はてなキーワード: Creative Commonsとは
伊藤は Creative Commons のチェアをやったり、Mozilla のボードもやってたんだぞ。
飽きもせず何回も持ち出してるけどその実績って実績と呼べるほどのものなの?
町内会長程度だったりしない?
匿名ダイアリーで二次創作の話が出てたので,ぼんやり頭の中にあった二次創作のライセンスについての構想について書いてみます.
以下のようなルールです.
現状,二次創作物は多くが黙認されている状態にあります.現在それで二次創作の界隈は成り立っており,それは素晴らしいことなのですが,一部問題を感じています.
この状況を解消する手段としてひとつ,原作者が「二次創作して良いです」と公言するという方法があります.
ただ,これは結構リスキーです.それを公言した後,二次創作について「そういうのはやめてほしい」というケースが発生した際,トラブルになる可能性があるからです.
二次創作に行う人という属性において少ないだろうとは思いますが,「二次創作していいって言ったじゃん,消したくない」とか言われる可能性がなきにしもあらずです.
この点で,いつでも「それはだめです」と言える黙認という状況は,非常に原作者にとって都合のいいものと言えます.
原則,二次創作については原作者に確認するのが正しいです.ただ,「二次創作する際は,毎回私に許可を取ってください」と公言すると,これまた大変なことになりそうです.
数件の許可程度であれば問題ありませんが,数十件,数百件と増えていくと,許可する側も大変です.
放置すると,「どうなんですか!」とか言われる可能性もあります.精神によくないですよね.
また,許可するというのはもうひとつリスクがあります.それは,「あの人には昔許可したのに,同じようなものなのに私のはだめなんですか!」とか言われかねない点です.
微妙なラインで,同じような二次創作でも嫌な場合があります.また,理不尽かもしれませんが,この人にはしてほしくないみたいなケースも当然あるでしょう.あと,昔は別に気にしなかったけど,気が変わったというケースもあるでしょう.一度許可した二次創作について,あとから消してほしくなったということもあるかもしれません.このようなケースにおいても,原作者の権利が尊重されるべきと私は考えます.
ということで,何も基準を示さず原則禁止,黙認という状況は非常に都合がいいです.ただし,黙認という状況は,真面目で慎重な人ほど迷ってしまうという問題があります.そして,そうやって迷いが生じる人は,相手のことを考えているという点から,問題を起こしにくい人だと思います(*要出典).そうやって迷いながら行うのが,二次創作の正しいあり方なのかもしれませんね.
でも,そういう人にこそ,二次創作をしてほしいというジレンマがあります.そこで思いついたのが,上記のライセンスです.
原則,二次創作は作者の許可なく行って構わないです.ただし,作者が「消してください」と言ったときには消す責任があります.
また,許可なく行ってよいですが,損害を発生させた場合には,損害賠償を行う責任が生じます.これは現状と変わりません.
二次創作を行う際に,周りの人に迷惑をかけないことを心がけることは当然だと思います.
気軽に行ってほしい一方で,それだけのリスクを背負う覚悟を持って,二次創作を行ってほしいという思いがあります(これは界隈の人には今更言う必要もない当たり前のことかもしれません).
あと,商用利用は禁止です.これはなんだかんだトラブルの種になるからです.商売として成立してからも,原作者は差し止めを請求する権利があり,二次創作者にはそれを果たす義務があります.
が,お金が発生すると絶対揉めます.商用での二次利用は禁止,やるなら二次創作じゃなくて,正式に原作者と取引して,お金を払ってやってくださいということです.
ただし,同人誌のような頒布物については,原価の回収はいいよねみたいな今のグレーゾーンを維持します.ただし,怒られたらダメです.
また,ちょっとややこしいんですが,二次創作ライセンスで作成された作品は,二次創作ライセンスで公開するという制限をかけることができます.そして二次創作ライセンスの作品を利用する際は,必ずその上へ,上へ辿っていって,すべての二次創作ライセンスが維持されていることを確認する必要があります.
3次創作となっていったときに,実は原作者はもう二次創作をしてほしくないと思ってライセンス公開を取りやめていたけど,二次創作の作品があるせいで,自分の作品の二次創作の二次創作が広まり続けるという事態を避ける目的があります.これは原作者の任意で指定していいかもしれません.Creative Commonsみたいな感じです.
あと,このライセンスにはもうひとつ狙いがあります.二次創作の許可不許可について,第三者が口出しできなくなるということです.
