はてなキーワード: 本籍とは
35歳の節目、私は家を建てた。
会社のマドンナだった女性を妻にして、子宝にも恵まれ、平凡だが充実した毎日を送っていた。
自然な流れで、更なる幸せの象徴、そして家族の夢である「マイホーム」を手に入れようとした。しかし、この時悲劇がおきた。
まさか、東証一部上場企業勤務の私が「住宅ローン」でこんな絶望に追い込まれることになるとは。。。
過去、あなた個人に自分では見過ごすほどの小さなミスがあれば、いくらいい会社に勤めていても住宅ローンに通らない可能性がかなりある。
住宅ローンなんて実際に借りようと思わなければ、その業界にいない限り詳しくは知らないものだ。
家族や友人は、住宅の申込みをした時点で既に家は手に入ったと思っている。
私は本当に運良く、一度は落ちた住宅ローンを他行から借りることができ、今ではマイホームを手に入れ、以前より充実した生活を送ることができている。
「こうすれば落ちることはなかったのに」と
後悔していることをあなたに伝えたいと思い、
この体験談を書いてみようと思った。
興味があったら読んでみてください。
自分で言うのも何だが私は平凡だ。見た目も普通。特に華やかな青春時代もなく 地方の公立から、そこそこの大学を出て、運良くまあまあ大手企業と呼ばれる会社に滑りこむことができた。
クラスにいるあまり目立たないやつというのが、他人が抱く私への印象だろう。
平凡だと思っていた私の人生にとって最もインパクトがあったのが、妻との出会いだ。社内のマドンナであった妻はなぜか私の素朴さを気に入ったようで、 数回デートを重ね付き合うようになった。会社中に驚きが走ったのを今でも覚えている。
1年程付き合った頃、妻の妊娠が発覚し、自然な流れで結婚に至った。
自分にはもったいないくらいの女性と結婚ができた私は、家族のために生きることこそが私の人生だと。強い決意をもち仕事にも精が出た。
子供が出来た時点で28歳、まだまだ給与も低く、妻は専業主婦を望んだため、生活はなかなか厳しく、日々の生活で手一杯という感じだった。だが決して楽ではないが幸せを積み重ねている実感はあった。
結婚から6年程たったころだ。 子供が来年から小学校に上がるタイミングで妻から
「そろそろマイホームを考えてみるっていうのはどう?」
という提案があった。
正直貯金も十分に用意できていない状況だ。今までは憧れはあったが具体的に考えたこともなかった。
マイホームなんて。。。と思ったが、よくよく考えてみると会社の同期達はもうすでにマイホームを持っているものも多い。
私は彼らと比べても、仕事の成績は悪くはなかったし、特に給与に違いがあるわけではない。なぜだろうと思い、同期の一人に聞いてみると、 うちの会社の信用が大きいので、住宅ローンが降りやすく誰でも結構簡単に家が建てられるとのこと。
妻、そして家族の夢であるマイホームが一気に現実を帯び、急激にそれを手に入れたくなったのを覚えている。
持ち家を考えた時は建売、中古住宅、若しくはマンション全てを選択肢には入れていた。
とは言え、私が住んでいた場所は駅近くで全体的に値段が高く、なかなかよい物件は見つからない。
私は、場所を変えて広い場所で広い家もありだなと思っていた。過去に同僚が家を新築で立てたばかりのタイミングで、家に行ったことがあったのだが、 郊外だが非常に広く、とても魅力的に私は感じた記憶があったからだ。
しかし、そこに反対をしたのは妻と子供。子供にとって転校というのはかなり抵抗があるらしく、妻にも猛反対されてしまった。
結局、現状と同一学区希望、大きな場所の移動はなしという制約条件の中、私の家探しは始まった。
家を建てようと思い切って決断はしたものの、まず何をしていいかわからない。
「俺って家に関して何も知らないのに、こんなに意気込んでいたのか・・・・」
私は自分のあまりの無知ぶりに驚き、恥ずかしさがこみ上げてきた。同僚に何から何まで聞くのも忍びないので、まずネットから情報収集を始めた。先程の通り、場所は現状からさほど変えられないため、近隣で値段を軸にリサーチをした。
まずは値段が安い中古物件から開始。予算内で良さそうな中古物件いくつかがあった。早速、仲介業者に数社にアポイントを取る。最初の数社はだいたい建売かマンションを紹介したが、どこも予算がオーバー。
加えて頭金0を希望すると「それはさすがに難しいです」と一刀両断。中には鼻で笑うような会社もあった。3社目に出会ったA社さんは非常に誠実かつ親切な対応で安心感があった。
ところが、A社は一通り私の現状と希望を伺った後、注文住宅を提案してきた。
建売やマンションですらキツイのに注文住宅なんてとんでもない…と思っていた私は既に注文住宅をなんとなく選択肢からは外していた。
と思い始めてきた。
中古、建売、マンションの欠点を考えず目先の金額だけを追っていた私は
・建売はほとんどが建てられた後に購入なので、中身が見られない。よって購入後、不満が出ることが多い
・マンションは、自分固有の土地が持てず、何かあった時に何も残らない。
・また、マンションだと部屋の購入以外にも、毎月に修繕費などの積立等があり、割高感はある。
・中古住宅も同じ理由で中身がわからないし、安く買えても結局リフォームをするケースが多く、結局かなり高い。
という説明で
「必ずしも安ければいいものではない。」
という考え方に変わった。
ところが、「さあ、注文住宅にしよう」と言ってはみるものの、最も大事な「お金の話」が出てくる。
中古住宅、建売ともに頭金0でというので断られ続けている。まして注文住宅となればなおさら。
「今回も無理だろうなー」 そう思っていた。
しかし、A社さんは「頭金0でも構いませんよ」と言ってくれた。
私の年齢がまだ若いことと、大手企業勤務というところを評価してくれたようだ。これまでの誠実な対応、親切な説明、そして頭金0でもやってくれるという経済面での提案。全てが私にとってポジティブだったので、A社さんに注文住宅をお任せしようと決定した。
早速詳細な話をA社さんと始めることになった。
資金が潤沢にあれば、住みたい土地から決めていくのだろうが、先程の通り頭金0で進めるので、予算がいくらぐらい確保できるか? というところから打ち合わせを始めた。
