はてなキーワード: 灰色とは
合コンなんてちゃらいもんうちの大学にはねーよみたいな感じで、
そもそもそんな母数も多くもないはずOB・OGたちがネット上で荒れ狂っているのを見て、
なんだか懐かしい気持ちになりました。
人数が少ないので目立ちませんが、
私自身も含めてですが。
めちゃめちゃ勉強した人が多いので、
元々絶対数が少なく、
こういう母校に関するネタでは、
どこからともなくわらわらと寄ってきて
いきなり謎の盛り上がり方をする、
それがICU生。
それを、外野にやいのやいの合コンなんじゃねーかだのなんだと言われて、
ざけんなと、あたかも自分が小馬鹿にされたような気になっていきり立つ、
そんな人が多いのではないでしょうか。
ともあれ、OB・OGのあいだではこうした学内固有の文化への愛着が、
とにかく強烈なのは間違いない。
インクリ、セクコン、セクメ、バカ山、ガッキ、カラダサイコウ、ランダムファイブ、ハイアガり…
ここらへんの用語を駆使するだけで、
しながない中小企業の管理職として、毎日満員電車に揺られながら灰色の毎日を送る
母校の話となると思わず血が騒いではてダに書き込んでしまうめんどくさい人々の集まりなのです。
なので、「意見交換会って合コンじゃね?ww」みたいな事を言っている皆様、
もう勘弁してください。m(_ _)m
7ヶ月付き合った女性から別れを切り出され、別れました。全て自分が悪かったのだとも思うし、自分ではどうしようも無かったのかも知れません。
隠してもどうせバレるし見栄を張る度胸も無いので最初に、女性と付き合うのは不慣れだけど楽しく過ごせるように努力する旨は伝えていました。要するに年齢=彼女いない歴です。
気さくな彼女は別に気にしない、自分だって駄目で売れ残ったからこんなところ(=婚活パーティ)に来てるんだよと笑い飛ばしていました。最初の頃のデートコースは一人で考えても時間の無駄だと二人で相談し、次第に互いの行きたいところ、面白そうなところを紹介するような形になっていき、手探りの中でも楽しく過ごせたのだと思っていたのです。典型的な勘違いですね。
3ヶ月は試用期間、その次の3ヶ月は新入社員、なイメージだったので半年過ぎた頃にきちんと、正式に付き合って欲しいと告白しようと考えていたのですがなかなかタイミングが合わないまま迎えたGW。仕事の関係もあり近場でのデートとなったのですがこれが最後になりました。
はきはきとした彼女は別れの時も変わらずはきはきとしており、多くの示唆に富んだ言葉をくれました。
ああ、これが噂に聞く「言葉にはしないけど察しろ」という超人スキル! まさかお互いに三十路越えた大人が、竹刀の切っ先を振って互いの動きを読み合うような超人バトルを強いられるとは……と僅かばかり思いもするものの、これが恋愛経験の有無なのだろうな、と受け入れるほかありません。言いたいことは進んで言うと思われる人でも言葉にしない思いは必ずあることぐらいは知っています。それを読み取れなかったのは私の罪でしょう。
思い出しているからこんな感想を抱けますが、聞いていたその場ではむしろ、自分の恋愛観が学生のようなものだと指摘されたことがとても恥ずかしく、情けなく、言葉を失い、同時に納得もしました。自分は結局、灰色の学生時代にできなかったことを取り戻そうとしていただけだったのか、と。気を遣っていたつもりが相手を傷付けていたなんて、結局全く気を使えていなかった、と。
ただ、遠い日の花火に憬れ続けていただけでした。
けもフレは使いやすいワードを使ってるだけで、内容が面白いからではない、と言う層が結構いる
そもそも動物はコンテンツ力が高く、設定を作り込まなくても、調べるだけで(もちろんそれも大変だ)奥行きの深いキャラができるし、作品以外にも自然と広がれる
だがそんなことはけもフレの本質ではない
けもフレの本質は自分を自分のままで受け入れてくれると思わせてくれる懐の深さだ
残念ながら、現実社会、いや日本にはないからここまで支持されている
出た釘は叩かれる、画一的になることが目的の日本の教育のせいで
海外ではけもフレが受けないのは、もともと個性を個性として受け入れる下地があるためだ
けもフレが激しく受けてる人をみると、平均から逸脱している人が多くないだろうか?
