はてなキーワード: 灰色とは
火曜日の深夜、アニメおそ松さんの第3期が始まった。部屋の明かりを消し、ジュースとアイスを用意し、騒音にうるさい隣の部屋の住人のためにイヤホンを着け、完全装備で待機していた。一年と七カ月ぶりに彼らに会うのだから、半端な用意で会うことなんてできなかった。
おそ松さんの第一期の中盤頃、私は高校三年生だったけど、学校に登校できていなかった。自分は不登校になんてならないと信じていたのに、高校生最後の冬、驚くほど呆気なく学校に行けなくなってしまった。毎日ベッドの上で天井を見つめながらブツブツ一人言を呟いて過ごした。一日中ずっと家にいるなんて、今から考えたらとてもいい生活に思えるけど、毎日毎日、自分のダメなところを探して「学校に行けないダメな自分」を責め、生き地獄のようだったことを覚えている。一度夜中に家出して、道路に飛び出そうとしたことがあったけどできなかった。生きていること、この先もダメな自分と生きていかなければいけないことが怖くて怖くて仕方がなかった。不思議なもので、一度「ダメな自分」を頭の中で作ってしまうと、なかなか自分のことを好きになれなくなる。一度落ちるところまで落ちてしまうと、なかなか這い上がれず、藻掻くばかりで苦しいだけだった。
どんなに泣き腫らして眠れない夜をすごしても、必ず朝は来る。それがつらい時もあったけど、感謝した時もあった。
そう、おそ松さんだ。たしかテレ東で月曜日深夜にやっている放送を録画していたから、火曜日の朝には録画を再生することができた。朝観ていたか昼観ていたか、もう覚えていないけど、眠れなかった真っ暗な夜が、少しだけ明るい灰色に変わるようだった。
劇中のくだらないギャグが心に全く響かなくて、あんなに好きだったものがどんどん好きじゃなくなる様をまざまざと見せつけられて、おそ松さんを観ながら泣いたときもあった。でも、六つ子の笑顔に何度も励まされたし、六つ子のクズ具合から「私の方がまだマシなのでは?」なんてことを思ったり、自己肯定感も少しずつ回復していた。中毒的でポップなA応Pの歌、カラフルで画面いっぱいに飛び回る六つ子。OPを観る度に、「先週と相変わらず学校に行けない自分」と「カッコイイOPにワクワクしている自分」に会うことは、少し切なくて、少し嬉しかった。特に「なごみのおそ松」が好きで、何回も何回も録画再生をしたのを覚えている。おそ松さんを観ていると、少しずつ自分のことが好きになった。どんなにつらい夜も「明日はおそ松さん観られるな…」と思い出せば、少しだけつらくなくなった。たまたま落ち込んでいたときに見たから救われた気になっているのかもしれないけど、どうしようもなく落ち込んでいる時には、否定も肯定もしない底抜けな明るさが必要なんじゃないかと思う。私にとってのそれは「おそ松さん」だった。
今は、ひとり暮らしをしながらなんとか生きている。
おそ松さんを観ると、ダメな自分に怯えてボロボロになっていた自分を思い出す。そして、今もなかなか好きになれないけど、少しだけ成長した自分に会うことができる。
おそ松さんを観ると、少しだけ切なくて、でもくだらなくって、楽しくて、アホで愛すべき六つ子たちに会うことができる。
私は受かればどこでもいいや精神で進学したクズだ。自己推薦でまぁワンチャン受かればいっか〜でなんと運がいいことに推薦枠が去年よりも拡大したお陰で受かったクソだ。大学進学を決めた理由はなんとなく、の馬鹿だ。
そんなんだから特別に大学に期待はしてなくって、なんなら県外の進学で友人は誰一人いなくて入学当初は若干憂鬱だった。入学して1週間は友達が出来なくて私の人生灰色決定だなぁ……と諦めかけていた。しかし、案外大学がおもしろくて驚いている。
このおもしろさは、自分から進んで何かすればするほど決まる。入学当初のオリエンテーションで隣になった人に話しかけるとか、サークルの部員獲得のためになんだってしてくれる(なんでもとは言ってない)先輩を利用してタダ飯食べて、どの講義がおもしろいか聞いたり。これらをした時私はめっちゃ大学っぽい……!と感動した。
もちろん、イメージと違うこともある。講義は自分で自由に選べるかと思ってたら結構大学側で決められていたり。時間がたくさんあるのかと思っていたのに半日は大学で過ごしているとか。単位を落とすかもしれない恐怖が想像以上だった。
でも、講義で自分の知識を磨けること、新たな考え方を身につけられること、実は日本でこの講師しか〇〇の研究をしていない〜みたいな人がいた時少しテンション上がるし、講師が外国の大学に通っていたことがあったら謎の信頼感があったり、おもしろい事はごろごろと転がっている。
なんでこんなに楽しめてるのか突き詰めてみると、おそらく、自己決定の場面が多かったからだ。親はどこでもいいよと言ってくれたし、教師の「進学するならこの県内の大学の方がいいんじゃない?」という意見を押し退けた。いや、まぁ、自分の価値観が古くて「大学進学せねば」と思って無理矢理目星をつけたし、一人暮らしがしたかったから県外にした。でも、そんな自己決定から始まって、一人暮らしをすればもっと自己決定の場面が増えて、大学生活でも自己決定して……
私にとって今の大学生活は、自己決定をする練習の場だ。つまり、自由とは何かを確認する時だ。
まぁこれは建前だけど。
高校教師になって半年が経った、そして日常が灰色で意味なし興味も惹かない無味乾燥なものに思えた。
もともと、教師に憧れはなかったが、私は民間企業には向かないと思ったし自分の希望を叶えられそうだったので教師を志望してみた。自分の希望とは端的に「上からガミガミ言われないこと」「周りの視線にビクビクしないこと」「面白いものを面白いといえ、つまらないものには無関心でいられること」「知ることが好き、考えることが好きなのでそれを伸ばしたい」ってあたりだった。
それで、採用試験を受けてみたら受かった。採用試験を受けるにあたり、試験官が喜びそうな教師志願者像を演じているうちにまるで本当に教師の仕事がやりがいのあるヒトみたいになっていった。
実際に働いてみると、私が新人なのもあってか夏休み前はプレッシャーも労働時間もそれほどブラックではなかった(定時には帰れないが)。仕事をして収まるところに収まったという喜び、生徒とやり取りする喜び、給料をもらう喜び、とにかく何もかもが新しく、一つ一つのタスクをこなしていくことに喜びを感じた。そして、採用試験で作り上げた教師志望者という虚像を演じてることさえ気づかなかった。
