はてなキーワード: ぼんやりとは
掘り下げて理由を言うと悪口になるからいやだ、と言われたけどそれでも聞かせてほしいと食い下がったら
コミュニケーション手法の食い違いや、言ってくれたら気をつけられたレベルの話ばかり出てきた。
彼に言われたのと同じようなことをそのままそっくり返すことだってできるんだけど、別に個性だししょうがないのかなあと思って二人で過ごしてきた。
彼にとってはお互いありのままで付き合えるのが理想のカップルで、そういう価値観もあると受け入れてくれと言われた。
他人の欠点を我慢できないのは未熟かもしれないがいきなり改善しろと言われてもどうにもならない、とも。
これまでの相手とは妥協と改善を繰り返して関係を続けてきたからありのままで付き合えるなんて幻想だと思ってるんだけど実際どうなんだろう。
私の欠点は受け入れられないけど自分の欠点は受け入れてくれって言われたように聞こえて、復縁したかった気持ちもさっぱりなくなってしまった。
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今まではそれなりにやってきたと思うしやる気はあるのにやれない自分に自己嫌悪しにた〜〜みたいな感じだったのにこの冬休み気持ちがぷっつり切れた。
というか今までぎりぎり均衡を保っていた色々なものがぜんぶおかしくなった。
余計なことをたくさん考えるから。
基本装備としてはちゃめちゃに根暗で自分嫌いな性分なので思考する隙を与えてはならない。
この冬はそんな隙がたくさんあったから
不眠症BBA炸裂して5時寝13時起きみたいなゴミ生活送ってますそんな今ももう3時半です
社会生活を営む上で重大な欠陥ですね。
わりと色んな経験してうつにもなった割にむかしのわたしは擦れてなくて、イイ奴だったと思うんだ。自分で言うのも何だけど。まあそりゃ絵に描いたような不幸は経験したことないからだろうけど。
わたし、イイ奴だったんだよ。
でも気づいたらめちゃめちゃに暗くてめんどくさくて他人の気持ちを推し量れなくて冷たい難儀な性格の女になってた。こじらせの限界突破。
本当に自分でもこんな女嫌だだから喪女なんだって思う。それな。
たぶんわたしがそうなったのは
受験に失敗したからなのか高校選びに失敗したからなのか何が明確なきっかけってわけではないけどわたしはあの高校に入ってから坂道を転げ落ちるようにやたらとめんどくさくて暗い女になった。
やらなきゃいけないのに身体が金縛りみたいに動かなくなる日も増えた。
絶対にやらなきゃいけないことがあるのに、動けない。涙が出るくらいそんな自分がキライなのに、やっぱり動けない。
おまえのそれはただの怠け病だっていわれるけど、自分がいちばん様子がおかしいってわかってるんだ。言い訳じゃなくて。
色んなことが噛み合わなくなっておかしい。身体も心もしにかけなのに、やっぱりその異様さが自分にしかわからない。
こんなにがんばれない私だけど
わたしはそこで変わる
この性格も
冴えない顔も
圧倒的に欠如したコミュニケーション能力も
ぜんぶぜんぶ、わたしは変える
私がいるべき場所はここじゃない
だから心が浮いてるんだ、馴染めないんだ
だって私の好きなアイドルがいじめられた時に言ってた、「自分のアイデンティティが中学に収まりきらなくなった」って。
だからわたしは馴染めないまま曖昧に笑ってこれでいいのかよって思いながらぼんやり生きてるんだ。
わたしはこの時を待ってたはずだ
わたしをかえてくれたあのひとに
わたしのともだちでいてくれるひとに
しあわせになるという、復讐を。
そのためにわたしは死ぬほど勉強しなければならないし性格も顔も生まれ変わるための準備も死ぬ気でしなければならない
まず手始めに、じぶんに自信をつけるためにわたしはひとつでも自分で頑張ったと言えることをつくろうと思って
という目標を立てた。
地下鉄内で貧血になってヘロヘロでも、這ってでも学校に行っている。
それがわたしのスーパーヒーローとの約束だから。(べつに約束はしてない)
全部辞めないし休まないよ
やりたいことは全部やってやるよ
やりたいことを我慢して生まれた"余裕"は怠けるための余裕にしかならないのが経験則なので好きなことを全部こなすためにどう動くかを考えて私はこれからしぬほど勉強する。
だけどいつからか私は当たり障りのないことばしか綴れなくなった。頭に言葉が浮かんでこなくなった。
早稲田に行きたい
なんて叶えられなかったらこっ恥ずかしいことを
ばか恥ずかしいよ今。
学校の人にだって何一つ言ったことのない話だから。もちろん親にも。
アイツ誰だっけ?って言われるくらい
わたしは強くなりたい。
自分で決めてる細かい目標はたくさんあるけど、わたしの今の目標は
学びたいことを学んでひとになにかを伝えられる人になること
櫻井くんみたいになること
だ。わたしのスーパーヒーローさくらいしょうくんの背中、追い越すくらいわたし、がんばるから
先僕をみて、最近がんばるわたしのだいすきなキラキラアイドルたちを見て
ひさしぶりに心をからっぽにしてたくさんの本を読んで
やっと決意表明できそうなメンタルまで持ってこれたので増田投稿しました。
やってやろうじゃん2018
学校でひとりでもおうちに帰ったら
アイドルがいる
ずっとずっとおっきいしあわせがある
まってろ、早稲田大学!
うちの母は物欲がない。厳密にいうと物欲がないわけじゃないんだけど、家族の希望を優先しすぎるあまり、自分が何が欲しくてどうしたいのか分からなくなってる感じ。うちの父は母にも自分の好みがあるということを無視しているかのように行動し、自分の行きたいところに母を付き合わせたり、母だけを家において自分の好きなところに出かけたり自由にしているのに、あまりにも不平等だ。
…と言いつつ、娘の私も自分の好みに母を付き合わせてしまうことが多い。ただ、DNAが半分一緒だけあって比較的好みが似ているらしく、私のアクセサリーとかを見て「素敵ね。」「良いわね。」ということがたまにある。そんなに高額なものを身に付けているわけではないので、同じのを買ってあげた方がいいんだろうか。どうも自分の好みに合うものをどこで売っているのか見つけられないらしく、年相応の店に行っては「ババくさいのばっかり。全然欲しくない」と文句を言っている。もう70歳なのでババくさいものでも仕方がないのではないかと思うけど、若い頃は結構「キレイだ」と褒められて生きてきた人だけに、完全なる巣鴨ファッションに身を包ませるのもかわいそうな気がする。
でも化粧とかお洒落とかに時間とお金をかけるのが嫌いなので困る。若いときはそんなにしゃかりきに塗りたくらなくても肌がきれいだったかも知れないけど、今は年齢相応のシミが目立ち、眉が薄くなってきているので顔がぼんやりした感じに見える。私もシミが気になるお年頃になって、コンシーラーのお世話になるようになったので、こないだ塗り方を教えてあげた。「完全に隠そうとすると厚塗りになるから、シミが薄く目立たなくなる程度になじませるんだよ」ってBAさんの受け売り。どうもBAさんのいる化粧品屋に行くと余計なものを売りつけられると思うらしく、警戒してそういう場所に行かないのだけど、アイメイクのやり方とかほとんど分かっていないんだから、多少余計なものを買わされたとしても授業料だと思って、とことん塗り方を習って来ればいいのにと思う。
