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2024-02-14

私が北島マヤだった時の話をさせてほしい

北島マヤをご存知だろうか。

少女向けの傑作漫画、『ガラスの仮面』の主人公。千の仮面を持つ少女である

役柄の心を理解し、演じる中で役と一体化していく、憑依型の天才女優

私はあの時、確かに北島マヤだった。

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小学生の頃から大学卒業するまで、演劇クラブ演劇部、演劇サークル所属していた。

きっかけは覚えていない。確か2つ年上の友達女優になりたいとかで、一緒についていったのが始まりだったと思う。

貧乏男の子アンドロイド人魚、恋する女子高生

演じることは楽しかったし、周りからの評判も良かった。ただ所詮は役の真似事で、北島マヤのように役が憑依するということはなかった。

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それが覆ったのは、確か高校卒業公演の時だった。

私はW主演の片割れの役をもらった。離婚寸前の両親を笑わせたいからと、文化祭漫才をやる女子高生の役。結局家族は離れ離れになってしまい、転校を余儀なくされる。文化祭には出られなくなったが、相方と共に最後漫才をする……、そんな役だ。

いつも通りに読み合わせをして、台本を覚えて、軽く立ち稽古をして。

本番が近くなったからと取り組み出した通し稽古も順調に進み、ラストシーン漫才が始まった瞬間だった。

転校したくない。

そんな思いが胸を貫いて、急に涙が止まらなくなった。

大好きな友達と一緒にいたい。お父さんと離れたくない。

ぼろぼろ泣いた。泣きながら漫才をした。

ちなみに私には物心ついた時から父などいない。でも、『私』にはいた。母と不仲な父。昔は仲の良かった優しい父。

文化祭で、私たち漫才を見せたかった。笑ってほしかった。こんなに練習したのに、いっぱい頑張ったのに、これが最後だなんて。

漫才が終わってカットがかかっても、私は泣きっぱなしだった。

悔しくて辛くて悲しくて、ずっと泣いていた。

自分自分じゃないみたいだった。

共演者たちが引いていた。

最終的に、いつも役名で私たちを呼ぶ顧問が私の本名を呼んで、そこでぴたりと涙が止まった。どうして泣いていたのか分からいくらいの平常心。私が私に戻った。ものすごい体験だった。

結局、後にも先にも役にのめり込んだ経験はこれっきりだったけれど、今でも鮮明に思い出せる。

私はあの時、確かに北島マヤだったのだ。

コインを池に投げ入れる風習歴史はどのようなものなのだろう

その謎を解明するため調査隊はインターネットの奥地へと向かった

その結果、英語圏歴史解説YouTubeチャンネル発見した

Why Do We Throw Coins in Fountains?

動画字幕の書き起こしをChatGPTに翻訳&要約してもらった

毎年、世界中私たちは噴水から井戸さらにはテーマパーク乗り物まで、コインであらゆるものを飾ります私たち幸運を求めて、願いが叶うことを望んでいます場合によっては、ローマで誰かと結婚するためにもコインを投げます。この伝統時代を超えて広まり、その起源古代ローマにまでさかのぼますローマ公務員であるガイウス・カエキリウス(別名:プリニウス・ユニオル)が書いた手紙によれば、人々は清潔な泉に感謝の意を表す形で贈り物を投げ込むようになりました。当時、清潔な水は非常に貴重であり、神々への感謝の印としてコインを投げる習慣が広まりました。この伝統は今でも続いており、ローマトレヴィ噴水が特に有名です。また、映画「Three Coins in the Fountain」でもこの伝統が取り上げられ、ロマンティクコメディの要素として広まりました。噴水に投げられるコインは、都市観光地収益の一部として寄付されることもあります

要約の結果、元動画が言っている内容とちょっと違う文意になっている箇所があるな……

あいいや、元動画見ればわかるし

しか歴史解説YouTubeチャンネルの内容をを鵜呑みにするのはちょっと気が進まない

調べるとっかかりとしては役に立つんだけどね

あと、この解説アジア圏のコイン投げについての観点がまるっと抜けている

中国人は願掛けとしてなにかとコインを投げ入れるらしい

その投げ入れる対象対象は池に限らない

中国人が願掛けとして飛行機ジェットエンジンに向かってコインを投げ入れようとした、というニュースがあるくらいだ

すなわち、現代の池へのコイン投げの風習は二つの源流があるはずだ

ひとつ西洋起源、小プリニウスが書き記したそれであり、コインを投げ入れて願い事をするヨーロッパ民間伝承「Wishing well(「願いの井戸」と訳すべきか)」を経由してトレヴィの泉に辿り着くルート

もうひとつアジア圏のいわゆる願掛け目的のいわゆる「賽銭」を辿るルート

二つに分ける意味はあるのか……?

うーん

どうだろう

いか

あるということにして調べよう

映画「Three Coins in the Fountain」がもしも存在しなければ、西欧圏でコイン投げの風習は廃れていたかもしれない

しかしその映画があろうとなかろうとアジア圏の人々はコインを投げて願掛けする風習を続けていたであろう……気がする

であれば二つは分けて考えた方がわかりやすいんじゃないか

仮定仮定を重ねていくぅ

あとで二つに分けて考える意味は無かった時点で考えを改めればいい、ということにしておこう

RedditやQuoraでも「なんで中国人って池や川にコイン投げるの?」みたいなトピックが立てられいるのを確認した

(そしてそれに対する回答は「コイン投げの風習世界中にありますよ」というもの質問者が知りたい内容とはちょっとずれている気もする)

キリスト教教会に併設されている池にコインが投げ入れられて困った」みたいなスレもたっていた

そうだよね、非キリスト教的な風習だよね

一神教根付くとこういった民間信仰は排斥されるということか

というわけでイスラム教ユダヤ教コイン投げによる願掛けがどう認識されているかもぐぐりましょうね

イスラム教は……情報が全く出てこない

ユダヤ教はなんか出てきた

ラビに「願いを込めて願いの井戸コインを投げることは何か悪いことですか?」とユダヤ教教義に反していないか質問する内容のサイトが引っ掛かった

解釈によってはセーフだけどあんまり推奨しない、みたいな空気感の回答だな

コイン……つまり金属製硬貨のみが投げ入れられるのか?という疑問もある

貝製の通貨貝貨を池に投げ入れるみたいな文化がある地域いかな~

パプアニューギニア現在貝貨を使っている人々がいるみたいだが、願掛けとして貝貨を投げるみたいな記述は見つけることが出来なかった

古代中国だと賽銭貝貨を使っていたらしいけれど

パプアニューギニアのなんかでっかい噴水のストリートビューを探して金属コインの他に貝貨が沈んでないか探してみてもいいかもしれない

まあおそらく無さそう

お葬式貝貨精霊に扮した人に向かって投げるみたいなことはやるらしいんだけど…

そもそも何で調べ始めたかって「海外……例えばアメリカでは合格祈願の願掛けとかするのかな?」と思って

ぐぐった結果は「願掛けしない」というもの、まじかー

教会でお祈りとかする人もいるにはいるけど、願掛けするくらいなら勉強しましょうねみたいな考えをするってなんかのブログに書いてあった

例えばかつ丼みたいな勝負飯食べたりお守りを買ったりみたいな風習もないっぽい

いやー……そうはいっても欧米人だって水にコイン投げて願い事するじゃん?池にコイン投げて合格祈願とかしないの?