上でも下でもそういう人達は、日本の同調圧力のせいで生きづらいのだ
(できる人でもできない人に合わせなきゃいけないのは難しいしストレスなのです)
メスケモ派、オスケモ派にはじまり、マッチョ派、モフモフ派、デブ派、ショタ派(なぜかロリはほとんど見ない)、モンスター派(極左人外連)、トランスファー帝国、肥大化公国、融合辺境伯領、ロイヤル竜奇兵連(ドラゴナーズ)、爬虫人類委員会(レプタリアンズ)、キグルミ派、母性探求派、海生動物会議(「海の人々」)、四ツ足派だけどズーフィリアじゃないもん派(愛ケモ主義的極右)、丸呑みだけが人生だ派、卵胎生出産教会、インターレイシャル(人×ケモ)派、反インターレイシャル派……
「天はケモナーの上にケモナーを造らず、ただし、ケモナーの横には無限のケモナーを造った」
産業革命以降の通信技術の発達は、孤独だったケモナーたちに「同好の士」を発見する機会を与え、ファンダムの拡大に成功したものの、
同時に細かな嗜好の違いによる派閥間対立をも生じさせ、その軋轢がついに二度に渡る世界大戦の引き金となったことは今更説明するまでもないだろう。
そうした争いは近年まで衰えることなく続き、いつしかケモナーたちは「派閥が違えば殺し合って当然」という野蛮な虐殺言語を所与のものとして生きるようになっていた……。
私もそうだった。
私もある狭い派閥こそ唯一かつ至高と信じ、他者の排除や差別によって所属派閥への帰属意識を高めていった。
派閥の意志に叶うと思えば、喜んで我が手を血に染めてきたし、かつての友人たちをためらいなく2chに晒した。
なかでもいっそう劣悪とされ、他のありとあらゆる派閥から敵視されていたのが「ケモミミスト」である。
サイバー=コネクトツー・スペクトラムでいうところの「レベル2」。
「ニンゲンの身体に、ケモミミ(としっぽ)がついてさえいればよい」とする日和見主義的邪教徒たちだ。
彼らにはケモコミュニティ内において最初から人権など与えられてこなかった。
なので、ふだんは「一般人」に紛れて潜んでいたのだが、ときおり何かの間違いで何も知らない”レベル2”がケモコミュニティに迷い込んでくることがあった。
多くの場合、彼らは痕跡も残さずにコミュニティから「除去」された。
中道過激派の秘密ケモナー警察のあいだで流行ったジョークにこんなものがある。
「”レベル9"(いわゆる真性の獣姦嗜好)はケモナー以上に進化してしまったケモナーだ。だから畏敬をもって殺す。
”レベル2”はケモナーになれなかったケモナーだ。だから哀れみをもって殺す」
私も彼らを憎んだ。
でじ子の肖像を何枚も焼いたし、それ以上におぞましいこともやった。
現代のケモナー社会は、あらゆるケモナーには自分自身と同胞である他のケモナーの「性欲」を認め、尊重することができる能力、そして性的志向の善し悪しについて自ら判断する能力があるというフマニスト的前提をもって、各人に普遍的ケモナー権を付与しようとしてきた。
一見それは理性的で合理的、かつ人道的な判断基準なように思える。
だが、人は他者の良い面よりも悪い面を重視する傾向にあるようである。それが上記のような派閥争いとケモミミスト蔑視の引き金となったのである。
だが忘れもしない2017年の某日。
私は『けものフレンズ』を観た。
もちろん、観る前は”レベル2”だと貶していた。
しかし、一種の社会現象となるにつれ、そして「一般人」たちがけもフレを「ケモナー」と結びつける言説を多く弄するになるようにつれ、私は「世間の無理解を忠実バラなぬ」という一種の義憤から、けもフレを鑑賞したのである。
最初はなんと退屈でつまらなく、くだらないアニメだろうと思った。
だが、一話の終わりにさしかかったあたりから胸がざわめきはじめ、
画面にかじりつくようにして二話に没入し、三話を見終わるころにはすっかりフレンズたちに魅了されていた。
のみならず、こう思うようにさえなっていた。
「これは”われわれ”について語られた、”われわれ”のためのアニメである」と。
ケモナーは一般に受けいられる性的志向ではない。というか、世間的には性的志向ですらないと考えられがちだ。
同胞たちは自分たちの好きなものをカミングアウトできずに日々気持ちを圧し殺して生きている。
ファンダムとは、そうした「のけもの」たちを包摂するために存在するやさしいシェルターではなかったのか?
それがいつのまに、我々自身から「のけもの」を作り出し、排除し、殺し合い、差別するようになってしまったのか――
「姿かたちも十人十色だからこそ惹かれ合」い、「みんな自由に生きている」場所。
それこそが我々が最初に求めたファンダムのあるべき形ではなかったのか?
蒙が啓かれるとはまさにこのことだった。
私はいてもたってもいられなくなり、地下壕から出て地上へとあがった。
だが、つい先刻まで鳴り響いてはずの銃声や悲鳴はすっかり止んでいた。
地には戦車ではなく瓦礫の影で戯れる少年少女が、空には爆撃機ではなく大きな翼の鳥たちが遊んでいた。
まるで、あらゆる憎しみが「ぼくのフレンド」に包まれて溶けて消えてしまったのかように。
私はあてもなく、ただ何かにつきうごされるかのごとく歩いた。
そして、数分もしないうちに反対側の地下壕から出てきたであろう年老いた男と出くわした。
老人はあきらかに”レベル2”であった。
ふだんなら我々の姿を見て怯えて眼をそらすはずの彼らが、瞳に決意をたたえ、凛としてこちらを見据えている。
「きみも、観たのかね?」
そう老人は問うてきた。
