「現代文」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 現代文とは

2022-02-01

共テス追試を受けてきた

共通テストの追試を受けてきた。

まず驚いたのは会場に向かう途中にマスコミの方々がワサワサいたこと。イメージ撮り鉄みたいな感じ。めっっっちゃローアングルでバシャバシャ撮ってる人もいたし。

試験会場の門にたどり着くには目の前の信号を渡らなきゃいけないから、受験生はみんな立ち止まる。その隙に、手当たり次第に話しかけてくるってわけ。

私も某テレビ局の女の人に話しかけられた。

内容は、「追試験受けるんですか?」「なんで受けるんですか?」「質問が2.3個あるのでこたえてもらえませんか?」って感じ。

一番最初試験科目は知識系だし、立ち止まる間で少しでも整理したかったし、話しかけられると余計にドキドキしちゃうし、テスト中に思い出して「悪いことしたかな…」とか「断る言い方は失礼じゃなかったかな…」とか考えちゃうから正直迷惑だったわ。女の人はかわいかった。2日目は誰もいなかった。

話題になった数1A、本試を家で解いたら50点台だったんだけど、追試の1Aは19点だった悲劇、、………総合点も今年の本試より100点以上下がったわ……悔しい。なのにみんな全然話題にしなくて追試の立場の低さに泣く。母数は正義だわ。

かに本試は家で落ち着いて解いた影響もあるかもしれんけど、やっぱり追試験の方が難しいって本当だったんだなって身に染みた。

あっでも科目ごとに難易度バラツキがあったな。歴史系と理科基礎だけは本試験よりも簡単だった気がする。

国語現代文も、文章は難しかったけど問題簡単だった!満点だった!ほめて!すごいだろ!(自慢したいだけ)

でもまぁ私が得た教訓は、本試験を受けろってことですね😭

2022-01-26

「つぎ現代文よろしく」に「どう使うのか」と尋ねたら、連絡途絶える…共通テスト流出

組織化してるんだろうな

統計不正するような奴が日本エリートの全員だからセンター試験不正まみれなんだろ

2022-01-13

センター試験過去問国語現代文90点は安定して取れるの、自分でもよくわかんない 一切勉強した事ないし、勉強しろって言われてもどう勉強すれば……ってなる……。漢字とかは昔めちゃくちゃ勉強たからあれだけど。

2022-01-10

Good Bye My Teens

西武新宿のこの場所にくるのは、随分懐かしいねアキちゃんは元気かな?



−懐かしいね。どうだろう。器用だからね。きっとうまくやっているんじゃないかな。

コーヒーなんて美味しくもなかったけど、一番安いからといって我慢して飲んでいるうちに、すっかり中毒だよ。


大学受験の時、独学で浪人をした。よく勉強をしに来たね。19時半に仕事が終わって、1時間かけて新宿まで戻ってくる。電車の中で問題を解いて、閉店23時までの2時間半を、答え合わせと復習の時間に充てる。古文が壊滅的だった。現代文ばかりに費やしたツケがきたね。偏差値はガクッと追い抜かれて、焦ってた。

平塚ではちゃんぽんを奢ってもらったね。当時、19歳なのに26歳だと思われてさ。相当くたびれた浪人生活だったんだろうね。応援してくれた。

仕事の先輩に山崎さんがいたね。当時はクソ舐め腐ったことを言ってしまったけど、すごく救われた。生き方を教えてもらったようなもんだ。本人は全く自覚がないだろうけど。山崎さんにも、奢ってもらった。お酒を飲んだ。

初めて飲んだお酒地元の集まりで行ったはなのまいで、いちばんいたことがあるからっていって、カシスオレンジを頼んだ。ビール全然飲めなかった。年確はなかったから、なんとか入れたんだっけ。

今では家にラフロイグボウモアが常備されているし、魔王水割りで飲んでいる。勇者よりも魔王が好きだからね。バーにいけば、ギムレットを飲む。マティーニもだっけ?マティーニ店員さんによって味が違うんだ。微妙にね。僕は辛いのよりも甘めのほうが好きだね。ギムレットを飲むようになったのは、小説の影響なんだっけ?




