はてなキーワード: 所謂とは
大体他のSNSじゃ政治問題はタブー視されてるようなもんだし。
数年前はITに興味のある所謂情強みたいな人達が、ユーモアも交えて政治絡みの話もしていた
そこには和やかな雰囲気もあった
ただアメリカがSNSを使う様子を見て政治利用するユーザも増えたように思う。
いかに高密度で正確でキャッチーな情報を提供出来るかがフォロワー獲得の最短の近道だったが
フェミニズム、LGBT多種多様な問題を取り上げ「炎上」させる事で政治的問題解決の手段とする人が増えた。
趣味垢があるように愚痴垢もあれば割り切って投稿する事も可能だが、昨今の政局は国民の生活にもろに影響してるから無理だろう。
その気はなくとも気付いたら彼の家にいて、気付いたらそういう事をしていて、気付いたらちょっと態度の冷たくなった彼の家から自宅への帰路を1人で歩いている。
最初は純粋に彼が好きで家に行ったりご飯に行ったりしていたのに、連絡が減って、気の向いた時しか連絡が来なくなって、色んな欲を満たしたい時に呼ばれる都合のいいオールラウンダーが爆誕していた。
彼が酔っ払って私にキスしてくる度に、私の頭の中の小鬼トリオが「こういうのは良くないでゴンス」「やめた方が良いヨォ」「やめるッピ!」と囁いてくる。
わかっちゃいるのに全然やめられない。いつか本当に彼女にしてくれたら良いなあと思って「LINE 既読無視 脈あり」という求めた答えありきのサーチを1日に800回くらいかけている。
本当は脈なしなことも、いつか彼が急に誰かと結婚するって言い出しそうなこともわかってるし、どこをどう直したら好きな人に好きになってもらえるのかももうわからない。
元々可愛い性格でもない上に、普段からしょうもないことに脳のキャパを使いまくっているので、揚げ足を取ることやわかりにくいボケを挟む事でしか誰かと接することができない。
ドールが好きだ。人間型も動物型も。SD系のリアル顔もDD系アニメ顔も。
シルバニアも好きだ。かわいい。でも赤ちゃんばかり持ちあげられるのはあまり納得していない。みんなまるごと愛してあげてほしい。
ぬいぐるみも好きだ。テディベアやうさぎや猫のぬいぐるみは昔から好きだった。
所持している人に対して引くとかはそこまでない(流石にbl的な絡みとかぬい同士の添い寝とかはちょっと……となる。)が、自分で所持しようとは全く思わないし、かわいい~とはならない。同じようにいわゆる「もち」も好きではない。
ちゅんやキャラの衣装を着ているクマは人間ぬいほどではないがまぁちょっと苦手ではある。
こんな感じ。
ポケモンやDQのスライムやミッキーみたいなぬいぐるみは好きだしそれらに関してはなんとも思わない。
別に苦手のままでもいいのだが、眠れない深夜になんでだろうととりあえず考えたのでここにメモしておく。
先に書いておくけど結論は出なかった。
最初、人間キャラのぬいが苦手な理由はそのキャラの人格や設定が既にあるため、私たちと同じ次元で身近に小さなぬいとして存在しているということに自分が解釈違いを起こしているからではないか、と考えた。
キャラクターにはそれぞれ暮らしている世界があるし人生がある。だから解釈違いになっている、という感じだ。
ポケモンはそれぞれ個体が違うのでトレーナーも性格も千差万別だし、スライムも同じように「スライム」というほぼ同じ見た目の種族なので千差万別。
ついでに人間型の中でもボカロは大丈夫なのだが、これもポケモンと同じ理由になると思う。「○○さんちのボカロ」という文化が昔からあったからだろう。
だからぬいぐるみになって大勢が所持していても違和感を持たない。
そこの違いが苦手がそうじゃないかの違いだと思った。
でもちょっと違った。
このブログの一番最初にドールが好き、と書いたが、実は所謂キャラクタードールはかなり好きなのだ。(DDとかすごい。ボカロを筆頭にたくさんある。SD系でカスタムしている方たちも尊敬している。)
ドールという形でなら同次元に存在してても問題なしになってしまう。
じゃあなんでだろう。
デフォルメされてるからかな。ボカロやスライムみたいに大量にいてもおかしくない、と思えないからかな。
Twitterとかではぬいぐるみ自体が苦手な人はよく見るけど私みたいに人間のキャラぬいだけが苦手な人は見かけないので(そもそもそんな発言できる空気でもないだろう。ぬいをもってるオタクはたくさんいる。)眠れない夜に書いてみた。
おやすみ。
元増田です
僕は今はまだこう考えるまでは至っておりません
きっと「女性作家が描く男性が男性自身が描く男性より生々しく現実的だと感じた事は僕もこれまで何度かあります」の件を読んでそう思われたのでしょうが、
「女性作家が描く男性が男性自身が描く男性より生々しく現実的だと感じた事はこれまで何度かある」だけで、
「女性作家の描く男性が(いついかなる時も)男性自身が描く男性よりも生々しく現実的だ」とは今の段階ではまだそう思っていないのです
具体的な作家さんの名前を出しますと、所謂「24年組」と呼ばれる少女漫画家さん達が描かれた漫画に登場する「日和見主義なおじさん」的なキャラクターはとても生々しく現実的だと読んでいて思いました
現実にはこういうおじさんは確かに存在するのに、男性向けの漫画の中だとそういう「普通のおじさん」は描いてもつまらないという理由からなのか出て来ないので、正に少女漫画と女性作者さんならではの視点だと感銘を受けました
ですが、同じように少女漫画に登場する例えば「容姿端麗な王子様」のようなキャラクターは、やはり女性が好ましいと思う要素で構成されているからかもしれませんが、こういう男性は現実ではあまり見ないな、と思います
そういう「現実には存在しないけれどフィクションの世界では古くから好まれるキャラクター」の存在は正に創作ならではという事で僕個人としては好ましく思っています
女性作家さんの「男らしさに苦しめられている男性が描かれる作品」に出てくる「男らしさに苦しめられている男性」キャラクターも確かに女性にはこう見えているだろう、という現実味のある存在なのだと思います
ですが、元の日記でも書いたように『「女性の目線から描かれた男性」の「男性の生きづらさ」なので、これ現実の男性像と微妙にずれてる様な…という違和感を僕は拭えない』で居る事もまた事実です
僕が疑問に思っているのは、やはり元の日記のタイトルもそうなのですが「何故女性が男性の問題を描こうとするのだろう?」という所になります
トラックバックやブックマークで非常に多くの方達から意見を貰えたので、それを読めば何か自分なりに一つの解釈を出せるかもしれない、出せたら良いのになぁ…と思っています
うーむこの増田の方が元増田より要点が纏まってて話が分かりやすい
売れるからだと思う。かっこいいし。主人公として成立させ易いし。ただ、例えば女に執着する奴、過去に縛られてる奴、ライバルにコンプレックス持ってる奴、普段は頼りない奴など、100%の男らしさじゃなく数%の弱さ・ダメさが魅力の肝なんだと思う。
これを「男性作家は、実は同時に、男らしくあれない男性主人公のダメさも描いている」とは見れないかな。ユリアユリア言うてるケンシロウとか、グリフィスグリフィス言うてるガッツとか、流川と春子さんを気にしまくってる桜木花道とか、めちゃくちゃ女々しい(問題ある表現)よね。
例に出すとジョジョの奇妙な冒険の空条承太郎は「男らしくなさ」が欠片も無い正に「男らしさの体現」的な硬派な不良だったけど
