はてなキーワード: ブラックボックスとは
# 麻雀歴について
月々のお小遣いが300円なのに、1日に100円負けて(点0.1でやっていた)毎回大泣きしていた記憶がある。
中学生から同級生に麻雀仲間ができて日々楽しく打っていた。放課後に、ほぼ毎日のように打っていた。部室で牌やカードを使って打つこともあったが、当時はゲームボーイアドバンスの通信ケーブルを繋いで打つことが多く、そのために中古のアドバンスSPを購入した覚えがある。一応同級生の中では打っている期間が長いこともあってそれなりに打てるつもりでいたが、ある時から、いつものセット仲間がフリー雀荘に通い始め(今はどうか知らないが、当時は高校生でもフリー雀荘で普通に打てた)気づいたら全然勝てなくなっていた。こいつだけには一生勝てそうに無いなあと思うほどの差を感じた。
大学にはいかなかった。就職してからはたまに学生時代の仲間と卓を囲んだり、職場の同僚と打ったりしていた。たまにふらっとフリー雀荘に行くこともあったが、大体勝てないし、緊張して普段通り打てなかったり、点数計算間違えたり、大体負けまくっていて全然良い思い出がない。
2年ほど前に始めた。一人で地方で住むことになり、仲間がいなくて寂しかったのかもしれない。特段勉強はしなかったが、特に壁に当たることもなく380戦程で5段になった。その後1000戦ほど費やし苦労して6段になったが酔っ払って打ったりコンディションが悪いとすぐにレーティングを溶かしたので、少し真面目に打つことを心がけた。同時に放銃率などの数字も気にして、たまに牌譜を見直して反省してみたりして、天鳳で勝つための方法を探り始めたのはこの頃だったように思う。
# 伸び悩み そして降段
少し専門的な話になる。
当時の記録を遡ると、5段昇段時の数字が
放銃率13.5%
副露率38.4%
平均順位2.36
対戦数379
1位29.6%
2位27.2%
3位率21.1%
4位率22.2%
端的に言えば、めちゃくちゃ仕掛けて上がりまくる麻雀だった。放銃率はギリギリ及第点だが、特上卓(4段以上になると打てる)に移ってからレベルが上がったので、なかなか上がらせてもらえず、和了率が下がった分放銃率が上がった。フリーやセットのような、1着の価値が高い麻雀では正しい戦略だが、圧倒的にラスを引いた時のマイナスがでかい天鳳ルールには適さない。このあたりまでは、学生時代にそれなりに打っていた蓄積だけで戦っていた(日常的に麻雀を趣味とする人で、それなりに自分が打てると自負する多くの人が、おおよそこの辺りのレベルだと思う)が、その後伸び悩み(結局7段昇段までに2000戦程度を要した)自分の打ち方を変化させることを迫られた。
6段になると、ラスを引いたときのマイナスがシャレにならなくなる。例えば特上卓東南戦だと、1位+75、2位+30、3位±0、4位-120。1位から4位まで一回ずつ引くと、15点もマイナスする(セットだとトントン)。一度は運で6段に昇段したものの、その後負けまくって一瞬でレートを溶かし、一気に4段まで降段した。放銃率も14%を超えた。一度は心が折れそうになって、天鳳から離れていた時期もあったが、時折思い出したように打ち始めた。牌譜を検討して改善点を洗い出したり、いくつか戦術本を読んで、いろいろ打ち方を変えてみたりした。
振り返ってみると、実戦と反省、試行錯誤の成果が大きかったように思うが、中でも参考になった戦術本をいくつか挙げてみたいと思う。
リーチ判断、押し引き、ベタ降り手順(対リーチの危険度比較)の参考にした。ひと昔前にネット麻雀で強いとされている戦術について、統計的な裏付けをした本という認識。最新の戦術とは少し違いはあるかもしれないが、今でも十分な教材として通用しうる。特上卓を抜けられない中級者にとって、自分の判断を改めて見直すためには良い教材だと思う。
副露率が35%を超える人にとっては有用な教材になりうる。副露率が高いと、中終盤での押し引きを単純化しやすいが、その分いつの間にか損な選択を強いられているケースが多発する。親リーに対して2者が降りている状態で1000点愚形を無限押しせざるを得ない状況は泣ける。そんな人にとって、面前で柔らかく構えて先制リーチには14枚からベタ降りする、副露手には危険牌を吸収しつつ、面前で押し返す戦略を取れるようになると、戦略の幅が広がる。そんなきっかけをくれる本。
参考にしたというほどでもないが、初中級者が読むには良い本だと思ったので推薦。ネットで無料で読める。最近実写化もされた。多少戦術が古い感も否めないが、麻雀覚えたての人にとっては、今でも十分な教材になるかと思う。
お知らせさんの鬼打ち天鳳位の麻雀メカニズムも読んだが、少し内容が難しすぎた。難読の上に、書籍に書いてあることを実戦で活かせるようになるまでに、数百から数千戦の実戦が必要になると思う。超上級者の思考が垣間見えるという点では良書。
# 確かな手応え そして7段へ
4段に降段してから、400戦ほど試行錯誤を重ね、ようやく再び6段に復帰することができた。相変わらず放銃率は14%を超えている(四人打ち7段の平均放銃率が12.5%なので、せめて13%台、可能なら13%台前半まで下げたいところ)し、褒められる成績ではないが、はじめて6段に昇段した時よりも微かに手応えを感じていた。その間に主に以下のポイントを中心に修正を心がけた。
