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2024-10-12

あと4日

今月の21日月あたり有給を取らなければ、ペナルティが課されそうですね。

21とったら3日か?

11月に2日12月に1日というか12月さっさと仕事納めして(24日あたり)

バーっと有休でうめつくしたい

2024-10-10

イライラ

遠距離彼女飲み会帰りに連絡なくて、「心配から連絡はしてね」に対して「ごめんねー」の返答もイラつくし

まだ大きな実績のない知り合いに超大手仕事相談しても返事ないし、なんかイライラ

舐められているのかね。

2024-10-09

ほんと3人が揃う時が死ぬほど嫌だ

日中喧嘩ばかりで集中できやしない

遊びたがってるの放置すればキレるのわかってのに、別のことやるのもむかつくし

ほんと最悪

anond:20241006211836

30代前半にてガンに罹患

手術、抗がん剤によるハゲからの髪の毛復活、ホルモン注射を経て投薬のみで生き延びてる。

手術による20cm以上の傷跡、投薬が継続していることによる影響での不妊からおそらく婚活市場から大きく外れた存在となりました。

おかげさまで再発もなく元気ですし、婚活市場から放り出されたことでわざわざカタログギフトからものを選んだり、選ばれたりというような行為から抜け出すことができました。

抜け出しても全然いいや、なんだったんだろうあの時間くらいな気持ちです。それでも友だちが結婚していくともの寂しさはありますが。

本当にそこまで欲しいかからないけど、損かもしれないし皆やってるし、それが社会の当たり前だしみたいな延長で必死に個を削って女になろうとして、皆と一緒になろうとしていたけどどうでも良くなってしまった。

手術経験やがん罹患経験出産しない女であることを伝えるだけで「いいね」をしない多くの異性たちと結婚しようとしてたのかあ、みたいな。そうじゃない人もいるだろうけどさ。

よくわからないことにこだわって皆と一緒の社会ステータスを得よう、でもそうじゃない人を笑ってはいけないか尊重してる素振りだけ見せとかないと(ゆうても自分社会ステータスがあるw)みたいな態度が透けて見えてる人のしょうもなさを感じてしまって人間関係もほそぼそとなっている。

仕事治療中も在宅で頑張って続けたおかげで収入も上がってきた。けどそれだけが私の人生ではないし、

一人で生活しながら、たまに友人や誰かのために料理したりプレゼント考えたりしてると本質的誰かのためにしているな、って思える。

実家にいた時は家族から一応しないと…だったけど心の底から誰かのために何かをしたいと思って行動してるな、と感じることも増えた。

いまはまだ手術後3年程度なのでお金借りるのが難しいんだけど数年内に家を買ってのんびり過ごしたいなって思う。

最近は今後発生するだろう親の介護とか自分が死んだ時の始末を考えてる。

考えることもやることもいっぱいだし、一人で生活してると全部自分でやらないとだからいろんなことに興味出るし知識つくし生きてるのが楽しくなってきた。

映画評論を見るのが無理になった

ていうか作品文句を見るのが無理になった

昔はつまんなかったとかここがダメだったみたいな意見みてもそういう人もいるんですねって流せてたんだけど

俺が年取ったってのもあるだろうけどツイッター仕様変更フォローしてない知らねぇ奴らの文句無限に見せられたこともあって本当にうんざりしちゃって

そういう批評に対して何様だよ偉そうにてめぇに何がわかんだよとしか思えなくなっちゃった

映画雑誌評論家辛口批評とかも前はなんなら楽しんで見てたはずなのになんかもう文句を娯楽にするということが許せなくなってしまった

感想は人それぞれだし文句が出るのも当たり前だってわかってはいるんだけど全部に苛つくし今後も目に入ればキレ続けると思うとしんどい

2024-10-01

五  門をはいると、このあいだの萩が、人の丈より高く茂って、株の根に黒い影ができている。この黒い影が地の上をはって、奥の方へゆくと、見えなくなる。葉と葉の重なる裏まで上ってくるようにも思われる。それほど表には濃い日があたっている。手洗水のそば南天がある。これも普通よりは背が高い。三本寄ってひょろひょろしている。葉は便所の窓の上にある。  萩と南天の間に椽側が少し見える。椽側は南天を基点としてはすに向こうへ走っている。萩の影になった所は、いちばん遠いはずれになる。それで萩はいちばん手前にある。よし子はこの萩の影にいた。椽側に腰をかけて。  三四郎は萩とすれすれに立った。よし子は椽から腰を上げた。足は平たい石の上にある。三四郎はいさらその背の高いのに驚いた。 「おはいりなさい」  依然として三四郎を待ち設けたような言葉かいである三四郎病院の当時を思い出した。萩を通り越して椽鼻まで来た。 「お掛けなさい」  三四郎は靴をはいている。命のごとく腰をかけた。よし子は座蒲団を取って来た。 「お敷きなさい」  三四郎蒲団を敷いた。門をはいってから三四郎はまだ一言も口を開かない。この単純な少女はただ自分の思うとおりを三四郎に言うが、三四郎からは毫も返事を求めていないように思われる。三四郎は無邪気なる女王の前に出た心持ちがした。命を聞くだけである。お世辞を使う必要がない。一言でも先方の意を迎えるような事をいえば、急に卑しくなる、唖の奴隷のごとく、さきのいうがままにふるまっていれば愉快である三四郎子供のようなよし子から子供扱いにされながら、少しもわが自尊心を傷つけたとは感じえなかった。 「兄ですか」とよし子はその次に聞いた。  野々宮を尋ねて来たわけでもない。尋ねないわけでもない。なんで来たか三四郎にもじつはわからないのである。 「野々宮さんはまだ学校ですか」 「ええ、いつでも夜おそくでなくっちゃ帰りません」  これは三四郎も知ってる事である三四郎挨拶に窮した。見ると椽側に絵の具箱がある。かきかけた水彩がある。 「絵をお習いですか」 「ええ、好きだからかきます」 「先生はだれですか」 「先生に習うほどじょうずじゃないの」 「ちょっと拝見」 「これ? これまだできていないの」とかきかけを三四郎の方へ出す。なるほど自分のうちの庭がかきかけてある。空と、前の家の柿の木と、はいり口の萩だけができている。なかにも柿の木ははなはだ赤くできている。 「なかなかうまい」と三四郎が絵をながめながら言う。 「これが?」とよし子は少し驚いた。本当に驚いたのである三四郎のようなわざとらしい調子は少しもなかった。  三四郎はいさら自分言葉冗談にすることもできず、またまじめにすることもできなくなった。どっちにしても、よし子から軽蔑されそうである三四郎は絵をながめながら、腹の中で赤面した。  椽側から座敷を見回すと、しんと静かである茶の間はむろん、台所にも人はいないようである。 「おっかさんはもうお国へお帰りになったんですか」 「まだ帰りません。近いうちに立つはずですけれど」 「今、いらっしゃるんですか」 「今ちょっと買物に出ました」 「あなた里見さんの所へお移りになるというのは本当ですか」 「どうして」 「どうしてって――このあい広田先生の所でそんな話がありましたから」 「まだきまりません。ことによると、そうなるかもしれませんけれど」  三四郎は少しく要領を得た。 「野々宮さんはもとから里見さんと御懇意なんですか」 「ええ。お友だちなの」  男と女の友だちという意味かしらと思ったが、なんだかおかしい。けれども三四郎はそれ以上を聞きえなかった。 「広田先生は野々宮さんのもとの先生だそうですね」 「ええ」  話は「ええ」でつかえた。 「あなた里見さんの所へいらっしゃるほうがいいんですか」 「私? そうね。でも美禰子さんのお兄いさんにお気の毒ですから」 「美禰子さんのにいさんがあるんですか」 「ええ。うちの兄と同年の卒業なんです」 「やっぱり理学士ですか」 「いいえ、科は違います法学士です。そのまた上の兄さんが広田先生のお友だちだったのですけれども、早くおなくなりになって、今では恭助さんだけなんです」 「おとっさんやおっかさんは」  よし子は少し笑いながら、 「ないわ」と言った。美禰子の父母の存在想像するのは滑稽であるといわぬばかりである。よほど早く死んだものみえる。よし子の記憶にはまるでないのだろう。 「そういう関係で美禰子さんは広田先生の家へ出入をなさるんですね」 「ええ。死んだにいさんが広田先生とはたいへん仲良しだったそうです。それに美禰子さんは英語が好きだから、時々英語を習いにいらっしゃるんでしょう」 「こちらへも来ますか」  よし子はいつのまにか、水彩画の続きをかき始めた。三四郎そばにいるのがまるで苦になっていない。それでいて、よく返事をする。 「美禰子さん?」と聞きながら、柿の木の下にある藁葺屋根に影をつけたが、 「少し黒すぎますね」と絵を三四郎の前へ出した。三四郎は今度は正直に、 「ええ、少し黒すぎます」と答えた。すると、よし子は画筆に水を含ませて、黒い所を洗いながら、 「いらっしゃいますわ」とようやく三四郎に返事をした。 「たびたび?」 「ええたびたび」とよし子は依然として画紙に向かっている。三四郎は、よし子が絵のつづきをかきだしてから、問答がたいへん楽になった。  しばらく無言のまま、絵のなかをのぞいていると、よし子はたんねんに藁葺屋根の黒い影を洗っていたが、あまり水が多すぎたのと、筆の使い方がなかなか不慣れなので、黒いものがかってに四方へ浮き出して、せっかく赤くできた柿が、陰干の渋柿のような色になった。よし子は画筆の手を休めて、両手を伸ばして、首をあとへ引いて、ワットマンをなるべく遠くからながめていたが、しまいに、小さな声で、 「もう駄目ね」と言う。じっさいだめなのだからしかたがない。三四郎は気の毒になった。 「もうおよしなさい。そうして、また新しくおかきなさい」  よし子は顔を絵に向けたまま、しりめに三四郎を見た。大きな潤いのある目である三四郎ますます気の毒になった。すると女が急に笑いだした。 「ばかね。二時間ばかり損をして」と言いながら、せっかくかいた水彩の上へ、横縦に二、三本太い棒を引いて、絵の具箱の蓋をぱたりと伏せた。 「もうよしましょう。座敷へおはいりなさい。お茶をあげますから」と言いながら、自分は上へ上がった。三四郎は靴を脱ぐのが面倒なので、やはり椽側に腰をかけていた。腹の中では、今になって、茶をやるという女を非常におもしろいと思っていた。三四郎に度はずれの女をおもしろがるつもりは少しもないのだが、突然お茶をあげますといわれた時には、一種の愉快を感ぜぬわけにゆかなかったのである。その感じは、どうしても異性に近づいて得られる感じではなかった。  茶の間で話し声がする。下女はいたに違いない。やがて襖を開いて、茶器を持って、よし子があらわれた。その顔を正面から見た時に、三四郎はまた、女性中のもっと女性的な顔であると思った。  よし子は茶をくんで椽側へ出して、自分は座敷の畳の上へすわった。三四郎はもう帰ろうと思っていたが、この女のそばにいると、帰らないでもかまわないような気がする。病院ではかつてこの女の顔をながめすぎて、少し赤面させたために、さっそく引き取ったが、きょうはなんともない。茶を出したのをさいわいに椽側と座敷でまた談話を始めた。いろいろ話しているうちに、よし子は三四郎に妙な事を聞きだした。それは、自分の兄の野々宮が好きかいやかという質問であった。ちょっと聞くとまるでがんぜない子供の言いそうな事であるが、よし子の意味はもう少し深いところにあった。研究心の強い学問好きの人は、万事を研究する気で見るから、情愛が薄くなるわけである人情で物をみると、すべてが好ききらいの二つになる。研究する気なぞが起こるものではない。自分の兄は理学者だものから自分研究していけない。自分研究すればするほど、自分を可愛がる度は減るのだから、妹に対して不親切になる。けれども、あのくらい研究好きの兄が、このくらい自分を可愛がってくれるのだから、それを思うと、兄は日本じゅうでいちばんいい人に違いないという結論であった。  三四郎はこの説を聞いて、大いにもっともなような、またどこか抜けているような気がしたが、さてどこが抜けているんだか、頭がぼんやりして、ちょっとからなかった。それでおもてむきこの説に対してはべつだんの批評を加えなかった。ただ腹の中で、これしきの女の言う事を、明瞭に批評しえないのは、男児としてふがいないことだと、いたく赤面した。同時に、東京女学生はけっしてばかにできないものだということを悟った。  三四郎はよし子に対する敬愛の念をいだいて下宿へ帰った。はがきが来ている。「明日午後一時ごろから人形を見にまいりますから広田先生の家までいらっしゃい。美禰子」  その字が、野々宮さんのポッケットから半分はみ出していた封筒の上書に似ているので、三四郎は何べんも読み直してみた。  翌日は日曜である三四郎は昼飯を済ましてすぐ西片町へ来た。新調の制服を着て、光った靴をはいている。静かな横町広田先生の前まで来ると、人声がする。  先生の家は門をはいると、左手がすぐ庭で、木戸をあければ玄関へかからずに、座敷の椽へ出られる。三四郎は要目垣のあいだに見える桟をはずそうとして、ふと、庭の中の話し声を耳にした。話は野々宮と美禰子のあいだに起こりつつある。 「そんな事をすれば、地面の上へ落ちて死ぬばかりだ」これは男の声である。 「死んでも、そのほうがいいと思います」これは女の答である。 「もっともそんな無謀な人間は、高い所から落ちて死ぬだけの価値は十分ある」 「残酷な事をおっしゃる」  三四郎はここで木戸をあけた。庭のまん中に立っていた会話の主は二人ともこっちを見た。野々宮はただ「やあ」と平凡に言って、頭をうなずかせただけである。頭に新しい茶の中折帽をかぶっている。美禰子は、すぐ、 「はがきはいつごろ着きましたか」と聞いた。二人の今までやっていた会話はこれで中絶した。  椽側には主人が洋服を着て腰をかけて、相変らず哲学を吹いている。これは西洋雑誌を手にしていた。そばによし子がいる。両手をうしろに突いて、からだを空に持たせながら、伸ばした足にはいた厚い草履をながめていた。――三四郎はみんなから待ち受けられていたとみえる。  主人は雑誌をなげ出した。 「では行くかな。とうとう引っぱり出された」 「御苦労さま」と野々宮さんが言った。女は二人で顔を見合わせて、ひとに知れないような笑をもらした。庭を出る時、女が二人つづいた。 「背が高いのね」と美禰子があとから言った。 「のっぽ」とよし子が一言答えた。門の側で並んだ時、「だからなりたけ草履をはくの」と弁解をした。三四郎もつづいて庭を出ようとすると、二階の障子ががらりと開いた。与次郎が手欄の所まで出てきた。 「行くのか」と聞く。 「うん、君は」 「行かない。菊細工なんぞ見てなんになるものか。ばかだな」 「いっしょに行こう。家にいたってしようがないじゃないか」 「今論文を書いている。大論文を書いている。なかなかそれどころじゃない」

