はてなキーワード: ぼんやりとは
精神の波が激しくて困る
ぼんやり胃が痛くて困る
生理来ない
ダイエットしんどくなってきたけど太るの怖い
なんか憂鬱
そのたもろもろ
全部平気な日もあるし、
わたしの生きづらさは全部自分の努力で解決するしかなくてつらい
全部気の持ち方ってわかってるし、
状況を打破する為に何をどうしないといけないか考えて行動に移したい気持ちはあるけど、何から手をつけていいかわからず
順番つけてひとつづつ解決していくしかないのはわかってるけど、問題が次々増えていく
日曜日もう終わる
気合入れねばね
みんな頑張りましょう
出ているアルバムは手に入るものならインディーから輸入まで、ほとんど揃えていると思う。
なんなら、国外向け限定ボーナストラックのためだけに全く同じアルバムの国内版と国外版を買うぐらい。
もちろんサブスクでも全曲チェックしている。
ライブについては、その歌手を知った後は来日していないので海外まではさすがに行けていない。でも、コロナが終息して、もし来るとなれば地方住みで家庭があるけど家族と職場に頼み倒してでも行く。そのぐらい好きだ。
と、前置きが長くなってしまったが、その歌手の中でいちばん好きな曲がある。が、それはリリースされておらず、その曲に出会ったのはYoutubeにアップされていたライブの盗撮と思しき動画だった。つまり、大好きなその曲をどれだけ聴いても歌手に還元されないということだ。
SNSで歌手の話をするときも、公式の動画を貼るようにしているぐらいなのだけれど、その曲はどこを探してもその盗撮か、あるいは別の一般ユーザーが勝手にライブを録画した音源か……盗撮と変わらないものしかない。
私が仮に億万長者なら、リリースの代金を全て出すのにな、などとかなわないことをぼんやり考えながら、そして罪悪感を紛らすために、正直イマイチと思っているアルバムだとしても買えるものにお金を出しながら、そうやって私はまた、盗撮された好きな歌を聴いてしまうんだろうと思う。
嫌いなものへの呪詛ばかり書いていても不健康な感じがするから、好きなもののことも書こう
愛してはいないなあ そもそも愛ってなんだ?みたいな話は置いておくとしても、どんな定義だろうと愛してるってほどではない気がする
でも嫌いでもねえんだな むしろ好きではある
何が好きか
やっぱ桜島が好きだな
あれ、多分もうちょい近くに住んでたら灰に悩まされてかなり嫌になってた気がするんだけど、俺のいたところではちょうどいい青春のフレーバーくらいに収まってくれていた
風向き次第でときどき灰が降って、髪がゴワゴワするとか机がザラザラすると言って笑う 掃除の時間に集めたゴミが灰まみれでびっくりする そのくらいだった
野球部がいいとこまでいって鴨池の球場まで全校応援に行ったとき、ちょうどメチャクチャ噴火してたんだよな
砂嵐が来てるときの中東の街ってこんな感じなのかなってくらい町中が黄土色に染まっていて、視界もそこそこ悪かった あれは興奮したなあ
応援中も灰は降り続けるもんだから、家に帰ってシャンプーをしたらもうまったく泡が立たない これが桜島の洗礼か、と思ったっけ
やっぱぼんやり好きな程度だから、ビミョーな話しか出てこない 鹿児島に対する強い情動がない
いっそ好きなTwitterの人の話とかしようかな いいのか?それ 別に罵るわけじゃねえからいいか
でも俺だったら増田で自分のアカウントが誉められてたらすげー気持ち悪いしくたばれと思うな やめておこう
弁慶外伝はSFCのソフトで、Wiiのバーチャルコンソールを通じて小学生〜中学生のころに遊んだ
和風ドラクエ みたいな感じのゲーム性で、日本全国に一応行けるのが印象的だったな
なかでも好きだったのが鳥取のエピソード トトリっていうすげー適当な名前の村があって、拡がり続ける砂漠に呑まれそうになってるのを助けるって話だった
鳥取に一切興味ない人が適当に砂丘のイメージで作った雑なエピソードって感じがバリバリ出ててメチャクチャ良かったんだよな
鹿児島なんかたしか火山っぽいのがおざなりに置かれてて、人間は一人もいなかったな
なかなかひでーゲームだったけど、なんか好きだった
なんなんだこれは 俺は好きなものについて語りえないことがわかってきた
ギャグ漫画日和は「もし〇〇が△△だったら」ってシチュエーションコメディなのかなーとぼんやり思った
もし、ペリーが舐められてたら
昨日開封した、Amazonで19980円のクロスバイクが、今朝みるとブラックフライデーとやらで16980円になっていた。
体感24時間もたたないうちに、15%引き、3000円の損である。
悶絶のあまり、風呂に1時間以上つかり、この感情の激しさを抑えるべく増田に吐き出すことを決めた。
近くのイオンでその名のセールを知り、「金曜日に安売りセールするのかな。リキ入っているなあ」などとイオン特売セールだと思っていた。
その後商店街の靴屋でもロゴを見かけ「もうちょっと広範囲なキャンペーンかなと」ぼんやり意識したのが昨日。
ブラックフライデーが、アメリカでの感謝祭にむけた年一の大大的なお祭りセールであることを数分前にwikipediaで知った。
amazonのブラックフライデーが2020年は11月27日、つまり今日始まることは前から決まっていたことも、1分前に知った。
ダイエットのために2か月近く毎日自転車で1、2時間ほど走っている。だが所有しているのは14インチの折り畳み自転車のみ。
軽いのはいいのだが、シフトギアもないので速度は普通に漕いでママチャリに劣る。電動なら前後に子供二人のっけた状態でも抜かれる。
