はてなキーワード: 唐突とは
なお、成果は未だゼロな模様
前スレ
http://anond.hatelabo.jp/20131202151533
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ほとんどの出会い系サイトがこれに分類されるのではないだろうか。
いくつか登録はしてみたものの、稼働できそうなサイトは今の所みつかっていない。
ポイント制であることを隠して、「完全無料」などと謳っているサイトも多いが、
単に登録直後は「無料期間」なだけであり、ある程度使っていると唐突に
それだけなら大手サイトと同様に、無料期間だけ運用すればいいのだが、
一番ネックなのは、これらのサイトでは連絡先の交換を制限されているということだ。
ポイント制サイト上でメールのやりとりをすると、一通ごとにポイントを消費していくため、
早期に通常のメールアドレス(直メといわれる)でのやりとりに移行する必要がある。
大手サイトでは、サイト内メールの本文にアドレスを記載することで、
お互いのメールアドレスを交換することができるのだが、
サイト内のメール本文にメールアドレスを記載することが禁止(入力時に弾かれてしまう)されており、
連絡先を交換する為には、専用の連絡先通知機能を使用しなければならない。
この、「連絡先通知機能」を使用する為には非常に大量のポイントが必要であり、
登録時に付与されるポイントでは1度も使用することができないのだ。
また、登録直後に「無料期間」がある場合でも、期間中は「連絡先通知機能」の使用は制限されているため、
「サイトにお金を払わない」というルールの元に動いている私にとっては、もはや八方塞がりであった。
サイトに登録した直後、まだプロフィールの設定も済んでない段階から、
こちらが一切返信しなくても、お構いなしに、まるでエロ漫画か官能小説のような本文のメールが次々に送られてくるのだ。
どうせポイントの使い道もなかったので、一回試しにメールに返信してみることにした。
すると、今度は定型文ではない、こちらのメール内容に返答する形での返事が返ってきた。
それに対して、今度はサクラであることを指摘する文面のメールを送信してみたのだが、
やはりそこは慣れたもので、サクラであることを認めることは無かった。
私は最後にプロのお仕事をねぎらう旨のメールを送信し、そっとタブを閉じた。
かなり杜撰な仕組みのように思えたが、
振り込め詐欺のように、ある一定の割合で引っかかってしまう人が存在するため、
このようなサイトも残り続けているのだろう。
ちなみに、これら中小サイトからのメールは全て、デフォルトでgmailの迷惑メールフォルダに放り込まれる。
サイトに登録する際の確認メールも迷惑メールフォルダに突っ込まれる為、
すなわち「サイトを利用しても成果を上げることができなかった人の多さ」を物語っているような気がした。
次スレ
いつも、毎年のように発表し発売される芸能人のヌードには一体どれだけの価値があるのだろう。
正直な所、旬を過ぎて当たって砕けろというには、いささか遅すぎるのではないかと感じる。
まして、若く綺麗で瑞々しい裸体なんてのは、プレイボーイなどのアダルト誌でも充分に味わえるんじゃないか。
それに印刷物の価格が年々減少しているし、また発行部数も前年比から見ても全体的に衰退気味だ。
にも拘らず、毎年のように元清純派とかアイドルだった人がヌードに挑戦し、高額のギャラを貰えている状況も異常であるし、
ただでさえ衰退気味の書籍で、それも強気で発売する意義にも疑問を感じる。
一体、30歳超えてヌードに挑戦する女性タレントの皆さんは、自分にまだ需要があるのだと何故自信を持ってしまうのだろうか。
分からない。
そもそもそのような需要は若かりし頃に存分に発揮されるものなんじゃないか。
そして若かりし頃に我が物顔で猛威を振るってきた彼女らが、旬を過ぎて肉体的にも劣化してきた段階ですらも拒否していたのに
30歳を過ぎると我を忘れたかのように、突然ヌードを発表するのである。
30歳がどのような意図を示しているのか分からないが、少なくとも自分で理解出来る程の劣化具合を顧みて、実は綺麗なままの自分を今の内に「カタチ」にしておきたいといった
心境変化が透けて見えるようである。
しかしながら、あくまで30歳を過ぎての唐突な焦りからヌード発表に至った事は明白であり、だからどうなのだ?と疑問に思う人も多いはずだろう。
それでもなお、ヌードを発表し発売する事に意義なんてあるのだろうか。
最近は若手の美麗なAV女優が増加したために、一般的にテレビドラマなどに出演する若手の美人女優が色褪せてしまっているといった逆転現象も度々見受けられるものの、
あまちゃんで一世を風靡した能年玲奈のような若手の清純派女優がぽつぽつ出てきていることも確かだ。
こういった表で活躍する女優は20代後半まで旬が続くため、基本的に旬の間にヌードに挑戦する事は滅多にない。
こうしてみると、30歳を超えてのヌード挑戦は、挑戦者にとっては最後のチャンスなのかもしれない。
なるほど、彼女らは本当はヌードになりたくないけれど、また表で活躍するために与えられたのかもしれないが、買う側はやはり劣化したそれを見る事になるだろうから、
自分は日常生活を送っているとたびたび死にたくなる。ツイッターでアニメを実況しながらその日三杯目のカップ麺を食ってるとき、記憶の底に押し込めて門外不出にしておきたいような恥ずかしい記憶が何かの拍子にふっと思い出されたとき、とてつもない失敗をやらかしたとき、何もかもうまくいかないとき。例を挙げれば数限りないが、共通しているのは大抵の場合「死にたさ」は唐突に湧き出してくるということだ。勿論ポジティブな気分でいるときに死にたくなるわけはない。何となくネガティブな気分でいて、自殺なんかとは全然関係ないこと、例えば明日までに仕上げなきゃならない課題の山や、こじれまくった人間関係の修復方法について考えているときに、突然強烈すぎるくらいの負の願望が意識に浮かび上がってくる。そして即座に消えていく。
仲間がいれば安心するってわけでもないが、この唐突な「死にたさ」の襲撃を受けたことがある人間は大勢いるようだ。インターネットによって手軽にそれを調査できる。一日ツイッターのタイムラインに張り付く根気と暇があれば、必ず一個は死にたいツイートを目にすることができるだろう。ツイッターを「死にたい」で検索すればそれこそ秒単位で発言があるのを確認可能だ。勿論ネット全体の人口に引延ばせば1割にも満たない人数だろうが、それだけ集まれば「死にたさ」の存在を証明するには充分だろう。それどころか、かつて人がここまで「死にたさ」を前面に出してきた時代があっただろうか。自分はこの現象を、即時的なメディアであるツイッターの登場によって、以前から我々の意識の流れの中に存在していた「死にたさ」が可視化されたのだ、と考える。自分にそれを検証するだけの心理分析の知識はないが、状況証拠から判断すれば「死にたさ」は普遍的に存在する、と言っていいだろう。
自分がしばしば感じる「死にたさ」とそうした普遍的な「死にたさ」が同じものだと仮定して話を進めると、この「死にたさ」は、より本来の性格に即して表現するなら、「消えたさ」になると思う。あるいは「病死したさ」。さらに言えば、それは「消えたさ」「病死したさ」であって、「自殺したさ」ではない。自分だけかもしれないけど、その言葉が与える印象は厳密なところでちょっと違っている。消えるのも病死するのも、自分の意思とは無関係に起こることだ。自分の意思で存在が消滅したり病死したりできる、というのはちょっと面白いけど起こりえない。消滅も病死も、己以外の何かの力によって命が奪われる、という性質を持つ。対して自殺には意思が必要だ。自殺したい、ってワードを言葉通りに解釈すると、その人は、消えてしまいたいという意思と、練炭やらロープやら自殺の予定地やらを準備する意思を同時に持っているということになる。その点、「死にたさ」におそらく意思は、「死んでやろう」みたいな感情はない。「消えたい」と表記する方が「死にたさ」を表すにはより的確、というか純度が高いと自分は考える。