「許可はもらったのか」「著作権違法ではないか」と,コメント欄等で不毛な争いが発生することがあります.多くは,第三者同士が喧嘩します.
二次創作ライセンスを公言していれば,自分の作品の二次創作作品上で,このような不毛な争いが発生することを防ぐことができます.二次創作ライセンスで公開されてるから問題ないよで議論が終わります.
また,最低限これは嫌ということを明記することで,第三者が原作者に不適切な用途について報告しやすくなるという麺🍜もあります.
とはいえ,なんか考慮漏れもいっぱいあると思うので,完全なものではないと思います.また,法律的な見地からもよくわかりません.
利用は自己責任でお願いします.なんか話のタネにでもなればと思いました.
あと,これは個人が原作の作品を想定しています.商用の二次創作には展開されないと思います.
フリー写真とかフリーアイコンサイトとか、世の中にはたくさんあるじゃないですか。先日、立ち上げたばかりのブログのファビコンに使えそうなフリーのアイコンを探してたんですよ。
大手のサイトにはグッと来るものがなかったから、google画像検索に「free」のワードを入れて検索したら、かなりしっくり来るモノを発見した。やったーと思って元サイトを開いたら、free icons libraryという聞いたこともない海外サイト。
タイトルにフリー入ってるからいいやろ!と思ってアイコンをダウンロード……しなかった。知名度の低いサイトに出会った時はとりあえずリサーチしないとね。
トップページを開くと、「アイコンの重要性は〜」みたいな長文が書かれている。「必要なもんはダウンロードできるで」とは書いてあるけど、creative commonsみたいなワードはどこにも書かれていない。
で、配布されているアイコンをいくつか調べてみると、getty imagesのロゴがバッチリ入ってるモノがあった。堂々と。
こういうサイトに引っかかったらエラいことになるんだろうな。恐ろしや。普通に検索しても出てこないけど、google画像検索で調べる時だけ出てくるようなサイトは結構あるみたいだから、大手素材サイトにいいのがないからgoogle様の力を借りようかな〜とか安易に考えちゃダメよ。
誤訳御免。
とりあえず力尽きたので、公開されたメールのやりとり
とか、NPMの説明
http://blog.npmjs.org/post/141577284765/kik-left-pad-and-npm
このドキュメントでは他のnpmを公開している人とのモジュール名の紛争について取るべきステップを記述している。
このドキュメントは"npm行動規範(Code of Conduct)"で説明されている容認可能な行為の明確化であり、このドキュメントに記載されている内容はnpm行動規範のいかなる側面に対しても矛盾する解釈を与えるものではない。
パッケージ名を不法占拠してはならない。コードを公開するか、さもなくば去るように。
あるユーザがモジュールを公開していて、その後、他のユーザがその名前を使いたいと思うケースがしばしばある。ここではよくある例を記述する(個々の例は実際の出来事に基づいている)。
それぞれの状況下でのアリスからのクレームは議論されるであろう。しかしそれらのケースでアリスが取るべき適切な段取りは共通している。
これまでのほとんど全てのケースでは、巻き込まれた当事者は重大な介入を要さずに妥当な解決へと到達することができた。多くの人々は本当に合理的になることを望み、おそらく彼らがあなたの邪魔をしていることに気付いてすらいない。
モジュールのエコシステムはそれらが可能な限り自律的である限り最も活気づいて力強くなる。もし管理者がある日あなたが取り組んでいたものを削除したら、それは理由のいかんにかかわらず多くの人を怒り心頭にさせつつあるのだ。人々が自分らの問題を相手との敬意を持った会話により解決すれば、その交流にたいして皆が良い気持ちで終わりを迎えるチャンスを得るだろう。
幾つかの事柄は許されておらず、npmの管理者に注意喚起された時点で議論なく削除されるだろう。例えば:
もしそうした悪い振る舞いを見たらすぐにabuse@npmjs.comに連絡ください。あなた自身でそうした悪い振る舞いを解決しようとする必要はない。われわれはここにいます。
これは生きた文書であり時間とともに更新される。変更点を確認したければ、gitの履歴(https://github.com/npm/policies/commits/master/disputes.md)を参照
Copyright (C) npm, Inc., All rights reserved
