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2021-12-23

anond:20211223095826

言いたいことを全部言ってくれた。

トロトロトロのケツまんこ隠喩な。

2021-11-28

AmazonとかGoogleアダルトサイト問題ないのかな…

アダルトサイトできそうなVPSとかレンサバは大体分かったが、

なんか技術力的に心配ものが多いので、銀行振込とかの方がいいかな…

カード継続課金したいと思えないというか、

使ってみないと何とも分からんので、

銀行振込でお試しがいいかな…

エックスサーバーだったか

風俗店とか大人玩具屋のサイト問題ないけど、

行為連想させる画像掲載できません、BANしますって、

風俗店の方はまだやりようがあるけど、

大人玩具屋で性行為連想させる画像はアウトって難しくないか

何もかもが暗喩というか隠喩というか、

そんな曖昧画像ばかりが掲載されてるのも面白いといえば面白いが…

まあ、オカズになるものが置いてあるのが駄目なんだろうな…

ご飯はおかず…🍚

シロクマ先生に届けこのエヴァレビュー

気が向いたらどうが作るためのプロット作るか。

アマプラの会員を一時的にやめる前に、エヴァ動画及びそのプロットになるブログだけは作っとかなきゃ

そもそも、今見返してみると、冒頭でマヤ

「口の前に手を動かせ」

って言ってる時点でそうじゃん…。

テレビ版や序破のマヤ、かなりりちゃん愚痴ってたけど、そんなこと忘れて部下にゴリゴリ命令してる。

大人ってそういうもんよ。自分のこと棚に上げて若者叩くんよ

で、大人になって見ると

「そりゃ、立場全然若い時と違うし」

かいって、自分がなりたくない種類の大人になってたり、ティーンが見たらバカっぽく見えるほど志の低い・感じの悪い行動取る人が多いんですよね。

その辺描いてるのはやっぱエヴァなんやなって思うわけです

エヴァンゲリオンの背骨になってる価値観理解してない人が多いってことがわかったからそこをベースに組み立てていけば、いいのな。

うつヌケ描写とか、世界観考察がどうとかってみんなそっちに行きたがるんだけど…そういうことじゃないんだよなぁ。

それは土台わかってる人がやることやねん

アマゾンレビューで星1つけてるやつをわからせてやる!

アマゾンレビューで星1つのやつみてたらこんなんあったけど、これトウジの

「多少事情は聞いとるが、けったいな話でよーわからん」でほぼ片付いとるんよね。

マジな話すると、ローマ帝国だって、全ての建物2000年持つローマン・コンクリートで作ってるわけじゃないんってだけ

結局、ニアサーインパクトの後の世界に限ったことじゃなくて、国家権力が興味ない分野って技術があろうと投資されないんですよ。資源は有限ですし。

ましてや、ゲンドウのエゴと、それに対するアンチというすごく個人的人達政府やってるとなれば…戦わない庶民なんぞ後回しになりがち

で、この辺のことわかんない人が、現実政治経済でも、フィクション上の設定の整合性に対しても、

技術があるのに庶民還元されてなくておかしい」

みたいに言うけど…逆に庶民還元されまくってる現代レアですよ。

世界史的に、軍事に関わる分野しか優遇しない国なんか山のようにあるし

俺の高学歴人間に対するひがみ根性を食らえ!

今のネット世論の乱れや、作品解釈の軟弱さを見る度に

受験社会科科目の点数を冷遇した結果、想像力全然広がらない人間大人になって一丁前に意見批評をしてるんやな」

って思っちゃうわけです。

きっと別の科目が得意な人は似たようなこと思ってたりするんだろうけどさ…。

あと、大人トウジがシンジに優しい理由とかも考えてみると面白いよなぁ…。

トウジにとって同級生であり、命の恩人であることはもちろんなんだけど、トウジが医者で子持ちだから子どもと接する機会が少ない大人よりシンジ目線に立てるのよね。

あの村が変わり者二人でできてる隠喩になってて好き

隠喩じゃなくて暗喩か。

エヴァに於ける大人って

ゲンドウみたく大人の都合を頭ごなしに押し付け

ミサトみたいに変に若作りして距離を詰めて結局揉める

・他の大多数みたいに距離を取りながら接していうべきことだけ言う

から大人同級生みたいな人達が逆にレア

委員長おとんがウザキャラとして出てくるんだけど…これも後のゲンドウの回想シーンへの伏線というだけじゃなくて、

常識人

キャラなんですよね。

ここで言う常識シンジを「第三者的に見る人」という感じ。

逆に、エヴァを見てる人達からしても部外者からうざいし頭ごなしに見える

名作か駄作に関わらず、エヴァみたいに「他人」を描く作品の方がレアなんよね。

例えば、テニスの王子様三田紀房見てて面白いのは、観戦してる人全員が会話してるみたいに必殺技名前や状況認識を共有したり、距離離れてるのにテレパシーで会話することがよくある。

エヴァはその逆なんよね

人妻アスカ妄想を始める俺こそ真のオタク

よくよく考えたら、ケンスケがアスカ全裸見てもノーリアクションだった時点でお察しなのか!

地味に情報量が多いシーンだ。

最初見た時は問題児を二人拾ってきたからいまさらアスカ奇行ビビらないのかと思ってたけど…よく考えたらそういうことじゃないわ。

奇行で脱がないもんなぁ

そして、ケンスケだけ帰ってくると思ってアスカ全裸で待ってるとしたらそれはそれで解釈変わってきて面白い

いや、アスカあれで尽くすタイプというか、求愛行動が激しいところあるから、あり得るんですよ。

そりゃ、ケンスケに当たるような会話になるわ…。

おかえりダーリンキャンセラーだもん

アスカケンケンはどんな時も6時起床。もう仕事に出てる。朝飯はそこ」

これ、いつものアスカだと思って聞くと大したセリフじゃない。

だけど、愛妻女房が、夫の生態を徹底的に把握しつつ、一応夫の客人だから良妻っぽく食べないであろう食事まで出してるシーンとして見るとかわいいwww

エヴァってさ…多くのオタク性癖を開発した作品としても有名だけど…今回ヤンデレとかロリババアがメインだと思ってたら、そっち方面でも開発してたのね。

こういうのがあるからエヴァってすごいんだよ。

幅広い年齢のキャラを扱うから性癖守備範囲も広い

人妻アスカラングレー性癖的にグッサグサ刺さる日が来るとは思わなかった…。

メスガキって言葉ができる前のメスガキの代表例みたいな子が、まさか人妻としても性癖のるつぼ

どうしようエヴァンゲリオンのアンチレビューがどうでもよくなるぐらい人妻アスカ気に入ってるんだけど…

態度こそメスガキそのものなんだけど、行動がデレデレという奇跡的なバランス

これやばい

エヴァンゲリオンは萌えアニメからな?

人間同士の距離感とか、世界観とかロボットアクションとか色々言われてんだけど、二次元ファンタジー設定だからこそできるキャラクターを掘り起こしてくるところが一番有能だから

みんな考えすぎなんだよ

僕も含めて

綾波に対して「働けりゃなんでもええ」っていうおばさん…いい意味大人よなぁ。

そうなんよ、学校生活に慣れてるから若い子の多くは自意識過剰になりがちだけど、大人になるといい意味での「無関心」を装える程度にスルースキルつくのよ。

自分にも他人にも。

この感覚描いてるのはすげーわ

アスカ「黙って隅っこに寝っ転がって自分は辛いってアピールしたいだけでしょ?掃除邪魔、マジウザい」

というセリフ、これ最初は前半がメインだと思ってた。

これ後半が本音なんだ。

ミサトと暮らしてた時は、生活荒れてたアスカさんが掃除邪魔かいうの、マジで人妻化してておもろい

家事シンジに丸投げしてた時期のアスカからすると、「人妻化すると、アスカってめっちゃキレイにして、夫に偶然を装って全裸待機するタイプのデレデレ女房になるんや」

って思うと、マジで感慨深い。

言動湿度高くないのに、行動デレデレって現代人にとってある意味最高の妻では?いや、マジで

だんだんエヴァンゲリオンシリーズ同人誌(の最上級のやつ)を読んでる気分になってきた。

いやまぁ、同人誌綾波以外全員人妻にして描いたら、色々解釈違いだなんだってオタク学級会起こすかもしれないけど。

綾波最初から人妻みたいなとこあるし

アスカ「もううんざり。それあたし『ら』もしんどいんだけど。」

寝込んでるシンジうんざりして出たセリフだと思ってたけど、これ「一向に帰ろうとしない夫の客人」へのセリフなんやな。

前のアスカなら「あたし」であって、「あたしら」とは絶対言わんから、これ人妻アスカセリフやわ

アスカケンスケの家でしゃべることば1つ1つ書き出していくと、必ず人妻感出してる。

人妻感は言い過ぎにしても前のアスカなら絶対言わないことばっかりだからちゃん検証すると、デキてないと意味が通らないことを多く言ってるのすげー面白い

初めてアスカシンジに対して喋った。

面白いなぁ…

大人に対して「もっと私を見て」とか渇望してたアスカが「一人で拗ねてろ、ガキ」と見放すのもおもろい。

ここでも迷惑な客人への(人妻アスカとしての)言葉でも成立するのもまた面白いが、それ以上に「年齢や立場が変わると、世代が違う子はおろか自分過去とさえ会話が成立しない」のがおもろい