2年もかかった。今日のこの日は大雪だった。東京でも類を見ないほどの大雪で、2~3回しかいたことのない革靴はすぐにぐちょぐちょになった。コートを持っていなかったから、ジャケットだけで、寒かった。高校卒業式東日本大震災で中止になった。僕たちはそういう代だった。としまえんは閉店したよ。この戦争の影響でね。もちろん、ずっと前から言われていたことだったけど。とにかく大変だった。社会はとてもつめたくて、残酷で、どうしてこんな思いをしなきゃいけないんだろう、って思ってた。それでも希望だけは忘れまいって、すごく大変だったけど、なんとか切り抜けることができたんじゃないかと思う。どうだろう?



−どうだろうね、結果なんて誰にもわからないというか。どの地点の結果を見るかによるしね。



今でも夢に見るよ。もう一回やり直す夢を。なんでそんな夢を見るのかわからないんだけど。多分、まだ終わってないんだと思う。



−なにが?



なんだろう、抗いが?

うん、きっとそれだと思う。自分が何と戦っているのかについて、戦っている本人がいまいちよくわかっていないっつーことはあるあるなんだ。昨日の晩御飯に何を食べたかからなくなるくらいにはね。


同様に、自分が今までどうやって生きてきて、結果としてどうなって、今どうしているから、これからどうなるだろうかなんて、誰もよくわからないはずなんだ。

自分だって、まったく見当もつかなかった。そうでしょ?



−うん。



思うに、遠回りをしちゃったんだと思うんだよ。だけど、自分しか通れない道だったっぽくて。



−どんな道のりだったの?



話すとだいぶ長くなる。結論から言えば、仕方なかったんだ。



−仕方なかった。





そう、仕方なかった。

仕方なかった。




ただ、そう悲観的に捉えていたわけじゃないんだ。なんつうんだろう、ほかに方法がないかをずっと探していたんだ。普通そんなことしようとは思わないじゃん?でもさ、僕はずっと不思議だったんだよ。どうしてそんなに平気な顔をしていられるんだろう?って。自分がまだクソガキのままで、自分が考えなくていいようなことを、もしかたらみんなは一度は考えたことがあったり、自分なりに答えを出していたり、なにかしら割りきったりしているんじゃないかって。




−言っていることはすごくわかるよ。




そうだよね。だから時間がかかった。簡単に言えばね。答えがでたわけじゃないんだ。いや、答えなんて最初からないんだと思う。答えがあるように感じてしまうのは、僕のよくないところなんだろうね。おかげで、前に進めるようになったんだ。




−それで、なにか教訓のようなものがあるとしたら、それはなんなの?




どうだろうね、あるのかないのか。たくさんありすぎて話しきれないかもしれないし、もしかしたらなんの一つもアテになることがないのかもしれない。

一つ言えることがあるとしたら、僕は僕の幸せのために生きているということだけかもしれないな。



−本当に?





多分ね。もし僕がそんなことを言い出したらびっくりするかもしれないけど、きっとそういうことなんだと思う。自分幸せのために生きている。そのことをずっと忘れていた。そういうことだと思う。





−それじゃあ、あんまりじゃないか





から時間がかかったんだよ。自分だって、何を言っているのかよくわからないけど、そうとしか説明がつかないんだ。それに、もしそこにこだわってしまったら、うまくいくものもうまくいかなくなるかもしれない。こういうのにはきっと順番があるんだよ。