今は母方と父方の両方の祖母(母からすれば姑と実母ね)の介護に追われているが、両方とも特養と施設に入ってくれたので、父方の祖母と同居していた頃に比べればだいぶ自由になったはず。日本人女性の平均寿命を考えればあと10年以上生きられるはずだし、父は母と同い年なので、これも日本人男性の平均寿命からすれば母より先にあの世に行くはずだ。今はわりと健康に恵まれているけれど、これから体力は落ちる一方のはずなので、元気のあるうちに旅行でもお洒落でもしておくべきだと思う。
基本的にケチなので、遊びとかお洒落にお金を使うことに罪悪感を持っているようだけど、あの世にお金は持っていけないのだ。父があの世に行ってしまうともらえる年金がかなり減るようだけど、私の老後の年金よりは沢山もらえてるはずだし、多少の蓄えもあるようなので、もっと遊んで楽しんでほしい。なかなか面と向かって言うのは気恥ずかしいし、「お母さんはこれでいいの」というのが母の口癖だけど、重い病気が見つかったりする前にもう少し自由を満喫してくれないかと思う。
子供の頃、父親とオセロをよく遊んでいたとき、父親が強くなかったというのはあるけれど、大体勝っていた。それが、この間久しぶりに小学生の親戚とオセロで遊んだら、すっかり負けてしまった。
当時の感覚をあまり覚えていないけれど、相手が打つまでに少なくとも数手先、多いと5手先くらいまで考えていたと思う。自分が打てる場所、相手が打てる場所、自分が置きたい場所、相手に置かせたい場所を素早く目で見て頭に置いておけた。今はそうではなくなってしまった。
自分の頭が老いてしまった寂しさはあるものの、老いは現代で避けられないし、オセロをプロで打っている人も居るので、長いブランク(元からプロではないのに)で衰えてしまったように思う。たまにでもオセロで遊んでいれば、今遊んでももう少し楽しかったかもしれない。
自分が一生付き合う何かを小さい頃から常に訓練し続けておくというのは、その時期に既に「これが自分の一生付き合う何かだ」とわかっていないといけないということで、これはとても難しい。僕は急に音楽が好きになったりしたけど、音感は無く、ピアノも習っていなかったので、未だに自分で曲を弾いたりできない。オセロも音楽も、それだけに集中してしばらくやれば上達するだろうけれど、忙しいとか言ってしていないし、しても上達できるところは低いかもしれないなとぼんやり思っている。
でも、感覚ではなく、理論という面では、様々勉強した頭のほうが入りやすかったりする。オセロも定石が多分ある(見たことはないけれど)。だから、小さい頃の僕がプロのオセロマスターに挑んでも、勝つのは難しいと思う。
感覚は早いほうがいいが、理論は早くできない、というのは、なんともむず痒い。小さい頃から賢い子は有利なのだろうか、とも思うけれど、理論に縛られない感覚が持つ創造性が定石を覆すこともしばしばある。
最近精神的にしんどいことが多く人肌の温もりで癒されたいと思っていたところに年末年始に親族からの就職祝いが転がり込んできたので、此れ幸いと特殊浴場に親族の善意をブッ込んできた。
家を出るまでいくかどうか迷っていたが、思い切って電車に飛び乗り、車内で風俗街最寄り駅までの30分間で誰に予約を入れるかスマホでコソコソ選んだ。周りから画面が見られていないかキョロキョロしていたので挙動不審だったと思う。
サイトの情報から選んだお相手は20歳、身長168センチ、Eカップの子。高身長な女性が好きなので風俗紹介サイトで出てきた他の店の高身長の子とも迷ったけれど、年下の女の子と筆下ろしプレイがしたかったのと、お店があげていた写真が色白スレンダーで巻き髪セミロングの女子大生風だったのが決め手となってこの子にすることにした。風俗街の最寄り駅に着いてからお店に電話してみると、サイトでは待機中と出ていたけれど一時間半後から空いてると言われ、そのまま一時間半後に予約。60分21000円。
一時間半はちょっと長いと思っていたけれど、風俗街を探検したり腹ごしらえ(うどん。何故か風俗街周辺にはうどん屋が沢山あった)したりしていると時間は過ぎて二十五分前になったので、お店に向かった。道中ですれ違う男の人には「これからセックスするのかな」と思い、女の人には「風俗嬢なのかな」と思ったりしていた。男の人については当たるとも遠からずだろう。
わかりにくい通りを抜けて店内に入ってみると、黒と白を基調とした結構小綺麗な店舗で高級感があった。サイトでは大衆店と書いてあったけれど、これが高級店だとどんなんなんだろう。いつか高級店に行ってみたいと勤労意欲が湧いた。店に入ってすぐのカウンターで予約時に伝えた偽名をどもりながら伝えると待合室に通された。待合室には二人できたと思しきおっさんが二人。ちょっと気まずい。ボーイに爪をチェックされ「うーん!切ってください!」と笑顔で言われ爪切りを渡された。バイト先の女子大生に彼女いないと思われたくなくてこまめに切っていたつもりだったけど伸びてしまっていた。不覚。おっさん二人の横でパチパチ鳴らして切った。
予約していた時間になってもなかなか呼ばれない。待合室のテレビに映る逃走中をぼんやり見ながら、おっさんが入れ替わり立ち替わり待合室から出ていくのを「こういう普通そうな人が来て今からセックスするのかあ」と他人事のように思いながら眺めていた。
やっと呼ばれた時には予約の時間から20〜30分経っていた。案内された通路に向かうと、灰色のタイトスカートスーツにピンクのシャツの女の子がひざまづいて待っていた。芸能人で例えるなら壇蜜似かな。すらっとした人で恥ずかしくて目を合わせられなかった。
二人でプレイルームに入るその行為自体がなんかエロいなと思いつつ、部屋に入り靴を脱ぎコートを脱いで促されるままにベッドに腰掛ける。エロい。この流れ、AVで見たやつだ。
ちょっとした雑談の後ソフトドリンクを飲んでお風呂に。隣で女の子が自然に脱ぎ出してちょっと興奮。こんな場所でも、生着替えが見れるなんて盗撮ものみたいだな、と思ってしまった自分が虚しい。女の子がジャケットを脱ぎ、シャツのボタンを外し、黒い下着姿になって裸になる。その動作を横で眺めていた。女の子の身体は外見と違わず色白ですらっとしていて美しかった。腰回りにも余分な肉はなく美しい曲線があり、お腹にうっすらと腹筋の影があった。細い太ももから脚がスッと伸びていて思わず掴みたくなる。Eカップと聞いていた胸はイメージとは違ったけれど、十分な大きさで形も良く、細い身体から程よいサイズが盛り上がる様はとても綺麗でずっと見ていられた。どこにもシミやできものの跡もなく、白い肌はとてもなめらかだった。真っ暗な部屋で自分の顔を小さな画面で青白く照らしながら見ていたような美しい身体が目の前にあって少し感動した。美しい彼女の身体を眺めているだけで幸せな気分だったし、彼女の美を彫刻に残して部屋に飾りたいなと思った。それを伝えたら「絶対抜くでしょ」と言われ、否定できなかった。抜くだけでなく擦り付けると思う。
お風呂でいわゆるスケベ椅子に座らされてお湯で体を流しながら希望プレイを聞かれた。筆下ろしプレイがしたかったので「初めてなんですよね…」と伝えるも、ソープが初めてだと受け取られてしまい、訂正もしにくかったのでそのままに。ドMであることや弱い箇所はきちんと伝えられた。惹かれないように「気持ち悪いですけど…」と前置きをして話したけれど、「私も結構変態なんでよほどのことじゃないと引きませんよ」「Mなんですね。よしっ。いいですねー」と返され期待が高まる。おどおどしてると「かわいい」と言われてしまいさらに高まる。その後、全身を石鹸で洗われた。泡まみれになり密着されて、柔らかく滑らかな感触が上半身の皮膚全体に伝わって一瞬で幸せになった。そのままキスされて舌を強く口に押し込まれて、同時に泡だらけのまましごかれ声が漏れる。泡を流した後、二人で湯船に入り、歯磨き、イソジン、雑談。二人で歯磨きって同棲カップルっぽい。身支度が整ったところで、湯船の中で女の子に覆い被さられキス。もう完全に幸せな気分に。
