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2019-09-24

生きるべきか死ぬべきか、それが問題

アラフィフ、既婚、子なし、両親健在。

うつ病20年。

数年前に退職して無職

障害年金2級。

妻は結婚してから統合失調症発症義母統失だったが知らなかった。

投薬治療普段病気に悩まされない生活をしている。

今年の春、うつが重くなり自殺願望が出てきて、しばらく私だけ実家の世話になることにした。

うつが重くなった理由は、妻が自分の好きなことに夢中で、私と向き合うことがほとんどなく、私の孤独感が強くなったからだと思う。

妻とは定期的に連絡を取っていたが、夏になって言動おかしいことに気づき、妻にもしばらく実家養生してもらうことにした。

連絡を取るときはいつも私からで、妻から連絡が来ることはなく、返信も来なくなった。私と連絡を取ると体調が悪くなるらしい。

私の実家の居心地は十分いいとは言えない。

母はある程度病気のことを理解してくれているが、80才の父は頭が固くなっていて精神疾患にあまり理解がない。

独身の妹がいるのだが、指定難病を抱えていて、投薬治療副作用が体中に出ており、常に痛みを感じていて、なんとか仕事を続けている状態だ。

そのため家にいるときは常に不機嫌である

私のうつ病は、今年になって双極性障害であることが分かった。

躁状態とき多幸感に包まれていて、実家に戻ることによってうつが治ったもの勘違いしていたが、秋になってうつ状態に戻り、躁が高かった分落ち込みが激しい。

個人資産2000万弱。

これの取り崩しと境涯年金生活しているが、働きもせず、ストレスもない現在立場は、羨ましく思う人も少なくないと思う。

行きたいところにはだいたい行ったし、やりたいこともだいたいやった。

もう死んでもいいかなと思っている。

私は人付き合いが嫌いなくせに、さみしがり屋という面倒な人間だ。

自殺しないとしたら、今後どのような生き方があるだろうか?

自殺は首つり、飛び降り、頸動脈切断を中心に考えていたが、やはり首つりが妥当という結論に至った。

迷うのは、少ない遺産家族に残すのか、使いきってしまうのかだ。

今の状態なら妻には相続したくなく、そのためには離婚必要だが困難だと思う。

老い先短いとはいえ世界中で私のことを思ってくれるのは実母しかいない。

実家で暮らすまでは難病を抱えている妹に残したいと思っていたが、今はあまりそうお思わなくなった。

まとめると、

・生きるとしたらどう生きていくべきか?

遺産を使い切って死ぬべきか、誰かに残すべきか?

この2点だと思う。

諸兄のご意見を伺いたい。

2018-06-12

anond:20180612014743

魂が宇宙に溶け込んでだな、また生まれ変わってくるんやで。自分の死んだときの〝境涯〟にふさわしい場所に。「無」なんて言っている奴は、厚みのない薄っぺら人生になるから注意やで