私は年齢がまだ若い部類に入るので、35年ローンと長めのローンがいいのではないかとの提案をもらった。
具体的な予算としては月8万程度の返済を前提に、利息も考慮して、3500万円が適正ということに。
但し、家を建てるには単純に土地+家を建てるお金だけではない。土地の登記や仲介手数料、土地の状態によっては地盤改良も必要となる。それをすべて踏まえての3400万、となると実質土地にかけられる値段は1200万。
ここまで話が進んだところで既に8月くらいを迎えていた。
妻からの強い要望で子供の学年が変わる4月には新しい家で住みたいとのことなので、かなり突貫な形で進めることとなった。
A社さんは私の事情を理解して、土地探しをかなりの急ピッチで進めてくれ、結果、数週間で現在の賃貸マンションから3km程度のところに良い土地を見つけてくれた。
現状と同じ学区であることで、妻の要望も満たしていた。実際に見に行った際に、確かに広くは無いが、私も周辺施設、雰囲気含め気に入った。加えて、価格も予算内だったのですぐにOKを出した。
土地が決まれば次はいよいよローン審査。銀行を選んで審査を受ける。
銀行の審査など受けたことが無い私はさっぱりだったので、色々と伺うと、いきなり本審査というのは今はやらないらしく、事前相談という形を取るという。今までもA社さんに任せきりだったため銀行の選定もハウスメーカーに行ってもらった。
「一応、東証一部の企業に努めているし特に大きな借金もないから審査は余裕だろうな-」
そんなことを思っていたのを覚えている。今思えばこの決断が住宅ローンにおける私の苦難の始まりだった・・・
ハウスメーカーと取引が多くあるのでコミュケーションが取りやすい、
かつ ・利息が低めである という理由でS銀行、Y銀行、R銀行の3行を選定された。
この時、提出した書類は以下の通り。
そして、いよいよ申し込みだ。 しかし、この3銀行に申し込むにあたり少し不安になることが出てきた。審査基準は明確には説明がされないため、ちょっと気になって調べてみたのだ。
② 勤務先の安定性、及び勤続年数
④ 既存の借入の有無
とのことだった。③、④は思い当たる節があったのだ。
まず1つは過去に1~2回ほど携帯の支払いを滞ったことがあった。これについては、その時偶々銀行に入金し忘れており、督促が来た時点ですぐに支払いをしていた。不安に駆られ率直にハウスメーカーに聞くと、やはり返済忘れ、滞りはかなり印象が悪いとのこと。
2つ目はクレジットカードのショッピングリボ&キャッシングの金額が残っていたこと。支払い自体は毎月ちゃんと行なっていたのですが、額は40万近く残っていた。そのうちキャッシング枠も10万位使っていた。
私の場合、この③と④に引っかかりそうな部分が多々あり、かなりの不安を持っていた。
そんなことを言ってももはやどうにもならない。流れのままに、R社さんとの建築請負契約締結も完了。 家族も「いよいよマイホームだね」と頭の中では家が既に完成している。
もう引き返せないところまで私は来ていた・・・・
審査結果は2週間以内に返答が来るとのことだった。全ては「考えすぎだ」と思うしかなかった。
ハウスメーカーを通じて思ったよりも早く事前相談の結果が返ってきた。
結果としては、3行全てNG。。。。
NGを聞いた瞬間。私は頭の中が真っ白になった。 その後に家族の期待を裏切ることになる絶望感、同僚を含めた周囲からの目線への恐怖心がこみ上げて来ました。 そこそこ名の知れた会社で真面目に10年勤めてきたのに、たった数個のポイントでこれまでの人生を全て否定されたような感覚に陥った。 まさに絶望の縁といった状態だったと思う。
「これでは仕方ありませんね。ローンが降りなかった場合に解約できる特例条項はついているので契約自体を解約されますか?」
と即座に聞いてくる。
物腰は柔らかだったが、私には手のひらを返したような対応に感じて「あなたも敵か」と一瞬感じてしまった。
ただ、私はどうしても諦められなかった。 妻、子供平凡な私が手に入れた身に余る幸福を手放すわけにはいかない。なによりローンが通らなかったなんてかっこ悪くて言えるわけがないのだ。
自分にはもったいないほどの妻が私に愛想をつかしてしまうかもしれない。これまで積み上げてきた幸せにヒビが入っていくのを感じた。
「少しお時間をいただけませんか」
その場はそれを言うことで精一杯だった。
私はその日から誰にも相談できない大きな悩みを抱えることになった。時間がない。同僚にはこんなこと言えやしないから人脈もない。ここからどう住宅ローンの問題を解決したらいいか。正直、仕事中も住宅ローンのことばかり考えていた。
結果、
という結論になった。
審査が通りにくくなるから複数の銀行に行くのはやめたほうがいいという意見もあるが背に腹は代えられない。
「だがどうやって?」
銀行に一つ一つ連絡を取って審査を行うことはできなくは無いが、私は会社員、平日は動きにくいため膨大な時間がかかる。ハウスメーカーからもそんなに長くは待てないとの回答も来ている。
妻からも「家の件どんな感じ-」と数日私から報告がないことを怪しんで来ている。
私には時間がなかった。
ここまで追い詰められて私はやっと「人に聞く」という選択をした。同僚で最も信頼できる聡志に電話をした。去年マイホームを手に入れ、私が一戸建てをいいなと思ったきっかけになった友人だ。
聡志は私が家を建てようとしていることを知っていたのもあるだろうか。電話で話をしてみると思いの外すんなりとローンの悩みを打ち明けることができた。
「おー、そりゃ大変だな。実はさ、俺もそれ苦労したんだよ。うちの会社ってちゃんとしてるから余裕で通るかと思ったんだけど、カード支払いの遅延が結構あってさ、かっこ悪いからなかなか人には相談できないし、相談したところでどうにもならんし大変だよな。」
聡志もなのか!と同じ立場の人間が同じことに悩んでいたことに一瞬安心した。
しかしすぐに
「こいつはなぜ家を持ってるんだ」
という疑問が湧いたので、質問をした。
「あー、時間ないし、一行一行あたるのもキツイからどうしようと思ってたんだけど、複数の銀行をまとめて審査してくれるサイトを使ったら2行くらい手を上げてくれてその後、すぐ審査してもらっていけたぞ。」
と回答があった。なるほど。
