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はてなキーワード: 生まれたてとは

2024-11-05

新生児を見て可愛いと思ったことがない

だって、人なのか猿なのかも分からない見た目じゃん どこが可愛いのか全然からない

赤子を見たら可愛いというのが世間一般ルールらしいので一応そう言うことにはしてるけど 棒読みかもしれない 

1、2歳の頃もまだ可愛くない ただ危なっかしいだけの生き物 3歳くらいでお喋りも遊びも一人前になってくると「たしか可愛いな」と思う

子供がいないからかなと思うけど

なぜみんな、あのフヤフヤとした首も座っていなければ焦点も合わない謎な感じの生き物を可愛いと思えるのだろうか よく分からん Twitterで見る猫の赤ちゃんなら、ほぼ生まれたてでも可愛い!て思えるのに

2024-10-13

物の例えの時に誰かが「生まれたて・・・」と言い出したら(子鹿とか言うなよ・・・!)とついつい念じてしま

そういうの本気でつまんないんだよね

2024-09-20

生まれたての僕らの前にはただ果てしない失望があるだけなのはなんでだろー

2024-09-03

高田健志に抱き上げられた生まれたて赤ん坊は、すっかり人生に満足してしまい、スコップを手に取って墓を掘り出した

赤ちゃんおめでたさ、幼児のうっとうしさ

最近とある趣味を始めてみて、赤ちゃん関係のグッズやイベントおめでたさというか賑やかさみたいなものに触れた。

小さい服や靴、赤ちゃんが触れても舐めても大丈夫な素材でできたアレコレ、赤ちゃんが快適になるドレソレ、まあ傍目に見ても嬉しくなってくるような情報に溢れている。

一方で幼児というか、立って走ってできるくらいの年齢になってくるとそれが一気に減る感じがある。おもちゃなんかも教育や脳の発達を主軸にアピールしてくるし、お母さんお父さんのグッズには「小さい子がいても大丈夫!」みたいな文言が踊り始め、赤ちゃんの時のようなおめでたさや微笑ましさは鳴りを潜めてしまう。

こういう大人側のテンションの違いが、何らかのホルモンに影響されているのか、それとも文化的ものなのかは分からないけども、子どもを作る気は失せてしまった。

よく耳にするのは「幼児の世話がキツい」と「赤ちゃん可愛い」で、これらは両立しうると気づいてしまたから。

生まれたて赤ちゃんはきっと可愛くて、生まれてきてくれてありがとうって気持ちになれるんだろう。それがだんだん育つにつれて鬱陶しかったり面倒くさかったりする場面が増えてくるんだろうなというのが簡単想像できてしまった。

たまに「赤ちゃん可愛いから」という理由で多産になるちょっと頭がアレなお母さんの噂を聞いたりするけど、赤ちゃんは欲しい、子どもは鬱陶しいっていうのは人間本能なのかなって思ったり。

子どもを持つって難しそうだ。

2024-08-31

anond:20240828221738

新生児って外に出さないしテレビかにもほぼ出てこないか

一番かわいい生後1週〜3ヶ月ぐらいを見る機会って身内が赤ちゃん産まないとほぼないんだよね

あの小ささを生で見たら自分赤ちゃん欲しいって思う人は多いだろう。

よくある出産ドキュメンタリーだと生まれたてすぎて血色が悪い。1週ぐらいで綺麗になる。

映画とかドラマに出てくるのは3ヶ月〜なのでデカすぎる。

手足が細くて綺麗な新生児というのが一番かわいい

2024-08-30

今更AI絵師という呼び名違和感雑記

要約 ※追記

書きあがってから少し論旨が整理できた気がするので、まとめなおし。

蔑称としてAI絵師と言われる人は、本来AIクライアントと呼ばれるべきじゃないか
・その前提に立ててたら、AI規制派のクリエイタークライアントでもうちょっと違った形の今があったのではないか

以下本文。



注意書き

推進とか規制とかそのものの話ではなく、難しい話をさっぴいた個人として思う与太話です。

AI使ってる!窃盗!」と生成AIによる絵の作成、LoRAとかの合法違法とか、倫理的にどうかとか、是非の話ではなく。

最近思った、AI規制派が見落としていそうなこと

生成AIで絵を生成する人の感覚として、こういうのもあるのでは?という視点の話。


現状の生成って、話を聞く限り流れはイラリクに近いのでは?と思う。

違うのは、こっちで資料指定も大量に用意する必要があること。自分が描いて欲しいものを、相手自主的に履修してくれないし察さないので。

あとはリテイクを何度繰り返せることか?人間、それこそ納得いかず一日何百枚とか、そんなレベル何度も何度もやり直させられたら病むよ。

やり方は人それぞれだろうけど、いわゆる呪文とかをシチュとかプロット、LoRAとかをキャラ指定として考えると、人間がやってそうなことに近く聞こえる・・・ような気がする。

まりAI絵師と名指しされる人は、描いてる訳じゃない

もともとAI絵師って、絵の生成AIサービス自体を指す言葉だった、みたいな話をどこかで見た。

当たり前だけど絵を出力(あえて描くと言わない)してるのは生成AI

ユーザー呪文という名のめちゃくちゃ細かいリクエストを生成AIに投げている。


節子これ絵師やない、これクライアントや!

という訳で、AI絵師ではなくAIクライアントという呼び名提案する

あえてユーザーじゃなくてクライアントっていうのは、有償サービスだったり、後たぶんプロンプト自体情報収集とか、出力された絵のタグ付け(学習)とかに使われてると思うから

完全ローカルでやってる場合はまた違うかもしれないけど、少なくとも当初の頃はそんな話だったはず。


そう言う意味では、破格かつクリエイター側がものすごい赤字コミッションみたいなもの・・・というと暴論だけど、そういうニュアンスが使ってる人にはちょっとあるのではないだろうか。

此処までの話で基本に立ち返ると、つまり・・・


真のAI絵師=生成AIのもの


なら最初にやるべきだったことは

蔑称としてAI絵師という言葉を歪めず、「クリエイター」と「クライアント」の線引きをしっかりしておけば。

そうすれば、絵師側のアプローチの仕方もまたちょっと変わったのかな?と思う。


いわゆる呪文を使って絵を何度もリテイクして生成するのって、それなりに骨が折れると思う。もちろん慣れとかもあるだろうし、お金儲けを考えたらまた事情も違ってくるとは思うけど。

ただ生成された絵に絵師の絵が負けてるとは、当然、個人的に全く思ってない。

本当に人間みたいに思考して、作品履修して感想持って、フェチって線とかこだわりを持って絵を習熟する領域まで、まだ来ていない。

画風の話ではなく、個人個人固有のらしさというか、統一されたこだわりというか、上手くは言えないけどそんな感じのこと。


少なくともAI絵師という言葉蔑称で無かったころ。つまり分断がkskしてなかった頃は、AIクライアントもまだよちよち歩き。

AIクライアントたちが必死呪文リクエストして生成してる時に、例えば「ちょっとお安くしまからあなたリクエストをいっぱい反映した絵・・・描きましょうか?」という話が飛んで来たなら。


そりゃ、相手クライアントなんだから。欲するもの自分で描けないなら、それは物凄い誘惑になるのではと。

絵師努力クオリティ金額に見えれば。呪文の履修に飽きたりしたころに、自分フェチが出せないとなれば。


全員ではないにしろ選択肢としてその幅はものすごく大きかったと思う。

生成されたものに対する倫理的嫌悪感やら絵としての気持ち悪さがあるからこそ、なおのことクライアントクリエイターとしての線引きは、分断じゃない方が良かったんじゃないか

まとめ:

長々とサーセン

色々言いたいことあったけど、全然まとまってねぇわこれ。

たらればではあるけど、感情的なことを抜きにこんな与太話も絵師さんやクライアント一般の人たち含め、過激化せず出来る環境だったら良かったかもしれないですね。


自分個人は、AI諦観派。

思う所はあるけど国は進めるし世界的にもゴタゴタしてるけど、乗り遅れるのはそれはそれで危険ぽい。

とはいえ急ピッチからガバガバなので問題はいっぱい起きるけど、とにかく流れはもう変えられなさそう。

だったらせめて、どう生きたらいいか、生き残っていけたら良いか業界的にもそんなことを考えてる感じです。


だって今起こってるのって、それこそ昔SFで見たロボット仕事をとられる人間たちみたいな、そういう話な訳ですから

感情的になりすぎずバランスをとって、業界全体が息の根を止められないようになれば良いな~、と。



おまけ:そもそも生成AIのものに、キャラクターが見えなかったのが悪かったのでは

サービスを指す言葉だったAI絵師というのが、わかりやす個人蔑称にされてしまった原因だと思う。

ゼロレクイエムじゃないけど、AI絵師にはペルソナがなかったし、AIクライアントにはペルソナがあった。

からこそ、今だからこそ当時怒りを持っていた絵師たちは考えたことはないのだろうか。

これ、描く兵器の使いどころではないだろうか、と。


いきなり無知晒しますが、業界全体でそういうキャンペーンってあったんですかね? あったとしたら、結構盛り上がったし、今の生成AIに対してもまた違ったアプローチがされてたのでは、と。

絶対何か諸問題が出るたびに色々作られて大変TLが愉快なことになっていたのではないかと(それはそれで過激化して危ないか?)