夏休みは平和そのものだった。ただ、何度やっても追試を乗り越えることの出来ない生徒や炎天下でも盆休みも休みなく動き続ける運動部連中を見るのが不快だった。無意味な校則を破る無意味な学生に付き合わされることに吐き気を催すほどの嫌悪感を感じた。なんだか、夏休みですべてがリセットされた気がする。仕事を始めてそれなりに責務を全うしようという気持ちが失せた。
もともと、良い教師になろうという気持ちは毛頭なかったが、いまはただ仕事の時間が穏便に過ぎさえすれば良いと思うようになった。正直、生徒にも人間にも興味が持てない。授業の準備で定時を超えそうなら、切り上げて授業の質を落とすことにした。義務として求められること以上は一切しないことにした。部活の引率が一番馬鹿らしい、引率はするにしても一々試合には立ち会わず試合会場では雲隠れすることにした。
そして辛いことは、同僚が真面目すぎることだ。どうして彼らは楽をすることを考えないのだろうか。そんな連中の中にいると肩身が狭いし、もはや生徒に興味がもてないという本音も口にすることができず孤独感とイライラだけが溜まっていく。
仕事が何もかもバカらしく感じる。だが、給料はほしいので辞める勇気もない。辞めてもやりたい仕事はない。
仕事以外にはやりたいことが、ある。家に帰って一人の時間が一番よい。だけど、教師って24時間死ぬまで働けってオーラを感じる。そんな息苦しい雰囲気がいやだ。すまんが、生徒より自分優先で仕事させてもらう。これからも自分が自由で居られるのか不安なんだ。
レールから外れてしばらくすると、自由ってのは白黒の灰色の世界の中だってことに気づいた。
でもそれでも自由ってのはやっぱ自由だから気楽に過ごせる。夜深〜いとこにいると灰色の砂漠を感じるんだけど。
なんでもいい。やってみたいって思ったことをやってみた。海外へ行って、ぷらぷらしながら仕事探して見たけど、だめだった。
だけど、粘ってなんとか念願叶って就職できた。
なんとかなるよ。
しんどいけどね。
使い古された言葉だけど、一度しかない自分の人生。死んだらおしまい。でも今はなんとか生きている。生きているかい?!
自分の命を燃やして生きている。ならばいいさ。死んだらおしまいなんだから。
まーぼちぼち一生懸命がんばってれば、なんとかなるよ。
初めは好きなキャラクターが居た。
ちょっとボロが出やすくてもそれを持ち味にするくらいガッツがある娘だったと思う。
しかしその娘がいる世界に入り応援しようとしたら世界を知るにつれて、世界は灰色に染まってしまった。
初めはキャラDisネタが蔓延していて、それが当たり前のように使うものが多かったことに驚いた。
チビと呼ばれて喜ぶ奴は居ない。貧乳が悪い訳ではないがそのキャラが気にしていると言う設定のキャラの数字を連呼するってのはそのキャラは喜ばないし何より身体的な特徴をネタにするのはどうなんだ。ファンやめますってのは決して軽いノリで言う言葉では無いしそれをネタだからwと言われても不快じゃないか。それを公式が率先して行ったのもキャラクターを大切にしてないんじゃないかと感じた。
実際の所アイドルマスター内のアイドル一人一人の扱いは差が激し過ぎる。人気とか売上など大人の事情はあるだろう。だが声あり声無しの扱いの差は激し過ぎるし、それを友人に言ったらそれはお前が良さを見つけて推していくんだよ!と言われた。もっともらいしいことを言っているようだが丸投げではないかと。ちなみにその友人が担当しているのも勿論声あり人気キャラクターである。
つまる所キャラクターが多過ぎる。
正直モデリングがあってもモブレベルの存在感しか放ててはいない。声がついたからってアイマスの世界へようこそ!とかいうノリはガチでもネタでもクッソ寒く感じた。そのコンテンツ名でしか見ていないから誰に決まっても手放しで歓迎するんじゃないか。
不満点は言ってもキリがない。
アイドルを取り巻く世界とノリが嫌いだ。自衛してもどんな場所にも湧いてくるのが本当に鬱陶しい。
けど入口へ入ってみるとこういう考えになる人もいる。
P(を名乗っている人はお前は何も分かってない!今はこうだ!とか思うところはあるかもしれないね。だけどこれからも今のアイマスがどうなっているかは知らないし知る気はないよ。苦手だからね。
[PDF]関東大震災と文豪 - 成蹊大学図書館の展示から -
http://repository.seikei.ac.jp/dspace/bitstream/10928/526/1/kokubun-47_56-86.pdf
ブコメ経由で知った論文だが、あまり目立ってなかったので引用しておく。「関東大震災朝鮮人虐殺」とは別に朝鮮人だけが殺害されたわけではなくて、「朝鮮人と間違われる」などして多くの日本人や中国人も殺害されていることは覚えておきたい。
僕は善良なる市民である。しかし僕の所見によれば、菊池寛はこの資格に乏しい。…菊池と雑談を交換してゐた。…その内に僕は大火の原因は○○○○○○○○さうだと云つた。すると菊池は眉を挙げながら、「嘘だよ、君」と一喝した。…しかし次手にもう一度、何でも○○○○はボルシェヴィツキの手先ださうだと云つた。菊池は今度も眉を挙げると、「嘘さ、君、そんなことは」と叱りつけた。…
再び僕の所見によれば、善良なる市民と云ふものはボルシェヴィツキと○○○○との陰謀の存在を信ずるものである。もし萬一信じられぬ場合は、少くとも信じてゐるらしい顔つきを装はねばならぬものである。けれども野蛮なる菊池寛は信じもしなければ信じる真似もしない。これは完全に善良なる市民の資格を放棄したと見るべきである。善良なる市民たると同時に勇敢なる自警団の一員たる僕は菊池の為に惜まざるを得ない。
(〇〇は言論統制の時代に伏字にされた「不逞朝鮮人」などの言葉。これはデマに踊らされた「善良なる市民」への芥川龍之介ならではの皮肉の文章)
××を持つて、合言葉を使ふなどと云ふことは、大正の世にあるまじき事と思つてゐたが、震災後四五日の間は、私も××を手にして、合言葉を使つて、警戒に当つた。
