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2019-12-10

anond:20191210021644

自分が目下食っていけるかどうか」にしか興味が無く、船底を食い荒らすネズミ連中を支持する行動は「愚か」だよ。


元増田が言ってるのは、結局「船底に穴を空けるネズミでも、大半の乗客にはそんなこと分からいか興味が無い」というだけのことであって、それは「大半の乗客が愚か」であることと何ら矛盾しない。元増田は要するに「国民がアホだから」「アホに分かるように誘導してやれ」ということをやんわり言い換えているだけであって、それはそれで悲惨な結果を引き起こしたってのが二十世紀歴史にみる反省ポイントなんだよね。だから、「やさしい言い方」なんて無意味だ。アホにはアホというしかない。

からハッキリ言うけど、その「アホに分かる誘導」、つまりこの先現れる「国民生活を上昇させる画期的政策」とやらは、「自分たち」以外に対する搾取簒奪しかありえない。あとは、それをどんな綺麗な言葉で言い換えるかだけだ。俺はそんな「画期的政策」には全く興味もないし期待もしない。中国市場開拓? 外資日本を売り飛ばす? もし、「米中の仲立ち・バランサー調停役として画期的な働きをし、そこから生じる利益流通ハブとして享受する」ようなことができるなら、百歩譲って可能性なくはない(そこに「今はまだ存在しない巨大な利益」が誕生するわけだから)。でも、アメリカ核の傘の下にある日本に、そんな立ち働きができるような政治力はない。交渉力もない。現実を見ろ、世の中うまい話なんてない。

もし期待感があるとすれば、それは政治ではなく、(1)イノベーティブな技術による一時的経済ブースト、(2)イノベーティブな思想による社会構造の根源的改革、のいずれかだ。ただ、(1)は一時的だし更なる袋小路へと人類を導くだろう。たとえ人類木星に到達したところで、いずれ「その状況を前提とした競争」が普通になるだけだ。たとえば、情報技術はイノベーティブな技術だったけどそれで仕事が楽になったか?ってことだ。

 そして、(2)は「社会構造改革」を伴う以上、結局既得権益側の犠牲は避けられないだろうな。民主主義革命貴族制を打ち倒したように、民主制を打ち倒す何かは民主制の「王」からものかを奪い去る。まあ、それもまた「搾取簒奪」の一種に過ぎないと言えばそれはそうだよ。自分たちの社会の外に迷惑をかけ、50年後も100年後もぐちぐちそのことで文句言われ続けるような「政策」とやらよりは、社会内で済むだけ百倍マシになる。フランスでは220年前に民衆が、日本では70年前に進駐軍がこれをやった。

から問題は、そういう移行に伴う痛みを我々がどの程度の範囲、どの程度の深さに止めるか、ってことになる。政治仕事があるとすれば、その、ホンのささやか領域だよ。政治なんてシロモノに過剰に期待してはいけない。

2019-11-18

世の中には、他人物事批判するときに限って、現実フィクション区別がつかなくなる人、二次元三次元区別しなくなる人、文化実用を同じ俎上にあげてしまう人がいる。

結局の所、怖いのだ。そうした無自覚混同に至るのは、自分理解の乏しい分野が伸長してくることが恐ろしく、脅威に感じられるという、無知ゆえの恐怖に他ならない。

ほとんどの場合、その恐怖は杞憂である人類総体は、一人ひとりが認識しているよりもはるかにまともであり、良くオーガナイズされた動きをする。創発のようなものだ。

だいたいのアクティティは、門外漢が取り沙汰し介入せねばならぬほど悪辣ものにはなり得ない。

バランサーはどこにでも存在する。外野からはそれが存在しないように見えていても。

その領域内独自ルール自然発生し、なんらかの形の自主規制に基づいて、守るべきライン形成されていく。それは動的であり、だからこそ発展していくものだ。

海外の(観光客からみると)おっかないエリアであっても、そこに住み日常を営んでいる人たちがいるのと同じように。過度に干渉したりケチつけたりすべきではないのだ。

世の中のあらゆる人々や物事は、多くの側面を内包している。その側面一つ一つごとに発展の度合いも方向性も異なる。

そのうち一側面の要素を一つの尺度で「ひどく拙く粗野だ」と詰って発展段階を批判したとしても、その主体価値がそれだけで毀損されることはない。

けれどもそれが可能であるかのように誤解させ、一事が万事のように誘導し、その主体のものを潰そうと息巻く人々が、事あるごとに出てくる。

それは、前述のように恐怖からくるのだが、同時に、疲れているのだろう。疲れている人がたくさん居るから、そのような一つの現象を生むのだ。

世の中が多様になりすぎて、受け入れるだけのキャパティを超えてしまった人たちの、許容疲れなのではないか

疲れている人とそうでない人とでは、その視野認知能力も噛み合いようがない。それが理論の屈折と、議論の非建設性を増長することになる。

この「許容疲れ」の解消こそが、21世紀課題だと私は思っている。モダンでありながら生きやす社会のために。

今までは、そのキャパティ物質的(経済的)にも精神的にも余裕のある成熟した人でないと拡張できなかった。

それをテクノロジー拡張できるのではないか

単にインターネットを通じていろんな立場の人の声が聞ける・読めるようになった程度では、人々の意識の器は拡張されなかった。

しろ、一気に大量のタスクを渡されたせいで混乱しカリカリと殺気立っている人、のような状況に陥っている。

インターネットがより意識の低い一般大衆に浸透すればするほどその傾向が強まってきたように感じられる。半端に意識を高められ、排外排斥および他責思考が強まっている格好だ。

これは過渡期的な、一時的現象だろうか。いや、そうではないだろう。

おそらく、インターネットハイパーテキストの先にはソリューション存在しない。

情報通信の分野の中にはあるだろうが、まったく異なるプロトコルによる情報摂取体系の普及が必要になるだろう。

多面的でファジー意識を、負荷なく脳に取り込む――可能ならば他人の脳そのものリンクして、認識統合する――

仮にそれをHCTP、ハイパー・コンシャス・トランスファープロトコル、と呼ぼう。

それが実現したとしたら、どのような形で運用されるだろうか。

ドラえもんなら、岡部太郎なら、あるいは長門有希なら、その答えを知っているだろうか。

2019-11-06

ジャンプが変わるべきなのは編集者性別ではない

ジャンプは今の体制を崩してほしくないね少年の心と少女の心は違うし、一応分けておいて、その中で女が少年向けを読んでもおかしくないという環境社会が作らなくてはならないのだ。

ジャンプ少年主義個性から、それは守っていけばいい。

漫画大衆のものではない。大衆のものなど、もうこの日本には存在しないといってもいい。

それくらい個性顧客重要視される社会になった。

が、一つ文句をつけたいのは女性漫画家の名前だ。

ジャンプ出身女性作者は、なぜか売れっ子でも男性名に見えるものを使っている。

別にこれはジャンプ系だけの話では無く、割合的にも男性名を使うことが多いようだ。

または性別意図して隠している。

なので未だに女性が描く漫画は下手だとか面白くないとかい偏見が残り続け、さら名前を隠す文化根付いているようだ。

この点においてはジャンプが変えていかなくてはならないはずだ。

多作ヒット傾向にあるのは女性漫画家だと、そろそろ気付いているころだからだ。

そのことを高橋留美子を通して散々知っているサンデー小学館から出る女性漫画家は「○○子」など思いっき女性名を出している。

女性作家で押すこともある。

サンデー編集部女性複数人居るのは、多くの作品恋愛を取り扱うので、女性気持ちを汲むバランサーとしては必須からだ。

そのため腐女子媚びをしていると思われることもあるが、サンデーの腐人気作品は全くその要素が無いのに人気になっているため、ジャンプの腐人気作品となんら変わらない。隙あらば男女がいちゃつくのがサンデーだ。

