はてなキーワード: 自営業とは
気にしても仕方ないことなんだけどさ、自分の家庭環境を考えると一般的な家庭ってどんな物なんですか。
色んな人生があるから片親や施設育ち、養子縁組とか色々あると思うんだ。
両親だけど喧嘩が絶えなかったり、片親だけど健やかに育てて貰ったり、DVを受けていたり。
多少喧嘩もあるけど両親共に愛情を持って育ててくれた(当時は分からなかったけど成人してから愛情に気付く、みたいな)のが層が一番多いんですか?
喧嘩や悲鳴が絶えなくて幼少期は不安とともに過ごした、みたいなのはマイノリティーなんでしょうか。
というのも私が物心つく頃にはすでに発症していてため改めて気にすることはありませんでしたし、本人も理解していないようです。
精神疾患には詳しくないのですが統合失調症なのかな?と思っています。
斜向かいの住人がカーテンの隙間から監視しているからカーテンは開けちゃダメ、隣家の旦那さんが車で後をつけてくる、母を駅まで送迎する際は時間をズラして別の場所で合流してから送り届ける、とか、たぶん普通はしませんよね。他人の家庭は分からないから想像しかできませんが。
うちでは家庭電話が掛かってきても受話器は取りません。近所の人がイタズラで無言電話を掛けてくるからです。(市外局番を見て取る・取らない電話を判断しているようです)
まあ、そんな母なので自分は幼少の頃から色々なことを「吹き込まれて」きました。子供ながらそれは可笑しいと思いつつも、父は自営業で殆ど顔は合わせなかったため、基本は母の庇護のもと母に対する嫌悪感と諦念とごちゃまぜになった感情をどうすることもできず、物に当たると怒られるので自分を殴ってSなんだかMなんだか分からないストレス解消をしたりしてました。
何と言いますか、普通なんてない事も分かっていますし、誰かのケースがそっくりそのまま私に転化できる訳でもありません。
でも、隣家に対して怒鳴り散らす母を見ると、なんか、上手く言えませんがいつも不安になります。
いずれは結婚して子供も欲しいですけど、子供がこんな目に合うなら結婚したくないし、伴侶が見つかってもああなってしまうなら、やはり結婚はしたくありません。
なんというか、家族ってこんな感じなんですか。
高齢化社会ですし介護や痴呆症は珍しくないと思いますが、これは珍しくない なのか よくある事 なのか、自分ではよく分からないんです。
皆さんの家庭ってどうなんですか。
僕は貧乏な家に育った。
両親も一人の兄も中卒で、自分の将来に相談にのってもらえるようなタイプではなかった。
僕は中学生までは何もしないでも勉強ができた。なぜ周りがこんな簡単なことができないか不思議だった。
高校に入って落ちこぼれた。こんなはずではないと思いながらも、両親も兄も勉強したことが無い人であり、どうしたら抜け出せるか相談ができる人ではなかった。
浪人した。父親は自営業でアル中で、家にいることが多い浪人の俺をゲスで少ないボキャブラリでなじった。酒臭い毎度のそんな小言に耐え、昼間はアルバイトし、夜は勉強の仕方もわからないので、写経のように中指が折れ曲がるほど参考書を書き写して(今も曲がってる)。そして誰でも知ってる名のある大学に受かった。
大学に入って、バイトして稼ぎつつ軽音楽のサークルに入った。少し才能が開花した。結果も残し大手事務所から誘いがあった。野球で言えば在京球団のドラフト2位くらいの実力があった。しかし自分の人生の岐路を、少ない日銭を酒で浪費するような両親には相談しても意味が無かった(両親からは「自分と違う人種」としてすでに見られていたと思う)。せっかく苦労して入った大学でもあり、親から自立することだけが自由になる道と考え、当時は給料が高く安定職種のゼネコンに入った。
就職して発狂するほど働いた。その後不況が本格化・長期化して、周りはプレッシャーに耐えかねて不幸なことになる人(...)がたくさんいた。自分も過労その他で入退院を繰り返す時期もあった。しかし、自立することだけが目標だった自分にとって耐えて生き残らなければいけない場所だった。
ただただ仕事だけをして結婚もせず、40歳で心身ともに疲れて会社を辞めた。その後3年間、貯金を食いつぶし、ただ突っ伏して寝ていた。ほとんど誰とも口をきかなかった。親にも会わなかった。
3年で貯金残額に不安が出た。まだ不況の最中だったけど、なぜかとある国の機関に期限付き職員で拾われた。たまたま拾われた理由は音楽系の経験を面接で聞かれたからで、面接官もその手合いの人であった。
入ってしまえば、働いて結果を残すことだけは教えられなくてもできた。期限が切れるときに特例で正職員になった。今は海外と行ったり来たりで一人の職員として責任ある仕事をしている。でもやっぱり忙しく追いつめられる日々だ。数年あとに同じ場所にいるかはわからない。
ーーーーーー
50歳になるが、人生にすごい後悔をしていて両親を恨んでいる。
高校の時に相談にのってくれる両親であれば、もっと違う道があったかもしれない。
大学の時に夢に後押ししてくれる両親であれば、もっと違う道があったかもしれない。
就職して命がけで働いているときに止めてくれれば、もっと違う道があったかもしれない。
退職して3年の空白期間で手を差し伸べてもらえれば、他の違う道があったかもしれない。(←いやそれは言い過ぎだけど)
今年は両親が立て続けに他界した。
そういえば、俺が大学に受かったときに、親父が今までに見せたことの無い笑顔でとびあがって喜んでたなぁ。今もその時を思い出して泣いてる。自分がした唯一の親孝行だったかもしれない。
思い出す。
強く押しすぎて、
向こうの終端に勢い良くぶつかり、
弾みでその子が地面に叩きつけられた。
「やべえっ」と急いで駆け寄ったが、
その子は泣かなかった。
ぐっと涙をこらえていた。
強い子だなあと思った。
上の事を思い出して「やっぱり強い子だったんだな」と思った。
そのショックで配送車ごとバックレた。
自分も死のうと思ったが、
祖母の事も思い出した。
そう考えてた。
祖母は女学校に通っていて、結婚するまで農作業は経験しなかったそうだ。
