はてなキーワード: 古代文明とは
集団哺乳類は母系の集団構造を持つものが主流で、人間も古代文明は日本を含めて母系社会が主流で
現代においても圧倒マイノリティではあるがモソ族、スマトラ島西部に住むミナンカバウ族、パプアニューギニア沖のトロブリアンド諸島の島民ほかが残っている
・・・って常識の範囲の話だと思うんだけど、事実を創造でなくばどんな表現をすればお気に召すの?
歴史創造、現実創造、事実創造、気に入っているから改める気はないけど
モソ族
仕事も育てるのも女性なので、男性の経済力や家事能力では相手を選ばない
単純な相性/好みで選ぶ
In the Mosuo tribe, marriage is non-existent and Grandmother's the boss, but will their way of life survive? https://t.co/9SrJtu0f4k pic.twitter.com/XB573wjWEB— Guy Kawasaki (@GuyKawasaki) April 2, 2017
この話題の何がそんなに好きなのじゃ?
集団哺乳類は母系の集団構造を持つものが主流で、人間も古代文明は日本を含めて母系社会が主流で
現代においても圧倒マイノリティではあるがモソ族、スマトラ島西部に住むミナンカバウ族、パプアニューギニア沖のトロブリアンド諸島の島民ほかが残っているやで
仕事も育てるのも女性なので、男性の経済力や家事能力では相手を選ばない
単純な相性/好みで選ぶ
In the Mosuo tribe, marriage is non-existent and Grandmother's the boss, but will their way of life survive? https://t.co/9SrJtu0f4k pic.twitter.com/XB573wjWEB— Guy Kawasaki (@GuyKawasaki) April 2, 2017
創作活動はしていないが、あれやこれやと設定や企画を考えるのが好きだ。
それはゲームとか漫画とかのコンセプトだったり、世界観を想像したり、古代文明の失われた機械だの霊能力だのと、介護保険を払う年齢になっても空想が好きなのだ。
漫画家のゆうきまさみ氏は、架空のアニメを企画するという遊びを仲間内でやってたらしい。そしてそこからパトレイバーが生まれたのは有名な話。
まさにそれ。気の合う仲間と、ありもしない世界をつくりたい。語りたい。
短編小説を書き上げる程の根性もなければ、味のある絵も描けるわけでもない。努力を惜しまない姿勢も含めて、自分にはそういう一種の才能が欠けているのは、専門学校生の時に気づかされた。夢から醒める瞬間だった。
それはもういい。ふるいにかけられ、クリエイターになれなくとも、年甲斐もなく創造するのが愉しみなのだ。
どこかにないのだろうか。そういう設定とかをシェアするようなサイトとかサークルは。
次第に著作権とかの問題も出てくるだろうが、ピュアに、もう一度、あの頃のように夢をみたいんだ.....!
----
って、書き殴りしたが、ほんと、どこかにないですかねー。
----
トラバ付けて頂いたりコメ頂きありがとうございます。はばかりながらも、追記します。
あれから、もし自分でサイトを立ち上げるなら、何が必要か、何が起こりそうか考えてます。もう既に想像中w
例えば男性キャラAの設定を投稿、それについてディスカッションが始まる。
みんなが色々考えるなか、誰かが「実は女にだらしないってのはどう?」と提案する。
でもその提案、ストーリーの作り次第では意外とイケるのでは?破棄はもったいない。
それならば、「標準」という設定から枝分かれさせたらどうだろう。プログラム開発でいうブランチを作る感じで。
また誰かが「それは生温い。ペドフィリアで行為の最中に『孕め、孕め』と叫ぶゲス野郎だ」と提案したら、どうしよう。
いくら投票で決める「標準」から枝分かれできるシステムでも、自分のポリシーに背く内容だ。
ある程度は公序良俗に沿うよう利用規約をつけても、逆に表現の自由を奪ってないだろうか?
そこでゾーニングだろうか。
アラサーだし出会いもないし婚活でもしようかと思いマッチングアプリを始めた。
ほどなく数人とマッチングし、食事やイベントに一緒に出かけるようになった。
もてない女ゆえに恋愛しぐさがよく分からなくって、何もかも手探りで苦労したのだが
同じくもてない友人と額を突き合わせて議論した結果、これに対する正解は
「うわー、3連はきついね。ほんとお疲れ様です〜(汗の絵文字)今夜はゆっくり休んでください(星の絵文字)」
であり、決して
とか、
などではない、という結論に至った。
婚活アプリ男女のLINEの最適解をなんとか導き出したところで、
気になるのは、当人は何を思ってこれを送ってくるのかということ。
何故気になるかと言うと、私は友達にも、ましてやほんの数ヶ月前にアプリで出会ったばかりの男性にも、「三連飲み会で疲れた〜」的なLINEをしたことも、したいと思ったこともないから。
(まず、「疲れた」ということをわざわざ誰かに伝えたいと思ったことがない。疲れた友人同士で食事に行き、みんなおつかれちゃ〜ん!!と乾杯することはある。あとは特に労わりあったりせず最近好きな古代文明の話とかをしている)
①きちんと労ってくれる女性か試している。
→なんか嫌な奴だなと思うが、女の側も男性のささいな言動で付き合うに値するかジャッジをしており、忙しい中で相手を探そうとする上では責めることができない
→めんどくせえ奴だなと思う。
③最近あったことを送っただけで労ってほしいとは思ってない。(=特に何も考えていない)
→このタイプが一番いやかもしれない。無意識下で女性にケア労働を求めているわけで、先が不安。
というわけで、もう私はこういうことをナチュラルに言ってくる人がきらいなんだな、合わないんだなということがはっきりとわかったので、
ひとりも残らなかったけど、すごく気持ちが楽になった。
きっともてる女性というのは「そうなんだ、大変ですね」と特に何も気にせずに言ってあげられる、懐の広いひとなんだろう。
捻くれ者の私はそういう余裕というか、心のゆとりがないので、きっといつまでも独身なんだと思う。
相手のために自分を多少でも削れる覚悟がないと、人と付き合うことはできないのだろう。
って思っていたんですが、アプリをやめて1年、
「近所の花壇が満開になりました。」
今のところ、幸せです。