あの震災に関聯して、今思い出しても日本人として堪らない気持ちのするのは、各地に起った例の鮮人騒ぎである。…とにかく鮮人に対して、あの時日本人の行ったことは、これは何とも弁解のしようのない野蛮至極のものであった。ああ云う場合、この国の人間には、野蛮人の血が流れているのではないかという気がする。…
「そんな莫迦な話があるものか。鮮人が地震を予知していたわけではあるまいし、何処で勢揃いし、何処からやって来るというのだ。…そんなことは絶対に考えられないよ。僕はこれから寝るから、ほんとうに鮮人が来たら起こしてくれ。」…と云って、人々を安心させるために、畳の上にひっくり返ったら、実際に眠ってしまった。
井戸に毒を入れるとか、爆弾を投げるとかさまざまな浮説が聞こえてくる。こんな場末の町へまでも荒らして歩くためには一体何千キロの毒薬、何万キロの爆弾が入るであろうか、そういう目の子勘定だけからでもじぶんにはその話は信ぜられなかった。
アラララ、と聞こえる高い叫び声は朝鮮語らしく聞こえる。竹刀でも激しく打ち合うような音も聞こえる。朝鮮人がこの大動乱に乗じて暴動を起こしたという筋書を疑う力もないから、空地の周囲の叫び声や、打ち合うもの音を、朝鮮人との戦いなのだ、と私は思っていた。…
私はこのときのことをおもい出すたびに、同じ長屋で親しくしていたひとりのおかみさんの言った言葉を同時におもい出す。…長屋のものが半壊のわが家のまわりに寄り合ったとき、ひとりが自分のゆうべの恐ろしかった経験を話し出した。話し手の彼女は、一晩中朝鮮人に追いかけられて逃げて歩いた、というのだ。それを聞いたとき、興行師のおかみさんは、利口にその話を訂正した。彼女はこう言ったのである。朝鮮人が暴動を起こしたなんていったって、ここは日本の土地なんだから、朝鮮人よりも日本人の数の方が多いにきまっている。
朝鮮人に追いかけられたとおもっていたのは、追われる朝鮮人のその前方にあんたがいたのだ。逃げて走る朝鮮人の前を、あんたは自分が追われるとおもって走っていたにすぎない、と。
私はこの訂正を聞いたとき、強いショックでうなずき、かねてのこの人への尊敬をいっそう強くした。…貧しい興行師のこの妻のような怜悧で正しい判断は、あの当時住民の多くは持ち得なかった。政府の流した蜚語は、大地震という自然の脅威におののいている住民の、異常な神経を煽った。
東京では朝鮮人が暴れ廻つてゐるといふやうな噂を聞く。が自分は信じなかつた。
松井田で、警官二三人に弥次馬十人余りで一人の朝鮮人を追ひかけるのを見た。
「殺した」直ぐ引返して来た一人が車窓の下でこんなにいつたが、余りに簡単すぎた。今もそれは半信半疑だ。…
丁度自分の前で、自転車で来た若者と刺子を着た若者とが落ち合ひ、二人は友達らしく立話を始めた。…
「―鮮人が裏へ廻つたてんで、直ぐ日本刀を持つて追ひかけると、それが鮮人でねえんだ」…「然しかう云ふ時でもなけりやあ、人間は殺せねえと思つたから、到頭やつちやつたよ」二人は笑つてゐる。
(汽車内で足を踏んだ踏まないの騒ぎが始まって)
喧嘩はしばらく続いていた。すると在郷軍人らしい方が、…突然座席へ突っ立ち上がった。
「諸君、こいつは鮮人だぞ。太い奴だ。こんな所へもぐり込んでやがって」…
…時どき脅えきったその男の声が聞こえた。しかも相手がおろおろすればするほど、みんなの疑いを増し興奮を烈しくするばかりだった。(その男は次の駅で引きずりおろされ)物凄いほど鉄拳の雨を浴びた。
私は思わず窓から首を出してこう叫んだ。側にいた二三の人もやはり同じようなことを怒鳴った。…こうして人の雪崩にもまれながら改札口の彼方にきえて行ったその日本人の後姿をいまだに忘れる事はできない。私には、一箇月ほどたった後に埼玉県下に於ける虐殺事件が公表された時、あの男も一緒に殺されたとしか思えなかった。そして無防御の少数者を多数の武器と力で得々として虐殺した勇敢にして忠実なる「大和魂」に対して、否、それまでにしなければ承知のできないほど無条件に興奮したがる「大和魂」に対して、心からの侮蔑と憎悪とを感じないわけにいかなかった。ことに、その蒙昧と卑劣と無節制とに対して。
急いで東京へ帰らうとして、先ず護身用のピストルを買つた。それを何かに包んで、ルツクザツクの奥深く納めた。…
学生の目には、車中の誰も彼もが○○に見えた。学生は車中の総ての人に荷物の検査を迫つた。
耕作君の袋の中にはピストルがある。…若し、それを見られたら、自分は殺されると思つた。
耕作君は終に立ち上がつて演説した。(荷物検査をするなら陸軍の出張所に行くように説得し、みんなの賛成を得る。)
耕作君はほつとした。
「実際、もうお終ひかと思つた」と、耕作君は幾度も言つた。
(震災の2日後に平沢が警察に連行され、その翌日、著者が石油と薪を運ぶ巡査と会った時の回想)
「石油と薪を積んで何処へ行くのです。」
「殺した人間を焼きに行くのだよ。」…
「昨夜は人殺しで徹夜までさせられちゃった。三百二十人も殺した。外国人が亀戸管内に視察に来るので、今日急いで焼いてしまうのだよ。」
「皆鮮人ですか。」
(そこで、著者はその死体のある場所を教えてもらい、そこへ向かう。)
自分は一眼見てその凄惨な有様に度肝をぬかれてしまった。自分の目はどす黒い血の色や、灰色の死人の顔を見て、一時にくらむような気がした。涙が出て仕方がなかった。…
「全体どういふ理由で自分はこんな目に…あんまり幸福でありすぎたからだらうか…然し自分の生活はそれほど幸福ではなかつた筈である…」
(同房の男は好きなもの一つ食べずに貯めこんだお金を火事場泥棒と間違えられて取り上げられてしまった。)
「あゝ口惜しい…。ほんとに好きなドラ焼き一つ喰はず辛抱したんだ。浅草から逃げて来る時も五銭の西瓜一切喰べるのをこらへて来たんだ。あゝ口惜しい…」彼はわんわん泣き叫んだ。
(そして、取り調べのないまま 4 日目を迎える。)
俺は昔からエロガキだったから見たうちの7割くらいは覚えている自負がある
踏み切り待ちのJKがいた
電車がきて風が吹いてめくれた
短時間だったからJKはとくに気にしている感じもなく抑えることもしてなかった
興奮した
夏休み真っ青な空
駅から高校まで長い直線を歩くんだが、20m位先に女子部の先輩が歩いていた
その先輩のスカートの後ろが鞄でまくれあがっていた
パンツは水色だった
教えてあげればよかったのに学校つくまでずっと見てしまっていた
メンバーは俺の班
