はてなキーワード: 居合わせとは
ジョーカーに憧れてみたいな話があった
作品が悪影響を与えたって言われてて、まぁそう受け取ってそう行動した奴がいてもいいわなとは思っている
迷惑な話だと思うけど、だからってジョーカーを観られる自由さは残しててほしい
ジョーカーが劇中で賞賛されるのは居合わせたムカつく3人組がトゥウェイン証券のエリート3人だったからし、列車の中の混乱はフラストレーションの解放を求める空気が充満したところで発生したことだし
ジョーカーは感情のまま殺戮するけれど、街中で暴れ回るキャラクターではないと思う。やるなら車かなんかでバーン、そして逃げるんではないか。
やって終わりじゃなくて、またやってやるみたいな奴だと思う
https://news.livedoor.com/article/detail/21125794/
①新宿行き上り電車の方が人が多いと思って乗り換えた。犯行は電車内と決めていた。特急は走行時間が長いから乗った。小田急線の事件を参考にした。電車に人がたくさんいるハロウィーンの日を狙った。
https://news.livedoor.com/article/detail/21125911/
「まさか自分が乗っている車両でこんな事件が起きるとは思ってなくて、死ぬのかなって思って。とりあえず混んでいる状況で②LINEで『死ぬかもしれんけどありがとう』ってお母さんには送りました」
② あの非常時にそんなLINEが打てるなんてすごいな
いや〜。実際居合わせたら動けないと思うね。
この映画、凄いよ。
ネタばれ全開なのでそれだけ注意。
原作と違い、極限状態関係なく黒幕以外みんな狂ってる状態からスタート。
「完全に男性のみで関係性が閉じており、唯一の女性はなにもせず、なんの被害もうけず、しかし利益だけを享受しているもののその描写はなく、ただ全体の支配者側である」ってことが全体の特徴。
これほど完璧な皮肉があるかって話。狙って作ってなかったらそれはそれで凄い。
親に従うことでやりすごしていたが、結果弟は耐えられず自殺を図り、その場に居合わせたが手を差し伸べられなかった。
虐待を回避する方法はおそらく勉強してよい成績をとることで、弟はできず暴力をうけていた。
金を稼げない無学な男性はカスで弱者だということを示しているキャラクター
コンビニバイトで食いつなぐ、自分の境遇は全てが大人が悪い・社会が悪いというステレオタイプな弱者男性。
いじめにあっていたなどの言及もあり相当なうっぷんはたまっているのだが、その矛先は経営者のおっさんに向かい、女性に向かうことはない。
詳細の描写はないがいじめを受けていてもだれも助けてくれなかったか、あるいは親から虐待をうけていたと考えられる。
周りの男性を怖がる描写はあるが、唯一の女性には特に拒否反応なし。
家族か身内のイベントに間に合わせるために脱出を積極的にめざす唯一まともな男性。
原作の脱獄犯ポジションではあるが、普通の整備工のようで特に悪人の要素はなく、
なんだかんだ周りを助けてくれる口調の悪いだけの善人。
広告会社の役員であり、世の中が悪いのは努力をしない若者が悪いんだというこれまたステレオタイプなおっさん。
やたら高圧的に周りにあたるし、子供にも暴言を吐くが、女性にはその矛先は向かない。
甲斐麻子 (杏)
黒幕。
びっくりするぐらい何もしない。
CUBEのシステムにリンクしているようで、トラップの有無もわかっているようだが特に何もしない。
作中では何度か上のキューブに昇るために安東と宇野がシャツのロープで引き上げられる描写があるのだが、なぜか彼女が引き上げられる描写は全カットされてたはず。
まあ女性を男性が助けるのは当たり前すぎて描写する必要すらない。
一応端っこの部屋があったと主張はするんですが、管理者側なので全員を合流させるためにあえて流したんだろう。
総合してみると描写が一貫していて、強い男性が弱い男性を支配・搾取して、弱い男性の怒りは強い男性に向かうけど、でもその全体の支配者は女性という構造。
まさに現代の縮図。
その男性描写があまりにステレオタイプなために滑稽な印象が強くなり、だからこそ女性のノータッチ、特権ぶりが強調されてシニカルにオチに繋がるのは実に美しい。
原作における暴力的な黒人男性をキーとして、大学生および医者に学のある女性を配置した上でキリスト教的な罪を語る姿勢と見事に一致していると感じる。
スリラーとしてみると無駄がなく完璧な構成だった原作とは比べ物にならず、描写も全年齢相当で甘く、エンタメ作品としては褒められたものではないけど、
前々から思っていたけど、ここ最近前にも増してニシキヘビという生き物が邪魔すぎてストレスが溜まる。
俺が言う「邪魔」というのはなにも『爬虫類のペットブームがぁ~』とか『生物、やっぱり外見より内面のほうが大事だよね~※』という高いレイヤの話ではない。
むしろレイヤ1=物理層。文字通りの意味で「邪魔」なのである。
日々感じる事を挙げるとこんな感じ。
(歩きかたが邪魔)
うねうね歩く。こわいので近づきづらい。
近づこうとすると、何故か威嚇されて噛まれそうになる。
まあ言いたいことは上と同じ。
肉選ぶのにどんだけ時間使ってるんだよ。どれ選んでも温度低すぎて食用と認識できないだろ。お前がどかないと俺が買えないんだよ。
あとレジ。金払うのになんでそんなに時間かかるんだよ。ポイントカード出すなら予め用意してろ。脱皮殻が入ってるか穴が空くほど財布の中見渡してんじゃねーよ。
いわゆる「無精卵問題」ね。まあこれに関しては正直言って寛大な心を持っているつもりではあるんだけど、やはりせっかく保温したのに生まれないとか勘弁だし。むしろ同じ場所に居合わせてしまった自分の不運を呪う感じすな。
