はてなキーワード: ペーパーテストとは
こういう姿勢の人でないと、社会で上手くやっていけないと思う。特に文系で実務に直結しにくいジャンルを勉強してきた人は博士だろうが修士だろうがそれで職場に評価されようとか考えない方が良いと思う。
自分の得意ジャンルを生かせる職場を探すより、職場でどんな仕事や振る舞いが求められているかを理解してニーズに合った働き方ができる人が出世する。
うちの会社は入社時にペーパーテストが課されていて、他の業種よりも高学歴な人が有利なはずなんだが、いざ実務に就いてみると学歴に関係なく、コミュ力が高くて空気を読む能力の高い人が評価される。
法律とか経理とか特定ジャンルの知識に長けている方が有利な部署は存在するけど、他の部署やあまり知識のない人ともやりとりしないといけないから、専門用語を並べ立てて「これで分からないお前が悪い」みたいな人は評価されない。知識のない人にも分かりやすく説明できてなんぼのもん。
昇任試験はペーパーテストと上司の評価の両方で決まるが、ペーパーテストでほぼ満点でも、上司の評価が悪い人は合格しない。上司の評価というのは案外正確で、いつまでも出世できない人は傍目にも「こいつは人格に問題がある」としか見えない。
胡麻すりや飲み二ケーションで上司の覚えがめでたいんじゃないかと思われる人もいるが、だいたいそういう人はコミュ力や人との調整能力が高いので、口先だけで胡麻をすっても上司を満足させる結果を出せない人はダメ。
学歴とか大学時代の勉強なんて社会に出たときに役に立てばラッキーと思うべきもので、それを役に立てられる職場がないから就職しないというのは自己正当化に過ぎないと思う。大学の勉強を生かしたいなら始めから法学部とか商学部とか、何らかの実務的な資格に結び付く学部を選ぶしかないんじゃないか。
ペーパーテストでは、原理的には、女性的な筆跡とか女性的な名前の人を無意識に差別して部分点を低めにつける可能性は考えられますが、女性のほうが一般に字が上手いことも考えると、それが成立する可能性は低そうに思います。
理IIIでは東大で唯一面接試験が全面的に取り入れられています。そのために、無意識の男女差別が試験結果に入る余地が他の科よりも高いです。これは、男女別の理IIIのペーパーテストの結果と面接試験の結果を比較すれば検証できそうです。
18歳時点での精神的成熟は一般に女性のほうが高いので、面接試験の合格率が男女で差がなかったとしても、それは差別の不存在を示すものではないかもしれません。18歳時点での男女の面接適性を制御すればより正確な分析ができそうです。とはいえサンプル数を考えるとそこまで精密な分析はできないかもしれません。
ここまで信頼性がない、「差別があるかも知れない」を敢えて東大新入生男子にぶつける意味とは?
そもそも、医科大の件にしたって暴露→自白の流れで明らかになっただけで、「入試で差別があった」という事を客観的証拠だけで証明できた事例はないんだが。
このように非常に好意的に解釈すると、一応上野氏の主張が明瞭に見えてくる。彼女の言いたいことはおそらくこうだ。「女子東大受験生の偏差値の方が男子東大受験生の偏差値よりも高いので、理科三類の合格率に男女差がないのはおかしい。不正があるのかもしれない。」
一般論として、相手の理屈は好意的に解釈しておいたほうが議論が深まります。論破したいなら相手の議論の最良の部分を攻撃しないと意味がないと私は思います。
あと、「不正があるのかもしれない」ではなく、「差別があるのかもしれない」です。たとえば、こんなストーリーが成り立ちます:
小学校教員経験者としての個人的な意見です。といっても大卒後2年だけ勤務(5年生, 6年生担任)してその後転職してるので、経験は少ないし時差があります。ただ最近、というか定期的に話題にあがる、かけ算の順序問題について自分の考えを書きたいと思ったので
(2)かけ算を元にしたわり算の理解
という2つを考えつつ書きなぐります。
ここではかけ算の順序を固定するという表現を使ってみようと思います。まず現状としてかけ算の学習では
(1つぶんの数)x(いくつ分)=(ぜんぶの数)
乱暴な言い方かもしれませんが、このように固定するのは必要悪だと思っています。
かけ算の順序を固定する理由をざっくり言うと、かけ算の式において(1つぶんの数)と(いくつ分)のそれぞれを明確に式の中で表現するため、です。それに伴い、順序を固定する必要が出てくるということです。固定は副次的なものです。
例えば3 x 2という式において、(1つぶんの数)にあたる数は3なのか2なのか、(いくつ分)にあたる数は3なのか2なのか、順序が固定されない限り判断がつかず評価ができません。どっちの数がどっちだか混乱してしまいます。なので、かけられる数に(1つぶんの数)を、かける数に(いくつ分)を対応させることにより、明確に(1つぶんの数)と(いくつ分)を式の中で表明することができます。
あと、計算だけ指導するのであれば、順序の固定は不要です。実際に、意味がわからなくても計算ができる人は山ほど居ます。ただ、かけ算やわり算の意味をとらえるためには、(1つぶんの数)と(いくつ分)を区別して考えていかなければなりません。
これだけじゃわかんねーよって人は以下も参考にしてください。
授業をするからには、かならず評価をすることになります。実のところ、この順序をつけなかった場合、問題の文脈を正しく理解して立式したのかどうか、評価が難しいです。問題において提示されている事象、より厳密に言えば「現実モデル(*1)」を、正しく「数学化(*2)」して処理しているかどうかが、評価のポイントになるわけです。もちろん児童ひとりひとりにインタビューをして評価できれば良いのですが、ペーパーテスト上では、立式ができているかどうかをかけ算の順序で判断するしかありません。(もちろん、正しい順序で書けたからといって正しく数学的に理解できているかどうかはわかりません。適当に数字を選んで立式している可能性もあります。逆に、現実モデルは説明できるのに式でそれを表現できていない場合もあります。これは現在のペーパーテストによる評価の限界でもあります。)
このままだとわかりにくいので、次で具体的な例を挙げながら説明します。
(*1)「現実モデル」...例えば「1ふくろにつきももが3こ入っていて、それが5ふくろあります」というものが現実モデルの一例です。現実にはその場にももがあるわけではないですが、その現実事象を模したものが現実モデルです。
(*2)「数学化」...ここでは文章題から立式する過程のことを指しています。問題を数学(算数)の領域で解決できるようにすることです。数学化した時点で、現実モデルの情報はそぎ落とされます。たとえば[現実]→[数学]の動きの場合、「りんごが2こと3こでぜんぶでいくつ」→「2 + 3」と容易に数学化できますが、その逆の[数学]→[現実]の動きの場合、「2 + 3 」→「 」の部分は無限に答えが考えられます。りんごじゃなくてもも2こと3こにしてもいいし、今日は1月2日です3日後は何日ですか、でもいいわけです。数学化されたものはそれだけ抽象化されていて、元の現実モデルを言い当てるのは困難ですし、現実モデルがそもそも無い場合もあります。
よくあるひっかけの文章題では、文中で(いくつ分)をわざと先に出し、(1つぶんの数)をその後に登場させるものがあります。
「6枚のお皿にりんごが3個ずつのっています。りんごは全部で何個ありますか」
