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はてなキーワード: 必然性とは

2015-08-13

2015年夏期のアニメエロすぎる

人気どころでいうと「監獄学園」「下ネタという概念が存在しない退屈な世界」。

これは、かなり過激にエロいけど、世界観上の必然性があるから、まだ許せる。

私も、毎週楽しみに見ているし。

「奥さまは生徒会長」「ToLOVEる-とらぶる-ダークネス 2nd」。

これは単なるハーレム物か?よくしらないけど。

これらも相当エロいが何の目的エロがあるのかよく理解できない。

エロを見たいだけなら、AVでも見てればいいんじゃないか。

せっかく地上波で流すなら、もうちょっと中身のあるものにすればいいのに・・・

前期の「響け!ユーフォニアム」が懐かしい。あれは本当に素晴らしかった。

非常に真面目な作品であると同時に、若葉が香るようなさわやかな色気があった。

青春の甘酸っぱさを思い起こさせるような、ああいう色気ならいいんじゃないか。

今期の「さわやか枠」作品をあえてあげれば、「赤髪の白雪姫」くらいか。

ヒロイン中の人も、両方の作品に出ているしね。

ただ、「響け!ユーフォニアム」ほどの感動はないけど。

エロさに関して言えばほぼゼロだ(まあ、そんなことはどうでもいい)。

結論

エロをなくせとはいわない。ただ、物語必然性のないエロは、地上波で流さないでほしい。OVAか何かのエロアニメで充分じゃないのか。

2015-08-04

世の中の女性たちが発言力を持てる仕組みづくりをしていくべき

アイディアや発想というのはより多くの人間からより多くの案を集めて実行に移していくことで

より良いものが選定されることにより爆発的な利益を得られるようになる。

そうすると人口のおよそ半分が女性であるからにして、その女性の発想や意見をどんどん取り入れて

発信していくことがこれから社会必要なことだと思う。

しかし今現代においては社会女性の働きや活動を応援していない点が多々ある。

育児は女の仕事、炊事洗濯は女がやるもの、というイメージがまだまだこの社会にはある。

だがお金さえ払えば育児家事代理のものに任せる代行業が行われているため、

家事育児必然性というのは既にもう無いといっても過言ではない。

男と同じ、それ以上に優秀な女性育児家事から解放されるべきだし、

どんどん働いてお金を稼いで世の中を盛り上げていくべきだと思う。

政府もっと養育費を出すようにして世の中の力のある女性を応援していくべきなのだ

2015-07-29

なんで半数なのか

その半数をどうやって選別するのか、というマジレスはさておき、半数である必然性はない気がする。

75% とか80 %とか、或いはもっと思い切って99 %とかでも良いのでは。

http://anond.hatelabo.jp/20150727141813

2015-07-17

物語整合性が気になったり気にならなかったり

SF小説とプロットについて - Togetterまとめhttp://togetter.com/li/846848

この話、SFに限らないと思うのだけど

物語整合性がとれてないけどおもしろ作品があったり

おもしろいんだけど整合性がとれてないのが気になる作品があったり

整合性がとれてないのが気になって楽しめない作品があったり

作品によって受け取り方がまちまちな気がする

宮崎駿映画とかが特にそうで、

ラピュタあたりはツッコミどころはあれども勢いでおもしろいと思えるけど

ポニョなんかはその行動はおかしいだろとかよくわからんってのが先に立ったりしてしま

宮崎駿自身も「整合性なんてどうでもいい」みたいな発言をしてるみたいだけど

(たしか鈴木敏夫編集AERAあたりで出てたはず)

かいこたあいいんだよ、の精神で気にせず楽しめたらいいのだけど、

気になる作品と気にならない作品はどこで差がつくのかは、私、気になります

上記togetterまとめの話に戻ると、

整合性」(まとめの中では「破綻」という言い方かも)といっても、

1. 2つの要素がうまくかみ合っていない

2. SFである必然性がない

3. 細かい部分でありえない描写がある(その部分を修正しても物語大勢には影響がない)

みたいな話が混在していた気がする

まとめの趣旨としては、おもしろいかおもしろくないかという話ではなくて、

破綻しているものSFとして扱うのはおかしいみたいな主張みたいに読めるけど、

SFなんて「すこしふしぎ」でもいいんじゃないの?

