はてなキーワード: ペーパーテストとは
今時ペーパーテストとかやってられんやろ
原田マハさんの「生きるぼくら」を読み始めた。主人公は、高校でいじめられて中退して引きこもりになった24歳。
その、いじめの話を読んでいると、自分が中学時代に受けていたいじめを思い出して、気分が沈んで黒い気持ちになってきたので書き出してみることにした。
読んでも教訓はないし、得るものもないことだけ注記しておく。
自分は、地方の市街地にある公立中学校に通っていた。そこで、クラスメイト2人からいじめられたのだった。
1人は、近所の、小学校からの遊び友達で、粗野な面もありつつ話も発想もおもしろく、遊びを発明したりとクラスの中心人物。もてていたと思う。スポーツ推薦で私立高校に進んだけれど怪我をして中退した。高校以降は部活の試合などで数回しか会っていない。
ペーパーテストはできなかったけれど、いまでも、頭のよさや自信を尊敬している。中学校ではいっしょに登校していて、登校中にお菓子をわけてくれるのが楽しみだった。
もう1人は、サッカー部の肩幅の大きい人間。愛嬌があっておもしろい人間だった。いじめ問題が解決した1年くらい後の出来事ではあるけれど、一番印象に残っているのは、家庭科の性教育の班発表で避妊についてコンドームの実物をくばったりしたこと。そのときに彼が言っていた、コンドームは失敗する可能性も少なくないから、コンドームをつかってかつ外で射精することが重要、と言っていた教えはいまでも記憶にある。
彼らからは、直接打撃的ないじめを受けたわけではない。恐喝されたわけでもない。言葉ではなにか言われたかもしれないけれど、人格を否定するほどではなかった気もする。「生きるぼくら」で主人公が受けていた体に見えないところに暴行されたり、母の弁当をぶちまけられたりというほどではない。
一番、くやしかったのは、羽交い絞めにされて学ランのズボンに、黒板消しをなすりつけられたこと、何度かあった気がする。柔道技をかけられて、力の差でなにもできなかったこともある。ほかのことはあまり記憶が明瞭ではない。
悔しさか悲しさか情けなさかで泣いていたのを覚えている。殺意めいたものも感じていたと思う。
いじめ自体は、親や先生が動いて、わりとすぐに収束した。今思うと、相手の家に乗り込んだ父はほんとすごかったし、母には心配をかけたし、先生も相手と1対1で話し合いをしてくれてちゃんとしていた。
いじめがあったことがどう親や先生に伝わったかは、そのころまったく気にできなかった。自分が30歳近くになったころ、母が地元の印鑑屋さんで自分の実印をつくってくれたのだけれど、そこの印鑑屋の息子が自分の同級生で、先生にいじめが起きていることを伝えてくれたということを聞いた。そのころは自分の殻に閉じこもっていたのか、彼の名前や顔も思い出せなくて、申し訳なく思っている。ほんとうに感謝しています。地元に住むことはなさそうだけれど友だちになりたい。
いま、冷静に考えると、いじめ自体もなよなよしていて腹立たしい自分に対するちょっかいがエスカレートしたもので悪意はなく(だからこそいじめはやっかいではある)、自分に人格が確立されていれば言葉で跳ね返せた、とは思うのだけれど、難しい。積極的に近寄りたいとは思わないけれど、恨んではいないし、いまならあの頃はいろいろあったね、と話ができる気もする。たぶんだけれど、2人とも、このあとはいじめを止める側に回っている気がする。
そして、冒頭で黒い気持ちになったというのは、いじめられたことそのものではなく、いまもサッカー部の彼に対して抱いてしまう暴力の衝動。
太ももにシャープペンを突き刺して、二度とサッカーできないようにするところを想像したり。事故とみせかけて階段でもたれこんで突き落とすのを考えてしまったりしてしまう。いじめられた当時から同じことを考えていたのか、そのあと繰り返し想像して強くなっているのかは混同してわからないけれど、10年たった今でも、いじめを想起するたびにこれらの暴力的な衝動をイメージしてしまう。そして、そうすることで心を慰めてしまっている自分を発見して暗い気分になる。いつか克服できるだろうか。
でも、もうすこしいじめが続いていたら、そういう想像を実現させていたと思う。そして、相手も自分も破滅していただろう。
行動に移すまえに、いじめを止めてくれた親や先生、名前も忘れた友人に感謝している。いじめた相手には複雑な気持ちを持っているけれど、どこかで幸せに生活していてほしい。自分はこれからもその衝動を抱いて生きるだろうけれど、行動には移さないと思う。
当方、40代はじめての正社員採用してくれた会社を、1年未満で離職して、転職しようとするクズ人材。その前は20年近く非正規だった。そんな底辺人材を、次も採用しようとする会社があることにまず驚いた。
なんで採用するかって、適性テストの偏差値が高かったから。言語で70台後半、数的論理は60台半ば。言語が過去最高値で、次点では70前後(新卒時)出す人もいるらしいが、ぶっちぎりだったらしい。一方、数的論理は(新卒比較で)並と言われた。テスト時に残り時間10分と言われたときに、短い時間で確実に解ける言語に絞って数的論理を捨てたのが、大当たりしたらしい(数的論理の方は、こういう短時間でラフな解答をやると、必ず引っかかりやすいところに引っかかってしまって、点数に結びつかないことを知っていたのだ)。
いやー世の中には奇特な会社があるもんだ。まあ数年前は正社員なんで夢のまた夢ってところだったから、昨今の超人手不足のおかげで、自分のような、まともな職歴が無い人間にもチャンスが回ってきたのだ。運が良かった。1年未満在籍した会社も、そんな経歴の人間を雇うくらいだからブラックのデパートだったけど、今回の転職の足がかりとして、実に有難い存在だったと言えよう。
