「フレーミング」を含む日記 RSS

はてなキーワード: フレーミングとは

2023-10-25

Constructivismにおける価値観とはなんぞや

国際関係分析にはRealism(武力が近いとケンカしない),Liberalism(経済関係が密だとケンカしない),Constructivism(価値観が同じだとケンカしない)という3つのツールを用いるのが一般的だけど、今のイスラエル民族主義国家であってアラブ系国民ユダヤ系国民と同等の地位を認めず自由民主主義国家ではないので、Constructivism的には本来自由民主主義国家標榜する西側諸国とは対立するはず。

2023年司法制度改革三権分立放棄したあたりも、普通に考えると西側価値観とは相容れない。

(ただまぁ、そもそも東側国家だって自国民平等と考えている(故に同化政策によって少数者を弾圧する)のだから、「西側=自由民主主義国家」というフレーミング西側による自己正当化に過ぎないのかもしれないが。)

西側諸国イスラエル擁護するのは、西側の敵であるイスラム国家の敵だからである(Realism的な説明)とか、ユダヤ資本イスラエル企業との経済的関わりが深いかである(Liberalism的な説明)とかい説明はできるのだけど、Constructivism的な説明はいまいち容易でない。

イスラエル民族主義的かつ非立憲主義かつ非自由民主主義国家であり西側価値観とは相容れないが、カネと軍事的都合で支持している」という説明になるのならしっくり来るのだけど、どうも西側世論を見る限りそうではなく、イスラエル道義的に善であり正義であり西側価値観を共有しているから支持してるという感じの反応が多く、その場合の共有されている価値観というのは果たしてなのだろうか。

2023-05-15

anond:20230515095955

交渉とか説得とかいフレーミングで考えるのが、間違いなんだよ。

可能妥協点を見出す、とか、共通利益を見つける、とかじゃないの。

「本当は嫌だけど仕方ないな♡」という気分にさせるの。

 

具体的なことで言えば、世の中のパートナー同士がしばしば、何か一方の要求を通すことと「バーター」でプレゼントを買ってあげたりするじゃん?

あれを「バーター」と考えるのは、元増田や俺のような価値観人間

実際には、プレゼントによって愛情を高めることで、「本当は嫌だけど仕方ないな♡」という、相手わがままを聞くことが喜びになる状態にしているわけ。

そうすると、プレゼントわがままの両方で相手愛情度が上がるようになるの。

わけわからんだろ?

でも、そういう人間は、世の中にたくさんいるのよ。

逆に言えば、それが通じない交渉と説得でしか動かせない相手となんて、一蓮托生の家庭を死ぬまで続けていけないよ。

2022-11-17

草津町の一件は、性被害告発本質的に抱える課題を表面化させた

https://anond.hatelabo.jp/20221117054344

この件で北村氏が本質的には謝っていないという話はまあそうだと思うのよ。北村氏に限らず、本件で謝らない(謝れない)フェミニストがいるのもそう。

なぜかというと、「①性被害告発基本的証拠がない状態でなされる」うえ、「②告発を疑うことは、告発が本当だった場合セカンドレイプにつながる」。

から、「③性被害告発は疑うことができない/疑うべきではない」し、「④嘘の性被害による偽の告発を初手で弾けない」んだよ。

もっと言えば、性被害密室で行われる事が多く、証拠が少なくなりがちであるから告発の論拠が被害者の証言によるところが大きく、そのことが被害者にとって大きな負担であるから歴史的泣き寝入りさせられがち。その為、そのような状況を改善するために、「⑤性被害告発がしやすい状況が作られるべき」。

から、④と⑤が組み合わさって「⑥性被害告発が嘘である可能性が高まった場合でも、性被害告発がしにくくなるので「謝罪」ができない」。

今起きてるのはこういうことだと解釈している。

そういう話をすると、「だから被害告発に乗っかるフェミニストは駄目なんだ」という話になるんだけれど、個人的にはしゃあないのかなと思ってる。たとえば、山口敬之氏や園子温氏みたいな「告発された側の対応がひどく、外から見てこいつは黒」とそこそこの強度で告発を信用できる例なんかは、やっぱり告発の味方をすべきだろうし。それができるようになったのはフェミニズムのいいところだとは思ってるので。

ただ、山口氏の「運転手ホテルスタッフ証言警察逮捕状発行してる」とか、園氏の「同様の告発複数人から出ている」みたいなのは、外からみても「こらあかんやろ」って判断できる案件だったわけじゃん。それくらいなら告発に乗っかっても違和感ないのよ。でも全部が全部そうじゃないわけで、今回みたいな一件があると、フェミニストじゃない人間は基本乗っかるべきでないと思っちゃうんだよ。なぜなら、そもそも被害告発って「告発を信用したら、えん罪に荷担するリスクを追う」し、「告発を疑ったら、セカンドレイプに荷担するリスクを追う」んだよ。どっちを支持してもえん罪かセカンドレイプリスク追うのって結構厳しいぜ? フェミニストの人からしたら日和見主義って言われるんだろうけど、こんなん静観一択でしょ。

フェミニスト被害者のエンパワーメントの為にえん罪のリスクを追う選択してると解釈してるが、やっぱり草津町の一件はウカツだったと思うよ。もうちょいえん罪リスクについて敏感になろうよ。

元の話題に戻るが、だから北村氏が謝罪しないのは別に一貫してるのよ。ここで謝罪しているのは「フィクションに引きつけて現実出来事フレーミング批判安直に乗っかったうかつさ」であって、「性被害告発の味方をしたこと」は謝罪できないってことなのだと思うから。いや流石に好意的解釈しすぎかもしれないが、自分は誰に対しても可能な限り善意を読み取っておきたい方なので。

なお、本増田は現段階においても結局ことの真偽は判断がつかないので、判断保留です。正直「草津町の性被害は嘘だった」という前提で話を進めるのもかなり危ない。司法に任せとけばいいでしょ。

2022-08-03

anond:20220803111914

フレーミングは推奨されなくなりました

サッカーシミュレーション野球の何かを比較するならばデッドボールな投球を躱すふりして当たるですね

よくあるのがユニフォームを着崩してダブついたユニフォームボールを当ててデッドボール判定を貰うというお行儀の良くないテクニック

これに比べればフレーミングなんて正々堂々たるテクニックとすら言えます

フレーミングサッカーで言えば相手の手を狙ってボールを蹴るとかそういうちょっと卑怯じゃね?という類のテクニックです

anond:20220803111914

スポーツ興行であるという観点からするとシミュレーションには「みっともない」というフレーミングとの大きな違いがあるよね

スポーツ選手の華麗なパフォーマンスを見に行って成人男性ちょっと接触で痛い痛いと大袈裟に暴れまわった後でけろっとした顔でプレーに戻る姿は見たくないよね

anond:20220803110654

野球だとフレーミングストライクゾーンから外れた球をキャッチングした瞬間にミットを動かすなどしてストライクゾーン内で受けたように見せかける技術)なんかサッカーシミュレーションとどう違うねんと思うけどな

多かれ少なかれどんなスポーツにもあることなんだよな

2022-03-09

anond:20220309101743

病院勤務医の過労問題に由来する入試差別女性差別問題としてのみフレーミングされたり??