三四郎はあきれ返ったような笑い方をして、四人のあとを追いかけた。四人は細い横町を三分の二ほど広い通りの方へ遠ざかったところである。この一団の影を高い空気の下に認めた時、三四郎自分の今の生活熊本当時のそれよりも、ずっと意味の深いものになりつつあると感じた。かつて考えた三個の世界のうちで、第二第三の世界はまさにこの一団の影で代表されている。影の半分は薄黒い。半分は花野のごとく明らかである。そうして三四郎の頭のなかではこの両方が渾然として調和されている。のみならず、自分もいつのまにか、しぜんとこの経緯のなかに織りこまれている。ただそのうちのどこかにおちつかないところがある。それが不安である。歩きながら考えると、いまさき庭のうちで、野々宮と美禰子が話していた談柄が近因である三四郎はこの不安の念を駆るために、二人の談柄をふたたびほじくり出してみたい気がした。

 四人はすでに曲がり角へ来た。四人とも足をとめて、振り返った。美禰子は額に手をかざしている。

 三四郎は一分かからぬうちに追いついた。追いついてもだれもなんとも言わない。ただ歩きだしただけである。しばらくすると、美禰子が、

「野々宮さんは、理学者だから、なおそんな事をおっしゃるんでしょう」と言いだした。話の続きらしい。

「なに理学をやらなくっても同じ事です。高く飛ぼうというには、飛べるだけの装置を考えたうえでなければできないにきまっている。頭のほうがさきに要るに違いないじゃありませんか」

「そんなに高く飛びたくない人は、それで我慢するかもしれません」

我慢しなければ、死ぬばかりですもの

「そうすると安全で地面の上に立っているのがいちばんいい事になりますね。なんだかつまらないようだ」

 野々宮さんは返事をやめて、広田先生の方を向いたが、

「女には詩人が多いですね」と笑いながら言った。すると広田先生が、

男子の弊はかえって純粋詩人になりきれないところにあるだろう」と妙な挨拶をした。野々宮さんはそれで黙った。よし子と美禰子は何かお互いの話を始める。三四郎はようやく質問の機会を得た。

「今のは何のお話なんですか」

「なに空中飛行機の事です」と野々宮さんが無造作に言った。三四郎落語のおちを聞くような気がした。

 それからはべつだんの会話も出なかった。また長い会話ができかねるほど、人がぞろぞろ歩く所へ来た。大観音の前に乞食がいる。額を地にすりつけて、大きな声をのべつに出して、哀願をたくましゅうしている。時々顔を上げると、額のところだけが砂で白くなっている。だれも顧みるものがない。五人も平気で行き過ぎた。五、六間も来た時に、広田先生が急に振り向いて三四郎に聞いた。

「君あの乞食に銭をやりましたか

「いいえ」と三四郎があとを見ると、例の乞食は、白い額の下で両手を合わせて、相変らず大きな声を出している。

「やる気にならないわね」とよし子がすぐに言った。

「なぜ」とよし子の兄は妹を見た。たしなめるほどに強い言葉でもなかった。野々宮の顔つきはむしろ冷静である

「ああしじゅうせっついていちゃ、せっつきばえがしないからだめですよ」と美禰子が評した。

「いえ場所が悪いからだ」と今度は広田先生が言った。「あまり人通りが多すぎるからいけない。山の上の寂しい所で、ああいう男に会ったら、だれでもやる気になるんだよ」

「その代り一日待っていても、だれも通らないかもしれない」と野々宮はくすくす笑い出した。

 三四郎は四人の乞食に対する批評を聞いて、自分今日まで養成した徳義上の観念を幾分か傷つけられるような気がした。けれども自分乞食の前を通る時、一銭も投げてやる了見が起こらなかったのみならず、実をいえば、むしろ不愉快な感じが募った事実反省してみると、自分よりもこれら四人のほうがかえって己に誠であると思いついた。また彼らは己に誠でありうるほどな広い天地の下に呼吸する都会人種であるということを悟った。

 行くに従って人が多くなる。しばらくすると一人の迷子出会った。七つばかりの女の子である。泣きながら、人の袖の下を右へ行ったり、左へ行ったりうろうろしている。おばあさん、おばあさんとむやみに言う。これには往来の人もみんな心を動かしているようにみえる。立ちどまる者もある。かあいそうだという者もある。しかしだれも手をつけない。子供はすべての人の注意と同情をひきつつ、しきりに泣きさけんでおばあさんを捜している。不可思議現象である

「これも場所が悪いせいじゃないか」と野々宮君が子供の影を見送りながら言った。

「いまに巡査が始末をつけるにきまっているから、みんな責任をのがれるんだね」と広田先生説明した。

わたしそばまで来れば交番まで送ってやるわ」とよし子が言う。

「じゃ、追っかけて行って、連れて行くがいい」と兄が注意した。

「追っかけるのはいや」

「なぜ」

「なぜって――こんなにおおぜいの人がいるんですもの。私にかぎったことはないわ」

「やっぱり責任をのがれるんだ」と広田が言う。

「やっぱり場所が悪いんだ」と野々宮が言う。男は二人で笑った。団子坂の上まで来ると、交番の前へ人が黒山のようにたかっている。迷子はとうとう巡査の手に渡ったのである

「もう安心大丈夫です」と美禰子が、よし子を顧みて言った。よし子は「まあよかった」という。

 坂の上から見ると、坂は曲がっている。刀の切っ先のようである。幅はむろん狭い。右側の二階建が左側の高い小屋の前を半分さえぎっている。そのうしろにはまた高い幟が何本となく立ててある。人は急に谷底へ落ち込むように思われる。その落ち込むものが、はい上がるものと入り乱れて、道いっぱいにふさがっているから、谷の底にあたる所は幅をつくして異様に動く。見ていると目が疲れるほど不規則うごめいている。広田先生はこの坂の上に立って、

「これはたいへんだ」と、さも帰りたそうである。四人はあとから先生を押すようにして、谷へはいった。その谷が途中からだらだらと向こうへ回り込む所に、右にも左にも、大きな葭簀掛けの小屋を、狭い両側から高く構えたので、空さえ存外窮屈にみえる。往来は暗くなるまで込み合っている。そのなかで木戸番ができるだけ大きな声を出す。「人間から出る声じゃない。菊人形から出る声だ」と広田先生が評した。それほど彼らの声は尋常を離れている。

