はてなキーワード: 所謂とは
自身が何かを成し遂げていたり、所謂ガチ勢であることこそが趣味、という人達のコミュニティに属しているようで、自分の浅さを感じることが多くて悩んでいます。
例えば、スポーツだったら学生時代に大会でいい成績を収めていたり、旅行だったらマイナーなところへの旅行歴や旅行の頻度が高頻度でどこかへ行ってたり等です。
自分自身飽き性で何か極めたものがあるというわけではないのですが、
コミュニケーションを取りたいためにもにわか知識でふらっと話しかけてしまったり、自分がにわかである事が上手に伝えられていないのかもしれません。
自分自身でも何かを身に付けたい、という思いもあるのですが、飽き性なこともあり何かを身に付けることもできず、自分が今まで趣味だと思っていた事に対する虚しさすら感じるようになってきていて苦しいです。
Vの人達は、所謂過去顔出しやらなんやらで別名義で配信していた(している)前世がある場合が多い
その前世とやらに触れたりするのは何となく御法度的な空気がある、その意味は分かるから自分は尊重したいと思っているし深堀するつもりはない
しかし残念なことに、何も知らない状態でVTuberを知った人でも割と直ぐに推しの前世を知ってしまうことがままある
自分もそのタイプで知ってしまった、Youtube君のオススメ許さんぞ
分かってても見えないものとして扱っていた前世垢の動画達、最近見てしまおうかという気持ちが芽生え始めてしまった
この漫画が何で評価されてるんだ?と思う人は普段から小説なりなんなりで本に触れてるタイプだとおもう
なんだろう、「ストーリーの深さ」が評価されてるんだろうけど、総合的な漫画力は低いというか。。
キャラに対する深掘りが足りないよな。所謂関係性の”エモさ”とかキャラ自身の”魅力”ってやつが。
例えば”エモさ”に全振りした漫画としてBLEACHとかがあるけど、数十ページの漫画として知識量はもちろん足らず、キャラの深掘り、画力、コマのうまさ、エモさがなんか物足りなさを感じてしまうんだよな
話の展開したさにキャラをとってつけてる感というか。。うまくまとまってるとは思ったけど
多分、これがエロ漫画で鳴子ハナハル的に主人公の姉が村中の男にレイプされてた設定とかあったらkomifloでは一位取れてたんじゃないでしょうか
世の中の人間は文章の最初と最後だけ読んで、わかった気になる馬鹿ばかりだ。
常に偏差値が70くらいあった。
別に私の頭がいいからとかではなく、単純に早い段階で教育を受けていたからだ。
具体的には保育園あたりから公文だの塾だのに放りこまれていた。
そりゃ常に勉強が出来てるんだから、10代は天狗になっちゃうよね。
でも、高校から自分と同じレベルの進学校に通い、勉強が出来るのは当たり前の世界になると考えが変わった。
そして大学で、たまたま行動力のある人間と友人だったので、そいつが在学中に作った会社に参加した。
超優秀な人間に囲まれて、実に仕事はきつかった。バリバリ大手の企業とやり合い、資金を引き出し、片手間でオリンピックに参加するような文武両道の怪物が平気でいた。
とにかく、私は所謂「上流」の世界では雑魚もいいところだった。
プライドを叩き折られ、社会にはすごい人がいくらでもいるんだ!と、ある種の幻想を抱いていたように思う。
その会社は大学卒業と同時に辞めた。というか正直に言うと、ついていけなかった。能力的に。
時期的にはこの辺りが、ちょうど「普通の感性」というものを持っていた時期だと思う。
人を見下さず、尊敬の念を持ち、謙虚さこそが美徳だという、通常な大人の感性だ。
でも、卒業後はSNSを活用する業界に飛び込んで、気づいてしまった。
「勉強が出来なくても頭がいい人はいる」なんてのは、それこそ幻想だった。
勉強程度が出来ない人間は何やってもダメだ、と再確認しただけ。
言ってしまえば、そう。「偏差値50の人間がどれだけ馬鹿なのか」という話である。
彼ら彼女らは、信じられないほどの馬鹿だ。アホだ。生きてて恥ずかしくないのだろうか。でも、それこそが世界の平均値なのだ。
馬鹿が政治について語っている。馬鹿が課金で搾取されている。馬鹿が適当に書いた記事に踊らされている。
いやあ、コミュニティの同質化ってのは本当に怖い。
私はたまたま、所謂偏差値50以下の「下流」の人々と関わる機会が多くなったのだが、これで、「上流」としか関わらない仕事についていたら、絶対にこんな考えには至らなかっただろう。
世の中の人は。みんな精一杯頑張って生きているなんて誤解したままだっただろう。
でも、なんだろうな。詐欺で生きているようで気分が悪い。
だって、私は一度もお金に困ったと感じたことはないけれど、馬鹿な貧乏人の気持ちは全て把握できる。
人種や性別で差別されたことはないけれど、差別される馬鹿の気持ちが完全に理解できる。
アニメや漫画が好きではないけれど、馬鹿なオタクが何を求めているのかアッサリわかってしまう。
だって、実際にそういう記事をプロデュースして、いくらでもPVを稼げるんだもん。しょうがないよね。共感の声なんていくらでも貰える。
でも、本当に頭の良い人達から見ると、私も同じ馬鹿の部類で、誰かにカモられて生きているんだろうな。
何が言いたいのかって言うと、世の中に出回っている情報メディアなんて私みたいな人間がクリエイトしているものだから、一々リアクションしなくていいよって話。
少し賢い馬鹿が馬鹿を騙すと、何故か金が生まれる。そういう仕組みになっている。
なんなんだろうね、現代社会って。
弊社は昇給が年1回だ。賞与?そんなものはないし、インセンティブはあるらしいがもちろんそんなものも受け取った記憶はない。
年1回ということは当然の如く上がらなかった場合は来年までそのままということになる。