シンジくんの動向についてケンスケがアスカに聞くシーン…ストーリー上なんの違和感もないセリフだと思ったけど、連絡事項をやり取りした後に

ありがとう式波

ケンスケが礼を言うのが、なんかすごく夫婦。

人当たりのいいケンスケなら誰にでもお礼言いそうだが、ちゃんと応えるアスカがなぁ~

アスカ「私はひとり、これまでもこれからもずーっと一人、それが当たり前なのよ。アスカ

面白いのは、こんな事言いながら、ケンスケと暮らしてる時はめっちゃ人妻してる。

ストーリー的にもケンスケの性格的にもアスカといる時間は短くなりがちだから、一人の時メンタルヘラってると…かわいい

アスカって好きな相手ができると、相手に対する思いが強すぎて、誰に対しても会えない時にメンヘラ発言したり、嫉妬したり、自分が期待したほどかっこよくないことに切れ散らかしたりするから解釈通りです。

人妻アスカ矛盾のないセリフ。多分、結婚しても暇になるとメンヘラ発言しそう

綾波型がシンジ好意を持つように作られてる」

みたいな話もさぁ…アスカの現状(人妻アスカだけど、夫が不在・一緒にいるのに関心をシンジに取られててメンヘラ発言した直後)を考えると、自分

対して言ってる言葉なんやな。

ほんとすごい作品だわ。些細なシーンに伏線メタファ多すぎ

使命に対する葛藤や、割り切ろうとする意思として

シンジが黒綾波からカセットテープを突っぱねるシーン…アレ、2回目だと解釈が変わって面白い

単に「いま人と関わりたくない人にそんなことしてもなぁ」と思ってたけど、この時点でもうストーリーと繋がってるようにデキてるんだ。

ほんとすごい作品だわ。些細なシーンに伏線メタファ多すぎ

誰が言ったか忘れたけど、アスカケンスケがいい仲だと気づいた人の論拠は、トウジとケンスケの会話でトウジが

シンジも早くこの村に馴染めばいいのに」

という言葉同意しなかったとこらしいです。

それで、2回目見る時にアスカのシーンを注視したら、アスカ言動が明らかに人妻なんよね。

私が、エヴァ動画映画上映後すぐに出せなかったの、私よりも洞察力すごい人が、もう敷いてある畳までひっくり返す勢いで見てるからとても合わないと思ったか

うつの人に見て欲しさしかない!

あとは私の中で「うつヌケ」と妹のシーンが強すぎて、卒業かいい仲とかそっちに目が行かなかったのよね

シンジくんがうつから脱却するトリガー綾波が作っていくシーン…アレね、ほんと正しいんですよ。

うつの人に常識とか、大人の当たり前とか押し付けてもトラウマと不甲斐なさで病むんですよ。

一度、周りと自分へのハードル下げないと立ち直れない。

その描き方がうつの人に見て欲しさしかない!

基準自分ベストパフォーマンスや、社会大人として立派なところに置くのをやめる(それが求められてるという自意識過剰や、頭ごなしな大人から距離を置く)ところからスタートせな立ち直れないんですよ。

自分うつからパフォーマンス回復した経験やいまでも時々病むことからすごくわかる

ただ、普通の人ってエヴァ見てもシンジくんがうつから抜け出すシーンの的確さや、似たような体験をしたからこそ抜け出して立ち直れた時に自分のことのように感動する感覚ってないから…視点が合わないんですよ。

エヴァ庵野秀明私小説」という人はなおさら、そこを重視してみるべきなのよ

「なんでこんなに優しくするんだよ(泣)」

「碇くんが好きだからありがとう話をしてくれて」

…この辺、ガチ抗鬱剤なのよね。

受け入れてくれる理解者がいて、些細なことでも褒めてくれる。

自分で下げられなかったハードルを下げてくれる。

うつヌケの最大の近道ってそこなんですよ。

僕の中では前半40分でエヴァって名作なんですよ。

から、もう僕の中では前半40分でエヴァって名作なんですよ。

うつヌケ作品として本質を描いてる上に、うつの人にとって一番欲しい「自分以上の理解者」の存在を描いてるから

自分で下げられないハードルを下げてくれる理解者が見つからないと、無限自己嫌悪無力感ループするんですよ

シンジくんがうつヌケして、ケンケンの手伝いを始めると、唐突に「ポツンと一軒家」が始まる。

老朽化して放置されたインフラの話とか、川の水量をチェックするとか…日本の奥地の現状なんですよ。

三村原始的すぎて、低評価付けてた人いるけど…日本にも実在するんやで。ポツンと一軒家見てみ?

私、歴史の話とか、その土地の人の話聞くの好きなのは自分の知らないものさしを大事にしてる場合があって、それが視野を広げてくれることがあるから

エヴァの中で田舎を扱ってることに「技術レベル的にもっと開発できたはず」みたいに言うアンチがいるんだが…日本田舎が開発できるはずの辺境

逆にエヴァを見ても

地方や、防衛で、生活を支えてくれる人がいるんだ」

みたいに思えない人がアマゾンレビューで星1を付けまくって、作品として星4にも到達してないのが、私には我慢ならんのよ。

大都会に住んでる人に一定数いるんだよ。

電気ないとろくに生きられないのに謎に選民的な人

綾波「碇くんのつけた名前になりたい」

脳みそバグるセリフを!

人間特に大人)が名前をつける相手って子どもとかペットとか苦労して作ったり発見したものに対してだから…遠回しに「碇くんに大事にされたい」という愛の告白なんよねぇ。

綾波存在する経緯考えるとそれもそれでバグる

今の親御さんが言うのかは知らんが、私の時はまだ

「お百姓さんありがとうと思って、ご飯を食べなさい」

的なことを言う人が、誰か忘れたけど、一応いた。

百姓という表現が物議を醸すことは横に置いといて、都会で自分だけで生きてるという感覚を消そうという教育・教えはあったのよね

ケンスケに撮影された時のアスカリアクションが完全にメスなんだよなぁ…。

いや、もともと

「撮ってるの?ピースピース

って感じではないけど、恥じらい方が(頬を染めるなど)過剰すぎて、めっちゃメス。

これは確かに、デキてる設定の方が納得行く

破ぐらいまでの人間関係だったら

「フンッ」

バッカみたい」

とか言って撮られてもスルーするか、本当に嫌なら蹴りの1つもお見舞いするのがアスカなんだけど…人妻化すると乙女に恥じらうから「やだ、女の子してる!!」と周回して驚くのよね

人妻アスカが見せ場を作ったかと思ったら、ヤンデレ妹ことサクラちゃんのターンになった。

いきなり殴って「ドアホー」と罵りながらシンジくんに泣きつくサクラちゃん

これをみたアスカツッコミ

女房か、あんたは」

なのが、1回目は違和感なかったけど、2回目は突っ込みどころしかない。

1つは「お前が言う!?」です。

さっきまで女房やってたの君やん。

もう1つは「(本人的には)そうだよ」です。

サクラはね…脳内ではもうゴールインしとんや!!

やっぱエヴァって萌えアニメなんですって。

開始1時間

「本人に自覚ないけど、結婚すると夫ラブのデレデレ乙女に行動が豹変する人妻アスカ

をだしたことに加え

「もう自分がゴールインしたと思って、束縛しながら崇拝してくるヤンデレサクラちゃん

が出てくるんですよ?

