はてなキーワード: スクーターとは
直人
現在32才
青森県育ちの横浜市在住。母の親戚の知人の法事中に生まれた。生まれてしばらく父親一人で育てられている。
一人暮らしの2人兄妹の兄
紙の本と電子書籍を書いていた(筆名は不詳)。最近出した本は「卑しさに包まれたなら」
ロードバイクと原付を所持。過去には250ccネイキッドやスクーターにも乗っていた。
成人年齢は22才に引き上げろと連呼している。
妹 31才・・・一人暮らし中。育った場所と母校は兄と同じ(高校と大学)。
名古屋生まれの2人兄妹の妹で東京都渋谷区在住。母が単身赴任中にアパートの浴槽で生まれた。生まれてしばらく母親に育てられた。
以前は横浜在住で、当時と同じ250ccネイキッドを現在も所持している。
小学生時代に不良と共謀していじめを起こし、保護観察を受けていた。
ゲームソフトを何本も所持、購入している。
兄妹が生まれる前からオートバイと自動車を乗り回していた(車種失念)。郵便屋で金融に詳しい(定年退職している可能性あり)。
兄妹の同級生から「不良肌」と恐れられていたらしい。(兄妹を虐待していたこともある)
魔法少女ものとファンタジー小説・漫画、携帯機・PCゲーム好き。
父・・川崎にて母と同居中。
民間人上がりの元正規公務員で現在は嘱託職員で年金生活満喫中のITオタク。
台湾に行って来た。
一人での海外旅行は初めてだ。
台湾であった事、感じた事つらつらと書く事にする。
長いし、起こった順に書いていて、特に脈絡もないので、ドラマは期待しないで欲しい。
取り留めない旅行記だ。
もし文書の中で一文でも、行ってない人の興味を唆れたり、行った事のある人に「あ〜、あるある」って思ってもらえたら嬉しい。
出発前
そもそもなぜ台湾に行こうと思ったかというと、少し前にちょっと凹むを事があり、いつまでも気に病んでも仕方ないし、何か面白い、自分の興味を引かれる事がないかなぁなんて考えてたところ、「そういえば、台湾料理で気になってるものがあるんだけど、実物を食べた事がないんだよなぁ」と思い出し、休暇の予定も決まってなかった事もあって、「じゃあせっかくだから行ってみよう」となった訳である。
初めてなので、ツアーを予約して、飛行機とホテルの世話だけをして貰うつもりだった。
いざ行くと決まれば、何より問題なのは言葉で、元々日本でもコミュ障気味なのに、別の言葉が話されている国で過ごすのは甚だ不安だった。
でも出発当日が来て、フライトをまつ夜の羽田空港国際線ターミナルで、簡単な中国語を暗記していてた時にふと気付いた。
そうだ、俺、イラスト描けるじゃん。
言葉の通じない国に行くんだ、使えるスキルは何でも使わないと。
午前4:50、タイガーエアに乗り込んだ。
ツアーなので、自分の他にも出発する日本人がいるかと思ったが、日本人は少数派のようだった。
ちょっと不思議に思ったのは、機内の台湾人の男性はほぼメガネ。
なんでどいつもこいつも目が悪いんだ。
後から更に不思議だったのは、台北の地に着くと男子メガネ率がむしろ低いのだ。
台湾人は飛行機に乗る時だけメガネをかける決まりでもあるのか?
1
1日目 午前
LCCの狭いシートで変な姿勢に耐えながら3時間のフライトを終え、朝の桃園空港に降り立った。
空港でキョロキョロしてると、いきなり兄ちゃんに現地の言葉で話しかけられた。
バス?とか言ってたので、行き先に迷ったと思われたらしい。
一瞬どう答えていいか迷ったけど、オレンジのベストを着てゲートのすぐそばに立っている女性を指差し、「大丈夫」と言うふうに手を振ったら、彼は「なんだ」という顔をした。
あ、言わなきゃ。
「謝謝」
実はツアーガイドはすぐに見つけていたのだけど、他のツアー参加者が集まってから声をかけようと思っていた。
しかし、誰も集まる気配がない。
機内に日本人が少ない筈だよ。
「すいません」と日本語で言うと、ちょっと訛った日本語で「どこにいたの?すぐに声かけてよ〜」と笑顔で言われた。
より覚えやすくする為に、勝手に「エリーさん」と呼ぶ事にした。ちょっと伸ばしただけだから大きく違わないだろう。
ホテルに向かうミニバンでエリーさんに「何かみたいものある?」と聞かれたので、「九份に行きたい」というと、「どう行くか調べてますか?」
「ざっくり」と答えると、「ざっくりじゃダメよ!」とひどく呆れられた。
エリーさん曰く、九份は凄く人気、今は祝日で台湾人も行くから人でごった返している、行くなら早くいけ、と。
さらにはついでに十分も行くべきで、こんなこんなこんなツアーがあって・・・と説明が止まらない。
「実は蚵仔煎と肉圓を食べに来た。あとお茶も買う予定」と言いうと、彼女は「それだけ?」とまたもや呆れ顔で言った。
「それだけじゃ量が少ないよ!」
さらっと書いているが、この会話の中で、エリーさんは料理の名前を何度も聞き返している。
曰く、「発音がメチャクチャだから何言ってるのかわかんないよ!」
日本人とは随分テイストの違う接客なので思わず笑ってしまった。
夜市にも詳しいエリーさんによると、蚵仔煎の様な夜市料理は行列の店で食べるべきで、それは味の問題というより、回転の早い店の方が素材が新鮮なので、当たる事が少ないからであるとの事だった。
台湾人がよく行列するのは、そういう理由もあったのか。なるほど。
エリーさんの勢いに呑まれかかってたけど、会話が少し止まって、ふと窓の外から街を見れば、台北市は建物が密集しているのに気付く。
その中にセブンイレブン。
漢字もコンビニも人の背格好も一緒なのに、行き交う人は全然別の言葉を話している。
それは不思議な感じだ、と言おうかと思ったけど、それを言うとエリーさんが凄いエネルギーで何かの説明をしそうなので言わないでおいた。
ホテルに着いたらチェックインの15:00まで、荷物を預けて自由観光。
