はてなキーワード: 楽器とは
増田は昇降禁止お姉さんみたいなものです。(正しくはお姉さんを指示してた人)
何十回と使っててコンクール中はチーフとして動いたり、舞台装置動かせてもらえてたくらい慣れ親しんでいる場所なので、興奮しました。
(もう違うので書ける)
尼崎にあるアルカイックホールと呼ばれる会場が舞台(数年前名称変わってたな)
外観はサイトで見ていただいて分かるとおり、アニメは忠実に再現。
吹奏楽コンクール期間中はあそこが楽器置場として使われる。(繋がっている。聖地巡礼は難しいかと)
バスが止まってたところはホテル側だろうか。ホールの駐車場は屋根の下なので明るくないし広くない。
素晴らしかったのはホール内。(聖地巡礼したかったら吹奏楽するか芸能人になる)
下足箱が完全再現。大量の緑のスリッパに、並んだローファー。妙な狭さ。
コンクール仕様に整備された地下のリハーサル室。緑のシート。赤いカーテン(確か鏡だったかな)
楽器を出し入れしてた場所は中の声聞こえるんだろうか?まぁいいや。
ただ待機場所であんなにばらけさせてはもらえない(奥の方で整列して静かにしないと怒られる)
テレビを見ているのは舞台上に学校名などをアナウンスする女性。(あとくそ忙しいのにサボってるスタッフ)
あのでこぼこした反響板が一気に動くので、曲終了少し前にはあの裏に居たら超怒られる(頭打って死ぬから。あのホールで唯一気を付けないといけない場所)
あのホールの素晴らしさは客席の壁が何故か煉瓦張りなところと、凸凹の反響板。
書き込み完璧だった。あの反響板が関西でも音響最高と言われるホールを作り出している。(「音響家が選ぶ優良ホール100選」にも選ばれている)
ライトも完璧。実際舞台上から見たコンクール仕様で設置された景色。
あのホールはよく目に見えないレベルの埃とライトでキラキラするので、演奏家になると実際に久美子が見ていた指揮者だけが浮かぶ幻想的な景色が見れる。
客席もなにもかも、そっくりそのまま。
全く気にならないけど一応現実と違う点を言うと、会場スタッフはもっと多い。
地元のボランティアの吹奏楽部の学生、OBが楽器を運び、舞台設置をして、案内をしている。
コンクールメンバーに選ばれなかった生徒たちが待機するのは上手側(アニメは下手側だったかな?)
なのでアニメの倍は人が居る。
リアルを追及すると、あの裏には緊張による過呼吸などで倒れている学生が居たりする。
あとこのアニメには色々ツッコミどころはあるんだけど…………(コーチ少ないとかレッスンしてないとか赤リボンでコンクールには出ないとか)
それでもリアリティが凄い!内部のドロドロや、一人楽器に向き合うからこそ起こる友人との共依存関係。
増田の下の学年も同じ中学から大量にきて、ある時一気に辞めたので、胃が痛い!
胃が痛くなりながら見ている!
このアニメが夢の全国大会に連れて行ってくれるのかなぁと期待しています。
リアルすぎて、いろいろ思い出して、5話は泣いちゃったよお姉さん。
別れたっていうかこれから別れるというか、私の部屋にはまだ彼の荷物(楽器)があるから取りに来てもらわないといけない。
1年くらい付き合っていたけれど結局何も分からなくなってメンタルもやられてボロボロになった。
私は29歳で彼はひとつ歳下。
彼が定職に就いていないことや、私もフリーで仕事していて不安定でふわふわしていて、お互いに将来が見えないという問題もあったけれど、結婚願望が特にない私にとってそれは別に問題じゃなかった。
一緒にいられて楽しければ、とりあえずはそれで良かった。
彼はセックスの時アナルを触るのも触られるのも好きで(ちなみにアナルセックスはしてない)、「オナニーする時何見るの?」ってふざけて聞いても絶対に教えてくれなくて「墓場まで持っていく」って話していたから、何か特殊な性癖があるんだろうとは思っていた。
付き合い始めてから4ヵ月めくらい、彼の部屋にひとりでいる時に調べ物をしたくてPCを借りたくて、それまでにもネット検索するくらいなら貸してくれたから、軽い気持ちでPCを開いた。PWは掛かっていないし。
彼はいつもsafariを使ってるのに、その時はfirefoxが立ち上がっていて、開いてるタブが全部ニューハーフとか女装とか男の娘もののアダルトサイトだった。
結構な衝撃を受けてすぐPCを閉じたと同時に、「なるほど、これか」と納得して、見なかったことにしようと決めた。
それからわりとすぐ後だっと思う、家から近いドンキにふたりで買い物に行った時にアダルトコーナーに入って、彼が私のアナルにディルドを入れたいって言い出したので、私も興味を唆られてアナル用のディルドを購入した。
それを使って何度かセックスしてるうちに、彼が普段からディルドを使って前立腺オナニーしていることが分かった。確かに私用に買ったディルドは彼には余裕で入った。
嫌な予感がしてきていた。
でも、他人の性癖を否定するような人間でありたくないという私自身の理想から、彼の性癖になるべく付き合おうとがんばっていた。
それなりのカップルらしく普通に喧嘩したり、私がもともとメンヘラだから突然死にたいとか言って迷惑掛けたりもしながら、なんとか関係を続けていた。
PCを見たことは言わないままでいた。
ある夜一緒に眠っている時に彼のスマホが鳴って、LINEの通知が出ていたのでチラ見したら、制服を着た女の子のアイコンだった。
なにこれって思って内容を見てしまったところ(その当時はスマホにもPWを掛けていなかった)、出会い系サイトか掲示板か、そういうので連絡先を交換したっぽかった。
会う約束をしていたので、なんでネットで女子高生と知り合って会おうとしているのか問い詰めた。
彼曰く、「性癖は性癖で別、ちゃんと○○(私)が好き。ニューハーフの子と会おうとしたのは、○○との関係が上手くいかないことを相談しやすそうだったから」とのこと。
納得したふりをするしかなかった。
でも私は確実におかしくなっていったと思う。
彼は結局そのニューハーフの子とは会わなかったと思うけれど、私はそこから彼のスマホを覗き見るようになった。
