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はてなキーワード: 無謬とは

2022-07-22

民主主義多数決

封建社会反省からまれ民主主義

王様暴走は首が切られるまで止まらない、だから破滅の規模がでかい

国民ステークホルダーとし過半数が「損」と認識した時点で損切りできるのが民主主義

統治代理人の首を宣告できるのが選挙制度

大勢の知恵を結集無謬ルールを作るのが民主主義及び多数決の主要機能であると信じているひとがいる

いわゆるみんなの合意で決めたルールなのだから一度作った法律は変えられない論

個別具体的なルール合意なんかしてないじゃん、

ルールを作る人の代表者を選出しただけで

国民権利と義務はその代表者を引きずり下ろすことでしかない、ルールのものにはコミットしてない

多数決で作ったのだからやってみて反省があれば再度多数決修正廃止できる余地担保しているのが民主主義

少数派の意見も汲むのが民主主義とか言い出す連中を見るとイラッとする

挙げ句民主主義多数決では無いとか言い出すボケ、徹底して多数決原則を守ることでしか民主主義機能しない

半数が「損」と認識できるまで待つしかない、せいぜい「損」だと気づかせる啓蒙をする、コツコツと

時間もかかり手間もかかり、一見遠回りで不合理に見えるが、愚直に原理原則を守ったほうが結果として社会幸福利益は最大になると信じるのが民主主義

 

100人の村で70人が結託して30人を奴隷にするよう多数決で決める」は民主主義ではない、

いいえ、民主主義です

結託した70人が、それでは社会の持続性が破綻不条理な結果になることに気づいて軌道修正するときにやはり多数決原則が守られてなければならない

犠牲も伴い、遠回りだけど、一時的脱線暴走も受け入れるのが民主主義矜持、だからこそ民主社会では教育重要

そして憲法フールプルーフではない、あってはならない、愚行を憲法定義してはならない

そんなもの定義できない、価値観簡単変異する。

日本憲法戦争を愚行と定義しているが、英仏米に聞いてみろ、戦争正義だ。正解など無い。

憲法はせいぜいインターロックであり、国家意思決定の振り幅を抑制しているにすぎない。

愚かな意思決定抑制しているのではなく、愚行すらもやってみて失敗なら反省して民主的に軌道修正PDCAをやるしかない。

そうやって社会を発展させていく。

 

俺はそう思うんだけどなぁ

2022-07-11

子育て世代」の無謬扱いが気持ち悪い

そもそも子育て世代」って言い方自体に疑問があるけれど、

その「子育て世代」って概ね二十代半ばから三十代とかその辺?だったら他の世代と同様、概ね自民維新に入れてるよね

日本の政治が「子育て世代」に優しくないのだとしたら、当のその「子育て世代」がこぞって自民維新に入れてるせいであって

けして高齢者のせいではないでしょう

なんでこう「子育て世代」を過度に無謬扱いし、被害者面するんだろうか

2022-07-10

あのな、聖書にあるように預言者メシアイエス・キリストただひとりであってだな、

そのへんで俺はメシアだとか言ってるのは偽物だって聖書に書いてあるだろ

から現在いる自称預言者自称メシアはぜんぶ偽物なんだよ

なぜ聖書無謬だとか言う側が聖書の言いつけを守らないんだ?

おまえら、ほんとは聖書なんかどうでも良くて、合同結婚式とか射撃とかやりたいだけなんだろ?

そんなことを思わずはいられない

anond:20220709235158

創価学会組織研究なんていろんな宗教学者ジャーナリストがいろんな角度から調べたり論じたりしてきているのに、結局ブクマカが飛びつくのは「ワイ当事者やで」って言ってる増田なんだよなぁ。

他の話題でもそうだけど、当事者増田無謬ソースとして用いて持論を滔々と語ってるようなブクマカを見ると虚無感がすごい。

2022-06-26

反出生主義の人間理解していないこと

反出生主義の人間は「新たな苦しみを同意なく生みだすので生殖に反対」と言っているのだが、そもそも人間は生きているだけで必ず誰かを同意なく苦しめるものである

例えば受験でも就職でも恋愛でもいいのだが、反出生主義の人間受験に受かったり、就職をしたり、恋人を作ったりすることで、落ちたり付き合えなかった人間を苦しめているわけだが、全員に同意は得たのかね? 生殖と同様、お前の行動のせいで新たな苦しみが発生しているんだが、それはガン無視なの? なんで?

お前が反出生主義を唱えることでそれを不快に思う人間が苦しむかもしれない。お前が電車に乗ったり牛丼を食ったり外を歩くことで、なんらかの形で苦しみを生んでいるかもしれない。彼ら全員に同意を得たのか? 私が歩いていることで皆さんを苦しめてしまうかもしれませんが許してくださいと、道端の人全員にサインしてからオンモを歩いているのだろうか。そうじゃないなら整合性が取れないよね。

山奥に引っ込んでひとりで暮らす? 自殺する? それも他人を苦しめる行為であるかもしれない。その可能性がある人全員に同意を得たのか?

人間のあらゆる行動は、それがどんなに些細なものであっても、必ず誰かの苦しみを発生させる可能性がある。ヒトが生きるというのは本質的原理的にそういうことである生殖だけを問題視して自らを無謬存在だと主張するのは欺瞞だろう。生殖子供の苦しみを生むのと同様に、あんたのあらゆる活動も誰かの苦しみを生むのだ。なぜ生殖だけを問題死する?

相手に与える苦しみの過多の問題なのだろうか。確かに子供は生まれることで多くの苦しみを得るかもしれない。でもそれは生殖に限らず、あなたの何気ない行動で、他人がめちゃくちゃ苦しんで死んでしま可能性もあるよね? それは問題ではないわけ? 例えばあんたが女をつれて歩いていたとして、それを見た失恋直後の女性が傷ついて自殺する可能だってあるよね? それは同意を得たの? 生きていればそういう危険性は24時間あらゆる局面にあり、完全に除去することは不可能である。ある程度歴の長いはてなーなら、荒らし通報した結果悲惨事件が起きてしまたこととか、覚えてるよな。

「大きな苦しみを与える可能性」が「高い」という、ふたつの変数の掛け合わせの問題だろうか。確かに犯罪規制されているのは、この掛け合わせが高いものであろう。ただ殺人がほぼ100%人間を苦しめるであろうことに対し、「自殺を考えたことがある」人間は25%程度しかおらず、うつ病になるほど苦しむ人は人口の7%ほどである。どの程度の大きさの苦しみが、何%あったら問題になるの? そしてその根拠は何? 