しかしニシキヘビの方が圧倒的に多いのだ。少なくとも俺はそう感じる。
しかし社会生活においてはどうしようもなく邪魔な存在でしかない。
日常生活において器量の良いニシキヘビが増える事を切に望む。
つい先ごろ、薬物の利用をした。以下で具体的にどの薬物をどう利用したかを書くことはない。また、その瞬間における体験がどのようなものであったかについても書くつもりはない。私が書くのは、翌日以降に残った薬物の影響と、そこから感じた「政治」についてだ。
「それ」からしばらく経ってから、PCチェアでうたた寝した。それ自体はしばしばあることなのだが、ある夢の最中で「これは夢ではないか?」と思い、そこに居合わせた人に自分の頬をつねってもらうように頼んだ。痛みを感じたので無事夢ではないことがわかったのだが、それは結局夢であることをPCディスプレイを目の前にして知ることになる。
それ以降はいわゆる「金縛り」状態を2~3回ほど繰り返した。自分がPCデスクの前に座っていることは分かっていて、半分夢の中にいるせいで体が動かないことも分かっているのだが、何もなすすべが無いのである。何度起きようと試みても無駄だった。金縛りの最中に、おそらくは夢由来の幻聴も知覚した。ひた、ひた、と自分の後ろ側を何者かが歩いている音がするのである。幻聴であること自体は比較的すぐ看破したが、それで音が消えてくれる訳ではないし、「万が一もし本当だったら?」という恐怖や不快感も続く。
その時はたしか「これが金縛りという医学的現象とそれに付随する意識低下に基づく幻聴だと分かっていても怖いのだがら、そりゃ枕元に誰かが立つという話が山ほど作られるわけだ」と金縛りと幻聴に苦しみながら考えていたように思います。結局その後何かの拍子に金縛りが解除されベッドに飛び込み、ぐっすり眠りました。
翌日。昼過ぎですかね、PCチェアに座っていると唐突な眠気が襲ってきました。そしてまた金縛りに。今度は周りが明るいのもなんだったらディスプレイに何が表示されてるのかも分かるぐらい意識がはっきりしているのにもかかわらず(まぶたを開けたまま寝てたのか、記憶がまぶたの裏に焼き付いていたのかは判然としません)、腕をアームレストから引き剥がすことが出来ないのです。この頃になると結構夢世界のルールが分かってきていて、ある程度は現実世界らしく振る舞うが、度が過ぎると初期配置にリスポーンする。
目覚めようと色々試してみました。体が動かないので叫んでみたり(今でも実際に声が出ていたのかどうかは分かりません。一応壁厚いし昼間だからまあいいかと思って叫びました)。どのようにしてか体重のバランスを変化させ椅子ごとすぐ後ろのベッドに飛び込むことは出来ましたが、いつの間にかまた普通に座らされていました。右手だけがある程度自由になったので手元のガラスのコップを放り投げました。ガシャンという音と女性の悲鳴が聞こえてきました。奇妙に思い都合良くもう一つあったコップをまた投げてみました。また同じくガシャン、キャー。効果音の使い回しだな、と思いました。このあたりからどうでもよくなってきて、右手でロジクールの無線マウスを開けて電池を取り出し、口に入れてみました。その電池はソフトキャンディのように柔らかく噛み切れ、口の中には電気の味が広がりました。金縛りが解ける気配もないし、せっかくだから現実じゃ出来ないハチャメチャなドエロいことをしようと思ったが勃たない。
飽きに飽きたところでようやく両腕が本当に自由になったので(この時点ではまた両手だけ動かせても意味ねーよと思っている)、なんとなしに首の裏で組んでみた。そしてまたゆるめの金縛りに戻るのだが、今度は指先を動かそうと念じると実際動き、首の裏の神経が反応するのである(あたりまえ)
その辺りから徐々に体の操作権を取り戻し、ついには金縛りから脱するに至った。どうやら1時間ほど金縛りの中にいたようです。その後も軽微な「自分の手が自分の手に思えない」現象などはありましたが、今は元気です。
挙げた種々の現象はおそらく離脱症状のあらわれであったと思われる。現状のニートのままであれば、まあ用法用量を守って数日おきに刹那的に楽しみ離脱症状は当然の報いとして受け入れる、という選択肢が有望に思われる。
しかし仕事に就こうと思えばこうした薬物からは距離を取らなければならない。なぜなら、楽しい休日の次が必ず丸1日潰れ増田に長文を投げるぐらいの仕事しか出来ませんでは困るでしょう。
こう考えていると、薬物緩和肯定派がよく言う「政府は国民の幸せなど全く考えず、いかによく働かせ税金を搾り取るかという観点から薬物を禁止している!」といった主張へも、多分緩和派とは別の意味で同意できるように思うのです。この程度の薬物(=歴史に悪名を刻んでいない薬物)ですらこうなのだから、より作用が強い物はより翌日以降の影響もより強かろう。それを規制しようとするのは政府としては極めてまっとうなことであるように思われる。俺が総理大臣でもそうする。
薬物論争においては常にやり玉に挙げられる酒タバコも、翌日への引きずりかたが比較的軽微であるというところで、許可されてきたのではないでしょうか。二日酔いはたいていの場合本人の無茶な飲み方が問題と考えられているし、タバコの離脱症状はより些細である(あくまで外から見る分には。タバコが切れてナイフを振り回した人を俺は知らない)
例えばアルコールやタバコの年齢制限だってそうだ。われわれは未成年の酒タバコは成長に良くないと思っているが、一度でも根拠となる研究のタイトルとか要約を聞いたことがあっただろうか?(同じ理屈で同じく根拠が示されずコーヒーや炭酸やマッサージ器を禁止された人は多そうだが)結局の所われわれは未成年の酒タバコを、将来健康な青年として税金と年金を納めてもらえるように禁止しているようなものだ。