ましてやサイクリングロードではロードバイクやクロスバイク、20インチの折り畳みバイクにも抜かれる。
最弱である。
気にしないつもりでも、鬱積は弱く静かに淀みとなって残る。
検討の末、20インチの9段ギア付きの軽量(8.9kg)折り畳み自転車をネットで7万で注文した。10月頭のことだ。
しかし取り寄せということで11月に入っても入荷せず、ついには12月の中旬以降というお知らせまで来た。
同じ製品がamazonでも販売されていることは知っていたが、ポイント割引など踏まえると1万円ほど高い。
この差は大きい。その時はそう思っていた。
入手まで一か月以上この状態に耐えることはもはや苦痛であった。
今の注文をキャンセルし、割高でもamazonで買う選択肢もあった。
しかし安ければ700Cホイールのクロスバイクを別に買うのもよいなと考え始めていた。
通りすがりのスポーツサイクリング車の店でパンク修理をお願いした際、後輪の外のタイヤが破れていると指摘された。
最安の品で、あまりの固さに交換に手間取ったが、その際の、タイヤを外したり調整した経験が自転車欲を高めた。
もともと学生時代はクロスバイクで休みにはテントを担いで数週間ツーリングをしていたぐらいには自転車が好きだ。
そのころのものは手放して久しい。安いクロスバイクを買っていろいろいじってみるのも楽しそうだ。
1万円高いものを慌ててamazonで購入するぐらいなら、1万円のクロスバイクをメンテ能力をあげる踏み台として使おう。
そもそも5万以下の製品は自転車好き視点では見かけだけがクロスバイクの「ルック車」と呼ばれる。
すぐ壊れて危険、重い、パーツが独自で修理できない、実質ママチャリ、ロードバイク乗りからはすれ違い様侮蔑される、など散々な扱いである。
まあだが、だからこそ安いほどいい。
極端に評価が低くなく、購買者が多いもので、できれば1万円台。
そして注文したのがamazonで19980円の3x7段シフト、13.5kgの格安クロスバイク(ルック車)であった。
5日前のことである。
到着した日は仕事で開封できず、翌日、つまり昨日の午後に開封した。
想像よりでかい、重い、ブレーキハンドル・グリップ・サドルが安っぽい。
タイヤの細さもロードっぽいというより軽さと安さのためではとうがってしまう。
空気バルブはママチャリと同じ英式の虫ゴム形式。試しに抜いてみると臭いガスのにおいが漏れる。
前輪はクイックレバーで自力でつなげる必要がある。後輪にはクイックレバーはなく接続済。
同封のマニュアルは汎用らしく、無いパーツや折り畳み自転車用の詳細なメンテ情報が記載してある。
室内でビニールシートを引き、前輪・サドル・ハンドル・ペダル・ライト・チェーンロックをつける。
泥除けは面倒なので今はつけない。ボルトのカバーキャップは一応つける。
もう日も暮れかけのころ、表で数十メートルだけ回ってみる。
前の3段ギアが2段しか動かない。ブレーキの利きは遊びが弱く固い。ライトは見た目がダサい。
でも走れないことはない。
大き目な公園まで行ってみようと車道で坂を下りギアチェンジしたとたん、後輪のタイヤが止まった。
後輪が左に傾いており車体に完全に押し当てられている。もはや前にも後ろにも動かない。
後輪をあげ、前輪だけで運ぶ。
すれ違う下校中の女子学生の群れを抜け、街灯の下、夜道を10分かけて帰る。
「君」を部屋に再びあげる。
後輪をまず外そう。
ボルトキャップを外し、レンチをあてると明らかに、一脚スタンドがついている側が緩い。
力を入れるまでもなくすぐに回転する。
おそらく最後の工程でスタンドをつけるとき、手抜きして締めたのだろう。
両方のボルトを緩め、タイヤを一度外し気味にして差し込みなおす。
車体をさかさまにして、タイヤを回転させながら、フレームの中央で回るようにタイヤを調整する。
ずれがないようにボルトを左右、少しずつ締める。
そもそも後輪については説明書にも記載がない。補助輪のつけかたの説明はあるのに。
2)ワイヤーの張り直し
3)ギア調整ネジでの調整
1では治らず、3で調整。本当は2を先にやるほうがいいようだ。
説明書にも「1速に入れらない症状の5割以上はワイヤーの張りが原因です」と記載がある。
ワイヤーの初期伸びとして最初から調整が必要なことが織り込み済なのだろう。
ネットの評価コメントでも自転車屋での調整必須という声が散見された。
説明書の記載も、別の個所だがボルトの強度(トルク目安)の記載がある。百円均一の工具ではわかりようもない。
ブレーキは効いている分には問題はなさそうなので、再び外に出る。
折り畳み自転車と比べると車体は重く、振動時に足とグリップへの緊張が高くなる。
そのグリップもカバーが薄く、すぐ手が痛くなる。これは要交換だ。
足が伸び切らないからか膝が痛くなる。
サドルの高さも少しずつあげてゆく。
速度は折り畳み自転車の倍、とまではいかないが1.5倍は出る。
その分、脚への負担は大きい。サドルで尻が痛い。そしてやはり車体が重い。
だが、2万円だし、こんなものだろう。
そして朝を迎えて、ブラックフライデーによる値引きを知る。
amazonの返品は条件つきで30日以内にできる。クーリングオフでも7日以内なら可能だ。防犯登録もまだしていない。
返却して買いなおしという選択肢もある。
自由がかえって心を悩ませる。
自由からの逃走、はエーリッヒ・フロムの言葉だったかと、風呂場で苦悩しているときに思い出す。
お年玉をあげる立場として、1000円だと子供も渋い顔をするだろう。5000円なら喜ぶだろう。1万円なら親が恐縮するかもしれない。