「男らしさ」に憧れる男性読者からだけじゃなくてジョジョの女性読者からも絶大な人気を誇るキャラクターの一人である事は興味深い
地獄先生ぬ~べ~や冴羽リョウみたいなスケベなお兄さんやキン肉マンみたいな普段は駄目駄目な奴も「やる時はやる」タイプだから弱さ・ダメさが人間的魅力や人間臭さになって人気に繋がってる感じかな
2.男性の描く「男らしくない男」像
のび太くんは正にそうだと思う、逆にジャイアンは普段は粗暴で性格の悪いいじめっ子だけどそういう嫌な所も時々見せる良い所も含めて基本的に「男らしい」キャラクターとして描かれているかな
「弱い事=男らしくない」なのか「弱い=自分らしく生きられない=男らしく生きられない」なのかは考えた事も無かった、後者みたいな考え方もあるんだね
幽遊白書の蔵馬とか、一見すると女性と見間違えられるような端正な容姿の男性キャラクターも「男らしくない」と思われがちで男性と女性で人気が大幅に変わる印象がある
逆に女性に嫌厭される所謂「厳つい不細工顔」なんかは男性はそこまで気にしないしむしろ男らしくない、女っぽいと受け取られがちなキャラクターよりは人気が出る傾向にある気がする
3.男らしくない事による「生き辛さ」とは
昔の少女達は手塚治虫、横山光輝、赤塚不二夫など男性漫画家に提供された少女漫画を特に不満も無く楽しんでいたそうな…むしろリボンの騎士あたりは直撃世代の女性にこそ熱狂的なファンが居るかもしれない
時代もあるけれど、現代の価値観で育った女性が男性漫画家の描いた黎明期の少女漫画を読むと「何だこれ、女性の理解度が全く足りてないしジェンダー感が古すぎる」って反感を持つのだろうか
「中身がおっさんの女子校生におっさん趣味やらせてるだけ」は実際事実だろうしもうおっさん達もそれを一種のギャグにしているからハラスメントしている女性をあまり見た事が無い…
「亭主元気で留守が良い」とか、「お父さんの服は汚いから一緒に洗濯しないで」とか、今やったら世の男性達が怒るだろうなと思ってしまうのは、やっぱり「男らしさ」が徐々に薄れてきたのもあるのかなぁ…
「中身がおばさんの男子高校生におばさん趣味やらせてるだけ」の作品に対する持ち上げ振りは本当凄いよね、何なんだろうねあの人達
二次創作小説をたしなむ皆様、特に書き手の皆様は、周囲の作品を読んでいてこんな風に思ったことはないだろうか。
明らかに文章が厚くて、読みやすくて、最高な作品が他にあるというのに、そちらよりもそのぱっとしねぇ小説の方が伸びている……そんな場面に立ち会ったことはないだろうか?
恥も外面もなく言うが、私はその『ぱっとしねぇ文章を書く字書き』である。
この『ぱっとしねぇ』の部分には、物議があるだろう。面白いの尺度は、人それぞれだ。ただ、ここで言う『ぱっとしねぇ』というのは、主に次の要素が含まれる。
・全部ではないが、やや文章に読みづらさを覚えることがある。
・誤字や脱字が地味に多い。
・表記ゆれを気にしていない。
・伏線の張り方が甘い。
“やや”とか“地味に”とか曖昧な表現だ。ただ、そこがミソである。『ぱっとしねぇ字書き』(長いので以後『パ字書き』)は、完全に面白くない文章を書くわけではない。ある程度は面白い文章を書く。ただし、圧倒的に“こだわり”に欠ける。
昨年2020年、Twitter上でオタク女たちの感情について描き、人々の心を動かした作品があったが、あそこには“神字書き”という存在が登場する。その神字書きとパ字書きの間にどのような差があるかと言われたら、この“こだわり”であろうと感じる。
神字書きの文章というのは、作品全体からその人の色とこだわりを感じるのだ。読むと「あっ、〇〇さんの文章だ」と感じることが出来るし、表記にも推敲の跡が見られる。読みやすさが意識されており、文章の端々からこだわりを感じる。
「この人は本物だ。こんなものがタダで読めていいのか……?!」
そう感じることだろう。私は感じる。さてはあなた方はそれで飯を食おうとしたことがあるな?
しかしながら、パ字書きこと私の文章からはそれが感じられないのである。自己評価が低いのではない。私は私の文章が大好きである。何度も読み返しては「オホ、なんか知らんがおもろいなこれ」とニヤニヤする。しかしながら、同時に表記ゆれや誤字脱字は多いし、そこかしこの伏線は甘いし、急展開だし、作品ごとに文体やら調子がバラバラで自分の“カラー”などあったもんじゃない。
身バレをしない程度に、どのくらいで数字を稼ぐ、と言っているのか述べるならば、現行ジャンル(所謂社会現象アニメではないにしろ、アニメやグッズ展開が活発に行われているジャンル)の二番目くらいに支部投稿数の多いCPで、常に100~1000程度のブックマーク稼ぐくらいである。投稿作品は10本。
ほほーんすごいじゃねぇか、と思ってもらえるだろうか。だがこの数字、もう少し続きがある。
当推しCP小説の投稿数は4000程度、このうちブックマーク100以上の作品数は2000程度(特定されないようにある程度数字は変えてあるが、だいたいこんなもんだ)。つまるところ、おおよそ50%はブクマ100以上なのである。投稿された小説の半分以上はブクマ数100以上。意外に感じた人もいるのでないだろうか。こうしてみると、ブクマ100以上とは、あまりすごくはない。2分の1に滑り込むだけだ。まぐれ当たりもあり得る。
しかし、私がそこそこの数字を稼いでいると自負する点は、10本連続、という点だ。10回連続で2分の1に滑り込んでいる。単純に考えるなら、2分の1の10乗なので、1024分の1。これならば偶然ではない数値だ。
そんなこんなで、そこそこの数字を稼いでいると思っている。
さて、ここまでは長い前置きである。『パ字書き』こと私が、どういう存在であるかをざっくり知ってもらうための、長ったらしい説明であった。
ここからが本題で、パ字書きがどうして数字を稼いでいるか、という自分なりの考えと、パ字書きなりの苦悩についてお話したいのだ。
先程ざっくり神字書きとパ字書きの違いをお話したが、もう一つ気になるのは、神字書きとの違いではなく『パ字書き』と『そうでない字書き』の違いだろう。
『そうでない字書き』という新しい概念が出てきた。これは『パ字書きと同じくらいの文章を書いている筈なのに数字はいまいちで思い悩んでいる字書き』のことだ。長いので『ソ字書き』と言う。ネーミングセンスについては言及しないでいただきたい。
ソ字書きは思うことだろう。
「神字書きの文章がハネるのはわかる。あれは素晴らしい。でも自分とパ字書きの文章にそんなに差があるだろうか? なのに何故パ字書きの文章はハネて、自分のはハネない?」
ごもっともだ。それは悩むだろう。だって、ソ字書きの文章も、パ字書き程度には面白いのだ。そうでない場合もあるが、ここで言うソ字書きは、パ字書きと同等くらいの文章を書く人々のことだ。
統計をとったわけでもなし、根拠はないが、このソ字書き、結構多いのではないかと思う。そして思い悩むことだろう。ここで悩まない人間はそれでいい。その人たちはソ字書きではない。
そんな『パ字書き』と『ソ字書き』の差だが、ここにあるのは単純明快『自己プロデュース力』だ。
ここで一つ、これを読んでいる人(二次創作作品を投稿している人)にたずねたいのだが、皆々様は、支部やらTwitterやらへの投稿を何を楽しみに行っているのだろうか?