 一行は左の小屋はいった。曾我の討入がある。五郎も十郎も頼朝もみな平等に菊の着物を着ている。ただし顔や手足はことごとく木彫りである。その次は雪が降っている。若い女が癪を起こしている。これも人形の心に、菊をいちめんにはわせて、花と葉が平に隙間なく衣装恰好となるように作ったものである

 よし子は余念なくながめている。広田先生と野々宮はしきりに話を始めた。菊の培養法が違うとかなんとかいうところで、三四郎は、ほかの見物に隔てられて、一間ばかり離れた。美禰子はもう三四郎より先にいる。見物は、がいして町家の者である教育のありそうな者はきわめて少ない。美禰子はその間に立って振り返った。首を延ばして、野々宮のいる方を見た。野々宮は右の手を竹の手欄から出して、菊の根をさしながら、何か熱心に説明している。美禰子はまた向こうをむいた。見物に押されて、さっさと出口の方へ行く。三四郎は群集を押し分けながら、三人を棄てて、美禰子のあとを追って行った。

 ようやくのことで、美禰子のそばまで来て、

里見さん」と呼んだ時に、美禰子は青竹の手欄に手を突いて、心持ち首をもどして、三四郎を見た。なんとも言わない。手欄のなかは養老の滝である。丸い顔の、腰に斧をさした男が、瓢箪を持って、滝壺のそばにかがんでいる。三四郎が美禰子の顔を見た時には、青竹のなかに何があるかほとんど気がつかなかった。

「どうかしましたか」と思わず言った。美禰子はまだなんとも答えない。黒い目をさももうそうに三四郎の額の上にすえた。その時三四郎は美禰子の二重瞼に不可思議ある意味を認めた。その意味のうちには、霊の疲れがある。肉のゆるみがある。苦痛に近き訴えがある。三四郎は、美禰子の答を予期しつつある今の場合を忘れて、この眸とこの瞼の間にすべてを遺却した。すると、美禰子は言った。

「もう出ましょう」

 眸と瞼の距離が次第に近づくようにみえた。近づくに従って三四郎の心には女のために出なければすまない気がきざしてきた。それが頂点に達したころ、女は首を投げるように向こうをむいた。手を青竹の手欄から離して、出口の方へ歩いて行く。三四郎はすぐあとからついて出た。

 二人が表で並んだ時、美禰子はうつむいて右の手を額に当てた。周囲は人が渦を巻いている。三四郎は女の耳へ口を寄せた。

「どうかしましたか

 女は人込みの中を谷中の方へ歩きだした。三四郎もむろんいっしょに歩きだした。半町ばかり来た時、女は人の中で留まった。

「ここはどこでしょう」

「こっちへ行くと谷中天王寺の方へ出てしまます。帰り道とはまるで反対です」

「そう。私心持ちが悪くって……」

 三四郎は往来のまん中で助けなき苦痛を感じた。立って考えていた。

「どこか静かな所はないでしょうか」と女が聞いた。

 谷中千駄木が谷で出会うと、いちばん低い所に小川が流れている。この小川を沿うて、町を左へ切れるとすぐ野に出る。川はまっすぐに北へ通っている。三四郎東京へ来てから何べんもこの小川の向こう側を歩いて、何べんこっち側を歩いたかよく覚えている。美禰子の立っている所は、この小川が、ちょうど谷中の町を横切って根津へ抜ける石橋そばである

「もう一町ばかり歩けますか」と美禰子に聞いてみた。

「歩きます

 二人はすぐ石橋を渡って、左へ折れた。人の家の路地のような所を十間ほど行き尽して、門の手前から板橋こちら側へ渡り返して、しばらく川の縁を上ると、もう人は通らない。広い野である

 三四郎はこの静かな秋のなかへ出たら、急にしゃべり出した。

「どうです、ぐあいは。頭痛でもしますか。あんまり人がおおぜい、いたせいでしょう。あの人形を見ている連中のうちにはずいぶん下等なのがいたようだから――なにか失礼でもしまたか

 女は黙っている。やがて川の流れから目を上げて、三四郎を見た。二重瞼にはっきりと張りがあった。三四郎はその目つきでなかば安心した。

ありがとう。だいぶよくなりました」と言う。

休みましょうか」

「ええ」

「もう少し歩けますか」

「ええ」

「歩ければ、もう少しお歩きなさい。ここはきたない。あすこまで行くと、ちょうど休むにいい場所があるから

「ええ」

 一丁ばかり来た。また橋がある。一尺に足らない古板を造作なく渡した上を、三四郎は大またに歩いた。女もつづいて通った。待ち合わせた三四郎の目には、女の足が常の大地を踏むと同じように軽くみえた。この女はすなおな足をまっすぐに前へ運ぶ。わざと女らしく甘えた歩き方をしない。したがってむやみにこっちから手を貸すわけにはいかない。

 向こうに藁屋根がある。屋根の下が一面に赤い。近寄って見ると、唐辛子を干したのであった。女はこの赤いものが、唐辛子であると見分けのつくところまで来て留まった。

「美しいこと」と言いながら、草の上に腰をおろした。草は小川の縁にわずかな幅をはえているのみである。それすら夏の半ばのように青くはない。美禰子は派手な着物のよごれるのをまるで苦にしていない。

「もう少し歩けませんか」と三四郎は立ちながら、促すように言ってみた。

ありがとう。これでたくさん」

「やっぱり心持ちが悪いですか」

あんまり疲れたから

 三四郎もとうとうきたない草の上にすわった。美禰子と三四郎の間は四尺ばかり離れている。二人の足の下には小さな川が流れている。秋になって水が落ちたから浅い。角の出た石の上に鶺鴒が一羽とまったくらいである。三四郎は水の中をながめていた。水が次第に濁ってくる。見ると川上百姓大根を洗っていた。美禰子の視線は遠くの向こうにある。向こうは広い畑で、畑の先が森で森の上が空になる。空の色がだんだん変ってくる。

 ただ単調に澄んでいたもののうちに、色が幾通りもできてきた。透き通る藍の地が消えるように次第に薄くなる。その上に白い雲が鈍く重なりかかる。重なったものが溶けて流れ出す。どこで地が尽きて、どこで雲が始まるかわからないほどにものうい上を、心持ち黄な色がふうと一面にかかっている。