例えばNAIで言えばこの雑記を書いてる時点からすれば、サービス開始時期からみて3年とちょっと

まりあの「子」はまだ3歳。しか最初生まれたてでも文章すごかったのに、あっという間に絵が描けるようになっちゃった

おまけに容赦のない大人たちから、一日に何枚も何枚も絵や文章を書かされる。知恵熱上げながらおやつ電気)食べつつ涙目カリカリと頑張ってる、と書くとちょっと可愛い・・・可愛くない?


センシティブ判定がガバガバだったTwitterAIを「破廉恥禁止です!」と言いながら色々見逃してこっそり自分は見て悶々としてるムッツリ系の委員長キャラ見立てるみたいな話ですが、あまり同意は得られないかもしれないです。


しかキャラクター付けに成功していれば。生成AI悪用して良くないことをさせる悪い大人たち、という図が見えて来るわけで。そうなると、またちょっと違った見え方はしてこないだろうか。

いたいけな子に何をさせるだァーッ!ゆるさんッ!という気持ちが湧いてこないでしょうか。

真に戦うべき相手や、考えるべきものが何であるか、みたいなことをもっと冷静に話し合えたのではないでしょうか、と。


 

・・・まあそうすると、いたいけな子にエロ作らせた場合の罪悪感とかも大変物凄いものになる訳ですが。えっむしろ興奮する? ま、まあ性癖は人それぞれですし・・・

というかこれに限らず、AIくんちゃんそのものへのヘイト創作とかも出てきそうだし、それはそれで駄目かもしんないな。う~ん難しい・・・



以上、ガバガバ雑記でした。

私の『産後の恨みは一生』エピソード

推敲してないので途中で口調が変わるけれど許して。ブームが去る前に公開しておきたい。

2000~2001年の話です。そのときまれた娘は健康に育ち独立して離れた場所生活。私は当時の夫とは娘が1際の時に離婚し、その後、娘の高校卒業と同時に別の相手再婚しました。

情報だけでおわかりの通り、産後の恨みが原因で離婚しました。そして産前から出産の時も含めて広い期間ダメダメだったので、『産後の恨み』どころか『出産前後およびその他諸々の恨み』が正しいかも。今はもう相手のことを恨んでいることはありませんが、それはスッパリと関係を断ち切ったからであり、今でも共同生活を送っていたなら、頭の中でグチグチと恨みを反芻させ骨髄に入るまで温存させていたでしょう。

当時の夫とはデキ婚でした。この時点で当時の自分説教したいのですが二十歳そこそこの世間知らずの恋愛脳だった自分には、説教したところで、どんな言葉右から左に貫通していったこと間違いなし。ほんとにしょうもない体験して失敗しないと脳に染み込まない。本当のうえで理解したのは全部が終わって数年たったころだったと思う。相手もまた1歳年上の二十歳過ぎたばかりのペーペーです。

この時点でアカンと思うでしょ。私も書いてて「こりゃ、アカンわ」と思ってる。

とにかく妊娠きっかけに結婚し、新居として安アパートを借り新生活開始。妊娠による体調不良であれよあれよと働けなくなり退職

田舎だったこともあり『育休産休』という制度はあっても実際に取っている人が周りに居なかったため、辞める以外の選択肢があるなんてその時の自分には思いもよらなかった。男性だって明らかな労災でも自己負担病院に行ったりしていたのが普通だったため、そういうものだと思ってました。

というより育休とる以前に、安定期入る前に何度も貧血を繰り返し、ホルモンバランスが崩れて顔・体全体にアトピーが出てしか赤ちゃんのために薬も飲めず、肌がグルート(ガーディアンズ・オブ・ギャラクシーにでてくる木のやつ)みたいな見た目になって人前に出るのがまず精神的に無理になった。膿んで乾いたカサブタが、振り向くたび、お弁当を食べて大きく口を開くたびにこぼれてデスクの周りが汚れた。客前に出ることはおろか、お茶を淹れることも、書類仕事にも支障が出た。上司(女性)からはその都度迷惑そうに「もうお茶淹れなくていいから」「書類汚れてるので、長袖かつ手袋できないだろうか」「また貧血? もう帰ったら?」と言われた。

「働きたかったけれど、働けなくなった」という気持ち微塵もなく、逃げ出すように退職して、もう人前に出なくて済むと思ったのが当時の心境。自分視点で書いてるから被害者っぽい書き方になっちゃうけれど、上司視点から見て私は困った対象だったと思う。ギリギリ人員で回している仕事を私の都合で滞らせていたので、迷惑だっただろうなと。当時は優しい言葉をかけて欲しかったけれど、求め過ぎな気がする。今、自分は同じ立場になって、昔の自分のために当事者気遣い言葉をかけるようにしている。

ホルモンバランス不安定で誰にも会いたくない状態病院通いだけしていたころ、夫の友人がお祝い持って当日にアポ無しで現れた。

こんな顔で人になんて会いたくなかった。しかし部屋が汚かったので、リビングに座ってもらいながら大急ぎで片付け、その周りの掃除機をかけた。すごく迷惑そうな顔をしていたと思う。夫友人が少しだけ話しをして申し訳無さそうにお祝いを置いて帰ったあと、夫には「せっかくお祝い持ってきてくれたのに」と小言を言われた。自分自身も申し訳ない気持ちになって落ち込み、具合が悪いからと部屋で休んだ。

8時過ぎに目が覚め、夕飯を用意してなかったことを思い出して、「ごめん、夕飯用意してなかった」とキッチンへ行った。夫は優しい気遣う声で「気にしなくていいよ。もう食べたから」と。シンクにはカレーヌードルの汁だけ入った箸の刺さった容器と、お湯を沸かしただけなのに、そこら中にお湯が飛び跳ねている状態になっていた。もちろん外装フィルムもそこに横たわっている。なんならストックしてないはずのパックご飯のカラもあったし、ゲームしてる夫の脇にはポテチもあった。コンビニで買ってきたのだ。そして私の夕飯はもちろん買ってきておらず。

その光景だけ見て、私は脱力し再び寝室に戻った。夫から「〇〇(私)の分どうする?」という言葉もなく、朝起きたら、ゴミゴミのままそこにあった。私のことを気遣ってほしかったし、自分で出したゴミ自分で捨てて欲しかった。けれども、当時は言葉にするのも面倒で、ただ黙ってゴミを捨て、キッチンキレイにしてから朝ご飯を作った。

夜の生活も続いていた。妊娠のある期間は中出しOKボーナスタイムという知識はあったらしい。

それで妊娠はしないものの、出されたものがそのまま留まってくれるでもなく、しばらくして排出されたものトイレで流す必要があって億劫だった。ゴムをしているときより滑りが良いと判断したのか、回を重ねるごとに前工程が雑になっていって辟易した。ついにはキス、胸、即挿入になってビックリした。今、書いてて不思議に思うけれどグルート肌の女を良く抱けたな。

そして臨月お腹が大きくなって寝返りもうてなくなった。腰も痛いし、便秘になるし、車に乗れば車酔いするし、妊娠間中は種類の違うあらゆる不調が手を変え品を変え一身に降り掛かった。体型が変わって服も替えなければならなかったが、幸いなことにホルモンも安定期に入ったらしくこの頃には、「ちょっと肌荒れが酷い人」くらいまで回復した。買い物している時、重い荷物など明らかに大変なものは持ってくれたが、かがむ必要がある軽いダンボールなどは放置され、お願いすると「これくらいでも?」と言われ、「これくらいでも」と返した。夫のぺったんこのお腹が恨めしかった。