過労問題入試差別の原因だなんて、増田の決めつけ。因果関係証明されていない。

しろ差別が先にあり、後付けで理由として差別擁護する側が出して来た理由

事実として判明している入試差別だけ中心に報道したり議論するのは当たり前。

anond:20220309101743

病院勤務医の過労問題に由来する入試差別女性差別問題としてのみフレーミングされたり??

過労問題入試差別の原因だなんて、増田の決めつけ。因果関係証明されていない。

しろ差別が先にあり、後付けで理由として差別擁護する側が出して来た理由

事実として判明している入試差別だけ中心に報道したり議論するのは当たり前。

ジェンダー論や世代対立論にうんざり

新聞テレビそうだけど、Twitterはてブをみていると「男/女」と「世代」ばかりで社会問題を語りすぎ。

社会問題で切り取るべき線は、「学歴」「所得階層」「職業」「都会/地方」など様々あるのに、みんな男女と世代対立還元されてしまう。

貧困労働問題として語るべき問題が、女性差別(あるいは男性への「逆差別」)にされたりしている。典型的なのは病院勤務医の過労問題に由来する入試差別女性差別問題としてのみフレーミングされたり、高齢者データ上は貧困率が非常に高い年齢層なのに、「高齢世代は得をしている」という言説ばかりが強いことなど。「シルバーデモクラシー」とか言うけど、この10年は年金減らされているんですけど。

なんで日本人ジェンダー論や世代対立論がこんなに好きなのか。いい加減にしたほうがいいと思う。

追記

うわ、すごいブコメがついている・・・

断っておくと、ジェンダー差別世代対立はどうでもいいという話ではなく、それそれで大事解決すべき問題。避けなければいけないのは、ジェンダー差別ジェンダーの枠組みだけで論じたり、世代格差世代という枠組みだけで論じたりすること。事実罰則付きの男女雇用機会均等法20年以上前にできたけど、長時間労働や安定雇用の減少という問題を完全に無視して進めたため、かえってジェンダー格差が広がってしまった。事実ネットフェミニスト労働問題貧困問題にあまり関心がない。

あの問題にしても、オープンレター側はジェンダー差別意識や「女性差別を娯楽にしている」という単純な差別意識の問題として片付けたいようだが、「まだテニュアを得られてない身分不安定男性研究者が、テニュア大学教員女性というだけで被害感情を全面に出すことのできることへのモヤモヤ感」を「差別意識」の一言で切り捨てるのは違うだろうと思う。

2022-01-29

ヒトラーに例える論証に機械的にゴドウィンの法則を以て論難する不毛

――ヒトラー金融緩和を行っていた。金融緩和を行う日銀ナチスと同じだ。

――男女平等共産主義者が言い始めた。男女平等を掲げる政治家共産主義者だ。

――戦中日本は優良多子家庭を奨励していた。少子化対策戦時体制回帰している徴だ。

 これらが全体的に例証として荒唐無稽なのは言うまでもないでしょう。これは特定の主張と同じ主張をしている別のグループを持ってきて「お前は〇〇だ」と対人論証を行うもので、「連座誤謬」や「関連付けの誤謬」と呼ばれています。その中でも国際的にも有無を言わさず巨悪とされるナチスは何かを批判する際に引き合いに出されることが多く、些末な共通点だけで同一視するような詭弁蔓延ったため特にヒトラーに例える論証」と特別名前がついているわけです。本来ヒトラーに例える論証とはそういうものでした。なおこれは論証として不成立であることを批判するもので、侮辱か否かとは少しまた別のレイヤー議論であることを留意しなければなりません。

 そしてヒトラーが持ち出されることが多いのを皮肉ったのが「ゴドウィンの法則」です。議論中にこうなったら大抵建設的でないレッテル貼りになりがちですよね。

 しかしつくづく思うのですが、ナチス関連の例えを出した時に”機械的”にゴドウィンの法則を持ち出して論難し始めるのはどうなんでしょうか。元来、「誤謬」に名前を付け「法則」という諧謔を作ったのは非論理的議論を排し建設的な議論を行うための道しるべを示すためではないのでしょうか。相手の失点を指摘することで点数を稼ぐゲームを行うためのルールなのであれば私の不見識ですが、そういうものではないですよね?現代人が好きな”建設的”な議論をしたいのであれば、紋切り型に言うのではなく相手の論証が不十分である根拠を滔々と説く必要があります。そうすると必然的根拠を示すだけで議論は成立するので特段誤謬法則名前を持ち出す必要も無いものです。

 そもそものところ、ヒトラーを出した即ち誤謬詭弁とするのはあまり乱暴ではないでしょうか。いや菅直人元首相の発言連座誤謬に該当しないと言うつもりはありません。連座誤謬だと言い切れる自信も自分にはありませんが…。例えばナチスが抱えていた論理的誤謬と同じ誤謬を抱えていると指摘しそれが危険帰結を導出しかねないと論証できれば連座誤謬とまでは言えないのではないですか。話を変えて最初に挙げた例に移れば、少子化政策として子供が多い家庭を表彰するという話が出たら戦中の優良多子家庭表彰政策を持ち出し問題点を指摘する程度であれば連座誤謬とは言えないでしょう。もしくは少子化対策に前のめりになるあまり子供が多い家庭を理想モデルにすることの危険性に注意を促す程度に留まれ個人的には問題無いようにも思います

 こうした区別判断は「ヒトラーに例える論証」とか「ゴドウィンの法則」とか言って即座に議論を終わらせるのではなく丁寧に反証をしようとすれば、相手の主張が誤謬と言えるものかどうかが見えてきてできるものではないでしょうか。ヒトラーと言うだけで機械的にゴドウィンの法則に該当してお仕舞世界よりは判断基準が主観的曖昧になります議論とはそういうものではないでしょうか。もちろんそんなに労力をかけられないという意見は分かるのですけれども。

 正直なところ、ナチスに関連できることを見つけてすぐヒトラーだと言い出す人とナチス関連の話を持ち出したのを見てすぐゴドウィンの法則だと言い出す人の思考回路は同じようなものじゃないですかね。

ゴドウィンも他人ナチス呼ばわりするぞ

 と匿名人間が書いても意味がないでしょうから権威に訴える論証(詭弁)をしましょう。何を隠そうゴドウィンの法則発明であるゴドウィンはオルトライトについてナチス比較するのを奨励しています

 投稿記事でゴドウィンは次のように現状認識を示しています

Since it was released into the wilds of the internet in 1991, Godwin’s Law (which I nowadays abbreviate to “GL”) has been frequently reduced to a blurrier notion: that whenever someone compares anything current to Nazis or Hitler it means the discussion is over, or that that person lost the argument. It’s also sometimes used (reflexively, lazily) to suggest that anyone who invokes a comparison to Nazis or Hitler has somehow “broken” the Law, and thus demonstrated their failure to grasp what made the Holocaust uniquely horrific.