本ドキュメントは"Creative Commons Attribution-ShareAlike License."(https://creativecommons.org/licenses/by-sa/4.0/)の元で再利用可能。
The Internet's Own Boyという映画を観た。その感想を簡単に書く
https://www.youtube.com/watch?v=vXr-2hwTk58
映画を観るまでAaronについて僕は何もしらなかった。僕はそれなりにインターネットが好きだ。こうしてブログを書いてるのも、僕の考えや感じた事に共感してくれる人がいないかをインターネットという拡声器を使って確かめたいからだ。
Aaron Swartzは14才でW3Cの委員になった。W3Cのミーティングの際に、他のメンバーから「いつ集まれる?」と訊かれ、Aaronは「最近14才になったばかりで、ママの許しがないと集まりに行けない」と言った。そんな14才がW3Cで大人と混じって議論をし、その当時Creative Commonsを創ろうとしていたLawrence Lessigに出会い、Creative Commonsにも協力した。
とんでもない人だと思った、彼はその後スタンフォード大を中退してY Combinatorのプログラムに参加し、自分のプロジェクトをRedditと合流させた。しかしRedditが成長し、買収された後で彼は解雇されてしまう。その後はシリコンバレーから離れて政治活動に傾倒していく。彼は当時、インターネットの自由を奪う危険があるSOPAという法案を食い止めようとした。結果的にSOPAは消滅し、インターネットの自由は守られた。
彼はその後もインターネットの自由を脅かすものと戦った。時にそれは少々強引なやり方でもあった。そんな彼のやり方は、法に触れたと見なされ有罪判決を受けてしまう。インターネットの自由と戦った彼は疲れ、怯えて、絶望し、自殺してしまう。
僕が今こうして使っているインターネットも自由が保証されているものでは無い。この瞬間にも勇敢なハクティビストが僕らのインターネットの自由を守っているのかもしれない。彼らに感謝したい、最高の敬意と感謝を送りたい。
Aaronが守ったインターネットはまだ息を続け、毎日僕らに感動をくれる。
ありがとう、Aaron
西暦2035年。音楽を取り巻く環境は大きく変化していた。違法アップロード・違法ダウンロードの進展により、音楽業界の収益バランスは大きく変化し、音楽の市場規模は2000年代初頭に比べて10倍にも増加していた。音楽を中間業者を通して販売するという概念は廃れ、クリエイティブコモンズライセンスにより誰もが自分の言葉で、直接自分の音楽を口ずさめる素晴らしい世の中になっていた。
また、新人ミュージシャンとなるために必要な才能というハードルは無くなり、誰もが自分のメッセージを音楽で伝える機会を持つようになった。「何故音楽はこんなに自由になったのだろうか?」若者たちは真剣に考えた。いつの時代も若者たちは音楽を愛している。そして、「音楽の自由を守るために、自分たちには何ができるだろうか?」このような自覚が、日本のほとんどの若者の間に芽生え始めていた。
そのような時代の流れの裏には、「Music Creative Commons keepers」の活躍があった。ネット環境の整備により容易に音楽の違法アップロード・違法ダウンロードが繰り返された2010年代を重点的にパトロールし、クリエイティブ・コモンズ・ライセンス化を促した事で、音楽の自由を日本音楽事業者協会から守っていたのだった。
From Creating Passionate Users
By Kathy Sierra
私はTwitterが怖い。これだけ人気があるサービスだけれど、私は少なくとも三つの問題点を見て取れる: 1)Twitterは心理学にいう「間欠的不規則報酬」のほとんど完璧な実例である。これはスロットマシンが人を惹きつける仕組みと同じ。 2)Twitterを使うことで得られる強力な「人とつながっている感覚」は、脳を騙して「何か有意義な社会的交流を行っている」と思わせてしまいうる。その一方で、脳の別の(古い)部分では、そこに人間の生存にとって重大な何かが欠けていると「分かっている」 3)Twitterは「常時マルチタスク状態」の問題を悪化させる要因の一つであるーーもしかしたら他のものよりもっと強力かもしれない。Twitterをしながら(もちろん、emailでもチャットでも同じ)、深く考え込んだり、フローの状態に入ったりすることはできない。
[注意: 私はこの問題について本当に少数派みたいで...ほとんど100人中99人がTwitterを支持している状態だから、たぶん私が間違っているのでしょうね(でもとりあえず書いてみるけど)。それと、この記事の大部分は、関係するテーマについて私が書いた様々な記事を混ぜ合わせて作ったものです]