そして出産。予定日になっても生まれず、あらかじめ病院入院して陣痛促進剤を打って臨む運びとなった。前もって出産日がわかるというのはありがたい。夫は有給をとって分娩直前まで一緒に居てくれることとなった。(立ち会い出産は断られていた。このころ周囲でもテレビでも今のように「立ち会いがむしろデフォルト」のような時代でもなかったので、そういうものかと受け入れていた)

朝一番から付き添ってくれるハズが夫は来なかった。夫が居なくても処置は進む。促進剤を入れ、やがてジワジワと兆しらしい変化が現れ、そして昼過ぎには痛みは最高潮。それが夕方まで続いた。

夫が現れたのは14時過ぎ。あとで聞いたところ朝方までゲームしていて寝過ごしたそう。出産までの陣痛マックスの時も夫は病室の隅っこの椅子にちょこんと座り、手を握ることもしてくれなかった。原因不明子ども心音がとまり、慌ただしく右往左往する先生助産師さんの邪魔にならないようにしたかったのかも。メチャメチャ苦しがってる私に何をすればいいのかわからなかったのかもしれない。夫は部屋の隅で怯えていた。

原因不明心停止は、あるとき突然原因不明のまま復活。そして分娩。生まれた。

いざ、産み落とす!となった瞬間から急に助産師さんが鬼軍曹になって叱咤してきて、まじでビビった。命に関わることなので、それくらい追い立てなきゃスムーズにことが運ばないんだと思う。それは出産後の入院時期にも続き。いろんな助産師さんがいる中で、比較若い人は穏やかに経験値の高そうな人ほど厳しくビシビシと授乳や寝かしつけ、沐浴などの指導がされた。(そして点滴やらおっぱいマッサージやらは、そういう厳しい人ほど巧い) 結婚する以前までは、自分の目指すべきところは『プリンセス』にぼんやり置いていたけれど、出産した直後からは『ソルジャー』になることを求められた。そうしないと子供が死んでしまう。強く賢く逞しくならないといけない。生まれたての弱々しい我が子を抱いて、自分の目がカッと見開いたような気持ちになった。

入院中、夫はあまり見舞いに来なかった。義両親が来た時に案内して少し話してすぐ帰宅。2~3週間の入院期間の内、来たのは3回くらい。夫が毎日会社帰りに寄って、面会時間ギリギリまで一緒にいる同室の夫婦たちを眺めていたので羨ましかった。

退院の数日前、夫に「◯日の◯時に、車で迎えてにきて欲しい」とお願いしたら、「出産日に休んだので、会社申し訳なくてもう休めない」と言われた。は? 真冬に、新生児を抱えて、2週間分の入院荷物と、これからのためにと持たされたオムツやら何やらを一人で家に持ち帰れと???? 私、ついこの間、股が裂けて縫っているので、重い荷物とか持って踏ん張れないんですけど?

退院日なんて入院する前から決まってた。しか出産日に休みをとったって、お前現れたの午後じゃん! ゲームして寝坊してきて、来たあとも全っっっっ然、役に立たなかったじゃん! 実際の処置医療者じゃなきゃ無理にしても、励ましの言葉もかけてくれなかったじゃん。さすがにキレて怒った。そしたらキレ返された。「お前に俺の何がわかる!」

全然からない。苗字も体調も体型も仕事生活も変わらず、私がこれまで持っていて失ったものほとんど失わず健康体で子供のことを気にせず働けて、余った時間ゲームを楽しめる人の気持なんて何一つ。

結局、退院日は母にバスで来てもらい、帰りはタクシーを使った。

帰宅後、愕然とした。部屋が寒かった。お互い地元結婚し、新居を構えたのでそれぞれの実家が近い。私の入院中、夫は実家に帰ってご飯を食べそのまま寝泊まりをキメていた。人の住まない北国の部屋はひとき寒い。そしてうっすらとそこら中に積もった埃。休日は家でゲームを過ごしていたらしい場所だけ埃はなく、人型にそこだけ綺麗だった。ゲームドライヤーもコップも出しっぱなし。何かあればうっかり死んでしま新生児が私の腕の中に居た。「赤ん坊ウィルスから守って」と言われた退院していた。ストーブを焚き、母に子供をみてもらいながらそこら中を掃除をした。この件に関しては怒ったら素直に反省してくれた。キレ返さないだけでも嬉しかったのを覚えている。

さて、ここから季節が変わるまで記憶が定かじゃない。どうやって新生児期を乗り越えたのかとんと思い出せない。若くして子供を産んだこともあり、体力があった。「母親になった。子供を死なせちゃいけない」という、これまでにないプレッシャーアドレナリンみたいなものがドバドバ出ていたと思う。夜泣きも平気だったし、数時間おきの授乳も辛いとは思いながらも、病院で指示されたとおりにやれた。私は助産師さんから指導甲斐あって『ソルジャー』にクラスチェンジしてたのだ。ある時、友人に誘われコートを着て買い物に出たら、「え、なんで暑いの? 空気が張り詰めてなくて穏やかなんですけど!!?」となって春の訪れを知った。

夫は沐浴とか『これは父親役割』という分かりやすいことはやってくれた。混合で育てていたので、哺乳瓶での授乳もお願いすれば嫌な顔せずやってくれたし。夜泣き対応も、私の腕が限界になればやってくれた。当時はありがたいと思っていたけれど、今の価値観だと足りてないですね。

そして決定的に離婚の原因となった出来事が明るみになる。

ある時、子供に急な発熱があって、でも保険証は夫のカバンに入っていたため、職場に行って受け取り、その足で病院に行こうとした。夫の職場子供を抱えながら自己紹介し、夫を呼び出すようお願いしたら「この一週間、無断欠勤してます」と。

夫には結婚から借金があった。遊ぶ金欲しさにどうするアイフルしていたのが発端。会社に返済催促の電話がかかってきて、そこから居づらくなって行ってないと言う。どうして黙っていたのかと問いただしたら「◯◯(私)や、生まれてくる子供のことを考えたら言えなかった。二人を幸せにしないと……と思って、隠し通さなきゃと頑張ってた」と。当時、ニュースで取り上げられてた多重債務地獄に落ちていた。闇金だ。

それから義両親も巻き込んで話し合い、アパートは引き払って夫の実家で暮らすことになった。生まれ半年くらいの子供は私の実家に預けて私もパートに出た。

この時、社会問題化していたものの、今のように銀行個人ローンはお断り(家や車を買うのや学資はOK債務の一本化などは受け付けられませんと審査すらしてもらえなかった)、弁護士が『債務整理承ります!』と宣伝打つようになるのも、もっと何年も先の話。家族ぐるみでひたすらその月、その月の返済に追われた。

正直、アパートでのほぼ子供と二人きりのような暮らしに飽き始めていたので社会に出られることはありがたかった。新生児がいては気軽に出かけられず、夫は帰宅して夕飯を食べたら即ゲームこちからしかけないと会話が始まらないことがストレスだった。今のようにスマホがあったわけでもなく、重いデスクトップPCを起動して、ピーヒャラー電子音ならしてネットに繋いでいた時代世間とのつながりはほぼテレビで感じていた。『ダサいダンナ改造計画』とか、今となっては炎上しそうな内容ですら、貴重な娯楽となっていた。もともとソロ活が得意な方だったものの、自分から一人で過ごすのと、強制的社会から断絶させられるのとは違う。いつの間にか「外で働きたい人」になっていた。もちろん、子どもは可愛かったけれど、ほとんど寝るか泣くかご飯を食べるかの暮らしで、コミュニケーションが取れるようになるのはもう少し先だった。

それと専業主婦立場に居心地悪さも感じていた。自分お金で稼いだものじゃないので、ちょっとしたおやつ趣味雑誌を買うのも躊躇していたのだ。

自分の稼いだお金子供の服を買ったときちょっと感動すらしてしまった。結婚前は当たり前だったのに、自分の稼ぎで必要ものを買うことの『当たり前』に『誇らしさ』がオマケでついてきた。とはいえ、結局稼ぎの殆どは夫の借金返済に充てられていたのだが。

あと外に働きに出て、ある程度自分裁量物事を決め、今後の見通しが立てやす作業子育てに比べてとてもやりやすかった。

そして夫実家で近居の義兄からこっぴどく叱られたことがあった。義兄もまた夫の作った借金のため金策に励み、会社をクビになった夫の働き口を探してくれていたのだ。それを知らず、夫婦食材の買い物に行き、やってきた義兄に対して、義父が『二人で遊びに出かけてる』と伝え、激怒された。