風呂から出て体を拭いてもらう。太ももを拭いてもらっている時にかがんだ彼女からくわえられて思わず、あっ、と声が出てしまった。
そのまま促されてベッドに。各所を攻められて恍惚の表情をしていたと思う。キスをしている時に彼女に、唾をください、とお願いすると飲ませてくれて興奮した。そのお願いあってか、その後は全体的に唾液多めでやってくれて嬉しかった。彼女に攻められて耳が唾液まみれになり、汚されている感がとても幸せだったので、調子に乗って顔を舐めて欲しいとお願いしたら「変態だね」と言われ興奮。頬、顎、鼻を舐めまわされて長年の願望がかなって感動した。女の人に顔を舐められるのはとても気持ちいいしとても幸せだ。せっかく舐めてもらったんだから今日は顔を洗いたくないな、というと「本当に変態だね」と言われ、愛を感じた。その後、言われるがままに四つん這いになり下半身各所を攻められた。とても気持ちが良く思わず声が出てしまう。彼女にここでも「かわいい」と言われてさらに高まってしまった。
諸々の準備体操が終わった後、騎乗位に。やはり下から見上げる彼女はとても美しい。こんな綺麗な身体と繋がれるなんて夢みたいだなと思った。それを彼女に伝えると謙遜していた。
騎乗位の次は立って試してみた。高身長な女の人はやはり立ち姿が映える。キュッとしたお尻もまた美しかった。引き締まったくびれを掴んでみたり、胸を後ろから包んだり、そのまま抱きしめたり、やってみたかったことは一通り試すことができた。後ろから女の子の髪に顔を埋めることは忘れていたので今度やってみたい。
立っている彼女を後ろから抱きしめた後、ベッドに戻って正常位に。AVで見た画面と同じものが目の前に広がっていた。AVと違うのは自分の動きに連動して彼女が動き反応することで、リアルなんだけどリアリティが凄かった。僕が上から覆いかぶさって繋がっている時に、彼女が小馬鹿にした調子で放った「腰の動き止まらないね?」という言葉は、今後数日は頭から離れないと思う。下にいる彼女がおもむろに舌を出して、今度は僕に唾を催促してくれた。ちょっと心が通じた感じがして嬉しかった。上から見るその身体もやはり美しく、それまでの彼女の献身ぶりや気さくな振る舞いも相まって、好き…という言葉が喉元まで出かかったけれど、踏みとどまって野暮なことはせずに済んだ。
他にもいくつか試してみたけど、家で誰を予約するか迷っている時にパネル写真に興奮して無駄撃ちした自分を恨む他なく、なかなか執着点が見出せなかった。年下の女の子とこんなことしてるなんて、エロいな…と呟き自分を奮いたたせたけれど、上手くいかなかったので手でしてもらった。自分でも終わったのかまだなのかわからない状態だったので、一応達しても彼女に攻められ続けてしまった。これもこれで無理やり続けるSっぽかったので良かった。
彼女に手を引かれシャワーへ。ここで何を話したのかはあんまり覚えていない。ローションの滑りを落として、またイソジン。
風呂から出て身体を拭いてそれぞれ着替える。彼女はスーツに。僕はセーター、チノパン、チェスターコートに。
最後のお願いとして、最初に渡されたソフトドリンクのミルクティーを口移しで飲ませてもらった。僕の方が背が高いので、絶対に一滴もこぼすまいという熱意を持って、彼女の口からミルクティーを受け止めた。あれより美味しいミルクティーはこの世に存在しない、ってイギリス人にだって断言できる。ミルクティー味のディープキスとスーツ姿の彼女を抱きしめた感触を僕はずっと忘れないだろう。これをするまで死ねないって思ってたんだよね、と彼女に言うと「まだ死んじゃダメだよ」と返された。少なくとも、この余韻を味わうためにしばらく生きるよ。
「これでしばらく今日のことを思い出して頑張れそう。ありがとう」と彼女に伝えて、部屋を出た。店を出る前にアンケートを書かされたけれど、全部最高評価にして、最高でした!の一言を書き添えて、また怪しげな通りの通行人に戻った。
帰りの電車の中では、喉の奥にほのかに残るイソジンの匂いが余韻を引き立たせた。これからイソジンの匂いを嗅いだら彼女を思い出して勃起してしまうかもしれない。パブロフの犬、ソープのイソジン。
家に帰ってもなんとなく余韻に浸っていまい、冷蔵庫にあったケーキを食べている時に「このケーキ美味しいな。あの子にも食べさせてあげたいな」と思ってしまっている自分に気がついた。我ながらチョロい。
振り返ってみると、達することはできなかったけれど、とても満足のいくものだった。帰ってきてすぐ自分のベッドに潜り込んで、彼女を思い出してティッシュを消費したほどには記憶に残るものになった。本当に彼女は芸術品みたいな美しい身体だった。別にプレイしなくても眺めてるだけで良かったし、密着しているだけで幸せだった。ただ、彼女に幸せにしてもらえた分、騎乗位で彼女と繋がって下から綺麗な姿を眺めている時に「日常的にこんな幸せを感じている人がいるのか。羨ましいな」と思ってしまった。かなり不純だけれど、セックスするために彼女を作りたいと思った。これまでも彼女を作るために女の子をデートに誘ってみたりしてはいたものの、今回に行って幸せな経験が強い原動力になる気がする。
クソ男に恋をして1年経つ。
彼のパターンはおおむね以下のとおり。
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●月曜
男:こんどの土日どっちか、会う?(※1)
●土曜夜中
(火〜土曜中ずっと連絡待ち続けて発狂寸前)
●日曜夜中
男:来週以降、連絡するね。(※3)
私:お待ちしておりまああああす!!!
(もてあましたかわいい下着をつけて日曜をぼんやり過ごし廃人寸前)
※以降、これを1ヶ月ほど繰り返したところで、約束が自然消滅することが多い。
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※1 「会う?」
つまり女に「会いたい」と言わせる。
これだけで、上下関係が出来上がり。
「私が会いたい…会いたい…会いたい!!!」とセルフ洗脳に陥る。
仕事というのは常に入るものであり、それで約束を反故にするのが当たり前では社会が破綻する。
しかし実態がわかることがないため、相手の反論は封じることができる。
「忙しいのに時間を割こうとしてくれてる!!ごめんねありがとうDAISUKI!!」となる。
※3 「来週以降」
以降、というのがすばらしい。
男が連絡しないかぎり、来週も再来週もずっと、女は待ち続ける。
待ち続けるということは、女の意識も予定も支配し続けることだ。
男はいつでも呼べるし、呼ばないでもいいし、また仕事はいっちゃったし、ごめんねエンドレス。
クソ野郎は、このようにして女を、会いたくて会えなくてガクブル状態にし続ける。
執着を強めて、逃げ続ける、彼の正体はなんなんだろうか。
それ以前に、そんな男に執着する私の欲望の正体を問うべきだが、ここでは割愛する。