「空の色が濁りました」と美禰子が言った。

anond:20241001033922

2024-09-30

 三四郎はこの時ふと汽車水蜜桃をくれた男が、あぶないあぶない、気をつけないとあぶない、と言ったことを思い出した。あぶないあぶないと言いながら、あの男はいやにおちついていた。つまりあぶないあぶないと言いうるほどに、自分はあぶなくない地位に立っていれば、あんな男にもなれるだろう。世の中にいて、世の中を傍観している人はここに面白味があるかもしれない。どうもあの水蜜桃の食いぐあいから、青木堂で茶を飲んでは煙草を吸い、煙草を吸っては茶を飲んで、じっと正面を見ていた様子は、まさにこの種の人物である。――批評家である。――三四郎は妙な意味批評家という字を使ってみた。使ってみて自分うまいと感心した。のみならず自分批評家として、未来存在しようかとまで考えだした。あのすごい死顔を見るとこんな気も起こる。  三四郎は部屋のすみにあるテーブルと、テーブルの前にある椅子と、椅子の横にある本箱と、その本箱の中に行儀よく並べてある洋書を見回して、この静かな書斎の主人は、あの批評家と同じく無事で幸福であると思った。――光線の圧力研究するために、女を轢死させることはあるまい。主人の妹は病気である。けれども兄の作った病気ではない。みずからかかった病気である。などとそれからそれへと頭が移ってゆくうちに、十一時になった。中野行の電車はもう来ない。あるいは病気が悪いので帰らないのかしらと、また心配になる。ところへ野々宮から電報が来た。妹無事、あす朝帰るとあった。  安心して床にはいったが、三四郎の夢はすこぶる危険であった。――轢死を企てた女は、野々宮に関係のある女で、野々宮はそれと知って家へ帰って来ない。ただ三四郎安心させるために電報だけ掛けた。妹無事とあるのは偽りで、今夜轢死のあった時刻に妹も死んでしまった。そうしてその妹はすなわち三四郎が池の端で会った女である。……  三四郎はあくる日例になく早く起きた。  寝つけない所に寝た床のあとをながめて、煙草を一本のんだが、ゆうべの事は、すべて夢のようである。椽側へ出て、低い廂の外にある空を仰ぐと、きょうはいい天気だ。世界が今朗らかになったばかりの色をしている。飯を済まして茶を飲んで、椽側に椅子を持ち出して新聞を読んでいると、約束どおり野々宮君が帰って来た。 「昨夜、そこに轢死があったそうですね」と言う。停車場か何かで聞いたものらしい。三四郎自分経験を残らず話した。 「それは珍しい。めったに会えないことだ。ぼくも家におればよかった。死骸はもう片づけたろうな。行っても見られないだろうな」 「もうだめでしょう」と一口答えたが、野々宮君ののん気なのには驚いた。三四郎はこの無神経をまったく夜と昼の差別から起こるものと断定した。光線の圧力試験する人の性癖が、こういう場合にも、同じ態度で表われてくるのだとはまるで気がつかなかった。年が若いからだろう。  三四郎は話を転じて、病人のことを尋ねた。野々宮君の返事によると、はたして自分の推測どおり病人に異状はなかった。ただ五、六日以来行ってやらなかったものから、それを物足りなく思って、退屈紛れに兄を釣り寄せたのである。きょうは日曜だのに来てくれないのはひどいと言って怒っていたそうである。それで野々宮君は妹をばかだと言っている。本当にばかだと思っているらしい。この忙しいものに大切な時間を浪費させるのは愚だというのである。けれども三四郎にはその意味ほとんどわからなかった。わざわざ電報を掛けてまで会いたがる妹なら、日曜の一晩や二晩をつぶしたって惜しくはないはずである。そういう人に会って過ごす時間が、本当の時間で、穴倉で光線の試験をして暮らす月日はむしろ人生に遠い閑生涯というべきものである自分が野々宮君であったならば、この妹のために勉強妨害をされるのをかえってうれしく思うだろう。くらいに感じたが、その時は轢死の事を忘れていた。  野々宮君は昨夜よく寝られなかったものからぼんやりしていけないと言いだした。きょうはさいわい昼から早稲田学校へ行く日で、大学のほうは休みから、それまで寝ようと言っている。「だいぶおそくまで起きていたんですか」と三四郎が聞くと、じつは偶然、高等学校で教わったもとの先生広田という人が妹の見舞いに来てくれて、みんなで話をしているうちに、電車時間に遅れて、つい泊ることにした。広田の家へ泊るべきのを、また妹がだだをこねて、ぜひ病院に泊れと言って聞かないから、やむをえず狭い所へ寝たら、なんだか苦しくって寝つかれなかった。どうも妹は愚物だ。とまた妹を攻撃する。三四郎おかしくなった。少し妹のために弁護しようかと思ったが、なんだか言いにくいのでやめにした。  その代り広田さんの事を聞いた。三四郎広田さんの名前をこれで三、四へん耳にしている。そうして、水蜜桃先生青木堂の先生に、ひそかに広田さんの名をつけている。それから正門内で意地の悪い馬に苦しめられて、喜多床の職人に笑われたのもやはり広田先生にしてある。ところが今承ってみると、馬の件ははたして広田先生であった。それで水蜜桃も必ず同先生に違いないと決めた。考えると、少し無理のようでもある。  帰る時に、ついでだから、午前中に届けてもらいたいと言って、袷を一枚病院まで頼まれた。三四郎は大いにうれしかった。  三四郎は新しい四角な帽子かぶっている。この帽子かぶって病院に行けるのがちょっと得意である。さえざえしい顔をして野々宮君の家を出た。  御茶の水で電車を降りて、すぐ俥に乗った。いつもの三四郎に似合わぬ所作である。威勢よく赤門を引き込ませた時、法文科のベルが鳴り出した。いつもならノートインキ壺を持って、八番の教室はいる時分である。一、二時間講義ぐらい聞きそくなってもかまわないという気で、まっすぐに青山内科玄関まで乗りつけた。  上がり口を奥へ、二つ目の角を右へ切れて、突当たりを左へ曲がると東側の部屋だと教わったとおり歩いて行くと、はたしてあった。黒塗りの札に野々宮よし子と仮名で書いて、戸口に掛けてある。三四郎はこの名前を読んだまま、しばらく戸口の所でたたずんでいた。いなか物だからノックするなぞという気の利いた事はやらない。「この中にいる人が、野々宮君の妹で、よし子という女である」  三四郎はこう思って立っていた。戸をあけて顔が見たくもあるし、見て失望するのがいやでもある。自分の頭の中に往来する女の顔は、どうも野々宮宗八さんに似ていないのだから困る。  うしろから看護婦草履の音をたてて近づいて来た。三四郎は思い切って戸を半分ほどあけた。そうして中にいる女と顔を見合わせた。(片手にハンドルをもったまま)  目の大きな、鼻の細い、唇の薄い、鉢が開いたと思うくらいに、額が広くって顎がこけた女であった。造作はそれだけである。けれども三四郎は、こういう顔だちから出る、この時にひらめいた咄嗟の表情を生まれてはじめて見た。青白い額のうしろに、自然のままにたれた濃い髪が、肩まで見える。それへ東窓をもれる朝日の光が、うしろからさすので、髪と日光の触れ合う境のところが菫色に燃えて、生きた暈をしょってる。それでいて、顔も額もはなはだ暗い。暗くて青白い。そのなかに遠い心持ちのする目がある。高い雲が空の奥にいて容易に動かない。けれども動かずにもいられない。ただなだれるように動く。女が三四郎を見た時は、こういう目つきであった。  三四郎はこの表情のうちにものうい憂鬱と、隠さざる快活との統一を見いだした。その統一の感じは三四郎にとって、最も尊き人生の一片である。そうして一大発見である三四郎ハンドルをもったまま、――顔を戸の影から分部屋の中に差し出したままこの刹那の感に自らを放下し去った。 「おはいりなさい」  女は三四郎を待ち設けたように言う。その調子には初対面の女には見いだすことのできない、安らかな音色があった。純粋の子供か、あらゆる男児に接しつくし婦人でなければ、こうは出られない。なれなれしいのとは違う。初めから古い知り合いなのである。同時に女は肉の豊かでない頬を動かしてにこりと笑った。青白いうちに、なつかしい暖かみができた。三四郎の足はしぜんと部屋の内へはいった。その時青年の頭のうちには遠い故郷にある母の影がひらめいた。  戸のうしろへ回って、はじめて正面に向いた時、五十あまり婦人三四郎挨拶をした。この婦人三四郎からだがまだ扉の陰を出ないまえから席を立って待っていたものみえる。 「小川さんですか」と向こうから尋ねてくれた。顔は野々宮君に似ている。娘にも似ている。しかしただ似ているというだけである。頼まれ風呂敷包みを出すと、受け取って、礼を述べて、 「どうぞ」と言いながら椅子をすすめたまま、自分は寝台の向こう側へ回った。  寝台の上に敷いた蒲団を見るとまっ白である。上へ掛けるものもまっ白である。それを半分ほど斜にはぐって、裾のほうが厚く見えるところを、よけるように、女は窓を背にして腰をかけた。足は床に届かない。手に編針を持っている。毛糸のたまが寝台の下に転がった。女の手から長い赤い糸が筋を引いている。三四郎は寝台の下から毛糸のたまを取り出してやろうかと思った、けれども、女が毛糸にはまるで無頓着でいるので控えた。  おっかさんが向こう側から、しきりに昨夜の礼を述べる。お忙しいところをなどと言う。三四郎は、いいえ、どうせ遊んでいますからと言う。二人が話をしているあいだ、よし子は黙っていた。二人の話が切れた時、突然、 「ゆうべの轢死を御覧になって」と聞いた。見ると部屋のすみに新聞がある。三四郎が、 「ええ」と言う。 「こわかったでしょう」と言いながら、少し首を横に曲げて、三四郎を見た。兄に似て首の長い女である三四郎はこわいともこわくないとも答えずに、女の首の曲がりぐあいをながめていた。半分は質問があまり単純なので、答に窮したのである。半分は答えるのを忘れたのである。女は気がついたとみえて、すぐ首をまっすぐにした。そうして青白い頬の奥を少し赤くした。三四郎はもう帰るべき時間だと考えた。  挨拶をして、部屋を出て、玄関正面へ来て、向こうを見ると、長い廊下のはずれが四角に切れて、ぱっと明るく、表の緑が映る上がり口に、池の女が立っている。はっと驚いた三四郎の足は、さっそく歩調に狂いができた。その時透明な空気の画布の中に暗く描かれた女の影は一足前へ動いた。三四郎も誘われたように前へ動いた。二人は一筋道廊下のどこかですれ違わねばならぬ運命をもって互いに近づいて来た。すると女が振り返った。明るい表の空気の中には、初秋の緑が浮いているばかりである。振り返った女の目に応じて、四角の中に、現われたものもなければ、これを待ち受けていたものもない。三四郎はそのあいだに女の姿勢服装を頭の中へ入れた。  着物の色はなんという名かわからない。大学の池の水へ、曇った常磐木の影が映る時のようである。それはあざやかな縞が、上から下へ貫いている。そうしてその縞が貫きながら波を打って、互いに寄ったり離れたり、重なって太くなったり、割れて二筋になったりする。不規則だけれども乱れない。上から三分一のところを、広い帯で横に仕切った。帯の感じには暖かみがある。黄を含んでいるためだろう。  うしろを振り向いた時、右の肩が、あとへ引けて、左の手が腰に添ったまま前へ出た。ハンケチを持っている。そのハンケチの指に余ったところが、さらりと開いている。絹のためだろう。――腰から下は正しい姿勢にある。  女はやがてもとのとおりに向き直った。目を伏せて二足ばかり三四郎に近づいた時、突然首を少しうしろに引いて、まともに男を見た。二重瞼の切長のおちついた恰好である。目立って黒い眉毛の下に生きている。同時にきれいな歯があらわれた。この歯とこの顔色とは三四郎にとって忘るべからざる対照であった。  きょうは白いものを薄く塗っている。けれども本来の地を隠すほどに無趣味ではなかった。こまやかな肉が、ほどよく色づいて、強い日光にめげないように見える上を、きわめて薄く粉が吹いている。てらてら照る顔ではない。  肉は頬といわず顎といわずきちりと締まっている。骨の上に余ったものはたんとないくらいである。それでいて、顔全体が柔かい。肉が柔かいのではない骨そのものが柔かいように思われる。奥行きの長い感じを起こさせる顔である。  女は腰をかがめた。三四郎は知らぬ人に礼をされて驚いたというよりも、むしろのしかたの巧みなのに驚いた。腰から上が、風に乗る紙のようにふわりと前に落ちた。しかも早い。それで、ある角度まで来て苦もなくはっきりととまった。むろん習って覚えたものではない。 「ちょっと伺いますが……」と言う声が白い歯のあいから出た。きりりとしている。しかし鷹揚である。ただ夏のさかりに椎の実がなっているかと人に聞きそうには思われなかった。三四郎はそんな事に気のつく余裕はない。 「はあ」と言って立ち止まった。 「十五号室はどの辺になりましょう」  十五号は三四郎が今出て来た部屋である。 「野々宮さんの部屋ですか」  今度は女のほうが「はあ」と言う。 「野々宮さんの部屋はね、その角を曲がって突き当って、また左へ曲がって、二番目の右側です」 「その角を……」と言いながら女は細い指を前へ出した。 「ええ、ついその先の角です」 「どうもありがとう」  女は行き過ぎた。三四郎は立ったまま、女の後姿を見守っている。女は角へ来た。曲がろうとするとたんに振り返った。三四郎赤面するばかりに狼狽した。女はにこりと笑って、この角ですかというようなあいずを顔でした。三四郎は思わずうなずいた。女の影は右へ切れて白い壁の中へ隠れた。  三四郎はぶらりと玄関を出た。医科大学生と間違えて部屋の番号を聞いたのかしらんと思って、五、六歩あるいたが、急に気がついた。女に十五号を聞かれた時、もう一ぺんよし子の部屋へあともどりをして、案内すればよかった。残念なことをした。  三四郎はいさらとって帰す勇気は出なかった。やむをえずまた五、六歩あるいたが、今度はぴたりととまった。三四郎の頭の中に、女の結んでいたリボンの色が映った。そのリボンの色も質も、たしかに野々宮君が兼安で買ったものと同じであると考え出した時、三四郎は急に足が重くなった。図書館の横をのたくるように正門の方へ出ると、どこからたか与次郎が突然声をかけた。 「おいなぜ休んだ。きょうはイタリー人がマカロニーをいかにして食うかという講義を聞いた」と言いながら、そばへ寄って来て三四郎の肩をたたいた。  二人は少しいっしょに歩いた。正門のそばへ来た時、三四郎は、 「君、今ごろでも薄いリボンをかけるものかな。あれは極暑に限るんじゃないか」と聞いた。与次郎はアハハハと笑って、 「○○教授に聞くがいい。なんでも知ってる男だから」と言って取り合わなかった。  正門の所で三四郎はぐあいが悪いからきょうは学校を休むと言い出した。与次郎はいっしょについて来て損をしたといわぬばかりに教室の方へ帰って行った。

anond:20240930192717

2024-09-29

母親を見てると、昭和平成を生きた女がどれだけ「ぬくぬく生きてる怠け者」かわかる

タイトルは半分釣り。刺さっちまった昭和平成を生きた女性申し訳ない。娘息子が居るなら、ちょっとだけ子育てについて顧みて反省したら、クソガキを育て上げたor育ててる自分を誇ってほしい。マジでめちゃくちゃ誇ってほしい。クソガキを育て上げるだけですごい。とんでもないストレスと、いらだちと、肉体的負担。全部キツイ。それでもあきらめないし、多少怠けたとしてもずっとじゃない。尊敬に値することでしかない。