物語おもしろさって、なんすかねー、なんなんすかねー

2015-07-16

http://anond.hatelabo.jp/20150716164824

へぇ正気かどうかを判断する」基準採用する必然性があるの?

すごいなwww頑張れwww

2015-06-22

http://anond.hatelabo.jp/20150620121031

増田は道具にまで芸術性を求めるの?

デザイン性が高すぎて、眺めるだけでもいいような道具はもはや芸術品の域だから、使いにくさは許されるかもしれない。

でも、圧倒的多くの「普通の道具」についていえば、使いやすさより優先されるべきデザインはないよ。

使いやすさやメンテナンスのしやすさを度外視した「普通の道具」は使われなくなり、デザインにすら興味を向けてもらえなくなるよ。

芸術性の高いデザインは購入動機になりうるけど、道具としての価値は上げるわけじゃない。

あと、使いやすさを追求した道具には、それ自体必然性を感じるようになる。

必然性とは心地よいもので、美しさがそこに見出されてもおかしくない。

2015-06-15

http://anond.hatelabo.jp/20150615214858

分かる。

仕事で仕方なく化粧しなきゃならないからするのであって

電車の中でたまたま乗り合わせただけの相手にどう見られるかを気にする必然性を感じない。

何故か着替えと一緒にしている意見もあるが

すっぴんでも人前に出られるけど裸では出られないんで

着替えとは根本的に違うと思うわ…

2015-06-14

親父の失敗のせいで社会が糞過ぎて美人の奥さんをもってることが

自慢にならないしただひたすら憎悪しかない三十路社会理系の美

人と結婚しても得がない。それに理系美人は1,20代のとき

面に欲情してたくせに今更この荒廃地で何の必然性もないのに劣情

丸出しで俺と結婚したいとかい空疎なこと言ってるのでむかつく

激しい欲情必然性といった担保は何も見当たらないしな

結婚したいという嘘の文言にただただいらいらする

まり昨今の絶望状況なり仕事なり日課なりの地獄っぷりを

理解しあった上で,毎日のように定期の時間に辛い辛いと

言いながら抱擁して補償を図る関係なら結婚してもいいけど

何でセックスなのか理解できない。何の必然性もない。

とりあえずこの仕事のつまらなさやりがいのなさ反応のなさ

おかれている貧乏さ,その上で日課もやらないといけないって

いう糞地獄の深遠をお互い察知してとことん抱擁しあって

辛い辛いという中で極まったときセックスをするという関係

でなくては結婚なんかしても意味がない。まずこの生活地獄

なのだから

2015-05-31

http://anond.hatelabo.jp/20150531193200

無茶振りという部分はうまく表現されていると思います

でも、

女性差別に関心の無い男性社会フェミニズムが「女性差別を解消すべき」というのもお門違い

という可能性があることが分かった以上、それとは別のステージで今フェミニズム必然性は疑われている。

この部分には僕の見る限り何の応答もない。ただ「無茶振りであることだけ言ってるフェミニズム側の人が大半だなあというのが僕の実感です。

http://anond.hatelabo.jp/20150531175403

自分クラスいじめに立ち上がる」こと(フェミニズムで言えば「女性のために立ち上がること」)は批判されるべきではないでしょう。

でもフェミニズムはそもそも他勢力や社会に対して「女性のために立ち上がらないこと」を批判することでしか女性の権利拡張すべき」という命題必然性を主張できません。

まりフェミニズムは「自分クラスいじめに立ち上がらないこと」をクラスみんなに責めている、ことになるわけですが、

一方で「弱者男性」という自分クラスの別のいじめに対してはフェミニズムは立ちあがっていない。

そこが矛盾です。

ところで上記にももしかしたら違和感を感じたかもしれませんが、僕の中ではフェミニズムにとっても弱者男性いじめは「自分クラスいじめ」です。

なぜ「他のクラス」になるのかわかりません。弱者男性あなたと同じ社会に間違いなく暮らしています

もし仮に「フェミニズム女性クラスに属していて、弱者男性男性クラスに属している、だから別のクラスだ」と言いたいなら、女性差別は一体どのクラスいじめでしょうか?それはむしろクラス間の争いになってしまう。比喩としては不適切と考えます

http://anond.hatelabo.jp/20150531171917

海外難民が救われない現状」を肯定したってことにならないとしましょう

とすると、例えば女性差別されていた場合

それに対して何の行動を起こさない人は

女性差別される現状」を肯定したことになりますか?