この三点についてもっと詳しく見てみましょう:
スキナーの発見の中でも最も重要なものの一つは、間欠的に強化された行動は(継続的に強化されたものとの対比において)、最も消えにくいということだ。言い換えると、間欠的な報酬は予測可能な報酬より優れているのだ。これは大抵の動物トレーニングの基礎となっていて……人間にも応用が効く。スロットマシンがあんなに人の心に訴えるのはそのためで、別に中毒にならずともこのことに気がつくことはできる。
テクノ心理学者のパトリシア・ウォレスは〔中略〕Emailがーー十代の子供のみならず成人に対してもーー持つ魅力の一部はスロットマシンの持つ魅力に似たものだと主張している。「間欠的変動強化を受けているのです」とウォレスは説明する。「毎回報酬をもらえるのか、またどれくらい頻繁にもらえるのかがはっきりと分からないがゆえに、ハンドルを引き続けるのです」
多くの人にとってTwitterの最大のメリットは、他の人とよりつながっていると感じられることにあるようだ。カーソン・システムズのリサは、Twitterを擁護するテラ・ハントの記事へのコメントの中で、これを次のように表現している。
「Twitterは友達の感情や地理的な場所、動作を記録することによって〔中略〕このギャップを生めてくれる。まるで私たちが本当にそこにいるみたいにね。このおかげで『本当に』つながっているって感じになるの」
これは本当に良いことなのだろうか?
おそらく、答えはイエスなのでしょう。たぶん、ほとんどの人にとっては。けれど、「人とつながっているということは常に良いことだ」という反射的な回答は批判的に検討してみる価値はあると思う。UCSFの神経生物学者であるThomas Lewisさんは、「注意しないと、たとえ実際はそうでない場合であっても、人は脳の一部を騙してーーはるか昔より人の生存にとって不可欠なものであるーー本当の社会的交流を行っていると思わせてしまう」と主張している。これは不快な(しかし無意識の)認知的不合致、つまり脳が必要だと思っているものを取っているのだけど、「科学的に完全に分かっているわけではないけど、おそらく嗅いで感じられる何か」を満たすには足りないという状態につながる。彼はこれをTwitterについて言ったわけじゃないけど……Conference on World Affairsで彼の講演を聞いた時には、emailやチャット、さらにはテレビにまで言及していた(脳は「人々」を見ていると認識して、社会的関係を持っているに違いないと考える(GOOD)、けどそこには何かが欠けているとも気がついている(BAD))
Lewis先生はとても多くの研究を引いていたけど、私はそれを書きとめなかったので、このことは割引いて聞いてもらってもいい。加えて、私は彼がemailやチャットについて述べたことをTwitterに拡張していることにも注意。けれど、Lewis先生が言うことには、私たちがこのようになる理由の一部は、私達の脳が体の身振りや顔の表情や声の調子などを解釈する先天的な能力を発達させていて、こういう情報のチャンネルを予期していることにあるのだという。だから、社会的交流があるように見えているけれども、この先天的な、昔ながらの脳の機能の一部が働いていない状態になると、ストレスを感じるのだ。
繰り返すけれど、だからといってそれに見合う価値がないというわけじゃない。これは遠くに離れた家族や友達とつながっているには非常に有益なものだ。私が言いたいのは単に、これが一部の人々に「私はつながっている」という誤った感覚を与えていて、現実のつながりを犠牲にさせているかもしれないと問うてみる価値があるということだけ。
隣の人とコーヒーを飲むのは、千のTwitterの投稿より脳に多くを与えてくれるかもしれない。
これと同じような議論はずっとなされてきたし、テレビにだって同じことはいわれているけど、それだからこの話が間違っているということにはならない(孤立したカナダ人の村にケーブルがようやく開通すると、集団のIQが下がってしまったという研究がある...とルイス先生は講演のなかで述べていた。私はこの研究への引用をウェブで見つけることができなかったけど)
皮肉なことに、Twitterのようなサービスは同時に、仲間の輪の中に入っていないのではないかという心配を一部の人たちに植え付けて、「つながっていない」という感覚を起こさせる。「常に更新している」ことの重要性を高めることで、十分頻繁にtwitterをチェックしたり投稿したりしていない人たちの「何かが欠けている」という感覚を増幅させてしまうのだ。
前の私の記事より:
最悪なことに、この押し寄せる投稿は、私たちのほとんどを最も幸せにしてくれる「あること」から引き離してしまうということだ...つまり、フローの状態にいることから。フローの状態に入るには深く考え込み、意識を集中させる必要があるけど、この種のコンテキストを切り替えるものはそのどちらも妨げてしまう。フローの状態では知識やスキルを意欲的に使う必要がある。これはマルチタスクで(食べながらや、テレビを見ながらなど)できるような頭を使わない仕事とは全然違う。フローでいるには、ある程度の時間を使って知識とスキルを脳のRAMにロードする必要がある。そして、それが大きいものであれ小さいものであれ、より多くの邪魔が入るにつれて、ますますフローの状態にはたどり着き難くなる。
しかも、フローの状態に入れなくなるというだけではない。およそ何かについて熟達するということもなくなってしまい、エキスパートにもなれなくなってしまうのだ。脳科学者に尋ねてみれば、エキスパートとなるのに重要なのは天才かどうかではなく、物事に集中できるか否かなのだと教えてくれるだろう。
情報過多という現象に対する反動はもう見えている。Web2.0 VC はかなりの額を、情報を整理(されたままに)する サービスを約束する会社に注いでいるみたい。43 Foldersがトップ100のブログに入っているのにはそれ相応の理由があって、それは単にMerlin Mannがカッコいいというだけではないの ; )
たくさんの人がこのことについて語っている。でも、たぶんLinda Stone以上に雄弁な人はいないと思うけど:
継続的な注意散漫状態とは、半端な注意を払うということーーそれも絶え間なくね。これはネットワークのライブノードでいたいという欲求に基づく行動だ。別の言葉で言えば、私たちは人とつながりたいし、つながれた状態でいたいの。どんな時でも、チャンスを見逃さないように効率的に目を見張らせようとし、最も良いチャンスや行動や関係のために最適化しようとしている。忙しくすること、つながっているということは、すなわち生きているということ、他者から認識されること、そしてなにがしかの存在となるということなの。
絶え間なく部分的な注意を払うのは、何一つとして見落とさないため。常時つきっぱなしで、どこへでも、いつでも、どんな場所でも働くもので、人為的に作出された慢性的な危機感もこれに含まれる。この人為的で慢性的な危機感というのは、マルチタスクというより、継続的な注意散漫状態に典型的に見られるものよ。
Twitterを使うことにメリットがあると思う? もちろん。Teraはこのメリットを本当によくまとめている(その全てがメリットであるとは考えない人もいるけれど、その人たちもテラの主張には賛成の立場に立っているのであって、大事なのはその部分)
人々がTwitterを責任を持って使えると考えているの? しっかりコントロールしつつ、twitterを使うことで注意散漫になりすぎたり、(タブロイドニュースやTVがアメリカでこれほどまでに広まった原因たる)覗き見のたぐいを避けて?
当然、そう思っている。
私が言いたいのは、ごまかしを避けて、「常に注意をそそぎつづける」というウサギ穴にどれだけ深く入り込みたいと思っているのかを判断してみるべきだというだけ。
私はTwitterのターゲットではなかったーー生まれながらの独り者なのよ。私はそこまでつながりあっていたいとは思わない。そして、ミステリーを残しておくという美学が大好きなの。それだけ多くの人たちについて、そんなにも多くを知りたいとは思わないし、人々にそんなに私のことを知ってもらいたいとも思わないの..それが日常のことであれその他のことであれね。だから、これは私がマイノリティたるゆえんで、私のTwitterに対する恐怖は、私独自のーーねじくれてあまり一般的でないーー個人的な性格に由来するものなの。
本文書は原文の著作権表示にしたがい、Creative Commons Attribution-NonCommercial-ShareAlike 2.5 Licenseのもとで利用できる。なお、訳者の著作権は全て放棄する。
ので、その結果を貼ってみます。とりあえず、はてなブックマークが始まってから1ヶ月(2005/2/10〜2005/3/9,1033エントリ)の、ブックマーク数によるベスト10を出しました。
ここで皆さんにお願いがあるのですが、今回のベストX以外にどういう観点でデータを抽出したら良いか(どういう一覧がほしいか)、コメントをいただけませんか?データは集めてみたものの、活用方法に困ってます。
====================
でした。
当時はまだ「有名サイトのトップページにとりあえず貼っておく」みたいな使われ方をしていますね。ブックマークをどう使うか、というスタイルを探していたんでしょうか。