自分にとって、これらの単語を区別しているのは積極的な意思の存在だ。「死にたさ」はあらゆる意味で受動的なものだ。消えてしまいたい。急病で突発死してえ。あくまでも消極的に、実行する意思はないままに自分の存在がこの世界から消滅することをちょっとだけ望む。「死にたさ」に意思が存在する場合、そこで初めてそれはより強く、より持続する「自殺したさ」へと変化するはずだ。「死にたさ」は思いつきのようなものに過ぎないため、意識が次の事柄に考えを集中させればすぐに消えうせる。その字面が与えるインパクトより、実際の「死にたさ」とはライトで軽微なものなのだ。
なぜ人は「死にたさ」を覚えるのか?「死にたさ」とは、存在の消滅を望む消極的で突発的な感情だとこれまで書いてきた。分析する手がかりになるのが、「死にたさ」が己の意思とは無関係に、脊髄反射的に意識に浮かび上がってくるものだということだ。ここから、「死にたさ」は思考や意識よりも、心の持つ基本的な働きに起因するのではないかという仮説を立てられる。それを明らかにするために、ここで我々がどういう時に死にたさを覚えるのか、その具体例を検証してみたいと思う。
「時間は深夜4時を既に回った。とっくに就寝しなければいけない時間は過ぎていたのに、男はキーボードを打つ手を止めることができずにいた。文章のテーマは「死にたさの分析」。男はその時間になってようやく後悔しつつあった。なぜ俺はこんな課題でもないし、お金が貰えるわけでもないものを生活リズム崩してまで書いてるのか。俺はバカか。平日だぞ。明日ちゃんと早起きしなきゃならんのよ。昨日遅刻してるからもう絶対今日は時間通り起きなきゃならないのに…後悔の言葉は空虚に響いた。もう何を言っても遅い。遅すぎる。最低でも午前二時には寝なきゃならんかったのだ。途中トイレに立ったところで止めとくべきだったのだ。バカだ俺は…物事の優先順位も分からずにクソが…。じわじわと後悔は絶望に変わってくる。いっつもこうだ…後先考えずにどうでもいいことおっぱじめて、やるべきことは放置して…あっそういえば明日までにやらなきゃいかん奴全然仕上げてねえよ…ああーもう間に合わねえかな、やる気も出ないし…ああー明日行きたくねえなあー…「死にてえ」……男にはやるべきこと、時間をそれに費やしていれば実りある成果を得られただろうことが他にいくつもあった。それらを全て無視し、「死にたさの分析」を書きあげるという選択をしたのである。無意味に。男が遅刻を避けるため、とりあえず徹夜する覚悟を固めて顔を洗ったとき、時計は5時を示していた。」
以上の挿話の流れは、おおよそ次のように分解できる。自分の責任でどうにもならないバッドな事態へ落ち込む→絶望して自分を責め始める→さらに絶望する→死にてえ…
上述したように、「死にたさ」が論理的な思考の流れとは無関係に出現していることが分かるだろう。ここで鍵となるのが、「死にたい」と感じることによって一連のネガティブな思考に決着が付いていることだ。バカだとか物事の優先順位が分からんとかいった自己の欠点をあげつらってみたり、いっつもこうだ~によって自分自身を悲観してみたりしたあげく、どうにもならない現実を確認した上での「死にたい」。確かに、「死にたい」って言葉ほどパンチ力のあるネガティブな言葉は存在しないだろうし、「死にたい」と思ってしまった時点でそれ以上に自分を責めることも、現実を悲観することもとりあえずは打ち止めになる。「死にたさ」は自己否定がそれ以上深化することを防ぐための防衛機能なのではないだろうか?
「死にたさ」が同じような働きをしている例は他にも存在する。屈辱的だったり恥ずかしかったりして思い出すのに抵抗があるような記憶が、何かの拍子にふっと思い出された時、反射的に「死にたい」と感じてしまったことはないだろうか。恐らくそれも自己防衛の機能を持った「死にたさ」だと考えられる。精神に負担がかかるような経験をし、自己の存在が揺るがされたとき、程度によりけりだが、その記憶を思い出して客観的に事実であると認識することが難しくなってしまう。記憶を事実とストレートに認めることによって、再度自分自身に精神的負担がかかってしまうことを防ぐためだ。「死にたい」と感じることが思考を打ち切る機能を持つことは既に書いた。軽度のトラウマ的な記憶を思い出してしまった場合に感じる「死にたさ」もまた、精神が自己を守るために、それ以上記憶を探らせないため意識に発した救難信号だとは考えられないだろうか。
このように考えてくると、思考を中断するために「死にたさ」を発する人間の心がなぜ「死にたさ」というものを発しなければならなかったのか、その理由をなんとか推測することができそうである。人間は生きている限り、起床時であればほとんど間断なく思考することが一応は可能である。これを逆に言えば、人間の思考が完全に中断するのは、就寝と死亡、二つの機会をおいて他にない。意識の消滅した状態を欲求するということは、とりもなおさずこのどちらかの状態を欲するということだ。就寝を欲求するのは人間の本能の部分なので、本当に眠たくて寝たい時ならともかく、精神が「眠たさ」の発信を思考を中止させるためだけに行うことは、そういうこともあるとは聞くけど、普通の状況では起こりえないだろう。本当に寝てしまって一時的に活動を停止してしまう危険があるからだ。しかし、「眠たさ」が発信されているとき、人間はまともに考えることが難しくなるということは誰もが首肯できる事実だろう。一方、意思の部分が欠けているために肉体的な死とは繋がっていない「死にたさ」は、思考を一時中断する機能を持つと同時にどれほど濫用しても対象の肉体が危険に晒されることがない。
自己を防衛するために一時的に「死にたさ」で頭を一杯にさせ、思考のそれ以上の進行を食い止めるという心の働き。所詮は仮定と推測の寄せ集めでしかないが、「死にたさ」の正体としてはこの辺りがありそうなところではないかと自分は考えている。「死にたさ」は救難信号である。それが発信されているということは、自己の精神面が危険に晒されているということを意味している。もしこうした突発的な「死にたさ」に襲われたなら、それは己を否定することをやめ、あるいは記憶を直視すまいとすることをやめて冷静に状況を判断し、それを好転させる絶好の機会といえるだろう。精神もただ苦しませるためにあなたを死にたくさせているわけではないはずなのだ。
今朝歩いてたら住宅街の細い路地でばーちゃんが道端で立ってて何かじーって見てた。
たぶん今ばーちゃんの顔は満面の笑みなんだろうなと思いながらばーちゃん、子連れの横を通り過ぎた。
方向的に子供連れはばーちゃんの方に歩いてきてたから、たぶんあのあと「あら~おはようございます~ちゃんとあいさつできるのね~えらいわね~にこにこ~」みたいな会話があったんだと思う。
ちょっとしこりを抱えたまま歩いていると今度はベビーカーを押す父親。
唐突にベビーカーの子どもが「今日はおばちゃんいなーい!」と大声で叫んだ。「そうだねーいないねー」と応じる父親。
「いつもいるおばちゃん」という存在。子どもを見るためにおばーちゃん、いやおばちゃんがぼーっと道端に立ってると思うとぞっとした。
当事者が若い男で、単純に子どもが好きとかちょっとふれあいたいレベルだったとしたら、不審者通報待ったなし案件だろう。
ジジババ、あるいはおばちゃん、女性というだけで、ロリコン(と根っこの部分では同じ感性だろ?)が許されるのはおかしい。
どこからにこにこして声をかけても許されるようになるのか。
年齢、その他条件は何なのか。
それとももうこのご時世、男だというだけで上記のようなことは許されないんだろうか。
男に生まれた時点で負けなのか?