慣れない仕事だし、ヒルが脚に張り付いて血を吸うのが嫌だった。
何度か実家に逃げ戻ったが、その度に義父(私の曽祖父)が優しく迎えに来た。
この曽祖父は、昔聞いた話では競輪にのめり込んで借金を作ったらしい。
ろくでもない人だったんだろうなと思っていた。
が、今回の話で印象が変わった。
父は曽祖父に懐いていたというし。
そして、押しも押されぬ(訂正: 「押しも押されもせぬ」)オフクロといった風格の祖母が、
嫁いだばかりの頃は何度も逃げ出していたということに驚いた。
親戚の青年に話を戻す。
「周りに相談していれば」「いったん逃げていれば」
などと簡単には言えない。
だが…。
地面に叩きつけられても涙をこらえていたあの強さが、
いさぎよすぎる早まった行動に結びついたのでは、と感じる。
恥ずかしくて情けない体験談は、やはり人前では話せない。
だが、ここなら書ける。
その前に、ここに失敗談を書き残したい。
「死にたい…」と口にしただけで
「開き直ってもいいかもよ」と
助言してくれるようになるかもしれない。
そんな未来のために、
たくさんのコメント、ありがとうございます。
感情に任せて投稿した後、後悔したり疲れ果てたりで、しばらくこのページを開くことができませんでした。
祖母が私に話した時点では、曽祖父はもちろん祖父も亡くなっていました。
この話は、私が職の定着に失敗し続けていた時期に、祖母と私の2人だけの場で話してくれたことです。
そのような状況で嫁ぎ先に遠慮して、本当は強引に連れ戻されたのに「優しく迎えに来てくれた」と嘘をつく必要はないと思います。
また、私がその場で「ひいじいさんは競輪で借金を作ったって、昔、聞いたことがあったから、ろくでもない人なんだと思ってた」と言うと、祖母が「そんなことないよー。優しい人でね。あんたの父さんもよく懐いてて、じいさんが死んだ時はワンワン泣いてたもの」と話してくれたので、やはり、強引な感じで連れ戻したのではないと私は思います。
ただ、曽祖父が迎えに来た反面、祖父は夫として家の長男としての立場のため迎えには来なかったそうで、「ああ、昔の社会はそういうものだったのか」とは感じました。
その青年は私よりも背が高く、体つきも良く、身びいき抜きでイケメンでした。
しかしどうしても、彼の死について、とやかく言いたくなります。
自分の能力を過大評価したり、目標を高く設定したり、「こうしなければ」と自ら重荷を背負うことは、誰にでもあると思います。
私は今でもそうですが、長い引きこもり期間と心療内科への通院を経て、ようやく自分のペースを掴んできたと思います。
そして自分の若い頃を振り返ってみると、能力のないくせに自信過剰で、何でも真に受けて深刻に捉えてしまう人間だったと感じます。
暴走して職場に迷惑をかけて、辞めて、死のうとして、それを何度も繰り返して、ようやく「根本の価値観に無理があった」と気づきました。
嫁いだばかりの頃は何度も逃げていた祖母は、結婚2年目に子供が生まれてからは落ち着いたそうです。
それは、祖母が農作業に慣れて体を鍛えて強くなったおかげもあるでしょう。
ただ、私の想像ですが、1番の理由は祖母なりのペースを掴んだおかげではないかと思います。
私が小さかった頃、盆暮れ正月に帰省するほかに春に田植えを手伝うこともありました。
その時の祖母は、よく休憩を呼びかけていました。
もちろん歳のせいもあるのでしょう。
しかし、急がず焦らず、しかしたゆまずに働き続けるあの姿勢が、祖母がたどりついたマイペースだったのではないかと、今、そう考えています。
私の父についても話します。
私はそのおかげでこの歳でも自室に引きこもっていられるのですが、昔はその働きぶりを真に受けて真似しようとして、調子を崩すことがありました。
ただ、ずっと働き通しに見える父も、時折休憩したり、ふらっと散歩に出かけたり、洗車したり、夜には酒を飲んだり、夜中まで仕事した時は遅く起きたりして、極端に疲れないように気をつけているそうです。
私と違って立派に働いている兄も、つらい時は酒を飲むと言っていました。
私の周りの人々の「無理のないマイペースな生き方」を思い出すと、あの子はマイペースを掴む前に亡くなってしまったのではないかと、そう考えてしまいます。
借金を抱えた段階ではどうしようもなかったとしても、経営状況が悪くなり始めた時、出店する前、大学を中退する前などに、彼が悩みを打ち明けやすい環境を整えられなかったのかと考えてしまいます。
心を病んだ私のような人間が親戚にいるのに、なぜ私はその方面での支援ができなかったのかと悔やまれます。
…ただ私は、調子がいい時は無職のくせにお節介を焼きたがって、のめり込みすぎて疲れ果てることがよくあるので、どこまで役に立てたのかは分かりませんが。
上のような事情があり、「親戚の連絡を密にして再発防止を!」などの分不相応な行動を起こすのは控えて、ウェブの力を信じて、この話が誰かの役に立つことを願って投稿しました。
批判的なコメントもいただきましたが、「確かに、自分の思い込みが強すぎる」とうなずくことも多く、自分の手綱を引くことができました。
また、「押しも押されぬ」が誤用だとは知らず、びっくりしました。 ( ×「押しも押されぬ」→○「押しも押されもせぬ[=しない]」 | ことば(放送用語) - 放送現場の疑問・視聴者の疑問 | NHK放送文化研究所 )
まったく同感です。私は京大卒の38歳ですが、26歳で就職してから4回転職(うち3回はクビ、うち1回は自己都合退職だったが役員と大ゲンカ)してますけど、何とか食えていってます。家族は妻と子供1人。ちなみに職業は税理士です。もうすぐ独立予定で、5回目の転職も近い感じです。
うちの父はサラリーマンだったんですが、リストラされるのを見てきましたし、会社というものに対して信用が置けませんでした。なので、就職活動してたときも、みんなと同じように大企業に就職する、ということにはこだわりませんでした。自分は父と性格的が似てるし、同じような目に逢うのはイヤだったので、結局は自営業を目指すことに…。