私は藁をもつかむ思いで即座に住宅ローン一括査定サイトを調べ、早速仮審査申込みを行った。 一括査定のサイトを使うと複数の銀行に審査を取っても金融機関にはその情報はいかないそうだ。 私は既に3行に直接相談をした経緯があったので、この部分の安心感はかなりあった。
早速アポイント調整を行い、面談。こちらの現状を伝え、資料は既に揃っているので全て提出。
結果は・・・
金利も最初に審査を行った3行とさほど変わらず良い条件だった。
落とされるのではないかという恐怖感に支配されていた私は条件付きであれど、あらゆるプレッシャーからの解放が見えたからだろうか。一気に喜びが爆発した。
条件付きの「条件」とはクレジットカードのリボ払い、キャッシング残金の精算だ。借入とみなされるものがあると、月の返済がそちらにもあると見なされる。
結果、住宅ローンの月返済見積もり額を減らされ、最終的には希望する額の借入ができないという問題となるようだ。これは40万円ほどであったので、親に頭を下げて借りて解決をした。
親は少し渋い顔をしていたが、これまでの経緯など説明を尽くしなんとか理解してもらうことができた。
すぐにA社、ハウスメーカーさんに審査を通過したことを報告。融資が確定したので、まず土地の金消契約を行った。
そして1月ほど経ち(この間、家の間取り等の大まかな計画はR社さんと進めてきました)、12月初旬。土地の決済が行われました。
ここまで行けばあとは家の完成を待つばかり。もちろん家の打合せ等はたくさん入り、ほぼ毎週A社さんの方や、各メーカーの展示場を見たりした。
決済は以下のように行った。
中間金として、建物代金の半額を決済。2回目の決済で全額決済を行いました。 最後の建物決済は、銀行にて行った。
約半年ほどで住宅は完成。 狭い土地とはいえ、短期間で且つ内部もしっかり作っていただき、とても満足いく出来に仕上がりになった。
完成した家を見た妻の表情、子供のはしゃぎぶりをみて、男として、父親として一つ大きな仕事ができたかなと安心したのを覚えている。 全てが解決した今でも、未だに住宅ローンで問題を抱えていたことは家族には言えていない。やはり男のプライドも関わるこの問題は悩みが深いと思う。 思ったより多くの人がこの問題で悩んでいるのではないか。 誰にも言えず、たった一人でどうしたらいいか絶望しているのではないか。 私の経験、解決策が全てだとは思わない。
親に頼んで保証人になってもらったりという選択肢がある人はそれでもいいと思う。 ただ、そういった選択肢がない人は、私の体験を少しでも役に立ててくれれば嬉しい。
親の世代に遡るけど、差別から身を守るためにはそうしたコミュニティに属するか、そうしたコミュニティから逃れて隠れるかという選択肢があってうちはその後者だった。
それは言葉を変えると、朝鮮人としての在日として生きていくのではなくて、自国から離れて在日朝鮮人として生きていくということの選択でもあった。
マイノリティとして生きる上で日常的な差別から身を守るには被差別者であることを公表しないことが何より効果的だった。
帰化すればいいのにって言うのは簡単で、例えば関西の人が東京に出てきて関西弁を捨てて東京人になりたいか?というような問題だと思う。
さっきサイバーメガネの人にブクマされて思ったけど、誤解を恐れずに書くと、今、福島を離れて都市部に出てきている人も同じように考えているんじゃないかな。
日々周りを取り囲む差別に怯えて、地元に残る人の一部からも白い目を向けられて、それでも本籍を変えて故郷を捨ててまで生きていきたいか?という感じ。
そんな簡単な問題ではないと思うので、でしゃばった意見だったら申し訳ない。
要するに自分が被差別者だったからこそ得られた経験が沢山あって、何よりもアイデンティティでもあるってこと。
今は隠す隠さないというより、必要があればその都度公表するし、不都合があればあえては口にしない生活。日常的な嘘からは解放された生き方がやっと出来てきた感じです。
さっき初めて読んだんだけど、めちゃくちゃ感動した。
このお話のラストは、王子が蛇に噛まれて死ぬという、びっくりするオチで終わる。
んでこのオチの解釈を巡ってはさまざまな議論があって、ネットの解説を何個か見ているのだけど、どれもいまいちピンと来ない。
そこで自分で書く。
ネットでよく見る言説。
この説は、聖書の創世記にある「イブが蛇にそそのかされて知恵の実を食べてしまい、楽園を追放される」という話を類推する。
すなわち、王子≒イブ、蛇に噛まれたこと=蛇にそそのかされたこと、と考えるのだ。
そして『星の王子さま』で「楽園」と言えば「子供時代」を意味するであろうから、そこからの「追放」とは「大人になること」であろう、と推測する。
ただこの説の難点は、キリスト教においてイブは罪人であるということだ。この話をどう読んでも、王子が罪人であるというようには読めない。
しかも、『星の王子さま』の主題の一つが徹底した大人に対する批判にあることからすると、王子が大人になってしまうというオチはこのテーマにいかにもそぐわない。
したがって、この説のような読みは不可能ではないにせよ、本作の意義を極めて矮小化するもので、あまり採りたくない。
この説は、お話の全体にちりばめられた聖書的なモチーフに加え、①天から降りてきた王子が②死んで③天に帰るという展開が、福音書に描かれるキリストの生涯に似ていることを指摘する。
確かに指摘された点はキリストに酷似しており(モチーフの1つにしたのは間違いないと思う)、主役≒キリストという構図はいかにもそれらしい。
ただこの説の難点は、王子がキリストであると解したところで「だからどうした」という点がはっきりしないところにある。
聖書においてキリストが処刑されたことの意義は、過去・現在・未来における人類の罪を、神であるキリストが代わりに贖うことにある。
他方、王子は蛇の言葉に騙されて殺される。ここに何かの意義を見出す解釈もあるだろうが、キリストのような贖罪の意味はここにはない。
つまるところこの説を採用すると、ラストに王子が死ぬ意味がよく分からないことになる。なのでこれも採りたくない。
説って書いたけど、いまの俺の理解がこれ。
王子は基本的に生き死にに頓着が無い。砂漠の真ん中で水の最後の一滴が尽きた時、焦る主人公に対して王子は呑気にこんなことを言う。