適性テストの後に本社に呼び出されて、面接時よりもさらに偉いさんが出て来て、条件等を交渉して、最期に「出世欲はあるか?」と聞かれた。・・・出世欲って、こりゃまたすごい質問だ。「仕事の幅を広げたいし、出世する人と同等以上の結果を必ず出すが、欲自体は無いと思う。そんな欲があったら、新卒時にまともな会社に就職してるし、何十年も非正規やってない」とつい正直に答えてしまった。後から思ったが、あれは「有難うございます」と答えるべきシーンだったんだな。「これだから非正規は(笑」って思われたろうな。まあそんな失態をしても内定取消にならず、雇ってくれるってんだから有難い話である。
「アホの子」についてブコメ等で宜しくない旨ご指摘をいただきましてありがとうございます。そして申し訳ありません。
言い訳をしますが、彼ら彼女らと私との間に、愛と信頼できる(と、こちらが一方的に思っているだけかもしれないが)人間関係がある前提で使ったのでした。読み返してみたら確かに気分の良くなる言葉ではないですね…。増田は聖人君子でもなければ天才でもないので言葉のTPOを間違える。申し訳ありません。
現在の仕事は教育関係ではありません。ごく一般の会社員。教員や教育関係に就こうとは思ったことはないです。あの仕事こそ増田なんかよりも聖人君子に近い人がなるべき仕事で、更に言えばもっと報酬と人手を割くべき仕事だと思っています。私にはとても無理。
あまり広くない世界で働いているので詳細はぼかしますが、口悪く言えば大人に対して同じようなこと「一緒に何が原因でこういう事態に陥ったのか考えましょう」という感じの仕事をしています。かなりダメ社員で成績は悪いし出世も遅いです。小さい細かい、そして金にならない仕事ばかりをやっています。その代わり長期間のお付き合いになる案件が多くて楽しくやりがいがありますが、それは会社にとっては更に宜しくない(割の悪い仕事をずーっとやっている)、というお荷物要員です。が、天職だと思っています。会社よ申し訳ない…
蛇足の手本のような追記を、元増田が思い立ったのは、この方法は、増田が開発したものでも、独自に気付きを得たものでもなく、増田の恩師から増田がしてもらったことを子供たちに返しただけなのだということを言わなくてはと思ったからです。ごく一部のブコメに天才とか良い先生だとか、大変気持ちが良く調子に乗ってしまう言葉もいただきましたが、ぜんぜん違います。重ねて申し訳ない。
そういう意味では、増田は凡人ですが、増田の恩師、K先生が天才なのかもしれません。
増田自身がまさに「アホの子」の元祖で、小5~6年の担任を持ってくれた恩師K先生との出会いがなかったら超ヤバかったのです。
増田は、小学校5年生の秋まで、掛け算九九を暗記しないまま素知らぬ顔でいました。
学校の勉強は良くできた方だったと思います。ペーパーテストなどでは基本的には98/100点などがずらっと並ぶ感じ、授業を聞いていれば大体頭に入り理解できる、先生の説明の途中で勝手に教科書の「応用問題」を解き始める感じの子供でした。そして、多動&注意欠陥の傾向が強い子供でもありました。今思えば先生からしてみたら割と厄介だったかもしれません。100点は取れないんですよ注意欠陥っ子なので。歴代の先生全てに「見直しをしなさい」「あとちょっと集中しましょう」と通知表に書かれ続けてきたタイプです。
で、小2で掛け算を習う時に「×の記号はその回数足すという意味です」と先生が言ったのを真に受けて、その回数足せばいいなら九九覚える必要なくね?と何故か曲解して思いこんだ。それから先は、分かりやすい2の段とか5の段とか以外は記憶せず「○回足す」で乗り切った。いや乗り切れるわけがないから、他の教科のテストは相変わらず95点とか98点とかだけど、算数だけ85点ぐらい。馬鹿だったわけじゃないのが災いして中途半端に平均的に点は取れていたから、当時のそれぞれの担任の先生も「増田さんは算数が苦手なのね」程度に判断されていたのだと思います。
ただ、九九を覚えていないと、3ケタ÷2ケタの割り算なんかを解くのが地獄なんですよ。あと倍数とか約数の概念が苦手というか、概念「しか」分かってなくて実践が全然できないという状態。正解できないから面白くない、面白くないから興味がわかない、という状態のまま、分数を学び、少数を学び、速度や割合を学び…、ちっとも理解できてないまま小5になっていました。完全にアホの子のできあがりです。
図形問題や証明問題のようなものや鶴亀算的な文章問題なんかは、式を作るところまでは合っている、が計算を間違う。それも理解できない間違え方をしている。割り算は勘を頼りに予想を立てた数パターンを足し算検証して合ったやつを正解としてみよう(足し算だけで最小公倍数や最大公約数をあてずっぽうで探す要領だったと思います。あんまり思い出せないし再現できる気がしない…)という超絶燃費の悪い解き方をしていたので、その時にイージーな計算ミスをしているだけなんだけど。そして間違わないときもあるので、先生からしたら何で算数だけ点数が悪いのか分かりにくかっただろうと思います。
ところが、K先生はなぜか(後に大人になってから種明かしをしてもらうのですが)、私が九九を覚えていないことを見破ったのですね。
ある日、放課後に一人で残りなさいと言われて、超絶びくびくしながら教室で待っていたら、教科書を山ほど抱えたK先生が、増田の算数嫌いを一緒に克服しよう、と言ってきました。クラスでも勉強ができる方の子供だったし、私より他に勉強を見てやった方が良い(失礼な言い草だな)子がいるのに!と、驚いて、そして腹が立ったのと同時に、凄く怖くなりました。