でも、仕事をクビになった者として分かったことは、たとえクビになったとしても、人生は何とかなるし、食っていく手段なんていくらでもあるんだ、ということ。この辺の感覚は、よく分かるなあ…。
私の親は公務員なんだけど。。。親が自営業ってのは、ある意味強いなー、って思った。いや公務員の親をくさしている訳じゃない。私も就職氷河期にいて恵まれた環境にいた。それはありがたい。ただ。。。私が子供を持って育児とかしてると自営業の思考の幅っていうか、責任をおえば自由であって良い、っていうスタンスは良いんだけど勘どころがわからん、というのがある。発想の自由さが私には乏しい、どこまで自由にしていいんだろう、その辺は、正直、「いーなー俺もちょっと自営業の息子に産まれてみたかったわー、でも今も楽しいけどな!!」という感じ。
その辺の発想の幅は親に感謝して良いんではないかな。私も子供が出来てから、なんか小さいけど小さい会社持ちたくなったわ。。。あとなfinalventの「考える生き方」お勧め。あの人も自営業なんだよな。。。。
日本では、つらそうにしている=がんばっていると見られる風潮があるとネットのどこかで読んだ。
実家がサラリーマンではなく自営業だったので、世間一般の普通の家庭のことはわからない。
もちろん大社長の息子というわけではないが、子供二人が大学に進学でき、年に1回程度の家族旅行で海外に行けるという意味では恵まれた家庭だったと思う。
大学に入ってからは自立のために家からの仕送りをもらわずに生活をしてみた。もちろん最終的に困ったら仕送りがもらえるというセーフティネット付きではあるが。
そこでわかったことは、プライドとか他人からの賞賛ということを抜きにすれば、お金を稼ぐ方法はいくらでもあるということだ(もちろん法を侵さずに)
自分は東大生だったのだが、ネットで色々と言われているが、基本的に東大生というのはなんだかんだでやはり優秀である。
でも、そんな彼らでも就活の時は本当に悩んでいるようだった。
たぶん彼らはどこででも生活していけるような優秀な能力をもっているにもかかわらず、親が官僚であったり、大企業の部長クラスであったり、大学教授であったりするので、それに見劣りをしない就職先かつ同期と比べても見劣りがしない就職先を探すので必死なようであった。
僕は親がサラリーマンでなかったことから、スーツを着てネクタイを締めて就職活動をする、またはその後そのような格好で働くということが想像できず、いわゆる普通の就職活動をドロップアウトした。
研究室の知り合いの知り合いの人がつくったベンチャー企業に誘われて、とりあえずそこで9ヶ月くらい働いた。
9ヶ月しか働けなかったのは僕がクビになったわけではなく、そのベンチャー企業が潰れたからだ。そもそもベンチャーとはそういうものである。
つぶれた会社ではあるが、自分一人が暮らしていくには悪くない給料をいただいていたこともあり、僕はあまり悲嘆にはくれなかった。大学時代の同期が慰労会をしてくれたが、給料も悪くなかったし、いまは失業手当もらってるし、生活には困っていないと僕がいうと、別の人種を見るかのように驚かれた。
それからまた大学時代のバイト先のツテをつかって、別のベンチャー、ベンチャーというか会社設立から5年以上経っていたし、社長はIPOもバイアウトも考えていなさそうだったので、正確に言えば中小企業なのだが、そこで働くことになった。
とにかく社長が明るくて人格者だったので、自分としてはとても気に入った職場だった。
そこでも自分が思うに、悪くない給料をもらえていたし、大学時代から付き合っていた彼女とも結婚し、現在3歳の娘がいる32歳のおっさんになった。
ある程度フレックスな働き方を許してもらえているが、基本的には9時ごろに会社に行って、22時くらいに会社を出るような生活をしている。疲れた日は18時ごろに退勤する。土日は働かない。
こないだ大学時代の学科の同期の同窓会らしきものがあり、久々に20人くらい集まった。5人は転職していたし、流動化は高まっているんだろう。
30代になったことで、このタイミングで家やタワマンを買うのはお得かどうかだとか、自分は社内で出世コースに乗れているのかどうかだとか、みんなそんな話をしていたが、自分は早く家に帰ってゼノブレ2してーとしか思っていなかった。
自分が最初の会社で失業した時に慰労会をしてくれた友人が「そういえばお前は最近どうなの?」と聞いてきたので上記のような話をしたところ、みんなが固まった。
そして年収も聞かれたので答えたところ、更に固まった。要は、僕がもらっている年収は彼らと比べて遜色がなく(もちろん少ない、少ないがバカにできるほど少なくないということらしい)かつ楽そうな恵まれた生活をしているをしているということらしい。
ある友人が決定的なことを言った。「お前の人生、ほんと甘いよなー。オレらと比べてイージーモードだわ」
一瞬カチンときたが、とはいえ彼らの話を聞いていると、たしかに辛そうな人生を送っていそうだったので、それもそうだと3秒後くらいに思い返し、冷静になって「そうだね。オレの人生、あまあまだわー」と答えた。
僕は怠惰であり、彼らのように身を粉にして働くことができないんだと自覚している。
一方で、そんなに私生活をつぶしてまで働く必要あるかと思ったりする。いや、面白い仕事ならいいんだけど、上司の飲み会につきあうとか、忘年会の幹事をするとか、そういうのは無理だ。
というわけで、僕は今の働き方に満足しているし、仮に会社が急に潰れたとしても、「まぁそういうこともあるだろう、あの人格者の社長だからなぁ」と正直思っているし、そうなったらそうなったで、また職を探せば良い。最終手段、家庭教師でもプログラミング教室でも、なんでもやっていこうと思えば生きてはいけるものだ。
それが他人に対して威張れるような生活ではないことはわかっているけど、他人に威張ったり、承認欲求のために自分の人生を潰したり、そんなことをするのは馬鹿らしいなと思ってしまう。
でも、なぜか増田にはこういうことを書いてしまった。やっぱり承認欲求なのかな。反省。
早く家に帰ってゼノブレ2やりたい。