だが3000円だった場合。ぽち袋も微妙に膨らみ、もらいがいもあるだろう。小学校中学年までなら喜ぶかもしれない。
Uber Eatsは一件あたり500円、ドライバーは得るという。6件分である。
時給980円で3時間分。
先日、本屋で、間違えてすでにもっている「クトゥルフ神話TRPGサプリメント クトゥルフ2010(3800円)」を再購入したこともあった。
返却してすべてなかったこともできる。合理的とはそういうことだ。いや経験の分だけ得したかもしれない。
梱包して、コンビニで集荷して、amazon返却手続きすればいい。
自らの愚かさはそれで証拠もなく消える。
だがそれを今、自分は信じ切れていない。
このまま事態を受け入れることもできる。
3000円で動揺した自分の小物ぶりはすでに強く味わった。
合理的な行動により何かを得たようで、その合理性に過ちがあり、何かを失った。
とにかく、もう一度だけ、あれに乗って、それから考えようと思う。
すごく長いよ。
私と姉は、もともとかなり仲の良い姉妹だったと思う。
私は姉のことが好きだったし、姉もなんだかんだで私のことを可愛がってくれてたし。
姉と姉の友人、あと私の3人でディズニーランド行ったこととかもあった。
あの日までは。
姉には長年付き合っている彼氏がいて、まあ中身は良い人なのかもしれないけど、恋愛経験の少ない当時の私にとっては、結婚適齢期の姉と付き合いながらも5年も6年も結婚に踏み切らないなんてケジメのつかねえ男だなあとしか思えなかったし、よく姉が部屋で彼氏に電話しながら泣いていたのが聞こえていたので、お姉ちゃん可哀想だなって思っててあんま彼氏に良い印象がなかった。
そんなある日のことだった。
近所のスーパーから帰ってきた母だか父だかどっちかが「姉ちゃんの彼氏が女の子たくさん連れてスーパーにいた」と言ったのだ。
よく考えればなんかそういう女子比率めっちゃ多めな集まりとかだったのかもしんないけど、今までの経緯もあり、たちまち私の姉彼への好感度は他に落ちた。
それから少しして、なんだかんだありつつも姉と姉彼は本格的に結婚が決まったらしい。
でも私は不安だった。
今までの姉の、彼氏と接するときの情緒不安定さと、なんとなく信用できない姉彼の振る舞いを見ていて、この結婚上手くいく気しねぇなあとしか思えなかったのだ。
ちなみに当時、私にも結婚の話をしている彼氏(現旦那)がいた。
……で、馬鹿な私はうっかり彼氏に「姉と姉彼の結婚に対する不安」「姉への愚痴」をぽろっと愚痴ってしまったのである。
そしたら彼氏の奴め、酒の場でベロンベロンに酔っ払った時に、私から聞いた姉と姉彼の愚痴を誰かに言ってしまったらしい。
(彼氏本人は言った記憶ないと言ってるけど、姉は「お前の彼氏が言ってた」と言ってたようなので多分そうなんでしょうな)
……そして運が悪いことに、その宴会場にいた誰かが姉の知人だったらしく、その人から姉へと「姉及び姉彼への愚痴by妹」が行き渡ることとなる……
そしてそのすぐ後に私も結婚することになったのです。
……そのことも気に食わなかったのかな。
そして私の結婚後数ヶ月が経った頃のこと。
姉より「嫁に行ったんだから実家に帰るときには親に連絡くらいするべきだと思います。親も迷惑していると思います。あなたには常識が無いんですね」みたいなLINEが届くようになり(怖くて見返せないので内容は曖昧です)、私は布団に潜って震えました。
もともと実家とは近所だし、私は母と仲が良くちょいちょい連絡を取り合っていて、その中で「今日行っていい?」「ええよ」みたいな感じの話が出て気軽に実家行くという流れが普通だったんで、あんまり自分が常識外れなことをしている意識はなかったので余計に怖かった。
その一件を経て、それまでは「私にも悪いところがたくさんあった……お姉ちゃんに申し訳ない……」という気持ちだったのが、「おー嫌われてんなぁ私…怖いわぁ…」という印象になってしまいました。
でも姉たちにはまだ子供いなかったので、周りからは姉たちについていろいろ聞かれたりしてましたが(つーか、いつ子供作るとか夫婦の勝手じゃない?アレ詮索するやつ何なのマジで?)、「あー、お姉ちゃんたち共働きだし仕事忙しいからじゃないっすか?(適当)」とぼんやり誤魔化していました。
そして私は両親に妊娠を告げました。
姉には先述のLINE事件から一度も会えていなかったし、直接言うの怖かったし親から伝えておいてくれるってことだったので親に言伝を頼みました。
で、時は流れて私は出産しましたが、案の定姉は出産見舞いに訪れませんでした。
少し寂しさはあったけれど、まあ私もあんなことしちゃったわけだし仕方ないよなと思いました。
(ちなみに姉旦那は産後お見舞いに来てくれた。親戚付き合いするうちに分かったけどパッと見ちゃらそうに見えたけど良い人だった。今までごめんね姉旦那氏…)
それから2年の時が経ち、娘は2歳になりました。
いまだに娘は姉と会ったことがありません……
年賀状も来ません。
盆暮れも会えません。
私は母の姉と兄にすごく可愛がってもらってきたので、自分の過ちで「娘が伯母に可愛がって貰えない状況」を作ってしまったことが申し訳なくて仕方ない。
そして私は現在第二子妊娠中なのですが、きっとこの子が生まれても姉は私と会ってくれることはないでしょう。
むしろ今回、姉は私の妊娠についてすら知らないかもしれません。
この経験を通して、私は人生ってのはほんの小さな軽率な行動で思わぬ方向性に進んでしまうんだということを学びました。(小並感)
あ、でもホントにイヤなヤツとは縁切っていいんだよ!
ここに縁切られたやついるからね!
自信持って縁切れ!!