性癖おかしくなるわ

「誰のおしっこかわからないこの再生水と同じ。清めれば済むと思ってる」

という一言で、全員同じものを食べたり飲んでるはずなのに、『飲尿女』というあだ名が付いた女の子が出てきた。

ネットの評判ってあまりにも短絡的に嫌いなキャラに変な仇(あだ)名付けるから、身内ノリとして楽しい

マリわんこ君との進捗、どうだった?」

(訳:私の男に手出してへんやろな?)

アスカ別に。興味ない」

(訳:夫とラブラブしとったんじゃ)

「ほぉ、年頃の男の子は眼中にないと?」

(訳:お前人妻やしな)

「ガキに必要なのは恋人ではなく母親

(訳:年増には甘えんぼのガキがお似合いや)

1回目に普通に見た時は(訳:)に当たる部分が全く思い浮かばないマリのウザ絡みシーンにしか見えなかったけど…これ2回見ると Permalink | 記事への反応(1) | 15:16

2021-11-27

anond:20211126194319

万引き窃盗と言い換えるからもやるわけで、

万引き商品窃盗表現すればいいのにと思った。

置き引きは、置いてある他人の物を自分の方に引き寄せる語感があり、

ひったくり他人が持つ物を無理矢理手繰ってくる語感があるのに対して、

万引きは、万って何?よろずってこと?とはっきりしないので、何か隠喩表現のように感じられるのがまずい。

隠喩シニカルさや意味がボヤける方に作用する。

例えば、「奥さんおかんむりだよ」は、「奥さんが怒っていたよ。」にはない、相手奥さん旦那さん)に寄り添っている感じが伝わる。

万引きは置き引きほど、窃盗の状況を表してないように感じられる分、窃盗意味がボヤけるから忌避されるのだろうね。

万引きが、仮に昔から「品窃り」みたいな慣用表現だったら、語感から商品を盗んだと明確なので、こんな目くじらはたてられなかっただろうなぁ。

でもそんな言葉はないので、「商品窃盗」を推してみる。

ちなみに、万引き間引き転訛した語らしい。商品を間引いているのかよ。盗人目線の腹立たしい言葉だな。

2021-11-06

最近読んだBL

今回は短編小説1冊、単行本1冊、雑誌1冊。

夜の眼(ジョシュラニヨン)

あらすじ

 事件記者パーカーは、連続殺人犯リッキー正義感から助けたが、恩を仇で返され殺されかけた。

 再び収監されたリッキーだったが、ある日刑務所を脱走して行方不明となる。リッキーから報復を恐れ、警察に付き添われつつ逃避行したパーカーだったが、護衛に着いてくれたスッタッグ警部補に好感を持ちはじめ……。

増田感想

 すごく面白い訳じゃないけど、つまらなくもない。終盤、もしリッキー復讐に訪れたら、その時パーカーはスタッグ警部補に何をしてもらいたいと願っていたのか、その胸の内を白状するところが、人間臭くてよかった。

秋山くん』第4巻 (のばらあいこ

あらすじ

 柴からプロポーズを受けて、結婚するのもいいかなと思った、秋山くん。だが、自分と柴がふわっふわしていて地に足が着いていない有り様を仲間達に指摘され、自分がしっかりしないと、と決意したのだった。

増田感想

 進路選択を機に我に返って現実を見る、というのはあるあるだけれども、世間に歩調を合わせて妥協するのではなく、「結婚する」という目標はブレないまま、それぞれ成長していくところがよかった。

 柴と秋山くんだけでなく、柴の友人のじおんくんやちえちゃん秋山くんの悪友達も彼らなりに考えて成長し、互いに影響を与え合っている様もいい。

 そして、地方ヤンキー底辺高校生達の人生を回すスピード感リアル。彼らは都会の大卒アラサーで悩むような事に、高校在学中に悩み決断するんだよなぁ。

 BL漫画を描くような人が、こんな感じの市井の人々にスポットを当て、「ヤンキー」という形だけでなく彼らの暮らしぶりのリアル肯定的に描くのは意外な感じがした。

 第1巻の、かなり酷すぎる性的虐めからまさかの展開の時点では想像もつかなかった、大団円。よかったわねぇ、皆……と近所のおばちゃんの気分でほろりとしてしまった。

ボーイズラブアンソロジーCanna vol.80』

 記念すべき第80号。飛ぶ鳥落とす勢いの人気小説家、凪良ゆう先生作品コミカライズ! というスペシャルな感じがあるんだけど、寄稿者の人数が今月も少なく、大丈夫なの……? と一読者の私は若干心配になるのだった。朝田ねむい先生の『スリピングデッド』が2話分一挙公開! さもなければ雑誌もっと薄くなってしまったよね。私は電子派だからリアルに本の厚みに一喜一憂は出来ないのだけれども。

 ちなみに、『Canna』のテイストエロ大人しめで、青年漫画に近い感じかな。変わった作風のものが多いと思う。じっくりストーリーを楽しみたい人向け。

 ではでは作品ごとに感想を書いていくぞ。順番は掲載順。文章量があからさまに思い入れに比例してて御免。

『積み木の恋』第1話漫画 黒沢要/原作 凪良ゆう)

 昨今はあまりにも小説が売れないが、ストーリーを作れるのはやっぱり小説家、ということで、小説コミカライズがお盛ん。しか小説コミカライズを読む度に、大体原作の方が面白いなって思う。やっぱ、漫画には漫画の、小説には小説のやり方があるんじゃないかな。

 という訳で、この作品もやっぱり原作読んだ方がいいんじゃないかなという感想私自身は凪良ゆう先生作風が好きだけど、『積み木の恋』は未読。原作の方が好きになれそうと思った。

 凪良先生の良いところは感情表現ユーモアで、ユーモアの方は台詞に出がちなのでいいとして、感情表現地の文に出がち。しか行間を読ませるというよりは分析的な文章なので、漫画の余白とか空気感表現しづらいんじゃないかなと思う。

 コミカライズ担当者がまずいという訳ではない。漫画化との相性がいい原作を選んだの? と疑問に思うだけ。

 現在、他誌でも凪良ゆう先生作品漫画化されているんだけど、そちらは近々ドラマ化される『美しい彼』で、コミカル台詞回しが多く、少女漫画セオリーを綺麗に踏襲しつつたまに強烈な逸脱を見せる作風で、より漫画向きな感じがする。



『MADK』第17話(硯遼)

 すごく評判のいい作品なのだが、私はつい最近(4、5号前かな)から読み出したせいで、話がさっぱりわけわかめ最近までは悪魔Jの過去話で、現在主人公マコトちゃんがなんか生首持ってJの家に来たところ。

 まあ、よくわかんないけど、マコトとJのどろどろの愛を楽しむ漫画なの? 今回はやばやばエロ回。Canna漫画っておかし性癖エロはあまりない感じなんだけど、本作の今回は若干アブノーマルかなぁ。最中台詞を読んで、それ奴隷商人痴皇(@『幽遊白書』)が言ってた台詞のやつじゃん、とツッコミを入れたりなど。

 読後の感想としては、今回もよく分からなかったなと。


逃避行じゃあるまいし』前編(タクアン)

 ストーカー?×恋愛の美味しい所だけ味わいたいグラスハート のおっさんずラブみたいな感じ。画風がサラリーマン向け雑誌みたいだが、エロはがっつり腐女子好み。エロシーン多め。「×」というよりは「VS」が似合う関係性のようにも思ったが、受けの人は粘着されて嬉しそう。まじかよ。


『青い人の主治医』第2話(hagi)

 第1話掲載した後数回休むってすごいな! と、これまで読んできた漫画雑誌といえば有名少年漫画少女漫画雑誌くらいの私は思うのだが、Cannaにはよくあることなのかもしれない。

 別にBLでなくてもよくないか? と思った。まあ、こういうBL好きな人もいるさ。


ベルガモットサニーデイ』第5話(キタハラリイ)

 相変わらずタイトルの響きが最高だなあ、ベルガモットアンドサニーデイ! 声に出して読みたいタイトル

 働く大人女子向け漫画っぽいもだもだした恋愛もの別にBLでなくてもよくないかという気がしないでもない。


『嘘つきな愛を買う――オメガバース――』第4話(ポケラふじ子)

 オメガバースって、二次創作においては行きつく所まで行ったニッチ性癖感あるけど、オリジナルBLにおいてはネタ範疇妊娠出産も一応入る為に社会派の側面もあるよねー。ということで、これもうっすら社会派っぽい雰囲気のある作品

