十年以上の昔のことだが、リベラルの人たちと社会的セーフティネットについて話した時の、個人的な思い出話である。
この時、ネットウヨク的な言動をする人々に対して、我々の社会はどのように対処していくべきかについて話が及んだ。
その頃はまだ「社会の中で負け組の人たち、自分の人生が上手くいっていない人たちが、その鬱憤を晴らすために、嫌韓的な言葉を撒き散らしているのだろう」という考え方が世の中では主流だったと思う。
それで私は「そういう人たちが悪いことを仕出かすのを防ぐためにも、社会全体が彼らに対する救済策を考えていかなければなりませんね」と発言した。私としては穏当な発言のつもりであったが、その場に居合わせたリベラルの人たちからの猛烈な反発に私は晒された。
曰く「あんな奴ら(嫌韓的な言動をする人たち)なんか救済する必要は無い!」
曰く「社会的救済を得られない負け組であることは、他人に害を与えることの言い訳にはならない!」
曰く「お前はネットウヨクなのか?」
思い出話は以上である。ここからは、今現在の私が思っていることである。
今、フジロックの主催者と参加ミュージシャンたちが、社会から痛烈な批判に晒されている。
私が思うのは「かつて私の発言に猛烈に反発したリベラルの人たちは、フジロックの主催者と参加ミュージシャンに対しても、同じことを言うのだろうか?」ということである。
やはり「政府が助けてくれないことは、他人に害を与えることの言い訳にはならない!」と言うだろうか?何と言っても、数多くの死者を出すことが確実な病原体ウイルスを撒き散らす行為は、どんな理由をつけても許されざるべきテロ行為だから。
それとも「政府や社会が助けてくれないから」という理由があるから正当化されるだろうか?
自分の人生が上手くいかないことの腹いせで、ヘイトスピーチの標的にされるのは、その被害を受ける者からすれば「冗談ではない!」と言いたくなるであろう。
それと同じく、ミュージシャンの人生が上手くいかないことの腹いせで、病原体ウイルスを撒き散らされるのは、被害者からすれば「冗談ではない」と言いたくなるというものである。
私が思うのは、フジロックの主催者や参加ミュージシャンたちが本当にするべきだったことは、感染防止対策がザルのままでフェスを強行することではなく、率先して生活保護を申請することだったのではないだろうか?生活保護は国民の当然の権利なのだから、コロナで困窮している他の国民に対してもモデルケースになったのではないだろうか。
彼らフェス主催者や参加ミュージシャンたちがそれをしないのは、華やかな暮らしを手放したくないから、生活保護を受けるのは芸能人としての格が下がると思っているからではないか。
ミュージシャン「健康管理は自己責任(キリッ」