文章題の順序通りに立式すると、6 x 3という式になります。固定した順序で考えると、これは(1つぶんの数)と(いくつ分)の順序が逆になっています。この場合、実際には
1皿に3個のりんごがのっていて、そのお皿が6枚分ある(式 3 x 6)
1皿に6個のりんごがのっていて、そのお皿が3枚分ある(式 6 x 3)
という現実モデルになってしまい、結果的に6 x 3という式は後者の現実モデルを元に立式したと判断することになります。
りんごのぜんぶの数はどちらも等しいですが、6 x 3という式の元の現実モデルが実際の現実モデルとは異なるため、問題にある現実モデルを正しく数学化できたとは言えず、誤答になるということです。
(1つぶんの数)を3、(いくつ分)を6
として捉えているのか、
(1つぶんの数)を6、(いくつ分)を3
として捉えているのかには大きな違いがあるわけですが、(1つぶんの数)x(いくつ分)の順序で書こうと決めておくことで、どちらで捉えているかを特定することができるようになります。
そう考えると、順序は逆にして固定しても問題はなさそうです。今の
(1つぶんの数)x(いくつ分)
という順序は、ただ言語的な順序に従っているだけだと思います。
かけ算がたし算の延長ということを思い出すと、
2 + 2 + 2 + 2 + 2
を
2 x 5
と表しているだけで、これは
2 + 2 + 2 + 2 + 2
を、2が5つ分という風に捉えて、その順番で2 x 5と順序づけているのかもしれません。5つ分の2と捉えれば、5 x 2と順序づけてもいいので、捉え方の問題なのかもしれません。個人的には前者の方が自然に感じるのですが、刷り込まれてきただけかもしれません。
(共通性のある例を考えると、2/3という分数について、日本では「3分の2」と分母から読み、記述するときも大抵の人は分母の3から書き始めると思います。「3分の2」と考えなから、分子の2から書き始めるのは違和感があるのではないでしょうか。一方で英語圏の場合、Youtubeとかで実際に確認した限り、2/3は「two third」と分子から読み、記述の際も分子の2から書き始めます。)
繰り返しになりますが、順序自体が大事なのではなく、かけ算の式において(1つぶんの数)と(いくつ分)のそれぞれを明確に式の中で表現することが大事で、そのために順序の固定が副次的に必要になるということです。
改めて考えると、この固定というのは非常に厄介でもあります。まだ学習し始めの子どもを混乱させないために条件を固定しているという意図もありますが、順序を交換しても答えは変わらないという事実と照らし合わせたとき、納得いかないのも当然です。しかもその事実自体は小2の九九の時点で学習します。
順序が問題にならないときというのは、既に数学化されたものを取り扱うときです。つまり、そもそも数学化の過程が評価の対象にもなっていないものです。算数的に言えば、文章題のような問題ではなく、既に立式されている問題です。
2 x 3
という問題であれば、
2 x 3 = 3 x 2 = 6 答え6
と計算しても間違いはひとつもなく、正答です。2 x 3が計算できなくても、順序を変えて3 x 2で計算しても良いのです。その根拠は、かけられる数とかける数の順序を逆にしても答えは変わらないからです。むしろ学習が進むにつれて、交換法則は便利に使うことができ、積極的に使えるようにしていくべきです。(教科書でもちろん学習します。)
また、アレイ図(↓のやつ)を考える時、自分でどう括るかによって、(1つぶんの数)と(いくつ分)が決まり、どちらの順序でも考えることができます。例えば
● ● ● ● ●
● ● ● ● ●
● ● ● ● ●
上のようなアレイ図であれば、縦3個でくくれば3 x 4という式になりますが、横4個でくくれば4 x 3という式になり、かけ算の順序が逆になります。自分で現実モデルを作り出してそれを数学化しています。
わり算の考え方には2つがあります。「等分除」と「包含除」です。その違いを説明するために、虫食い算のかけ算を考えます。というのも、わり算はかけ算の拡張なので、発想として虫食いのかけ算で考えるとわかりやすいです。3 x 2 = 6と、順序を逆にした2 x 3 = 6を虫食いにして考えましょう。かけ算の順序を変えただけなので、どちらも答えは同じ6です。
・等分除
□ x 3 = 6
というかけ算をわり算では
6 ÷ 3 = □
と表します。この場合、求める□の部分は(1つぶんの数)にあたり、例のりんごと皿で考えれば、
「りんごが全部で6こある。これを3枚の皿に平等にわけると、1皿あたり何こになるか。」
という問題になります。1つぶんのりんごの数が、求める答えです。これが「等分除」です。わり算と聞いて想像しやすい、平等に分けよう、というものです。教科書でもこの等分除から学習します。
・包含除
3 x □ = 6
というかけ算をわり算では
6 ÷ 3 = □
と表します。この場合、求める□の部分は(いくつ分)にあたります。例のりんごと皿で考えれば、
「りんごが全部で6こある。1皿に3こずつりんごをのせていくと、皿は何枚必要になるか。」
という問題になります。皿の枚数が、求める答えです。これが「包含除」です。イメージ的には、6つある物を1セット3ことして何セット作れるかな、というものです。
以上のように、□ x 3 = 6と3 x □ = 6のどちらも6 ÷ 3 = □というわり算になるのですが、もともとのかけ算の式をみると、求めている□の部分が(1つぶんの数)なのか(いくつ分)なのか、という違いがあります。一見、全部わかりやすい等分除で考えればいいじゃないかともなりますが、包含除は等分除ではとらえにくい、余りのあるわり算を考えるときに非常に有用で、必要不可欠です。
この等分除と包含除の考え方は、かけ算での(1つぶんの数)と(いくつ分)を明確に区別しているからこそ理解でき、学習できることです。3回目くらいになりますが、(1つぶんの数)と(いくつ分)のそれぞれを明確に式の中で表現するために、順序を固定する必要が出てくるということが、かけ算の順序を指導する理由であり、今回書きたかった結論です。もし順序を固定しない場合、式の中でどっちがどっちなのかを示す記号を加えるなどの工夫が必要なのではないでしょうか。
単に順序を逆にしても同じ、として学習を進めると、(1つぶんの数)と(いくつ分)に区別のない世界で考えることになります。このとき、子どもにかけ算やわり算の意味をどのように指導すればよいのでしょうか。計算だけ指導するのであれば、何も問題ないのですが。
「算数的活動を通して,数量や図形についての基礎的・基本的な知識及び技能を身に付け,日常の事象について見通しをもち筋道を立てて考え,表現する能力を育てるとともに,算数的活動の楽しさや数理的な処理のよさに気付き,進んで生活や学習に活用しようとする態度を育てる。」
「算数的活動」とは「児童が目的意識をもって主体的に取り組む算数にかかわりのある様々な活動」を意味しています。先ほど考えたわり算の理解は、この算数的活動を実現しうる機会の一例そのものだと思っています。
正直、計算自体が重要なのであれば、現代では電卓やコンピュータに入力する力が求められるだけです。もっと時代が進めば、こんな等分除や包含徐を学習しなくてもなにも困らない時がくるかもしれません。もちろん、先ほどの算数科の目標は社会の移り変わりによって広義に変容するものですから、時代が変われば内容も変わるでしょう。しかしそんな中でも、根本として算数・数学を探求することが大切ということはゆるぎないと思います。
