誰に向けた文章でもない、ただ思いついたことをダラダラ書いているだけです。
自分は字を書く系のオタクで、所謂一次創作をしているのだがここ一年ほど書けずにいた。書けないときは自分を責めたり鬱っぽくなったりしていたが、幸いなことに(?)鬱で通院中のため、薬を飲みながら生活している。
ここ数ヶ月の間に質のいいインプットをする機会が増え、創作意欲が復活してきた。
しかしいざ書こうとしてもなかなか筆が進まない。
創作するのはつらい。できないのもつらいが、している間もつらい。そうして苦労して生み出した作品はPV一桁とかで行き止まり、世界のどこかにあるサーバの容量を圧迫するだけのノイズとなる。それが分かっているからつらい。でも、何もしないのはもっとつらい。
頭の中にあるものを書きなぐって、何度も推敲を重ねて、ようやく人目についても問題ないものになるまでにものすごく時間がかかる。時間のかかるわりに報われない。いや、報われたいわけじゃない。ただ自分の中に発生したアイディアをアウトプットしたいだけ。でも書いたからには誰かに見てほしい。わがままかよ。
一次創作はつらい。
いや、二次創作もつらいだろう。しかし作品名で検索すれば同士と出会える可能性のある二次に比べて、作者の頭の中にしか存在しない一次もなかなかつらいものがある。完結させなければそもそも見て貰える機会すらなく、完結したところで読んでもらえる可能性は限りなく低い。そもそも自分は読んでほしいのか?完結させればそれで満足なのか?よくわからない。
短編中編を完結させたことはあるが、完結したときの達成感はたしかに楽しい。投稿したときも楽しい。それでいいのでは?でも、そこに至る道程が長い。自分は何がしたいんだろう?
以前、創作する系しない系両派のオタクと会話する機会があった。
創作しない派の主張としては「創作するまでのエネルギーがものすごく必要だし、そこまでエネルギーがないからやらない」だった。わかる。創作するのってものすごくエネルギーが必要で、その割に完成したところで得られるものは少ない。なんていうか、割に合わないのだ。
一方、創作する系オタクの主張は「自分の発想を実体化させないと苦しいから」というものだった。これもわかる。その人はアナログ系の創作物を作っていたから「実体化」というものに強いこだわりがあったのかもしれないが、たしかに何かを完成させるという体験は他では味わえない達成感がある。
じゃあ書けよ、と言われるかもしれないが、書きかけの小説を読み返すのがつらい。しかし、続きを書くためには読み返して過去との整合性を取る作業が必要である。うーんこのジレンマ。
所詮趣味だ。書けないからってなんのデメリットもない。でも創作をやめることはもっとつらい。
創作活動はつらいし、それを乗り越えたからといって何かになる可能性は限りなく無に近い。
それでも手を止めることはできないのに、書かなければならないと思うとしんどくなる。
どのみち辞めるという選択肢はない。そして、辞める選択肢がないなら書き続けるしかないのだ。
オチはありません。
PV一桁って…何かの冗談だろ? 相当やべーレベルのクオリティの作品だとお見受けするがそんなものでも書けないと人間って苦しむんだね。しばらくはメモ帳に書いてパソコンに保存し...
PV一桁って…何かの冗談だろ? 相当やべーレベルのクオリティの作品だとお見受けするが こういう態度を慇懃無礼っていうんだよ。 そんなものでも書けないと人間って苦しむんだね...
俺も小説書いたけどPV一桁ノーコメントだったよ。
そして虎になる
よし、増田で釣りをやろう。ブクマが多数ついて嬉しいなら読んでほしいって気持ちがあるんだ。 読ませる手法の議論はいろいろあるぜ。 書きかけの小説を読み返すのがつらい。し...