変化の激しい業界なので年1はどうかと思うのだが。
ざっくりどんな業界かと言えば、とあるサービスを運用しており、半年後のこともロクにわからないのに来期の目標は?と聞かれても、来期があるんですか?という感じの業界だ。
査定は年間通した評価になるはずもなく、流行語大賞よろしく直近の評価がメインになりがちになる。
上がればハッピーでもあるがそれ以上もない。減ったら絶望だし、そのままというのも軽く絶望だ。
なにせ1年変わらないのだ。来年は上げるぞというやる気を1年維持しないといけない。この変化の激しい業界でだ。
過去の経験として、査定時の面談で来期はこうこう頑張ります。という目標を立て、査定を終えた。
3か月後、運用停止決定。異動。あっという間に1年が経ち。評価する人物も変わり。
「異動もあったから評価はそんなにできない。給与はそのままだ。」
貴重な1年を無駄にした感じだ。
そこでだ。
積極的に動かなかったお前のせいだ。
場に流され、それをよしとしたのは私だ。
今年の査定もひどかった。
私は所謂、指示待ち人間に属する。いや、自分的には積極的な指示待ち人間だと思うのだが。
自発的に提案もする。バッターボックスに立てと言われればやる。言われなければ完全に動かない。ではなく、動いている方の作業者だと。思いたい。
そう。思いたい。
作業者はいらない。よく言われる言葉だ。今回の査定でも言われた。
が、私は作業者なのだ。作業者が気質に合っているし作業者としての能力なら結構高い。
すぐ手順覚えるし、効率化するし、ミス少ないし、作業は早い。これは結構自身がある。
が。表立って言えない自身なのだ。なにせ作業者はいらないのだから。
言ってしまったら逆に評価が下がるのだ。「そんなもの誰にでもできるから」「それは自信とは言わない」
つまりはそこだ。
社会とはそういうとこらしい。
そこだ。
私にはお金がいる。借金がある。借金があるくせに節制しない。できない。したくない。
人はどの程度変われるのだろうか。違う。変わると思っていない。違う。変えたくない。違う。面倒くさいのだ。
私は本当に何に対しても面倒くさいのだ。楽して金が手に入るならそれがいい。本当にそう思う。
仕事も面倒くさい。人付き合いも面倒くさい。勉強することも面倒くさい。変わることだって面倒くさいと思うのは当たり前だ。
楽がしたい。楽をするためにどうこうではなく、いとも簡単に楽を手に入れたい。まさに5000兆円ほしい。
まさにぴったりの言葉だ。
本当にガワは相当真面目に見える。酒は飲めない。タバコも吸わない。仕事は休まないし遅刻もしない。
コミュ障で陰キャは隠せてないが。誰にでもできる仕事はできるがリーダーシップはない。ザ・一般人
よくある話だ。あれだけ真面目に過ごしてきた自分が今こんなんだ。
これより「上」というやつに行くには自分でなくなる必要がある。自分を保ったまま「上」に行けるとは思っていない。
何度考えても自分がリーダーシップを発揮して部下を従えバリバリ働いている姿を自分だと思えない。
増える責任。のしかかる重圧。とても面倒くさい。それとの対価が給与として反映される。わかる。そんな社会の常識ともいえる構図なんで今更わかりきってる。
これがあと10歳若かったら。
まだ違ったかもしれない。いや、10年前ですら面倒くさいと思っての今なのだ。
まぁあの時メンタルをやられてなければギャンブル依存症にはならなかったとは思う。
家庭とかそういうものをつくる。
いや、借金抱えた病人を好きになる人がいるか?もはや諦めてる。
趣味を見つける。
金がないのだ。むしろギャンブルが趣味と言っていい。依存症だから。
ギャンブルをやめる。
思考回路が壊れていると思ってもらっていい。
金がないからギャンブルをするのだ。単に取り返すという意味で捉えてもらってもいい。
気分を紛らわし、金が増える返ってくる可能性がある。からやってるのだ。
もしロト6で3億当たったら6億だっけ?
今抱えてる悩みは全て解決すると断言する。
が、買う金がない。その1000円すら惜しい。パチンコのサンドには余裕で諭吉を入れるのにだ。
余裕がない。とも言えるのかもしれない。全ては借金のせいだと。
が、その原因を作ったのは自分だ。誰のせいでもない。
それが嫌なら変えなければならない。
嫌だとは思う。が、変えるのが面倒くさい。
今のままではよくないと思う。が、変えるのが面倒くさい。
もうどうしようもないのだ。
どんな啓発的なことを言われても響かないし、クソみたいな言葉を投げつけられたらムカつく。
自分の感情が第一であり、何においても優先される。面倒くさい。節制するのはやだ。
今のまま借金肩代わりしてくれるあしながおじさんでも出てこないか。まじで。
何かが変わったというのなら。いまこれを書こうと思ったことが変わったことだ。
その些細な変化がとか言う人。絶対出てくるんだ。俺は詳しいんだ。
だが、何ということはない。変わらないよ。断言できる。
一時の気の迷いだ。過去にもよくあった。続かないんだ。面倒くさいから。
もうダメなんだよ。本当に。
何度変わろうと思っても変わらないのだ。変える努力もしていない。
面倒くさいという言葉で片付けている。それをよしとしている。
本当に変わりたいと思うのなら。そうだ。変わりたくないのだ。
なぜ?怖い。不安。だから変わりたくない。不安になりたくない。だから考えないようにしている。
でも変わらないと。知ってる。でもどうしても嫌なのだ。不安に押しつぶされ行き場をなくしたら。変わるのに失敗したら。
そこを跳ね除けて進む強さも自信もない。1歩踏み出す勇気とか。なぜそれが必要なのか。