父親もっと頑張れ。関心を持て。何が起きてるか把握するのはもちろん、時には母親に異を唱えられるようになれ。任せるな。無関心はクズへの加担でしかない。私もこれから、お前らに必ず、必ず追いつく。大いに顧みて反省する。最善を尽くす。母親反面教師に、父親教師に、そして反面教師にして、必ず追いついてやる。覚悟しろ、追い抜かれるな。私ごとき絶対追い抜かれるなよ。

ただし私の母親を除く。お前は一生霞だけ食って辛うじて生きてろ。

まぁーーーーークソ以下のカス野郎だわ、私の母親。コレを認めるのに、自分の子供ができるまでわからなかった。やっと呪いが解けた気がする。ぼんやり子育てには色んな苦労があるんだろう」で許してた部分があった。違った、アイツがクソでカス畜生なだけだった。家庭って大変で、決して良いものじゃない、って思ってた。大変だけど、決して良いものじゃないけど、あんゴミカスじゃなければ有り余る充実があるってわかった。

一言で集約すると、「自分絶対正しいと思ってるやつは頑張ろうが何しようが最低最悪のクズ」だ。そして私の母親は、「自分絶対正しいとは思ってない、よって自分の正しさを疑える私は絶対に正しい」という2重のドクズだった。

具体例として、兄と私の不仲。兄は私の幼少期からずっと私の悪口を言っていた。私が物心ついたときからから、おそらく一生だろう。私が怒るたびに母親は「やり返したら同レベルだ!」と私を叱っていた。兄を叱っていた記憶など、たったの1回、家族で出かけたとき公衆面前で私の悪口を言ったときくらいだ。そのとき兄は「俺が悪いのかよ!」と叫んで何処かへ行ってしまった。母親はめちゃくちゃ憔悴して、駅員に泣きながら「息子が何処かへ行ってしまったんです!!!!」と泣きついていたことをよく覚えている。私としては「いつもの兄の悪口ね、反応したら私が悪者になってさんざん叱られるやつね」程度だったので、ちょっと叱られたくらいでびーびー泣き出す兄と、びーびー泣いて憔悴する母親に面食らったのを覚えてる。

やがて、私が中学生になって腕力でも兄と同程度になったら、当然ながら暴力沙汰になる。当然、叱られるのは私だ。「何言われても先に手を出した方が悪い!」だ。なお、手を出さずに口で応戦しても「反応するからエスカレートするんだ、お前が悪い」だ。こちらとしても収まりがつかないから「なんでお前は悪口言ったほうを一切叱らず俺を叱る、それで喧嘩が収まると思ってんのか」みたいなことを言うんだが、母親は「お前って言うな!」「(お前って言ってなければ)兄を叱ってなんとかなると思ってんのか!」と怒鳴って終わりだ。あとは一切無視悪口問題なく、悪口に反応するのは最悪だが、母親をお前というのはさらなる一切皆悪の大罪らしい。それ以来、ずっと兄の悪口にしびれを切らすたびに「お前の過剰反応だ」「被害妄想」「悲撃のヒロイン症候群」「キチガイ」「社会通用しない」など、兄を叱る言葉など一つもなく、言われた私の対応が悪いと言い続けていた。私が先に暴力をふるったら「先に手を出したお前が悪い」、兄が先に暴力を振るったら「手を出させたお前が悪い」。手を出さずに母親にうったえても「お前に悪いところは無かったのか!」と言われ、黙ったら「ほらみろお前が悪い」、マジで何もなくても「自惚れんな!」と怒鳴って、お前の悪いところを自覚していないお前が悪い、で終わり。一番記憶に残ってるのは、母親がいるときにもずっと悪口言ってる兄がいて、悪口ヘラヘラ笑ってる母親イライラピークに母親に対して「ずっと悪口言ってるんだけど何も叱らんのか」と母親にいったとき、「からかってるだけだからwwwwwwwww」ってヘラヘラ笑い続けて、兄は好き放題悪口言うチャンスとばかりに堂々と大声でクソみたいなことを雪崩のように言い続け、それの合いの手を入れるように母親は「からかってるだけだからwwwwwwwww」「からかってるだけだからwwwwwwwww」と繰り返したやつ。あまりにも悔しくてその場を離れたんだけど、しばらくして母親が追いかけてきて「そうやって逃げれば済むと思ってる」「悲撃のヒロインヒーローですね、あーカワイカワイソ」」「お前だけが被害者だと思うな」などと言い放ってきたこと。

そして高校生とき浪人生の兄がいつも通り悪口を言い続けていた。私は一切を無視していたが、疑問形の嫌味を言われたときに「はいはい」と適当に流した瞬間、母親は「今のは悪意で言ったんじゃない!お前の過剰反応だ!」と私に怒鳴りつけた。

もう面倒くさいからいいや。とにかくクソな扱いを受けてたんですよ。あのゴミに。

で、最近子供が生まれて、一応義理はあるから報告とかしたんですね。そしたら「なんで◯◯(筆者)は私(母親)を嫌うんだ」みたいなことを言ってきたんですよ。端的に「一生悪口言ってる兄にノーペナルティ悪口言わせ続けた人が何いってんの?」って返したら、マジでキョトンとした顔で「悪口言ったら叱ってたよ?家族で出かけたときとか、すごく理不尽なこと言ってたから」と言ってきた。

あれだけ「悪口に反応するな」「反応するお前が悪い」「反応しなくてもお前が悪い」「悪口言われたお前が悪い」を続けてても、何も記憶に残っていないのだ。記憶に残ってるのは、兄をたったの1回まともに叱ったら、泣きたくなるほど憔悴してしまった、だけ。私がどれだけ涙ながらに訴えても無視、むしろ叱り続けていた母親が、だ。

もはや記憶には「私は正しい」の5文字しか残っていないのだ。私は正しいから、悪口を叱っていた。悪口って悪い発言のことでしょ?悪いんだから、正しい私は叱ってたよ。私は正しいから。ほら、家族で出かけたときとか!でしかない。家族で出かけたときにお前が叱ったのは、周りに人がいたからだよ。言われたほうを叱ったら道理が通らない、なんてことを考える脳があるから兄を叱ったんだろ。で、兄を叱ったことなんてないから、今まで叱られたことのないなんてことのない悪口で怒られて、びっくりして泣いちゃってどっか行ったんだろ、兄は。今まで叱ってなかったから、クソカス脳内での「すごく理不尽なこと」を言っても悪口を言ってるっていう気じゃなかったんだろ、兄は。だから「俺が悪いのかよー!」って泣いちゃったんだよね。で、叱ったことなんてないからびっくりした兄をみて憔悴しちゃったんだろ。いつも叱ってた私がどっか行って泣いちゃったらヘラヘラ笑いながら追い打ちをかけてたのにね。周りに人が居るから悪口言われたほうが悪いと言えない、なんて考える脳があるのに。そして、兄を叱るのは本当に辛かったんだろうね。たったの1回叱ったことをいつまでも覚えてて、20年間悪口言われたほうを叱ってて言ったほうをノーペナにしてたことを一切覚えてない。「今から10万人の黒人と、1人の巨乳ブロンドを◯す」の案件

思い出すだけで疲れるが、これを断捨離しないと進めない気がするから全部吐き出していく。呪詛でも文句でもなんでもブクマなりトラバなりしてください。誰かに見られたという証拠が私の救い?赦し?わからんけど、それになる。

で、上記を全部直接吐き出したあとの極め付き。「増田を傷つけてしまたこと、謝っても意味がないとわかってるけど、謝ります。本当にごめんなさい」だ。違うんだよな、私を傷つけたことに怒ってるんじゃなくて、お前の不正義に怒ってるんだよ。兄を一切ノーペナルティしたことを怒ってるんだよ。私ごときいくら傷ついてもいいんだよ。お前が!!クズ!!!野放しにして!!!好き放題させたことを!!!怒ってるの!!!で、お前が正しいことをしていた面してんのがおかしいって言ってんの。私なんて脆い人間なんだから勝手に傷つくし勝手に復活するの。お前が及ぼせる影響なんてたったの二十数年分。クソほどデカいけど、お前ごときカスクズゴミクソカスに傷つけられたからって怒るけど、こんな激しくないよ。親子の義理だよ、お前は!!人間として!!!どうしようもないカス!!!人間性が終わってるんだよ!!!決して、頭が良くないから間違えた行動をしてしまった、では済まないカスクソゴミクズなんだって

まー、自称お局様にいじめられたから働けなくなった、私に言い続けた「社会通用しない」人でしかないし、祖母からも「頭悪いなりに頑張ってるから許してあげて」なんてなんの脈絡もなく言われるくらい先回りして問題解決してもらってたのに感謝反省もないカスから、本当に甘やかされておままごとだけで社会を知った気になって「私が嫌われるのは正しいことをしてるから!」なんて日蓮畜生マネごとまでしちゃって、日蓮正宗に破門されたような南無南無も一所懸命で。

ぬくぬく生きてる怠け者なんだな、と。飲み込んだので。飲み込んだ!!!!!!飲み込んだ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!恨みつらみ終わり!!!!!!!!!!!!!!!