私に悪い部分が多くあるのは認めるけれど、彼はいつも彼の友人に私の悪口を言っていて、でも会うと好きだと言ってくれて、メンヘラ特有の無理な要求にも応えてくれて、何度も別れ話になった。
先々月、一度距離を置こうと彼が言い出して、私も了承したのに、2日足らずで「やっぱり会いたい」と言われたことがあった。
後で彼のスマホを見たら、ゲイ専用掲示板というところで約束をした人と会った後だったみたい。
ゲイの人と会って、何か上手くいかなくて嫌なことがあったから、私のところに戻ってきたんだ、と今も思っている。
先月、彼の部屋で喧嘩になり、彼が私を置いてひとりで出ていった時に、またPCを見た。
「女装 アプリ 出会い」、「掘られたい デビュー」、「性転換したい」、「性転換 28歳」
などに完全にやられた。
そこから記憶が無いのだけれど、彼の愛用ディルドをライターで燃やしたりハサミで切ったり、私がプレゼントしたものを壊したり、グラスを割ったり部屋をぐちゃぐちゃにしていた。
何を思ったのか、閲覧履歴の一部を、自分のスマホカメラで撮っていた。
帰ってきた彼にめちゃくちゃ怒られて、めちゃくちゃ謝って、その時は許してもらった。
でも先週、LINEで彼からイラっとする内容が送られてきた時に、酔っていたのもあって、私は全部知ってるんだからね、という気持ちで、スマホに残していた閲覧履歴の写真を彼に送信してしまった。
そこから数日、お互いに何も連絡しなくて、昨日「荷物を取りに来て」とだけ連絡した。
これを書いている今、返信が来て、2週間後くらいに取りに来るらしい。
この数日でだいぶ気持ちは落ち着いてきている。
お互いにとって、もっと早くに離れていた方が良かったのだと思う。
さっさと別れてしまえば良かったのに、どうしてこんなに執着してしまったのか、よく分からない。
彼は私だけが好きだと言ってくれたけれど信じられなかった。
大事にしてもらっていると感じられることは沢山あった。
本当に好きだったと思うし今も好きだと思う。
でも大切にできなかった。
2週間後に会う時は冷静でいられるだろうか。
長尺を使って描かれた関西大会における北宇治の演奏。凄すぎて凄い以外の語彙を失ってしまった感はあるのだが、いくつか思ったこともあるのでそれを書きつけておく。
そしてそれは府大会と関西大会の演奏の違いであり、結論を先述べしておくと、
の二つが論点になる。
端的にいえばみぞれと希美の確執および和解にまつわるエトセトラがそれ、ということになるのだが、最も説明しやすいのが麗奈のソロパートなのでそこに触れる。
http://www.nicovideo.jp/watch/sm29961964
上記は府大会と関西大会の演奏シーンを並べた動画だ。見てもらえれば判る通り府大会では香織の表情を映してるのに対し、関西大会ではトランペットのソロを下支えする久美子と彼女が幻視した大吉山でのシーンが描かれている。
府大会は直前にトランペットのソロを麗奈が吹くか香織が吹くかで揉め、再オーディションをする事態にまで発展した。「三年間やってきたんだもん、最後は吹きたい」という香織の想い。彼女を慕う優子の想い。しかし麗奈はそれらを音でねじ伏せ、ソロパートの奏者となった。コンクールにおける当該シーンでは、その音を聞きながら最初はうつむき、そして最後には“納得”したように微笑む香織が描かれる。つまり麗奈のソロパートは、香織の心の決着の場でもあった。
関西大会はそうじゃない。今度は麗奈の音に久美子の回想が乗る。なぜ久美子かというと演奏の直前に「私も久美子のために吹こうかな」と麗奈が言い出したことによる。「みぞれ、ソロがんばってね」「わたし希美のために吹く」というみぞれと希美のやりとりを見てそう口走ったのだ。
『ユーフォ2』#1-4は言うまでもなくみぞれと希美のお話がメインだった。その中のひとつの切り口に、誰のために何のために吹くのかというのがあった。みぞれは「楽器だけがあたしと希美をつなぐもの」だから吹いていた。片や麗奈は「考えたことない。……強いて言うなら自分のため、かな」と答える。そんな麗奈も、みぞれ希美のコンテクストを受けて、「久美子のために吹」くという形でソロパートに臨んだ。
ここでとても面白いのは、麗奈のソロパートを下支えしてるのはユーフォニアムという点だ。府大会ではシーンに登場したファゴットがここでは描写されず、それによって久美子の下支えが、その低音が強調されている。そうして絡み合い一体化していくふたつの音。それは大吉山での“愛の告白”の回想へとつながっていく。あまりに、あまりに美しい光景だ。
正直いちばんうなったのはこれ。音による裏打ち。
ぜひ府大会と関西大会の演奏の音を聴き比べてほしい。みんな本当に上手くなっているので。……と言いつつ、当方の耳は非常にボンクラ(部長の声を「はやみん? いや……能登かわいいよ能登?」などと言って周りに白い目で見られてしまうレベル)で、合奏はその違いがよく判らなかった。なので麗奈のソロパートを聴き比べてみた。ここはその差が如実に判った。それぐらい違った。
たとえばソロパートの始まりの「ぷぁー」という音。府大会は出だしのこれが鈍重かつか細いのだ。例えるなら冬の海。冷たく重い海水から頭を浮かすことができず潜ることを余儀なくされたような、重力を含んだ音。メロディの終わりも唐突で、次の音も焦ったように早く始まって伸びや豊穣さが感じられない。対する関西大会はどうだろうか。こちらは非常に伸びやかで、春の海のような、その上を軽やかに滑るような明るさがあるのだ。音の終わりもビブラートを利かせて情感がたっぷりこめられており、次の音への繋がりもとても心地よい。聴き比べてみると驚くほど違いがあったのだ(これは大げさでもなんでもなく、実際そうなのでぜひ聴き比べてみてほしい)。