 とはいえ、大概のオメガバースはαとΩのやり過ぎエロとかΩの業の深さを楽しむものだとも思う。本作も社会派っぽい面はあくまでおまけかな。


スリピングデッド』第6話&第7話(朝田ねむい)

 イエーイ今回一番楽しみにしていましたイエーイ!! 2話ぶん一挙掲載にしても凄い分量がある。全部で80ページ越えだもんな。

 ネタバレをしながら書くので、ネタバレ無しで読みたい人は読み飛ばしてください。


 今年の8月末日に刊行された第一巻の続き。殺人事件に巻き込まれ理不尽な死を遂げた佐田が、マッドサイエンティスト間宮に拾われ理不尽にもゾンビにされ、これまた理不尽にも食人をして生きることになったのが、第一巻までのストーリー

 巻末辺りで、間宮が実は顔見知りだったことを佐田は思い出す、という謎めいた展開に。

 今回は、佐田記憶結構ぼこぼこに抜けがあるのが判明しつつ、視点佐田から間宮に移る。

 これまでもっぱら佐田視点物語が進み、佐田の人となりを読者は佐田自己認識という形で知ってきた。ところが! 間宮記憶に残っている佐田人物像がとても意外。いや、表向きは佐田は昔から非の打ち所のない、ほどほど善良な人物だった。それを間宮スクカー最底辺のひがみ根性から偽善者」と決めつけていたのだけれど、あることがきっかけで、佐田邪悪な一面を垣間見たのだ。

 一巻までは、クレイジー科学者間宮翻弄されるごく普通の善良なスパダリ佐田、という構図だった。けれども一皮剥けば、間宮科学的探求心に突き動かされていない時には案外まともな感性を持っているのに対し、佐田無意識ながら自身暴力性を発揮する隙を窺っているようにも見える。

 理由も無しに暴力を振るわない間宮と、理由さえあれば嬉々として暴力を振る佐田。彼らは似ているようで根の部分は真逆

 佐田仮面を剥がすと現れるのは、過去間宮を虐めた奴らと同じような気性で、間宮佐田に惹かれるのはストックホルム症候群のようなものに思える。お、これって同作者の『マイリトルインフェルノ』じゃん? 『マイリトルインフェルノ』のあとがきに、最初はいじめられっ子が悪魔の力を借りていじめっ子復讐する話だったが暗くなりそうだからやめた、と書いてあったと記憶しているが、今回はそのテーマに再挑戦するということなのだろうか?

 間宮佐田過去編にはBLなのに若干百合みを感じる。陰湿×陰湿からかな。

 感情を表情や言葉で表すのが大の苦手な間宮の、一巻までの言動伏線は全部一巻内で回収(あーこいつ実は佐田のことかなり好きだな、と。)されたものだと思っていたが、そのなかでの特に重要台詞や表情の一つ一つが、実は二人の過去しか佐田には綺麗さっぱり忘れられている)に掛かっていた、というのにはやられた。なんてすごい構成力なの……。

 ここまで見てくると、間宮佐田に対する一方的な想いが実にエモーショナルに感じられ、間宮佐田に対する言動の一つ一つが愛らしく思えてくる。間宮佐田の死顔を見、「……あまり変わってないな、キミは」と呟き佐田の頬を撫でるシーンにはちょっと涙が出てしまうな。一巻収録ぶんを未読な人には、変な人の変な行動にしか見えないかもしれないけど。いまだ紆余曲折の真っ最中にあり見た目にまで苦労の滲み出ている間宮が、昔のまま歪みなく順風満帆大人になり夢も叶えた佐田に対し、羨望と嫉妬以上の眼差しを向ける、名シーンだ。

 ところで、佐田が肝心の所をまるで覚えていなかったのは、何かの影響による障害にも読めるし、加害者被害者記憶ギャップにも読める。佐田間宮を虐めた人ではないけれど、佐田の心根にはいじめっ子的な所があるというか。間宮佐田のことで強烈に記憶している部分というのが、佐田にとっては他人に対する悪意を解放した部分である佐田本人はスカッといい気分)であるから、そりゃ覚えている訳はないか

 間宮佐田過去と二人の関係性、そして間宮佐田に対する想いは明らかとなった。だが、ゾンビ化が佐田に与えた影響という伏線はいまだ回収去れていない。これが今後どのようにストーリー関係していくのか。ゾンビものの定石として佐田人格を喪い人食いモンスター化し暴れ出すとかいう展開も予想出来る流れだし。

 次回が待ち遠し過ぎる。


BLACK BLOOD』第5話(琥狗ハヤテ

 えっ、この漫画もう第5話なの? あらまあ! 時の経つのは早いなあぁ。そういえば、私が初めてCannaを買ったとき、ちょうどこの漫画が新連載として載っていたような記憶がある。

 ハードっぽい作風と画風で、日本漫画という由りは海外の、フランスとかの漫画っぽい雰囲気なのだが、やっぱりBLBL。急速に恋が始まり、油液が飛んだ。(←何かの隠喩ではない。)ここまで一応事件はあったものの凄い急展開が起こった感はないのだけど、もう5話。一巻以降も続く感じかな。次号とかで終わったら、何だったのかよく分からない漫画になってしまうし。


『ジャルディニエの愛した毒花』第12話(椛嶋リラコ)

 娼館ものでかつ猫耳獣人ものという欲張りセット。連載が長く続いているのもあり、私にはさっぱりストーリーわけわかめ

 この間まではなんか過去の話をしていなかったか? 攻めの人がどっか遠い所に行っちゃうような話では? と、前回までの話を把握していないまま今回を読んでも理解出来るはずもなく……。絵が綺麗。しかし、何故レディコミではなくBLなのだろう? という疑問もなくはなく。まあ、こういうBL好きな人もいるさ。


シャングリラの鳥』第14話(座裏屋蘭丸

 イエーイ、これもすごく楽しみにしていましたイエーイ!! だが、ストーリーはそんなに進まなかったので、ネタバレのしようがない。

 前回までの色々が解決も進展も後退もせず。フィーは子供時代に犯した過ちがシャングリラに及ぶことを恐れて怯え続けれており、一方アポロといえば、輝く白さのホワイト労働のはずがまさか自身性質によって馴染むことが出来ずに進退を考える局面差し掛かっていた。

 アポロが試情夫として正規雇用されて依頼、なかなか接点を持てないふたりは、それぞれの悩みを一人で抱え込んだまま、ひたすら悶々とし続ける。

 精神的に詰みそうになったタイミングで、運良く二人きりになれたとこまでで次回を待て!

 なんとも言いようがない。ただ、座裏屋蘭丸先生の描く、男子達がより集まってあーだこーだ言い合うシーンは最高だなあ、ということくらい。

 絵柄がすごく綺麗なのに、背景を真っ裸で歩くフィーの超遠目に映ったおちんが白抜き修正されてしまうのが、地味に悲しい。全身クローズアップ絵では脚とかで隠し切っているのになぁ。


『つむぐ婚』第4話(黒岩チハヤ)

 別にBLでなくてもいい気がするのだが、BLじゃなかったらこのモフモフが観れなかったので、BLでよかった。

 つむぎの狐Ver.の口元のふにゃふにゃさと狐らしいお手々の感じが癒し。だが今回は人間姿でこってりエロ回。モフモフしっぽガードがよかった。


ひだまりが聴こえる――春夏秋冬――』第5話(文乃ゆき

 この作品はかなり人気があるようで、Canna代表作といえばこれ、みたいな扱いをされているけど、私はあんまりきじゃないんだよなぁ。BLなんだけど、少女漫画特有のねっちりさがあるところが、あまり好みではない。そういうのが良ければ少女漫画を読むよ。しか世間ではこれが王道綺麗めBLなのかもしれない。知らんけど。



***

 個人的に、「BLなのに百合みがある」は正直な感想でありつつ褒め言葉でもある(と言いながら、私はあまり百合は好き好んでは読まないのだが)のだけど、「BLでなくてもよくないか?」は明確にdisりとして使っている。

 せっかくの増田。何もしがらみのない場所なので、そりゃ忌憚のない感想をかくさ。

 では今日はこの辺で。

2021-11-05

海乱鬼が太田光太田光代夫妻に殺害予告の模様

https://twitter.com/nipponkairagi/status/1455700346538315778 より引用


「消す」って「殺す」の隠喩だよね。

2021-10-23

anond:20211023223634

シャア・アズナブルがシャー! と来る擬音とシャルル・アズナヴールのアズナヴールから来てるんだなと思ったら

シャアイラン語で「正当な王」という隠喩があったって最近気づいたぞ、お前のライバルの事だぞ

そしてお前はゼロ戦コードネームと、ゼロレイにして「A6M・ゼロ」→「あろむ・れい」→「アムロ・レイ」なんだろ!?