[抄訳]

ゴドウィンの法則はしばしば次のようにまとめられている。ある人が現在の何かをナチスヒトラー比較したら議論が終わったか負けたことを意味するのだ、と。またはその人が法を『破った』とされ、ホローコーストの比類ない恐ろしさを理解できてないということを示唆するとして(反射的に、怠惰に)使われている。

 反射的に(reflexively)怠惰に(lazily)という修辞句を使うゴドウィン氏の心情を慮りつつ…。いわゆるトランプ政権ゼロ・トレランス政策ヒトラーになぞらえて批判した議員いたことについてこのように記述されます

The response has been predictable: Debate for some people has been derailed by the trivial objection that, even if it is terrible to separate children from their parents (and sometimes lose track of them, or make it impossible for their parents contact them, or even deprive them of the comfort of human touch), it’s not as awful as what the Nazis did.

[抄訳]

予想通り、ナチスが行ったことより酷いものではないというまらない反論が起きて議論脱線してしまった。

 「ナチスの行いを矮小化しているからこの比較不適切だ」という反論したことはないですか?それがいつもつまらない反論しか議論脱線させるような非建設的な意見かは知りませんが、この時なされたその類の反論はゴドウィンからすればここまで大上段に切り捨てられて当然のもののようです。辛辣ですね。この後、こうした時にゴドウィンの法則名前が出てくるという話もしています

But I do want to stress that the question of evil, understood historically, is bigger than party politics. GL is about remembering history well enough to draw parallels — sometimes with Hitler or with Nazis, sure — that are deeply considered. That matter. Sometimes those comparisons are going to be appropriate, and on those occasions GL should function less as a conversation ender and more as a conversation starter.

[抄訳]

ナチス問題政党政治より大きなものであることを強調したい。ゴドウィンの法則は深く考察される類似性ヒトラーナチスとのを含む)を描くのに十分なくらいよく歴史記憶することに関するものだ。時にそうした比較は適切であり、その場合、ゴドウィンの法則は会話の終止符ではなく会話の第一歩となるのである

 要するにナチス現代政党政治と比べるべくもないヤバいなのは前提ではありつつも、ナチスとの比較は適切な時もあるから「ゴドウィンの法則に該当するからアウト」みたいな単純な使い方はするなよってことです。もちろんゴドウィンの法則発明者だからと言ってゴドウィンの言うことが全てではありませんが。ただ、ヒトラーに例えることで議論脱線し行き詰まるのを防ぐためのゴドウィンの法則という言葉議論脱線させる一因となるのであればミイラ取りがミイラではないですか。

 ネット上では新しい概念が日夜発明されています。大抵の場合は既にある概念が再発見されて流行してるだけなんですけどね。そうするととかく流行概念合致してると言えれば即何かしらの結論を得られるという思考に陥りがちです。しか政治においては用語見方という枠の解釈合戦フレーミング)が起こるものです。しか政治家活動家でなければ必ずしもそういった方向に行かなくてもいいでしょう。結論と同じようにもしくはそれ以上に過程こそが議論にとって重要であるという基本に立ち返りませんか。その時、数多の概念思考論理的に展開する際の補助輪になってくれるはずです。そう、概念結論直行するものではなくあくま思考の補助線なのだと考えた方が良いのではないでしょうか。概念に振り回されず、連座誤謬ヒトラーに例える論証もゴドウィンの法則も上手に付き合えば落とし穴に嵌らないようにしてくれるはずですから

2021-08-28

ワクチン強制と "グレート・リセット":政府メディア、製薬業界国際機関協調には理由がある

記事 (Zerohedge):https://www.zerohedge.com/geopolitical/vaccine-mandates-great-reset

執筆者:Philipp Bagus via The Mises Institute,

翻訳Deep translate を使用

ワクチンを受けていない人への圧力が強まる いくつかの国では、ワクチンを接種した人たちが、コヴィドの介入によって奪われた自由を取り戻しつつありますが、ワクチンを接種していない人たちはそれほど恵まれていません。彼らは差別対象となっています公共の場へのアクセス旅行が難しくなっています。一部の国では、職業によってはワクチン接種が義務付けられているところもあります

しかし、なぜ政府予防接種キャンペーンをそれほど重要視し、これほどまでに圧力をかけているのでしょうか。また、誰が世界的な予防接種キャンペーンに関心を持っているのでしょうか?

これらの疑問に答えるためには、普及しているワクチン接種に関する物語分析し、そこから誰が利益を得ているのかを問う必要があります

その際には、国家メディア、製薬業界、超国家機関の間の利害関係連合を取り上げなければならない。

まず、製薬業界から見てみましょう。

ワクチン接種キャンペーンには、明らかに経済的利害関係がありますワクチン接種の普及によって莫大な利益を得ることができるからです。

一方、国家どうでしょうか?

コビド19の危機において、政治家は恐怖とヒステリー組織的に増幅させた。これは偶然ではなく、当然のことなのです。国家は、内外の危険から国民を守るという主張の上にその存在意義を築いているのですから国家は恐怖の上に成り立っているのである国家の助けがなければ、国民飢餓貧困事故戦争テロ病気自然災害パンデミックに対して無防備になってしまうという物語である。したがって、国家は、起こりうる危険に対する恐怖心を与え、それを解決するふりをして、その過程権力を拡大することが利益になるのである比較最近の例では、9月11日同時多発テロや第二次イラク戦争の後、テロの脅威に対応するために米国市民自由制限されました。同様に、平時には考えられないほど国家権力を拡大するために、市民基本的権利犠牲にして、意図的に恐怖心を煽り、コヴィド-19を特異な殺人ウイルスとして描写することは、政府利益となった。

コロナ危機が始まったときウイルス潜在的危険性についてあまり知られていなかったため、政治家は非対称な報酬に直面した。政治家危険性を過小評価して対応しなければ、過小評価責任を問われることになる。選挙権力も失うことになる。特に、死者の責任を問われることになればなおさらだ集団埋葬の写真はさておき、危険過小評価して行動しなかった場合の結果は、政治的に致命的なものとなる。対照的に、危険性を過大評価して断固たる行動をとることは、政治的はるかに魅力的である