俺の班はそのとき奇跡的にクラスで1,3、番目にかわいい子がいっしょだった
体育倉庫は吹き抜けになっていてはしごでロフト的な場所にのぼることができる
俺は下で指示を出すふりをしながらその子の真下に陣取り、キュロットの隙間からのぞくパンツを堪能した
白だった
その子はガード固くて大抵キュロットだったけど、その鉄壁をやぶったと思って内心ほくそえんだ
小学4年生のとき、縦割りグループ活動で、自分の好きだった女の子と同じグループになった
その子の左ななめ前くらいにすわってたんだが、ふりむきざまにキュロットの隙間からパンツが見えた
先生の後ろについて歩いている途中にお尻に穴があいていたので教えてあげた
そしたら先生はキャッみないで~///といって片手で荷物を抱えながらもう片方の手で穴をおさえてた
純粋だった自分はなんでそんなに恥ずかしがってるのかわからなかった
小学6年生
大半の子がクォーターパンツになっていたときだったが、俺の好きな子はブルマのままだった
器械体操の自由時間で、体育館のステージから下のマットに飛び降りて何かやる、というのをやっていた
その子は水泳の飛び込みみたいな前屈姿勢になってなんかやっていた
俺はあわててその子の後ろに陣取った
つきだされたブルマ
俺と両想いだった子のスカートを、別の女子がめくって俺にみせつけた
俺は一瞬で目にやきつけてすぐ目をそらした
ちなみにその子は俺にすきすきいってくれてめっちゃかわいい子だったのに俺ははずかしがっていつも適当にごまかしていた
ぶんなぐってやりたい
上記の遊びの延長戦
男子が恥ずかしがりながら(実はうれしがりながら)逃げ回ってるとき、俺がこけて仰向けになった
そこでクラスで4番目くらいにかわいい子がスカートはいてるのに仁王立ちで俺の顔の真上にたった
俺はうわああああああとかいいながら内心ひゃっほううううううううって感じだった
学年でベスト10くらいに入る子がクラスにいたんだが、その子が体育座りしてるときにクォーターパンツの隙間から見えた
白だった
同級生で背が小さくて女子にかわいがられてるけどその実クソエロガキのやつがいたが、そいつはその子が昼休みにボールけり遊びをしているときに足をけりあげたときにパンツが見えたとにやにやしながら俺にいってきてむかついた
体育祭の練習中に、学年1,2を争う美人の子が近くに体育座りで座っていた
その子はモデル並みに足が細かったから、クォーターパンツの隙間からパンツが見えてしまっていた
白だった
今日はなんだか、気分が落ち着かない
午前中に家のことを終えて、午後は少し残っていた持ち帰り残業を片付けて、夕方から運動しながらアニメをみた
仕事が進んで良かったんだけど、あまりスッキリした感じがしない
夕食後は一人で呑んだ
大抵、呑んだら気分がパーっと明るくなって酔いが回っている間だけは楽になるんだけど今日はそれもあんまり感じなかった
どうしてだろう
ちょっと、仕事が行き詰まっている心配はあるけれど生活には概ね満足している
本読んでもそれほど楽しくない、ご飯は不味くないが美味しくない、アニメも面白くない
そっと気分が良くなるのをまつとするよ
明日は友人に誘われて遊びに行く
始めたのは13年の冬。
妻が身ごもり、仕事が少し落ち着き、格安win8タブレットが普及し始めた頃だった。
アーリーアダプターを中心に秋イベの地獄絵図は大いに盛り上がり、そのビックウェーブはクラスタが近い人々を遍く飲み込み、また揺るがした。
ソシャゲやブラゲと言った類は未経験。冬イベが簡単と見聞きしても、出来ることはイオナを使って2-4(序盤~中盤の山場)を突破するのが精々だったか。
調べれば調べるだけ出てくる熱量を持った情報にほだされ、私はどっぷりと嵌っていった。
所謂主力級キャラクターの平均lvが50を超えたころ、初めてのイベントがやってきた。
記憶が曖昧なまま書いているが、イベントと前後して、エクストラオペレーション(EO)が開放され、利根筑摩や神通が改二になった頃だ。
公式Twitterでイベントが告知され、私は初めての備蓄に挑んだ。
キラ付け、遠征、キラ付け、遠征。ネットに出回る戸愚呂提督の言葉を胸に、準備に勤しんだ。
ここであ号を達成する術を覚えた。
潜水艦の絶対数が足りなかったので、ろ号を達成したのはもう少しあとだったろうか。
そうこうして挑んだ初めてのイベント。
最高戦力はlv70~強、主力がlv60~といった所だった気がする。
あの時の充足感は物凄かった。
もともとゲームは好きで、格闘ゲームからRPG、アクション、ネトゲまでそこそこに楽しんでいた。
しかし、対人要素がなく、明確にクリアできたか出来ていないかでここまでやりごたえを感じることが出来たのはそう無かった様に思う。
実際、この頃にはゲームは艦これしかやっていなかったように思う。
以降、次のイベントを見据えた行動が増え、EOクリアによる勲章集め、レベリング、資材備蓄を並行して行っていった。
大型艦建造である。
大型艦建造は多分なコストと引き換えに一定確率で大和や大鳳と言ったレアかつ強力な艦娘が手に入るチャンスを得られるのだ。
だがその頃の私は、大和を手に入れるコストで他の艦娘を育成したほうが良いと判断し、大型艦建造には触れないでいたのである。
しかし、間もなく夏を迎えようとした6月頃だろうか、運営がTwitterで大和型二番艦武蔵を大型艦建造に追加する旨のアナウンスを行った。
私は常々武蔵が欲しいと思っていて、どんな形であれ、開放されれば何としてでも手に入れようと思っていた。
待ち望んでいた私は、メンテナンス終了後に即大型艦建造童貞を捨てた。
開発資材と資材をつぎ込み、所謂ガチャに類するものを回すこと6回。女神は舞い降りた。
悠然たる姿、少し低く落ち着いた声、そして圧倒的な装甲と火力。正しく私が望んでいた武蔵そのものであった。キャラクターは属性てんこ盛りだった。
幸い大型艦建造が6回で終わったため、資材への影響は大きくなかった。
そして迎えた14年夏イベント。AL/MI作戦。連合艦隊システム、悪名高き御札システムが導入されたイベントである。
クリアできたが、クリアするまでゲームに真剣に向き合いすぎて睡眠不足に陥り、私はめでたく父親になった。長期休暇は一瞬で過ぎ去っていった。休みなのに仕事より消耗した。
そしてその頃気づくのである。
自分がクリアできているところで苦しんでいる人が想像以上に多いことに。
