はてなキーワード: ぼんやりとは
今急いで帰っても電車動いてないし、復旧するまで待とう、いつものように遅くまで残業して帰る頃には空いた電車に乗れるだろうなどと。
結果どんな状況になったかは省略。
これなら大丈夫だなと思いつつ、終点の乗り換え駅まであと1駅2駅というところでやたらと電車が止まる。
アナウンスによると、終点のターミナル駅のホーム混雑のため、電車が入れないのだという。
よく分からないが遅れているんだな、と途中から座れた座席でぼんやり聞いていた。
あまりにも人が多くて電車から降りられない、降りるスペースが無い。
なんとか降りる。
既にすし詰め状態の電車から幾らかの人が降り、ホームの人たちがすし詰め電車に乗り込む。
こりゃ2本くらいは見送ることになるかな、と思っていた。が、甘かった。
その後1時間と15分、電車は10本くらい見送った。列は減らず、ホームはすし詰めのままで身動きも難しい。
身体のあちこちが人混みでおかしな位置で固定され、その状態から動けない。ホームでだ。
密着する周囲の人の手荷物だろうか、脇腹にずっと当たって痛い。けど動けない。ホームで。
たくさん見送ってようやくすし詰め電車に乗り込む。しかし電車はいつまでも発車しない。
また開けるとのアナウンス。…
すし詰め電車の中でつり革につかまる大柄の男性の腕を避けるように首を傾げ、圧迫された身体で中腰からおかしな風にねじり、スマホを持つ手もおかしな場所で固定され身体のそばに寄せることも叶わない。
そんなこんなの大混雑の路線で数駅、ようやく最寄り駅に。
ぐったりしつつ理解が深まる。
東京で雪が降るということがようやくわかったように思う。
少し前のジャンプアニメというか、少年漫画原作の夕方アニメのノリがふと懐かしくなる。
原作の重要回を気合い入れて再現したと思ったら、原作じゃこのノリは絶対やらねえよなと思わせるようなオリジナルの一話完結回が唐突に入ってきたり、原作のストックが枯渇してアニメのオリジナルシリーズが始まったり、そういうのを繰り返してだらだらと数年に渡って続けていく、みたいな。
立派な大人のオタクになった今、一つの作品として見返すとテンポが悪いとか引き伸ばしがひどいとかスタッフ原作ちゃんと読んでないだろとかどうしても思ってしまうのだが、当時キッズな視聴者だった自分は、テレビをつけたらおなじみのキャラクター達が動いて喋って活躍している、それが毎週続いているだけでも何だか妙に楽しかった。いつかは最終回をやるんだろうなとはぼんやりと思っていても、それは多分相当先の話なんだろうと安心させる何かを、逆に画面のテンポの悪さから感じ取っていたのかもしれない。
なので実際に最終回が来てしまうとやはり寂しくなってしまったものだが、長い間馴染みがあった分、逆に一つの充実感というか、感慨を持って最終回を見届けられた作品もあった。あとから見返すと大体終盤なんだからもうちょっとテンポよく盛り上げろよ話数無駄に使うんじゃないよと思ってしまうのだが。
話数の枠を知らず、また意識せず、テンポも特に気にしないでただ贅沢に大長編を楽しんでいた頃。きっとただのキッズだったから純粋に楽しかったのだと思うけれど、やはり妙に懐かしい。
『他人を非難してばかりいる人たち 〈バッシング・いじめ・ネット私刑(リンチ)〉』著者・岩波明氏からのメッセージ
閉ざされた「平和」なこの国で、ぼくらは満ち足りて暮らしているべきなのかもしれません。世界中のどこよりも安全で豊かなこの場所で、「幸福」であるはずなのです。
けれども、ぼくらはいつも不満足で不機嫌で、ぼんやりとした退屈な世界の中で、他人の不幸を求めてしまう。自分は何も持っていないにもかかわらず、自らが「神」のように振る舞い、他人の存在そのものを糾弾することに喜びを見出しています。
本書は、このような息苦しい日本の「空気」について、ネット社会で起こった実例をもとに検討を加えたものです。この淀んだ小さな世界では、だれもが加害者であるとともに、いつでも被害者にもなる可能性を持っています。
入る前は、
60%……大企業 20%……有名なベンチャーとか 19%……研究者など(D進) 1%……その他
ぐらいの進路なのかなあとぼんやり思っていたが、実際には、
20%……大企業 40%……(アレな表現を許せば)隠れ優良企業 10%……ベンチャーなど 15%……研究者など(D進) 15%……失踪
ぐらいの勢いで(思っていたより)10倍ぐらい失踪者がいる気がする。
失踪者の中にはただひたすらに学費を払って失踪しているものや、BやMの学位だけは取って失踪するもの、退学するものなど色々いる。
同じアパートに住んでた幼馴染、Aちゃんと妹のBちゃん
めちゃくちゃ可愛くて大好きだった。本当に好きだった。Aちゃんがだいすきだった。
Aちゃんのおばあちゃんが習字教室をやってて、そこに一緒に通わない?って誘われて、幼稚園の時から行くことにした。毎週土曜日、13時くらいから15時くらいまで。AちゃんとBちゃんが前の席、私は後ろ。
よく考えなくても当たり前だけど、私だけ他人。AちゃんBちゃんは大好きなおばあちゃんから教えてもらえて、楽しそうだった。私にとっては知らない人だから、すごく緊張した。けど行き始めたし、Aちゃんが大好きだったから通い続けた。
おばあちゃんからしたらそうなるのは当たり前だけど、私よりAちゃんBちゃんをよく見て、指導して、ひいきした。私は放置が多くて、おばあちゃん!増田ちゃんもみてね!とかAちゃんが言ってた。でもしょうがないよね、先生から見たらAちゃんBちゃんは可愛い孫、私は他人なんだよなって子どもながらにぼんやり思った。
習字教室は学区外にあった。通い方は、私は鍵っ子だったので自転車で来て帰る。雨の日は1時間とかかけて歩いて行く。AちゃんBちゃんはお母さんによる車での送り迎えがあった。
初めは気にしていなかったけど、小学校6年間それが続いたのはけっこうつらかったんだと思う。
AちゃんBちゃんは小学校入る前くらいに大きな一軒家に住み始めた。庭のある大きくて綺麗なおうち。おとうさんの趣味だという豪華なキャンピングカーなんかもあった。お金持ちだ。
対する我が家は当時はかなり珍しい共働き。ずっと鍵っ子だった(クラスに鍵っ子は私だけだった)。しばらくアパート住まいだったけど、お金が無くなったり色々あって、恐ろしいほどぼろぼろな平屋に引っ越した。風が吹き込み、トイレのドアは薄くて変な木で出来てて勝手に開いた。毎日サバイバルな生活ができる家だった。狭くて、二段ベッドの上しかパーソナルスペースがなかった。でもその家は好きだった。夏休み、毎日庭でひまわりと一緒に過ごせたから。
普段遊ばない友達が家に来たいというのであげたら、その子は偵察部隊で、うちのボロ屋をたくさん観察して、帰ってお母さんに報告して、私のぼろぼろのおうちの話は一気に広まった。そんなことするひともいるんだなと思った。
AちゃんBちゃんはすごくかわいい。本当に可愛くて、いい子で、大好き。おばあちゃんにも愛されてて、習字の後の筆もお湯で洗ってもらえる。私は他人だから洗ってもらえなくて、たまーにAちゃんが増田ちゃんの筆も洗おうよって言って、洗ってくれた。でもほんとうに申し訳なかったから、大丈夫だよ、家で自分でやるよって断ってた。家はお湯が出なくて、水で洗うから冷たかった。
雨の日、かさをさして歩いて帰るけど、小学生には習字道具が重かった。AちゃんBちゃんは車でばいばーいって私に手を振ってくれた。家の方向が真逆なので、私も手を振って別れた。早く帰らないと寒いし、重いし、冷たいし、風邪を引いてしまう。雨はしとしと降り注いだ。
おばあちゃんの家にはおじいちゃんもいて、そのおじいちゃんは明らかに私に気を遣ってくれた。帰り際、私にだけこっそりぽたぽた焼を渡してくれたり、ある時はナイショで自転車の後ろに乗せて家まで送ってくれた。すごく優しかった。
Aちゃんは私にもいつも声をかけてくれて、優しくて、可愛くて、お菓子もくれて、きをつかってくれてた。おばあちゃんも、きちんと習字を教えてくれた。そのおかげで今綺麗な字を書けている。おじいちゃんも、ほんとうにすごくやさしかった。
そのはずなのに、その頃のことを思い出すとぼろぼろ涙が出てしまう。大好きなAちゃんとの思い出がたくさん詰まってるのに。いろんなお話も出来て、楽しかったはずなのに。
帰路、なんであんなに泣きながら帰ったんだろう。
Aちゃんちはお母さんがむかえに来て、お休みの日は家にお父さんもいたけど、なんでうちはお母さんの休みの日はなくて、お父さんは週に一度、木曜日20時から10分、宅配の仕事の合間にしか会えなかったんだろう?