「なんだ認可保育園入れろよ、それが親子の最も幸せな選択じゃないか」
ってことだった。
でも初めて知ったんだが、市議会って月にせいぜい5回しか開かれないのよね。
まあ実際は陳情聞くやら調査するやら色々あるんだろうが、実際会議場に行くのはそんなもんみたいだ。
http://kumamoto-shigikai.jp/kihon/pub/detail.aspx?c_id=8&id=399&pg=1
この時点でまず認可保育園は無い。
熊本の事情は知らないが、普通の政令指定都市ならパートタイマー以下の「保育に欠けるとは認められない状況」。
じゃあ認可外保育園か施設付きの託児所かベビーシッターって選択肢になる。
ここまでが前提。
まあこの時点で
っつってるけど、月に4、5回の出勤で・・・?っていう思いはある。
けど我慢して整理してみる。
もともとはこういう要求だったよね。
妊娠報告をして「長男が生まれたら一緒に議場に連れていきたい。
議会内に託児所を設置するか、予算が厳しいならベビーシッターの手配または部分的な補助を出してほしい」
と要望した。
一歩でも子育て世代の議員を増やすための環境整備を進めたいとお願いしたが、市は
「議員さん個人でベビーシッターを雇って、議員控室で見てもらってください」という答えだった。1、2時間話しても平行線だった」
https://mainichi.jp/articles/20171129/mog/00m/040/002000c
「議会職員、議員、傍聴人が利用できる制度を作るためにベビーシッター手配や
ってことだよね。
で、その先遣隊が自分だと。
じゃあ議員報酬月額674,000円だけど、その中から出さないのはなぜ?
条例とか作らずに公費を私的に利用しようとするのは公費の私的流用(舛添のシルクの服とか)とは違うの?
議会に関わる人が使える託児所やシッター代は、今後熊本市が出していきましょうよ、って交渉してたの?
どっち??
私も、将来的には保育所無償どころかベビーシッター代も助成してくれる世の中になればいいと思ってる。
公務員や議員があるべき世の中の提示をして、先に自分たちに対して実現していくのは結構だけど、
現状、保育料なんて自営業のための経費としても認められない。
その中でベビーシッター代を出せとか出さんとか言うのは、熊本市の予算案をどうこうしたり、条例を作ったり
「あんたのあの議題、賛成してやるからちょっとこの託児の議案そっちから出してくれん?」
とか言って偉い人に取り入ってやるんじゃないの、政治家だから。
なんでそんな鈍くさいやり方なの、ハウス・オブ・カード見ろや!
認可外保育園、平成29年6月1日現在熊本市内に50ヶ所ある。
ちょっと驚いた。
うち半数の認可外保育園23ヶ所が熊本市議会のある中央区に存在している。
それ使わないのなぜ??
私が目指すのはさまざまな子育てや働き方のスタイルを認め合うこと。
一緒にいるのは赤ちゃんにも母親にも大切。赤ちゃんの発達にも必要で、
大事な部分でもある。産休後は「預けなければいけない」ではなく、
母子を分離しない働き方もできるようにしてほしい。
https://mainichi.jp/articles/20171129/mog/00m/040/002000c
なるほど、様々な働き方のスタイル…
結局、個人的に「母子が一緒にいるのが、預けて仕事に出るより大事で幸せだと思ってるから預けなかった」ということ?
個人の感覚だからなんとも言えないけど、私は仕事のあいだだけでも、保育のプロが真摯に面倒見てくれるのが一番幸せだと思うわ。
子供にとっては。
私が自営の仕事の片手間に世話するより何倍も幸せだと確信してる。
入園してしばらくしてから保育所にお世話体験に行ったんだけど、
先生は常に歌ったり(凄まじい数のレパートリー)、絵本読んだり、リズム遊びしたり。
まだしゃべらない子の代弁をして、決して怒らず、栄養満点の食事をみんなと食べて
大きな遊具で体をいっぱい使って遊んで、外に行っては砂や落ち葉にまみれて転げ回る。
ありがたくて涙出そうだった。誇張じゃなく。
7ヶ月の活発になる段階の子供を、静粛を要求される議会に連れてきてずっと抱いて座らせておくのが、
それでも親子の幸せに寄与する。なぜなら母子が分離されないから。
って言うなら、そりゃもうこの人の考え方だし仕方ないよね。
個人的には「できると言えばできるが能率は3割減くらい」という感覚。
意外に新生児の方が楽で、6ヶ月~2歳くらいは指示が通らないけどムチャ動くので本当に過酷。
カフェで子供を抱いて座ってるのすら落ち着けないのに、議会で子連れはどうだろう。
あと、そもそも「100%の力で仕事しなくてもいいじゃない」っていう意見。
これ、実は分かる。
うちも従業員の方々には「7割くらいの力でやってくれたらええでー」と言っている。(従業員が子連れで来ることもある。)
忙しいんだよ現代人は。
ただ議員ってどうだろう。
議員にならないその他大勢に「私の代わりに頼む」って言われてその席に座ってるんだよね。
体調不良で欠席、わかる。
でも月に4~5日出てきてその席に座ってる時に、あなたが代表している市民のために100%の力を出して
集中して仕事して下さい、って言うのはそんなに非道で、子持ち議員に厳しい要求だろうか。
パフォーマンスだ。本人もそう言ってる。
https://mainichi.jp/articles/20171129/mog/00m/040/002000c
青い芝の会の事だよね。
移動の自由という基本的人権に関わる事を不退転の決意で成し遂げた「パフォーマンス」と同一視すんの、
自分を、という感じだけど。
政治家が政治的パフォーマンスをする事を悪いとは私は思わないし、テロとかいう人もいるけどそれは物事を悪意ある
単純化に貶めていると思う。
だが、
こういうやり方は限界と分かっていて、みんなが悲鳴をあげているのに、
訴え続けても何も変わらない。
声を聞いてもらうにはもう議場に我が子と座るしかない。
これが分からんのよ。
誰のどんな声を代弁してるの?