それができてこそ「上」にいけるというのも知っているが、失敗したら責任はまた自分に帰ってくるのだ。当たり前だ。
その失敗は経験になるには時を逸しすぎている。遅すぎという言葉はないとかいいこと言われたって、経験を活かして成功するまであと何回チャレンジできるのか。
成功してどうするのか。50、60になって成功したらその後どうするのか。意味はあるのか。性欲もなにもかも衰えたその時に人生の絶頂期がきて何ができるのか。せいぜい旅行とかだろう。
辛いなら逃げてもいいというが、逃げて成功できるほど人生は甘くない。嫌というほど知ってる。それで成功してる人は逃亡先で頑張っているのだ。
私は頑張れない。どこにいても辛い。辛いなら逃げていいというのなら。逃げ続けてもいいのではないか。
人それぞれだ。私は「金を稼ぐ」=「成功」なのだ。もうそれしかない。返さなきゃいけないものがある。
自己破産?債務整理?そんなの嫌だね。世間体が。そんなこと言ってられないとかではない。真面目系クズを舐めないでほしい。
その成功を収めるためにしなければならないこと、それをしたくないと思うこと、そこに板挟みになって精神をすり減らして病んで、悲劇のヒロイン(♂)を気取っている。
クズだという自覚も十分ある。じゃあお前はクズだと指摘されればムカつく。
将来何がしたい。どうなりたい。知らん。いまのままでいい。金くれ。給料上げろ。
楽になりたい。
それはそうだろう。もはや生きている意味=借金を返すことなのだから。
こればかりは面倒くさいと言ってられないのだ。真面目系クズの名にかけて。
が、できない。一瞬でも痛いのが嫌というものあるが
「あいつ自殺したんだってよ」「やっぱりな」「だっさ」「やったぜ」
自分の死後に言われるであろうありとあらゆることが許せない。どうせありもしないことも言われるだろうし。
悲しんでくれる人もいるのは知っている。普通に坦々に目立ちもしない真面目を装ってきたんだ。
そうすれば私は「可哀そうな死を遂げた人」として確立するのだ。
何と素晴らしいことかと思う。
同業者に対して生放送でヘイトをぶちまける奴の事を好きになれる訳が無い。
所謂池袋組。こいつらの書いたラノベは評判が良くても読んでない。あざの耕平とか好きだったのにこいつらの仲間ってだけで印象悪くなった。
曲自体は好き。中村イネ時代のやらかしが今でも大嫌い。未来永劫嫌い。
こいつの事も大嫌いだった。消えたと思ったらまだ細々活動しているらしい。何度もやらかしたんだからもう消えろよ、おまえ。
自分の事を面白いと思っている漫画を描かない毒舌おじさん。漫画自体は好き。本人は嫌い。
それぞれ偉大な漫画家だと思うけどある一点において好きになれない。
大嫌い。名前も見たくない。
大嫌い。嫌いだなあこいつ。ロボット関連の話題ですぐチヤホヤされる。
地獄に落ちろ。くたばれ→と思っていたけどゴールデンカムイ読破して印象変わった。
声質と演技自体は嫌いじゃなかった。ハルヒやってた頃は好きだった。今は嫌い。
嫌いじゃないつもりだったんだけど何かなぁ。
イジメコネクトの件で未だに引っかかってる。→まあ昔の事だし…で流せるくらいにはなった
川上とも子の恋人寝取りおばさん。そのエピソード知る前はイリヤの声だし好きだったよ。
Wはガンダムのパイロットやレディも好きじゃないけど閣下は特に好きじゃない。悪人のくせに神格化されすぎ。それはそれとしてFTのトレーズ閣下パート好き。
大嫌いではないけど不殺キャラの代名詞として持ち上げられすぎ。他人の敵討ちまで邪魔するのは胸糞悪い。あそこまで強くなれたのは人間じゃない事が大きかろうに。
唯一ペルソナを付け替えられる天才カリスマ漢でリーダー。親しい女全員に手を出すヤリチン。持ち上げられすぎてて嫌いな主人公。
本気で拒絶反応が出るくらい嫌いなキャラ。かぐや様は告らせたいは好きだけど、こいつが出演する場面は総スキップするだろうなってくらい嫌いだった。
作家本人は嫌いじゃないけど、ジョジョのノベライズを書いてから乙一作品全般が嫌いになった。
これも作家本人の事は好きでも嫌いでもない。ただ話が胸糞悪くて読んだ事を後悔した。
今まで触れた作品の中で一番嫌いな物がこれ。腐女子さん女体化BLはノクターンノベルズじゃなくてムーンライトノベルズでやってください。作者のコメント返信も最悪だった。くたばれユサギ。
アクション描くの下手だし泥臭い戦いやってる筈なのにやたら小奇麗だなこいつらくらいしか思ってなかったけど、ファンの民度がこれまで触れた作品の中で最低クラスだったから作者も読者も全員死ねレベルで嫌いになりました。死ね
…と思っていたけど実際読み終えたら面白かった
こんな客観的に見たらヘイトぶちまけてるだけの日記を書いてる俺の事だって嫌いだよ。書くけどね。
特定の作品粘着で有名な場所。最近利用者が一気に数千人単位で増えた。とにかく他人を口汚く罵る奴とそういうレスにそうだねを入れる奴が大嫌い。ここを見てるとどんどん心が腐っていく感じがする。
10年単位で何かに粘着する狂人を見る事が出来る稀有なコミュニティ。やたら攻撃的で他人に噛み付く奴のIDを検索したらこいつこんな前から居るのかよ…という感覚を味わえる。
他人とのコミュニケーションが苦手なので付き合い方が分からない。ヘイト系創作のクリエイターをフォローしてるアカウントが何十何百万人も居る事実に心が沈む。今度からどんどんブロックしていこう。
最近日記って体裁を忘れた政治語りとトラックバックが多すぎる。時期が悪いだけかもしれないけど何か加速的にどんどん嫌な場所になっていってるのを感じる。
今の段階で頭に浮かんだのはこれくらいだけど他にももっとありそう。
9/18に追記した。
更に追記した
2022 6/15 更に追記した
2022 7/13 更に追記した