私は無言で頷いた。
頭を傾げた途端に、一条の熱い何かが頬をつたい、顎からしずくとなって焼けた大地に滴った。
涙を流している、と自覚したのは、湿った点が地面に染み込んで数秒経ったころである。
「私は、私たちは」とうわずる声で私は言った。「許していただけるのでしょうか。あなたたちとフレンズになることは……できるのでしょうか?」
老人は痩せこけた顔に、穏やかな微笑を浮かべて応えた。
「笑おうじゃないか。ともに笑ってみよう。
そうとも、と老人は私の肩を叩いた。
ここが、われわれのジャパリパークなんだ。
われわれは『けものフレンズ』というサンドスターを通過して、今一度生まれ直したのだ。
本当の愛は、ここにあるのだよ。
スティーブン・キングの11/22/63という小説がある。
主人公はケネディ暗殺の前にある殺人事件を阻止しようとするが、時間遡行モノのお約束で偶発的な出来事に阻まれて上手くいかない。
シュタインズ・ゲートで言えば、「何をやってもまゆりが死んでしまう」状態である。
主人公は「過去に押し戻される」と表現しているが、この小説では幼女が地下鉄の駅に突き落としたり、急に心臓麻痺になることはない。
敵は腹痛である。
しかし、主人公は「ケツから灰色の水を垂れ流していても」、犯行現場にいって犯行を止めなければならない。
主人公はドラッグストアに駆け込み、買ったのはカオペクテイト(止瀉薬)と、尿もれパンツ。
嫌味なドラッグストアの店主に便所を貸してもらえなかった主人公が、向かいの居酒屋に駆け込む場面など涙なしに読むことはできない。
腹痛の描写たるや、キングはお腹痛い勢に違いないと確信するほどのリアリティで、思わず肛門がキュっとする。
これからは、腹痛のことを「過去に押し戻される」と表現しようと思う。
3位 初代プレステ
灰色のボディがいい。
10台くらいまとめて積み上げておくと、「これ、当時定価で買ったら何十万したんだろ」とか思って贅沢な気分を味わえる。
2位 ゲームキューブ
洗練された立方体のフォルム。そのシンプルなつくりはインテリアとして2,3台部屋に飾っておいても違和感がない。
様々な色を選べるので、お部屋にあったものを飾ろう。
単体では不可。上にファミコンを載せることで、最強にカッコいいマシンとなる。
今後、こいつを上回るカッコよさのゲーム機は登場しないだろう。まさに、名器と呼ぶにふさわしい。
とりあえず3つに絞ったが、まだまだカッコいいゲーム機はたくさんある。
PCエンジンやメガCDも捨てがたいし、MSXなんかもカッコいいやつがあったりする。
ネットからの収入が月300万を超えたので、思いを吐露したい。
http://anond.hatelabo.jp/20130602143115
ネットからの収入が月100万を超えたので、思いを吐露したい。
http://anond.hatelabo.jp/20120603083800
相変わらずあんまり幸せではないので、俺が幸せになる方法を考察してみたので投下します。
長いので最初に3行でまとめてみました。興味があれば、もっと読んでいただければ。
・収入が一定以上を超えると、それに比例して期待感が増す上にその期待が裏切られるため不幸感が増すぜ。
⇒俺は不幸だぜ。
・30代の男性。
・税引き前の利益が年間3000〜4000万円なので結構収入がある。
・絶対にやるべき仕事時間は1日10分くらいなので結構時間がある。
・やれば更に収益が伸びる作業に1日6時間くらい費やしている。
・取り立てて不幸というわけでもないけど、全く幸福感を感じない。
・世の中が灰色がかって見えている。
・ぺふぺふ病(清水)にかかっている感ある。
・幸せになりたい。
何度も書いてるけど俺はちょっと不幸だと感じている。
以前の増田では単に「お金があっても幸せじゃないんすよ」と書いていたが、最近それについてもう少しだけ深く考えてみた。
まず、幸せと金の相関に関して、以下の記事が少しだけ役に立つ。
第2部 これを超えると不幸になるらしい「年収900万円=最大幸福」説は本当か?
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/41296
「'02年にノーベル経済学賞を受賞した米プリンストン大学の心理学者、ダニエル・カーネマン教授が面白い研究をしています。それによると感情的幸福は年収7万5000ドル(約900万円)までは収入に比例して増えますが、それを超えると比例しなくなるんです」
4年前の記事なのでドル円が現在とは微妙に違うけど、今なら年収750万円を超えると幸福感は増えないと書いてある。
理由としては、それくらいの収入があれば普通の生活を送る分にはほぼ十分だから、ということで俺も納得している。
俺は年収が750万円を超えて増え続けたとして「幸福度はほとんど上がらない」と予想していたが、実際には「逆に不幸になる」わけだ。何で不幸になるんだろう?
冒頭のカーネマン教授の研究によると、年収7万5000ドルが幸福度のピークだった。これは、そのくらいの額を稼ぐ生活が、収入で得られる満足感とかかる費用(仕事のプレッシャーや忙しさ)のバランスがいいということなのだろう。
薄い考察だ。
俺は年収7万5000ドルなんざ4倍以上超えてる上に、仕事のプレッシャーなんてほとんど無いし、全然忙しくもない。
でも不幸だ。
プレッシャーも忙しさもないが、収入が増えれば増えるほど不幸感が上昇していると感じている。
何故か?