そしてもしならない場合、一体誰が「女性差別される現状」を変えるために努力しなければならないのでしょうか?

繰り返しますが問題は「女性の権利拡張すべき」という命題の真理性です。

仮に女性差別に対して何のアクションも起こさないこと(女性の権利拡張しないこと)が「女性差別される現状」を肯定したことにならず、そしてそれが何も悪くないなら、

女性の権利拡張すべき」必然性はどこにもないということになり、「女性の権利拡張すべき」は偽ということになります。つまりフェミニズムは間違いだった、ということになるわけです。

2015-05-27

何故女性型の家事ロボットは許されないのかって

黒人型の奴隷ロボットは許されないだろう、と同じ理由だろうに。

それすら分からないのか。

家事ロボットという機能のみを考えたら、女性である必然性なんて何もない。

家事のうち例えば掃除ロボットだったら既にルンバがあるけど、「箒を持ったメイドロボ」なんかよりルンバの形状の方が適しているのは明白。

「箒を持ったメイドロボ」なんてただ非効率なだけ。

料理ロボットも、現在外食産業だと自動オーブンとか自動炒め機とか使われてるけど、

家庭用が出るとしたらああい機能を集約してコンパクトにした形状になるだろう。

女性型どころか、人間である必要もない。

だって女性型の方が癒されるから」?

それ、「農業用の機械黒人人間型にしたい。だって黒人奴隷が大農園で使われていた時代のようで癒されるから」と何が違うの?

2015-05-21

http://anond.hatelabo.jp/20150521223242

事実日本人は、わざと仕事を増やすために無駄な作業を膨大に作る

人種存在するよ。わりと自由競争業界ではなく、

公務員的な仕事に多いよね。コスト感覚がなくて、利益を上げるのににキリキリしなくてもやってられるような業種。

職業病だろうね…。

あと、全体的に仕事がなく、

仕事してるフリをしなくちゃいけない職場

また、意味のないこだわりをする人種は周囲への要求エスカレートするから無駄ものを止める人がいないと、会社ぶれるよ。マジで

でも、本当に重要な作業かもしれないので、

その必然性を聞いてみて、重要だと理解したらやらなきゃダメだよね。

必要性を説明されていないので、ミスしました、といえばいいじゃん。上司の指示不足によるミス

2015-05-20

クレームつけて改善してもらうのが面倒くさい

チェーンのファミレス通ってたら顔覚えられた。

読書したり作業したりしてるから長居してるし、深夜だから店員もいつも一緒だし、セルフの店じゃなくて注文取りに来るとこだから接触回数も多い。覚えられるのは仕方ないと思う。長居して迷惑かけてるなーとかも思ったけど、出禁はされてない。ありがたい。

だけど、いちいち「いつもありがとうございます」とか「今日は◯◯なんですね」とか毎回言われるのが面倒くさくなってきて、ぱたっと行かなくなってしまった。

そういう風に話しかけないでください、と一言伝えればきちんとほっといてもらえるのだろうけど、それをわざわざ伝えてまでそこに通いたいとも思わない。仕事ならともかく、プライベートで説明してまで関係築きたくないんだよな。察してちゃん状態だけど、別に察してもらわなくていい。行かなくなるだけ。

そういう店が他にもいくつもある。

どこかのレジの並び方に長文連ねてた増田がいたけど、あの熱意は俺にはねえわ。またその店に行く必然性があるからだとしたら、俺は選択肢がほかにあるから店を乗り換えて逃げてるだけか。俺クズだな。

2015-05-18

http://anond.hatelabo.jp/20150517234603

チンコ入れるだけなら嫁を持つ必然性なんかまるでないの。

増田ちょっと流行った、一定以上の年齢の女の売春義務化する云々の話にもっていけばいいだけ。

2015-05-02

http://anond.hatelabo.jp/20150502103723

うるさいフェミは放っとけばいいんだが、こういうrepresentation問題ってのは確かにあるんだよ。

ひとつひとつゲーム番組が悪いんじゃないんだ。全てのゲームで男女半々にしろとか、一律に女に家事させたらアウトとか、そういうのは極端で無意味意見。それに、男女の役割が固定されていたある時代地域を題材にしてるなら、そうでない描写はむしろ嘘になる。