議員控室で子供を預けてもいいと言われたが、母子を分離したくないという自分の思いを快諾して貰えなかったこと?
少なくとも、職場に子供を連れて行って仕事をする事はぜったいにムリ、っていう私の声は入ってない。
子連れ出勤が世の中に広く認められるようになったら、フリーランスや経営者は認可保育園のポイント
減らされてもおかしくないけど、その悲痛な声は代弁してくれんの?
自営業になる前は上の子供を職場に連れてって、タブレットでアンパンマン見せながら必死にコード打ってたけど
あの時の私の悲痛な声は「夫はよ帰ってこいや」でしかなかった。
父親はちゃんと母親と同じように子連れで仕事する負担を(残念ながら負担なんだよなあ)負ってくれんの?
昨日もうちの子は風邪で保育所Removeだよ!助けて駒崎さん!!
一体何を訴える、誰に利益をもたらす想定のパフォーマンスだったの?
子育て世代の悲痛な声が、私のところにはたくさん聞こえています。
って語ってるけど、毎日新聞では
--いつから子連れで議場に入りたいと議会事務局に要望していましたか。
ってある。
後付けでもなんでも社会がいい方向に行くなら、って考えもあるだろうけど、
これはいい方向だろうか。
子持ちにとって、子無しにとって。
下記は、両立支援・雇用平等関連資料・パンフレットダウンロード | TOKYOはたらくネットの資料です。
良いことが書いてあるので、是非読んでみてください。
http://www.hataraku.metro.tokyo.jp/equal/siryo/23saiyou04.pdf
例えば、障害者が応募できないとしている企業には一切選考も面接もせずに、先入観で「障
害者では仕事ができない」と決めつけてしまう考え方があるのではないでしょうか。
また、家庭状況(親の職業や兄弟姉妹のことなど)を選考・採用のポイントとして考えるこ
とは、親が大名ならその子はたとえ能力は低くても大名という封建時代の考え方とあまり変わ
「企業防衛上同業者の子弟は困る」、「自営業をやっている家の子は定着性が悪い」、「親の職
業がしっかりしていない家庭の子は、金銭を扱う仕事なので困る」といった考え方には、応募
者の基本的人権を無視することに痛みも感じない一方的な人事の体質というものがあるのでは
ないでしょうか。
企業にとって従業員を採用することは、その繁栄成長につながる大変重要なことですから、
単なる憶測や、予断と偏見に左右されない公正な選考というものがいかに大切であるかは、企
業経営者が一番よく御存知のことであり、強い関心をもっていることと思います。
「うちの会社の選考体制は、長い間にわたって改善を重ねてきたものだから大丈夫だ」と安
心する前に、同和問題をはじめとする人権問題についてどの程度認識しているか、正しく理解
もし、十分に認識・理解していない場合には、やはり予断・偏見といったものが残存してい
以上のことがらを点検するためのチェックポイントは次のとおりです。
② 雇用条件・採用基準に適合するすべての「人」が応募できる原則が確立されています
か。
③ 次のような人を排除しようとしていませんか。
ア 同和地区出身者 イ 女性 ウ 障害者 エ 母子家庭や父子家庭の人
オ 定時制・通信制課程修了者 カ 外国籍の人 キ 特定思想・信条の人
ク その他(高齢者、HIV感染者等、刑を終えて出所した人、破産者など)
④ 応募者本人の適性や能力以外のこと、例えば、親の職業や家庭状況等を採否の基準と
していませんか。
⑤ 採用方針、採用予定の職種や人員が計画的・合理的に定められていますか。
守るべきことがら
考 え 方
彼女との交際自体についても色々言われていたが、どうにかプロポーズまではこぎつけて両家の親にも挨拶済み。
なのだが、入籍前、挙式前の同棲については激烈に反対されており、こんなことなら結婚にも賛成しなかったとまで言われる始末。
シチュエーションとしてよくあるであろう交際中の曖昧な期間を伸ばす為のものではなく、その先を見据えた上で
① 大前提として入籍をするので、その後の生活に向けてお互いの独身生活を徐々に擦り合わせてソフトローンチを目指す
② 二人で貯金をして式や諸々の出費に備える
③ お互いの勤務地の中間くらいにして、通勤時間を減らして生活の質を上げるのは二人にとっても早いほうが良い
話していても明確な反対理由が見えてこず、聞き出すことも難しいのだが、理由としては
C クラシックな商家の後継ぎがそんな緩い貞操観念では信用がない
D 天上天下唯我独尊ジジイと認知症ばあさんとの同居という地獄から1世代だけ抜け出すのは許さない
E 可愛い息子と少しでも長く一緒に同居していたい
のいずれかもしくは複数だろうか(リストは思いついた可能性の高いであろう順)。
自分達のメリットと相手の懸念点が全く噛み合っていないので、現状説得が難しいのは分かる。
だがこれ以上どうやってクリアに説明しても、最終的には強行突破になってしまいそうで、それは避けたい。
いっそ言う通り婚前の同棲は止めて、週末通うくらいにした方がいいのかもしれない。
そんな縛られた観念だから還暦を越えた当代の家長と夫人になっても二人して90近い爺様のいいなりになっているのでは、という捨て台詞は、
森の中にある葦の草むらへ叫んで捨ててきた。
私(女)独身
ベンチャー企業→即退職→中小企業→1年後鬱病退職→3年間無職→バイト→自営業
A(女)独身
B(女)独身
C(女)既婚
D(女)既婚
在学中できちゃった結婚
E(女)既婚
F(男)既婚
G(男)既婚
H(男)既婚
I(男)既婚
J、K、L、M(男)既婚
N(男)既婚
当時新卒採用は絶望的で誰も内定もらえませんでした。ちなみにきちんと就活してたのは2,3人。求人なかったんで。
男友達は全員結婚してました。ブラック企業という声も聞きません。
私は無職の期間が長く、精神病がよくならなかったので自宅でできる仕事をはじめてうまくいったので独立しました。でもまだたまに悪くて親のスネかじってます。
大体ああいうのに積極的に関わりがちな自営業の人なんて大抵そうでは?