−そのことはどうでもいいって決めてたはずじゃん。






そう。そうだったはずなんだよ。でももし、自分が一番にこないといけないシチュエーションが仮にあるとしたら。それを10年も前から想像がついたと思う?想像がつかなかった。その手の生き方存在していることに。自分はあまり無知無能で、世の中のコトワリに無頓着なまま、漫然と構造的な理不尽に対して敵意を向けたまま、ぼんやり暮らしていたんだよ。



−最悪だよ。そんなことが聞きたかったわけじゃない。



そう言うと思ったか時間をとったんだ。僕はバカ無知で、その割に調子に乗っていて、社会っていうのは自分を中心に回っていないと気が済まないとでも思っていたんだ。そうじゃないことを知ることがあまりに遅すぎると、なんにものこらない。

人に迷惑をかけるだけだよ。





・・・



でも、僕はどうして社会がこうなっているのか、知りたかったんだ。どうしても。

綺麗事を言いたいわけでも、なんでもない。根本的に僕は、自分幸せのために生きている。その結果として誰かを不幸にしているわけではないんだ。それから自分のために生きたからといって、誰かに不幸だと言われる筋合いもないんだ。


もう29になる。10年だよ。一瞬だったように思う。大学卒業して5年だ。10年もあれば、それなりのことを考えられるようになる。社会がこれからどうなっていくのか。自分人生がこれからどうなっていくのか。周囲の友人関係がどのように変わっていくのか。ライフスタイルがどのように変わっていくのか。その見通しを結実させるためにやらなくてはならないことをこなしていくこととか、その繰り返しから逃れられないこととか。その分、なんか大事ものを失っているんじゃないかって思うこともあった。どんどん汚れていってしまうんじゃないかと思うこともあった。そうやって僕が嫌っているような人間と同じような運命を辿ってしまうくらいだったら、いっそ全てを投げ出してやりたいとも思った。

でもね、違ったんだよ。僕が嫌っていた人たちは確かに悪魔のように見えたかもしれない。わかったんだ。まあ、本当のところはよくわからないけどね。本心ではもしかすると、人の心が本当にないのかもしれない。あるいは、失くしてしまって気付いてないのかもしれない。でもそれは必要だった。必要だったから、その現象は起きたんだ。

必要じゃないことは起こらない。






僕はその必要意味を探っていったんだ。




あとね、自分なりに折り合いをつけたんだよ。自分存在に折り合いをつけるのは大変だったし、自分存在一般化して語ることは間違っていると認められなかったんだ。

でも、多分もう大丈夫。また何回かやらかすとは思うけど、気をつけていこうと思う。





−さっきから何を言ってるのか全然からないよ。



そうだよね。でもそれでいい。それでいいんだよ。わかっても、わからなくてもいい。そういうものなんだよ。




そうだね、たしかに僕は、僕がなにかしらのロールモデルになればいいと思っていた。でも、それは必要ないってことに気づいたんだ。なんせ世界もっとえげつないスピードで進んでいるからね。僕が誰かのロールモデルになる必要はないし、将来の僕のような存在は、きっと僕のような存在を見たからといって、どうにかなるわけじゃない。そうじゃなくて、きっと僕のような存在は、僕と同じように、誰に言われるまでもなく、このどデカくてうすら寒い国境を越えてくるんだよ。






そうして気づくんだ。そうか、そういうことだったのかって。

かに言われて「はあ、そうだったんですか」と納得するような類のものじゃないんだ。こればっかりは、自分で越えるしかないんだ。


今のこの世界必要に応じてしっかり動いているよ。そのことはよく覚えておくといい。必要に応じて変わっていく環境に、どう適応していくか。その程度のことしか僕にはできないよ。






−これからどうするつもりなの?



からないよ。だけど、今のキミのようにまたわけのわからないことを言われることになるんだ。きっとね。僕は何か物事理解するのに、人よりも時間がかかってしまタイプから、そのときになってみないとわからない。





決断には時間がかかるもんなんだ。そしてそれには時間をかけていい。

さて、そろそろいくよ。




−どこにいくの?