と思って調べ始めたがなかなか調べるのが楽しいテーマだった

そこらじゅうに願掛けスポットが大量にある日本が特異、ということだろうか

まあまあ、結論を急ぐことはない

もうちょっと調べましょうね

賽銭トレヴィの泉を一括りにして包括的投げ銭文化について論じた論文をまだ見つけることが出来ていない

こんな面白そうなテーマ絶対先行研究あるって

投げ銭に限らず「迷信」というテーマで調べてもいいかもしれないな

……といった感じで調べた内容を一旦メモ

日記

---

そうだ、キリスト教には守護聖人という概念があるじゃないか

太宰府天満宮菅原道真公のような受験学問を司る守護聖人にお祈りするみたいな風習があるかどうかを調べること

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全然みつからんな、受験生が守護聖人にお祈りみたいな話

なんか守護聖人がどのようなものか、みたいな認識根本からずれているのかもしれない

いい加減体系的にキリスト教勉強しなきゃ立ちいかなくなってきたのかもしれない

子供に死を教えるのは難しい

うちの猫が死んだ。

齢16だったので、おそらく寿命だろう。

彼のことは明朝、夫が発見した。

裏庭で大の字のように横たわっている姿を見かけ、声をかけても全く反応がない。

目を凝らすとお腹が全く動いていない。呼吸をしていない。

慌てて駆け寄り、触ると既に身体が冷たかった。

まりに突然ことで唖然とする暇もなく、平日の朝はいつも通りの喧噪さがあった。

私は市とパート先に連絡し、みんなで朝ごはんを食べ、支度をして、各々の場所へと出かけていく。

娘は小1だ。彼が死んだことに嘆き、悲しみ、それでも迎えは来て、友人の顔を見て多少心が安らいだのだろう。

気を持ち直すと出かけて行った。夫はいつも通りに家を出て、私は二人が出かけるのを見届けると庭に出た。

愛猫は庭先に伸びており、触れると冷たく、剝製のようで、そこにはもう生命残滓はないように思われた。

市役所電話淡々としたやり取りをした後、私が彼を市の方へ連れていくことになった。

私は洗い立てのタオルを手に庭へと戻り、彼を慎重に包み込んだ。

それから車へ乗せ、市役所へと向かった。市役所は朝から混んでおり、遺体を引き渡すための手付きを一通り済ませると後にした。

手続き事務的に行われ何事もなく進んだものの、対応してくれた方が最後に「お悔み申し上げます」と言ってくれたことが救いだった。

その後、パートへと出向くはずだったもの電話事情説明し、今日休みにしてもらった。

それから家に帰り、うすぼんやりとしながらとりあえず食器を片付け、掃除洗濯といつものように家事をこなしていると15時を過ぎ、いつの間にか娘が帰ってきていた。

娘は俯き、まず彼のことを訊ねた。彼はもう居ない。そのことをどう説明しようかと私はその時、咄嗟に考えることが出来ずにまごついた。

「死んじゃったの?」

娘が掠れた声で尋ねた時、思わず私は泣いてしまった。

からずっと、私は「死んだ」という言葉を避けていたのだと思う。

それまで夫も、娘も、対応してくれた市の方も、「死」という言葉を持ち出すことはなかった。

私は認めるのが恐かったのだと思う。それでも確実に彼は死んだのだ。

その事実を認めるのと同時に、彼と過ごしたこれまでの思い出が走馬灯のように頭の中を過ぎり、涙が止まらなくなった。

次第に娘も泣き出し、私たち親子は二人でわんわん泣いた。

暫くしてようやく落ち着き、泣き止むと「どうして死んじゃうの?」と娘が聞いてきた。

それが生きることだと私は答え、そうとしか答えられなかった。

それから娘が夕飯を作るのを手伝ってくれた。友達と遊びに行かず、こうして手伝ってくれるのは久しぶりだった。

夜、夫が帰ってくるとその手にはいつもと違い、小包があった。中身はケーキだった。ショートケーキが四つ。

私たちは三人だけで夕飯をと食べ、それからケーキをみんなで食べた。

少しずつ家庭に温かさが戻ってきたように感じられた。

それでも彼がいつも寝ていたソファは空いており、その空いた隙間は、心の中に場所を移したように未だぽっかりと空いている。

ここまで勢いで書いてきたので多少文章支離滅裂になってしまった感は否めない。それでも今の私はただ、彼のご冥福を祈るばかりである

2024-02-13

訳あって入籍できないので内縁の妻をやっている。

もちろんプロポーズなんてなかったし、当然結婚式なんてないし、ハネムーンもないし、マイホームもないし、子供もいない。

子供は、できたこともあったのだけど、訳ありの私たちなので、堕ろすよう言われ、それに従った。

互いの親族わたしたち関係を忌まわしいもの、とまでは言わないまでも、無いものとして扱う。

もちろん公正証書も取り交わしていない。

法的には、同棲カップルと、何も変わらない。

 

わたしは一生、ドレスを着ることはないのだろうし、夫婦写真家族写真を撮る事もないのだろうし、父にも母にもなんの恩返しもできないまま、ゆっくりと死んでゆくと思う。

 

それでもわたしたち夫婦は、日陰で慎ましく毎日愛し合っている。外ではしない指輪を、家に帰ったら静かに嵌めて、夫婦として暮らしてる。

わたしにとっても夫にとっても、今の人生は望んだものと違うだろうけど、愛に縛られたこ人生を歩く決断を、毎日慎重に下し続けている。

 

あぁでも若いうちに写真くらいはねだって撮らせて貰えばよかったかなぁ。

あらゆる反対や障害を押し切って、あの子を産んでおけばよかったかなぁ。

あの時、義兄がまだ会話を諦めていなかった頃に、尻込まず話しておけばよかったかなぁ。

そういう後悔も尽きない。

 

歳月を重ねてきて、両親もそろそろ見送るかという年齢に差し掛かる。

わたしたちの終わらせ方も、考えることが増えてきて、そうして考えれば考えるほど、気が重い事ばかり。

夫は持病があるけども、入院しても、わたしはお見舞いにも行けないのだなぁ。

せめて目の前で倒れて欲しい。119番わたしにさせてほしいなぁ。

どちらか先に亡くなるとして、骨を拾う事はおろか、法要に参加する事も、おそらくできないよなぁ。

遺影を選んであげる事ももらう事も、できないんだなぁ。

夫もわたしも、今ともに暮らす住まいは、互いの親族に明かしていない。荷物も、生活必要最低限だけ。

わたしは夫の形見を、夫はわたし形見を、分けてもらう事もできないだろうなぁ。

あの世でも一緒がいいけど、同じお墓に入るのは、たぶん難しかろうなぁ。

わたしがこの人の妻として生きた日々は、この人がわたしの夫として生きた日々は、わたしたちがこの世から居なくなるのと同時に、なかったことになるのだろうなぁ。

 

から婚活増田たち、眩しいです。

婚活楽しんでください。辛い事も多かろうけど。

うまくやれば、日の当たる場所へと続く道につながると思います

希望があります

しか手元に残らなかった人生も、これはこれでなかなか、寂しかったりするから

id:ch1248にはあきれた

説得力があり言葉が強いので、小松氏がこの評を読んだとき、深刻に悩んで後悔し、作品消したり、芦原先生の顛末みたくならないか気になってしまった……。whkrさんが腹立ったのも解るけど、自分の評の影響は考えた?

b:id:ch1248にはあきれた。マジであきれた。

 

言論の中身ではなく、赤の他人の行動を自分の都合良く憶測して批判

まずはここ。

小松氏がこの評を読んだとき、深刻に悩んで後悔し、作品消したり、芦原先生顛末みたくならないか気になってしまった……。/自分の評の影響は考えた?」

 

小松氏がこの評を読んだとき

 →読むの?

・深刻に悩んで

 →深刻に悩むの?

・後悔し、

 →後悔するの?

作品消したり、

 →作品消すの(消せるの?)