平日の方が都合良い人が多いからそうなるんだろ。
自分で人雇えばいいだけ。或いは文句言えないような大金を寄付すればいいんじゃない?
人を雇う事すらできない端金で済ませようとするから認められないんだろ。
俺の兄弟がちょうど大学卒業時にリーマンショック直撃世代だったんだが、人生の敗戦処理状態を覚悟で就職して結果的に嫁さん含めて最高に幸せな状態になったと思うケースモデルがあるが、これくらいやってやっと不安定さもない結婚生活ってなるモデルとして考えて欲しい
大学を卒業して、よりにもよって入ったのが自殺率が底辺ブラック企業を超える断トツトップのJ隊、しかも赴任直後に東日本大震災に直撃遭遇
俺たちの親父は会社を倒産させて自己破産、俺は当時大学生で、退学の危機にまで陥ったが、何とか大学を卒業できたがその事後処理でマトモな就職活動が出来なかった。
兄弟も兄弟で、親父の借金の一部を肩代わりし、上官にも金を借りなければいけないくらいに疲弊して、一時はクビ覚悟でこっそり夜のバイトでもしようかなと相談を受けていたほど困窮しているようだった。
しかし周りの人間にも恵まれ、公務員として居場所を作り軌道に乗って、ようやく大学卒業をして9年後、20歳の女子大生(実家は自営業)と結婚できた
両親や親族同士は祖母の付き合いまで仲は良好、お互いの顔合わせも和気あいあいで幸せの絶頂という感じ、親父もコネで就職ができてハッピーエンド
残された俺はかつて、とある競技で国体レベルの選手だったんだが、辞めざるを得なくなり、焦って就職した先が、非人道レベルのブラック企業
精神破壊寸前まで追い込まれて、東京へ逃亡して、一般技術者派遣で不安定ながら毎晩不安障害で嘔吐を繰り返しながらも、20代としては平均上を何とか稼げているレベル、それこそ親兄弟には言えないような汚い手段を取りまくらなくては、ロクに食っていけない訳で、すっかり磨れてしまっている
平均より稼げる方法はいくらでもあるけれども、結婚して幸せに子育てもできて将来に不安のない環境なんてものを得るには、これほどの幸運と悪運、最低でも駅弁かMARCHレベルの大卒の頭と資格と、頑健な肉体というスペックが必要というわけだ
結婚や子育てなんて簡単だろとか、舐めきったことをほざく馬鹿老害どもや、意識高い系の童貞やマ○コに蜘蛛の巣を張ったまーんたちよ
少なくともお前らのいう「簡単」とか「普通」はこれくらい運がよくて時間もかかるレベルなわけだが、今すぐにでもできるのか?
追記
そもそも景気とか卒業年次の社会とかで変わる変わらないって認識でしか見てないような底の浅い馬鹿には無理だね
恵まれてる恵まれてないにかかわらず、一定の学歴と社会人として平均上を維持しつつ、これを7~8年間積み重ねて、ついでに彼女も作ってようやく到達できるくらい難しいのを、お前らアホ共は簡単にできると、できもしねぇくせに言ってるのが滑稽って話だよ
よく知人と、会社勤めと自営業どちらがリスクが高いかという話をすることがあるが私はどちらを選んでも大した違いはないと思っている。良い会社に就職して定年までのんびり働くことができればそれに越したことはないが、会社勤めは多くの場合、会社から過剰な要求をされたり仕事を干されるなどして強いストレスを感じることが多い。
自営業はどうかというとこれも厳しい。自分でやりたい仕事をやり付き合う相手を選ぶことはできるがいつ仕事がなくなるかわからない恐怖と戦わなければならない。頭を切り替え休むべき時に休める人でないと自営業を続けるのは難しい。
この問題の最適解は会社勤めをしながら自営業者のように振る舞うことである。まずは会社から給料をもらい安定収入を得ながら自分のスキルを磨く。その上で業界の関係者が集まる場所に積極的に参加して横のつながりを持つ。そのような活動を続けていけば何かの理由で会社をやめることになっても次の仕事が見つかる可能性が高い。うまくいけば転職で年収が上がることもある。実際、優秀な人は皆そうしている。
最悪なのはなんの努力もせず歳をとることだ。適当に働いて中年になった頃に職を失うと苦しい立場に立たされる。無能な中年は企業から敬遠されるため再就職できずアルバイトで生計を立てることになる。それでも生きてはいけるが残りの人生を泣きながら暮らすことになる。
歳をとりそのような事態に陥ってしまった人はどうすることもできないが、若い人がこの文章を見ているなら今から自分のキャリアプランについて真剣に考えたほうが良いだろう。
男尊女卑な時代には、ごく一部の特殊な例を除いてすべての女は嫁になる以外の選択肢が無かった。