何言ってるかよくわからないが単純にジャップは競争に負けただけじゃよ
別にAmazonやSalesforceやCiscoやOracleみたいなのは日本でも可能だったはずなので
日本のじいちゃんばあちゃんは特殊需要の運にも味方されて、ハードワークでメイドインジャパンを作り上げたが、
その孫たちはろくに働かなかった、ただそれだけ
1代目がハードワークで財を成し、3代目が家を潰す 的なことわざがある
しょぼいミニチュアの森が映ってた
カメラがグーンと画面奥に向かって移動した
それを観て昔勤めてた映画制作会社の作品かなあとぼんやり考えていた
世界的ヒット作品を制作していた会社なのに、なんであんなショボい映像を制作したと思ったんだろう
夢の中の自分は起きてるときの自分にはまったく考えられない思考や行動するときがあるのはなぜなんだろう
というか、自分に芸能界とか映画業界は向かなかったなあと思った
おわりー
在籍したまんまだったらシ○ゴジとかも関われたのかなあ
まあいいや
ティッシュを濡らしに流しに行かなくても、布巾の衛生管理に気を配らなくても、いつでも、ウェットティッシュを使えるという便利さを知ってしまった。ポップアップタイプの卓上ケースもよくできている。
子連れが、出先でよく引き出し式のウェットティッシュ持ってるよな、とは思っていたけど、なるほどなぁ、という感じ。
最近、雑貨屋によく売っている折り畳み式の踏み台、あれを洗面所に置きっぱなしにする。
子供が、乗ったり座らせたり、というのはもちろんなんだけど、自分も頻繁に座るようになる。靴下を履く時とか、傷の手当とか、スキンケアとか、爪を切ったり、ぼんやり座りながら歯磨きしたり。割と万能に使えてよい。邪魔なら畳めるし、今までなんで洗面所に椅子なかったんだろう、って思う。
別にアルミとかでもいいけど、軽くてわりと大き目の奴を、ズボンのベルト通しにつけっぱなしにしておく。
子供がいると、どうしても両手を使いたい事が多いから使い始めたんだけれど、レジ袋とかを腰に引っ掛けておける。いざってときに両手を使えるようにできるのは本当に便利、あと人としての最大積載量も多少増える。護身用にも使えるかな(ぉぃ)。
善逸と禰󠄀豆子のカップリングが苦手だ。
まず最初に断っておきますが、作品およびキャラクター個人を否定する意図は一切ありません。
善逸も禰󠄀豆子も魅力的なキャラクターで、キャラ単体で見るととても素晴らしいと思っています。どちらも私は好きです。
二人が結ばれるという流れが苦手なだけで、ぜんねずを好きな方やぜんねず作品を否定したいわけではありません。
ですが、お好きな方にとっては不愉快この上ない内容かと思いますので、この先の文章は読まないことをおすすめします。全てが憶測だらけの喪女の訳の分からない妄言で構成されていますので…。
TwitterなどSNSでイラストなどを上げていらっしゃる様子は私自身のTLに流れてくるので、よく目にします。ミュートやブロックをして遠ざけたいという気持ちは全くなく、作品をUPされる方が誰かに遠慮して創作活動を躊躇うことの方が悲しいと感じます。そして嫌なら嫌だと思う側がミュートなり自衛すべきだと私は思っていますので。
話が逸れてばかりですが、ようやく本題です。
私は善逸と禰󠄀豆子のカップリングが苦手です。嫌いと表現するのはしっくりこなくて「苦手」だとかもっと言ってしまうと「怖い」です。
善逸は女の子が好きなキャラクターで、女の子なら誰でも良いのかな…と思ってしまいました。つまり、禰󠄀豆子以外に身近なところで女子がいればそちらに移ってしまったのではないかと。
禰󠄀豆子の場合は、鬼化しているという特異体質故に、ほとんど意識が混濁したぼんやりとした状態ですよね。おまけに言葉もまともに話せない状態です。
本来の彼女は明るく活発な少女ですが、善逸はかつての禰󠄀豆子の姿を知らないまま初対面を迎えます。第一印象とはかなり強く人の心に残るかと思いますので、善逸の中での禰󠄀豆子の印象=大人しい子という認識がインプットされたのではないでしょうか。
本来の禰󠄀豆子の意思を無視して一方的に好意を寄せる善逸。しっかりと意識がある人物なら否定なり受け流すなり、その好意に何らかの対応を取れますが、禰󠄀豆子の場合は意識を奪われているような状態ですので一方的に好意を浴び続けることになります。本来の禰󠄀豆子がどう考えているのかも分からないまま。本来の彼女が嫌悪感を示すか好意的に受け止めるか、そらっと流すかは分かりませんが。
この一方的な構図が苦手なのかもしれません。
女性側の意思が奪われた状態で、しかも女性ならば誰でもいいと思っているような人物(善逸は一途かもしれませんが)から、一方的に好意を示される。否定出来ない、流すことが出来ないから、余計に好意は燃え上がる。
更には禰󠄀豆子の兄、炭治郎と善逸は仲が良いために「彼になら妹を託せる」みたいな信頼を得ていく、外堀から埋めていくような関係性も苦手の一因かもしれません。(善逸と炭治郎にそんな意図はないかもしれませんが)
禰󠄀豆子の意識がしっかりと戻った際に、今まで好意を受け続けたが故に他の女性たちよりも禰󠄀豆子に対する好意が膨れ上がった善逸と、善逸に対する信頼感バリバリの炭治郎がいるわけです。
そして兄から結婚を勧められる、結婚しても良いよみたいなオーラを出されると、断ることも出来ないかというか流されるままに結ばれた…みたいに感じてしまいます。
あの時代の女性なら結婚や恋愛に関する自由さは少なかったかと思いますから、特に自分の意思を主張することなく、禰󠄀豆子の「なんとなく」という気持ちで結ばれたのかな…と。
この「一方的」な構図、禰󠄀豆子の意思が見えない構図が苦手です。
行き過ぎた過激な考えを言ってしまうと、先日逮捕された顔や学歴はいいのに、女性を強姦し続ける男性…みたいな。女性の意思を奪った状態で好意を向ける…みたいな構図が苦手です。
もちろん善逸は悪人ではありませんし、思いやりに溢れた優しいキャラクターですが、私は二人の恋愛に関しては「苦手」の意思を示します。
便乗することしかできないが、低温調理機の素晴らしさをもっと布教したい。メリットと向き不向き、そしておまけに鶏肉以外のおすすめレシピを書かせてくれ。
加熱時間こそ長いものの、調理している時間が本当に短い。ほっといても大丈夫。これが一番のメリットだと思う。
料理は温度、料理は科学。俺はそう信じてる。材料、加工、温度といった入力に対して、料理(物体)という出力が帰ってくる関数が料理(行為)。そのうち技術介入要素が最も高い温度要素を、技術要らずで固定できる。これは革命と言わざるを得ない。同様の理由で、オーブン、炊飯器、ホットクック等電気鍋のあたりは技術要らずで加熱が固定される。非常に便利なのである。しかも低温調理機の場合、温度が低い側で固定だ。肉料理が捗るな?