続く「ぱーらりらりらー」も関西大会では楽しげに舞い上がるような音になっている。まるで夏の夜、意中の相手との初めてのデートに浮足立つ少女を想わせるような。その(久美子を想って吹かれた)つやっぽい音色を聴いて、久美子が大吉山での出来事を思い出すのは無理ないことというか、音それ自体が、その時のことを語りだすかのようですらある(府大会の当該シーンに、そういった抑揚はない)。
これは、臨時講師の橋本が言っていた「君たちの演奏は(中略)表現力が足りない」というコンテクストにも乗っている。みぞれのオーボエに対して「もっと感情だせない?」という話から始まったこれは、どんどん上手くなっている北宇治に大きく欠けているものだった。みんな練習や、みぞれに関しては希美との和解によって「表現力」を獲得していくが、麗奈のそれは、半ば冗談めかして言った「私も久美子のために吹こうかな」により久美子が夏の大吉山を思い出すような艶めかしい表現につながっていき、そして何より音がしっかりとそれを裏打ちしていた。『ユーフォ』は本っっっっっっ当に芸が細かい。
傘木希美は現在フルートパートを担当する三年を凌ぐ実力の持ち主で、南中では吹部の部長を務めていた。南中での最後の府大会でまさかの銀賞と涙を呑み、高校に入ったら絶対に金賞を取ろうとみぞれたちと誓い合っていた。しかし今は卒業してしまった去年の三年との確執によって退部を余儀なくされてしまう。みぞれとの和解を経てサポートメンバーとして部に復帰し、じっさい献身的にみぞれやAメンバーを支えている。
しかし、だ。希美はもともと辞めたくて部を辞めたわけじゃない。フルートが好きで、金賞を取りたいという目標もあった。フルートパートを担当する奏者は自分より明らかに劣っている。おくびにも出さないけど、奏者として吹けないことが悔しくてたまらなかったはずである。
それが、「わたし希美のために吹く」というみぞれのオーボエソロのときに初めて顔に出る。
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舞台から、みぞれのオーボエソロから背を向け、笑みを浮かべず、中空を見つめる希美。
府大会のオーボエソロには「きゅーん!」となったにも関わらず、希美への感情が乗って表現力の増した関西大会のそれにはそうならないのだ。
ここから一貫してみぞれは舞台に対して背を向け続ける。サポートメンバーはみな舞台を覗き込んだりしながらAメンバーたちの演奏が無事に終わることを祈っている。しかし希美がその輪に加わることはない。
https://i.gyazo.com/df1f0bac8c9ab5c3824e7d9738ff6157.png
https://i.gyazo.com/814767fa1286d18a63ec9d61f5171438.png
それぞれ演奏終了直前、全国大会進出が決まった直後の表情。特に最後の表情は、周りと違って手放しで喜んでいる様子はない。良かったとは思っている、でも自分がそこに居ないのは悔しい。
少ないカット、一瞬の表情。しかしそうやって希美の感情がフィルムに乗ることで、関西大会の演奏がより豊かになる。そして希美の悔しさは、来年のコンクールにつながっていくことだろう。コンテクストがまたひとつ積み上げられ、『ユーフォ』の世界が豊穣になっていく。
関西大会を終えた今になって一期の#13、府大会の演奏直前のあすかと久美子のやりとりを見返すと、あすかの曰く言い難い表情に、その胸の裡の複雑さを思わせられる。
「なんか、ちょっとさみしくない? あんなに楽しかった時間が終わっちゃうんだよ? ずっとこのまま夏が続けばいいのに」
「なに言ってるんですか。今日が最後じゃないですよ。わたしたちは全国に行くんですから」
「そうだったね。そういえば、それが目標だった」
久美子のまっすぐな瞳から虚をつかれたように視線を外すあすか。そして眉尻をわずかに下げ、とても複雑な笑みを浮かべるのだ。
これは関西大会直前の「私はここで負けたくない。関西に来られて良かった、で終わりにしたくない。ここまで来た以上、なんとしてでも次に進んで北宇治の音を全国に響かせたい」と部員たちの前で宣言するあすかにつながってくる。
あすかは、あるいは部の誰よりコンクールにかける想いを持っているのかもしれない。これからそれは明らかになっていくことだろう。そのあすかのコンテクスを踏まえた全国大会の映像、それが今から楽しみでならない。
ピコピコ音とかが好きっていうのもあるけど演出?っていったらいいのかな?
バックサウンドの装飾の選択肢がロックとかクラシックとかより圧倒的に自由度あるじゃない?
もう使えるやつは何でも編集して使っちまえ感がすごい、音の宝石箱やぁ~!!!
とにかく新しい曲は聴いてて次は何が待っているんだろうかとワクワク感がすごい
邪道とか何とか言われるかもしれないが、そこだけは譲らないプレイヤーとしての真剣さが伝わってくる
クソアーティストが作るネタ系のヒップホップみたいに斜に構えてティーンズにウケ狙いのような曲もテクノやニューウェイブにもあるかもしれないけど
基本的にそういうのはこのジャンルでは売れないかちょっとヒットして時期が過ぎると終わりで長期的に売れないので主流じゃない
アドレナリンが出て興奮しているのが分かる
それに比べてフォークソングとかクラシックとかはもう前後の曲調が分かりすぎていて
どれだけ音が綺麗だとしても全く感動がない、全部予定調和の中に納まってる
「え!え!え!そこそうなっちゃうの?う、うおお…うおお…俺をどこに連れていくつもりだ…」みたいな感想には絶対ならない
綺麗かもしれないけどそこに感動がない、未知の体験がもはやそこにはない
ジャズとかカッコつけていて動きが激しいのかと思ったら単にテンポが速いだけで他はド安定の曲調だった
アレはまるで冒険性がなかった、ダンスの練習したおっさんが忘年会でダンス披露するくらいの冒険
クラシックでも同じような感動を味わえればいいんだけど自分からテンポをぶっ壊したりできないし
音源にしたって使える楽器は限られてるだろうから独自性を出すのとか難しいんだろうなと思う
だってこれらのジャンルの曲の目指すところって期待の上を行くとかじゃなくて「上手く演奏する」でしょ?