からない。もしかしたら、羊をめぐる冒険をするのかもしれない。けど安心してほしい。キミはこれから降り起こる数々のことに傷ついたり、ひどく落ち込んだり、人間不審になることもあると思う。そしてその傷を癒すのに途方もない時間がかかるかもしれない。もしかしたら、どうしようもなくなるかもしれない。離婚するとわかっていて結婚するようなもんさ。でもそれは僕が選んだことなんだ。キミを失望させることにはならないよ。




から泣かなくていい。

仕方ないさ。必要だったんだから

2021-12-22

anond:20211221175832

そもそもテレビお笑いする必要ある?

これは典型的マニア(オタク)特有の考え方だなという感じ。

エンタメ芸能で本当に好きな人だけ見れる場でやる、一切表に出ない、をやってしまうと2つの問題が発生する。

1. 市場として先細る

好きな奴だけしか残らないということは、新しいお客さんの流入既存客のコミュ力に大きく依存する形になる。

いわゆる口コミとか布教ってやつだけど、それがマスコミや大規模なPRに勝る流入をたたき出すことはほとんどない(ブームの起爆する起点にはなるけども)。

ということは演者に落ちる金がどんどん無くなっていくので必然的自由度が無くなる。

もっとも、1人あたりの客の支払う金額が多くなっていけばこの問題は辛うじて回避できるが、

結局新規客が入らないなら既存客の死とともにジャンル死ぬ

2. 表現が先鋭化しすぎる

表現者も所詮売り手に過ぎないので客の反応は常に気にする。客を気にせず独自路線を突っ走れる人間なんてほんのわずかだ。

すると今居る客に最適化した形にどんどん表現を変えていく。楽屋オチだったり身内ネタだったり過激すぎるネタだったりそれは様々。

最適化しすぎると今居る客以外、まったく訳の分からず楽しくもないものがひたすら生産され続ける。

すなわち新規客が入らなくなるので既存客の死とともにジャンル死ぬ

このあたりの問題に既にぶち当たってるのが伝統芸能方面で、

解説を流してくれるガイダンス装置を貸し出したり、ボカロアニメなどの現代文化を取り入れた新作を作ってみた試行錯誤して

何とか新しい客を呼び込もうとしている。

まあ、偉い評論家先生や既に形成された信者のようなファンが気に入る難解な表現けが流通する

狭い芸術系方面のようにしたいのであれば専用チャンネルに引っ込めてもいいかもね

2021-11-05

うろおぼえ捜索法 虎の巻

うろおぼえを捜索する手法のようなもの備忘録的に投げておこうと思う。

予め言っておくが、専門的知識もなく文章能力もないので、読み難さは勘弁して頂きたい。


また、私は特に何の能力も持ってないので専門人には劣る。な~んも分からん

それでも良いよ!という、仏の手の平よりも広い心を持った方のみ読んで下さい。

基本的にうろおぼえのものは、印象に残っているものなので、

必然的自分以外の人も探していたり、Twitterで呟いていたりする。

...つまり集合知に頼った方が早い。

かに聞くのが早いのだが場所と人に因るので、自ら検索を行う方法を記しておく。


うろおぼえ捜索は、情報強度(勝手にこう呼んでいる)が高い部分を抽出し、検索にかけるのが早い。

基本的使用するのは、


  1. Google検索
  2. Google画像検索
  3. Twitter


の3つ。3つ目はTwitter上の作品及び、対象作品感想を呟いている人を探すために使う。

読まなくてもいい補足事項 : anond:20211105041538

とりあえず、実例を見てもらえれば分かるでしょう。

早速本編スタート

はてな匿名ダイアリーリンク制限上、いくつかのリンクは省略させて頂きます


その1

昔、模試現代文で読んだ小説を探しています

・お母さんを亡くした幼い女の子主人公

お地蔵さんがたくさんある場所(恐らく愛宕念仏寺)に行き、お母さんそっくりお地蔵さんを見つける