『純粋に二次創作が好きだから、その投稿先を求めて』これはあるだろう。みんなそこから入っている人が多いだろうと思う。
『せっかく書いたから、自分が書いた作品を多くの人に読んで欲しくて』これもあると思う。
『同じ趣味の人と交流したくて』なんと社交的なことだろう。素晴らしいと思う。
私とて同じだ。だけど、私にはもう一つ大きな動機がある。
そして、これが、おそらく私をパ字書きたらしめているのだと思う。
『自己プロデュース』が楽しい、とはどういうことかと言うと、私は商売が好きなのだ。
世間のニーズを調査して、そのニーズを満たす商品を仕入れ又は開発し、プロモーションを計画して、結果を出す。次の商品展開につなげる。ブランドイメージを築く。
こういう流れが大大大好物なのだ。大好きなのはヒマワリの種。へけけ。
正直、私が重きをおいて楽しんでいるのは『二次創作』ではなくこの『商売』だ。
小説の面白さは同じくらい。だけど、その小説、商品をどのように売り出すかによって数字は変わる。このことが、最高に私を興奮させるのだ。
支部に関して簡単な例をあげるとするならば、それは“サムネ”だ。
絵描きの皆様の方が、サムネに対する意識は高いのかもしれないが、字書きとてこのサムネは軽視できない要素だ。
支部には、絵を描けなくても利用できるテンプレの表紙というのが存在する。しかも最近はおしゃれな新しいテンプレが出てきて、それを利用している人も多いのではないだろうか。
使う人が多いということは、それだけ“埋もれる”ということだ。
自ジャンルでは、そこそこの頻度で小説が投稿される。社会現象ジャンル程ではないが、平均したら1日に2作くらいだろうか。特に週末は投稿が集中する。その全てを見る人というのは、そんなに多くない。みんな、興味を引くもの、面白そうなものを選んで読む。
ここで、表紙を差別化して目を引く、というのは大切な要素である。
さらに、統一感があればなおいい。一作目がハネた場合二作目も似た表紙であるならば「あっ前面白いの書いてた人の作品だ」と言う形で、そちらも読んでもらえる確立が上がる。
それからもう一つ。支部で言うなら、字数も大切な要素だと感じる。
これは、ある程度ジャンルにもよると思うし、自身の体感の話だが、支部で読む際に丁度いい字数と言うは『7000~15000字』くらいだと感じる。
短すぎると物足りなくて、長すぎると敬遠する。特に『ぱっとしない文章』を書く人間には、この字数がよい。私は、文章力のない人間に困難なことは二つだと思っている。『短い文章で上手くまとめること』と『長い文章を飽きさせずに読ませること』だ。それが出来るのは、神字書きの領域だ。それができる貴方ならば、私は貴方を神字書きと呼ぼう。
キャプションも大切だ。なるべく、話を端的に表現すべきだ。何せ、そんなにくどくど長い文章を並べ立てたら、それだけで飽きる。一文でそれがどういう話かアピールするべきだ。かつ、面白そうと思ってもらえる一文。その引きが重要だ。例えば『イエス・キリストと仏陀が、地上の安いアパートで二人暮らしをする話』。ほら、すごく面白そう。
最近フリートとかいうインスタ気取りの機能を搭載し、オタクのおもちゃにされがちなTwitterだ。
ここに広告を打つ。
しかし、このTwitterというコンテンツ、どちらかと言えば相性がいいのは絵描きだ。どんぶらこっこどんぶらこっこと次々ツイートが流れゆくTL。断然目を引くのは絵である。パ字書きがフォロワーを稼ぐのは結構難しい。『字書きは基本支部でのフォローで十分。Twitterはフォローしない』そういう人、多いだろう。正直、私のフォロワーも、支部の方が多い。最近ようやくTwitterのフォロワー数が追いついてきた。
ではどうしたらいいか。ここで味方につけるべきは、そう。絵描きの皆様方である。
やめてください。引かないで。別にそういう打算的な目で見てるわけではないんですって。ただ事実を語ってるのよ。
というより、ちょっとしたお願いに近い。思い悩むソ字書きがいて、貴方が絵描きで、その人の文章を面白いと思ったならば、そのソ字書きを救うのは紛れもなく、貴方である。貴方が広告塔だ。
Twitterにおいて絵描きの拡散力というのは、程度は違えど絶大である。絵描きはまた絵描きとつながっており、そこからまた拡散が生じる。私はこれを『絵師ブースト』と呼んでいる。字書きにはありがたいものだ。
また、これは今まで私がいたジャンル特有のものかもしれないが、絵描きは絵を摂取しRTするより、小説を摂取しRTする方が抵抗が少ないらしい。これも統計に基づくデータではない。周辺の絵描きへの聴き取り調査によるものだ。ある一人の絵描きの発言を借りるのならば『オタクというのは、戦闘民族なので、同類絵描きは友でありながら同じリングに上がる宿敵である』という事らしい。オタクは戦う。その点、字書きはリングが違う。だから絵描きも応援しやすい。そういう事らしい。
Twitterでそういう絵師の目に留まって、広告塔になってもらえれば数字は伸びやすくなる。あわよくばつながっていければベターだ。そんなに難しいことではない。一点、性癖を刺激する部分を意識しながら、小説を書き続ければいい。
例えば、『小×大(通称ショウダイ)』というCPの「はす向かいのトロロ」と言うタイトルの小説を書いて、支部にあげ、そのリンクをTwitterに貼るとする。ただし、ここでタイトルが「はす向かいのトロロ」だけでは、『ショウダイ』で検索したときに引っかからない。これでは、貴方をフォローしている人間の目にしか留まらず、新規の獲得は難しい。なのでタイトルに【ショウダイ】とでも入れておくか、ツイートに自然な流れでショウダイというワードを入れ、ショウダイで検索する興味のあるユーザーの目に留まる確率を増やすことも必要だ。やっている人、多いだろう。
こういうことを考えるのが、私は好きなのである。
そして、こうすることで目に見えて成果が出るのが楽しい。R-18と全年齢のブクマ数の違いを分析したり、ジャンルで人気のある文体を調べてみたり、フォロワーの多い人のツイートに刺激を受けたり。そうやって、実際にフォロワーやブクマ数の変動を見ているのが楽しいのである。
勿論上手くいかない時もある。全てを自分がコントロールできるわけではない。自身の投稿が、神字書きの投稿に被さって、完全にそっちに持っていかれたり、公式から重大発表があってツイートが爆速で流されていくこともある。
それでもそういう時は、続編を書いて前のいまいちハネなかった小説のリンクを乗せたり、後からRTしてみたり(自RTはリスクも多いので極力控えるが)、後からフォローを行って、何とか一つ自身のボーダーとしているブクマ100を達成させる。
こうして、自分のアカウントをプロデュースして運用していくのがとても楽しい。
おそらく、パ字書きとソ字書きの差は、ここにあるのだろう。
たまに「こういう事じゃなくて、純粋に文章力を磨くべき」とか「SNSのこういうところに疲れる」という声を聞く。
それも一つ、正しいと思う。そういう人は、パ字書きではなく、まっすぐ神字書きを目指す方針を取ればよい。これも数字を取る方略としてアリだ。むしろ王道だろう。パ字書きはやや邪道だ。私は蛇の道から、神字書きを目指す貴方を応援している。
だけど、皆様、アイドルプロデュース系のゲーム、お好きではないか?