恋愛を扱わないジャンプ少女恋愛漫画視点必要ない。ラブコメをたまにする作品女性アシスタントがいればいい。結論は出ている。

ただ繰り返すが、女性作者を隠さな方針は、素直に見習うべきではないか、と常々思っていたりする。

2019-10-11

anond:20191010100543

新谷かおるの「バランサー」ですね。当初シリアス路線で話が進んでいたのに、どうも不評だったらしく、主人公を殺して退場させて、全く別の主人公を出してきて話のトーンもギャグ寄りに変わっていきました

2019-08-22

anond:20190822192647

韓国韓国独自歴史政治風土があるので、右は基本的アメリカ中国など強いほうについてころころ立場を変える蝙蝠外交をし、蝙蝠していることをアクロバット理論正当化する民族主義です。

例えて言うならパククネ時代の米中蝙蝠外交で、それをバランサーとして両方から求められていると国内向けに言い張っていました。

また彼らのウリ(内輪)は大韓民国内のみで、北朝鮮ナム(外)のため強く敵視します。

左は自主自立を志向する民族主義で、主張を素直にぶつけると日本だけでなくアメリカとも対立反米運動リッパー大使襲撃など)し、中国とも対立東北工程中国の物への韓国起源論など)します。

また彼らのウリ(内輪)は朝鮮民族であり、北朝鮮も含みます

北朝鮮にひたすら貢ぎ、周辺国と全部うまくいっていない文在寅外交典型的な例です。

2019-06-30

結婚できる人間の特徴

会社人間を観察してると、バランサーで周りのことを考えてそうな努力家ほど独身で、逆に自分本位あんまり気を使わない感じの人ほど結婚してる。

個人的にも付き合いたいって思うのはやっぱ結婚してる人達。なんとなくそう感じる。

他人に対する支配欲や執着を感じない。常に自分本位でいる。適度に距離感取って、無理せずやりたいようにやってる。やりたい事やってやりたくない事からは無理せず上手く逃げてる。

結婚できてない人間他人の期待に過剰に応えようとする。合わない奴とも無理して合わせるし、やりたくない事も頑張って克服してしまう。

他人の期待に十分応えて、評価や見返りを貰おうとしてる感じ。直接自分欲望を満たそうとしない。プライベートスカスカ仕事が全てで、そこから人生承認を全部貰おうとしてる。

2019-06-17

離婚を踏みとどまれレベルって

久しぶりの夫婦喧嘩でガマンが効かず離婚を口にした。

妻とは価値観を含めいろいろと合わない。結婚当初から失敗と悟ったが、子供が早くにできたこともあり意地と我慢で気づけば10年が経っている。

大事にする人という意識はあるが、愛は無い。数年単位セックスレスだ。ただ仲は良い。この仲の良さが子供には良いのだろうと多少演じる時もあるが、その時は別に嫌な感覚もなく自然に振る舞える。

好きだと言ってくれるので、俺もだと返しはするけど嘘をついている自覚がある。

専業主婦が良い!と言うのでそうさせているのに、役割としては果たせていない。たいして掃除もせずに部屋は汚めだし、一週間まるまる妻の手料理を食べずに過ごすことなんてざらにある。洗濯はほぼ毎日するものの、週に2回くらいしかたたまない。

自身も散らかすくせに汚い部屋は落ち着かないもので、家の居心地が悪い。とはいえ俺が補っているわけでもないので、あまり言わないでいる。逆ギレされるし。

一時は強いストレスになっていたが「能力がたりないのだ、仕方ない」と思うようにしてからは割り切れている。これが離婚原因になることはないだろう。


ただ、やはり根本的に合わないのだ。妻の話に相槌はうつが、興味深かったりもっと聞きたいと思ったりすることはほぼない。

かなり可能性が薄くあり得ない心配事、芸能ゴシップ、どうせすぐに飽きたり使わなくなる買いたいもの、それを長々と話されても困ってしまうのだ。興味ない風を伝えている時くらいは察してほしい。

教育に関しては妻の子供への過剰な介入が心配で、そのバランサーとして自分は一緒に居たほうが良いと考えて踏みとどまってきた。

昨日は子供が直面している問題の原因が、俺の怠慢のせいだと言われていい加減キレた。

ちなみに子供と接する時間は一日平均2時間はある。ベッタリではないがしっかり観察はしているつもりだ。

離婚を躊躇するのは子供への影響。それだけだ。少なくとも子供の前では夫婦仲良くすることは出来ているので、子供にとっては一緒にいるほうがきっと良いのだと信じている。

子供と離れるのは俺としても辛すぎる。耐えられなくはないが極力避けたい。

ただ余りにも自分を騙しすぎて疲れてきた。どうすりゃいいんだ俺ぁ

みんなもっと我慢しているもんなのかね。。

2019-05-29

もう少し絞れたらいいのにな

最近メンタル不調が続いていて、友人に話を聞いてもらったところ「致し方無いとはいえ役割が多い」という指摘を受けた。

シンママ、ワーカー、恋人

大きくはこの三つだけれど、細かく言えば「実家寄生している恋人持ちのフルタイム勤務しているシングルマザー」。確かに山盛り感はある気がする。この度「恋人」という役割を降りて、元の「実家寄生しているフルタイム勤務しているシングルマザー」に戻った訳なんだけど、それでもまだ役割が多いと言われる。

友人は出張の多い配偶者と二人暮らし(と言っていいのか分からいくらパートナー出張が多い)。友人付き合いはあるけれど、実家も遠くお盆とお正月くらいしか返らないし、パートナー実家とも疎遠らしい。仕事は忙しそうだけれど、曰く「専業主婦にもなれるけど、なったらなったで病みそうだから働いてる」とのこと。確かに身軽そうに聞こえる。

本音を言えば、ママだけの役割を全うしていたい。私の職種地元になかなか募集が無く、片道2時間通勤に費やすため、子供保育園への送り迎えは両親に頼んでいる。だから子供と会えるのは朝家を出る前に子供が起きていた時と、家に帰ってから一緒に食事をして、お風呂に入って、歯を磨いて、眠る時だけ。平日は平均して2時間ほどしか子供と向き合うことができない。子供が寂しがっていることは分かるけれど、子供が幼いうちに貯金を増やしておきたい気持ちもあって、今の生活スタイルを変えることができない。もう少ししたら二人暮らし用の家を買って、自分が万一死んでしまったときに、住む場所は遺しておけるようにしたいな、とは思ってる。ただ、実家を出ることで、それまで私の両親と(子供にとっては祖父母と)一緒に過ごせていた時間を一人にしてしまうので、それはそれでどうなんだろう、と考えていたりもする。私はもともと一人でいることが好きだけれど、娘は違う。「こうするよ」と私が言えば理解して納得したフリをしてくれるかもしれないけれど、寂しさを募らせると思う。それは、どうなんだろう。まだ答えは出せていない。

ワーカーとしても中途半端フルタイム勤務をしているとはいえ残業、いたしません。飲み会、参加しません」と宣言しているので、重い仕事は振られない。ので、大きな成果を上げることもない。福利厚生は整っていてそれを享受しているけれど、これでいいのか?と毎日思っている。加えて最近部署の人からセクハラを受けたりもして、なんだかな、という気持ちもある。妊娠前に働いていた時ほどの仕事に対する熱意や気力が、今はどこにも見当たらない。それでも、安定した生活子供と送るためには、このまま働くしかない。

恋人がいた。つい先日別れたのだけれど、恋人という役割も私は全うできていなかった。シングルマザー、ワーカーという情報を開示したうえでのお付き合いだったけれど、ずっと寂しい思いをさせていたと思う。分かってて付き合ってはいたのだろうけれど、私の生活時間的余裕が本当に少ない。朝5時に起きて、6時に家を出て、8時に会社について仕事をして、6時に会社を出て8時に帰宅し、夕飯を食べて支度をして9時頃布団に入る。移動時間自由とは言え、移動時間最近はしんどくて寝てしまうことが多い。恋人と会うとき家族に話して子供の夜の世話も頼み、半休を取って、午後から夜まで、がほとんど。それも有給には限りがあるし子供のためにとっておきたいので、二人で会えるのは多くて月2回。子供と一緒に三人で会うのも月に1回~連休があると3回。でも多分、恋人が求めていたのはママとしての私じゃなくて、恋人としての私。だから喧嘩も多かったし、喧嘩のたびに私はどんどん自分のことを話すのをやめてしまたから、「前は沢山話してくれたのに(愛されていないんだ)」と、思わせてしまっていたのだろうなと思う。私は私で吐き出される言葉の鋭さに辟易してしまった感が否めず、すれ違いばかりになっていた。だからこの別れは仕方ないのだろうと思う。