から人類を滅ぼして、苦しみのない世界を作ろうって? 人類補完計画? ゼーレのシナリオ通りなの?

2022-06-10

anond:20220609224958

要因1 議論対称性を考えると

より良い環境の国での就労移住肯定的な人は、逆によい環境を求めて日本により就労移住してくることを肯定しないと矛盾が生じるだろう。逆に、外国人日本への就労移住否定的意見を持つ人は、海外への同様の就労移住否定的意見を持つことになるだろう。この外国人排斥的な考えを持つ者の存在顕在化していると言うことではなかろうか。

要因2 病理組織化

外部の現実から自分たち隔離した内側だけを見つめることによって局所的に無謬空間(「待避所」)を作る心の作用のことを、精神分析用語で「病理組織化」というらしい。この「待避所」ではメンバーを内部にとどめようとするフィードバックが働くが、その一貫としてそこから離脱しようとする者に対し攻撃的な姿勢を取りがちになる。このことは精神科医著述家の堀有伸による記事(https://gendai.ismedia.jp/articles/-/51941?page=3)で知った。太平洋戦争時代日本宗教思想カルトとも同じ構造だと思われる。

是は是、非は非と考えられるような精神的な成熟があれば、問題本質対処することだけに注意が向くから、出る出ないとかいうどっちも居るような話でいちいちモメたりはしない。

2022-06-04

anond:20220604141007

まり富裕層は常に正しいので批判する点などない無謬存在ということだな了解

2022-05-27

anond:20220527113411

本人が勧めたけど配偶者言動不安になることさえ許さないとか、人付き合い苦手そう

自分無謬性を信じて疑ったことなさそう

2022-05-08

anond:20220508082553

ダンマリだ」論は結局森羅万象全てに言及せよという無茶振りになるからまり好きではないが

自由戦士ってフェミに対してダンマリ連呼しつつ「福井高校生演劇脚本没収された」「宗教二世漫画圧力打ち切りになった」あたりは完全スルー言い訳程度に触れてても明らかにエロ批判とはテンション全然違うんだよな

7万人の署名集めて宗教団体や出版社に提出とか、数千人対象アンケート取って問題かどうか答えさせるとかそういう金かかることを普段エロ系では盛んにやってた奴らがやらなかった

ガチ弾圧には臆して黙ってるくせにネットエロ作品について批判的な感想を述べただけのなんの権力もない匿名人間には群れをなして飛び掛かってる」

これじゃ馬鹿にされても仕方ない

自由戦士がツイフェミと違って森羅万象対応する無謬なき存在ダンマリなんかしてない、ってのはファンタジーしかない

ブーメランビュンビュン楽しい

2022-05-04

ここにきて東側の二大盟主である中露が試練に直面してる。超権威主義故に政府無謬性を貫くしかないので路線変更ができない。初期新コロ対応クリミア占拠というそれぞれの成功体験両国を縛っている。

なるほど

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.cnn.co.jp/world/35187069.html

2022-05-02

アニメーションを作る仕事をしていた【前編】

プリキュア」「ワンピース」など、東映アニメーション4作品の通常放送再開が発表 「お待たせをして申し訳ございません」

https://animeanime.jp/article/2022/04/06/68680.html

約十年前、曇りだったあの日新卒で入った会社人材営業をする日々に疲弊していた頃、新宿駅構内で、あるエンタメ企業求人ポスターを見かけた。

アニメを作る仕事したことはなかったが、興味を感じて応募したところ、あれよあれよという間に内定をいただいた。役員面接パスだった。

それからの私は、『アニメを作る仕事』に邁進する日々を過ごすことになる。長い時間だった。毎日が修業だった。

数年前、無理がたたって病院送りになった。心も体も限界だったのだ。大したレベルではないが後遺症も残った。退院後も結局、心身の調子回復しなかった。

それで、退職を申し出て、東京から遠く離れた田舎に帰った(のんのんびより聖地が近くにある)。今はお堅い仕事に就いている。

十分な時間が過ぎた。そろそろ、当時を振り返ってもよいのではないかあの日々への整理を付けられるはずだ。今からエンタメ企業アニメ部門で○年の時を過ごした男の話をする。

この記事で述べたいのは、シンプルに2点(5/4 以前はシンプリーでした。ブクマでご指摘いただきありがとうございます)。エンターテイメント業界で働いて面白かったことと、つまらなかったことだ。直情的に言うと、『心と体の奥底から感動できたこと』と、『エンタメ業界のほの暗いところ(要するに、こいつらマジでクソだなと思ったこと)』だ。どちらもけっこうな数がある。

それでは、さっそく説明していく。



― 心と体の奥底から感動できたこと ―

子どもの頃はアニメが好きだった。一番ハマったのは、『魔法陣グルグル』だった気がする。衛星放送では『白鯨伝説』やCLAMP作品を見ていた。

だが、小学校生活の終わり頃から学習塾に通うようになり、夕方以降にやっているアニメを見れなくなった。中学勉強漬けの日々を過ごしていた私は、いつの間にやらアニメのことを一切忘れてしまった。

中学時代も、高校時代も、大学時代もそうだった。変わらない。

いや、違う。大学の時は、深夜にやっているアニメをたまに見ていた。「コードギアス」「DARKER THAN BLACK -黒の契約者-」「蟲師」「夏目友人帳」あたりは確実に見ていた。

人材営業会社で働くようになってからは、金曜日の深夜に自宅に帰った時、疲れ切った頭でテレビを点けて「こんなアニメあったっけ」と、ボンヤリした気分で視聴することがあった。

私はたぶん、アニメが好きだったんだろう。なぜ見なくなったのかと言えば、十分楽しめるだけの精神的余裕がなかったからだ。ならばいっそ、見ない方がいい。中途半端に楽しむのは嫌だ。中学生になった時も、そんな動機アニメを一切見なくなったのだ。きっと。