こっちが苦労して東奔西走している間に、遊びに行くとは何事だと。家庭を持つことに対する自覚がなさ過ぎると。

遊びに行ってたわけではないのだが、自覚がないというのは最もだ。もっと『夫を』怒ってくれ……と思っていたら、私も一緒に叱られた。夫が私に黙ってこさえた借金は、親子三人の生活費にも使われていたため、周囲から見れば私も同罪だったのだ。今となっては「それはそう」と思うけれど、その当時の自分にとっては「そうなの?」という気持ちでいっぱいだった。私は自覚のないまま、分をわきまえない借金をこさえた大馬鹿者になっていたことにこのときようやく気付いた。一緒に買物に行って、私のカバン商品を入れて万引きした絶縁した友達を思い出した。夫は私が叱られている間、ずっと「カミナリこちらに降りかかりませんように」と空気になっていた。義兄の帰宅後もフォローはまったくなかった。この時、夫の中では「お前のせいで借金が膨らんだ」と思われていたのだ。

その後も夫は新しい職場でもうまくいかず、家出もした。もうこの頃には「怒って詰めたら、話し合いまで発展しない」と分かっていたので、諭すようにこれからのことを話した。……が、「もう無理。人間はそんな簡単に変わらない」と弱音しか吐かなくなり、ついには「お前、変わったよな」と言われた。私は出産をキッカケに『ソルジャー』になった。しかし夫はまだ私に『プリンセス』を求めていた。

家出中に何をしていたのか、今後のために携帯のチェックをさせてもらったら、出会い系登録していた。この頃は『メル友募集』とかそういうヤツだ。実際に出会うところまではいってなかったけれど、出会おうとしているところまでは確認した。夫は自分を慰めてくれる『プリンセス』を探していた。

そこから自分実家を頼り、出戻ってお互いの両親を交えて話し合い。養育費が払えるとは到底思えなかったので、最初から請求せず。代わりに面会もさせない運びとなった。夫はその頃にはもうとにかく「自分けがかわいそう。この世のすべてが自分を傷つけにくる敵」みたいな状態に陥っていたので、子供に執着もなく揉めることはなかった。生活の中で新しく二人で買った家電生活雑貨はすべてこちらで引き取ることとなった。ほとんどは私の独身時代貯金から出していたので異論はでなかった。しかプレステ2だけは譲ってくれなかった。それくらいの執着を私と娘にも向けてほしかったと思う。

若気の至りで周囲の人に迷惑をかけた。その恩返しではないけれどやがて訪れた実父の闘病生活はできる限り付き添い、実父が亡くなり一人暮らしになった実母にも、今も頻繁に実家を訪れ日常の買い物や困り事を解決したりしている。(義父除く)義実家は一緒に暮らしている間によくしてくれたので、今でも申し訳ないと思っている。孫の成長も見せたかったが、連絡を取らない取り決めに巻き込んで会わせていない。

いろいろ私視点から書いたので夫の言い分もあると思う。振り返ると二十歳過ぎたばかりのアンチャンには荷が重すぎたとも思う。

夫には良いところももちろんあったし、私にも至らない点が多々あった。さら離婚することで借金から逃げたとも言えるし、今の価値観判断すると、子どものために養育費請求するべきだったかもしれない。

長々と書き綴ったアレコレもそれぞれが離婚の原因にはなったものの今となっては大方許せる。時が経てば大抵のことはどうでも良くなるし、人を恨み続けるほどの胆力は、その後のシングルマザー人生で別のところで必要になったため雲散霧消した。

でもそれでも出産日に寝坊して遅刻してきて退院の時に迎えに来てくれなかったうえ逆ギレしてきたことと、借金を隠して、さらにその理由に「私と娘のため」と発言したことは、今でも絶対さないと思っている。

2024-08-28

産後の恨み一生おじさんへのシンパシーブコメが見逃していること

anond:20240827012946

おじさんへのメッセージ

https://anond.hatelabo.jp/20240828002410

この追加で書かれた文章でおじさん自身も気づいているように、はてなブックマークには恐ろしい呪詛を吐くユーザーがたくさんいる。私も、自分文章を書き、ブコメをつけられるまでは、ヤフコメや5ちゃんねるなんかと比べて、知的水準の高いユーザーが多いコミュニティという印象を持っていた。しかし、いざ自分コメントをつけられ、それを落ち着いて読む立場になってみると、実は、何の知識にも基づかないのに断定口調で述べられるデマ文章曲解に基づいたマウント正義の側に立ったつもりの「良識的」な説教、そして単に悪意に満ちた呪詛の方が多い。

これらのコメントは、大抵は容易に反論できる的外れものだが、はてブはそうできる作りにはなっていない。そして内容にかかわらず、悪意的なコメントに大量に晒されることは非常にストレスフルで、心が傷つく。SNSの適切な使い方としてよく言われる「実際に面と向かって人に言えないことは書かない」という注意があるが、はてブの仕組みは個人に対する炎上が起きにくく、言い逃げがしやすいため、到底人に言えないような底の抜けた罵詈雑言を発する人が少なくない。これらの人たちと建設的な議論をすることは不可能から、今ははてブから離れて気分を入れ替えてほしい。

本題: 多くのブコメが見逃している二点

まず前提として、私はおじさんを一方的擁護するつもりはない。片側から意見なので、都合の悪いことは隠しているかもしれないし、そもそも人間認知バイアスとして、自分行為過大評価し、他人行為過小評価しがちだ。

しかし、ブコメに見られた典型的批判には、不十分な考えに基づくものが二点あり、それを指摘したい。

1. 制約条件の無視

おじさんに対する批判の中には、「おじさんはお金を稼いできただけで、子供の世話という実働には加わっていない。だからサポーターに過ぎないのに、育児に参加したような面をするのはおかしい」というものがあった。しかし、この批判は「生活を維持するにはお金必要で、夫婦の少なくとも一方が働かなくてはならない」という至極自明な制約条件を無視している。働く側が育児の実働に参加しづらくなるのは当然で、お金を稼ぐという方法育児を担っているとみなすの自然ではないだろうか。

2. 主題・貢献の総量の無視

おじさん批判として、以下のような主旨のものも多く見られた。

  • 妊娠中、夜鳴きがひどい時期、子供が騒いでいるとき他人事のようにテレビを見ていた。これらのとても辛い時期に協力しないというのは決定的な裏切りで、ずっと恨まれても仕方がない。
  • これらの時期以外に協力したからといって、育児の美味しいところを楽しんでいるだけ。
  • 仕事よりも乳児の世話の方が辛い。

まず、今回の話を思い出しておくと、おじさんが二十年の育児という共同作業を妻とやり遂げたつもりだったのに、妻から自分の貢献がないように言われたことにショックを受けた、というものだ。つまり主題おじさんが特定過去出来事に対して妻からずっと恨まれても仕方がないのかや特定の時期の育児仕事よりも大変かではなく、おじさんの貢献は「自分が育てたような気持ちになられるのも不愉快だ」と言われるに値するほど小さなものなのかいうことだ。

もちろん、この批判をする人の中には、このことを理解したうえで、おじさんの犯した失敗は極めて重大で巻返し不可能なほど大きな失点で、妻からあのように言われるのも妥当だと考える人いるかもしれない。しかし、これは正しい評価だろうか?おじさんは二十年間、子供を三人育てるに足る稼ぎを得てきたのだ。例えば、三歳児の父で、子供生まれたての頃には育児に非協力的で、最近になってようやく協力し始めたのにイクメンを気取っている人とは訳が違う。この二十年という長い年月の貢献を、重大かもしれないが短い期間のミスでなかったことにしてしまうのは、まともな評価とは私には思えない。

もう少し言うと、乳児の頃の世話が最も大変ということは、裏を返せばある程度子供が成長すれば手間は減るということだ。具体的には、小学生になれば日中の世話はほとんどなくなるだろう。つまり育児要求される労力の量には時期的な波があり、後半は楽になる。だから乳児の世話の方が仕事よりも大変だとしても、それだけで二十年間にわたる家計の支えというコンスタント献身を軽視するのは不当ではないか。貢献を評価するときには、全期間にわたっての総量という観点を持つべきだ。