小学校の教員は基本的にほとんどの教科を一人で担当します。私は自分の算数の指導に課題を感じ、よりよい授業のために調べたり足を使って研究会・学会に参加したりしてきたのですが、正直いうとそうしてきた算数だってあまり自信が無いです。すべての教科を完璧に仕上げるのは結構な難易度だと思います。
勤めている人はみんなそうですが、現場の教員たちも同じように膨大な業務に追われています。また、子ども・保護者のトラブルの対応も多々です。学校では毎日事件が起きているといっても過言ではありません。若い先生は特に教材を研究する時間が必要ですが、所定の勤務時間内にできる時間はほぼゼロです。朝と夜の残業時間も、授業そのものに関係しない業務が多いです。学校で子どもが過ごす大半の時間は授業時間なのに、その授業の準備が満足にできないということです。経験を積めば良いと言われても、今担任しているクラスの子どもが被害者になるだけです。あたりまえですが、その子たちは一度だけの1年を毎年過ごしているわけです。貴重で大事な時間です。
現場にもっと人が欲しい、というのが素直な感想です。算数では少人数授業やチームティーチングが増えてきていますが、根本的な問題は解決していません。算数に限らず、教員がもっと授業に関することに時間を割けるようにするべきです。毎日授業があるのに、その授業の質が低くなっては意味がないです。結局、先生たちもかけ算の順序について教えてくれる人なんて居ないのかもしれません。そんな状況で教えなくちゃいけないんです。
同じく地方出身者はなんとなくわかると思うんだが、高校は「地元では自慢できる」レベルのとこに通っていた。
県下一、というわけでもないけど、地元で一目置かれるようなそんなところ。東大進学者を毎年1名出したり出さなかったりするような。
自分はというと文化系と運動系の狭間みたいな部活にがっつりのめり込みつつ、子供の頃から親の影響で続けていたとある楽器と寺社仏閣が好きな、自他ともに認める「変わった子」であった。学力でいえば中学までは特に勉強しなくてもまあまあいい成績が取れる、中途半端に器用な子だった。
親は勉強については大してうるさくなかったが(むしろ楽器の練習をしない方が厳しく怒られたし、数学で10/100点をマークしようが音楽の成績が満点じゃない方が嫌な顔をされた)、お金には厳しく、「大学は国公立しか許さない」と宣言されており、真に受けた私は私立のすべり止めも一切受けなかった。だが高校3年間を部活に捧げた、数学のテストで毎回赤点叩き出すような人間にそのルートは厳しかった。見事に滑りおち、進学先を失った。進学校に通っておきながらこの体たらく。
これから1年浪人するしかない、と思ってふさぎ込んでいたが、そこで偶然にも某専門学校の「大学編入コース」なるものを知る。専門に2年通った後、大学へ3年次編入するというコースだ。ははぁ、よくできてるなあ、と思いながらも学校の担任と両親に相談し、その専門学校へ進むこととなった。
正直入試はあってないようなものなので割愛する。学力レベルからペーパーテストは免除され、英語面接だけだった。まあまあ緊張したが絶対うかると半ば解っていたので強気でいった。ちなみに高校時代苦手にしていた教科は数学と英語だ。瞬間的な暗記力となんとなくで世界史及び国語で高得点を叩き出す完全なる文系である。妙にコアな知識を植え付けてくれたラノベや推理小説たちとヘタリアには今も感謝してる。日本史は文化史だけ異様にできた。
身バレが怖いので色々伏せるが、駅チカでこぎれいなビルがキャンパスだった。キャンパスと言っていいのか?
専門学校内での大きな学科のくくりとしては「英語学科」に属することになり、その中で「英語を使った仕事に就きたい人のコース(翻訳・通訳など)」と「海外の大学に行きたい人のコース」、あと「大学編入したい人のコース」に分かれる。
なんで大学編入が英語学科に属するかというと、ほとんどの大学の編入試験の科目が「英語」「小論文」「面接」のみだからである。(学科によっては専門科目の試験がある場合もある)
授業は9割は英語の授業だった。ネイティブ講師も日本人講師もいたが、とにかく英語。リーディング・リスニング・ライティング・スピーキングの授業がそれぞれあり、それ以外に大学編入のための英語試験対策授業がある。少人数にこだわってて、基本の4つの授業はそれぞれTOEICや学内試験の結果から5段階にレベル分けされていた。私は入学時のペーパーテスト免除、しかも学費も一部免除の特待生扱いで入学したので、「は~やっぱこの程度か専門」とか思っていたが、最初のTOEICテストで300点台叩き出して5レベルあるクラスの下から2番目に入れられる。「出身校」の学力が高かっただけで「私」の学力はクソだった。ただ真面目に授業を受けていればクラスはすぐに上にあがり、最後は一番上のクラスに所属していた。この基本の4つの授業は大学編入以外のコースの人もいた。
残りの1割は資格の授業(英検、ワー検、秘書検、漢検など好きなものを選択できる)の他、第二外国語、小論文対策、PC(というかOffice)など……まあ大学1年生の一般教養と似たような感じだろうか。選択で教養の授業もあったが種類は2,3種類しかない。しかも大して面白くない。
大学1年生と違うのは、自分で授業を選ぶ幅がとても狭いところ。というのも学年によってどの授業を受けるか、カリキュラムが既に綿密に組まれており、「朝ゆっくりしたいから1コマなくそ~」というのは全くできない。選択授業も「とってもとらなくてもいいよ」ではなく「この中からどれか選べ」という選択。なので学期はじめにコースの人間全員集められてHRみたいなことをして、時間割を配られたりしていた。
【学生】
上記の通り様々なコースの人間が入り混じって授業を受けていたので、通っている人は本当にいろんな人がいた。アンタこんなしょぼい専門いていいの!?っていうような頭のいい人から、クソほど簡単なテストを「難しくてヤバかった~」という人まで、本当に様々。Lv.2→Lv.5まで駆け上がるといろんな人と話した。超絶パリピ野郎もいたし、内気で根暗で今にも引きこもりになりそうな人もいた。
同じ大学編入を目指すコースの中だと、まあまあ頭いいけど大学入試では一歩及ばなかった、みたいな人がほとんど。大体がプライド高くてそれを一度へし折られてしまった人、という印象。(私もだけどさ)すべり止めの私大に受かってたけど行きたくなくてこっちを選んだ、という人もいるにはいた。あとは行ってた大学が嫌になってやめて再チャレンジしたいとか……。比較的頭のいい人は多かったけど、それでもやっぱ学力でいうと「まあまあできる」か「いまいちできない」のどちらかだった気がする。コース内で一緒に行動していた友達は国公立に受かっていった人から最後の最後どうにか推薦で滑り込めた人までいた。
コースの人間の数は結構多かった。高校の一クラスくらい……?もっと少ないと思って入学したので意外だった。やっぱり学力レベルでつるむグループが分かれる。男女比は男子の方が圧倒的に多かった。3分の2くらい。でも学年全体で見ると女子の方が多かった気がする。
あと意外といろんな地方から集まってた。やっぱり学校周辺の人が多いのだけど、隣県や新幹線で帰省するくらい離れている土地から来る人もいた。私はかろうじて同じ県ではあるが学校までは通学に2時間かけていて、隣県出身で学校近くに一人暮らししている友達がうらやましかった。
【学費】