ばれたくなかったんです、アホだってことを。
ずーっとズルをしてきて、九九を覚えてないズルい生徒だとばれたくなかったし、分かってないのに何となくやり過ごしてただけで本当は何にも分かってないアホだってことも、絶対にばれたくないと思ったんです。K先生は生徒思いで自由なタイプの教師で私はとても好きでしたから、なおさらばれるわけにはいかなかった。なので家で計算ドリルやればいいでしょ!とか、じゃあ塾に通う!とか、お父さんに教わるからだいじょぶ!とか、忘れたけど色んな事を言って逃げようと思った。でも誤魔化されてくれずに、「ひょっとして九九を覚えてないだろう?」と当てられてしまい、号泣したんですね。恥ずかしいのと悔しいのと腹が立つのと色んな悪い感情が渦巻いたのを覚えています。凄く辛かったし恥ずかしかった。
そこから多分数回、K先生は放課後付きっきりで相手をしてくれました。まずは九九を覚えてきなさいと、絶対に役に立つんだから先生を信じてくれ、と言われました。K先生を信頼していたのでその言葉も信じることにしたんです。結果的に信じて大正解、あんなに苦労した計算がこんなに簡単に!と思いました。アホの子丸出しです。
まぁ勘で割り算解いてたわけで、7の段とか8の段とかの九九の深いところがあいまいな程度でうすらぼんやりとは覚えていたのだとは思います。母親に白状したら本屋さんで九九の表のを買ってきてくれたのでトイレと風呂に貼った、小5なのに。でも小5だから本気だせばすぐ覚えられる。
その後は、取りこぼしていた分数(九九が分からないと約分が厄介)、少数(分数が飲み込めてなかったので少数と割合の概念が全く理解できてなかった)、速度(以下同)などなど躓いていた個所を一通り先生と一緒におさらいをしたら、算数でも98点取れるようになった。100点はめったに取れません注意欠陥っ子なので。
一度、放課後に残されている私を同級生の男の子が数人からかいに来たことがありました。優等生と思われていた増田が!と面白かったんだろうと思う。ただでさえ劣等感に苛まれてべそをかきながら(実際に分からなくなるたびにべそべそ泣いていました)教わっているのにクラスメートにからかわれて死にたい気持ちでしたが、K先生が、勉強ができるようになりたいと頑張っているものを笑うな、と怒ってくれたことを鮮明に覚えています。
その後は、からかいに来た生徒たちも一緒に「K先生と算数をおさらいする会」がしばらく続いたように覚えています。最後はかなり大所帯になっていた記憶。ほとんどの生徒から慕われていたのです、K先生は。
大人になってもこのクラスの同窓会は続いています。高校卒業した年の同窓会で、ふと思い出してK先生にどうして九九が分かってないことがバレたんですか?と聞いたら、テスト用紙の隅っこにいつも消しゴムで消した計算跡があって気になっていたこと、ある日消しが甘い時があって見てみたらひたすら関係ない足し算をしている跡のように見えるが何故???というところから、観察をしてみたらひょっとして、と思ったということでした。掛け算を何度も足してたのを気付かれたくなかったし恥ずかしかったのか、証拠は隠滅していたんですね姑息なことに。筆算はそのまま解答用紙に書いてあるのになぜ別の計算が必要?そして何故消す?、というところから類推されていたらしい。本当に些細なことからだったし、それ気付かれてなかったら、下手したら高校にも行けなかったよ私…。
私自身がアホの子であり、アホであることを許して丁寧に付き合ってくれて、気持ちも分かってくれた(九九の概念を理解してたのは増田の良いところだと褒めてくれた、そしてそのあとを面倒がるのは増田のダメなところだと怒られた)K先生から教わったから、私が人を教えるときにそれを使うことができたんです。私が成したことではなくK先生の教えがあったから。
成人式の後に、K先生の家に同級生たちと一緒に押しかけ酒を飲んでいた時、私たちは酔ってゴキゲンで、先生をべた褒め(先生がいなかったら私ヤバかったとか云々)してたら、K先生は、親や教師や目上の者から恩恵を受けたと感じてくれたなら、それを俺に返そうと思わなくていいから下に渡してやりなさい、とおっしゃったんですね。で、それを実践しただけ。
K先生はとても個性的で自由で、保護者の中には批判的に見る人もいたような型破りなタイプの先生で、教わったことはこれだけではなく抱えきれないほどあります。K先生のそのクラスは良い年をした今でも同窓会をするほどのつながりが深くありますが、その中で小学校の先生になった人が二桁いる。割合で言うとクラスメートの2割弱が小学校の教師になりました。私のようなボンクラがならなくても、K先生に感銘を受けた優秀な先生が頑張っていてくれるので、学校の先生は大丈夫。
いや大丈夫じゃないよね…もっとお金と人を割いてほしい。教師になった友人たちもストレートで職に就けた子はいません。みんな1~3年程度、補助教員の仕事にありついてそこからなんとかポストを見つけて、という感じ。ホント酷いよね…。
増田が友人たちを観察している限りでは、学校の先生は「勉強を教える能力」だけじゃなくて、「クラスという集団を統率するリーダーシップ」「学校のスケジュールを考える企画力」「それをこなす運営力」「ケースワーカー」などのスキルが必要で、かれらはこれを一人か二人だけでマルチタスクでで行っています。