エリーさんは、台湾での見所と注意をまくしたてたあと「わからないことがあったらLineで連絡して!」と事細かに連絡方法を教えてくれた。
「あと折りたたみ傘を持って行って!今の台湾は天気が変わりやすい!」
どうやら手が届く限りは面倒を見ないと気が済まないらしい。
台湾人は親日とよく聞くが、接した感じでは、どうもナショナリズムの問題ではなく、何か人間が親切というか、お節介焼きであるように感じた。
エリーさんと別れてしばらく歩くと、南国の陽射しの下、台湾国旗がはためいている。
そういやエリーさんに「暑いな、さすが南国」と言うと「ここは南国に入らないよ!台南の方が亜熱帯!」って言ってたっけ。
すぐに暑さに耐えかねて、冷房の効いてそうな店に飛び込んだ。台湾で食べたかったものの一つ、豆花を食べていると、店内ラジオからはB'zが流れて来た。
細かい注文が出来ないので、かき氷とピーナッツの甘煮だけをトッピングしてもらった豆花はとてもアッサリしていた。
大通りで信号が青に変わるたび、びっくりするくらいのライダーが駆け抜けて行く。
この台湾的光景を収めようと交差点の歩道でカメラを構えたら、後ろから「前方!」という様な声をかけられた。
「前危ないよ」とでも言われたのだろうか?ひょっとしたらもっと荒っぽい表現なのかもしれない。
台湾人は親切だけど直接的でもある。
1日目 午後
ホテルのチェックインの15:00にはまだ間があったが、台北は午後になって更に気温が上がって来た。
本来は2日目の午前にこなす予定だった、台湾茶の買い出しを前倒す事にした。
エリーさん曰く、祝日の台湾人は勤勉では無いらしく昼頃にようやく起き出すとの事だったので、一抹の不安を抱えてはいたが、しばらく歩くと、お茶のいい香りが漂って来た。
通りに面した倉庫の様な店。
林華泰茶行。
上質なお茶が卸値で買えるとの事で、予め来ると決めていた店だった。
実際に来て見ると、その倉庫の様な空間に微かに漂う不思議で素敵な香りに心が踊る。
ただ、少し計算が狂ったのは、店が思った以上に小ぢんまりとしているし、本来は問屋なので、店員もぶっきら棒。
タンクトップから腹を放り出したオッさんが茶葉のチェックなどしていて、ゆっくり見るのは場違いだった。
そこでは吟味しながら4種類買う予定だったけど、実は到着直後の免税店で、エリーさんの勢いに押されてすでに高山茶を1つ買っていたので、3種類にした。
金萱
蜜香紅茶
20代とおぼしきにいちゃんに、それぞれ「1/4斤」とメモして伝えると、「150?1300元」とぶっきら棒に返して来る。
台湾の店員さんは人がよく、自分の言葉が変でも何とか必死にコミニュケーションを取ろうとしてくれていて、それが返って不甲斐なく、少し凹んでもいたのだけど、さすが問屋のにいちゃんにそんな忖度は無い。
一杯の茶のイラストと
「喜歓的香味(とても好きな薫りです)」
「謝謝。」にいちゃんは微笑んで言った。
初めてエリーさん以外の台湾人とちゃんとコミニュケーションが取れたと思った。
昨日から大して寝ずに動き回ってるので、良い加減疲れて来たけど、ホテルのチェックインにはそれでもまだ時間がある。
台北101に向かう事にした。
地下鉄にのっていたら、博愛席(日本でいうところの優先席)に座ってたばあさまが、乳幼児を抱いている母親に気付いて、手招きして席を譲っていた。
台湾人はほんとうに人が良い。
うっかり降りる駅を間違えて、次の電車を待っていたら、地下鉄のホームでロードバイクを押す人がいた。
曰く、あんな古くさい台湾ではなく、もっと近代的な今の台湾を見てくれ。
でも、実際歩いてみると、やはり台北の街は自分がイメージするアジアのエネルギーとノスタルジーに溢れている。
そうかと思えば、台北101は東京で言うところの押上のソラマチの様に、周囲から浮いて急に出現した近代モールだった。
その地にはその地の食い物が有る。
乾麺のコーナーで、刀削麺と同じ棚に讃岐うどんが並んでるのには何だか笑った。
大して腹も減ってなかったけど、疲れを癒す意味で、ここのフードコートでガソリン補給をする事にした。
加油、俺。
頼んだのは排骨と魯肉飯のセットで排骨には八角の強い風味が有る。
これが中華な味だ。
魯肉飯をかっ込んでふと顔を上げると、半袖シャツを着た対面のにいちゃんの袖から綺麗な花柄が覗いていた。
そういえば林華泰茶行に行きすがら、通りかかった裏路地でも、書き描けの紋紋を背負ったおっちゃんが上半身裸で何かを食っていた。
デパ地下と紋紋に満足したので、人でごった返した展望台には登らなかった。
1日目 夕方〜夜
やっとホテルにチェックインできて、シャワーも浴びてさっぱりできた。
どこで何を食うかは決まっている。
寧夏夜市で蚵仔煎を食べるのだ。
実はエリーさんに、この暑くて食品が傷みやすい時期に牡蠣を食べるのは勧めないと止められていた。
「私たち台湾の人間は胃が大概のものに慣れている。でもあなたたちは違うでしょ」と。
一理あるんだろう。
でもこの旅行の重要な目的の一つが本物の蚵仔煎を食べて、どういうものか知る事だったのだ。これはマストなのだ。
日が落ちて、明かりが灯った台北の街。
道中驚いたのは、街中に野良犬がいた事。
少し遠巻きにしてる人もいたが、同時に野良犬を気にするふうでも無く、すぐ脇で座ってなんか食ってるおっちゃんもいて、日本ではもうない風景が日常なんだなぁと驚いたりもした。
日本で伝え聞く喧噪はちょっと盛ってるんじゃないかなんて疑っていたが、実際に行くと日本の縁日以上の人、人、人。
食習慣が全然違うのを肌で感じる。
夜市を一回りすると、一番行列のできてる店がわかった。
ここに決めた。
朝にエリーさんに酷評された付け焼き刃の台湾語は捨てて、筆談だ。
蚵仔煎を描いたメモを見せて注文する。
やがて店内に通されて、目当ての品が運ばれて来た。
おお、これが蚵仔煎か。
まず写真を一枚。
そして口に運ぶ。
プルプルしている!台湾風にいうとQQだ。