「b:keyword:コンピュータ(330回)」「b:keyword:ウェブ(321回)」「b:keyword:一般(147回)」「b:keyword:はてな(77回)」「b:keyword:Google(67回)」「b:keyword:サイエンス(47回)」「b:keyword:blog(42回)」「b:keyword:ゲーム(41回)」「b:keyword:Internet Explorer(33回)」「b:keyword:はてなブックマーク(31回)」「b:keyword:RSS(30回)」「b:keyword:Microsoft(30回)」「b:keyword:JavaScript(29回)」「b:keyword:読書(28回)」「b:keyword:iPod(25回)」「b:keyword:firefox(25回)」「b:keyword:Apple(24回)」「b:keyword:ニッポン放送(23回)」「b:keyword:サービス(23回)」「b:keyword:音楽(20回)」
「b:t:web(88回)」「b:t:blog(65回)」「b:t:ネタ(59回)」「b:t:news(49回)」「b:t:はてな(42回)」「b:t:it(33回)」「b:t:hatena(33回)」「b:t:社会(30回)」「b:t:ニュース(28回)」「b:t:neta(27回)」「b:t:misc(26回)」「b:t:ajax(26回)」「b:t:tool(25回)」「b:t:software(24回)」「b:t:tips(23回)」「b:t:javascript(23回)」「b:t:ブログ(22回)」「b:t:まとめ(21回)」「b:t:livedoor(20回)」「b:t:google(20回)」
でした。当時から「ネタ」タグって多かったんですかね(タグやキーワードは現在の付与状況しか分からないので、当時の本当の状態が分からない)。
http://www.creativecommons.jp/apply/
「営利でいいけどいくらかください。金銭交渉してください」というのはないのね。あればいいんじゃない?営利を禁止するよりも営利目的に関して決めたほうがゴタゴタすくない気がするけど。それとも理念((笑)をつけそうになったけどやめた)に反する?
Creative Commons Japan - クリエイティブ・コモンズ・ジャパン - FAQ: クリエイティブ・コモンズはどのような問題を解決しようとしているのですか?
インターネットは(少なくとも理論上は)制約のないコミュニケーションとコラボレーションを約束して来た場所です。それなのに、実際には、あなたが排他的に有している権利のごく一部だけしか主張するつもりがないとか、どのような権利も主張しない、ということを表明するための簡単な方法は存在していません。同時に、権利が主張されていない著作物を複製し、再利用したいと考えている人にとっても、著作権表示がなくても著作権が発生するという事情によって、利用できる著作物を見つけ出すことは簡単ではありません。私たちはこの2つの問題を解決するためのツールを提供したいと考えています。
権利放棄(の意思表明)が主目的なのね。
さて、サブジェクトで大体の内容をお察しの方もいるだろうが、ひとまず最近の話題を、ある意図を持って並べてみる。
同社は今回、JASRACが24日に発表した「動画投稿(共有)サービスにおける利用許諾条件」について、仮許諾を得ることで同意。著作権保護の取り組みを加速させている。
創作者が二次創作をおおっぴらに認めないのは著作権とか法律とかその辺の整理や線引きがめちゃくちゃ面倒だからというのが大きくて、心情的にはむしろ二次創作を奨励したいか、少なくとも気にしないという人は結構いることと思います。
誰かがリーダーシップを発揮してまとめていった創作活動でもなければ*8、明確な目標があったわけでもないのに、これだけの創作活動が行われたことには純粋に感動できる。
(今回は素晴らしい作品ができたかどうかは問題にしない。製作者のモチベーションやアイディアの連鎖反応とも言うべき現象を目の当たりにできた喜びである。)
ただ人々が自分の作品にクリエイィブ・コモンズ・ライセンスをつけていても、何かしらのコミュニティがなければ、「オープンソース文化」は育たないのではないか、という意見です。
著作権は大変だな。
あれ、使われても栗コーダーさんには1円も入ってないです。使ってるのを発見して、こちらから申告すればお金くれるらしいですけど。
著作権はむずかしいな。
いよいよ動画サイトにも、○スラック直々の魔の手が迫ってきた昨今。
ニコニコ動画組曲だったり、らき☆すたのOP曲演奏のセッションだったり。
「先行者」などがもてはやされていた時代より、くっきりと「作品」としての体裁をもった共同作業が増えてきたように思う。