もしそれが本当に前例のない脅威であれば、政治家ロックダウンなどの厳しい措置をとって称賛されます。そして政治家は、彼らの断固とした行動がなければ、実際に災害が起きていただろうと主張することができる。しかし、その対策が大げさであったことが判明した場合、その対策がもたらす可能性のある悪影響は、集団埋葬の写真のように政治家と直接結びつくものではなく、より間接的で長期的なものであるからです。ロックダウンによる間接的かつ長期的な健康コストには、自殺うつ病アルコール依存症ストレス関連の病気、手術や検診のキャンセルによる早死に、そして一般的生活水準の低下などがある。しかし、これらのコストは、思い切った介入に直接関連するものではなく、政策のせいにされるものです。これらの結果の多くは、次の選挙の後、あるいはそれ以降に発生し、目に見えません。例えば、生活水準が上がれば、平均寿命がどの程度伸びたかを観察することはできません。また、ロックダウンきっかけに発症したアルコール依存症うつ病で6年後に誰かが死んだとしても、ほとんどの人はおそらくロックダウンを行った政治家責任にはしないでしょうし、もし責任にしたとしても、その政治家はすでに退陣している可能性があります。このように、脅威を過大評価して過剰に反応することは、政治家利益になるのです。

政治家にとって魅力的なロックダウンなどの厳しい措置正当化擁護するためには、恐怖心をあおることが必要である。19年のソ連危機の際、政治家が恐怖とヒステリー煽りロックダウンなどの高度な制限措置実施したことで、経済社会構造に与えたダメージは計り知れないものでした。しかし、社会永遠にロックダウンすることはできません。どこかの時点でロックダウンを解除し、正常な状態に戻さなければならないのです。しかし、殺人ウイルスの脅威に対する恐怖心を煽ると同時に、正常な状態に戻すにはどうすればよいのだろうか。

その方法は、ワクチン接種である

ワクチン接種キャンペーンにより、国家は大きな危機から救世主としての役割を果たすことができる。国家国民のために予防接種組織し、その予防接種国民に「無料」で提供するのである。この「予防接種レスキュー」がなく、永久ロックダウンされた状態では、市民権利制限することによる経済的社会的な悪影響があまりにも大きいため、国民の間で恨みが募り続け、最終的には不安が脅かされることになります。だから、遅かれ早かれ、ロックダウンは終わらせなければならない。しかし、国家当局が、それ以上の説明もなくロックダウン制限撤回し、「結局、危険はそれほど大きくなかった」「制限は大げさで間違いだった」などとほのめかすようなことがあれば、住民の支持と信頼を大きく失うことになるだろう。したがって、政府立場からは、最も厳しい規制から脱却するための、面目躍如たる「出口のシナリオ」が必要であり、それを提供するのが予防接種キャンペーンである

国が提供するワクチン接種によって、国家は大きな脅威の物語を保持し続け、まだロックダウンから抜け出すことができる。それと同時に、ワクチン接種によってある程度正常な状態にしている救世主のように見せかけることもできる。そのためには、できるだけ多くの国民予防接種を受ける必要がある。なぜなら、国民のほんの一部しか予防接種を受けていなければ、予防接種キャンペーンを開放に向けた必要ステップとして売り込むことができないかである。このように、国民の大部分にワクチンを接種してもらうことが国の利益になるのです。

この戦略成功すれば、国家前例を作り、権力を拡大し、さら市民をより依存させることになる。市民は、国家自分たちを死の窮地から救ってくれたと信じ、将来的には国家の助けが必要になると考えるだろう。その見返りとして、彼らは自由の一部を永久に手放すことを厭わないだろう。国が主催する毎年の予防接種ブースター必要であるという発表は、市民依存心を永続させるだろう。

マスメディアは一線を画し、予防接種シナリオ積極的に支持している。

国家マスメディアは密接につながっている。有力メディアによるフレーミングと、国民ターゲットにすることには、長い伝統がある。すでに1928年エドワードバーネイズは、その名著『プロパガンダ』の中で、大衆知的操作することを提唱していたのである現代国家では、マスメディアは、covid-19のような政治的措置に対する大衆承認を構築するのに役立っている。

マスメディア国家を支持するのにはいくつかの理由がある。国が直接所有しているメディアもあれば、規制が厳しく、国の免許必要メディアもありますさらに、メディアハウスには国家教育機関卒業生が常駐している。さらに、特に危機的な状況下では、政府との良好なつながりがメリットとなり、情報へのアクセス優遇される。また、ネガティブニュース危険性を誇張して伝えることで注目を集めることができるため、国家の恐怖物語を伝えようとする姿勢も見られる。

コロナ事件では、ソーシャルメディア拡散した一方的報道批判的な声を封じ込め、恐怖とパニック引き起こし国民に大きな心理的ストレスを与えた。しかし、メディアにとって魅力的なのはネガティブニュースだけではなく、国家国民を大きな危機から救い出すという物語もよく売れる。このように、ワクチン接種という物語は、マスメディアの思惑通りに動いているのです。

国民国家メディア製薬会社に加えて、超国家組織もまた、世界人口が確実にワクチンを接種されることに関心を持っている。

国家的な組織は、世界的な予防接種キャンペーン重要役割を果たすようなアジェンダ積極的に追求している。これらの組織には、世界経済フォーラム(WEF)、国際連合UN)、EU国際通貨基金IMF)、世界保健機関WHO)などがあり、これらの組織相互に密接に関係しています

これらの組織の中には、目標として「偉大なるリセット」や「偉大なる変革」を掲げているところもありますパンデミック気候保護ジェンダー移民金融システムなどの分野で、これらの組織世界中のすべての人々の利益のために協調した答えを見つけようとしています。これらの組織は、責任の共有とグローバルな連帯を強調していますワクチン接種、気候変動、金融移民の流れを中央管理することは、新しい世界秩序の特徴でもあります。例えば、WEFの2019年の年次総会のテーマは「グローバリゼーション4.0」でした。Shaping a New Global Architecture in the Age of the Fourth Industrial Revolution" でした。また、超国家的な計画の例として、国連の "Global Compact for Migration "があります。国レベルでは、ドイツ地球変動諮問委員会のWelt im Wandel - Gesellschaftsvertrag für eine Große Transformation (World in transition: Social contract for a great transformation)政策文書に見られるように、こうした過激アイデアが支持されています

Raymond Unger(2021, pp.84-89)は、この超国家計画の推進を、アントニオグラムシハーバート・マルクーゼが想定した文化戦争の一環として捉えている。意見や怒りをグローバル管理することが、特に気候変動やコロナの分野における恐怖やホラーのシーンと結びついて、新しい社会主義の世界秩序を確立する。実際、WHOIMF国連は元共産主義者が率いている。WEFは、製薬会社大手ハイテク企業などのグローバル企業出資しています。WEFは、国連の「2030アジェンダ」にも大きく出資していますWHOもまた、製薬会社ビル&メリンダ・ゲイツ財団から多額の資金提供を受けており、世界的なワクチン接種キャンペーンを先導しています。コビド19危機の際にも、製薬業界WHOに影響力を行使した。また、IMFWHO勧告に従う場合にの国家支援している。

これらの超国家組織は、コビド19の危機自分たちアジェンダを進める機会と考えている。国連政策文書「Shared Responsibility, Global Solidarity: 国連政策文書『Shared Responsibility, Global Solidarity: Responding to the Socio-economic Impacts of COVID-19』は、covid-19を現代社会の転換点と捉えている。この機会をとらえ、世界的に協調して行動することを意図しています大手ハイテク企業は、このようなアジェンダを支持しています。彼らはWEFのメンバーでもあり、マスメディアと同じように、自分たちプラットフォームTwitterYouTubeFacebook)で、covid-19に関連する不愉快情報検閲している。特にYouTubeでは、予防接種批判的な動画はすぐに削除されています