ケムリクサでは悔しい思いをした。最終話の内容を推理することは十分可能だったはずだ。種が赤霧で成長しない。にもかかわらず離脱したあとニョキニョキ生えてくるミドリの木、「たぶん発芽まではうまくいく」。そして記憶の草にはロックが掛かっていた。このあたりを重く捉えていれば、メモを書き換えた「存在しない7人目の姉」を探して時間を浪費することもなかった(むしろ6人である証拠がたくさん集まってしまった)。2つの謎は有機的に絡み合い、シンプルだが残酷な起点に至るのだが、答えを観て「なるほど!」と思ったときに初めて、伏線が浮かび上がった。すべては目に留まっていたはずだったのにも関わらず、気が付かない。パズルのピースはすべて事前に提示されていた。アニメは小説ではないから、そういうもんかと軽く流しても気持ちよく観続けられるのが気楽だけれど、しかしそういう態度でいて失うものもある。りな達がブワッと消えて一人に戻るのはコミカルでまるで手品みたいだが、ここを見落とすと桃ちゃんを手放して覚醒する「りなむ」の含意をスルーしてしまう。ありとあらゆる表現に意味がありえるのだ。この意識でもって視聴しなければならなかった。
けものフレンズ2の最終話が目前だ。同じじゃないかでは済まない。次は全力で当てに行くぞ。
今期の監督はミスリードを狙ってくるということに気をつけなければならない。俺は伏線の管理はしっかりされていると判断している。前期の細かいところまでフォローされてる。かばんちゃんが「おうち」を知ってたのはスナネコが意味を教えたからだし、サーバルに与えた砂時計は図書館にあったものだろう。アライさんが命の恩人といったのは、掛けた橋で救われた経験を受けてのこと。今期はさらに異なるフレーバーが加わる。襲ってきたセルリアンをいきなり現れて一蹴して去っていった謎のフレンズはヒーローは味方でなく実は「ビースト」。誰彼構わず襲いかかり、フレンズに怖れられる強力なバーサーカーだった。アリツカゲラが再登場したと思ったら、サーバルとも初対面の反応でかばんちゃんとも面識が薄い、すなわち別個体だった。かばんちゃんから手渡された四角い筐体のラッキービーストは、「三人での旅、楽しかったよ」とつぶやいた後沈んでいった”あの”ラッキーさんか? そうかもしれないが、ひとつの端末に過ぎないって線が濃厚だ。居なくなったヒトを想いだして月を見上げるイエイヌのフレンズ… ならば人類は月に消えたのか? なんのことはない、ただの人工衛星だった。未発掘の伏線の絡み合いの中に、ミスリードが混ぜられている。注意して潜るとしよう。
今期最大の謎は「キュルルちゃんは何者か、どこから来たのか、どこへ行くのか」ということだ。ここに焦点を絞って推理する。
キュルルちゃん一行の旅路は「復路」だろうか。パークの廃墟の施設の中で目覚めたこども、キュルルちゃんは、カラカル・サーバルを連れて施設に戻る。「ボクは長い間ここで眠っていたみたいなんだ」。温かい「おうち」を思い浮かべ、「帰りたい」という。キュルルちゃんは自分が眠っていた岩の殻のようなものの中にあった自分の持ち物のスケッチブックを開く。最初の一ページ目には施設の前の池の様子が描かれていたーーただし、池のモニュメントは健在で周りには風景にない建物が建てられている。「ボクは獣じゃないよ、たぶん」というキュルルちゃんに対して、カラカルは「この子もヒトなんじゃない?」と言い切る。3人はモノレールの駅にたどり着く。キュルルちゃんは言う「ここ来たことあるような気がする、あの乗り物、多分ボクもあれに乗ってきたんだと思う」。ここまでの描写で、キュルルちゃんはパークに来た観光客で、何らかの理由で施設でコールドスリープし、いま目覚めた。そう読み取っていたが、よくよく考えると違和感がある。最初の1ページが池だったのはよく考えるとおかしい。
まっさらなスケッチブックを思い浮かべてみて。そこに旅の風景を絵に次々に描いていく。だけど突然に旅は中断してしまう。さてこのとき、最後に描いた絵はスケッチブックのどの位置にあるだろう? キュルルちゃんのスケッチブックには以前に描いてきたと示唆されるたくさんの絵があった(一連の絵の最後のページは破られていて、その先は白紙が続いている)。もしパーク内の施設に至る往路の過程で絵を描き連ねて来たというのなら、最後の絵の先は白紙のページが続くはずだ。最初のページにはならない。スケッチブックの表紙は裏表とも同じようなデザインだが、キュルルちゃんはページの片面にだけ絵を描いていたので逆さにめくっているという可能性はない。これにより、キュルルちゃん一行の今回の旅路は、実は、おうちに向かう復路ではなく、二度目の往路であるという推測が成り立つ。
最初の往路をなぞるように、旅をする。ケンキュウセンター(廃墟の施設をそう呼ぼう。モノレールの次の駅は「アズアエン」だが、列車の行き先表示が切り替わるときに表れた直前の駅の表示が「ケンキュウセンター」だった)を出て池を描き、花畑に囲まれた風車を描き、竹林の中で公園の施設を、海に浮かぶ観光施設、闇夜に輝く蟻塚、ジャングルの奥で玉座に座るゴリラのフレンズ、荒野をかけるなんだかよくわからない影、ステージでショーをする5人のアイドルたち。最後に、観覧車のある遊園地の風景。絵に描かれた風景を順に追う道のりで、キュルルちゃん一行は最後にジャパリホテルにたどりついた。ホテルの窓からは今は水没した観覧車が見えていた。ホテルの支配人によると、”うみのごきげん”が悪くなったときに、遊園地は水没してしまったらしい。ホテルも半分は水浸しである(ところでホテルの最上階にはヘリポートがある)。
つまりこういうことではないか。観光客だった女の子はケンキュウセンターの池を描くために新しいスケッチブックを開き、モノレールに乗ってパークを旅した。しかしセルリアンが止められなくなる流れで、観光客はまず退避しなくてはならなくなり、ホテルでヘリに乗り込む。セルリアンは宙に浮くものがいる。離陸時に襲われてヘリの飛行能力に障害が出て、荷を軽くするために物を捨てなければならなくなった、女の子はスケッチブックから最後に描いた家族の絵だけをちぎり、バッグもろとも泣く泣く海へ投げ捨てた。時がたって、防水のスケッチブック(今期の11話より。スケッチブックは海に落ちても平気だった)は海流に乗って海底火山へたどり着く。海底火山からは大量のセルリウムとサンドスターが流出している。サンドスターに包まれたスケッチブックは溶岩に飲み込まれ、そこで海底火山が大噴火する。噴石となった岩は遠くサバンナちほーのケンキュウセンターに落下し、廃墟となりかけていた施設にとどめを刺す。