そんな私が、アニメーション作品などを作る会社(以下「弊社」という。)に入社した後は、これまたどっぷりと『世界』に浸かることになった。入社から退職まで人事異動はなく、ずっとアニメ製作部門だった。

最初の頃は、アニメ雑誌のインタビュー記事に出るようなプロデューサーその他の足もとで働いた。雑用はもちろんのこと、小さい企画を考案したり、経理その他の事務や、各関係者とのスケジュール調整などを担っていた。ホワイトカラーに毛が生えたような業務内容だ。

ところで、人生で一番最初に携わったアニメは、某少女コミックでそこそこ人気を博した作品だった。タイトルは言わないが、雰囲気は『隣の怪物くん』に似ている。私が入社する半年から企画が始まっており、当初の担当者から引継ぎを受けた。携わったといっても、スタッフロール名前が載るわけでもない端役としてだが。実際、大したことはしなかった。やはりホワイトカラーの枠内に納まる仕事だ。

しかし、これは実際に私の世界を拡げてくれた。方々の兵が集まる企画会議に、必要とあらば関係各所を訪問して説得交渉にあたり、お金の雲行きが怪しくなればどうにかやり繰りをする(ダメなら追加出資企画削減)。ごく稀に、スタジオ等の収録現場では声優の本気と、半面その悲哀を目の当たりにし(ここらへんは後述)、成功した作品打ち上げ会では、自分達が作った数字を眺めて溜飲を下げる。

長い月日が経って、エンタメ業界に慣れてきた頃だと、新作の立ち上げに、利害関係者間の調整(交渉)に、プロジェクト全体の損益見通しの皮算用に、イベント企画運営に、ホームページ管理に……とにかく、アニメを見ない日はなかった。

面白かったのは、いろんな業界の人に会えることだ。クリエイターには当然会えるし、経営者にも会えるし、事務屋とも話をするし、現場労働で身を焦がす人も間近で観られる。特に印象に残っているのは、漫画家声優だ。アニメーターとは、あまり交流の機会がなかった……。

とあるアニメ原作者が一番印象に残っている。つまり作品の神だ。例の人と呼ばせていただく。

例の人は、ほかの漫画家とは一線を画していた。私がいっぱしに携わったと公言できるアニメは計20本近くになるのだが、その半数は漫画原作である。私達は、最低でも一度は彼ら彼女ら(作品の神)の姿を拝むことになる。機会は少ないが。

原作シナリオを変える時には事前に伺いを立てるし(ex.某鬼狩りアニメ敵役台詞である「禍福は糾える縄の如しだろ~」は改変が検討されたらしい。彼が難しい言葉を知っている境遇ではないため)、重要放送回だと制作現場に来てもらうし、打ち上げその他のパーティーがあれば楽しんでもらえるように最大限配慮する。

自作アニメ化されるレベル漫画家小説家というのは、揃いも揃って個性派だ。めちゃくちゃに大騒ぎをする人もいれば、ひたすら黙って沈思黙考の人もいれば、なんかもう色々とはっちゃける人もいれば、欲望丸出しで悪い意味子どもみたいな人もいれば、一般企業でも通用しそうな思考や行動の持ち主もいる。

例の人は、漫画家として優れているだけでなく、人格も見識も申し分なかった。落ち着いた性格で、人柄がよくて、教養もあった。話のやり取りすべてが学びに繋がり、励みになった。初めて会った時の吾峠呼世晴さんは、とにかく、これまで出会った数多の創造者の中で抜きん出ていた。

普通ラスボス人格根底太平洋戦争末期の日本の政治指導者所謂ファシスト)に置くなど、誰が考えつくだろうか。私は、鬼舞辻無惨の例の粛清の場面を読んだ時、丸山真男の「現代政治思想と行動」が真っ先に頭に浮かんだ。あの時、脳に痺れを感じたのを覚えている。

この類の書物を読んで、無惨様のキャラクターを作ったのは間違いないのだ。自らを善とするためであれば、どんな言辞をも取り入れ、どんな諫言も亡きものにする。

例として、あの粛清の時に魘夢が助かったのは、「無惨様を肯定たから」だ。「下弦の鬼を解体する」というトップが決めた戦略方針が、たったの一言撤回された――常なる無謬性がファシズムの基本である

あの時、「無惨様のキャラ付け旧日本軍意識したのですか」と聞いておけばよかった。残りの人生で聞くことができる機会は二度とない。無念だ。

 しかも彼等はみな、何物か見えざる力に駆り立てられ、失敗の恐しさにわななきながら目をつぶって突き進んだのである。彼等は戦争を欲したかといえば然りであり、彼等は戦争を避けようとしたかといえばこれまた然りということになる。戦争を欲したにも拘らず戦争を避けようとし、戦争を避けようとしたにも拘らず戦争の道を敢て選んだのが事の実相であった。政治権力のあらゆる非計画性と非組織性にも拘らずそれはまぎれもなく戦争へと方向づけられていた。

新装版〕現代政治思想と行動 (2006)丸山真男 P.91~P.92



エンタメ業界のほの暗いところ ―

この業界で働いていて、「この感じ、苦手だな」「マジでクソだな」と感じたことは当然ある。字数関係もあるが、何点かに分けて述べていく。声優の悲哀とか、人間嫉妬やねたみの話になる。

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声優アニメ。一応付言するが、私が携わった作品ではない。

まだ新人だった頃、先輩(兼上司)に連れられて現場を見ることがあった。現場というのは、アニメ制作会社とか、編集スタジオとか、音声の収録現場などだ。

そのためだけに現場に行くのではなく、何かの機会のついでに現場作業見学を申し出るのだ。それで、不思議に思って聞いたことがある。

「(私達は)技術的なことはわからないのに、どうして現場に行くんですか?」

と。それに対して、彼はこう言っていたはずだ。

「確かにからない。仮に、目の前で手抜きをされたとしても見抜けないだろう。でも、企画である俺達が現場に行くことで、『あなた仕事を見ている』というメッセージを伝えることができる。俺達はこの作品に熱をもっていて、いいコンテンツを作れる未来を目指してる。そういう想いを行動で伝えるんだ」