昔は音楽ってだけで無条件で楽しませていたかもしれないけど今は音楽なんてそこらへんにあるしいくらでも上手い演奏を何回でも再生できるわけで
文化的にも小奇麗にまとまるのを目指すから何かいかに正確に演奏できるかの名人勝負としか見れない
というか複数の奏者からの多重奏で作る音の厚みが強みだって分かってんなら奏者100名規模でのコンサートとかも企画したらいいのに
もちろんライブのような体全体での体感型アミューズメント空間のコンテンツ的価値は認めるけどあれにしたって上手い演奏を聴きに来ているのとはまた違うわけで
人工知能学会の表紙、碧志摩メグ、のうりんポスター、くまてつ、駅乃みちかと続く一連の騒動を経てもなぜオタクは「萌え絵は無害な存在だ」と主張し続けるのか。
むしろ一連の騒動で、萌え絵が有害であることが明らかになったではないか。
具体的には、特定の人たちに対してただ萌え絵を見せるだけでも、理性を失わせ、過度に攻撃的になり、わけのわからないことを主張するように追い込む効果があることが明らかになった。
このような萌え絵に伴う有害性に対して何らかの対策が取られるべきではないか。
(※言っておくが、萌え絵を規制するべきだと言っているわけではない)
萌え絵を見たら理性を失うカブトムシさんや楽器男根おじさんのような人に強制的に治療を受けさせたりするような対策が必要というのが元増田の意図です。
もう一生彼女できないんじゃね?と32のときに気付いちゃって、
それ以来なんかミソジニーこじらせてTwitterでアンチフェミの人とかフォローしてキャッキャッ\(^o^)/したり、
ちょっと前まで増田でも色々と女性嫌悪丸出しのエントリ投稿しまくってたんだけど
先日親類のオバサンが職場で30くらいの未婚女性がいるから一度会ってみないって言われて、
オバサンの顔を立てるつもりで会ってみたら、相手女性が俺と同じ楽器の趣味があることが判明して
色々あって付き合うことになった。もち結婚前提で。
30といっても見た目は結構若いし、俺好みの薄い顔立ち(黒木華似)だし、
ホントホント、ホントに彼女になってくれて嬉しい。絶対大切にする。マジでガチで。
つか、俺自体は何も変わってないのに、彼女できちゃったじゃん。
高脳恋愛マスターはてな民の皆様、色んな罵詈雑言もといアドバイスを頂きましたが、見事に役に立ちませんでした。
相変わらず髪はプラージュで刈ってます\(^o^)/全身ユニクロ\(^o^)/
俺って一言でいえば低身長な松尾諭っすよ\(^o^)/ボトルドン
ヴィジュアルロック=「社会を否定するため、あらゆるメッセージを拒否(現実からの逃避)」
ということで、形は違えど「社会的な影響を受け、それに反発するためのムーブメント」だったように思うのです。
以下、もう少し詳しく。
まずパンクロックがなんぞやというと、60年代後半から80年代に入るまでにかけてのイギリスの経済停滞による社会の鬱屈感と、同時期に複雑化しすぎたロックミュージック、両方への反発として生まれた若者中心のカウンターカルチャーの亜種であり、それまでに流行していたファッションに対しても反発する個性的なスタイルをとっていたことも特徴のひとつ。
対してヴィジュアル系は、特に社会に対するメッセージなどはなかったが、歌舞伎役者ばりの白塗り&奇抜なメイク、カラフルな頭髪、中世の雰囲気を取り入れたり、ハードロックのバンドマンが着ているものを参考に、さらに派手に彩った衣装などとにかく凝った外見と各々独自の世界観をもつことが特徴であり、音楽性については特に定まった様式はなかった。(強いて言えばバンドサウンドが基本にあり、ハードロックをベースとしているというのが共通項かもしれない)
で、ここから本論なんだけど、ヴィジュアル系には「メッセージ、主義、主張」ってのは一切なかった。(一部例外を除く)
あるのは、自分たちのビジュアルはこうだ!っていう世界観だけ。
これって実は、
メッセージを全く持たないものを信仰する=メッセージを押し付けようとする社会を全否定する=パンク的
当時の社会情勢としては、まず80年代後半にX JAPANが登場。時はバブル絶頂期。景気の良さも手伝ってか沢山のフォロワーが誕生する。(ちなみにヴィジュアル系の起こり自体は70年代後半までさかのぼれるが割愛。)
次に90年代に入りバブル崩壊。この時点でも世の中はそこまで暗い雰囲気でもなく、ヴィジュアル系は徐々にその勢力を大きくする。後に成功するバンドたちはこのあたりで結成されたケースが多い。
そして90年代中盤。いわずもがな、就職氷河期のスタート。不景気による世の中の停滞、鬱屈した雰囲気から逃れたくて、若者は縋るものを求めた。そこに、今までの価値観と全く異なるものを体現したカルチャーが表舞台に現れた。それがヴィジュアル系だった。メジャーにも多くのヴィジュアル系バンドが台頭し、大きなブームになった。それに伴い一層先鋭化した個性的なバンドが現れたりもした。が、所詮は一過性のブームであり、そう長くは続かなかった。
90年代後半。勝ち残ったバンドは僅かだった。そしてその代表格であるのがGLAY。だがこのGLAYこそ、じつは本当の意味でのヴィジュアル系ではないと筆者は考える。なぜか。彼らは「メッセージをもったバンド」だからである。
もちろんそれは社会や体制を批判するようなメッセージではない。恋人や友人に語りかけるような、いわゆる普通のポップスやロックの世界観の上に、ヴィジュアル系の要素を軽く味付けしたしたバンド。それがGLAYであり、その普通さ故にブレイクし生き残ってこれた。
皮肉にもヴィジュアル系ブームで最も恩恵を受けたバンドがじつはヴィジュアル系ではなかったことが、音楽業界では王道的な価値をもったものが生き残るということを証明したのではないかと思う。(GLAYが最も影響をを受けたというBOOWYもビジュアル系ではなくロックバンドである)
ここから更に話は飛躍するが、このGLAYが最もブレイクしたのと同時期に、ヴィジュアル系のような独特の世界観を持ち、GLAYのような身近なメッセージで大ブレイクしたものあある。ご存知「新世紀エヴァンゲリオン」である。
既存のロボットアニメからは大きく飛躍した独特のヴィジュアル、言い回し、中身があるようで無い、複雑でわけがわからないけど「なんかすごい」と感じられる世界観。しかし実際テレビシリーズの中で伝えられたのは、視聴者同様の思春期によくある悩みを抱えた主人公・碇シンジの成長物語という、とてもシンプルな内容であったことが、この90年代後半の「何に希望を見出したらよいかわからない世代」に対するヒットの要因であったのではないかと考えられる。(細かくはそれ以外にもたくさんあるんだろうけど専門外なので割愛)
さて、時代は回って2016年。この時代を代表する音楽文化とはなんだろう?ぼんやりとした括りではあるが、それは「アイドル」ではないかと筆者は思う。
AKB,perfume,ジャニーズ、地下アイドルetc、、、それぞれにスタイルは異なるが「メンバー個人に対して熱烈なファンがいる」「楽器の演奏ではなく歌とダンス、パフォーマンスが主体である」「ライブ以外に活動する場所がある」というあたりが共通項と言える。
そしてアイドルは、社会に対する反抗者への、「癒やしと共感」なのではないだろうか。
我々は失われた20年の間に大きく傷ついた。後退した。その傷を埋めるために「つらいのすごくわかるよ」「一緒にがんばろう」というメッセージを発したのがアイドルたちだった。それは、理由もわからず暗い時代を過ごすことになったゼロ年世代にとってとても甘美なものだったに違いない。
アイドルに求められる像というのも、昔は「憧れの存在」であったものが、いまやバラエティ番組どころか街角の中まで進出し、アイドルという唯一の存在でありながら「身近なお兄ちゃん、妹」のような共感を得られる人がヒットしているのもそれを後押ししている。
さてここで気になるのは大ヒット中の「君の名は。」である。これもエヴァの考察がヴィジュアル系のそれであったように、アイドルの「癒やしと共感」というキーワードで紐解くことができるだろうか。
そろそろ書くのめんどくさくなったので終了。
誰か気が向いたら続き書いてくれると嬉しいです。
今年も全日本吹奏楽コンクールのチケットがネットオークションに出回り始めました。
Twitterをみていると、次々に怒りのコメントが投稿されています。
感情的にも、倫理的にも転売行為が容認できないことはよく分かります。
でも、「転売行為は許せない!取り締まれ!」って言ってる人は、思考停止しているのではないでしょうか?