まとめると、鳴きすぎ、副露手と対リーチ時の他家に対するケアが甘い、ケイテン取りすぎ(某氏の「ケイテンは勝負手」という独り歩きした言葉を鵜呑みにするとひどいことになる)といったこと(結果として放銃率が高い)を自分の弱点と認識していた。無論いまだに上記の弱点はあるが、多少改善していると信じたい。あと、それまでは特東赤速で打っていたが、多少東南戦の方が勝ちやすい気がしたのでボリュームを増やした。6段になってからはほとんど東南戦しか打っていない。東南戦のほうが時間はかかるが、局数が長い分強者が勝ちやすく、上振れを引いたときの上昇幅も大きくなる。それまで特東で2000戦近く打ちまくった経験が、南場での条件戦で相対的に有利に働いた感もある。
6段に昇段して100戦くらいした頃、某Microsoft製のAIとマッチングした。たまたまトップを取れたが、牌譜をみてびっくり。今までみた牌譜で圧倒的に衝撃を受けた。色々と特徴はあるが(勢いでお知らせさんのsuphx本を買ってしまった)中でも最も凄いと思ったのは押し引き。特に副露手に対する速度計算とケア。自分よりも数段階前倒しでケアしていることに驚いた。次に中盤の手組み。スリムに構え、終盤で手詰まって損な選択を迫られるケースがほとんど無い。そして手役とドラに対する意識、特にホンイツ。その他細かいところではション牌字牌の先切りと、一枚切れ自風への価値。2,3巡目でもsuphxはション牌字牌より1枚切れ字牌の価値を高く見積もる傾向(この判断が勝率に直結しているとは思わないが。suphxの最も優れた点は押し引きだと思う。)がある。
以後、副露手に対するケアと中盤の手組みを意識して改善した結果、ラス率が2%程度減少した。たったの200戦程度なので数字自体は参考にならないが、これまでに無い手応えを自覚した。結果として、おそらく多少の上振れをひいてはいる気はするものの、再度6段になってからは300戦程度で7段に昇段することができた。直近200戦のラス率は21±2%前後で推移していたはず。この位の数字をキープできれば、おそらく数百戦で7段に昇段できるはずだ。
# 7段昇段時の成績
放銃率14.1%
副露率37.3%
リーチ率18.9%
平均順位2.48
対戦数2425
1位25.9%
2位24.8%
3位率25.1%
4位率24.2%
R2060
昇段まで残り20ptで3ラス引き、残り20pt再挑戦でsuphxに連対を阻まれ、その後2ラス引いたときは泣きそうになったが、最後はあっさり3トップで昇段することができた。長かった。本当に長かった。
技術向上のためにやったことと言えば、とにかく実戦。そして自分の打った牌譜を見直して再検討。とにかくこれの繰り返しに尽きる。戦術書はいくつか読んだが、中でも上にあげたものが役にたった(ように思う)。強者の牌譜をみて検討するなど、他にもっと良い手段があったかもしれないが、自分にとっては、今一つ自分でない人の牌譜をみて検討するという気力が起きなかったでやっていない。他にプロのリーグを観戦したり、youtubeで麻雀関連の動画を漁ってみたりはした。どれも楽しくてタメになるコンテンツだったが、果たして自分の技術向上に活かされているかという微妙なところ。辛うじて、うに丸さんの押し引きと、鳴き読みに関する動画、渋川難波プロの天鳳名人戦牌譜検討動画の切り出しコンテンツで、ケイテンの方針などは参考になったような覚えがある。
ちなみに天鳳7段は、ゲームの中では上位3000番付近、競技人口全体では上位0.3%に入るかどうかというところ。プロ雀士と言われる人の平均的な実力はこの付近だと思われる。麻雀知らない人(がここまで読んでいるとは思えないが)向けに説明するとこんな感じだと思う。もし大きく違っていたら訂正してほしい。
昇段して数日たった今になってじわじわ嬉しさを噛み締めている。たかがゲームとは言え、最後の数百戦は寝食を忘れ死に物狂いでコミットしたことが結果的に運良く実を結んだことへの実感と自信。代償に、ただでさえギリギリだった体重が6kg減ったこと。費やした概算1000時間。今となっては、本気で取り組んで心底良かったと思っている。
一方で、麻雀というゲームの果てしなさ、というかある種の不毛さを感じないでもない。例えば特上卓で平均順位2.50と2.45の人では、スポーツ競技に例えると地方トーナメントで1回か2回勝ち上がれるかどうかという選手と、シード選手ほどの明確な差がある。ところが、両者が仮に100戦戦ったとして、前者は1着から4着を25回ずつ取るものとする。後者は、前者が4着を取ったゲーム2回分を、それぞれ1着と2着で終える計算になる。着順の合計の差はたったの5。
ところがこのくらいの着順は、麻雀の運要素で軽く吹き飛んでしまう。仮に東南戦を打つとして、1戦あたり平均40分程度。100戦程度でも、4000分=66.6時間かかる。大体月一でセット麻雀打つ人が一年で費やすくらいの時間だ。仮に毎週打つにしても年間400戦程度。その程度では両者の差は運で吹き飛んでしまう。実力差がある程度数字に反映されるためには最低1000戦、できれば2000戦ほどは必要になってくると感じる。この認識は間違っているかもしれないので、統計に詳しい諸兄がいれば教えてほしい。
そんな競技、言ってみれば運ゲーの世界で数千、1万数千と打数を重ね、天鳳位まで上り詰める人は一体どれほどの鍛錬を積み重ね、神経をすり減らしているかと思うと途方もない。反省して改善を施そうと努力したところで、その微差を改善した結果が数字に現れるのは少なくとも1000戦以降。単純計算で666時間もの時間がかかる。果たしてその間ブレずに方針を貫くのは非現実的で、仮に結果が数字に現れたところで、本人は何が数字を良い方向にもたらしたのか検証する術がない。ものによっては時の運に吹き飛ばされ、永遠に結果が出ないものもあるかもしれない。こんなブラックボックスの中で、競技プロ含めガチ勢は日々細かい努力を重ねているかと思うと本当に凄いと思うし、不憫でもある。