2024-08-16

生まれたての僕らの前にはただ果てしない未来があって

そはホンマか?ありましたか果てしない未来

2024-08-07

シニタイ Die Die Die Die のに

シネナイ Die Die Die Die 今夜は

炭の吐く霧より見えない未来が見えてる

シネナイ Die Die Die Dieから

もっと倦怠 Die つのるよ

燃え尽きてもないこれが唯一の人生

生まれたての頃は平凡だったけど

会う度に普通の奴らから引かれてく

こんなガイジの訳 認めたくないけど

から遺伝と 人は呼ぶのでしょう

オヤジ アスペで オカンは自閉

今たとえ 手帳持ちでも

It's my only destiny

シニタイ Die Die Die Die のに

シネナイ Die Die Die Die 今夜は

勝手に積もってく罪状を止められない

から Die Die Die Die シニタイ

だけど Die Die Die Die シネナイ

もう一度などない これが唯一の人生

2024-07-30

にゃんこキッチン

生きたまま子猫ミキサーにかけると生まれたての子猫は骨が柔らかいのかすぐミンチになる。

が、生後1ヶ月たつと骨もしっかりするため刃に内蔵や骨が引っかかってミキサーの動きが弱くなり、下半身がズタズタになるだけでなかなか死ねない地獄の苦しみを味わう。

なのでじっくり楽しむのならある程度育った子猫に限る。

2024-07-18

人生どん底小学校とき

私の両親は6歳のころに離婚した。

ある日突然、父が私と姉を実家に連れて行った。

父は離婚したくて、両親に相談したところ連れて来いと言われたそうだ。

母は大変驚いて、何が何だかからなかったそうだ。

ところが、祖父母は「私ちゃんは育てられない」と言ったらしい。

父は祖父会社で働いていたし、両親の手がないと子供を育てられない、自分だけでは育てられないから、両親の言うことを聞くしかなかったらしい。

祖父(父の)は祖母(母の)に電話をして、「その家を三日以内に出ていけ、お前の娘(母)は大阪に連れて帰れ」といったそうだ。

母は私と姉を父の実家に迎えに来た。私はその時のことを覚えている。

祖父母母親の言い争う声、母の泣き声、今なら母が不憫で仕方ない。

母は当時28歳とかで、父は37歳とか、実家は遠方で誰も頼れず、誰にも気が付かれず、頭のおかしい義両親にいじめられていたのだ。

母の実家サラリーマン家庭であることを馬鹿にし、週に何度も小言を言いに訪問し、二人の娘のうち、一人だけをかわいがり、母は参っていたんだと思う。

そんな状況の中で子ども拉致られ、取り返しに来たら罵倒され、姉の方は絶対に返さないけど、妹の方なら連れて帰れと母は言われたのだ。

「私ちゃんは本当に息子の子どもなのかわからないわ。」

祖母が実際にそういったらしいが、隣にいた私の父は一言反論もしなかったそうだ。

母と私はこうして二人で暮らすことになった。

別居状態で姉の親権一年ほど争っていたけど、父から婚姻費用も貰えす、離婚は成立していないので母子家庭状態かつ収入もほぼないのに児童扶養手当も貰えない状況で、母は離婚に応じるしかなかったらしい。

父は私に毎週会いに来た。父は私のことが大好きで、一緒に暮らしたいとしきりに言っていたし、なんでも買ってくれて何でも食べさせてくれた。

私は父が大好きだった。

母との暮らしは極貧だったうえに、母は病んでしまってアル中、家はゴミ屋敷だった。

家の中にコバエが死ぬほど飛んでいたし、シンクはカビだらけ、家中めちゃくちゃだった。

怖いもので、私はそんな家の中でまともな感覚を失い、その状態に完全に慣れていた。細かいエピソード割愛させてもらうが、私も母もまともじゃなかった。

そんな中、母に彼氏ができた。(離婚後、男遊びはまあまあしていたみたいだけど、さすがに育児放棄はしてませんでした。毎日帰ってくるし、男を連れ込んだりもしてません。そんな中一人の男が彼氏になりました。)

これを読んでくださっている人の中には、ヤバイ!って思った人がいるかもしれないけど、そうです、やばいです。

この彼氏DV男でした。すぐ不機嫌になるし、すぐキレるし、機嫌を取ってあげないといけないタイプでした。なんでや!!!

母はこの男と付き合いだしてから、家にいるときはずっと電話していた。マジでずっと。

母はキッチンでずっと電話してて、私はリビングで一人でご飯を食べて一人でテレビを観て、母と会話なんてほぼしない生活になった。やば。

私が母と話したくて話しかけに行くと、あっち行ってて、って感じだった。なんかかわいそうになってきた笑

まあ当然私は不愉快まりないわけで、最悪!!って感じでした。

その男と初めて会ったのはいつだったかな、忘れたけど、私と母でその男の住む地域に遊びに行った。

その時、その男は私と母をいろんなところに連れて行ってくれたけど、私は終止不機嫌。

なんせ父が大好きだったし、母が違う男に夢中になり、無理やり連れてこられ、何もうれしくないんだから

その帰りの電車で母に叱られた。

私は何も反論できなくてぽろぽろ泣いた。なんか悲しくて悲しくて仕方なかった。

そのうち私と母の暮らすアパートに男は入りびたるようになった。最悪である

母とその男喧嘩は壮絶で、すごい怒鳴りあうし、母は携帯を折られるし殴られるしガチやばかった。

私は殴られたことないけど、なんで付き合ってるのかわからなかった。

夜、私に風呂に入ってこいって命令して、私が風呂に入っているときに子作りしていた。グロすぎ。ちょっと成長してからあの時のあれって...ってなった時吐きそうになったわ。

そのおかげで、私が小3のときに母に赤ちゃんができたので、母はその男結婚すると言い出した。意味不明だった。

引っ越すから父や姉と会えなくなるし、転校することになって、今度は私が病み散らかした。

私と母は、その男が住んでいる県に引っ越した。毎週のように会っていた父とも会えなくなり、友達もいない、親戚もいない、来たこともない土地連行された。

小4にして人生どん底、母しか頼れないのに、母は新しい夫の世話と赤ちゃんに追われ、私は人生でこのときが一番孤独だった。

私の反抗的な態度に腹を立てると、男はその文句を母にぶつけて喧嘩がはじまる。

喧嘩は私のせいだと母に怒られる。

(あと母のいないところで若干セクハラされたことある実は。忘れてた。)