共同作業じゃなくても、YouTubeには個人で多くの才能を「無駄遣い」している人たち。
だが、悔しい哉、現在の法の下ではイリーガルと見なされかねない。そもそも法律の解釈は不透明。
なんらかの規制はいつか始まるし、Yahoo!と件の団体の動きは、その一歩になるかもしれない。
以前から、著作物にもナショナルトラストのような活動が必要だ、と思っていた。
既にCreative Commonsなんかはあるけど、何かが足りなかった。
グーテンベルクのおかげで人が手に入れたモノは大きかったけど。
その大きさを支えるために成長したシステムが、今、新しい創作の可能性を妨げている。
みんなの嗜好が多様化した現代で、CDや電波のテレビなど、単なる大量生産ではニーズを満たせない。
じゃあ、一つの権利を種に今までと同じだけの利益をあげるには、どうするか。
答えは、一つの権利を種に、より多くの商品を作ること。
もちろん、キャラクターのグッズは昔からあったし、今やメディアミックス戦略は当たり前。
じゃあ、商売人にとって次に目がいくのは、2次創作からもお金を取ることかもしれない。
ただし、大きな問題がある。
この段階では放送やCDなど、大量生産・大量配信のためのシステムはおいてけぼりになる。
これから必要とされるのは、オンデマンドで小規模な需要に応えられる、限りなく無駄が少ないシステム。
この変化に、取り残され始めている企業もある。
華原朋美やモーニング娘。が泣いているのも、その逃しかもしれない。
たぶん、権利を管理している組織は、抜け駆けをする。
たとえCDが1曲1枚しか売れなくなっても、そこから100の2次創作が生まれれば利潤を得られるように。
Yahoo!との提携、そんな事を考えながら画策していた人も、例の組織にはいるはず。
でも、多分失敗する。
2次創作を行う人数が増える分、作者の数が増えて、声が大きくなるから。
作者の声が大きくなれば、著作権団体は今までの方法で商売できない。
なにより、今ニコニコ動画で作品を発表している人たちは、観客と直接コミュニケーションを取っている。
オリコン一位のアーティストさえが、ブログで不満を漏らすようになる。
観客は自分達の支払いのうち何割が作者に渡っているかを知り、システムの不透明さと無駄の多さを知る。
作者と観客が、より多くの良質な作品が生まれ、お互いに幸せになる方法を考え始めたら、間にいる人たちの仕事は確実に変わる。
その時が早く来るように、ニコニコ動画には頑張ってほしい。
同時に、何ができるのか考えたい。
必要なのはコミュニティか、それとも力の後ろ盾か。
自然保護のために活動するナショナルトラストのように、著作権のためのコミュニティが、今なら作れるはず。
「はてな認証APIを使ったWebサイト まとめ(その1)」に便乗。d:id:sirouto2さんから始まった「2007年のまとめブーム」に便乗。
書いている途中にd:id:nekonamiさんの日記と人力検索の質問を思い出した。とても豊富だ。改めてまとめる必要はないのかもしれない。
ただ、「はてな認証APIを使ったWebサイト まとめ(その1)」の記事がある程度ブックマークされていたのをみて、はてな認証APIを利用したサービスの制作・利用を再活発化させる絶好の機会だと思った。
そこで、まとめ(その1)にあがっていないところで個人的におもしろいと思っているものを3つ挙げてみる。
サードパーティアプリケーションから直接はてなアカウントのパスワード入力を求められることはありますか?
いいえ。
はてなは、はてなが保持するドメイン(hatena.ne.jp / hatelabo.jp) 以外で、はてなIDならびにパスワードの入力を促すことは決してありません。 はてなドメイン以外のサイトでID/パスワードの入力を求められた場合は、そのサイトがはてな認証APIを騙ってパスワードを取得しようとしている可能性がありますのでご注意ください。
なお、認証APIを用いた認証確認画面にゲスト(はてなにログインしていない状態)で訪問すると、はてなのログイン画面にリダイレクトされ、アカウント名とパスワード入力画面となります。これははてなドメイン内での入力ですので安全です。なお、安全のためそのサイトが本当にはてなのサイトであるかどうか、必ず確認を行ってから情報の入力を行ってください。
万が一誤って第三者のサイトでパスワードを入力してしまったと思われた場合は、Myはてなからパスワードの変更を行ってください。
はてな認証APIを使ったWebサイト まとめその1とその2がhttp://b.hatena.ne.jp/entry/http://anond.hatelabo.jp/20070304234506にまとまったようです。