いったん満足したし、仕事も忙しくなるのでしばらく麻雀から離れようかと思っていたが、1日休んだだけで鳳凰卓への興味がむくむくと湧いてしまい、結局課金して遊んでしまった。たった鳳南を6戦打っただけだが、ひとまず現時点では戦えている感触はあって一安心している。散々不毛だと書き散らしたが、麻雀自体は楽しいし、友人とセットもしたいし、今後も適度にゆるゆると楽しんでいきたいと思う。
たかが新人7段が偉そうにと思われる方が大半だと思うが、麻雀好きの誰かの参考になれば幸甚である。もう少し初心者にも寄り添った内容にしたかったが、申し訳ない。
最後になるが、改めて。麻雀は素晴らしい。いつか増田諸兄と同卓した際には、お手柔らかにお願いしたい。
(追記)
ちょっと前までスマホメーカーの中の人やってました。下請けのソフト屋。だいたいミドルより下のレイヤーで開発評価デバッグその他あれこれ。
で、ここからの
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/twitter.com/masanork/status/1358069771753852929
特にこの辺りを読んで、
https://twitter.com/masanork/status/1358186280551546880
ずいぶんと感覚が違うな、と思った。
元受けがメーカー(つまりハードも作ってる)だったからなのかも知れないけど。
とにかく実機使ってテストしまくるんですよ。もちろん使えるところは例えばアプリならPC上のシミュレータ使って自動化したり、通信関係では検証環境使ったりもするけど、泥臭かろうが人手がかかろうが最後は絶対実機と実環境でテスト。
なんでか。
シミュレーターや検証環境は所詮「疑似」環境であって、本物とは違う、意図的なもの把握してるもの以外に意識できてないところでどこか必ず限界がある、減らすことはできるがゼロにはできない、まして他所から持ってきたモジュール(ハードウェアであれソフトウェアであれ)なんざ仕様書があってもどっかブラックボックスなのは避けられないし仕様書に無い不具合だってあるあるだし、そういうブラックボックスをエミュレーションした疑似環境でのテストもするけど想定を一歩でも踏み外したら信用に値しない、
そういうことを何度も何度も痛い目を見て思い知らされてるから。
それに本番環境でしか出ない不具合って日常茶飯なんですよ。通信がからむと機器同士の相性も出るし。互換性検証会ってありますよね?わざわざハードウェア持ち寄って動作テストするやつ。いわゆるキャリアがケータイやスマホを揃えてテストさせてくれる環境を提供してるのだってそれが必要だってキャリアも開発者も知ってて利用者がいるから。
COCOAだって、実機と実環境でダミーの陽性者と濃厚接触者を立てて試験すりゃ良いだけだろうに、なぜそんなことすらしなかったのか?正直理解ができなかったんですけど、そもそも実機テストや試験環境に関する基本的な考え方や感覚が違うんですね。
ニワカだからトンチンカンな意見かもしれないけれど、技術の認可という点でも壁はあると思う。
たとえば、一度完全自動運転として認可されたシステムに重大な欠陥が見つかり、改修されたとする。このとき、改修されたシステムは認可されうるものなのだろうか。
自動運転のシステムはディープラーニングを活用して開発されているが、この技術は「ブラックボックス問題」を抱えている。この問題は、システムの認知、制御プロセスが不明瞭で、開発者すら把握しきれないという問題だ。システムの中身が理解できない以上、改修されたプログラムに本当に欠陥が無いのかを確かめることはできない。このようなプログラムに、国や行政は認可を下ろしうるだろうか。
「XX民主党」・・・ 自由民主党、立憲民主党、国民民主党 のことを指してます。
この人らって、「相手を納得させるために、自分の意思をロジカルに表現しようとする習慣」
が欠如しているように見える。これってなんなんだろう。なぜなんだろう。と、考えています。
論理性の無さの具体例がコレ。
https://note.com/edanoyukio0531/n/n5fab565585bc
提案内容の良し悪しは僕には分からないが、立論のしかたが超イケてない。
枝野なんて政治家のなかではかなり頭いい方(僕よりも全然頭イイはず)なのに、これですよ。
冒頭で、台湾やNZうまくいってるよね、参考にできるよね と始めています。
本当は冒頭は「各国がコロナに苦しむ中、NZや台湾では感染封じ込めに概ね成功し、経済も順調に回復しています」とかの方が
うまく行っている理由が、ゼロコロナを目指して「徹底的な感染の封じ込めに取り組んだ」ことが奏功、
としている。これはさすがに雑すぎるだろう。
ゼロコロナを目指すことは、原因ではなくて、結果なのだろうに。
というのも。そもそも はじめから Withコロナを目指す国なんて いるわけがない。
仕方なく Withコロナでいかにして国民生活を回していけるか考えているわけですよね。
ゼロコロナを目指しさえすれば、ゼロコロナが達成できる、だったらパンデミックなんて起こってない。
んじゃ、なぜ台湾やNZではゼロコロナが達成できてるんだろうか?