真のロリコンは、自己満で触れ合おうとするジジババなんかよりこどもや親にとってよほど有益であることを世間はもっと理解すべきだ。
ロリコンという言葉が誤解を招くのなら、単純にこども好きと言い換えろ。
若い男「こどもがすきです」
オッサン「こどもがすきです」
おばちゃん「こどもがすきです」
おばーちゃん「こどもがすきです」
おじーちゃん「こどもがすきです」
同じことを言っているのに、この伝わってくる許されない感、倫理的にヤバイ感はなんだろう。
理不尽だ。
要するに、
キモオタ「こどもがすきです」
イケメン「こどもがすきです」
数年前から変な事に気づいた。
眼帯してる人や漫画で眼帯してるキャラみると、頻繁に心臓の下あたりがズキズキする。
フェチとかそういうのじゃない。性欲は全く感じない。性別関係ない。ちなみに性癖はドノーマルで女性に難儀したりもない。
自転車でグレーチング踏んで滑った時や、包丁落とすようなときに、アドレナリン?のせいかみぞおちあたりがズキュンってするあれ、わかります?あれになる。
東京喰種って漫画、主人公が眼帯してて、一冊読む間に数回唐突にズキズキくるから辛くて、8巻読み終わったとき変な汗いっぱい出てた。これ心臓に悪いんじゃね… 漫画はすげー面白かったけど。
理由がまったくわからないんですよ。思い出したくない過去に眼帯が関係あるとか、そういう厨二的な理由なんだろうか。単なる性癖なんだろうか。でも性欲と全く関係ない感じだし特殊な感情があるわけじゃなくてズキュンってするあれだけなんだよね。わけわからん。
周りの友人らが彼女ができたとか風俗で卒業したとか突然報告してきて、俺はいったい何をやっているんだと思うこともあるけれども、特別な焦りという焦りもなく、いくら友人が彼女をもとうと風俗にいこうと自分には何ら関係のないことなので、たいていは勝手にやってろと心の中で思うだけで平然としているが、床について夢をみると、その内容は自分がどんどんと孤独になってゆく悪夢だったために、あさ起きてから俄に孤独感が胸に迫ってくる。
いやいやいやいや、だってついこの間までお前ら俺と変わらなかったじゃん。
女はあーでこーでとか適当に妄想し合って、酒を飲みながら笑いあったあの日は、何もそんなに遠い昔のことじゃなかった。
こいつらだけはずっと俺と変わらないのだと心のどこかで無意識に深く深く信じていた。
なのに、なんだか彼らが遥か遠くの異世界へ唐突に行ってしまったような気がしてきて、彼らと一緒に過ごしたあの日々のことだけが俺の中に取り残されて、気がついたら絶望感で一杯になっていて。
結局友人ってそういうもんなのかよ。
互いの境涯とかに左右されて次第に疎遠になる場合もあると聞いていたけれども、まさか自分の方ではなくて、友人の方が変わることで彼らの方から自ずと離れていくことになろうとは全く予期していなかった。
この先、年齢を徐々に重ねていって、周りに俺の仲間なんかこれっぽちもいなくなって、ついに俺は真の孤独者となるのかもしれない。
もちろん彼女つくるだのソープにいくだの壁を破るための種々の方策は考えられるものの、自分の殻を破るリスクと孤独になるリスクとを考えたときに、自分が選んでしまうのはどうしても後者の方になる。
何故に孤独になってまで自分の殻を破りたくないのかと問われてもそれは自分でもよく分からない。変な意地でもあるのか。それとも永遠の子供でいたいのだろうか。
年間の1/3、1ヶ月間連続で貰える休暇中に船乗りがどんな生活をしているか記しておこうと思う。
その2はこちら
http://anond.hatelabo.jp/20130925032813
1ヶ月間もあるので家族サービスはし放題だ。
休暇直前になると家族持ちの船乗りはそわそわし始めて、おもちゃを買い漁る。
おもちゃをいっぱい買って帰るのが船乗りが理想とする父の姿であり、子供にあったらそのおもちゃでたくさん遊ぶのだ。
帰るとトタトタと走り寄ってくる我が子を見た瞬間疲れなんて吹き飛ぶものである。
当然、嫁へのサービスも忘れない。自分が居ない間家庭を支えてくれていたのだ。
船乗りが「日帰りにはなるが平日子供達が学校言ってる間に温泉でも行こうか」というと船乗りの嫁は流石だ。
「疲れてるでしょうから直ぐにじゃなくても良いよ」と言ってくれる。この一言で更に惚れる船乗りは多い。
疲れも吹っ飛んだのでその夜は家族を増やす営みを船乗りは頑張るのだ。
実家へ顔を出すのも忘れない。
船乗りは親の死に目に会えないと既に諦めている者が多い。そこで生きてる間は孝行しようとするのだ。
親父が好きそうな酒を入手して、お袋の手料理を肴に親父と一緒に呑むのだ。
「親父、今度の三連休にでも子供つれて皆で飯食いに行こうよ」とかそういう話をする。
たまたま休暇中に子供の参観日や運動会、文化祭が合致したら船乗りはテンション高くなるものだ。
自慢の一眼レフやビデオカメラを持ち出し1分1秒でも逃さまいと子供を撮影する。
父兄徒競走や綱引きにだって本気を出す。子供に格好悪い姿なんか見せない。
子供が幼稚園保育園くらいだとまだまだ記憶が曖昧のようで、帰るたびに船乗り父さんは忘れ去られている。
ひどい時には抱き上げるだけで泣き叫ばれ、一緒に風呂入ろうとか考えてたのにそれどころじゃなくなる。
わが子から「おじさん誰?」みたいな表情で見られるのは結構ヘコむので、船乗りの嫁は可能な限りお父さんの写真を見せたりお父さんの話をするべきである。
独身の場合は休暇中の大半は寝ているか色々なもので散財するのが基本である。
船乗りは基本的に乗船中はあまりお金を使えない。使わないのではなく物理的に使えないのだ。なのでいつの間にか通帳の金額は膨れ上がっている。
散財の仕方は様々なパターンがあるので箇条書きにしていこう。
飲み歩いたり女に貢ぐのは定番だ。何だかんだで金を持ってるとモテる。そうやって彼女を探す。
別に彼女は水商売の女じゃなくたって良い。船乗りは金のない若者も演じたりもたまにする。
様々な手法で女を試して良い女か見極める傾向があるので金だけに食いついてくると遊んでポイッである。
無駄に広いマンションに住むのも船乗りならではだ。住んだ後に「こんなに部屋必要ないな」と気付く。
しかし実家暮らしの独身船乗りも多いのでこのパターンは半々くらいだと思う。
時計はセイコー(グランドセイコー)、万年筆はセーラーというのが船乗り的にシブイしあこがれなので買う。
セイコーやセーラー買ったらロレックスとかプラチナとかも買う。
ギャンブルに突っ込む船乗りは多い。理由は世界各地どこでもギャンブルというものは存在するからだ。
日本国内であればパチンコ・パチスロになるだろう。休暇中暇なので打つ。
ただ筆者は特に理由はないけれど若い頃は競馬を勘で買うのを好んでいた。倍率が見えてるのが良かったのかの知れない。
車に金を使うのも定番だ。船乗りはスポーティーな車か、無駄にデカイ車を好む。これはバイクでも同じ。
社外パーツでシブくキメるのが定番で、いわゆるVIPカーとかそういう傾向のカスタムを好む人は少ない。
筆者はフェアレディZ33が出た時に速攻で電話して予約、現金で購入した。
大画面TVにトールボーイスピーカー、Blu-rayレコーダーと一気に揃えるのだ。
何でこういうことするかというと自分が休暇中でも地元の友達は仕事があり誰も遊んでくれないので映画とか観たりするためなのだ。
そして映画とか観ていると再生機器にこだわりが出始めて高級家電化してくる。
独身船乗りの旅行は唐突だ。フラッと繁華街へ出かける感覚で飛行機のチケットを買う。
船乗りにとって日本は(距離の感覚として)狭いので、例えば東京から沖縄は"近場"である。