・「お母さんはここにいたんだ」的なことを考え、少し元気になる

こんな話だったと思います

2016年2017年(多分2017年)の模試で、進研模試河合模試だったと思われます

模試問題結構ネットで聞かれるうろおぼえ中のうろおぼえ。

「ザ・うろおぼえ」と言っても過言ではない...と勝手に思っている。

それこそYahoo知恵袋に似たうろおぼえが挙がっている、と思う。


模試 地蔵 小説 でGoogle検索

前述のとおりYahoo知恵袋がヒット。ほぼ同じ内容のうろおぼえに対しての回答を発見


重松 清 - また次の春へ収録

五百羅漢


その2

漫画で、不老不死になる治療?受けた男が宇宙へ行くが探索の際に事故で切り離されてしま

取り残されて宇宙空間を漂っていて通りがかった宇宙船に助けを求めようとするけれども

死体勘違いされて宇宙ごみと一緒に永遠に漂うと言う内容です。

最後死にたいという一言宇宙空間に残された男のコマで終わっていました。


多分14、5年前にダイソー販売されていたコミックシリーズ立ち読みをした気がするのですが

タイトル等の情報あれば...

まずダイソー マンガ検索ダイソーコミックの一覧Wikipediaページがヒット。

立ち読みで読んだという内容だけど、話が完結しているのでオムニバスかな?

30冊程度なので、一応全作品Google検索にかけてあらすじに目を通す。


オムニバス怪奇ホラー系を取り扱った作品を2本に絞る。

「まちこの千夜一夜」「惨劇館」

コレで聞いてみたら、「まちこの千夜一夜」2巻だったとのこと。


母数が少ない時は全部に目を通した方が逆に早かったりする。


その3

3年ほど前に見たTwitterでの動画を探しています

小石や砂利が川のように地面を流れている動画で、ツリーにその現象解説が行われていたような気がします。

小石 min_retweets:30 現象 でTwiter検索し、ヒット。

ここのmin_retweets:とはTwitter検索オプション。最小RT数が30以上のもの対象にできる。


なぜ30を基準に設けたかというと、自然現象bot的な存在Twitterにあったとして、

最悪小バズりしていてRT分散する、という状況にも対応できるように少なめに設定した。

他のTwitter検索の際にもほど良く探しやすいので、以後30RTボーダーにしている。

解説系のマンガを探すときは少し多めの想定で100RT...など判断各自で。


その4

この動画の「おかしい気がする」の部分の曲名を教えてください。

34秒からのものです

https://twitter.com/fuckdesune/status/1226707778175029248

ツイートのリプ欄を確認。該当曲はナシ。引用RT確認するもなし。

おかしい気がする 歌詞 でGoogle検索もヒットせず。


これは集合知(他のみんな)に任せるか...?と思いつつもう一度。

"おかしい気がする" 歌詞 で再検索、ヒット!

社交 - KOHH

https://youtu.be/uheHldt1fts


全一検索になるので、前者より精度が上がりヒットした。


その5

ドラマ映画です

盗賊になる練習で、目隠しして地図に1本線引いて、

その線を障害物超えながら進め!っていう特訓やってたの何かわかる方います

確か線上に東京タワーがあってうぉ…ってなってました

10年近く前の気がしま

今回は印象的なシーンなのでTwitter使用

盗賊 地図 映画 ヒットせず。

映画盗賊使用される例はあまりないので、怪盗?忍者?なんにせよ検索がブレそう。うーん...

東京タワー 地図 線ヒットせず。創作なんちゃって陰謀論ばかり。

地図 線 障害物 でTwitter検索

K-20というタイトルを呟いている方がいたのでタイトル検索。ヒット!