かにも。

実家いるから、娘という役割もある。忙しい母に代わり、土日の家事の一部を請け負う。愚痴をきき、たまに怒りのはき捨て場になる。そういう家族バランサー役も、私の役割。(母も父も、こんな私を非難することなく受け入れ、娘を本当に大切にしてくれているので、ギブアンドテイクだと思ってるからここについては言及しない)。おばあちゃんにとっての孫という役割もある。週末娘と一緒に顔を出して、夕飯を一緒に食べたり、おばあちゃんの家の片づけをしたり。

でもさ、これって、子供のいる親なら当たり前のことなんだろうね。ワンオペママなんてきっともっと大変だろうと思う。子供が二人以上いるママはなおのこと。だから私は、自分自身が息継ぎができていないような錯覚を覚えながら、それでもまだマシなほうだと思ってる。だからこそ、よけいに、普通のことが普通にできない自分に対して、失望してる。こんなに周りが支えてくれているのに、なんでこんなに苦しいのか。「役割が多いんだよ」というアドバイスは、的を射ているようで、ちょっと違う。私の的にはど真ん中なんだろうけれど、周りから見れば「その程度で」。

じりしりと苦しい日々が続いて、爆発して、恋人と別れた。

翌日、健康診断で某項目で要再検査。診断結果が出るまで何とも言えないけれど、と前置きをして、医師は私に見解を述べた。もし本当にそうだったとしても治らないものじゃない。保険に入っておいてよかったと思う。万一のことがあっても、これで家族には迷惑をかけずにすむ。入院となれば子供に寂しい思いをさせてしまうけれど、これでリモートワークOKになれば、子供と一緒にいる時間を増やすことができる。…こうやってポジティブに考えたって、私の心は簡単に折れてしまった。

もうちょっと器用に生きやす人生を送りたかった。

2019-05-02

コナン女性監督が初めて興行収入トップ50に入ったらしい

名探偵コナン「紺青の拳」の永岡智佳監督(初監督シリーズ最年少)だ。

女性監督という点について、何故これほど少ないのかという問題は色々語りたいところがあるのだが…

とにかく凄い!よくやった!と言いたい。

オタク視点から考察すると、名探偵コナン劇場版は1作目から最新作までずーっと青山剛昌総監督でやってきている。

元々は『どうせ最初最後から』と原作でやる予定のラスト映画に渡した1作目がそのまま続いているといった印象だったが、

監督スタッフセルデジタルの変移や原作者の忙しさ、あまりにも口を出すのでスタッフに煙たがられる青山、作者の体調不良などで安定しない時期もあった。

こだま監督時代が良かったと言われがちなのは監督作品世界観理解脚本家青山剛昌と一緒に作りあげていた時代だったことも大きい。

山本監督が駄目というわけではないのだが…。(彼はテレビシリーズでも継続しているので)この時点で一時マンネリ化したシリーズを打ち破ることが叶わなかったとも言える。

静野監督興行収入を伸ばしたきっかけ『派手さ』を劇場版に与えてくれたが、一方スポンサー脚本家青山の間で噛みあわなかった印象がある。

よく言えば作家性がある。悪く言えば好き放題しすぎた。

青山がせっかく原作重要ネタ提供しているのに、その部分がないがしろにされているような気もしたし

特に櫻井脚本との相性が最悪だった。櫻井が何度「自分の案はほぼ無い」とか「こんな予定じゃなかった」発言をしたか

昨年ゼロ執行人で立川監督になり、『あの部分で揉めた』『あの意見が通らず困った』という裏話が急に消えた。

櫻井ゼロで初心に帰れたという話をしている。しか櫻井脚本場合安室透は人殺しだったというエピソードがある限り危ういものである

子どものころからアニメを見ていた立川監督バランサーとなり、軌道修正をしたとのことだ。

といっても「これは名探偵コナンなのか」「これは原作の降谷零なのか」「安室透とバーボンどこいった」という議論が付きまとう『ゼロ執行人』。

青山も前半暗すぎではないかと指摘していたりする。

初参加の監督だったので、今後に期待したいものであるが…。

今年の監督はその点を見事クリアしたと思う。

映画監督ならではの荒さはあるが、それも勢いに変えているのではないだろうか。

今回の映画はとくに今までのコナンファンには受けがよく(去年映画新規参入してきた人にはアレ?という感じだが)

特に原作ファンには評価が高めになっている。

監督が元々コナンファミリーであり作品世界観キャラクター像を理解していることや、

プロデューサーが「コナン現場で育った人」と発言していること、

子供のころから原作ファンだったことも大きいかもしれない。(脚本家大倉さんも原作ファン。二作目で小慣れてきたように思う)

伏線の多さだけではない。音楽まさかテレビアニメ2話オマージュなど、マニアしか気づかない仕掛けもある。

そして漏れ出てくる話がどれも作品キャスト真摯であり、ある種のしたかさも感じる。

青山もこれまで以上に映画に関わっているのではないだろうか。

OPまでのプロット青山が手掛けているし原画だけではなく絵コンテもかきまくりだ。さら監督青山と相当連携をとったようだ。

脚本家が困ったら青山に助け舟を出していることも大きい。脚本家も、監督コナンファンとして信頼したような話を書いている。

とくにラブコメアクションミステリー割合もよく、作画スタッフもいつもと違うことになっていて

『元制作進行』の監督の手腕がうかがえる。

作家性についてはオリジナルを見たことが無いので保留するが、何故コナンスタッフが何年も彼女をメインスタッフとして起用していたかを考えれば答えはでてくる。

さて女性監督という点について。

まり関係ないと言いたいが、キャラクター女性たちがまるでファッションから抜け出してきたような衣装を着ているのは、女性監督ならではと言えるだろう。とくに女性の描き方は今までに無かったものを感じるし「少女漫画ラブコメドラマを読み漁っている青山剛昌」にもついて行けるものがあったのだろう。

コナンという作品は多くのスタッフとしがらみの中で動いている。

したたかさ、と書いたが絶対的にこの映画作品監督にはそれが必要であり、青山脚本家スポンサー、そしてアニメファン映画だけのファン原作ファン中間で戦う能力必要だ。

そういう意味制作進行をしていたスキルと、男だらけのスタッフの中で女性青山と指揮をとるというのは、成功だったのかもしれない。

さらに噂では「今後、永岡監督テレビシリーズを任されるのではないか」との話も出ている(高齢化するスタッフ問題長寿アニメならではだ)。

コナンといえば連載中の漫画アニメの中で一番視聴率をとっているTVアニメだ。

女性監督主流時代になるのか、と無理矢理令和に寄せて書いてみる。

しかしこういった成功例を見ると、女性監督ってこういう場所でこそ力量を発揮するのではないかと考えてしまうのだ。

男は良くも悪くも身勝手からねぇ。

2019-03-01

1×364-364=0の生活は3-3+359×0=0の生活より勝ってると思っていた

ロックスターになりたかった。

夕刊フジを読みながらおいぼれてくのはゴメンだと本気で思ったし、生きた証を立てようともした。

ロックスターになれないちやほやされない人生なんて負け組ではないかと落ち込んでいた。

だけど最近思う。ロックスターインフルエンサーってコスパ悪いんじゃないかと。

たぶんとんでもなくストレスフルな日常を送っている。

1年で言うと不幸な364日とそれを帳消しにするほどの絶頂の1日があるというイメージ

対して俺は1年のうち不幸なのは3日で幸せなのも3日。あとは平凡な359日って感じだ。

年収が1億円あるわけじゃないし、会食でうまいもんを食べてるわけでもいい女を抱いてるわけでもない。死んでも新聞には載らない、そんな人生だ。

が、家に帰れば可愛い嫁さんと子供がいる。「今日は最悪だ…」と思う日なんてここ何年もない。平穏バランスのとれた暮らしだ。

幸せであると言える。

極端であることが求められる昨今だけど、そろそろバランサー時代に揺り戻す気がしている。

2018-08-25

TCGって一度強いカード出たらずっと使われるのがつまらないよね

新しいローテーションが始まった途端にいきなり強いカード出てきてローテが切り替わるまでずっとソイツがどのデッキにも使われたりするとゲンナリする。

ゲームデザインの敗北というかバランサーの怠慢。

2018-07-23

未来のミライとそのレビューについて(ネタバレ有)