高い。私大に2年行くとのかわらん。でも高校時代まあまあ成績取れてたら学費免除は簡単に取れる。(模試の点数とかセンターの点数を基準に学費免除とかしてくれる学校もあると聞く)
本来国公立にしか行かせてくれなかったはずの両親があっさり行かせてくれたので、絶対に学費を無駄にすまいと2年間は真面目に必死に授業や資格取得に打ち込んだ。その後まあまあ就活に有利そうな資格とかちょいちょい取れたので、短大とか他の私大行って仮面浪人するよかよかったなあ、と思った。けどその辺って結局当人の努力次第なので、学校の授業の時間を使って資格取得や受験対策に打ち込める環境にお金払ったと思っている。払ってくれたのは親だが。でも無利子の奨学金も2年次から勝ち取って少し貢献できた。と思いたい。今返済しんどいけど。
1年間みっちり英語を叩き込まれたあと、2年生からいよいよ編入試験が始まる。
3年次編入試験は多くの大学がやっているが、大学によって受けられる条件は様々。私が行きたかった大学は他の4大からの受入のみで、専門卒は受け付けていなかったので諦めた。(でもそういう学校の方が少ない印象)
編入試験の日程は学校によってかなりばらつきがある。早いところだと6月くらいで、遅いところだと2月くらい?私は全部で3つ受けたが、ひとつは8月で、残りのふたつは12月だった。やっぱ秋~冬にかけてが多い。
面接の練習なども授業でしながら、それぞれの試験日に向けて準備を重ねていく。8月に試験を受けたところが第一志望にして最難関の大学だったが、ものの見事に落ちてしまい、泣きながらそのあと友人らとカラオケに行った思い出がある。編入試験は受験科目が少ない分やりやすいと言われるが、その門はかなり狭く、私が受けたところも倍率は5~10倍くらい(だったと思う、もう記憶があいまい)最終的に編入浪人の道を選ぶ人もいる。専門→大学編入のいいところは浪人などの1年のロスを出さずに大学を卒業できる所だが、結局編入試験の壁が高くて編入浪人したりレベルを落としてD~Fラン大学に入ったりと、メリットが活きないことも多い。でも努力してそれが実ればいい大学に入れるのも事実なので、そこは編入にチャレンジする人次第なのかな……とも思う。専門入って遊んでしまった人たちは上位クラスの人でも結局ランクの低い私大に行った人が多く、しっかり努力し続けていた人は国公立や偏差値高い私大に進んでいった。英検1級取得したり、TOEICでマックススコア出した人もいる。
あとTOEICのスコアで試験免除がある学校とかあって、TOEICマジもっと気合入れてやればよかったな、と思った。試験免除にならなくても入学後の単位に換算してもらえたりした。
英語はもうとにかく授業をガンガンうけてガンガン問題解くだけ。喋る・聞くは捨てて、ひたすら読むにステータスを振り続けていた。(書くは申し訳程度にやった)9時半から15時まで授業を受けた後、18時まで学校に残り友達と多少ぐだりながらも勉強(というか課題)、家に帰ってからも英語の長文読解とひたすら向かい合う日々。
小論文は書き方の作法を徹底的に叩き込まれ、あとは個人の文章センスや知識量がモノをいう感じだった。国語と世界史、そしてラノベから影響を受けた文化史系に強かった私には最高の科目だった。
編入試験の過去問も一応あって、見せてもらうためにその大学に足を運んだこともある。(コピーはさせてもらえないので、目で見て出題傾向を把握するのが精一杯だが)あと学校で過去問を回収して過去問集みたいなのを作っていたので、行きたい学校が人気校ならそんなことしなくてもコピーできたりした。英語試験はどの学校も長文読解系が多く、TOEICをそこそこにして英検受けまくっていた自分にはありがたかった。
面接指導は就活とほぼ一緒、だと思う。なんでこの大学に行きたいのかをはっきりさせろ!と言われ続け、「御校に在籍の〇〇先生の研究室で●●について研究したいです!!理由としては!!」みたいな答えをガチガチに固めていった。これはのちの就活に活きたと思う。
【試験】
どの大学も小論文は楽勝だった。8月に受けたところは英語で予想外の作文が出て動揺し、読解問題では時間が足らず、涙を呑んで不合格を覚悟した。翌日即結果発表だったが、当然私の受験番号はなかった。
第二志望の大学の前に第三志望の国公立を受けにいったが、家から遠く深夜バスでの移動となった。しかもバスからまた電車で移動するが乗換をミスり試験に遅刻。席に着くために荷物を通路に置いたら試験管に怒られ、萎縮しながら受験したが英語は予想できたレベルでむしろ楽しかった。1週間後には結果が開示され、無事合格。
そして満を持しての第二志望。同じ学校から他にも2名受けることになっており、一緒に移動。英語試験はやや苦戦した覚えがあるが、それよりも面接がしんどかった。大学に、特にその学校に入りたい理由を述べ(行きたい研究室があるでゴリ押しした)、なぜそれに興味を抱くに至ったかなどを話したが、とにかく緊張して噛みまくり、面接官に不審な顔をされ落ちたと悟った。しかしその試験当日、夜から私の受験期を中学から支えてくれた某バンドのライブがあり、普通に間に合わなさそうだったので走って会場を後にした。ライブはギリギリ間に合った。そして入試も無事にパスできていた。
進学先が二つ用意されたわけだが、もちろん第二志望を選択。一応国立大なのと、高校時代から学びたいと思っていた専攻があったのが決め手だった。思う存分研究に打ち込めたと思う。嘘。2年では足りない。もっとやりたかった。でも取りたかった単位や聞きたかった講義はほぼコンプできた。
上記でも少し触れたが、入学時に専門学校の授業の単位を大学の単位へ変換してもらえるため、本来4年で取る卒業単位を2年間で全部とれ、ということにはならなかった。特に私は人文学系だったので、変換がスムーズにいったというのがある。法律や経済系の学科は専門科目の変換が難しく、卒業単位を取れなくて留年した人が多かった。(と後に聞いた)
1年大学ライフを満喫したのちすぐ就活なのはきつかったが、興味のあったサークルにも在籍し2年間最初から最後まで活動できた。でもいくら単位変換してもらったとはいえ他の3年生に比べると圧倒的に単位は足りてない(その上私は卒業単位にならない資格系の講義も取っていた)ので、ほぼ毎日1~4コマ、そのあとサークル!バイト!みたいな生活をしていたし、就活の時期は本当にしんどかった。英語の資格(TOEICスコア700前後と英検準1級)と進級のために取らざるを得なかった数々の英語以外の資格、そしてあの日の面接対策と小論文対策が活きたのだろう……と思うと私はこのルートをたどってきてよかった。他の短大や4大出身の編入生は就活で軒並み苦労していた。でも専門より大学の方が圧倒的に楽しかったです。普通に1年生から大学入りたかった。
大学編入後で一番しんどかったのは、3年生でありながら1年生に交じって体育やらされたことかなあ。
色々書いたけどあくまで文系の話です。理系の編入はもっと大変と聞くし、そもそも専門→理系学部編入というルートが恐らくない。
東大や京大に比べたら底辺もいいとこだけど、こういう抜け道もあるよっていう話をしたくて。でも根っからの文系だった私だからこそうまくいった裏ルートみたいな感じではあるんだけどさ……。うまくいかなくってせっかく編入した大学やめて引きこもりになってしまった知り合いもいるし、正直この専門→大学編入というルートを誰にでもお勧めできるかというとそうでもないけれど。