実家住まいでも「ちょっと北海道行ってくるわ」と親に伝えると最初は驚いた顔をされるが親も直に慣れてくるのが面白い。
休暇が同時期にある船乗り仲間と場所を指定して集まり飲みに行くのも独特の文化といえば独特だ。
船乗りは全国に散在しており近くに住んでいる船乗り仲間が休暇とは限らない。
なので誰かが思いたち「今日の晩にでも皆で新宿行かね?」と同じく休暇の船乗り仲間へ昼くらいに電話するのだ。
船乗り仲間も距離の感覚が一般人と違うので「良いよ17時くらいに行けると思うわ」と快諾する。そして飛行機のチケットを直ぐにとり出掛ける。
ここまで遊んでいても年間を通すと月5万10万は貯金できているので意外かもしれない。
これは親が口うるさく「5万円くらいは貯金しておきなさい」と言うので定期預金とかで貯金しているためだ。
若い頃から定期で預金しているため信用が付いており家建てる時の融資もかなり通りやすかったりする。
船乗りという職業は明らかに特殊な業務である。そのため生命保険が少しだけ他の人より高い上に審査が厳しい。
何が厳しいかというと「どんな業務をしているのか?」とか書類不備で再審査が頻発することが稀にあるのだ。
これが非常に鬱陶しく、折角加入してやろうとしているのに加入する気が段々となくなってくるのだ。
同じ生命保険会社でも生保レディによって書類不備が頻発するかしないか、保険商材によって書類不備が頻発するかしないかが変わってくるので生命保険会社はもっと船乗りに優しくするべき。
社内規程とかあるのは察するが、5度6度と書類不備が起きるのは流石に堪えられなくなってくる。
船乗りが結婚相手に選ぶ基準は殆どの場合見た目は気にされない。
これは家庭を持ってもその船乗り自身が近くに居れないので、居ない間に家庭をしっかり守れる相手を選ぶからだ。
大金があるので浪費するという欲望に勝てる若い子は少ないから見た目とか気にしてられないのだ。
船乗りは若い頃に付けてしまった自分自身の浪費癖をよくわかっている。自分が家庭の財布を持つと家計が上手く行かなくなる可能性がある。
なので多くの船乗りは嫁に財布を持たせており、その嫁の金銭感覚を信じているのだ。なので見た目はどうでも良い(良ければ越したことはないけど)。
国を愛し、家族を愛し、恋人を愛し、友人を愛する。それは長い間遠くへ離れているからこそ持つ強い感情だ。
愛するからこそ船乗りは愛する者の前で格好を付けて、そんな自分自身を自慢して貰いたいと考える。
自慢の国民となり、自慢の家族となり、自慢の恋人となり、自慢の友人となりたいのだ。
だから船乗りは自身の面子を潰されたり、愛するものが傷つけられるのを非常に嫌う。
おそらくはネット上へここまで詳細に海運系船乗りのことを3ページにまとまっているものはないと思われる。筆者はもう書きたくない。
注意点としてはところどころ端折ってる部分は当然ながら存在するし、会社によって差異があるところも存在する。
可能な限り平均的な目線で書いたつもりだがおかしな点はあるだろうと思われる。それを見つけた船乗りは各自「うちの会社はこうだ」と主張していただければ幸いである。
ただ船舶が灰色だったり白くて青いラインが入ってる船舶を持ってる"会社"の船乗りたちは機密保持の兼ね合いもあるだろうから気をつけるように。言っちゃいけない部分は言ったらダメだよw
船舶という業界は非常に過酷な職場です。3Kと呼ばれる職業だし、その上に知能まで求められます。
セクハラ、パワハラなんて当たり前だし叱られて殴られることすらあります。そんな環境なのに逃げ場がありません。
しかし、だからこそ我々船乗りは高給取りであり多くの人々から尊敬され羨望の眼差しで見られます。
我々船乗りが得られる一般的な感覚からすると有利とも思われる権利は、それなりの義務を果たすことで得ているものです。
学ぶ気の無い者、本気になれない者、そして船乗りとして格好が付けられない者は業界として必要ありません。どうぞ別の業界へ行ってください。
学ぼうとし、本気になり、そして格好を付けようとする者、どうかお願いですからこちらの業界へ来てください。我々には貴君を金の卵として向かい入れる準備があります。
この記事を読み、少しでも海運へ興味を持っていただけたのなら嬉しく思います。
日本国は島国海洋国家であり海運へ強く依存せざる得ない立地条件です。
「日本国経済は海から」という言葉もあるくらい、良いにせよ悪いにせよ経済的変動の影響は海運へ先に現れると言われています。
逆に言えば日本国海運が世界海運の中で悪い立場となれば日本経済へ悪影響をもたらすとも言えます。
IT産業や宇宙産業など新たな市場は開拓されていっていますが、日本国と同じく2000年の歩みを進めた海運産業へもその視線を向けていただれば幸いです。
そして出来ることならば海洋の研究を支援するお声かけと、海運の大切さを伝える教育を実行していただければと思います。
6年前、父が脱サラしたのを機に、両親は小さな店を開いた。オープン当時、学生だった私は授業の合間をぬってアルバイトとして店を支えていたが、大学卒業後は他で正社員として就職をしたので、現在は主に週末に手伝っている状態だ。
幸い店の業績は順調に推移している。開業時の借入資金は3年目で完済し、5年目には法人成りもした。突き抜けて大きく儲けてはいないものの、近隣の同業種の店舗の中でもトップの収益を稼いでいるようだし、満足のいくレベルの収入も得ている。今の時点ではそこそこ成功している方だと思う。
「やっぱり経営の鍵は‘人’だよ。収益率がどうのこうのというのも大事だが、最後に経営の軸になってくるのはどれだけ質の高い人材を確保できるかだな」
と父は言う。
うちの店では、家族の他に常時30人ほどの従業員を雇用している。全員アルバイトで、正社員は一人もいない。余談だが、正社員を雇えるくらいには余裕が出来た2年ほど前、顧問税理士と相談の上、ずっと働いてくれているオープニングスタッフの内の一人に「うちで正社員にならないか」ともちかけたのだが、条件が折り合わず断られてしまった。なので現在、あまり焦らずに、会社としての実績を積みつつ、もう少し好条件で雇える環境を整えてから改めて正社員化への声かけを行うつもりだ。
アルバイトという雇用形態で求人をかけると、大体以下のような人が募集してくる。家計の足しに働きたい主婦、学費や小遣いの足しにしたい学生、とりあえずお金が欲しいシングルマザーやフリーター、売れない無名の芸能業界人、売れない無名の文筆業界人、不景気でダブルワークをせざるを得なくなった低収入のサラリーマン、世間に出るリハビリ代わりに仕事をしたい元ひきこもりやメンタル関連の病気を患っている人、離婚やDVから逃げてきたりなどで自立しなければならない女性など。
もちろん、アルバイトだからといって、人手が不足しているような時でも、誰でも採るというような適当な真似はしていない。不適切だ、と思った人は淡々と不採用にしている。万が一変な人を雇ってしまい店の中が混乱に陥るくらいなら、人手不足の方がマシなのだ、ということを我が家はこの7年のうちに身をもって学習した。
うちの店では毎回真剣に選考をしている。採用面接を行った日から数日間は、夕食を食べつつ、一家で履歴書を見ながらああだこうだと意見を出し合って採用するか否かを吟味する日々が続く。最終的な人事の決定権は父が握っているが、家族経営の小さな店ということもあり母や私の意見もかなり取り上げてくれるので、私自身も採用した人についてはなんとなく責任を負った気分になる。採用に賛意した身として、また一緒に働く同僚として、その人には出来るだけ長く、かつ良いパフォーマンスで働いて貰うようにしなければならない。