非常に憤りを感じている。
今朝方流れてきた以下のような言説。このような差別発言は今に始まったことではない。
「土日くらい休ませて」というパパへ。
https://www.instagram.com/p/CQDvgRTDA-N/?utm_medium=share_sheet
このような言説により、普段育児に参加しているしていないに関わらず、「休む」という言葉を封じられる。これは男親に対して顕著であることに疑いはなく、女親に対しては「休む」ことを推奨する言説がほとんどだ。
深夜に夜泣きでミルクをあげることを男親がやることだってもはや珍しいことではないし、そもそも育児とは何歳のことを指しているんだ?24時間体制なのはそれこそ乳飲み子の間。幼児くらいになれば保育園幼稚園もあれば夜に「異常時以外で」ケアが必要なことはない。異常検知にしても幼児側のアウトプット(泣くなど)のアラートで検知してるのであって、常にウォッチしているわけではない。そのくせウォッチして消費しているかのような言説を宣う。
その上で男親はフルタイムで働くことをもはや前提とされている。主夫なんてものが市民権を得ているのは「意識高い系が遠目から第三者的にそれを観測した場合」のみだ。近くにいる場合は蔑すむまではいかないまでも下に見ている。
俺は文章が下手なので、俺の憤りが貴様らに的確に伝わったり、言説としてちやほやされることもない(作文的弱者、発言弱者)。だからこういう男性属性でもって(先の例では「土日くらい休ませて」と言う者のみ対象にしているように見せているが明らかに男性という属性への警告という内容である。そうでなければ「パパへ」と絞る意味がない。パパは必ずしも男性ではないと言うならそれは書いたときの動機でなく後付の屁理屈と推察せざるを得ない。それはさらに卑怯な行為だと俺は認識する。)偏見を持つ、さらにそれに屈服することを半ば強制する同調圧力に対してしっかりと皆に届く形で異を唱える“代議士”が欲しいと本当に思う。(ただしその“代議士”には所謂ミソジニーの様な言説はやめてほしい。男の方が大変だとか言いたいのでなく、とにかく偏見とそれへの屈服の強制をやめろと言いたいのだ。)
俺は憤りを感じているが、それを上手に言葉にできない。作文としては子供のようなものだ。だが“よしよし”してほしいのではない、筋を通してほしいのだ。
タイトルのままなんだけど上司が所謂くそを触る癖がある めやにと耳垢と鼻をかくのと このコロナ禍において汚い手で肌を触らないでって散々言われてるのにマジで良くないと思う
上司は私のトレーナーで、色々と仕事を教えてもらう機会があるんだけど、鼻をかいた手で私の私物の資料を触られるとちょっと嫌だなと思ってしまう 増田ちゃんの本最新版じゃん、ちょっと見せてよって言われて断るのも変だから渡すけどちょっと嫌なんだよね
でもそれ以外はほんとに面倒見が良くて仕事の知識もすごく持ってる人なので、私自身がメリットを受けてるのもあるし、わざわざ上に掛け合ってトレーナーを変えてもらうとか揉め事を起こすのはな……と思う 絶対理由聞かれるし
社会に出たからにはこれも受容すべきことなんだろうな〜……周りの人全員衛生観念が自分と一緒だと思っちゃ駄目だな………強く生きよう………
私はVtuberを見ない。
私は食わず嫌いをしているわけではないということをまず認識してほしい。
いわゆる四天王と呼ばれていたVがいてにじさんじ一期生が台頭してきたくらいまでは私も視聴者の一人だった。
見ていた理由は単純に技術的に面白く、かわいいと思ったからである。
でははぜ見なくなったかというと、圧倒的商業感を感じるようになってしまったからである。
初期の段階では皆、どのように収益化するか、そもそも金になるのか暗中模索しており、様々な工夫をしてそれぞれの色を出して競争していたと思う。
例えば、歌がうまいのであれば生放送でそれを披露したり、ゾンビ・アポカリプスなどの世界観を売りにしているような方もいた。
この時代で特に印象に残っていたのはときのそらのファンが急増して困惑している動画である。
https://www.youtube.com/watch?v=32tN4LlSut4
この反応が初々しくて正直可愛いと思った。
しかし、1度金が稼げるとわかるとその初々しさは抹消されるのである。慣れは動物に備わった基本性質である。
おそらく鈍感な人はこの違いに気が付かずに離れずに見続けただろう。
この圧倒的商業感を特に顕著に感じたのが電脳少女シロ氏である。
しかし、1度そのキャラが受けるとあからさまにキャラを演じだしたのである。
特に残念だったのがDOOMというゴア表現のきついゲームの実況動画を出したときである。
おそらく彼女はDOOMというゲームを知らず、事務所からグロい表現が多くサイコパスのキャラを活かせるだろうとやらされたものだろう。
私はこの動画を見てものすごいやらされている感を感じ取ってしまった。
それ以外にもPUBGなどのおそらく普段やっていないがキャラの維持のために演じている様子をみて正直興ざめしてしまった。
たまに現れる天然のサイコパスが面白いのであって、作り出され、虚飾にまみれたサイコパスキャラを見たいのではないのである。
ただ、キャラでもいいという人は満足なのだろう。そこが冷める人と見続ける人の違いではないかと思う。
ときのそらに関しても、それからは投げ銭があっても当然のように名前を呼ぶだけで、初々しさはなくなってしまった(当たり前だが)
また、そこからにじさんじが台頭すると、投げ銭の文化が定着し、配信の最中に投げ銭があったときに名前を呼ぶという配信スタイルが定着する。
しかし考えてみてほしい、本当に心のそこから彼らは感謝しているか?