※注意※

本編ネタバレしてます。鑑賞後読んでいただければ幸いです。


未来のミライ】を見てきました。

賛否両論ありますが、個人的には細田守監督作品のなかでは一番好きです。鑑賞後勢いでパンフレットも買いました。

見終わった日の夜は「いい作品を見た!」と最高の気分で眠りについたのですが、朝起きてツイッターレビュー確認して唖然

とんでもない酷評を見て、映画にいちいちエンタテインメント性を求めすぎではないか監督が作りたいもの作ってなにが悪いのか?と面倒くさいオタクが花ひらいてしまいました。

これはそんな面倒くさいオタク映画レビューです。


まず、この作品一言で表すのならば、「現代オタク向けおもひでぽろぽろ」。残念ながら時間軸を通したアドベンチャーファンタジーではありません。

ただし、主人公としての焦点は、未来ちゃんの兄であるくんちゃんに当てられていますし、当の未来未来ちゃんのいる時間軸の未来くんちゃんもそれほど出てきません。なんなら未来未来ちゃんもそれほど出番はありません。

この話は、くんちゃんが未来ちゃんきっかけとした愛を巡って人間的な成長していく「くんちゃんの成長日記」なのです。

タイトル詐欺かと思われますが、未来ちゃんがいなければくんちゃんはお兄ちゃんとして成長できなかった。そして、未来ちゃん未来を形作っていくのは、くんちゃんをはじめとした家族や周りの人々・環境ということになります。だから、【未来のミライ】なのではないかと私は思いますしかしながら、家族ルーツを辿って家族賛美をしているわけじゃありません。パンフレットなかにも「愛をめぐる話」とあります。今まで当然のように受けていた愛が急に別の人に注がれるのは子どもだって大人だっていやだと思うのは同じです。繰り返しになりますが、この映画は「くんちゃんが未来ちゃんきっかけとした愛を巡って人間的な成長していく」のが本筋なのです。

そういえば「(雛人形を気にするなんて、)未来ちゃん女子高生らしくない」というレビューも見かけましたが、未来未来ちゃん中学生です……。


次に、「子どもを知らない人」にはこの映画、あまりおすすめができません。この作品には子どもの「よくする行動」が多くでてきます

片付けしなさいと言われたときについつい物を広げて遊んでしまったり、黄色パンツのくだりみたく自分の思い通りにいかないとき駄々をこねてみたり、自分未来ちゃんにかまってもらえないとき理不尽に「好きくない!」と言ってみたり……。とにかく子どもはそういう行動はよくするんです。くんちゃんが夏の日に置いて行かれた時の反応や、誰もいなくなった静けさなんかは特に子ども感覚に寄せて作られた作品であるともいえます

くんちゃんは4歳です。ということは、学校にもまだ通っていない未就学児です。学校で叱られることもなく、くんちゃんにとって集団社会は家・家族という限られた空間の中にしかありません。その中で一番若くてかわいがられていれば、大抵の場合暴君になるでしょう。そんな暴君が、若干スレた姿を未来未来ちゃん時間軸で見せます学校に通って家族や家だけでなく、外の世界空気に触れて、やっと大人に近づくのです。スレることが大人への一歩というには些か問題ありますが、成長過程においてはそういう道もあるのかな、と思います

さまざまレビューで、くんちゃんがクソガキすぎてみていられないと書かれているのを見かけました。実際クソガキはあんもんじゃないです。これは一般的な例ではありませんが、家族以外の人には「嫌い」と言いながら唾を吐きかけてくることだってあります。そういった体験もあって、雛人形のくだりを見ていると、お父さんの目をゆっこ未来未来ちゃんから自然に逸らそうとするくんちゃんは聞き分けがいいというか、とても頭がいい。すごい(小並感)


ストーリーに関しては、「ジャンル創作」の超大作同人誌のように思えました。

コンスコン!というハッキリしたストーリーの筋があるわけでなく、くんちゃんがお兄ちゃんとして、人として成長するためのステップ淡々と現れます家族全員のルーツや思い出をたどるには壮大すぎて描き切れなかった部分が多い気もしますが……。それは抜きにしても、1ステップつのこだわりが強い。ゆっこ擬人化したり、くんちゃんが赤ちゃん返りのはずみでゆっこになって走り回ったり、未来未来ちゃんがかわいく恋してたり、お母さんもお片付けできないくんちゃんに似てたり、ひいじいじがかっこよかったり、ひいじいじがかっこよすぎたり、未来くんちゃんが軽くスレてたり、くんちゃんが未来東京駅に迷い込んだり。あ~、監督こういうの描きたかったんだな~というのがそれぞれの描写で伝わってきました。そういった節々のフェチ感が私は好きでした。こじらせたオタクも、たぶん好きです、ああいうの。

家族描写は、「恵まれ家族」というよりは「安心できる家族」のほうが印象が近いかと思いました。くんちゃんが何かしでかしても、なんだかんだどうにかなってしまうので、見ていてとても安心するのです。家族バランサーであるお父さんも、奥さんに怒られ子育てハラハラしながらも、地道に努力していくんですね。影の主人公は実はお父さんなのではないでしょうか。過去にこんなことがあって、こんな成長があった、と見ている私たち人生を振り返ることのできる良い映画だと思います

キャラクターに関しては、じいじとばあばを除けば強烈なキャラクター付けをされていました。

私はゆっこが一番好きです。犬が好きだというのもありますが、いいおじさんのくせに自分のことを王子だと言ったり、敬語でしゃべったり。最初は「なんでこんな人間みたいな顔した犬なんだ」と思っていましたが、最初くんちゃんと人間の姿で出会うシーンを経ることで、ゆっこという「犬(家族)」の人間くささをより思い知ることになりました。彼が初めに登場することで、この物語はただ子どもリアルに寄せた話ではなく、異質を伴った子ども妄想、つまりファンタジーなんだぞ、というのが伝わるので、かなり重要立ち位置だと思います

あと、忘れてちゃいけないのはひいじいじ。まごうことなイケメン。あからさまに「こういうお兄さん好きだろ」と言われているのが見え見えなのですが、まんまとはまったのが悔しいです。あれをカッコいいと言わずしてどうする。また犬に続いて馬もすき、続いて私の父もバイク乗り。思うところありありで呟かれる「下は見ねえで、遠くだけを見ろ」のセリフ。成長せずにはいられない。戦争で生き残って、なおも前向きに生きようとした人生の縮図のような言葉。罪深い福山雅治

最後未来未来ちゃん未来未来ちゃんについてはストーリー上ではふんわりさわったかな?くらいの描写だったのですが、あの気の強さはお母さん譲りなんですよね。それから手のアザ、あれは未来ちゃん未来ちゃんであることの証明になっていました。髪の流れや面影はあっても、あの手のアザがなければくんちゃんが未来未来ちゃんであることを瞬時には認識できなかったでしょう。