IMFクリスタリナ・ゲオルギエヴァ理事基調講演タイトル「From Great Lockdown to Great Transformation」も、超国家組織コロナ危機自分たちアジェンダのために利用したいと考えていることを強調しています。WEFの創設者であるクラウス・シュワブは、コヴィド-19の危機は、"経済社会システムの新しい基盤を築く "ための「貴重な機会」であると主張している。COVID-19: Thierry Malleretとの共著である『COVID-19: The Great Reset』の中で、シュワブは決定的な瞬間について語り、新しい世界が出現すると主張している。シュワブ氏によれば、今こそ資本主義根本的な改革必要であるという。

したがって、世界的に調整された予防接種プログラムは、偉大なリセットのための超国家戦略構成要素と解釈することができる。

世界的な予防接種構造確立され、それがその後の世界的な予防接種キャンペーンに利用されるのであるグレート・リセット提唱する人たちの視点から見ると、世界的な構造組織必要性が強調されています。これらの組織は、「気候変動」に効果的に対処し、グレート・リセットを推進するなど、他の世界的な目的のために使用することができます。要するに、国家メディア、製薬業界、超国家組織が密接に絡み合っており、予防接種というストーリー共通の関心を持っているのです。

このような観点からすれば、ワクチンを打たない人への圧力が強まっているのは当然のことです。

2021-07-26

体操の着地で着地した瞬間足をズレてませんよ~みたいに揃えるの止めろ

やきうフレーミング並みにみっともない

2021-04-07

[] 198 チ。第3集

 チ。という、地動説を扱った漫画があって、確かこのマンガがすごいでも2位を取ってた、面白い漫画なのだが。

天文に明るいインテリ増田もそういうのよくわからん普通増田も楽しめるようになっていて、その3巻を読んだ勢いで日記を書いているのだが。

この作品テーマの一つに、「託す」というのがある。

人間の命なんてもの世界の真理の前にはちっぽけなもので、それでも挑む手段として、意思バトンを託していく。

このはてな毎日読んでいるはてなブックマークも、最初エンジニア2005年に作ったものを、2009年に書き直して、2015年くらいにまた書き直して、そうやって別の人の手で書き直されて受け継がれて残っているもので、

そういう大きな流れに寄与できるというのは、とても素晴らしいことだと思う。

地動説のような崇高そうなものでなくとも、家族を作るとか、後進を育成するとか、その手の活動に敬意を感じるのは、人間のプリミティブな感覚なのではなかろうか。

なぜ人を殺してはいけないのかくらいプリミティブな感覚の話だと思うが、三大欲求マズローのようなわかりやすフレーミングがなされていないため、世の中的にそこまでコンセンサスはない気がするけれど。

個人内面尊重する流れで家族内や学校会社内での文化継承は軽視されがちだけれど、そこにカウンターとしてこういう作品スポットライトが当たるのは、いいことだ。

次の世代に託せるかっこいい人間になりたいなと気分をアゲてくれるくらいには、面白いです、チ。

2021-03-08

シンエヴァは、リア充非リア充を分断するATフィールドかも知れない

乱文雑文感想文。

作品ネタバレも含みます(流れ弾注意)

ネタバレ!!!

ネタバレ!!!

ネタバレ!!!

ネタバレ!!!

ネタバレ!!!

ネタバレ!!!

ネタバレ!!!

レバニラ

わかり手さんの予想がだいたい当たっていてすごかった。

庵野秀明はもうエヴァンゲリオンを創れない|小山晃弘|note

https://note.com/wakari_te/n/n1792bd55c379

やはり日ごろからメンヘラ人間観察しているので詳しいのだろうか。むしろわかり手氏にエヴァ作ってみてほしい。

監督はTV~旧劇場版非リア充マインドで作ったが、新劇場版リア充マインドで作った。オーディエンスは何を見せられているのだろう。監督の心情を、人生を見せられているのかな。一言でいえば旧劇場版から新劇場版にかけて非モテモテになれました。というサクセスストーリーだった。某キャラと某キャラが子づくりしてその子供が出てくる所もリア充感を加速させる。グッズ販売にぬり絵とか自由帳といった子供向けアイテムがあるのもそれに油を注ぐ(親子でエヴァを見に来る人がおるんやろか?)

そもそも破の時点でシンジくんが成長してしまってウジウジしておらず男らしくて置いてかれてしまった感してたがその路線の延長だった。「そうだよな!非リア充だよな!」つって拗らせたやつらが共感してファンを集めたTV~旧劇場版だったが。新劇場版では作品がわりとリア充になったのでリア充になれないオーディエンスは置いていかたことになる。

これはつまりぼっちコミュ障非リア充芸でガチ恋営業してファンを集めた地下アイドルVTuberが、急に恋人できて結婚して引退してファンを捨て去り置いけぼりにするような構図と重なって見える。そう、声優の「ご報告」でCDを割るやつと同じで。表では恋人いませーんムーブしておきながら水面下でちゃっかり人生を進捗させていてある日突然手のひら返しするのだ。アイドルVTuber声優監督もみんな置いていくんだ。結婚したのか俺以外のヤツと・・・

今後の後世に語り継がれるエヴァンゲリオン像は、非リア充こじらせ系と、リア充系に二極化して語られていくだろう。

昔のインターネット非リア充のすくつだったが、いまはもうリア充占拠されてしまい、いつまでもリア充になれずに拗れている者の居場所は狭まるばかりなのか・・・

これ、少しのネタバレ説明したうえで「こういったような(ろくろ回す)イメージエヴァを信じて期待していた人は、こういうネタバレがあるんで、ショック受けるので見ないことを推奨する」という熱気溢れる記事を書く人が現れるだろうね。予言キャラ愛が強すぎる人とか、二次創作するうえでのイメージ崩したくない人向けとか。

======

前半、ポカポカムードが長く続いて(どうすんだこれ..)ってなった。でもなぁ。庵野監督のことだから上げて落とすの繰り返しだしなぁ虚淵みたいに。そんでまぁまぁ期待を裏切らない感ある展開であったが、なんだかあっさりとスルーされた感があり、というかそこでシンジくんが急に大人になったターニングポイントでもあるのだがもうちょっと拗れてほしかった。

途中、ここ笑うとこ?真剣なとこ??って気持ちの緩急が激しく揺さぶられてどうしたらいいのか良くわからなかった。あと戦闘シーンでBGMが急に劇画チックな特撮みたいになるのも庵野監督ぽかった。親子喧嘩シーンまるっきりウルトラマンやね。良い。

