力なモテ要素を持ってるから)
それをよく理解して相手の人生に興味を持つことが恋愛だったり感情的なつながりには重要だと思うんだけど、分かってない奴らはスペックとか表層的な立ち振る舞いとかで全て決まるはずだと思い込んでいる。
もちろん、お見合いとか婚活とかでそこまで踏み込まずに結婚してしまうケースがあるわけで、女性の中にも「自分に真の意味で興味を持ってなくてもいい」というタイプはいるだろう(意識的ではないかもしれないけど)。そういう人と上手く出会うにはやはりお見合いとかが一番確実なのではないだろうか。キラキラ女子みたいなのもそういうタイプが多いけど、彼女らは相手のスペックを超重視するので増田には厳しいだろう。
http://anond.hatelabo.jp/20160220112047
元増田です。初めて長文を投稿してこんなにブクマついてビビってます。ちょっと指ふるえてる。
デート終わって予定通り交際を申し込みましたが、やっぱりダメでした。
立ち直れなくて数時間スタバでたそがれてましたが、今は自宅です。
つらすぎて思わず断る理由を聞いてしまいました。どうしてダメなんですか、と単刀直入に。
相手も気を使ってくれたのか色々と話してくれましたが、理由は大体3つにまとめられそうです。
1. 今は誰かと交際することは考えてない
2. 以前、健常者と付き合ったがうまくいかなかった(価値観の違いで)
3. そもそも私に好意を持つ必然性が感じられない(好意というより同情では?と)
もちろん、口調はとてもソフトでオブラートに包んだ言い方でしたが、
総じて完全敗北って感じでした。
女性とさよならしてからスタバで一人でブクマやトラバを確認してたら、
その女性のセリフと内容が結構かぶってる感じで、正直打ちのめされた気持ちでした。
つーか、オレの人格ってわりとサイテーなんですね。薄々かんじてましたが。
もちろん、日本死ねってのは保育園界隈で話題のアレに悪ノリしただけですが、
婚活というか彼女探し初めてから4年6ヶ月。28くらいの頃からがんばってきました。
最初の頃は全然相手にもしもらえず、半年くらい経ってようやく女性の前で緊張しなくなったかな。
友人のアドバイスどおりに週末には必ず誰か女性とデートするくらいの勢いで
(といっても、昼過ぎの軽いカフェデートも含めてです。すみません)
前のめりに走りに走ってきましたが、どうでしょう。恋愛に向いてないんでしょうかね。
何かもう、ブクマのコメ通りにペットでも買って生きがいにしようかな。
ネタなんじゃないこと分かってもらえるんじゃないでしょうか(やや半ギレ気味)
普通に恋愛が身近な世界で生きてきた方々には信じられないでしょうが、
これがモテない男の現実であり日常です。生き方まちがってたのかな。
でも女性と縁がないのを人や環境のせいにするのが嫌で、とにかく無理やりテンション上げて頑張ってきました。
モ テ な い の は 努 力 が 足 り な い か ら だ ! 相 手 の せ い に す る な !