ゾンビ化したかわいこちゃんが、ゴルフバットとかで殴り殺してくれないかな。
私は、大好きだから、できないけど。
彼氏→同級生専門職。母子家庭育ち→学生時代母親が恋人と蒸発した経験あり。
彼氏とは中学時代からの付き合いなのでもう人生の半分一緒にいる。
出会った頃から彼氏の家はハイパーごたごたしていてそれをネタに笑いをとるくらいだった。
付き合ってからも「俺は子供は作らない。変な家庭で育った人間は家庭を持たないほうがいい」というのが彼の持論で
私は「そんなことないでしょ~」とたしなめるのがお決まりだった。
私は両親も揃っているしずっと普通の家庭に育っていると思っていた。
高校生の頃はゴタゴタと仲が悪かったし、大学生の時もなるべく家族と顔を合わせないように授業とバイトを調整してたし
一人暮らしを目指して就職したけれど、別に変ったことではないと思っていた。
しかし私の就職したそこそこの安定した会社でその認識は打ち砕かれた。
若い人は親元にめっちゃ帰るし、既婚子持ちは子供や配偶者の話めっちゃするし家族に優しいし、家族に対する愛が溢れていて驚いた。
せっかく就職して一人暮らしを始めた安住を犯され壊される感じがして、職場の人間が怪物に見えた。
ウエディングドレスにも奥様業にも子供にも興味はなかったが、社会で生き抜くための責務と義務だと思っていた。
と、同時に「どうにかこの役割から逃げれないかなぁ」ともぼんやり思っていた。
彼氏のことは心の底から好きだけど、結婚することで今の関係から「夫」と「妻」になり
更に子供をもうけることで「父」と「母」になることを考えると嫌悪感でいっぱいだった。
子供を捨てたり虐待する母親はクズ中のクズだから絶対になりたくないが、子供というだけで私を縛り付け、仕事や社会生活を不利にする存在を
心の底から望み喜んで誕生させ育てなければならないという事実は許せないと思っていた。
しかも仕事をしながら育てるとなると両実家の協力は不可欠で、またあの実家と密にかかわりを持つのかと思うだけで憂鬱だった。
とにかく「経済的身体的自立を手放したくない」「実家と触れ合いたくない」という気持ちが強く、それが崩れるとなると泣きそうなくらい恐怖を感じた。
そんなこんなで、速攻でメンタルクリニックのお世話になった。
カウンセリングを受ける中で、私の強迫的なまでの自立への執着と家族に対する嫌悪感は生育家庭に問題があるのだな、という結論が出た。
私の両親は「こうあってほしい娘」像がすごく強固な人で、そこから外れることを許さない人だった。
どういう娘像かというと「成績優秀・スポーツ万能のオールマイティ優等生で、清楚で可愛くて、家の家事は全てこなし、家族に尽くすことを喜びとする」といった感じ。
私は運痴で地味だったので勉強と家事でその穴埋めをして家に置いてもらわないといけなかった。
年々親の求める学業のレベルと自分の出来るレベルにギャップが出来てきて、勉強と家事以外のことをしていると責められた。
更に父親はナチュラルに女性蔑視をかます人で、思春期以降は毎日セクハラ的なイヤミを言われ、女だからと母親や兄弟のケアを負わされた。
母はまさしく「社会に承認されるために子供を産んだ」としか思えない人で、仕事に忙しく子供に時間を割くことを本当に嫌がっていた。
勝手に進路を変えられたり入る部活や課外活動を決められたリ、といった学生時代だった。
親に認められないと生きていけないと思い込んでいたから結婚と出産子育てをしないといけないと思っていたけど、
親と過ごす生活や自分が親になることが感覚的に耐えられないから結婚出産子育てに嫌悪を感じる。
これがわかった時、彼の「変な家庭で育った人間は家庭を持たないほうがいい」という言葉がスッと飲み込めた。
いわゆる変な家庭で育っても結婚出産をして立派な家庭を築いている人はいる。
いるけれども、現在の私はその段階ではない。
彼氏とはずっと一緒に居たいけど、世間の求める夫婦の型にははまりたくないし、子供も欲しくない。
それは関わった全員が不幸になることだから。
このまま自分の治療を進めて、結婚して子供を持ってもいいなと思えるようになったときに
もう子供を産めない身体になっていたとしても、それは仕方のないことだ。
そう決めて、彼氏にもそう告げて、家族全員の電話とメールを着信拒否した。
今は薬を飲みながら、子供の頃できなかった趣味に手を出したり、勝手に進路変えられたせいで就けなかった仕事に就くために勉強している。
とても心が穏やかです。幸せになるぞー!
私のスケジュールはこうなった
6:00〜6:40 起床。犬の散歩。犬は暑さに弱いため夏場は5:00になる
6:40〜7:30 犬と家族の朝食、父のお弁当を作る、朝食を食べ歯磨きなどを済ませる
7:30〜10:00 洗濯(うちは量が多いのと一緒にされたくないなどの要望もあり三回回す)、洗濯物を運んで干す、食器を洗う、お風呂を洗う。コンロを掃除する、掃除機をかける
15:00〜16:30 洗濯物を取り込む、たたむ、犬の散歩、犬に夕食をやる
20:00〜21:00 食器洗い、シンク掃除、朝食の下準備、三人分の湯たんぽを作る
21:00〜22:30 仕事
22:30〜23:30 母と祖母にマッサージ、お風呂に入る、洗濯物を選り分ける
その他:家事の担い手は365日必要なので私が風邪引くとすべての機能が停止してヤバイ
仕事はフリーのクリエイター業、同人の方でも少し。三人家族で家事を担っていた母が体調不良で家事がこなせなくなり、家賃高いなーとぼんやり思ってた私と利害が一致し、私は実家へ戻って家事をやることになった。これは基本スケジュールで、母や祖母の病院送迎とか、週一度の食量日用品買い出しとか、細々した用事がイレギュラーに発生する。いやー家事って、一個一個は簡単なんだけど、全部やるとなかなかね、大変。家庭外での仕事だと仕事終わればとりあえず仕事の人と顔合わせなくて済む時間があるけど、家事を仕事にすると仕事のもプライベートで顔合わす人も同じだから、なかなかきつい部分があると思う。あと、家事ってほーーんと評価されない。この家に住んでいる勤め人の妹は、家事しない代わりに5万家に渡しているんだけど、すっごい褒められててさ……あの子は立派だって。あんたは家で遊んでる(仕事内容がイラストや漫画描くとかなものもあるけどさ……)って。家事も立派な労働だし月五万くらいの価値はあると思うんだぜ。妹が全く家事出来ない(いつも家に帰るのは23:00ごろ)のはアフターファイブにジムとか英会話とか遊びとかデートとか美容皮膚科とか行ってるのが主な原因なのにさーー。私だって、私だって、食費光熱費雑費家賃全部込みで五万で家事一切なしの家に住みたいよ……(T_T)
義務教育の家庭科の時間で人生の予定を書かされたし、いつかはするもんなんだろうとぼんやりと思っていた。
今までの人生で刷り込まれてきた「結婚は善(未婚は悪)」みたいな感覚もなんとなくある。
ただ、何のためにするのか?したくなったとしてどうやったらできるのか?
まるでわからない。
自分はヘテロの男性だと自覚してるし人並みには性欲もあると思うけど、結婚して伴侶となってもらった女性に自分の子を産んでもらって、それで何になるのか?
義務教育の中で伴侶となる人のつくりかたは教えてくれなかったし、結婚から出産、もしもの時の離婚までをチュートリアルで体験させてくれた訳でもない。
街行く人に「俺の子供を産んでくれ!」とでも言えばいいのか?