がんばっておしごとしてたんだからしかたないじゃん。お父さんのせいじゃないでしょ。私ががんばって我慢すればよかったじゃん。全然会えなかったけど、どこにも出かけられなかったけど、みんな休み明けにお土産くれる中一度もおかえしできたことないけど、仕方ないじゃん。グアムのお土産とか貰いっ放しだったけど、夏休みは家と近くの公園を行き来してたけど、しかたないじゃん!
誰も悪くないよ!だれもわるくない!習字のせいにするのやめろ!悪くないじゃん!悪くないのに
そうやって人のせいにする
そういうところ よくないよ
あなたの自己肯定感は全くない、もしくは著しく低い。最近、そんなことを言われた。
みんな悪くないのに、この話が原因かもなんて思ってしまう。今思い出しても涙が止まらなくなる。悪いのはこういう解釈しかできなかった私。みんなごめんなさい。元気になローソン。
生きているのがしんどいと思い始めて、多分だけど15年とか経っている、ちょっとした消えたがりの散文が、つらつらと下に書いてある。
時間がある人はちょっとだけ読んでほしい。そして何か、少しでも意見が欲しい。いろんな考えが知りたい。でも、かなり怖い。
いや、読むのは時間を持て余した人だけでいい。かなり端折って書くけれど、15年くらいの時間を書いていく。きっと恐ろしく長くなる。なんか流行りだからここに書いたけど、きっと読む人は片手ほどで、その中でコメントを残す人を期待するのも間違っているんだろうけれど。なんてったって散文だし読みにくい。
でも、誰でもいいから話を聞いてほしい。私かうすればよかったか、これからどうすればいいのか。無責任で構わないから教えて欲しい。
初めて消えたいなと思ったのは5歳くらいだったと思う。6歳だったかもしれない。
親の都合で転園してきた先で同じ園の女の子に仲間はずれにされた。
ぼんやりとしか覚えてないけど転園する前も、仲良くしていたのは女の子ひとりと男の子ひとりだけだったから、昔からあまり好かれるような子じゃなかったんだろう。多分、すごく生意気な子供だったから。
みんなが可愛い、お姫様ごっこセットをつかって、私はなんか地味な、柄のないスカートだけ渡されて、「それもお姫様だから使えばいいじゃん」って。キラキラの、可愛い模様がついたフワフワのスカートを我が物顔でつかいながら、私に言うのだ。
先生が「順番ね」と注意をして、真ん中くらいの順番を手に入れたけど、気づいたら割り込みされて最後になっていた。
私の順番は回ってこなかった。
その時に、私はここにいてはいけないんだなと思った。いる価値がないというか、いる事の方がおかしいと言うか、そんな感じ。転園してきた訳だから、仕方ないけれど。それで、早くここから消えてしまいたいと思った。
あれ持ってきて、これ持ってきて。何かを持ってこないと仲間に入れてあげない。そういうことを言って来る子だった。パシリにされていた。
でも、パシリでもすれば一緒に遊べたから、喜んで従った。あまりいいこととは言えない。けれど、一人で積み木で遊ぶよりずっとマシだった、消えなくてもいいと思った。頼られているのだと錯覚した。
小学校に上がって、ランドセルを買い与えられた。普通の赤色じゃなくて、少しくらい、ワインレッドのランドセル。
母親はなんでピンクとか真っ赤じゃないのって言われたけれど、ワインレッドが可愛かった。ランドセルの蓋の裏が、赤系のチェックでとっても可愛かった。気に入りだった。
パシリはまだ続けていた。というか、パシられることが普通だった。
小学生になって、一緒に登下校をするようになった。
なんで変な赤色なの?って笑われた。
それを「可愛かったから」と言ったけど、それは可愛くない!こっちが可愛い!と言われた。多分、その子達に「センスがない」という判定を受けたんだと思う。
パシリにされてて、さらにセンスもない。なんとなく流れで、みんなよりも立場が下だった。
ジャンケンでランドセルの持ち合いをした時、他の子が負けたらみんなで持ち合いっこするのに、私が負けた時だけ全部持たされて、持つ距離も長かった。挙句、置いてかれた。前に進んでも誰もいなくて、置いていかれたんだと泣いた。おうちも少しだけ離れた同級生の重いランドセル5つを持って、道の真ん中で泣いた。泣いて数分たったら、なんだか自分のことが惨めになって、どこか誰もいない、遠いところに行きたくなった。結局はその子たちが戻ってきて、どうにかなったけれど。
小学2年生になって、夏休みで転校した。どことも知らないところだった。でも、一番長く住んでいたし、今の友達は大学の友達を除いて全部小中高で一緒に過ごした子だ。それまでに比べてとても恵まれていて、いい友達だと思う。一人一人が唯一無二の友達だとおもう。
最初は多分「遠いところから変なやつが来た」っていう理由。それから訛りが違う。あとは真面目ぶってる。オタク(父親の見ていた深夜アニメを一緒に見ていた。デ・ジ・キャラットとか、ギャラクシーエンジェルとか。今でも大好きだ)であること。あと態度が生意気。たぶんこの生意気って言うのは、生意気だという子の都合が悪いことを「誰にも言うな」と言われても担任にチクッたからだと思う。自分があんまりにも理不尽だと思ったことは黙っていられなかった。多分、そういう意味では「いい子」ではなかった。
でも、石を投げられて先生に報告したら睨まれるって、おかしいじゃん。石投げる人の方が酷い。チクった私が悪いのか。
多分悪くは無いんだけど、こどもの世界ではご法度だっただけ。けれど、それがどうしても辛かった。おかしいと言ったら「お前の方がおかしい」と言われてすごく辛かった。ここにいたくないと思った。
親に「ここの学力は低いんだから、90点以上取らないとダメだよ」と言われた。頑張って100点とっても褒められなかった。周りからは「勉強もできるっていう自慢か」と妬まれた。
言っておくけど1番を取れたことは無い。せいぜい10とか20とか。自分ではすごいと思った。100人近くの10、20って凄いじゃん。って。でも親にはそれじゃダメときつく言われた。ちょっと点数が下がったらお小遣いを減らされた。
生きているのがしんどかった。でも頑張らないと、価値がないと思った。
中学に入って、小学校の時みたいな勉強をしていたら、順位が真ん中よりも下の、後ろから数えた方が若干早い場所になった。その時に「さすがにやばい」と思って、塾に入りたいと言った。一人でする勉強に限界を感じていた。
下がった順位を元に戻したら「当たり前だ」と言われた。
中学では部活に入っていた。周りはみんなキラキラしているのに自分だけ見ずぼらしく感じた。部活に入ってすぐ、どうしてかレギュラーに選ばれた。自分は初心者で、周りには小学校の時から続けていた人がいたのに、自分の担当に人がいないからという理由でレギュラー入りした。初心者なりに練習した。練習中、何度も泣きそうになった。でも自分が頑張ることがこれからに繋がるとおもった。最後までやりきったあとに残ったのは「初心者なのにレギュラーに選ばれた変な人」だとおもう。若干避けられてたし、自分も周りにどう接していいか分からなかった。ここで必要とされていないとさえ感じて、練習もサボりがちになった。先輩からは、嫌われていたと思う(練習をサボったから当たり前だ)。同級生からもよくは思われていなかったと思う。
部活で同級生から「〇〇先輩はあなたと同じように生徒会もやって部活もやって成績もいいのに、なんであなたは同じことが出来ないの」と言われた。生徒会が忙しくて休みがちになっていた。そんなの言い訳だと怒られた。それでも暇を見つけて部活に行っていた。それでも怒られた。今消えてしまえば楽だろうけど、消えたら迷惑をかけるなと思って、最後まで頑張った。意地汚く残り続けた。高校進学は「〇〇高校の□□学科じゃないと、ご飯作らないから」と言われた。当時、高校の授業料は無償化されていたから、ご飯を作らないになったのだろう。端的にいうと「親の希望に添えなかったらお金は渡さないし育てないから」といわれたのだ。必死になって、どうにか合格した。合格したけれど、自分の学力じゃ、高校の勉強は厳しいなと感じた。もう一つの学科が自分のレベルに合っているとおもった。でもそこでは絶対にダメなのだという。辛くなるんだろうなと感じたけれど、それでも合格したのだから通うと決めた。
高校に入って、それなりの地位をもてたと思う。部活は変わって、生徒会には入り続けた。その部活がいわゆるパソコンをいじる様なもので、関連分野で色々頼られた。今度はパシリみたいなのではなく、よく巷で話題になる「絵をかけるならちょちょいっと描いてよ」の類でもない、本当の意味での「頼り」だった。
得意分野を持つということは自分が自力で立つことのできる力であると、その時感じた。普段だったら近寄れない、スカートを曲げて薄く化粧をした、クラスの人気者と話せる。そういう立場をその時手に入れた。
多分、高校生の時が一番、生きていて楽しかったと思う。みんなが私のことを知っていた。それに対する恐怖もあったけれど、決してマイナスではない視線は「自分はここにいていいんだ」と思える自信に繋がった。
大学は推薦で入った。センター前に決まって、受かるとは思わなくて、とても喜んだ気がする。
クラスメイトに合格を伝え、「あの〇〇か!?」「嘘ついてるわけじゃないよね!?」と言われながらも喜んでくれた。学校の先生もとても喜んでくれた。自分の妹も、私よりも喜んで泣いてくれた。
母親に合格したことを報告したら、おめでとうよりも先に「お金がかかるなぁ」と言われた。
正直なところ、大学に進むことについては消極的だった。高校に入った直後は専門学校に入りたいと思っていた。でも父親は「進学するより働け。進学するなら国立じゃないとだめだ」と言われた。だから専門学校を諦めた。中学生の予想通り高校の勉強はつまづいてしまって、学科では後ろから数えた方が本当に早いくらい、勉強はできなくなっていた。どれだけやっても勉強が伸びなかったから、早い段階で部活にシフトチェンジした。そんな経緯があったから、大学は行かないで高卒で働くかなとなんとなく思っていたら、母親が「高卒で働くより大学に行ってほしい。私立じゃ学費は出せないけれど」と言ってきた。これに逆らうとまた何か言われるんだろうなと思って、とりあえずやるだけやってみることにした。でも、勉強はできなくなっていたから、模試はどこも最低判定。ただ、推薦でチャンスがあるところがあったから、一かバチかで受けてみた。これでダメなら学力じゃ到底叶わないから、就職をしようとおもった。部活の成績がよかったから、それで受けた。
そうしたら受かった。奇跡だと思う。なにかの間違いじゃないかと思ったが、それでも受かったら嬉しかったのに、おめでとうもなく「お金がかかるなぁ」しか言われなかった。
誰が国立に行ってほしいと言ったのだと、その時は悲しくて悲しくて仕方がなかった。
こんなの傍から見たら「親の言う事しか聞いていないからそうなる」と思うのだろう。私もそう思う。
けれど、高校受験の時に「お金出さないよ」といわれ、大学受験に「国立しか認めない」と言われ、受かったら「お金がかかるなぁ」。反抗するなら自立しろ、親に頼るな。
それでは何をすれば良かったのだろう?
奨学金は申し込まなかった。心のどこかで受からないなと思ったし、親の収入などの関係で、ほんの少しだけ規定より上回っていたから受かるわけもなかった。し、なんとなく大学に入れても、やめてしまうかもしれないなと思ったのもある。とにかく奨学金は取らなかった。だから親に学費を払ってもらうことになる。お金がかかるのは、百も承知だった。
でも、まさか「合格おめでとう」よりも先に「お金がかかるなぁ」だなんて。なんだか悲しくなった。受けるのをやめた方が良かったのではないかと後悔した。
何より、ひたすら「お金がかかる」とい割れるのが嫌で、消えてしまいたくなった、なんのために頑張ったのだろうと、ひたすらに悩んだ。
大学に入るまで、そして入ってからもお金がかかると言われた。言われ続けた。
大学に入ってしばらく経った頃、仕送りが勝手に減らされた。1万円も減った。バイトをやりながらも結構ギリギリで頑張っていたのに、なんの前触れもなく減らされた。
なんで仕送りを勝手に減らしたの?せめて減らすなら前もって言ってよと親に言った。そしたら、「元々この金額だったでしょう?」といわれた。頑張って節約しながらも生きていたのに、あたかも「余分にお金をねだっている」風にされたのがひどく苦痛だった。
その年の夏、節約しなきゃとおもい、電気代をとにかく節約した。外に出るようにしたり、電気をつけなかったり冷房をつけなかったりした。
その月の電気代は1,500円もしなかった。
こんなに節約頑張ったよ!と母親にいったら、「もっと節約できるでしょ」と言われた。
電気をつけず、テレビもつけず、パソコンもつけず、ご飯はまとめて炊いて冷蔵庫に保管して、一瞬だけ電子レンジでチンする。冷蔵庫も止めてしまうと食べ物が保管できないから。そんな最低限だったのに、もっとと言われた。
馬鹿らしくなった以上に、親から私は「ただただお金のかかるダメな長女」だったのだろう。お金がかからなければかからない方がいい。そんな認識だったのだろう。
こんなに頑張っても文句を言われることに、自分が生きている意味とはなんだと問いたくなった。
答えは出なかったから、ただただ消えたくなった。
どう生きていてもお金がかかると言われて、生きているのがしんどくなった。我慢するのがバカバカしくなった。
バイトはしていた。学校に慣れるまで、夏休み前後から始めたいといったら、それでは困ると言われて5月くらいから始めた。バイト先の先輩に厳しくされて、辛いと嘆いたら「みんなそんなもの」と取り合ってくれなかった。辛かった。
そういうことも含めて、たまにTwitterで愚痴を呟いていた。愚痴をいうと今まで仲良くしてくれた人が、なんでも話せた人達が「自分の方が辛い」と言い始めた。自分の方が不幸合戦が始まって、私の「つらい」が軽くあしらわれた。次第に愚痴を言えなくなった。私だけ「辛い」が軽くあしらわれるのが辛かった。
頑張って大学に通った。頑張ってレポートを書いても単位が取れなくて、好んでとったパソコン系の授業を始め、授業に出ると頭痛が激しくなったり、気分が悪くなったりした。1年間くらいだったと思う。でも、お金をかけてもらっているから行かないといけないと、頑張った。
しばらく立って新学期になった。自分の妹が私立の大学に入った。
どうして?という気持ちがすごかった。父親が許したのかという疑問もあったのだが、早々にほかの選択肢を諦めた私とは違って、妹は頑張って説得したんだなと思ったら、それは認めてあげるべきだと思った。合格したことは喜ばしいことだし入学も喜ばしいから、合格おめでとうと、素直に伝えた。
しばらくして、父親は入学を許していないということが分かった。それで父親に「お前も加担したんだろう」と責められた。私は何も知らなかった。
なんで私が責められているんだろうと、つらくてつらくて。消えてしまいたいと思った。私から奪われた仕送り1万が、妹の入学金や学費になるんだなと思うと、なんとも言えない感情が湧き出てきた。
しばらくして両親が離婚すると言うことを伝えられた。どう思うと聞かれて、私が何か言ったところで何か変わるの?と答えた。冷たいなとも思ったが、私は私でそれどころじゃなかった。
学校に行けば嘔吐と頭痛を繰り返して、正直もう限界だと思っていた。
「離婚とともに破産すると思う。妹の学費や母方の生活費は払えなくなるが、お前の学費と生活費だけは出してやるからな」
素直に喜べという方が無理だ。体調不良等でまともに単位も取れなくなっていったのに、どうして喜べるのか。それが決め手になって、学校に行かなくなった。休学届けを出して、今はアルバイトだけやってる。
両親から連絡が来るだけで胃が痛む。学校に行けない自分が社会に出てもやっていけるとは思えない。大学の友達とは疎遠になっているとおもう。ただたまに道ですれ違って、名前を呼んでくれて、元気?と声をかけられると、いい人と友達になったなと思う。同時に、こんなダメな人間が友達でごめんねとも。
高校までの友達は「そのまま社会に出てもやっていけるよ」という。でも、日本の会社というのはおおよそブラックだと思っているし、そんな所に行ってしまったら自分は生きながら死んでしまうのだろうと思う。きっといまのオタク趣味もままならない。二次創作をする時間もなくなるだろう。そうやって仕事に謀殺されて、私は私でいられるのだろうか。
そこまで考えて、今までの人生の中で、私が私でいた瞬間とは何なんだろうと思った。
私とはいったい何なんだろうか。
私が生きている意味とは。
なんでこんなに必死になって生きているのか。
辛いという言葉は、私の方が辛いで潰されて、楽しいことなんか二次創作を始めとしたオタク趣味ばかりで、そのオタク趣味すらも、今じゃ疎外感を感じている。自由に慣れていたはずのSNSは、現実と同じように苦しいものになっている。
辛いと思うことも軽んじられ、ひたすら金がかかるといわれ、遊びに行くと贅沢だお母さん達は頑張ってあなたに仕送りをしているのにという。
私はなんのために生きているのだろうか。
こんな生活、生きているというのだろうか。
ただ呼吸をして、心臓を動かして。ただそれだけ。
生きているのがただただしんどい。早く死んでしまいたいとすら思う。でも死ぬとお金がかかる。親が困る。周りも困る。
ある日母親に言われた、「お父さんはあなたを生んだ時に『なんで生んだ』といったのよ」と。
ひたすらお金がかかると言われて育って、なぜ生んだと言われたと言われる。
「なんで私のことを産んだの?」とは言えなかった。「産まなくてよかったのに」とはもっと言えなかった。言ってやりたかったけど、それを言ったら家から追い出されると思ったから。
私は「そう」とだけ返したのを覚えている。いつ、こんなことを言われたのかなんて、細かい年は覚えていないけれど、そういうことを言われたということだけは鮮明に覚えている。
私は
どうすれば良かったんだろう。
何をすればもっと前向きになれたんだろう。
何をすれば「頑張ったね」と言ってもらえるようになるんだろう。
毎日生きているだけでも精一杯なのに、もっともっとと周りはいう。頑張ることが当たり前。
でも、私はまだ頑張ってないんだと思う。恵まれているのだ。奨学金を借りずとも大学に行けたのだから。好きなことをやれているのだから。
世界一不幸だと思うな。世の中にはもっと不幸な人が、辛い人が沢山いる。
みんなそう言う。私のつらいという気持ちを無いものとして。みんなそういうのだ。
生きていることの何が楽しいのだろう。
生きるなんて、辛いだけじゃないか。
早く誰か、私を殺してほしい。
金だけかかって、だれの期待にも応えられない私を早く殺してくれ。
生きているのがただただしんどいということすら認められない世界なんか、壊れてしまえばいいのに、世界はそれを許さない。それなら。私を早くこの世界から追い出してほしい。
早く私を殺して欲しい。早く殺して。早く。こんなに辛いのに、世界は生きれという。お前はまだマシだと。
お通夜の式の前にお線香あげて顔を見た。すごい綺麗だった。血の気がなくて真っ白で安らかに目を瞑ってた。
私がおじいちゃんの顔見てたら横で母が、今にも起きてきそうだよねって言った。でもおじいちゃんの眠ってる時の顔はもっと眉間にシワが寄ってるし、これはなんか違う。それで、この人は本当に死んだんだなって感じた。
棺桶にはおじいちゃんが出かける時にいつも被っていたハンチング帽が入っていた。ここ数年は透析をしていて、遠出もできなかったから被っている姿を見たことはあまりなかったけれど、おじいちゃんのトレードマークのようなもので、とても懐かしいものだ。
おじいちゃんに最後に会ったのは、おじいちゃんが死ぬ2日前だった。おじいちゃんの体調が急に悪くなり、父の表情や会話が険しくなって、家族内にそろそろダメかもって空気も漂い始めていた。
病院に行ったらおじいちゃんは、私をしっかりと見て、私の進学先の話をしてくれた。細々としてはいたがちゃんと会話をしてくれた。でも、ご飯はほとんど食べれず、腕は骨だった。もう少しでおじいちゃんの誕生日だったけれど、正直これは間に合わないかもなって思った。
別れる時はまた来週来るから、って言って別れた。本当に来週なにがあってもまた来るつもりだった。でもおじいちゃんは2日後の深夜に亡くなった。
死んだと聞いても、涙も出なかったし、二度と会えない悲しさなんて湧いてこなかった。葬儀までずっといつもと同じように過ごしていた。
昔おじいちゃんが死んだなんて聞いたら悲しくて泣いちゃうだろうなと思っていたけれど、いざその時がきてみても泣かなかった。そんな自分になんだか大人になったなと思ったりもしたし、でも死んだおじいちゃんの姿みたら泣くかもなって思ったりもした。
けれど実際におじいちゃんの顔を見ても涙は出てこなかった。
式が始まると、仏教の式はひたすら聞くばかりでつまらないなと思い始めた(キリスト教みたいに参列者が歌を歌ったりしないので)。初めて聞いたお経と木魚のリズム感も面白くて悲しみに浸るどころではなかった。
そのまま式は終わって、兄弟と先に帰宅した。帰りの電車の中でも、ぼんやりスマホを見てて、いつもの日常と変わらなかった。
家に帰って翌日の朝のお米を研いでいる時、ふと、おじいちゃんが買ってくれた卓上クリーナーのお礼を言っていなかったことを思い出した。
電動式で、消しゴムのカスとか吸ってくれるただの卓上クリーナー。
おじいちゃんがこれをくれたのは1年程前という割と最近の話だ。けれど私がこれを欲しがったのはもう15年以上も前の小学一年生の時である。夏休みの宿題をやっている時におじいちゃんが自分の卓上クリーナーを貸してくれて、自分もこれが欲しいと、なんとなく言ったような気がする。けれどその後15年以上の間、おじいちゃんの卓上クリーナーを見ることはあっても、そんなこと言ったのはすっかり忘れていた。それで、ついこの間父親を通してクリーナーを貰った時に初めて思い出したのだ。
それを貰った時、私はとても嬉しかった。物よりもなによりも、私が忘れていた発言を私より忘れっぽいはずのおじいちゃんが覚えていて、果たしてくれたことが。
父は、「これは親父の気まぐれで、それを覚えていたわけじゃないと思うけどな」と言っていたけれど、私は覚えていてくれたのだと思った。父が今度お礼言うときに確かめてみればいいと言ってくれたので私もそうしようと思っていた。
でもその後、私はおじいちゃんになかなか会うことができず、結局お礼は言えなかった。おじいちゃんが覚えていたかも確かめることはできなかった。
卓上クリーナーのことを思い出すと、それまでなんともなかったのに、急に泣けてきた。泣いているうちに、おじいちゃんがいつもあの帽子を被って私に会いに来てくれたことを思い出して、涙が止まらなくなってしまった。私のピアノの発表会をおじいちゃんが新品のビデオレコーダーで録画して、テレビで一緒に見たことも思い出した。一人で泊まりにきた私がおじいちゃんとおばあちゃんの間で寝るために、ベッドに渡す板を作ってくれたことも思い出した。
葬式では誰一人泣いていなかった。みんな悲しんでいるのだろうけど、おじいちゃんは長生きだったし、死んだとしても泣くほど悲しいことではないんだなと思った。だから私も泣かなくてもおかしくないと思っていた。
でも、やっぱり、本当はすごく悲しかったんだな。一人でぼろぼろ泣いてしまった。
これも打ちながら思い出したらまた涙が出てきた。
しばらく経てばまた悲しみを忘れて、普通に生きていくのだろう。でもまた一回忌とかで思い出して、泣いてしまうのだろうか。悲しいな。
おじいちゃん、お礼言えなくてごめんね。
人を好きになったことは、まだない。
2度ほど告白されて、とりあえずでいいから付き合ってみないかと言われ頷いたものの、いずれも所謂男女の関係にはなれずお別れした。
「まだ運命の人に出会ってないだけだよ」「今は他のことで忙しいからじゃない?」
と言われ、まともに取りあって貰えない。
ネットとかで色々調べてみたら、どうやら自分のような人間は一定数いるらしく、"アセクシャル"(無性愛者)と呼ばれていることを知った。
ただ、確証が持てない。
wikiとか見ても自覚時期については「第二次性徴期以降であることが多い。」としか書いてなくて、自分が無性愛者なのか、レズビアンなのか、はたまた友人たちの言う通り単なる奥手なタイプなのか、それは一体いつ判断していいんだろう。
そもそも元から執着心や依存感情に縁が無く、広く浅く淡白な人間関係しか築いたことがないので、これがセクシャリティの問題であるのかすら定かでない。
ちなみに男女問わず美しい顔が好き&刹那的な青春っぽいエモさに弱いのでアイドルとかは好きでよく観に行く。
しかし当然ながら恋愛感情ではないと思う。推し多数だし、認知欲求もないので。
あと子どもも好きだし、いつか自分の子どもが持てたらとは思う。まあ現実的に無理だな。
別にこのままボンヤリと生きていけばいいかなと思ってたのだけども、最近あまりに上記のやり取りをすることが多く、しかもそれが結構なストレスであることに気付いた。
だからこの際ハッキリ決めて宣言してしまおうと思ったものの、これ他のセクシャリティに比べて判断基準がぼんやりしすぎてないか?という印象が拭えず躊躇われる。
だから誰か教えて下さい。
私はAセクなのでしょうか?
モヤモヤするわ~。
一言でまとめるとよくある話だし、同様の話も増田にはごろごろ転がってると思うし読んだ記憶もある。
だけどどうしても吐き出せずにはいられないから付き合ってほしい。
理由は単純、目をつけられて2chに専スレが立ち個人情報までバラされた(本人談)からだ。
個人情報のくだりはどこまで本当かはわからないけれど、twitterやpixivでは攻撃的なメンションやコメントが公開という形でついていたのは記憶している。
何故その作家が目をつけられたのかというと、同人誌の受注販売、頒布(注文)部数の匂わせとそこからの売り上げの匂わせを行ったからだ、と私は考えている。
実際その作家が筆を折る際に書き残した文章には「同人誌の件で多数の人間からお叱りを受けた。自分は同人誌を出すべきではなかった」と残されていたし、目につくコメントは概ね下記のような物だった。
・相場を守れ
それによりその作家はジャンル自体がトラウマとなり、公式の物にさえ触れる事ができなくなったのだという。
これだけだったら私も増田に吐き出すことはなかっただろう。ではなぜ今私がこれを書いているのかというと、先日その作家さんが「戴いた質問に関して」という記事を上げた為だ。
その中の質問に「所謂専業二次同人作家は何故許されているのか」という物があり、それに対して「個人事業主として登録しているから大丈夫なのだと教えてもらった」という回答がついていた。
誰が教えたのかわからないし、それを真実だと鵜呑みにしているのも恐ろしかった。何より一番恐ろしいのは「そういう認識でいる人が一定数はいるのだろう」という事実だ。
まずこの件で許しを与えるのは誰なのだろうか。アンチ? 同人オタク? それとも同人作家? 言うまでもない、公式、つまり権利者だ。
権利者がガイドラインを設け、同人を可としている物もあるにはあるがほぼ稀だ。多くはファンが勝手に作成し、金銭での頒布を行っている。それが黒字だろうが、赤字だろうが公式だけがそれを断罪する事ができるのだ。実際、赤字作家だが公式に怒られた、というのは風の噂で稀に聞く。
基本的に公式は同人活動を許さない。だが知らないふりをしてくれているだけだ。マーケット調査で同人誌を数冊即売会で購入し、それを元にブランディングプランを修正するというのもよく聞く話だ。
だから女性同人界における不必要なまでの検索回避だとかの同調圧力に似た何かは旧時代すぎると見ていて思う。逆に男性同人界においてはそれは大丈夫なのか? と心配になる物があるのも事実だが、それをやめさせる権利はないのである。
今自分がいるジャンルはこの手の話がとても多い。知名度を上げる為の自演だったり……というのもあるのだろうが、毎日誰かがアンチに悩まされ、誰かがそっと筆を折っている。その度にアンチなんかに負けるな、だとか感想を送ろう、だとかいう流れになるがそれだけじゃないんだろう。
かくいう私も今にも筆を折りそうな程に心が疲弊してしまっている。驚くくらいに手が動かない、あんなに好きだった絵が描けない、読むのが好きだった同人誌を読む事ができない。その好きな事ができなくなったという異常さに気が付いて、みんな足を止めて行き、筆を置いていくんだろうなとこれを書きながらぼんやりと思った。
昨日、嵐のライブツアーが終わった。
終わってから1日以上経った今でもなんだか気持ちがふわふわしていて、言葉にもうまくまとめられないんだけど、とにかく心にあることをここに書こうと思う。支離滅裂な文を読むのが嫌な人は、できればここで読むのをやめてほしい。それほど、ちゃんとした文章を書く自信がない。そもそも文章力なんて皆無なのに、その上感情がまとまっていないので、よりひどいことになっていると思う。それでもいいと思った人は、よかったら私の独り言に付き合ってほしい。
今回私は3公演コンサートに行った。今まで1年に1回しか行ったことがなかったんだけど、運良く周りの人や自分が当選したので、幸運にも3公演も入ることができた。
最初は12月末。東京公演の最終日だった。私は大阪に住んでおり、遠征は初めてだった。一年ぶりのコンサート。半年ぶりの生の嵐(ワクワク学校というイベントに6月に行ったため)。沸かないわけがなく、結果喉を使いすぎて風邪をひきさらにはインフルエンザももらってきた。席はスタンド下段の真ん中あたりで、いわゆる天井席(スタンド上段の、ほぼ天井といった席)ではないがファンサは望めない席だった。けれど、トロッコが来れば騒いだしペンライトも振った。
次は1月13日。スタンド下段の1列目(アルファベット列というやつが前にあったため、最前列という訳では無い)だった。前は上から見ていたステージをほぼ横から見ていた。近いし、肉眼で顔が分かるし、とにかく幸福感が半端なかった。一緒に入った友人が騒ぐタイプの子でなく、それに影響を受けて私もあまり騒げなかったが(こんなときも恥を捨てられないのかと少し後悔している。今後は隣に構わず声を出すところは出そうと思った)、それでも終わった後意識はぼんやりしていた。
最後は昨日、最終日だった。いわゆる「オーラス」というやつで、過去数年間を見ているとこの公演だけアンコールが多かったりするので、ファンの間では正直特別視されている公演である(もちろんオーラスの他にも誕生日だとか特別視されている公演はあるけれど)。オーラスに入るのは初めてだったのでとにかく緊張していた。今年は挨拶が定型文だったので、自分達の言葉での挨拶も聞けるんじゃないかと期待していた(実際聞けた)。席はスタンド上段、しかも横で、ファンサはおろか演出もすべて楽しめないんじゃないか?という席だった。結論から言うと今までと違う視点で見られたので新たな気付きが山ほどあったし、伝わらない演出もあったけどそんなの気にならないくらい楽しかった。嵐を好きでいてよかったと思った。そして、これからもずっと好きでいたいと思った。
そして翌日である今日。ふとした瞬間にコンサートのことを思い出して、何度も泣きそうになった。というかこれを書きながら今大泣きしている。
あれで、嵐が「untitled」というアルバムを引っさげて行うコンサートは最後なのである。もうあのセットリストでコンサートを行うことは二度とない。何なら、一生行われない曲だってあの中にはあるのではないかと思う。自分が見られる最後の公演だ、と思ったわけでなく、嵐が行う最後の公演だ、と思うと泣けて仕方なかった。
特にそれを感じてしまい涙が止まらなかった曲がある。UBという曲である。二宮和也と相葉雅紀のユニット曲だ。そもそも私はこの二人のコンビが死ぬほど好きなのである。ユニット曲のメンバーが発表されたときは2週間くらい信じられなかった。それゆえこの曲は私にとってはいっとう大事でいっとう好きな曲だ。そんなこの曲、間奏で行われるダンスが「コンタクト」というもので、簡単に言うと組んず解れつ、知恵の輪みたいに手と足を絡ませ合うものである。
MC中、思い出深いことは何か?という質問に、二宮和也が「最終日のこのダンス」と答えた。「やりながらいっこいっこなくなってく。もうやらないから。これおわりこれおわりこれおわり…って」と言っていた。その言葉を聞いて涙が止まらなかった。ああ、もうこのダンスはしないんだ。二人が引くくらい近い距離で高難易度かつ密着度の高いダンスをすることも、相手のパートを口パクで歌いながら近付くことも、曲が終わってスタンド・バイ・ミーの振り(20年前に二人が出た舞台で行われていたハンドサインで、手を突き出してからサムズアップ、というものである)をすることも、もうないのである。そう思うと悲しくて悲しくて仕方がない。
UBに限らず、どのパフォーマンスも、これからしないのが寂しくてたまらない、素敵なコンサートだった。
さて、ここまで支離滅裂ながら思ったことを簡単に書き出してきた。しかしとにかく読みにくく、本当に言いたいことが伝わらない文だったと思う。というか本当に言いたいことはここまで言っていない。ここからが本題である。
私は相葉担である。自担である相葉雅紀には昨年末、熱愛報道が出た。昔から女ネタに耐性がない(恋愛ドラマも苦手なレベルである)私は大きなダメージを受けた。そんな矢先のコンサートだった。
女がいると分かっているアイドル(もちろん彼女がいないと思っているわけではないが、週刊誌によってその存在が証明されたり結婚発表によって公式に認められたりするのと、勝手にファンが「彼女いるんだろうなあ」と想像するのには、私たちの心持ちには大きな違いがある)を歓声をあげて応援するなんてできやしないと思っている私は、前から「嵐誰か結婚したら担降りする」と言っていたし、正直今回のコンサートも女の影がちらついてしまい全力では楽しめないんじゃないかと思っていた。
しかし先述の通り、死ぬほど楽しかったのだ。これからもずっと応援していたいと思えるコンサートだった。確かにコンサート中女の影がちらついた時は山ほどあったが、それでもそんなの気にならないくらい彼らは魅力的だった。
だからこそ悔しいのである。女の存在が明らかになることで、ファンが離れ、少しずつでも彼らの人気が落ちていくのが悔しい。彼らはこんなに魅力的なのに。女絡みだけでなく、褒められたところではない点もあるけど、それ以上に彼らは魅力的だ。それでもファンは離れていく。ましてやこのまま結婚なんてしてしまったら、彼らの人気はどうなるかわからない。少なくとも、今より上がるようなことはないだろう。
私が言いたいのは、「嵐、頼むから結婚なんてしないでくれ」、ただそれだけだ。こんなところで言ったところで本人達に届くわけがないのは分かっている。けど、こんなところで吐き出さないとやっていられない。
もし結婚してしまったら、素直な気持ちで応援できなくなるのではないかと思う。私たちがいま大好きだと歓声をかける相手には、家に帰れば最愛の妻がいるのだ。そんなの耐えられない。
中にはアイドルが結婚するのを嫌がる心理がわからない人もいると思う。納得しなくていい。その気持ちを理解しなくていい。けど、私たちにとって女の存在は大きなものであるということだけは知っていてほしい。
アイドルだって人間だと思うかもしれないけど、人間であるけれどアイドルなのである。疑似恋愛を商売にしているアイドルなのである。結婚してしまった時点でファンの夢は覚める(覚めないファンもいるし、そこまでの夢を見ていないファンもいると思う)。その時点で彼らはアイドルではなくタレントである。
人気が落ちるのを見るのが寂しい。まだトップでいてほしい。そして何より、まだアイドルである彼らを応援していたい。だからどうか、嵐の皆さんは、もう少しだけ結婚しないでいてください。
(本当はもう少しと言わず一生結婚しないでほしいし、嵐に限らず全"アイドル"はそうであってほしいと思うけど。おわり)
結果最初から最後まで支離滅裂、取り留めのない文章でした。ここまで読んでいただいた方に深く御礼申し上げます。
もちろんすべてのファンがこのように思っているということはありませんが、中には私と同じようなことを思っている方もいらっしゃると思いますし、逆に一切わからないという方もいらっしゃると思います。こちらで話したものは一ファンの意見に過ぎません。嵐ファンの総意であると勘違いなされることはないよう、お願いいたします。
絵が描けると言っても、絵描きとか絵師とか、そういうのを名乗るほどでもない。個人的に絵師って表現自体が好きじゃないが、それを差し引いても、だ。
と言うのも私はもともと文章を書く方が好きで、書いた話やキャラクターの補足として絵を描くようになった。たぶん割と物書きにも多いんじゃないだろうか。それでそこそこに描けたのでだらだらとこの歳まで描き続けてきたに過ぎない。
だから絵を描くことがめちゃくちゃ好きとか、私には他者に己の世界観を示すにはこれしかないとか、そういうわけではない。
そんな私は十代の頃からネットをやっていて、まあまあ若気の至りで痛々しい言動をやらかしてしまったりしたこともあった。今思えば恥ずかしいまでの厨二病だった。
そのあと、HNは単なる気まぐれで数回変えたが、自分がいたジャンルも使っていたHNも全部つまびらかにして今の今までやってきている。
去年に、以前いたジャンルにちょっと戻った。ジャンル、と言うと語弊があるのだけれど、詳しく言うと身バレして面倒なので省かせてほしい。
そのとき、全くの初対面(本当に会ったわけじゃなくネット上での初対面)で恐らく私よりずっと若いだろう人にやたらとキツくあたられた。私の書いたものに対して物凄く否定的なものをぶつけられた。古巣で「久しぶりだね」と再会したり一緒に古巣へ戻ったりした友人たちからも「あれはひどい」と言われた。私は単に「この人の地雷か何かを踏んだのかしら」程度に思っていた。まあそれでもそのあとしばらく恐怖を抱いて、同じジャンル内の人に自分から話を振るのは控えるようになったりはした。
そのあと、その人とTwitterで話をする機会があって、「思ってたよりずっとずっと優しくていい人だった、ごめんなさい」と謝られて(実際私は優しくも何ともないのだけれど)、「私も傷付いたけど、他の人には同じことを絶対にしちゃいけないよ」とだけ言い含めて、終わった。
完全な初対面だったはずだ。歳も恐らく離れていたし、私が以前このジャンルにいたとき、この人はいなかったはずだ。
そのあともおかしいなと思うことが何度か続いて、私はネット検索をかけた。
私が以前に陰湿なメッセージを個人に送り付けてジャンルから追い出しただの何だの。
挙句の果てには家族構成から今までの学歴、身体的特徴に対する嘘八百。
「これかー!!!」ってなりました。
すごくない?以前このジャンルにいたの10年前だよ?最初から数えたらもう20年近くだよ?意味分からなくない?