と自分に言い聞かせてきました。でも、もう疲れちゃった。つかれちゃたよ
保育園の問題以前に少子化、そうですね、自分みたいのが存在するのが真の原因かもしれません。
http://anond.hatelabo.jp/20160220085909
人間は性的興奮による「ドキドキ」と恐怖による「ドキドキ」を明確に区別することができないのです。
そのためホラー映画では恐怖シーンの直前に性的興奮を誘うことをテクニックとして多用します。
この効果が有名になったのはおそらくヒッチコックのサイコです。
シャワーシーンをたっぷりと流し観客を性的興味にさそったあとで、突然悲劇がおきるわけです。
以降このテクニックは多用されていて、たとえばエイリアンでは女性主人公がなんの必然性もないのにもかかわらず、
実にきわどいパンティを露出して着替えたりします。これがスパッツだったり、ズボンだったりしてはいけないわけです。
人間は性的興奮によるドキドキと、観覧車という高所のドキドキを区別できません。
まともな大人からすれば、マックスむらい氏に限らず、Youtuber全般が取るに足らない変人カテゴリ往き間違いなしなのだが、彼らのファンは端から見ると狂気じみて見えるほど彼らに夢中だ。
これは昨今話題のジャニヲタにも共通しているのだが、こうした熱狂的ファンの精神構造は、精神病理学的に典型的なものである。辛口で無慈悲な某シロクマ氏が登場するほどのこともない。ようするに、熱狂的ファンは「自分は(世界で一番)スゴい」という幼少期特有の全能感、あるいは思春期特有の誇大妄想をこじらせ、それを自己の外側にいて目立って活躍している(と本人たちが認定する)人物に投影することで、その非現実的な自己評価を抑圧しているのだ。
誤解してはならないのは、実のところ、熱狂的ファンたちは自らが取るに足らない(どちらかと言えば劣った)一般人に過ぎない、と理解はしている。他方、その「私はダメだ」という自己認識と、「私はスゴい」という誇大な自己像との間に極端な乖離が生じているため、この落差の現実的な落としどころとして、社会で活躍する他者(芸能人やスポーツ選手、カリスマ経営者、宗教指導者など)と自己を同一視することで、そうした他者を自己像の「鏡」として扱うわけだ。
例えば、女性アイドル好きな男性ならば、その女性の人気が一定の閾値を超えた段階で、女性ファンが増えることを経験的に知っているだろう。現実の世界でキラキラと大活躍している(ように見える)女性と自分を同一視することで、自分の惨めさを覆い隠すことができるためであり、男性ファンのような性的な関心がベースにあるわけでは全くない。先ほど述べたように彼らは基本的に自己評価が低く、一方で持てあました誇大的な自己像を支えてくれる唯一の救いが「鏡」としての他者である。
やや話は脱線するが、熱烈なアイドルファンの女性(たとえばジャニヲタ)には風俗嬢が多い。全国各地に赴かなければならない物理的必然性もあるが、何より応援するアイドルが活躍している限りにおいて現実の自分は(極論をいえば)どうでもいいからだ。現実にはタバコ臭い激安ラブホで汗臭い中年男性のペニスを口にくわえておきながら、本人が生活で最もリアルに感じられるものは、その同じ口で声援を送るアイドルの輝きなのである。ジャニヲタならば「ヲタ界隈で有名な(=湯水のように金を使って応援している)女性ファンが(風俗店のブログ写真から)風俗バレしてm9(^Д^)プギャー」という事件が年間何件も起きていることは否定しようもないだろう。
(誰って? まあ、秋○ス仙○の「の○か」とかな。。ファンの妬みは恐ろしい。あの子は元々は手コキ店だったが系列のイメクラ店に沈められた。昔はバレーボールに熱中するスポーツ少女で、20歳過ぎまで軽い天パーの黒髪を染めたことすらなかった真面目っ子だったらしいが、嵐にハマったのが運の尽きよ。うーん、おっさんを養分にする風俗嬢を養分にするアイドルを養分にする芸能事務所の社長を養分にする暴力団の偉い人。ああ、醜い食物連鎖だ。。そしてマックスむらいも養分だったのか)