「友だちがいたっていうのはいいことだよね、たとえもうすぐ死ぬとしても。ぼく、キツネと友だちになれてよかったなあ・・・・・・」
また、王子が蛇に噛まれて死んでしまい、魂が天国に召される際に、追いかけて来る主人公に対してこう言う。
「きちゃだめじゃないか。つらくなっちゃうよ。きっとぼく、死んだみたいに見えると思うけど、でもそうじゃないんだからね・・・・・・」
「わかるでしょう。遠すぎるんだよ。あそこまでこの体を運んではいけない。重すぎるんだよ。」
これらの台詞からうかがえる王子の死生観は、クリスチャンにそれによく似ている。
クリスチャンにとって魂の本籍は天国にあり、地上での体は仮初めの姿に過ぎない。したがって、死は消滅を意味せず、むしろ始まりであると言える。
だから王子は生き死にに頓着がないし、自分の死を悲しむ主人公に対して悲しむことはないと断言できるのだ。
この解釈を採れば、王子の死に対する向き合い方(≒クリスチャンの死に対する向き合い方)が分かることになり、本作のテーマを損なうことなく、王子の死が意義あるものとなる。
なのでこの説を採りたい。
ソースは http://i2.wp.com/mera.red/wp/wp-content/uploads/2016/07/1469509643379.jpg
黒塗りは [黒塗り] と表記
この手紙を手にとって頂き本当にありがとうございます。
常軌を逸する発言であることは重々理解しております。しかし, 保護者の疲れきった表情, 施設で働いている職員の正気の欠けた瞳, 日本国と世界の為と思い居ても立っても居られずに本日行動に移した次第であります。
理由は世界経済の活性化, 本格的な第三次世界大戦を未然に防ぐことができるかもしれないと考えたからです。
障害者は人間としてではなく, 動物として生活を過しております。車イスに一生縛られている気の毒な利用者も多く存在し, 保護者が絶縁状態にあることも珍しくありません。
私の目標は重複障害者の方が家庭内での生活, 及び社会的活動が極めて困難な場合, 保護者の同意を得て安楽死できる世界です。
重複障害者に対する命のあり方は未だに答えが見つかっていない所だと考えました。障害者は不幸を作ることしかできません。
フリーメイソンからなる [黒塗り] が作られた [黒塗り] を勉強させて頂きました。戦争で未来ある人間が殺されるのはとても悲しく, 多くの憎しみを生みますが, 障害者を殺すことは不幸を最大まで抑えることができます。今こそ革命を行い, 全人類の為に必要不可決である辛い決断をする時だと考えます。日本国が大きな第一歩を踏み出すのです。
世界を担う大島理森様のお力で世界をより良い方向に進めて頂けないでしょうか。是非, 安倍晋三様のお耳に伝えて頂ければと思います。
衆議院議長大島理森様, どうか愛する日本国, 全人類の為にお力添え頂けないでしょうか。何卒よろしくお願い致します。
文責: 植松 聖
――改ページ――
私は大量殺人をしたいという狂気[?]に満ちた発想で今回の作戦と[?]提案を上げる訳ではありません。全人類が心の隅に隠した想いを*[?]に出し, 実行する決意を持って行動しました。
今までの人生設計では, 大学で取得した小学校教諭免許と現在勤務している障害者施設での経験を生かし, 特別支援学校の教員を目指していました。それまでは, 運送業で働きながら [黒塗り] が叔父である立派な先生の元で3年間修行させて頂きました。
9月車で事故に遭い目に後遺障害が残り, 300万円程頂ける予定です。そのお金で [黒塗り] の株を購入する予定でした。 [黒塗り] はフリーメイソンだと考え( [黒塗り] にも記載)今後も更なる発展を信[?]んじております。
外見はとても大切なことに気づき, 容姿に自信が無い為, 美容整形を行います。進化の先にある大きい瞳, 小さい顔, 宇宙人が代表するイメージそ[?]れらを[?]実現しております。私はUFOを2回見たことがあります。未来人なのかも知れません。
本当は後2つお願いがございます。今回の話とは別件ですが, 耳を傾けて頂ければ幸いです。何卒宜しくお願い致します。
精神薬を服用する人は確実に頭がマイナス思考になり, 人生に絶望しております。心を壊す*[?]に頼らずに, 地球の奇跡が生んだ大麻の力は必要不可決だと考えます。何卒宜しくお願い致します。私は信頼できる仲間と過すことを目的として書いています。
日本には既に多くの賭事が存在しています。パチンコは人生を蝕みます。
街を歩けば違法な賭事も数多くあります。裏の事情が有り, 脅されているのかも知れません。それらは皆様の熱意で決行[?]することができます。
恐い人達には国が新しいシノギの模索, 提供することで協調できればと考えました。日本軍の設立。刺*[?]を認め, 簡単な筆記試験にする。
出過ぎた発言をしてしまい, 本当に申し訳ありません。今回の革命で日本国が生まれ変わればと考えております。
――改ページ――
作戦内容
重複障害者が多く在籍している2つの園(津久井やまゆり, [黒塗り] を標的とします。
見守り職員は結束バンドで見動き, 外部との連絡をとれなくします。
逮捕後の監[?]*[? 毎日新聞では「禁」] は最長で2年までとし, その後は自由な人生を送らせて下さい。心神喪失による無罪。
新しい名前 [黒塗り 毎日新聞では「伊黒崇」] )本籍, 運転免許証等の生活に必要な書類。
想像を絶する激務の中大変恐縮ではございますが, 安倍晋三様にご相談頂けることを切に願っております。
植松(うえまつ) 聖(さとし)
[黒塗り]
[チョン・ジェハク コラム]平壌(ピョンヤン)を打って、日本列島を切るとすぐに!
2015年07月22日(水)13:23:00 チョン・ジェハク編集委員
今でも鳥肌が立つのは、私たちの民族に対する日本の悪意だ。 理由がない悪の. したがって日本が私たちの民族に対する悪意は先に天だと見る。
日本の根が深い悪意は今でも進行中だ。悪意から出発した日本が私たちの民族に及ぼした害悪がどれくらい多大かは今でも変わりない独島(ドクト)侵奪野心と歴史反省の姿勢で如実にあらわれるというだろう。
そして筆者は日本だけは必ず地球上で絶滅させなければならない唯一の人種であることをもう一度確認している。