取り締まりを強化することが転売行為を無くすベストな方法なのでしょうか?
もう少し深く考えてみることにしました。
法的、倫理的に問題があるかはここでは考えません。あくまでも経済的な側面から考えます。
オークションで高額取引される、ということは、全日本吹奏楽コンクールの興業としての経済的価値が相対的に高くなっているということだと思います。
これ自体は素晴らしいことだと思います。全てのチケットがオークションで5倍の値段で取引されたとすれば、興業としての経済的価値も5倍ということになります。
つまり消費者側は全日本吹奏楽コンクールに対して数倍のお金を払うだけの価値を認めているにも関わらず、そのお金の向き先を上手くコントロールできていないために、不正業者にその大半のお金が渡ってしまっているのです。
私は、これだけのお金が、きちんと吹奏楽界に還元されるようになってほしいと思っています。
取り締まりを強化すると、不正業者が淘汰され、より洗練された不正業者だけが生き残り、手口が高度化されるだけです。
本人確認の徹底や、スマートフォンなどを使った認証なんかを導入したとしても、吹奏楽連盟が不正業者の高度化に投資しているようなもので、全く意味は無いと思います。
当たり前の話ですが、そもそもなぜ転売行為が成り立つのかと言うと、需要に対して供給が少な過ぎるという構図になっているからです。
需要は「全国大会見に行きたい!」というもので、供給は「全国大会のチケット枚数」です。
この需要と供給のバランスを調整することが、チケット転売問題を解決する方法なのではないかと思います。
簡単に思いつくのは、「需要がたくさんあるんだから、供給を増やせばいい」という策です。
もっとデカいハコでやろうにも、既に全国大会が開かれるホールはどれも、音楽用ホールとしては日本国内最大規模のホールです。まさか東京ドームや、武道館でやったら審査なんてできません。
また、全国大会を複数日程にすることも、出演する学生の負担を考えると現実的には不可能です。
あくまでも興業ではなく、コンクールであることを考えれば、やはり供給を増やすことは難しいと思います。
私が有効だと思うのはこちらです。
「需要を減らす?吹奏楽の発展と真逆じゃないか!けしからん!」という声が聞こえてきそうですね。まあ、思考停止せず最後まで読んでください。
チケットを買って生の音楽を聴きに行く、これは音楽を楽しむとても良い方法だと思います。
しかし21世紀の今、これが唯一の方法かと言うと、決してそんなことはないと思います。
要は、全日本吹奏楽コンクールを楽しむ方法の中で、「チケットを買って会場に聴きに行く」という体験の価値が、相対的に高すぎる状態になっているんだと思います。
例えば、仮にDVDで鑑賞するという体験がもっともっと楽しければ、2万円払ってチケット買うより、7000円でDVD買った方がお得だな、と考える人もでてきます。(残念ながらDVDではそこまで楽しい体験を提供できていないので、この例ではあまり説得力がありませんね。)
そこで、どんな体験であれば、2万円払ってチケット買うよりこっちの方がいいかも、と思えるか考えてみました。
近年NHKの紅白歌合戦で同時に開催されている、裏紅白というコーナーがあります。これは、ステージで紅白歌合戦が行われている間、お笑い芸人のバナナマンがホールの一角で、ひたすらトークをしているというものです。最近はこれが見たくて紅白を見ている人もいるようです。
吹奏楽コンクールでもこんなコンテンツをリアルタイムに有料で配信したら面白いと思います。親子室の一室に作曲家や演奏家を招いて、演奏についての感想や、演奏されている楽曲について喋っている様子が、演奏とともにリアルタイムで楽しめるのです。裏紅白と同じ要領で、演奏が終わった団体の指揮者をゲストとして出てきてもらうのも良いかもしれません。
感想を語り合うことも吹奏楽ファンにとっては重要な楽しみの一つです。
そこで、楽器店などで全日本吹奏楽コンクール同時中継イベントを行うというアイデアがあります。
吹奏楽に関して、集まった人同士で自由に感想を語り合い、盛り上がれる環境はほとんどないと思います。
地元の楽器店に行けば全日本吹奏楽コンクールの同時中継が見れて、同じ趣味の地元の人たちと繋がれる、というのはなかなか面白いかもしれません。
テレビ、PCで中継を見たのでは、臨場感が足りない!という人もいるでしょう。
最近ではお笑いライブの同時中継など、映画館でリアルタイムのコンテンツを楽しむという事例もあります。
近所の映画館で吹奏楽コンクールの同時中継を見れたら、近隣の学校の吹奏楽部の生徒さん、ものすごく喜ぶと思います。
ただ、丸一日映画館の中に座ってるのも辛いですし、最近のシネコンは入れ替え制がほとんどなので、仕組みとしてそれなりに工夫が必要だと思います。(例えば、小規模なシアターを1日貸し切るなど)
いずれのアイデアも完璧とは程遠いと思いますし、これですべての人の需要に応えられるとも思いません。「それでも会場に行って聴きたい」という人の需要は供給を上回ると思います。
それでも多様な楽しみ方ができるようになることで、少しはコンクールのチケットへの過剰なお金の流れを分散することはできると思います。