テーマひとつに「犠牲」があるのかもしれない。色んなもの犠牲になっているし、自らを犠牲にして誰かになにか託す者もいれば、家族犠牲になった恨みもある。非リア充にはできない、リア充の肝が据わった男らしい覚悟明日世界が滅ぶとしてもすいかの種を植える。覚悟と達観と1日1日を大切に暮らす話。そのへんはシンゴジラから地震台風とか災害イメージなのかな仮設住宅が立ち並ぶところなんかまさに。無人在来線爆弾のようなものも登場する。

虛淵をイメージしているのだろうか、セリフに「円環」って何度か出てくるのまどかマギカ意識している?オマージュ?2回目を見てあらためて終盤のシンジ君のセリフよく聴いたらまるっきりまどかだった。シンジくんはアルティメットまどか。いや逆なのかな、旧劇をオマージュしたまどマギ、それををオマージュした新劇、っていうこと?そのへんの関係よくわかんないや。

xxxもyyyも大人になったのは、つまりエヴァ呪縛が解けたという意味だ。"人間"の"大人"になったということだ。非リア充のガキが、リア充大人になった話だ。たとえ金太郎飴みたいにそっくり量産型であっても、自我を持ち、成長できるのだという希望の話。就活大学生ファッション髪型なんかがしばしば"量産型"と揶揄されることへのオマージュエールかも知れない。

見ながら思ってたけどゲンドウくん喋りすぎじゃない?説明しすぎ感はあるなー。Qの反動のAなのかな。それ以外にも答え合わせ、ネタバレ、種明かしがたくさんあり、スッキリはしたけど謎が減りすぎてミステリアスさや考察二次創作余地やが減った気もする。そんな考察なんてしてないでエヴァ呪縛ダブルミーニングから解かれておまえらリア充になれ。やめやめ。解散。おしまーいみたいなメッセージなのだろうか。そんな印象も覚えた。

=====

(↓以下は自分の語彙力が不足していて、なぜダメなのかがうまく明文化できていない。より語彙力の高い人がうまいこと説明してくれるのを期待)

毎度恒例の精神世界電車ゲンドウが下車した以降の早足に一人ずつ問題解決していくパートは、なんだか雑な感じを受けてしまう。 駆け足に答え合わせ、辻褄合わせされたような...

全体の映像を通して言えるのは、ミックスが未熟な音楽を聞いているような印象を受けてしまう。シーンによって映像解像度の差が気になるというか、質感の統一感が低い箇所があるというかうまくいえない。あのリアル綾波フェイスがとくに浮いている印象がしてしまうんですが・・、斗和キセキの1000万円かけて作った生首みたいでシュールなんだ。

すごくエヴァらしい!と感動するシーンもたくさんあるんだよ、例えば前半の村でアスカシンジカロリーメイト(2400kcal)を無理やり食わせるシーンのカメラワークがすごい。フレーミング、ロール、レンズズームグリグリ動かしているような映像的にすごいし、構図もエヴァらしいと思った。

ピンク髪の人、北上だっけ?全体的にあの人のセリフ空気を悪くしてズレた感じにしてしまっているのが残念だった。でも親の仇でキレるシーンは良かった。けど、納得して脱力しての引き下がる理由とか心情の変化が良くわからんかった。

あれだ、昔の人間なら電子メールビジネス文章を書くが、ナウなヤング仕事の連絡すらLINEだったりするのでチャラくて薄くて軽い文章しか書けない、そういうTPO違いの文章のような嫌悪感なのかも知れない。最近では仕事会議や講演なんかもライブ映像配信なので、YouTubeのノリで「わくおつ~」とか新人コメントちゃうやつだ。もう俺も老害だと思うとつらい。

それ以外にも、なんだか薄ら寒いメタをちょくちょく差し込んで来るのでその度に調子が狂うというか、音ゲータイミング外してうまく演奏されなかった小節みたいな印象を受けてしまうま🦓。

先述のとおりシーン毎に気持ちの切り替えが追い付かないというか、いま笑うところ?シリアスなところ?という空気読みに苦労してしまう。これってアニメ艦これでもそうだったよね・・・

わからん睡眠不足状態で見てしまったので脳が働いてない可能性はある。

から見なおしたり、誰かの解釈を参考にしたりすると、また違った見え方もする。

あと、ゲンドウがにゃるらさんの提唱する理想郷twitter2のコンセプトみたいな話を早口気味でするのおもしろかった。差別貧富の差イジメもなんたらもかんたらもない世界みたいな。

にゃるら絵日記10話「Twitter2(だれも社会政治の話をせず、毎日みんなでアニメを観たりゲームをしたりして1日がおわるマジで楽しいSNS)」|にゃるら|note

https://note.com/nyalra2/n/n0643876e3b49



にゃるらさんありがとう

2021-02-17

anond:20210215174312

よくわからんのだけど、

捕手フィジカルしか必要ないって、リードとかどうするつもりなんだろう

アメリカ式でやるつもりだとしても、フレーミングとかテクニックであってフィジカルとは微妙にずれる気がするし

捕手能力低いけど打てればそれでいいみたいな方針なんかな

2020-10-30

芸人論今昔

ヒロコヒーとかラランドサーヤで女芸人論が盛り上がってる。「ブサイクvs美人」とか「女捨ててる」とかの安易フレーミングで切り取られなかった女性芸人といえば、関西育ち・70年代後半生まれ自分には、メンバメイコボルスミ11と高僧・野々村だった。のに、野々村はすっかり「鬼嫁キャラになってしまって悲しいなあ。

あと非常階段は、出始めのころ、男女雇用機会均等法っぽさあったよね?

2020-09-25

anond:20200925084201

ネット思考フレーミングされすぎなのだ

貴殿想像するオタクなどというステレオタイプ存在実在しないし、お気持ちなどというものもない。

普通の人が、普通に楽しんだり、苦しんだり、そうやってもがきながら生きた足跡を残しているだけだ。

その中で「見えないものを見ようとする」人たちが、横着をしてラベルを貼ることでわざわざ敵を拵えている。自分たち欲求のために。複雑さを無視して、単純化することで、自分が見たいように見る。それを慰めとする人がいる。それだけのことだ。

2020-07-04

叩かれる作品の特徴

  1. 脇が甘いが、何がしか情熱喚起させる作り。
    増田に一番多いたたき要因かと。ともかく重箱の隅のターゲットにされる。
  2. もともとマニア受けで、コンテキスト理解できないやつが叩く系列
    文学じみた作品も多い。
  3. 逆に大衆向けでマニア層が叩く系列最近では鬼滅の刃。長くはワンピースなど。
  4. 1.に関する事項だが、設定重視、非破綻重視層が、シナリオ面白さを優先したこと理解しない。
    理屈が明瞭・緻密で納得できないと即駄作認定する。アストラなどの炎上事例。
    緻密にして面白さが担保される保証はまるでない。
    この手の人たちはファイブスターなどを推してくる。

なんか集英社ばかりになったが、特に集英社好きなわけではない。

追記

ブコメの布団、太鼓、鯖だけ意味不明。なんだあれ。

それと、作者の人物評を評価軸に入れた内容かなこれ?