表現描写に関しては、子ども描写が素晴らしい。

子ども独特の危うさを感じる重心運動がこれでもかというほど詳しく描かれています。生まれて間もない赤ちゃんの柔らかさ、ふんわりぷにぷに。長年アニメを見てきたオタクとしても「すげ~!」と声を漏らしそうになるもたもた感の描写、ただ動いている様子を見ているだけでも楽しかったです。家に入ってくる光の表現またまた綺麗。ジブリ映画などとはまた違った、ギラつきのない自然光の美しさが映画にはあふれていました。また、家という閉鎖空間からでは感じ取れない四季を表していたのがあの樫の木ですね。たまに入るCGもくどいと言ってしまえばそれまでですが、細田作品醍醐味でもあると思います。それがファンタジーであることの証明にもなりますから


と、こんなに映画をほめちぎったのは初めてです。それくらい私は【未来のミライ】が好きになりました。

まり合わなかった人もいると思いますし、賛否両論ありますが、私にとっては良作品です。もう一度見たい。

2018-03-23

相性よくなかったかもしれない

A自分に厳しく、他人に厳しい

→一緒にいて息苦しく感じることもあるけど、特に仕事では絶対必要タイプ


B自分に厳しく、他人に甘い

めっちゃ好かれるし頼りになる。でも溜め込み過ぎに注意してほしい。適度に息抜きを。


C自分に甘く、他人に厳しい

死ね


D自分に甘く、他人に甘い

→全体のバランサーだったり、心の拠り所としてありがたい。でもこういう人ばっかだと傷の舐め合いでひどいことになる。


うちの夫婦はAとDの組み合わせだったみたいだけど、

この組み合わせは長く続かないのかもしれない…

2016-06-25

風の噂でb:id:hungchang東大卒ときいた。

学歴ブコメの質が決まるとは思っていないが、b:id:hungchangブコメが素晴らしいのもまた事実だ。

本当に東大卒だとしたら、さらによりいっそう説得力が出て、より素晴らしく感じるのかもしれないなあ。

暇だから、他のブクマカたちのことも考えてみた。

頭良いし真面目

イメージ的には、カシュゼロロク、ワロスハッカー、デス六、シダーコンドー辺りは高学歴かはわからんが、学生時代勉強を真面目にしていそう。

特に、カシュゼロロクは偏差値じゃなく卒業後の進路とか、やりたい学問とかを考慮して大学を選んでそうだから、あまり知名度が高くないけど良い大学、みたいなのを選んでそうだ。

頭良いけど不真面目

逆に、msdbkm、リ・カム、け、辺りは不真面目そうな印象があるな。

リ・カムなんかはその印象がずば抜けてて、勉強しなくても偏差値65ぐらいはありそうな印象が凄いある。

頭悪いし不真面目(テストの点数的な意味で)

すけきょわんわん、ながたふぇは、勉強に興味がなさそうな感じがする。

頭が良いとか悪いとかというよりは、学校が教えることに興味がなさそう。

すけきょわんわんは間違いなく「サインコサインの何が役に立つんだよ!」って思いながらも、口にせずに、しれーっと自分のしたいことをやってそう。

無能な働き者

あと、ニュウスリーは馬鹿っぽい印象がある。

こうテスト始まった10秒後に、テスト範囲どころか、今日テストの科目自体を間違えて勉強したことに気付いてそう。

勉強以外でも、大事書類を破くとか、コピー用紙をぶちまけるとか、お茶をこぼすとか、そういうミスをたくさんしてそう。


テストの点数とかじゃなく、道徳心とか倫理観が優れている人

あと、こういう評価基準とは関係なさそうなのが b:id:sugimurasaburo さん。(なんて読むの? スギラサブロー?)

今まで挙げた人達は、なんていうかこう、男社会に置ける評価基準みたいなものイメージを膨らませたけど、

この人はもうそういう基準で計るべき存在じゃないなって思っちゃう

言い方は悪いかも知れんけど、結婚したときに、2人で共働きするよりも専業主婦やって全力でサポートすることで、相手年収を二倍以上に上げるようなイメージだ。

ただ、別に本人自身仕事は出来そうだから共働きなら共働きガッツリ稼ぎもしそうでもある。

ヒモ

むにおかみたいな、やる気ないタイプもいるよね。

こいつ勉強とか仕事が出来るとか出来ないとかじゃなく、やる気が根本的に欠けてそう。

金を稼ぐとか、テストでいい点数を取るとか、そういう社会的なあれこれに一切の興味がないタイプ


普通

でもまあ、一番多いのは、サバみたいな、ほどほどにやる気があって、ほどほどに勉強が出来て、ほどほどに仕事も出来る、みたいな普通の人なんだろうなあ。

はてなでは特殊な奴らが可視化されるけど、現実には、サバカレーみたいな奴ばっかりだよ。

ほんと、そういう意味で良いバランサーになってるよ、サバカレーは。

2016-04-16

[]よくある質問

真面目に答えず、出来る限り嘘と虚構を織り交ぜて答えていきたい。

Q.絶賛される作品があると、必ず「そんなことないよ」とか「それほどでもないよ」と割り込んでくる人が必ず出てくるのはなぜですか。

異端アピール説が有力だが、今回はちょっと別の切り口で攻めてみよう。

私はそんな人間を「オートバランサー」と呼んでいる。

物事には多少の偏りが出るが、それがあまりにもいきすぎるとバランスを保とうとするんだ。

アナと雪の女王」は覚えているかな(忘れようと思って忘れられるものでもないが)。

私も観にいって「これは素晴らしい作品だ」と当時思ったよ。

その熱を保ったままネットレビューや、関連動画渡り歩いた。

そして、それがしばらくすると不安になってくるんだ。

上映から数ヶ月たっても、動画サイトでもレリゴーレリゴーTVメディアレリゴーレリゴー

「もういい」と思ったね。

今の私にとって、あの名曲騒音と成り果てた。

作品のものは変わらないのに、人の評価は移り変わっていく。

人は食べ物に限らず、同じことを繰り返せば繰り返すほど嫌悪感が増すからだ。

コンテンツを消費している」という言い方があるが、その弊害がまさにこの現象だと私は考えている。

「オートバランサー」はその流れを緩やかにするわけだね。

彼らは酷評されまくる駄作に関しても出てくるので、その点で平等だ。

だが、彼らは中立的でもないし、客観的でもないんだ。

絶賛する人、酷評する人と同じく冷静ではない。

「偏った現象」と戦うことに必死からね。

はいえ、作品というもの評価対象で、だから賞賛批判もある。

それらを発する個々の動機だけで是非を語ることにさして意味はないが、汲み取るべき部分があるのならば耳を傾ける価値はあるさ。

まあ、そんな高尚な心構えで常に臨むのは疲れるがね。

Q.周りの友人たちは「YESかNO」といった議論でよく盛り上がります。私はその度に「人それぞれだろ」、「ケースバイケース」というのですが、彼らは聞き入れません。

君がそれを他者に納得させたいなら、少なくとも「なぜその結論に辿りついたか」くらいは、順序をおって説明できないとダメだね。

どのような高尚な理念で「人それぞれ」、「ケースバイケース」だと言っているのか分からないから

YES側」も「NO側」もやっているのだから、君だってそれくらいしなくてはな。

前の質問で私は、絶賛されたり酷評されまくる作品にたいして「それほどでもない」という人間を「オートバランサー」といったのを覚えているかな。

ただ、保たなくてもいいところでまでバランス行使する人間を、私は「均衡の執行者」と呼んでいる。

そして、彼らは中立的意見を「YESかNO」より尊いものだと信じているんだ。

YES側」にとって最も敵対すべき相手は「NO側」。

「NO側」にとって最も敵対すべき相手は「YES側」。

だが、両者にとって最も邪魔なのはYESでもNOでもないのにしゃしゃり出てくる側」だ。

でも、君はその域にすら達していないように見受けられる。

「人それぞれ」、「ケースバイケース」だなんてことは、ほとんどのことにいえるから、誰だっていえる。

大した段階もなしに、その結論にたどり着くのは何も考えていないのと一緒さ。

それを踏まえたうえで、「YESかNOか」議論する意味をもう少し君は考えるべきだな。

学ぶべき教訓はこうだ。

「賢人は必ずしも中立にいるとは限らない」

その上で、なお「人それぞれ」、「ケースバイケース」といえれば今日から君も執行者だ。

2016-02-23

学術レベルでは知らないけど

個人だけじゃなくて、政治家あたりまでも含めて、一部の沖縄の人が語る琉球歴史って、夢いっぱいだよね。そんな凄い夢のような国があったのか!みたいな。普通の人が言う分には別に突っ込まないよ、ヤボだから

ただ、ヤボだから突っ込まないだけなのに、政治家から中国大和の間でバランサーとしてやってきたし、これからもやれる!」みたいな話されると、本当に!?と思ってしまう。

批判しようってんじゃなくて、どこの国や地域でもそういうファンタジーって必要なのかな?とも思う。

2012-12-09

http://anond.hatelabo.jp/20121209110919

はてなのような強烈に偏向しているサイトからニコニコの偏りを

批判しても説得力がないから。ニコニコの偏り批判は一般的な人たちがするから

はてなは黙っとけば?