この仮説を裏付ける証拠がある。一話のケンキュウセンターの描写でキュルルちゃんの居た岩の卵のようなものの周りには同じように前面が破壊された同じ大きさの卵のような物が並べてあった。これらをコールドスリープ装置と捉えてしまっていたが、これがミスリード。並べてある方はよくよく見ると表面がツルツルで、サンバイザーのような覆いがあり、中には椅子が備え付けてあった。いわゆるゴンドラのような見た目だ。キュルルちゃんの岩はそれと異なり、表面がゴツゴツしていて、中はサンドスターと思しきキューブで満たされていて、そして床が砕けている。ゴンドラの方は台座に載っている。この二種類はじつは違うものなのだ。暗い施設のなかで岩の卵は陽の光で照らされていた。つまり、天井は空いている。ケンキュウセンターは遊具の研究施設だった。コールドスリープではなく。噴石としてケンキュウセンターに落下した岩の卵は殻が崩れ落ちる時を待つ… なかでフレンズ化→飢えて死亡→フレンズ化→飢えて死亡… を繰り返しながら。まあそれは残酷だが、あるいはサンドスターは空気に触れて初めて機能する、のようなことがあるかもしれない。
以上が仮説「スケッチブックちゃん説」である。研究施設やスケッチブックのめくり方などを伏線としての帰結としてフィットしていて、破られた最後のページに説明がつけられた。キュルルちゃんは絵をフレンズに渡すとき、丁寧にページを切り取る。最後のページが破られていたのは火急の状況下で焦っていたからです。皆さん納得できましたか? ボクはできません。なぜなら「ペパプが5人いる」から。
一連の絵の中でライブステージで描かれたものを思い出してほしい。そこにはステージで歌う五人のペンギンアイドル、ペパプが描かれていた。しかし前期のペパプ復活祭ライブの話によると、初代ペパプは4人、二代目は3人、三代目が5人になった。三代目を結成したフレンズ、プリンセスは以前に居なかった五人目であることを気にしていたんだった。だからパークに来ていた観光客がペパプを見ていたとして、その人数が5人なのはおかしい。かつて観光客で賑わったジャパリパークは廃園し、パークガイドのミライさんも職員を引き連れパークを去った。時が流れ、彼女が遺した帽子にサンドスターが降り注ぎ、かばんちゃんが生まれた。そんな時代になって初めてペパプは5人になった。実はペパプはコピーバンドだという可能性はありうる。開演時代にはオリジナルたる5人のペンギンアイドルがいて、閉園後に彼女らをパクってペパプが結成された、でもコピーバンドを人数減らしてやる意味があるだろうか? あるいは初代ペパプは5人だったということもありうる。プリンセスがパークの異変の中で夭逝し、だがその後の4人で長い期間頑張っていたので後世の記録には4人として残った。期せずしてプリンセスが救われる結果になりましたね。でもこの仮説、理屈は通るが、当たっていたとしても些末すぎて、説明されないだろうことが予想される。
時代に幅のある絵の内容。これを説明するうまい理屈はないだろうか。キュルルちゃんは過去の世界から来たのではないか。前期でミライさんが説明した、山頂のサンドスターロウ・フィルタリング装置の「四神」は説明の感じからすると、パーク職員が作ったものではないらしい。四神を作った古代人がそのサンドスター制御技術を応用してタイムトリップ装置を作った。これがケンキュウセンターの岩塊である。キュルルちゃんはそれに乗って過去からやって来た。しかし… なんのために? かばんちゃん一行は四神の位置を直すことでフィルタの機能を正常化した。だが海底火山から漏出するセルリウムを制御する装置は、おそらくあったのだろうが機能をなくしてしまっている。もし四神的装置の修理のために過去からキュルルちゃんを派遣したとすると、かばんちゃんの奮闘のときに何もしなかったのはおかしいし、未来を幻視できるレベルの古代文明が、将来の位置のズレを考慮して装置を保全するつもりなら、修理要員を派遣する前にまず固定装置を充実させるべきだろう。というかキュルルちゃんはエンジニアには見えない。年齢が低いし、そも記憶を失ってしまっているではないか。ならばキュルルちゃんは未来から来た。しかし… なんのために? 考古学者にも見えないので、パンフなどの資料を読んで好奇心をそそられたキュルルちゃんがタイムトリップしてきた線は考えられるが、タイムマシンのセキュリティが気になる。強固に利用者が制限されているなら、キュルルちゃんはどうやってセキュリティを突破したのかということが引っかかるし、逆にガードがゆるいなら、なぜ一人しか来ないのかが疑問になる。並行世界から来た可能性はどうだ。しかし… なんのために? 絵に描かれていたペパプは楽しそうで、パークの様子には廃墟感はまったくない。なぜわざわざ廃墟の方の世界線に移動してくるのだ? 納得行く説明はつけられそうにない。
うまくいかないが、一連の絵は風景を実際に目で見たものではない、というアイデアはまだ活かせると思う。ジャパリパークの世界に、エリアを超えて通信する無線技術はなかった。そういうものがもしあったなら、かばんちゃんがキョウシュウエリアを出立するときに、ボスが先の情報を教えてくれただろう。イエイヌが見上げた月を背後に人工衛星が浮かんでいた。この衛星は最近に打ち上げられたものだとしたらどうだろう。これを使って、ある職員がパーク内のラッキービーストネットワークに侵入し、パーク内の写真を入手した。父のディスプレイの映る写真を見て、幼い娘はスケッチブックに絵を描いた。写真に今昔が入り混じっているのはそのためである。この想像は面白いが、写真があの道のり上に並んでいたことが解せない。ネットワークから引き上げたパークの風景写真を見ていたなら、それは時系列に並ぶか、ランダムになっているかするのではないか。なんでケンキュウセンターを起点とした特定のルートにそった並びになる? だめだ。わからない。
しかしわかることもある。けものフレンズ2はイエイヌの物語でもあった。探偵の二人、センちゃんとアルマーさんはイエイヌの命を受けてヒトを捜索していた。捜査が強引なところもあってイエイヌは悪の黒幕のように描写をされたことがあった。キュルルちゃんとイエイヌちゃんのストーリーラインは二人が邂逅することで交わり、しかし結局二人は別れてしまう。別れは両者の納得したものではあったがすれ違い感は強かった。これが「おうちにおかえり」回である。最終話のタイトルは「ただいま」だ。イエイヌはキュルルちゃんの元へ向かうかばんちゃん一行に加わってはいないが、ポッと出のゲストフレンズではない。
イエイヌはキュルルちゃんを見送ったあと、夜空を見上げ、ひとりドアを開けて自室に戻った。ドアには耳を模した飾りがついており、まごうことなきイエイヌのための部屋であることが明示される。このシーンは驚いた。これは一体全体、どういうわけだよ? 「イエイヌの自室にドアノブがある」だと?