嫁になり、大黒柱である夫が気持ちよく働けるようにかしづくのが良しとされた時代。これがすべての女の義務だった。
女が外貨を稼ぐ場合は、男の稼ぎが足りない場合や稼げない場合や、家業(農家とか自営業とか)を支える無休労働者の一人としてという
あくまでも主体的ではなく、従属的、二次的な外部労働を期待されている。サブの存在だった。
もし、今は女尊男卑の時代である、と言うのであれば、一部の特殊例を覗いてすべての男が、
女が稼げるのであれば、気持ちよく働けるようにかしづくのが当然であるし、
もう1年以上前になるが、骨髄提供をしてみたのでその感想をつらつらと書きます。
そもそも献血が好きだったので、骨髄バンクの登録もそのついでにした。登録はしたけど5年くらい音沙汰はなかった。
「あ、これ、いつもの骨髄バンクニュース送ってきただけじゃないな」ってすぐにわかった。
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ここから先、■は個人的にめんどくさいこと、★はマジでデメリットだなって思ったことですので、面倒な方は■は読み飛ばしてください
患者さんに提供する骨髄液だから、健康面について聞かれるのはしょうがないなと思いつつ、読むだけでも結構多い。
「貧血に最後になったのはいつか」とか覚えてない。己の記憶力のなさが憎い。
家族の同意が必要なので、親と話し合う。母親がメッチャ反対する。まぁでも「反対された」っていうのは、それだけ大切に思ってくれてるんだなと思い、なんだかありがたい気持ちになった。両親ともに「いいよ(適当)」だったら嫌だったかもしれない(し気楽だったかもしれない)。
一応正社員で働いている身としては会社への説明責任があるわけで、上司はとばして突然社長に直談判した。
家族の同席必須なので、父親に頼んだ。うちの父は自営業なので時間が取れたが、平日のクッソ昼間に社会人2人が病院に出向いて説明を聞いて、弁護士の目の前でハンコを押す。「弁護士とコーディネーターがうちの近くに来てくれるんじゃだめなん?」って思った。医師が必要だからしょうがないか。
■使っている薬の申告をする
これもしょうがないとは思うけど、提供前にちょっと風邪ひいたとか、目が疲れたとか、薬を使うときは「これ使っていいですか」って連絡しないといけない。時間が時間だと「明日にならないとわからない」ってなった。「とりあえず使ってもらって、だめだったら明日中止させてもらうかも」っていう対応だった。私はセーフだったが、安くないお金を使って薬を買って、それを1回しか使えなかったってパターンもあるんだろうな。
これは入院前にもっとも面倒だった。先生が緊急手術で不在の時、時間通りに行って1時間待ちとかね。必要な骨髄液の量が多いと、事前に血液を抜いておいて、手術中に戻すための自己血が必要なのよ。他人の輸血だと、献血できなくなるしリスクも高いからね。わかっちゃいるが面倒。
実は手術前、友達とスカイダイビング付きの旅行に行く計画を立ててた。
でもけがのリスクが高すぎるということで、(遠回しに)スカイダイビングをやめてほしいと言われた。正直、骨髄バンクにキャンセル代は払ってほしかった…
★パジャマ代は実費
手術や入院費は患者さんの保険負担だが、パジャマ代は実費負担だった。何だか知らんがパジャマが1回300円以上する病院だったので、家から持ってきてもらった。普通の病院って1着80円とかじゃないの?
人生初の全身麻酔をした。麻酔か、事前に飲んだ薬の影響下はわからないが、手術後吐き気がとまらず、おなかはすいているのに食べたものは全部戻す状況に追い込まれる。これが一番きつかったかもしれない。
■個室ではない
場合によるんだけど、私は4人部屋だった。目の前の入院患者さんがずーっとうんうん言ってて、なんか不安になった。
暇つぶしがスマホと本しかないが、本は読み終わったのでスマホゲーに移動。wi-fiとんでないので、パケットが死んだ。はじめて通信制限くらった。次回からは3DSを持ち込むことを誓った。
★お金はもらえない
みんなが骨髄提供を嫌がるとしたら、これが最大の理由ではないだろうか。
入院をし、会社を中抜けし、「名前も顔も知らないだれか」のために健康な体の背中に穴をあける。これだけのことをして報酬がないのだ。
ちなみに私は医療保険と生命保険にも入っていたので、問い合わせてみたけど「病気治療のための入院ではないので入院給付金は下りない」と断られた。
なんのための保険だよ!!!!背中に注射器6回刺されてるんだぞ!!!!