問題なのは、「なんとなく」「あまり考えずに」「これまでそうだったから」役割が振られたり性別が固定されたりすること。その結果としてそういった常識がより強固になっちゃうこと。これはどっちかっていうと作り手の感覚問題で、「どっちでも良い」時に不要常識に引きずられないように作る方が配慮しないとならない。理由があって男女固定だったり役割固定だったりするのはまったくokなんだよ。非難されたとしたら、それは「男女比が偏っている」ことそのものじゃなくて、「作り手がそのことに無自覚である(ように見える)」ことだから

representationの力については、このウーピー・ゴールドバーグインタビュー象徴的。このケースは性別人種の両方だけど。

[W]hen I was nine years old Star Trek came on," Goldberg says. "I looked at it and I went screaming through the house, 'Come here, mum, everybody, come quick, come quick, there's a black lady on television and she ain't no maid!' I knew right then and there I could be anything I wanted to be."

「旧スター・トレックが放映された時、私は9歳だった」ゴールドバーグは語った。「それを観るなり、家中を駆け回って叫んだの。『ママ、みんな、来て、観て、早く早く。テレビ黒人の女の人が出てるんだけど、メイドじゃないの!』その時、私は自分がなりたいと思えるものには何だってなれると知ったのよ。」

黒人女性の多くがメイドをしていたのは事実だし、そういう時代を描く時にメイドとして黒人女性を登場させるのは構わない。けれども全てのコンテンツが、その必然性のないものまで、そういうステロタイプ表現をしていたら、そういう社会で育った子供は「そういうものだ」と思って育っちゃうわけ。それでもいい、とする意見もあるだろうけれど、作り手にちょっとした自覚があれば何とかなる問題なら、直した方がいいんじゃない? っていうのがこの手の(まっとうな)主張の背景なわけ。

2015-04-17

漫画アニメのパロネタが嫌い

元ネタを知ってる人同士で「これ○○だよねwwww」とか言って笑い合う感じ、ほんと気持ち悪い。大体は必然性が無い、または本編と全く関係ない突発的なパロディばかりでクソ。

オタクが気持ち悪いのは見た目がアレだからとか二次元好きだからだけじゃない、ことあるごとにそうやって身内ネタで盛り上がりたがる感じが気持ち悪いというのもある。で、その身内ネタスノッブとさえ言えないくらい低俗なのだから手に負えない。

パロネタ満載の作品を作るアニメ制作会社トリガーニンジャスレイヤーフロムアニメイションという原作付きのアニメでもパロディをやっていた。

いやいやあれは原作が真面目にズレたことやってるから面白いんだろうよ。何勝手なことしてんの?