(続く)→ anond:20190318002745
集団哺乳類は母系の集団構造を持つものが主流で、人間も古代文明は日本を含めて母系社会が主流で
現代においても圧倒マイノリティではあるがモソ族、スマトラ島西部に住むミナンカバウ族、パプアニューギニア沖のトロブリアンド諸島の島民ほかが残っているやで
仕事も育てるのも女性なので、男性の経済力や家事能力では相手を選ばない
単純な相性/好みで選ぶ
In the Mosuo tribe, marriage is non-existent and Grandmother's the boss, but will their way of life survive? https://t.co/9SrJtu0f4k pic.twitter.com/XB573wjWEB— Guy Kawasaki (@GuyKawasaki) April 2, 2017
宇宙ニンジャです
というわけで、猫をお供に戦えるTPS「Warframe」のご案内です。一銭にもならないけどダイマだよ! なお、基本無料(課金あり、ただし基本的な部分にガチャなし)。
途中から「犬」もしくは「猫」をお供に戦うことが出来るよ!でも犬猫もろいから結構大変、なので死ににくい機械のお供の方が一般的。犬猫つれてる人がいると、「おっ」と思う程度には珍しいかな。特定の目的がある所だといるけど。
ちなみに敵にも犬使い、猫使いがいるよ。敵の猫使いはなぜか甲羅をしょってるのがカッパみたいで、結構強いよ(敵猫は強くない)。
舞台は、地球で大規模なウイルス汚染が起きてから、遠い未来。猫は遺棄された古代文明の宇宙コロニーの中で、ウイルス汚染によって爆誕したモンスターを狩って生きてきたから、今現在の猫とはちょっと外形が違うよ。名前も「キャバット(Kavat)」といいます。すでに頭文字がCじゃないね! しっぽが何本かあったり、ウナギイヌみたいだったり、ランチュウみたいだったりするよ。色もメタリックだったりするよ! でもうなうな啼くのです。あと、出撃していない時はなでなで可能、一応(アクションに対する動画が一種類しかないが・・・)。
しかも、犬は(厳密には違うが)エサをやらないと忠誠度が下がるのに、猫は忠誠度が下がらない有難仕様だよ!ってか、猫に忠誠を求めるのはどうかな。。。
あと、猫は敵のドロップ品を気まぐれに倍増させてくれたり、気まぐれにクリティカル率を上げてくれたりするよ。必ずじゃないのが猫だよね!なので、ドロップ狩りや、まぐれでも強攻撃が必要なシーンでは猫使いがいます。
問題は
人文学と社会科学か。社会科学のほうが科学なのに怪しさが入り込む余地がある気がしてしまうのも奇妙だが、哲学とかだと論理的な議論はあっても「正しさ」を決めることはできないからかな。
なんとなく「人文学」と書いたけど,「人文科学」と呼ぶこともある.私個人としては別にどっちでもいいかと思うけど.人文系と社会科学系と呼んだりもする(総称は「人文社会系」とか「人文社会科学」とか).「社会科学」は略せないんだよな,「社会学」とかぶっちゃうから.このへんは前増田で参考文献として挙げた隠岐さんの著作が面白かったから読んでほしい.オススメ.
理系でも教授の贔屓やコネはないわけじゃないけど論文数(あるいは引用数)で無能認定する仕組みは馬鹿の排除には有効なんだよ(捏造の動機にもなるけど)。
論文数で無能認定は文系でもよくあることです(ただ,論文をあまり書いていないだけで該博な知識を有してる人なんかは尊敬される.周りは「もっと論文書いて! 読みたい!」って思ってるけどw そういう人がポストを得られていなかったりして業績少ないから仕方ないと思う反面すごいもったいないなと思ったり).ただこれも分野によっては1年に1本書いてりゃまあ標準的,というところもあれば1年に2・3本書くのが当然だろ? という分野もありで,その上分野によっては査読の有無での格付けとかもあまりしないので(そりゃ学振の申請書では査読つきとなしを分けて書くけどね),安易に異分野の人が自分野の基準で無能判定するのは本当に良くないからやらない方がいいと思う.今年は著書1冊書いてるけど論文は書きませんでした,を理系基準で業績ゼロって判定されたら暴動起きますよ.