私と母はこのころから毎日のように喧嘩していた。今思えば、私の反抗期(?)と母の余裕のなさがベストマッチだった。

私は母に殴られるし、物投げられるし、首絞められるし、髪をハサミで急に切られるし、児相案件では??って感じだった。

母も母で、めんどくさい男の機嫌を損ねるうっとうしい娘と生まれたて赤ちゃんを抱えた貧乏生活で、すっごい大変だったんだと思う。今ならわかるよ。

まあ自分で選んだんやろって昔は思っていたけど。

当時はマジで貧乏で、母は私に、「パパに電話してお金もらって」って言ってきてた。

正直これは本当にしんどくて、父は母にお金を渡したくないから、超板挟みだった。ちなみに母の再婚後に父は養育費を払うのをやめました。

母もわかっているから、私が欲しいものを買うお金をもらう体で頼めって言ってきた。あれが必要、これが必要、あれが欲しいこれが欲しいって言えみたいな。

私はその電話を本当にしたくなかったけど、母は絶対に譲らないから、電話するまで何時間でも迫ってきた。

小学生の私はそこで折れないほど強くなかったから、父に電話してた。

父にお金をせびるのは中学生くらいまで続いたかな、父には申し訳なかった。私もつらかったんだけどね。

私は本当に病んでて、小学生の頃は腕切ってた。笑


中学校に入ってから人生楽しくなってきて、部活勉強に忙しくしてて、私の中で家庭が占める割合が減ってきたから、そこまで病み散らすことがなくなった。

母と男と弟で普通家族なのに、私邪魔じゃねって思っていたことぐらい。

でも母との仲は最悪で、喧嘩ヒートアップしてた。私も体力がついてきたので普通に殴り合いしてた笑

そういえば母はなぜか友達と遊びに行くことをよく思っていなかったのがすごく不思議。その喧嘩すごく多かった気がする。

高校受験の時はそれなりにもめた。私は県外の高校に行って親元を離れたかったけど母は猛反対。

私も頑張って説得しようとしたけど、結局無理で戦意喪失勉強する気が失せて公立落ちて私立に進学することになった。


高校に入ったらもう無敵、親に何言われようが無視。なんでも強行突破できるくらいには私も強くなった。

バイトも早々に始めたけど、はじめの一年くらいは母管理だった。普通お金取られてたけど、ほんと大したことない。小学生の頃のつらさに比べたら屁でもない。

あ、高校自分のせいで私立なっちゃったので学費バイト代で払うと申し出た。

3か月に一度13万くらいの引き落としがあって、私は月3万母に手渡し。

補助金は後から振り込まれるので、いったん払う必要があり、私はバイト代を渡していた。

私立助成が月3万ちょいあるから絶対黒字だったけど、私そんなに払わなくてよかったけど払ってた。自分私立選んだんだし、母はいるって言い張ってたし。

あと携帯代も1万円渡してたから、毎月母に4万円手渡ししていた。

からいっぱいバイトしてた。友達出来てすごい楽しかたから、別に苦じゃなかった。

さあ大学受験!私は絶対実家を出るという強い意志があったので、都内大学に進学することを決めた。

ここでみなさん心配してくださったかな、お金あるの?って

父の出番が来ました。父です。私の父は先述の通り私大好きなので、私が上京するよと言ったら大喜び、生活費を出してくれることになりました。

父は都内に住んでいます

さすがに一緒には住まなかったけど、生活費(家賃光熱費、食費)を毎月定額で支援してくれた。

わたしってスーパーラッキーガールだと確信しました。なんて恵まれてるんや。

ちなみに学費は全額借金です。これは仕方ないし文句もない、私の責任において私がしっかり返済する。

大学行けただけで大感謝。ほんと素晴らしい人生ラッキー人生

大学入学し、一人暮らしがはじまると、お金に余裕は全然ないながらも、めっちゃ楽しい生活

ただ定期的に母から金貸してって言われることがだるいくらい。消費者金融かに借金してほしくないから貸してたけど返ってこないのであげたことにする。

母と距離を置くようになったらめっちゃ仲良しになった。最高。マジ友達

私と母は一緒にいろいろ乗り越えてきた戦友で、家事育児(弟)も完全ツーオペで、離婚再婚貧乏DVも全部一緒に一生懸命乗り越えてきた戦友。

母の苦労を一番わかっているのは私で、私のことを一番よく知っているのももちろん母。

母は立派な親じゃないし、立派な人間っていうわけでもない。

親なのに、母なのに、大人なのに、って私はずっと理想の母と比べていたけど、母は母でしかないことにようやく気が付いた。

母は母なりに一生懸命やったし、母もどうすればいいかからなかったし、申し訳ないとか本当はこうしたいとか、いろいろ考えてたはず。

から今恨んだりしない。文句全然言うけど母を断罪できるほど私は偉くないし。

ちなみにDV男はDVこそしなくなったけど、(何回か警察沙汰になってる笑)いまだにわがままくそ自己中男です。

でも昔に比べたらほんと丸くなった。ちなみに私のこと大好き。マジで帰省するの超楽しみにしてるっぽい笑

さて、ただちょっとだるいことがまだありまして、父です。

父は私を溺愛しているから、私と一緒に住みたいとか、将来は一緒に住もうとか、私と暮らすのが人生目標だったとかいろいろ言ってきます

皆さんどう思いますか。

どういった経緯で離婚に至ったのか思い出してください。

私はちょっと複雑なんです。

私と母をある日突然捨てておいてって思っちゃう。姉と突然引き離して。

離婚はどっちが悪いとかじゃないとはいえ手段は悪かったんちゃいますの。

父がいなければ大学に行けてないし生活もできてないか感謝はもちろんしているけど、私と母がどんだけ苦労したと思ってます???

ついでに姉も大変病み散らかして大変こじらせていて、ヲタク高校中退のフリーター

姉が父の実家でどんな思いで暮らしてきたと思っているの。ある日突然母親を奪って。

私は母に申し訳なくて父と一緒に住むことはとてもできない。でもはっきりそう言えない。今は父に生かされてるから

これはコンプレックスの話なんですけど、いとこの存在が私の家庭環境コンプを刺激するんです。

母の妹は二人いて、それぞれ結婚して子供がいて専業主婦

それぞれ大変なこともあると思うけど、私の目には普通幸せな家庭に写る。

いとこたちは両親がそろった家で、食べるものにも住むところにも困らず、お金の苦労も知らず、本当に大切に育てられている。

めっちゃいいことなんだけど、私がなんだか惨めで。

全くの他人ならこう思わないけど、身内だから...

誰かを恨んでいるわけじゃないけど、自分が惨めで仕方ない。

私が欲しくて欲しくて仕方なくてどんなに努力しても頑張っても望んでも絶対に手に入らないものを生まれながらに持っているじゃん。

普段は接点ないから感じないけどたまに関わると自分が惨めになってて。

そんな自分が一番だるい

そんなどうしようもないこと考えるなよって思うけど、ほんとに誰にも言えなくて、誰かに聞いてもらったらすっきりするかなと思ってこれ書くことにした。

長すぎて誰も読まないかもしれないけど、私の誰にも言えない話を読んでくれたら本当にうれしいしこの気持ちが晴れる気がする。

家庭環境系の話って友達にできないんだよね、重すぎて。

読んでくれて本当にありがとう。読んでくれる人がいたらまた思い出話させて。

2024-07-08

「ない」事を証明するのは悪魔の証明なんだよ

異性を好きになった事があれば異性愛

同性を好きになった事があれば同性愛

同性も異性も好きになった事があれば両性愛

これらはちゃん定義付けられるし証明できる

じゃあ無性愛者かどうか、どうやって証明できるんだ?

これまでは誰も好きになった事がなかったとしても、これからは?

生まれたて赤ちゃんはみんな無性愛者になってしまうじゃないか

2024-05-29

妊娠出産デメリットしかない

子どもしかったけど養子でいいかもしれん

まず、過半数を超える確率で発生する妊娠線とやらが嫌すぎる

無痛分娩だったとしても終わった後はくたくた、切開したら抜糸が死ぬほど痛いらしいのも嫌

大学生とき、抜糸が無理すぎて途中で麻酔を打ったことがある程度には無理

妊娠中の腹のデカさもどうにもならない

邪魔では?

生まれたては本当に大変らしいので、無理

無理じゃんこんなの

年収3年分とかもらってやっと検討始めるレベルやんな

2024-04-02

心が女って何なの?

心が女のトランス女性生まれたて赤ちゃん含む三人の子供と妻を捨てて逃げ女として自由に生きている事が美談のように書かれた記事を見た。

これが美談になるのは彼が男だからだ、母親生まれたて赤ちゃん捨てて逃げて自分らしい自由暮らし満喫してます☆みたいな話が美談にはまずならない。

多分母親トランス男性だとしても美談化は無理だろう。

そして、赤ちゃん含む3人の子供を捨てて逃げるのは女性の心母親の心を持っているからとも思えない。

子供赤ちゃん捨てるのが女の心の特徴なら、そこいら中で子供が死にまくっている。

妻子を捨てて彼がなりたかったのは何なのか、女ではないだろう。

かつての労働者の街が…大阪釜ヶ崎「LGBTQ高齢者介護就労支援最前線になった」深い背景

https://news.yahoo.co.jp/articles/b26a485f3e43e863b99d3dd26c219f51ad5b863f

Aにとって男性を演じて妻と接するのは何よりつらいことだった。3人目でやっと男子を授かった時、彼はすべてを捨てて裸一貫で家から夜逃げした。

その後、たどり着いたのが釜ヶ崎だった。Aは日中建設業で働きながら、夜は本来の性、つまり女性として生きることを選んだ。

2024-02-07

anond:20240207214533

 母は、生まれたて赤ちゃんの頃、人格が歪むようなつらい出来事があったらしい。

 6月まれで、曾祖母の「女のガキなんかいらん、絶対に世話をするな」という指示により、冷房などない酷暑小屋放置されて、どんなに泣き叫んでも誰も来ず、涙が耳に入って何度も中耳炎を繰り返したと聞く。

 その後も家族から無視されて、子どもの頃から視力も歯もボロボロだったそうで……

 仕方ないかなと思っています

2024-01-15

ロールパンナメロンパンナちゃんお姉ちゃんではない

娘とアンパンマンを見る様になってから知ったのだが、メロンパンナちゃんロールパンナより先に生まれており(厳密にはジャムさんが作った)、ジャムさんが新たに仲間を作る時に居合わせメロンパンナちゃんが「わたしお姉ちゃんが欲しい」とお願いをして生まれたのがロールパンナだ。

からまれながらもメロンパンナちゃん生まれたて(焼きたて?)のロールパンナを姉として慕い溺愛しており、娘には言わないが元増田パパはメロンパンナにじゃっかんヤンデレ味を感じている。