明日からまた頑張ります

anond:20240929221750

タオルも不潔だと手を拭いた後菌がつくし、菌がついた手で赤ちゃん触ることになるしね。場合によっては口に触れたり。

資本主義暴走して負け組が増え続けたら共産主義に向かうのではない

人間が工夫をしつくした時にありとあらゆる答えが存在し最大限の不老不死を達成し法律完璧で二度と変更することはない、そういう状況ですごろくでいう上がり状態となりそこでは上下関係があっても仕方のない儀式的なユートピア世界があるだけである

2024-09-24

取引先にSNSバレた

オタクアカウント(全年齢二次創作してる)がバレて以降ネタにしてイジられている。

バレた経由は割愛

私が教えたわけじゃないことは明記しておきます

バレた時は(まぁ相手も別ジャンルオタクって話聞いてたら別にいっか〜)って思ってたけど、投稿内容を逐一いじられる(こんなこと考えて作品読んでるんだ〜みたいなことを毎回言われる)、少し伸びたら「バズってるじゃないっすかおめでとうございます!」、挙げ句の果てに「今度投稿内容を印刷して⚪︎⚪︎さんの会社の机に置きに行こうかな?」笑みたいなことを会うたび会うたび言われて大変不快

でもフランクな仲だろうと一応取引先だから直接ブロックしたら角が立つだろうし、そもそも公開アカウントブロックしたところで別アカ使えば見られるし、鍵かけたら私の創作同好の士に見てもらいにくくなるのが悲しいし、アカウント消して作り直しても活動ジャンルがバレてる+創作内容が特殊なので新アカウントもすぐバレそうだし、アカウント消すのは負けたみたいでムカつくし詰んでる。

コロナ禍の仕事めちゃくちゃな時に出会って救われたコンテンツとそこでできた創作趣味と同ジャンルの友人関係、側から見たらくだらないことかもしれなけど私にとってはものすごくものすごく大事ものなんですよ。

何年も活動してるネット上での居場所を土足で踏み入れられて最近メンタルにくるほどきつくなってきた。

別にバレて見られててもこっそり見るなら構わないし、わざわざ口に出していじってこなければこんな嫌な気持ちにならずに済むのに。

仕事関係ない個人趣味しかも全年齢創作だし公式ガイドラインに沿った活動しかしてないのになんでこんな不快な思いをしないといけないんだ…最悪すぎる…。

会社関係以外で飲みに行く程度にはそこそこ仲良かったけど今回の件で完全に嫌いになったし知り合いのSNS見つけてもネタにしない方がいいですよ。普通しないか……。

まじで早よ飽きてくれ〜〜〜

障害者相手仕事って楽しいよな

絶対的自分より劣ってる人間の世話を焼いていると自分相対的に立派に見えてくる。

中学生のお兄ちゃん小学生相手親分を気取るアレである

仕事でそれをやって金が貰えるのだから最高だ。

世間一般では「人権を擁する猛獣相手をさせられて薄給なんて最悪の仕事だ」と思われているが、給料が低い所以外は実に楽しいぞ。

結局の所、障害者なんてのは本当に動物紙一重なんだけど、そこを割り切れるのが本当にいいんだ。

俺は昔とある企業事務方をやっていたんだが、事務方ってのはつまる所は健常者の障害者じみた部分について尻拭いをしてやる仕事だ。

ご立派に健常者してるはずの連中相手に「伝票が揃ってませんよ」「書式が間違えてます」「これテンプレが古いバージョンですね」とかいちいち言うのはこっちも疲れる。

相手だって「おいおい俺様は健常者なのにそんな障害者に接するような態度を取りおって(#^ω^)」とイライラしているのが伝わってくる。

だって逆の立場だったら苛つくだろうな。

それもこれもお互いが一人前の人間同士だから起きるストレスだ。

だが片一方が四半人前の障害者だったらどうだろう?

向こうがイラついても「やれやれ障害者は脳が小さいことも多いからな」と諦めがつくし、話を聞いてなくても「おっと、障害者には難しかたかな?」と自省する余裕さえあるってもんだ。

たまに人並みのことをしてるのを見たら日光の猿が算数問題を解いてみせたような驚きと喜びが得られる。

実に楽しい

そして、本物の獣を相手にするよりかはずっと楽なのだ

なにせ獣というのは所構わずウンコをする奴らしかいないが、障害者の9割はちゃんトイレまで行ってウンチをする。

実に立派なものである

躾けられた飼い犬だって散歩ときは平気で野糞をするのを思えば、人間という種族の偉大さを感じるというもの

時折トイレにクソを塗りたくるモンスターもいると聞くが、そういう連中はいよいよそっち方面が怪しい人向けの病院へと消えてくれるので、そういう職場を選ばない限りは相手をしなくていい。

障害者はリミッターが壊れているから凄い怪力とも言うけど、ちゃんとした筋トレもせず甘やかされて育っただけのホモ・サピエンスなんぞ猛禽類やヒョウ属と比べればどうでもなる相手ではないか

今更隠す必要もないが、俺は動物が好きだ。

動物を対等の存在として見ているような似非動物好きと違い、人間様に敗北した霊長レースの二番手以下として好いている。

ロクに爪も牙も生えていない毛無しの猿に負けるような知能の低さを愛しているのだ。

サバンナでは向かうところ敵なしと君臨していた連中が大学生ぐらいのバイトからバケツで餌を貰って大人しく食っているのを見ると「ああ、コイツらは地球覇者にはなれなかった負け犬なのだなあ」と感動してしまう。

俺は自分より弱い相手に優しさを振る舞うというのが楽しくて仕方がない。

メサイアコンプレックスという奴なのか?

弱い奴らの何が素晴らしいって、俺がちょっと優しくするとみるみる依存することだ。

生殺与奪権の欠片を毎日少しずつこっちへと譲っていくその姿を見ると、「ああ、コイツらは本当にどうしようもない」と感じて、大事にしてやりたくなる。

駄目な奴というのは、こっちに依存してくれる。

依存させるというのは支配欲を満たしてくれる。

結局、俺は何かを支配したくてしょうがないんだろうな。

でも健常者同士でそれをやるほどの根性はない。

だが執着は消えない。

その隙間を埋めるように、この人間社会他人の助けを借りなければ生きられない連中を日々愛でているわけだ。

楽しい

仕事楽しいはいいことだ。

2024-09-21

10年振りにiPhoneからAndroid機種変したけど

この10年何やってたの???ってくらい使いにくさ変わってなくて草なのだ

サクサク度は昔より上がってるけど所々カクつくしフォントは幅狭くて見にくいしアプリも今どきダークモード未搭載多いしそりゃみんなiPhoneにするよ!!つかAndroidの設定マジ使いにくいUIでやんすなぁ!!!もっと頑張れよ!!

とりま指紋認証生きてる限りはお世話になるけどiPhone指紋認証戻ってきたら砂かけて乗り換えるとは思う

でもせっかくだから仲良くしたい…いいアプリない?ないか…そうか…

今まで使ってたiPhone売ろうと思ってたけどサブ機として残すことになりそう…婚約者と付き合いながら元カノセフレにしてる感じがしてAndroidに後ろめたさを感じている…まだおニューなのに

そもそも指紋認証消えたiPhoneが悪いのに…Androidは悪くないのに…

2024-09-19

anond:20240917144927

ピル避妊効果を疑っていないけれど

単純に避妊目的ピルではなく、生理の不調緩和目的ピルだったのでは?

もし彼女避妊目的ピルを飲んでいるとハッキリ言っているなら、増田ヤリマンを疑うか少なくとも経験済みと予想するだろうし

俺も(たぶん)彼女性的経験は無いままこの歳になっていて

とは書かない。

 

性的経験がないか殆どないとすると(元増田にそう書いてある)

生理に関する不調緩和の目的以外で飲む理由がない。

そうすると薬の種類によっては避妊の性能は低いし、避妊効果が低いとき彼女の中でピル避妊が繋がってないと思う。

それだと節約のため勝手にやめたというのにも違和感はない。

 

避妊しなかった理由は、子供出来たら結婚もいいかな位に考えていたとしたら説明つくし(懐妊の時も元増田が喜ぶと考えていたようだし)

元増田避妊しなかったから同じように考えているはず、と思い込んでいたのでは。

こはちゃんと話し合っておくべき部分だったとは思うけれど。

anond:20240919103449

沈んでいく地盤にしがみつくしかないということ?

生かさず殺さずの女もはめられた男もどちらにも言えるかも

2024-09-18

横着甘やかされカマキリの半生

8月末、ベランダに置いた植物植木鉢の地面にカマキリの成虫が乗っていた。ゲリラ豪雨が続いていたので近所の公園から避難してきたのだろう。放っておくと植木鉢の植物に登って、逆さまにぶら下がって何日もじっとしていた。私は昆虫を一切触れないが家グモダニやGの幼虫を捕食してくれるらしいので平気だし、カマキリ爬虫類っぽい顔がついているのでわりと好きだ。

魚肉ソーセージを爪楊枝の先につけて顔の前で上下に振ってみると、最初は警戒していたがやがてモグモグと食べ、自分のカマでソーセージを捕まえて食べた。かわいいやつだと思った。

カマキリのことを娘に教えると、最初気持ち悪がったり怖がったりしていたが、だんだん自分から近づいて毎日気にかけるようになった。基本的植木鉢にずっとくっついているので、ソーセージをやったり植物の水やりついでに葉伝いに水を与えたりした。しかし他の昆虫などそうそう来ないベランダ植木鉢ひと鉢では落ち着かないのか、だんだんと脱走のそぶりを見せ始めた。植木から外に出てベランダをうろつくようになったのだ。


娘はこれを見て「カマキリいなくなっちゃう」と残念がったが、私も娘も昆虫を捕まえられず、生き餌でないと食べないというカマキリ飼育できる気は全くしなかった。しかしそれなりの愛着は湧き「明日の朝もベランダにいたら、どこまで長生きできるかわからないが家で飼ってやろうか」という思いがある程度湧いてきた。

ところがその日の夜、どこを探しても見つからなくなった。

娘はたいそう落ち込んでべそをかきながら眠り、私はダメ元で翌朝のベランダを探し回った。散々探し回って諦めたところで、窓から見下ろすとちょうど死角になる位置の、ミニ物干しの裏側に逆さまにくっついているのを見つけた。私は決死覚悟軍手をはめ、植木鉢を抱えて近づき、無事カマキリを元の植木鉢へ誘導することに成功した。


私よりも早くに起きてベランダを探し回っていたらしい娘は、カマキリの健在を知りたいそう喜んで学校へ行った。私は近所のスーパーを探し回り、虫カゴが見つからないので仮の住まいとして細長い麦茶ポットを買い、100均で鉢底ネット温度計と霧吹きを買った(鉢底ネットは高所に登る習性があるというカマキリの足場に適しており、カマキリの適正飼育温度20〜25度で、水を切らさないようにするのが最も重要なのだという)。