みたいな回答だった。

これは今の私が大事にしていることでもある。要は、発注側が受注側の実仕事をどこまで見るべきかという話だ。今現在の私は、受注側の失敗が社会的に許されない類の仕事をしている。転職後に大きな失敗をしでかさなかったのは、あの先輩のお陰だ。

さて。私が二十代後半の頃だ。例の先輩と一緒に、声優がいる収録現場に初めて音連れたのは。スタジオに入ってしばらく進むと、小ホールみたいな広い空間座椅子が並んでいる待合スペース。十数人はいた。ほぼ声優マネージャー)に出た。その奥に、マイクが並んでいる部屋が映った。木目調で温もりを感じる、しっとりとした空間なのだが、当時の私に予想できるはずもなく。カラオケみたいだなー、とテキトー想念していた。

私と先輩が小ホールに入るなり、セミフォーマル恰好の何人かが寄ってきて、隣にいる先輩に挨拶していた。私も混ぜてもらい、名刺を交換した。

雑談が終わって斜め後ろを振り向くと、女の子と淑女が1人ずつ、あとは男の子が1人、まごつくように並んで私を見ていた――人生で初めて見た声優だった。後で知ったが、攻めのある挨拶活動で知られる声優事務所だった。

ひとりずつ私達の前に出てきて、「~~と申します。(簡単自己紹介よろしくお願いいたします!」と、ハキハキした声でアピールをやってのけた。そのうちの淑女は、私の着ていた衣服お気に入りのやつ)と指輪を褒めるとともに、香水をつけていることを見抜いた(やるな……と感じた)。男の子は謎の一発ギャグを仕掛けてきたのを覚えている。

※かなり昔のことだが、内容は一応伏せる。当日記では、声優個人名前を出すことはない。

私も「よろしくお願いします」と返したものの、微妙な気分になった。たとえ私がどれだけ昇進しようと、彼女たちのキャスティングに関わる可能性は皆無だからだ。まったくゼロではないが……。

例えば、アナウンサーになりたい女子大生は、いろんなイベントコンパニオンとして参加することで武者修行をするわけだろう。それらのイベントでは、今後関わり合いになる人だろうと、これっきりの人だろうと、あの子達は全力で挨拶活動をしていた。熱意は感じるのだが、やはり私には引っかかるものがある。

こんなことを思っている時点で、私はそういう職業には縁がないのかもしれない。今、私は『効率』という観点で物を考えた。あの声優の子が私に挨拶をしても報われる可能性はないのに、と考えた。夢中になっている人間効率のことは考えない。やれることをすべてやる。それだけだ。

かに心をとらえられ、たちまち熱中してしまうのは、謎にみちた不思議なことだが、それは子どももおとなと変わらない。そういう情熱のとりこになってしまった者にはどうしてなのか説明することができないし、そういう経験したことのない者には理解することができない。山の頂を征服することに命を賭ける者がいるが、なぜそんなことをするのか、だれ一人、その当人さえもほんとうに説明することはできないものだ。

はてしない物語(1982) 上田 真而子 (翻訳), 佐藤 真理子 (翻訳), Michael Ende (原著) P.17



の子達は本気だった。報われようが報われまいが、声優として活躍すると決めたからには、生き残るために何でもやる。上でURLを貼ったアマゾンのレビューにもあるが、声優は堅気の仕事ではない。勝った負けたで全部決まる。精一杯頑張っても生き残れる保証はない。選ばれた者だけが生き残る――余談だが、あの時の淑女と男の子は今でも活躍している。女の子はだめだった。

さて。淑女と男の子は、実力があるうえに、礼儀正しく、サービス精神豊富だった。それが生き残った理由だ。しかし、声優全般が行う営業活動には後ろ暗いものも当然ある。5ちゃんねるとかで、たまにアニメ業界出身者がスレッドを立てて降臨することがあるだろう。

それで、やり取りの中で、誰かが「枕営業ってあるの?」と質問をする。スレ主は「そんなのないよ」「聞いたことない」と応えるのが定番だ。

これは、私個人日記だ。この際だからはっきり言う。枕営業をしている声優はいるし、やらさせている声優もいる。重要フォローをさせてもらうが、芸能界の表舞台――ひとつ契約で何百万もの金が動く――に比べれば圧倒的に数は少ない。声優関係のギャラというのは、例えば女性タレントが出るCM撮影や、青年誌グラビアや、全国各所での公演活動と比べても相当に廉価だ。1回の収録につき数万円以内で呼べてしまう。表舞台に比べると利権は少ない。

それでも、そういうことはある。パターン簡単に分けて2つ。いっぱしの声優になりたい、もしくは声優であり続けたい者が、キャスティング権がありそうな人に近づいて配役を得ようとする。

スタジオでの雑談や、小さい贈り物や、二人きりでの食事くらいで留めておけばいいものを、一線を超えてしま場合もある。私が30才を過ぎた頃、例の収録現場で、声優に「よかったらご飯行きましょう」などと声をかけられたことがある(最終的な内訳:男性が2人、女性が5人)。

その際、はっきりと「ごめんね。私にキャスティング権はないんだ」と答えた場合、彼ら彼女らを傷つけてしま可能性が高い。いや、はっきりいって『侮辱である。なので断り方が難しかった。「帰って社内会議があるので」みたいな返答をしていた。

これはまだいい。声優個人or事務所の意思問題だ。「あの役がほしい」とどうしても思っていて、そのためなら何でもやるという覚悟責任さえあれば、枕営業は罪ではないと私個人は感じる。「この業界は堅気じゃない」とはそういうことだ。

追記)正直に言うと、私の妻が声優だった頃に食事に行ったことがある。私から誘ったので上の内訳には入れていない。



以上、「この感じ、苦手だな」と思ったことを述べた。以下に語るのは「マジでクソだな」と思ったことになる。すなわち、個人が望んでいる保証のない枕営業のことだ。アニメ業界に限ったことではなく、エンタメ業界には先日話題になった映画監督のような『畜生』が何人もいる。結果を出している人間の一部がやりたい放題やっているのだ。