私も相当ドツボにハマっているため偉そうなことは何一つ言えないのだが、ゲームを開始して半年、少なくともゲームがローンチしてから半年のビハインドは感じなくなっていた。
それから海域、任務、イベントはクリアすることが当たり前になっていった。
甲勲章システム(難易度任意選択システム)が導入されれば、全てを甲でクリアすることが当然と考え(別に誰かを煽るわけではなく、SNSに投稿するわけでなく)、時折ランカーを目指したりもした。
改修工厰が導入され、新たな任務が導入され、様々なシステムが追加されていった。それらを調べ、理解したつもりだった。
自己顕示欲を満たすため、演習艦としてドロップ艦を揃えるくらいはした。
そんな私に転機が訪れた。
このイベントの最大の目玉はクリア報酬としてアメリカ戦艦アイオワが手に入る事だった。
何としても手に入れたい、当然難易度は甲だ。そう思って私はイベントに臨んだ。
ステージは全7面、順調に進んでいたが、最終面になってその時は訪れた。新システムであった基地航空隊が全く機能しないのである。
(これはゲームを知っている人向けの補足になるが、バグや不具合に起因するものではなく、所謂ダメージの乱数で全く良い結果を引けなかった)
記念すべき3周年の大規模総力戦イベントを前に、資源はみるみる減っていった。あと一発が出れば、あと一発が出れば、と言う気持ちが強まっていき、そして考えてはいけない事が頭をよぎる。
"これはアタリを引くパチンコと一緒だ" "3回に1回の確率で成功するガチャを5回通すだけだ" "基地航空隊や連合艦隊システムでガチャを引く回数が増えた、冗長になった"そんな思いが頭を占めていった。
なんて事は無い、結局私は確率に溺れていて、自分の実力はあくまでも運が良かっただけなのだと否応なしに目の前に押し付けられつつあった。
20万以上あった資源が底を尽きかけていた。一度冷静になろうと思い、1週間備蓄に励み、燃料は10万近く回復させることが出来た。
時間ではなく気力がなくなりつつあったが、それでも最後の10万、吐き出してやろうと思った。
いよいよボスを追い詰め、大淀が連撃で仕留める(そんな記憶がある)、その筈だった。
大淀は連撃を出さなかったのだ。夜戦で一発、パスっと攻撃をミスってくれた。
その瞬間、私の中で、2年間柱にしていた何かが折れた。クリアして当たり前という前提は崩れ去った。
仕事もぼちぼちうまくやり、育児も並の父親くらいには出来ていて、ゲームも充実できている自分はワークライフバランスの組み立て方が上手、そんなちっぽけな優越感が全てぶっ飛んだ。
燃料残り2万。難易度を最低の丙に変更し、ボスを撃破。アイオワを手に入れた。
初めて甲勲章を取り逃した。気持ちは灰色を通し越して真っ黒に近かった。
そこからのイベントが甲で挑みさえすれ、堀り(新キャラ探しガチャの様なもの)もせず、淡々としたものになった。
ただ、良いか悪いか甲勲章は16春イベ以外は全て取ることができてはいた。
一方でモチベーションは上がらず、またじわりと仕事が忙しくなりつつあった。
アホかもしれないが、育てたキャラクターと別れるのが辛いのだ。
そのうち、私はゴールを探し始めた。このゲームにはサービス終了まで恐らくゴールはないだろう、それなら自分でゴールを描き、それを達成したら満足して引退しよう。
私は描いたゴールは以下である。
だ。
もはや義務になった艦これは仕事よりも遥かに大きな心理的負担になっていた。
16年には家族がもうひとり増えている。
仕事も育児もパツパツになり、艦これに割く時間は仕事が終わり、風呂に入り、リラックスして寝付く前の僅かな時間が中心となりつつあった。
ここでひとつ補足となるが、金銭的な意味で艦これは本当にお財布に優しいゲームだ。
この時点で3年程度プレイして、プレイ時間はゆうに1000時間を超えるだろうが、課金額は恐らく5万弱、どう多く見積もっても7万もいっていないはずだ。
言い換えればこのゲームは時間を食いさえすれば課金のウェイトは低いゲームデザインになっている。
友人たちがパズドラやグラブルに1月でウン万溶かしたと聞いた時はゾッとしてしまったことが少なからずある。
そして17年6月頃だろうか。由良改二が実装された頃、私は艦これにログインしなくなった。
未消化の任務は5ページを超えていた。
私の艦これは終わった。
艦これはChromeで、ウェブブラウズはFirefoxで。私はChromeを起動することが無くなった。
タスクバーに並ぶChromeアイコンを見るだけで、プライムビデオのおすすめに艦これアニメが並ぶだけで後ろめたい気持ちになった。
なんでゲームを辞めただけでなにか後ろ暗い気持ちにならなくちゃいけないのか。
そんなことを思いながら、艦これを忘れようと努めていた。努めているうちは駄目なのかもしれない、とも思っていた。
奇しくも、自分が引退する切掛となった16年春以来の大規模イベントが始まった。
twitterのホットワードには昔ほどではないが、艦これ関連のワードが並んだ。
今持っている甲勲章は9。
16年春の勲章を取り返したい。
そして勲章を10個並べてから引退しよう、もし今回全力でイベントに挑んで、それでも駄目ならそれもまた引退理由になる。
そう、一昨日の夜思った。
一ヶ月半ぶりのログイン。ゲームなのに緊張している自分が馬鹿みたいだった。
lvがカンスト寸前の武蔵や加賀が演習メンバーとして待機していた。
(運営twitterを確認したところ、lvキャップが開放され、北上もカンスト状態から開場されてしまったようだ)
キャラクターゲームとしてはこれ以上無い成功を収めている。事実、この夏のコミケでもやや減少傾向にあるが、膨大な数の艦これ同人誌が販売されている。
その本家本元のゲームがどうなっていくのか、それを見極めてやる。
自分の所属するクラスタで、艦これを今もプレイしているのは私だけになった。
今一度、やれるだけやってみよう。
本当に辞める人は、こんなとこにこんな長文を書きはしないだろう。
もう一度、自分が育てに育てたキャラクターとイライラするゲームに挑んでみよう。
最後に
やめるならかってにやめろ、こういうことを書くな、と言う人には申し訳ない。
まだやめてないので許して欲しい。
そしてもうひとつ、私の周辺だけでなく、全体としてアクティブユーザーは減りつつあるように思う。