芦原先生顛末みたくならないか

 →そんなことになるの?本当に?

 

こんなふうに他人の行動を、「かもしれない」の連続によって、自分の言説に都合がよいように誘導して「最悪のときにこうなるから慎め」って、そんなことを言い出したら、何でもありだよね。

あなたが現内閣を支持することによって、社会の変革を求める者が、いつまでたっても政権が交代しないことに対する絶望感を募らせ、ついには直接行動をおこして要人殺害するといった、山上徹也の顛末みたくならないか自分の影響は考えた?」

とか、

核兵器の廃絶運動によって、世界から核兵器がなくなると、核の抑止力もなくなって、戦争が増えて、私の息子が徴兵されて戦場へ連れて行かれて殺されるということにならないか自分運動の影響は考えた?」

も、何でもありになっちゃうけれど?

人の死をにおわせることによって言論掣肘するのは、ちょっと卑怯じゃないか

 

いまだに芦原先生が亡くなられた、有力かもしれない理由理解していない

小松氏がこの評を読んだとき、深刻に悩んで後悔し、作品消したり、芦原先生顛末みたくならないか気になってしまった……。」

 

芦原先生が亡くなられた本当の理由なんてもちろん分からないけれど、私たちに見えている事象としては、芦原先生最後

攻撃たかったわけじゃなくて。ごめんなさい」

というメッセージを残しているよね。

これを素直に受け止めれば、先生自死の大きな要因として考えられるのは、先生脚本家批判されたからでも、ネットリンチにあったからでもなく(先生被害を受けたことの苦痛ではななく)、

先生自身ブログが発火点となって、SNSユーザーらが脚本家をはじめ関係各位に攻撃を始めて収拾がつかなくなったから(自らが加害の発端となってしまたことへの後悔)だと考えられるよね。

 

それを今回にあてはめていえば、むしろ心配すべきは、自身エントリブックマーカーどもが追随したせいで、結果として小松氏への批判だらけのブックマークページをつくってしまったid:whkrだろう。

一歩譲って、小松氏がブックマークページに並んでいる非難文章を読んで気に悩むことを心配するとしても、釘を刺すべきはブックマーカーどもだろ。

そこを非難せず、id:whkrに言うのは違うんじゃねーの?

 

ブックマーカーどもへ

Twitterが地獄、誰のせいで死んだか犯人探し

をもう一度読んだ方がいいと思うよ。

 

おわりに

私はid:ch1248お気に入りにこそ入れていないけれど、私の敬愛する方がid:ch1248お気に入りに入れているし、私自身もid:ch1248エントリを何度も読んだことがある。

別に嫌いではなかったし、別にお気に入りに入れてもいいぐらいに思っていた。

 

だが、今回のこのブクマに関してはマジであきれた。

2024年にもなってアイドルお気持ちリレーを見られるとは思わんかったな

Vtuberグループにじさんじアメリカ分店として活動するにじさんじEN。

先週、いろいろ問題があったとして公式画像4枚にも及ぶブチギレ解雇宣言出して

人気も高く影響力も大きかったセレン龍月を契約解除。

前々からにじさんじEN運営に不満が溜まっていた海外リスナーが爆発。

中には運営解雇宣言内容が嘘である告発するクリエイターまで現れ、

1週間でにじさんじENの公式および所属ライバー登録者数が合計10万人近く減少する事態に。

株価ガッツリ値下がりする事態になった。

事態を重く見た、にじさんじ運営するANYCOLORが

2024年2月5日に、当社は所属ライバーSelen Tatsuki』の契約解除を決定いたしましたが、これが当社業績に与える影響は極めて軽微であります

とだけ書かれたIRを発表。

火に油を注ぐ事態になり、海外リスナー燃え上がり、株価さらに下落した。のが先週までの話。

 

連休を空けて本日

にじさんじENのエリーペンドラが自身の枠で「A Message from NIJISANJI EN」という配信を行い

複数のライバーにじさんじENは悪くない、クビになったセレン龍月が悪いとの旨の配信を行う。

中で証拠として使用されたスクリーンショット日本語UIが移り込んでしまった結果、

この資料を誰が作ったんだという話になり、いわゆる「声優の盾」行為として運営非難殺到

声優の盾行為とは、アニメ制作体制脚本問題が発生し炎上した際に出演声優声明を出させることで批判の矛先を逸らせようとしたり、批判しづらい雰囲気をつくらせようとする行為

エリーラの登録者数はさらに下がり、株価さらに下落した。

 

あのさぁ、アイドル部で、いちタレント運営批判を行いそれに対して別のタレント運営擁護

結果的に、タレントVSタレント運営の構図になった結果、

お互いのファン同士がこっちが正しい、いやこっちだと血みどろの争いを繰り広げどうなったか覚えてないんか?

もう4年以上前の話なのにいまだに両陣営粘着アンチしてる奴が山ほどいる。

 

仮にタレントが「私たち真実を伝えたいです!」って言い出したんだとしても、

そこは「運営」と「(出てった)タレント」の問題なんだからこっちで対処しますって言うのが運営仕事だろ。

配信トップに来ているコメントはこうだ。

The fact that Nijisanji is using their own talents for damage control puts such a bad taste in my mouth.

8560 good

そりゃそう思うし、なぜこう思われるだろうということが想像できないのか。

配信内で昼に社長動画が出ますって言ってたけど、せめてそっちが先だろ。

2024-02-12

恥ずかし

私たち日本保守党に期待します」とかいう怪特集掲載された月刊『Hanada』とかい便所の落書き寄稿した大学教授がいるそうな。

よく生きてられるよね。まともな神経してたら自◯レベルだろ。

ひとりでダブルベッドを組み立てる

木材が二箱届いた。昨日別れた人と一緒に寝るための、ダブルベッドになるものだ。なるはずのものだった。

別れた原因のうちの一つはこのベッドだ。26と38でどう?と彼は言った。きっかり半分こにするためのあと6000円を、彼は払いたがらなかったのだ。



彼が敬愛する歌手コンサートチケットは1万円した。その歌手の歌のタイトルを私はひとつしか知らなかった。コンサートというもの自体ほとんど初めてで楽しめるかどうかから不安だったが、行った。

隣にいる彼が一曲一曲が始まるたびに目を輝かせてちいさく歓声をあげるのが可愛かった。

しかった。

時間を共有できることがとても嬉しかった。同じ音に触れて、鼓膜が揺れているのだと思った。一緒の時代に生きることが出来てよかったとしみじみ思った。最後は腕を振って歌った。私が唯一タイトルまで知っていた歌だった。

今度は私の好きな歌手コンサートに一緒に行こうねと言った。

ついぞ果たされることは無かったが。



木材たちはてんでそっけなくAだの⑧だの上面だのといったシールが貼ってあり、頼みの綱である組み立て方の説明書には「2人以上で組み立ててください」とあった。意地でも一人でやってやろうと思った。



私はもともと片付けが病的に苦手で、一人暮らしをしていた部屋もひどい有様だった。母が定期的に死んでないか確認に来る以外、ほとんど人を呼んだことは無かった。

告白をされた時、自分の部屋が直ぐに脳裏に浮かび、とても悩んだ。障害なのだ小学校の時に診断を受けて、小児うつの疑いも指摘され、20歳の時には二次障害でがっつりと鬱になり入院し、そこから丸々一年休学した。