まだエンタメ業界にいた頃、そんな人間に捕まったと思われる(主に女性声優の話を聞くたびに胸が痛くなった。このような話題が、どうして私などの塵芥の耳に届いているのか……? そう考えると、さらに心が抉られる思いがした。

おそらくは、やった本人または関係者面白がって吹聴している。私のところまで噂が届くということは、そういうことだ。いろんな声優の姿が脳裏をよぎった。「あの子大丈夫だろうか」といらぬ心配をしてしまうほど、当時の私には『噂』がグッサリと刺さった。

さて。エンタメ業界に恩があるのも事実だ。下種な話題はこれくらいに留めておこう。気が付けば字数がない。前後に分けることにする。

【後編】

https://anond.hatelabo.jp/20220502223252

2022-04-27

anond:20220427181932

イジメイジメられも経験あるけど、

15歳くらいまでのイジメは親や家族ガチャの影響がでかいと考えている(それが無謬とは思わない)

18歳までにどれくらい勉強たかでそれを是正できると考えている

イジメた側も、イジメられた側も、勉強教育でそれを是正する

まり是正できなかった人間は一生15歳以下の記憶人生を過ごす(それが誤謬とは思わない)

教育重要というのはそういうこと

2022-04-20

anond:20220420085916

どっちもバカでいいんだよ

自分達だけ無謬存在にしようとするなということ

そして今回の話にも「男は悪くない」などという主張は含まれていないので、途中で勝手に付け足したバカがいる

2022-04-15

最近読んだBLではない本と、関連BL本・関連するがBLではない本。(ネタバレあり)

 けっこういい感じに分厚かったけど、半日没頭して読んでしまった。

流浪の月』(凪良ゆう)

 来月辺りに広瀬すず松坂桃李の主演の映画が公開されるし、TSUTAYAに行けば売れ筋ナンバーワンとしていっぱい平積みされているので、わざわざ私が紹介しなくてもいい気がするが……。

 著者の凪良ゆう先生BL小説家としてデビューした人気作家。数年前からBLレーベル外の小説も書くようになった。『美しい彼』『わたしの美しい庭』『滅びの前のシャングリラ』など著書多数。

あらすじ

 主人公の更紗(さらさ)は、風変わりな両親に愛され、自由奔放で健やかに育っていた。だが、平和な日々は突然瓦解してしまう。天涯孤独となった更紗は伯母の家に預けられたものの、普通の家庭に馴染むことが出来ない。居場所のない彼女放課後、独りきりで公園に行き、ベンチに腰掛け読書をして時間を潰すようになる。

 公園には更紗以外にもう一人、ベンチの常連がいた。更紗の学校の友人達からは「ロリコン」と呼ばれる、痩身の若い男。彼は毎日、暗い目で女児達の姿を追っていた。

 更紗が伯母の家での暮らし限界を感じた夕方、これまで更紗に対して無関心を貫いていた「ロリコン」が彼女に近づいてきて……。


増田感想ネタバレあり)

 ざっくりと言えば、かつてTwitterとかでフルボッコにされた伝説の『幸色のワンルーム』(はくり)みたいなストーリー。傍目には、猥褻目的誘拐犯に性犯罪被害者が懐いてしまストックホルム症候群しか見えないけれど、実は訳ありのお兄さんが虐待を受けている女の子を救い、それをきっかけに強い絆で結ばれ、唯一無二の関係性を築いた二人の物語

 なんか物議を醸しそうな筋書きだけど、今のところ『幸色のワンルーム』のようなボコられ方はされていなさそうだし、これからもそうはならないかもしれない。

 ただ、レビューを見てみると、猫も杓子も作者が読んで欲しいように読んでいるというか、「事実真実とは違うということがわかりました。わたし無理解から他人を傷つけないように気をつけてようと思いました」と多くの人々が判を押したように書いていて、道徳時間小学生じみていて、うすら怖い。一体どうした、みんな真面目か。

 まあそれは置いといて。『幸色―』よりは好意的に受け入れられているっぽいのはたぶん、そもそも挿し絵無しの小説なので、女児可愛い言動性犯罪被害を描いてもそれを「性的消費」目的で書かれたとは思われ難いというのがあるのかなと思う。それに、物語全体のうち、被害者女児誘拐犯の暮らしが書かれた部分はそんなに多くない。それより、更紗が事件以来、15年の歳月をどのように生きてきて、現在はどんな風に暮らしているのかに多くのページが割かれている。そして、更紗が性的虐待を受けている場面や、彼女にとってはしんどいだけの性行為の場面は、心情はリアルに書かれても行為のものは生々しく描写されはしないので、虐待描写オカズ化は防がれている。そういう意味では安心

 未成年略取という犯罪に夢見すぎという批判はあると思う。だがそれも罪を犯した文(ふみ)の内心が吐露される章で緩和されるのかな、たぶん。

 現実にも起こりうる、子供被害に遭う犯罪とその冤罪当事者しか真実は知らないはずなのに憶測が飛び交い、被害者加害者ともにオーバーキルとなるほど晒し者にされ平穏日常生活を奪われ追い詰められること。そういうことを物語ネタとして取り上げることの良し悪し。それについて私自身がどう思うのかといえば、良しとも悪しとも言えないなぁという歯切れの悪いことを言うしかない。

 個人的好き嫌いのことをいえば、センシティブネタほど「逃げの一手」を打たない方が好き。例えば近親相姦もので実は血が繋がっていなかったのでセーフでしたとか、小児性愛者が未成年略取の罪を犯したと思ったら実はそいつ小児性愛者ではなかったのでセーフでしたとかいうのは、何がセーフじゃ甘えんな! もっと業に正面から向き合えと思う。

 『流浪の月』はどうだったかといえば、文は実は小児性愛者ではなかったので、そういうとこは私のあまりきじゃないものの類なんだけれど。だってたぶん多くの読者が「更紗と文にはこれからは静かなところで幸せ暮らして欲しい」とレビューに書いているのって、文が「安全な人」だとわかったからで、もしもまじもんの小児性愛者だったら同じ感想が出るか? っていう。なんていうのか、結局は罪を軽減して世間並に受け入れられるレベルまで物語引き下ろした感が出てしまうというか。それで事実真実は違うよねーと言われてもなって感じがする。