2015-04-12

アルドノア2期の感想

作品が悪いとは言わないが、私の好みに合わなかった。絶望的に合わなかった。


姫様を巡って二人の(自称騎士が争う話と二人の騎士自分を巡って争うのを姫様がやめさせる話というのは自分の中ではだいぶ違う。

私が見たかったのは前者だが、実際の物語後者だった。

もっといえば、スレインという一人の人間が狂っていく様をみんなで止めるという話になってしまった。


2期も、二人が争い、そしてザーツバルムを始末する展開までは良かった。競り合ってる感じがした。

優秀なイナホに対して、スレインがコウモリ呼ばわりされ、どこにも居場所がなく、もあがき苦しみ一気に駆け上がっていく様はとても見応えがあった。

ついには二人が同じ場に対等な立場で立ち、旧世代のザーツバルムを始末する様をみて、いよいよ本番が始まったと思った。


だが、その後のバランスの悪さは自分の期待と違った。


その後は二人が争うことがなく、スレインの独走をただぼんやり眺めているだけの展開だった。

スレインは姫様の方だけ向いて行動しており、イナホを意識している様子があまり見られなかった。

1期においてはスレインがザコでイナホの方がエースであったために見向きもされなかったことの対比なのかもしれないが

直接対戦してお互いの脅威ぶりを確認した後にしてはあまりにも不自然だった。

ただ騎士を順番に逐次投入していくという、戦略としてクソみたいなことを繰り返していた。

機体とか能力とか格好いいのに戦略が糞なので戦闘には全く見応えがなかった。はいはいテンプレテンプレ展開。



イナホ側はイナホ側で問題があって、姫様を取り戻すべくいろいろ行動していたし、騎士たちと戦っていたが、

相並び立つ存在として受け止めるにはあまりにも二人の間のバランスが悪すぎる。

スレインがぐいぐい目的に向けて駆け上がっているのに対して、イナホはあまりにも歩みがゆっくりとしていた。

チート能力を持っていたのはイナホ側であり、スレインは機体こそ強いもの普通人間である

イナホも、戦闘ではなく別の戦い方で本気を出すべきだったのではないのか。


その結果として、二人の重要度がまるでつり合わなくなっているのである


終盤において二人が対峙するという本来一番大事なはずのシーンが訪れるが、

これがどうにも偶然の産物であり、必然性がないように感じられる。

ここをいかにドラマチックに、避けがたい運命のようなものとして描写するかが大事だったのではないのか。

また、この対峙が全体の局面からしても重要度が低いというような描かれ方、位置づけになってしまっている。

スレインの立場では、一兵卒にすぎないイナホとの対決よりも重要な事があるという状況になっており、

引き合いに出す例が古くてなんだが、アムロシャアの対決のような盛り上がりを期待できなかった。

実際、スレインはさっさと戦闘を切り上げてしまっている。

一番大事なシーンであまりにもひどい盛り下がりぶりである。やってらんねー。


この物語は、アセイラムのものになりました

更に情けないのが、二人の対決は、アセイラム姫の決断によって、さら重要度の低いものへと貶められる。

騎士の誇りをかけた戦い」が、姫様からすると「あほなことやってないでさっさと帰ってらっしゃい」という感じで

カーチャンの叱責によってあっさり収められてしまうようなガキ同士の幼稚な戦いレベルまで落ちているのだ。

結局この物語最初から最後までアセイラム姫の意思重要であり、

二人の戦いは、そのアセイラム姫の意思が発揮されない間だけ成り立つような、くだらない思い込みしかない。

こうして二人の物語は途中まで寝ていた姫様によってあっけなく簒奪され、回収され、放棄される。

姫様が宣言をした時点で、もはや二人はこの物語には不要存在となっている。

からラストシーンスレインが生き残ろうが死のうが、改心しようがしまいがもはやたいして重要ではない。

もはや二人は姫様の物語のただのコマだ。主人公などではない。

スレインは姫様の意思によって生かされ、飼い殺しのまま死ぬ。イナホもただ姫様への思いを抱えたまま一兵卒として死ぬ

姫様だけが、いっときの恋を過去のものとして自分物語自分意思で歩んでいく。なんてひどい話だ。


姫様が最後まで目覚めない物語こそを見たかった

この物語を二人のものにするためには、姫様は殺すべきだった。

さないまでも、私は、姫様が最後まで目覚めない物語こそを見たかった。

それでも、姫様が助かって、この物語が姫様のものになったことを二人は喜んでいるのだろう。

そのくらい強くその人の幸せを願える存在出会えたということは、そしてその人が幸せになることは二人の幸せなのだろう。

視聴者である私は二人の感情にまったく共感できないものの、この物語はそういう形で終りを迎える。

でも私はこういう物語ではなく、もっと凄惨な殺し合い、周りを巻き込んで破滅させつつも己の目的を達成していくわがままな戦いが見たかった。

イナホくんが最後までお上品すぎた。 そしていざこれからという時に強制的に話が打ち切られてしまった。 とても残念である

2015-04-05

ネット上のコンテンツ面白く無くなってきた

最近見かけるコンテンツの大半が10年以上前に出尽くしたネタの使い回しのように思える。

ネットとは疎遠だった層のユーザが続々と流入し、一昔前に流行ったネタ劣化コピーSNS拡散するだけで非常に多くの人に承認してもらえる時代になった。

その結果、他人コンテンツをパクって手軽に承認欲求を満たしたいというライトユーザ層が極めて厚くなったのだろう。

これは大多数のユーザにとって、手軽に満足感と依存性を味わえるシステムが構築されたともいえる。

おそらく、新規に参入してきたユーザにとっては、それなりにハッピー環境なのだと思う。

そもそも、一人の人間が一生の間に消費できるコンテンツの量は(非常に大きいが)有限である。したがって、ある程度までコンテンツの総量が増えてしまえば、コンテンツ新規性判別することすら極めて困難となる。