相手の好きなものを分析して、攻略していく系のゲーム、お好きではないか?
それと同じ感覚だ。それと同じで『二次創作アカウントプロデュースゲーム』も楽しい。なんらおかしくはないのではないか。自分のマネージャーになって1000ブクマ目指そう!目指せ最大手!……悪くないキャッチコピーだ。
Twitterは後者の攻略ゲームに近い。周囲の絵描きや字書きの好みを分析しながら、そこに程よく合致する作品を書く。露骨に書きすぎないのがコツだ。ちょっとした“萌え”を刺激する。『ナースのイメプレ読みたいな……』と言っている人がいたら、他のイメプレにするか、ナースの方を拾って看病ものにしてみるのもいいかもしれない。そうしてターゲットを絞って狙っていく。引かないでください。別そういう打算的なことだk……何はともあれ、作戦が上手くいくとそこにはえもしれぬ達成感がある。成果もついてくる。二次創作者攻略ゲーム。楽しい。
それにそうやってパ字書きやっているうちに、作品数を重ねて神字書きになる道もあるだろう。神字書きになっても、自己プロデュースは無駄にならない。
神字書きになる前のちょっとした段階として、パ字書きを経由するのも良いのではないか? そういうススメだ。
ただし、ここでパ字書きの闇にも触れておきたい。
ここまでパ字書き悪くないぞ、という話をしてきたが、問題は、神字書きにはだいたいバレる、ということだ。
バレるというか、ちょっと面白くないように思われているのを肌で感じる時がある。
これは、神字書きにも思われることだ。
たまにまかり間違って、神字書きと投稿時期が被った時、自分の方が数字が大きいとやや気まずい。実際あったが、これは本当に気まずかった。明らか、神字書きの方が文章が上手い。しかもテーマも似通っていて、字数も同じくらい。言わば、神字書きの文章がイタリアンシェフの高級パスタだったのに対し、私のはめちゃくちゃ即物的なカップ焼きそばだった。だけど、その時、ジャンルでウケたのはカップ焼きそばだった。そういう時もある。たぶん、みんな疲れていて、そんなにゆっくり味わう時間がなかった。
その直後、私はその神字書きにリムられてしまった。やられた。せっかく攻略したのに。
上記のことだけじゃなく何か他にも性癖なりなんなり理由があったのかもしれないが、カップ焼きそばを動線の一番いいところに大量陳列して売上を稼いでいることがバレてしまったからだろうと思う。『こいつそれなりの振りしてるが、実のところ文章ぱっとしねぇな』と、気づかれてしまったらしい。パ字書きバレしてしまった。不覚。
こればかりは、自分でも自覚があるからどうしようもない。自分の文章は神字書きと比べてぱっとしない。の割に数字を稼ぐ。これは、本当に文章力がある人からしたら、非常に滑稽だろうし、面白くないだろう。私が神字書きだったら面白くない。
自己プロデュースを楽しんでいる私だが、それと同時に二次創作が好きだし、文章も好きなので、やはり「上手く書きたい」と感じる時もある。オタクは戦闘民族だ。圧倒的火力で殴りたい。こういう時、パ字書きはどうしても『自分は本物ではない』という葛藤に苛まれることがある。足りない文章力を、自己プロデュースでかさまししていることを、自分が一番よく知っているからだ。
その葛藤から逃れるためには、結局のところ、文章力を磨くしかない。それは変わりない。
しかし、数字はモチベーションになる。読者が多いことは励みになる。パ字書きであることは、私の筆の進みをサポートしてくれる。
圧倒的火力を手に入れるその日まで、私は頭を使ってリングに上がる。
こういう楽しみ方や、オタクもアリだろうと、そう思ってくれる人がいるならば、嬉しく思う。
あと、この文章を読んで、周りにパ字書きがいても嫌いにならないでね。結構、面白い文章書いてるはずだから。単純に頭使って頑張ってるだけの奴らだから。
以上、パ字書きのススメでした!
この度「有機ELモデル」という新型が発表されたニンテンドースイッチ。
だが、一部ネット上で噂(あるいは期待)されていたのは、所謂Proモデルだったので、その界隈からは落胆の声も上がっているようだ。
では、どうしてSwitch Proは出なかったのか?
その理由を考えてみた。
それはズバリ
だ。
身も蓋もない言い方をすれば、nvidiaの力不足という話だ。
Switchというゲーム機は据置機と携帯機の両方の性質を持つ特殊なハードウェアだ。
そのため、搭載するSoCは「性能」と「省電力性」の両立が求められる。
例えばプレイステーションやXBOXのように、世代交代を重ねるごとに電力バカ食いモンスターのCPUやGPUを採用する、なんて事が出来ない。
「Tegra X1と同等の省電力性を最低限維持しつつ、より高性能なSoCの開発を!」と言われた事だろう。
そして、残念ながらそのハードルを未だクリア出来るものを生み出せなかったのではないか?