 だが、文がなぜ自らを偽ってまで小児性愛者のふりをしてきたのか、その事情と心情があまりにも切々と書かれていて胸を打たれたので、私の個人的好き嫌いとかどうでもいいかもう、と思い直した。

 事実真実は違う。人それぞれに抱えているものがあって、それを他人が何も知らない癖に常識だのなんだのを笠に着て叩くことが許されようか? 本作のテーマはそんな感じだが、幼い頃の更紗を育んだ家庭や、大人になった更紗に関わる人々などを、更紗が許容するもの・拒絶するものに、そうは言ってもな……とちょっと疑問が残るようになっているところが良いと思った。

 たとえば、母親が無理をせずに幸せであることは大切だとして、更紗は彼女自身母親や、同僚の子持ち女性自由奔放ぶりを許容する。ところが更紗の母親と同僚女性は娘の物分りのよさに甘え、自分恋愛にかまけて娘を放置するという全く同じ行動をする。だが、その結果は大きく異なる。更紗は母親に遺棄されたせいで理不尽辛酸なめることになったが、同僚女性の娘は放置されたものの完全には棄てられず、それが切っ掛けで更紗と文という年の離れた友人に出会い精神的に救われることとなる。同僚女性は更紗と文という協力者を得たお陰で、娘を遺棄せずに自分人生も大切にできたとも言えるかもしれない。同じ事が起きても結果は違う。これを人それぞれと言うか、そんなんただの運だから最初からちゃんとしているに越した事はないと思うか。現実としては、周囲から親にかけられるプレッシャーのお陰で子供が守られているという事も、往々にしてあるが……? などと、ちょっと考え込んでしま余地が読者には与えられている。

 一方で、更紗はDV気質のある恋人の亮のことは、交り合うところが一つもないと拒絶し切り捨ててしまう。亮がなぜDVを止められなくなってしまったのか、その理由を知っていながら、理解共感彼女拒否するのだ。母親が我が子を遺棄することには同情すら示すというのに、DV男はどんな事情があれどもダメであるというアンバランスDV男は許してはならない、そんな奴からは早急に逃げるべきだというのは正しい。ここを違えたら今時の読者には受入れられないのは想像に難くないが、世間へのご機嫌取りとも思えない、あえての偏った描写なのだろうか。と、ここにも悶々と考えさせられる余地がある。

 また、他人無理解によって苦しめられてきた更紗もまた無謬の人という訳でもなく、無邪気な思い込みで発した一言で文を深く傷つけたのに長い間気づかず、文の真実を知らないままであった。それは、読者が安易に更紗と自己を同一視して気分を良くするだけにとどまるのを阻んでいる。更紗が文の真実を知った時、それまで更紗と一緒に被害者意識を持って、解っていない人々を糾弾出来る立場にいたはずの我々は、自分達が解っていない人々と同じ穴の狢であることに気付かされ、ショックを受けるのだ。

 後半、読者目線では余裕で予想できる破滅的な結末に向けて、更紗と文が善意ちょっとした人としての良識を発揮したせいで転がり落ちてゆくところは、はらはらしてつい目が離せなかった。それはダメだ、善意でもやったらいけないやつだと、更紗達を批判することを、圧巻の心理描写妨害してくる。簡単に教訓を得ていい気分になって読み終えることを許してはくれない。それがこの小説のすごい所なのかなと思う。

 にも関わらず、レビュー者が判を押したように教訓を得た事ばかりを書くのは、この小説安易共感を読者に許さない、熟考を強いてくるからなのかもと私は思った。そう易々とは自分意見を書くことが出来ないから、かえってテンプレみたいな感想を書いてお茶を濁すことになるのだ。


さて、以下は凪良ゆう先生BL作品の紹介と、『流浪の月』とテーマが似ていると思う作品とかの紹介。

『美しい彼』(凪良ゆう)※BL小説

 主人公平良吃音を持っているせいで上手く喋ることができず、学校生活の中ではスクールカースト底辺に追いやられていた。両親に心配をかけることを畏れた平良は、イジメターゲットにならないように極力目立たぬよう、息をひそめて暮らしている。

 そんな平良は、高校二年の新学期、同じクラスになった清居(きよい)に一目惚れをしてしまう。清居はスクールカーストの頂点に君臨し、陽キャの面々に一目置かれながらも孤高にマイペースを貫く、まさに王者である。そんな清居とそのしもべ達から奴隷のようにこき遣われる平良だったが、清居が気まぐれに差し伸べる暴力的な救いの手や、逆境ものともしない凛とした姿勢に心酔する。やがて平良は、清居の一兵卒から立派なストーカーへと進化していくのだった……。

 凪良ゆう先生BL小説のなかでたぶん最も人気のあるシリーズであるイジメ被害者加害者カップリング主人公平良と、平良に惚れられた清居、それぞれの視点によって相手人間性共通体験についての見方ががらりと変わる。事実真実は違うとはまさにこのこと。

『にいちゃん』(はらだ)※BL漫画

 幼い頃、近所に住む「にいちゃん」に遊んでもらっていた、ゆい。彼はにいちゃんのことが大好きだった。ところがある日、にいちゃんが奇妙な遊びに誘ってきた。怖くなったゆいは、にいちゃんの部屋から逃げ出した。そこへゆいの母親鉢合わせたことにより、にいちゃん逮捕されてしまう。

 数年後。高校生になっても、ゆいはにいちゃんのことが忘れられず、親には内緒でにいちゃん行方を探していた。そして遂ににいちゃんと再会を果たしたゆいだったが、にいちゃんはゆいを怨んでいた。にいちゃんはゆいを拘束して動画を取り、それを脅迫材料として、ゆいを呼び出し、苛烈性的虐待を加えるのだった。


 ほんもの小児性愛者でしか性犯罪者の大人と、ストックホルム症候群高校生のカップリング虐待描写があまりにも凄惨で心を折ってくるので、性描写ゴリゴリにあるが抜けないエロ本みたいなことになっている。ヤバい奴に雁字搦めにされてしまった状況での愛は偽りなのかもしれないが、渦中にある本人にとっては本物に見える。その様を綺麗事なしに描写した怪作である