おそらくしている、しかし彼らは視聴者のことをお金をくれる客だとしか考えていないと思う。客を楽しませ、金を落とさせる、ショービジネス。これがVがキャバクラと言われる所以である。
特に、後発で出てきたVはすでに儲かる道筋が見えているのである。
あとはやるだけである。
おそらく私と同じで同時期にVを見なくなった人は多いのではないかと思っている。
現在彼らのファンはほとんどが黎明期が終わりにじさんじ2期以降が出現し、サブカルに造詣が深い層以外の一般市民にVという存在が知れ渡った後で知った人が多いだろう。
これらの人たちは四天王が台頭しだした黎明期のVtuberを見ていない人でこの初々しさを知らずに、かわいいい声で配信して投げ銭を受け取る存在しか知らないので違和感なくVという存在を受け入れることができるのである。
この間、Vではなく、収益化をしていない方のApex配信で同じチームにVがいた。
彼女は視聴者が少ない所謂底辺Vtuberだったが、この共演をきっかけに視聴者が増えていった。
しかしそこにあったのはゲームをしながらスパチャへの感謝を述べる彼女の姿だった。
面白い話もせず、ゲームもさほどうまくなく、ただゲームを喋りながらやる、そしてスパチャには忘れずに感謝を述べる。
私はこれを見て「スパチャ読み上げボット」という命名をしてしまった。
一概にすべてがスパチャ読み上げボットではないと思うが、面白い配信をしている人でもほぼ100%収益化を有効にしているのである。
やはり、面白い配信がみたいのであってスパチャの読み上げを見たいわけではない。
よって、面白い配信をしていてかつスパチャも読み上げない配信を見るのである。
まとめると、
Vを見なくなった理由は、ある時期から圧倒的商業感を感じるようになり、それまでの初々しさを感じられなくなったこと、
現在進行形で見ていないのは、スパチャ読み上げという文化を取り入れており、配信中に本題のコンテンツを楽しめなくなったからである。(これはVだけではなく一般の配信者にしても同様である)
PS. スパチャ読み上げ配信を見ていてナイスパ(ナイススーパーチャット)という他人の投げ銭に視聴者が感謝するという意味のコメントを見かけることがあるが、あれをどういった感情で入力しているのかを当事者に教えていただきたい。
ここ1ヶ月、図らずも『結婚』について考えることがとても多かった。
本当に偶然色々なところから結婚とかそれに関係するものを見せつけられたというか、「目を逸らすな」と言われている気がした。今までも度々結婚に関して否定的なことも確かに書いてきたけど、手放しに「結婚なんてクソだ、絶対したくない」と思っているわけではない。
ただあまりにも「結婚=幸せ」の価値観を、全くの思考停止で受け入れている人間が多すぎることに辟易としていることは事実。それへのアンチテーゼというか、警鐘というわけではないけど「あんたらそれちゃんと考えて言ってんの?」と言いたかっただけ。
結婚にはメリットもデメリットもあると思う。今の自分にとってはデメリットの方が大きいような気がする、というだけで否定的なこともつらつら発信してきたのもまた事実なので、しっかり言語化して考えないとな、と思った次第であります。
まあメリットデメリットと言ってもそれらは結局表裏一体で、扱う人間やタイミングによって良くも悪くも簡単に変わってしまうもの。まずその良し悪しは考えずフラットに、恋愛から結婚に変わることによる影響を挙げてみる。
…あれ、こんだけ?って感じだけど、マジでこんだけ。この二項の中に色々な面が潜んでて複雑に入り組んでいるだけだと思う。
強いて言えば、⑶ 社会的立場の構築 ってのも追加できるけれど、自分にとってそれは全くメリットでもデメリットでもなければ、何かアクションを起こすに当たって原動力になるものではない。一緒にいることの周囲への説明が楽になるぐらい?
結果としてついてくる分には勝手にしろって感じだけど、社会的立場のために何かをしたりしなかったり、という判断はしない。それは結婚云々に限らず。
てことで⑴⑵について順番に書いていくけど、既に長丁場になりそうな予感がプンプンする。
それによって生まれるのは①安心感と②義務感。この時点でも善玉と悪玉に分かれてそうだけど、実はもう一つ階層がある。
①安心感
安心感がもたらすのは、文字通り “不安が取り除かれた心地よさ” ともう一つ、あらゆる人間関係において最大の敵 “馴れ合い” だ。
文字通りの意味については書くまでもないけど、やっぱり本能的に人間が自分以外の人間に求めるものってこれしかない。「愛されている」っていう実感が欲しいし、そこからの変化が一番恐ろしいものだと感じる。
つまり愛し愛されていると思っていた人が目の前から消えてしまう、という最も恐るべき状況に陥るリスクを最小化してくれる正攻法として、婚姻届という書類を提出して認められる結婚という契約が、最も手っ取り早くて一般的な手段であるということ。それによってお互いがある程度心地よく生活できるし、信頼にも繋がってくる。するとパートナーにも自由を与えることが容易になる。
それが一つ。厄介なのはもう一つの馴れ合いというやつで、先述の通り男女中に限らずあらゆる人間関係において最も脅威になるのがこいつ。
これは交際前と交際後という比較的浅い次元の関係性の変化でも猛威を振るう。「付き合ってから冷たくなった」だとか「もっと誠実だと思ってた」だとか、こういった類のパートナーに対する愚痴って全て馴れ合いから来ていると思うのだ。それは言う側も言われる側も同じこと。
言われる側からすえば、付き合う前だったら「この人に好かれたい、嫌われたくない」という一心でどんなことでもできてしまう。親切にするし、優しく受け答えするし、浮気な様子は見せない。けれど付き合い始めて「この人は自分が好きだ」と認識できた途端、「これぐらいいいだろう、許してくれる」という感情が生まれて、それまでとは違った対応や行いをしてしまうようになる。
言う側からすれば、付き合う前であれば「自分はこの人の何でもないし、相手にされなくて当然」という謙虚な気持ちでいられるのに、付き合い始めると「自分はこの人に大切にされて当然、自分のために動いてくれて当然」という傲慢さが顔を出して自分の勝手な期待を相手に押し付けて、それが叶わないと裏切られたような感覚になる。だから上記のような愚痴をこぼす。