新規性判別が困難である上、新たなコンテンツを生み出すインセンティブが小さい社会がひとたび到来すれば、コンテンツの増加は非常に緩やかになり、再利用コンテンツ拡散速度にかき消される程度になるだろう。これから将来に渡ってコンテンツの異なり数が増え続ける必然性など存在しないということだ。

はいえ、今はまだ過渡期である。今やマイノリティとなりつつある古参ユーザたちは、「新たなコンテンツ」を求めてネット上を徘徊する「老害」となった。

近い将来、コンテンツの飽和が極限に達し、「新たなコンテンツ」や「老害」という概念が消え去る日が来るのかもしれない。

2015-03-26

艦これアニメ弓道警察

艦これアニメがつまらなかったのは、弓道警察が一役買った可能性はないだろうか?

去年11月に加賀さんの弓を構えるポーズ全然弓道やってないと話題になったやつ。

伊達や酔狂であんなポーズになるわけないんだから、あのポーズで弓を射る必然性のあるシーンがあったはずで、

例えば足元に着弾した砲弾を避けながら反撃する、といったダイナミックなシーンが予定されていたのではないか?

だが、駆逐艦戦艦が相当無理な体勢から砲撃、雷撃する中で、

空母がそういったダイナミックな攻撃をするシーンは一切なかった

全部、中途半端に本物の弓道意識した、地味なポーズで弓を射っていた。

話題になったのが去年の11月なのだから修正する時間はなんとか捻出できただろう。

あの騒ぎを敏感に察知した艦これ製作陣が、本来あったはずの、ダイナミックで爽快な発艦シーンを消した可能性がある。

もちろん、修正にかかった時間は、他のシーンのクオリティを下げることで取り返すしかない。

最終話艦娘戦闘中なのに棒立ち会議しているのは、このためだったのではないか?

どうにも、今回の艦これアニメ製作陣は、視聴者の反感を買うことを異常なまでに恐れているように見えた。

それも変な所で。

例えば提督を出すと、「男を出すな!」って荒れると思って、不自然なまでに提督の姿が出てこないのがそれだ。

如月轟沈の大バッシングを受けて、史実通りなら祥鳳は轟沈するはずなのに、大破炎上で済まされた。

(祥鳳炎上シーンの不自然な腕の角度は、元々は轟沈シーンで、

海中に沈みゆくシーンを無理やり改変した物だと思えばしっくりくる)

弓道警察の騒ぎも、視聴者は軽くいじったつもりだったのに、

製作陣は異常なまでに、「これはダメだ」というメッセージを受け取ったのではないか?

その結果が、あの地味な艦載機発艦シーンで、艦これアニメをつまらなくするのに一役買ったのではないかと思う。

もちろん、艦これアニメはそれくらいじゃ取り返せないくらい、ダメダメな出来だったわけだけれど。

2015-03-11

http://anond.hatelabo.jp/20150311134856

どういう感じのがやりたいのかは伝わるけどいかんせんつまらん。

もう少し必然性というもの意識して作り込むべき。

2015-02-24

"それって恋人じゃなくてもできるよね"と言ったその舌先で

そんな「本当」を言う必要なんてなかった

恋人になるってなんだ?

時間を割く事?セックス出来る事?相手を好き放題する事?行動や時間制限しあう事?」

「でも、それって恋人じゃなくてもできるよね、しないだけで」なんて、

そんな事を言う必要なんてあったの?

そんな自分の汚い価値観を伝えて、何がしたかったのか

何を相手に見ていたのか

汚そうとするその力動に、どんな必然性があったのか

2015-02-10

可愛い子にはソシャゲをさせよ

この所ネット自称ゲーム好きの間では「子供ソーシャルゲームやらせるのはよくないだろプンプン」と発言している人をよく見かける。

自分ソーシャルゲームをやるのは余りよいことだとは思わない。

しかし良いことではないからこそ子供ソーシャルゲームから学ぶことは多いと思う。

子供ソーシャルゲームを通して「金銭価値多様性」を知る。

イラスト1枚に何十万もかけられる人間たちの姿を通して子供は何を感じるだろうか?