あくまでも口と性格と知能に若干の問題がある増田の私見ですが、今の日本はホントに馬鹿だと思います。何で教育予算増やさないでしょうね…。1クラスは40人でも良いけど(ある程度の人数がいた方がクラス内で多様性を許容しやすいと教師の友人が言っていました。少人数だと浮いた子の居場所を作りにくいそうです)、その代わり担任は3、4人居ても全然いいし(そうすれば学校内で個別指導塾的な役割も持てる)、何なら学校行事の企画運営なんかは更に専属で別の担当教師がいるべきだと思います。名古屋市だったかが小学校のクラブ活動を廃止というニュースがありましたが大英断だと思う。課外活動は地域SCなどで吸収できるとしたら理想の形なんですけどね…。
今の学校は、子供も少ないからポストも少なく教師になりたくて夢と強い意志を持って教師になったという人がほとんどだと思います。増田が報告した塾での出来事なんて、彼らにもう少し余裕があれば増田の15倍ぐらいは良い結果を出すと思う。それなのに。
それはともかくとして、増田は、社会人になって初めて下に付いた先輩から「お前はアホで手に負えないが、唯一の取り柄は教わり上手なことだ」と言われました。K先生が小5の秋の夕方の教室で、私を壊してくれなかったら教わり上手に変化することはできなかっただろうと思います。
その他、耳に心地よかったお褒めの言葉などは、心の栄養にさせていただきます、ありがとう!。一方で、疑問や批判的なご意見で、増田にとって都合よく答えられそうなものにいくつか。
そうですね、増田にとって話しやすいことだけを、それもかなりボカして書きましたので仕方ないです。ごめんなさい。実際は大変でした。
adbが分からなかった子は初めて私が「開眼」した生徒なので思い入れも記憶も多いのですが、躓いた場所に気がついた後は、塾が用意しているカリキュラムや教材をほとんど使わずに、まずはアルファベット用の罫線が引かれたノートを拡大コピーして(形状の見分けがついてない疑惑があったので思いっきり拡大コピーして使った)、アルファベットをaから順番に10回ずつ、声を出しながら書き取り練習!をしました。
何よりも、大手のフランチャイズ塾だったのにもかかわらずカリキュラムを無視した指導をしてもいい、と許容してくれた教室長の懐の深さと"寺子屋愛"に甘えられたことと、先生バイト仲間の優しさ(教えるのが大変な子を私が見る代わりに、担当生徒数を減らしてくれたり、私の受け持ちの子を共有で見てくれたりのフォローをしてくれた)があったからというのはとてもとても大きいです。
あと、当然すぎるほど当然ですが、成績を上げてあげることができなかった子供もいました。元増田にも書きましたが、私は成績が普通の子の指導は得意ではなかったです。勉強にアレルギーがある子供の方が、悪い言い方になりますが、つけ入る隙が見えやすいと感じていました。なので、主に「すごく良くできる子」と「すごくできない子」の担当をしていました。あと、すごくできない子で、一人だけ、どうやっても引き上げられない子がいました。詳細は書けないですが、これは今でも思い出すと胸が痛くなる。
■そんなの誰にだって出来るだろー
増田もそう思います。なのでホテントってビックリしています。そして前段に長々と書きましたが、増田の手柄ではなくK先生のおかげだと思っています。
■生徒のプライバシーは?傷つくんじゃねーの?
浅慮だったでしょうか…アホです。問題が起こったら消すかもしれません。ただ連絡を取り合える子供もいるので耳に入って傷ついたと知ったら直接彼らに謝ります。一応最低限はぼかしているつもりです、ホテルはもちろんフェイクです。あとブクマのご指摘にもありますがabdが区別つかない子というのはそれほど珍しいことではないので…。
■学習障害があったんじゃない?
増田は現在でも専門ではありませんし、当時はアホの大学生だったので判断はできません。増田個人に関しては前記の通り「傾向」は確実にあるだろうなーと思っています。調べてはいませんが。苦労もとても多いがそれなりに個性的で愉快な性質だなと受け入れられています。長くなりすぎるので書きませんが、それを受け入れられたのも恩師K先生のおかげだったりします。
■なんでx=数学なのに英語出てきたむかつく!が察知できたのか
前段の通り、増田こそが元祖アホの子だったからだと思います。掛け算は足し算、なら覚える必要なくない?!という思考停止とその後の悔しさと恥ずかしさがヒントになりました。思いこんだことから一歩先に進むことの大変さ。
長くなってしまっていますが、あと一つだけ、とても興味を惹かれたので。
id:sarensongjing さん、ブログ拝見しました→http://xn--9ckk0f4c7781a7r3b.com/taihen.html
mustの意味と使い方が理解できなかった、とかすごい分かります!
増田の経験ですが、英語の理解には段階があったように思います。
私の教えた子はみんなこの辺からスタートでした。まずはアルファベットが呪文じゃなくなるようにしなきゃ、だった
第二段階:意味は分かってないながらも、音読は出来るようになる
音になる=過去に耳から得ていた情報を、英語の勉強に使っていいんだよと理解してもらった。呪文から、普段自分が使っている言葉と地続きの「情報」になるだけで、かなり気持ちが楽になるようでした
第三段階:たまたま知ってた和製英語から類推して、薄ら何を言いたいのか分かるような気がしてくる(気がするだけ)
夜やってるからナイター、でnightは夜!みたいなこと。既に持っている情報を使って新しい知的好奇心が湧いてきたということでもあるかなと思っていました。ただしほとんどの子が、頻繁に間違ったことを言ってくるので可愛くてしょうがなかったです。ダジャレか!