さて、以上を鑑みて、今般の事件における山本一郎(実業家・ブロガー)のように、こうした「鏡」(この場合はマックスむらい)を攻撃すると、どうなるだろうか?クレイジーなキッズたちは、自らが攻撃されたように感じる。いや、自らが攻撃されたとき 以上 の怒りと苦しみを感じる。彼らの理想と現実のバランスシートが崩れた不安定な自己イメージは、「鏡」としての他者が社会的に活躍し続ける間のみ安定的に維持されるからだ。よって、マックスむらい氏が社会的に許されない行為をしていたとすれば、それは彼らの価値が暴落することに等しい。だからこそ、彼らは氏の汚点を否定、拒否、拒絶する。そして自己イメージの侵略者を攻撃する。
マックスむらい氏は、そのことを肌感覚で理解しているらしい。だからこそ、Youtubeに自らの潔白さだけを主張する動画をアップロードし、彼を信奉するキッズたちに潜在的なメッセージを送った。「俺を守るために大暴れしてくれ!」と。無論、これは追いつめられた人間の断末魔である。そんなことは社会的に何の肯定的な効果をもたらさない。だが、防衛大に受かる地頭はあるものの、ひたすら叩き上げでのし上がってきた男に何か分別らしいものを期待する方が間違いなのかもしれない。果たせるかな。キッズたちは大暴れし、山本氏はビール片手に彼らの口撃をことごとく撃墜し、その残骸が氏のTwitterのタイムラインを埋め尽くすたびに、マックスむらい氏の信頼も地に落ちるのである。
服装の機能性なんていう「理屈」を追い求めるモチベーションは無かった。
やっぱ工学系の人には伝わらないもんなんだな〜。
服装の機能性に合理性を求めて何をしたいのかっていうと、生活を(君らの感性での意味で)改善したい、とかなわけじゃん。
なんていうか、そういう「日常生活の中に問題を見出して解決する」みたいなのには興味ないんだよね。
サイエンスの目的は自然を「理解する」ことであって、「解決する」ことじゃないんだよね。伝わらなさそうだけど。
サイエンス、特に数学とか物理だと「美しい」というのが非常に重要で、これは極めて深遠な対称性があるとか、ある種のユニバーサリティがあるとか、そういうものを指すわけだけど、その意味では「機能的であること」って全然美しくないんだよね。なんか目的ドリブンで物理的必然性の無い要素がゴテゴテついてる感じで。
★★☆☆☆
★★★☆☆
セリフ回しが熱い。
味方もキャラが濃い
ただ個々人だと濃いけど、3人全員合わせて考えるとイマイチ弱い
3人の絡みっつーかつながりがいまいちなりゆき上ってだけで必然性に欠ける
エンディングでようやくそれが少しだけ見られたけど、やっぱり全然たりない
男二人に女一人って時点でもっとなんかあってもいいと思うんだが
サブキャラとのそれらしい絡みあったんだし
あと言うほど荒野じゃない
森もたくさんあるし雪もあるし、普通のRPGと大してかわんない
今気づいたがファルガイアってfar gaiaで地球から遠くはなれたどこかの世界的なニュアンスあったんかな
★☆☆☆☆
FF7のリミットゲージに当たるフォースゲージってのがあるのと、
キャラごとに異なる特技があるのが特徴
剣技で早撃ちって技をつかうザック
エンカウント率高めなのとダンジョンで行ったり来たりを強制させられる作りになってるのが災いして、面倒でしかなかった
今書いてて思ったがフォースってスターウォーズかよって感じだな
★★☆☆☆
ダンジョンではキャラを切り替えて、それぞれが持っているグッズという特殊技でギミックを解除しながら進む
簡易ゼルダみたいな感じ
街でダッシュすると人とかタルとかにぶつかりまくるし
セーブもセーブポイントと鳥に話しかけることでしかできない(ワールドマップでセーブできない)から地味に不便
なんかアイテムとれば見れるらしいけど、見れてもしょぼいらしい
一応テレポートって魔法あるから、地図なくても移動は困らないこともないけど、
ダンジョンはテレポート先には表示されないから結局自分で探すしか無い
つーかテレポートがあるのを知ったのがラスダンの中だったからマジ意味なかった
★☆☆☆☆
当時の次世代機で見下ろし型の古風なRPGを丁寧に作りましたって感じ
ぐぐったらFF7と同時期の発売でこれってのはちょっとひどすぎると思う。
当時のスクウェアがいけいけだったことを抜きにしても。
敵のグラフィックは8等身とかでそれなりだったりするのに(それでも荒いけど)、
一番重要なプレイヤー側のキャラのグラフィックがしょぼいのはいただけない