答えは「期待感」にあると思う。
収入が増えると、それに比例して上記のような期待感が勝手に膨らんでしまう。
しかし、実際には収入だけが増えても一人で仕事をして他者と交わらなければチヤホヤされないしモテないし尊敬もされない。
その結果、「俺はこんなに頑張ってるのに何故チヤホヤされないのか」「俺はこんなに世の中に貢献してるのに何故モテないのか」「俺はこんなに税金も支払ってるのに何故病院でスゲー待たされるのか」という不満が増大する。それも、年収が増えれば増える程、こういった不満は増大し続ける。
そういうわけで、年収が750万円を超えると、
・期待感は膨張を続け、そしてその期待は裏切られ続ける。
ということになり、不幸感が増大するということになる。
「金なんていくらあったって別にチヤホヤもされないし、モテないし、病院ではスゲー待たされるよ。期待なんてしない。」ってのを理屈として納得したところで、別に幸せにはならないよな。
世の中を斜に構えて見るようになるだけだ。
まぁ、大前提として「金だけでは幸せになれない」ということは理解できた。
長過ぎるので後編に続く。
日暮れて道遠しと云う人生を歩むタイプと申し上げて置きましょう。冷え切った灰色の心の持ち主です。自 己不全的な性格が強く、人に良く思われたいと云う気持ちと、劣等感に悩まされるタイプです。考え方や行 動が非合理的で、世渡り下手の傾向が強いでしょう。他人を理解したり、同情したりする事は嫌いだが、妥 協したり、我慢したりする事は厭わないのです。云ってみれば、表面的な帳尻合せにのみ、腐心しているタ イプで、生有る限り孤独の谷間を歩み続けなければならない様な運命を、自から作り出して居る、非常に気 の毒で損なタイプと云えましょう。これと云った趣味も無ければ、娯楽も無く、生の充実感を一体何で味わ って居るのか、周囲の人々の不思議がるようなタイプです。
暗く閉ざされた心の持ち主が、何処に救いや憩いを求めるのかと云えば、それが子供の内なら肉親であり、 成人の暁には、配偶者としての異性より外に無いわけです。そう云う意味では、結婚の相手捜しが、物凄く 重要なタイプであり、他のグラフ型の人々の結婚とは、その重要度が一味違った意味を持って居ます。何故 ならば、自己不全的な観念が強く、消極的で暗いイメージを背負ったタイプだけに、自分の好みの相手に対 して、積極的にアタック出来ず、又、そう云う強い意志も無いタイプですから、結婚相手が見合いとか、極 く身近の人とか云うように、周囲の人々による一種の宛行(あてがい)扶持(ぶち)的要素が濃くなる傾向 が強いのです。その上、一旦結婚して仕舞うと、能動的に相手をリードしたり、出直しを計ったりと云う自 在性が殆ど無いタイプですから、悪い方へ循環し始めると、その悲劇性が途方も無く増巾され兼ねないので す。
職業適性
創造力や表現力を要求される仕事が、先ず駄目です。高い判断力や分析力を求められる仕事も不適性です。 人間愛を求められる職業も不向きです。最も無難な職種は、一般公務員か、一般事務、単純サービス業、肉 体労働者などの極く限定られたものになるでしょう。
対人関係
小手先の技巧では、どうにも修正のしようが無いと云うのが、貴方の現在の生き方なのです。一歩一歩と自 分の性格の中に欠けた部分を、丹念に埋め戻して行く作業を、根気良く続けて行くより他に、良い方法は無 いと思います。
去年の9月末は↓
自信喪失のタイプであると、申し上げて置きましょう。極言すれば、貴方の肉体は自主独立の魂を欠いた、一種の抜け殻的な存在とも言える訳で、周囲の人々の圧力や示威が、世に云うテレパシーのような形で、貴方の中へ入り込んで来て、貴方の言動を、あれ、これと、操縦して仕舞う訳です。いわゆる強度な自己不全観念の持ち主と云う事になります。云うなれば、人に良く思われたいと云う気持ちが、強すぎると共に、自分が役立たずや能無しではないかと云う劣等感も強く、過敏型ないしは、強迫神経症型の、性格異常を招き易いのです。今後は、もう少し自分に自信を持つ事です。自分より尚一層、下らない人間、詰まらない人間、役立たずの人間は、この世に数限りなく居るのだと云う事を、常日頃から、自分に云い聞かせるようにすると共に、周囲の人々も一皮剥けば、自分と五十歩、百歩であり、自分は唯、根暗(ねくら)で表現力が無いのと、物事に正直なだけに、悩むことも人一倍多い、本当に人間らしい人間なのだと、全てを良い方へ解釈し、胸を張って開き直る事です。
詰まらない相手に、一度引っ掛かって仕舞うと、方向修正や出直しの容易に出来ない性格だけに、一生を棒に振って仕舞うような危険性も、かなり高いタイプです。結婚後は相手に対して、箸の上げ下げにまで気を使うような、姑息な配慮の仕方では無く、相手に貴方と結婚して、本当に良かったと思わせるような、大きな愛情、巧まざるユーモアなどを身に付けるように、心掛けるべきです。
職業適性
芸能、芸術、文芸などの分野には、殆ど適性が無いでしょう。事業家、政治家、治安関係公務員、法律家、金融業、質業、医師などにも不向きです。保母(父)、看護婦(士)、単純サービス業、一般公務員、一般事務員などでしたら、別に性格的な面からの差し障りはありませんが、中間管理職などになった場合には、上下の板挟みで、かなりの苦脳を覚悟しなければならないでしょう。
対人関係
もう少し図太くなる事を心掛けると共に、人生に対して、もっと積極的に好奇心や探求心を持ち、自分にも他人にも、もっと厳しく無闇矢鱈(むやみやたら)な妥協を排することです。
ネガティブな結果だなあ相変わらず
一ヶ月ほど前、愛用していたZenpad8 Z380KLの画面を落下の衝撃でバリバリに割ってしまったので、新しいZenpad8を購入した。Z581KLという型番のマイナーチェンジモデル。革製のカバーでしっかり保護してたつもりだったけど、製品の仕様で四隅は剥き出しになっていた。悲しきかな、その角から落としてしまったために日頃のリスクヘッジは無為と化してしまった。