この問いを立て、彼らのやっていることを分析し、日本も真似よう! まあそういう筋立てになるべきですよね。
ところがこの問いに対する答えは、「台湾とNZは島国!日本も同じ島国だからできるはずだ」で終わっているw
おいおい。
こんなふんわりした掛け声から、どう具体的な対策はが生み出されるかというと
台湾やNZの成功との関連性が全く見えない、3つのプランが唐突に出てきておわり。
なにこの「ぼくの考えたさいきょうのたいさく」。
なんとも、極めて残念な立論だと思うのですね。
たとえ提案内容が正しく、丹念に検討されたものだったとしても、それを納得させるための論理が破綻している。
これじゃ誰も立ち止まって聞いてくれやしないっすよ、残念極まりない。
なんでこんなことに、なってしまうのでしょうか。
僕が思うに。「自分の意見を、違う意見の持ち主に納得させようとする」
という良い大人なら、極めて日常的に行われる営み、XX民主党の人たちには欠如しているのではないか。
本来は選挙で勝つための王道っていうのは、自分の意見を、異なる意見をもつ有権者に訴えて、
ほおアイツの言うこともモットモだ、と思わせること(小泉純一郎なんかはそれだな)。
野党であればなおのこと、その戦略に頼らざるを得ないはずなんだが
XX民主党は与野党とわず、全員この試みを放棄して、次の戦略をとっている。
そうして票を集めるために、最初から結論を多数派意見に合わせようとするから、論理がおざなりになる。
論理がおざなりになるということは、大変深刻だと思うのですね。
「結論が正しければ正しいんだ」「連合の意見と一致したからこれがいいんだ」
で政策を決められると、困る。なぜか。
結論に至るプロセスがブラックボックス化されると何が問題かというと、
状況の変化に対して政策を柔軟に変えることができなくなる。
政策の前提となるINPUTに変化があれば、それは政策変更のトリガになるべきなのに
どのようなINPUTから政策が立案されているか可視化されていないと、その変化を検知できない。
かくして1945.8.15まで戦争が続けられる、と、まあこれは飛躍ですが
この問題が、自民党だけでなく、すべての XX民主党の政策立案で共通してんだよな。
この構造を変えるには、まずは人を全取り換えしてみるしかなさそうな気がしてます。
物流流通網の発展は今更言うこともないほど発達しまくっていて、
まあ国内の端っこに向けて発送しても
そこそこ早いのよ。
メール便とかってさ、
効率よく運ぶ仕組みも今さらながらそう言ったソリューションも解決してるから、
今に至ってるわけだと思うの。
でもよ
海外発送となると、
例えばイスラエルとか南アメリカとかトロントとか荷物を送ったとき、
海外荷物ってある程度溜まってから送る方が効率やそう言ったものだと思うんだけど、
都度都度あったら送ってるのかしら?ってそう思うと、
でもあれも旅客網の余剰運送能力で運んでるわけではないのよね?
どういう仕組みになってるか考えると、
私の出した荷物が網トロントに翌日着いてるとかそれなんてDHLって聞きたいところだけど、
早くEMSも復活して欲しいところなんだけど、
DHLの方がうんと安いのよ。
十分に発達した物流流通網は魔法と見分けがつかないのかも知れないわね。
考えるのを止めてしまいたくなるぐらい早く着くことにだいたいなんにでも感謝しているラッパーの様に、
早く届けてくれてありがとう!って感謝の気持ちを伝えたいところよ。
本当にどういう仕組みか分からない世の中のこと、
もっと知りたいと思いつつ、
ピンク色に塗られてラッピングされたキティちゃん新幹線をも凌ぐぐらいで、
もう止められないぐらいなのが丁度いいのかも知れないわね。
きっとそこに解決の糸口があるはずよ!って
私は思うの。
うふふ。
まあ何にも考えてない末の答えだけど、
ヘルペスの煙突の町みたいなタイトルの映画を80回観るぐらいなら、
いっそのこと、
大型書店の本屋さんで絵本コーナー80冊立ち読み読破!の方がお店の人に迷惑だと思うから絶対に止めて欲しいところね。
いつ食べても一緒の味のこの高度に発達したハムタマゴサンドは魔法と見分けが付かないようだわ。
味がよく分からないシャバシャバのゆるめなスープカレーのおしゃれさにみんな騙されているだけなのよ!って
ご飯の間からスープカレーがしゃばしゃばと流れて行くスプーンの上には
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
「在日外国人の人々を排斥する立場には回らないつもりだとしても、それは差別だ」「悪感情を持たなかったとしても、それは差別だ」
今回の例のように関わりがなければ本人の属性に対して悪感情を持たない(≒関わりがあれば本人の属性に対して悪感情を持つ可能性がある)ってのは直球の偏見だし、排斥や悪感情だけが差別ではないってのも当然の話だ
「ハーフなら日本語以外の言語も話せるんでしょ?すごいね」「ハーフだからかっこいいよね」こんなのは悪感情ではないが悪感情と表裏一体の偏見であり、差別だ
排斥や悪感情のみが差別(だからそれをしなければ無謬である)っていう理解も、逆にそのことを指摘したらじゃあ何もしないことは全て差別なのか!?とブチ切れるのは低レベルな理解でしかないよ
後の言い訳はゴミみたいなもんなのでお前のクソ理論のテーブルに乗る気はないけど
(人の心はブラックボックスなのだから実際起こってみなければ分からない!とかそんなので偏見持ってることや差別してしまうことが肯定されるわけはないよね)
国が事業を行うことで様々な企業が倒産するかもしれない。それは果たして好ましいことなのだろうか。
どうして自分の結婚相手まで国に決められなきゃいけないのか?私生活に干渉してこないでほしい。
AIがどのような仕組みになっているのかは開発者にしかわからない。
国家レベルで推し進め、多くの人が利用するようになれば特定の条件を兼ね備えた人は著しく不利益を被る可能性があるだろう。
また好条件の男性が出てくるように裏技を探す目が血走った泥沼婚活女子の地獄絵図になることは間違いない。
国が婚活事業を推し進めることで結婚しなければならないというような全体主義的な空気感が醸成される危険がある。