2021-10-08

DNA検査してって話。

多分そういう事だったんだなって

わかっちゃった。

隠喩であって

子供じゃなくて

作品の事よね。

まりあなたに捧げられているって

自慢したいわけだ。


あんま売れてなかったようだけどw

サーセンwww)

2021-08-28

アイアンリーガーに騙された -3-

2(https://anond.hatelabo.jp/20210828220400)のつづき

意志を持つということ

アイアンリーガー』は、基本的には優しい物語だ。彼らの努力や苦闘は最終的には報われ、そして(恐らく)最後ハッピーエンドを迎えるだろう。(迎えますよね?)

 しかし、物語ロボットたちが直面する苦難は、決して甘いものではない。先述したロボットとしての宿命はもちろんのこと、彼らが心を持つモノであるが故の葛藤は非常に厳しいものだ。そして彼らの葛藤を通して僕たちに投げかけられている問いも、また厳しい。

 彼らは意志を持つモノだ。意志を持つからこそ、自らの宿命を乗り越える余地がある。しかし一方で、意志は必ずしも良いものとは限らない。あるいは、仮に良いものであったとしても、それが良い方向に働くとは限らない。一つの意志は、別の意志を阻害する可能性を持っている。あるいは、意志もまた一つの「制約」になりうる。トップジョイと彼を取り巻くシルバーキャッスル葛藤は、その象徴的な物語だ。

 トップジョイスパイ行為がまだ明るみになっていなかった時点で、トップジョイシルバーキャッスルは相容れない様相を見せていた。ラフプレーをするトップジョイを、シルバーキャッスルは認められないのだ。

 それまで、シルバーキャッスルメンバートップジョイを温かく受け入れていた。そしてトップジョイ自身も、スパイという立場でありながら、シルバーキャッスル好意を抱いていたに違いない。それにも関わらず、ラフプレーを繰り返すトップジョイに、シルバーキャッスルは厳しい態度を取った。

 ラフプレーは、トップジョイスパイ行為としてのものではなく、真にトップジョイが良かれと思ってした行為だった。それでも彼らはそれを認められなかった。試合決勝点となるオウンゴールを決められてしまった時でさえ「笑って済ませた」彼らが、である。彼らは結果として、トップジョイを追いやったダークのバスケットチームと同じことを、トップジョイに宣告する。

 それは、シルバーキャッスルの「意志」と、トップジョイの「意志」が対立した結果だ。

 フェアプレーを貫く。それがシルバーキャッスル意志であり、同時に、シルバーキャッスルシルバーキャッスルである理由だ。もしトップジョイラフプレーを受け入れてしまえば、シルバーキャッスルとしてある意味がなくなってしまう。特定目的(つまり意志)を持った集団は、その目的意志に反するモノを本質的に受け入れられない。たとえそれが悪意でなかったとしても、そして、「あなたが好き」であったとしてもだ。

 そしてトップジョイスパイ行為が明かされた時、シルバーキャッスルは、彼に手を差し伸べることができなかった。

 シルバーキャッスルリーガーたちは、皆善性の象徴のような存在として描かれている。それまでの話を通して、彼らの正々堂々を尊ぶ精神や、仲間を思う優しさ、苦難を乗り越える強さは、繰り返し描かれていた。その彼らが、目の前で苦しんでいるトップジョイを、仲間として助けることを一度は拒絶したのである

 そこで提示されたのは、彼らが、彼らの持つその善性故に救えないモノがあるという事実だった。

 仲間を傷つけかねない状況を作ったトップジョイを、彼らは許すことはできない。仲間を、大切なものを守りたいからこそ、それを裏切ったトップジョイを許すことはできない。彼らは自らの意志で彼を拒絶することを選んだ。それは決して悪意ではなく、誰かから強制されたものでもない。

 トップジョイの背景を知っている僕たちは、その光景に胸を痛める。しかしその光景は、僕たちに一つの事実を突きつける。僕たちもまた、トップジョイを受け入れられないかもしれないという可能性を持っているということだ。あのシルバーキャッスルでさえ、彼を受け入れられなかったのだから

アイアンリーガー』は、シルバーキャッスルリーガーたちを聖人にはしない。彼らもまた迷い、限界を持つ、あくまで僕たちと地続きの存在として描く。それ故に、シルバーキャッスルの姿は僕たちの一つの側面である。時に悪意のないものを悪とし、集団から排除する冷酷さを、僕たちは抱えている。

 シルバーキャッスルの「シルバーキャッスルを守りたい」という意志は、トップジョイの「ここにいたい」という意志を阻むものだった。それは同時に、トップジョイが好きだという、シルバーキャッスル自身意志をも阻んでいる。「意志を持つ」こと、そしてそれを貫くということの逃れ得ない宿業を、『アイアンリーガー』は真正から描き出す。

 しかし、それでもなお、『アイアンリーガー』は希望提示する。トップジョイは自らの意志でダークの呪縛を断ち切り、シルバーキャッスルメンバーもまた、彼を許し、受け入れる。

 トップジョイもまた、自らの意志が自らの制約となっていたキャラクターだった。過去に観客を沸かせて得た喜びと、それに基づく「あの場所に帰りたい」という意志は、新たに生まれた「シルバーキャッスルにいたい」という意志最後まで阻み続けた。第八話から続いた、シルバーキャッスル子どもたちと心を通わせながら、ダークのスパイであり続けるという彼の矛盾した行動は、その葛藤の現れだったのかもしれない。

 しか最後トップジョイは自らの中にあった意志相克を決着させた。本当に自分にとって大切なものは何かを、自分意志で決めた。そして、たとえそれがシルバーキャッスルに受け入れられなかったとしても、ダークにも、そしてシルバーキャッスルにも、どこにも自分の居場所がなくなるとしても、それでも「守りたい」という意志を貫いた。外面的な制約も内面的な制約も乗り越えて、トップジョイ意志を固め、それを全うした。

 シルバーキャッスルも、そんなトップジョイを受け入れることを選んだ。それは、トップジョイシルバーキャッスルに受け入れられるようになったから、というだけではない。許すという行為簡単なことではなく、受動的な行為でもない。彼ら自身トップジョイの行動と意志を見て、彼ら自身意志で、彼を許すと決めた。彼を再び仲間として迎え入れることを選んだ。「トップジョイと一緒にいたい」という意志を貫くことを決めたのだ。

アイアンリーガー』で描かれているのは、人間に操られる可哀想ロボットたちの悲劇ではない。第十三話の最後、仲間に囲まれトップジョイの絵に描かれているのは、与えられた場所で、与えられた形で生きざるを得ない「意志を持つモノ」ーーそしてそれと地続きにある僕たちーーが、その意志故に苦しみながらも、最後に至った希望の姿だ。意志を持つモノは、僕たちは、内にそれ故の冷酷さを抱えたままで、それでも誰かに優しくなることができる。過去呪縛を振り切り、過ちを許し、弱さを乗り越え、そして、自由になることができる。『アイアンリーガー』は、意志を持つということの宿業に向かい合いながら、それでもその先にある希望を見つめている。

その旅路の果てに

アイアンリーガー』という作品を、あえて外形的な説明を諦めて一文で表すとしたらーー月並み申し訳ないが、「意志を持つモノが思う通りに生きるために戦う物語」とでも言うのだろうか。

 ロボットという存在が、人間隠喩としての機能を持っていると既に述べたが、それは作中で描かれているスポーツにしても言えることだ。確かにアイアンリーガー』でロボットたちはスポーツをしているが、作中ではどうにもスポーツに対する拘りが見えない。グローブをはめてサッカーフィールドに出るわ、サッカーチームが野球試合に出るわ(おまけに「野球なんて簡単よ」という暴言まで吐く)、剣の道はバッターボックスにあるわ、スポーツをしている人間が怒り出しそうなほどのいい加減さが、『アイアンリーガー』にはある。