帰ってみるとカマキリの姿は植木から消えていた。さんざん植木鉢を探し回り「娘になんと言えばいいのか」とうろたえ絶望しながらベランダ中を探し回り、最後にもう一度植木鉢の植物をよく見てみると普通に逆さまになってくっついていた。カマキリはこの巧みな擬態によって近づいてきた昆虫を捕食するのである

軍手をはめ、決死覚悟カマキリに手を差し伸べるとそろそろと手の上に乗ってきた(怖いので背中をつかめない)ため、これを麦茶ポットの仮住まい誘導し、不織布の排水ネットと輪ゴムで蓋をし、ヨドバシエクストリームで虫カゴをポチって娘の帰宅を待った。娘はたいそう喜んで何度も何度もカマキリの仮住まいを覗いた。

数日後にちゃんとした虫カゴが届いたので引っ越しをした。つぶしてしまわないか不安だったがどうにか成功した。正直麦茶ポットの方が居心地は良さそうだったが、麦茶ポットではフンの掃除ができないため助かった。


そうしてカマキリ我が家一時的な一員となってから二週間が経つ。調べてみるとハラビロカマキリのオスのようである。警戒して体を揺らすようなことはたまにあるが、カマを振り上げて威嚇するようなそぶりは全然ない。おとなしく臆病な性質である

基本的には横倒しにした虫かごの天井で、鉢底ネットに逆さまに捕まってじっとしている。出口がどこにあるかわかっているので「急に見たことのない奴(娘/夫)が来た」「急に知らない場所に虫かごが移動した」などの脅威を感じると虫かごの蓋の方へ来る。「ごめんて」と私は謝りながら落ち着くまでしばらく放っておく。

カマキリは暑さと蒸れに弱いらしいので常に冷房のきいた部屋にいる。蒸れに弱いくせに乾燥にも弱いらしいので折を見て霧吹きで水もやる。連日35度近いこの猛暑の中で、野生の昆虫は一体どうやって生きているのだろうと思う。


家族の誰も生きた昆虫を捕まえられないため、基本的主食魚肉ソーセージである。2日に1度、楊枝の先っぽに小さくしたかけらをつけて顔に近づけると食べる。好きでも嫌いでもないようで、食べはするが横着して自分で持たない。かわいい中年の私としてはずっと手を上げている姿勢がきつくしんどい思いをする。

満腹したり餌の鮮度が落ちると嫌になってしまうのか食べるのをやめ、カマを舐めて掃除を始める。ネコのような仕草で少しかわいい。最初ググった時は「食べ過ぎで腹を破裂させることがある」と聞いて滅茶苦茶ビビっていたが、このカマキリに関してはその心配はないようで安心している。

これまでにヨーグルト、豚ひき肉、マグロ刺身カツオのたたき、煮干しを与えてみたが、一番喜んで食べたのはカツオのたたきだった。カツオのたたきをよく食べたと聞いて夫が私が先に買ったものの2倍の値段のたたきを買ってきたので与えてみたが、普段横着してなかなか自分で取ろうとしないくせに、これは自分からすごい勢いでカマで抱え込んでガツガツと食べた。カマキリのくせに刺身の良し悪しがわかる贅沢者である人間が食べても明らかにおいしかったので納得ではある。


ヨーグルトマグロ刺身には見向きもせず、一番嫌がったのは煮干しだった。

煮干しは見た目が昆虫に似ているし、人間食べ物ばかりではカルシウムが不足するだろうからあげてみようと思ったのだが、怖がって虫かご中を逃げ回り、ついに餌やりのため蓋を取り払っていた虫かごから脱走をはかった。ビビリ散らしながら軍手をはめて手に乗せ、必死で虫かごに返そうとする私の腕をよじ登ってこようとするので肝を冷やした。どうにか帰宅させることに成功したが、よほど怖かったのか貼りついていた虫かごの高いところから「ビタン!」と地面(キッチンペーパー)に飛び降りてしばらく動かなくなってしま心配した。幸い大事なかったようでしばらく放っておくと天井定位置に戻った。

後で主食魚肉ソーセージパッケージを見てみたら「カルシウムたっぷり!」と書かれており、己の徒労を知って脱力した。無用となった煮干しは娘がたいそう気に入って全部食べた。


飼育一週間ほどすると上羽の色が裾のあたりから水が染みたように変色していることに気づいた。病気栄養不足などではないかと思って色々ググったが「日光浴不足ではないか」という程度しか情報が見つからず、とりあえず虫カゴが蒸れない程度に窓越しに日に当てていた。

煮干しを怖がって脱走した際にこの部位を間近で見ることができたので確認してみると、どうも上羽の変色ではなく、飛ぶための透明な羽を下にしまい忘れて上に出しっぱなしになっているだけなことが分かった。そういえば私は見られなかったが、娘が羽を広げているところを見たと言っていた。驚いたか何かで羽を広げた時にたたみ損なったのだろう。散々心配をかけさせておいておっちょこちょいな奴である


カマキリの多くは年を越さずに死ぬ。生き餌も与えられていないし、10月あたりを目処に寿命視野に入ってくるだろう。ハリガネムシが入っていたらもっといかもしれない。水に漬ければわかるというが、もし水に漬けてハリガネムシが出てきたら数日で死ぬらしいのでそのままにしておきたい。

我が家ではこれまで生き物を飼ったことがない。娘は何度も犬や猫を飼いたいと言ってきたが、借家である以前に私が面倒を見られないからだ。餌の管理も糞の掃除も毛の始末も散歩も躾も介護も何もできる気がしない。そもそも人間の子供すら育てられる気がせずダメ元でどうにかやってきている。

このカマキリが死んだら娘は泣くだろうなと思う。私はどうするだろう。泣くだろうか。わからない。犬猫と違って昆虫人間への愛着を持つことはないだろうから我が家カマキリ人間ことなど気にもせず、ただ生きられるだけ生きて死ぬだろう。残念ながら子孫を残すことはない。我が家で過ごすさまを見る限り外にいても速攻で死んでいそうな印象ではあるが、それは少し申し訳ないようにも思う。


我が家カマキリは臆病な奴だ。おっちょこちょいな奴だ。グルメな奴だ。横着な奴だ。食べる量を自分で考えられるところは賢い奴だ。そして何よりかわいい奴だ。

できれば長生きしてほしいと思う。我が家でできる範囲大事にしている。


追記

https://anond.hatelabo.jp/20241019105012

差別をやめろと言われても無理

だって平等は難しくて楽しくないし、それに比べて差別するの気持ちいいもん。差別されるのはムカつくしきしょいけど。

こんなレベル人間が溢れている限りは無理。

2024-09-16

anond:20240915164452

解雇が厳しいか年寄りが抜けなくて若手の給与が上がらないんだから解雇規制緩和は若い人にとってはいい話なんだが。転職市場での価値がなくて会社にしがみつくしかない人だけだよ困るの。

親と一緒にご飯を食べたくない

我が家の晩ごはん基本的に19時から食べ始めるんだけどその時間ってテレビNHKニュース番組をやってるのね

から父親母親ニュースに対して色々言うんだけど大抵悪口とか罵倒みたいなことを言うから一緒にご飯を食べたくない気持ち最近特に強くなってきた


たとえば一例だけど今日トップニューストランプ大統領候補が銃撃されたっていうニュースだったんだけど

父親が「死ねばよかったのに」とか「自作自演なんじゃねえの」みたいなことを言うわけ

もちろん全部のニュースに対して言うわけじゃないんだけど正直一緒の空間にいるのがしんどい

母親はまだマシだけど父親ニュース見てるとしょっちゅうそんな感じ


これから歳を取って衰えていけば発言過激になるのも充分に想像つくし

もう歳も歳だから正直に親たちに「一緒に居たくない」みたいなこと言っても変わるとも思えない

単純に自分キャパティが低いだけかもしれないとは思うんだけど一人でご飯食べる方が幸せだなと思う


家族で一緒にご飯食べてる人の他の家庭はどうなんだろう

こんな悩み自分だけかもしれないけど愚痴としてネットの海に吐き出させてください

すみません

anond:20240914204034

アラフィフだと似たような発想になる

超が付く名作と言えば、マリオドラクエFF あとは個人差でかい になる

続編出てるのも多分大前提

世界に通じるマリオシリーズのラスボス中のラスボスで、登場回数も多い

なんか身内感が出てしまってるが、マリオラスボスといえばクッパ千鳥大悟も言ってた

ちなみに自分クッパしたことがない

超名作だが(世界での人気は知らない)、複数作に登場っていうのが少ない

印象に残ってるのは、竜王(初代作から)、ゾーマ(3部作の〆のボスで設定もよい。2のシド―が微妙なのも)、デスピサロ(悲しい)

個人的には、竜王ゾーマ、発売順か時系列か。竜王しょぼいんよね、リアタイでの印象ぐらいしかない。今更ソロプレイの1リメイクもキツそうだし。ゾーマかな…

5が大好きなので、エクスデス? ずっと主人公周辺をウロチョロしてたし。じじいの恨みもあるし。あとはエヌオーもなんかイメージにあるボス

ボスわからんロケット団が真のラスボスなら他を抜き去っていくと思う

世界で売れたゲームの上位がほとんどわからん

  • エルダーなんちゃら

マイクララスボス(かどうかもわからん)。超売れてるゲーム

よゐこ動画で見た。あれは全小学生見てるはずだから、今後ボス感増してくると思う。ストーリーとかわからんけど

おじさんはついていけない

  • テテトテ みたいな犬

自分の中ではボス扱い。どう森の歌う人。有名だとは思う

ガノンが今後伸びてくるとは思う。今は微妙

微妙。強くてむかつくし確かラスボスだったはずだが。SF2は息が長いので

日本ランキングから拾う

ラスボス誰? リオレウスが強くてかっこよくて嫁も居て一番有名だと思ってる

続いてたらなんかありそうだったのに

納得の行くボスというか、売り上げランキングインフレしすぎてておっさん補正かかるボスが意外と出てこない。単発多いし

個人的に、クッパで1枠確定、RPG二個入れるのあれなので、ドラクエからゾーマ竜王ゾーマに一票)

あとはほんとに誰? 伸びしろ考えたらガノンな気がする。それかわりとまじでエルダードラゴン

2024-09-15

20240915[アタック25]Next 2024年9月15日 #99 旅行好き大会 再放送 2024-09-15結果

来週の土日は7日前になっても番組未定になってるが←追記:局番組表により、これはやらないようです

 

BSジャパネクストで日曜昼などに放送

日曜日の本放送だけ1時「25」分から

BS10になることが発表されていますが、まだです。

BS1からボタン2回(今だけ?)とか

ケーブルテレビSTBでは見られない場合があるようなのでBSパススルーとか

地域によってはSTBで見られるようになったかもしれないので最新情報確認

つながるジャパネットアプリ放送同期・見逃し配信あり

 