『私の男』桜庭一樹

 腐野花(くさりの はな)は、恋人との結婚をもって養父の腐野淳吾の手を離れることになった。花は幼いうちからまだ年若い養父性的関係を持ち、そしてもう一つ、誰にも言えない秘密を淳吾と共有していた。

 そんな花と淳吾の暮らしを、時の流れとは逆順に、章ごとに語り手を変えつつ描いた物語最後には花と淳吾の真の関係性が明かされる。

 はたからみれば養父から性的虐待を受ける女児物語だが、やはりこれも事実真実は違う系。ところが真実事実よりもどろどろとしていて、なのに純心であり耽美でもあるが、物凄い業の深さでもある。

 第1章が花と淳吾の別れの話で、それから章ごとに時を遡っていき、最終章家族を亡くして孤児になった花が淳吾と出会い養子になるところで終わる。

 私は初読の時に、まるでハッピーエンドのように終わるなぁと思ったのだが、再読したら別にハッピーエンドには思えなかったのは何故なんだ。もう一度読めってことかな、ハハッ。

 映画にもなっているのだが、映画版はまるで小さな悪女・花に淳吾が狂わされ搾り滓にされたみたいなラストだったから、あまりきじゃないな。


『つみびと』(山田詠美

 酷暑真夏若い母親は幼い子供達を部屋に置き去りにし、餓死させた。懲役30年の実刑判決を受けた母親を、世間の人々は好き勝手糾弾する。一体、母親は何故、愛していたはずの子供達を死に追いやってしまったのか? 母親自身の生い立ち、彼女祖母の代から続く凄絶な負の連鎖とは……。

 小説しか描けない現実があるとして、実際に起こった事件モチーフに書かれたフィクション小説である

 児童虐待と、世間の人々が助けたいとは思わないタイプ社会的弱者物語。著者の山田詠美先生自由女性恋愛小説を書く一方で、昔から社会の最下層にひっそりと生きる人々の事も書いてきた。中でもこれはすごい作品

 山田先生作品にしては珍しく、リベラル無責任で冷酷な一面が批判的に描写されている。

2022-04-09

未成年者を性的に見るべきでない? ロリコンの俺に言ってんの?

ロリコンの俺のことかーーーーーーーッ!!

未成年者を性的に見るべきでない」という規範抵触する、という筋だけが、真っ当な批判だよね。


当然チャイルドレスターじゃないし、あくま二次元少女のみを性的対象にし。

三次元少女はジロジロ見ることはおろか、頭の中でさえもマスターベーションのおかずにしたことがない、俺(追記・夢の中で出てきたことはある)。

俺は現実に性加害をしてないのだから犯罪も、倫理規範的な罪も、何もおかしていないよな?

誰も傷つけてないのだから、何の dis りを受けるいわれもないよな?

無意識差別主義者たちに告ぐ。

いくらキモいなどと人の気持ちを傷つける暴言を投げつけられようが、こちらは大小関わらず何ら性的加害をしてないのだから二次ロリコン無謬だ。胸を張って言わせてもらおう。キモい? お 大 事 に。

anond:20220409230243

2022-04-08

anond:20220408024419

あの件を擁護してるリベやフェミっていうのは俺の観測範囲はいないんだけど、まあ「誰もそんなこと言ってない!」っていう逃げ口上はいい加減卑怯認識されるべきなんだろうな。

残念なことに、大抵の「藁人形」にはその通りの行動をする無能な味方が少なからずいて、そのことを自覚しながら反論していく必要があるんだと思う。(「セレクティブエネミー」という言葉はそういう文脈で生まれ言葉だろう。)「オタク」が無垢無謬だとは全く思わないんだけど、対人性愛マジョリティ性には無自覚な人が割と多い印象。「男性」のマジョリティ性に無自覚な人と同程度にはね。

全ての陣営に言えることだけど。

戦争プロパガンダ10法則』はポリコレ論争にも有用議論かも。

1.われわれは戦争をしたくない

2.敵側が一方的戦争を望んだ

3.敵の指導者悪魔のような人間

4.われわれは偉大な使命のために戦う

5.敵はわざと残忍な行為に及んでいる

6.敵は卑劣兵器戦略を用いている

7.受けた被害は小さく、敵に与えた被害は甚大

8.芸術家知識人正義の戦いを支持

9.我々の大義神聖ものである

10.この正義に疑問を投げかける者は裏切り者である

お互いに、ね。

2022-04-07

anond:20220406211829

鶏と卵の話とは違う。

一人一票制度が「あるからこそ」生まれしまった現実がたくさんあるので。

一人一票制度のほうが先。

じゃあ民主主義よりも独裁政権のほうがいいのかというと、独裁者が完全無謬の善人でないと成り立たないので現実には不可能

2022-04-05

anond:20220405195950

お気に入り弱者が落ち度を指摘された時だけは「弱者無謬要求するなああああ!!!」ってはてサの皆様も言っちゃうんで

要は党派性なんじゃないっすかねw

2022-04-04

anond:20220404175443

すぐ確実に儲かる研究じゃなけりゃお前にとって、くっそくだらん研究なんだろ?それが基礎研究なんだが。

更にいうと、お前の思いつきで「面白そうだからビジネス化しようとしたら」とほざくが、お前の思いつきにしか過ぎん。実際世に出して何が足りないか吟味必要だろうが、修正わずしか許さずその吟味のための時間金も出さんくせに。

お前の思いつきは常に正しくて、引っ掻き回して、それでうまくいかなければ、起業家が全て悪いし能無しなんだろう。まあ投資家の金なんてそんなもんだけど。

本当は世に出しての吟味必要で、実現できれば開発力として認められることおあろう。だけど、投資家はすぐ確実に儲かることしか求めてないから、吟味が許されない。投資家の思いつきが正しいという無謬存在らしいから。だから開発力がないんだよ。

失敗したら、やる気もないもともとやる価値もなかった人間が偉そうなことを言ってと世界の敵として石を投げるくせにな。そうやって石を投げて潰したことすら忘れるから「ただの能無しだけの世界だ!」となるのだが。中二病中学生のうちに終わらせろ。