特に亡国的だと呼ばれる地域感情が日帝によって作られたことを、私たちは賢く知っていなければならない。そして日帝強制占領期間36年の血まめができた怨恨も怨恨であることであり、日帝が残して行った傷痕中に民族分裂政策があったことを上記してみなければならない。なぜ私たちが日本をそのように呪わなければならないかに対する立派な答になるためだ。
1945年8月15日、彼らは韓半島を離れて、二種類をいって行ったと伝えられる。その一つは必ず10年後に帰ってくるということであったし、また、一つは私たちの民族が永遠に団結と和合をできないだろうというものだった。植民教育の中に毒素を入れて教えたという意だった。
日本は1919年3.1運動に接したらで、韓半島統治に植民教育を強化した。そして皇国臣民(天皇の国に臣下なった民)を育てるために国民学校(国民=皇国臣民の略語)をたてて、私たちの民族の頭の中を洗脳させ始めたし、民族精神を抹殺するために学校で私たちの国語を奪ったし、伝統と文化に対する否定的な意識を教えた。
花札を流行させたのも民族精神抹殺政策の一環だった。花札は勤倹節約の美風良俗を害して、トゥレ村の協同精神を押し倒して私たちは怠惰な国民に成っていった。
しかし5000年歴史を持った自主民族が一日で簡単に洗脳される理由がなかったし、いよいよ植民教育の強圧を突き抜けて光州(クァンジュ)学生運動が起きた。この事件で日帝は植民教育の方向を修正した。それが民族分裂政策だった。
民族分裂政策は湖南(ホナム)に対する排他的意識を育てることで始めた。 歴史的に湖南(ホナム)は日本の自尊心を押し倒した、日本に敗北の数値を抱かれた故障だった。 壬辰倭乱当時李舜臣将軍の部下にはいつも勇敢な湖南(ホナム)人がいたし、幸州(ヘンジュ)山城での大勝にもクォン・ユル将軍をついて行った全羅道(チョルラド)出身の将卒があった。 豊臣秀吉の侍童出身小暑銀行長は幸州(ヘンジュ)山城の敗北を、全羅道(チョルラド)出身将卒の奮闘を理由に上げたりもした。
同学以後起きた義兵大部分が湖南(ホナム)を拠点にして起きたし、生き残った義兵は智異山(チリサン)を根拠地で活動していた。ここに何と20年余りの植民教育を押し倒して光州(クァンジュ)学生運動が展開したのだ。
これに対し日本は湖南(ホナム)排斥を目標に地域感情を生産し始めた。
植民史学者を動員して、その有名な考慮王健のフンこの十兆をまき散らして、湖南(ホナム)を醜くていやしい反逆の故障で認識させ始めた。ここに応じたのがいわゆる両班(ヤンバン)階層の親日派であった。‘全羅道(チョルラド)犬の土鉄’という(のは)湖南(ホナム)国民らをいやしく呼ぶニックネームだった。
日帝によって生成された地域差別は、親日史学者らと貴族階級の末期的現象に心酔した愚かな支配階層によって広く広まったし、そして日帝は韓半島を離れて私たちの民族の大同団結をあざ笑うことになったことだった。
湖南(ホナム)に向かって逆差別的な毒素は軍事独裁で花を咲かせたと見る。軍事独裁当時湖南(ホナム)出身は将軍進級が事実上詰まっていたし、カンでも、財界でも湖南(ホナム)人は排斥にあった。どれくらい深刻だったのかは筆者の体験の中に今でもそのまま生きている。子供の未来のために本籍までパーサー移住する湖南(ホナム)人が如何に多かったのか。
日帝が狙ったそのままであった。さらに全羅道(チョルラド)人ならば婚姻もしなかった。他地域に嫁入りした湖南(ホナム)女たちが受ける侮辱は怒りにつながったし、その怒りは亡国という言葉どおり広がった。
暮らすために他地域に離れた湖南(ホナム)人は全羅道(チョルラド)なまりを使わなかった。情感に充ちたその言い方まで隠さなければならなかったすべての悲しみは湖南(ホナム)人の胸に数多くのあいくちをさしていた。
そしてその頂点に5.18があった。‘慶尚道(キョンサンド)軍人が湖南(ホナム)人をみな殺す’というデマが光州(クァンジュ)市民の胸に火を付けたのだ。筆者もその現場で確認したことだった。したがって光州(クァンジュ)市民はそのようなデマが追い込まれる程湖南(ホナム)差別に対する痛くて大変な数多くの経験があったのだ。
その辛い経験は深い傷で残って今でも有効に展開していると見なければならない。北朝鮮が操縦する韓国内葛藤の実体も湖南(ホナム)地域差別に根元を置いたことだった。おそらく北朝鮮は最後まで地域差別をそそのかすつもりだろう。
日帝が残した植民教育の毒素は、民族分裂のための地域差別だった。今でもこの呪いが生き残って繁盛する理由はその最初が北朝鮮の対南工作にあって、その次がまだ地域差別の実体を悟ることが出来なかった愚昧な国民にあるというだろう。
筆者は北朝鮮との戦いで勝つには、先に韓国内葛藤の根因を除去しなければならないと信じる。そのためにはこの葛藤の出発が地域感情であり,この地域感情は日帝の陰謀だったことを、もう天下に知らせなければなければならないと考える。
もう一度民族を考える。私は全羅道(チョルラド)の人だ。もし国家に危難がくれば、幸州(ヘンジュ)山城とミョンニャンに向かって走って行くだろう。明確にそうするだろう。
私たちは団結しなければならない。私たちが団結すれば、北朝鮮を自由民主体制に移ってくることができる。そして私たちが韓国、北朝鮮国力を統一すれば、日本を克服することができる。
したがって地域感情をはね除けて力を集めて、ついに平壌(ピョンヤン)を打って、列島を切らなければならない。 私たちの民族1世紀の間の怒りを必ず返さなければならないと信じる。
原文 韓国語
風俗業にはクラブもパチンコもあるが、ここでは女の子の体を売る商売に限定して書く。
何十年前と違って最近の風俗業界に入ってくる人は普通の人が多い。
警察は本籍から犯罪歴を調べることが出来るけど風俗業界の人は本籍情報を使って嫌がらせにしか使わないよ。
例えば、お店を辞めたいがやめさせてくれない。じゃあ店を飛ぶしかなくなってしまう。(飛ぶとは業界用語で無断でやめるってこと)
店にもよるが話し合いが通じない店長やオーナーも多いからやめるには飛ぶしか選択肢がない。
本籍の電話番号を調べて毎日電話をかけてきたり、罰金を請求されるケースもある。
こういったお仕事って給料いいんでしょって聞かれるけどよくないよ?