K-20 怪人二十面相・伝

https://eiga.com/movie/53311/


その6

マダミスがどんなゲームかすごく分かりやす

体験レポの漫画? があったと思うんですけど、なんだっけ……

Twitter上での解説マンガと推測。

マーダーミスリー min_retweets:100 でTwitter検索

RT数の多いレポマンガツイートを共有。的中。


その7

昔(と言っても3年も経ってないと思いますが)見たドラマを探しています


特番連続ドラマではなかった

・一瞬しか見てないので内容や結末は分からない

警察ドラマ主人公の妻が弁護士だった気がする

主人公の部下らしい人が「尊敬する日本人宮崎駿宮本茂です」と言った後に、

具体的な例を上げろと問われた後に結構コアな回答をしてたのを覚えています

最後の一文のパワーがすごい。

このドラマテレビで流れたら確実にTwitterで共有されるな...と思ったので、

宮崎駿 宮本茂 でTwitter検索

画像ハッシュタグ付きのツイートがヒット。タイトルが判明。


ドラマSP スイッチ

https://www.telasa.jp/videos/164757?related=episodes


その8

ガラケースライド式、クルクル回る所があるタイプ)のゲームを探しています

パンダ釣りをする

・着せ替え的なものパンダの色が変えられる(緑とかピンク

・目つき悪め

思い当たる方いらっしゃったら…

これは確実な特定のためにワンクッションおいた。

ガラケー 回転で検索。回転するタイプ携帯FOMAが多いとの情報を入手。

FOMA パンダ ゲーム でGoogle検索、ヒット。


珍さんの釣り物語


PART2に続く。

PART2 : anond:20211106011219

PART3 : anond:20211108012801

補足 : anond:20211105041538

2021-11-04

anond:20211103200209

書かれていないようで書かれている、一番すれ違いやすり替えが起きる視点という部分。

誰がどの立場から誰に向かって書いているか

古文だとがっつり教えるんだけど現代文だと感覚的になってることが多い。

anond:20211104123359

昔は「国語勉強する」という意味がわからなかった

古文勉強しないと取れなかったけど現代文は読めばわかるだろう、と

単純に読書してないんだろうな

anond:20211103201441

国語の授業はまず行間読むなって言われるぞ。

書いてあることと思ったことをごちゃ混ぜにしないように、というのは高校現代文あたりから教わるんじゃないかな。

引っかけ問題に惑わされず大学入試問題を解くテクニックとして必要だし、また入学した後は論文をそのように読むのが当然とされる。

それより前の段階では、何かを読みこんで思ったことを感想や大意としてアウトプットできれば良しとされることも多いので、意識せず過ごしてしまう人も多いんだと思う。

2021-11-03

anond:20211103200209

これは本当に思う

「書いてないことを勝手に読み取らない能力」って現代文試験とかで無理矢理意識しないと養われないんだよな

直接討論してるなら本人から反論されるけど、

から読んでて勝手脳内で間違った補完をしてても誰も指摘してくれない

しかもそれ自体は称賛されるわけでもない地味なスキルからわざわざ大人になってから鍛えようとすることもない

結果として妄想相手レッテル貼りして勝利宣言する無敵論者が生まれ

2021-10-24

anond:20211024155541

添削してみた

女性給料が低い理由

男性ほど高い収入を得たいと思わず結婚してバイトなどで生きたいと思う人が多いかである

そんな状況で、男女平等というのはむずかしい。

男女平等を実現しようと思ったら、女性意識を変えなければならない。

また、女性と同じようなバランスで生きられるような、男性の働き方への改革必要である

現代文大学受験とかこんなかんじだったなあ

2021-10-19

anond:20211018083311

