2021-07-01

「何者か」アバターの虚実

シロクマ先生

「何者かになりたい」と願う人とそうでない人、どこが違うのか

https://blog.tinect.jp/?p=71405

あままこ氏

「何者かになりたい」という欲望には二種類あるんじゃないか

https://amamako.hateblo.jp/entry/2021/06/30/193646

名誉はてな村民と言っていい方々が言及されている「何者か」


これ、本当に「何者か」を目指してる人は除外対象だと思うんだよね

野球選手を目指してる

舞台役者を目指している

料理人を目指している

・(明確なビジョンを伴う)起業を目指している

etcetc

実力が伴うに越したことは無いが、実力が無くても本心から求めて真剣にやってる人というのを「何者かになりたい人」などというのは失礼だ


真剣にやってない人って誰?というと「ワナビー」の人たちで、分かり易いのは「小説漫画」だが、こういう人は本心はどうあれ対外的な表層が「小説家になる」「漫画家になる」となってる

キョロ充という言葉が昔あったが、これも同類で、表層が「リア充グループの人」であり、その表層と自己の在り様をすり合わせるためにとる行動が、客観的にはキョロ充などと揶揄される行動になってしま

小説家や漫画家の「ワナビー」も、表層に合わせた言動が「実」を伴わないために、客観的に「ワナビー」と揶揄されるものになってしまっている

本人はリア充のつもりとか、本人は漫画家を目指してるつもり、とか揶揄されるが、立ち位置がその振る舞いを要求するだけで、本人は別に目指してはいないんじゃないか

嫌ならそのアバターを脱げ、という部分で、擁護をしたいとまでは思わないんだけども


んでこの、脱げないアバターというのは色んな様態があって

意識高い自分

・家庭的な自分

・何かに秀でている自分

特定界隈で尊重されている自分

なんてのがあったりする

特定界隈で尊重されている自分」の典型は、「会社で凄い稼げるオレ」だったりするが、実態が伴わないことも多かろう


昨今はSNSなどで、これらを手軽に堪能できる状況も出来上がっている

一番お手軽なのはフェミニズム成分の強いリベサになってみる事だろうか

同志が集まって「いいね」してくれたり、まとめなどに出向いて正義執行できる

話がずれたが、所属するコミュニティ毎(家庭、会社、友人、SNS)に異なるアバターを被るもの一定数いると思う

というか、すべてを素の自分だけで過ごしている人などごく一部だろう

「何者かになりたい」というのは、このアバター自身のずれによって引き起るものではなかろか


サロンに参加してみたり

ボランティアやってみたり

成功者モデルを追走してみたり

婚活登録してみたり

所謂「何者かになりたい」という言葉表現されるような衝動・行動というのは、概ね肥大化したアバターが原因であり

婚活登録した人が、本当に結婚したいのか、アバターに伴う「常識」がそうさせるのか

どちらが虚でどちらが実か

見えてる表層だけで、軽々に語られていいものじゃないだろう

「何者かになりたい」と言うそ自体でさえ、「サロンに居たいからそう演じている」かもしれず

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