dalmacija 叩かれる作品というフレーミングをする人の特徴

よくいる俯瞰目線のつもりマンっすか

2019-10-14

anond:20191014130220

選択する戦術の相性が先に頭にあったんで、そのフレーミングで見て、「あ、ここ蹴り方はサモア戦の日本と似てるな」って判断したのはありますね。

でもちょっとスコットランドキック有効じゃなかった印象があって・・・

追い風使うんなら深くタッチを狙って地域を押し戻すとかあると思うんですよね。

タッチなら相手ボールでもそこからの攻防になるし。

で、攻撃時のキックが「ランで超えられないか手詰まりラインの後ろに蹴る」感じだったんですよ。

あと、もっと淡白にすぐ蹴っちゃったり。

で、チェイスにも行ってないんで、日本にしたら余裕もってボール処理して「ハイもらった、行きまっせ」で行ける。

風を関係なくハイパン蹴るとするなら、せりあえるところに落として着地を「ドンッ」で狙うとかあるんだけど、そういうんでもなかった。競りに行ってないケースも結構あって。

あいうのって悪いキックで、結局取られてそのままラインを押し上げられるんで、地域稼げないし、ただ相手ボール渡っちゃう

で、「単に脚が止まって追えない」以外にありそうな合理性を考えた時に「ぶつかり合いたくない」んじゃないかと。

2019-05-05

スマホカメラからカメラ専用機への回帰が今まさにアツい!

iPhone 3GS日本で発売されて以降、カメラ市場(特にコンパクトカメラ市場)はスマートフォンに搭載されるカメラに苦戦を強いられてきたという現実がある。

ただ実は昨今、スマホカメラからカメラ専用機回帰するユーザーが徐々に増えているのをご存知だろうか。

スマホカメラの利点と言えば誰しもが想像するであろう「1つのデバイス撮影から編集、そして他のユーザシェアすることの出来る総合力」が挙げられる。

いわゆる"写メ"に代表されるガラケーの頃から培われたこソリューションは、ライトカメラ撮影を楽しむユーザーを多く取り込み、市場を(現在も)席巻しているというのは常識的である表現しても過言ではない。

スマホ登場以降のカメラメーカーの誤りを挙げるのであれば「ユーザーは画質をシェアしているのではなく思い出をシェアしているのだ」という現実を見ず、スマホよりも高画質であることを喧伝することへ終始してしまっていた。

この流れが変わるのは奇しくもカメラメーカー努力のみではなく、ユーザー需要形態に変化が起きたからであった。

何を切っ掛けにユーザー需要は変化したのか?と言えば、それは"Youtube"や"SNS"へのシェアだ。

Youtube動画投稿するユーザーが増え、様々な環境目的でのカメラ撮影を考えたときスマホカメラでは性能不十分である」という気付きがユーザーの中で起きた。

明るい環境でも暗い環境でも何が起きているのかを伝えたい、小さなグッズをより良く見せたい、より画角自由コントロールしたい、そんな需要から明るいレンズマクロ、広角に対応できるカメラ専用機需要が起きたのだ。

更にこれまたiPhoneが示したポートレートモード代表される美しいボケ味を常に得たいという需要も起きた。

スマホカメラは間違いなく進化している。より手軽により美しくより幅広い表現力を少し前のスマホ比較しても得ている。

しかしながら"一歩先"を意識したユーザーカメラ専用機へ目を向けた際、カメラ専用機進化幅はスマホカメラのそれを圧倒していた。

そもそもを言えば、例えばスマホカメラで高画質と評価されるiPhoneGalaxyXperia採用されているイメージセンサーSONYであるというのはカメラ業界では有名な話である

そして昨今急成長を遂げた中国新興スマホメーカーでもSONYイメージセンサー採用ユーザーの購買理由になるほどの流行を生んだ。

そんなSONYイメージセンサーである裏面照射CMOSのExmor Rや進化である積層型CMOS Exmor RSカメラ専用機にて先行採用されスマホ技術転用されるという流れを持っている。

手ブレ補正も顔認識オートフォーカススマイルシャッターカメラ専用機が先にあり、昨今のムーブメントを起こしている顔認識オートフォーカス進化であるオートフォーカスも新型Xperia採用されることが予告されているが、これもカメラ専用機採用されているものだ。

まりスマホカメラ未来スタンダードカメラ専用機にあり、一歩先を意識したユーザーカメラ専用機進化に新鮮な驚きを示している。

カメラ専用機邪魔という意識GoProアクションカメラというジャンル開拓したことにより低減されつつある。

アクションカメラというラフに扱っても良い安心感と、小型なのに驚くほどスムーズ手ブレ補正は、カメラ専用機経験してこなかったユーザーにとって敷居を大幅に下げる役割を持った。

SONY RX100Ⅵは前述した積層型CMOS Exmor RS採用し美麗な画質を得つつも、コンパクトカメラの小型さ、自撮り可能フリップ可動液晶光学ズーム光学手ブレ補正、瞳オートフォーカス価格が熟れてきた4Kディスプレイ対応した4K HDR動画撮影ハイアマチュアユースのRAW静止画LOG動画撮影可能というコンパクトカメラなのに全部入り

更に言えば、女性が嬉しい美顔モードを搭載している上、撮影したデータスマホ連携機能により無線接続スマホへ保存できる(流石に有線接続よりは遅いが写真数枚撮って転送程度ならばそう待たされる感覚もない)。

重ねてしまうが昨今のカメラ専用機において特筆すべきなのがスマートフォン連携機能であり、撮影したデータスマホ無線転送できるので、片手にカメラ専用機、片手にスマホなんていうことが起きないようになっている。

Instagramのあのアカウントキレイ写真をどうやって撮っているのか?」という疑問への解答はココにある。カメラ専用機で撮って無線転送してスマホシェアしているのだ。しかもそのカメラ専用機は小さなカバンにも入るコンパクトカメラ

こんなムーブメントリードしたのは一体どこのカメラメーカーなのだろうか?