という推測だ。
その他、噂されていたSwitch Proの要素はだいたい今回の有機ELモデルで実現している。
なので、実際に水面下ではProモデルの開発と検証自体は進められていたのだと思う。
その結果、SoCだけが目標をクリア出来なかったと思うと、悲しいな。
また、2年後に期待しようか…。
遺伝病とはいっても、スイッチみたいに1か0か決まるタイプのものじゃない。
普通の人だとDNAの中で10回ぐらい同じ塩基配列が繰り返されているところが、100回とか1000回とかに増えてしまって、そのせいで全身に影響が出る。
しかも、親の世代と子供の世代で繰り返しの回数が変わることが多くて(大体は子供の方が増える)、親は症状に気づかないで暮らしていたけれども子供の代で明らかに変だって発覚するケースがあるあるのようだ。俺のところもそうだった。
この遺伝病はそう有名ではないみたいで、俺も兄弟がその病気だって知る前は病名を聞いたことがなかった。
知名度向上のために人に知ってもらった方がいいんじゃないかと思うこともあるし、
家族における進行がどうなるか不安で誰かに打ち明けたくなることもあるけれど、知り合いには言いづらい。
俺の兄弟は所謂IQのグレーゾーンに近いんだが、その病気と関係している可能性は否定できない。
しかし、俺の親で、その繰り返し配列を持っている側の親は、ホワイトカラーの専門職に就いている。
もし親の職場に伝わったらと懸念してしまって、自分の知り合いには言いづらい。
先日、初めて同人誌を捨てた。
内容は推しCPで好みなシチュエーションのとても素敵なものだった。
このクソキモヲタ腐女子によるクソみたいなお気持ち増田を見つけてくれた物好きなインターネットの住民は「なんだ、未練タラタラのいつものお気持ち表明文かよw」という感じで適当に読み流すなり見なかったことにするなりTwitter等で煮るなり焼くなりして頂けたら幸いです。
その同人誌と出会ったのは去年初めて参加した推しジャンルのwebオンリーだった。
コロナのせいで行く予定だったリアイベや友人と旅行に行く予定が潰れてしまった私にとってはとても素敵な出来事で、アバターを使って会場を散策した時間も、性癖が合うヲタク達と交流する時間も、どんどん金を同人誌達に落としていく瞬間も、購入した同人誌達を待つ時間も、その同人誌を読む時間もどれもみんな楽しかった。
「じゃあなんでその素敵な同人誌を捨てたの?」と言われると、その同人誌を作ったヲタクの人格の嫌な部分をお腹いっぱいで破裂しそうな程見てしまったからだ。
私のいるジャンルは基本子どもがターゲットのシリーズが長く続いているもので、年齢層も広く人も多い常に旬とも言えるジャンルだ。それ故に世間的には良かった作品でも、他作品を貶して自分の推し作品を褒め称えるヲタクや、自分に合わなかった作品=悪とみなし口汚く罵る評論家ごっこヲタクや、〇〇は駄作!!!全員そう言ってるだろ!!!と一部の声だけを膨張しクソデカい声で貶すヲタクが結構いる所謂民度が低いジャンルだ。
そして、その素敵な同人誌作ったヲタクも気に食わない作品を貶す嫌なヲタクだった。
最初Twitterをフォローしに行った時にフォロバされた時は飛び跳ねる程に嬉しかった、勢いで普段チキンで感想を送らない私が少ない語彙力を私なりに引き伸ばして同人誌の感想を送る程に嬉しかった。
同人誌作者とその腰巾着がリバ民ヲタクと作品をほぼ名指しで貶し始めたのだ。
最初は「同人誌作者さん左右固定過激派でこわ…リバ民さんのこと好きだから胸糞悪いけど、同人誌作者さんの普段のツイートと作品好きだしな…」と気持ち悪い悩みを抱える優柔不断な姿勢でいた。
そして、推しCPの作品が物語終盤になるにつれ同人誌作者がCP的に解釈違いな展開になってしまい腰巾着と一緒にヒスり始めた際には「なんでこの人こんなに怒ってんだろ…?」と困惑しながら最終回を迎えるまでしばらくミュートしていた。
その間に同人誌作者の腰巾着が推しCPのwebオンリーの主催をした時は「これが地獄ってヤツか?!」と憤慨した事もあった。
そして現行の新シリーズが始まりミュートも解除し、しばらく経って何も嫌なこと起きない平和な時間を過ごしていたら私が同人誌を捨てる原因となった出来事が起きた。
同人誌作者が急に現行作品を貶し始めたのだ。最初は視聴してたらしいがほぼ毎週放送されたものをあらすじと周辺のアンチの偏った情報だけを見てネガキャンし、終いには「前作の〇〇の方が面白かった。あの作品は最高だった」と散々終盤でネガキャンしまくった推しCPのいる前作を持ち上げ更に現行作品をネチネチとネガキャンし始めたのだ。
確かに現行作品はクセが強く人を選ぶ作品だけど、私がずっぷりハマってる作品が故に遂に我慢の限界が来てしまいブロックしてしまった。
ていうかなんで今までブロックしてこなかった!?バカじゃん???今までずっと1人我慢大会でもしてたの???
「坊主憎いけどその袈裟はいいね!」や「作者と作品は切り離して考えるべき」という正論でありとても素敵な思考を持つ人間になりたかったけど私には無理だった。
好きなドラマやミュージカルで推しを演じた役者が犯罪を犯して逮捕された時も役者とキャラは別物として切り離して考えれたけど、作者と作品は切り離して考えることは出来なかった。
同人誌作者は嫌な奴だけど同人誌は素敵なものだから…と思いながらその同人誌を再び読んでみたが作者のクソみたいな言動がチラついてしまい不快な気持ちになってしまった。
キン〇ン西野のことは嫌いだけどSTUDIO 〇℃。と芦田〇菜ちゃん藤〇慎吾氏が好きなのでプペルを観に行った時と同じ感覚だった。
とても素晴らしい作品な筈なのに嫌いな作者の顔がチラついて不快になる。
私の中で今まで好きだった同人誌作者が嫌いなキン〇ン西野と同等な存在になってしまったのだ。
そして、わたしは今まで購入してきた同人誌作者が頒布した3冊の同人誌をシュレッダーにかけて捨てた。やっぱりちょっと悲しい気持ちになってきまった。
よくTwitterで「絵師や文字書きがどんな発言しても良いだろ!!!」「影響力あるとか関係ないだろ発言は自由!!!」と話題になることがちょくちょくあるし正論だけど、このようなものを目にしてしまった今は「人が好きなものを貶さない」や「何の罪もない人を晒し上げて叩かない」とか最低限なものは守るべきだと思いした。
あと、どんなに治安が良かろうが悪かろうがクソみたいなヲタクは必ず湧いてくるのでつらいわ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
そして、こんなクソみたいな愚痴しかないお気持ち増田を最後まで読んでくれたインターネットの民に幸あれ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
この辺りの言葉は仕事中や日常でできるだけ使わないように気をつけてる。
特に、相手の考えを否定するときや自分の正当性を主張するとき。
多分これらの言葉の正体はそれを言ってる側の人間と全く同じ価値観や考え方で、
「普通」を突き詰めて行き着く先はその言葉を使ってる個人と全く同じ価値観の存在が出来上がるのだと思う。
「このやり方だと○○の方向でリスクが有るよね?」みたいな具体的な説明があるならともかく、
そういう説明も放棄して存在するかも謎な大多数の第三者という存在を勝手に味方をつけるとか卑怯極まりないよなと思ってしまう。
そもそもそれが仮に特定の国の特定の時代の特定の小さなコミュニティの中で普通だったからってだからなんだって気がする。
ナチス時代のドイツはユダヤ人を迫害するのが文字通り『普通』で『当たり前』だったんだろう。だから何だ?