言う側と言われる側は固定された立場ではなくて、どちらともがどちら側にもなりうる。こうしてすれ違って、ある日プツンと切れて、もうバイバイ。これがよくあるカップルの破局パターンなんじゃないかと思う。し、自分もこれまでほとんどそうだったような気がする。
浮気、冷たい、優しくない、好きじゃない、…どこにでもありふれた別れの真因としてこの馴れ合いがある。
人と人との関係を良好に保つには、「それぞれの人間だ」と認識できるほどの距離感が常に必要だ。
付き合う前のような「好かれたい」「嫌われたくない」というある種の緊張感が、その最たるものだということ。それがあるからこそ気遣いや思いやりが生まれるし、欠けてしまったところも受け取る側がカバーできる。
交際前から後への距離感の変化を乗り越えられたとしても、結婚前と後ではまた違ってくる可能性は大いにある。それは交際という口約束とは異なり、婚約というものが法的拘束力を持つからだ。
これが安心感がもたらす負の側面。乗り越えるには所謂「親しき仲にも礼儀あり」という先人の智慧を、片時も忘れないよう脳裏に焼き付けておくこと。しかない。
②義務感
さっきの安心感に比べればこちらはシンプルなもので、「この人を幸せにしなければならない」とより強く思うことができれば、そのおかげで仕事のモチベーション向上に繋がる良い面がある。
その代わりに、義務感という言葉に強制的な印象を持ってしまうと一気に嫌悪感を覚えてしまうことが大いにある。
人間は何でも強制されるものが嫌いだ。「好きだった物事も、強制されると嫌になる」なんてのは世の中にありふれた陳腐な言葉だが、それだけ多くの人に当てはまってしまう内容でもあるということだ。
できちゃった婚、なんてのが存在することからも分かるように、一般的に真っ当に子どもを育てようとしたらその両親は夫婦であることが望ましい。
とされている、と言った方が正しいのかもしれないけど。
まあともかく、「子ども作るなら結婚するでしょ」「子どもできたなら結婚するでしょ」という発想が当然という世の中であるということ。それが⑵の文意だから、必然的にここで議論を進めるのは、子どもを作る・子どもがいることによるメリットデメリットになる。
子どもが家庭の中で担う役割はやはり二つあると思っていて、一つは①家族の一員としての役割、もう一つは②夫婦の間に生まれた子どもとしての役割、というこの二つ。
これはやはり一般的に幸せとされていること。「家庭を持つことが全人類の夢」とでも言わんばかりの勢いで押し付けられがちな価値観だけど、確かにそれも一理ある。
正常に機能している家族であれば、そこに帰属する幾人かの繋がりはとても強くて、無条件に愛し愛され、外敵からの攻撃から守ってくれる居場所になるはずだ。そこに血縁関係が有るか無いかなんてそこまで重要な問題ではないとも思う。これが家族であることの幸せ。
ただ、現実問題そのように理想的に機能している家族は少ない。と思う。そんなことないのか?いや、きっとそうだと思う。そうだと思いたい。良いな、と思う家族は知り合いの中でも一握りだし、実際SNSなんかでも家族に対する愚痴ばかり流れてくる世界。
そして自分が育った環境もあまり良いものとは言えなかった。育児放棄だったりアルコール中毒者による虐待だったり、そんなような何か明らかに大きな問題を抱えていた訳ではないけれど、家族であることの決定的な意義でとなる、愛されているという実感や安心感、自己肯定感を育む教育、そんなものを一切享受することはできなかった。
それに、世間一般の家族における父親に対する風当たりというのは、相当に強いものがある。自分も父親が大嫌いだし、母も姉も、だ。家族から愛されている父親なんてパーセンテージでみたらほんのわずかだろう。
ほとんどの家族で見られる構図として、まず夫婦仲は良くない。子どもたちはずっと面倒を見てくれている母の味方につき、母を攻撃する存在である父を敵とみなす。ありふれた構図だ。
それだけならまだいいのだが、何故か、いくら育児に協力的であっても、家事をこなしていても、父親というものは基本的に孤立するようにできているらしい。悲しい習性だけど。
世の母親が「腹を痛めて子どもを産んでよかった」と答えるのは、そういうことだと思う。そこに綺麗なものは何もない。
もし自分が父親になったら、と考える。先述のように「愛されたい」という欲求を家庭で満たされることなく育ったがため、自分はこうも恋愛依存的になってしまったのだと確信している。他にその欲求をぶつける対象として友人や集団帰属などの手もあったにはあったんだろうが、自分にはそのどちらも受け入れられなかった。
まあともかくそうやって、ようやく見つけた「自分を愛してくれる人、肯定してくれる人、守ってくれる人」と結婚したとして、その人との間に子どもができれば、それがまた全て奪われて無に帰してしまう。
子どもにとっては母である自分のパートナーを奪われ、挙句の果てに家庭という場所から孤立する。そうなるとまた生まれ育った悪夢のような家族に逆戻りだ。それを恐れている。
「子は鎹」という言葉がある。
こんなクソみたいな言葉はこの世にないってぐらいクソみたいな言葉だと思う。鎹がなければ離れてしまうような関係の人間と一緒に過ごさざるを得ない上に、それに子どもを付き合わせるなんて最悪だ。
けれど皮肉なことに、その離れる原因はほとんどが子どもだったりもする。
子どもができることによって夫婦の関係は父母という関係にもなって、彼氏と彼女、夫と妻、という1:1の関係性ではなくなる。その変化の中で上手く2人の間を擦り寄せていかないと、育児や教育や家計の問題でやっかみ合うようになり、関係は悪化する一方だ。そうして子どもが原因で離れていった2人を、繋ぎ止めるのもまた子どもなのである。
…とまあ、長々と書いたけど今の自分で考えが及ぶ範囲はこれぐらいだ。
あとはもっと歳をとったり、独り身になったり、自分が結婚してみたりして見えてくるものもあるのだろうなとも思う。それはその時にならないとわからないし、とにかく今はこう考えている。
という記録。
都議会で「国会で審議を求める意見書」を提出することが可決したらしい
夫婦同姓も異性婚も仕事一筋プライベートゼロな働き方も継続できる
そうじゃない選択肢が増えるだけ
なのに何故嫌がるのか?