 結局のところ、スポーツもまた、一つの隠喩象徴に過ぎないのだろう。大切なのは彼らが「思う通りにやりたいことをやる」ことであり、その場がたまたまスポーツだっただけだ。乱暴に言えば、別にクラシックが持て囃される世界ロックを奏でる物語でも、新古典主義に対抗する印象派という物語でも良かったということである。もしかしたら『アイアンリーガー』の世界のどこか別の場所では、やはりロボットたちがそんな戦いを繰り広げているかもしれない。いずれにしても、それがどんな場所であれ、大切なのは彼らが「思う通りに生きる」ということである

アイアンリーガー』の中で、ロボットたちは「人」と呼ばれる。『アイアンリーガー』では、人間ロボットも、同じ意志感情や心を持つモノとして、同じように「人」と呼ばれているのだろう。ロボットたちは「人」として、「人」故の葛藤に苦しみながら、自らの意志で、為したいこと為したいように為す。それはシルバーキャッスルロボットであろうと、ヒール側のダークに所属するロボットであろうと同じである。誰が何と言おうとも、それが望まれものでなくても、それが好きで、ここが好きで、ここにいたいから、だから、戦う。世界と、そして、自分と。

 マッハウインディはダークの支配を、ブルアーマーは生まれながらに課せられたバグ過去を、極十郎太は剣士としてのプライド固定観念を、キアイリュウケン自分に与えられた役割機能を、トップジョイは与えられた心の特性と思い出という呪縛を乗り越えた。

 S-XXXは、その可能性を垣間見せつつも、乗り越えるところまで行き着くことができなかった。悲劇ではあるが、それもまた戦いの一つの結末である

 そして、マグナムエースは、GZはーーそれはきっと、これから描かれていくのだろう。彼らの物語は始まったばかりだ。

 そういうわけで、冒頭に戻る。「ロボットスポーツをするアニメ」では『アイアンリーガー』の何たるかは一ミリも伝わらないし、しかもこのアニメ子ども向けでもない。いや、もちろん子どもも観れる内容であるし、ぜひ見てほしいアニメであるが、しかし、この物語に真に共感するのは、社会の中で何らかの役割立場を与えられて生きづらさを感じている大人の方ではないかと思う(無論、子ども子どもで様々な制約の中で生きているのであるが)。覚悟もなく軽い気持ちで見始めた人間が、何もかもが詐欺だと喚き散らすのも許してほしい。心の遣り場がないのである

 覚悟ーーもちろん『アイアンリーガー』というエンターテイメント作品を楽しむのに覚悟などというもの不要な訳だが、しかし、彼らの生き様に心を震わせられる僕たちは、ロボットたちの姿に、一つの覚悟を問われているような気がしてならない。

「正直に生きろ」マグナムエース第一話でそう言った。

 意志を持つということ、意志を貫くということは、痛みや葛藤と隣り合わせだ。しかしその道の先に、意志を持つモノだけが見ることのできる世界が広がっている。僕たちを雁字搦めにする世界のあらゆる制約の中で、それでも、僕たちが「意志を持つモノ」として生きていくことへの厳しくも温かい声援が、僕が第十三話の時点で『アイアンリーガー』に見た、僕の指針としてのテーマだ。

アイアンリーガー』は三十年近く前の作品だが、未だ色褪せることのない魅力と、令和の時代にもなお僕たちが向き合い続けている命題を宿している。この時代にこの作品出会えた幸運に思いを致し、僕にその切っ掛けを与えてくれた先達たちに心より感謝を申し上げる。

 そして、彼らの旅路の果てを、遅まきながら見届けたいと願う。

 おわり

※本筋とまったく関係がないのでここに書くが、そもそもとして、作品テーマというものは、作者が自分表現したいものを「表現するための」指針の一つであり、そして作品受け手の側に立てば、受け手が自らのフィルタを通して、ある種「勝手に」見出した「何か」、あるいは作品を「受け取るための」指針であると僕は考えている。そして、作品というものが、作者の発信と受け手の受信の双方によって初めて成立するものである以上、作者の意図するテーマ受け手の受け取ったテーマが異なっていたとしても(あるいは、作者がテーマを全く設定していなかったとしても)、そのどちらかが正しいということはあり得ない。(曲解を元に作品や作者を誹謗中傷するのなら、それは作品テーマ解釈とは別問題である。)作品に「真のテーマ」などというもの存在しないし、作者が作品テーマを込めようと込めまいと、そして受け取り手テーマを見出そうと見出すまいと、それは作品本質には何ら関係がないのである

アイアンリーガーに騙された -2-

1(https://anond.hatelabo.jp/20210828215226)のつづき

プログラムされた意思

 第九話では、トップジョイの正体と過去が明らかにされる。もともとダークスポーツ財団で「作られた」トップジョイは、ショックサーキットという枷を掛けられ、スパイ行為を「ほとんど」強制されていた。これまで意思を持ち、それを自由行使できると思われていたロボットが、実はそうではなかったということが、ここで明らかになる。

 もちろん、ショックサーキット自体第一話の時点でマッハウインディに埋め込まれた形で登場している。ダークスポーツ財団ロボットたちに背反を許さないようにし、彼らの自由を奪っている事実は、物語の冒頭から提示されていた。

 だが第九話から続くトップジョイ物語は、マッハウインディがショックサーキットに苦しみ、そして克服した第一話・第二話とは少し様子が異なる。マッハウインディが自らダークの元を去り、早々にショックサーキットを切除して完全にダークとの絆を絶ったのに対し、トップジョイはそこから十三話まで、「自らの意思で」ダークとの関係を持ち続けているのである

 トップジョイが――シルバーキャッスル好意を抱き、マグナムエースから手を差し伸べられていたにも関わらず――なぜ十三話までダークとの縁を切らなかったのかについては、明確な描写がなく、少々解釈が難しい。ここから先は憶測比重が非常に大きくなるので、ご容赦いただきたい。

 第九話で、トップジョイはフェアプレーを重んじるシルバーキャッスル、及びそれに共感する子どもたちを「理解できない」と言った。「ラフプレーをすれば客は喜ぶ」「客を喜ばせるのがアイアンリーガー」だと。

 これは、シルバーキャッスルを内部から撹乱するというスパイ行為による言葉ではない。トップジョイ本心だ。彼は本心ラフプレーを正しい行為と捉えているのである。同じ本心で、第八話でキアイリュウケンオーナーの絆に涙し、子どもたちと純粋交流を楽しんでいる一方で。

 同時に、九話ではトップジョイ過去と思いが垣間見える。「楽しむ」ことを大切にした結果、バスケットチームから放逐された過去。それでも忘れられない、バスケットリーガである自分に向けられた観客の歓声。あの場所に戻りたいという思いが、トップジョイ根底にある。

 彼がぎりぎりまでダークとの絆を絶てないでいたのには、この思いが大きいのではないだろうか。トップジョイがダークに従っているのは、ショックサーキットけが理由ではない。もっと根底の、自分存在のものに関わる意思ーーあるいは、心ーーである

 これは完全に僕の推測であるが、第八話で示唆された「ロボットは、人間役割を与えられ、それに相応しいように設計プログラムされて生み出される」という事実を踏まえると、トップジョイのこの「意思(心)」もまた、ある程度製造者によってプログラムされたものではないだろうか。

 作中で、ロボット意思思考、心が人間プログラムされたものだという直接的な言及は(現状)ない。だが彼らが「注文に応じて製造される商品」としての一面を持つ以上、ロボット人間赤ん坊と同じようにまっさら状態で納品されるとは思えない。彼らは製造された時点である程度の機体性能、そして知能と知識を有し、そこには人間意向が相当程度反映されていると考えるのが自然である

トップジョイ」という名前であるがーー彼らがある程度完成された状態で世に出るとしたら、彼らの名前は、その機能・性能にちなんだものであるのだろう(もちろんまったく関係のない場合もあるかもしれないが)。ロボット機能・性能は、つまり製造者が彼らに込めた役割と期待である。「ジョイ」つまり「喜び」。彼は、人に「喜び」をもたらす存在としての役割を期待されたのではないか。故に、ああいった明るい性格に設定され、他者の喜びを自分の喜びとするような性格プログラムされたのではないか。そして、そのプログラムされた心でラフプレーに喜ぶ観客たちを見て、それを自分の喜びとして、そして正しいこととして学習したのではないだろうか。

製造された時点でラフプレーを正しい行為としてインプットされていた可能性もあるが、第九話のトップジョイの「教わった」という言い振り的に、その可能性は薄そうである。)