フィールドでのSDキャラを忠実にポリゴン化したって言い張られたらまあ理解できなくはないけど、
やっぱり納得はできないしょぼさ
なるけみちこサウンド
★★★★★
町とかワールドマップ、心がしめつけられるような曲があって名曲ぞろい。
世界にひとりぼっち(切ないシーン でもそれだけじゃないっていう強さも感じさせてくれる 一番好き
エルゥの村(そのまんま 人間界と隔絶された少しさびしいような時間がとまった感じがよく出ている
★★☆☆☆
でも20週年でまたなんかやるらしいけど
嫌われるぽっと出のラスボスとかでもなく、最初から最後まで割と一貫して筋の通ったボスがいて安定感があった
全体的に佳作という感じで、ものすごく丁寧に作られている印象
でもワールドマップがないとか、ダッシュの仕方が不便だとか問題点はある
でもそれらを相殺するくらい(注・補って余りあるほどではない)には音楽とシナリオがいい
サブキャラも魅力的だし
シナリオブックとかあるのか知らんけど、時代考えたらないだろうなあ・・・
大ボスであるマザーっていうやつと、その麾下である四天王って構図はよくあるけど、四天王の一人がマザーを裏切ってなりかわろうとして失敗して逆に取り込まれるけど、最後は意地で蘇ってそいつが裏ボスになるってのは、なかなか凝ってるよなあと思った
調べたらシナリオとゲームデザインの人が特撮好きだからこうなったらしいね
特撮でそういうのがよくあるのかどうかは知らんけど、それが理由じゃないかっつう考察があった
ちなみにその人いまはシンフォギアの人っていったほうが通じるらしい
給与というのは「労働力」の買い取り価格であって、「営業利益」の分け前は株主など会社の出資者のものだよ。何を言ってるんだ。
だから、会社の業績が伸びた結果期待できるのは、会社の規模が大きくなること(より多い業績をあげられるようにするための投資)であって、たとえば従業員数が増えるとかそういうことでしかな\い。会社が儲かったからといって社員の給与を上げる経営者がいたとしたら、そいつはただの馬鹿だ。経営責任を追及されるぞ。
社員の給与を上げるとしたら、それは「現在の給与では会社の求める能力をもった有能な社員が集まらない(あるいは優秀な社員が同業他社に逃げ出す)」とかそういう場合だ。だから、いくら会社が儲かっていようと、失業者が多く簡単に優秀な人材が手に入る状況では、給与を上げる必然性が生じない。安い給料でいくらでも人が雇える。笑いが止まらないだろ。なんで給料を上げる必要がある?
まともな大人同士が、それなりの年月をかけて、合意の下に運営しているシステムだから、そこに必要性・必然性があるのだろうと推定されるということだ。
本当に合意はしたのか?その場で権力のある人(たとえば本家の一番の年長者)の思いつきにみんなが従っているだけという可能性はないか?
親戚にかぎらず、PTAとか田舎の寄り合いとか、風通しの悪い組織にはそういうプロセスがごろごろ転がっているぞ
いいや、説明責任は常に運営責任を負っている人間にある。この場合の運営の最小単位は親戚ごとの各家、その責任者は普通は関係親族の長の父親だな。(母方の親戚づきあいであればこれは母親になる)
そして元増田は会社で言えば新入社員とか異動したての人間に相当する。そのような人間に旧組織の運営の説明責任があるとはとても思えない
更に言えば、書き込みを見る限り、書き手の増田は、そのような親戚間の合意形成に関与しておらず事情を把握していないらしいことは容易に想定され
そう、合意形成に関与していないのであれば疑問や不満が出るのは当然だし、事情は把握できない。
であれば運営責任者である父親が説明するべきだが、俺らが語りかけることができるのは元増田だけだってのが歯がゆいよな
ここまで説明して分かる通り、元増田に合意形成のプロセスが施行されておらず運営に関する権限も全く委譲されていないことから、責任なんてほとんどない。
正攻法でいえばここで父親に「今年の目標とか言うの辛いしトランプもつまらないから自分の好きに過ごさせてほしい」と交渉するところだけど
いくつか回答。
その「儀礼」が「なぜ」そして「本当に」必要なのか、という疑問に答えていない。そもそも「なぜ」親戚に会わなくては「いけない」のかという事だ。