これをしばらく単語覚えゲームとしてやってたら、自然と、接尾語の存在に気付いてくれました。言語は、それぞれ意味を持つ小さなクラスターの集合であるという「概念」が体に沁み込んできたという感じ。理解は、もちろんしていないんですが笑 こうなるともう呪文ではなくなる。
そういえば、nightをナイトと読むというのは、なかなか難しいとこではあるんですが、英語は比較的素直に音とつづりが連関しているので
無理やり読んでごらん?ニグフト!、なんか似てる言葉あるでしょ、えーとえーと………ナイト?!とか、そういう風に付き合いました。
アルファベットを音読できるようになりさえすれば、割とやりようがある。文法もシンプルですしね。
第四段階:文章はどうやら並び順が決まっているらしいと薄ら思い始める
おもしろかったのは、文法の発見よりも、接尾語の発見の方が全員早かったんですよ。単語同士の共通点を探したくなるのかもしれない。-fulとかね。fullがくっ付いたんだよー、だから○○がいっぱい!って意味になる、と言ったら目を見開いてた。
単語も、あるクラスタの集合体である、という理解ができたら比較的早く、文章もあるクラスタの集合体である=文法を発見してくれました。並び順って日本語だって決まってるジャン、と言ったらそれからはすごく教えるのが楽になった。
ここまで理解が飲み込めていないと、助動詞の大切さや意味や力が分からないだろうし、mustを覚えるのはイヤだなと思ってしまったのかもしれないですね…。
増田は、牛よりもゆるやかなスピードで付き合っていました。ある子供は、第三段階で中3の冬だった記憶があります。教室長はハラハラだったと思う…。受験校を決めなきゃいけない時期だったのですが、お母様に、担任の先生の説得をお願いしました。お母様はもっとハラハラだっただろう…、お願いだからあと1回次のテストの結果まで見てくれと。あとちょっとなんだよー!という気持ち
子どものころからおしゃべりが苦手だった。休み時間に楽し気にぺちゃくちゃおしゃべりをしている人がどんな話をしているのか不思議でしょうがなかった。それでも低学年のときは親友と呼べる人がいて、その子の家に遊びに行ったりしていたけど、彼女が転校してしまってから個人的にそんな付き合いをする相手はいなくなった。その傾向は高学年になっても続き、遠足とかに行っても何となくぼっち感が漂い、バスの席を決めるにしてもなかなか隣に座ってくれる人がいないぐらいだった。
でもペーパーテストはわりとできた。特に記憶力がすぐれていて暗記物だけ成績がいいということでなく、中学時代までは数学とかもそれなりの成績を保っていた。でもおしゃべりが苦手なので暗いといわれていじめられた。3年生になってからようやく気の合うメンバーが見つかってそのグループの連中と遊んだりするようになった。
高校はわりと有名な公立の進学校に行った。その中に入ると、私の成績なんて大したことはなかった。文系科目はそこそこできたが、理系科目は全然ダメだった。1年生のときから受験を意識して塾に行っているようなクラスメートもいたけれど、私は特に大学に行って勉強したいことなんかなかったので、ガツガツと「東大に行きたい」とか「せめて私立なら早慶のどっちかじゃないと」みたいな連中についていけないものを感じた。
クラスメートとはそこそこ上手くやれている感じがしたけど、何となく疎外感もあった。卒業してから私は陰で「変な子」と言われていたことを知った。確かに表面的には優しかったけど、すごく親しくなれてる感じはなかった。皆大人というかうまく表面を取り繕うすべに長けていたようだ。
その後中堅の私立大学に進学。最初は専門学校にしようかと思ったけど、親に大反対されたのと、自分のやりたいことをできるサークルのある大学が見つかったので進学することにした。普通私の高校だと私大文系なら早慶ぐらいは受けるものらしかったが、入れるかどうか微妙な成績だったうえに、下手に受かると本命校じゃないところに行く羽目になりそうなので、他の人に比べて志望校のレベルが全体的に低かった。この安全策のおかげで受験した大学には全部合格した。
大学のサークルは楽しかった…と書きたいところだったけど微妙だった。結構うちの学年の人数が多かったので、私は要らない存在だったらしく、人数制限のあるイベントのみならず、普通なら全員出してもらえるはずのイベントでもメンバーから外されることがあった。基本的に空気が読めないタイプで、「自分が要らない存在だ」と認めたくなかったので、それでもサークルは止めなかった。同じ学年の連中は優しいというべきか厳しいというべきか分からないけど、容赦なしに世間の常識というものを教えてくれる存在だった。高校時代のクラスメートと違い、私が変な行動をとれば笑ったし、露骨に美人や可愛い子に優しく、そうでない女に厳しかった。「どうせ私なんて…」と思ってしまうこともあったけど、「女の子は笑えば可愛いよ」と言ってくれる人もいた。社会人になってからは「こいつ常識ない」とか「こいつ使えない」という判定を下されると黙って私のそばを去っていく人が多かったことを思うと、変に取り繕わずにはっきり言ってくれた学生時代の友人はつくづくありがたかったと今でも思う。
そして半年間サークルを休部して、ペーパーテスト重視の職場に就職を決めた。私は文学部だったけど、普通法学部出身でないと入れないところにも合格したので、周りにびっくりされた。自分はコミュ障で、空気読めないけどペーパーテストには強いんだなとその時も思った。当時は「コミュ障」とか「空気読めない」という言葉が世間に流布していなかったので、何となく生きづらさを感じてもそれを表現するすべがなかったけど、変な行動をとって笑われたり、皆が暗黙の了解としていることがさっぱり分からなかったりしたのはまさに「コミュ障」「空気読めない」がゆえの症状だったと思う。
…本題にたどり着くまでに長くなった。人によってはこうやって時系列にだらだらと書かないで、先に結論を書けというかも知れない。就職してからもコミュ障と空気読めない病ゆえに私の評判は悪かった。先輩や上司が期待していることを察することができず、自分のやりたいように行動したので、宴会の席で当時の課長に「○○(私のこと)さんはいまいちですな。気が利かない」と言われて涙が止まらなくなったこともある。私の同期は優秀だと評判の人が多かったが、中には露骨に私のことをバカにした目で見るのもいた。基本的に口が達者で人脈作りが得意なタイプの人は、私のようなコミュ障かつ空気が読めない人間をバカにした。