2017-09-17

学会員だけど今回の選挙やりたくない

理由簡単スパンが短すぎる。

都議選7月に行われてその後ゆっくり休めたと思ったら来月にまた選挙がある。正直勘弁して欲しい。

学会員選挙に力を入れるのは単純な話、自分のやっている事を他人に話していけば自分境涯が開けていくと確信しているからだ。情けは人の為ならずを地でいくパターンである

そういう訳で選挙になるととにかく周りが慌ただしくなるのであるメディア解散総選挙をやれって言ったような気がして気に食わないけど仕方ない。

2016-04-28

俺は繊細過ぎなんだろうか

フィクションで、製作者が見て欲しいとこじゃないであろうとこが引っ掛かってイライラしたり悲しくなったりすることが増えた


例えばちょっと前のアニメグレンラガンだけど

グレン団の奴等が宇宙で一人一人見せ場っぽく死んでいくのがまるで無感動で困った

だってあいつらみんな雑な造型で頭悪いうえに嫌な奴等じゃん

平和時代馬鹿みたいなことばっかり言ってちゃんと働くでも大人しくするでもなくロシウに迷惑かけながらギャーギャーダラダラと過ごしてて

あいつらのいいとこも個性も見せられた覚えがない量産型の雑な馬鹿なのだ


いや根本的にあいつ等が嫌いになった理由

あいつらは常にカミナ・シモン兄弟腰巾着しかなく

兄弟が有利になれば意気上がり不利になればパニック起こして兄弟を責め始めるような雑魚どもだったからだ

類型的な馬鹿描写であって製作者に深い意図はなかったと思うけど真面目に受け取るとあいつら嫌いだとしか思えない


何より酷いのがカミナが死んだあと役立たずになったシモンが残ったら

すぐに態度を変えてシモン冷遇するようになり寄る辺を失った自分達の境涯を嘆いて不平を鳴らしだして

あんなのどう考えても「仲間」じゃないし「同志」ですらない

立ち直った大将シモンから使い捨てコマ」扱いされてもしょうがないブタどもなのだ


製作者はそう捉えて欲しいわけじゃなくて

あくまで「シモン逆境」を構成するパーツ程度の気持ちしかなかったと思うけど

そのパーツの所業をずっと覚えていてイライラしてしまうし

最後大事な仲間のような顔で散っていくシーンでまだそのことを覚えていて

「こいつらが死んだからなんだよあほらしい」と思ってしまうのだ

俺はやっぱ女々しい(おっと性差別用語だ)のだろうか


あと一番気になったのがヨーコの件で

カミナに死なれたあと恋人(カミナ自身)と同時に「一味の統領の恋人という地位」も失い

精神的にも立場的にも不安定になったヨーコに対して突然ネチネチといじめ始めるのもグレン団だった

新加入のニアと比べながらいちいち意地悪なことを言っていびってて

ほんとになんなんだこいつらはと気分が悪くてしかたがなかった


製作者が悪役として設定してるキャラにムカつくなら正常なんだろうが

そうじゃないところでシリアスな苛立ちや嫌悪感を持つことが多い

2013-10-07

果てしなくつづく孤独

周りの友人らが彼女ができたとか風俗卒業したとか突然報告してきて、俺はいったい何をやっているんだと思うこともあるけれども、特別な焦りという焦りもなく、いくら友人が彼女をもとうと風俗にいこうと自分には何ら関係のないことなので、たいていは勝手にやってろと心の中で思うだけで平然としているが、床について夢をみると、その内容は自分がどんどんと孤独になってゆく悪夢だったために、あさ起きてから俄に孤独感が胸に迫ってくる。


いやいやいやいや、だってついこの間までお前ら俺と変わらなかったじゃん。

女はあーでこーでとか適当妄想し合って、酒を飲みながら笑いあったあの日は、何もそんなに遠い昔のことじゃなかった。

こいつらだけはずっと俺と変わらないのだと心のどこかで無意識に深く深く信じていた。

なのに、なんだか彼らが遥か遠くの異世界唐突に行ってしまったような気がしてきて、彼らと一緒に過ごしたあの日々のことだけが俺の中に取り残されて、気がついたら絶望感で一杯になっていて。


結局友人ってそういうもんなのかよ。

互いの境涯とかに左右されて次第に疎遠になる場合もあると聞いていたけれども、まさか自分の方ではなくて、友人の方が変わることで彼らの方から自ずと離れていくことになろうとは全く予期していなかった。

この先、年齢を徐々に重ねていって、周りに俺の仲間なんかこれっぽちもいなくなって、ついに俺は真の孤独者となるのかもしれない。

もちろん彼女つくるだのソープにいくだの壁を破るための種々の方策は考えられるものの、自分の殻を破るリスク孤独になるリスクとを考えたときに、自分が選んでしまうのはどうしても後者の方になる。

何故に孤独になってまで自分の殻を破りたくないのかと問われてもそれは自分でもよく分からない。変な意地でもあるのか。それとも永遠の子供でいたいのだろうか。

周囲の人間をいよいよ疎んじるようになって、俺は果てしなくつづく孤独道を延々と突き進んでゆくことになりそうだ。

2013-08-17

琉球民族独立総合研究学会について

琉球独立に潜む罠 ㊦ 兼次 映利加 - 八重山地方情報発信 八重山日報公式ホームページ

http://www.yaeyama-nippo.com/2013/08/15/%E7%90%89%E7%90%83%E7%8B%AC%E7%AB%8B%E3%81%AB%E6%BD%9C%E3%82%80%E7%BD%A0-%E5%85%BC%E6%AC%A1-%E6%98%A0%E5%88%A9%E5%8A%A0/

http://www.yaeyama-nippo.com/2013/08/14/%E7%90%89%E7%90%83%E7%8B%AC%E7%AB%8B%E3%81%AB%E6%BD%9C%E3%82%80%E7%BD%A0-%E5%85%BC%E6%AC%A1-%E6%98%A0%E5%88%A9%E5%8A%A0/

この琉球民族独立総合研究学会の「日米によって奴隷境涯に追い込まれた琉球民族は自らの国を創ることで、人間としての尊厳、島や海や空、子孫、先祖の魂(まぶい)を守らなければならない」って、丸っきりネトウヨ妄想じみた民族主義日本中韓によって貶められている。今こそ、真の独立国となるべき)と同じだけど、どうして日本左翼は、彼らを攻撃しないのだろう?

2012-12-31

日常底」について

こんにちは。前の記事(http://anond.hatelabo.jp/20120720212651)に、エピクテートスの「日常底」について「あとで調べる」と書き、あとから少し調べたのに、そのまま忘れてたので、結果を報告します。

  • 仏教学関連の論文で「日常底」という語が用いられている例がある。

仏祖の言をこのように考え来り、その言葉の内奥に潜む仏祖のこころ(語り手と聞き手という二重の意味で)こそが第一義であるとするとき、いま一つの問題が残ることになる。それは、日常底の人間が未だ仏祖ではないということである。(岡島秀隆「禅仏教言語観」、『禅研究所紀要』第21号、愛知学院大学研究所1992年、108頁)

日常底の宗教とは、先の臨済の四料簡での四つの境涯に愛(アガペー)や慈悲の裏打ちをして各個が生き得るような宗教である。(花岡永子「仏教キリスト教との出会い: 根源的いのち経験から」、『宗教研究』77巻2号、日本宗教学会2003年、219頁)

即心即仏、非心非仏、不是物とか、その他、ふつう理解できないような数多くの言葉が、禅匠たちによっていわれて来た。それはわからないといえばわからないけれども、それほど明らかなものもないわけで、それは眼の前にはね返っているもの、それなくそれを離れては、日常の行動、人との対話、仕事実験無神論者唯物論者の論争さえもできないような、根本的なものなのである。そういった日常のものではあるが、それに気づいているか、ということになれば問題である。(鹿野治助「禅と倫理」、『講座 禅 第2巻 禅の実践筑摩書房1967年、185-186頁)

さて、しかしだからと言って、私には「日常底」という語の意味は分かりません。ご存知の方いましたら教えてください。以上、報告おわり。

 
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