・弁当に向く
鶏胸肉は私も2年くらい週3で作ってる。低温調理のいいところは、冷めても、どころか冷たくても美味いところ。すなわち、弁当に入れてちょうどよいところだ。鶏胸肉なら高タンパク低カロリー低コスト、これが使えるか否かで昼食の栄養バランスがグッと変わってくる。私の低温調理鶏胸肉の一番の恩恵はこれだった。
鶏胸肉の話だが、下味つけるのもいいけど、ものは試しにオリーブオイル大さじ1と刻んだニンニクを一緒にポリ袋に入れて低温調理してみてくれ。あればブーケガルニとかのハーブ入れてもいい。完成したら切ってトマトソースでも塩コショウでもかけて食ってくれ。サラダに乗せてドレッシングでもいいぞ。
最後に裏技として、ほんのちょっと味の素を入れて調理するのもおすすめ。鶏臭さがかなり抑えられる。
・保存を効かせることもできる
袋を密閉して低温調理で殺菌。袋を開けなければ、そこそこ持つ。全く保証はできないので、ぼんやりとだけ。缶詰と同じ原理。保存を効かせるなら、いつもより温度上げて長時間やるようにしてる。
・食中毒
低温調理にはどうしてもついてまわる。心配なら増田なんか見てないで様々な研究がネットに転がってるから確認してくれ
低温調理は、63℃付近なら特にアクチンとミオシンの変性の話がメインになる。個人的な意見として、この温度は脂の調理にはあまり向いていない。脂を楽しむならトロトロになるまで煮込むようなコラーゲンの変性の話とか、焼いて香ばしい香りを楽しむとかになるので、脂身が多いところは低温調理に向かないし、低温調理でやる必要がない。
・魚はオススメできない
素人が手を出すものじゃない。超低温でやるコンフィとかは雑菌が繁殖しやすい環境になるし、照り煮とかやろうとしても生臭さが抜けないから結局霜降りからやることになって、なら普通に作っても手間は変わらない。アニサキスもいる。魚大好きで自分で極めたい人向け。
さて、レシピを書く。あんまり細かくは書かないので、色々察して作ってみて欲しい
月並みだけど、真っ先に作るべきは正直これだと思う。鉄フライパン、できればスキレットがあると嬉しい。
・牛肉かたまり(オススメはランプ-イチボ、筋をちゃんと引いたミスジ、ヒレ、もも肉など。)
・オリーブオイル大1
・ニンニク輪切り1かけ
・好きな香草
・赤ワイン
まず表面をしっかり焼く。この焼きはメイラード反応がどうこうもあるけど、殺菌の意味が強い。表面を焼いたらいったん肉をよけて、同じフライパンで赤ワインを適量入れてアルコールを飛ばす。フライパンについた焦げは全部肉の旨味なので逃さず赤ワインに溶かす。
アルコールが飛んだら材料全部耐熱袋に入れて、水没でもストローでも真空パック機でもいいので空気抜いて、58度で3-6時間。肉のデカさとあなたの好みで時間は変えてくれ。ただし6時間以内がオススメ。
低温調理が終わる30分前に、耐熱袋に小さじ1杯塩を入れて、揉み込んでおく。ここで下味をつけるのが一番美味く仕上がるのでオススメ。結構熱いので、手の皮が面の皮くらい厚くない限り素手ではやらないことをオススメします。私は素手でやる。
出来上がったらもう一度表面を焼く。これは香ばしさのため。2度焼きが私の結論。
あとはグレイビーソースなりなんなり作って薄切りにして食ってくれ。グレイビーソース作るとき、低温汁(低温調理後に袋に残る汁を指してこう呼んでる)を使うなら要注意。灰汁がいっぱいなので必ず一度加熱、アク取りとかで濾してから使ってね。
今でも月2回は弁当がこれメインになる。いつものタンドリーチキンを作る要領で漬け鶏胸肉を耐熱袋に入れて冷蔵庫で寝かせておいて、そのまま低温調理!スパイスに対する加熱の不十分さが気になるなら、スパイスだけ炒めてから漬ければいい。冷めてもうまいというか、冷めてたほうがうまい。
科学的に正しい昆布だしを取ろう。耐熱性がある麦茶ポットみたいな奴があると非常に便利。私は最近DAISOで「横置きできる冷水筒」っていう300円商品を買ってヘビーユーズしてる。とても良いぞ。
・水1Lに対して昆布15g何かしらの容器に入れる
・60度にして1時間
これだけ。さあ、美味しい昆布出汁が引けたな?残念ながら、昆布出汁が低温調理に使えるパターンはあんまり多くない。普通の煮物・鍋や、炊飯、味噌汁などに使ってくれ。
やりたけば、この後昆布を取り出して70℃まで上げて鰹節30gを入れて3分したら濾す。どこに出しても恥ずかしくない出汁ができる。お吸い物、だし巻き、茶碗蒸しなど、出汁の旨味を活かすタイプの料理に最適。
で、この出がらしの鰹節を85℃まで上げれば二番出汁ができる。出がらしは冷凍保存も可能なので、適宜貯めておくとよい。普通に火にかけたほうが早いので低温調理機を使わないほうがいい。味噌汁や鍋には二番出汁で十分。
この3つは本当に何度も作っている。某先生が激怒しそうなほど野菜がないが、野菜は結局85℃で30分で代わり映えしないし、普通に炒めたり煮たりして食ったほうが美味いと思ってるので。
さあ皆も低温調理沼にハマりに来い。そして温度を下げすぎて生っぽい鶏肉を食って、腹痛にならないか怯えながら過ごすアレをやるんだ。
↑がガチ勢です。cooking for geeksは読み物としても面白いのでオススメ。でも魚はオススメしない。
機材の質問があったけど、私はanovaしか持ってないので分からん、すまんな。耐熱袋はアイラップ。
ブコメでこんなのも良いぞ、ってオススメしてくれてる人、ありがとう。試してみる。
あと先生も言ってるけど、温泉卵もいいぞ!他のもの調理してるときについでに作るもよし、温度と時間を研究して自分好みの完璧温玉作るもよし。ただ、卵は温玉にしてからは痛むのが早いので、作ったら2日以内に食べよう。
匿名ダイアリーで二次創作の話が出てたので,ぼんやり頭の中にあった二次創作のライセンスについての構想について書いてみます.
以下のようなルールです.
現状,二次創作物は多くが黙認されている状態にあります.現在それで二次創作の界隈は成り立っており,それは素晴らしいことなのですが,一部問題を感じています.
この状況を解消する手段としてひとつ,原作者が「二次創作して良いです」と公言するという方法があります.
ただ,これは結構リスキーです.それを公言した後,二次創作について「そういうのはやめてほしい」というケースが発生した際,トラブルになる可能性があるからです.
二次創作に行う人という属性において少ないだろうとは思いますが,「二次創作していいって言ったじゃん,消したくない」とか言われる可能性がなきにしもあらずです.
この点で,いつでも「それはだめです」と言える黙認という状況は,非常に原作者にとって都合のいいものと言えます.
原則,二次創作については原作者に確認するのが正しいです.ただ,「二次創作する際は,毎回私に許可を取ってください」と公言すると,これまた大変なことになりそうです.