この数式を求めよ、著者の心理を述べよ、この文章を英語で書け…
これらは常に正解は1つである
道徳の授業でもそう
親切にしたり、周囲に配慮したり、所謂褒められるべき言動は何か学習する
これはこれで良いが、圧倒的に「他者と議論すること」「多様な意見を認識すること」の機会が少ない
そのため、唯一無二の正解を揺るがそうとする意見を排除したいのではないか
つくづく多様性はこの国と相性が悪い
嫌だけど様々な事象で苗字を変えざるを得なかった人は、このタイプと予想する
選択的夫婦別姓への意見について、10代20代は賛成している人が多いというアンケートを見た
これは若年層ほど柔軟な考えをするという理由以外にも未婚者の割合が多いという要因があるのではないか
もっと分かりやすく言うと、「自分が若手の頃は大変だった」「今時の若いもんは」とかいう老害と同じである
自分が嫌だったり苦労したことを免除されている人を許せないのだろう
そんな人に限ってドラム式洗濯機や食洗機、床暖房などを愛用しており自分に都合の良い変化は大好きなのだ
なぜなら働き方改革と違って推進することで国が受ける恩恵が少ないからだ
少子高齢化で生産人口は減るけど、生産人口は介護と子育てで忙しくて大変
楽な仕事も用意してあげる
というやつだ
多様な働き方にすることで減りつつある生産人口を補おうとしている
女性が輝く時代というキーワードに噛み付く読解力にも頭髪にも乏しい人がいたが、あれはただのキャッチコピー
多様性が苦手な国民に受け入れられるように、国民の半数が好印象を受ける言葉を使っているだけ
話は戻り、選択的夫婦別姓と同性婚が可決されることに対する「国」のメリットなんてあるのか?
で、締め括るくらいなら書かない方がマシなので世間で言われていることについても考察する
苗字を変えられる人や同性パートナーを持つことに理解がある人と結婚したら良いというのが国の考えと予想している
施設育ちの子供が少なくなることはどのように国のためになるのか不明
現時点では国に対して明確なメリットをあげられないため、これで戦うしかないと思慮する
裁判しかり、意見書しかり差別や不利益の実績を積み上げていくしかないのだ
にも関わらず恥ずかしげもなく意見1や意見2を声高に叫ぶ人がいて本当に厄介
黙って欲しい
気持ちは分かるが、残念だけどあなただけが悪いな。俺も同じ状況なら同じことになる可能性あるしヒジョーに気持ちは分かる。しかし残念だけど、ここではあなた「だけ」が悪い。
訳知り顔で「上司だから~」とか「立場が~」とかいうブコメはいったん無視した方が良い。あいつらはこれを機に「上手に攻撃」したいだけであって、善悪の話をしようとしていない。単なる攻撃者だ。それであなたが余計に女性嫌いになればまた一つ男女の断絶が深まる。当該女性は悪くない。あなたが悪い。しかし無用に石を投げる「連中」はこれを男女の断絶にまで昇華させようとする、あなたを女性嫌いにすることで。
極度に女性を避ける必要はない。単に「下心は職場で持たない」とだけ、そこだけ集中しましょう。その抑圧が辛くなるなら、必要に応じてマッチングアプリやらキャバクラや性風俗で発散すべきだ。(今の社会は性にクローズすぎる。それがこの「断絶問題」を大きくしていることに気づいていない。「男の下半身が悪」と切り捨てる。これでは世の中はよくならない。もっと広い意味での「連中」は知ってか知らずか、悪い方向に縛り付けようとしている。)
あなたは悪い。今回の派遣さんの「(あなたから見て)思わせぶりな態度(実際は人当たりがいいだけ)」はさすがに悪ではない。しかし、これに乗じてやんや言ってくる「連中」、これは悪だと思ってよい。攻撃したいだけだから。あなたがどうなろうが「連中」は知ったことではない。ただ自分の主張が強化できればそれでよい。
あなたはただただ、「下心は職場で持たない」ことだけを徹底すればOK。所謂「ミソジニー」になれば、「連中」の餌になるだけだ。
大丈夫、決意しておけば切り替えられる。「危ないな」という日は、午後半休を取って風俗に行こう(これは本来問題を未然に防ぐ、堂々としていてよい行為なのだが、現在の社会情勢を見れば見つからないようにいくしかない)。
実際のところ、「行けそう」は8割いけない。残りの2割については、追いかけずとも向こうからくるので機会損失も防げる。大丈夫だ。
正規雇用には、若いひとがついてもらって、定年のタイミングで貯金が足りないおっさんおばさんが派遣社員とか非正規雇用になろう。
取締役とか社長とかオーナーとか、一部例外は認めてあげよう。段階的に潰していこうな。
大きな会社でも、辞めるひとめちゃ多い会社あるじゃん。メガベンチャーと言うのが合ってるかはわからんけど。
そうゆうとこって辞める人が多い前提だから、仕事がスキーム化してるんだよね。たんなる架電もトークスクリプト作り込まれてるし。
「3年しかいないかもしれないけど、結果は出してもらう。80%キャッチアップするお膳立てはしたから、それを100%120%に引き上げる力を磨けよ」って雰囲気。
低能は今日辞めろみたいな所謂外資系の働き方は日本人には無理だから、まずは定年を早めてアウトプットの質を高める方にシフトすればいい。
性を売りに男から搾取してた女が、所謂「フェミる」瞬間を見てしまった気がする
アラサーになって周りが結婚していって、性的に求められる事も以前より減るようになり
自分が人間的に成長していない事・自分が女性として劣り始めている事から目を背ける為に自分を被害者に置き「男はマンコしか見てないのだ」と酸っぱい葡萄理論を構築する
男が自分を欲していないのではなく、自分が男を欲していないだけって感じにな。こういうのが婚活を始めるとプライドを守る為に男を選別し始め、周りから失笑を買ってる事を気付いてない「三十路婚活女」になるんだよな
他人のせいにしてるけど、男は真面目に付き合う時は人柄=人間性を一番重視する。経験人数40人(笑)、他責傾向の女なんて中身空っぽで価値ないよな。人間の中身って自責して改善するからこそ生まれるものだろ