「政府は国民の幸せなど全く考えず、いかによく働かせ税金を搾り取るかという観点から薬物を禁止している!」と俺も思うが、俺は政府は正しいことをしていると思う。これは愚行権の問題で、もはや俺の手に負える問題ではない。『リベラルのことは嫌いでも、リベラリズムは嫌いにならないでください――井上達夫の法哲学入門』というクソにも程があるタイトルの本が実は、日本を代表する法学者による一般向けの本の中では相当高いレベルにあるのでおすすめです。
愚行権の話はおいておくにしても、ひとつ問題がある。われわれは、「政治」が嘘をついているとき、その嘘を暴くことが「政治批判」になると思ってきた。先に挙げた「政府は国民の幸せなど全く考えず、いかによく働かせ税金を搾り取るかという観点から薬物を禁止している!」というのも、一聴すると「市民に自由を!」とシュプレヒコールで答えたくなるが、では月曜日に離脱症状でうっかり自殺したり「サーセン、副作用で動けないんで有給…はもうないんでしたっけ、まあとにかく休みます。…ツーツー」といった事象が多発するような社会に住みたい人間などいないのである。
こんにち、嘘を嘘と見抜くだけでは批判にならないのです。では…
続きは気が向いたら書きます。
フロントの女性が外国人なのが気に入らないと、罵声を浴びせたといいます。
ホテルに居合わせた客:「『支配人を呼べ』って怒鳴り付けて。『名刺出せ』って言われて、名刺を出したら、その名刺を破り捨てて、『ひざを付いて土下座しろ』と言って。『俺は(ホテルの親会社の)社長とも、一緒に仕事しているんだ』と。『だから、お前らをクビにさせるから』って、『お前らの写真撮らせてもらうからな』と携帯電話を出し始めた」
男性客:「世界中のホテル!世界中を旅行しているけどお前のところだけだよ!荷物を持たなかったやつ!社長に言うからな!」
男性は恫喝したうえに、土下座を強要。最後に耳を疑う要求をホテル側に突き付けました。
ホテルに居合わせた客:「『お前らまさか、これで普通の部屋泊まらせるんじゃねえだろうな』と。『お前ら最上階(の部屋)用意しろよ』と言って怒鳴っていました」
見兼ねた他の客が通報し、警察官が駆け付けると、それまで散々、威張り散らしていた男性は態度を一変。結局、このホテルには泊まらずに帰ったということです。
萌え絵は「やってやった感」のダシにされてるんだよ
オタクはおんなじような萌え絵が好きで、萌え絵を出しときゃ群がる
世間一般に広報するときに、そういうオタクウケがいいものを出してると、広報が届かない日陰の若者にもアピールできたと外野にも印象づけられる
んで、別にオタク向けじゃないポスターだのなんだのも作るけど、オタクはそもそもそんなの見ないから、「アニメが市民権を得た!みんなに人気!」とか勘違いする
その手のコラボをやる意思決定の場にはぼちぼち居合わせるけど、だいたいそんなもんだぞ
別に萌え絵が市民権を得たとか、みんな好きとか、全然そんなことないぞ
むしろフェミだのなんだのより、そういうのを一応取り込んでアリバイを作ろうとしてるおっさん連中からは軽蔑されてるぞ
まともに反応して嫌ねーとか抗議するフェミの方がよっぽど絵柄をちゃんと見てるんじゃねえの
俺だって目やら胸がデカくて股間にスカート張り付いてるようなのはキモいと思うわ
でもまあ好きにやってれば?って感じ
共感力が高いから美人に共感する(だから美人と同等の発言をついする)って増田があったが……、
美女が多いグループのブスは、共感しすぎて自己の境界があやふやになってくるのか知らんが、自分もモテモテだと思い込んでる事が多々あるよね。
モテるが故の辛さに「わかるー」って言ってるブス、共感して分かった気になるのはいいんだ。そこで止めれば友達思いのいいやつだ。
けど口に出したら勘違いブスなんだ。そして口に出さないやつは当たり前のように目立たないから、美女多数グループに属したブスの共感が「私達モテるもんね!」って空気を出しちゃ、美女多数グループブスに悪いイメージを持つ人はたくさん出るよな。
まぁけど、この私達モテるってのは事実なんだ、そういうグループの君たちはモテる。
けど、私達を私にした途端に破綻するようなやつが言っていいことではないんだ。現場に居合わせる人は内心お前が言うのかと思っていることだろう。
本日9月26日午後6時ごろ、JR新宿駅から総武線三鷹駅行きの電車の中に暴漢が入って来ました。
その男はとてつもない声量で意味不明な事を喚き散らしながら車内の窓ガラスをガンガンと叩いておりました。
年は40~50代ぐらいの中年でメガネをかけており、頭は禿げておりました。
身の危険を感じたため、私はそそくさと降りて中央線に乗り換えましたが、暴漢が中にいたまま総武線三鷹行きの電車は発車してしまいました。
店に入った客と偶然そこに居合わせた女性が自由恋愛、なわけねえじゃん
セックスを目的に客が店に行き、売春で稼いでる人が身体を提供して金を得てるって構造は誰の目にも明らかだろ
なんでなんかヤヤコシイ話で売春じゃないみたいなテイにしてるんだ
そういう「法的にグレー」みたいなのがずーーっと放置されてることで、法律そのものへの信頼度が下がってると思うんですよ
なにも「風俗なんて汚らわしいから全面違法にしろ」なんて言ってるわけじゃない
むしろ逆だ
やりゃいいじゃん
法的に認めりゃいいじゃん
子供を作るとか、出産とか、そういうところは礼賛する空気があんのに、その過程のセックスが恥ずかしいタブーみたいになってんのは意味不明だし、キモすぎる
中学生すらガンガンエロサイト見てシコってる時代なんだから、もっとオープンになりゃいいんだ
そういう世の中にならねえのか?