まあ多分こういうことだろう。
「私の考えは普遍的な概念を寄せ集めた所謂”普通”で”当たり前”な考え方であり、私の考えを否定したり私が思ったとおりの行動をしない人間はその時点で”普通”ではないため誤っているのだ。」
個人的には大嫌いな考え方。
「普通はこうだよね?」とか言われて自分の行動が否定されると結構ムッとしてしまう。いやお前の普通なんて知らんがなと。
仕事仲間にせよ普通の日本人さんにせよ「普通」を多用する人はどうにも苦手だ。
多分だけど、「アップデート」とか「正しい」とかも似たようなもんだと思う。
ぼんやりとしか聞いてないけど、多分稼ぎ=ビットコインだと思う。
めちゃめちゃ羽振り良くなって、仕事もやめて、非モテだったので愛人作った。
資産を分割運用とかしてない、馬鹿みたいに女(やその他)に金使うって生活になって、突然財産を失った。
結局手に入れたものをほとんど手放してうだうだ言いながら仕事やりなおして暮らしてはる。
起業家タイプだからまた一からでも始められるからまだましなほう。
愛人さんは、生活水準が一気に落ちたので元に戻すのに苦しんでる。
しかも色々言いくるめられて、貰ってた金額の何割かを返すことになってそれ以外の縁は切ったらしい。
そんな話を聞いて思うのは、
一生分の概念って人によって違うよね、油断大敵。すごいインフレあるかもしれないし、国外逃亡しないといけない状況くるかもしれない。
現金はもちろん、仮想通貨、不動産、外貨(ドルとあと2~3通貨)、株たくさんとかで、自分が思う一生分の数倍ぐらいはないと安心してはいけない。
ってことは数十億円は必要になってくる。
そこに至らないなら、堅実な商売でも軽くやり続けたほうがまだ安定する。
それか資産家がやってるように、多少攻めの運用とかでどんどん増やしていくか。
特に、資産家たちみんなが、ガンガン投資してかないと(資産家みんなが守りに入ると)、株価とか色々下がるので、みんな不幸になる。
攻め続け中ればいけない。
そんなわけで、今はTポイントでビットコインが買えたり、ペイペイとかバーコード決済で得たポイントで投資信託みたいなの(投資はしてるがよくわかってない)買えるから、庶民もどんどん投資して、金回りを良くしてくべきだと思う。もちろんリスク判断は己でしっかり、よくわからんかったら知ってる知り合いに聞こう。
「何者かになりたい」と願う人とそうでない人、どこが違うのか
あままこ氏
これ、本当に「何者か」を目指してる人は除外対象だと思うんだよね
・料理人を目指している
etcetc
実力が伴うに越したことは無いが、実力が無くても本心から求めて真剣にやってる人というのを「何者かになりたい人」などというのは失礼だ
真剣にやってない人って誰?というと「ワナビー」の人たちで、分かり易いのは「小説や漫画」だが、こういう人は本心はどうあれ対外的な表層が「小説家になる」「漫画家になる」となってる
キョロ充という言葉が昔あったが、これも同類で、表層が「リア充グループの人」であり、その表層と自己の在り様をすり合わせるためにとる行動が、客観的にはキョロ充などと揶揄される行動になってしまう
小説家や漫画家の「ワナビー」も、表層に合わせた言動が「実」を伴わないために、客観的に「ワナビー」と揶揄されるものになってしまっている
本人はリア充のつもりとか、本人は漫画家を目指してるつもり、とか揶揄されるが、立ち位置がその振る舞いを要求するだけで、本人は別に目指してはいないんじゃないかね
嫌ならそのアバターを脱げ、という部分で、擁護をしたいとまでは思わないんだけども
・家庭的な自分
なんてのがあったりする
「特定界隈で尊重されている自分」の典型は、「会社で凄い稼げるオレ」だったりするが、実態が伴わないことも多かろう
昨今はSNSなどで、これらを手軽に堪能できる状況も出来上がっている
一番お手軽なのは、フェミニズム成分の強いリベサになってみる事だろうか
同志が集まって「いいね」してくれたり、まとめなどに出向いて正義を執行できる
話がずれたが、所属するコミュニティ毎(家庭、会社、友人、SNS)に異なるアバターを被るものは一定数いると思う
というか、すべてを素の自分だけで過ごしている人などごく一部だろう
「何者かになりたい」というのは、このアバターと自身のずれによって引き起るものではなかろか
サロンに参加してみたり
ボランティアやってみたり
所謂「何者かになりたい」という言葉で表現されるような衝動・行動というのは、概ね肥大化したアバターが原因であり
婚活登録した人が、本当に結婚したいのか、アバターに伴う「常識」がそうさせるのか
どちらが虚でどちらが実か
見えてる表層だけで、軽々に語られていいものじゃないだろう
誰に向けた文章でもない、ただ思いついたことをダラダラ書いているだけです。
自分は字を書く系のオタクで、所謂一次創作をしているのだがここ一年ほど書けずにいた。書けないときは自分を責めたり鬱っぽくなったりしていたが、幸いなことに(?)鬱で通院中のため、薬を飲みながら生活している。
ここ数ヶ月の間に質のいいインプットをする機会が増え、創作意欲が復活してきた。
しかしいざ書こうとしてもなかなか筆が進まない。
創作するのはつらい。できないのもつらいが、している間もつらい。そうして苦労して生み出した作品はPV一桁とかで行き止まり、世界のどこかにあるサーバの容量を圧迫するだけのノイズとなる。それが分かっているからつらい。でも、何もしないのはもっとつらい。
頭の中にあるものを書きなぐって、何度も推敲を重ねて、ようやく人目についても問題ないものになるまでにものすごく時間がかかる。時間のかかるわりに報われない。いや、報われたいわけじゃない。ただ自分の中に発生したアイディアをアウトプットしたいだけ。でも書いたからには誰かに見てほしい。わがままかよ。
一次創作はつらい。
いや、二次創作もつらいだろう。しかし作品名で検索すれば同士と出会える可能性のある二次に比べて、作者の頭の中にしか存在しない一次もなかなかつらいものがある。完結させなければそもそも見て貰える機会すらなく、完結したところで読んでもらえる可能性は限りなく低い。そもそも自分は読んでほしいのか?完結させればそれで満足なのか?よくわからない。
短編中編を完結させたことはあるが、完結したときの達成感はたしかに楽しい。投稿したときも楽しい。それでいいのでは?でも、そこに至る道程が長い。自分は何がしたいんだろう?