自分でも中身空っぽなのに気付いてるから「マンコにしか価値が無い」と言えてしまうし、男も無い中身は見れないからな。
経験の豊富さは誰かに導いて貰う為じゃなく、誰かを導く為にあるのに、「中身を見てくれる人が欲しい」とか甘えてる時点で中身空っぽなのバレバレなんだよ。まともな人間なら経験無い人をリードしようと思うのが普通。
リードされてもらうばっかりだから誰かを導く「経験」が無いんだろうな。経験人数という「経歴」はあるけど、経歴は立派で経験の無い人間って一番疎まれるから。
「男の人の中身も見よう」じゃなくて、「見て欲しい」って言ってる26歳とか、バブバブいってるオッサン並みに見苦しい。
こういう精神状態を続けていくと「男はマンコか、産む機械かママが欲しいだけ」とか言っちゃう、そういう男しか周りに残らなかったアラサーマンコが爆誕するんだよな。
そういうアラサーマンコは「無償で自分を愛してくれて、経済的にも精神的にも養ってくれるパパ」を探して没落してくけど、元増はまさにその入り口に立ってるよね。
youtubeの話だ。詳細は伏せるが、美少女がモノ申すというコンセプトのyoutuberが居る。登録者数は数十万人の人気youtuberだ。
かなり過激で、時事問題やゴシップに対してほぼ悪口レベルの叩きを繰り返している。
内容は確かに子供レベルの悪口だが、時々挟まれる小ネタが古く、構成がプロレベルなのでよくよく調べてみると、とあるオッサン芸人が台本を作ってる事が発覚した。
所謂三次元の女を使った「バ美肉」みたいなものだ。バーチャルではないので「美肉」と言うべきかもしれない。
問題はここからである。その「美肉」にも前世は存在する。前世のオッサン時代にも彼は「同じ事」をしていたわけだ。
過激で、時事問題やゴシップに対してほぼ悪口レベルの叩きをしていた。しかし彼はある問題に直面していた。
・閲覧者が1000人程度しかいない
その解決策として「女に同じことを言わせる」という方法をとった。結果は現在の通りである。BANされず、閲覧者は数十万人である。
『オッサンの言う言論は社会的に正しくないものとして排除され、注目も集められない』
傾向にあるという事だ。逆に、
『女の言う言論は正しいものとして受け止められ、注目が集まる』という結論も出る。
世界中のフェミニストは全く反対の事を言っている。「女が何か言うと女の癖にと言われ口をふさがれる」と。
確かにkutooやはぁちゅうの言う事に対して反対する人は多く、塞がれてるかもしれない。
しかしこのyoutuberの前世のオッサンは、「精査され塞がれる事も無く社会に抹消された」のである。
女を基準とすれば、「男と言う理由で」誰も耳を傾けず、そしてBANされたわけだ。
女性専用車両に反対するおじさんが世間で馬鹿にされてきたように。
逆に言うと、本来「悪口レベル」のくだらない事でも、「女」であれば皆耳を傾け、賛同を得られてしまうのである。
「女性だから綺麗な言葉を使おう」と言うのは、言い換えれば「女性は何でも許されてしまうので、中身が汚いオッサンになってしまうよ」という警告かもしれない。
女性が言葉に気を付けなければいけないのは、女性の言葉には権力が伴うからだと思う。権力者に紳士さや「正しさ」が求められるのと同じだ。
オッサンが汚い言葉を使って良いのは、それがお似合いの身分で誰もその話を聞かないし、BANされるからである。「良い」のではなく「どうでも良い」のだ。
ともあれ、オッサンの小汚い悪口も美少女が言えば魅力的になってしまうのも事実。
自分の主張が受け入れられないオッサンが居れば、女を雇うかバ美肉でもして主張するのが最適解だろう。
社会は雰囲気で出来ている。言論を偏見を排し、客観的に見られる事を望むのは諦めた方が良い。
女性の履いた高い下駄を使うのも良いが、女性の虎の威を借りる以上、その言葉には気を付けないと身を亡ぼす事になりかねないとは思う。
男の口は塞がれて、社会はそれに気付かない。女は甘やかされ、社会は注目する。その構造に乗っかる以上、男自体は救われないのである。
夫やその他諸々を「金」でしか見なかった結果
一見金を生み出して無さそうな出来事__家事や育児、夫の家庭での安息を軽視して
自分の自信を失うだけじゃなく他人をこき使う事しか頭になくなった
ブラック企業は人間を資本とみる分まだましだけど、無能な上に目先の金しか目がいかない人は更にタチ悪そう
妻が居つつ過労死する夫って実質妻に殺されたようなもんだよね
今お付き合いさせてもらってる5歳上の彼氏。
頭も良くてスタイルも良くて、上場企業の正社員で役職もついてるベテラン。
とても優しかったし、お金も多めに出してくれるし私のことをとても愛してくれていた。
私はきっとこの人と結婚する。したいと思ってる。
のだけど…
(後述するけど持病があって太ってしまったし仕事も転々としてる…)
彼は仲のいい人に対していじりをする事がよくあるみたいなのだけど、私はそれが少しつらい。
つらいと言っても、「でも好きなんでしょ?」と、私が夜にマゾなのを持ち出して言ってくる。
私がする日常の報告は全て「俺はさ〜」で上書きされたりスルーされたりする。
もう自分の言いたいことを言っても仕方ないと思って、自分の話をしないようにしていると「自分の話ばっかり一方的にしてるみたいで嫌だ」と言ってくる。
何もかもに疲れた時、私を肯定してくれる人は…いないことに気づいてしまった。
そうだ。そうしたら外注すればいいんだ。
って思うようになってしまった。
身体の関係はさておいて、私のことを肯定してくれる人が欲しい。
くだらない話も、真面目な話も…ちゃんと聞いてくれなくても反対意見や自分の話に持っていかないような…
それは所謂割り切りのような関係になるのかもしれないけど、それでもいい。
なんか疲れてしまったよ。
彼では満たされない私の自己肯定感。
それでも満たされない。
なんで別れないのかって聞かれそうだけど
持病は精神障害ですね。これは付き合う前に言ってて、彼も承知の上で私を選んでくれた。
それだけですね。