ブロマンス? の方はもうずいぶん前に出版されたものなのでネタバレするけど、すごいBLの方は22日に出版されたばかりなので、極力ネタバレしないようにがんばる。では、ブロマンス? の方から。
同作者による小説『生誕祭』の続編。本作も『生誕祭』と同じく彰洋と麻美のダブル主人公。この二人が憧れの人・美千隆に振り回されつつ、お金儲けのためにそれぞれ奔走する。
『生誕祭』の終盤、美千隆に裏切られて復讐しようと思ったものの、けちょんけちょんに打ちのめされてしまった彰洋。だが、逃亡先の北海道まで、美千隆が探しに来てくれたことにより、懲りずに美千隆に着いていってしまった。
それから十年。彰洋は自身と美千隆しか従業員のいない小さな会社に勤めて、退屈だがそれなり楽しい雌伏のときを過ごしていた。
そんなある日、美千隆が復活を宣言する。時代はITバブル最盛期。バブル景気なんて長続きする訳がない。こんどは土地の代わりに株を転がし、大金をせしめて一抜けし、今度こそ二人で夢の王国を作るぞ! マンハッタンにでっかいビルを建ててやるのだ!
一方、やはり十年前に美千隆に切り捨てられて落ちぶれ名古屋に逃亡した麻美は、東京に舞い戻り、バーの雇われママに身をやつしていた。ところがあるとき、バーのオーナーが麻美に儲け話を持ち込んで来る。それはIT企業の若手起業家を騙して一攫千金を狙うというもので、しかもターゲットとなったIT企業をあの美千隆が狙っているというではないか。麻美は一生遊んで暮らせる金をせしめるため、美千隆に復讐するために、彰洋の元恋人である早紀を巻き込み、立ち上がるのだった。
『生誕祭』ではブロマンスというよりはポチとその飼い主みたいな関係性だった彰洋と美千隆だったけれど、今回は彰洋が成長し美千隆が少し老いたのもあって同じ夢を追う同志、ブロマンス感があった。
美千隆が過去に彰洋に言った「マンハッタンに自社ビルを建てるのが夢」「弟が欲しかった」という言葉が、彰洋をだまくらかす方便かと思いきや案外本心だったのかもしれない? と、胸が熱くなる一方で、王国のキング美千隆についに焼きが回った感じもあり……もはや自身には生き目はなく、夢は弟分の彰洋に託すのだろうか?……と、ちょっと切なくなる感じ。
最高に滾るシーンは美千隆が渾身の演技で麻美を騙す場面。麻美が金と美千隆に執着する理由は安定と愛情が欲しいからではなく、美千隆の隣で同じ夢を追いたいからだと看破してみせるところ。
結局のところ美千隆の相棒になぜ彰洋はなれて麻美にはなれないのか、それは才能の問題ではなく性別の問題でしかない。麻美にはどんなに努力しても越えられない壁を彰洋なら軽く飛び越えられる。最初から分かり切っていたが見ないふりをしてきたことを、当の憧れの人、美千隆に見破られて涙を流す麻美。実にエモい。引き立つブロマンス!! そう、私ら女にはどんなに願っても届かない夢ですな!