結婚は個人の自由であり様々な背景を持った人が生きやすい社会を作るのが国の責務である。
仮想通貨については前置きで本題は宗教の方なんだけど、背景としては次のようなものがある。
・仮想通貨の相場がいま全体的に上がっている。ただ、知ってのとおり乱高下の激しい市場なので、損が出たときはもちろん、儲かっても精神的にものすごく消耗しやすい
・宗教云々言っているが、俺は無宗教で無神論者だ。いつか信仰が雷撃のように俺を打ってくれればいいと思ってはいるが、たぶんそういうことはないだろう
・人は必ず死ぬ
…
一昨日、仮想通貨の銘柄の一つであるxemが高騰し、前日比で20%ぐらい額が上昇した。約3年前に日本の取引所からハッキングで流出したために話題となり、あまり良くない意味で有名な銘柄だ。
俺も保有していたので利益は出たが、想定以上の値上がりにかえってテンパってしまい、しょんべんくさい利確を繰り返して微妙な収支に終わった。そういうわけなので、「あのときああしていれば…もっと…」という強欲な後悔がいくらか割と残っている。
この後悔の根っこには、あるルールが俺の中で不在だったことが原因にある。株でもFXでも仮想通貨でも、あらゆる金融の教本やサイトで共通して書いてある「自分との約束を作り、これを守れ」というルールだ。例え、いくらで利確しいくらで損切りしろ、とは書いていない教則でも、この原則だけは必ず書いてあるのだ。
結局、運用にあたって売買の目安となる約束を自身との間に設けておかないと、今回の俺のように場当たり的な売買を繰り返して心の底から疲労し、収益を素直に喜べない。というか、利益が出たからまだいいものの、これで損失が出ていたら立ち直れない。
妙な気もするが、投資においてはまずは自分との約束を律儀に守ることが優先され、純利とはそこからもたらされる精神の平安に伴って自然とついてくるもの、なのかもしれない(本当にそうかは知らない。何しろ俺は金融に関してはポンコツなので)。
…
ただ、ここで約束という行為には、もうちょっと観念的な意味合いがあるんじゃないか、と思っている。それは、何かを決めてそれを守る、というルーチンを徹底することで、流れていく時間の上に想像上の節点を置き、好循環を意識させる働きがあるんじゃないか、ということだ。
例えば、
・「当初の目標の+値に達したから売った」→「得た利益で他の銘柄を買い、それも値段が上がった。一方、売却した銘柄はその後チャートが下がった」
という具合だ。
これは時間の流れに約束という節目を置いたからこそはじめて自覚できる好循環だ。約束をする、そして守る、という時間の区切り方によって、人間は自分が良い流れの中にいる、というイメージを持ちやすくなり、次のアクションを取る精神的な敷居が下がる。そして、それがさらに良い結果を生む、という具合に好循環が持続する。反対に、ここに約束が介在しないと、漫然と得をしたり損したりを繰り返すうちに精神がすり減っていくことになる(特に負けがかさんだ場合)。
え? そんな都合よく転がるか?
転がらない。
実際は、目標の含み益に達した銘柄は売却した後もさらに上がり続けるし、事前に設定した一線を下回ったので売った銘柄は、その直後に反転して値が上がり始めることも多い。
ただ、それでも約束が無意味ということにはならないと思う。ここには、人間の精神というやつの良くも悪くもいい加減な本質が関わってくる。
俺は、人間は直近の近視眼的な損得に一喜一憂するのと並行して、長いスパンの時間で因果を良い方に解釈することを自らに許す生き物だと思っている。
この世には値段が上がり続ける銘柄なんてものはないので(例外除く)、早めに利確しすぎて指をくわえて見るしかなかったものも、一晩寝れば結局落ち着いていたりする。損切直後に反転して悔しい思いをした銘柄も、やっぱり一晩寝ると、起きたら大幅に値を下げていたりする。
ちゃんと約束を守っている者の目には、利益は出ているように「見える」し、損は抑えられているように「見える」ことが多い。実態としてどうかは関係なく、好循環なんてのは結局は主観次第のサジ加減一つということだけど、俺はこれも知性の一つのかたちだと思う。
…
で、約束という行為を骨子にして俺たちのメンタルを安定させ、好循環という錯覚、あるいは人生観そのものを構成しようとする営みが、金融以外にも、もっとデカいフレームとして存在する。宗教だ。
あえて断言するが、たぶん、約束という概念がない宗教は存在しない。聖書の旧約・新約なんてまさにそのもので、これは、「(神との)旧い約束」、「(イエス・キリストとの)新しい約束」という意味だ。
宗教は時節によってやるべきことを定め、やってはいけないことを定め、本来は脈絡なく流れていくだけの時間の上に節目を作る。設けられた節目は他の節とつながって、約束を守ってきたから生きてこられた、という好循環(に見えるもの)を形成する。宗教とはある意味、約束を守り続けることで自分はいま良い循環の中にいると感じるためのシステムと言い換えられると思う(実際のところ、キリスト教の背景には「これまでの神との約束、厳しすぎて正直しんどくねえ?」というのがあるが、話がややこしくなるので触れない)。
この状況では、約束を破るのは人生を放棄するぐらいのインパクトがある。本当に執行されるのかは知らないけど、イスラム教なんて棄教したら教義上は死刑になるぐらいだ。つまり、約束を破ると文字通り人生がぶっ壊れてしまうのだ。
…
ところで、人間は必ず死ぬ。死後の世界云々は置いておいて、とにかく確実に死ぬ。つまり、金融における好循環の終点に目標となる利益があるように、人間の終着には死があらかじめ確実に設置されている。
ここでたちはだかるものすごくデカい問題は、人間が自分の死に様を選ぶことがほぼ不可能だということだ。順風満帆に生きていても病魔で苦痛にまみれて死ぬかもしれないし、反対に辛酸をなめ続けてこれ以上つらいことがあるかと思ったら結局もっと苦しんで死ぬかもしれない。事故でいきなり死ぬこともあるかもわからない。死は完全に中身が不透明な箱だ。その中から何が出てくるかその瞬間までわからない。
最後に待つブラックボックスから逆算して、それでも人生を好循環によってとらえようとするとき、どんな人生観ならちゃんと機能するのだろうか? 生きていく勇気を持てるだろうか?