牡蠣オムレツと言いながら、片栗粉ような生地の方が主で、それに卵が絡み、その中に青菜と小粒の牡蠣が旨味を添えていた。
かかっているタレは甘酢か。テーブルに置いてある辛味噌を添えると更に風味が増す。
エリーさんの忠告は忘れてないが、ひょっとしたらヤバいものを食べているのかも知れないというスリルもまたスパイスのようなものだった。
「很好吃!」メモを見せると、店員のお姉さんはサムズアップした。
電動車いすは(手元操作タイプ、ハンドルつきスクータータイプ、共に)時速6キロ、すなわち「ちゃっちゃと歩く歩行者」以上の速度は出してはならぬとJISに謳われている
が、自主改造、または直輸入、などでそれ以上の速度を出す電動スクーターは存在する
で、ハンドルがあろうが3輪スクーター型だろうがあくまで歩行者なので6キロ以上出したらいかんよという理屈なので、6キロより速いものは道路交通法違反である
警察に言えば一応捕まるとは思うのだが、お察しの通りめんどくさい
事故ってもめんどくさい。前述の通り歩行者なんである。高速でランニングしてた人が誰かにぶつかってケガさせたと考えてくれ。
自動車事故並みに明瞭警察沙汰か? うーん? ええっ対人対物賠償入ってないの?? 義務じゃなかったから? いくぜ10割! 待ってろ年金!
茅ヶ崎の侍野郎ことbonchacchanga 1989年生まれ…人権がらみの仕事をしている。愛車は日産の軽自動車。埼玉の零細大学を出ている。
出身高校が神奈川ワーストの私立高校だった、東海道線で通学していた、小田原で同級生とおふざけしていた、などの証言
ついでにこいつも
自称・グダポンの影武者ことgreatchina2 1985年生まれ…小学生・中学生時代保護観察経験あり(不良との交際が理由らしい)。それなのになぜか進学高校を卒業。出身大学と現在の状況は不明。
バイク免許持ちや自転車乗り経験を公言しているが、なぜか自動車と自転車を毛嫌いしている。(愛車は50ccスクーターと250ccネイキッド)
祖母が元不良らしく、母もインテリ系ながら不良臭かったと公言しているらしい。(子供時代・青年期に母を怒らせて原付で引っ掻き回されたことがあるとか)
1995年まで貧乏だったらしく、保育園、幼稚園に通っていない。
影武者の趣味がついに判明したとか。グダポンと奇しくも同じで鉄道好き、アキバ系オタクなどなど、なかなか香ばしい状態のようですな…失礼だが車社会回帰と鉄道離れのきっかけになる気がするな。
大都市部の若者でも子ども扱いを嫌って車やバイクの免許を取る人が非常に多い現実ってことをよーく考えた方がいいね、グダポンの影武者を騙る某人。
今日からプロ野球が開幕らしいので通勤で神宮球場の前を通って10数年、全く野球に興味のない私が主観的各球団ファンの外野席整列ランキングを発表する。
1位 中日ファン
心得た場所取りとファン同士の交流の濃さで情報の伝達が早いらしく全く混乱が見られない。
安心して見ていられる。
2位 広島ファン
中日ファン以上にマナーも甲乙つけがたい広島ファンであるが昨年の優勝騒ぎで浮かれすぎて列をはみ出たりとちょっと迷惑だったので減点。
昨年まで心のベストワンであった。
3位 横浜ファン
まったく印象に残らないのでマナーはいいんだと思うけどそもそも神宮で試合をしているのかどうかすらわからない。
4位 阪神ファン
毎年浮かれすぎ。
並んではいけないところに並んでいたりスクーターを歩道に止めて並んだりするので道が通れない。
近寄っても話に夢中でどいてくれない。
野球のファンならキャップ持ってるはずなのに真夏でも被らない。日傘もささない。
神宮では場所取りをしたら整理券を配る時間までそこにいなくても良いというローカルルールになっているらしいのだが修行のように日向にしゃがみこんでる。
5位 巨人ファン
コアなファンがいないのか先輩ファンからコツを伝授されないのかみんな球場の前でどうしていいかわからずウロウロしている。
番外編 つば九郎
心の準備ができていないのにいきなり道に飛び出してくるのは辞めて欲しい。
まるで男の子のようなショートカットの髪、金八先生に出ていた時の上戸彩みたいにCUTEな美少女だった。
ぼくの君に対する第一印象はただひとつ「胸がでかい」それ以外のことをぼくは何一つ思いつかなかった。
小柄なきみのカラダに不似合いなほど、その胸の隆起は際だっていた。
きみは一時期、ぼくと同じ学年の男子と付き合っていたね。
そのときぼくは思ったよ。
「あいつはあの大きな胸が目当てなのか」と。
もちろんそんなことはなく、彼は知的でCUTEなきみが好きで胸なんかはただのおまけだったのかも知れない。
しかし、どんな言い訳をしたってきみの第一印象が胸であることは疑いのない事実なのだ。
それに「どうせ胸が目当て」だなんて高校生の言うセリフじゃないだろう。
自慢じゃないがぼくのいた公立高校は男子童貞率96%、つまり非童貞はクラスに一人くらいしかいなくて、
しかも在学中に処女童貞を失った場合の浪人率は100%という恐ろしい世界だったから、だから禁欲=正義だったんだ。
もちろんぼくも受験勉強に精を出し、オナニーで精を出す一人の純朴な高校生だった。
受験勉強の甲斐あってぼくは現役で大学に合格し、その喜びもつかの間、片想いの女の子にはあっさりとふられ、童貞期間更新中だったぼくは、翌年の春にきみが関西のある有名私大に合格して大学生になったことを知った。
当時のぼくは手紙をよく書いたよ。在学中にちょっとした面識があったのできみにも合格のお祝いと自分の大学生としての近況報告のような手紙を書いた。そうしたら一度京都を案内して欲しいという返信が来た。そしてぼくは思いがけずきみとデートできることになったんだ。
「えっ、こんなところから胸がはじまるのか!」と思うほどにきみの胸の隆起はクビのすぐ下からはじまっていた。
ぼくはきみの目ばかり見て話をしていたが、視線を下に落とせばそこには胸があった。
向かい合ってる男が自分の顔ではなく胸を見ながら話してるなんてすごく不愉快じゃないか。
だからぼくはいつもきみの目を見て話をしていた。視線を伏せることなんてできなかった。
今思うとなんてもったいなかったのかと思う。サングラスでもして視線を隠して、思う存分胸を見ればよかったじゃないかと。でも、当時はそんな才覚はなかったんだよ。
京都でのデートの後で、ぼくは卑怯にもきみへの手紙の中に「好きだ」というフレーズを書いた。
しかし、そのときのぼくは本当にきみが好きだったのか、それともきみの胸が好きだったのか、正直言ってよくわからない。
ぼくは知的でCUTEなきみを本当に素敵な女の子だと思っていた。
しかし、その100倍くらいぼくはきみの胸が好きだったんだよ。そんなこと手紙に書くはずないけど。
秋になって、いろんな大学の学園祭の季節になって、ぼくはMを伴ってN女子大の学園祭に出かけた。
高校で同じクラスだったことがある仲間由紀恵みたいな黒髪の純日本風お嬢さんに誘われたからだ。
実はぼくはその仲間由紀恵のこともかなり好きだった。もしもその美女を射止めることができたならば、ぼくは同じ高校のあのさえない童貞軍団を見返してやることができたはずだし。そう、ぼくのあこがれの大本命は実は仲間由紀恵であり、Mの存在価値は「自分とつきあってくれる女」という点にあったわけだから。
N女子大学の模擬店でぼくは仲間由紀恵にMを紹介した。仲間由紀恵はMをみて、Mの胸をちらりとみて、それから妙につっけんどんな態度になった。
「あなたはこんな乳のでかい頭の悪そうな女が好きなのね!」と仲間由紀恵は思ったのかも知れない。
そんなことはないんだ。Mは決して頭の悪い女なんかじゃない。
とっても聡明で話していて退屈しない女なんだ。
でもそんな言い訳をするチャンスはなかった。
だって仲間由紀恵はその後ぼくに手紙をよこさなくなったし、彼女が風の噂にお医者さんと結婚したと聞いたのはその数年後のことだ。
N女子大の学園祭の後に控えていたのは京都大学11月祭だった。ぼくはそこでMと腕を組んだり、手をつないだりして歩くことができた。
普通のカップルのように彼女と学園祭デートをするなんて幸福をぼくは手に入れた。
しかし、ぼくは手をつなぐ以上のセクシャルな領域に足を踏み入れることはどうしてもできなかった。
その理由は簡単だ。ぼくは童貞だったから。どうやってその先に進んだらいいのか、ぼくは全くわからなかったのだ。
手を伸ばせばいつでも触れられるような距離にありながら、その胸はぼくにとって相変わらず不可視のものであり、かつ不可触のものであったのだ。
そのままお正月が過ぎ、春になった。ぼくはMと初詣に住吉大社に出かけ、そこから阪堺線のチンチン電車に乗って浜寺公園に出かけた。
潮の香りのするコンクリートで固められた護岸の上の散歩道をのんびり歩き、座って話をした。おだやかな一日だった。
あの頃ぼくたちはいったいどんな話をしていたのだろう。
そうして休日には手をつないで歩き、一緒に映画を見たりしたぼくたちはまぎれもなく「つきあってる」という状態だった。
しかしぼくにとってきみの胸は相変わらず不可視のものであり、かつ不可触のものであった。
どうすればぼくはその二つを可能にできたのだろうか。
まだ20歳にもならない自分はその方法を何一つ知らなかったのだ。
もしもできることなら今の自分が当時の自分に憑依して、知りうる限りの恋の手練手管を用いてその困難を可能にしてあげただろうに。
ぼくは免許を取り、中古車でいすゞジェミニを買った。それでMとドライブすることになった。
Mに向かって「どこに行きたい?」と聞いたら「鞍馬」という意外な答えが返ってきた。ぼくたちは鞍馬のおもちゃみたいなケーブルカーに乗った。
汗ばむような陽気の中で、同じようにデートしているカップルが居た。
ぼくは赤面した。
キスとは、ああキスとは、それは限りなく遠くに存在する行為じゃないか。
まだぼくは胸を見たこともないのに・・・・
いや、それは違う。少なくとも胸を見るという行為は、キスという行為のさらに先に位置するものであるはずだ。
ということは、自分が胸を見たいとか触れたいと思っていたことは根本的な間違いであり、それを実現させたかったら
先にキスという段階をクリアしておかなければならなかったのだ。キスとは、胸を見るための必要条件である。
もちろんキスをしても胸を見るところまで到達できない場合もあるだろう。しかし、キスをしないで胸を見るなんてことはどう考えても変だ。
つまり自分は、「胸を見るためには先にキスをしなければならない」という恋愛の発達段階の重要な法則をそのときに発見したのだ。
ストレートに胸に到達しようと思っていた自分が間違っていたのだった。
ぼくはその真理をここに理解したのだった。
その二人のための貴重な日曜日を、Mはこともあろうに私ではなく神に捧げてしまったのだ。
ぼくは一度Mにくっついて教会に一緒に行ったことがある。Mのスクーターの後を、ぼくは実家にあったヤマハパッソルで追走した。
当時はまだ原付にヘルメット着用の義務はなかった。そうして教会に出かけたのも一度きりだ。
ぼくにはきみの胸を見たいという願望があったが、教会で聖書を見たいとは思わなかった。
僕に必要なのは聖ではなくて性であり、聖書ではなくて早くぼくを童貞から卒業させてくれる性書こそがぼくにとって必要な書物であった。
「汝、姦淫するなかれ」という神の教えは、その反動でぼくの心をますます君の乳房への思いでいっぱいにした。
ぼくは教会についていくのを止め、ぼくたちの仲は自然消滅した。
そのとききみはブラウスのボタンを二つもはずしていたから、ぼくは思わず「うっひょ~」と心の中で叫んだ。
そのとき、きみのオッパイはぼくの心の中で永遠の憧憬になった。あれから34年経つけど、今でも君の胸は成長を続けているのかい?
先日、近所に消防車やらパトカーやら救急車やら、わらわらと集まってきた。
火事なら何かしら(飛び火とか)対策しないといけないかと様子を見に行ったら、アパートの一室に消防士が詰めかけて居る。
火が出ているふうでもない。なんかきな臭いっぽくはあったかけれど。
大事(おおごと)でもなさそうなので、自宅に戻り落ち着いてしばらくしたら、消防士が拡声器で何やら広報している。
通報があったので出動したけれど、火災の事実はありませんでしたとかなんとか。
やれやれ。
この元警官、十数年前に引っ越してきてから、近所で何かと問題を起こし続けて居た。
目の前の通りを行き交う暴走族的なバイクや車に向かい、聞こえるわけでもないのに「こらあ」と言いながら赤色灯を振り回す。
道ゆく人に言いがかりをつける。何でこっち見てるんだとか。見られていたから見返しただけなのに。
他人の家の敷地に入り込み様子をうかがう。ばれると走って逃げる。離れた場所に来たらタバコを吸い出す。
影にかくれて女子高生の話を聞いて居る。
原付(スクーター)を警察風の色に塗り、警官風のヘルメットを被り乗り回す。
近所でバイクが転んだり、車同士の接触騒ぎや、トラブルがあると、頼まれもしないのにしゃしゃり出て話を聞いて回る。
他人の家の敷地に入り込み、そこの家人に咎められ逃げ出しアパート自室まで逃げ閉じこもる。
不審に思ったその家人が追いかけ通報し、その後二週間程は戻って来なかった。
アパート隣人にも暴力をふるい、通報されて、その後も二週間ほど戻って来なかった。
そのうち警察関係者がそのアパートの件の元警官の隣室に住むようになったらしく、その後は原付もなくなり、近所を騒がせることもなくなった。
バス停で立ち話が聴こえてくるときがあって、作業所に通って居るらしい。いわゆる障害者施設か。
この元警官、近所の人が警察関係者から聞いた話として、某市警察署に配属になったのだが、色々と問題を起こし、使い物にならず警察側でも手を焼いて、結局退職させられたそうだ。
まともに働くこともできずに、生活保護を受けていたと。
警察を辞めさせられたにもかかわらず、警察官のつもりで、捜査しているつもりで影にかくれて話を聞いていたり、他人の敷地に入り込んだりしていたということらしい。
警官ごっこしてたとでもいうか。
それも本家警察側から咎められ、警官みたいな格好も止めさせられ、おそらくは免許も取り上げられたのだろう。警察カラーの原付もなくなった。
厄介な人も居たものだ。
あれは、親兄弟や親戚が居ても、相手にされないから生活保護受けているのだろう。
実はそれだけではない。
近所にもう一軒、老夫婦が住んでいる家があり、この奥さんの方が統合失調症らしい。
二十年ほど前は息子も一緒に居たらしいが、成年になり家を出て、その後は姿も見て居ない。
家の周囲に「監視カメラ作動中」「入らないでください」などと書いた紙をぶら下げ、家の前を行く人や近所に言いがかりをつける。
大した音をたてているわけでもないのにうるさいだの何だのと文句を言いにくる。
挙句歩いて居るひとの前にゴミを投げつけ、こんなに散らかして、などと言いがかりをつける。
うちでも何度か家にまで来られたり、歩いて居て言いがかりつけられたこともあるが、ことごとく無視してきた。
周囲にうるさいと文句を言いながら、夜中に自宅から三味線の音が聞こえたりしたこともあった。
旦那に暴力ふるわれたと警察を呼ぶこともあった。警官も対応に苦慮していたが。
近頃は老いが進んだのか、老人介護施設の車が家に前に停まって居ることも増えた。
とにかく関わりたくないものだて。
年収500で東京通勤圏に新築戸建てを持つって無理だと思うでしょ? 実は埼玉では新築戸建てがすごく安い。
30坪4LDKでも2,500万あれば志木あたりでも余裕だし、タイミングがよければ2,000万を大きく切るものも見つかる。
低金利の今、2,000万の家を買ったとすると、フラット35で月々の返済はなんと5万円台。ワンルームの家賃並。
貸してくれるかどうかは別として、年収300万だって返せる。今は100%ローンが可能なので頭金すらいらない。
もっとも、諸費用等別途200万ぐらいはかかるので全く貯金なしでやろうとすると難しい。
でも、そのくらいは親のスネをかじっても許される。
で、なぜそんなに安いのかというと、パワービルダー(最近、よくCMやってる飯田グループとか)が安い家を建てるから。
建築費は30坪で850万~と言われている。1,000万の土地に850万の家を建てれば、そりゃ2,000万未満でしょう。
土地の形状に対して既存の建物の設計を割り当てるので、設計費を大きく削減できる。そしてプレカット工法とかで職人の技を必要としない。そのあたりが安く建てられる理由。
その1,000万台の土地が外環から武蔵野線沿線あたりにかけて点在している。乱暴に言うと三郷から所沢にかけて扇状に。和光、朝霞、戸田あたりは高いのだけど、新座なんかは練馬区に隣接してるわりには安い。
そのエリアから山手線まで20キロぐらい。電車で30分程度。通勤圏、といって過言ない。
そんなに安普請の家で大丈夫かというと、これは実際に大きな地震がきてみないとわからない。熊本地震に関しては2000年の基準で建てられた家の倒壊は7軒だそうで、これならば耐震基準を信じてもいいんじゃないだろうか。
耐震基準には等級があって、パワービルダーの中でも最高等級を取っているところもある。
揺れだけでなく大規模火災とかもありうるので、ダメなときはダメとして地震保険と復興支援で888万の家を建てる方針でいいんじゃないかと思う。なんせ土地は残ってる。
どうせ首都圏には近々大地震がくるのだから、持ち家はそれがきてからでも遅くないと思ってるうちに、家賃で1,000万以上払うことになった。払った家賃は家主の財産として吸われただけ。失うだけで、後に何も残らない。
色々安く作ってあるなと思うけど、居住の快適性はほぼ問題ないレベルだと思う。昔の家は高級車品質で作ってある。木造モルタルのみすぼらしい家だって職人の技でできてる高級品。
それに対して軽自動車品質で十分じゃね? というのがパワービルダー。でも、今の軽自動車はそこそこ快適。サスやらボディ剛性やらの乗り心地の差を感じる人は高級車を買うべきだけど、オーバースペックに金を払うのをナンセンスだと思う人はこちらがいい。
例えば、パワービルダーだと屋内の扉はダンボールに近い素材なのだけど、ぱっとみじゃ全然わからない。ネコ用の扉をつけるのに穴開けてみるまで木だと信じてた。扉が本物の木である必要なんてなかった。いわば、ダンボールハウス。
そもそも、ある程度の住宅性能じゃないとフラット35Sの適用を受けられないから、その基準を満たすように作ってる。
実際、省エネ性能は目に見えて高くて、エアコンの電気代とかびっくりするほど安い。エアコン自体の省エネ性能が上がってるのは間違いないけど、家の断熱性が前提。
家の質感とか大事なのはわかるんだけども、倍以上の値段の一流メーカー戸建ての床も合板なので、モデルハウスなんかに足を踏み入れた瞬間の質感に大きな違いを感じない。設備は確実にいいけども、そういうのはあとから必要なものだけ変更できる。
ウォシュレットの使用感は値段に大きく左右されるし、電気代も大きく変わる。安物だと、冬季の電気代は2箇所のトイレで月に千円を超えるからバカにできない。ガスコンロも出力が低い。入居前にアップグレードができるならやっておきたい。
最低限住めるようにするのに、新築戸建はカーテンとか網戸(付いてる場合もある)とかアンテナ(今の時代いらないかな)とか、一部の部屋にエアコンを入れて、30万。家に合わせたちょっといいダイニングテーブルとか食器棚とかソファーとかを買うと20万は軽く飛んでゆく。で、イケアとかニトリとか中古家具屋とかにしばらく入り浸るようになる。まあ、楽しい出費だけど。
床のコーティングは永久のやつとかあるが、数十万。高いけど現実的に入居前にしかやれないから、すぐに決めなくてはならない。数十万は出せなくても、最低でも耐久性2年とかのウルトラタフコートなワックスを塗っておきたい。コーティングなしだと床は10年と持たない。
問題はといえば駅までの距離で、安い土地を狙って宅地開発をやるので、必然的に遠くなる。
パワービルダー系は駅まで徒歩20分以上。通勤は自転車とかでなんとかするとして、生活の足として車が欲しい。
車の維持費で大きいのはなんといっても駐車場代なのだけど、戸建ての場合はこれが永久に0円で済む。
軽自動車なら税金、車検点検整備、保険合わせても月1万ぐらいだろう。車両費も10年乗り潰すとすると月1万。ガソリン別。
月2万を高いとするか安いとするか微妙な線だけども、首都圏でも車があった方が楽しいし、便利。2万の価値はあると思う。
車にプラスしてスクーターがあれば5キロ半径が日常行動圏になる。125ccなら、20キロぐらいの遠出もこなせるから、電車に乗らないで池袋に行くこともできる(駐輪場は探せばそこそこある)
今後、人口減少してゆくので、資産として持ち家の価値が上がる可能性は皆無といっていい。
35年後(繰り上げ返済で20年後)お金を払わなくても住める場所を確保することに魅力を感じる人向け。
賃貸では家賃に含まれているので意識しなかった出費として、固定資産税とか家の維持費とかかかってくる。
固定資産税は10年間住宅ローン減税分でほぼ相殺できる。期間終了後でも、家屋の価値が減少してゆくので安くなってゆく。大した金額ではなくなる。
急に駅ができて、土地の価格が跳ね上がるとかであれば無視できないくらい上がるかもしれないが、そういうところはそういう情報を握ってる人が先に買い占めるので安心してよい。
維持費は屋根とか外壁とか給湯とかで定期的に100万の単位でかかってくることを覚悟しなければならず、それに備えて月に1-2万は貯蓄しておかなければならない。
2,000万の家なら、ローン返済とその他経費を足しても、賃貸に比べると、それ以上の金を節約できてる筈だから、問題ないだろう。
スーモを例にとると、埼玉の新築戸建で2,500万以下、土地、建物面積をそれぞれ90m2以上の条件を入力すると、リアルタイムで地域ごとに登録件数が表示されるので、そこからアタリをつけて。
両方あった。
僕は元ライダーだ。
あの頃の僕は風にいつも逆らっていた。
隣りの車線にいるライダーに「勝負しようぜ?」と合図だして、シカトされたりした。
本当に本当にバイクにハマりまくった。
でもまた、バイク熱が沸々とわいている。
買おう。
何でもいい。
安いのでもいい。
バイクを買おう。
そしてまた走り出そう。
風に逆らおう。
隣り車線と戦おう。
スクーターでもいい。
http://kakaku.com/bike/ranking/
いやっ、高い。
駄目だ。買えない。
レンタルがいい。
http://www.rentalbike.co.jp/rental/pricelist.php
これならいける。
今日の昼頃インターホンが一回だけ鳴った。郵便物を頼んだ記憶はないしパジャマ姿だしで面倒だったので居留守を使った。物音を立てぬよう、しずかにモニターをのぞくと50〜60代と思われる作業着姿の男性のようだ。不在票をポストに入れたら出よう、と思った瞬間男性はなにやらメモをとり、スクーターで走り去ってしまった。これ、空き巣の下見だったらどうしよう。考えすぎだろうか?
すっかりビビってしまったので対策方法を教えていただきたいです。とりあえず今通帳をまくらの下にしいて寝てる、、、居留守したこと後悔。
自分…女 初めてのひとりぐらし
家… 住宅地 長屋風のつくりでメゾネット。1階はキッチンとリビング、2階は寝室とベランダ。
侵入できそうな箇所
ドア→タイプとか詳しくわからないけどノーマル?な鍵がひとつ 家にいるときはチェーンを欠かさず着ける。
1階のサッシ→外からだと建物の裏側に入らないと無理で一戸建てのお隣さんと密接している。雨戸をしめてる。
半日ちょっとでAmazonから荷物が届く社会は狂っている - シロクマの屑籠はタイトルで損してると思うんだよな。
シロクマ先生は要約が下手なイメージ。全部読んでくれないと伝わらないからというあえての外し方なのかもしれないけど。
「鮮度関係無いモノまで早い方が良いがプラスポイントになってる→生活のテンポ早すぎだろ」で、シロクマ先生の焦点は「時間意識しすぎた生活はクレイジー」だろ。
まあ、配達が早い方が良い、つまり、生活も早い方が良いと思ってんだろ!というところに飛躍があると思うからみんな反発してると思うが。
俺もまあ、違うと思うんだよね。生活のテンポは変わってないと思うよ。
運送の目線から見ると、もっと早く!もっと速く!じゃないんだよね。
もうここ何十年かずーっと一貫して「もっと便利に!」なのよ。
運送会社って、すんごくたくさんあったけど、中小軒並みヤラれたからね。
飛脚な会社は「手渡しするよ一個口から引き取りに行くよ一個口から」サービスでモリモリ成長した。
大都市圏なら朝一集荷で昼には飛行機、午後には配達できる即日便も整備された。
最近の話じゃないぜ?これ、30年は昔の1980年代の話だぜ?
やっぱ速さじゃないかと思うなかれ、便利さの話なのよ。
「荷物は早い方が良い」ではなくて、「この荷物だけはなんとか届けたい」なのよ。
ピアノ運送屋ぐらいしか精密機器運べなかったが、昨今はパソコン程度なら余裕でいける。
これなんとかならんか!これ届けてもらえないか!
例えば、燃えフィギュアは街のおもちゃ屋には無い。島本和彦とか。
コレは判りやすい。売ってないんだものリアル店舗に。そりゃネットで買うわな。
じゃあ「近所でも小売店にあるもの」で競争するには?買いに行くより便利になれば良い。
生活のテンポが早くなったんじゃなくて、スーパーに買い物に行くのと同じテンポで、ネットで買い物してるだけじゃないかな。
(生活のテンポが早い、なら、コンビニが雨後の筍のごとく出来た時期にすべきじゃないかな)
Amazonがすげー早いって話してるけど、これはまあ、効率化の話なんだよね。
例えば、今東京から大阪に行こうと思って、2万払えば臨時列車を仕立てて載せてくれる、ならビビる。
でも、東京から新大阪に2万かからず新幹線に乗れる、何の事前連絡もなしに。これはビビらんよな?
つまり、輸送網が出来てて定時運行できるなら、そこまで大事じゃ無いわけだ。(維持に不断の努力はあるが)
もちろん大変なんだが、ブザー鳴らしたら降りられる手をあげてたら止まってくれる田舎のバスとそう変わらない。
循環路でウロウロしながら集荷して配達してを繰り返すわけだから、新聞配達がスゲーって言われてるのとあんま変わんない。
空港便でもトラック便でも、荷台がカラだと勿体無いよな。手間あんま変わんないし。
じゃあ、「荷物が大量で荷台に載り切らない」とスゲー大変になるのは判るよな。
だから混む時期には送らない方が良いわけだ。送らないでくれ。
でまあAmazonの更に早いサービスはスゲーと思うけど、大手スーパーでもお買い物カゴ1個当日配達とかやってるし。
結構地方のコンビニとかスーパーで、スクーター配達とかあるよね。ピザ配達もそうか。
つまりは、アレの凄さは品揃えのピンポイントさなんだと思うわけさ。
結局のところ、シロクマ先生が受けてる便利さは「おこぼれ」なんだと思うわけさ。
「え?こんなマニアックな本(偏見)が半日で届くの?良いよ一週間後でも」とか思ったと思うんだけど、
貨物輸送的には、ソレ別送するほうが面倒だから。トイレットペーパーだのゲームだのと一緒に運ぶから。
スーパーや家電量販店に行くよりも便利にした結果、余録としてマニアックな本も運べるようになってるだけだから。
荷物がトラックに載れば、そこに至るまで数時間だろうが一週間だろうが同じだよ。
じゃあなんで歪みとかタイトルに入れたかって言うとさ、金、ゼニ、マネーを払う気ゼロだから。
『もうちょっとチンタラ届いたって構わないのに。』とは言うけど、カネプラスしようか?とはならない。
飛脚の会社が大都市圏ロケット便を広げた時は、商業関連でお金はちゃんと取ってた。
だからまだAmazonの一時間以内便は、運送屋としてはスゲーな、で済んでる。
1回2500円以上買え、890円の運送料だ、とカネ取ってるから。
カネを払わないサービスが増えるのが歪みだよ。
載り切らない荷物でも、そりゃ運ぶわけさ。
荷物が少なければ何回運んでも大した手間じゃないよ。
ここまで書けば判るだろうけど、巡回に苦労したり、あっちやこっちに運ぶと、大変だよね。
うふふ。わかるぅ
朝5時に起きて飯を炊けって何時代だって話よねぇ。炊飯予約があるっつーのwwwねぇ?