数件の許可程度であれば問題ありませんが,数十件,数百件と増えていくと,許可する側も大変です.
放置すると,「どうなんですか!」とか言われる可能性もあります.精神によくないですよね.
また,許可するというのはもうひとつリスクがあります.それは,「あの人には昔許可したのに,同じようなものなのに私のはだめなんですか!」とか言われかねない点です.
微妙なラインで,同じような二次創作でも嫌な場合があります.また,理不尽かもしれませんが,この人にはしてほしくないみたいなケースも当然あるでしょう.あと,昔は別に気にしなかったけど,気が変わったというケースもあるでしょう.一度許可した二次創作について,あとから消してほしくなったということもあるかもしれません.このようなケースにおいても,原作者の権利が尊重されるべきと私は考えます.
ということで,何も基準を示さず原則禁止,黙認という状況は非常に都合がいいです.ただし,黙認という状況は,真面目で慎重な人ほど迷ってしまうという問題があります.そして,そうやって迷いが生じる人は,相手のことを考えているという点から,問題を起こしにくい人だと思います(*要出典).そうやって迷いながら行うのが,二次創作の正しいあり方なのかもしれませんね.
でも,そういう人にこそ,二次創作をしてほしいというジレンマがあります.そこで思いついたのが,上記のライセンスです.
原則,二次創作は作者の許可なく行って構わないです.ただし,作者が「消してください」と言ったときには消す責任があります.
また,許可なく行ってよいですが,損害を発生させた場合には,損害賠償を行う責任が生じます.これは現状と変わりません.
二次創作を行う際に,周りの人に迷惑をかけないことを心がけることは当然だと思います.
気軽に行ってほしい一方で,それだけのリスクを背負う覚悟を持って,二次創作を行ってほしいという思いがあります(これは界隈の人には今更言う必要もない当たり前のことかもしれません).
あと,商用利用は禁止です.これはなんだかんだトラブルの種になるからです.商売として成立してからも,原作者は差し止めを請求する権利があり,二次創作者にはそれを果たす義務があります.
が,お金が発生すると絶対揉めます.商用での二次利用は禁止,やるなら二次創作じゃなくて,正式に原作者と取引して,お金を払ってやってくださいということです.
ただし,同人誌のような頒布物については,原価の回収はいいよねみたいな今のグレーゾーンを維持します.ただし,怒られたらダメです.
また,ちょっとややこしいんですが,二次創作ライセンスで作成された作品は,二次創作ライセンスで公開するという制限をかけることができます.そして二次創作ライセンスの作品を利用する際は,必ずその上へ,上へ辿っていって,すべての二次創作ライセンスが維持されていることを確認する必要があります.
3次創作となっていったときに,実は原作者はもう二次創作をしてほしくないと思ってライセンス公開を取りやめていたけど,二次創作の作品があるせいで,自分の作品の二次創作の二次創作が広まり続けるという事態を避ける目的があります.これは原作者の任意で指定していいかもしれません.Creative Commonsみたいな感じです.
あと,このライセンスにはもうひとつ狙いがあります.二次創作の許可不許可について,第三者が口出しできなくなるということです.
「許可はもらったのか」「著作権違法ではないか」と,コメント欄等で不毛な争いが発生することがあります.多くは,第三者同士が喧嘩します.
二次創作ライセンスを公言していれば,自分の作品の二次創作作品上で,このような不毛な争いが発生することを防ぐことができます.二次創作ライセンスで公開されてるから問題ないよで議論が終わります.
また,最低限これは嫌ということを明記することで,第三者が原作者に不適切な用途について報告しやすくなるという麺🍜もあります.
とはいえ,なんか考慮漏れもいっぱいあると思うので,完全なものではないと思います.また,法律的な見地からもよくわかりません.
利用は自己責任でお願いします.なんか話のタネにでもなればと思いました.
あと,これは個人が原作の作品を想定しています.商用の二次創作には展開されないと思います.
少しだけ愚痴らせてくれ。
わたしは昔、ある人を愛していた。彼女は気性が荒いが聡明で、好物を食べると目元が緩む、子犬のような人だった。結婚したいと思った。我々はとても気が合ったし、趣味も多く共通していた。
でも、結婚できなかった。理由は様々にあった。わたしの抱える問題。彼女の抱える問題。周囲の反対。
幾年かが経って、わたしは別の人と結婚した。優しく、愛らしく、そしてわたしのことを何よりも考えてくれる人と。今、静かに、幸せに暮らしている。
けれども、今でもなお、朝起きると、昔のことを思い出してしまう。あの時もっとこうしていたらよかったのではないか。後悔とも反省ともつかぬぼんやりとした思考が、まだ誰も起きていない明け方の空を見つめながら流れていく。もうどうすることもできないのに。
どうしてなのかはわからない。今でもわたしの魂の一部分はあの頃に置き去りにされていて、また一つになることを望んでいるかのようだ。
どうしていいのかもわからない。どうすべきなのかも。
ぼかして書く。
そこにおばあさんが(たぶん)住んでいる。
白髪で腰が曲がっていて、そういう年齢に見える人なので、おばあさんと書く。
いつも概ね同じ服。いや、服と呼んで良いんだろうか、あれは。
なんて言うか、何々を着ている、と説明できない格好をしている。少なくともコーディネートとかおしゃれとか季節に応じた格好とか、そういうのではない。
上着をいっぱい着ているっぽい。何枚も何枚も。何かの上に何かを重ね着して、一番上になんかこう、白っぽいクリーム色のキルト生地っぽいブルゾンを着ている。「着ぶくれ」と称してもいいのか迷うくらいに着ぶくれている。体型がよくわからないくらいに。
ズボンもたぶん2枚とか履いているように見える。黒か濃い藍色のズボンに、白い靴下?なんていうんだあれは?とにかく布地のものを何枚も重ねている。
頭にもスカーフ…というか布を巻いている。だからたぶんおばあさん。たぶん。
見かける時はだいたいそういう格好をしている。
夏は流石に枚数は少なかったような気がするが、依然として足に何枚も履いていたし上着も長袖を着ていたのでビックリした記憶がある。
そういうおばあさんが、その公衆トイレのところにいて、公衆トイレの近くにはでかい道があって、車も勤め人もいっぱい通る。
それらをおばあさんはよく見ている。
ぼんやり眺めてるというより、敵意なのか何なのか、ちょっと刺々しい感じで睨めつけてるように見える。
それともそれは私が目を合わせないように歩くせいだろうか。
年に2回くらい、通行人とトラブりでもしたのか、怒鳴っているらしいところを通り過ぎたことがある。
でもそれ以外は、誰と揉めているわけでもない。
そういうおばあさんが、最寄駅の近くにいる。