前述した通りカメラメーカー努力のみではなくユーザー需要が変化したかであるが、その需要へいち早く反応したのがPanasonicであり、Youtube専用機とまで言われたPanasonic LUMIX GH5だ。

GH5はコンパクトカメラではなく、ミラーレスデジタル一眼と呼ばれる従来よりも小型化されたレンズ交換式デジタル一眼だが、面白いのはビデオカメラではないのに動画撮影機能意識したデジタル一眼であるという点。

4K動画撮影機能自撮りも出来る可動液晶を備え、ビデオカメラ以外では難とされていたデジタル一眼の4K動画撮影ではありがちな熱暴走を抑える優れた放熱性能を持つ(デジタルカメラ熱暴走すると撮影自動停止する)。

GH5が登場した時期はヒカキンなどで注目され始めていたYoutubeが盛り上がっていく時期と重なっており、Youtubeという需要へ上手くマッチしたのだ。

これを見た他のカメラメーカーも自社デジタル一眼製品4K動画撮影機能採用または既に採用していたカメラメーカーは強化するという選択を迫られた。

それでもデジタル一眼は写真機という意識を強く持ってるカメラメーカーは多いが、カメラメーカー大御所であるキヤノンEOS KISS M、フィルムメーカー富士フイルムはX-T100、SONYα6500やα6400で4K動画撮影機能自撮り可能液晶を備えている。もちろんスマホ転送可能だ。

そんなムーブメントに、よりライトユーザー対象とするコンパクトカメラが追わないはずがなく、前述したSONY RX100Ⅵやキヤノン PowerShot SX740 HSニコン COOLPIX A1000、コンパクトミラーレスデジタル一眼カメラPanasonic LUMIX GF-10などがムーブメント体現している。

ビデオカメラだって負けていない。

GH5でも注目したPanasonicビデオカメラでは可動式液晶へ可動式サブカメラを搭載させたワイプ撮りやマルチカメラ撮りに対応しておりコレもYoutube需要へ訴えかけている。

SONYハンディカムレンズ自体グリグリと可動する空間光学手ブレ補正によって手持ちして全力で走っても驚くほどブレない映像を得ることができ、激しいシーンをフレーミングするユーザーに高い評価を得ている。

空撮一般ユーザーの手中にしたDJIのドローンシリーズVRにも対応した360°カメラRICOH THETAシリーズやInsta 360シリーズそもそも撮影時のフレーミングという束縛からユーザーを開放させた。

決してスマホカメラ需要は無くならないだろう。無くならないどころかカメラ撮影メインストリームは今後もスマホカメラのはずだ。

しかし、スマホカメラが席巻してきた需要の一端がカメラ専用機回帰し始めていることをキャッチアップしないと時代に乗り遅れることは間違いないと強く表明したい。

-----

追記

現在VLOGで人気の一端を担っているデジタル一眼はGH5であることは間違いない。

これはヒカキン代表一部の人Youtuberたちが使っているからだ。

からこそGH5の価格はなかなか下がらないと考えて良い。

しかし、VLOGで使われているのはGH5だけでなく、それこそiPhoneGoProも使われており、他にはOSMO Pocketと呼ばれるジンバル一体型小型ビデオカメラも使われている。

画質へこだわりのある層はGH5の後継機であるGH5sへ移行している。

更により画質へこだわりのある層はGH5sよりも画質的に有利なSONYのα7Ⅲを使っている。

α7Ⅲを使っている層はハイアマチュア以上だという認識で間違いない。最早VLOGとは言えない映像作品レベルのものを公開しているビデオグラファーに採用例が多い。

最近は手軽にVLOGを撮るという需要から携帯性や画質とコスパ考慮してCANON KISS MやSONY α6400が使われるようになっている。

コンパクトデジタルカメラならばSONY RX100Ⅵがなかなか強いが、4Kが撮れて自撮りできるコンデジならば様々に選ばれている印象はある。

ただ、VLOGで最も使われているカメラは間違いなくiPhone、そしてGoProだ。

VLOGを頻繁に撮影しようと考えるようになってくると動画撮影のためiPhoneバッテリ残量が気にかかってくる。

カメラ専用機を導入すると当然ながらiPhoneバッテリ残量を気にせずとも良くなる。

そこでカメラ専用機を(ググったりして)最初検討へ挙がるのがGoProであることが多いのだ。

GoProアクセサリ豊富自撮り棒は当然あるし、自動車や自転車バイクマウントできたり、ヘルメットマウントすることも可能であり、カバンへのマウント自身の首へネックレスのようにぶら下げることだって可能

しかGoProiPhoneiPadとの連携にも強い。専用アプリがあるので撮影中の映像iPhoneiPadリアルタイムプレビューすることもできる。そのまま編集へ移行することも可能

自身撮影スタイルへ合わせやすいのでGoProが選ばれやすい傾向にある。

GoPro女子」なんていう言葉を見かけた時は「またカメラ業界ごり押し・・・」と怪訝さを持ったものだが、個人的感覚では「半分嘘ではない」くらいの印象。

海や山、観光地などへ行くと確かにGoProを構えている女子は居る。圧倒的にiPhoneの方が多いけれど「まぁ・・・嘘ではないかな?」と思える程度には居る。

このような状況なのでiPhoneGoPro比較するとGH5は人気がないと言って良い。

GH5は人気Youtuberを志す極一部のユーザーから一種神格化を受けている印象がなくもないのだ。

GH5にはGH5sという後継機がある上に、後継機であるGH5sよりもKISS Mやα6400の方が設計が新しいので、GH5信者特定Youtuberへ憧れを持っていない限り旧世代のGH5を選ぶ理由があまりないのである

従って「GH5が人気」なのはVLOGをやっているユーザーの中でも極一部のユーザーに人気ということになる。

これからVLOGというか「動画による思い出の記録をしたい」と考えるのであれば候補として以下を羅列しておくので検討活用して頂きたい。

○一番お手軽

動画向きカメラ専用機入門

コスパ高いデジタル一眼

○高画質デジタル一眼

現在では評価が分かれるので別枠

ビデオカメラ

上記は単純に「4K撮影できて自撮りがしやすい」という独断偏見的な基準抜粋したもので、上記から選んでおけば大きな失敗はないという程度のもの(撮れるっちゃ撮れるけど思ってたのと違ったくらいの失敗はあるだろうが)。

まり自撮りを考えなければ他にいくらでも候補は挙がり、例えばBlackMagick PocketCinemaCamera4Kのようにデジタル一眼の形態を持ちながらも動画撮影へ強くフォーカスした製品もある。

別の増田ホームビデオVLOG表現していたが大幅に間違ってはいない。語源はVideoLOGだがビデオBLOG的な感覚言葉なのだからオシャレである必要もなく、BLOGで書きたいことを書いたようにVLOGで撮りたいものを撮れば良い。

日記BLOGになったようにホームビデオVLOGになった、ただそれだけの話なのだ

2019-03-29

anond:20190325155543

deep learning基本的には、入力と正解のセットをたくさん用意して疑似ニューラルネットワーク教育するものから入力に対する正解をあらかじめ決めているわけ。

から教育データセットを作成する時点でフレーミングに関する基準は含まれるよね。

2019-03-25

悲観主義と楽観主義

昨今ブームになっているdeep learningとやらの元になっているのは人の脳のニューロンネットワークである

人の脳のニューロンネットワーク統計的な結果に似ている

人の脳にとって入力自分自身経験である

まり

失敗の多い人生デフォルト期待値が失敗になる→悲観的になる

成功の多い人生デフォルト期待値成功になる→楽観的的になる

成功、失敗とは何だろうか?

テストで90点をとって100点がとれなかったから失敗

テストで90点をとって100点までもうすこしだったか成功

フレーミング問題ではないだろうか?

ではそのフレーミングを決める視点は誰が教えるのだろうか?

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん