子供の頃、父親とオセロをよく遊んでいたとき、父親が強くなかったというのはあるけれど、大体勝っていた。それが、この間久しぶりに小学生の親戚とオセロで遊んだら、すっかり負けてしまった。
当時の感覚をあまり覚えていないけれど、相手が打つまでに少なくとも数手先、多いと5手先くらいまで考えていたと思う。自分が打てる場所、相手が打てる場所、自分が置きたい場所、相手に置かせたい場所を素早く目で見て頭に置いておけた。今はそうではなくなってしまった。
自分の頭が老いてしまった寂しさはあるものの、老いは現代で避けられないし、オセロをプロで打っている人も居るので、長いブランク(元からプロではないのに)で衰えてしまったように思う。たまにでもオセロで遊んでいれば、今遊んでももう少し楽しかったかもしれない。
自分が一生付き合う何かを小さい頃から常に訓練し続けておくというのは、その時期に既に「これが自分の一生付き合う何かだ」とわかっていないといけないということで、これはとても難しい。僕は急に音楽が好きになったりしたけど、音感は無く、ピアノも習っていなかったので、未だに自分で曲を弾いたりできない。オセロも音楽も、それだけに集中してしばらくやれば上達するだろうけれど、忙しいとか言ってしていないし、しても上達できるところは低いかもしれないなとぼんやり思っている。
でも、感覚ではなく、理論という面では、様々勉強した頭のほうが入りやすかったりする。オセロも定石が多分ある(見たことはないけれど)。だから、小さい頃の僕がプロのオセロマスターに挑んでも、勝つのは難しいと思う。
感覚は早いほうがいいが、理論は早くできない、というのは、なんともむず痒い。小さい頃から賢い子は有利なのだろうか、とも思うけれど、理論に縛られない感覚が持つ創造性が定石を覆すこともしばしばある。