両方含む事柄もあるがそれは関わらなければいいだけの事だ。
人生における歩みを進める物事であり、生活の維持に必要な事であり、できればやりたくないがやらざる得ない事柄である。
最低限さえやれば良い事ではあるが自分の場合は発生ペースが常に処理ペースを超えており青息吐息、自転車操業の毎日だ。
読書、鑑賞、ゲーム、喫煙飲酒、生命維持に必要の無い飲食や睡眠など。
元来人間を喜ばせる為のものなので義務に比べれば遥かに少ない気力で手をつけられるものの、人生の歩みを止めている状態である。
自分はつまらない人間なのでやってみたもののどれも違いが分からず、精々待ち時間の居眠りを防止する作業にしかならない。
日々「嫌な事」をこなすに当たる疲労感に項垂れ焦燥感に焼かれ、ただでさえやらなければいけない事すらこなせないのに他人が楽しそうに騒いでいる「無駄な事」に同じ様に騒ぐ気力も無く、適当な理由をつけて生活保護を受けるにも親元への連絡という更なる「嫌な事」を避けてただ生きている。
前述した通り、能力が低い人間なので叱責・罵倒が周囲に絶える事は無く、ただ耐えて、プライベートな時間はひたすら重力に逆らう気力すら無く横になり眠るでもなく天井のシミを数えるでもなくぼんやりし続ける毎日。
国立大学を卒業し、あり着いた職場もホワイトと言われる残業もそう多くない叱責も業務上におけるもののみ、生みの親だって自分が成人するまでキチンと養育した常識的な親だ。
それにも関わらず辛い。頑張りたくない。これ以上「嫌な事」に立ち向かいたくない。
甘ったれている事ぐらい分かっている。自分は人並みの事をこなすだけの能力が無いのだろうな。
気力を振り絞り続けたくない。生きていたくない。
まあ、自殺する為の痛みや苦しみも嫌なんだけどね。失敗する度に散々な目にあってる。
彼女と出会ったライブのことは、今もわりと鮮明に覚えている。夏の、そう暑くない日。狭い6畳一間の自室でやることもなくだらだらしていた僕のところに、友人が突然訪ねてきた。車に乗れという。断る理由もなかったので着いていくことにし、車内でどこに行くのかと聞くと、あるアイドルグループのライブで、それも年に一度の規模であることを知らされた。正直、存在としてかろうじて知ってはいたものの、曲なんてまともに聞いたこともなかったし、メンバーもほとんど知らなかった。とりあえず車内で一曲だけ、それもぼんやりと覚えることしかできずに会場に着いてしまった。恐怖。緊張。何一つグッズを身に付けることもなく、ペンライトを一本だけ借りて知らないコールとともに迎えたオープニング。正直、セットリストの曲はほとんど覚えていないし、覚えた曲はわりと序盤で出てしまったし、会場の隅っこで大して盛り上がりもしないし、迷惑な観客だったと思う。そんな中で、僕は、彼女の一途なまでに一生懸命な一挙一動に、目を奪われていた。誰ひとり、手を抜いているわけではなかった。その中でも彼女は、群を抜いて一生懸命で、だれにもない輝きを放っていた。帰りの車内で彼女を推すと宣言し、友人との会話もそこそこに、ひとり静かに興奮していた。彼女を、応援したい。その思いが、燃え上がっていた。
それからは、次々とライブに通った。彼女にまつわる情報や記事や、ちょっとした映像や、その他もろもろにいたるまで、調べに調べた。遅ればせながらのファンである自分にできることをひとつでも多くしたかった。資格試験に追われながら通った冬の二日間、たった一日の休みで行った夏、フェスの1ステージ、さまざまな地方公演、どこでも彼女は一生懸命で、そして仲間思いで、グループの中心で、誰よりも真摯にステージに立っていた。わちゃわちゃした、楽しさのかたまりみたいなステージで、みんなが海に飛び込んで思い思いにはしゃぐ中、彼女は波打ち際で髪を振り乱して跳ねまわり、それでいてみんなが遠くに流されないように、しっかりと見守っていた。
彼女はその特徴から、グループの顔としての性格をライブ以外の場面では背負うことが多かった。いろんな場所を自由に泳ぎ、また重い責任を自ら引き受けているようでもあった。その姿はどこか、ステージの上の彼女とは違って見えた。どちらがいい、悪い、というものでもなかっただろう。きっと、彼女のできる一生懸命のひとつだったのだろう。そのことには気付かず、僕は違和感のまま、いつしかメディアに登場する彼女を追いかけるのをやめてしまっていた。結局、ステージに立っていない彼女に会うのが怖くて、ほとんど、接触に行こうともしなかった。一度だけ彼女と撮った写真はもうほとんど、見返すことすらない。
よくも悪くも、変わらない新年だった。正確には、はずだった。グループを、大きな不幸が襲った。僕ですら、受けた衝撃は未だにどこか残っている。ましてや彼女たちなんて、どうしようもなく計り知れない。それでも、ツアーは淡々と決まり、粛々と予定通り始まった。正直、延期しないかな、とすら思っているなか迎えた初日、完全に楽しむ準備ができていなかったことは、一つの事実だった。自分の気持ちというよりは、彼女たちが背負いすぎてしまっているのではないか、そんな不安があった。楽しそうな、今までに見てきた彼女たちしか見たくない。わがままだとはわかっていても、せめてステージの上でだけ、楽しい夢を共有していたかった。明らかに異質で張り詰めた空気の中、幕が開いた。勇壮なテーマ曲とともに、彼女たちが登場してくる。胸を張って、堂々と。翳りはどこにもなかった、とはいえ、まだ一息つけただけにすぎない。まるでサーカスの綱渡りを、一番大切な人が、しかも命綱なしで渡っているような、祈ることしかできない感覚。次々に歌われる新曲を聴きながら、思いを振り切るようにずっと彼女の表情を、動きを追った。きっと何もないどころか、乗り越えたような顔をしているに違いない、そんな見込みすら、彼女の一生懸命さには甘かったのだと思い知らされた。無理やり変えさせられるこの状況、それすら彼女は乗りこなそうとしていた。僕は安心するとともに、彼女たちの幸せを願うことしかできなかった、その無力さを思った。
ツアーは続き、最終日を迎えた。この日が山場になることは、タイトルからも明らかだった。乗り越えるべき壁と、登った先に見える風景。それを確かめるための日々が、確かにここにあった。そしてまた、徐々に彼女の変化が、かたちとなって現れていた。とはいえそれがどういう意味を持つのか、僕にはわからなかった。彼女なりの戦略であり、そう振る舞うのが「正しい」と信じて疑わないようでもあり、その圧倒的な説得力は、信じることしか与えなかった。
夏が来た。一年に一度の、楽しい夏祭りだった。最初に行ったときよりもみんな、歌もダンスも上手になっていたし、楽しくならない理由はなかった。そしてその通り、僕は思いっきり楽しんだ。
余韻の残る翌日、彼女から発表があった。予告されたときはまだまだ、祭りのあとの甘い気分の中にいた。一人の仕事が増えていたし、それに関することなんだろうな、くらいにしか思っていなかった。そんな中発表されたのは、彼女がグループを卒業する、ということであった。
大きな衝撃を受けたことは覚えている。ステージの上の彼女はどこか永遠だと思っていたし、彼女はそのぐらいの輝きを放っていた。そのことが、事実でなかったと改めて思い知らされた、その衝撃だった。とはいえ、不思議なことに、悲しみとか怒りとか、そういった行きどころのない感情は湧いてこなかった。彼女はいつでも一生懸命で、いつでも正しい。これまでもそうだったように、これからもそう、という信念が、確かにあった。
それからの彼女は、今までの変化を、よりはっきりと押し出してきた。それは、自分が周りを照らすこと、そうして周りのメンバーの魅力に、しっかりと気づいてもらうこと。自分が道を示して、また自分がいなくなったあとの、その道筋を作ること。そのために一生懸命になっている、そう感じられた。今まで以上に、自分が目立てばまたそれが、グループのためになる。そういった覚悟すら引き受けているようだった。
そうして一日一日、彼女の卒業までの日々が近づいてきた。悲しさはもちろんある。とはいえ、アイドルファンでもある彼女が、アイドルである自分を楽しんでいる様子は、見ていて微笑ましくなるほど楽しいし、どうしようもなく嬉しい。彼女はきっと、自分のグループの、一番のファンでもあった。あってほしい、という夢くらいは抱かせてほしい。
これから、最後の幕が上がる。その最後のステージが、どうなるのかは見当もつかない。ハチャメチャで、楽しくて、彼女たちがこれからもずっと幸せでいてくれますように。
恋人はいらない、って言うと「強がっちゃって」「いらないんじゃなくてできないんでしょ」とか笑われるけど、本当に恋人を欲しいとは思わない。
今までいたこともないのも本当だけど。
女だからか自分個人の問題か、性欲も大してないし、キスしたいとか手をつなぎたいとかもない。妄想してもどんな相手なのか輪郭がぼんやりする。
小さな頃からお絵かきとか読書とか、ひとり遊びが得意で、最近、ほぼ人とかかわらない仕事についたので、出会いもなく、この先もずっと一人なんだろうなってぼんやり思っている。
それ自体は嫌ではない。
周囲の友達は数年単位で付き合っている彼氏がいる場合が多い。同棲している人もいて、そういう人はパフェつまみながら、照れるような笑顔で「もう家族みたいだよ」ってよく話している。「ときめきのある恋がしたいわ」みたいなのろけのような愚痴のような話をして笑ってる。
正直とてもうらやましい。めちゃくちゃ羨ましい。
平穏な恋愛話を聞くと、自分はこの先もずっと一人なんだろうと、耳底を抜ける孤独を感じる。
自分がよく妄想するのは恋人とか夫とかじゃない。男でも女でもどっちでもいい。その人に恋人がいてもいいし、いつかでてってしまっていい。
今も辛いわけではない。本当に今が嫌なら、服を買ってメイクしてイヤリングして、婚活パーティに行けばいい、まだ若いので、体目当ての人はいるだろう。
そこから始まる何かもあるかもしれない。今も部屋で増田ということは、そういうことなんだろう。
それでも一人きりは時々さみしくなる。
今、私がこの四畳半の部屋で死んだとしても、夏ごろまでずっとそのままで、その間ずっとひとりだ。
それはきっと、とても悲しい。
うちの母はよく働く人だ。お正月といえば家の大掃除をして、おせちの準備をして、私はただ実家に帰って母の作った料理を食べるだけだ。片付けとかの手伝いもしない。今70歳なんだけど、もう少し歳をとって思うように動けなくなったらどうなってしまうんだろう?