でも最終勝者は少年の心をいつまでも喪わないおっさんズではなく、現実的堅実的に復讐計画を練り実行に移した早紀だったというのが痛快だった。愛よりも友情よりも堅実。金に溺れた詐欺師どもより研ぎ澄まされたハンターが最強だなんて、かっこよすぎる……。
国外逃亡する羽目になった彰洋と美千隆がこてんぱんに打ちのめされてだめだめなコンビに成り下がるというオチまで着いて、憧れのブロマンスに泥を塗りたくる黒い快感に目覚めてしまった。
数多のBLの中でもかなり人気のあるタイトル。エロエロだけどストーリーに骨があって絵もすごく綺麗。少女漫画のようなキャラとストーリーが人気な商業BLのなかでは、異色かなぁ。
バーでピアノを弾いて暮らしているマレーネと、マレーネのピアノを聴きに通うリリーは両片想い。だがいくらマレーネがアプローチしてもリリーは応じてはくれない。それは二人が男同士だからというより、リリーの正体が人狼だからなのだった。
リリーが突然発情期に入ったところにマレーネが居合わせたのが縁で、二人は結ばれることになった。ところがマレーネは、実は人狼を迫害するマフィア・ガーランド一家の跡取り息子ヨシュ・ガーランドだった。
マレーネがリリーと急接近したころ、ガーランド一家の当主は人狼殲滅に狂い、唯一の血縁者である孫のヨシュを呼び戻す。かくしてマレーネはガーランドと人狼の抗争に不本意ながら巻き込まれることになった。
一方、人狼の側では、ガーランドとの抗争が70年前に起きた人狼大虐殺事件のような惨事の引き金になることが危惧されていた。抗争の激化から、ついに群れのリーダーであるキーファーは、ガーランド解体作戦を決行すると宣言する。そして、ガーランド幹部暗殺部隊のメンバーとして、リリーことコヨーテも指名された。コヨーテに割り当てられたターゲットは、ガーランド一家の跡取りヨシュ・ガーランドだった。
す、すごいものを読んでしまった……! というのが、4巻を読んで最初に思ったこと。正直、3巻までは普通に面白い映画みたいな話だなぁと思ったくらいだったけど、BLでここまで描くの!? 描かせてもらえるの!? と驚いた。まあ、これほどの画力と漫画構成力をもった作家だからこれが許されるんだろうなとは思う。
BLなのでラブとエロは盛りだくさんだけれど、隙あらば骨太の物語描写をしてしまうのがすごい。逆にいえば、BLってストーリーを台無しにしてでもラブ描けエロをかけっていうジャンルなんだろうな……。
人狼とガーランドの抗争の歴史と背景がちゃんと描かれている。そのことに驚きというか、一般ジャンルの漫画ではむしろそれが普通なのかもだが、よく描いたよなぁ。
今回はメインカプのマレーネとリリーだけでなく、アレンやキーファーなど脇役キャラの活躍や人物描写も豊富で良かった。ドミニクがいいキャラしていてかなり好き。
BLにはあまり出てこないし、これまでの座裏屋先生の漫画にはほぼ出て来なかった女性キャラがけっこうなインパクトを持って登場するのがいい。ミミちゃん! 私の推しのミミちゃん!!
猛烈に続きが気になるところで終わってしまったが、たぶん、5巻が出るのは1年後くらいだ。それまで頑張って生きねば……。
座裏屋先生の『シャングリラの鳥』もなかなか気になる展開なので、続きが待ち遠しい。すげえ連載を2本同時進行している座裏屋先生すごすぎる。
小島一志という格闘技ライターがいる。格闘技と言ってもほぼ極真専門といっていい。
詳細はWikipediaやコジ苑というアンチwiki、Amazonの著作レビューでをご覧いただきたい。
外部から眺めている彼らより少し近い場所にいたので、そんな立場から見た彼を語りたい。
家高泰彦というライターがいる。
『極真大乱』という著書をあらわし、何よりも小島の大学時代の同級生で一時期は仕事も一緒にしていた人物である(現在は絶縁)。
小島と直接関わりを持つきっかけをわたし自身を例として回想してみてもその印象は同じである。
しかもそのスイッチがわからない。だから彼との会話は地雷原を歩くようなものだ。
「俺を侮辱するな!」「俺を疑うな!」
小島は怒ると大抵こういう風に言った。
しかし第三者として見てもどこが侮辱なのか、どこが疑いなのかさっぱりわからないことが大半である。怒られている当人には当然もっとわからなかっただろう。
小島は何でもない一言を過度に悪く拡大解釈し、しかも当人が言っていないことまで「言った」などと述べるのだ。
怒った時の小島はきわめて横暴で独裁的、まさしく暴君の言動であった。
その一方で、1日も日を置くと、「あのときは感情的になりすぎた」などと反省の弁を述べることも多かった。
当初は「困った人だが、きちんと反省や謝罪もできるんだな」と思っていた。
だが、あまりにもそのようなことが続くとさすがに異常に思えてくる。
そしてこんな風にも思い始めた。
これは共依存のDVカップルなどによく見られるコミュニケーションパターンではないか?
そんな人間と長く関係が続くはずもない。あるものは自ら去り、あるものは切り捨てられた。
わたしの時も同じであった。再三、理解不能な怒りを買ったあげくに切り捨てられたのである。
彼の会社である夢現舎には現在スタッフはおらず、息子との間でさえ険悪な仲のようであるが、それも当然であろう。最近では『大山倍達正伝』(新潮社)に協力したLeo氏が「0.1円も儲けさせたくはない」と発言しているのを見た。
その場に居合わせたわけでもなく、録音テープがあるわけでもないのに、あるシーンのやりとりや長台詞、心情、仕草まで詳細に記述するからである。
アンチはこれを称して作話、捏造の根拠のひとつとする場合が多い。
催眠ショーでよくあるのだが、「あなたは○○(歴史上の有名人)だ」という暗示をかけたら、被催眠者は顔つきも声色も、姿勢も変わってなりきった言動を行う。強い暗示にはそのような力があるのである。
彼のYouTubeチャンネルを見てほしい。大山倍達、芦原英幸の語りを再現する時の様子を。
すっかり本人になりきっていると思わないだろうか?
