はてなキーワード: 広宣流布とは
私は創価学会員ではありません。
1,大聖人(だいしょうにん)
(厳密にいうと「本仏」という。)
なお、一般的な日蓮宗系の宗教では「大菩薩」ということが多い。
菩薩は仏に次ぐナンバー2という意味であるため、創価学会系の人とは
相容れないのである。
2,謗法(ほうぼう)
3,境涯(きょうがい)
4,財務(ざいむ)
強制ではないのだが、もし行う場合は最低1万円出さなければならない。
一般家庭でも100万円出すところもある。
5,折伏(しゃくぶく)
「勧誘」のことだが、無理やり入信させるというイメージである。
6,破折(はしゃく)
「論破」のこと。「破(は)す」ともいう。(後者の方が文語的)
7,御書(ごしょ)
8,仏法(ぶっぽう)
「仏教」のこと。
9,広宣流布(こうせんるふ)
公明党もかつてはそれに必要な「国立戒壇」(創価学会(厳密には日蓮正宗)員になるための儀式会場)
を作ることを目指していたが共産党などから追及されたり学会側の不祥事により破棄せざるを得なかった。
現在では池田大作創価学会名誉会長兼創価学会インターナショナル(SGI)会長
が世界各国で対話を行ったり、支部を作ったことで事実上達成したというのが公式見解である。
10,功徳(くどく)
日頃の広宣流布ご苦労さまです
ただし、バリバリな活動家にもいろいろな考え方や見方があるので、鵜呑みにはしないで欲しい。
最後は誰の助けも得られず孤独に陥るというのが常である。わたしは精神的に強い方なのでまだいいが、弱い人は創価学会に入ってしまうのかもしれない。
入るときは弱いという人もいるかも知れん。
しかし、精神的に弱い人間は、学会に居続けることができても、活動家にはなれないし幹部になれてもやっていけなくなる。
全ての活動家や幹部は、「一人立つ」ことを求められる。
そうなっていなければ、いざという時に何もできなくなってしまうからだ。
ねーよ。
知らない人には上納なんだろうが、創価学会の財務は限定された会員しかできない。
ただ、親が自分の子どもの分として、名義だけ広布部員にすることがある。
だからといって、やりたくないものに直接出させるようなことはしない。
心得違いの幹部が絶対にいないとはいえんが。
広布部員になれば、財務として年間1口1万円以上の義務が生じることにはなる。
しかし、事情が変わってできなくなれば、無理にする必要はない。
自分はいつも1口だけどな。
1度3万円やったことがあって、「今年はいつもの3倍やりました!」とか会合で発表したりもしたけどなw
財務とは別に、随時受け付けている広布基金というのもある。
これは、自分が出したい金額でできる。
本部へ行ったら、2千円くらいは出すようにしている。
それくらいは財布に余裕があるようにしていたいという思いがあるので。
精神的に弱い人は社会でも成功していない人が多いだろうから所得も低いのではないだろうか。学会員にとって10%の上納はそれなりに大きな支出であると推測される。しかし10%から得られる精神的安定に価値を見出しているのだろうから学会員を続けるのだろう。創価学会とはそんなにいいものなのだろうか?
バリバリの活動家は、多かれ少なかれ、信仰によって何らかの困難を克服した体験を有している。
だから強い。
どれだけ精緻な理論を構築したとしても、実際の現象を覆すことはできない。
だいたい、財務や広布基金にしても、報恩感謝の思いや広宣流布の使命感からでなければ、ただの寄付であり金額は数字でしかない。
それで精神的安定が得られたとしても、単なる自己満足以上のなにものでもない。
学会活動するのだって、自分の時間を捧げているということになる。
「時は金なり」というのであれば、自分の時間を供養しているわけだ。
創価学会三世です。祖父母の代からの会員です。
両親は一応両方とも学会員だったけど、父と母の学会に対する温度差が大きく、
というよりむしろ父はほとんどノン学会員みたいなもので、
それが原因でうちの家庭はずっと機能不全だった。
そういう環境で長年育ってきたことから受けた心の傷やゆがみみたいのはかなりあるなーっていうのは
自覚してる。
でも、いい歳して「トラウマ背負ってるんだー」とか「不幸な生い立ちでー」とか言うだけ言って
自分の人生をよりよい方向に向けていこうという心構えのないやつは馬鹿だと思ってるので
時折自問自答したり、近しい人と話をしたりして、そういうディスアドバンテージを乗り越えようと努力している。
信仰、というより、学会に盲従するような人だから、基本的には朴訥としたいい人、
疑うことを知らない人、優しくてかわいい人なんだと思う。
何より、世界でただ一人のお母さん。
最近は歳をとったせいか若干脳内お花畑はいってきているのも涙をさそうんだけど、
一生大事にしたいと思っている。
でも、会話をしているとしょっちゅう学会のこと、聖教新聞のこと、会合のことを言われるのが苦痛。
ほんとに苦痛。
読みたくもない聖教新聞を豊かではないポケットマネーで購読していることで親孝行と思ってくれよ。
それ以上はまじ無理だから。
まあでも今は別の家に住んでることもあり、なんとかのらりくらりとかわしている。
最近思うんだ。もう遠くない、近い将来、創価学会はかなりの変質を迫られるよね。
ほらだってあのプレジデントもご老体だし、人間には寿命があるから。
外から学会を覗いていると「うーん、来るべき時にそなえてプレジデントのさらなる神格化と内部引き締めに躍起になってるな」
と感じるわけなんだけど、実際あのプレジデントがみまかられたらどういう風になるのかは未知数。
求心力は必然的に低下するんじゃないかと思ってる…ていうか、低下してほしいと願ってる。
何も根拠はない…ただただ主観的に願ってるだけ…。
もしそうなったら、学会の雰囲気が変わったら、末端信者がもっと生きやすいようになったら、
そうしたらもっとお母さんと話をするんだ。
もっともっとお話しするんだ。
もっと近くに寄ってお母さんを大事にするんだ。
「聖教新聞読んだ?」「池田先生のご指導から離れちゃだめよ」なんていう言葉を聞かずに
たくさんお母さんとお話するんだ。
お母さんも「この子は学会から離れて…心配だわ…」とか思わずに
にこにことした老後をすごしてくれたらいい。
孫に信心を受け継がせなくては!とか躍起にならずに家族団らんを楽しんでくれたらいい。
あの組織が早く弱体化しますように。
俺が信仰している二次創作嫌儲教というのは結構厳しい宗教で、教義で二次創作に関する嫌儲思想を広めるためには茨の道も行け、という広宣流布の義務が信者に課されている。
フルブッコにされながらも嫌儲の道を行くのはそのためである。
しかし、以下のエントリを目にして驚愕した。
http://www.rough-note.net/index.cgi/021
これは二次創作云々ではなく、事故とかマナーの方向で書かれたエントリで嫌儲とは別の切り口だが、コミケの問題点を指摘しているエントリである。
内容はさておき、ブログ主が冒頭で
などと宣言するまでに追い込まれたことにやや薄ら寒さを感じた。
実はコミケ教の信者の方がウチの二次創作嫌儲教よりよほど厳しい戒律を持っていて、「いかなる理由があれど総本山のコミケを攻撃した輩は根絶やしにせねばならぬ!」
みたいな、どっかの宗教レベルにおっそろしい宗教なんじゃないだろうか。
同人者の楽園(by id:hapze-23_45氏 http://h.hatena.ne.jp/id/hapze-23_45)である総本山を守るためにはここまでするのか。
ま、こんな気持ち悪い宗教はいつか信長に焼き討ちにされるであろう。
嫌儲教は地道にがんばるよ!