あと社会人なってから編入で大学入って、教員免許だけ取って中退した編入生の知り合いもいる。社会人なってから大学で学びたいという人で4年は長いという人にもいいんじゃないかな。あと大学とりあえず入ったけどつまんなくて他の学科行きたいとか他の環境行きたいって人。
私は本当は大学院に進みたかったのだけど、やっぱり学費の関係で諦めて就職した。研究してた分野とも全然違う仕事をしているけれど、趣味としてまだその分野についての情報収集や勉強は続けている。なお英語をかなり使う仕事だし専門時代に取った資格もそれなりに活かせてはいるので業務内容には満足している。
いよいよセンターが近づいてきて、不安な受験生たくさんいると思うけど、どうかここだけが人生の決め手とは思わずに気楽に頑張ってほしい。案外人生どうにかなることの方が多い。
【きっかけ】
3.中高大学と恵まれてしまったためとにかく優秀な人と過ごしたかった
【顛末】
・Mイダス
A社、広告関連のベンチャー。SEでも営業でもいいよと雑多な募集。初めて面接を受ける。裁量労働制で魅力的だと思った。営業で内定をもらうが年収50万円は下がりそうだったのでのちに辞退(承諾せず)。
サービスのコンセプトは面白いが、いかんせん聞いたこともねえよという中小企業や、「サービス系」企業が多い。他の求人サービスもそうだが、人材紹介会社や保険営業の求人が多くて「アッ」であった。
・Rナビエージェント
B社、Rクルート出身40代のいかにもマージンベンチャー。事務で応募。一次面接は余裕で突破するも、いかリクな感じが微妙だったのと、新規性を感じなかったこと、SPIを受けるのが面倒だったことがあり辞退。
求人量は豊富だが、書類応募勧奨が激しすぎる上に一次面接辞退はほぼ不可。初めて転職しようとすると書類が通過する案件が意外と多くて詰む。給料アップ案件は公務員のせいかほぼ提示されず。エージェントと話したことはない。最初のキャリア面談みたいなものはコンパスになったかなと思う。
・Dーダエージェント
C社、比較的長めの中小広告関連企業。一次面接でうまく受け応え出来たかと思ったが、あえなく散る。
エージェントとは何度か話したがどうにもこちらのキャリアプランが伝わっていないような案件ばかり。公務員だからか年収ダウンかついかにも「事務員」の仕事ばかり。担当エージェントが時短勤務で、フルタイム勤務の自分にはちょっと相談出来る時間帯が険しかった。案件豊富だがRの方が豊富かもしれない。あとメール多すぎてウザい
・Wークポート
特に何も受けず。エージェントも案件数も微妙。おすすめしない。
D社、エージェントから紹介で受けた新規サービス系スタートアップ。なかなかいいと思ったが、いかんせん一次面接までに御社のことをあまり勉強できず、自分のキャリアビジョンも曖昧でアピール不足。当然落ちる。
E社、エージェントから紹介で受けた通信系ベンチャー。D社と同じような敗因。1日で複数社面接を受けるのはいけない。
F社、エージェントから紹介で受けた教育系IT関連中小企業。筆記試験(敬語や算数のペーパーテスト、ドン引き)はあるし、同日の一次面接では「2人目のご予定は?」となんでてめえに答えなきゃいけねえの? という質問多数。配偶者の仕事も事細かにエージェント経由で聞き出そうとしてくる。辞退。
Bズリーチはエージェントも良し悪しだけど基本的に上から目線感があってめんどくさかった。書類通過しないと企業の人と直接やり取り出来ないのも残念。案件の質は他より高いが何でもかんでも受けられるわけではなく、ポテンシャル採用的な扱いを受ける公務員には不向きかもしれない。
G社、Fintechスタートアップ。ここら辺まで来ると自分なりのキャリアビジョンを話せるようになってきており、マッチングしてますよアピールを大切にしてみた。コーポレート系のある職種で内定。辞退する。
H社、G社の同業他社。この業種は魅力的だが、魅力的でなくなるのも一瞬かもしれない、というのが両者の共通点。さまざまな事件は大した問題ではないが、今後ワクワクしない系業種になるかもしれないあたりが不安であった。コーポレート系のある職種で内定。辞退。
エージェントに比べて博打ではあるが、ピンポイントで業種を狙えば内定まで行けることが分かった。ジョブチェンジ等ポテンシャル扱いで転職に挑む場合意外とBズリーチの自己応募は穴場かもしれない。セクハラしてきそうな会社も避けられる。
I社、Fintechスタートアップ。H社G社とは別業態。自社プロダクトへの愛や、メンバーの温度感、空気感から惚れ込む。正直、ハッタリかました部分も大きいが、やっていきたかった。コーポレート系で内定。年収100万円近くアップオファーもあり承諾。
ココロオドってしまって悔しいが、スタートアップがいいかなと思い始めてから使ったので有用だった。会社の人とカジュアルに面談出来るのはやはり楽。SNSダシネー。まあ条件提示とか一切ないまま受けたけど、公務員からスタートアップいきたいとなるとそのくらい雑な方が良かったと思う。
【感想】
公務員から何になりたいのかによる、というと身も蓋もないが、演出は大切だと思った。元からガジェットやらWebサービスやらに興味があったことと、情報系の学部を出たこと、公務員生活で法令や数字に強くなったことを訴求できたのが、自分のジョブチェンジの成功ポイントだろう。
公務員から民間なんて技術も資格もないし無理だと去年くらいまで思っていたが、割となんとかなってよかった。書類通過して面接受けた企業だけ書いていて、書類落ちや書類通過からの面接辞退もあります。フォーカスのない転職活動は消耗しまくるだけだとも学べた。
BUMP OF CHICKENを聴きながら勉強をした。
入ったのは、文科一類。
順当に行けば法学部に進学するところだ。
東大には、語学別のクラスがあり、顔合わせ的な意味でクラスごとに旅行にいったりする。
おかげで顔見知りくらいはできたが、友達ができることはなかった。
ガリ勉ばかりだと思ってた東大だが、「チャラい」人の方がむしろ多かった。
大学の授業には、最低限だけ出席し、Flashやテキストサイトを見て時間を潰すことが増えた。
就活に使えるようなガクチカエピソードもなく、コミュ障が面接をクリアできるとも思えなかったので、ロースクールに進学することにした。
そんな安易な発想だ。
ソクラテス・メソッドの名の下に、授業で発言を要求されるのには困ったが、学問的な内容であればまだ発言しやすい。
有志で勉強会をする人たちもいたが、ひたすら一人で勉強をした。
アラサーの男女が高校生みたいな色恋沙汰を繰り広げるのを横目に見ながら、判例や学説を頭に叩き込んだ。
テキストサイトはその黄金時代を終え、息抜きは2ちゃんねるに変わった。
ペーパーテストは昔から得意だし、他の人が人間関係に充てている時間を勉強に注ぎ込んだのだから、当然の結果だろう。
勉強ができる上に、顔も良くてコミュ力もある化け物のような人達に就活では負け続けた。
唯一、拾ってくれたのが今の事務所だ。
おかげで、なんとか今は生きている。
大学生のときは何も考えていなかったが、弁護士はコミュニケーション能力も重要だ。
転勤
などなどが重なってうつ状態になった。
プロに治してもらおうと思って。
プロに直してもらうっていっても
これこれこういうことがあって辛いです、って。
たぶんそういう事ができたから「こいつ軽症だな」って思われたんだろうな。
んで、本当にうつ状態なのかどうかをテストするペーパーテストをしたんだ。
その結果的には「あらー、結構しんどそうね。」って感じらしい。
でも二言目には