まず、「行かなくていいよ」とアドバイスしている人々も、なぜ「不要」と判断できるか、「本当に」不要か、ということに何一つ説明を加えていない。むしろそちらの方に(その無責任さに)驚く。
そもそも、ある親戚同士のつきあいの在り方に、一般的な「べき」論など通用するわけがない。そして、関係者の一番若い人間一人による書き込みから分かる情報など多寡が知れている。そして、いわゆる「親戚づきあい」において、「年に一度」的イベントによるそれは、なかなか洗練された部類に属する。関係者の知能も書き込みを見る限り決して低いわけではない。以上を踏まえれば、その「儀礼」は、関係者間によるそれなりの妥当性の下に運用されているだろうと『推定』できる。要するに、まともな大人同士が、それなりの年月をかけて、合意の下に運営しているシステムだから、そこに必要性・必然性があるのだろうと推定されるということだ。この状況下では、むしろ「必要性も妥当性もない」と判断する方に、説明責任があると思うがどうか。
更に言えば、書き込みを見る限り、書き手の増田は、そのような親戚間の合意形成に関与しておらず事情を把握していないらしいことは容易に想定され、言い換えれば自分の行動やその余波に対して充分な責任が取れるだけの分別があるようには読み取れない。このような状況で、安易に「行く必要ねーよ」などという尻押しをする方が、いささかおかしいと思う。
メンツの話など全くしておらず、明白に誤読である。自分がしたのは、現実に元増田の生活の基盤であり、一番の味方であろうと推定される人間に対して、最大の迷惑をかけるような行為は悪手に過ぎない、という話だ。元増田にその方面への配慮が全くないように見受けられたので、そこを指摘する意味も強くある。
両親が年1回になるよう守っていると言っているが、「うちの子は部活があって来られないんですよー」とか理由づけて守ってやることもできる。守るってのはそういうことだ。
「守っている」というのはあくまで推定に過ぎないが、そもそも元増田は親に対して「嫌だ」と口に出したことも、それについて親と喧嘩したこともないのではないか? それ自体が既に問題だと思わないか? インターネット上の無責任な他人があーだこーだ言うのではなく、本来は子どもとして親と向き合うべき問題だと思う。その上で、親が全く何もしてくれない、となったときにはあなたの言う理屈も成り立つと思うが、現状ではまだその段階にも達していない。子どもが「なんか嫌そうにしているしー」とかで、先回りして子どもの気持ちを忖度して勝手に親戚から遠ざけるなどという行為は、少なくとも高校生に対して取るべき対応ではないと思うし、元増田の両親はその意味で正しいと思う。
「年1回の儀礼なんだからイヤミ言われてきなさい」「年1回の儀礼なんだから晒し者になってきなさい」「年1回の儀礼なんだから好きでもない相手にコビ売ってきなさい」こう言われて納得するなら結構な社畜精神である。
「親戚づきあい」をそのようにしか受け取れないというのは、あなたは相当親戚に恵まれなかったのだろうと推察するが、元増田の親戚づきあいを見る限りどこにも「非道」な内容はない。むしろ、親戚づきあいに対して腰がひけている主たる原因は元増田のコンプレックスと読み取れるし、それ自体が簡単な問題だと言うつもりは毛頭無いが、しかしそれは本来元増田自身が(少なくとも親子の対立関係の中で)何とかして解決すべき問題であって、親戚レベルの他人に飛び火させてよい問題ではない。
まあ、親戚を楽しませるのはお前の役目とか言ってる時点で相当お察しだが。
どんな集まりでも、参加する際に「参加した人みんなが楽しく過ごせるようにしよう」とするのは参加者の最低の義務だし、「お客様」の立ち位置でなく対等の人間関係での集まりならなおさら当然のメンタリティだと思う。高校生ならば、もう「お子様」ではなく、一人の大人としてその場に臨んでいい年だ。それが親戚の集まりでなく、たとえば友人間のパーティであっても同じ事だ。
お年玉を給料としたバイトと思えばたぶん丸く収まるが、姪っ子にそう思われるほどに慕われない親戚にも問題があるなと思わざるをえない。