そんなにコミュ力が高い方が偉くて、空気を読める人が優秀だというのなら、なぜペーパーテストなんかやるんだろう?ある程度頭が良い人を採るためにペーパーテストをやるんじゃないのか?「ペーパーテストができる人」イコール「仕事ができる人」でないのは分かるけど、だったら何かしらコミュ力や空気を読む力を判定する採用方法を選んで、それで決めればいいじゃないかと思う。
就職からウン十年が過ぎ、当社比では多少世間の常識が分かるようになってだいぶ仕事に必要なコミュニケーションはとれるようになったけど、相変わらず人付き合いや宴会での立ち回りは下手なままである。それでも給料を減らすこともなく、首を切る気配もない我が職場をありがたいと思う。でも、口が達者であちこちに人脈がある方が上手く渡って行けるこの仕事に対する違和感がずっと消えない。自分の能力以上の給料をもらっていると思うので簡単に辞められないんだけど、ただ黙々と手を動かしていれば成果があがる仕事があればそういう職場に行きたい。そしてコミュ障でも空気読めなくてもバカにされない世界に行きたい。
何項目か納得いかないのがある。
○味覚:味にうるさいかそうでないかでずいぶん違う。高級食材じゃないと気が済まないとかちゃんと料理したものじゃないと食べたくないとかいう人と、コンビニ弁当やカップ麺で構わない人の差は激しいと思う。誰かと一緒に食事するときはすり合わせなきゃいけないけど、自分ひとりで食べる分には好きにすればいいと思う。
○容姿:自分で自分の容姿にどのくらい自信があるかでだいぶ周囲の目が違うように思う。あと、女性は化粧や髪形、ファッションでごまかしが効くので、「元は美人なんだけど、服装やファッションに無頓着」な人と、「顔は中の上ぐらいだけど、ファッションや化粧が完璧」な人はある程度対等に戦えるんじゃないかと思う。
○服装:これも本人がどの程度で満足するかが重要だと思う。仕事柄求められるドレスコードが決まっている人はそれなりの服を着ないといけないけれど、あくまでもそれは仕事中の話であって、プライベートにどんな格好をしようが自由。まぁ「異性にもてたい」とか「友達がファッションにうるさくて、安物を着ているとバカにされる」みたいな状況ならプライベートも気をつけないといけないと思うけど。
追記:他の項目も、本人が納得してれば問題ないものが多い気がしてきた。
○学歴:確かに一流大学卒かそうでないかは、世間の尺度によるけれど、職業によって学歴が重視されるところとそうでないところのギャップが激しいので、あまり学歴にこだわっても意味がないのではないかと思う。ちなみにうちの会社は、入る時は学歴が高い(=ペーパーテストに強い)方が有利だけど、「学歴高いのに仕事できない」というタイプは学歴低くて仕事できない人よりバカにされる。
○年収:これも金額の尺度は存在するが、扶養家族の有無や本人の求める生活レベルによって「これで十分」と思える金額が違ってくる。贅沢を望めばキリがないし、地味な生活でも構わない人にとっては年収なんかそこそこでいいと思う。
>短期雇用の女性に対して容姿で判断することにつべこべ言う気力もないんだけど、とりあえずバブルが崩壊するかしないかぐらいの時期にペーパーテスト重視の採用試験で正社員として入った私はラッキー
うちの職場は古いタイプで、契約社員は本社の幹部の好みで決められるため、やたらと美人率が高い。が、いちばん人事権を握っている課長にわりと見る目があるらしく、比較的女に嫌われないタイプの美人や可愛い子ちゃんが入ってくる。
正直同じぐらいの容姿でも頭いい子とそうでない子のギャップは激しいが、あんまり頭良くなくても可愛げがあって「しょうがないなぁ…」と言いたくなる子が多い。所詮契約社員は5年限定なので、どうせ5年しかいないなら可愛い子に入ってほしいという幹部の気持ちも分からなくもない。
ごくまれにそれほど美人でない年輩者が入ってくることもあるが、そういう人は前から人材派遣職員としてずっとうちの職場に貢献してきた人なので、仕事の出来の心配をしなくて良いというパターンが多い。
ただ、昨年入ってきた連中はやたらと女子軍団の結束が固く、わが社の全体的な仕事の流れが分かっていない子が多い割には一丁前に上司や正社員に対する悪口は言うので少々めんどくさい。皆自分が担当している仕事の世界しか見ていないので視野が狭いんだけど、まったくその自覚がなく文句だけ言うのはいい加減にしろと思う。
もはやこういう環境に慣れてしまったので短期雇用の女性に対して容姿で判断することにつべこべ言う気力もないんだけど、とりあえずバブルが崩壊するかしないかぐらいの時期にペーパーテスト重視の採用試験で正社員として入った私はラッキーだと思っている。
最近、過去のセクハラやパワハラを告発する動きが盛んだけど、そういう被害を訴える人たちを見るとやっぱり女の目から見ても美人だったり魅力的だったりするよね。決してセクハラやパワハラを肯定する気はないし、全然興味のない相手に交際を迫られたりしたら気持ち悪いだろうとは思うけど、それだけの魅力があることが羨ましい。
自分はそんなに美人じゃないうえに、歳もアラフィフを迎えており、あまり女として見られないのも仕方ない状況ではあるけど、自分と同世代なのにいまだに若いころからの美貌を維持していてちやほやされている人を見ると羨ましくて仕方がない。芸能人とか見た目が命の職業の人は多少の金や手間をかけてでも容姿やスタイルを維持しようとするだろうけど、家庭の奥さまにおさまっていたり、特段容姿に恵まれていなくても勤まる仕事なのにやたらと美しい人を見ると「何なんだ、お前は!!」と世の不公平を呪いたくなる。学生時代、可愛い子とそうでない子の扱いに歴然と差があると、「歳をとってオバちゃんになれば皆一緒」と自分にいい聞かせていたんだけど、若かりし頃に美しかった人はやっぱりおばさんになっても美しい。
