2016-10-18

[]『星の王子さま』のラスト解釈について(ネタバレ

さっき初めて読んだんだけど、めちゃくちゃ感動した。

このお話ラストは、王子が蛇に噛まれ死ぬという、びっくりするオチで終わる。

んでこのオチ解釈を巡ってはさまざまな議論があって、ネット解説を何個か見ているのだけど、どれもいまいちピンと来ない。

そこで自分で書く。

「蛇に噛まれたのは楽園追放子どもから大人になること)を意味するよ」説

ネットでよく見る言説。

この説は、聖書創世記にある「イブが蛇にそそのかされて知恵の実を食べてしまい、楽園追放される」という話を類推する。

すなわち、王子イブ、蛇に噛まれたこと=蛇にそそのかされたこと、と考えるのだ。

そして『星の王子さま』で「楽園」と言えば「子供時代」を意味するであろうから、そこからの「追放」とは「大人になること」であろう、と推測する。

ただこの説の難点は、キリスト教においてイブは罪人であるということだ。この話をどう読んでも、王子が罪人であるというようには読めない。

しかも、『星の王子さま』の主題の一つが徹底した大人に対する批判にあることからすると、王子大人になってしまうというオチはこのテーマいかにもそぐわない。

したがって、この説のような読みは不可能ではないにせよ、本作の意義を極めて矮小化するもので、あまり採りたくない。

王子キリストだよ」説

集英社版の巻末解説池澤夏樹)はこの説に近い。

この説は、お話の全体にちりばめられた聖書的なモチーフに加え、①天から降りてきた王子が②死んで③天に帰るという展開が、福音書に描かれるキリストの生涯に似ていることを指摘する。

確かに指摘された点はキリスト酷似しており(モチーフの1つにしたのは間違いないと思う)、主役≒キリストという構図はいかにもそれらしい。

ただこの説の難点は、王子キリストであると解したところで「だからどうした」という点がはっきりしないところにある。

聖書においてキリスト処刑されたことの意義は、過去現在未来における人類の罪を、神であるキリストが代わりに贖うことにある。

他方、王子は蛇の言葉に騙されて殺される。ここに何かの意義を見出す解釈もあるだろうが、キリストのような贖罪意味はここにはない。

つまるところこの説を採用すると、ラスト王子死ぬ意味がよく分からないことになる。なのでこれも採りたくない。

王子敬虔クリスチャン」説

説って書いたけど、いまの俺の理解がこれ。

王子基本的に生き死にに頓着が無い。砂漠の真ん中で水の最後の一滴が尽きた時、焦る主人公に対して王子は呑気にこんなことを言う。

「友だちがいたっていうのはいいことだよね、たとえもうすぐ死ぬとしても。ぼく、キツネと友だちになれてよかったなあ・・・・・・」

また、王子が蛇に噛まれて死んでしまい、魂が天国に召される際に、追いかけて来る主人公に対してこう言う。

「きちゃだめじゃないか。つらくなっちゃうよ。きっとぼく、死んだみたいに見えると思うけど、でもそうじゃないんだからね・・・・・・」

「わかるでしょう。遠すぎるんだよ。あそこまでこの体を運んではいけない。重すぎるんだよ。」

「でも、古い皮をぬぎすてるようなものなんだからね。ぬけがらだと思えば、悲しくなんかないでしょ・・・・・・」



これらの台詞からうかがえる王子死生観は、クリスチャンにそれによく似ている。

クリスチャンにとって魂の本籍天国にあり、地上での体は仮初めの姿に過ぎない。したがって、死は消滅意味せず、むしろまりであると言える。

から王子は生き死にに頓着がないし、自分の死を悲しむ主人公に対して悲しむことはないと断言できるのだ。

この解釈を採れば、王子の死に対する向き合い方(≒クリスチャンの死に対する向き合い方)が分かることになり、本作のテーマを損なうことなく、王子の死が意義あるものとなる。

なのでこの説を採りたい。

まとめ

まだ読んでない増田諸賢はさっさと『星の王子さま』を読め!おらっ

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