2023-08-06

時をかける少女』を観て号泣した。

この時期になると、観たくなる映画がある。

それがアニメ版時をかける少女』。

劇場公開時、俺はちょうど大学生だった。

特に夢も希望もなく、ただ時間けが有り余っていた大学時代

俺はこの映画が好きで、何度も何度も劇場へと足を運んだ。

映画には普通に感動したし、最後の余韻にいつもジーンと来ていた。

その余韻が何なのか、意味もわからないまま。

ただ、泣くことはなかった。

感動はしたけれど、それは乾いた感動で、自然と涙があふれるようなことはなかった。

映画の影響で、夏休みには友人とよくキャッチボールをした。

炎天下の中、「あっちぃなぁ」なんて言いながら意味もなくキャッチボールをして、そのあと飲みに行ったりもして。

惰性に大学時代を過ごして、大人になって、それでもやりたいことは特に見つからなくて、なんとなくで入れた会社に入って今まで一応続いている。

やりがいがないといえば噓になるし、今の仕事を心底愛しているといっても噓になる。

所詮は、代替が効く仕事なのだから

今夏、なんとなくこの映画の事を思い出して数年ぶりに観た。

泣いた。

号泣した。

それはきっと、青春の眩しさに目が眩んだせいなんかじゃない。

彼ら、真琴や千昭や功介が、ちゃんと生きていたからなんだ。

平々凡々と夏休みを過ごしながら、それでも悶々としていて、ずっと悩んでいた。

疑問を持ち続けていた。

これでいいのか?って問い続けていた。

これなんだと、思う。

俺は大人になって、つまらない人間になってしまった。

原因は、悩むのをやめてしまたからなんだと思う。

仕事でも現状で満足して、ステップアップしようともしない。

自ら進んで悩みを生み出すようなことを選ぶのは馬鹿らしいとさえ思っていた。

疑問を持とうとしもしない。

「〇〇でいいじゃん」って、既存解決案で納得して、満足して、それ以上は考えようともしない。

もし青春が悩むことになるのなら、俺は青春卒業したのではなく、青春を捨てたのかもしれない。

俺は今になって『時をかける少女』を観て泣いた。

号泣した。

わんわん泣いた。

俺はあの頃と比べて、本当に成長できているのだろうか?

未来で待ってる」千昭のもとに、俺は少しでも近づくことが出来たのだろうか?

からない。

でも、分かったことが一つだけある。

この映画の余韻が何なのか、その意味ちょっとだけ分かった気がするんだ。

  • 知世ちゃんの話かと思ったら違った

  • 30代後半にして完全にこじらせてる増田くん!一緒にタイムリープしてクソみたいな日常から抜け出そうや!

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