かつてスナドラ410を搭載していた旧ZenpadのCPUがスナドラ650に進化した。起動して文字を打ったり、画面遷移を試してみたりした感じでは、以前より動作が早くなったような気がしないでもない。いや、気のせいか? とりあえず適当に弄くり回して、暫く様子を見ていきたい。
それはそれとして、タブレットやスマホを買い替えたときのワクワク感が、私はなんとなく好きです。家を引っ越して新生活を始めたときとか新しい出会いがあったときとか、そういうときと同じくらいの高揚感が胸の内に湧いてくる。アプリを入れ直したり設定し直したりするのは面倒だけど、それも含めて灰色の日常に潤いをもたらしてくれる。
この10年は何とか生きてこれた
荒れた貧しい家庭環境で父は単身赴任し母と兄に罵られながら育った
友人なんて誰もいなかった
まともに読み書きもできない
テストは全て0点に近かった
空も街もどこまでも広がる灰色だった
まるでディストピアだった
うちには軽自動車すらもない
僕はこの深淵の暗黒に耐えられそうにない
ピンクフロイドやニックドレイクやジョイディビジョンやバウハウスやキュアやスミスを聴いて育った思い出しかない
もう終わりだ
こんな人生耐えられない
まともに就職もできない
灰色の街 灰色の空 灰色の服を着た人々 この光景をみると厭世的な気持ちになる
天の川銀河ごとでも構わない
もうこんな世界嫌だ
http://anond.hatelabo.jp/20090923013046
なんだかすごく間違ったようなことをしている感じがする。ちぐはぐで気持ち悪くなってしまう。
だから、もう誰とも付き合わないことにしている。
やっぱり、何で誰とも付き合わないの?って聞かれるし、うまく濁したつもりでも色々突っ込んできかれるし、もう嫌だ。
それで、何で「半分だけ」わかるのかというと、
でも、私の場合それが余計に性欲の昂進に拍車をかけたような気がする。
悩んでいるところ悪いんだけど、恋愛感情なくて性欲だけあるのっていうパターンもそれはそれで結構地獄だ。
忙しいのに朝オナニーしないと日中エロいことばっかり考えて集中できなくなるし、ストレスが全部性欲につながるからいくらやっても収まらない。
街でカップルや夫婦を見たりするとこいつらどんなセックスしてんだろーなと想像するのをやめられない。
普段は理性的に生きているのに、こうして自分がただの動物なんだと思い知らされて嫌になる。
真面目に答えず、出来る限り嘘と虚構を織り交ぜて答えていきたい。
コミニケーションとは伝える意志と、理解する意志の両立であり、それを各々が持つことが基本である。
もし赤ん坊の声に耳を傾けて泣いている理由が分からないのなら、それは赤ん坊にそれを伝える意志がないからだ。
当然、こちら側の伝える意志を理解する意志もないのだから、コミニケーションは破綻している。
故に泣き止ませるのは「言葉」だとか「意志」ではなく、「結果」である。
それでも泣き止まないのなら、気にしなくてもいい。
私の友達に子沢山の家族がいたが、赤ん坊が泣いても親はすぐには行かず、目の前のタスクを黙々と処理してから赤ん坊のもとへゆっくりと向かっていくのが印象的だった。
赤ん坊に限らず、他人の感情や言動に必要以上に振り回されなくていいのである。
他人を自分と同じ人間だと期待するから、思い通りに行かなかったときに心を痛めるのだ。
当然、赤ん坊の泣き声に逆なでされて怒り狂う大人も同じ人間ではない。
いい質問だ。
埃ってのは空気中に舞う衣類などの繊維が主だといわれている。
つまり、もう少し模様替えをしたまえ。
病気になるぞ。
つけ上がるな。
先生と出会ったのは、わたしが中学生の時です。彼は大学院を卒業後、国語の非常勤講師として赴任してきました。わたしと1周りほど年が離れていて、身長は10cm程度高く、かわいい顔立ちをした、少し年齢不詳気味の人でした。
当時のわたしは、授業中は寝ているか、教科書の隅に落書きをしていて、学年下位をふらふらと彷徨っている、やる気のない生徒でした。そんなわたしに「やればできるから」と声をかけ、必死に授業に参加させようとする先生は、いかにも「教師になりたて」で。その熱い眼差しで見られる度に、わたしは居心地の悪い思いをしていました。どれだけ無視をしても「おはよう」と笑顔で手を振る先生、「わからないことがあればいつでも聞いてね」と教室を去る間際、席までわざわざ歩いてきて声をかけてくる先生。わたしは、彼の笑顔がどうしても嘘くさく見えて、大嫌いでした。
気持ちが変わったのは、制服のシャツが半袖に変わり始めた頃でした。一週間遅れで課題を提出しに行った際に、とある難関大学の過去問を意地悪のつもりで聞いてみたら、さらりと答えられてしまい、その際に知った彼の学歴の高さに意外性を感じたからです。先生はいま思い返してみても、とても頭の良い人でした。自分が頭の良いことを知った上で、きちんと、相手にあわせたレベルで話ができる、勉強を教えることのできる優秀な先生でした。彼の解説を聞きながら、初めて、答えを導き出す楽しさに気付き、勉強が楽しいと思うことができたのです。
いま思えば、わたしは彼のパフォーマンスの引き立て役のひとりでしかなかったのでしょう。後々、彼の鞄から発見した、クラスの成績表の書き込みを見れば分かります。伸びしろはあるがやる気がない、かつ、やる気になれば伸びるタイプ。わたしは「ちょうど良い生徒」に過ぎなかったのです。そして、幸か不幸か、彼の好きなタイプの顔立ちをしていました。
先生は褒めるのが上手でした。たった10問の小テストで満点をとっただけでも「偉いなあ、嬉しいなあ」と、にこにこ頷いてくれました。自分で言うのもアレですが、わたしの地頭は悪くなかったので、少し本腰をいれて勉強するだけで見る見る間に成績は上がっていきました。周りの教師が驚いた眼で答案を返してくるのが面白くて、わたしはもっと良い点数が取りたいと思い始めていたのです。