ベンチャー投資なんてそんな悪趣味人形遊びの世界を感じるからみんな逃げるんだよ。お前が馬鹿にする人間もかけがえのない一つの人生だし、世界の敵なんざになりたくない。

それでITリテラシーがあれば開発力がつくだぁ?そもそもIT周りも実際は金と時間がかかるものなんだからこそ近視眼的な費用対効果でぶっ潰しているのだがな。

IT教育しようがまず金と時間をどうやってかけるかに立ち戻らんと開発力(笑)なんてつきません。そもそもお前が思いついたものは完全無欠で、実現しないのは起業家が悪いという根性をなおさんとむしろやる気のあるやつほど潰される。

まあお前は新規開発には向いてないんだから偉そうにほざくな。向いてねぇよ。ネタがないんならさっさと今の仕事やめろ。

どうなるかわからん段階は地道な検証しか作られない。

お前みたいなやつを排除して、きちんと何に使えるかわからない基礎研究使徒を着想したが顧客マッチしてなかったり不完全な技術を磨く応用研究に金を出すことしか日本の復活はない。

2022-03-24

anond:20220324201121

弱者認定済みマイノリティだったら「無謬要求するなあああああ!!!(某ブクマカ風)」って言われてるやつ

2022-03-19

ジーンズ履く奴は欧米ドグマ的「正義」の奴隷

https://bigissue-online.jp/archives/1079463289.html

ジーンズが反権力的って噴飯ものの主張ですね。

ジーンズ米国を中心とする西側諸国による暴力的文化支配象徴しかないですし、それを履くことは西側諸国提示する「正義」に隷従することを示すんですよね。

高校大学でみんなジーンズ履いていて「この人たちに自由意志はあるんだろうか」と本気で心配になった記憶があります

結局自由であるように見えて実際は西側提示するイデオロギーに操られているのでは?と思っていました。

東側(今はロシアとか中国)のプロパガンダは粗雑で強権的で「楽しくない」ので効果のほどは薄いです。

一方西側のそれは巧妙で、娯楽とかファッションのような「楽しいものを使って文化侵略を行うので効果的です。

 

西側無謬ではありません。民主主義の皮をかぶり新自由主義世界中蔓延させ、社会の存立基盤である基本的人権を脅かしています

西側に隷従することをアピールするのは、主体的個人の「死」です。そういうわけで自分ジーンズ絶対に履きません。寝るときスラックスです。

 

日本に関していえば、確かに米国による軍事的庇護のおかげで経済発展に注力することができ、世界有数の大国に発展したという事情はあります

そういうわけで米国やそれに付随する事物(例えば日米同盟)を十把一絡げに否定する気はありません。

ただ「西側こそ正義」という考えの蔓延が、日本の実情にそぐわない形での欧米文化制度(例えば日本雇用無視した新自由主義経済政策)の導入を後押しし、結果として日本社会に禍根を残しています

そういうことを防ぐためにも西側諸国提示する価値観に対してはいったん咀嚼し相対化する必要がありますが、ジーンズをはくことで無意識のうちに「西側=善」という粗雑な意識が醸成されるのではないか懸念しています

anond:20220319091404

うそう、そういうのが知りたいんだけどちょっと違うな。

ググってみたけど加害者の罪の重さをどうとらえるか、にフォーカスしてる感じだよね。俺が気になってるのは被害者の扱いなんだ。

加害者責任の軽重、というよりは被害者神聖視されてしまう、無謬存在になってしま現象なんだけど、伝わるかな。

2022-03-08

個人自衛差別ではない

俺は男だけど、「差別は必ずしも『悪』なわけではなくその妥当性は議論や対話によって決められるが、自らの無謬性を絶対に守り抜きたい人間とは議論も対話も行うことができない」での議論ちょっと納得できないので書く。

本来個人がどういうふうに振る舞おうがそれは基本的自由だ。周囲を警戒しながら夜道を歩こうが鼻歌を歌いながら歩こうが自由であり、女が夜道で男が現れたときにだけ警戒するのもまったくの自由だし、男が道で通りすがりの女の胸に目線をやるのも完全に自由だ。人には好きなように道を歩く自由がある。

それに対して「警戒された!」と男が騒ぐのは、女が「性的に見られた!」と騒ぐのと一緒だ。不毛すぎる。それに何の問題がある。好きに振る舞えばいいだろう。

だいたい、人を警戒することに何の問題があるのか。俺はもちろんカフェトイレに立つときには財布を持っていくが、それの何がいけないのだろうか。そりゃ、友人とお茶してるときトイレに行くならいちいち財布は持たない。「あんたは泥棒するかもしれない」と言っているに等しいからだ。しかしそれは礼節の問題であって差別問題ではない。

男として生きていれば、夜道で女に警戒されたことは何度もある。しかしそんなの気にしなければいい。何度も言うが、個人私的な振る舞いは自由からだ。だから俺も気にしない。目的地が同じ方向ならそのまま歩く(速度差があるなら追い越す)し、同じアパートの住人ならこんばんはとか声をかけて開けてくれたオートロックに滑り込む。なんなら同じエレベーターにも便乗する。別にこちらにやましいところはないのだから、堂々としていればいいのだ。

良識あるはてなー諸氏は、それらの行動は女に恐怖を与えるのでやめるべきだ、とはまさかうまいね。女の恐怖感への配慮を求めるなら、男の傷つきにも配慮したらどうだ?

もちろん、女は男の傷つきになんて配慮する義理はどこにもない。男が女の恐怖感に配慮する必要がどこにもないのと一緒だ。胸を張って堂々と男を傷つければいい。こちらも、女が恐怖しているかどうかとかは特に気にせず歩くので。

2022-02-18

https://togetter.com/li/1846886

その発言については「冗談として笑えるレベル」を超えてるとは思うし、「批判に値する」程度のものだとは思うんだけど、じゃあ「冗談として笑えるレベル」との境界はどこか?0か1かで分断できる問題か?と言われると、そんな簡単な話じゃないよなぁ。

俺が普段見てるVtuberの「プロレスだって無垢無謬とは言えないし、アレで契約解除になるなら、比例原則に則れば俺が普段見てるVtuberも(契約解除とまでいかなくても)謹慎くらいはする必要があるのかね?

「これの何が悪いの?」という素朴な感情大事にしていきたいわ。

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