その時に四年付き合って一緒に住んでいた人とも散々な別れ方をして、そこから恋人が出来ても長く続くことは無かった。

もう誰かと時間を共にするのが怖かった。二年ほどぽっかりと恋人のいない時間を過ごしていた矢先の、告白だった。

私は悩んで相手に洗いざらい打ち明けた。障害のこと、病気のこと、寛解はしているが自分に自信が無いこと。

彼は真剣な顔で聞いたあと、それは病気でなくても同じことだよと言った。

僕も片付けが苦手だし、でもできない所を補い合うことはできる。それは病気であってもなくても同じことだと。



しかった。信じてみようと思った。全てかけてみようと。

そこから半年同棲を決めて、必死で片付けをした。

間に合わなかった。モザイクをかけたくなるようなダンボール箱最後数箱出来た。自分の部屋にも入り切らず、共用の寝室の片隅に置かせてもらった。

「ずっと片付かないのは嫌だけど、頑張ってくれたらいいよ」「一月を目処に頑張ろう」と言ってもらった。



それからの日々は怒涛だった。仕事洗濯食事の支度、お風呂睡眠のローテーション。自分一人ならどれか欠かしても仕方がないけれど、人と住むからと気を張っていた。

段々、自分負担が大きい気がしてきていた。

洗濯の頻度の格差を指摘したら喧嘩になった。

鍋の後、おじやを作るのを断ったら喧嘩になった。

食器洗いに追加して、お米を炊く当番を彼にお願いしたら喧嘩になった。

なにもかも上手くいかないと思った。たった今せっかく組み立てたヘッドボードも、電源コードを穴から出すのを忘れていて全てやり直しになった。どうにでもなれと思った。



それでも彼とたまに出かけるのは本当に楽しかった。水族館に行った。美術館に行った。海に行った。月に一度くらいだったが、本当に楽しみだった。たくさんの写真を撮った。

でもそれ以上の数の喧嘩をした。約束した人数以上を彼が部屋に招いたこと。前日にいきなり一人泊めたいと言ったこと。私の片付けが終わらないこと。私が調味料を片さないこと​──その時、彼も皿や鍋を仕舞わないことを指摘したら、湯煎して2日放置されていたお鍋のパックを壁に向かって投げつけた​────。

私も感情的な方だが、大きな音を立てたりものに当たったりするのは許せなかった。

「殴りたくなった」と言われたのもショックだった。かつて別の人に殴られた事や殴られかけた事が複数回ある。

付き合うまで彼は温厚な人間だと思っていた。

私には人に殴らせる才能があるのだろうと思った。そうだとしか思えなかった。

そして、やっとのことで取り付けたベッドの横木が、1本まったくの上下逆だった。左半分を一からやり直す羽目になった。



一緒に住むにあたって私は、洗濯機も冷蔵庫電子レンジも全て譲ってしまった。

彼の持っていたそれらの方が性能が高かったから、そうせざるを得なかった。

「捨てろなんて言ってないよ。ただ置いておきたいなら自分の部屋に入れてね」と彼は言った。

ベッドの話に戻る。彼のシングルベッドで暫くは一緒に寝ていた。しかしさすがに狭く、ベッドのマットレス部を敷布団の2つ折りと合体させるような形で床に敷き、寝た。どちらも、彼の持ち込みの寝具なので、私は敷布団側で寝ていた。何ヶ月もすると身体のあちこちが痛み出した。肩を軽く押しただけで崩れ落ちるような肩こりを起こした。いよいよベッドを買おうと言ったが、彼は頷かなかった。「あなたシングルをもうひとつ買えば?」

私はシングルベッドふたつがこの寝室に並んでいる姿を想像して頭を抱えた。ほぼクイーンサイズではないか



何故そんなに自分シングルベッドを手放したくないのか聞けば、「まだ使えるから」という。

私の家電だって、まだ全部使えた。それでも2人の生活と天秤にかけて手放したのだ。

それからちょうど一年が経っていた。

この人は一つも、私たち生活のために諦めてくれない。一つも。そして冒頭の発言に繋がる。



それから、こう続いた。

新しくダブルベッドを買ったとして俺はシングルベッドを手放さない。

あなたが買うならすぐに買うんでも、何にしてもいいが、半分ずつ出し合うなら、今はどれを買うか話し合っている時間が無い。

納得していないかお金は払いたくない。

ダブルベッド買ってあなたひとりで寝るの?俺が金を払わないから?…なら俺が横にシングルベッドを並べて寝る。

ついに、寝室に置かれるベッド幅がキングサイズを超えた。





もう身体が痛くなければなんだっていいと思った。ダブルベッド丸々私が払って買って、向こうがなあなあで使い始めて、もういっそそれでもいいと思った。

買った。

でも直ぐに許せなくなってしまった。

詳細は省くが、いよいよ私には価値がないのだと思った。礼を言ったり、詫びを伝えたり、たった1行のLINEを打つ価値も私には無いのだと思った。



交際が始まる前にほんの数通ではあるが文通をしていた。読み返す度、私は、彼の言葉が好きだったのだと思い出せた。一緒に住みはじめてから私が手紙を書いても、返事は来なかった。

もう終わっていたんだなと、ふと思った。

ダブルベッドは、最後の釘を締められないままドカンと寝室に居座っている。

同時に注文したマットレスが届くのは少し先になりそうだ。

来月には向こうの忙しさも落ち着いて、引っ越しだの手続きだのを話し合うことになるんだろうと思う。板のまま箱のまま持っておいた方が本当は、引っ越し代も安く済んだに違いない。

手取りは私の方が安かったが、食費も家賃もきちんと半分出してきた。光熱費は在宅のほうが消費する為傾斜をつけたが、そこだけだ。

フェアにやってきた。別れて空っぽになるのはきっと私だけだ。馬鹿みたいだ。だからシングルベッドを取っておいたのだろう。

彼は賢いと思う。





本当の意味では、彼を嫌いになれなかった。

この文章を書いている今ですら、まだ揺れている所がある。

友達に縁切りのお守りを貰っても、いくらやめろと言われても、ずっと別れられなかった。でもここに書いていない一件で、もう諦めなければならないと、ようやく思えた。

少しほっとした自分に、自分でびっくりした。

終わりにしようと思う。きちんと自分を取り戻さないといけない。



マットレスが届いたら。

まっさらダブルベッドに1人で寝ながら、新しい生活をどうしていくか、考えようと思う。まだすのこしかないベッドに横たわってみる。

ポケットの中で、余った釘がじゃらじゃらと鳴った。

2024-02-11

anond:20240211172220

そだねえ…ふたりとも楽しそうにやってくれてるから私たちが他のところに居を構えることを喜ぶかどうかはちょっとわかんないし、

そういう話をするとむしろ寂しがってくれるから今は甘えてるけど、

まあ私は自立していたいし、経済的に落ち着いたらもうちょっと便利なところに家を持つ可能性はなきにしもあらずかなー。

あいつか介護必要になったらまた帰ってこなきゃならなくなるかもだけど。

母はこうなる前からずっと私たち心配ばっかりしてたから、今はむしろ毎日顔が見れるので安心してるって言ってた。

それはそれで過保護なんじゃあないかって思うけど、まあ今はそういう親の愛の深さに感謝しかない…

anond:20240211151329

不倫して子供できちゃって離婚した後、被害者の元嫁に自らインタビューした記事を有料で公開する佐藤秀峰の言うことを頭から全部信じるのはちょっと難しいが、海猿の主演も不倫クズ野郎なのでこれは静観した方がいい案件だぞ

秀峰: まずは離婚されたということで、お話を伺ってもよろしいでしょうか?あまり立ち入ったことをお聞きするのも心苦しいのですが…。

智美: いえいえ、どうぞ(笑)

秀峰: では、まずは離婚の原因からお話いただけるでしょうか?もちろんお話しできる範囲でかまいません。文章は必ず掲載前にご確認いただきますので、言い過ぎたところや言い足りなかった部分は後から修正もできます。ざっくばらんにお話いただければありがたいです。

智美: 了解です。そうですね、離婚の原因は簡単にいうと配偶者不貞行為です。

私ではない女性妊娠させてしまったとのことで、元夫から突然告白されました。

秀峰: え…!?…あー…、それは…大変ですね…。シャレにならな いと言うか、何と申し上げて良いのやら…。

智美: ええ。浮気だったら…と言ったらアレでですけど、完全にアウトですよね。私はそんな相手がいることも知らず、まったくゼロ状態だったので驚きましたよ。

秀峰: 初耳ですか?