何もかもがフラットにゼロ価値だ、という超物質的なニヒリズムを除くと、俺は宗教しかないんじゃないかと思う。フツーに無宗教で生きてます、ってかなり苦しい。俺がそうだけど。「生きて生き続けた最後に、お前はめたくそ苦しんでこれ以上なくみじめに死ぬ」という貧乏クジが一定の確率で出てくる箱に手を入ざるを得ないとき、「何にしたって、とにかく自分は神(あるいは霊的な何か)との約束だけはこの人生で守りとおした。だから人生はちゃんと好転していたはずだし、この死にも意義が存在する」という以上に人間の精神を守るように機能する人生観って、正直マジでないんじゃねえかな? と思う。
これか
以下勝手な推測:
・「幸せな結婚生活」という女性の唯一にして最大のレースに敗北した
・レースの勝利条件は「美しさや、愛嬌、性格の良さ」などである
・「その条件がおかしいだろ!」と考えるようになる
・「ふーん、世の中には不幸な女性もいるのね」
つまりフェミは男性にではなく、自分より幸せな女性に発狂しているのである(ここ重要)
*********************************
バズったけど、意図としてはSNSの有害性を言いたかったのである。
あれによって、結婚生活の中身を画像つきで世界中に発信できるようになり、
「幸せな結婚生活とはかくあるべき」という同調圧力ができてしまった。
もともと、夫婦生活とは、伝え聞いてウワサくらいはできるものの、中身は2人にしかわからない。
ブラックボックスであったからこそ、個別の幸せを追求できたのである。
ところがSNSは、見れば見るほど、「型にはめた幸せ」をプッシュしてくる。
「ハケンの品格」というドラマがあったが、主人公の三十路派遣社員は、
秘書、簿記、英語、果てはボイラー資格などを有し、好きな時だけ高給で働き、
年に数か月、スペインにダンスレッスンを受けにいくという、自由な働き方をしていた。
もちろんそこでは髭がダンディなスペイン人とのアバンチュールもあったろう(知らんけど)。
つまり「幸せな結婚生活」という定型から思考を外したことで、幸せをつかんでいたのである(ここ重要)。
たった一つの「結婚生活という幸せ」という幻想にとらわれているため、他人と比較し、
あたかも全世界の敵のように標榜し、人生を浪費しているのである。
先日もブラジルの20代プロサッカー選手が、40代日本人女性に猛烈アタックし結婚した話があった。
その心理はまったく理解できないだろう?なぜなら、幸せとは二人だけの個別のものだからである。
一歩、「周囲が決めた価値観」を抜け出せば、まったく知らない世界が待っているのである。
他人と比較することをやめること、その第一歩はSNSを見ることを減らすことである。
なにも海外にいけと言っているわけではない。
もし貴女が二次元に彼氏がいるのであれば、彼と結婚し、とことん突き詰めればいい。
それをブログなり漫画なりで発信すれば、さらに不特定多数の「仲間」を幸せにすることができる。
すくなくとも、男性を敵視して発狂しているフェミよりは魅力的であるはずである。
「作品見ました。乙女心が可愛いですね」と、新しい出会いがあるかもしれない(保証はしないが)。
重要なのは、旦那の年収が高かろうと、家が広かろうと、いいもの食ってようと何だろうと、
それらは一切、貴女自身の人間としての魅力に直結しないということである。
仕事にまい進し、ポジティブで自立している女性こそ、よっぽど魅力的だし、
そういう姿をSNSに発信していけば、良い出会いもあるのである。
SNSに突き動かされるのではなく、SNSを使って突き動かすこと。
それが正しいSNSの使い方ではないだろうか。
普通はよく分からなくてもブラックボックスで済むものはそういうものだと思ってすっ飛ばすものだし、世の中ほとんどそうやって回っている。
しかし、あれも分からん、これも分からん、ちょっとでも分からんのが我慢ならん、というなら徹底してやるしかない。
今の時代は大変恵まれていて、自作OSや自作CPUの日本語の本があるし、GitHubとかにも多くの情報がある。
OSは作らなくても、何かをBootさせるコードを書いてQEMUで動作させるぐらいまではできるはず。
近い将来ガンダムにいきなり乗り込んでモビルスーツのOSレベルからその場で書き換えて敵を撃退できるかもしれない。
そうすれば敵のお姫様にもモテるし、味方のヤンデレにもモテるようになるだろう。
そう、ITができれば姫にもヤンデレにもモテるようになるのである。
現実はそんなことあるわけないけど、そう思うことでモチベーションアゲアゲにして生きていくのである。
つらい
プログラミングで主にやる事は下記の2つ。
①IFでAかBを選択させてどっちかの設定を実行
②Whileで決められた回数分繰り返す
とてつもなく複雑で冗長な処理によって実行されている。
わかりやすいので画像処理でいうと、数十万から数百万の画素(RGBAの24bitで表される数値)を小さなブロックに分解し、数学的に周波数の重なりとして計算して変換、含まれる頻出パターンをテーブルにして圧縮伸張を行なう。みたいなことが瞬間的に行われている。
「まさかそんな事できるわけないだろ」というレベルの処理が実際に行われており、これまた直感的でない。
だからそれをどう書くんだよ。という答えはコレ。有名なjpegの実装だ。
libjpeg というライブラリを書くことはできるだろうか?画像の圧縮の理論から考え始めることはできるか?
正直無理だ。自分はプログラマだがそんなに数学が得意ではなく、頑張ったとしても下手するとコレを作るのがライフワークになってしまい、他のことができなくなる。
例えばブラウザを0から作るとして、jpegの処理以外にも画像だけでpngとかgifとかwebpとか、その他もろもろとてつもない作業が必要になる。
「とてつもなくて想像もできないので流石に無理だろう?」
いや、でも、実際動いてるのよ。ここ何十年、コツコツと積み重ねて実現している。
「積み重ね」とはライブラリであったりフレームワークであったりOSであったりする。
「どういう風になっているのか」
外部に向けたインターフェイスがどうなっているのかは理解する必要がある。「使う」ために必要だからだ。
この2つは分けて考えなければならない。
ちなみに、たとえばChromeのコアであるChromiumはのコードはコレだ。
つまり言いたいことは、実際に動くアプリケーションというのを作りたいのにも関わらず
プログラミング入門書は、これで判定と繰り返しという基礎ができますと言うだけ。
これがもう滅茶苦茶イライラする。
「これで判定と繰り返しという基礎ができます」というのが基本的な理論(定理的なもの)で、その他に必然的だが唯一無二ではないベストプラクティスというものがある(法則的なもの)。
後者をうまく説明する入門書に出会っていないんだろうな。という印象。イライラはやめよう。つかれる。
ベストプラクティスはいろいろあるのだが「層の構造にする・レイヤーに分ける」というのは重要なアイデアだ。
libjpegというのはjpegの処理を行う「ライブラリ」だ。他のアプリケーション...たとえばブラウザはこのライブラリを「使う」。
ブラウザではjpeg画像の圧縮展開というとてつもなく難しい処理を「libjpegの使い方」の理解までで済ませ、過去の蓄積であるlibjpegのコードを利用することで真の意味で0から実装しないようにしている。
この場合、libjpegが「低レベル・低レイヤー」の存在であり、中身については「使い方」つまり「仕様」の理解までしか行わないことで、実際に作りたいものを作れるようにしているわけだ。
完成しているプログラムは二例ほど挙げたがどうですかね?