「言ってることはわかるけど、吹奏楽でそんなことできるわけない」そんな風に感じている人も沢山いると思います。
日本の吹奏楽には歴史があり、吹奏楽コンクールを運営する吹奏楽連盟にも歴史があります。歴史があることで新しいことにチャレンジしにくいのかもしれません。
それでも、「イノベーションを起こせない業界は必ず衰退する」のが21世紀だと思います。
今回テーマとして取り上げたチケット転売の問題は、もしかしたら取るに足らない問題なのかもしれません。
しかし、その問題の本質とイノベーティブな解決策を考えて真剣に取り組めば、吹奏楽界はお金以上に得られるものがあると思っています。
私のような一ファンができることはそんなに多くはありません。それでもファンがみんなで真剣に考えて、インターネットというオープンな場で建設的な議論を重ねることで、吹奏楽界に少しは良い影響を与えられると思い、この投稿を書きました。
※匿名ブログに投稿した理由は、今現在私が自分の好きなことを書くためのブログを持っていなかったためです。
友人は貧乏だ。なのに犬を飼っているだなんて贅沢だ。
家は隙間風が入ってくるくらいにスカスカで、家の前に立っただけで友人がいるかどうかはすぐに分かる。
なぜって、家の中の会話が外に丸聞こえだからだ。
友人の家にはファミコンがない。いつも将棋を勧められるが僕はそんな難しいゲームなんて大嫌いだ。
だけど友人の家には犬がいる。だから僕はいつも遊びに行くのだ。
友人の犬は頭が悪いから僕が遊びに行くと興奮が冷めることがない。
狭い部屋の中をぐるぐると物にぶつかりながら走り回るものだから、畳はボロボロだ。
この間なんて、急に部屋を出ていったかと思ったら僕の靴にうんこがしてあった。
友人は顔を真赤にして犬に怒っていたが、怒りたいのは僕の方だし、でもそんなところもこの馬鹿犬の憎めないところだ。
僕の家にはゲームが沢山あるけど犬もいないしママもいない。ゲームをずっとしていてもジュースをこぼしてしまっても怒る人すらいないんだ。
いつも夜遅くに疲れて帰ってくるママに犬が飼いたいだなんて口がさけたって言えるわけがないよね。
そんなことを考えながらぐるぐると走り回る犬を見ていたら、突然僕めがけて駆け寄ってきて足にしがみつくと腰を振り始めた。
友人はまた顔を真赤にして怒り出す。
僕は犬の行動の意味がわかったけど、あえて知らないふりをして「やめよろー」とかいつも通りに対応する。
「ハウス!」
なかなか離れようとしない友人は、外に聞こえようがお構いなしに大声で叱りつけた。
「バーモンド!」つられて僕も叫ぶと、外から聞いたことのない声が響いた。「カレー!」
居間のドアが開くと友人の父親が顔を出し握られていたマイクに向かって叫ぶ。
僕の足にしがみついているのは、実はよく見れば犬ではなく秀樹だ。
「HIDEKI感激ぃぃ!!」
秀樹の声が響くと同時に一斉に流れ込むバックダンサーたち。
YMCAのイントロを聞いた瞬間に血が滾り始めるのがわかった。
ママもよれよれのスーツ姿のまま軽快にボックスを踏み続けている。
観客も一体となり一糸乱れぬタイミングで両手でYMCAを形作る。
舞い散る紙吹雪。オケの指揮者が指揮棒を振り乱せば感動のフィナーレだ。
あの頃は何もかもが輝いて見えた。
感動のあまり呆然としている僕の手を取ると秀樹は僕をステージに引き上げた。
僕はステージの中心に立ち高らかに両腕を上げると一気に振り下ろす。
天井が割れんばかりの拍手が起こる。僕は人生最高の充実感に満たされていた。
バックステージを抜け玄関の冷たい鉄トビラを開けると、ぼくはランドセルを自分の部屋に放り投げた。
「ママは今日残業で遅くなるから晩御飯はお鍋を温めて食べてね。」
コンロの上を見ると、水を張ったお鍋の中にボンカレーが沈んでいた。
http://www.ishidanohanashi.com/entry/2016/04/01/020344
このプロフィールとかなんなんだ
ページ丸ごと粉みかんみがしゅごい
人生の挫折を味わった高校生活
部活に入るかは自由だったので、帰宅部にしようと思っていたけれど、何となく吹奏楽部に入ってしまった。
そしたら、なかなか大変な部活で夏の大会は全国目指してずっと練習状態。
マジで全部こんな感じで読むのが辛い
ブロガーって文章を操るんだろうにこの中学生日記でどこへ討って出るつもりなんだ
これははっきり言うべきだと思う
このブロガーからは「18歳なんてみんな馬鹿」という優しい一般論とは別の馬鹿さを感じる
「18歳なんてみんな馬鹿」という時の「馬鹿」は若者の経験の乏しさから来る判断の突飛さを指すのだと思うが
彼からはそういうのとは違うもっと端的な、はっきり言うと低学力・低知能的な匂いが漂ってくる
プロフィールページに目を通しただけでも俺の言ってることわかるはずだ
「微妙に足りない人が悪い奴に騙されてる」っていう典型的な詐欺の現場に見える
こんな子を「プロブロガーで自己実現しようよ!」とか誘って大学辞めさして
「チンドン屋」と聞くと、
「あーほ、ばーか、ちんどんや!」
これって使っちゃいけない言葉なんでしょうか?
となると、実際にチンドン屋さんを見かけた時になんと呼べばいいのでしょう?