匿名の増田だから自慢するが、私たちは結構人を見る目があるんじゃないかと思う。現在の従業員約30名と既に辞めていった人たちを思い返してみても、とんでもなく酷い人というのはほとんどいなかったし、従業員とのトラブルや従業員同士のトラブルというのも無きに等しい。真面目で堅実でかつお金を稼ぐ必要性のある人を採る、という我が家のモットーは非常にシンプルでベーシックなものだが、やはりベーシックなものが一番大事なのだ。
「うちの店って従業員さんたちには本当に恵まれているよね。みんな優秀だし、よく働いてくれてるし、店の雰囲気もとても良いもんね。」
と母も頻繁に言う。
店で働く学生が進学や就職などでバイトを続けられなくなった時、その親から、後釜としてその子の弟妹をバイトさせてくれないかとお願いされたことが何回かあった。うちの店はきちんとした店なので未成年の子供をバイトさせていても安心なのだそうだ。従業員の家庭から健全な職場として信頼されるのは、とても嬉しい話である。
地域住民からも信頼を得ている手応えを感じている。3年前、近隣の中学校から「総合学習の時間に、こどもたちに職場体験をさせているのだが、そちらのお店で受け入れてもらえないか」という依頼を初めて受けた。以来、毎年、1年に1週間程うちの店には中学生が研修に来る。さらにその中学校からは「PTA総会に地域を代表してオブザーバーとしてゲスト参加してくれないか」という依頼を受けた。出店するまで我が家はその地域にまったく地縁が無かったのだが(自宅は店から車で1時間ほど離れた場所にある)、せっかくなので父は何回か参加させてもらった。ありがたい話である。
さて、話を元に戻す。
採用を議題に家族会議をすると、両親がどのような属性の人を好み、どのような属性の人を嫌うのかを目の当たりにすることになるのだが、それは子供としてはなかなかに不思議で複雑な体験である。我が親ながら「そりゃ偏見だろ。やっぱおっさん/おばさんだなぁ。保守的過ぎる」と文句を言いたくなったり、逆に「えっ、OKなの?案外リベラルなんだな……?」と思わぬ寛容さに面食らったりする。
例えば、父が嫌悪するのは「チャラチャラしているヤンキーとギャル男/ギャル女」だ。脱サラする前は堅めの職業に就いていた影響なのか、父はケバくてナンパな男女が大嫌いである。ガングロや顔面ピアスの人について問答無用で不採用を主張するし、金髪の人には採用の条件として頭髪の色を黒か濃い茶に戻すことを突きつける。さすがに私は「中学校の風紀係じゃあるまいし、いまどき金髪くらい許したれよ」と思うのだが、父は絶対に譲らない。ついでに、ある一定の偏差値以下の学校出身の人は、いくら面接での受け答えが明快で信用できそうであっても、落としたがる。私はこういうケースに関しては短絡的過ぎていかがなものかと思うので、毎回反対意見を言うようにしている。
母が嫌悪するのは「セックス産業にまつわる人」である。以前、面接の場での自己PRで、「私は粘り強いです。なぜなら、皆が辛くてどんどん辞めていくソープで私だけ7年間も働き続けたからです」と堂々と言い切った23歳の女性がいた。私などは16歳からソープ嬢として働いていた経験をPRに話すという所業に度肝を抜かれ絶句してしまったのだが、母は後々までも異様なまでに執拗に彼女に否定的に言及をした。不採用にしたのだから、不快ならさっさと忘れてしまえばいいのに。さらに母は、とある男性従業員が雑談の中でポロリとソープに行ったことがあると漏らしたその日の夜、夕食の場で彼のクビを真顔で主張したことがある。「女の人をお金で買う人が店の中にいるなんて気持ち悪い。売春は違法なのに。ねえクビにできない?」と。確かに売春は褒められたことじゃないがそれは潔癖すぎる、と周囲の男性陣から宥められて母は訴えを取り下げたが(現在ではほとぼりもさめたようだ)、件の男性従業員はまさか自分が影で解雇の危機にあったとは想像もしていないだろう。
では、私の嫌悪の対象とは?
たぶん4年くらい前の話だと思う。父がある日、こんなことを言い出した。
「この前○○さんが辞めたから、その空いたシフトを埋めなきゃいけない。ちょうど新しい人から面接の申込があったんだよ。ただし、今度面接に来た人は外国人なんだ。でもこの仕事の経験はあるそうだし、テキパキしてそうな人だったから雇おうと思う。まぁ、外国人といっても日本で生まれ育ってるから日本語はペラペラだった。在日なんだよ。ああ、在日って知ってる?昔、戦争があったときに朝鮮半島から来た人たちで…」
――――在日。もちろん、知っていた。それくらい知っている。説明されるまでもない。家が北陸の田舎にあり、ほとんど周囲に外国人がいない状況で生まれ育った私だったが、義務教育期間中に歴史の授業で「強制連行」や関東大震災時の虐殺、創氏改名等については習っていた。
さらに高校生のときにテレビで大々的に拉致被害者の報道をしているのも見ていたのだ。小泉首相の訪朝。平壌宣言。「8人の死亡者」。拉致の事実を北朝鮮が認めたと国内に伝わった後「まさか祖国がそんなことをするなんて……!私たちは知りませんでした!!」と大泣きしていた人達。
「世界中に言いたい、日本には来るな!」「哀れな国!」在日の東京都職員が強い声で言い放ったシーンの強烈さも覚えてる。何度もテレビでリプレイされていたから。日本には来るな!日本には来るな!哀れな国!哀れな国!
都内の大学に入ってからは在日というアイデンティティを持つ人をテレビや新聞を通してではなく直接見ることになった。「私の名前はリムです。林(はやし)とよく間違えられますが、リムです。リンでもありません」東アジア現代史を受け持つ助教授(当時はまだ准教授という言い方はしていなかった気がする)は、新入生ガイダンスの教授紹介の場面で壇上から確かそう名乗ったのだった。いつもテレビの向こうの在日の人は大声をあげていたが、この先生は静かに普通に喋っていた。
そして何より、ネットを開けば在日にまつわる言説はいつでも容易にかつ膨大に読むことができるのだし、書籍でも在日に関するものは大量に出回っているではないか。
かねてから経験者を採用したがっていた父は、おもねるような顔をして私を見た。
「国籍は韓国だけど、日本生まれで日本育ちだ。日本人と一緒だよ。なあ、だからいいでしょ?」
日本人と一緒? 本当にそうか? 違うんじゃない?そりゃ人間なんだからどこかしら似てる部分はあるだろうけど彼らは日本に在って日本人と違うところも認めろ、受け入れろ、と言いたいんじゃないの。
高校2年生くらいから大学2年くらいの間、私はあえていくつか在日の人が執筆した書籍を読んでみた。つかこうへいの『娘に語る祖国』。姜尚中の『在日』。鷺沢萠の『ケナリも花、サクラも花』。李良枝の『由熙』。イヨンスクの『「国語」という思想――近代日本の言語認識』。一番最後のイヨンスクの本は大学時代レポートを書くため参考文献として読んだだけだ(難しかったのでそれほど理解できたわけじゃないが)。だが、前者4作は私自身の興味によって自ら手にとったものだった――――書店ではなく、図書館で。なぜか、私は自分のお金でそれらの本を買って自分の部屋にそれらの本を置いておくのは、避けなければならないという気がした。
それらの本を図書館で読み進めるたび、私はいつもイライラを感じた。モヤモヤもした。言葉にしきれないなんだか澱んだものが湧いて出る気がした。リービ英雄の本を何冊か読んだことがあるが、似たようなテーマを扱っていても、在日の人が書く文章に感じる程のモヤモヤやイライラは感じなかった。なんで在日の言葉にはこんなに敏感になってしまうんだろう。
しばらく黙って父と私の顔を見比べていた母が、唐突に聞いてきた。
正直、ぎくり、とした。なんで知ってるんだ?