(ちなみにだが、私の住んでいる市区町村は骨髄提供をした人への助成金があり、それはもらえた。総額10万以上非課税。骨髄提供を考えている人は、自分の住んでいる市区町村が助成金をやっているか調べた方がいいと思う)
■お礼もあるかわからない
じゃあ骨髄提供をなんでやるのかっていったら、「自己満足と人助け」のためだと思う。
「人助け」ならこれでいいのかもしれないが、私は「自己満足」もほしかった。
なんで献血するかって言ったら「献血ありがとうございます!」の一言が無料でもらえてお菓子が食べられて「いいことしたなぁ」って気持ちになりたいからなんですよ私は。リストカットするよりは健全な血液の使い道だと思う。自己承認欲求の強いメンヘラにオススメ。
お医者さんに「うちに入院してくれてありがとう」っていう一生聞くことがないであろうセリフはきいたが、
一番ほしいのはなんといっても「骨髄をくれてありがとう」の一言である。
私には手紙が来なかった。
ご本人の治療がつらくて、文字が書けないなら、近親者の方が代理でもいいから、とも思った。でも来なかった。
手術後、私から手紙を出した。やっぱりそれにも返事が来なかった。
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私には、2回目の適合通知が来た。
でも、今回はお断りした。仕事が繁忙期だったのが最大の要因だが、正直「提供先が(病気の再発等で)同じ人だったらやだな」って思ったのも事実だ。
でももう一回、適合通知が来たらその時はするかもしれない。
久々に行った献血で、「骨髄提供をしたんです」と言ったときに、お医者さんが「あなたがした最大の功績は、患者さんの家族の救いになったこと」と言ってくれたからだ。
骨髄提供を受けられないまま弱っていく中で、「適合する方が見つかりました」の声は、病室の時間を一瞬とめて、途端に涙であふれさせ、結果がどうであろうとも「最後まで治療をしてあげられた」という患者さんの心の支えになるからだ、という。
あまりのコメントの多さに驚いています。興味を持っていただきありがとうございます。
あと、誤字脱字が多くてすみません。
一番ひどいのは
→「最後まで治療をしてあげられた」という患者さん【とその家族】の心の支え
・いくらだったか思い出せませんが、「入院に伴うお金」は少しいただけますので、そちらでパジャマや日用品は買ってくださいとのことでした。3000~5000円だったかな?1万円はなかった気がする。まぁそれにしたってパジャマ高すぎる
・手紙は、「もらえないかもしれないし強制もできない」ということも事前に説明されていました。理解したうえで「手紙ほしかった~~!!!」とダダをこねています。人間としての器が小さくて…すいません。我欲を捨てられるように、来世の自分に頑張ってほしいです。
・あとみなさんが知りたいであろう手術について書くのを忘れてました。
なぜならあんまり痛くなく、尿道カテーテルのほうがよっぽどイラついたからです。
私は麻酔が効きすぎるタイプのようで、手術室に入った途端寝たからなんにも覚えてないんだなこれが。麻酔解けるのも予定時間を3時間オーバーしました。
退院日翌日には会社に行き、2週間後にはプールに行っちゃうくらい健康だったからです。参考にならず申し訳ない…
なので現金的な持ち出しはあまりありませんし、少しばかりプラスかもしれません。
なお、この骨髄提供を経て失った有給は持ち出しに加算したら大変そうですよね。融通が利く会社でよかったなとつくづく実感しました。おかげで私の有休消化率は110%です(未来から借りました…)
あと、「つらつら」の使い方が違う、というコメント、ほんとすみません。恥ずかしいです。ご指摘ありがとうございます。
さんざん愚痴っぽくなってしまったんですが、ブコメ等すべて拝見して、うれしくて涙が出てきました。
みなさんがこんなに褒めてくれるのに、なんで拗ねた態度をとってしまったんだろうと改めて反省しました。ありがとうございます。
・傷跡について
お察しのとおりきれいさっぱりないです。2週間後のプールでも誰にも何も言われなかったです。
生まれつき背中にでっけぇアザがあるんですが、「お、あるな~~~」くらいにしか思わないので…。
あと、「人を救ったかもしれない証」が背中にあるってオタク的にはかっこいいです。ごめん私思考回路がおかしいから…参考にしないでください…
この記事にコメントくださった、「骨髄提供は最高だった」っていう方すごくない?この方こそ聖人君子じゃんって思いました。親にひどい目にあわされながらも人を恨まずに救うことにためらいがないって…すごい…器が違う…この方、もしもお子さんができたら「私を母親にしてくれた」って子供をすっごく大切にしそうだなって思ったんですが、結婚に興味なしなのか~~
ごはんをおごってくれるとかいて下さった方、日本中のおいしい茶わん蒸しのお店を書いておいて。行くから。
追記の追記の追記→ https://anond.hatelabo.jp/20190212162717 いやほんとごめんって 長くし過ぎだって ごめんって
男に自分以上の経済力を望むのではなく、性別関係なく能力に応じた地位と報酬を望んでいるわけで…。
ただし出産~産褥期の生活力の確保という問題はあるので、その分の確保は必要。したがって男が無職は子供産みにくいリスクがある。
男にぶら下がりたい女もいるのは否定しないけど、「女」ならすべてそうじゃないのは、
すべての「男」が、可愛くて守ってあげたいタイプの女が好きな訳じゃないのと一緒。
むしろ働いている女にとって、家事や育児は、男(夫)との分業や外部アウトソースしたいタスク上位。
また、これも同様で、働いていない女にとって家事や育児を切り離すことは
「専業主婦の存在意義問題」という琴線に触れるので嫌がる女もいるかもね。
これも「女」に付随する勇気じゃなくて、職業(会社員か専業主婦か自営業かなど)に付随する属性でしかない。
働いている女にとっては、日々の現実問題として、分担するなりアウトソースするなりで解決刺せなきゃいけない日々のタスクでしかない。
「女」はみんなこう思ってるんだろどうせ、と思い込まない方が色々幸せ。
「男」はどうせみんなこう思ってるんでしょ?と言われたら腹が立ちませんか?
私の性別は女性です。恋愛対象は男性です。自営業をしています。
昨日、保育園の申し込みをしてきました。
父と母の欄以外は[男・女]で選択できる。
女・女で両親をしている家庭もあるはず。
個人情報の塊みたいな書類なのに、市役所や行政が受け取るのではなく
山口県YYターン!って言ってるくせに農業、漁業に対する就労証明が厳しい。
申し込み書類の受け取りの時に、自営業用の書類は添付されていませんでした。
記入例を見ると農業、漁業に対する就労証明が厳しいと感じました。
フォーマット化されているのかもしれないけれど
なんだか私は違和感を感じました。
記入例をよく見ず記入ミスしているのは保護者の責任なので無視して良いと思う。
優しい顔して優しく無い申請書に残念です。