1)民放連側のに職業差別条項があるのみで、NHKでは問題ない。
そのなかでも、
3)自らの職業を紹介する際に「チンドン屋」というのは問題ない。(ex.百姓)
4)「誰々はチンドン屋だ」「何々はちんどん屋みたいだ」のような表現は、職業差別的発現と捉えられるので要注意。
5)「あなたの職業はちんどん屋です。」「村杉進(職業:チンドン屋)」のような表現は、民放連の解釈だと、職業差別に当たるとし使わないように推奨されている。
6)「チンドン」「ちんどん」は楽器や現象を指すものであり、この問題とは関係がない。
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じつは法律はないのでそのものは犯罪ではありません。あるのは各放送局や放送団体で自主規制のために作った番組制作ガイドライン(通称:放送コード)だけです。なので、日本にはNHKのものと、民放連のものと2つ存在します。これを元に放送を制作している人たちが、「不適切だ」と判断した言葉が積み重なったものが、いま一般的にいわれている「放送禁止用語」のようです。そのため、この言葉がダメというのは明文化されておらず、過去の経験上「不適切」と処理されることの多い言葉を「ピー」で事務的に消しているというのが実情のようです。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%94%BE%E9%80%81%E7%A6%81%E6%AD%A2%E7%94%A8%E8%AA%9E
「チンドン屋」という表現が「不適切」と判断される場合は、それが「職業差別」的な意図がある、もしくは、そう解釈もできる場合です。
なので、手っ取り早い回避策としては、「チンドン屋さん」という表現を使うことです。これは、「チンドン屋さん」は「愛称」なので言葉そのものに悪意は含まれていません。よっぽど悪意に満ちた使い方をしないかぎり(笑)。
また、「チンドン屋」は職業や業態を指す言葉なので、使い方によっては「不適切」になります。たとえば、自分自身の職業を紹介するために「私はチンドン屋です」という表現は何の問題もありません、差別にはならないので。
(私は百姓です。という言葉は放送上でも、よく使用されているようです。)
ただ、「〜〜〜は、チンドン屋だ」「〜〜〜は、ちんどん屋のようだ」のような表現には気をつけましょう。そこに悪意があれば「チンドン屋=悪いものの例」として使っていることになり、「チンドン屋に対する職業差別」が発生しますので「不適切」です。
問題は、「あなたの職業はちんどん屋です。」「村杉進(職業:チンドン屋)」などの場合です。おそらくその表現をしている方には悪意はないのでしょうが、「チンドン屋」「八百屋」など「〜〜屋」という職業の呼称に歴史上、悪意を持って使っている時代があり、その悪意を受け取る側が感じる場合があるので、難しいところです。なので、その場合は「チンドン屋さん」「八百屋さん」と言葉を置き換えることによって回避しましょう。
一般的には、楽器、音楽、現象を指す言葉や擬音として使用されるものなので、問題はありません。ただし、「チンドン屋」「ちんどん屋」の略語として使用される場合もあります。その際には「チンドン屋」「ちんどん屋」と同じ扱いを受けるので、注意が必要です。
以上、ご参考になりましたでしょうか?
とりあえず言えることは、「さん」をつければ万事OKということです。
街で見かけたら、「チンドン屋さ〜ん!」と声をかけてみるといいかもしれません、きっといい笑顔で応えてくれると思います。
懐かしくて面白い! 2016年版チンドン屋さんまとめ - NAVER まとめ
容姿コンプを拗らせるのをいい加減にやめたいが目の前の現実が辛すぎるので半分愚痴のような投稿
皆口を揃えて言う。容姿だけが全てじゃない。性格だって大事だ。もちろん家事をやる能力や部屋を綺麗に保つ掃除技術…etaなどの人間としての生活を営むちからも大切だ。興味があるならスポーツや芸術、仕事に関する才能を伸ばせば良い。
でも所詮、伸ばしたとしても容姿が良くて他の才能もある人には人生に勝てっこないんじゃないかと思ってしまう。
自分と他人の人生を比べるなと言われてしまえばそれでお終いだが、優れた容姿を持った人生を歩んでいる人が羨ましくて仕方がない。
優れた容姿というのは生まれつき備わっていて大変な苦労やトレーニングが必要のなしに容姿が最も重視されるといっても過言ではない若齢期を歩むことができる。人によっては歳を召しても美しい容姿を保っている人もいるだろう。
容姿が優れているだけで人から優しくしてもらい、目をかけてもらい、困った素振りを見せればすぐに助けてもらえる容姿の優れた人が私は本当に羨ましい。ブスはいるだけで存在を迷惑がられることだって多数だ。
仮にブスが容姿以外の才能を伸ばしたとしても、人は容姿以外の才能に必ず目を向けるわけではない。興味がない人にとっては「ふーん。」と思う程度で終わってしまうことなんてざらにある。それに比べて優れた容姿はどうだ?いついかなる時も人の目にとまる。名前を知らない向かいの座席に座っている電車の乗客の素性はわからなくても容姿だけは目に入れた途端にわかる。 そう、誰にでもわかるのだ。美しいか美しくないか。赤ちゃんですらもわかってしまうという話を聞いて悲しくなった。 少し本題とずれたが、要するに優れた容姿というのは誰にでもはっきりとわかる才能であるということだ。逆に言えばそれ以外のことは実際にその人と関わってみないとわからない。電車の左隣に座っている人が演奏技術が優れてるかなんて実際に聞いてみなければわからないでしょ?
ブスが別の才能を伸ばして、容姿の優れた人が何もしなかったら顔だけが取り柄のつまらい人間じゃないか!と思う人もいるだろう。
確かに、何もせずにいたら確かに顔だけが取り柄の人間だ。それはブスから見た視点である。現実には何もしていなくても容姿が優れてるという才能があるのだ。 この差をわかってほしい。 ブスは才能を伸ばすのに努力がいるのに対し優れた容姿の持ち主は何もせずとも持っているのだ。
そしてブスが才能を伸ばし、容姿の優れた人も別の才能を伸ばしたとしよう。するとどうか? 秀才美女、イケメンスポーツ選手!などと世間はもてはやす。本当にバカバカしく思えるが美女、美男が別の才能を持ったら世間の注目の的である。容姿も良いのに別の才能もあるなんて…!すごい!とテレビを見ながら何回も思った。
そう別の才能に容姿という誰にでもはっきりとわかる才能がプラスされることで絶大な力を発揮するのだ。ただでさえ目に止まる容姿の優れた人間に別の才能があると知れたらたちまちその話は口伝いに広がる。あのかっこいい人って楽器も弾けるんだって!すごいよね!あのかわいい子は料理も上手らしいよ!ブスがいくつ才能を掛け持とうが興味がない人にはこのブスの凄さがわからない。わかったとても「ふーん。」だけで終わってしまうかもしれない。