私は割とTwitterで私生活をだらだら明かしてしまうのだけど、どうもそれにめちゃくちゃな曲解を加えて悪意に満ち満ちた改変をしているらしくて、ここまで来ると逆に凄いな、なんだその執念は、という感じで。
私の私生活や経歴くらいは私の本名明かされてるわけでもないからどうでもいいし至って無傷なんだけれども、まあ、お察しの通り、絵が下手だとか絵柄がババアだとかも書かれているわけだ。
それから私は何気に絵を頑張って描いた。黙らせてやろうと思った。上手かったら、絵柄が今風だったら、こいつら悔しがってくれるんじゃないかなって思った。
でも違うわけですよ。仮に私の絵が上手くなろうが流行をとらえようが、何をしたってそいつらは悪く言うわけだ。
道行く人に道案内を頼まれてやったと言えば「いい人アピールw」と笑われるだろう。それと同じで、たとえば流行の絵柄になれたって「ババアが無理して流行追ってて痛々しい」とか言われるわけだ。
じゃあなんだろう、なんで私は頑張って絵の練習なんかしちゃってるんだろう。こいつらに笑われるために絵を上げたりしてるんだろうか。私が描いた、私が大好きなキャラもこいつらに笑われるんだろうか。私が描かなかったら笑われなかったんだろうか。
このジャンルからは出たあともそれは続いて、申し訳なくなって、別ジャンルの方ももう描かなくなった。
まあ今はちょっと持ち直したんだけれど、それでももう昔みたいなモチベーションはなくなってしまった。絵を描かないのが1ヶ月続くこともざらになってきた。
「自分のために描いてるからそれでいいの」と突っ撥ねる強さは私にはなかった。
「私の絵を好きだと言ってくれる人がいればそれでいいの」と笑える余裕もなかった。
いくら私に向けられていたからと言って、それを私が気にしなければいくら心無い言葉でも「ない」のと同じだったのに、それもできなかった。
もうなんかよくわかんねえなという気持ちで、でもたぶん、私自身が思ってたよりは多少なりとも絵を描くことが好きだったのか、未練がましくもペンタブを捨てられないでいる今日この頃です。
別に教訓とかない話でした。
おはようございます。丁寧にお返事ありがとうございます。
エンジニアなのかな。DTP系からWebデザイナーになろうとして、運用1年半やったところで会社ともめて会社都合で辞めて1年ちょっと無職です。
その前もガタガタなので。。
勉強会で名刺いただいて、後からその会社の求人見かけたこともあったけど、そのときはそういうのってどうなんだろうみたいな感じでした。
(ちなみにヒットしたサービス関連のグッズの話をちょっとしたくらいでした)
自分ができること。。チェック作業とかかなり正確にできるけど、必要としてるとこも多いだろうけど表立って必要とはされないだろうな。。
前に良さそうだなと感じた企業の人事の人は読むと大体分かるって言ってたので、そういう気配はあるんだろうなって(自分には分からないけど)思って見てますがさっぱりわからん。
他のアイマスよりキャラの出番、持ち歌の数の差にとにかく敏感だなあとは思った。超競争社会と名高いシンデレラは勿論、ミリオンや765も各キャラの出番格差はわりと露骨にあって、sideMもそのノリで運営してるんだろうなって感じだけど。
ただシンデレラは(一応ユーザー側の介入度がそこそこあるとされている)総選挙でとりあえず声枠を勝ち取ればそれまで干され気味でも声付与による出番はある程度保証されるし、ミリオンは既に各キャラソロ2曲で3曲目も全員確定しており、それ以外の複数人曲もそれなりの曲数が全員に渡っているようには見える。
1stライブに参加できたユニットは、ユニットごとの声帯デビューCDの二曲+全体曲+各キャラソロの一曲+周年記念CDのユニット新曲+周年記念CDのユニット合同曲+アニメにおけるユニットの新曲+アニメ参加ユニットの全体曲二曲+その他カバー企画曲
と現時点で結構な曲が貰えているのだが、
1stライブに間に合わなかったユニットは、現在ユニットごとの声帯デビューCDの二曲+全体曲+各キャラソロの一曲+周年記念CDのユニット新曲+周年記念CDのユニット合同曲
しか曲が貰えていない。そして後者の周年記念CDはリリース予定が発表されたのみで、今月ようやく第一弾が発売という状態。第三弾として発売されることが発表されたメンバーの中にはライブに新曲が間に合わないユニットもいる。はっきり言って凄まじい曲数の差だ。
そしてsideMはシンデレラガール総選挙のような人気投票を現在行っていない(かつては総選挙をやっていたが、結果がかなり偏ってしまったことや運営側の対応等でユーザーの不評を買ったお陰か無くなってしまった)。なので干されたメンバーを選挙で結果出すことで運営に分からせるという手が取れず、またかつて行われていた総選挙でかなりの好成績を叩き出したキャラクターやイベントで上位が来るとボーダーが暴騰するキャラクターも、何人かは後者の「1stライブに間に合わなかったので現在曲が全然貰えていない」方のユニットに所属しているため、純粋に人気や集金力至上主義とも言い難い。
そもそも平等主義の風潮が強い女性向けでここまでの格差を出しているので、そりゃあ空気悪くなるしちょっとしたことでも吹き上がるよなあって感じです。多分抱えている人数に対して曲の提供が間に合ってないんだろうなとはぼんやりと思っていて、特に作詞陣が現状三人しかいないと知った時は悪い意味でひっくり返ってしまった。リソース回すの大変だと思うが頑張って欲しい…。
浜田黒人問題はとりあえずおいておくとして、最近、根本的に「笑ってはいけない」がおもしろくない。
実はここ数年ちゃんと観ていない。
全く見ていないというわけではないのだが、以前の情熱を持って観られていない。
以前はテレビにかじりつき、息を潜め、不意に腹を抱えて、時には転げ回って笑ったりしていたのたが、
最近は流し見て、たまに笑ってたまにすごく笑う。それだけの番組になってしまったのだ。
年を取ったせいかな、最近仕事が忙しくなったせいかな、などとぼんやり考えていたのだが、今年やっと原因が分かったため記しておきたい。
ここ最近の笑ってはいけないの数々のネタには「びっくりする」や「すごい」や「意外」、果ては「この人がこんなことをやってくれるなんて恐縮だな」や「こんなにがんばってます」なんてものまで
「さあ、笑ってどうぞ!」、「さあ、笑ってあげてください!」とばかりに出されている。
それにつられたダウンタウンまで笑わなきゃとばかりに笑う。
今年はそれが特に顕著だった気がする。
あれ?こんなんだったっけ?
違う。
まず、あの5人の、人が仕掛けてきた笑いなんかに絶対に笑ってやるものかという強い決意の上に、なおかつつらい罰ゲームがあるため心底笑いたくないと思っている雰囲気。
そしてその雰囲気に引き込まれ、一緒になって笑いを我慢する我々視聴者。
その虚をついて笑わせにくるネタ。
面白くても笑わない5人。笑わない視聴者。笑ってしまう視聴者。
つい笑ってしまう2人。つい笑ってしまう視聴者。今のはそんなに面白くないだろ?と誇らしげに首を傾げる視聴者。
しかし緊張の糸が切れて思わず笑ってしまう松ちゃん。連鎖的に笑い耐性が低くなっていく4人。不毛につぶし合う5人。それを見て笑い転げる我々視聴者。
あのヒリヒリする緊迫感から生まれる沈黙と笑いとそのバカバカしさが相乗効果を生み出し「笑ってはいけない」が「笑わずにはいられない」となるのがあの番組の本当のおもしろさだったのではないだろうか。
それが今や、
という、何のうねりもひずみも緊張感もないものがただ長時間続く番組となってしまっているのだ。
ここまで書いて気づいた。
ああ、これがマンネリか、と。
私自身はマンネリというものに対してそこまで否定的ではないし、まあ見れば見ちゃうし面白いよ?