いや、違うかもしれません。分からない問題を先生に聞きに行きたいがために勉強をしていたのかもしれません。先生は担当教科の国語だけでなく、どの教科も教えることができ、また、教え方が上手だった。だから、分からないものがあれば、どの教科でも先生に聞きに行っていた。わざと分からない振りをしていると見抜かれてしまうので、本当に分からない問題を探し、解決していく内に、分からない問題は減っていき、どんどん難解になってしまった。わたしは先生に会いたい、質問をしたい、話したい一心で、教科書に向き合っていたのです。
たったの半年程度で、わたしの順位は下の下から、上の上へと上がっていきました。先生は桁数の違う成績表を見比べて笑っていました。その彼の横顔を見ながら、わたしは少しだけ、意地の悪い考えを抱いてしまいました。言わなければ、幸せでいられた言葉を言ってしまったのです。
「1位を取ったらデートしてください」
先生は、びっくりした顔でわたしを何秒か見つめた後、視線を宙に泳がせました。「お願い」。そう、一歩前に出たわたしから距離を開けるように後ずさり「1位は難しいよ?」と苦笑いしました。「無理だと思うなら、約束してください」。その時の彼の脳内には、きっと、学費免除をされている学年主席の優等生の顔が浮かんでいたのだと思います。先生は意を決したように「いいよ、ただし、全教科合計順位で」と小声で告げました。
300人いない程度の学年でも、1位を取るのは簡単なことではありません。優等生は、わたしの学校でも飛びぬけて頭の良い少女でした。しかし、わたしには彼女に負けない思いがある。恋心です。
わたしは、先生とのデートの権利をかけて彼女に一方的に勝負を挑みました。彼女の苦手科目であった生物を攻略することで、大幅に点差をつけたわたしは、僅差で勝つことができました。学年末試験の結果が書かれたA4のペラ紙を持って、勝ち誇った笑みを湛えながら職員室に飛び込んできたわたしを見て、先生は少し罰の悪そうな顔をして「おめでとう」と返しました。
誰かに見つかるのは避けたいと提案された場所は、あろうことか先生の自宅でした。少し驚きましたが、恋は盲目状態だったわたしは先生からのメールが届いた瞬間、秒速で返信しました。春休み、まだ蕾のままの桜並木を見ながら、ミスタードーナツの袋を下げて、先生の自宅への道を歩みました、人生で1番幸福な瞬間でした。私服姿の先生は想像の何倍もおしゃれで、部屋も黒を基調とした、かっこいいものでした。
わたしたちはドーナッツを食べながら「教師と生徒」という禁断の響きに似つかわしくないほど、平凡で下世話な話をして盛り上がりました。教室内のヒエラルキーも職員室内のパワーバランスも変わらず馬鹿らしいと腹を抱えて笑いあいました。先生が録画をしていた、ただ絵面だけが派手な洋画を見ながら、作品とは全く関係ない話に興じました。
映画を見終わった頃、先生が不意に真剣な表情で聞いてきたこと、その声音を、わたしは忘れることができません。「俺のこと好きなの?」。いつも飄々としていた先生が、こんなに真剣になるのを見たのは初めてでした。報われぬ片想いを今日で最後にするつもりだったわたしは、笑顔で「大好きです、結婚したいみたいな意味で好き」と頷きました。次に出てくる、哀れで馬鹿な生徒の恋心を突き放す言葉に怯えながら。
しかし、先生の口から発せられた言葉は、予想の真逆をいくものでした。わたしのことがひとりの女性として好きなこと、これからもこうして会いたいこと。しかし、くれぐれも周りの人に気付かれてはいけないこと、それが守れなくなった時点で離れたいこと。彼の話していた言葉はよく覚えていませんが、約束事の多さだけは覚えています。「教師と生徒」の恋に怯える先生の気持ちを手に取るようで、その真剣な眼差しに促されるように、わたしは「はい、はい」と頷いていました。
先生が、なぜわたしのことを好きだったのかはわかりませんが、彼はよく「愛に飢えててかわいそう」とわたしを評しました。両親も健在ですし、人並みに可愛がってもらえていたはずですが、わたしは両親との関係性というものがどうしても希薄にしか感じられなかった。そんな姿が、愛に飢えているように見えたのかもしれません。彼は小さな頃から過剰な愛、過干渉を受け育ったそうです。だから、その与えられすぎた愛を持たざる者(と彼が思うもの)に受け渡すことで、バランスを取っていたのかもしれません。
先生とわたしは、密かに逢瀬を重ねていきました。学校では、若いお気に入りの教師に熱を上げる馬鹿な生徒を演じ続けました。その一方で、2人で会う時のわたしは、あまり騒ぎませんでした。先生に似合う、大人の女性に早くなりたかったので、静かに、黙っていました。
高校生になり、バイトを始めると、わたしの身なりは少しずつ「ちんちくりんな子供」を脱却し始めました。大人になるにつれ、彼の熱が上がるのを感じ、気分が良くて仕方がなく、その感覚を味わう度に自分の箍が外れていく気がしました。己のアイデンテイティがうまく掴めなくなり、自分が子供なのか大人なのか分からなくなる瞬間が増え、ぼーっとした日々を過ごしていました。誰にも言えないまま、大人になるストレスは存外厳しく、不安に泣いた日も多かった気がします。
そして何よりも、わたしは頭が良くなってしまった、なりすぎてしまった。あんなにも尊敬していた彼の大学の合否判定は「A」しかでませんでした。学年1位は優等生からわたしの手に移ってしまった。彼が枕元で得意げに語る知識に、目を輝かせることは、もはやできなくなり、ただ黙って薄笑いを浮かべることで精いっぱいになりました。そういったわたしの変化を感じてか、彼はわたしの「人に言えない」ことに漬け込むようになっていきました。
「共犯者だよ、君も捕まる」