「しんどそうって思わせるためにこの結果にした?笑」
だそうだ。
ふざけんな。
お前の居ないところではしんどくてしんどくて辛いんだと。
さらに。
「機能不全家庭で育ったのはわかるけど、もう24なんだから自分の責任で自分の人生生きないと…。」
だそうだ。
私がリスカまみれ、露骨に精神やんでます系じゃなかったから治るもんも治らないのかよ。
なんだよ、成人するまで機能不全家庭にいたんだよ。
だからこそ成人したからこそ自分の人生に責任持たなきゃ…みたいな感覚が持てないんだよ。
いろいろひっくるめて死にたいんだよ。でも死ねないのもわかってんだよ。
助けてくれよ。
と
を書いた増田です。すいません、この2つですが、書いたのは実は同じ増田です。
どのくらい反響があるかを前の増田の影響がない状態で見てみたかったので、2つめはあえて文体を変えて書いてみました。
ばれるかなと思ってドキドキしていたので、今のところ同一人物じゃないかという指摘がなくて良かったです。
今回、東京医大の事件によって、医療界が抱えている大きな歪みが一般の人の前にも明るみに出たので、いい機会だと思って普段なんとなく考えていることを文章化してみました。
読み返してみると2つとも無駄に長いですね。
現代の医者の性かもしれませんが、できるだけ状況を丁寧に説明して相手に選択してもらうような考えが染みついてしまっているので、ぐずぐずまとまりのない文章になってしまいました。
まぁ、もともとまどろっこしい性格なのですが。
こんな長い文章なのに、多くの人に読んでブックマークしてもらってうれしかったです。
あんなにたくさんの増田がある中で拾われるなんて、増田ウォッチャーの方は本当にすごいですね。
たくさんいただいたブックマークのコメントを読んで感じたのは、やはり医療現場の外にいる人に医療現場のことをわかってもらうのは難しいということです。
別にすべての人にわかって欲しくて書いた訳ではないですが、中にいる人間としては、そんなに単純な話ではないんですと思うコメントもたくさんありました。単純に私の伝える力がヘボいだけかもしれませんが。
その現場の中にいる人にしかわからない空気感があるというのはどの分野でもある程度同じだとは思いますが、病院はどうしても病気の人と病気を治す人という特殊かつ閉じられた環境になってしまうので難しいです。
風通しを良くするために、他力本願で大変申し訳ないですが、こうすればいいという考えを持たれている、他の分野、特にはてなユーザーに多数いらっしゃるであろうITエンジニアの皆様におかれましては、ぜひ病院という環境に飛び込んで、自分の分野を活かした医療環境の改善プランを提案していただきたいものです。
ニーズは非常に高いので、ビジネスチャンスはたくさん転がっていると思いますし、なにより実際に環境が改善されれば現場の人間に非常に喜ばれると思います。
さらに、現場の環境の改善はそのまま患者さんに提供する医療の質の向上につながります。
みんな大喜びです。
可能であれば医師側から何か提案したいところなのですが、医師、特にマネージメントに関わるような立場にある医師は、結局その技術で何ができるのかと言うことまでキャッチアップできていないことが多いので、そもそも活用法を思いつきません。「IT活用して何とかして」とか言われたらみんな困るでしょう。
医療者がAIも含めたITリテラシーを高めるのと合わせて、IT側もビジネスチャンスと考えて積極的に医療に関わり、その高い技術力を活かしてもらいたいものです。
偉そうなこと言ってないでお前も何とかしろよと言われそうですが、卒後10年弱で中堅に入りかかった程度の小児科医としては、増田を書いて少しでも理解の裾野を広げることと、自分の周りの環境を何とか良くする程度しかできることがないのがつらいところです。
最後に、前2つの記事ではできるだけフラットな立場で読んで欲しかったので、自分の考えをあまり書きませんでしたが、「結局増田は解決法についてどう考えるの?」というコメントをいくつかいただいていましたので、自分の考えを書いておきます。
前もって断っておきますが、例のごとく非常に長いです。すいません。
今回の事件に限らず医学部入試に黒い噂がつきものなのは、大学の医学部医学科に入学した人のほとんどが医者になるという現状が原因で、これが諸悪の根源です。
つまり、入試不正をなくすためには、ほぼ入学ゴールという現状を変えなければいけません。
すなわち、医学部入学者を増やして医師教育の入り口である医学部入学の門戸を広げて、代わりに国家試験という出口で医師の数を調整する、という方法です。
大学医学部に入れたところで医師になれるかどうかはその後の自分次第なので、不正をしてまで入学するメリットは大幅に減ります。
出口を国家試験にしてしまえば試験による不正は基本的には起こらないはずです。(このご時世なので何があるかはわかりませんが)
現行のペーパーテストのみの国家試験をより実践的なものに変更する改革と合わせれば、現場に出る医師のレベルもある程度保証できるはずです。
国家試験が受験者の大多数が合格できる試験でなくなり、さらにより実践的なものになれば、各大学間で合格率に大きな差が出ることになると思いますし、大学間での競争も活性化されて問題のある大学は淘汰されていく流れになるかもしれません。学生も競争にさらされてしっかり勉強するようになるでしょう。
さらに、医学教育の出口で医師の人数を調整することにより、入り口で調整している現在より速いスピードで医師の需要の増減に対応できるようになります。
問題点としては、医師になる教育を受けたのに医師になれない人が多く発生することです。タイミングによっては、氷河期みたいな現象が起きてしまうかもしれません。
医学生にとっては、大学に入ってしまえばほぼ医者になれる現状に比べてかなり厳しい状況ですが、世の大学生や大学院生たちは、就職においてかなり熾烈な競争を行っているようですので、現状が甘やかされすぎです。
ただ、医師になれなかった学生の受け皿は必要です。医師に準ずる知識や技術を持った非医療職というのはある程度の需要があるとは思いますが、どこまで一般の企業などがそういった人材を、しかも国家試験に落ちてしまった人材を欲してくれるかは疑問です。
準医師みたいな資格を作って病院で働くというのも一つかもしれませんが、どういった制度設計にするかは十分な議論が必要です。
とにかく、国家試験に落ちてしまってもすべて自己責任としてしまうのは今の日本ではちょっと受け入れ難いと思いますし、この辺りは検討の余地が多数残っています。
他の問題点としては、やはり大学の負担が増えることでしょうか。
大学時代によく言われたことですが、医者を一人育てるのにはお金を含めた莫大なコストがかかっているそうです。
国公立大学は言わずもがなで多大な税金が投入されていますし、私立大学でもある程度は学生の授業料でまかなわれているものの、少なくない税金が投入されています。
その税金を、医師教育として医者にならない(なれない)人のために払うべきなのかというのは議論が分かれるところだと思います。
国公立大学でも学生の負担を増やすのは一案だと思いますが、結局お金持ちしか医師になれなくなっては本末転倒ですし、アメリカのように借金してでも大学に入ったのはいいものの、最終的に医者になれなかったのでは救いのかけらもありません。
現状では大学の教員は診療・教育・研究を一手に引き受けており、学会活動なども含めて多忙を極めています。
ただでさえ手薄な教育なのに、これ以上にリソースを割けと言われると行き着く先は地獄です。