あと歴史学や文学だと,いちばん大事な仕事は論文執筆じゃなくて史料校訂だ,という感覚もあったりして,そのへんがきちんと評価されるのが望ましいよなぁと.ある平安貴族について論文書いても分析視角がニッチならあまり引用されないかもしれないけど,どこぞのお寺なり旧家なりにしまわれてたその貴族の日記を活字に起こして誤字脱字を訂正して単語の意味を解説して背景情報を補足して(日記って本人にとって当たり前のことは書かれないけど,1,000年経ったらそんなことわからないので),っていう作業をしたらその後平安時代の歴史や文学をやる人に参照されまくる基礎文献になったりする.こういう地道なレファレンス作りや史料校訂がきちんと評価される仕組みであってほしい……
これは技術的問題.色んな言語で発表される紙の本での引用数,どうやって数えたらいいの……? ってやつ.異国の本屋さんで面白そうな学術書があったから手に取ってみたら私の論文が引用されてたとか,異国で買った本をパラパラ読んでたら知り合いの英語論文が引用されてたけどその知り合いはその異国語を読めないから多分存在を知らないだろうなとか,そういうの割とあるあるなので,人文系じゃ誰も被引用数なんて気にしてない.ぶっちゃけ無理ゲーだと思う.
あと,英語の本で引用されて,そのあとその英書が10か国語に翻訳出版されました,という場合は,何回引用されたと数えるべきだと思う? 1回? 11回?
そもそも優れた先行研究を褒めるのにもダメな先行研究をけなすのにも引用をするわけで,ある論文の中でむっちゃ参考にされた文献とけちょんけちょんにされた文献の2つがどちらも引用1回ってことにされちゃうの不公平すぎない? って思うんだけど.それに,自分の専門分野についてあまりにひどい俗説が広く出回ってるときは学術文献じゃなくても引用して批判することがあるので,たとえば日本近代史の人が小林よしのりの『戦争論』を名指しで批判するとかよくある.純粋に引用された数で勝負したら小林よしのりに惨敗するマトモな研究者って大勢いると思うんだよね.
というか,文系だと「他人の書いた文章を研究対象にする」というのがあるので,村上春樹の研究なら当然村上春樹を引用するわけで.さらに学問分野によっては,「文献リストに先行研究と研究対象を一緒くたに並べる」慣行を持つところもあり(これはその分野なら英語圏の査読誌でもそうなってる),たとえば樋口直人『日本型排外主義』という日本の極右を研究した本の文献リストには,日本や欧米の社会学者が書いた真面目な研究文献と桜井誠や櫻井よしこや西尾幹二の本がABC順でごちゃ混ぜに配列されていて,両者は引用の形式面からはまったく判別できない.本文を読めば前者を参考にして後者を分析したり批判したりしてるのがわかるんだけど,機械的に区別することは不可能.なので在特会に関する研究が進めば「桜井誠に引用数で負ける研究者」がたくさん出てくると思うけど(というか現時点での私が負けてる疑惑),この基準どう考えてもおかしいでしょ.文系の業績を考える上で被引用数はマジで無意味だと思う.
id:q-Anomaly 面白かった。一般文芸と一緒になっているから大変なのかな?理系だとわざわざトンデモさんに言及したりしないしね。間違いを指摘するときは論文ではなくて直接メール、もしくは研究会で議論かな。
もちろん文系でも別に公な場で晒し上げるほどじゃない間違いだったら直接本人に言うとかあるのでそのへんは批判する人の性格とか人間関係にも拠るところはあり,一方で理系でもSTAP細胞のときはさんざん批判論文出てたように思うので公開の場で批判する文化は当然あると思うのだけれど,間違いの指摘を必ず公開の場でやるわけじゃないとか言われるとじゃあこれまで理系には透明性のある評価基準があるけど文系にはそれがないからダメとか言ってたのはいったい何だったんだよ……って思うわ.あなたが言ってきたわけじゃないからあなたに言うのは不当なのかもしれないけれど.
id:hogefugapiyox 増田 理系(理論)でも独創的な論文で高く評価されるけど問題自体が超ニッチで引用は増えないことはありうる。そこで論文誌や国際学会のランクが役立つことはある。正しくてもレベルがそぐわないものは査読で落とされるので
これは文系でもあるある.メジャーなテーマを研究していてもつまらん論文しか書いてなければ意味はないしマイナーなテーマでも面白い論文が書ければ就職が決まる.
id:death6coin 参考にしたのと批判したのは別にリストアップする形式がいまから生まれ得るかというと・・・難しそうですね。批判にも論外から一部の点で疑問があるまで程度があるだろうし。
「この論文はこんな資料を発掘してくれたので重要だ.でも発掘した資料の解釈に疑問がある」とか,どっちにリストアップすればいいんだよという話で.
でもって,リストアップの形式については出典をどう示すかという形式が大きく絡んでくるんですわ.たとえば,歴史学なんかだと先行研究と研究対象は別々にリストアップするけど(それでも流石に優れた先行研究とダメダメな先行研究は分けないよな),それは社会学とは違うやり方で出典を表記しているからそういうことが可能なんだという事情もあって,まあこのへんは自分で学術書やら論文やらを読んで出典チェックしたことがないとわかりづらいかもねえ.社会学とか一部の分野で全部ごちゃ混ぜにした文献リストを作るのにも合理的理由があるんですわ.
id:hisawooo 増田に言うんじゃないんだけども、トンデモ論文への直接的な批判するなら一番マトモで普通な手段は編集者宛のレター(つまりは読者からのお便り欄)じゃないかね(理系の話をしてますよ
なるほど,そういう慣習があるのね.言われてみれば文系でletter欄って見ないな.
で,文系の論文だと本論に入る前に「先行研究の整理」ってやるんですわ.「先行研究Aは基本的に妥当だがこの部分の解釈に問題があり,先行研究Bは古いため近年発見された資料を使っておらず,先行研究Cは優れた研究だがちょっと私のやりたいことについてあまり触れられてなくて,先行研究Dは論外」みたいに整理した上で,じゃあ先行研究A~Cの成果を踏まえて先行研究Cが見落としている角度から先行研究Bが使ってない新資料を使って先行研究Aとは違う解釈します,みたいに自分の論文の意義や新規性をアピールするわけ.なので純粋な参考文献だけの抽出とか無理ゲー.
id:enemyoffreedom 引用数の正しいカウントがやりづらいのは、さすがにその分野の引用慣習に問題ありな気も。他分野や門外漢から見た透明性の確保も今後は必要になっていきそう。まぁそれだけが業績評価を左右するようだと不健全だが
たくさん引用されたから価値がある研究! とかいうローカル基準に基づいてヨソの分野の引用慣習をまるごとdisるならこっちもお前らのそれってPV数狙いのSEO対策でクソ記事垂れ流す互助会みたいなクソ慣習だなって言っていい? つーか文系は査読なしで論文のチェックをしない! 不健全! と文系は批判対象も引用に含めている! 不健全! ってマジどうやれば同じ口で言えるんだよって感じ.クソ論文をきっちり論文中で批判してるから正しいカウントが難しいって話に正しいカウントがやりづらいから問題とか言われるのマジ批判のための批判じゃん.全部ごちゃ混ぜで引用するのにも合理性はあるんですよ.そんなのはその分野の論文なり著書なりを読んで出典チェックしてみればわかりますよ.何度も言うけど英語圏でもこういうやり方なの.本当にこの慣習を是正したかったら理系の皆さんが大好きな英語で全世界に普遍的な問題提起をなさってくださいよろしくお願いしますクソが.
