この辺りの言葉は仕事中や日常でできるだけ使わないように気をつけてる。
特に、相手の考えを否定するときや自分の正当性を主張するとき。
多分これらの言葉の正体はそれを言ってる側の人間と全く同じ価値観や考え方で、
「普通」を突き詰めて行き着く先はその言葉を使ってる個人と全く同じ価値観の存在が出来上がるのだと思う。
「このやり方だと○○の方向でリスクが有るよね?」みたいな具体的な説明があるならともかく、
そういう説明も放棄して存在するかも謎な大多数の第三者という存在を勝手に味方をつけるとか卑怯極まりないよなと思ってしまう。
そもそもそれが仮に特定の国の特定の時代の特定の小さなコミュニティの中で普通だったからってだからなんだって気がする。
ナチス時代のドイツはユダヤ人を迫害するのが文字通り『普通』で『当たり前』だったんだろう。だから何だ?
まあ多分こういうことだろう。
「私の考えは普遍的な概念を寄せ集めた所謂”普通”で”当たり前”な考え方であり、私の考えを否定したり私が思ったとおりの行動をしない人間はその時点で”普通”ではないため誤っているのだ。」
個人的には大嫌いな考え方。
「普通はこうだよね?」とか言われて自分の行動が否定されると結構ムッとしてしまう。いやお前の普通なんて知らんがなと。
仕事仲間にせよ普通の日本人さんにせよ「普通」を多用する人はどうにも苦手だ。
多分だけど、「アップデート」とか「正しい」とかも似たようなもんだと思う。