智美: はい、まったく知りませんでした。確か、そうですね…。(カレンダー確認する)今年2月2日です。土曜日の午後に聞かされました。

最初は「子供ができた。認知したい」という話でしたね。ちょうど私たちの子供(元ご夫婦の間にはお子さんがいらっしゃるそうです)が習い事で出かけている時間があって、元夫と二人きりの時に聞いたのですが、聞かされてから2時間くらいで離婚を決意しました。

自宅のすぐ近くに会社事務所があるのですが、話の後、元夫は事務所用事があって出かけなくてはいけなかったんです。

自体はやはり2時間くらいしたのかな?

で、出かけている間に家の掃除をしながら考えました。離婚しようと思い、事務所電話をかけ、受話器越しに元夫に「離婚しましょう」と伝えましたよ。

秀峰: 元ご主人は何とおっしゃっていましたか

智美: 「えぇ~~~~!?」って言ってました。

秀峰: そうですか。そのくらいしかリアクションが取れなかったんでしょうね…。

参考リンクhttps://nlab.itmedia.co.jp/nl/articles/1307/30/news089.html

GoogleEvilなのはネット中立性を放棄たか

ネットワーク中立性に対する、園児向けのBing説明

ネットワーク中立性とは、インターネットの中で、どのウェブサイトアプリケーション平等に扱われるべきだという考え方です。

例えば、お友達が遊びに来たとき、みんなが同じ遊具で遊ぶことができるように、インターネットでもみんなが同じように使えることが大切なのです。

ネットワーク中立性が守られていると、どんなウェブサイトアプリケーションも、インターネットサービスプロバイダ(インターネット接続業者)によって差別されることなく、平等に使えます

これは、みんなが公平に情報を得たり、友達コミュニケーションを取ったりするためにとても大切なことなのです。

ネットワーク中立性を守るために、各国政府インターネットサービスプロバイダは、インターネット上のデータ平等に扱うように努力しています

これによって、私たちはみんなが公平にインターネットを楽しめるようになりますね!

これって現状で守られてるか?例えばGoogleって人によってみるコンテンツを変えてるだろうし、しかユーザー自身が見るものを決めてるわけじゃないよな?だからEvilなのか?

anond:20240211081348

えとねー、ストレスかわかんないけどだんだんお互いに対して態度がきつくなってしまっていた。

なのにふたりとも反省できなくて相手が悪いってなって、結局修復できないくら関係が悪くなった。

一回そうなるとそこから和解は難しくて、そこに仕事パフォーマンスを落としてまでリソースを割けるほどにはふたりとも生活に余裕がなかった。

家のローンとか子供養育費とか。

なので離れて生活することになった。

まあだから離婚っていうか別居なんだけど。

事務手続きを引き延ばしてるだけで、それにそこまで意味があるのかどうかはちょっとわかんない。

でも一緒に住んでいたときにどうしようもなく拗れてたこから発生してたストレスから解放されたので、LINEでやりとりするぶんには穏やかにできてる。

まあでも下手するとまたお互いに怨嗟言葉がでそうになるので一触即発っていうか、すごく気を遣って言葉を選ぶけど。

夫婦関係は今もそんな綱渡状態だけど、私と子供たちは実家で穏やかに生活できてる。夫も様子は詳しくはわからないけどまあまあ元気そう。

夫と一緒に住んでた頃は家庭の雰囲気は最悪で、子供たちは登校拒否児になりかけてた。

子供たちのためにも私たち夫婦のためにも、こうするしかなかった。

今は祖父母にも子育て協力してもらって私も仕事普通にできるし、子供たちも元気で学校に行ってる。

よくある話だよね。

2024-02-10

anond:20240210232749

いいえ、音声の分解と再合成は電話に限らず、私たち日常の会話でも行われています

普段の会話では、声を発してそれを耳で受け取り、脳で再解釈することで、意味理解しています

anond:20240210181435

でもさー、それ原子レベルまで分解されて再構築されたものが生まれ変わりっていうのが定義だとすると、誰かの生まれ変わりっていうようなもんじゃあなくて私たち全員が森羅万象の生まれ変わりだよな…

anond:20240210073041

それ書き換えちゃったら人類生物宇宙消滅して違う何かになっちゃうんだろな…この法則であることそのもの私たちが知ってる今の宇宙から

まりそれは全部を道連れにして心中したいって…こと…?

anond:20240210130602

コメありがとう

両親に「姉は精神ぶっ壊れてます。妹の私は愛想をつかして離れますあなたがたの子育ては失敗でした」ってことをちゃんと伝えないと多分この先ずっと両親は「なんだかんだ言って私たち子育て完璧だったねぇ」で終わると思う。まあでもそれで良いかもね、気づくのに遅すぎたというエンディングでも。

もう両親はあれで、貴方のことをちゃんと想ってくれる人たちのことを大切にしていくのがいいと思う。

ご健闘を祈ります

なぜ「小学館第一コミック編集者一同」の声明気持ち悪いのか

面倒なので前段は省く。タイトルを見て「アレのことか」と分からない人はスルーしてほしい。

問題文章

https://petitcomic.com/news240208/

この文章が一読して耐え難いほどに醜悪理由を書く。以下、上記URL文章について「本テキスト」と呼称する。

結論

テキストは「作家の皆様 読者の皆様 関係者の皆様へ」あてた、「本事件を、時系列から本質ではないことが自明である著作者人格権」の問題ミスリードすること、および当の芦原氏本人の言葉を捻じ曲げてまで、本来存在するはずの小学館責任隠蔽すること」を目的としたものである。だから気持ち悪い。


こうとしか読み取れない理由を書いていく。

なにを主張している文章

テキストそもそも内容が水のようにうすくあいまいだ。それでもなお、執筆者たちの「主張」を読み取ることはできる。

前半が「著作者人格権」について。後半が「小学館ドラマ制作サイドに芦原氏の意向を伝えていたこと」について。


順番に見る。

テキストでは、まず「著作者人格権」について触れる。その後、「著作者人格権を守ろうとしたこと」を芦原氏が「恐らくめちゃくちゃうざかったと思います…。」と自己評価していたことを明らかにする。そして「私たち編集者がついていながら、このようなことを感じさせたことが悔やまれてなりません」と続く。


ポイントは、執筆者が「何を悔いているのか」だ。本テキストにおいて執筆者が「後悔」を明確に示しているのは、このくだりだけだ。これは非常に重要なことだ。

要約するとこうなる。


著作者人格権という権利を周知させることができなかったために芦原氏に不要自責の念を抱かせた。著作者人格権についての認識を広げることが再発防止の「核」になる」


この後に、「これだけが原因だったと単純化はしない」としつつも、あえて本文中に「核」なる単語使用している以上、ここには明瞭な主張がある。

それは「本件がこのような悲劇に見舞われたのは芦原氏が著作者人格権についてしっかり認識していなかったからだ。その認識を与えることができなかったことを悔いている」というものだ。

暗に「芦原氏は「恐らくめちゃくちゃうざ」いことを自分がしてしまった、という自責の念によって自ら命を絶った」結論していることになる。


……なんだか、我々とはずいぶん違う世界観をお持ちのように見える。これまでの経緯を振り返って、こう結論するのは相当に無茶なのではないか

彼女が本当に「ドラマに口を出してしまたこと」を自責した結果として死を選んだのであれば、1月26日以降の騒動はなんだったんだ? 彼女の死に、あの騒動関係なかったということにならないか? なぜなら「ドラマへの口出し(=著作者人格権行使)」は、12月時点で終わっていたのだから


そんなわけねえだろ。馬鹿か。


ここには明らかに問題すり替えがある。「著作者人格権をめぐる認識」に焦点を逸らし、本質的な問題から目をそらそうとすると極めて醜悪論理欺瞞があるのだ。

明らかに本件は「芦原氏が著作者人格権についてしっかり認識していなかったから」起きたことではない。

一連の騒動を振り返って「芦原氏が著作者人格権について深く認識していれば本質的に問題は起きなかった」と思う人だけが、本テキスト同意することができるだろう。


そんなやつ、どこにいんの?