おそらく家はなく、公衆トイレに住んでいる。公衆トイレ周辺であまりにも見かけまくるのと、実際にその公衆トイレから出てくるところを見たりなどしたので、私の中ではトイレに住んでいる人という印象になっている。
この間、渋谷で路上生活者の女性が殴り殺されたとかいう理不尽極まりない怖い事件の話を聞いてから、おばあさんのことが妙に頭に引っかかる。
私はおばあさんをどうしたいわけでもない。例えば支援組織につなぐとか役所に言うとか、そういうことも考えるのだが、ああいうのって本人にその意思がないと結局どうにもできないモンだというのは知っている。そして「本人」にそんな話を持ちかけたいとは思っていない。
何というか、あの季節感の希薄な着膨れ方が、認知症とかそういうものがある人のように思えるのだ。
あの着膨れ方と、刺々しい眼差しが。
「お前ら全員ろくなことしてこない敵なんだろう」「敵だ」「敵地の真ん中で財産を生命線を持てる全ての服をその辺に置いておけるか、常に身につけないと油断ならん」「どうせ不快なことを言ってくるんだろう、話なんぞしたくない」
と、そう言ってるような気がしてならなくて、とても一人では話しかけたりできない。
敵意がある人間と接するほどしんどいことはちょっとない。そして、その敵意をほどくために信頼関係を築いて長い目で見ながら支援して、みたいなことをやる余裕は私にはない。
大体、悪臭がするとかでもないんだし、トイレに住んでると決まったわけでもないんだから、相手は言わば自由意志でその辺を出歩いている普通の人間なのだ。
普通の人間に対して私からできることだのやるべきことだの、本来は、無い。
私はただどっかに「通報」して私自身の安心を得たいだけだ。道を歩いているだけなのにその都度誰かに敵扱いされるのが嫌なだけ。それが分かってるので何にもできない。
ああ、誰か。
誰かせめて、あそこにそういう人がいるってこと、認識してくれているだろうか?例えば役所とかが。
支援が必要そうな人がいて、おそらく支援を拒んでいる可能性もあるが、とにかくそういう人がいるってことを、誰か把握してくれていないだろうか。
殴り殺されるまでもなく、路上生活者は結構死んでいる。私はそういうデータを見たことがある。病院に入院する路上生活者の再入院率みたいなやつ。そのデータでは、10回とか再入院する人がいないわけじゃないけどかなりのレアキャラで、過半数は初回入院で亡くなるみたいな結果だった。病気になっても軽いうちに医療にかかれないからだと思うが、入院した時点でもうかなり悪くなっていて、そのまま亡くなる。割と若くても。
そんな死に方アリかよ、みたいなキツい症状で死んでしまう。
もちろん、病院で管理される生活がイヤで逃げ出す人がいるのも、あまりに治療に非協力的すぎて(婉曲表現)病院側が出てってくれと言うような人がいるのもわかっている。
あのおばあさんがそういう人でないという保証はない。
でも、最寄駅の近くだからかなり頻繁に見かけてしまうし、見かけるたびにもやもやして仕方ない。そんで自分の無責任さに自分で傷つく。
誰か、知恵があったら貸してください。
それいうと思ったわ
そんなんじゃなくてね
これは元増田みたいな人のプライドや私益と引き換えに後進の門戸を閉ざしファンコミュニティに冷や水をぶっかける側面が少なからずあるってことなんだよ
他に置き換えてみて、場末のライブハウスで友達相手にのんびりやってるコピーバンドに「俺の曲を下手な演奏で汚すな、しょーもないギターソロとか勝手なアレンジすんな」とか言ってたら
流石にそれはおかしいと思うだろ?
勝手にCDにしてうっさばいてたとかならまだしもチケットの利益もほとんどないような奴相手にいうことではないよね
結局法的措置とかにでたらファンが白けたり不快な思いすることは理解してるから元増田も何もしないんでしょ
業界内外で人気がなくなるのが一番怖いんだもん
それから元増田の言い分っていうのは文化資材としての公益を損なうって事例や、コンテンツの品格や設定・世界観を棄損させるような事例、金銭的な損害を被る事例、単に作者個人の情緒の問題がごちゃ混ぜにして語られてるから
(というかそこらへんどうにでも読み取れるように曖昧な表現になってしまっている)
ブクマカはいつもどおりカリカチュアされた弱者のお気持ちを汲んでさし上げるっつポージングで学級会めいたことやってるけど
元増田がそれがいいたかったのかそういう流れになることを意図していたのか将又そんなつもりは毛頭なくて真意は別のところにあるのか
どうせ金もないしキモいから他人からいい目で見られることはない、他人も社会も真っ当も知らんわ勝手にやらせてもらいます。にマインドセットすると、なんか辛うじて生きていける。強烈な希死念慮も最近来ない(ぼんやりとした死にたさはある)。人生無理バーに行っちゃいけないタイプの人生無理。
モテることはもういい。異性はもう知らん。何もわからん。でも誰かに認められることか、言語化できないけどその類への執着オバケに取り憑かれてる。そのくせ生存への執着がなさ過ぎて、選択肢に「死ぬ」が常に入ってる。大して仕事もしてない、誰かに良い影響を与えることもない、俺の思う品行方正に生きても、せいぜいなれても透明人間で、死ぬほど苦しい思いをすることは分かった。好きに生きても、結局KKOにコミットして周囲を不快にしていくのか。生きる意味とは。
真っ当に生きられる奴が羨ましすぎる。人間わからん。社会わからん。真っ当は辛うじて分かる、俺じゃないヤツだろ。せめて無能にも真っ当に生きさせてくれよ。
11/22、22時頃追記:こんなにも少女歌劇レヴュースタァライトに真剣な記事なのにタイトルだけ表記ブレてました。ゆるして
この文章はアニヶ咲8話と少女歌劇レヴュースタァライト全編へのネタバレを含みます。
こういうのって鮮度が命ですよね。
こんばんは、皆さんアニヶ咲見てますか?毎週女と女が感情を絡め合っていて面白いですよね。先日放送された8話もその例に漏れず、中須かすみの出どころ不明の莫大な感情によって桜坂しずくが自己肯定への一歩を踏み出す、概ね私好みの話でした。今回のお話のメインキャラクターである桜坂しずくは演劇部にも籍をおいており、アニヶ咲8話では、「荒野の雨」という桜坂しずくが主演する舞台のワンシーンが、桜坂しずくの内的心理描写として各所に挿入され、現実のシーンと劇中劇が並行して進んでいく、という構成がなされていました。 つまりアニヶ咲8話は「スタァライト」だったということですね。終わり。
お待たせしました、それでは続いて、虹ヶ咲スクールアイドル同好会8話「しずく、モノクローム」についてお話していきます。
ここまでは本編視聴中にぼんやり考えていたことを言語化したに過ぎないのですが、なんと本編終了後にツイッターにてこの説を有力に支持する新たな根拠が見つかってしまいました。それがこちらです。
『ラブライブ!虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会』
第8話、演劇部部長で
出演させて頂きました!