勢いは緩やかに削がれつつある気がする。これはデータではなく、長年のプレーヤーの感覚としてだ。
攻略を求める声や掲示板での盛り上がりから、感覚として認識しているものだ。
このゲームは答えの記載がない、そして御札システムがあるかぎり、あまり多くのファジーを許さない。
このあたりも、今回本当に引退するかどうかと合わせて、見極めていきたいと思う。
私の働くコンビニに毎朝来るおばさんが変わっている。自転車に乗ってやってくるのだが前かごにいつも猫が乗っている。
灰色の猫で頭の上には大きな耳がなんだか賢そうに広がっている。
おばさんは自転車を止めると猫をかごに残したまま店内に入ってくる。
猫は小動物を散歩させるためのハーネスのようなものは一切をつけられていないが、逃げるでもなくかごの中でじっと座って待っている。
おばさんがレジに来るまでのあいだ私はいつも猫を観察している。たまに目が合うと嬉しい。
近くをハエでも通ったらじゃれるついでにかごから逃げ出してしまいそうだが今までそういったことはない。
猫以外は見た目も喋り方もまったく普通のおばさんで、そのときどきによってメロンパンだったり洗剤だったり単三電池だったりを買っていく。
そして店を出るとかごの中の猫をひとなでしてまた自転車で去っていく。
一端の会社に勤め、人間関係や自分のスキル、今後のキャリアに想いを馳せ、一丁前に愛すべき小さな悩み事達を抱えながらも、日々の仕事に追われあっという間に毎日が過ぎ去っていく。
ふと気付けば、こんな私がいつのまにやら一見何の変哲もない生活を送っている。よくもここまで辿り着いたなとたまに感慨に浸っては正気にもどる。私は特別だと思ってたけど、いやいや別にそんな大層な者じゃないよ、と。
思えば幼い時から、「みんなと同じ」を装うのに必死だった。身体的な性別に対する強烈な違和感を抱えながらも、他人は持たないであろう悩みをひたすら抑圧し、周囲の同性達に馴染む事に必死な日々だった。
今では懐かしい日々だけど、あの頃は本当に世界が灰色。楽しくない事を楽しんでいるふりをし、好きでない物を好きなふりをする、色の無い日々。毎日死のうと思ってた。
詳細は割愛するけど、紆余曲折を経て今は当時とは違う性別で人生を送っている。
割愛したけどその過程では色々な人達の、あまり他人に見せない側面に触れる事が出来た気がする。
以前と変わらない関係を続けられる人、離れていく人、突然自分の悩みを打ち明けてくる人、告白してきた元同性知人、親友になった元異性、等々。
そんな中でも、やっぱり昔と変わらず一人の人間として接してくれる数少ない友人達は大切にしたいなぁと思うと共に、手のひらを返すように私から離れていった人達の事を思い出す。
今の私しか知らない人達には過去の事は話していない。離れていってしまうのが怖い、ということもあるんだけど、いわゆるセクシャルマイノリティであるという事実は私の単なる一側面であって、私を表す代表的な面ではないから。敢えて言わなくてもいいでしょ、ってね。
最近、昔の私を知らない関係からスタートした、初めて心を許せる友達が出来た(と思ってる)。知り合ってから何年も経つけど、本当に何年も掛けて仲良くなった。お互い少しずつ距離を縮めながら、ようやくお互いの抱えてきた様々な事を話せるようになってきた。私も昔の事を話した。
特に心地よいのは距離感。お互いの事を深くは詮索しない。「話したかったらいくらでも聞くよ、でもあなたの全てを知らなくっても、もうあなたの事を信頼してるし、友達だよ」っていう感じの関係。
ある日、その友達のこれまでに壮絶な人生があったことを知った。私の人生なんてイージーモードじゃんかと思えるような、そんな昔話。
私が自分だけ特別ツラいって思い込んでいたのは、私が心の奥底を曝け出さないから他人も心を開かず、人の抱えてる様々な想いを軽視してたからだ。
分かってるつもりではいたんだけど、今私の前で笑ってるあの人が、これまでの人生ずっと幸せだったわけじゃないってのを、いい歳してようやく出来た友達に改めて気付かされた。
みんなそれぞれが苦しいし、楽しいし、悲しいし、普通だし、特別なのだ。
マイノリティ当事者だからこそつくづく思うんだけどもさ、女だからとか、男だからとか、LGBTの権利がとか、国籍がとか、身体の障害がとか、主張するのも、特別扱いするのやめてほしいと思っている。
個人は個人として誰に対しても、否定せず寛容な心を持って今よりちょっとだけ優しい気持ちで接するだけで、もっと楽に生きていけると思うんだよね。
ははは、わかってるよ、そんな簡単な話じゃないのは。
そんな大それた事を考えながら昔乗り越えた大きな困難を思い出したりもするけど、実際の私は今目の前にある小事でてんてこ舞いの日々。自分にとって自分はとても特別だけど、そこらにいる普通の一人の人間として頑張って生きています。
気付いてるかはわからないけど、みんなの近くにも多分いるよ、私みたいな人が。でも、もし気付いてもそこらにいる人間の一人として接してあげてほしいな。
TVのカタログとか見ると、「○○な黒」とか「HDR」とか「倍速液晶」とか何か色々書いてあるわけだが、
7,8年前のシャープの液晶TVから、画面サイズがほぼ同じの4Kレグザに買い替えたのに、違いを全然感じない。
もちろん、2つ並べて見比べれば違いは分かるんだろうけど、それって見比べなければ違いは「全く」ないんじゃないかと思ったんで、ちょっと書く。
人間の目が(というか脳が)、見たものをそのまま認識するわけではないのは、よく知られた話だ。
近年だと「The Dress」という、見た人によって色が違って認識される画像が話題になったが、
脳は目から入った電磁波を錐体細胞と桿体細胞で感知した後、特徴毎に分解・フィルタリングして、周囲との情報と比較照合して「こうである」という認識を構築しているらしい。
The Dressで言えば、
となるわけで、必ず脳によるフィルタリングを通して物を認識している事になる。
このフィルタリング機能は非常に強力で、例えば「視界が逆さまに見えるメガネ」をかけて生活した所、最初は当然逆さまに見えていたが、そのうち上下正しく見えるようになったという実験もある。