私は昔料理の基本的なことは教えてもらったし、一人暮らしを始めたときは多少自炊もしていたけど、最近はめんどくさくなって出来合いのおかずを買って帰って食べるばかりになってしまった。実家に住んでいるときは洗濯も掃除もしなかった。今の家も洗濯は着るものがなくなると困るのでするけど、掃除は気が向いたときに水回りをちょっとするぐらいだ。
私も父も祖母(父方)も片付けられない人なので、実家にはいろんなものが山積みになっている。年末年始も私が泊まるスペースがないぐらいだったけど、今回母が奮闘してスペースを作り、ベッドに布団を敷いてくれた。どうも私が実家に住んでいたころの布団を引っ張り出したようで、ホコリっぽい匂いがした。
母が一人で頑張っているのを見ると「大変だな」とは思うんだけど、どうしても手伝う気になれない。母には自分のやり方があって、その通りにやってくれないとイラっとくるみたいだし、要領の悪いのがぐずぐずやっているのを見ていられないようで、結局「私がやった方が早い」になってしまう。
よく「夫や子供が家事を手伝ってくれない」みたいなぼやきを聞くけど、母みたいなタイプの人が家事をしない夫や子供を作ってしまうんじゃないかと思う。多少下手だろうが要領が悪かろうがじっと我慢して手を出さないようにしないと、「どうせやっても文句言われるだけだし」っていうことで余計やらなくなる。
あと、私はある程度お金がある場合、外注できる家事は外注した方がいいと思ってる。料理はまだ主婦のプライドがかかっていて、かつ出来合いのものを買うと材料に何使ってるか分からないとか味が濃すぎるとか添加物が多いとかいうのがありそうだけど、レンジフードの掃除に何時間もかけるのとか馬鹿げてると思う。そういうのをプロに任せればその分時間が浮いて、自分が手間をかけたいことに時間をかけることができるのだ。
母の母である祖母もそうだった。リウマチでだんだん手足の自由が効かなくなってきたのに、数年前までは正月に行くと頑張って手料理を振舞ってくれた。今は歩けなくなって施設に入ったけど、それでも共有の台所で、ちょっとした自炊はやるつもりらしい。まぁそんなにやることがあるわけではないので、負担にならないレベルの料理ならいいけど、家事の習慣がしみついている人とそうでない人の違いは凄まじい。ちなみに父方の祖母は特養に入っていて、認知症が進んでいるので、日々ぼんやりと料理も掃除もお風呂も施設の人にお任せで生きているようだ。実家に住んでいたときも家事はすべて母まかせで、トイレに行くのも一大事だったから特養に入ってくれて本当に助かったけど。
ということで家事でも何でも頑張る人とそうでない人の格差がすごいというのと、頑張りすぎる人が頑張らない人を助長させているというのが結論。話がうまくまとまってなくてすまんです。
労働による報酬受取額が一千万円強、株式による運用収益(値上がり益+配当)が一千万円強、合わせて二千数百万円である。
2017年の前半は、何かとお声掛かりが多くてありがたくも密度濃くはたらけた。身体的に厳しいものはあったが身体を壊すほどではない。ただ神経を使い過ぎるのも考えものなので、年後半は意図的に仕事を減らした。11月・12月はほとんど仕事をせず、もっぱら考えごとに時間を充てて(ぼんやり)過ごした。
所有する資産の大部分は株式への投資に充てて、常にリスクオンの状態をこの十数年続けている。借金はない。
今年前半、株価は下げの方向へ動いていたので、また海の向こうでは知性も品性もない男が大統領となって先行き暗澹たるものを感じてもいたので、今年はこんな調子かと思っていたら、9月の衆院選を境に急騰に転じてこうなった。
不安要素はあっても常にリスクオンの状態でいたことが功を奏した。もちろん狙ってできることではなくて、タイミングをとらえる努力は一切放棄して、常に市場に居続ける覚悟でやってきただけである。
資産はそこそこの額になった。上手に運用を続けていけば労働することなく家族を養って生きていける水準にはある。
とはいえ、仕事を最大の娯楽と位置付けて過ごす生き方が僕の好みなので、これからも仕事をばりばりこなして生きていくのが理想である。
ただ、そろそろ労働を切り売りするような仕事は断っていきたいと思うようになったし、そうすべきだと強く感じるようにもなってきた。2018年はこの意識を土台に据えて、これまでとは違った種類の頭脳労働で、縁あった人たちに価値を与えてその結果として収入を得ていきたい。その方法はといえば漠然としていて、具体的な手法は見えていないのが問題ではあるが、考え続けていればそのうち何かアンテナに引っかかるものが出てもこよう、見えるものも出て来るだろうと考えて、年末の静かな時間を過ごしている。
何をいいたいのかというと、投資は早く始めるに越したことはないという話である。投機家連中の戯言など一切無視して、自身に理解できる範囲内の投資先に投資し続けること、配当はすべて再投資へ回し、複利の効果を存分に享受すること、少しずつ投資元本を追加していくことがやはり一番である。複利の効果はヒトの直観を上回るスピードで効いてくるので、そうすればやがて想像以上の結果になるのだということを体感したのでこんなことを書いてみた。
つい一週間前、カウコンの自担アンダルシア選抜にぶち上がって年男の扱いに涙したような気がするのにもう1年立とうとしているらしい。年取ると1年があっという間~~とかつまんないこと言うけどマジですわ。
2017年はなうツが初夏までやってたこともあって「2016年の壮大なアウトロ」って感じがしてたんだけど、今考えると「少クラが水曜8時じゃ無くなった」っていうのがめちゃくちゃ大きい出来事に感じる…
っていうのも私がジャニオタになったきっかけというのがこの少クラでありまして、大学から帰って来たら母親が夕方熱心になんか見てて、若い子がいっぱいいて、踊ってるんですよ。
ジャニーズってこんな毎週番組やってんだ~~とか言ってるうちにズルズルはまっていきまして、それでぼんやりしてるうちに社会人になっちゃったんですけど。
その、社会人になってからの少クラっていうのが本当に”効く”んですよね。
水曜っていうのが本当に良くって。
月曜火曜で消耗して自尊心もめちゃくちゃになって、疲弊して倒れ込んだ先にキラキラした衣装で顔のいい男達が踊って歌って楽しくやってるわけです。こんないいこと他にないですよ。
特に新卒の頃なんかも~~退勤したあとも「仕事ができない自分」が追いかけて家までくるわけで。そんな中で一時間のあいだだけでも自分と向き合わなくて済む、ポジティブで前向きなエネルギーだけ摂取していられるっていうのは本当に精神的に良かった。
どんなに月曜火曜が辛くて厳しくても「でももうちょい頑張ったらテレビ初披露曲だし」ってなれるし、見終わったあとは「あと2日あるけどパリマニの動画でもコスってなんとかやっていこう」って思えるんです。マジで言ってますが、私は弱っちいのでもしあの時少クラという安全帯が無かったら社会から落っこちておっ死んでた。
まあ今もそうですけど。
そうやって水曜を要にしてここ2年間はあくせく働いてたんですけど、今年の春だっけ?びっくりしたよね、番組改編で金曜6時だって。金曜6時って。天才てれびくんかよ。まあ自ユニ天才てれびみあるけど。ねえ。
金曜まで辛抱しなきゃいけないってなると、本当に一週間って人間のやる量じゃない。
しばらくはほんとに感覚が掴めなくて月火水木が分からなくなった。
まあ金曜になってからもなんとか追ってはいるけどなんというか、疲れに疲れきってると美しい顔を見ていても疲れる時があるんですよ。「水曜に少クラを見ていた時の脳のバリバリのキマリ具合」がどうしても再現出来ないというか。
(これは単純に私が毎週美しい顔をみることができる世界に二年留まり続けているので強い薬に慣れてしまっただけなのかもしれないのですが…)
あと、まだ大学生の頃、家庭で悲しいことがありまして。それで母親と泣いてたことがあったんですけど。その時少クラつけてて、増田くんとジェシーかな?なんか歌ってたんですよね。うまい歌。で、母親がぽつんと「毎週少クラがあって良かったね」って言ったんですよね。
なんでもない一言ですけど私そのことを今でもずーーっと覚えてて。
その時はほんとに私も辛かったから、キラキラした世界が変わらずあってくれることがありがたかった。
まあ少クラは今でも時間変わってもやってるわけだし内容も変わってないけど、なんかそういう思い出があるからなのかな~~~~少し寂しく思います。Twitterの実況勢の出席率も良かったし…
まあ散々グチグチ言ったけど変わらないことなんて世の中にはなんにもないし、チケキャンは死んじゃったし、平成は終わるらしいし、うちわ連番した同担の友達は現実忙しいみたいだし、初めての遠征で行ったスペースワールドは今度つぶれるらしいけど、少クラは変わらずやっててほしいなあと切に思います。
小島や白河はどちらかと言えば今は抑圧する側だが、先日のbuzz feed の記事や『専業主夫になりたい男たち』を読む限りではそういう自覚がまるでないな。むしろ永遠の被害者。
若い女がぼんやり専業主婦志向だったり生きる為に働くという意識がなくぼやーっと自己実現の為のお仕事をしたがる原因は教育の不備だと思っている様だが(私が対談を誤読してなければな)、そういった若い女のメンタルが辛い現実からの逃避である可能性には思い至らないのだろう。
てか自己実現の為に働くって小島や白河の世代がやってた事そのまんまじゃないか。上の世代がそうじゃない働きざまを見せれていないという事ではないだろうか。
数年前に催眠、乳首、前立腺あたりを浅くかじったものの手間の割には徒労感が大きくて最近は面倒であんまり触っていないんだが、たまに不思議な状態になることがある。
意識がぼんやりして微睡んでいる時にエロ妄想をしていると、その感覚がじわりじわりと自分のものに近づいていることがある。
催眠が上手い人は五感を完全に騙せるのかも知れないが自分の場合はそこまでできず、せいぜい極限まで思い込めているというか思考から現実の五感と認識を意識して取り去っているというか、そんな感じ。だから現実の俺の男の肉体を動かすと妄想の中の女の肉体が気持ちよくなって、女が喘ぐ。喘ぎ声はしょうがないから裏声を頑張ってどうにかする。俺は大の巨乳フェチなんだけど自分に乳がついたことはないからそこを意識すると妄想が粗すぎてボロが出て萎えるから忘れる。お気に入りのエロ台詞なんかも言ってみるとなかなかどうして性感が刺激される。俺の声のくせに。
そんなことを続けているとやがて妄想の中で女が絶頂する。すると自分の身体も自然と持ち上がってビクビクと痙攣する。頭が真っ白というわけではないんだけども全力で喘いでビクビクするとまぁ雰囲気だけでも気持ちよくなる。しかも射精と違って脳が醒める賢者モードがないから同じことがまたできる。さすがに3時間繰り返すと脳が先にくたびれて微睡みを維持できなくなった。おもむろに尻に触れてみると一切触ってないのに腸液でぐっしょりしている。男性の肉体にこんな機能があることが驚きだ。
この感じも心地よいとは思っているんだけども、メスイキがこんなもんじゃなくてその先にあるものならその境地を見てみたくもある。
僕は27才の男性。今までの人生の中で異性と恋愛をしたことがない。また、風俗を含めてセックスの経験も一切ない。
何でこうなったのか自分でもよく分からない。小学校、中学校、高校、大学と、全て共学の学校にいたが異性に対して恋愛感情を抱けなかった。
もちろん、異性に好意を持つことはあったが自分の中で恋愛感情に発展することがなかった。大学生の時には女性の人数が男性よりも多いサークルに所属し、女性の友人も少なからずいた。しかし、知人、友人という関係性が恋人という関係性に変質することは遂になかった。
大学を出てからはしばらく東京で働いていたが、持病の双極性感情障害が悪化し、2年前から寂れた田舎の実家で療養している。とは言うものの病気はそこまで重症ではなく、今は炭酸リチウムを1日2錠だけ飲んでいる。
僕は子供の頃から感受性の強い性格で、他人の感情に極めて敏感だった。常に周囲の反応が気に掛かり、叱られたり、注意されたりする度に、心が病んでいった。完璧主義の面がある一方で、興味の対象が移ろいやすく、1つの物事を長期的に成し遂げることが困難だった。
実は高校の頃にこの病気を発症し、高校1年生の時点で留年し、そのまま退学している。家で引きこもりながら、高認を取り、大学受験をした。はっきり言って、受験勉強は何もしなかった。いや、「しなかった」と言うより「出来なかった」に近い。とにかく長いスパンで、計画的に勉強を続けることが苦手なのだ。塾も2,3ヶ月で辞めたし、予備校も通信教育もまったく続けられなかった。今でもそうなのだが、机に向かって集中力の要る作業を長い時間続けることが、本当に難しい。一方で移動中の電車や自動車の中や、テレビのCMの時間と言った細切れの空いた時間に、英単語を覚えたり、読書をしたりするのは問題がなかった。その傾向は今でも変わらない。
大学受験の時は暗記科目がまったく分からず、ほぼ白紙回答だったと思う。それでも、受験先が低偏差値の所だったので一発で合格できた。今でも基礎学力が自分にないことに強いコンプレックスを持っている(学歴コンプレックスはあまり強くないと思う)。
とは言え、高校1年までの成績が悪かったわけではない。小学校、中学校の頃は成績は良かったし、高校も地元で評判の進学校に通っていた。数学は苦手だが語学、暗記科目は得意だった。高校の時に模試で県内上位に入ったこともある。まともに学習行動ができない性分だったので、なぜ自分の成績が良かったのか、未だに分からないでいる。
最近は昼間でも寝ていることが多く、自分磨きもできていない。何度かハローワークに行ったが、受付でパニックになってしまい、何も出来ずに帰ってしまった。ひきこもりの人が集まるような場所が近くにあり、10回ほど通ったが、この1年はご無沙汰になってしまっている。皆、定職を持っていて、無職の自分が惨めに思えたからだ。そこからの事務的なメールはしばらく続いたが、今年の春先にはそれも途絶えた。
唯一、まともに出来ていることは、夕食を家族に振る舞うことだ。簡単な料理だけではあるが、夕食は毎日私が作っている。鍋物、煮物、炒め物、パスタの中から2,3品調理し、両親と3人で食べている。得意料理はカレーライスと麻婆豆腐。これからは魚料理にも挑戦して、レパートリーを増やすつもりだ。
両親は共働きをしているが二人とも正社員でないので、収入はきわめて低い。このままの生活で私や両親の将来が大丈夫なのかと不安になる。母は「将来の当てがあるから心配するな」と明るい調子でいつも僕を慰める。しかし、貯蓄もなく借金だらけの我が家のどこに当てがあるのだろうか?何度尋ねても具体的な答えはない。うっすらとした不安がぼんやりとした日常の中で少しずつ重なっていく。
最近、童貞いじりや精神病患者、ひきこもり、生活保護受給者へのバッシングが世間で流行っているようだ。僕のような存在は世間から馬鹿にされ、見捨てられても仕方のない存在なのだろうか?この一年程は、家族と精神科医、スーパーやコンビニの店員以外と会話したことがない。何でもいいから僕に対する誰かの反応が欲しい。このままだと気が狂いそうだ。