人間関係が悪化すると、いままで許せていたものが許せなくなる。
これはほとんどの人間がそうだろう。それにしても小島のそれは極端に過ぎる。
非常に難しく、自分も十全に理解しているとは言えない。だから説明はしない(ネットでわかりやすい説明を見つけたら、それは大幅にはしょって簡略化したモデルであると言い切ってもいい)。
・現実に,または想像の中で,見捨てられることを避けようとするなりふり構わない努力
・理想化とこき下ろしとの両極端を揺れ動くことによって特徴づけられる,不安定で激しい対人関係の様式
もう一つ、社会心理学に認知的不協和理論というものがある。精神分析学では防衛機制において「合理化」といわれている概念にほぼ等しい。
矛盾した言動や納得できない状況などに対して、それを正当化するために認知をゆがめ、自らを納得させるための理屈を作り出す。
思い込みの激しい小島の場合は、妄想の物語を作り出すという形で表れる。
だから小島自身は嘘をついているという自覚はないのではなかろうか。少なく見積もっても6割、多ければ8割ぐらいは本気で信じているように思える。
これに被害感情の強さが結びついた時、極度の人の好き嫌いが生とも考えられる。
イタコ気質は生来のものであろうが、それ以外は育成環境もかなり影響しているような気がする(なんとなくそう思うだけである、明確な根拠はない)。
原田寛『最後の直弟子が語る 芦原英幸との八年間』によると芦原英幸がきわめて猜疑心の強い人物だったようだ。
そして小島は芦原に心酔している。
2022/6/30 加筆訂正
十年以上の昔のことだが、リベラルの人たちと社会的セーフティネットについて話した時の、個人的な思い出話である。
この時、ネットウヨク的な言動をする人々に対して、我々の社会はどのように対処していくべきかについて話が及んだ。
その頃はまだ「社会の中で負け組の人たち、自分の人生が上手くいっていない人たちが、その鬱憤を晴らすために、嫌韓的な言葉を撒き散らしているのだろう」という考え方が世の中では主流だったと思う。
それで私は「そういう人たちが悪いことを仕出かすのを防ぐためにも、社会全体が彼らに対する救済策を考えていかなければなりませんね」と発言した。私としては穏当な発言のつもりであったが、その場に居合わせたリベラルの人たちからの猛烈な反発に私は晒された。
曰く「あんな奴ら(嫌韓的な言動をする人たち)なんか救済する必要は無い!」
曰く「社会的救済を得られない負け組であることは、他人に害を与えることの言い訳にはならない!」
曰く「お前はネットウヨクなのか?」
思い出話は以上である。ここからは、今現在の私が思っていることである。
今、フジロックの主催者と参加ミュージシャンたちが、社会から痛烈な批判に晒されている。
私が思うのは「かつて私の発言に猛烈に反発したリベラルの人たちは、フジロックの主催者と参加ミュージシャンに対しても、同じことを言うのだろうか?」ということである。
やはり「政府が助けてくれないことは、他人に害を与えることの言い訳にはならない!」と言うだろうか?何と言っても、数多くの死者を出すことが確実な病原体ウイルスを撒き散らす行為は、どんな理由をつけても許されざるべきテロ行為だから。
それとも「政府や社会が助けてくれないから」という理由があるから正当化されるだろうか?
自分の人生が上手くいかないことの腹いせで、ヘイトスピーチの標的にされるのは、その被害を受ける者からすれば「冗談ではない!」と言いたくなるであろう。
それと同じく、ミュージシャンの人生が上手くいかないことの腹いせで、病原体ウイルスを撒き散らされるのは、被害者からすれば「冗談ではない」と言いたくなるというものである。
私が思うのは、フジロックの主催者や参加ミュージシャンたちが本当にするべきだったことは、感染防止対策がザルのままでフェスを強行することではなく、率先して生活保護を申請することだったのではないだろうか?生活保護は国民の当然の権利なのだから、コロナで困窮している他の国民に対してもモデルケースになったのではないだろうか。
彼らフェス主催者や参加ミュージシャンたちがそれをしないのは、華やかな暮らしを手放したくないから、生活保護を受けるのは芸能人としての格が下がると思っているからではないか。
大学入ったばっかりの頃に、機能性がクソな無料の出会い掲示板で人妻と仲良くなって、駅前で会った。
人妻、パートのライン工だったらしいんだけど、その日は無理矢理休み取って、夫にも嘘ついて会いに来たんだって。
で、ミスドでおしゃべりしたり、書店内うろうろしたり、コーヒー飲んだりしてて、
その人妻の話を楽しく聞いてた。
その人妻は昔からひろゆきを尊敬していて、2チャンネルで色々な有名スレに居合わせて、家庭内環境が最悪だったためか、インターネットが最後の拠り所だったらしい。