面白いと言ってくれるのはありがたいんだけど,あなた一連の増田をちゃんと読んでる? このトラバツリーの中で,私は何度も自分がオタクだって言ってるよね? だからhttp://b.hatena.ne.jp/entry/372509722/comment/rciみたいな雑括りされても本当に困るんだけど.まあ記事の隅っこで書いてるから気付かなくても仕方ないところはあるけど,そうやって文系とオタクを対立構造にされて困るのは私みたいな文系オタクなんだよ.ほんと勘弁して.
正直私はキズナアイについては興味ないし,どうせならシロちゃんにやらせればよかったんじゃ,とか思うけど,同時にあのくらいの服装が叩かれるとかおかしいよな,とも思うよ.なぜか服装に関してはゴリゴリの保守派になる連中が多くて目眩がしてるよ.色んな変わった服装を好む人への抑圧だろ.ぜんぜんNHKに出ていいよ.それが多様な社会であり自由な社会だよ.
とにかく私は両側にもうウンザリ.ろくに事実関係を調べもせずVTuberについて基本的なことを知りもせずキズナアイを叩く連中にも,ろくに文系について知りもせずどんな研究をしているか理解もしないできないのにクソバイスを垂れ流す連中にもウンザリです.オタク叩きも文系叩きもクソくらえ.どっちも私の敵.ただもう本当にこれ以上関わり合いになりたくないのでここ数日の荒みきった心を『ヤマノススメ』の録画を見ることで癒やしてきます.一連のレイニーブルー展開を鑑みると絶対ここなちゃんはひなたをあおいから寝取ろうとしてるしかすみさんはあおいをひなたから寝取ろうとしてると思うんだよね.
これ面白い。「実際は擁護・反発ツィートが多かった」オタがヒステリックにわめいていたことが可視化されました。千田さん、池内さん、森次さん、宇野ゆうかさんあたりはネットリンチの被害者といっていいよなあ
理不尽な言いがかりに反発したら「ヒステリックにわめいた」ことになるんだ.そんなの私が書いた増田を「なんで発狂してるの」とか「文系は理系と違って感情的」とか言ってきたクソ野郎どもと同じじゃん.
キズナアイ叩きについてはオタクとして腹が立つし社会学叩きについては文系として腹が立つし,とにかくこの騒動に関わった連中全員不快だとしか思わないよ私は.つーか公共放送でへそ出しノースリーブの服着て解説して何が悪いんだか.
あー、この内容の本だから表現の自由戦士に粗さがしされて叩かれた、ってことなのね(今やっと理解)。回収にならなかったら読みたかったのに。
あなたが文系の学問に敬意なんてさらさら持ってないことはよくわかりました.あなたみたいな人は文系叩きに加わってた方がお似合いですよ.
一章まるまる他人の論なのを擁護するつもりはないけど、なぜ編集も見落としてしまったこの件がいま見つかって話題になったんだろう?っていう話。で、地味な本書がじっくり読まれたのはそのテーマのせいだよね?
勁草書房みたいな文系学術出版では名の知れたところから,現代社会と密接にリンクした論争的なテーマの本を,学術書としてはお手頃な価格で販売しておいて「地味」はねーわ.あれは当初から論争的な書籍として出版されたものでしょ.そういうのを出したら一般読者からも読まれるに決まってる(だからあの価格でも売れたんだよね).
で,それが日本語で学術出版する意義だって私はこの一連の増田で主張してきたわけだけども.日本語で学術論文や学術書を執筆することは研究成果を広く私たちの社会に届けることと同義であり,文系にとってはそれが重要な社会貢献なんだという話を私はしてきたのだけれど,私の増田を「面白い」と言ってた人がそれを真っ向から否定するのには困惑しかないっすわ.あなた,いったいどこを読んでいたの?
ファンタジーに興味のある一般人が中世ヨーロッパについての学術書を読む,小説好きの一般人が文学の研究書を読む,古代文明にロマンを感じる人が考古学の書物に手を伸ばす,そういった行為の延長として「表現の自由に関心を持つ人が表現規制を主張する著書を読む」という行為があるのであって,それは学術書をじっくり読む動機としては極めて真っ当としか言いようがないです.文系の出版を,学問をバカにしないでください.
昔、2chだかBBSPINKの同人板だか801板で「801に初めて目覚めたきっかけ」を語るスレがあって
そこで「子供の頃特撮見ててヒーローが敵に倒されて傷だらけで荒い息してるのを見て目覚めた」とか
「古代文明の本のマヤの儀式の絵で生贄の男が生きたまま心臓取り出されて捧げられてるのを見て」とか
そういう、それ性欲というより加虐欲やんけ、ってのを挙げる人が結構いたのをふと思い出した
同じように戦隊ピンクが倒されて以下同文な幼き少年も山ほどいるであろうことを考えれば
男女とも変わらない、ってだけの話になるし、
そういう感情が異性に行きやすいのは同性だと自分と重ね合わせてしまって痛々しいけど異性なら他人事だから、ってのが大きいだけで
同性でも他人事認定出来るような自分とはかけ離れた属性の相手なら、痛めつけられて苦しんでるのを見て興奮してる人なんか山ほどいるだろうけど
同じようなシチュでも相手が同性なら性欲じゃないけど異性なら性欲なのか?と考えると性欲って何なんだろうとか考えだして
どうでもよくなったので止める
https://anond.hatelabo.jp/20180529210858
アニメは見てない。軽くググったが、
ウマ娘って完全に人間の上位互換だよね。つまり前史において人類はウマ娘たちの【家畜】で、ウマ娘からの解放過程が人類史なんじゃない?