ちなみに自分は鉄火のまきちゃんコチョウランさんが好き。

子供の頃に認識していたら性癖が曲がっていたはずだ。

2023-12-20

クリスマスケーキを持ってる若い女性を狙ってわざとぶつかるおじさんでさえ

生まれたてときは願いを込めて名前を付けられてたと考えると

名前に願いを込めても何の意味もないな

2023-10-23

anond:20231023102643

ちょっと村上春樹っぽいのでパスティーシュしてみたよ。



僕が古代ローマ人が一つ目の巨人を倒すときに用いた棍棒のように真っ直ぐに固く勃起したペニスコンドームを着け終え、背中を見せていた彼女何気なく「ねえ、今何を考えているの?」と尋ねると、彼女は振り返って僕の目をじっと見つめ、「植民地時代マレーシアプランテーションについて考えているのよ」と答えた。

だって

「昔、地理の授業で習ったの。イギリスマレー半島にもたらした天然ゴム19世紀から20世紀初頭にかけて急速に発展し、マレーシアインドネシアに次いで世界第2位の生産国であり、世界アブラヤシ生産量の約30%を占めるのよ。プランテーション農業は、欧米諸国が熱帯・亜熱帯地域の国々を植民地にし、豊富資金力を用いて広域的に開発し、国際的価値が高い農作物を大量に栽培する農業スタイルであって、マレーシアは、現代においてもパーム油、天然ゴム木材などの主要生産国なのよ?」

やれやれ

彼女が突然どうしてよりにもよってマレーシアプランテーション農業について出来損ないのAIのように語りだしたのか僕にはさっぱりわからなかったが、幼児がおまじないをする際に行う一見無意味動作と同じように彼女自身にとっては必要作業だったのだろう。

あっけに取られて押し黙っている僕に彼女は少し不機嫌になり「あなたっていつもそうね。セックスときセックスのことしか思考しないのはあまり原始的即物的じゃない?そう思わない?」と言った。

勇敢な古代ローマ人獰猛な一つ目の巨人のことは彼女には黙っていた。僕はだいたいにおいて余計なことを考えすぎるのだ。

僕は少し意識を集中して、古代ローマ人を甘く柔らかい泥濘の中に、一つ目の巨人を深く青い海原の中に、一流シェフ一世一代料理を盛りつけるときのような慎重さでゆっくりと消し去った。それでも薄い膜が張られたペニスペニスのまま冬眠前の熊のように厳然と現実存在していた。

あなたも一緒にプランテーション農家マレーシア人のことを考えて?」そう呟くと、彼女若い雌猫が生まれたての子猫を全身で包むような柔らかさで僕のペニスを薄い膜越しにそっと口に含んだ。

2023-09-03

anond:20230903111737

山上事件の時に赤ちゃん生まれたてだったみたいだし、育児が忙しくなったんじゃないかなあ

産後1週間で実母から金の無心をされた話

産後一週間。

産院を無事退院したのもつかの間、

予想外の背中スイッチに、1日中赤子を抱きかかえていなければならない状況に陥った。

これは無理、と思い、実母をヘルプに呼ぶことにした。

今になって思えば、睡眠不足で正常な判断が出来なくなっていたと思う。

年末差し迫る、寒い冬だった。

実母がソファーで娘を抱っこしていた。

抱かれた娘はすやすやと眠っていた。

テレビでは、コウノドリドラマが流れていた。

実母が口を開いた。

「ねえ、お金、ある?」

自分の中の糸がピンと張った気がした。

睡眠不足で正常な思考ができないはずなのに、この時ばかりは感覚が研ぎ澄まされた感じがした。

いやに冷静だった。

その言葉意味が「金がないから金を貸せ」なのはすぐに理解できていた。

「…いくら必要なの」

貸すとも貸さないとも言わず、私はそれだけ聞いた。

私の家庭は、いわゆる逆転夫婦で、妻である私が稼ぎ頭の共働きだ。

産休に入ると一時的給与はなくなるし、育休手当には上限があるため、計算額通りよりも少ない金額しかもらえないことが分かっていたため、

手元のキャッシュを増やしておいたところであった。

かといって、実母に貸す義理はないのだが。

実母は、黙ったまま、娘の顔を見ながらうつむくだけだ。

金額に回答しようとしない。

冷静だった私の心に、怒りがわいてきた。

産後1週間、これからお金がかかることが分かりきっているこの状況で、

私はなぜ実母に金の無心をされているのだ?

目の前の娘を見つめる実母の視線が汚らわしく思えて、すぐにでも娘を奪い去りたかった。

「黙ってちゃわからないじゃない。何とか言ったら。」

「…10万くらい」

10万で全部解決する状況なの?」

「…30万」

「…今、借金総額いくらあるの。」

また実母が黙った。

怒られそうになると、すぐ黙る。とにかくその場をやり過ごそうとする。

私は実母のそういうところが許せなかった。

実母は自己破産経験者だ。

私が小学6年生のときに、自己破産したはずだ。

両親は別居しており、私は実母の実家で、6歳下の弟とともに祖父母に育てられた。

幼いころに、祖母から自己破産の件は聞かされていた。

父親養育費を渡さないから、お母さんは借金してお前たちを育てるしかなかったんだよ、と。

大人になって知った真実は全く異なっていた。

実母は、父親の家庭に入ることがとても嫌で、私たち子どもを連れて勝手実家に帰っていた。

父親は転勤ありの公務員だったため、迎えに行くこともできず、養育費祖父母拒否されていた。

私たち幼稚園学費やその他食費などはすべて年金から祖父母が賄っていた。

実母の借金は、実母の遊ぶ金と交際費に使われていただけだった。

しかし、自己破産したことで、実母は安易お金を借りられなくなった。魔法カードはもうない。

からこそ私も安心していた。

だが、ブラックリスト10年もあれば真っ白になってしまうのだ。

うかつだった。また実母は魔法カードを作って借金を重ねていた。

沈黙が続いている間に、いろいろなことを思い出した。

前述した昔の話や、そういえば大学時代にも10万貸して、という電話がかかってきたなあ、などとぼんやり思い出していた。

それでも実母は話す気がなかった。

また私の娘に視線を落とし、とんとん、と手を娘の背中に当てているだけだ。

汚らわしい、やめてよ。

また私の中に怒りの感情が芽生えてきた。

「黙ってないで答えてよ。借金の総額いくらあるの。」

「…」

「なんとか言ってよ。総額が分からなかったら貸すものも貸せないじゃない。」

「わからないの」

「は?」

「いきなり言われたって、そんなのわからないの!」

おかしいんじゃない、としか思えなかった。

金の無心をしておいて、自分必要な総額もわからずに逆切れ

こんな話を生まれたての娘の前でしたくなかった。

テレビコウノドリが命の大切さを演出していることが、とても悲しかった。

「弟は知ってるの?」

実母は弟を溺愛していた。弟に言っているわけがないと思いながら、聞いた。

「言ってない。絶対言わないで。」

「なんで弟には言わないの。」

だって社会人になったばっかりだし、心配かけたくないと思って」

「じゃあ私には心配かけていいってこと?」

だってあんたは結婚もしてるし、働いてるし…」

「弟も社会人4年目で、きちんと働いてるよね。見ての通り、私は子どもが生まれたばかりで、仕事だって休んでるよね。なんで私ならよくて弟はダメなの?」

「…」

都合が悪くなると黙る。どうせこの繰り返しだ。いつだってそうだ。

公立中学給食費を振り込まずに使ってしまって、毎回職員室に届けに行った時も。

高校特待生になり、交通費名目支給されたお金を使い切ってしまった時も。

父親が用意してくれた大学学費を全部使い込み、学費免除になる国立大しか行けなくなった時も。

いつもその顔をしてたよね、お母さん。

「とにかく、貸すにしろさないにしろ、全部がわからないと行動できないから。弟も含めて借金を洗い出してから対応を決めるから。」

人生で何度目かわからない。どうしてこうなんだろう、という言葉を飲み込んだ。

まともに生きるってなんて難しいんだろう。

その後、弟も加えて、借金の総点検を行ったところ、

総額は600万強であることが分かった。

それが2年前のことであるが、まだこの問題解決していない。

100万を超えないくらいの援助はしたが、もう私も限界だ。

こんな未来のない身内よりも、将来の可能性がある子どもお金を使いたい。

そろそろ潮時だな、と思ったので、当時の感情を残しておきたくて書いてみた。

この9月で、何の進展もなければ親子関係をきっちりと切ろうと思う。

2023-08-24

好きだった店、子どもが産まれてもう行けない

お気に入りの店があった。30代くらいの夫婦2人でやってるご飯屋さん。

めちゃくちゃリーズナブルってわけじゃないけど値段以上に美味しくて量も多いし、パワフルなご主人と控えめな奥さんとの会話も楽しくて、常連客がたくさんいる店だった。

数ヶ月前、長期出張が決まってから最後に行った時、奥さんの方が結構顔色悪そうに働いてて大丈夫かなと思ったんだよね。

で、出張明けに久しぶりに店へ行ったら奥さんお腹がすごく大きくなってて、あの時具合悪そうだったのはツワリだったのかな〜と合点がいった。

世間話がてら「差し支えなければ、いつ頃生まれる予定ですか?」と奥さんに聞いてみたら「実は昨日が予定日なんで、もう過ぎてるんですよ」との回答。

えっ?と思ったところでご主人が「妻のお腹の中が居心地いいみたいでね!アハハ」と笑っていた。

予定日過ぎた妊婦奥さんを働かせてるの??と驚きつつ、でもまあ人の家庭のことだしな…と自分を納得させ「いまのうちに出産祝い用意しときますね〜」とか適当世間話して帰った。