解決策は大学教員を増員して診療・教育・研究のうち得意な分野に専念させることですが、そんなことができるお金のある大学は日本には存在しないでしょう。
やっぱり先立つものは金です。
最初の増田に書いたように、医師の労働環境改善は女性だけの問題でなく、今後は男性医師にとっても重要な問題となってきます。
特別に女性が働きやすい環境を作る必要はなく、性別関係なく医師が働きやすい環境を作れば、その結果として女性もあまり無理なく働ける環境になると私は考えています。
そのためには、賢明なるはてなユーザー諸氏と同様に、医師の数を増やし、医師の業務を他の職種に移譲できるものは移譲し、病棟業務については複数主治医制にすることが基本的には必要だと思っています。
この3つのうち根本的かつ最も強力な改善策は医師の増員だと思うのですが、いかんせん現在の制度では増やそうと思ってもどうしても10年近いタイムラグが生じてしまいます。
軍隊みたいに予備役みたいな制度があればいいんですが、医師に関してそんなバッファーを用意できるほどこの世の中に余裕はありません。
増えた頃にはAIの進歩によって劇的に医師の業務はスリム化されていて、既に多くの医師が用なしになっているという未来も想定しておかなければいけないことを考えると、現実的には、今から医師を増やすよりはAIの進歩を待つ方が良いのではないかと個人的には思います。非常に悩ましいところです。
また、医師を増員する場合は、増員した医師の診療科と勤務先が偏ってしまうと増やす意味がないので、国家試験の成績など何らかの形でそれらを制限する仕組みが必須です。
むしろ医師を増やさない場合でも、今後の医療においてこの仕組みは必須になってくる可能性が高いでしょう。
これから医師を目指す学生諸君にとってはこれも厳しい話ですが、医者が好きなように診療科と勤務地を選べる時代は終わったと諦めるしかありません。
業務量の減少に合わせて個々の医師の給与は減ることになると思いますが、総量規制で「人数を倍にしてやるから給料半分な」というのはさすがに厳しいですし、それなりの人件費の増加は免れないでしょう。
また、上にも書いたように医師を増やすことで大学の育成のコストも増加します。
やっぱり先立つものは金です。
私の給料が減ることについては生活に困らない程度までは我慢しますので、国民の皆さんにも納得していただいて、増税のうえ健康保険料の値上げと医療費の自己負担割合を上げさせてもらうしかありません。
医師の業務を他の職種に移譲することについては、現在も徐々に進んできていると思いますが、現在既に忙しく働いている医療者に業務を移譲しても仕方ないので、やはり追加の人員を確保することが問題となります。
医師を雇うよりは人件費は抑えられると思いますが、日本全体で考えれば結構な人件費の増加になるでしょう。
また、処置にせよ事務仕事にせよ、医師の負担を減らせる程度までの業務を移譲するためには、相手にもそれ相応の医療知識や技術が必要です。
その教育や育成にも金銭的・人的コストがかかります。やはり先立つものは金ですね。
カネカネ言い過ぎて、賢明なるはてなユーザー諸氏に「医療現場の問題は放っておこう」と思われないか心配になってきました。
とは言え、退院サマリを書けるくらいの医療知識と高い事務能力を備えた人材がいれば、病院においては引く手数多だと思うので、そういった人材を育成して派遣する会社を作れば儲かりそうです。実はビジネスチャンスなのかもしれません。
複数主治医制についても基本的に賛成です。医師がある程度安心して病院を離れるためには必要な制度だと思います。
「主治医団のメンバーすべてが同様の能力を持っている訳ではないこと」、「チームのメンバーのうちA医師にはできることがB医師やC医師にはできないこともあること」、「緊急時を始めとして常に望む相手の診療が受けられるわけではないこと」。
理性的なはてなユーザーの皆様には理解しがたいことかもしれませんが、この当たり前とも思えることを納得して受け入れてもらうことすら難しいのが医療現場の現状です。
2つめの増田に書いたシチュエーションはほぼ実話で、同じようなことは重症度は違えど年に数回は起こります。複数主治医制での別の主治医とではなく、当直医との間においてですが。
もちろん、実際の状況はあんなに単純ではないので、自分が主治医側の場合もあれば当直医側のこともあります。
私は小児科医なので、実際に起こっていると言うことは、あの場で急変しているのは子どもです。生後1ヶ月に満たない赤ちゃんのこともありますし、中学生のこともあります。
いずれにせよ、急変した我が子を見て、このまま我が子が死んでしまうかもしれないと言う状況で「これも運だから仕方ない」と冷静でいられる人はいません。A医師を呼んで状況が改善する可能性があるのだったら「A先生を呼んで!」と言わない親は現実にはいません。そんな親はみたことがありません。
別にそれが悪いと言っている訳ではありません。自分がその親の立場だったら言ってしまうと思います。
ただ、その希望が常に叶えられるものではないことくらいは理解して受け入れてもらうのが、複数主治医制が根付くために必要な前提条件だと思っています。
簡単そうに思えるかもしれませんが、現場においては本当に難しいことです。
患者さんやその家族が、多くのはてなユーザーの皆さんのように、正しさのためならC先生で我慢するか、と思える方ばかりならいいのですが。
この前提条件が成り立たない状態で複数主治医制を実施すると、前の増田に書いたようなことになって、優秀な医師が病院を離れられない空気感ができあがりA医師が疲弊するだけです。
また、複数主治医制を機能させるためには、どうしても1つの医療機関にそれなりの数の医師を集めなければいけません。
上にも書いたように、医師の増員にはどうしても時間がかかるので、さし当たっては医療機関の集約化を行うしかありません。
中規模の病院を中心に統廃合が行われた結果、中規模以上の医療機関へのアクセスが悪化し、患者さん側にはご負担をおかけすることになると思います。
医師の労働環境改善のための患者さん側の理解という点では、医師の時間外の仕事を増やさないように協力していただくことも重要です。
夜間・休日の不要不急の受診を控える、平日の日中以外に病状説明を求めない、この2点で小児科医の労働環境は結構改善すると思います。
子どもの医療費の自己負担額は多くの自治体でただ同然なので、その受診で人件費を含めてどれくらいのコストがかかっているか無頓着な方が少なからずおられます。
金銭的・時間的にアクセスが容易だから夜間・休日でもとりあえず受診しておこうという姿勢は、上に書いたように医療費の高騰や医療機関の集約化を通してその容易なアクセスを崩壊させ、結果的に自らの首を絞めます。
もちろんどうしようか非常に迷った上で受診して、ひどく申し訳なさそうに診察室に入ってこられる保護者の方もたくさんいますし、小児科に関しては子どものことなので、もちろん心配であれば夜間でも日曜でも受診してもらったらいいのですけどね。
<AIについて>
AIは将来的に医療の様々な分野において医師の業務を助けてくれる存在になると思います。しかもAIの素晴らしいところは、いったん開発してしまえば計算機に電気さえ食べさせていれば文句を言わずに働いてくれるところです。もちろんメンテナンスは必要ですが。
上に何度も書いたように、先立つものは金というこの世知辛い世の中において、人件費がネックにならないのは非常にありがたい存在です。