おお、はあちゅう。君は僕のミューズ。美術館に囚われし姫。白鯨の住む大海原を優雅に泳ぐ人魚姫。清らかな、泉のような流れに逆らい、君を辿ればあたりは異臭。水は目に見えて濁りゆく。あたりは糞尿まさに下水。たどり着く先は便所小屋。きっとそこは、君が見たアンモニア香る素晴らしい景色が広がっているんだね。
おお、はあちゅう。君は知っているか。桜の樹の下には屍体、枝の先には熟れに熟れた実がたくさんたくさん実っていることを。傍ら君は、満開のサクラ色めくサクラ通りを、電気仕掛けの華やぎで演出することに勤しんでいたね。知ってるよ。その下にも屍体が埋まっているんだ。君はその屍体を、屍体たちの透明な苦しみを、海の巫女として色めく言の葉にして拡声器に載せ、またたく間に大海原をその言の葉の色で埋め尽した。ほんとうに圧巻だった。
おお、はあちゅう。君がその傍らで、手に取り玩んだのは、大海原に映った桜の実の影だろう。それが象徴する苦しみは限りなく透明に近いブルー。チェリーの記憶を持つものにしか真っ赤に見えない。おお、はあちゅう。僕はその色のない影に、色を、限りなく目立つ彩色を試みたんだ。おお、はあちゅう。君はやっぱり気づかなかった。僕は、君の知らないところで大海原に流れ薄れ溶けて消えていくその悲しみをぼんやり眺めていたんだ。
おお、はあちゅう。君は清らかな海の巫女。君を取り巻く警備員が、拡散された言の葉の色の濁りをたしなめたね。それは僕の、僕たちの悲しみの色だったんだ。おお、はあちゅう。君は眩しい。目を覆わんばかりさ。君と僕たちが生み出す摩擦は火花を放ち、みるみる海を漂う言の葉を真っ赤に染め上げた。
おお、はあちゅう。君は炎の歌姫。君の鎮魂歌は虹色の原油。おめでとう。君は油田を掘り当てたんだ。いつ海の奥底で地盤が動いたのかはしらない。たまたまそこから溢れたのが糞尿まみれの原油で、本当にたまたま君の真下だったんだ。君は、限りなく透明に近いブルーだったチェリーの悲しみが誰の目にもわかる熟れた警戒色に変わったのは何時?と歌う。コウモリのように、君を断罪する理由が黒い灰になって宙に舞い、空を覆い、世界は太陽の光を失いほの暗くなった。悲しみと怒りと煽りが雑じったショッキングピンクのグラデーション。超音波、高音波、波と波がうねりぶつかりくだけ、大荒れが君の歌声を掻き消す。灰色が充満する世界で炎に照らされた君。おお、はあちゅう。君は、もう、真っ黒。
おお、はあちゅう。クー・クラックス・クラン、ナチス・ドイツ。君もすっかり差別主義者。信じられるかい。君たちは、かつて私を悪から守るヒーローだったんだよ。黒人、ユダヤ人、童貞。その他、たくさんの悪を教えてくれたね。私は彼らを人間と思わず、ムチで打ち、十把一絡げに大量虐殺したんだ。でもね。海の底で地盤が動いたんだ。こくじんはにんげん、や、ゆだやじんのくるしみ、そして、どうていのかなしさ、は鮮やかに色づいたんだ。一方、クー・クラックス・クランの白衣は黒衣に。カッコいい正義の軍団ナチス・ドイツは糞尿まみれになった。はあちゅうは真っ黒。海の底の亀裂から海上に、吹き出した糞尿臭い原油の黒さは、君たち差別主義者を見分ける目印さ。
おお、はあちゅう。君は知っているか。ライトポリティクスのナイトが存在することを。誰かの祈りの言の葉に呼応して、どこからともなく現れて、海の底を伝説の棒でぶっ叩くのさ。おお、はあちゅう。君が悪いのさ。まさか糞尿くさい原油溢れる亀裂の真上に君がいるなんて思いもしないじゃないか。君もびっくりだろう。でも警告はした。そしてそれは君に届かなかった。おお、はあちゅう。でも安心して君をひとりにしないよ。今、君を嘲笑して、バカにして、消えろって言っている私たちの内の誰かも、人間を人間と思わず、無知でムチを打ち、大量虐殺を楽しんでいるんだ。でもね。またいつか海の底で地盤が動くんだ。きっとまた正義の騎士が軽い感じに(ライトのナイトがライトに)伝説の棒で海の底をぶっ叩いて、吹き出した原油と糞尿がそれまで高らかに正義を掲げていた誰かの頭に直撃するんだと思う。
ねぇ、はあちゅう。この現代アート、バカみたいで笑えるだろ。もし君がこの額縁の中に真っ黒、糞尿まみれで存在しないならば。でも、だからこそ笑えよ。君を人とも思わない未来の差別主義者である私をも。
ネット有名人と芸能人の一番の違いって、有名性や、(大衆からの漠然とした)好意や許容、みたいなものが、
どこから発生して何が原因で無くなっちゃうのかを、意識してない顔をしたまま意識して行動する修行ができてるかどうかだ。
炎上系ネット有名人はその辺の脇が甘いというか、有名=PV上位、悪名も名だ、みたいな甘えがあるんだろうけど、
そんな有名性なんて、Googleの検索アルゴリズムが「あー、あれ有益じゃないやつだ」と変われば吹けば飛ぶという
そういう意味では結局、今の有名性や不特定多数からのぼんやりした許容の、発生/消失原因をコントロールできないのに変わらない。
ぼんやりとした好意・許容って、一度逃すと戻らないものでもある、有名になればなるほど取り戻しにくくなる。
蒸し返すようで気が引けるが、ベッキーがいつまでも「大衆からのぼんやりとした許容」を取り戻せないのは、
あの子(や取り巻き・事務所など)が、彼女が「努力してる優等生芸能人」なことが好意の源泉だったと考えていたのも理由だろう
大衆からの漠然とした許容、というのは、そんなロジカルに発生するものではなく、
嘘ついた?、信用できない、なんか嫌い…、などの、ちょっとした悪意、
この記事は女子高生 Advent Calendar 2017 20日目の記事です。
わたし日向ゆかり。同じ情報処理部のゆずちゃんやゆいちゃんと楽しく女子高生生活を送ってきました。明日は三学期の始業式、おうちでのんびりする予定だったのですが朝からなんだか体がだる重で虚無みが深いです。生理はこの前終わったばかりなのになんでしょうこの無理、どうにかしてすっきりしたいものです。あっそうだ、ゆずちゃんにメールしてみます。ねぇねぇゆずちゃん、なんだかとてつもない虚無に襲われていてさっぱりする方法を探しているのだけれどなにか知らない?送信っと。あっ返信が来ました向こうも暇なのでしょうかそれにしてもリスカ^~とだけ書いて送られても何なのかさっぱりです。しょうがないのでゆいちゃんにも聞いてみましょうついでにリスカ?のことも。しばらくすると返信が来ました。わたしはそういうときはいつもストロングゼロでなんとかしてるけどゆかりんちそういうのなさそうだしリスカが良さそうあっでも本当に手首だと危ないからアームカットにしてね☆だそうです、アームカットのやり方が添付されています。ふむふむこれなら私にもなんとかできそう、ちょっと頑張ってみようとおもいます。ガッコで使っていたカッターがありましたね、サビのあるところを折り捨ててエタノールで消毒してっと。じょろじょろごしごしし終わったら利き腕でカッターをしっかり握って反対の腕をどこか安定した机とかに置きます。そしたら刃を腕に当て、刃先を人差し指で押さえつけるようにしてそのまま刃に沿ってゆっくりと引くのです。するとすると微かな鋭い痛みとともにサッと脳に快感が走ります。なんかこれいい!楽しくなってきて気づいたら何筋もの赤い筋が腕に生まれ、ところどころにどす黒い球がうかんできました。深く切れば切るほどザッという重みのある気持ちよさが腕から伝わってきます。指をつたって赤黒いにゅめっとした液体がとろとろ流れ落ちてくる頃になるといつの間にか垂直になったゆらゆらしてる床がだんだん赤黒くなるのを多幸感に包まれながらぼんやりと見つめることしかできなくなりました。