ただ、これほどまでにマンネリと相容れないコンセプトの番組はないだろう。
このままでまだまだ続けていくことはできるだろうが、後で「魂はとっくにしんでたなぁ」ということにみんなで気づくことになりそうだ。
これ、実は本人たちもすでに薄々気づいてはいるのではないかと勝手に思っている。
そして思い上がりではあるが、仮にこの文章を松本さんが読んだとしたら、覚悟を持った最後の一回をやってスパッとやめるはずだと思っている。
浜ちゃんも「あんたがそう思うのであればそれは正しい。」と言ってやめる段取りを取り始めるはずだ。
少なくともごっつをやっていた頃のダウンタウンであればそうだったのかな。
小さい頃から希死念慮(ぼんやりとした死んで楽になりたいという気持ち)がある。
小学1年の時に、祖父母が買ってきた問題集をやらされたのが嫌だったらしい。勉強机だった古い木製の机に鉛筆で死んでやるとか死にたいとか書いていた。
人に見つからないように書いていたつもりだが、バレていたようだ。祖父母が亡くなった後に父から聞かされた。
小学校高学年で火の鳥を読んで、それから生と死についていっそう考えるようになった。
中学の頃は成績の事でよく怒られてて、2階のベランダの壁の上に座りながら、ここから落ちて死んでもいいのかなと思って月を眺めていた。
今思うと、道路から通行人に見られていたら通報されていたかもしれない。
中学3年の時に車輪の下を読んだ。父は悲しい話だと言っていたが、自分は主人公は楽に慣れて少しうらやましいなと思った。
高校の文化祭、体育祭、修学旅行にはあまりいい思い出がなく、この頃から自分は人とは少し違うことを感じていた。
いつだったか、両親にせっかく産んであげたのにと言われたことがあったけど、産んでくれないほうがよかったのにと思った。口には出さなかったけど。
高校3年で受験勉強がうまく行かない時があって、3階の教室の窓から下を覗いて、ここから落ちて死んだら楽になるのかなと思っていたら、クラスのあまり喋ったことのない人に飛び降りるとか考えるなよと言われた。
大学では体育会系の部活に入ってしまったが、あまり馴染めずにいた。
退部する勇気がないでいたら、周りが次々に辞めて逆に辞めづらくなってしまい、結局最後までズルズルといた。
ストレスはあったけど、Winnyでダウンロードした完全自殺マニュアルや自殺のコストを読んで心を落ち着かせていた。
大学院では修士2年からまったく研究をするモチベーションがなくなってしまって、トラックにでも跳ねられて死んで、今まで学費を払ってくれた両親に賠償金が入ればいいのになと妄想していた。
実際に手首を切ったとこはないけど、刃物を手首にあてながら、切ったら傷跡が残るの嫌だなと思っていた。
社会人になってからは、残業はそれ程厳しくなかったが、家に帰ると体が動かなくなってベッドの上で固まっていた。
同期や職場の人とのコミュニケーションに気疲れしてしまい、特に飲み会の次の日には無性に死にたくなることが多かった。
今では会社の人とはプライベートでは極力会わないように気をつけている。
自分はだったら失敗せずに上手くやったんだろうなと思っている。
ぼんやりしてるも、ぼーっとしてるも、微妙にけなすニュアンスがあると思う
さらに深読みすると、のんびりは上品ぶって相手を馬鹿にするのにも使えるから(デブ→ふくよかみたいな)、言葉というのは難しい
結論的には妊婦は見えるところにつけて堂々立ってればいいと思う。あれは「席を譲ってください」じゃなくて、気持ち悪くて立ってられなくて座り込んじゃったときに「マナーのなってない最近の残念な若者じゃないんですよ。体調悪いからですよ。ほらみてマタニティマーク!妊婦妊婦!」に使うもの。気持ち悪くなったら席を譲ってもらえるよう自分から言うか座り込んでください。座り込むのが恥ずかしい方、吐くよりましですよ。
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マタニティマークつけてて立っていた場合、目の前の人が席を譲ってくれたのは数えてないけど肌感覚1~2割てかんじでした。辛いときは恨めしや〜世界は妊婦に厳し〜て思っちゃうけど、いま思えばそこそこの割合のような。
ちまただと「男は譲らん!」ていうけど、譲る人譲らない人に老若男女関係なかった。疲れ果てたサラリーマンでも譲る人は譲るし、美人なお姉さんでも子育て経験ありそうなお姉さんでもチラ見して無視するひとは無視する。男は譲らん!て決めつけ記事はよくないよね。一回、離れた場所に大声だす怖いオッチャンが座ってて、ヒィィて思ってたら「座りなさい!」と大声で呼ばれてヒィィてなったことがありました。ありがとうございます。
で、これは私の経験談なんだけど、譲らなかった8~9割の人が、全員が全員、悪人だったり、ふて寝したりしてたわけじゃないんだろうなと。
なぜかって言うと、譲られるぶん座ることが増えたのがあるのだけど、マタニティマーク時代、圧倒的に私自身が「席を譲る」回数が増えたので。
席を譲られると感謝の気持ちか、私も誰かに譲ろうとなるので、目の前を気にするようになって。そうすると目の前にご老人、私よりお腹の膨らんだ妊婦、怪我をしてる人体調悪い人に気付くようになりました。そのとき自分の体調がよければ声をかける気分になるようになりました。まぁ、私も妊婦なんで断られるときもあるし、なんとなくマタニティマーク見えないようにして声かけたときもあるし。
席を譲っちゃうほど割と元気な妊婦は、ある意味で「やっぱ妊婦に譲る必要ねーじゃん」風潮呼ぶから、妊婦の敵になるとは思うのだけど。譲れるときは譲ってました。半年で5回は譲ったと思う。私の人生のなかでも異常に多い。やっぱりこれは譲られるようになったから、私も譲れるときは譲ろうという気持になって、見るもの変わったからだとおもう。マタニティマーク以前の私もその姿勢はあったけど、レベルが違うよね。だからついスマホに熱中してマークに気付かなかったり距離に臆して、悪意はないけど譲らない側に入ってたのかなぁと今更思う。じゃなきゃこの時期の譲り率は異常。
とはいえ、辛いときは本当に辛いので、目の前の人が譲ってくれないと世界が全部敵になったような気になるしネットに呪いを吐きたくなるのも本当です。車内で吐きそうになって座り込んじゃっても譲ってもらえないどころか周りはチラチラ見るだけで声かけないこともあったし(体調わるいと被害妄想はいるから冷たい視線に感じたし)。もうダメだ〜てなって途中下車したけどトイレまで辿り着けず座り込んじゃって周りにチラチラ見られて恥ずかしいけど動けなくて駅員さん来ちゃったこともあったし。もうホントだめだかくなる上は金の力〜てなってタクシーのって車内で堪えきれず吐いたこともありました運転手さんごめんなさいビニール袋ありがとうございます。
何が言いたいかわからなくなったけど男は譲らねぇとかじゃなくて世の中いろいろだよねと。譲られる経験あるぶん、今後は余裕あったら譲りたいよねと。とはいえ皆余裕あるわけじゃないから譲ってくれない人もいるけど、譲る譲らない関係なくマークはつけといたほうがいいよ車内で吐きかけた場合の免罪符になるからということです。
あとこんな道徳の教科書みたいなことが書けるのは妊婦時代が遠い昔になったからで妊婦だった頃はそんな余裕ないし悪阻辛い時代はただただ辛かったし私は妊婦だけど体調悪くない時代あったけど妊婦だしずっと体調悪い…て人もいっぱいいるからやっぱマタニティマークには譲ってあげてほしいし優しくしてほしいです。あとそもそも妊婦で悪阻でラッシュアワーに通勤したくないし私内勤だったしフレックスなんで認めてくれなかったの前職〜!他社でやってる話を聞いてないといわれたときあぁ社会は厳しいなぁと思いました。つらたんつらたん。
それで、気性がぼんやりしてるのはどれなんだ?
その辺りの習慣から来るのかもしれない。