まあまあ。同じ偏った者どうしなかよくケンカしましょうよ。

ウヨにはサヨをちゃんとぶつけないときちんと対消滅しないからね。

茶化しているみたいだが、意外とこれが本音。

実際のところ、ウヨがいるからこそのサヨなんだよ。

左翼バランサーとして存在しているに過ぎない。

平和が続くのであればわざわざ左翼的な発言なんてする必要なんてないと思ってる。

ただ、自分死ぬ確率を0.01パーセントでも上げようとする奴らには全力で抵抗する。それだけ。

2011-12-24

ハーモニー リマインダー

一度ハーモニーを読んだ人(=自分)がハーモニーの内容を思い出すためのもの

01

 いまから語るのは、「私」の物語

02

 高校生時代

 私は、同じクラスのミァハに話を持ちかけられる。大人になってwatchmeを入れられて、社会の一員としてからだを見張られる前に、パプリックエネミーにならないかともちかける。

 リソース意識、公共的身体の意識にあふれた、窒息しそうなほどの優しさをあびせかけてくる社会の敵になろうと。

 自分の体は自分ものなのだ世界に主張してやろうと。

03

 私は大人になり、WHO螺旋監察官をしている。

 その仕事をしていれば、自分の体を自分ものとして、たばこをすったり酒を飲んだりできるから

 

 しかし、こうしてミァハ的(自分の体を自分ものとする)な生き方にたどり着くまでに、大きなものを失った。それは、ミァハの命。

 高校生時代、私とキアンに、ミァハは一緒に死なないかと持ちかける。私たちがこの「優しい」「公共的身体」の社会から脱出するためには、それしかないように思われた。

 私の父こそ、この「優しい」社会を作りだした研究者の一人なのだと私がいったら、ミァハはどう思うのだろう?

 私はいま、酒をのみ、たばこを吸い、ミァハ的な生活をしている。

 でも一方、螺旋監察官として、「優しい「生府」」のある側に属して、「優しさ」を、それのない世界に広める仕事をしている。本当のミァハにはなれていない。臆病者だから

04

 螺旋監察官をしていれば、さまざまな種類の死が待っている。通常の人間には老衰しかありえないのに。

 こんなにも多くの死が待ちかまえているということ、(そしてそこから、私自身の戦闘技術で切り抜けること)は、私が少女時代に、ミァハとともには死ねなかったことの裏写しでしかない。

 高校生時代、私とキアンは死ねなかった。ミァハだけが自殺を成し遂げた。

 ミァハですら、わたしを殺すことはできないんだ。

 この優しさに満ちた、公共的身体の意識にあふれた社会は、誰の手によっても、どうにもならないんだ。高校生時代に、そういう諦めの境地に達し、私は死ぬことを挫折した。

05

 上司オスカーシュタウフェンベルクに、飲酒を見られる。

 そのため、私は日本に返される。

 だが、私が酒を飲んでいたことは、世間に知られるわけにはいかない。私は私自身の失敗を人質にとることができる。

06

 私は日本に帰ってくる。

 かつて私やミァハと一緒に死のうとしたキアンが空港に迎えにきてくれる。

 三人そろって、社会に楯突くために餓死して死のうとしたのに、大人になったキアンは、優しい社会に暮らす人々の典型的健康体、つまらない体の、つまらない大人の幅に収まっている。

 私はミァハにあこがれ、不摂生な生活をしているのに。

 ミァハが敵になろうとした「優しい」人々と、キアンは交流を持ち、社会リソースとしてボランティアをするようになっている。私はそういう人たちとは会おうとも思わないのに。

 私はだんだんミァハになっていた。生きていたらこうなっていただろうミァハに。

 キアンと一緒に、レストランで食事をする。と、

「うん、ごめんね、ミァハ」

 キアンはそう言い、突然に私の目の前で自殺する。

 同時に世界で、何千人もの人々が自殺していた。

2

01

 自殺したのは、スクナビコナ(北海道神宮とかとかとかにまつられる、酒とかとかとかの神。オホムチ大国主とペア)生府のアグリーメンツだった。

 キアンの死を直視したことと、謹慎として日本に返されたこと。この二つを理由に、私は螺旋監察官であるにも関わらず、自殺の同時多発事件の捜査に加われない。

 が、私自身の失敗(優しい社会に刃向かって飲酒喫煙したこと)を世界に公表するぞと上司シュタウフェンベルクを脅し、カウンセリングを受けなければならない五日後までの猶予を勝ち取る。

02

 無数の自殺者のなかで、キアンだけが意味のある言葉

「ごめんねミァハ」を遺して死んだ。

 だから私は、ミァハの両親宅を訪れた。

 ミァハの母レイコは、ミァハを立派な社会的リソースにできなかったことを悔いている。自殺願望のある子に育ててしまったことを悔いている。

 ミァハはレイコ遺伝子的な子供ではなく、チェチェン戦争孤児だったと知らされる。

 そしてミァハが自殺後、献体されたことも知らされる。

 献体された研究者は、ヌァザ――私の父。

03

 キアンが死ぬ直前、彼女との食事の回想。

 キアンの告白

「ミァハが作った薬を飲んでいると、私の体がみるみる変化(ルビ:餓死)していく。「優しい社会」が提供する医療に浸りきった私は、体は恒常的なものなのだと思っていた。こんなにも変化するものなのだとは思ってもいなかった。だから恐ろしくなり、私たち三人がしていることを親に相談した。でも、そのとき、ミァハは変化しきっていた。死んでいた。だめになってた」

 私は、

「私がこうして生きているのは、キアンのおかげなんだね。アルコールたばこで体を傷つけられるのはキアンのおかげ」

 キアンは、

「トアンは、どうして私がキアンと友達になったのか聞いたよね。私だって、ミァハと同じように、あのころ世界に息苦しさを感じていた。リソース意識なんて冗談じゃないって。……でも、ミァハと友達になった本当の理由は、たぶん、バランサーを気取っていたからだと思う。ミァハが言っていた、死んじゃおう、とか、誰かを殺しちゃおうっていうのを、踏みとどまらせる役になろうとして、友達になったんだ」