そんな私にも黄金時代があって、就職してからの2~3年間が一番ちやほやされていたと思う。業界的に堅くて地味なうえに、ペーパーテスト重視で採用するもんだから、新入社員の容姿の平均レベルがあまり高くなく、大卒の同期の中では自分が一番(?)「初々しくて可愛い」ことになっていた。他の同期は「しっかり者だ」「優秀だ」と褒めたたえられていたので、仕事の面での評価は間違いなく向こうの方が上だったと思うけど、とても新入社員とは思えないほど落ち着いて見えて、バレンタインデーの時期などに彼女たちが「どうせ私たちは女の子扱いされてないんだ…」とぼやいているのを見ると、なぜか自分は皆に勝った気分に浸っていた。容姿コンプレックスがひどかった自分としては多少なりともかわいい女の子待遇を受けるととても幸せな気分になれた。が、当然毎年若くて可愛い新人ちゃんは入ってくるので、20代後半を迎え30代に近づくと私の黄金時代は終わった。
うちの職場でもいっぱい契約社員雇ってるけど、毎年更新で上限5年。いちおう正社員雇用への道はあるけど、受かる人数が限られてるし、それ以外の人は5年目終わったらどうするんだろうと心配になる。
仕事の出来は個人差が激しいので、正直一部の優秀な子だけ正社員として残ってくれる方がありがたい。彼らの中でそこそこ以上優秀なのを見ていると、「昔だったら普通に正社員として採用されたんじゃない?」というのが多いけど、たぶん選択肢があまりなくて、「とりあえず契約社員でいいから就職したい」と就職したような感じを受ける。あと、仕事の出来不出来に関係なく、学歴はやや低めな感じ。日東駒専もしくは同レベルかそれ以下ぐらいの子が多いように思う。逆に本社採用の正社員はものすごい高学歴化していて、有名大学を院まで出て、「司法試験の勉強してたけど受からなかったからこっちに来ました」みたいな感じでギャップが激しい。けど、高学歴の正社員が仕事できるかっていうとそうとも限らなくて、特に男の子では「W大の院まで出ててこれかよ…」っていうのはいる。逆に学歴的にはあんまり高くないけど、上司や先輩から教えられたことをきちんとものにして、着々と仕事をこなすのもいるから、学歴と仕事の出来は比例しないと思う。
だけど、正社員と契約社員だと恐ろしく待遇が違う。そもそも60歳まで雇用を保証されているのが最大の違いだけど、夏と冬のボーナスも計算方法が違うので、圧倒的に正社員の方がたくさんもらえる。契約社員から正社員になった子の給料って、皆が期待するほど高くない(…というか契約社員時代とあまり変わらない)んだけど、ボーナスが上がるから年収アップの差額はすごいと思う。
別に学歴が高ければいいってもんじゃないけど、少なくともうちの業界に入るなら、高学歴の方が有利だなぁ…と思う。これだけ差が付くなら、韓国みたいにお受験に命を賭ける連中がいっぱい出てもおかしくないと思うんだけど。親世代の経済格差が影響してるのかなぁ…。地頭は同じぐらいでも塾とかに行ける子とそうでない子がいるし、私立に行きたくても国立でないと親が学費出せないとか、そもそも実家出て仕送りしてもらうのが無理とか、学費がそのまま本人の借金になってしまうことがあるとかいろいろな家庭があるから。
うちの業界の場合は学歴で判断しているわけではなくて、ペーパーテストのウェイトが高いだけなので、地頭が良ければ学歴に関係なく受かるはずなんだけど、面接とかで正社員の採用決めるところはどうなんだろうね。少なくともこの問題は本人たちの努力不足ではなく、なるべく雇用調整をしやすいように人材派遣や契約社員という雇用制度にシフトしていく時代にもろにぶち当たってしまったからだと私は思ってる。
4歳上の兄が先日一級建築士の製図試験(2次試験)を受けてきた。まぁまぁの手応えだったようだ。
兄は中学生くらいの頃から建物を見たりデザインしたり、そういうのが好きで高校の進路選択も迷わず理系、建築系の大学を志望した。
ある意味、長年の夢の成否が、箱根駅伝で言えば、丁度、往路のゴールテープを切ろうとしているところなんだと思う。
兄は、頭が物凄く良かったわけではないが、クラスの人気者、運動神経もよく、部活も高3の夏引退まで続け、
その後猛勉強、中堅高校から現役でMARCHの建築学科に進学、まるで予備校のパンフレットに載ってそうなサクセスストーリーだった。
兄は、第一志望の国立大には残念ながら落ちてしまった。そこは物凄く悔しそうだったし、当時中学生の自分から見ても可哀想だなぁと思っていた。
兄は、大学で未経験ながらある体育会に入って、主将まで務めていた。理系で製図が大変そうなのに、寝る間を惜しんでバイトしたり、練習したり、辛そうだけど生き生きしていたとおもう。
もちろん、それの裏には血の滲むような努力をしていただろうことも十分わかる。
憧れの教授がいるとかなんだかの理由で英語ができないのに、授業が英語ばかりの研究室?院?に入学した。
学部時代の成績が優秀で、院の授業料は免除になっていた。お前、体育会の主将で、、何か才能を分けてくれよ。
それで、就職2年目、就職してから毎週末は建築士の勉強をした結果、今にも夢を叶えようとしている。
一方、弟である私は、兄よりは頭のいい高校に進学、そこそこの成績を保っていた。ただ、部活は途中で辞めてしまったし、クラスではどちらかというとインキャ軍団で少し輝いている程度だった。
多分、自分と同じくらいの成績の、高3夏まで部活もやってて、クラスの人気者タイプが自分の入学した国立大に受かって、自分が落ちてしまうビジョンが死ぬほど怖かった。
その国立大で叶えたい夢とか進路とかそういうのはまったくなかった。
ただただ、その、落ちて負けたくない、周囲に後ろ指を刺される感じが嫌だというインセンティブで勉強していたと思う。
そもそも、文理選択のときすら、なんとなく〆切前日になって理系から文系にチェンジしたし、これが得意とか、あれが苦手とか、そういうものもなかった。
大学ではそこそこの体育会に入って引退し、まぁまぁの企業に内定を貰い、可もなく不可もなくな人生を歩むのだろうと最近何となく思う。きっと。
特に、親友らしい親友はこれまでできたこともないので、そのまま会社に入っても適当な立ち回りで、下の上くらいのポストについて、そのまま死ぬんだと思う。
全てが中途半端。
兄より勝っている所、それはペーパーテストの点数と学歴くらいだったが、社会に出ればそんなのはもうほぼほぼ関係ないだろう。