小柴昌俊 ── 東京大 ── 愛知県生まれ神奈川県・東京都育ち(1歳から小4まで東京/中学から神奈川/高校東京)
利根川進 ── 京都大 ── 愛知県生まれ富山県・東京都育ち(小学校富山/中学から東京)
白川英樹 ── 東工大 ── 東京都生まれ岐阜県育ち(小3から岐阜)
朝永振一郎 ─ 京都大 ── 東京都生まれ京都府育ち(小学校から京都)
下村脩 ─── 長崎大 ── 京都府生まれ長崎県育ち(幼少期に長崎/中学でまた長崎)
根岸英一 ── 東京大 ── 満州国生まれ神奈川県育ち(小学校から神奈川)
東京大7
京都大5
名古屋大2
■生まれ
大阪府2
■育ち
京都府3
http://kamomenome.exblog.jp/14156659/(元ソースから間違いを修正)
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湯川秀樹(出生地:東京都)両親は和歌山県 ※中間子論は計算間違いであった
江崎玲於奈(出生地:大阪府)親は大阪府、三重県 ※助手のアイデアのパクリ
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下村脩(京都)両親は長崎県 父が福知山連隊所属のため京都生まれ
根岸英一(満州)親は東京都、本籍は日本橋、目黒の根岸家に戦災で親戚が大勢つめかけたため神奈川移住
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わたしは1926(大正15)年9月19日に、愛知県の豊橋で生まれた。軍人だった父の
小柴俊男がそのころ豊橋の陸軍第18連隊に所属していたからだ。
母親は、はやといって、千葉の木更津の農家の末娘だった。木更津高等女学校を出て、
父と結婚した。どういうなれそめで知り合ったのかは知らないが、父も千葉の館山の
父は農家の三男に生まれて、中学に通うのも親せきの造り酒屋で小僧代わりに働きながら
学費をだしてもらった。さらに進学する学資はないから、学資不要の陸軍学校へ進んだらしい。
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祖父の塩川三四郎は1873年生まれ、政治家を志して長野県から上京し、東京帝国大学法学部を
卒業した。そして、渡辺千秋(長野県出身)の次女・千夏と結婚した。
「野依」は母方の血筋で、福岡県の東部、築上郡吉冨町に行き着く。「立野屋」の屋号をもつ
庄屋で酒づくりをなりわいとする大地主であった。
(野依良治『私の履歴書 事実は真実の敵なり』日本経済新聞社)
http://kingendaikeizu.net/gakusya/noyori.htm
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http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%8B%E6%9D%91%E8%84%A9
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朝永振一郎の父三十郎は、東京で真宗大学在職中に旧川越藩士大枝美福の長女ひでと結婚している。
朝永振一郎「なぜ京都にいながら東京弁使っているかっていいますと、おふくろが埼玉県生まれで、
おやじは長崎生まれで、中学の頃東京に出て、ずうっと東京にいた。そういうわけで、家庭では
東京弁を使っておりました」(『回想の朝永振一郎』みすず書房)
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私の父は仏壇屋の家業を継ぐのを拒み、文学者になろうと家をとびだした。東京で私が生まれた。
母は福島県の出身だった。しかし私が2歳のときあの大震災に遭い、一家はやむなく福井に戻った。
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利根川勉「私の親父は守三郎といいまして、福山藩(広島県)の貧乏侍の息子でした。ところが
同じ貧乏侍の利根川という叔父に子供がなくて、岡本という家から養子に行きました。
家内の父方は弘前藩士(青森県)の家系でした」(利根川進受賞時に父・勉氏へのインタビュー)
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北大理学部を受験した時、母は「落ちてくれ」と本気で祈っていた、と譲さんは明かす。
恩師は「章君を大学に進ませて」と勧めたが、家計に余裕がない。町で理髪店を営んだ
山形県出身の父の定輔さんは1946年に51歳で死去。長男の鈴木さんは16歳だった。
(「タウンガイド札幌2010年10月11日)(母ナエも山形県出身)
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夫婦が別氏だからって,夫婦の戸籍を分けなきゃいけない理由はないでしょ。「戸籍の筆頭者」と「本籍」さえはっきりしてれば,戸籍というデータベースは機能するし,一つの戸籍の中に異なる氏の人がいることによって,特に問題は生じない。
夫婦別氏が実現してない理由は,選択的夫婦別氏制度に反対する勢力の政治力が強いからであって,戸籍の技術的側面との兼ね合いの問題では全くない。「夫婦別姓で家族の絆が壊れる」という議論はデタラメだけど,そのデタラメは,戸籍の制度の技術的側面より100億倍重要。
少し前まで戸籍関係の仕事に携わってた自分が思う、夫婦別姓のこと
本籍と住所を個々に設定しないといけないのは、戸籍と住民票の管理形態そのものが違うから
乱暴に言えば、一緒に住んでる人を一覧表にして「戸籍謄本」と呼んでた。
一緒に住んでる人=家族=同じ苗字が当たり前。結婚すれば女性が嫁に来て男性の姓になるスタイル。
(もちろん婿養子ってのもあって、婿養子縁組なるものも存在してたけど)
家督相続とか分家とかがあった時代のお話。いわゆる家制度の頃。
戸籍謄本に書かれている本籍と実際に住んでる場所が別の人が増えてきた。家制度の崩壊。
第六条 戸籍は、市町村の区域内に本籍を定める一の夫婦及びこれと氏を同じくする子ごとに、これを編製する。ただし、日本人でない者(以下「外国人」という。)と婚姻をした者又は配偶者がない者について新たに戸籍を編製するときは、その者及びこれと氏を同じくする子ごとに、これを編製する。
今までじいちゃんもばあちゃんも孫も甥も姪も同じ所に住んでて一つになってた戸籍を
父、母、未婚の子だけで戸籍を作り直しましょうね!ということ。三代戸籍禁止とかでググると色々出てくるかも。
ちなみにその時、両親がいない未婚の人は一人で戸籍を作ってます。これ豆な。
そんなわけで一つの戸籍の範囲は「家」から「夫婦と子」に変わったけど、作成範囲は変わらず「同じ苗字」であることが条件だった。
そのまま半世紀以上ずーーーーーーーーーっとこれで来ている。
夫婦別姓を国として考えるなら、この戸籍の管理方法とか新しい戸籍の作成方法とかを変えないといけないって事。
姓が別だと家族の絆がどうのとか、そういうのはまぁそれほど重要じゃない。
いや、重要なのかもしれないけど、個人的にはそれより戸籍制度さえ整えばすぐに移行できるんでないの?って思う。
別姓を選ぶのは自己責任。子供や別姓に理解のない周囲に説明するのも自己責任。
今の日本だと外国籍の人と結婚すると、本人から届け出ない限り夫婦別姓。むしろ届出しないとだめ。
ちなみに日本人の方の戸籍は一人で作られて、中にどこの国の誰と結婚しましたって書いてある。
これをこのまま日本人もできるようにすればいーんじゃないの?
子供が生まれた時に入る戸籍ガー!というならそれは出生届の時に決めればいいんじゃないの?