以前、創作する系しない系両派のオタクと会話する機会があった。
創作しない派の主張としては「創作するまでのエネルギーがものすごく必要だし、そこまでエネルギーがないからやらない」だった。わかる。創作するのってものすごくエネルギーが必要で、その割に完成したところで得られるものは少ない。なんていうか、割に合わないのだ。
一方、創作する系オタクの主張は「自分の発想を実体化させないと苦しいから」というものだった。これもわかる。その人はアナログ系の創作物を作っていたから「実体化」というものに強いこだわりがあったのかもしれないが、たしかに何かを完成させるという体験は他では味わえない達成感がある。
じゃあ書けよ、と言われるかもしれないが、書きかけの小説を読み返すのがつらい。しかし、続きを書くためには読み返して過去との整合性を取る作業が必要である。うーんこのジレンマ。
所詮趣味だ。書けないからってなんのデメリットもない。でも創作をやめることはもっとつらい。
創作活動はつらいし、それを乗り越えたからといって何かになる可能性は限りなく無に近い。
それでも手を止めることはできないのに、書かなければならないと思うとしんどくなる。
どのみち辞めるという選択肢はない。そして、辞める選択肢がないなら書き続けるしかないのだ。
オチはありません。
「長ぇ…」とは思ったけども所々「わかる」みたいなところがあったので書いておく。
その通りだ。
確かに他の都市と比べて東京はマスクしない人が増えたり、ちょくちょく都の要請を無視した飲食店が営業してる事から「もうコロナとかうんざりじゃ。補助金も出ねぇし、違約金払ってでも営業したるわボケ」みたいな感じの店も有るだろうし、「医師会も政治家も呑んどるやんけ、ならワシらもやってええやろ。こちとら1年以上我慢しとんねん」みたいな人達もいるだろう。
俺もたまにYouTubeを見るけど、メンツを見て「まあコイツらやりそうだし、ぶっちゃけノーダメージに近い奴らもおるだろう」って感じだった。実際ファンからは許されてるグループもいるしな。
まあ「(気持ちは分かるけど)駄目だろ」と「(こちとら我慢してんのに何してんだ)駄目だろ」とか人によって考え方は違えど駄目なもんは駄目だろと言うのが世間というものだ。
・全体主義になってる
これに関しては、個人的にはコロナ禍の影響でヒステリー状態になった人が増えて、家に居る時間が増えた事によってそんな人達がSNSやヤフコメに居座る様になった事も有ると思う。
まずそうした所にいるユーザーからは、YouTuberもとい若くて金持ってる奴は嫌われがちだ。
「自分達がキツい労働環境で少ない給料貰いながら働いてるのに、何でアイツらは誰に需要が有るか分からない動画でぼろ儲けしてるんだ許さん」と言うのがそんなユーザー達の本音だろう。
そんなユーザーが今回みたいなYouTuberの炎上ややらかしがニュースになると「ほれ見たことか」とばかりに騒ぎ立てる。となるとそのニュースの閲覧数や注目度は高くなるから、そのニュースの配信元は広告費や諸々で儲かるわけである。
となるとだ。ニュースサイトや週刊誌のオンラインサイトではこぞってYouTuberのトラブルを取り上げる事になる。
ユーザーからすれば自分のドス黒い感情を吐き出す事でストレス解消にもなるし、配信サイトは閲覧数と話題性で知名度アップや広告費稼ぎにもなるから結果的にwin-winになる。
と言うのも先述した通り、YouTuberの話題って世間的には炎上やトラブルが原因で認知されがちなのだ。ごくまれにHIKAKINが話題に上がるけど、それは彼が寄付しまくってるからだ。
本来ならば動画の内容とか動画配信の文化的な側面から語られた方が健全なんだけど、閲覧数の話から言えばそういった記事より今回のケースを書いた記事の方が世間的には需要が有るのだ。
個人的に危惧してるのは、所謂「尖った」クリエイターが今後出づらくなる可能性が極めて高い事だ。
今ですら規制が厳しいとされるYouTubeだけども、テレビも一緒で今や「好感度の高さ」が重視されている。面白さや見た目よりも好感度の高さで良し悪しが決まる時代だ。
少しでも世間一般の好感度センサーから外れれば、今回のケースはやり過ぎとしてもボヤ程度に炎上するのが想像出来る。
YouTuberの地位が上がったと言うよりも、ネットでバズらせるにはYouTuberを使った方が早いと世間が気づいたと言うのが俺の意見。
まあ実社会とネットに関しては微妙なズレもあって、職場で今回の炎上を話題にする人は居なかったし、ネットやテレビで「この話題で炎上していますよー。いやあけしからん」と言われても、実社会の人間からすれば「ふーん」と感じる人が少なくないと思う。
言うてる間に俺も長文書いちまった…
9人もの大規模コラボの中、夕刻ロベルが持ち前のしゃべくりでほぼ全ての見せ場を持っていった。多人数コラボでも目立つタイプのVも多数参加して突っ込んでいたがお構いなしに終始ロベルがボケ倒して終わる。何気にエグいピカミィ王の無茶振りにも注目。
王様マリカを見るなら誰の配信でも良いが、全体の流れを把握しやすいのは因幡はねるか風見くく視点がオススメ。
https://youtu.be/euAIXGeey58?list=LL&t=6856
Apex配信で火がついて今夏ブレイク中のSEM3人によるコラボ。序盤のDEVOURも面白いが、真骨頂は後半(1h54m近辺〜)のPummel Partyに入ってから。お互いに強烈な煽り合いを見せながら、潰しあっていく様は本当に面白い。
https://youtu.be/4itJhZLb_1k?list=FLjEtvMjKL4RE8c_kovDC2Ug
各Vの個性をいかした麻雀配信。麻雀のルールを知らなくても楽しめる。基本はグウェル以外の3人がガヤガヤとうるさい配信だが、要所要所ですっと一言で入り込んでくるグウェルの面白さも見所。
同様の理由で切り抜きも(本人自身によるものも含めて)除外してある。
他にもこんなに笑える動画あるよって人は是非教えて欲しい。
https://anond.hatelabo.jp/20210621222603
ついにきたな、と感じました。
ワイドショーで推し活というワードが聞かれるようになってしまった昨今、ようやくアンチ推し活の声があがりはじめた。
あ、自分はクリエイターサイドの、推される側の人間です。詳細は書きません。特定されやすいので。
実は、推し文化を見直して欲しいな、と思っとります。ので、便乗します。
推し活には、資本主義社会化とSNS時代における正当な活動という空気感があります。
つまるところ、
【推しを応援する→推しが儲かる→推しが更に活動できる→自分が満足できる】
1人でコンテンツを支える、少人数でコンテンツを支えるということが不可能なのです。
まあ、現代のコンテンツというのは何かと生産するのにコストがかかりますからね。
つまり、上の流れは実は成立しないのです。億万長者でもなければ、1人の消費など、焼石に水をかけているだけですね。
ユーザー1人1人が、なんと広告塔になれると。個人が宣伝を行うことが可能になった。
つまり、推し活をすることよって口コミ効果が起きると。そういう力学の発生を、皆様信じておられるのですね。
【推しを応援する→その声を聴いて他の人も推しを応援してくれる→推しがすごく儲かる→推しが更に活動できる→自分が満足できる】
現代人は自分個人の力がいかに無力なのかを、とても良く知っている。
その上で、一人一人がメディア機能を果たして、SNS上で、大声で推し活をすることで、より自分が満足できる環境が構築されるに違いない、と思っているわけです。
◎実はユーザー同士の口コミでコンテンツが盛り上がることはない
企業広告が嫌われ、ユーチューバーなどの個人が行う宣伝は好かれる理由がここにあります。
要するに企業の宣伝って嘘っぽいけど、個人個人が本当に好き!これはいい!というとそれっぽく感じちゃうわけですね。
そして、個人ユーザーがSNSで宣伝を行うと、素人感≒本音感のある声を溢れさせることができる。
だから、ユーザーが推し活をすることでコンテンツが元気になるんだと。そういう思考があるわけです。
ところがどっこい、効果ないです。
(実証ソースは確か海外の研究論文がダイヤモンドオンラインとかで和訳されていたはずなので探してみてください)
さてさて、所謂健全な口コミって、みなさん下記のような流れを想定されると思います。
Aさんがこれいいよ!と言い、Bさんがわかる!といい、それがCさん、Dさん…と流れていく、という形ですね。
ところが、現実は下記のような流れでコンテンツは話題になります。
【ユーザーA→ユーザーB ユーザーA→ユーザーC ユーザーA→ユーザーD】
わかるでしょうか?