夢に向かってバイタリティあふれる人間と、夢のないただ漫然と生きている人間の差をいよいよ痛感させられる時が間もなく来るのだろう。
お菓子なんて興味もないし、そもそもそれほど好きでもないし、大学に進学するのが当たり前のそこそこの高校だったから、そんな選択肢はすぐ捨象してしまった。
小学生、中学生と振り返っても「将来の夢」というような作文が大嫌いで、書くことが最後まで思いつかなかった。
「俺はパイロットになりたいんだ」「私は犬が好きだからペットの関連のお仕事がいい」「水族館で働いてみたいなぁ」
なんでこんなことを周囲が平気で口に出すのかわからなかった。
夢を語るのが恥ずかしいと思っていた節もある。
夢なんて殆どのやつは叶わないんだろう、って冷めた目で見ていた節もある。
でも、22歳になって、夢があるってかっこよかったんだなって思う。というか、羨ましい。
夢のない小学生なんて、可愛くもないし、絶望している虚しい存在、俺が親なら心配するはず。
兄はいよいよ往路のゴールテープ目前。復路は建築士としての更なる飛躍の人生だろう。
妻は専業主婦をしている
俺個人としては、妻が幸せにしたいことしてくれてたらいいので、働きたいなら働けばいいし、働きたくないなら何か仕事じゃなくていいので有意義な活動をしていたらそれでいいと思っている
が、妻の本音としては働きたくないようだ
何度か妻は「今の女性は恵まれていて何でも出来るから悩んでしまう。選択肢がなかったころの女性が羨ましい」と言っていたこともある
まあ、言うなればそのくらい、世の女性全員が働いて活躍したいと願っているわけじゃないんだ
女性なので、女性の地位向上、機会向上にさぞ関心があるのかと思いきや、「女性優遇人事は不要、できるやつはそんなのなくても出来る」のような考えお持ちのようだ
上司は60近く、未婚で、優遇どころか逆境の中で、男に負けずバリバリやってきて今の地位にいる
まあ、そうなんだろう
本当に出来るやつが努力したら、男だとか女だとか関係なく、周りは認めざるを得ない
なので、必要以上の配慮や優遇は全くもって不要だ、というのは、自分の人生で証明してくれているわけだ
2つあると思う
・男は家庭を持って子供を持って社会でも活躍できる。女性が家庭や子供を持つと社会的に不利になるケースがある
・ボーダーラインの男は一定数夢を叶えている。ボーダーライン上の女はほぼ夢が叶わない
この点をどう考えるかだ
家庭を持ち、出産し育児することは男女関係なく素晴らしいことで、誰もその権利を奪うことはできない
どんな社会生活を営んでいても、プライベートを充実させることは素晴らしいこと
なので、出産や育児で仕事に穴を開けることは我慢しなきゃいけない
理屈ではそう
でも、休みがちな男と皆勤賞の男なら皆勤賞の方を優遇せざるを得ないように、現実問題仕事に穴開ける人より穴開けない人の方が欲しい
出産だけ特別に見てくれ、と言ってもなかなかそう思ってもらえない現実はやはり問題と思う
早く終わらせて、復帰するの皆待ってるから!ってね
でもなー
結婚前の俺の妻のように、働きたくないけど働いてて、結婚したらやめますねーって人も今でもやっぱり多い
一定数が今でも寿退社するので、周囲も個別のケースでどう対応していいかわからないと思う
難しいよね
最近、同等の場合は女性を採用します的な文言が付いていることも多い
これは、ボーダー上だと無意識に男をとっていたのが、女性をとろうとすることで、ボーダー上の女性を掬い上げられることになる
これはまあ、悪い手じゃない
しかしだ
現実、同等なんてあり得なくてどこかしら差がある
ペーパーテストみたいに点数が出てて評価するならわかるけど、人事ってそうじゃない
社内の事情で能力や実績を飛び越えて女性をとっちゃうことはたまにある
逆に、同等以上でも、男がいいから男をとるところもいまだに多い。これはよくないけど。
つまりだ
2「男以上に出来て、家庭も充実させたいコース」
6「家庭に入るコース」
配慮してもしなくても結果は変わらない
2は最大限配慮しなきゃいけない
そしてその配慮は会社の利益にもなるので、会社も協力してくれやすい
4は難しい
ボーダー上の男が、育児一生懸命やってて結果出なかったらたぶん落とされる
女だけそこを拾わなきゃいけないのか?
ボーダー上なら何かを犠牲にして頑張らないといけないんじゃないか?
そう言われると難しい
そして最大の問題は、3か4かの予定を問うて処遇を決めることが、人権侵害になることだ
それを組織と噛み合わせたほうがみんながしあわせになれるはずだ
しかし、それが女性の家庭や出産育児の話だけ、問うてはならないことになっている
そう、そりゃわかるよ
予定が変わることもハプニングもあるし
考え方なんて一生不変ってわけじゃないし
だからさ、個別に考えた方がそれぞれに最適化できるものを、最適化せず大枠で話そうとし続ける
大枠で解決の道筋ができれば、そりゃどんな計画変更も可能な良い社会になるんだけどさ
結局あれだな
女性には1か2を目指してもらわないといけないのかな
新卒就活だけなら、成績で並べると女が上位にずらっと並ぶ。業種や職種によっても当然違うだろうが傾向として。
自分が新卒で勤めた会社では、学校の成績とペーパーテスト系で機械的に線を引くと、うちは60~75%まで女になってた。
男社会な業界なこともあって総合職に女性の方が多いのは困ると、少し前まで男:女=8:2ぐらいまで調整してた。が元同期と飲んでて聞いた話だとここ数年は男:女=6:4ぐらいに縮まってると。
男社会適用アファーマティブにゲタ履かせて採用した男よりは、有能な女性社員の方が良いということになりつつあるみたい。
超絶男社会の業界のタテ強い体育会体質の会社だったので、すごいビックリした。
女性の総合職が結婚出産なんて夢のまた夢みたいな旧態依然な会社だったのに、今は産休育休どんとこい、
出産育児が大変で予定よりしんどくなったら一般職にクラスチェンジもオッケーとかなり柔軟になったと。何が起こったんだあの会社。
ちょっと話は違うが、今アラサー就職ゆるゆる期に獲ったのはアタリはずれが大きい。売り手市場の時はだいたいそうで昭和の頃もそうだったらしい。
不景気な時は兵隊的に均質なのが多くてそれはそれでつまらないらしいが、