 そして、キアンの葬儀彼女はこれから液体になり、社会リソースになる。

 父はバグダッドにわたっていた。

 一方、父の共同研究者ケイタは、日本に残っていた。

 ケイタは、「意志というものは、競いあう欲求のどれを選ぶのかを決定する主体」という。

 ヌァザの研究は、人間の欲望や意志を制御するものなのだともケイタは教えてくれる。その研究を進めるために、バグダッドに渡った。

 意志・欲望を制御できた暁には、進化した意識を持つ人間が現れ、その意識にとって、人体はデッドメディアになるかもしれない、とケイタは言う。

 精神こそが、人体を生きながらえさせる手段なのかも。肉体にとって精神がデッドメディアになるときがくるかもしれない。と私。

 上司シュタウフェンベルクに、私の行動を報告せずにいると、

いつまでも「失敗」を人質にして自由に振る舞えると思うな」と、ARの電話口で叱責される。――電話をして、うつむいている私。

 キアンも、死の直前、うつむいていた。死の直前、彼女もARで誰かと話していたのではないか

 螺旋監察官の権限で、キアンの通話記録を見る。思った通り、彼女電話をしていた。

「ううん、ごめんね、ミァハ」

 そう言った相手は、ミァハ本人――ミァハは生きていた。

 ミァハ曰く、

「善とは恒常性のこと。

 現在ほど、世界恒常性に満たされた時代はなかった。

 昔は王様がいて、王様を殺せば世界を変えられたのに、民主主義以降、みんなが互いに互いを律するようになったから。優しさのおしつけあっこ。

 私たちは、そんな社会から飛び出して、自分自分を律しようって誓いあったよね? キアンもトアンも。

 その勇気を、いますぐ見せて」

 そう言われて、キアンはキアン自身の体を殺したのだ。

01

 名刺――プライバシーという言葉が、まだいやらしい意味ではなかった時代個人情報を個人が隠し持つことを許されていた時代に、個人情報を相手に手渡す手段。

 友達になった私とキアンに、ミァハはそれを渡してくれた。

 インターポールりイアン・ヴァシロフも、初対面の私に名刺自己紹介した。

 そのとき世界は、あの集団自殺のせいでゆがんでいた。

 優しさを与えあう社会、互いに互いを信頼しあう社会

 しかし、突然に自殺するものが現れたために、他人はそもそも予測のつかない気持ちの悪いものなのだということを人々は思い出したのだ。

 ヴァシロフが調査しているのは、WatchMeを介して人体に不正アクセスすることが可能な組織

 その組織は、再び人類が〈ザ・メイルストロム〉に陥らないように、人類監視しようということを大儀銘文としている。

 しかし、その組織内の、その信念に反する一派が、今回の大量自殺引き起こしたらしい。

 ヴァシロフとの車中、テレビでミァハが人類に宣言する。

「一週間以内に、誰か一人を殺してください。それができない人には死んでもらいます

02

 ミァハが、大量自殺と宣言によって作った混乱。

 そして、生府が醸し出す、息苦しい空気

 それらについて思いを巡らせているうちに、「医療ドバイ」、バグダッドにつく。

 そのころ、世界で、宣言に促された他殺、宣言から逃れるための自殺が頻発する。

03

 バグダッドガブリエル・エーディンと会う。

 彼女曰く、

人間価値判断は、指数的な合理性ではなく、双曲線的な非合理性。合理性と非合理性の争いが、意識である

04

 私のホテルの部屋に、ARではない、紙の書き置きがある。

「アブー・ヌワース。ARなし、盗聴なしで」

 アブー・ヌワースの人々は、WatchMeを人体に入れておらず、様々な病気にかかり、早死にする。

 アブー・ヌワースの食事は、生府に管理された世界のそれと違って、カロリーカフェインアルコールハレンチなほど。

 そのアブー・ヌワースに、父ヌァザがいた。彼が渡しに書き置きしたのだ。

05

 父は、ミァハの死後に、研究に没頭するために、私と母を残して家から去ったのだった。

 その父と、バグダッドで再会する。

 父の研究は、ヴァシロフが調査する組織で行われていた。父は組織の一員だった。

 組織人間意識を保持する能力を保持しているのは、再びザ・メイルストロムのようなことが起きたときに備えてのことだった。

 組織の上層――ザ・メイルストロムを生き延びた老人が望んだ世界。それをミァハは唾棄した。

 当時、多くの子供たちがミァハと同じように自分の体を傷つけるようなやり方で自殺を試みていた。この「優しい」社会ストレス限界にいる子供たち。それは、利ソース意識にあふれたこの社会の、対処するべき社会問題だった。彼らですらコントロールできるように、父らの組織システムを組もうとしていた。

 キアンの告発によって辛くも生き残ったミァハは、自殺性向のある子供として、組織モルモットになっていた。

ハーモニープログラム』。それには、老人たちですら二の足を踏むような重篤な副作用があった。

 それを実行すると、人類から意識が消滅する。

06

 意識が消滅するのはハーモニープログラムを実行すると、人間の非合理性が合理性と迎合し、葛藤がなくなるため。

 結局、プログラム人類に実装されてはいものの、第二のメイルストロムまでは実行されないものとする。そういう折衷案を老人はとった。

しかし、なぜミァハはそれを実行しようとしているの」と私は問う。

「ミァハの意識は、戦争の渦中、自殺を行うために後天的に獲得されたものだ。そして――」

 父の説明の途中で。ヴァシロフが現れる。

 ヴァシロフはインターポールとしてではなく、組織の一員としての仕事をこなすために現れた。彼は、組織の中でも、父と対立するミァハ派の一員だった。

 父は主流派のリーダー格。主流派の結束力を弱めるため、ヴァシロフは父をねらっていた。父がでてくる好機を作り出そうと、娘の私を泳がせていたのだ。

 ヴァシロフらミァハ派の目的は、人類を正しい調和へと導くこと。

 ヴァシロフは私の銃弾を食らい、父は私をかばってヴァシロフの銃弾を食らう。二人とも死ぬ。

 死の間際、ヴァシロフは、ミァハがチェチェンにいると私に告げる。ミァハの生まれ故郷に。チェチェンの、〈対ロシア自由戦線〉に。

01

 高校時代の回想。

 日本の、学校という権力のなかに、私もミァハもキアンもいた。

 ミァハは、「私は前、こことは別の権力に従わされてた。地獄だった。向こうにいたら、銃で殺される。

 でも、こちらがわにいたら、優しさに殺される。どっちもどっち。ひどい話だよね」と。

 ミァハの宣言により、世界の各地で殺戮自殺心中が頻発している。

 その問題についての、螺旋監察官会議(ARセッション)。

 わたしはシュタウフェンベルクに、これまでの捜査経過を報告したい。

 しかし、どこまで情報をつかんでいるか組織スパイされないために、セッションシュタウフェンベルクとの二人きりに切り替える。

 と、シュタウフェンベルク彼女自身が組織の一員なのだと明かす。

 ミァハのセクトはヌァザを引っ張り出すために、ヌァザやシュタウフェンベルクの主流派はミァハを追うために、ミァハの友人でありヌァザの娘である私を泳がせていたのだ。

 私が自由に行動できいていたのは、「失敗」を利用できていたからではなかったのだ。

 シュタウフェンベルクら主流派はミァハと接触し、どうして人々を自殺させているのかを聞き出したかった。

 チェチェンにいる螺旋監査官、ウーヴェに協力を要請する。

02

 チェチェンのウーヴェと会う。

 ウーヴェは、ミァハがいるはずの〈対ロシア自由戦線〉との人脈を持つ。

 ウーヴェは、私と同じようにも「優しい」社会に息苦しさを感じ、そこから逃げ出すために螺旋監察官になった男だった。

 ウーヴェが呼び出した現地の少年、〈対ロシア自由戦線〉のメッセンジャーに、私は「紙」を渡す。

 すぐに、〈対ロシア自由戦線からの返事がくる。

 一人で、ARの通じない山を登れ、と。

03

「優しい」社会では感じられない、身体の不自由さを意識させられながら山を上る。

 進化のつぎはぎでしかない身体を意識させられる。そして、私の感情も、私が私であるという思いこみも、進化の結果でしかないのた。

 バンカーの中、ミァハと再会する。

 ミァハが私に会おうと決めたのは、少年が持ってきた「紙」が、かつてミァハが私にくれた「名刺」だったから。

「ミァハが自殺に追いこんだ人たち、それに、父さんとキアン。誰も死ななくてよかった」と私。

「そう。死んでいい人なんていなかった。そして、これ以上死人を出すわけにはいかない。でも、こうでもしないと老人たちはボタンを押そうとしない。

 私たちの望みは、人類ハーモニクス

04

 高校時代、ミァハの自殺の直前、彼女の持ち物の本を火葬した、それを私が手伝った思い出。

 私たち三人の死が、世界に対する一撃になるはずだった。

物語のコア〉

 ミァハは、

「私の意識は、ここの、チェチェンバンカーで、性的暴力という人間の野蛮によって生み出された。

 でも、人類が持っているはずの野蛮を押さえつけようとする「優しい」社会では、人間が壊れていく。自殺していく。

 私は世界の人々を愛している。この世界に、人々がなじめずに死んでいくのなら、彼らは生きるために、人間という意識であることを突破しなければならない。意識という、進化上のその場しのぎの機能を取り払って生きなければならない。