ゴールデンウィーク的な(田植え休み期間ね)は田植えしろってのもちょっと切ないよねぇ。でも子供だから本来乗りものじゃない田植えマシーンwに乗って移動できて楽しかったなぁw今考えると超危ないけどw段々畑の一段が数メートルあるところのキワキワをターンしたりして命がけ感あるわねwだけど田植えは割と楽しかったから児童労働感はないわぁ。
風邪でどんなに死にそうで世界が回ってても吐いてても起き上がれなくても、ご飯の用意しなきゃいけないとかいうのが辛かったよねぇ。
でもその後、そんなことを強く強要した家族が私よりひどい症状になってたからちょっと黒いけど楽しかったわ。子供でそれだけひどい症状になるんだから年寄なんて死の淵までいくわよねぇ。
ああ、そうそう夏休みはどこにも行かずに、毎日ひたすらのび続ける雑草を鎌で狩るのが大変だったわね。
炎天下だし。大人はエンジンの付いた草刈機を使うけど子供は鎌しか使っちゃダメなんだって。毎日毎日まめがつぶれてもつぶれても終わらないのよね。まぁマメをつぶしたのは軍手するのを面倒がったせいなんだけどね。おかげ様で手がハンパない分厚くなったわぁ。女子の手とは思えない立派な手よw努力は人を裏切らないってこういう事ね。ナウシカも私の手を見て立派な手とか言うに違いないわ。
ついでに扇風脚の練習もしたわね。足で草刈もできるようになったわ。細かい調節ができないから苗木も刈ったわ。でも今ぐぐったら扇風脚って空飛ぶの??地面すれすれを刈ってたんだけど・・・私の修行無駄だったかも・・・・ショックwww
草の片づけをするのも大変だったわね。干し草をばらけさせずにフォークでさして投げるって大変なのよね。
でも格闘技の修行だと思うと楽しいのよwwwあれは嫌じゃなかったわ。しっかり腰を落とすのがポイントよ。上半身がブレると途中にバラバラと枯草が落ちるのよ。雪かきといっしょね。遠くに投げるのには練習がいるわ。
親戚の小学生は「男だから」とかいう理由で2トントラックとか運転してたわね。いくら自宅の畑の中で背が大人と同じくらいあるとはいえあれはいけないとおもうわ。教習所の意味がなくなっちゃうもの。
あと畑と田圃の管理の為ならスクーターは男は乗っていいことになっていたわ。児童労働よねぇ。でも本人は楽しそうだったわよ。スクーターに乗れるなら水の管理もするといった具合ね。
おとこってばかねぇw
稲刈りもたいへんだったわね。
干すところを作るために竹をいっぱい運んだわ。刈った稲を運んで干すのよ。わらをフカフカの椅子にして食べるおにぎりは美味しかったわねぇ。
干した米を脱穀機に投入して、最後には落ち穂を拾ってたき火でポップコーンならぬポップ米よ。
「落穂ひろい」っていう外国の有名な絵があるけれどあの景色は国境を越えてるわね。「外国の人も一年の収穫が今日終わって夕方、落穂ひろいをするのね。そして切ないようなほっとしたような気持ちになるのね」って子供心に思ってたものだわ。
そういえば茶碗を洗う話だったかしら?
あれも研究に研究を重ねたわ。仕事をしながら子育てもする今となってはそんな暇はないけれど、子どもだからたっぷり時間をかけて研究したわ。
自然の素材の石鹸水。これで茶碗を洗うのは滑るのよぉぉ。だけど親は合成洗剤は買ってくれないのよね。自分で洗わないから知らないのよ。プリプリ。
そうね、どうせだから、私が小学生の頃研究した結果を発表するわ。
2~3リットルの水に適当に洗剤を入れてから、指をちゃせんみたいにして、泡を立てるの。泡がブクブクたてばちょうどいい濃さの石鹸水よ。泡がちょうどよくブクブク立つような石鹸水作るのには修行が必要よ。
それから、その石鹸水の中に、あらかじめ汚れをだいたい落とした皿を入れて、持ち上げずに水の中で洗うの。石鹸水はすべるから持ち上げたらだめよ。落として割るわ。このとき中身が泡で見えないけどカンで洗うのが正しいやりかたよ。
何年も研究してようやくこの境地にたどり着いたの。そんなこと真面目に何年も追及するなんて時間のある小学生でしかできないことよ。まぁぶっちゃけこの児童労働には私感謝してるわ。
さぁ、ナチュラル派の皆さん私の知見を役立てなさい。指で泡立てるのがポイントよ。石鹸水はそのままとっておいて、後でまた使いまわしができるわ。指で泡立つなら再利用可能。泡立たないならもうダメ。優しい!地球にやさしい!
だけどね、だけどね、ナテラバンザイ!私ナテラを始めて使ったとき、ちょっと泣いたわ。茶碗を持ち上げたとき滑らない。泡立てた水を使った洗いかたじゃなくても汚れが落ちる。すごい。合成洗剤すごい。だから今でも私合成洗剤が大好きよ。というか合成洗剤しかつかわないわ。うふふ。ナチュラルなんてくそくらえよ。
父親から言われたのよぉ。「ルーチンワークを何も考えずにやるやつはバカだ。常に考えろ」ってね。
私、その命題があったから、子どもなりに一生懸命考えてたのよ。毎日の同じような仕事の何をどう考えるかってことから考え始めたわ。
子供の頃にやったから落穂ひろいにノスタルジーを感じるし、私が考えた最強の洗い方も発見できたし。修行しながら草刈もできたし。
だからアンタはかわいそうね。考えろって言ってくれる人がいたら違ってたのかもね。
アンタだって一生懸命やってればなんかアンタも知らないうちに結果が出てるわ。多分ね。
一生懸命やってなかったら、、、、やっぱアンタかわいそうね。
泣いていいのよ。
つらかったわね