でも耐え切れなくなって、実家飛び出してここに来て、今の旦那と出会った。
だけど、その旦那がバカすぎて、見てて嫌になるらしい。レスバトルが生きがいみたいな人だったらしいから、論理のロの字もない男は嫌いなんだろうな。
それで、マンネリ化した家庭に嫌気がさして、掲示板を始めたんだって。
14人くらいと会って、そのうち10人とはセックスしたらしい。残りの4人は誘い方がきしょすぎて、秒で帰ったそうだ。
セックスに関しては、品と清潔感があって、ラブホまでエスコートした後、若気のみちあふれた性欲をぶちこんでくるタイプがたまらんらしい。
しかし、掲示板でもトラブル続き、ストーカー被害にもあったらしい。
ストーカー被害の延長線上で、掲示板の使用が身内にもばれて、旦那と旦那の親の前で土下座。
壮絶な体験だが、その後も中毒症状なのか、掲示板に戻ってきて、数人目に俺と出会った。
彼女によると、会って普通にデートした後、セックスにも誘ってこなかったのは、俺が初めてだったらしい。
俺は
「みんな性欲のみで寄ってくるかもしれねぇけど、自分は一味ちげぇから。いやー、芯がある自分かっけー」
っていう、もはや中二病かも定かではないパーソナリティーだったので、セックスには誘わなかった。
で、彼女は旦那からの急な電話によって、焦って車に乗って帰った。
「お気をつけて」って言って、駐車場に入っていく彼女を見送ったんだけど、少しして
とか思って(芯なんてなかった)
駐車場に引き返そうとしたら、ちょうど車が出てきて、人妻さん、車の中から軽く会釈して、行っちゃったよ。
そして現在、その人妻さんのことが恋しくなって、掲示板アプリをスクロールし続けている。
いやぁ、女々しい男。ストーカー予備軍じゃん、こんなの。
まぁ、もう忘れるべきだよなぁ。女性関係、まだまだ若いんだからこれから頑張ろう。
美しい、恋煩いだぜ。
僕はあの人と、普通に映画見て、普通に食事して、普通に散歩して、普通に景色を見て、その後めっちゃバキュームフェラしてほしいだけなのに。
マジレスすると
IPからメアド辿れないしメアドからIPは辿れないしゆるゆる仕様なのでproxy使って隠匿可能だぞ
なんか数年前から特定してやる増田が定期的に出てくるので流れ書いとくな
刑法230条
1 公然と事実を摘示し、人の名誉を毀損した者は、その事実の有無にかかわらず、3年以下の懲役若しくは禁錮又は50万円以下の罰金に処する。
2 死者の名誉を毀損した者は、虚偽の事実を摘示することによってした場合でなければ、罰しない。
刑法第230条の2
1 前条第1項の行為が公共の利害に関する事実に係り,かつ,その目的が専ら公益を図ることにあったと認める場合には,事実の真否を判断し,
2 前項の規定の適用については,公訴が提起されるに至っていない人の犯罪行為に関する事実は,公共の利害に関する事実とみなす。
第231条
刑法なので侮辱罪単独でブチ込まれてるヤツもゼロではない。もちろんウルトラレアだが最高裁で判例出てる。
最高裁第2小法廷(中川了滋裁判長)は11日付で、被告側の上告を棄却する決定を下した。1、2審判決の拘留29日が確定する。
1審判決によると、小俣被告は2004年9月30日、同市内のスナックで、一緒に訪れた知人男性(同罪で科料7000円の有罪確定)とともに、
5chじゃあるまいし普通に考えて応じる
もうすることはないです
削除以上の対応を求む場合ははてなへ利用者のIPアドレス請求をする →proxyやら使ってなければ利用しているISPが判明する
弁護士に依頼してISPへ発信者の情報開示依頼(弁護士相照会)をしてもらう
ISPは応じないのでそのまま裁判(発信者情報開示請求訴訟)へ
費用は30〜50万くらい
それだって、偶然その場に居合わせて撮影した、じゃなくて、「台風でこの線がこれだけ遅れて、その影響でこの線がこうなって、そうするとこの行き先がこう変わって、そしたらここに陣取れば...ほらやっぱり自分の考えた規則通りだ!」じゃないですか。
この事件でまず思い浮かんだのが「サラダ油で放火が無理なら不能犯が成立して、現住建造物放火罪は不成立になる?」ということ。
不能犯というのは絶対に実現できない方法で犯罪をやっても犯罪不成立になるというもの(例:藁人形に五寸釘打って呪い殺そうとする)
とりあえずここではサラダ油で火をつけるのは無理という前提に立つ。
基礎事情→一般人が認識し得た事情と行為者が特に認識していた事情を基礎(判断資料)
これを元にすると
基礎事情→市販のサラダ油のボトルから油を撒いた(実際は分からないがこう仮定する)→一般人もサラダ油と思う
判断基準→一般人はサラダ油を撒いて火を近づければ燃えると思う。。。のか?