届出を受ける職員は審査に二つの戸籍調べないといけないから大変そうだけど…
外国で働くのはいいけれど、国籍も移さず自分の本籍がある国に害があるような行動をするのは自殺行為だぞ。
本国が無くなったらあんたのビザを守る国がねぇ。グリーンカードでもあればいいんだろうけどな。
あんたの外国での権利を保証してるのは、あくまでも日本政府なんだぞって奴だ。
不法な移民なら強制送還されるか逮捕される話だ。あんたのビザを守ってるのは日本だよと。
イザとなった時に日本の大使館に駆け込むのに、多国籍企業ですからってのは逃げだろ。
うちは多国籍企業ですから日本に有利なことはしません。というのなら、日本もその企業を守る必要はないって事を言ってる。
〜 http://janesuisjapanese.blogspot.jp/2013/08/vol14.html を読んで感じたこと。
父は木挽町で生まれ泰明小学校、銀座中、塾高から慶應大学に行った。
だが、父は木挽町が好きなようで本籍はいまでも木挽町だし、僕も生まれた時から初詣は家族揃って鉄砲洲に行っている。
また、父と仲の良い小学校の同級生はいまでも銀座で店を構えてる連中が多く、父は今でもスーツは銀座の同級生に仕立ててもらっているようだし散髪も同じくである。
目白駅から祖父の家まで行く目白通りは、いまでも好きな道の1つである。
母から地元での話はあまり聞いたことがなく、言うのは学校の近所の話だったり、就職してから出来た友人の話の方がよく聞く。
僕はと言えば生まれたのは小石川で、その後、馬喰町、恵比寿、一番町、南青山、東麻布と都内を転々としている。
転々としているのは父の気まぐれだと思う。同じ町に住んだのは一番長くて7年程度だった。
また小学校から大学まで私立なので同級生も皆、住んでいる所がバラバラだった。
家が近所の奴もいたが、多くは電車で数十分で、遠い奴は葉山とか佐倉、三島などもいた。
住んでる所が一緒、ではなく学校や習い事、塾が一緒という点でのつながりしかない。
たしかに、今でも出身校の近くを通る時、弁当屋の親父は元気かなとか、
授業抜け出して行った定食屋はどうなったとか考えるし、
南青山のみゆき通りに外国のブティッグが増えたなあと、変化したことに感慨があるし、
軍艦パジャマは相変わらず下品だなと、逆に変わっていないことに安心感みたいなものはある。
でも、それぞれに取り立てて愛着がある訳でもなく、それに昔から転々としていたから、
いつの間にかよく通っていた店や建物が、久々に行ったら無くなっているというのも当たり前のことだ。
また、ある種の観光地の近くに住んでたこともあり、田舎者に囲まれて育ったこともあり田舎者に対して特段の思いも無い。
そもそも田舎者とは要は東京者に対するヨソ者という感覚だけれど、僕には地元が無いのだから田舎者という概念を持ち得ない。
東京は本当に巨大で、とてつもないマチの集合体だと思う。
よく地方の人が「マチに遊びに行く」という意味での「マチ」が東京には無数にある。
白金台の裏の方のお屋敷ばかりのあの空気、後楽園の雑多な仲にも昭和的なにおいがある空気、一番町は空気がキリっとしているし、麻布は昔からの重みを感じる。
マチの空気はそうそう変わらない。(表参道の同潤会を壊したのは駄目だと思うが)
東京とひとくくりにするから、毒を浴びるんだと思う。地方出身者にレイプされた気になるんだ。
subject:陸上自衛官または自衛官を詐称している可能性が高い人物の、公文書偽造等行使(刑法155)軽犯罪法違反(公職官制名詐称)、詐欺(刑法246)ほかについて見聞きした為、通報いたします。
私は千葉県**市にて販売職に従事している者ですが、現職の予備陸上自衛官、または自衛官を詐称している可能性が高い人物の、公文書偽造等行使(刑法155)、軽犯罪法違反(公職名詐称)、詐欺(刑法246)ほかについて見聞きした為、公益通報致します。
公益通報書
防衛大臣 殿
公益通報者保護法第3条の規定に基づき、下記の通り公益通報します。
希望する連絡方法 書面の送付(通報の受理不受理連絡に関してはメール可)
私は千葉県に在住する販売員ですが、「自分は自衛官である(あった)」と経歴を詐称していると思われる人物が、小説を出版しているのを見聞きしました。
その後同人は「私は精神障害者である」「実は予備自衛官補であった」等の主張に基づき支離滅裂な言動をインターネット上で繰り返しており、この度同人が公文書偽造等行使(刑法155)の疑いが極めて強い行為を行ったため、公益通報に至りました。
通報対象事実を行った人物は、自称陸上自衛官の筆名『篠山半太』(原所属・在住地・本名不明)・ならびに出版社である株式会社PHP研究所となります。
(株式会社PHP研究所側担当編集者は、同社コミック出版部・(※本名)氏)
1.2012年6月発行の小説「君が衛生兵で歩兵が俺で」なる出版物(以下、当該出版物)において、筆者筆名『篠山半太』(本籍住所氏名原所属不明、以下、篠山某)なる人物は、株式会社PHP研究所(東京都千代田区一番町21、以下、PHP社)と共謀または、篠山某がPHP社に虚偽の身分申告を行う事で、『自衛官の書いた小説』という売り文句でこれを出版。出版取次会社・販売店・購入者に充分な錯誤を抱かせ、これを流通・購入させました。その後、篠山某の自称する公職名所属隊経歴は二転三転しております。
これは刑法246・詐欺罪ならびに軽犯罪法1-15・官公職詐称となる可能性が高い為、防衛省におかれましては2項を踏まえ、法務部門より本省所轄警察署への通報告発を行うべき事案と考えます。
2.当該出版物出版直後から、篠山某は精神的不安定(通報者私見としてはプロモーション目的の詐病)である旨インターネット上で公言し、本年6月には市販されているだけの「自衛隊手帳」を提示して予備自衛官である旨自称したり、予備自衛官手帳のカバー部分のみ(恒久用紙のID部分)無しでまた予備自衛官補である旨自称し続け、遂に平成25年6月17日未明には『地方協力本部長印』の捺印された日時不詳の「辞令書」の写真をアップロードしました。(アップロードURL: https://twitter.com/SHINOYAMA_Hanta/status/346322062278815744/photo/1 )
3.2項で挙げた辞令書の真贋について私は知る術を持ちませんが、かかる支離滅裂な言動を繰り返す人物が予備自衛官の職にあるとは常識的に考えられず、本『辞令書』なるものその他をもって当該出版物のプロモーションを継続しよう、という篠山某とPHP社の意図は、前項に挙げた詐欺罪と官公職詐称が現在も継続している事を示します。
また、本辞令書の本部長印なるものが偽造印であった場合、これは当然、閲覧に供し行使しており、刑法155・公文書偽造等罪にあたります。
3.PHP社から取次会社を経由して公開された短文広告(所謂キャッチコピー)は以下の通りであり、また著者は「自衛隊員」となっています。これに関して現在もPHP社は是正を行っておらず、ネット通販のamazon.co.jpや取次販社のデータベースで広く閲覧可能です。
『現役自衛隊員がつづる、自衛隊高校を舞台にした社会派ライトノベル! 特殊な環境に置かれながら、仲間との友情を信じる若者たち!』
4.以上、通報対象事実の根拠法令は、刑法155・刑法246・軽犯罪法1-15であります。うち刑法155に関しては既遂であります。
自衛官およびその退職者(篠山某が該当するかどうかは疑問ですが)に対する処罰規定・倫理規定については私は知る術を持ちませんが、常識的に考えて幾つかの規定違反・抵触は当然多々あったものと類推できます。