そんな言葉を言われる度に、わたしの頭の中はぐちゃぐちゃにかき回され、嗚咽をあげて泣くか、へらへら笑うことしかできなくなりました。誰かに言わなくては、と思いつつも、その先に待つ破滅を考えると声が出せない。何よりも「淫行教師」と「可哀想な女生徒」として衆目に晒されるのが耐えられませんでした。
わたしは、先生のことを本気で愛していました。彼の未来は輝かしいものであってほしかった。たとえその先に、わたしがいなくても。先生がどれだけ汚い姿を見せてきても、教室の隅で燻っていたわたしを救ってくれた人に他ならないのですから。それが例え、先生の株をあげるためのパフォーマンスであっても、救いだったのですから。
物語の幕引きは、あっけないものでした。先生は、自分の罪を周囲に告白してしまったのです。2度目の冬のことでした。放課後、その曜日は先生が学校に来ていない日だったので、早めに家に帰って漫画でも読もうといそいそ帰りの支度をしていたわたしを学年主任が呼び止めました。主任は、まるで化け物でも見たような、恐ろしい、それでいて悲しそうな目でわたしを見ていました。すべてを察しました。
先生は、主任と校長にだけわたしたちの関係を告白しました。校外で2人で会っていた事実を認め、これ以上関係が深くなる前に学校を去りたいと告げたそうでした。主任と校長は、わたしに深く頭を下げました。そんなことしてほしくないのに、する必要ないのにと焦るわたしを2人は涙を堪えた目で見上げてきました。そして、痛切な表情で「肉体関係はあったのか」と問うてきました。「ありません、断じて」とだけ答えると、先生たちは泣き出し、再び謝り始めました。わたしは校長室の分厚い壁が、この大きな泣き声を外部に漏らさないかだけが心配でした。
先生からはその数日後、直接、学校を去ることを告げられました。彼は、わたしが嘘をついたことを責めました。勝手な生き物だと、少し幻滅したのを覚えています。一方的に罪を告白し、逃げ出すのはルール違反だと怒りたい気分でした、しかし、解放されたがっている自分がいたのも、また、事実でした。わたしたちは主任と校長に話したこと「だけ」が2人の間にあった関係であることを確認会話し、男と女の関係を辞めました。
先生とわたしは、3学期中をいつも通りに過ごしました。終業式で言い渡された先生の退職を聞き、泣いている生徒の多いこと。別れを告げ、さよならを惜しむ生徒たちを横目に見ながら職員室に顔を出さずに、わたしは去りました。先生の机に重なった書類の多さは、1日やそっとで持ち帰れる量ではないと判断したからです。
春休み、わたしは毎日のように学校に通いました。先生の机が見える、職員室と質問コーナーの境目に陣取って赤本を進めました。毎日通うつもりでしたが、たったの1日だけ大雨が降り、行かない日がありました。その翌日、いつものように職員室に向かうと、先生の机はもぬけの殻になっていました。わたしはその瞬間、初めて人前で叫び声をあげ、怒り狂いました。教師たちの静止の声も聞かず、わたしは何度も横に立ち、椅子にもたれかかり、無意味に引き出しを開け閉めして遊んだ、彼の机を蹴り上げました。そして、糸が切れたようにしゃがみ込み、永遠と、わんわんと小さな子供のように泣いていました。
高校3年生の時、知り合いから先生が都内の某大学で働いていると知らされました。わたしは当時の志望校よりも幾分か偏差値の低いその大学を第一希望に変更し、無事に合格しました。学びたい学問でもなんでもありません、ただ、先生がいるからでした。何も言わず、大雨の中逃げるように去っていった彼に、文句の一つでも言ってやりたかったからです。大学生としてあらわれたわたしを見た先生は、怯えきっていました。「お金ならあげるから」と言われた瞬間、わたしは、あの日職員室で暴れた時のように先生の鞄を投げ捨て、近くのベンチを蹴り上げました。
なぜか彼は土下座をして、許しを乞うてきました。わたしがしたかったのは、してほしかったのは、そんなことではありません。ただ「さようなら」とだけ言いたかっただけなのです。先生は、季節が夏になる前に海外へと去っていきました、何か月か後に届いたエアメールには「許してほしい」と何度も綴られていました。
先生は、わたしのことが恐ろしくて仕方がないようでした。大学でふとすれ違っただけで、化け物を見るような顔をして踵を返されるたびに、わたしの心は潰れました。きちんと別れを言いたいだけだったのに、いつしか、互いに恨みが募っていってしまったのです。彼はすでに日本に戻ってきているようですが、わたしは、まだ会いに行けていません。会うのが怖いのです。あの目が怖いのです。
わたしの家には毎年、主任と校長から年賀状が届きます。他の生徒には届いていないようですが、わたしにだけは届くのです。罪を共有し合う仲間ですから。わたしはその年賀状に、便箋3枚程度の手紙で近況や1年の振り返りを送るのが常でした。母は、特別親しくもなかった教師への手紙を綴るわたしを眺めては、毎年、不思議がっていました。
はじめて家を出ることになり、年賀状の送付先が変わることを告げる手紙を綴る最中、わたしはぽろりと母に罪を告白してしまいました、勿論、関係については「公然の事実」のみ伝えました。母は「でも、好きだったんでしょう?」と聞いてきました。そうです、わたしは好きだったのです、先生のことが。そして、今でも好きなのです。「さよなら」を言えないまま、わたしは片想いの渦にまだ囚われているのです。「なら、良いじゃない、世間はどういうか分からないけれど」。そうです、他人など、どうでもいいのです。どうでもよかったのです。
冬になり、主任と校長は一人暮らしになったわたしに年賀状を出すことなく、立て続けにこの世を去りました。わたしのことをずっと気遣ってくれた2人は、成人し、就職が決まったことをとても褒めてくれました。彼らが、あの日以降、罪について話題に出した日は一度もありませんでした。わたしを気遣う優しい文面、文化祭に遊びに行ったわたしを出迎えてくれた笑顔、どこまでも優しい2人でした。