で、このフィルタリングがどういう特徴を持っているかというと、カクテルパーティ効果に見られるように、「余計な情報を捨てて、その先にあるフォーカスしている情報を抽出する」という特徴を持っているようなのだ。
例えば自転車での走行時に路面のコンディション・ザラザラ感や凹凸を全身で感じるが、これは実際に感じているのは自転車のハンドルやサドル・ペダルの振動であり、地面そのものの感触ではない。
乗っている自転車を変えれば、当然その自転車の特徴によって地面から伝わる振動の状況は変わるが、それでも我々は地面の状態が変わったとは感じない。
自転車という媒介物を内面化して認識の対象から外し、その先にある地面の情報を抽出して認識するからだ。
TVの話に戻すと、2台のTVを並べて比較すれば、確かに違いは分かるだろう。
片や荒く色彩も不鮮明で、片や詳細で色鮮やかなのだろう。
だが、それは「2つの画像の違い」にフォーカスするから抽出できることなのではないのか。
1台だけのTVを目の前に置き、そこに映る映像に注目すれば、脳のフィルタリング機能はTVの特徴を内面化して認識外に置き、映っている映像から抽出した特徴から認識を構築するだろう。
となった時に、脳によるフィルタリング機能が高性能なのか低性能なのか、とにかく「目が肥え」てしまっていれば、「認識A」と「認識B」は別物となり、「やっぱ新TVは良いな」という感想になるだろう。
しかしフィルタリング機能が低性能なのか高性能なのか、とにかく2つの映像の違いを吸収するほど強力だった場合、「本当の黒」だろうが「実は灰色」だろうが余計な情報として捨て去り、その先にある「黒」を認識するだろう。
その場合、「認識A」と「認識B」は同一となり、そこに体験の違いは生じない。
「この黒はできそこないだ見れないよ。明日本当の黒を見せてあげますよ」と言われても、それ単にアンタの目が肥えてしまって、余計な情報をいっぱい認識するようになってしまったというだけではないかという話で、
今思うとただの生理不順だったわけだが。
想像妊娠には理由があって、私の場合は妊娠はしてはいけない状況下にいて、心配するあまり発症。
避妊はしたけど失敗したのでは?と相手に対して懐疑的になってしまっていたのだ。
記事を書こうと思ったのは、
と思ったからだ。
一時的にだったけど、明らかに人が変わっていた。ここまで追い詰められるのは稀かもしれないけど。
ちなみに、身体にでる症状はこんな感じだった。
・軽度の吐き気
・頭痛
・お腹がゆるい
・食後の貧血
妊娠初期と生理不順は見分けがつきにくいほど初期症状が似ている。
そして、精神的にやられて出た行動がひどい。
・時間の使い方が変わった
ブラウザは『妊娠 兆候』みたいなページで占領されていったのだ。
周りにも相談できなかったので、たくさんの記事を見ては一喜一憂した。
相手に相談したけど、失敗してるはずないよ、の一点張りに近かった。
人が変わっていた私は、かなりイラッとしてしまった。少しくらい心配しろよ!とかざけんな!とも思ったし、ちょっと嫌いにもなった笑
・何にも集中できず、涙が止まらない
仕事をしていても、ふとそれを思い出すと泣きそうになった。
MTG中もそれを思い出しては話が遮られて入ってこない。
会社の人とお昼に行っても、自分のような汚れた人間(おろす可能性が高いし、一部ネットで中絶は殺人者とも呼ばれている)と一緒に食事させていると思うと申し訳なくなって、すごくつらかった。
・手術を想像して泣く
中絶により不妊のリスクが上がることが予想されるので、本当に赤ちゃんが欲しいときにできなくなるって思った。すべてが自業自得だと思ってさらに泣く、の繰り返しだった。
夜も考えすぎてわんわん泣いた。泣きつかれて寝る日々だった。
とくに、自分で全部しなければならないところに大きなな負担を感じていた。
でも、お金もそんなにある訳じゃない。
相手の経済力は頼れないことがわかっているのでなおさら泣けた。
中絶は保険ももちろん適用外だし、そもそも使うと周りにバレる。
・頭のなかで親に謝罪した
親にはもちろん言えなくて、心でバカな娘で本当にごめんなさいと何度も何度も謝った。しばらく実家に帰れない……と思った
生きてる方がこの先辛いんじゃないかと思えてきて、電車を見ては頭に死がよぎるのだった。
・Twitterやはてなで『生理 こない』とか『妊娠検査薬』で検索する
男が『生理こない』って書いてて殴りたくなった
でも、同じような悩みを抱えている女性が結構いることがわかって、ちょっと上の感情とか落ち着かせることができた
結局そんなこんなで一週間半くらい鬱まじりの想像妊娠を経験した。
なんて幸せなんだろう、と思った。
生理の痛みすらありがたくて拝みたくなるくらいだった。
急な仕様変更も友達の完全アウトな相談もすべてを受け入れられた。
ひとつだけ変わったことといえば、相手には可哀想だけどセックスは産めるまで避妊ありでもNGにしたことぐらい。
想像妊娠、ネタとかでバカにされがちだけど、本当につらいから、リスクがある人はちゃんと認知しておいてほしい。
妊娠できないくせに避妊してないような人とか信じられないけど、一時の快楽のために彼女を月一で苦しめているかもしれないので、大切であればちゃんと考えてあげてほしい。
交通事故を起こしたら契約している保険会社に一番最初に連絡することが最も正しい知識であるように、
iPhone紛失時に「iPhoneを探す」に関して知っておかなければ後々後悔する知識があります
「iPhoneを探す」とは簡単に説明だけすると、手元にあるパソコンや友人/パートナーのスマフォなどで指定のiPhoneを探すことが出来る機能です
実際には「iPhoneを探す」から失くしたiPhoneで使用しているapple IDでログインすると、そのアカウントに紐付いたデバイスがすべて表示されます
失くしたiPhoneがオンラインの場合(ネットにつながる状態)、マップ上に緑色の○アイコンで現在地が表示されます
iPhone現在地にあたる緑の○アイコンをクリックするとアクションとゆう項目が出てきます
アクションはそれぞれ
通常こういった事態に直面する方は「iPhoneを探す」を使うことが初めてのはずです
当然こういったアクションを見るのもはじめてでしょう
場所がわかったのだからすぐにこれらのアクション、とくにiPhoneを紛失時モードを実行したくなりますよね?