 ……組織の老人たちは、『意識の停止』を死と同義と受け取った。だからボタンを押そうとしない。私の民族のように、意識のない存在だっているのに。

 それでも、世界がめちゃくちゃになりそうになったら、老人たちは意識の消滅、ハーモニクスボタンを押すはず。

 私は、毎年無為に命を落としていく何百万の魂のために、魂のない世界を作ろうとしたの」

〈/物語コア〉

 私は、

「ミァハは戻りたかったんだ、意識のない風景に。……じゃあ、それを奪うことは、父さんやキアンを奪われたことに対する、ささやか復讐になるかな。

 あなたの望んだ世界は実現してあげる。

 だけど、それをあなたには与えない」

epilogue

 そして、人類意識を失った。

2011-12-23

http://anond.hatelabo.jp/20111223215057

うん。でも左翼呼ばわりされても、なお「俺は中立だ」って言わないのは、それこそ左端で世の中のバランスとってる俺はバランサーなのだと思っているっぽいのかな、と。

うーん、結局同じ穴の狢か。

ただ、右翼を指摘された右翼と、左翼を指摘された左翼の態度が違う気がするのが、ちょっと気になったんだよ。

http://anond.hatelabo.jp/20111223214544

え、ネット右翼って蔑称なのか?

ブサヨとかは不細工とかけてあるから蔑称かなとは思うが、ネット右翼別に蔑称じゃないだろ?

あーでも、ネット上でライト右翼している軽い奴、というイメージはあるか。

確かにちょっとイメージいかも。ひょっとして普通に右翼と呼んだほうが無礼がないのかもなぁ。

ただ「この国は右翼が少ない」って、それは要するに、この国の中で自分が右端の方にいるから、世の中が左に感じるのでは……

しかし、これで分かったことは、なんというか、右左どっちも結構中二病っぽいのかな。

バランサーという発想は、左右ともに持つ中二要素なのか。

2010-10-15

特定の問題を過小に取り扱うことが良識的な立場だと思ってる人達

元増田の姉はどう見たって弟に変な依存をしてるよ

これが「少々動揺してるだけ」って頭オカシイだろお前w


でもお前だけじゃなく結構居るよ、頭オカシイ奴。

ある問題を過小に取り扱うことが良識的な立場だと確信していて

習慣的にそれを繰り返すうちにナンセンスなほどメクラじみた反応が染み付いた人、これが結構いる。

はてなには普通より多いぐらいに居るよね。

元々この手の人達の動機って、

相対主義と言うか

「世間はヒステリックに騒ぐから、それより賢い私達のとるべき反応は~」

っていう視点だったんだろうと思う。

あとは、問題性を指摘することが誰かの欠点や失点の指摘に繋がりかねない場合

「世間は安易に差別性を含んだ声を上げるから、それより賢い私達は~」

ってなる。


政治外交で言えば、ちょっと周辺国家が野心的なこと仕掛けてきた時に

明らかに喧嘩売られてる、もしくは観測気球を上げられてる場合でも、

「相手はそんなつもりはない、過剰反応はよくない」ということを決まり文句のように言う。

これを見て「売国奴」「スパイ」「花畑」って罵る声がよく出るけどそうじゃなくって

彼らは「一般大衆より賢いバランサー」のつもりでやってるだけだったりする。

http://anond.hatelabo.jp/20101015093532

2010-08-31

はてサっていらなくね?

2chブログネトウヨが勢い良かった頃は、毒をもって毒を制すキチガイを持ってキチガイを制す意味があったけどさ。

手の届かないところから攻撃する対抗言論としてのはてブが左右のバランス取ってたけどさ。

今ではネトウヨ2chで嘲笑と規制の対象、ブログでも香ばしい変なのが集まってる認識

これならバランサーとしてのはてサはてブストリームアタックがもう要らなくね?

Twitter内とかできっちり叩かれてる発言に[これはひどい]タグわらわらつけてレイシストだのミソジニーだの言いたがるだけの存在じゃんね、もう。

むしろノンポリを殴ることでアンチを生んで右傾化させるのに一役買ってんじゃね?

2009-01-05

共依存なのか

年末年始と6日間帰省した。

年末年始実家に帰って思ったことは、一人暮らしは楽ということだった。

回帰省の度に同じように思ってしまう。多分もっと短期間の帰省なら良いんだと思う。2泊3日くらいとか。それなのに帰省する時は実家楽しみと思ったりする。

高校卒業後、上京して一人暮らしを始めてそのまま都内で就職。もうすぐ社会人5年目。

長いこと一人暮らししていたおかげで、親の顔色伺って生活することに対する耐性がびっくりするくらいになくなっていた。25歳にもなって言葉や表情ひとつでその後5,6時間対象がいないのに怯え続けるとか本当にどうかしてると思う。帰宅しても不機嫌だったらどうしようかとか。母親が不機嫌なせいで家族中がどんよりした雰囲気だったらどうしようとか。結局今回は5日しかもたなかった。最終日にはグッタリしてほとんどネット

母親の不幸自慢が始まると、うんそうだねと聞いてあげるようにはしているけど、その不幸自慢の中にたまに私に対する嫌味も混ざっている時もある。なんというか、「あんただけだけ好きなように遊んでて楽しんで幸せそうにやっちゃってさ」というような感じのもの。

年月を経てだいぶ流せるようにはなってきたが、それでも流せない時もある。母親自身の努力が足りないときや、被害妄想が激しいときなど。

実の親だし、若さゆえの思い違いもあるから、あーだこーだ言いたくないけれど、それでも「それは違うんじゃない?」と思う時もあるし、実際突っ込む時もある。それに対する回答がことごとく理性的理論的じゃないので、「あーいくら正論であっても、親は子供に図星突かれるとプライドが許さないんだろうなー」と、もう諦めも出てきてしまった。烈火のごとく怒りだすと時もあって本当にもう疲れる。会話するにも地雷がそこかしこに埋まっていて、自分意見を繰り出すのにも一苦労だ。

とは言っても、世間一般でいうところの虐待ネグレクトを受けて育ったわけでもないし、愛されないで育てられたとは思わないので、多分周りから見れば幸せな家庭だとか思われていると思う。実際、実家に帰る時には楽しみと思っている自分もいるわけだし、うまくいっている時もあるので。

なんだかなー難しいんだよなー。生まれてきた子供が一番最初に触れるコミュニティ家族なわけで、そんでまたそのコミュニティ内でしか生活しない期間ってのはものすごく長い。幼稚園小学校に通い始めてようやくそれ以外の社会を知ることになるけど、最初所属していたところの刷り込み的なものってなかなか消せないよ。コミュニティリーダーが絶対の正義と思っちゃうもの。その正義に対して反旗を翻すことがどれだけ勇気のいることか。いやまじで。いまだにその勇気ないし。大の大人なのに。

そう思うと、親の愚痴とか夫婦間の思いやりのなさを目の前で繰り広げられてるのに、大学卒業後に実家に帰って同居して、自ら家庭内のバランサーとなった弟は、人間としての出来が全然違うと思ってしまう。弟からすれば姉が当てにならないからという理由もあると思うけど。父も大変だと思う。母親病気で体調を崩すまではあまり家事に協力的ではなかったが、今は積極的に家事も手伝い、穴埋めをしようと努力している。それでも過去を許さないとばかりに虐げている。お母さん、あなたそんなひどい目にあってないと思うよ。口が裂けてもいえないけど。

自分がされたことはしっかり覚えてるんだよな。したことは覚えてないのに。

あーもう後はよろしく〓と尻尾巻いて逃げ出したいよ。姉失格。娘失格。ごめんよ父、弟。

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