「思わざるを得な」くはない。元増田が一方的に苦手意識とコンプレックスをこじらせている以外に、親戚に問題があると読める描写がない。元増田が手加減して書いているという可能性はゼロではないが、書いてもいないことを勝手に読み取るのは、読み手の側の単なる「思い込み」ではないか。
それと、「お年玉を給料としたバイト」という発想は、元増田の一番ダメな部分なので、そこを肯定するつもりは全くない。この件について「お年玉を拒否すればいいんでしょ」というのは全く子どもの発想であって、関係者全員に対して非常に失礼な考え方だ。そういう発想に基づいた言葉がチラとでも出るようなら、この親子の話し合いは一切上手くいかないと思うし、元増田はダメ人間にしかならない。
結局は「実生活に何の関係もない親のメンツを立てに行かされる子供」の図式。親側がそういうのを嫌ってくれれば回避できるイベントである。
ハッキリ言っておくけど、普通に考えれば親が連れて行くのは「親戚と元増田の関係」のためであって、親自身のメンツなんて関係ないでしょ。ほとんどの親戚づきあいにおいて、その図式は全く当てはまらんと思うよ? 元増田のために、親戚づきあいを維持することがよかれと思って、引っぱり出してるんでしょうに。「親戚づきあいなんていらねーよ」という増田の皆さんは、この元増田の両親以上の責任感をもって、元増田の未来の人間関係や社会性に対して何かを担保してやってるつもりなのかね? 「行かなくていい」系のコメントしてる増田みんなに言いたいのは、アンタらほんと無責任だなの一言だよ。
自分が元増田に言いたいのは、物事はいろいろな形で繋がっているものだということ、特に人間関係は。そして、子どもの目から見ただけでは気付かないような仕組みに、元増田はそろそろ気付くべき年齢であり、そういうことについて(どのようなやり方でも)しっかり周囲の大人とコミュニケートすべきだということ。少なくとも、その準備ができていない状況で、嫌だ嫌だで逃げ回るのは子ども以下の振る舞いであり下策だということ。それなら、現状一番易しい形で親戚づきあいをスルーする方法を用意してもらってるんだから、素直に乗っとけよ、ってこと。
要はいつまでも親にケツを拭かせてんじゃない、と。てめえのケツも拭けないガキならせめて大人しく抱っこされてろよ、ってことだよ。
まあ、「いい大学に入る」以外の人生の成功ルートを元増田に上手く提示できてないという一点において、元増田の両親に責任の一端がないとは言わんよ。ただ、現状そこを指摘しても、元増田をもっと甘やかすことにしかならんでしょ。また、現状元増田が、うまく他人とコミュニケートできていないのも大きな問題だと思ってる(元増田だけの責任という意味じゃなく、だよ)。
元増田は、まず来年はもっと、自分の好きなことやりたいことに自分の時間を費やすべきだと思うね。そんで自分の錨をどこかにしっかりと下ろしてったら、初めて、人とホントの意味でコミュニケートできるようになるだろ。フラフラはしててもいいんだが、根のないフラフラでは周囲も対応しきれんよ。まずは小さな事でも、自分の好き嫌いをハッキリさせることから始めるべき。
★★★☆☆
1巻8話。
彼の夢は自分の手で握った日本一の寿司を母親に食べさせることだったが、
諦めきれない寿司職人は、トラックの運転手に自分の寿司の握り方を教えこむ。
最終的に母親に食べさせることができ、今後も二人で寿司屋をやっていこうとなった矢先、今度はトラック運転手が交通事故で即死。
しかしトラック運転手の妻がBJに、トラック運転手の腕を寿司職人に移植してくれないかと依頼し、手術は成功。
後日、寿司屋のカウンター席にはBJとトラック運転手の妻の姿があった。
二人で一人の鮨職人になるところで終わりだと思ってたけど、まさかトラック運転手まで事故って最終的に移植するところまでいくのは記憶になかった。
二本の腕も意味かかってるのかな。
でもBJである必然性があまりなかったから・・・ってのは昨日も書いたけど、BJがメインじゃないほうがひとつの読み切りとしては完成度高くなってる気がするな・・・
妻が腕移植手術依頼したとき、金がかかりますよ→どのくらい?→フフ…心配しなさんな。うまくつながればその手でうまいスシをたべさせてもらう。それで帳消しにしましょう。
2.二つの愛
3.幸運な男
4.白いライオン
5.シャチの詩
6.えらばれたマスク
7.閉ざされた三人
8.報復