今が人類史に置いてどういう位置にあるかを図る時に我々が用いる物差しには未来の為に残されたメモリはほんの僅かしかない。
今我々がいる場所は、我々が知る限りにおいて人類史の最先端なのは間違いない。
しかし、これから先人類が生き続ける歴史の中では決して、近代と言えるような時代ではない可能性は十分にあるはずなのだ。
まるで誰もが、もう数十年、数百年ほどで最後の戦争が起きて人類が滅亡するかのようなイメージで人類の歴史を語りたがる。
人類の歴史はこれから何万年も続き、その中で我々は人類の歴にしおいて中盤程度の位置において文明の基盤を作ろうともがきあがいていた世代として扱われる可能性の方がずっと大きいのではないだろうか。
そう考える時、我々は実際、長い人類の歴史で見た時たしかに「中世」として括られるのやも知れない。
今の社会がまだまだ発展途上であることに対して箇条な非難を浴びせかける人達はなぜそんなにも「自分たちの生きている時代が完成形でなければいけない」と思い込んでいるのだろうか。
不思議だ。
これから少しずつ良くなっていけばいいと考えられないのだろうか。
焦りすぎだ。
プラトンやローマ皇帝もそれぞれ自分を最先端の現代っ子と思い込んでたのかな
そらそうでしょ。
実は我々よりも高度に発達した古代文明が過去に存在し、我々の文明が彼らよりも劣っているかもしれない。 同様に、今の文明も数年後に衰退し、のちの文明はいまよりもずっと劣った...
過去の高度文明遺跡が発掘されないのは古代のコンピュータは自然に帰るプラや金属で作られていたんだろうか