◇人類前史
○古代文明
農耕により人類もウマ娘も人口と生活環境が安定。ウマ娘の高い能力により、富がウマ娘側に蓄えられていく
ウマ娘、富の集積と その高い身体能力≒戦闘能力から王権を確立。
とはいえ、ウマ娘の性格は概して穏やかなため支配者というよりは共同体の合意に基づく代表者のような王だろう。
王族としてのウマ娘達と半家畜としての人類がセットになった複数の小共同体が移動しながら地球上に生活圏を広げていく。
ウマ娘を信仰する原始宗教発生。ウマ娘はエルフのようなモノらしいので、
神そのものというより、神に仕える神官のような立場になり、その立場を独占
この時代からの権威と憧憬が作中世界の現在でのアイドル(偶像)的活動の源流に。
○戦争
直接戦闘だけが戦争ではない。政治的外交的目的を達成する為の手段として戦争が行われる。
王族としてのウマ娘達の為に臣下の人類は戦う。(勿論、現実の人類史と同じように共依存的)
王族としてのウマ娘達は その高い身体能力を駆使し同共同体の人類と協力して戦略拠点を整備。
戦闘前には その走力を生かして敵対ウマ娘達と情報収集、威力偵察を含めた駆け引きを行う
直接戦闘は随伴する人類の役割。勝敗は人類の数も重要だが、事前のウマ娘達の活躍も勝敗の趨勢を決め得る。
ウマ娘は王族だし、その決定的移動能力戦闘能力は希少で変えが効かないため、直接戦闘には加わらざるを得ない時点で敗勢。
いきなり現代現実世界の航空戦+陸上戦のような戦争形態になると想像する
▽(面倒臭くなってきた…)後は、現実の歴史と同じように統合分裂を繰り返しながら徐々に国家が作られていく
その走力から情報伝達も支配するだろうから金融さえウマ娘が支配するだろう。
・
変化が起こり始めるのは遠洋航海技術の発展から、これにより人類は大量輸送,移動手段を獲得する
物資の独自大量輸送手段を獲得した人類は、必ずしも自国家の支配種であり共依存にあるウマ娘に頼る必要がなくなる
・
ここで、遂に火薬発明! 人類とウマ娘の戦力差が大きく縮まる。戦争におけるウマ娘の重要性が低くなり
人類主体の議会の力が強くなる。元々 ウマ娘達は穏やかな為、自国内の不和が広がるのを良しとせず
・
そうこうしている内に内燃機関発明! 遂に種としてのウマ娘の優位性は失われた…。
結果的に人類の支配種として振る舞わなければならなかったウマ娘達だが、
その生来の温和さもあり、歴史と共に人類への支配,管理は常に穏やかに変化し続けた歩みでもあった。
しかし、遂に人類はウマ娘の軛から解かれ、生物としては対等に、
太古からの憧れはレースと歌として楽しめる真(心)のパートナーになれたのだ!!!
・
・
・
▽最悪の敵。そう、他ならぬ人類同士の戦いという対価を支払い続ける事にはなるのだろうが……。
(アニメ見てないから分からんけど、エルフという比喩があったので、エルフと同等程度に希少な種族であるという前提で書いたわ。)
(疲れた…。)
※ネタばれ注意※
初代が20周年なのに配信を終了されてしまったグランディアIIIちゃんは
どうすれば許されたのかって考えるつもりで比較対象として初代を振り返ってたら思いの外ヤバい
いや、たぶん気づいてた人はプレイしてた当時から気づいてたんだろうけど俺はいまさら理解した
■テーマの一貫ぶりがすごい
・物語が動き出すきっかけは冒険者である父親の形見(精霊石=これがキーになって古代文明の遺跡に導かれる)
・「精霊石は冒険者の魂」と主人公に語らせた後、「軍」が精霊石を狙う展開になる
つまり自由vs規律の暗喩と子供vs大人の暗喩をまとめてこなしてる
「探求心は悪にもなる」「大人からの抑圧」「偉大な父親からの抑圧」「探求心の喪失は死に繋がる」
・「真理にたどり着いた者」だけに開かれる「精霊の聖地」で主人公は「精霊石」を提示された後、それを否定して「精霊の剣」を受け取る。
・「精霊の剣」はプロローグ直後のごっこ遊びで集める勇者の証として一度登場する
あえて説明するまでもないぐらいわかりやすい暗喩だろうと笑われそうだけど
「少年が男になる物語」がここまで丁寧にゲームで描かれてるのすごくね?
■シナリオの置き方が丁寧
3.母親が子離れして独り立ち
4.でも幼馴染はついてくる(=まだ子供)
5.ほぼ同い年の女の子に認められる
6.軍(大人)を出し抜く
7.閉鎖的な村の村長に認められる
8.巨大な壁を越える
9.勇者として認められる
ここでdisc1終了、先の精霊石メインの話=父親殺しの流れに。
■メタファーの置き方も丁寧
・登場人物の見た目が東に行く(=主人公の冒険が進む)ほど動物に近づいていき、自然も険しくなる。
幼馴染がリボン代わりにつけてるのは主人公の父親が見つけてきた「虫」とも「動物」ともつかない生き物。
…あれ、てかガイアはラストダンジョン攻略中羽化しようとしてたよね?
羽化しようとしたガイアは精霊石を破壊するとデカい樹(=世界樹)に。
敵ボス(将軍=仮置きの父親)が企てていたのは「ユグドラシル(世界樹)計画」。
ヒロインが虫ってことはそれよりデカい虫は母親としか考えられない気がする。
つまり世界樹=大人としての人格というメタファーになってるようにしか見えない。
どうやらガイアは悪の象徴ではなく「制御できない感情」のメタファーらしい。
いやいやこえーよ書いた人何者だよ
・敵将軍(=野望に囚われた父親)は「ガイアの芽」によっておかしくなった。
・「霧の樹海」の中にある村も「未開の森」の中にある村も閉鎖的
「石の森」の中に滅びた村が存在している
光翼人に力を注がれると蘇って石ではないロボットのような姿になる。
光翼人の力で制止されると石に戻る。
精霊=意思 であり、意思がなくなる=石になる と表現されている。
人→動物→植物→石の流れは意志の強弱も暗喩しているらしい。(街や村のあり方を見るに)
精霊石=眠っている意思とも受け取れるし、父の遺志=精霊石でメタファーが完璧。
深読み苦手な自分がここまで読み取れるってことは読解力高めな人はもっといろいろ読めるだろう。
いや、怖!