しずくちゃんの
笑顔が大好きです☺️☺️#lovelive #虹ヶ咲 https://t.co/xkvaVXdiKC
— 小山 百代(DVD発売中) (@koyamamomoyo) 2020年11月21日
https://twitter.com/koyamamomoyo/status/1330156445292224512
劇中劇が物語を示唆していてかつその劇のことを登場人物が知っているという構成、こういう解釈でもしないと劇中劇通りに話が進むことや劇中劇と同じ帰結に自らが辿り着くことになにか疑問や違和感を感じないのか……?という気持ちになりませんか?
「根拠なく他人を肯定することが、根拠のない自己肯定につながる」みたいな言説を見て、希死念慮が酷かったタイミングで無理やりやってみた。他人の肯定といっても、大したことではない。俺を虐めていたアイツも、俺の分の学費まで食い尽くした末にニートで寄生虫してる兄も、その兄に勝手に俺の金を渡した親も、なんであのゴミがのうのうと生きてんだ早く死ねとか思わずに、勝手に生きてろゴミめ、くらいに思っていくようにした。
それを始めて半年が経った結果、熾烈な希死念慮はだいぶ落ち着いて、うすぼんやりと誰か殺してくれねーかなーくらいになった。この誰か殺してくれねーかなーの根源もだいぶ見えてきて、人を信用するのが苦手だからこの世には味方が居ないように感じてる、ってことから来てるんだと思う。
他人の信用できる動機、「罰が嫌」>「損得勘定」>「やりたいからやる」=「敵意」>>>「好意」みたいな順番って思ってるの、多分まっとうに生きてる奴とは違うんだろうな。損得勘定で動いてる人、特に損の回避で動いてる人はある程度信用できる。
ちょっとずつ、「やりたいからやってる」っていうタイプの動機の人も信用してみようと思う。酷い目にあったら死ねば終わるんだし、俺が死んでも俺が死ぬだけだし、の気持ちで行こうと思う。
自分20代前半の女で、いつかは結婚したいなってぼんやり考えてるレベルなんだけど、婚活に関する記事とか読んでると地獄すぎませんか。
良い物件は早めに売れるって本当ですか。
早めっていつ!?こわい。
最初にイギリスが封じ込めにしくじって「全員感染すれば免疫が出来て解決」って言い出して西側はそうなった訳だけど
感染率がどんどん上がってる地域でも群免疫に達したところなんか無くて、再感染だか再燃だか知らんけどただただ死者が増えてね? やっぱり中共がやったように少なくとも都市圏単位でのロックダウンで経済全面停止する以外に解決策無い気がする
ぼんやりと「風邪ウィルスが凶悪化して中国人の間で増殖してるってことは、リーマンショック級の経済崩壊は確実だし、或いは世界大戦クラスの大惨事だなぁ」と思ってたけど、日本ローカルな話をすれば自民党が吹っ飛ぶくらいの津波のような大被害がこれからゆっくり来るんじゃねーかなって気がしてきたわ
昔からゆっくりものを考えるタイプだった。しかし、現代社会は次から次に決断を求めてくるから、毎回の決断に自信を持って望むことができない。一晩考えてみよう、と思うような内容の出来事があっても1時間後には決断を求められる。何ヶ月も時間がほしいような決断も、1日や2日で結論を求められる。ポンポンと素早く決断できる人にはとても快適な世の中なのだろうが、それに適応できない自分のような人間にとっては地獄でしかない。
例をあげてみよう。(自己検閲により削除)
もっとスピードを緩めて生きていきたい。しかし、自由経済社会ではそれを出し抜いて早く決断を下す人がお金儲けをして、ぼんやりしている人はただただ残りカスで我慢するしかない。ほとほと疲れてしまった。
生きる意味を感じない。独身・28歳で地方出身、大学で東京に出てきてサラリーマンを数年している。独り身で毎日淡々と生きてはいるが、生きる意味は本当にないなと感じる。それを求めてネットをさまよっても、生きることが正解で死ぬことが不正解という前提に立った議論しか見当たらない。何か病気や貧困で困ってしまって、ネガティブな意味で自殺するのではなくて、ポジティブな意味で自殺することがあってもいいのではないか。生きる意味がないから自殺するというのは、ポジティブとは言えないのだろうか。ただ、悲しいわけでも苦しいわけでもなく、やりたいことがあるわけでもないし、やらないといけないことがあるわけでもない。それなのに生きることは続けないといけない。生きるためには毎日したくない仕事をして、話したくない人と話をして、義理と人情を立てて気を遣っていかなければならないのが負担。支えるべき家族もいないし、いわゆる替えの効かない人材でもない自分がいなくなっても、社会の側は全然困りはしないだろう。
中学生くらいのときからぼんやりと死にたいと考えてきたが、ここ数年その気持がより先鋭化してきたのを明確に感じる。きっとこれは、社会人になって、日々、論理的に考えることが求められる場面が増えたことも一因だろう。自分の頭で論理的に考えると、自分に生きる必要はないという結論に至るから、死にたいと思うのだろう。生きる意味もないし生きる必要もないし生きる意志もない人生を抱えて、自分はここからどうやっていけばいいのだろうか。