そうここで疑問なのが「一般人はサラダ油を撒いて火をつければ燃えると思うか」という点である(方法の不能)。
自分は正直サラダ油は火がつきにくいと知らなかった。当然普通に着手あり(結果未発生で未遂罪成立)と思った。
でもネットでは「サラダ油で放火とかwww」等とまるでサラダ油で放火が無理なのは常識といった論調だ。
これが常識だとすると「一般人はサラダ油では火はつかないと思うから危ないと思わない」という前提で考えることとなり、
もし自分が現場に居合わせたとして、犯人がガソリンの携行缶からサラダ油を撒いていれば一般人はガソリンと思うので一般人も燃えそうと感じる(この場合は未遂罪成立)。
これが市販のサラダ油ボトルからドボドボだったとしても普通の人は怖いと思うんだよね。
「はぁ?コイツなにサラダ油で火つけようとしちゃってんのwww」とはならない気がする。
それで一般人、つまり科学の知識が特別にない人ならどう感じるか、ここでの話の成り行きを見守っていた次第。
(ただ座りの悪い帰結を避けるべく「油のようなもの」とある程度事実を抽象化して、一般人は油に火を近づければ燃えると思うから現実的危険発生で着手ありとするのかな?その辺は専門家でないのでよくわからない)
※因みに具体的危険説をベースに判断基準を客観的に犯罪が実現するかで考える説もある(こっちが通説?)。
・犯人の真意はどうあれ「(特定の属性)を殺したかった」と供述することはネットで共感を呼び、第二第三の模倣犯が起きるよ(海外ではそうしてテロの連鎖が起きているよ)
・つまり私達が恐れているのは、ネットの共感の渦が女性を殺したい模倣犯を生み出すことなのです。
・女性としては今電車に乗ることは模倣犯に遭遇するリスクを負うということ
・だから鉄道会社や政治家にこういう事件をNOという声明と事件防止策を求めている
・だから男性の皆様に、犯人の報道から不幸な動機を二次創作して共感するのをやめてほしいと訴えている
■男性の皆様にお願いしたいこと
・犯人のせりふを想像で膨らませて物語化する(私も氷河期世代キモオタおばさんなので我が身に重ねる気持ちはわかりますが共感度の高いネットでの発言は)自重いただきたい。それはあくまで「あなたの物語」です
・ヘイトクライムの犯人は減刑のため、また共感者を集めるために、共感性の高い言葉を使います。よくある不幸をほのめかします。
だから犯人の気持ちがわかるからと言ってあなたは犯罪者予備軍ではありません。むしろ同じような境遇で幸せそうなカップルを憎んでいても、実際に見知らぬ人を攻撃しないあなたはカッコいい人間です。
・幸せそうに見える女性は同じ非正規労働者でパワハラ店長に失敗をなすりつけられてトイレで泣いたのをメイクでごまかしてここで綺麗な顔をしているだけかもしれないし、俺でも簡単に刺せそうに見える清楚でにこやかな美少女は元レディースの猛者かもしれません。特に女性は社会から笑顔と愛嬌と控えめを要請されるので実際より幸せで弱々しく見えがちなのです。
・女性達の恐怖や怒りを「まあまあ」とナメたクソリプでなだめる暇があるなら、こんな事件に居合わせたとき、どうしたら自分の身の安全を確保しつつ通報救助ができるか議論してください
・「あなたの嫁や娘が殺されたら」という言葉で説得しないでください。「女は守られてイージーモード」という妄想を強化します。
小山田圭吾問題について、中高のいじめで完全に自信喪失および人間恐怖症になって中年ニートになった自分にとって、思うところがありすぎたので、自分自身の整理のために書いてみた。
今回の問題の核心は、どれだけひどいいじめ(というか暴行や拷問と表現すべきだが)を行って、それを公の場で自慢げに語っても、学校の内外で処罰されることもなければ、反省一つ促されることもなく、当然謝罪もなく、その後の人生とキャリアに傷がつくことも全くなかったということである。例のインタビュー記事で小山田と絶交した、という人もおそらくいないであろうことは、あの後も変わらず精力的に仕事をし続けていることからも理解できる。逆に小山田圭吾は、ひどいいじめをおこなった側の方こそが、社会的に大成功を収めるというモデルケースになってしまっている。
周知のようにいじめ問題では、現在でもいじめ被害者の側が転校させられるというケースが多く、客に加害者の側が転校したり推薦を取り消されたりというケースは寡聞にして聞かない。超名門校を出場辞退に追い込むほどの暴行を後輩に行った高校球児手が普通にドラフトで指名されていたように、大人はいじめ加害者を逆に高く評価しているのではと感じさせるケースもしばしばある。自分のクラスでもいじめ自殺が発生したことがあるが、加害者は何も咎められることもなく、普通に一流とされる大学に(記憶が曖昧だが多分推薦で)進学した。小山田圭吾は、こうした「いじめたもの勝ち」になっている社会の象徴的な存在である。
「1990年代もあのようなことは許されていなかった、時代の問題で相対化するな」という批判がある。それは正しいが、やはり同時代の空気を鮮明に記憶している人間としては、批判として非常に浅く感じてしまう。
あの時代のバラエティ番組は、若手芸人などに嫌がることをさせて、「痛い」「熱い」と泣き叫ぶのを見てMC側の人間がゲラゲラ笑うというものが本当に多かった(逆にそういう笑いをしない志村けんがテレビから一時期消えていた)。既にいじめは社会問題化してはいたものの、「あれは相手も納得済みだからいじめではない」というテンプレ論法で許容されていた時代だった。ネットも黎明期でテレビがほぼメディアの全てだった時代、いじめを受けていた側にとっては、当時のバラエティは見ているのも辛かった。
そういう時代の雰囲気のなかで、ましてや悪趣味がかっこいいものとしてはびこるサブカル雑誌のインタビューという場所で、たとえいま小山田と五輪組織委を口を極めて非難している人たちがそこに居合わせたとしても、おそらく一緒に笑うしかなかったと思う。特に、空気の変わり目を読んで同調して小山田を非難しはじめているような、ワイドショーのコメンテータータイプの人間は、そこにいたら一生懸命に面白がるアクションをしていたはずである。
申し訳ないが、中高時代をいじめ被害者として過ごしてきた人間には、いくら現在小山田を非難しているように見えても、時代の空気に同調しているだけで、こいつは本質的にはいじめっ子の側の人間だろうというのは直感的にわかってしまう。その意味で、たとえばカズレーザーなどはあまり信用できないし、逆に一見いじめを時代の問題として相対化していることを言っている爆笑太田のほうが信用できる気がする。ほかにも、五輪批判や政権批判の文脈でしかこの問題に興味のない人も、およそ信用できない。