誰がどう見たって本件は多岐にわたる複雑な問題が絡み合って、最悪の結末を迎えてしまった事件だろう。わかりやすい「核」なんてものがあるはずがない。

にもかかわらず、スケープゴートのように「著作者人格権」を持ち出して「核」として据えるのは、故人に対してあまりにも不誠実すぎないか

何のための文章

素直に考えれば「何のための文章か」という問いに、ここで一度答えが出る。作家、読者、関係者に「著作者人格権」を正しく認識してもらい、悲劇再現を食い止める」だ。

まりね、このテキストは「経緯説明」も「調査報告」も何もかもすっ飛ばして「とにかく「著作者人格権」を知ってもらえれば再発防止につながる!」という、何の根拠もない虚妄によって書かれているのだ。

ごくごくごくごく普通に時系列を追うだけで著作者人格権をめぐる認識」が事件本質ではないことは明らかなのに、だ。繰り返すが、論理的に考えてここが「核」なら1月以降の騒動自殺関係がないことになる。


ああ、めちゃくちゃ気持ち悪い。


なにが「事態単純化させる気はない」だ。ここで行われているのは「単純化」などということではない。もっと悪い、明らかに事実関係時系列無視した、問題ミスリードだ。

そして、ミスリードした先にある「著作者人格権」を取り上げ、「本質問題解決に対して寄与しない」とわかっていつつ、ここが再発防止の核であると述べる。

ここには事態の再発を防ごう」なんていう真摯な態度は欠片も見られない。あるいのは「そういうことにしたい」という卑劣な思惑だけだ。

そうするともう少し穿った見方をしたくなる。

まり「本件を「著作者人格権問題」にすり替える」ことが、本テキスト目的だったのではないか、ということだ。

看過しがたい欺瞞

この「著作者人格権」にまつわるテキストの不誠実さだけでも、十分以上に気持ちが悪い。しかもっとおぞましいのはこの先だ。

要約するとこうなる。

ドラマに対する芦原氏の意向は、小学館ドラマ制作サイドに伝えていた。芦原氏は納得のいくまで脚本修正した。ドラマは芦原氏の意向が反映されたものである

テキストを読めばわかるが、これに関する一連のセンテンス、どこか誇らしげでさえある。


正気で書いているのだろうか? 芦原氏の「言葉」を軽んじているのは、ドラマ制作サイドなのか編集サイドなのかわからなくなる。


芦原氏の意向は、よく知られている通り「原作に忠実なドラマ化」である。これが小学館からドラマ制作サイドに伝わっていたとしよう。その後どうなった?

他ならぬ芦原氏がブログで書いていた言葉引用する。

https://piyonote.com/ashiharahinako-twitter/#google_vignette

ところが、毎回、漫画を大きく改編したプロット脚本が提出されていました(略)粘りに粘って加筆修正し、やっとの思いでほぼ原作通りの1~7話の脚本の完成にこぎつけましたが…。

加筆修正の繰り返しとなって、その頃には私も相当疲弊していました。

(略)8~10話となりましたが、ここでも当初の条件は守られず、私が準備したものを大幅に改変した脚本が8~10話まとめて提出されました。

何とか皆さんにご満足いただける9話、10話の脚本にしたかったのですが…。素人の私が見よう見まねで書かせて頂いたので、私の力不足が露呈する形となり反省しきりです。(中略)原稿の〆切とも重なり、相当短い時間脚本執筆しなければならない状況となり、推敲を重ねられなかったことも悔いてます

これは芦原氏が「小学館時系列に添って事実関係確認し、文章の内容も小学館確認して書かれた」文章だ。

さて、あらためて本テキスト引用する。

原作である先生にご納得いただけるまで脚本修正していただき

馬鹿じゃねえのか。芦原氏は「推敲を重ねられなかったこと」を「悔いて」いたのだ。「加筆修正の繰り返しとなって相当疲弊して」いたのだ。

その文章確認しておきながら、舌の根も乾かぬうちに「ご納得いただけるまで脚本修正していただ」いたとのたまう。本当に血の通った人間のすることか? ご納得いただけるまで脚本修正するという作業がどれほど心身に負担をかけることか、わからない編者者でもないだろう。それを何を誇らしげに「わたしたちに落ち度はありません」と言わんばかりの態度で書いているんだ?

ここに自己保身以外のいかなる感情があろうか。

ここに事実を捻じ曲げる意図がまったくないとでも言うのだろうか。


そもそも意向を伝える」ことは伝書鳩のように「言いましたよ」ということではあるまい。なるべく芦原氏に負担がかからないように交渉を詰めて、芦原氏が心身を疲弊させながら手ずから修正」をしなくてもいいように、ドラマ制作サイドに「条件の履行」を求めるのが「意向を伝える」ことではないのかガキの使いじゃねえんだ。「ちゃんと言いましたよ」で責任を逃れるビジンスシーンがどこにある。

明らかにドラマ制作サイドに芦原氏の意向が「伝わっていなかった」から彼女修正を繰り返し、自らを追い詰めなければならないことになったんだろう。そこに「伝わるまで伝えなかった」小学館責任はないのか?


無論、担当編集者メディア担当者が「仕事をしていなかった」というつもりはない。担当者が誰よりも働いただろうし、想像するだに困難な局面連続だっただろう。いまの心痛はいかばかりか。結果は最悪なものになってしまったが、それは決して現場担当者たちを非難していい理由にはならない。

繰り返すが、現場担当個人責任を追及せよと言いたいのではない。むしろ、それは決してやってはならないことだ。しかしまた同時に「頑張ったから」「努力たから」「不運としか言いようがなかったから」という事実は、決して責任消滅させる理由にもならないのだ。


小学館責任はある。絶対的にあるのだ。それは「著作者人格権にまつわる認識を周知徹底できなかった」ことなどではない。芦原氏の意向ドラマ制作サイドに理解させることができずに、結果的ドラマ制作過程において芦原氏を心身ともに追い詰める結果を招いたことについて責任があるのだ。

にもかかわらず、そうした自らの責任にまったく目を閉ざし、ひたすら問題矮小化させ、ミスリードしようとする意図が、行間に充満している。

それこそが本テキスト歴史的気持ち悪い理由ひとつだろう。

再度「誰に当てた文章か」

書くまでもないことを最後に書く。

ここまで確認してきたように、本テキスト作家の皆様 読者の皆様 関係者の皆様へ」あてた、「本事件を、時系列から本質ではないことが自明である著作者人格権」の問題ミスリードすること、および当の芦原氏本人の言葉を捻じ曲げてまで、本来存在するはずの小学館責任隠蔽すること」目的としたものである