複雑なことをする、特に低レイヤーのコードはとてつもなく難しい。
でも、とりあえずこんな感じのコードなら解るよね?
こういうレベルから理解して、ちょっとずつ難しい処理を学んでいくしかない。
ハードルは高いんですよ。実際。
なので、木材からだと難しいからプレハブのキット的なものを探すとか、ログハウスのカタログを読むとか、あるいは100人乗れる物置を買うのがいいかもしれない。そういうところから始める。
それらがフレームワークであったりライブラリであったりする。目的に合うものを探して、自分がやりたいことをどう実現するかとにかく考える。
「テキシコー」https://www.nhk.or.jp/school/sougou/texico/ で言われる通り、「小さく分けて考える」「手順の組み合わせを考える」「パターンを見つける」「大事なものだけ抜き出して考える」「頭の中で手順をたどる」をひたすら実行する。
unityはコードが公開されているので、本当に読みたいなら。。
オブジェクト指向は一旦忘れよう。
オブジェクト指向の「隠蔽」というのは層の構造が持っている重要な要素ではあるけど、「低いレイヤーについて考えない」のが基本的な作戦だという理解の方が重要だ。
前述の通り「できる限り作らない」んですよ。「使う」だけ。知るべきことを最小化する。
そして本当に作るべきものに関しては、利用する下のレイヤーのライブラリなりを探して・仕様を理解して、どう組み合わせてfor, if, あるいは計算させれば実現できるのかをひたすら考える。
単に翻訳がしたいのか?表示に割り込む方法を知りたい?日本語に翻訳するのは実行時なのか開発時なのか?
要求される表示エリアが言語によって異なるために、デザイン調整が必要になる問題をどうするか?
分解が甘いので何をしたらいいか調べることができないんだと思う。
ちなみに、アプリ内の文言というのはアプリの外部から変更できないように実装されている事が多いので、利用者が上書きする仕組みはかなり難しい。
AndroidなりiOSの仕様にもそのへんに割り込める機能はないはずなので、OSの開発に入っていく必要がある。結構大変だとおもう。
アプリの開発者が、そういう機能を備えた多言語化のためのライブラリを使うようになれば実現可能ではあるので、そっちの方向で頑張るのがおすすめだが、英語圏の開発者には多言語化のモチベーションが低いという基本的な問題はあるのよね。
この辺の「できる・できない・むずかしい」の判断は、いろいろな勉強をすると常識としてある程度みえてくる...気がする。
ついでに。ウェブサイトやウェブサービスの翻訳だとこういうサービスがあったりする。
ブラウザはページの描画処理のなかに割り込む余地が大きく取ってあるので、ブラウザのExtensionとかならできることがいくらかあるかもしれない。
個人的に気に入らない話はOSのアップデートは使いやすくなるからとてもいい事だからすぐにやった方がいいと宣伝されている事。
まあ、半分は嘘だよね。古いものが残っていると先に進めないんだよ...。
現在のクライアントOSは、巨大なプラットフォームのパーツの一部として理解したほうが正しくて、古いパーツが残っているとツライんですよ。
そして「サービスを受けるための道具であって、あなたが何でも好きにできる機械ではないです」みたいな世界になりつつあって、ちょっと問題と言われてもいる。
これはかなり困った傾向なんだけど、全体としての流れはあんまり変わりそうにない。
オブジェクト指向好きですな...。ここではオブジェクト指向は特に気にしなくていいですよ。
とてつもなく複雑なことをやっているために、すべてのバグを潰すことはコストが高すぎてできないんですよね。
それよりバグは未来を先取りするコストと考えて、本質的に価値のある機能を増やしていくというのが基本的な方向になっている。
だからパソコンはたまに不具合を引き起こすんです。しゃーない。
しかし中途半端に理解している老人などは、そんなことじゃ分からん。自分に分かるように説明しろと言い出す。
説明は出来る。しかし相手はイライラするし理解されない。よって説明をしてはいけないという状況に追い込まれる。
ここでどうすればいいのだと理解不能に陥る。
まあ、説明って得てして難しいよ。しゃーない。
そのとおりです。
オープンソースのプロダクトなら原理的には調べられるけどね。Androidとかはオープンになってる。
それを許容することで先に進んできているという事実は受け入れたほうがいいと思う。
「把握・理解可能な範囲」に留めていたら、数十年前のコンピュータの世界から抜け出せなかった。
deep learningの世界ではそれがより一層進むかも。この辺は詳しくないけど。
ここでの「理解」についてはそのとおり。これはもう諦めるしかない。
これが常にある。IT関連は常に新しい情報が出てくるのでそれに送れると無知になってしまう。
なんでこんなことも分からないんだとか言われ放題で、IT系の企業に努めている人は常に新しい知識を入れられる
面倒くさがらない人が向いている。
「面倒くさがり」の方が問題に気づいて「頑張って面倒じゃなくする」ことができるので、プログラマにとっては美徳なんて言われますけどね。
同時にくじけないとか諦めない、しつこいみたいな素養は必要かも。
応用まではとろうな。がんばれ。
このへん自分も知らんですよ。べつに全部知っている必要はない。
(追記: はてな記法の引用すらもさっきまで知らなかったしな!そんなもん)
層の構造をとっているということと関係があるんですが、仕様が変わると、その上に乗っているものを全部なおさないといけないんですよね。