その2週間後にまた店に行ったら普通に営業してて、ご主人一人でやってんのかなーと思って入ったら奥さんもいた。どうみても新生児赤ちゃんを抱っこしながら働いてた。その日は赤ちゃんの面倒を見てくれる祖父母がいない日だったらしい。

一応用意してた出産祝いを渡したらすごい喜んでくれたけど、新生児抱っこしながら働いてる奥さんを見てなんか居た堪れなくなってしまって、余計なお世話だと思いつつ「奥さんはお休みされないんですか?」と聞いてみた。

奥さんが何か言いかけた時、遮るようにご主人が「人手が足りないからね〜アハハ」と言った。ちらっと奥さんの方を見たら、見たことのない複雑な表情をしていた。

人様の家庭のことだしなあと思いつつも、奥さんことちゃんと休ませてほしいし赤ちゃんも布団で寝かせた方がいいと思います……みたいなことを、ゴニョゴニョと言うだけ言ってから帰ってきた。

自分は独り身だけど、ツワリが辛いらしいこと、臨月お腹は重いらしいこと、産後すぐは動くべきでないらしいこと、生まれたて赤ん坊はあまり外に連れ出さない方が良いらしいことくらいは知っている。

奥さん妊娠している10ヶ月の間にアルバイトを探すとか、せめて祖父母のいない日くらいは休むとか、もっとやりようがあったんじゃないのかとか色々考えて、自分とは関係のないことなのにすごくイライラしてしまった。

これは自分の思い出話になるんだけど、新卒の頃にOJT担当してくれている女の先輩が急に休みがちになったことがある。

休みがちになった後そのまま休職してしまって、物覚えの悪い俺のせいでOJT担当としてメンタルやられたのかなと思って不安気持ちでいたら、2ヶ月くらい後にガリガリに痩せた姿で復職妊娠の報告をしてくれた。ツワリがひどくて休職したらしかった。

その時はおめでとうございますって言ったんだけど、どう見ても「おめでとう」という言葉に相応しくないくらいに先輩はやつれていて、テレビで見たことのある妊婦イメージ全然違ってすごく驚いたし、心配だった。

その日、仲の良い同期数人と昼飯を食べた時にその話をすると、同期の一人が「病気じゃないのに休職できるって妊婦ヤバいな。俺も妊娠したい」と笑ったので、人生で初めて大声で怒鳴ってそいつの胸倉を掴んでしまった。

今まで自分暴力行為などとは無縁の大人しい人生を送ってきていたので、その瞬間にとんでもないことをしてしまった!と思ってすぐに手を離して謝ったのだけど、その後は晴れて「キレると暴力を振るうヤバい奴」と認定され、距離を置かれるようになった。

でも、ガリガリに痩せた先輩の姿を見た後にそんなことを言われて、怒らない方が無理だったんだよなあと今になっても思う。

先輩はその後無事に赤ちゃんを産んで育休もそこそこに復帰して妊娠する前と変わらないくらいに働いているけど、産後すぐは体のあちこちが痛いし寝不足で疲れも取れないし凄く大変だったって言ってた。

妊娠出産個人差が大きいと聞くから一概には言えないとは思うけど、自分の身近には先輩みたいな人がいたから、妊婦産後すぐの人にはとびきり優しくすべきだと思うようになった。

から妊娠前と変わらない接し方をするご主人が奥さんを雑に扱っているように感じたし、何も言わずに働く奥さん自身もどうなんだよと思ったし、たとえ夫婦で納得して決めた働き方だったとしても赤ちゃんのことがあまりにも軽視されていると思って、そんな光景が見ていてきつかった。

自分はい常連客でただの部外者からこれ以上夫婦のことには口出しできないけど、あの状態奥さん赤ちゃんを見ながら何も思わずに飯は食えない。

苦しい気持ちになりたくないので、あの店にはもう行けない。悲しい。

2023-07-20

anond:20230719231011

やっぱね、ご飯が美味しいのは九州

北海道とかじゃない。

なんかね、脳に訴えてくるうまさがあるよね。ほんとに美味しい。

というわけで九州各地の美味しいものをあげてく。

ぜひ食べに行ってみてくれ。

福岡

言わずもがなもつ鍋うまい。田しゅうが個人的には好き。黒崎ホルモンセンターというところではモツを買えるんだが、うまいし鍋の素も売ってるから民泊に泊まったりすることで自作もつ鍋も出来るぞ。

魚。うまい門司港のほうの唐戸市場で食べるフグうまい関門海峡があるので関サバ関アジうまい

その他、いろいろうまい焼き鳥屋のひょご鳥がおすすめだ。

大分

大分に行ったならぜひ鳥刺しを食べてくれ。あそこの鳥は本当にうまい。まんとくっていう店がうますぎる。ただ鳥刺しが無いことがある。そんときはまんとくのアスパラガスバター炒め食べてくれ、うまいから

とり天もうまいぞ。だいたいどこのお店にもあるから頼んでみよう。

りゅうきゅうという魚料理もおいしい。料理というほど料理ではないが、刺身ゴマだれ醤油生姜その辺を混ぜたタレがかかってる。うまい

あと大分にはうみほたるっていう水族館と、その目の前にある高崎山の野生の猿が見どころ。

みほたる、地方のちんけな水族館と思ったら大間違い。あと10回は行きたい。

高崎山の猿、ほんとに野生の猿が手の届くところにワラワラいる。季節が良ければ生まれたての子猿も見れる。最近メス猿がボスになったらしく、とっても珍しいことなんだとか。

書き忘れてたが、亀正という別府にある回転寿司は有名で長蛇の列だが美味しい。関サバ関アジうまい。早めに整理券を取って、待ってる間に地獄めぐりをするとちょうどいいかも。

鉄輪の地獄蒸しもアトラクション感があっておすすめ

長崎

はとしがうますぎる。えび?魚?のすり身を揚げたやつ、とどのつまりフィレオフィッシュなんだが、なんでか知らんけどむっちゃうまい。

あとはちゃんぽん。実は私ちゃんぽんが嫌いなんですが長崎で食べた本物のちゃんぽんは美味しかった。

佐賀

よく分かんない。申し訳ない。

宮崎

よく分かんない。申し訳ない。牧場アイスが美味しかった思い出。

ちなみに宮崎大分では焼酎度数20度で売られていることが多い。九州全体で20度を見かけるかな。

これはこっちの人は水で割ったりしないでストレートで飲むことが多いから。

お酒に弱いなら九州で飲むのが意外と良いかも。

熊本

馬刺しにつきる。

あと食べ物じゃなくて申し訳ないんだけど、阿蘇にあるカドリードミニオンっていう触れ合い型動物園がほんとに良い。ヤギに触れるカピバラに触れる子グマを抱っこできる。行ってほしい。ちょっといかな。

鹿児島

焼酎がほんとにうまい

知ってたか

鹿児島(九州全体でそのケがあるけど)で焼酎飲み放題を頼むと、水のデキャンタと一升瓶の焼酎と氷とグラスが出てくる。

ひとり300〜500円。

鹿児島飛行機で行くと霧島市が1番近いんだが、霧島市にある大政って飲み屋がほんとにうまい

レバーが美味しかったし、焼酎飲み放題が300円だった。

ぜひ九州に行ってみてほしい。有名な観光地のある土地より、絶対満足度が高い。

2023-07-11

子犬赤ちゃんの組み合わせ動画

大量の生まれたて子犬たちとな、

そろそろつかまり立ちしそうな大量の赤ちゃんたちがな、

大の字に寝転んだワイに興味津々でむらがってくるんや。

あぁ^~癒されるでこんなん。

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