その最後に付された言葉が、芦原氏への「寂しいです、先生。」だったことは、瞠目すべきだろう。人間どこまでも恥知らずになれるらしい。


この一文が本当に気持ち悪いのは、SNSで言われるように「TPOにそぐわぬポエティックなもの」だからではない

欺瞞自己保身のために芦原氏の言葉さえ踏みにじって醜悪レトリックを駆使した挙句そもそもテキストの「宛先」でさえない芦原氏を「文章の結び」のためだけに泉下から引きずり出し、まるで批判除けのお守りのように利用してしまう、学館第一コミック編集者一同の浅ましい精神性が悪魔濃縮されているかだ。

終わりに

本件の内幕はおそらく当事者たちにすらもう分からなくなるくらい複雑化していることだろう。

小学館悪者にして幕引きをすればいいという性質のものでもない。巷間指摘されているように、メディア化における構造的な問題TV局の体質的問題、悪意を増幅させるSNSというシステム問題、他にも種々様々な問題が複雑に絡み合っているはずだ。


それでも、この悲劇を防げたプレイヤーの一人であるはずの小学館が、「ことなかれ主義の上層部」「責任回避編集局」という内実を露呈していることは、必ず批判されなければならない。

騙されてはならない。


テキストは、どこをどう読んでも、クソ以下の文章だ。

anond:20240210073041

それを特異点という。

現在私たち宇宙理解するのに使用している理論には,いずれも適用限界があり,理論意味のある結論を返さなくなる領域数学的に導くことができる。よく知られているのが一般相対性理論における特異点ブラックホールの中心など密度無限大になる領域だ。その領域では「うちゅうのほうそく」が乱れる

anond:20240210072332

泥棒して私たちに配ってくれてありがとう!捕まるのはあなただけどね!」

ってことだろうね

2024-02-09

推し創作活動を始めてしまってつらい

特定されないようにぼかすけど推しがある創作活動を始めてしまった。

推しひとつの夢を叶えたことは心から祝福したい。

肩書きがついてその分野での大御所との対談なんかもあって喜ぶ推しを見ているとこちらも嬉しい。

ただその作品が……微妙なのである

めちゃめちゃ不出来というわけではないけど面白いかと言われると微妙……。

作風ちょっと生理的に受け付けない。

高いものじゃないしグッズの一種と思ってお金を出すのは全然ありなんだけど部屋の棚には置いておきたくない感じ。

私は推しの歌や踊りや人間性推していたのであって推しが作る物までは推せない。

正直同じ思いの人は少なくないんじゃないかと思う。

でも界隈には「褒めなきゃ!」みたいな空気を感じてつらみがある。

私の心が狭すぎるのだろうか……。

活動が長くなると他分野に進出する人はいる。

例えば俳優から興味が出て監督をしてみる人とか絵画や造形で芸術活動を始める人とか。

そういうのならまだ良かった。

監督業なら集団作業だし周りから手厚くサポートしてもらえるだろう。

アート文脈次第みたいな世界から推しが作ったと思えば良く見えるんじゃないだろうか。

展示会でオフ会するの楽しそうだし。

なのに……よりによって創作活動

そりゃ歌や踊りだって一流ではなかったかもしれないけどそれでもプロ技術でうまく私たちに夢を見せてくれてた。

創作はその人の能力がもろに出てしまうし実力に対して不相応に持ち上げられているのも感じてしまう。

推しでこんなことを考えなくちゃいけないのがつらい。

anond:20240209074731

俺さ違和感あるんだよね。

小学館編集側のコメントってめっちゃ意訳するけど

私たち意向を伝えた上で、原作者意向にそって脚本をしっかりと全編書き下ろしてもらいました。」

ドラマは全編、原作者の描き下ろしだよ。安心してね。」

違くない?

小学館側がドラマ制作に対してしっかりと原作者意向を伝えていれば、そもそもこんな事にならんでしょって具合で。

制作が持ってきた脚本原作者に何度も書き直しさせて、結果脚本原作者意向を反映させる事で100%仕事をしたんですって事でしょ。

でも、その書き直しが原作者疲弊させた訳で、それって小学館テレビ局同士のネゴシエーションの不備で発生した問題じゃん。

なんで、小学館側が私達は仕事をしたんです…みたいな空気感になってるのか、問題がどこなのかわかってなさそうでマジで怖いんだけど。

俺の実家は細い

私の実家は細い。

  

私は平成最初の年に、とある田舎で生まれた。

  

父は戦争で父(私の爺さん)を亡くし、中卒で新聞配達をしながら育ったらしい。

母も戦争で父(私の爺さん)がPTSDになり早世。同じく高卒で働いて育った。

  

親もそんな家庭環境で育ったため、叔父叔母も貧乏であり、学も無ければ、家に本も無く、父は飲みにケーションの営業マン、母はスーパーパート職員をしていた。

職業からお察しの通り当然収入も少ない。にも関わらず子供を6人も産んだ。そうなると支出も増える。

  

収入も少なければ支出も多いのだ。当然貧乏だった。

小学校クラスで下から5番目くらいの貧乏だった。

  

そんな環境だったか子供の頃は大変だった。

クラスでみんながポケモンの話をしていてもゲームを買ってもらえない、ドラクエの話も分からない、スマブラ練習できないので弱い。そして小遣いも一切ない。

私の世代子供の頃にゲームの話ができないというのは、友達との交流でかなり困難を極めた。

  

習い事も2つだけ。

地域の爺さんが趣味で教えている「そろばん」と、地域の爺さんが趣味で見守っていた「サッカー」だけだった。

サッカー習い事ではないか。ちなみにどちらもタダだったようだ。

  

幸い、勉強はできる方だった。

塾や家で勉強せずとも、学校の授業だけでクラスで5位くらいには入っていた。

どうやら母方の爺さんは名家医者だったらしく遺伝的には良いものを貰っていたようだ。

まぁ爺さんはPTSDになって一族の恥さらし扱いとなり、その名家との関係は切れてしまっていたが。

  

そんな私は、高校生頃まで、学校は正しい、政府は正しい、テレビは正しい、新聞は正しい、創価学会最高、共産党は悪だと、周りの大人に言われるがままに信じて育った。

外界から隔絶された田舎で、外界から情報を得る本を読む習慣も無かった私は、ずいぶんと思想面が偏ってしまっていた。

---

  

転機が来たのは「パソコン」と「インターネット」だった。

私の地域はいち早く情報教育が始まっていた。

学校では、放課後休み時間パソコンを貸してもらえるようになった。

  

最初パソコンゲームができるということに感動した。ソリティアの達人であった。

そして、パソコンにのめりこみ、出会ったのが「2ちゃんねるである

  

純粋だった私はスレを立てた。

  

創価学会バカにしないでください。池田先生はとても良いことを言っています

叩かれた。

  

高校卒業したら働こうと思っています。何の仕事が良いですか?」

バカにされた。MARCH以下はゴミと言われた。

---

  

2ちゃんねるの影響で、別の面で思想が偏った私は、奨学金ギリギリまで借り、地方国立大学工学部に進学した。

大学卒業したとき高校大学合わせて奨学金借金額は600万円まで膨らんでいた。

しかし、その程度は軽いものだった。

  

国立大学工学部卒だったので、とある大企業にも就職でき、奨学金は5年ほどで全額返済できたのだ。

  

今では年収も900万円ほどあり、妻と子宝にも恵まれている。

子供に小遣いも与えられるようになった。

子供習い事に行かせてやれるようになった。

子供と一緒にゲームもできるようになった。

私はこの現状をとても幸せに感じている。

  

地頭が良かっただけだろうと言う人もいると思う。確かにその面はある。

しかし、私と同じような成績だった兄弟姉妹は、それほど裕福な暮らしはできていない。

昔の私たちほど貧乏ではないが。

  

実家の太さが大事だと人は言う。地頭の良さが大事だと人は言う。

かにそれらも大事だ。しかし、私は自分経験から思うのだ。

一番大事なことは、適切な進路に向かえるよう手助けする「情報」ではないかと。

  

あの頃、インターネット出会わなかったらどうなっていただろうか。

2ちゃんねる学歴厨にバカにされなかったらどうなっていただろうか。

  

情報が少ない地方であっても、貧富に関係なく、平等であり、忌憚のない意見が貰える、

インターネットは偉大だ。

追記

1990年頃生まれでじーさんが戦争戦死何となく年齢設定がおかしい気がするなあ。1975年±5年くらいじゃねーの?