私は、自分が韓国や北朝鮮や在日というものに対して差別的であることを自覚している。レイシストという言葉を知ったのは中学のときだ。ゼノフォビアという言葉を知ったのは大学に入ってからだった。
そして、差別的であることはいけないことだ、という建前があることも知っている。たとえ心の中で思ったとしても口に出してはならないのだ、抑制的であるべきだ、と。
私はその規範に従順だった。今までどれほど内心はグルグルとしたものを抱えていても、人前では韓国や北朝鮮や在日というものに対して無関心を装い言及してこなかった。学校でも家庭でも職場でもネット上でも。相手から話題をふられれば、当たり障りの無い一般論を返すが、自分からはその話題は出さない。言及してしまえば、ボロが出そうだからだ。しかし、母は知っていた。いや、母だけじゃなくて父も知っていたのか。殊更無関心を装い言及しない態度が不自然で逆にあやしまれたのかもしれないが、なぜ両親が私の胸中を知っていたのかは今もって謎である。
父も母も政治への関心は薄い人だったが、だからこそなのか、あるいは何か別に理由があるのか、私には窺い知れなかったが、とにかく彼らは外国人を雇うことに躊躇するつもりはないようだった。これは私にとって驚きだった。彼らは私よりも約25~30歳ほど年老いているのである。てっきり、私よりも保守的で、私よりも頑固で、私よりも新しいものや外のものを受け入れるのに時間がかかるものだと思っていた。
「在日」「韓国」「北朝鮮」はタブーであって、もし語ってしまったら自分の人間性の醜いところを晒すことになる、という恐怖を抱え込んでいた私は、この話題について語る言葉を持たなかった。自分の言いたいことがなんだかよく分からなかった。だから私は、両親に私の気持ちがバレているのは承知の上で、それでも無関心を装い、いつも通りのあたりさわりのない言葉を吐くしかなかったのだ。
「いいんじゃないの。雇ってみれば」
つづく
家でダラダラしてて、唐突に甘いものが食べたくなったからコンビニに行ったのね
んで、コンビニで買い物して、部屋に帰ると俺は真っ先に携帯の充電器を探したの
その携帯ってのが、さっき何かしてる時に見つけた昔の携帯で、充電して中身を見たいなって思ってたやつなんだ
でも、その時は面倒でやらなかったことなんだ
それを、何故かこのタイミングで始めちゃったのよ
それで、まあここまではよくあることなんだろう
でも、俺は充電器を探しながら突然ズボンを脱いだんだ
っていうのも、部屋の中ではジーンズを履くことはなくて、大体ジャージかパンツなんだけど、この時俺は無意識のうちにズボンを脱いだんだ
その時初めて、もしかして俺はおかしいんじゃないかって気づいたわけ
これって他の人もよくあることなのかな
みんなも部屋を片付けたら風呂に入ろうって考えてる時、部屋を片付けながら無意識で服を脱ぎ始めたりするのかな
それで、今改めて自分の目の前を見て驚いたんだけど
俺は今ゲームをしながら漫画を広げて(読んだところで伏せてある)、iPadでネットを見てる
どうしたら治るんだろう
数年来の友人と連絡が取れなくなってしまった。
その気持ちのお弔い。
学生時代からの親友で、最後の1年程はなんとなく付き合っていた。そんなような雰囲気だった。
雰囲気だった、というのは別の友人にその話をすると決まって「それって付き合って言えるの?」と言われていたから。
そう言われてしまうと、なんとなく確信が持てない「お付き合い」だった。
一応正式にカップルという枠に嵌りましょうかって合意はあったんだけどね。
まあ元は友達同士で、とても気が合うと思ってちょこちょこ一緒に遊んだりしていたので、そんな合意があろうとなかろうと、その人といるのは楽しかった。
友人に疑問を投げかけられる私たちの「お付き合い」は、それはなおざりなものであった。
(脱線するが、「おざなり」と「なおざり」の用法を調べたら楽しかった。http://www.nhk.or.jp/kininaru-blog/55147.html)
真摯さや誠実さが足りなかったのだ。
自分はこうしたことが初めてで勝手がわからず、どうしても友達の枠を超えるのが恐ろしく逃げ回っていた。
相手は何人か以前に居たそうだが、どれも短期間で終わっているし今回もすぐ終わるようなことをよく言っていた。
どちらも連絡不精で、日常的な音信はない。こと相手から連絡が来たのは数回あるかどうかという程度。
お付き合いを始めてからは、一緒に遊ぶと大体試されるか別れ話になるかのどちらか、或は両方があった。
3回に一回は別れ話になっていたし、試すというと自分が被害者ぶってる大袈裟な表現だけど、要は女の子と2人で遊んだ話やどうやったら職場の子を食事に誘えるか、というような話をいつもしていた。
友達の時はそういう事を全く言わなかったので、なんだか意外で、少し悲しくて、それでも自分のせいでその人の付き合いが制限され、毎回同じ人としか遊べないのは詰まらないよなあと思うから自分を納得させて、その人が誰かと遊びに行った話を聞いていた。
その人は仕事も忙しいし、自分は月に1度遊べるから十分だ、と考えるようにしていた。
そういう話以外は、普通に友達の頃と変わらない。基本的には、楽しい。
ただ性に関する話題を振られるようになって、コメントに困ることが若干あった程度。
自分で色々理由をつけて納得していたつもりだったけれど、知らず不信感は募っていた。
私が異常に小心なせいで一切の触れ合いがなかったので、相手も不信を育てていたかもしれない。
その人が信じてほしいと言った時、信じることができなかった。
友達としては当然好きだった。
数少ない大切な友人の一人だった。
「忙しい」のも信じてた。
でも話す時間や一緒に過ごす時間を全く持てなくて、相手に対して疑心暗鬼になっていたんじゃないかと思う。
放置され関心を持たれないので、ひどく落ち込んだりいやいやそんなの忙しいから仕方がないことだと、気持ちの振幅がすさまじかった。
自分を納得させきれない・相手を信じ切れなかった私が悪かった。
そこで終わってしまった。
半年ほど距離を置いたんだか友達に戻ったんだかの後、唐突にメールで再度振られてどうでもよくなった。
相手にとってはその程度だったんだなあっていうのが、腹の底から納得いった。
不信を伝えて傷つけてしまったために、そこまで嫌われてしまったことも堪えるけれど。
虚無感とか無価値観とかものすごい無気力状態が暫く続いて動けなかった。
人に嫌われることはよくあるし気にしないけど、自分が好きな人に嫌われるのは人生で初めてだった。
今は新しい人間関係を構築中で、知らない世界がそれなりに楽しい。
新しい目標ができたし、それに向けて頑張る仲間と知り合えた。
個人的に仲良くしてくれる友達もできた。
あの人のことで泣くことはもうない。
まず驚いたのが、不在のまま放置するとどうなるか一切書かれて無いことだ。
自動受付の説明に、初期配達から三日以上は営業店で保管すると書いてあった。
三日間放置すると営業店の倉庫に放置するという脅しであろうか。
それはさすがに怖いので、自動受付を依頼するため、携帯向けの電話番号にかけた。
この電話番号も怖い。
家庭用の電話番号には、通話料無料と書いてあるのだが、携帯用の電話番号には、一切記述が無い。
番号の一部がなぜか赤くなっているのだが、何を意味してるのかは分からない。
が、その直後に1度目の失敗をする。
何をするという説明は一切なく、唐突に要求をはじめた。
いきなり送りつけられた謎の不在連絡のため、電話番号など登録した覚えがない。
なにを入力するんだと不在連絡票を見まわす。
だが、そんな時間は与えて貰っていなかったようだ。
2回目。
たぶん連絡手段等に利用する気なのだろう。という推測だ。
その推測は当たったようで、何かの確認もすることもなく、次の要求にすすんだ。
営業店や受付番号は、なんなくクリア。
長いため入力に苦労はしたが間違うことはなかった。
というところで、2回目の失敗をした。
それは「日付」だった。
この、一見すると楽生項目に惨敗した。
不在連絡票には、例も書いてあるため、余裕かと思ったがこれが罠だった。
例には
当日は「0」、5日なら「0」「5」
と、書いてあった。
そして、機械音声は
「2週間以内のの日付を2ケタで入れろ」と要求してきた。
そこで気が付く、この場合の日付は
①今日を0いう例を信じる、相対日付
②5日という例を信じる、カレンダー日付
の二つがあることを。
正解が①の相対日付だった場合、②のカレンダー日付の「1」「4」と入力した場合、
2週間後に登録することになる。これは大失敗だ。
「0」「1」
日付が確認できません。受付出来ませんでした。つーつーつー
正解は、②のカレンダー日付だったようだ。
いい加減めんどうになったので
それも失敗した。