このようなブスの扱いの酷さは日本の文化に起因しているかもしれないが詳しくはわからないので触れないでおく。
当時、合奏のグループメンバーにクリスチャンがいて、そこから教会のご厚意で、ミサが終わった午後に練習することが何度かあった。
その時、たまたま合奏を聴いていたドイツ人の信者さんから「あなたのモーツァルトはおかしい」と言われ、後でそれを楽器の先生に話した所
「ヨーロッパ人の言うことはあんまり気にしないほうがいいよ」と言われた。
そこから「現代ヨーロッパ人にとってのクラシック音楽の受容」という話になって、先生から出てきたのが以下の喩え話。
個人的にはかなり納得した。
【全体共通】
・チープでも、歌詞があらゆる人に共感できて良い。ストーリー的、もしくは絵本的。聖書的。日記的。
・覚えちゃうフレーズがある。フレーズで売ってる。(心地良いか否かはあまり関係ない)
・ビートが単純。
・展開の構造は独特。サビまでの流れはポップとは限らない。
・歌(声)、声ネタに特徴がある。
・パワーがある。
・スピーカーでの聴き味が良い。(スピーカーとイヤホンの聴き味があまり変わらない)
・需要は、全視聴者の最大公約数的。バラードなら一般的に切なく、ポップなら一般的にノレる。
「・・・こんな曲が売れると思ってなかった。というトップの曲はめちゃくちゃに売れる傾向。チープ、単純、シンプル。」
【ニコ動内】
・覚えちゃうリフがある。
・無欲に、善意と好きだけでしてる。アノニマス的。(かつ才能がある)
・ボーカルが濃い。
・シリーズ物。
・気合(魂)がこもってる。
【NG】
・音楽的に、もしくは音の良さだけで聴かせる曲。良くても良い線止まり。
・マスタリングが悪い。広がりと深みがない。
・スピーカーで聴いてない。
・大人向け。
・音使いが天才的。(頭悪くない)
・テレビで見れる・聞ける水準。
・「それ?」っていうビートと音がある。
・どの曲もどこかトランス的。
http://www.j-cast.com/2016/08/18275579.html
http://b.hatena.ne.jp/entry/www.j-cast.com/2016/08/18275579.html
俺も高校時代、20人そこそこの吹奏楽部の一員だった。地区大会で金賞もとったことあるよ。でも俺なら100%甲子園選ぶと思った。
吹奏楽部にはコンクールの他にもさまざまなイベントがある。ウチの場合は最大のイベントは定期演奏会であり、
他にも高文連や地域の吹奏楽祭、学祭、学校の内外の様々なイベントに参加する。
ぶっちゃけ俺なんかは、早くコンクール終わって定期演奏会の練習したいなーと思ってた方だ。
名門の吹奏楽部だと100人くらいいて、その中からコンクールの大編成に出場できる55人を選抜するわけだ。
それに対して21人の吹奏楽部というのは、通常地区大会の最小編成(小編成は全国大会が無いので人数の規定も地区によって違う)
25または30にも満たない数字だ。
まあだいたい毎年10人前後の新入部員が入って、何人かは辞めながら20数名になる。
10名のうち楽器経験者は3,4人ってところで、あとは未経験者だ。
当然補欠はいないので、楽器を持って数カ月の連中がコンクールに出るわけだ。やっと音が出るようになった奴もいれば、
ほとんど音も出せなくて楽器を持ってるだけのやつもいるかもしれない。
なんでそれで金賞を取れるかというと、他所も似たようなレベルだからだ。
要するに、俺のいた部活なんかは完全にエンジョイ勢なのだ。某アニメとはまるで別の世界なのだ。冬場なんかは練習に2,3人しか来なかったりする。
そんな俺らの部活がもし甲子園にいけるとなったら、全員コンクールよりも甲子園を選んでたと思うよ。野球応援楽しいしな。
まあ君らはもし、あの生徒らから「甲子園は自分達で選んだ」って証言があったとしても圧力があったとかいって信用しないんだろうけどね。
声が小さい。
たぶん単一指向性のマイクを使ってたと思うので、マイクと声の角度が合わないからちゃんと集音できてないのが原因でしょう。
声がまっすぐマイクに向かうようにしてください。いつもの1.5倍の声量で話させてください。
マイクを固定すると無意識で口とマイクの角度がずれるので、マイクを持ちながら話すのが本当は一番いいんですけど。
マイクの使い方について発表前に登壇者全員に必ず説明をして欲しいです。
今年は質問者にもちゃんとマイクを通させることを徹底させてください。
動画に声が残るようにして頂かないとustreamで視聴中やyoutubeで後で見返してる時に意味が分かりません。
マイクが一本しかない場合は面倒臭くさくても登壇者が動いてほしいです。
参考になるシーン https://www.youtube.com/watch?v=-KNEUhw5j-g&feature=youtu.be&t=1625
ミキサー担当さんへ、マイクの音量は100%でいいんです。音量調整はマスターボリュームでやるべきです。
キーボードやギターでも楽器本体の音量は最大にして、ミキサーやアンプで調整するものなんです。
そうしないと本来の音の良さがでないのです。
後、部屋が暗くてせっかくのお顔が見えませんなんとかなりませんか。
凄く好きな芸能人がいる。
踊って歌って演技をして、スタイル抜群。びっくりするほど太らなくて、尚且つ良い所にお肉がある。
声も見た目も好みで「性格が良い!」と持ち上げられる事も無ければ某掲示板で「性格が悪い!」と言われることもない。
でも、確実に売れる風に乗っている。(これはファンの贔屓目で見ているからなのかもしれない)
そんないろんなものに味方された彼が大好きでずっと応援しているんだけど、ただひとつだけ不満に思ってるものがある。
彼が「リズム音痴」なこと。
20回パフォーマンスをすれば1回は前ノリになってしまっているような状態で、しかも曲のド頭にズレるものだからとても目立つ。
この曲凄くカッコイイし好きなんだよな、と思ってイントロで期待して歌い出しで大きく転ぶのが辛い。
好きなのに!好きなのに!!
全部のステージを見に行けている訳でも全部のテレビを見れている訳でもない私が、20回に1回って分かっちゃう位に同じミスをする彼。
優しいんだけどキレのある歌声、激しい踊りなのに爪先まで振り付けの通りに動かす真面目さ、そして地のキャラの良さ。
大好きで大好きで、不安定な時に声をかけたくなるくらい大好きなんだけど、ただひとつ、リズム音痴な所だけが苦手。
本人様がこんな愚痴のような物を書いてる所へ来るとは到底思えないし、周りの人がこれを見て「○○じゃないの?」なんて言う事も無いと思うけれど、もし思い当たる人が居たならメトロノームのアプリを入れてほしい。もしくは、楽器店に並んでるチューナーとメトロノームが一緒になっているようなものを買って、イヤホンを刺してただひたすら120を流してほしい。聞いててつらい。音痴じゃないし、本当に大好きだから、ついこんなことを書いてしまいました。