咽頭の画像を撮影して、その画像からインフルエンザかどうかを診断するAIを作っているベンチャーの記事をどこかで読んだ気がしますが、そういった特定の疾患かどうかを診断するようなAIは実現が間近のようです。
一方で、多くの人がAI診療と言われて思い浮かべるような、患者情報をインプットすることで自動的に診断や治療法などをアウトプットしてくれる夢のようなAIはまだまだ実現は遠そうです。
そういったAIを実現するための最大の課題は、我々医師が診察の現場において収集している情報のうち数値化や言語化が難しい情報を、どのように計算機に Permalink | 記事への反応(10) | 23:00
その本質は徒弟制度の職業訓練所である。卒業生のほとんどが臨床医となり、いくらかの変わり者が研究者となり、その他民間企業や行政方面に進むものはごくわずかしかいない。卒業後の進路にこれほど偏りのある学部や学科はあるだろうか。その上、彼らの存在そのものが日本の医療という非常に重要なインフラを支えるための貴重な資源であり、したがって大学の使命はおおむね優秀な医師を社会に送り出すこととなる。卒業生の8割が医療系コンサルに進む医学科があったとして、社会はその大学の存在を認めてくれるだろうか?優秀な頭脳を持っていても重大な持病を抱えていたり、虚弱であったりするものばかりの大学の存在を認めてくれるだろうか?40歳で医学部に入る再受験生だらけの大学を認めてくれるだろうか?誰も循環器科や消化器外科に進まない大学を認めてくれるだろうか?結果、大学受験は就職活動、就職試験の役割を担う必要が出てくる。つまり優秀なだけでなく、臨床医として有能であろう人間を選別するシステムが大学には必要であり、それが入試時の面接であったり各種のハードな実習や研修であったりするのだ。その結果、社会を維持するために若い男性が優遇される結果となるのは自明であるように思われる。大体、多浪や再受験生がその年齢に応じて減点されていることはすでに明らかな事実だ。国立、公立大学にあっても露骨にそうなのである。年齢差別、男女差別、疾病差別、地域差別・・・あらゆる差別がそこにはあるのだろう。
無論、日本でのペーパーテストの公平性への信頼感は貴重なものであり、それをないがしろにし揺るがした今回の事件は大きな問題である。だが純粋な公平性を保つためには前述の問題、つまり、実質的に現場を支えることのできる医師が減ることをも許容しなくてはならなくなるだろう。面接をなくせば、性別や年齢の記入欄をなくせば、公平になる。それは正しい。だがその結果、現状で年に数千人しか生まれない医師が実質的に減ってしまうことになるのだ。定員を増やせ?それもいい。それは必要なことだろう。だが無論莫大なコストがかかり、それは医療費の高騰にも繋がりうる。医師の給料を下げろ?そうすればすぐに医師は減るだろう。多くの現場を支える医師は金銭のためというよりも、技術に対する向上心や人々から向けられる尊敬の眼差しのためにその過重労働に耐えているのだ。
今までの医療界は、おそらく他のインフラ業界もそうであろうが、数多の犠牲の上に成り立ってきた。個人の健康や幸福を犠牲にしても医師として過重労働に耐えつつ名誉や金銭、達成感などを追い求める人々と、そんな医師の過程を支える家族と、健康でヘビーな労働に耐えるという能力が欠けていたため医師になれなかった人々の犠牲の上に。だが我々は進歩し、そのような個人が社会のために犠牲となる時代を脱しようとしている。少なくともそう試みようとしている。それはなんの疑いもなく素晴らしいことである。だが、そのためには手放さなければならないものも多くあるに違いない。その一つが現代日本における医療の高度さや利便性であっても、驚いてはならないのだ。
うちの会社も採用時に男女比調整しているって聞いてるけど、女の私でもあまりそれを理不尽だと思っていない。ペーパーテスト重視なので、それだけだと上位が女子ばかりになってしまい、二次試験の面接で調整しているんだそうだ。
うちは比較的寿退職とか妊娠したから辞めますっていう女の子は少ないけど、できちゃった結婚とかで急に産休・育休に入られたときの周囲のダメージといったら…。タイミング的に前もって分かっていて人の補充ができる状況ならいいけど、激務ポストで想定外の産休・育休の穴埋めをする羽目になったらやっぱり上司や同僚は迷惑すると思う。
日本国全体というマクロの視点からすれば子どもを産んで人口を増やしていただくのはありがたいことだが、自分の職場という狭い世界に関していえば正直産休・育休は迷惑だと思う。ましてや医療現場のような元々ハードワークが強いられがちな職場で、そのように思う人がいないわけがないと思う。
あまり仕事ができない男子がいることも、優秀な女性がたくさんいることも重々承知だけど、できれば男性にやってほしいと思う仕事があるし、上司は女性より男性の方がやりやすいと思ってしまう。うちは女性の管理職もかなりいるけど、優秀で細かく書類とか見てくれる人より、細かいことは気にせず書類にはメクラ判を押し、偉い人たちと飲み歩くのが仕事みたいな管理職の方がなぜか気楽。
差別と言われればそれまでだけど、比較的男女平等が徹底しているうちの業界でも私のように感じる女がいるんだから、もっと男尊女卑傾向の強い業界ならなおさらだろう。男は縦社会向きで、女は横社会向きだと言われるけど、そのへんが原因なのかなぁ…。
補足:うちの会社でこのような現象が起こるのは、業界内でNo.2ぐらいの地位にあるからだと思います。本来それだけの能力があればNo.1のところで採用されてしかるべき女性が、No.1のところで採用してもらえず、それではとうちに殺到し、ペーパーテストの上位を占領する結果になっているのではないかと思われます。
No.1のところであれば、男女ともにトップクラスの人が行くので、そんなに男女の偏りは発生しないはずですが、向こうがこき使いやすい男性ばかりを採用し、女性は一握りのスーパーエリートしか採用しないため、No.2のわが社に優秀な女性が殺到するのではないかと…。
また、優秀な男性は他の業界でも引く手あまたですが、こちらは男女平等にペーパーテストで判断してもらえるのも女性が集まる理由だと思います。上記のとおり完全に平等とは言えない状況ですが、ほとんど面接だけで決める会社より、勉強すれば報われる式の方が女性に有利なのだと思います。
東京医大の件、医学部志望者の中では女子に厳しいとか、多浪に不利と言われていた大学はあったので、そこまで驚きには値しなかった。まさかこういった形で明らかになるとは思っていなかったが。
公正だと思っていたペーパーテストの一次試験の時点で結果に手が加わっていたのは残念だ。面接と小論文で評価する二次試験では、受験生の属性に応じて点数を調整することはあると思っていたが。
私は東京女子医大に通っている。
今まで、女性でも医学部に入り、医師になることが当たり前な時代に、女子医大の存在意義に疑念を感じていた。そもそも女子医志望ではなかったが、浪人なんてするよりは…という不本意な入学だったからというコンプレックスも多分にあったからだけど。
しかし、今日のニュースを知って女子医大には今でも社会に役割はあると思った。
これからは、あんまり女子医のことをdisりすぎないようにしたい。
女子医が建学された理由は、創設者が卒業した医学校が風紀紊乱を招くとして女子の入学を禁じたことがきっかけである。その頃からもう100年以上が経つが、あんまり変わらないんだなあ。