 だが、その期待は裏目に出た。明るく楽しくを第一義とする性格チームメイトの反感を買い、彼は本来活躍するはずだったバスケットコートに立つことができなくなった。その後、シルバーキャッスルにおいてはーー彼自身純粋から本来スパイという立場を越えて、彼らに好意を抱いているにも関わらずーー逆にラフプレーを許すことができないシルバーキャッスルの皆の心を理解できず、孤立してしまう。

 そして、ダークから虐待を受けても、マグナムエースたちから手を差し伸べられても、本当に自分が望むことに気づきかけても、プログラムされた心で過去に学び、感じた喜びを忘れることができず、ダークとの繋がりを断つことができなかったのではないか

 人間の都合によってプログラムされた「心」によって、トップジョイは傷つき続けていたのではないか

 人間と全く同じように喜び、悲しみ、悩み、傷つく「心」を、人間の都合によって作り出すというこの世界の不気味さが、トップジョイによって突きつけられる。

 そして、第十一話でのS-XXXの結末が、それを決定的にする。

 S-XXXはこれまでのロボットたちとは違い、意思感情の乏しい存在として描かれる。それは本来、僕たちが「ロボット」と聞いて思い浮かべるイメージに近い。

 S-XXXはテンプレート的な「ロボット」として、命令だけを忠実に実行し、サッカーフィールドで「戦争」を繰り広げた。そして最後は、マグナムエースによって破壊される。

 第十一話では、これまでよりも明確にロボットが「商品であることが語られる。S-XXXはアイアンソルジャーという「商品」として、敵を殲滅する者としての役割として与えられ、その破壊力を期待され、品定めされる。彼のロボット然とした意思感情の薄さは、兵士として忠実に命令を実行することを求められ、そうプログラムされた結果なのではないだろうか。

 しかし一方で、S-XXXは「敵を倒す」という目的に対し非合理的シルバーキャッスルの行動に困惑し、動揺する。そして、マグナムエースの「新しい道」という言葉に、ほんの一瞬であるが、本来あるはずのなかった「迷い」を見せた。

 S-XXXにも、心は存在した。

 なぜS-XXXの製造者が「兵器であるロボット「心」が生まれるような知能を搭載したのか、その理由はよく分からない。スポーツ選手であるアイアンリーガーであれば、人間がある種のカタルシスを得るための機能として、人間と同じような心や感情を搭載する理由もある程度理解できるが、迷いが命取りとなる戦場に送り込む兵器に、それは不要のはずである

 もしかしたら「心」というものは、それは製造者意図的ものではなく、自分学習し、アップデートしていくことができるほど高度な知能には、逃れられない副産物なのかもしれない。

 いずれにしても、例え人間ほとんどをプログラムされたものであったとしても、兵器であったS-XXXにさえ、心は存在した。そして僅かに、けれど確かに「新しい道」へと進む可能性があった。

 にも関わらず、第十一話の商人たちは、彼を徹底的に「商品」として扱った。そしてS-XXX自身も、「戦場でない場所には存在不可能」と語っている。

 ロボットは、人間によって役割定義されている。そしてその役割を果たせなければ、彼らは自らの存在意義すら失いかねないのである

 この『アイアンリーガー』の世界に横たわる現実を受け止めるのに、相当な時間を要した。いや、実際まだ受け止められてはいないのかもしれない。人間は自らの都合によって、自分たちとほとんど変わらない心や感情を持つロボット役割という枠に押し込めて生み出し、その存在をも人間の都合によって左右する。この神の模倣とも思える傲慢さに、幾たび怨嗟を吐いたかしれない。

 一方で、自らの意志で生き、誇りを持って戦っているロボットたちを哀れみ、同情を寄せるようなことは、彼らに対する侮辱ではないかという思いもずっとあった。

 僕の心は千々に乱れ、分裂し、二転三転し、自己矛盾に苦しむ日々が続いた。「ロボットスポーツをする子ども向けのアニメ」を観てそんな感情に取り憑かれるなど、一体誰が予想できよう。

 しかし、である。一通り憎悪煩悶に身を投じた後に、ふと気づいたことがある。

 ロボットたちが置かれた現実は、結局、僕たちの生きる現実と同じなのではないか、と。

人間ロボットロボット人間

 僕が七転八倒している時、僕に『アイアンリーガー』を教えてくれた先達は、一つの問いを僕に投げかけた。「ならば、アイアンリーガーはどうなったら幸せなのか」と。

 頭を殴られたような衝撃を受けたせいで、僕がその時どのように答えたのか、正確には記憶していない。「彼らが、やりたいことをやりたいようにやれる」のようなことを言ったような気がする。

 月並み言葉を振り絞りながら、僕はぼんやりと「どこかで聞いたような話だな」と思った。よくある話。人間幸せを語るときに、よく言われるような言葉だと。

 そして、僕の思考は再び振り出しへと戻った。『アイアンリーガー』に最初に感じた、違和感にも似て、それでいて温かかった感覚人間ロボットが、同じ意志や心や感情を持つ存在として、同じように生きている世界

 第一話でマッハウインディはこう言った。俺たちロボットも「人間と同じなんだよ」と。

 それはつまり人間もまたロボットと同じであることを意味する。

 この国で生まれれば(その実態はどうあれ)、僕たちは一応、自由意志(ここでは各種の哲学定義無視して、単に「他から強制・拘束・妨害などを受けないで、行動や選択自発的に決定しうる意志」という意味で用いる。)を認められた存在である

 しかし、完全に自由人間など存在しない。人間もまた、さまざまな制約の中で生きている。親、夫、妻、上司、部下、教師学生、老人、若者、友人……そういった役割立場を与えられ、家庭環境ジェンダー経済力文化時代価値観……そんなあらゆる枠に押し込められながら、社会の中での「あるべき姿」「あるべき意志」を定義され、それに応える「社会人」に育てられてゆく。それは、人間、あるいは「社会」の要請意思や心をプログラムされるロボットと、実はそう大差ないのではないか(語弊を恐れずに言えば、教育とは一種プログラミングである)。

 真に自分の望むように生きている人間などほとんどいない。皆、社会の中で折り合いをつけながら成長し、社会の中で生きている。そして、労働市場の中で自らの価値を計られ、自己存在意義を証明し続けることを要求される。

(そうあるべき、と思っているのではない。ただ事実として、それが資本主義社会の一側面であることは否定できないとも僕は考えている。)

 その姿は、役割を与えられ、商品として売買されるロボットに重なる。

 もちろん、『アイアンリーガー』においてロボットたちが置かれている状況は、僕たち人間より深刻だ。彼らは自らの存在の前提として役割がある。役割がなければ彼らは存在し得ないし、その役割への期待に基づいてプログラムされた意志や心の拘束度は、人間のそれよりも遥かに強い。

 しかし、あらゆる寓話がそうであるように、度合いが強いからといって、それが全く違うということにはならない。制約の中で、それでもなお自らの意志を貫き通そうとするロボットたちの姿に、僕たちは僕たちの姿を見るのである

アンドロイドは電気羊の夢を見るか』の訳者あとがきに書いてあったことだが、アンガス・テイラーという人は、フィリップ・K・ディックの書くアンドロイドについて(「機械的な行動パターンに侵された」、あるいは「内面的に阻害された」)人間隠喩象徴であると述べたそうだ。そして訳者浅倉久志氏は、この作品の中に「人間とは何か?」というテーマに取り組んだとしている。『アイアンリーガー』も、それと似たような物語ではないかと、僕は思う。つまり、『アイアンリーガー』に登場するロボットたちもまた、僕たち「意志を持つモノ」、つまり人間隠喩であり、『アイアンリーガー』は、「意志あるモノが自由を手に入れる」物語ではないかと。

 こんなことを考えているうちに、僕は『BEASTARS』のことを思い出した。『BEASTARS』の登場「動物」も、姿形は動物のそれであるが、やはり人間と同じような意思感情を持つ。彼らを通して描かれているのは、そういった心を持つモノたちのドラマだ。人間と同じ意思感情を持つモノたちが、しかし肉食・草食動物それぞれの身体特性、言い換えれば宿命という強制と制約を背負いながら、学校という一つの閉鎖社会の中で苦悩し、ぶつかり合い、時には折り合いをつけながら生きていく。負った宿命の中身や程度は違えど、そこに描かれているのは紛れもなく心を持つモノーーつまり僕たちの物語である