私は違反行為を行った者とは直截的面識は無く、現業の販売員分野に於いては不利益を被っておりません。
従いまして、『外部の労働者からの通報』扱にて、公益通報の窓口を選択させていただきました。他、適した部門窓口がございましたら、本文書の移送扱もしくは、適切な窓口のご教示にて対応していただければ幸いです。
以上
慰安婦がいたことを否定しているのはただの馬鹿なんだけどなぁ。
「軍に連れ去られた」とかその手のが気になるって話なんだよね。
年齢があやふやって事は、「慰安婦であった事」は嘘ではなくても、他の証言の信頼度は落ちるだろうって話なんだよね。
強制連行された年が不明って事は、それ本当に「日本軍だったの?」とか。
http://tanakaryusaku.jp/2013/05/0007159
始めにマイクを握ったのは金福童(キム ボクトン・88歳)さん。金さんの次に吉元玉(キル ウォノク・86歳)さんが話した。金さんは自らの体験を詳細に、吉さんは自らの体験には触れずひたすら平和、世界に遍在する戦時性暴力に対する解決を訴えた。
「満14歳の時、軍需工場に行くと言っていたのに、着いたのは日本ではなく戦場、遠い暑い国だった。そこで私は日本軍の奴隷となった。台湾を始め、中国の広東に着いた時は陸軍の軍医が身体を調べた。そこでは何人入るのか知っていて、私達の部屋が用意してあった」。
「満14歳」
ここだと年齢は88歳か。
http://article.okinawatimes.co.jp/article/2013-05-20_49450
旧日本軍「慰安婦」で韓国人の金福童(キムボクトン)さん(87)が18日来沖、西原町内で大学生らとの交流集会に臨んだ。その後の記者会見などで金さんは、日本維新の会共同代表の橋下徹大阪市長の一連の慰安婦発言を批判し、謝罪を求めた。
金さんは14歳のころ、旧日本軍に「軍服を作るために日本へ行く」と日本統治下の韓国から連行された。アジア各地の前線を転々とし、8年間、「慰安婦」を強いられた。
http://article.okinawatimes.co.jp/article/2013-05-20_49447
「国家による性暴力に遭い、人権を踏みにじられた少女のことを知ってますか」。韓国人の元「従軍慰安婦」、金福童(キムボクトン)さん(87)が、舞台の上から「慰安所」での生活を語り始めると、会場は静まり、地をたたく雨の音が響いた。
金さんが14歳のころ旧日本軍に連行された場所には、複数の部屋を備えた慰安所があったという。金さんは「日本政府は民間人が慰安所をつくったとしているが、(戦時下の)民間人があのような慰安所を準備できただろうか」と軍の関与を指摘。「日本政府はうそをつかず、公式に謝罪してほしい」と訴えた。
「14歳のころ」
年齢が87歳か。先の88歳が数え?
あと名前でチェック
生存する日本軍従軍慰安婦被害者の実名記録が初めて発見された。
韓国挺身隊研究所のカン・ジョンスク研究員は国家記録院の軍人軍属資料を調査途中、従軍慰安婦被害者の金福童(キム・ボクドン)さん(79)の実名記録を発見したと11日、明らかにした。
名簿に記載されている金さんの本籍や生年月日などの内容が挺身隊研究所が1997年に発行した『強制連行された朝鮮人軍慰安婦たちの証言2集』に収録された金さんの証言と一致するという。
今回発見された軍属名簿は、1947年9月に作成されたもので、「第16軍司令部同直轄部隊朝鮮人留守名簿第4課南方班」と書かれている。
この記録によれば、1945年8月31日、当時19歳だった金さんが南方軍第10陸軍病院の軍属の中で最も低い職級にあたる「傭人」として採用されたとされている。金さんは97年の「証言集」で「15歳で連れて行かれ中国の広東、マレーシア、インドネシア、シンガポールで日本軍の慰安婦として生活した」と明らかにしている。
結論がおかしな方向になってるなぁ。元記事が消えてるので、コピペで失礼。
http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2005/01/11/20050111000084.html
http://ratio.sakura.ne.jp/archives/2005/01/12073703/ コピー元
「15歳で連れて行かれ」
いつの間にか年齢が1歳変更されているようです。なんではてぶでこの修正は指摘されないんですかね?
年表
1938年 数え14歳 慰安婦に徴用される(満12~13歳)
数え8年間(満6~7年)勤務
1945年 数え21歳 終戦を迎える(満19歳)
2005年 数え81歳 第16軍名簿が発見される(満79歳)
2012年 数え88歳 来日講演(満87歳)
ところがここで本人談の「満14歳」が再び「数え14歳」で計算されるという、摩訶不思議な現象が発生。
15歳が14歳に変更が「数え年を満年齢に修正」じゃないんですかね?
で、最初の引用では年齢が88歳。去年が88歳で今年が89歳? あれ? 一番最初に取り出したページ書いたのは「今年の講演」。
まぁいいや。来日公演の年2012が間違いだったんでしょう。とりあえずそうしておきましょう。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BD%E6%B0%91%E5%BE%B4%E7%94%A8%E4%BB%A4
1939年ですね。
年表
やった! こんな感じで考えれば年齢がきれいに一致したよ! 国民徴用令もぴったり一致だ!
じゃぁ、後は8年間慰安婦を強いられたって期間だね!
8年「間」だとやっぱり足が出る。数えでいっても6年。
そもそも慰安婦募集の広告を見ると、17歳とか18歳とかで募集。数えでこの年齢なので、満年齢だと15歳以上くらいか。
吉原遊女の事例だと、客取るのが17歳。数えだとして15歳以上。同じ条件だね。
第二次性徴終わって数年経ってるくらいなので、まぁこれくらいなら不思議ではない。
ところが最初の Togetter だと満12歳か満13歳で慰安婦になってることになる。ロリコンだね。
巡回カードに記入して提出してください
と言って帰っていった。
住所と緊急連絡先を書いてくれ、とか言っていた。
家族全員の勤務先・学校、生年月日、本籍、運転免許証や自転車の登録番号
まで欄があった。
ここまでは解らなくもないんだが、一番不自然なのは、管轄外の交番の警察官が来たこと。
他の部屋には特に行かずに帰ったようだったことも不自然。隣に誰か来たくらいなら物音伝わってわかるくらいの建物で、隣は引っ越してきたばかりと言ったのに立ち寄らずに、うちの建物では私だけ。
別にやましい事などしてもいないし、隣近所に迷惑かけた覚えもないんだけれど、
ちょっと流石に管轄外の警察官が来て個人情報求められるのには・・・。
一番聞きたいのは、提出しないでも何もないのかどうか、なんだけど。
日本所在の個人運営ならともかく、FC2など本籍をアメリカ等治外法権の場所に置かれると対応できないからです。
そのため動画共有サイトは違法と叫ばれながら違法の中の合法という曖昧な立場になっているのです。
少なくともFC2動画系列のひまわり動画やSayMove!がこれまで検挙されていません。
個人で逮捕書類送検されている事例は多くが日本の別の動画共有サイトに違法にアップロードしたからです。
殆どは元サーバーのプロバイダへの通報による発覚であって動画共有サイト自体の責任でなく個人責任です。