つまり、大本になる発信力の強いAさんの情報が、バラバラに、それぞれに届いているのです。
宣伝能力という面で、ユーザーBさんやユーザーCさん、ユーザーDさんには価値がないということです。
Aさんは何者なのか。多くの場合はインフルエンサーと呼ばれる存在です。
もしくは、クリエイターやまとめサイトの管理人でしょうか。皆さんも心当たりがあるのではないでしょうか。
たまに、ズブの素人が下の図のユーザーAさんになることもあります。しかし、本当に稀な話です。
そして、コンスタントに下図のAさんのような立場になれるなら、自然インフルエンサーになるでしょう。
簡単に言っちゃいましょう。
『インフルエンサーでなければ宣伝をする意味は全くない』=『インフルエンサーでなければ推し活をする意味は全くない』
ということです。
つまり、ここに
【推しを応援する→その声を聴いて他の人も推しを応援してくれる→推しがすごく儲かる→推しが更に活動できる→自分が満足できる】
だって世の中のほとんどの人は、インフルエンサーじゃないんですから。
◎推され疲れ
ズブの素人だろうとなんだろうと、インフルエンサー的な力を簡単に持つ方法があるんです。
それは、悪評です。
つまり、○○はこんなひどいやつだ!と、できればソースつきで言うことですね。
その場合、どういうわけだか、非常に簡単に広まってしまうんですね。
まあ、端的に言っちゃうと、まとめサイトとかのゴシップ好きや、善意のフリをして悪評を広めるインフルエンサーが多いからなんですが。
(インフルエンサーサイドも、話の正誤を他人に預けられるというリスクヘッジができますし)
小さい声を拡声する機能は、コンテンツのクリエイターを攻撃する場合に、非常に簡単に、かつ効果的に発揮されるんですね。
ハッキリ言って、やってられないですよ。作る側としては。
だって良い声には意味がなく、悪い声は意味を持ちやすい。それが現代ですから。
良い声がいっぱいSNSに溢れている状態というのは、まあありがたいっちゃありがたいんですが、結局、その状態に持って行った時点でもうコンテンツとしては勝ってるんです。
つまり、ほぼ初動でインフルエンサー的存在が、推してくれるかどうかだけが、売上にとっては重要なのです。
多くの人に推されたから売れるのではなく、売れたから多くの人に推されるのです。
だから、その、申し訳ないのですが、人気になった後は推してくれようがくれまいが、あまり関係ないんですよね。
なのに、推してくれる人のご機嫌は常に伺わねばならない。
◎最後に
結局、グッズや商品、情報コンテンツを多数の人にお金を出して買ってもらわねば、クリエイターは生きられないのは確かなのです。
この話は、
【推しを応援する→その声を聴いて他の人も推しを応援してくれる→推しがすごく儲かる→推しが更に活動できる→自分が満足できる】という論理を否定するものです。
推し活の定義や、細かい部分でそれは違うぞ!というお話はあると思います。
所謂ヤリモクだったんだけど、その中でやっぱり、自分を好きになってくれた人を幸せにしたいという気持ちが目覚めて
俺は女の子を幸せにするために付き合うんだ!女の子を幸せにする方法を学ぶんだ!ってモチベでやってたんだけど
病んできたのでやめたわ
自分がいくら他人の幸福を願おうが、女は自分の幸福しか考えてないし、約束は破るしすぐに裏切る
そうだよな、セックスしたくて始めたんだから筋は通すべきだった
まぁ実際ヤリモクという「加害」に耐え切れず、自分を被害者に落とし込むための嘘だったんだよ
セックスをする為に適切な会話、行動だけで生きていく
女の人生なんて使い捨てで良いんだ。女は男の人生や精神を使い捨てにして生きていくのが前提だから
好きな事をして生きていく。お前もそう思うよな?ヒカキン?
私は創価学会員ではありません。
1,大聖人(だいしょうにん)
(厳密にいうと「本仏」という。)
なお、一般的な日蓮宗系の宗教では「大菩薩」ということが多い。
菩薩は仏に次ぐナンバー2という意味であるため、創価学会系の人とは
相容れないのである。
2,謗法(ほうぼう)
3,境涯(きょうがい)
4,財務(ざいむ)
強制ではないのだが、もし行う場合は最低1万円出さなければならない。
一般家庭でも100万円出すところもある。
5,折伏(しゃくぶく)
「勧誘」のことだが、無理やり入信させるというイメージである。
6,破折(はしゃく)
「論破」のこと。「破(は)す」ともいう。(後者の方が文語的)
7,御書(ごしょ)
8,仏法(ぶっぽう)
「仏教」のこと。
9,広宣流布(こうせんるふ)
公明党もかつてはそれに必要な「国立戒壇」(創価学会(厳密には日蓮正宗)員になるための儀式会場)
を作ることを目指していたが共産党などから追及されたり学会側の不祥事により破棄せざるを得なかった。
現在では池田大作創価学会名誉会長兼創価学会インターナショナル(SGI)会長
が世界各国で対話を行ったり、支部を作ったことで事実上達成したというのが公式見解である。
10,功徳(くどく)
中華版アークナイツで靖国神社に参拝した日本人声優のボイスが削除されたからだ。
靖国や台湾の話題に触れて中国で日本のアニメが発禁になったり声優が叩かれることは最近よく聞くことだと言える。
アークナイツの世界ではとある不治の病の感染者(被差別民)とそれを差別する非感染者の大衆が争っている。
プレーヤーである主人公が属する勢力は、暴力でもって差別に抵抗する感染者のグループにも、感染者を差別し排除する大衆(国家)のグループにも属していない。
その世界で生きる全ての人のために、両陣営の感情的な対立を諌める第三の勢力に属している。
物語の中で主人公グループは、相手を尊重する大切さや思想の異なる相手との対話や寛容になることの重要性を語る、所謂"綺麗事"を主張する集団だ。
彼らはその綺麗事をすんなりと受け入れられるとは考えていない。
だが、確固たる信念を持って差別する側と差別される側、両者の不寛容さを非難する主人公らの熱い思いを読むことができることがゲームの一つの売りだ。
しかしながら、今回の騒動でそのゲームを制作したゲーム会社の対応は一体どういうことだろうか?
靖国神社を参拝したことについて、その声優は中国人に対して謝罪をし、和解のアプローチをしている。
しかしその謝罪を受け入れず、飽くまで対立と憎悪を叫ぶ大陸のユーザーの声に対してゲーム会社が行った行動は、
ゲームで色々と理想を語っておいて、現実では対話の拒否と排除の肯定。
今後ゲームの中で主人公らがいくら理想を熱く語ろうと、もうシラケることしかできない。
中国共産党の思想に共感を覚えているのでもなければ中華ゲームはやらない方が良いかもしれない。
アーティストが感じるリスクじゃなくて、アーティストの作品に感動するリスクのことを言ってるんだよね。読解力ないのかな。
例えばあいトリのアーティストが作品で非暴力主義を謳ってたけど裏では暴力肯定していたら、作品に感動した思いを返してくれって言いたいじゃん?