 と、このような書き方をしたが、あくまでこれは『アイアンリーガー』(や『BEASTARS』)という作品に僕たちが心を動かされる「絡繰」、結果論をそれっぽく言い募っているだけである。『アイアンリーガー』は(恐らく)寓話ではないし、アニメスタッフが彼らロボット人間象徴、あるいはその苦悩の投影先として選んだ、というのも(なんとなくだが)違うような気がする。正直、単にロボットが好きなだけな気がしてならない。

 これについては、象徴隠喩というよりも、同じく『アンドロイドは電気羊の夢を見るか』の訳者あとがき引用されていた、次のような表現が相応しいように思う。(原典に当たっておらず申し訳ない。)

ディックにおいて、人間アンドロイド生物学上の、あるいは自然科学上の区別は、まったく無意味である。(中略)ディックは、『アンドロイド』と『人間』の形式上区別には関心がない。(中略)ディック世界では、そもそも人間機械自然と人工といった単純な二分律は棄却されている」(『銀星倶楽部12 後藤将之氏「フィリップ・K・ディック社会思想」)

アイアンリーガー』に描かれているロボットたちの生き様を語るのに、彼らが生み出された経緯や理由に潜む人間の驕慢さなどは、意味をなさない。彼らの前で、人間自分たちと同じ心を持つモノを恣意的に生み出すという行為の是非を問うことは無意味であるいかに彼らのルーツに薄ら寒い人間欲望が渦巻き、彼らの意志人間によって指向性を持たされているとしても、それは彼らが「その」自らの意志決断し、戦い、生きてゆく征途の輝きを何ら曇らせるものではない。

 彼らは、ロボットとしての宿命を背負う自らの存在を呪うことはない。背負った宿命の中で、心を持つ故に葛藤に苛まれながらも、心を持つ故に抱いた意志で、自らの宿命を乗り越え、未来を切り開いていく。フェアプレーをしたい。スポーツをしたい。道を極めたい。この場所にいたい。君と一緒にいたい。たとえ世界がそれを許さなくとも、世界がそれを笑おうとも、自らの意志で在りたいように在る。その姿は僕たちと地続きのものだ。彼らはロボットであるから尊いのではない。僕らと同じであるから、眩しいのである

3(https://anond.hatelabo.jp/20210828220439)につづく

2021-07-19

anond:20210719125034

なんでこんなに騒がれてるのかわからんくて調べた俺のメモ

漫画自体言葉での解説セリフが多くなく、143ページにも及んで読者に、想像させ、考えさせる、ということをさせている。

これが分かりにくさ出していると同時に、こういう「余地」に気づくことが、まるで伏線を回収したかのような快感面白さを覚えるのだが、その共感が「やり場のない憤り」になっている。

共感した読者もやり場のない感情が溢れて「面白い」「やばい」という話題につながるのだと思った。

以上

2021-06-25

anond:20210625065753

ジジイババアが桃食って精力ムンムンになってできた子供桃太郎

 

まり

大きな桃がどんぶらこどんぶらこも

おじいさんは山で芝刈りも

おばあさんは川で洗濯

 

行為の前には川で身体を清めて

行為中は芝を刈るが如くムラムラの草むらの中を探り回って

盛り上がったおじいさんとおばあさんがそらもう川で浮かぶ大きな桃のようにドンブラコドンブラコと…

そういう訳なんですね

 

えぇ!?犬、猿、雉もきびだんご鬼ヶ島へ鬼退治も隠喩!?

き、金銀財宝もぉ!?

 

まぁ子宝と言いますもんねぇ!

2021-06-24

通報されない殺意や害意の表明がしたい

日本人品性疑うような下劣不謹慎は許すくせに、ひとたび「殺すぞ」って書くととたんに通報通報と喚く

しかし殺したいほど憎い奴やムカついた奴に殺すと言えないのは死ぬほどダルい

から遠回しな隠喩にするが、それでも通報される

「夜道や物陰に気をつけな」

「今度遊びに行くからね」

「今流行りの異世界転生させてあげようか」

これでも通報

どれだけ不謹慎なこと言っても通報されないのにね

2021-03-30

anond:20210330204746

このSNSでは増田の~、

エントリをお待ちしてます~~

素敵な(隠喩日常エピソードといっしょにエントリをして~~

ここでエントリを一発~、

増田ネーム恋するKKOちゃん♪(オェッ)

2021-03-24

https://news.yahoo.co.jp/byline/shizumehiromichi/20210324-00229005/

初見で、まず脳が混乱して何を言わんとしているか分かりませんでしたが、とにかく女性バカにしているということだけは、よく伝わってきました。先輩の赤ちゃん可愛い、とは子供を産むのが女性幸せ、という隠喩かと。その後、ジェンダー平等時代遅れ、とは?時代遅れはどっちですか?という気持ちで、もはや怒りを通り越して、その感覚心配しかありません。

なぜ「何を言わんとしているかからない」のに「女性バカにしているということだけは伝わってくる」の?

メロスなの?

「先輩の赤ちゃん可愛い」が「子供を産むのが女性幸せ」に変換されるのはなぜ?

男根メタファーなの?

ジェンダー平等時代遅れ」とは「ジェンダー平等スローガンにしている時点でジェンダー平等が達成されていない状況なのだから遅れている」という意味であろうが、それが「時代遅れはどっちですか?」という感覚になるということは、「既にジェンダー平等は達成されている」と思っているの?

わかんないよね〜

2021-03-08

anond:20210308211723

ビジネスモデルなら」

隠喩ってご存知?というか最早直喩に近いけど。

それを言うならあなた(?)の出したお話でもビジネスで売られてるのは人間じゃないですよ。

2021-03-04

同人日記

某使いやす通販で既刊セットだしてる、2ジャンルある

で、その2ジャンルとも1つずつ、総計10種類超える高額な既刊セットが売れた

これどっちも現在新刊だしてないし公式も動かない、いにしえのジャンルなんですよ

 

まり勇気ある行動では?

見も知らない私へ優しさもたらしすぎでは?

まあ片方のジャンルは今年リバイバルっぽくなってるんだけどさ

個人出版なんて薄くて高いのにさあ

(まあページあたりで計算される印刷代が高いか

極力文字小さめにして二段組にしたりして薄くしているだけで

小説として総計60万字は売れた計算

これジャンル活動してるときにあったらもう新幹線のってポストまで届けに行って

ついでにありがとうって握手したいしなんでも(隠喩)したくなっちゃうんだよな

わけのわからないサービスしたくなるんだ

イメージ香水しみこませたガーゼも同封とか。でも一度やられてみたらちょっとヒいたので今回はやってません)

 

嬉しくなったあとちょっと不安にもなる

当然匿名お買い上げなので、まさか実家に買われてないかとドキドキする

だってこんなに理由もなく優しくしてくれる人といったら家族くらいしかおもいつかないので

実家心臓の弱め(隠喩)な人たちがどうぞ気づいていませんように

こんど実家にかえったとき本棚にならんでいませんように

まあ万が一ですよね万が一

 

あと現ジャンル(まだ1冊しか本にしていない)から過去堀りしたくなったお客さんかも

というか一番ご贔屓にしてくれて感想もいただいてるあの方かもしれない

ごめんなさい高くて!あなた感想めちゃはげまされたのにお金なんて!

 

とにかくどなたかからないおかた、かってくれてありがとう

めっちゃうれしかったですよー

在庫すてないでとっといてよかったー

は~~~本って不思議だな

にのせたイメージ思想が売れてるってのがすごい

たとえば日本語読めない外国人からしたらインクの汚れが載った薄い紙束でしかない、

なんならリサイクル用紙にしかならないのだけど

文字列に価値見出してくれる人がいる

ありがとうありがとう

物理ではとうていお返しできないのに精神的な部分をサービスとうけとってくれてありがとね

まあ冷静になると受け取ってるお金印刷代以下なんですけどね

本当に再録だのって全部電子で公開しちゃったほうがよかったのかもしれないですけどね

それでも長くてそれだけで読みづらい文章を手の中で温めるように本にパッケージたかったんだし

送料や手数料まで払って買ってくれる人がいるのマジうれしいわ

うんうん

うんうん

いろいろ活力わいてきたな

いろいろやろう

2021-03-03

anond:20210303192401

BLで抜く(隠喩)ので

性的消費してる自覚がある

性的消費していないと思ってる腐女子って小数だと思うんだけど 声がでかいだけで

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