でも革新のために互換性を捨てなければいけないケースも多い。このへんはハードでもソフトでも同じ。
そして、メンテのコストが上がっても使い続けたほうがトータルで安上がりという場合は、古いものが残ってしまう。
あるいは「(多少の問題はあっても)動いているものは変えるな」という経験則から意図的に残す場合もある。
西暦2020年にもなって、プログラミングが簡単には出来ないし、ハードウェアの規格も完全に統一はされていない。
というかプログラミング言語自体多すぎる。ソフトウェアはデファクトスタンダードのモノ程度は知っているが、
ぜんぜん完成していない荒っぽいものを目にしているのだと理解したほうが的確。
それなのに毎日理解のできないパソコンやスマートフォンを使っている。
オブジェクト指向のおかげ様だがオブジェクト指向に対して無性に腹が立つ。
自分の全く知らない場所でいけしゃあしゃあと演算を行い、そして結果を出す。それも大半が正しい結果で
利便性が抜群だ。些細なミス(バグなど)はあるが圧倒的に利便性が勝っている。
そんな道具に踊らされている自分が滑稽だ。理解できない愚かな自分は正に機械の奴隷のようだ。
本当に理解できない。辛い。
勘違いしてはいけないのは、それらはすべて先人の努力の蓄積によって成り立っているということ。
「よくわからないけど存在している道具」ではなくて、信じられないほど複雑だけど、多くの人々の行動によってなんとかかんとか実現した道具なんですよ。
「オブジェクト指向のおかげ様」じゃないんです。(もちろんオブジェクト指向というのも大きな発明の一つですが)
そしてブラックボックスとして使うのは多くの場合正しいです。そこは諦めましょう。
でもエンジニアとしての立場からは、その裏に隠れているとてつもない技術や思考の蓄積に感動してほしいなと思う。
人類がこんなもん作れたのって、かなりすごいよ?
1a. 簡単なライブラリとかAPIとかのオープンソースのやつを全部読めばよくね?例えばprintf()の中身とか。
あるいは自分で作ってみればよくね?
2. alloc()すると空きがあれば8byte確保してそのアドレスを返します。空きが無ければNULLを返します。
これくらいは自分で考えて作れるでしょ?
そういう事の積み重ねで高度なことをやってる。
1b. オブジェクト指向を知っているならカプセル化も知ってるでしょ?中身を知らなくても外のインタフェースだけ知っていれば使える。てか全ての中身を理解しようとしてたら何もアプリケーションなんて作れないです。
例えば俺ははてな匿名ダイアリーが裏でどのように動いているのかわからないけど、毎日記事を書いてる。これがカプセル化。
2a. 一般人に説明するには比喩を使うしかないでしょう。あと、その話題の領域でオブジェクト指向は関係なくね?
2b. それと、べつに「知らないことがあるけど使っている」のはITだけじゃないです。たとえば全身麻酔の原理とか最近までよくわかっていませんでした。航空力学もあんまりわかってないんじゃなかったっけ?なぜ飛行機が飛ぶのか。船も、何故かよくわからないけど速くなる装置があるんですよね。流体力学はよくわからかないです。こんぺいとうがトゲトゲになるメカニズムも解明されていない。べつにブラックボックスはITだけじゃないです。
4. 例えば、長い時間をかけて改善を重ねて2015年の時点で最高の出来のWindows10が発売されたわけです。それを「今更出すな。1995年の時点でWindows10を出せ」とか言われても無理です。強くてニューゲームかよ。
全てのことは内閣府や各省庁の大臣や役人が税金使ってやってる以上国会マターだぞ
会期中その他にやってる省庁に対する野党のヒアリングも国民の声や疑問の代弁でしかないぞ
しかも証人喚問にしたって、偽証罪を適用するためには必須だからやれと言ってるわけであって、裁判所でやれ!と言うならばこそ尚更早々に証人喚問を促すべきだよね
桜にしろコロナ対策にしろ何にしろ虚言を弄し逃げ回ってグダグダ長引かせて最悪の結果を招いてるのは政府与党じゃないですか
国会というのは国民のために開かれた場であって、そのプロセスが要らないというのは国民主権と民主主義を真っ向から否定することになるね
現にコロナ第二次補正の予備費10兆円はブラックボックスになっていて、電通パソナその他にいくら流れてるかも不明ですよ、それが「結果重視」って何の結果なんですかねえw
果たしてもクソもなく、そういう政体と制度である以上法に従って粛々と国会開いてもらうしかないんですわ
そもそも国民や維新のようなゆ党が言う「対案出せ」は頭が悪い奴が言う批判でしかなく、別に立民や共産その他の質疑に対案的な中身がないわけでもない
まぁ何を言ってたとしても聞く気がないだけなんだろうけど
米国の学生ビザで、大学の外で働くのは、かなりハードルが高いという。また、NYのピアノバーは報酬は足がつかないように現金払い、建前上は雇用契約を結ばずゲストとしてたまたまお店に来ているだけ、という扱いの業態が殆どだそうだ。両者の需要が奇妙にマッチしている感があるが、ピアノバー勤務はやはり厳密に言えば不法就労になるのだろう。ピアノバーについて事実上売春斡旋の場であるかのような言い方をする者もいるが、それはさすがに根拠がない。
ただし、この手の留学生の労働で成り立つ外食産業などもあるだろうから、米国の移民局がどの程度ガチなのかはわからないが。
伊藤さんからすれば、山口氏を実名で告発するには、初対面の場であったピアノバー勤務の件を書かないわけにいかない。彼女は米国の当局(USCIS)ににらまれるリスクをとって書いたのだろう。
ブラックボックス英語版の出版は来年に予定されているそうだが、ピアノバー勤務の件をどのように表現するのか気がかりではある。