2人の葬儀には沢山の生徒、教師が集まりました。その中の誰も、わたしの罪を知る者はもういません。しかし、幼き日の思い出話に花を咲かせれば、誰もが「あなたは、あの先生が好きだったのでしょう?」と聞いてきます。わたしはその質問をされる度に「好きです、今でも」と答えるのです。そう答えながら、喪服姿の先生を横目で探してしまうのです。ヒールをはいたわたしと同じぐらいの身長、年の割にかわいい顔立ちをした年齢不詳の人。わたしは、彼がどんな姿をしていたのかも、もう曖昧にしか思い出せません。一緒に撮った写真はたったの1枚しかありませんでしたし、それもどこかに消えてしまいました。
はじめて会った日から、気付けばもう10年以上の月日が流れてしまいました。あの頃急速に大人になってしまったわたしは、ひどくアンバランスな心を抱えて生きています。わたしの心は未だに、あの新しいようで古ぼけた校舎に囚われたままなのです。職員室を入って右側の島、奥から3番目の灰色の大きな机、先生の足元にしゃがんで、顎をひんやりとした板にのせて、話すのが大好きな子供のままなのです。
しかし、わたしがいまいる場所は、生きている場所は、あの箱庭ではないのです。過去の罪に囚われる時代はもう終わりなのです。だからこそ、口に出さなくてはいけないのです。だからこそ、会いたいのです。会って、言いたいのです。
せんせぇ、さようなら。
http://anond.hatelabo.jp/20170129234459
すんごい叩かれるだろうなと思って書く。
婚活をして行く中で出会ったり、お相手の男性から聞いたライバル女性たちに対して、こうしたらいいのにと思ったことをまとめてみました。
私は31歳から合コン、街コン、婚活サイト、婚活アプリ、お見合いパーティーと一通りの婚活ツールを利用していて、いい出会いもたくさんあってカップル成立もたくさんした。
が、細かいことにぐだぐだ言ってるうちに1年たってしまい、それを自虐ネタとして公言していたらほとんど話したこと無い会社の憧れの先輩から「俺どう」と言われて付き合ってみてそのまま結婚した立場です。
この時点で喧嘩売ってるようなプロフィールである。そりゃあ上から目線でしょうね。
1 とにかく笑ったほうがいいと思う
好みじゃない男性や条件に合わない男性と話す時、露骨に態度を変えるのはよくないと思うし、周りからも見えています。美人だと余計に怖い。そこまで美人じゃなくても笑ってるほうがかわいい。
2 華やかな色の服を着たほうがいい
カップル成立しない子の集団を見ると黒灰色ネイビー茶色モスグリーンが目立つ。印象が暗い。真面目そうに見えるというより汚そうに見える。男と同じ色の服は色気がない。
3 鮮やかすぎる服はやめたほうがいい
かとってZARAみたいな攻撃色の花柄も引かれる。エスニック系も引かれる。ブランドも避けよう。没個性の柔らかそうな印象の服を着たほうがいい。パーティー後の女性の集まりで「パステルみたいなこびた服なんか着れなーい私は私!中身を見て!」っていう人が多すぎるけど、婚活にくる男性は初対面で中身見ない。
4 眉毛の角度が二昔前
30代後半に多い。おそらく最初に眉毛をいじった中学高校時代のままずっと整備してるせいなんだろうけど、今時めちゃくちゃ急角度の眉毛はない。単純に怖い。婚活している男性から見ればなおさら。彼らは最新の優しげなメイクをした芸能人の顔ぐらいしか間近で見てないんですよ。
結婚したらこうしたいああしたいと、初手で話してしまうのはやめたほうがいい。理想を語っていいのは、信頼関係が出来てから。理想どおりにしてくれる人が良くて、それ以外の人は来てほしくないから最初に言うの!という女性も多いけど悪手。たいていの男性は好きになるかどうかもわからない女性の理想は鬱陶しいと思っている。好きな女性の理想は叶えてあげたい男性はいるので後出しにしたほうがいい。
例え、お目当ての男性を持ち上げる目的であろうと、他の男性の悪口を言うと怖がられる。ただし男性は他の男性よりも勝っていると実感すると喜ぶので、他の男性も素敵だったんだけど、あなたが一番お話していて楽しいです、みたいな文脈で褒めるといい。
7 財布出すふりはしよう
出すつもりなくても財布出すふりはしよう。男性は奢るつもりでいても、女性が奢られて当然だと思ってるかどうかを見ている。奢ってもらったら素直に喜んで「次は出させてくださいね」でよい。全額でなくても多めに出してくれたらありがたいと思おう。そして年上なのに本当に1円単位で割り勘させられたら、ガチのケチか、「女は奢られて当然とか思っててクソ」「女尊男卑」みたいなまとめサイトの見すぎの人か、こちらの何かを試している人なのでやめればいい。
私の婚活は1年と短かったし、それで成婚したわけでもないけど、要するに、男性を怖がらせないのが一番いいなと思った次第です。
灰色の街に 凍えた賑わい
見慣れた景色 消えていく
闇夜の中 もがいて
繰り返される 自由の中で
手に入れたのは 偽りの富
雑踏かきわけ進む 修羅の戦列
獲物を追うかのように
消えた記憶の 欠片に残る
後悔の跡 失った過去
緊迫感の中 立ち尽くす君 霞んでいく
I wanna be destrukted 打ち寄せる希望を
鮮やかな絶望に変えて
この手で砕いて
この世が変わる 動き始めてる
壊れる家庭 戻れない
狂わされてた 彼女への愛を
少しづつでも 取り戻してく
置き去りのまま 失われてく
堕ちて暗闇 消える幻
届かないまま
I wanna be destructured 打ち寄せる平和を
鮮やかな戦争に変えて
I don't need any right 仕組まれた運命
この手で砕いて
I wannna be destructed 打ち寄せる戦争
鮮やかな平和に変えて
I don't need any right 仕組まれた栄誉
壊してくこの手で
認めたのは「灰色に近い」ね