子供馬鹿から「いいなー羨ましい。僕も大きくなったらいっぱい課金するんだー」と考えるに決まっていると思う大人は流石にいないだろう。もしもいるのならば他人を軽んじる癖を治すために小学校からやり直した方がいい。

子供だってゲームを何十本も買える額の金でガチャってレアカードを出すことの虚しさを知っている。

それでも金を使う人間がいることを知っている。イミフである

その理解できないという感覚子供に金銭価値多様性を身につけさせるのである

これは一生の宝だ。

子供ソーシャルゲームを通して「利用しあう関係の虚しさと必要性」を知る。

ソーシャルゲームにはフレンド機能がある。

フレンド機能とは名ばかりで実際は「お互いのレアカードを貸してもらうための相互契約である

最初のうちプレイヤーチュートリアルに従って次々とフレンドを増やしていく。

しかしすぐにフレンドの数は頭打ちとなり吟味するようになりやがては弱いリーダーカードのフレンドを切り捨てて強いレアカードリーダーにしている相手に必死に申請を送るようになる。

この友情などどこにあるのかと言いたくなる弱者切り捨てシステムを通して子供は何を感じるだろうか?

子供馬鹿から「やったーレアカードで人気者だー。僕ちん友達いっぱーい」と考えるに決まっていると思う大人は流石にいないだろう。もしもいるのならば他人を軽んじる癖を治すために幼稚園からやり直した方がいい。

子供だって切り捨て切り捨てられという関係空虚を知っている。

それでもフレンドシステムをうまく利用していかなければイベントダンジョン突破できない。現実は厳しい

その過酷生存競争子供に利用し合う関係を気づくことの必然性とその虚しさを教えるのだ。

そしてそれは逆を言えばお互いを利用しあうという考えのない友情の暖かさも教えてくれる。

これは一生の宝になる。


子供ソーシャルゲームを通して「やめるべき習慣からは逃げ出さなければいけない事」を知る。

ソーシャルゲームは他のゲームとくらべて辞めたいと思っても辞めるのが難しい。

ゲームから時間離れている間刻々と漏れていくスタミナ、今まで積み上げたキャラクター、期限の迫るイベント、それらが辞めようという気持ちの反対から強烈なモーメントをかけてきてシーソーを辞めないという方向に強引に引き戻してくる。

しかしたら辞めたいという気持ちは一過性のものですぐにまた戻ってきたくなるかも知れない、その時に捨ててしまった様々なチャンスを勿体無いと感じるかもという不安に抗わなければソーシャルゲームを辞めることは出来ないのだ。

だがゲームとは本来楽しむためのもの、それに大きな苦痛を感じているのならばいっそ距離を置くべきではないだろうか、そのとき子供は何を思うのだろうか?

子供馬鹿から「スタミナもったいないでちゅー。ゲーム100本並行して遊ぶために学校やめましゅー」と考えるに決まっていると思う大人は流石にいないだろう。もしもいるのならば他人を軽んじる癖を治すために前世からやり直した方がいい。

子供だって時間は有限であることを知っている。

将来にわたって有限であることを知らなくても日々の時間は有限であることは理解している。そうあの頃は未来永遠なのではという錯覚があった。

有限な時間の中でやりたい事・やるべき事を24時間という枠に収めていかなければ行けないことを強く感じる機会をソシャゲは作ってくれるかもしれない。

そして有限の時間を使いこなすためには不要な習慣を切り捨てていくことが大切だということを実感できるかもしれない。

これは一生の宝になる。


ソーシャルゲームは確かに危険存在だ。

時間と金ソーシャル現代人をがんじがらめにしようとする。

子供がその電子の檻に飛び込めば多くを失うかもしれない。

しかし同時に多くを手に入れるかもしれない。

私はそのなかで子供が失うものが手にするものよりも少ないとは思わない。

危険存在からこそ多くの経験子供につませてくれる、ソーシャルゲームは雄大な自然と同じく子供危険な学び場なのだ




(まあこれぐらいの出来ならホッテントリ狙ええるだろ)

2015-02-03

http://anond.hatelabo.jp/20150203110307

悪目立ちしなかったのは、秋葉原がまだ「観光地」になってなかったか

自作PCオタとか無線オタとかは、どうしてもそこに行かなくてはいけない必然性があったからだろう

観光地になった秋葉原はおのぼりさんだらけになって、おのぼりさんは「アキバなら何やってもオッケー」と勘違い

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