今日の答え(放送とは表現が異なる場合があります

========

・01 [ある建造物名前]ノイシュヴァンシュタイン城

・02 つくし

・03 石川啄木しかわたくぼく

・04 [ここから旅行]世は情け

・05 スリランカ

・06 『深夜特急

・07 小牧(インターチェンジ

・08 [一般]奥田民生 おくだたみお

・09 [近似値]10,330

10 タイ

11 棚橋弘至 たなはしひろし

12 [すべて]千葉 北海道 青森 鹿児島

・13 8(番出口

・14 [3択]3(番

・15 HYDE ハイ

・16 刀削(麺 とうしょうめん

17 [ふるさとクイズ][静岡県伊東市]枕 ←今回書き足しました

・18 [頭文字]とおで

・19 [人]マッハ

20 知恩院 ちおんいん

・21 みなみ

CM 世田谷(区

・22 [AC][誰]ベンサム

23 [AC2]白眉 はくび

24 三陸(鉄道

・25 4(親等

・26 ペルー

・27 トロリー(バス

28 [3択]4 00(メートル

・29e 積 せき

 

・xx [ある人物名前]ヤマトタケル

anond:20240913122411

元増田

姉はコロナ学校水泳全面的になかったのを心配して3年生夏から。弟は1年生夏から

週1回1時間程度。どちらも2年くらいで25m泳げるようになった。

目標がそのあたりなら、3年くらいで終わるから、年長~小学校低学年開始でよさそう。他の習い事との兼ね合いもあるからあんまり遅くない方がよいかも。

年下に抜かれたりすることは普通もっと回数多く回数通う子もいるし、上記の通りコロナもあったから、始める年齢も様々。

2歳はさすがに早すぎるような。

万が一の事故はどのスポーツにもあるけど、衝突、転倒の事故は少ないし、天候気候関係いから、男女ともオススメ。用具が安価なのもいい。

ちなみに、弟の方は他にサッカー野球をやっているけど、そっちのほうが、同じ学年でも差がつくし、向き不向きがありそう。

野球はやっぱり用具が高い。サッカー能力の差が顕著。どっちも「中の下」くらいの能力ならいいんだけどね。どちらもチームの人数が必要から田舎と都会ではまったく感想が異なるかも。

anond:20240915012851

論破されちゃったからこれ以上返信しても負け犬の遠吠えから意味のない文章だと思って聞いてね

俺はバカプライドが高いから、俺に対して間違ったことを言われたら顔真っ赤にして反論することしかできないの

俺の趣味努力ストレスとは無縁なわけじゃないから、あなたのいう事はわかるよ。上達が見えないことは楽しくないし、そして上達には多かれ少なかれストレスがつきものから

だけど、ゲーム遊んでストレス溜めて、その結果終始愚痴ばかり言うだの、利敵行為を働くだの、になってしまうの、確実に自分精神衛生面にもよくないじゃん。

わざわざそのゲームのためだけの愚痴吐くアカウント作ってひたすらそれを言うのって、確実に自分他人のためにならないし、少なくとも普通ではないじゃん。(これが一般的なことだったら、それができない俺がハッタショなことが露呈するだけだけど)

から俺は自分をそこまでは追い込めないからそういう人たちを尊敬するけど、ゲームは多くの人にとっては義務や責務ではないのに、自分をそんなにしてまで得られるものって何?っていう疑問と、理解できないものに対する拒絶もあるよっていう

ただこれ書いてる途中でちょっと思ったんだけど、アレってサウナでととのう、に近いことなのかな?いつか来るはずの気持ちいい勝利のためにストレス溜めて、そしてそれが来たら気持ちよくて、そしてまたストレスを溜めるのに戻るっていう

これならまぁ分かるんだよな。俺サウナのこともあんまり理解できないから、俺が理解できないことにも説明つくしサウナーを尊敬しているわけではないが…)

まぁあとアレか?脳内麻薬支配されているとか?まぁこれは大げさだけどさ。

2024-09-14

人生イチ旨かったレストランの話をさせてほしい

追記

 気づいたら伸びてた、ありがたい。

 店の名前言った方がいい→これは何人か推測されてる通りKOZO、ありがとうKOZO。

 金に糸目をつけない美食か→決してそこまで敷居は高くない。食べログに値段出てたけどソシャゲガチャ20連と同じ程度なので庶民にも十分手が出る。何に価値を感じるかってあると思うけどこれは本気でいい体験だった。

 

目的

 ステマとかではない。よっしゃ再訪のチャンス!とか思っていたらお店が閉店になっていてショックを受けた。

 なんなら親の還暦祝いを絶対そこでしたかったぐらいの勢いだし親が死ぬまでには、いや自分死ぬまでにもう一度あの店(シェフ)の料理を食べておきたいと思った。

 辞めた理由ってのもあるだろうけど正直有名店の半額以下だしコスパ良すぎて儲からないなら倍払っていいまであるからもう一度店出してという、中毒患者の呻きみたいなものだと思ってほしい。

 

どんな店なの

 京都にあるガストロノミーのお店。分類がこれであってるかはわからんけど一見これ食べるの……みたいな騙し絵的な料理が出てきたらだいたいこう言ってる。

 

食べたものに対する鮮烈な記憶

 同僚とランチをしに行った。値段は安くはなかったのだが、この食事、いや、体験に比べると絶対に安い。繰り返すようだが別の店で倍払ってもなかなかこうはならない。ならなかった。ガチオモコロの「味でめちゃくちゃになりたい」ができる店だった。

 

 まず前菜ではなく、いきなりフィンガーフードとよばれる小さなおつまみみたいなものがやってきた。この時点では我々はシェフの力量を知らず、一気に不安になってざわついた。だってあんまりにも小さいんだもん。小さい、ホタテトマトソースがのったタルト。こんなの一瞬でなくなっちゃうよ……そう思いながらとりあえず食べる。

 ──凄まじいとしか言えなかった。最初普通にホタテの旨み溢れる味わいだったのが、次の瞬間ドライポモドーロの奥行きのあるソース支配的になる。最後タルトをかたちづくる良質な小麦粉の素朴でいて贅沢な味わい。こんなに小さいのに、こんなに激変する。これはボヘミアンラプソディと同じぐらいの変わりっぷりでいて、そして同じぐらいのまとまりだ。

「なんか、ディズニーランドに行った記憶とか、パレードみたいな味がする。すごくないですか?」同僚はそう表現した。語彙を失って壊れたように「おいしい、これおいしいよ!」と繰り返す自分とは大違い。たしかにこれは極小のディズニーランドであり、エレクトリカルパレードであると首を縦に振った。ふたりして若干何かを吸った後の人みたいになっているが何も吸わずにこれはひたすらすごいことである経済的なうえに健康的だ。

 

 次に来たのは本日のお目当て、「盆栽である。といっても全てが食材で作られたミニ盆栽であるフォアグラの入ったなめらかなマッシュポテトの土に、青のりの苔がむしている。ディルなどのハーブを飾ると大自然の植生があらわれ、そこに黒白の米で枯山水が設えられている。

 はっきり言ってこれは普通盆栽の見た目であるレストランよりホームセンター、いや、オシャレ花屋さんあたりにお還りとでも言いたくなるぐらいだ。ただし、さっきのディズニーパレードのおかげでこのシェフ絶対的な信頼感が生まれていたわれわれは臆することなく土や石にスコップを入れて、自分の口に放り込んだ。

 「石!おいしい石!すごい!」人生で石が美味いなんてなかなか出る言葉ではないだろうが、だって石がおいしいのだから仕方がない。フォアグラポテトの土はひたすらなめらかで濃厚で、そこに海苔ハーブで味の奥行きが作り出されている。さらに、枯山水の米がパリパリプチプチと舌触りのアクセントを生み出している。こんな佇まいなのになにも難しいことはない、「無限に食えるやつ」なのだ。こんなことなミニではなくノーマルサイズ盆栽で良かったのに……あっという間に盆栽は消えてなくなってしまった。

 

 ここまででじゅうぶん楽しかったのに、ようやく前菜がお出ましになる。蛤と椎茸出汁ジュレが乗って菊の花びらが散らされている。今までとは違ってハッキリと高くて美味い見た目である。そして──この一皿は見た目に違わぬ高いパフォーマンスを見せてきた。

 まず一口食べてみる。ぷりぷりで柔らかな蛤が爽やかなジュレで包まれてもう大好き。そのままのテンションで奥に進む。スモーキー椎茸としゃっきりと野菜が口の中で主張する。

 次、次と進むとどこかからぷちぷちとした食感が弾けて、柑橘のシャキッとした引き締めに行き当たる。計算されつくした絶えず移り変わるその味わいは、ただの層のある料理とは違う。不思議のダンジョン階層ぐらい全然違う。もうダンジョン飯だし私のためのパーティー開かれてる。最高。未知の階層への好奇心のままに食べ進めると、あっという間になくなってしまった。かなしい。

 

 そしてメインの肉料理。皿に配置された料理ソースがまるで絵画に見えてしまう。赤蕪のほろ苦さや素揚げされた蓮根の歯触り、そしてもう一度出会えた無限マッシュポテト。今度はチーズ風味でさらに止まらない度がアップして帰って来てくれた。かなり嬉しい再会だ。同僚とうわごとのように「無限に食える〜」と繰り返してしまった。

 しか肉料理の話だから肉の話をせねばなるまい。肉は鴨肉のローストで、みるからに食欲をそそる茶褐色きのこソースがかかっている。

 肉を食べると、鴨の味と並走するかのようにはっきりと存在するはずのないクレームブリュレの味がした。何を言ってるのかわからねーと思うが、何をされたのかわからなかった……頭がどうにかなりそうだった……。

 存在しないその味の記憶にたじろぎながら控えめに同僚に「これ、クレームブリュレの味しません……?」と言ってみるとすかさず「思いました!」と返事があり安堵した。いや、集団スタンド攻撃呪術をうけていたなら安心して良くはない。ただしっかり破綻せずに美味いので幸せならオッケーである

 

 出てきたものの半分も紹介できていないが、しっかりとボリュームがあり、はっきり全てが美味しかったし、それ以上に驚きと楽しさがあった。正直なところガストロノミー半信半疑だったものの、こんだけパレード不思議のダンジョンスタンドの気配まで感じられて、十分に味でめちゃくちゃになれてほんとうに行って良かった店だった。

 叶うならもう一度再訪したい。叶わなければそれでも一生に1番レベルで美味しかったとシェフに伝えたい。こんなところに書いて伝わるかは知らんけど……。

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