言われるまま絵にメールアドレスを入力すると、そのアドレス宛てに新規登録用のURLが飛んできた。
見ず知らずの謎の送りものを受け取るために
担当者欄を確認すると、担当者という項目には「613」という数字が書いてあった。
指名が記入されるべき欄に見えるが、数字が3つ並んでいた。
従業員の名前を隠して、客に接するなんてふざけたことはありえないはずである。
よって、この担当者は「613」という識別番号しか持たない何かだ。
ロボットか何かなんだろう。
ああ、せめて日本語が通じるとよいなあ。
まったくもって嫌になたった。
1と2のファンから評判が悪い理由がよくわかった。
進めるのが苦痛で仕方ない。
言葉運びとか、シナリオの杜撰さとかバトルとかはマザーだけど、それ以外がマザーじゃない。
それ抜きにしても、1から思ってたけど、マザーはシナリオ構成みたいな人間を一人入れたらほんとに神ゲーだったのにとつくづく思う。
糸井重里のセンスと言葉運びはそのままで、全体的に伏線とかバランスをもっと調整する人間を入れるべきだった。
ストーリーっつーか、シナリオの脈絡がなさすぎたり唐突すぎる展開だったり、整合性がとれなかったり消化不良な点がありすぎるんだよなあ。。。
1とか2までは自由度もあってそれもマザーの醍醐味でお話を進めるのはついででも十分楽しめたけど、3だとマザーの一番の欠点であるつまらないストーリーを長々と見せられることになるから評判悪くなるのも当然だと思う。
しょっぱな1章で母親が死んじゃってふわふわオムレツ食べに帰るっていうマザーシリーズの醍醐味(だと自分では思っていた)イベントがないということに絶望したし、父親が荒れるのも不快だし(パパスを見習え。何が「つよくてやさしいたよれるおとうさん」だよ。詐欺じゃねーか)、2章で泥棒見習いのプレイヤーに対して父親からアホアホ連呼されてバカにされるのも不快だったし、結局父親から見つけてこいって言われて見つけたものが違うって言われてまたバカにされるし。いやそれストーリー上それしか取ってこれなかったのにそう言われても困る。3章でサルになっていうこと聞かなかったらすぐ電気ビリビリの罰ですっごいこき使われるのも不快だった。
4章でようやく本主人公のリュカになったけどクソ親父が自分をずっと放置してたと思うと憎しみしかない。
それでいい子に育ったとかほんとに奇跡でしかない。普通ぐれるだろ。
あー書いてたらどんどんむかついてきた。
サルも恋ザルを助ける見込みもないのに裏切って脱出しようとするし。
不可解すぎるだろ。
肝心の、どうやって助けたかってところが省略されて後でいきなり恋ザルと一緒にいるし。
潜入・助ける話とかあればまだしも。
とりあえずエンディングだけは見るけど、その前の盛大なネタバレを一度にだらだら聞かせられたのとかほんと読んでて嫌になったわ。
全部テキストで説明されるから見てるのも退屈だし、ほんと苦痛だった。
せめて一枚絵でもあれば違ったんだろうけど。
http://www.jwstudy.com/docs/study_hours_per_baptism/
誰も興味がないだろうけれども。
エホバの証人がやたら来るのは、一ヶ月にどのくらい伝道活動をしたかを報告するシステムがあるから。
日本人はこの数字上げに関して世界一熱を入れている。他国の信者が驚くくらい。
互いに愛し合うことより数字入れることの方がわかりやすいし、記録として張り合いやすいからかな。
組織は誰が何月に何時間伝道していたかという記録を過去何年分も遡って記録している。
伝道時間とは、エホバの証人じゃない人間にエホバの証人の教義を伝えるためにかけた時間を指す。
正規の伝道者になったら最低一ヶ月1時間は伝道活動を報告しないと「不活発」ということで、頭数から除外される。
どんなに熱心に聖書を読んでいようか、仲間の信者を助けるために奔走していようが、伝道してないとダメ。
「奉仕活動」と呼ばれているんだけど、地域ボランティアや被災地支援、介護なんかは含まれない。
そんなわけで現役エホバの証人として神に、そして仲間に受け入れられたかったら伝道は欠かせない。
この伝道時間というのは実質信者の格付けランキングになっていて、時間が多い人ほど重んじられる傾向にある。
伝道時間により伝道者、補助開拓者、開拓者、特別開拓者、宣教者というクラス分けがあるんだけど
海老名市にあるものみの塔聖書冊子教会日本支部、通称海老名ベテルの精鋭に選ばれた場合
何歳から何年間開拓奉仕をして来たかで、休みの日も違えば割り当てられる部屋も違う。
まず家を訪ねる場合、伝道開始した最初の家を訪ねた時間から、最後の家を訪ねた時間までを計算する。
途中道ばたで喋っていたり、移動したりする時間をどの程度記録に入れるかは個人の裁量に任される。
また手紙やメール、電話の場合は手紙を書き始めてから書き終えるまでを数える。
さて、補助開拓者から宣教者までは伝道時間のノルマがあるから1時間でも多く伝道したい。
特に月末・年度末は切羽詰まって、勢い質より量になる。
そのため伝道時間の「経費」とみなされる活動に自ずと力が入る。これを「時間を入れる」という。
遠くの家と遠くの家をピンポイントで訪ねてみたり、同僚に唐突に聖書の話をしてみたり
エホバの証人でない親族や友人知人にご機嫌伺いの手紙を書いて、最後にちょろっと聖書の言葉を書いたり
すごい人になると、一回家に帰って小一時間くつろいで、それも「休憩時間」とみなしてしまう。
そんなわけでエホバの証人は聖書の話を聞いてくれる・断らない相手にしがみつく。
聖書研究を始めた途端にいろんなエホバの証人が何かと話しかけてきたり、手紙を寄越したりするのもそのせい。
同じ相手に話しかけると「再訪問」という別枠のカウントも入り、これも熱心さの目安とされる。
もちろん出版物を提供したり、聖書研究を司会したらそれも件数でカウントされる。
こういう数字がいいメンバーは集会や大会で「模範的な伝道者」として賞賛される。
どれだけ長年熱心に仲間を支援していても、信者でない人を隣人として愛してきても
布教の成果が出て相手がエホバの証人になると、そこから数字はカウントされなくなる。
もちろん「時間が入らなくなる」ので、難癖つけて献身を渋るような本末転倒な事態も起きる。
(そして献身した後は「奉仕が忙しいから」とアフターケアをしなくなる。)
ブルックリン本部の出版部から来た人が「聖書通読をしましょう」という講演で
「日本は数字を出すのが好き。もしも聖書通読の数字を報告することになったら、年間1000時間とかすごい人が出るだろう」
と言っていたが、その通りだと思う。
日本のエホバの証人は他国と比べてとりわけ熱心に伝道活動をしているわけではない。
ただ数字を上げることへの熱中度は群を抜いている。
ちなみにどれだけ寄付したかは発表されないので、寄付への熱意はかなり低い。
施設維持費として最低いくらかかるかは明確にされており、簡単に計算できるけど、しょっちゅう赤字。
■追記■
の続き。長い。
メロディー最後集め終わったときに小さかった主人公に対して親がネスって名前にしようとか帽子かぶせてぶかぶかだけど似合ってるじゃないかみたいに話してて裏で完成した音楽が流れてるところではぐっときた。
クロノトリガーの遠い約束に似てるけど、ああいうオルゴール系→盛り上がっていくような感じのちょっとノスタルジックな感じのBGMに弱いわ。
1よりはメロディーの頭にこびりつく感はなかったかな。1のエイトメロディーズが有名すぎたってだけだと思うけど。
でも冷静に考えると敵を倒す=地球のちからをもらう=小さい時の記憶とか思い出とか自分の存在の再確認とか母親とかマジカントで自分の心の汚さがどうとかってところとつながる意味とか必要性が正直よくわからんかった。
1と違ってメロディーを歌ってギーグ倒すってわけでもなくなったし。
プレイヤーの祈りっていうメタネタは、あーコンシューマってマザーからこんなことやってたんだなって思った。
エンディングの名前が出る演出は正直2回めだから冷めた目で見てたけど、最後にこっちに向けてシャッターを切ったところは不意打ちで不覚にもちょっと感動してしまった。
あそこでネスも後ろ向いてプレイヤーとツーショットとったってことを意識させてたらもっとよかったと思うけど。
たこはいいとして、こけしって海外版だと何になってるんだろうと気になって調べたら、たこ→鉛筆、こけし→消しゴムになってるらしい。後者はEraser Eraserというシャレにもなってるらしい。ふーん。
細かいとこだけど、ジェフの戦闘メニューの「うつ」っていうのがクスリかよwwと思ってちょっとおもしろかった。世界観が世界観だけに、クスリでパワーアップってのはとてもお子様向けじゃないなーとか。
んー。あと最後ロボットにならないと過去に戻れないって設定・演出は必要だったのか?