母方の爺さんは病んではいたそうですが、戦後も生きていたので母は戦後世代です。

母の何歳頃に亡くなったのかは知らないのですが、思春期だったと聞いているので中学高校頃までは生きていたのだと思います

父は戦時中に生まれたそうです。

両親が学会員だったってこと?

そろばん先生学会員でした。反共産は母。

ちなみに、自治会リーダー格は別の宗教で、子供会と称してタダで旅行に連れて行ってくれました。天理教総本山まで。

タダより高い物はない。

実家富裕層だが生活は非常に貧相だ。

NISAが始まって投資勉強する中で、ユーチューバーが「準富裕層アッパーマス層を目指そう!」と発信しているのをよく見かける。

アッパーマス層は3000万〜5000万。準富裕層は5000万〜1億。それ以上を富裕層や超富裕層というらしい。

まり考えたことがなかったが、私の実家はそういえば資産が恐らく1億ある。でも実際は、そんなこと微塵も感じさせない。というか、むしろ貧困暮らしだ。

 

我が家はとにかく、貧困中の貧困家庭だった。

まず、父は働かない。母はパート。父は今思えば、働かないというか働けないに近かったのかもしれない。社会生活が不適合なのだ

私が学生の頃の年収は数十万。1日の食費は家族4人で数百円。欲しいものなど、親にねだってほとんど何も買えない。(それでも母は随分頑張って与えてくれたが)

私の進学も最低限の選択肢しかなく、使える国の制度はすべて使い込み、それでなんとか学歴は専門卒までありつけた。

とにかく、貧乏貧乏で仕方のない生活だった。

そんな状態でも何とか生活できたのは、父方の実家があったからだ。祖父お金持ちだった。誰もが知る財閥企業役員。定年後は子会社社長しか土地持ち。漫画かな?

私の実家は、父の結婚時に祖父現金一括で購入したマンションだ。名義は父だが、祖父の力がなければ手に入っていない代物だ。

家賃がかからいか収入がなくても何とか生活できていたし、なんなら父の年収の半分以上は祖父お小遣いだった。(父は事業をやっていて、その事業を始めるための資金祖父が出していたし、その事業の客として月に数万円を父に渡していた。詳しくは自分も小・中学生だったので知らない)

とんでもない貧乏でも生活保護を受けずにいけたのは、父が祖父から生活保護されていたからだ。

じゃあ私たちも裕福な生活ができていたかというとそんなことはない。祖父は父に金を渡すことはあっても、父がそれを私たち家族に使うことはなかった。

記憶の中にいる父はいつもパチンコをしているし、現在の父はいつも競馬をしている。

 

最低限の保護しかされていなかった父は、当然年金ほとんど払っておらず、今は事業を立ち上げる中で得た資格を使ってほぼ毎日アルバイトで働いている。

年金殆ど出ないから働くしかない」と言っている。

自宅は汚く、父の部屋などごみ屋敷のようだ。リフォームリノベーションしたことがない我が家はとても汚い。(風呂トイレはこの数年でようやくやって綺麗)

家にあるものは全部「この店でいちばん安いもの」のオンパレード。それ以外はほぼすべて100均でできている。

あとは、30年以上前銀行からもらったタオル。30年以上前結婚式でもらった食器。父が独身の頃から使い続けている料理道具。

母の下着20年以上前に私が使っていたものだ。実家に帰ると、ボロ雑巾身体を拭いている気分になるし、親はボロ布をまとっているようにしか見えない。

 

きたない、ふるい、みすぼらしい。将来の選択肢もない。それが我が家だ。ずっとそうだ。

 

でも、よく考えたら我が家には、10年ほどまえから祖父遺産土地がある。

私たちにまったく関与させないので詳細はわからないけれど、まったく何の準備もなしに相続したときに払った相続税が1400万だったと小耳に挟んだので、

恐らく1億以上あるんじゃないだろうか。(兄弟複数人でわけて父の取り分がそれなのはすごいよね)

一度も市場に出たことがない土地なはずなので、ちょっと相場とかはよくわからないが、土地価格相続したときから相当上がっているはずだ。

その土地から得られる不動産収入があるはずなので、そう考えると私の実家は立派な富裕層なのだ

 

おかしい。おかしすぎる。なんだあの生活は。とてもじゃないが、富裕層ではないだろう。

父も母もパートで食いつなぐ日々。月十数万の不動産収入(税引前)。それは恐らく、近年多くの人が目指している「サイドFIRE」というライフスタイルだ。

ぜんぜん、まったく、幸せそうじゃない。母はどんどんすさんでいく。父はいつもみすぼらしい。兄弟も父によく似て働くのがニガテでいつも仕事を辞めている。

我が家は、ずっと貧乏神でも住んでいるのか?というぐらい、みすぼらしくて、汚くて、悲しい生活をしてきた。

 

それがまさか、みんなが憧れる富裕層だったなんて。

まあ、父の口癖は「おまえらには一円もやらん」なのもあって、家族全員「父(夫)の遺産私たちのものではないから」が染みついているのもあるのだろう。

 

私は平均収入で暮らす独身女性だが、最近、万が一父が急死したとき相続できるぐらいの蓄えはなんとかできた。

父が一円も残さず死んでしまったら、それを使って終の住処として自分用のマンションでも買おうと思う。

お金安全に暮らせるだけ貯めたら、あとは「どれだけ笑顔で暮らせるか」に注力して生きていきたい。

笑顔に勝る幸福など、ないのだから

焼肉店経験した事とその顛末について

anond:20240209114952

要約

このブログ記事は、ある夫婦焼肉店経験した不快出来事を詳細に記述したものです。要約すると以下のようになります

この記事は、公共の場でのマナーや、他者への配慮の欠如によって生じる不快体験を描いています。また、SNS配信日常生活に与える影響にも触れています

かける言葉

「この経験は、とてもストレスを感じさせるものでしたね。あなたたちは、非常に辛抱強く、適切に対処されたと思います不快な状況にも関わらず、お互いに支え合い、冷静さを保つことができたことは大変素晴らしいです。

このような経験は、我々が他人の行動にどれほど影響されるかを示していますが、同時に、どのように反応するかは私たち自身が選ぶことができるということも教えてくれますあなたたちは、状況に適切に対応し、それを乗り越える力をお持ちであることが示されました。

また、外部の状況がストレスを引き起こすことはありますが、その状況にどのように対処し、どのように感じるかは、私たち自身内面によって大きく左右されます。今回のような経験を通して、ストレス不快感に対処する方法を見つけることができる場合もあります

最後に、このような状況に直面したとき共感支援を求めることは非常に重要です。あなたたちがお互いに対するサポートは、このような時に特に価値があるものです。これからも、お互いの経験を共有し、支え合うことが、困難な状況を乗り越える上で大きな力となるでしょう。」

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