キャラクターの一人がヒロインを参考にしていると明言されているし、
某深読み系ロボットアニメの影響は多少あるにしても十分冒険譚として独自性を構築できていると思う
「女の子も楽しめるように王道冒険活劇書きました」でここまで色々仕込める人の後釜、務めようと思うか?
てか一介のゲーム会社の社員がこれに「原点回帰」できるのか??
この織り込みに織り込まれた上でほどほどに読み取りやすいメタファーの数々、
これを「16歳の飛行機乗り」「空」をベースにして再構築できるかって言われてホイホイできちゃうひとはどれぐらいいるんだろうか。
しかもここまでメタファーてんこ盛りなのにパッと見ただの冒険活劇を装うとか
出来上がってきたIIIはひどすぎたけどこの初代を踏襲したうえでパクリにならないような王道冒険活劇って、
ゲームシナリオ界にオリンピックがあったら確実に金メダル級の超難易度だと思う
話づくりに自信がある人、「俺が作るグランディアIII」にチャレンジしてみてほしい
「空」「飛行機」「(ヒロインが空から)落ち(てくる)物」ベースで
「16歳の少年が親離れして一人の男になる」話を「ただの冒険活劇」に見せかけて
初代相当のクオリティでかつ初代化とラピュタ化を回避しつつ完成させる。
初代のシナリオ作った人たちはすごいし
個人的にはIIIのシナリオにチャレンジした人々も十分敢闘賞もらっていいんじゃなかろうかと思ったりする
IIIのシナリオを見るに、おそらく思いついたシーンを組み合わせるだけで精一杯だったんだろう
メタファー仕込む余裕なんかなく、「青年主人公が長旅を経て強敵を倒す」話を構築するのがやっとだったように見える
ミランダとユウキのバックボーンから「父親殺し(母親殺し)」を実現するにはエメリウスでは役者不足もいいところ、
子供をほぼ捨てたユウキの父親と妹を守ろうとするエメリウスではシンクロするところがほぼなく
仮にエメリウスの行動原理が完璧にゲーム内で表現されていたとしても何の暗喩にもなっていない。
暗喩の有無は別にどうでもいいっちゃいいけど、問題は「父親殺し」が行われていないといけないのに
それをユウキが成し遂げていないところ。
暗喩はあるとカッコいいとか文章表現的な技巧を披露して俺つえーするとかそういう余剰ではなく、
本来物語の外にいる読み手に己との共通点を無意識に物語から見出してもらい、より感情移入してもらうための道具だろうと思う。
手だけでも布を縫い合わせることはできるが、ミシンを使えばもっときれいに縫製できると言う話だ。
血縁のない飛行王シュミットを「父親」に仕立てるために実の父親を物語から消し、アロンソを途中退場させたのだということはさすがに読み取れる。
そういう小細工で作り上げた「父親」をいくら「腰抜け」と罵ってもその「父親」が作った飛行機に乗って空を飛んでしまっては何の意味もない。
それは父親の敷いた線路を辿っているだけであり、まだ子供のままであることの証左になってしまう。
むしろこの状況での「腰抜け」呼ばわりは
「何故お前は父親を全うしていないのだ」という糾弾になっている。
つまりグランディアIIIには「殺すべき父親」が存在していないのだ。
父親を精神的に「殺し」て、別個の人間=大人になっていく成長物語のはずなのに。
これではラスボスがどこにもいないのと一緒だ。
それを見定めずにシナリオ作りに移行してしまったことなのではなかろうか。
テーマソングを聞いてもわかるが「見果てぬ夢」なのか「素晴らしい場所」なのか「行き着く先」なのか定まっていない。
初代が「死にゆく先、生まれくる源」を「大地(地母神)」と定義したことで
芋づる式に様々なものを定義付けすることに成功し、植物の根が土を抱き込むように物語を包括したのとは対照的に映る。
また、成長とは生から死の一過程であり、生と死の描写から逃げては成長を描き出すことはできないのだと逆接的に証明しているようにも感じられる。
もしかすると、初代を見上げたまま物語を模索した結果、「初代=空」になってしまったのかもしれない。
ユウキは映画の中で活躍するシュミットの姿に憧れを抱いたようだが、
言うまでもなく、何のメタファーも仮託されていない空はただの背景であり景色である。
景色は人を動かしたりしない。
これは続編がふがいなかったというよりは初代が「偉大な父」になりすぎてしまったんだろう。
ジャスティンが大変な苦労を伴って「父殺し」を成し遂げたように、
「偉大な父」を乗り越えるのはそれだけ困難だということなのかもしれない。
自然科学者は最初は人への興味は薄いもの。自然より人間大好きだったら誰も自然科学やらなくなっちゃうだろ。人のため人のためって考えながら一見全然関係ないこと勉強するのはしんどい。
まあまず「人の役に立たない」ですよね。でもそれこそ古代文明の時代からヒトは星が好きで、世の中には天文学やる人はそれなりに必要だと思ってる人が多い。
そもそも人の役に立つっていうのがとても難しいことで、企業に入ったって他社より悪い製品を客に売りつけてるかもしれないし、場合によっては途上国や下請けから搾取してるし、政治や世界のことに関心を向けた人が行き着く先は、成果のないデモやネット上での発言だけ威勢のいい人・場合によっては過激な右翼か左翼になるのがオチなわけですよ。本当に世の中のためになることをしてると断言できる仕事に就いている人はごく少数。そういうことはもう少し年取ってからでもいつからでも始めればよいので、若い内は自分の関心を一番に一つの道を追求していったほうがよいと思います。