覚悟みたいなものを強調するにしてもちょっと超展開すぎるとおもったんだけど。
結局苦労せずに戻れちゃうし。
そのまま戻れずに星空に浮かぶネスたちの顔でENDとかならまだ意味もあるけども。
過去から攻撃を仕掛けてきてるとかマジイミフなんだけど。未来にいるんじゃねーのかよ。未来からちょっかいだしてきてたのになぜ急に過去?
その割に強い。4回くらい全滅した。
いや、第3形態になってからネスとポーラばっかり即死させられたり残りのジェフとプーも麻痺にさせられたりしたらそりゃ無理ですよ。
ポーキーは嫌がらせばっかりするけどてっきり途中で仲間になるんだと思ってたら結局最後までおじゃまキャラでラスボス化っていうのは想像してなかった。
むしろギーグがかわいそうにすら感じた。
あとプー空気。4人めとして追加する必要性を感じられなかったキャラナンバーワン。
1と同じく女の子キャラと貧弱メガネキャラだけでよかったじゃん。
トンズラブラザーズがいちばんすき。
女の子キャラのテレパシーでの語りかけっていうストーリー上で演出が入ったのはよかった。
1だと唐突に「夢であなたがくるのはわかっていました」みたいな悟りきったこと言われて置いてけぼり感満載だったから。
「あなたがくるであろうことを、この私はあらかじめ予測していました」ってヒトクイマジカルの木ケ峰約かよ(西尾維新の戯言シリーズ知らない人すみません)。
木のシミだと思ってたら顔だったってのをリアルにやられてたことに気づいてぞっとしたよ。
あとあんまり大きな声で言えないけど、ラスボスのフィールド上でぐねぐね動いてるやつ、腸を歩いていって辿り着いた最後の場所の真ん中。
あれ、ぶっちゃけ女陰だよね。パクパク動いてるし。マザーだからってことだとしても生々しすぎないか? 考えすぎ? うわグロ・・・とおもったんだけど。俺だけですかね。
消化不良も甚だしすぎるだろ。後味悪すぎ。クソみてえな手紙を最後のエンディングで見せられるしさー。
3が評判悪いのは2-2を期待してたファンから評判悪かったからってのをどっかで見たけど、それってつまりポーキーの後味の悪さがそのまま放置されたってこと?
それともポーキーは出てくるけど後味が悪かったってだけ?
年内は、あと6個くらいチケットとれてて
限定グッズも欲しい。
が、そんな予定を全てキャンセルせざる得ない状況になってしまった。
なんだか体調がおかしいと数日前から思っていて、昨日決定打が出たので
今週中に色々動かねばーという状態に。
最近、アニメをみるのも好きな声優の声を聞くためだったりしたので
イベント行けないなーってなったこの瞬間に
情熱が全て消えた気がする。
気付いたのが、オタク趣味が趣味トモダチを繋ぐだけのツール化していたのかもしれないってこと。
オタクというファッションを纏って、トモダチトと共通の話題で盛り上がる。
なんだか、小学校のころにグループに入るために頑張っていた自分と重なった。
Twitterはなんだか、ずっとお祭りのようになんかすごい情熱で
隣の家は遠い親戚だが、昔から隣家であった。
隣の家は経済的に危機に陥いり、土地を差し押さえになりそうになったので、
うちの先祖が買い取り、そのまま住めるようにしてやり、生活の援助もした。
しばらくはひとつの家族のように過ごしていたが、うちが町内会長たちともめて危機に陥った。
そうすると隣の家は急にうちを罵倒しはじめ、買い取った土地はだまし取られたと主張しはじめた。
隣の家の人の主張は嘘だらけだったが、町内会長の薦めに従って、 土地を譲り渡した。
それから間もなくして隣の家は家族間で争いを起こして土地を二分してしまった。
その後隣の家人たちがうちの庭を勝手にうろうろするようになった。
うちの家族でも対応をどうするか会議を開いたが、ことを荒立てるのはよくないので、様子を見よう、あまりに図々しいときは会話して控えてもらうことにしようということになった。
それからしばらくしたあと突然隣の家と接する部分に小屋を建てた。
家の家族は土地を合わせる前の地図を見せて説明したが、まるで聞き入れず、 さっき思いついて書いた落書きのような地図を見せて「これが先祖伝来の地図である」と主張してきた。
あまりにも子供じみたやり方にうちの家族たちの大半はさすがに怒ったが、
それでも事を荒立てるのはよくないということで警戒しても争いごとにはしないようにしようということになった。
その一方で少数ながらこっちの家族の方が悪いんじゃないか、あの程度の土地くらいあげてしまえという者も現れるようになり一家の方針が煮え切らないものになる一因となった。
その後、小屋の一件を見たうちと土地を接する土地持ちの一家が、自分たちの土地と接する部分は自分の土地であると主張しはじめた。 さすがにあんまりだということで、自主的な見回りとセコムの強化をおこなったら、隣家と土地持ちはなぜか怒り出して、うちの悪口を町中に言いふらし続けている。
より警備を厳重にしようという者
町内会長に丸投げしようという者
とりあえず訴えようぜという者
警備を厳重にするなんて、そんなに喧嘩がしたいのかという者
隣家の方達に昔ご迷惑をおかけしたんだから、欲しい土地はあげちゃってもいいんじゃないかという者
その他上記の意見をミックスしたような者もあるが結論は出ていない。
今後どうなるかはまるでわからない。
※行方不明の子どもの話しはご指摘通り唐突すぎるので削除しました。
話しが下手なのは文才がないせいです。ごめんなさい。
ちょっといいなと思ってた女なんだけど、内面がクソすぎて萎えた話。
まず食事代は絶対払わない。しね。
俺一人で住んでるマンションに泊まりにきたくせにヤラせねー。しね。
重い荷物を持たせる。しね。
こっちが一生懸命楽しくさせようと話してんのに愛想笑いもしねー。しね。
貸した金を返さねー。しね。
挙句、返してって言ったら はーい。の一言で終わり。謝罪なし。しね。
独りでご飯食べてんだけど来ない?って言われて行ったら全額俺に支払わせる。しね。
いきなり電話で 迎えにきて。今、駅に到着したから。だって。いきなりでしかも唐突に迎えに来いって。しね。
駅から家まで一緒に帰ろって言われて、俺は遠回りなのに付き合ってやった。
それなのに家に到着した途端、会話もまだ途中なのにイキナリじゃーねーって。勝手すぎんだろ。しね。
俺が善意で貸してやったものを返さない。おそらく借りたことすら忘れてる。しね。
ウゼーと思ったから金ないよって言ったら、案の定返信なし。しね。
一発ヤラせろやー!