しかしこれら3つのアクションのうち特に前2つは行ってはいけません
大事なことです
緑色の○アイコンが出ている状態かつ、あたな自身がその○アイコンの近くにいない場合、絶対にこの2つのアクションを行わないでください
理由は明白です
もし仮にあなたが自宅に帰ってきてiPhoneをなくしたことに気づき「iPhoneを探す」で1km先のスーパーマーケットに無事iPhoneの存在を確認出来たとしましょう
あなたはそのiPhoneがどのような状態にあるかまでは把握できません
スーパーマーケットの前の縁石に落としてしまったのかもしれない
こうした状況でアクションを実行したらなにがおこるか?
何食わぬ顔で手にした第三者は持ち主がこのiPhoneを追跡していることを知ることができます
それ故第三者はある方法でiPhoneをオフラインにします。(ここでは方法を書きません。しかしiPhoneを使いこなしてる人なら知ってることです)
そうすることで「iPhoneを探す」はもうこのiPhoneを追うことができなくなります
また縁石にあったiPhoneはけたたましい音をならしたことで悪意ある第三者を呼び寄せるかもしれません
ここにiPhoneがあるんだよと知らせることは、ここに砂金があると知らせるようなものです
そして前者と同様にiPhoneは持ち去られてしまうことでしょう。オフラインにされた後に・・・
「iPhoneを探す」で緑の○アイコンから現在地を知れたなら
そしてそこに着いてはじめてあなたはiPhoneを紛失時モードににするなり、アラートを鳴らすなりをするのです
だれにも拾われていないiPhoneならあなたの手元にそれはすんなり戻るでしょう
そして第三者の手元にある場合はけたたましくなる音によって場所をより特定することが出来ます
第三者がそのまま持っていってしまおうと思ってオフラインにするのを目撃出来る確率はぐんとあがります
いいですかくれぐれもこれらを守って下さい
そしてこれをまわりに周知してください
私のように自宅で確認して緑色の○アイコンだったからとすぐさま紛失時モードにしてアラートを鳴らせば
その途端にマップ上にあるiPhoneは灰色の○アイコン、即ちオフラインにされたあげく
もう二度とiPhoneを追うことができなくなるとゆうことを避けて下さい
いまでも私はアジアのどこかで分解されパーツごとに売り飛ばされた、私の手元に確かにあったiPhone7に思いをはせるのです
コメントをたくさんいただいたようで
あくまで「iPhoneを探す」を使う段階になった話だと思って下さい
私のケースでは失くしたのを気付いた段階で電話を鳴らす→家にないので「iPhoneを探す」を使用
オンライン時では普段よく通る「とある施設」にあることが確認出来ました
失くした場所はタクシーを乗った場所だとわかっていたのですが、そこからちょっと離れた場所に移動していたんですね、
それで誰かの手に渡っていたのはわかったんですが・・・
上記のようなケースを想定していなかったため紛失時モードとアラートを鳴らして、結果戻らぬ携帯となりました
ちなみにオフラインになった直後、複数人で現場に向かって「とある施設」のフロントの方にたずねたのですが、
そのような紛失物はなかったとのことでした
交番で遺失届を出してその日は何も出来ないくらい落ち込みました・・・
みなさんも気をつけてくださいね!
父が鷹狩に行こうというので興味をもった私はほいほいとついていった。
行ったところはとある国定公園の山林で、とんでもない山奥だった。
ここで鷹狩をするという。
そのうち、目の前の古木の松に鷹がやってきた。
父が言うにはオオタカだという。
「3ヵ月前から狙っていた」と父は嬉しそうに言った。
しばらくすると父は山林従事者が枝打ちをする時につかうという
灰色の革手袋をつけ、はしごを松の木にかけ、おもむろに登り始めた。
そこの巣にひながいることはわたしにもわかった。
父は動ぜず木にのぼりきり、巣にいたひなを二匹捕まえするすると降りてもどってきた。
「労せず捉えられたな」父が誇らしげに言った。
フクロウ話の元増田だが、あれからしばらく鳴き声を楽しませてくれたフクロウがある日を境に居なくなってしまった。君が居なくなってから、僕は灰色の日々を過ごしている。いったい、突然現れて人の気を引いておいて挨拶もなく去るとかあんまりな仕打ちではないのか。君の事は色々調べた。人間はアオバズクと呼んでいるらしい。だがそんなことはどうでもいい。一般的な情報など何の救いにもならない。友人は「フクロウカフェに行けば会えるよ」と笑うが、そういう問題ではない。リトアニアからきた留学生アンジェリーナに恋をして祖国に帰られて傷心している学生に「ロシアンパブに行けば会えるよ」ってアドバイスする近所のおっさんみたいな雑な対応はやめて頂きたい。
君は既に相手を見つけてしまったのかもしれない。それならば幸せを祈ろう。でももし、狩場を探して転々としているだけであるなら、せめて週一回でもいい。あの森に戻ってほしい。声を聞かせてほしい。もし君がまたこちらに来てくれるなら、その時はホウ数アップも考慮する。野生の君の声が聞きたい。ぜひ前向きな検討をお願いする。