現代文は文中に必ず答えがあるけど社会でのコミュニケーションって文中にはない答えを想像力で補う形がほとんどだから当たり前では

元増田に欠落してるのは国語力じゃなくて想像力

2021-10-18

anond:20211018083311

プロトコル問題だな

現代文が得意な人間現代文が得意同士のプロトコルなら口語文もそういうプロトコル情報が交換されるのでできる

だが一方が現代文が苦手なやつ(こないだの「Bの次に背が高いのは誰」ツイートでDと答えちゃうようなやつ)だと一気にプロトコルが崩れる

anond:20211018083311

受験国語現代文日本語で書かれてる内容を読むだけ、出題者が考えるであろう回答(これまた一般的な内容)を推測するくらいで頭使うこともなかった。読書が好き、国語で点数とれる、国語が好きと勘違いして教員免許(小~高)とったけど、義務教育で習った国語子どもに興味がもてない、おなじ教材の繰り返しは無理、で教員にはならなかった。偏差値が高いといっても受験テクニックの話ではないかなと。社会に出てから日本語能力については業種によって違うだろうし、口頭指示というのも意外とむずかしいものだと思いますよ。リーダー論とかコミュニケーションとか自己啓発本があれだけあるご時世ですから

anond:20211018083311

マジレスすると、

レポートを書く、小説を書く、現代文問題を解く

論理的に筋の通った文章を書く。理路整然とした文章から重要な個所を抜き出す。

苦手・嫌い→口頭で言われたことを理解する、パワポメモにまとめる、発表する

上司のよく分からん曖昧な支持を自分なりに解釈してまとめる。相手にやってほしい事を分かりやすく伝える。

ということなので、前者が得意だからと言って後者も得意とは限らない。

現代文の出来と国語力は関係ないのか

小さい頃から現代文がとにかく得意だった。

偏差値は中受から大受まで平均して70を超えていたし、

成績優秀者冊子に名前が載ったことも何度もある。

どんなジャンル文章が来てもテストはほぼノー勉無双していた。そこに書いてあることを読み取るだけなのに、周りがなぜできないのかがまるでわからなかった。

大学時代も、レポートが得意だったので一週間で10本はざらに書いていたし、国語教員免許も取った。そしてプライベートではとあるネットサイト小説を書いていてそこそこのお気に入りをいただいたり、ランキングに乗ったりと創作を楽しんでいた。

だが、社会に出て3年、一般企業に勤めることになった私は社会で求められる国語力がまるでないと悟った。

とにかく口頭で言われたことに対する理解力がない。

理解するまで人の倍は時間がかかる。そのうえ人から言われたことを整理してまとめる力もないので常にノートはぐちゃぐちゃしている。

さらに、何か話そうとすると言葉が出てこないので大変に語彙のない人間だと思われている。

まとめると、

得意・好き→レポートを書く、小説を書く、現代文問題を解く

苦手・嫌い→口頭で言われたことを理解する、パワポメモにまとめる、発表する

これはいったいどういうことなんだろうな。

2021-10-09

耳になにか入れたくなった

といっても音楽は嫌いなので高校現代文講義無線イヤホンながら見てる

2021-10-07

読解力がないのは国語増田の方だと思うよ

これだが、何度も国語力でブクマカ揶揄するエントリ書いてる国語増田だろうが、この件では元増田の方が頭が悪い。これは国語問題じゃない。

 

麻生太郎の何倍も頭が悪いはてな民

https://anond.hatelabo.jp/20211006074457

 

この反応見て「また引っかかってる、頂きだ」と思ったのだろうが、そもそも麻生がやってる事って一般的国家政治家記者質疑応答じゃない。

映画の真似なんだよ。

「菅は顔が悪くて人気が無い。俺達喧嘩上等のワルだからな(ニヤリ)」っていうのをやってる。

かに論われてるブクマカ文章最後まで読んで(ニヤリ)の辺りで意味が転換されているのを読み取れていない。

だがそれより重要なのは高校以上の国語小説読解問題みたいな文章新聞に載っているという事だ。

それはつまり、なんで麻生氏が新聞記者の前でクライム映画ピカレスクロマンの真似をしてそれが新聞掲載されているかって事だ。

早稲田一文の文章みたいなのが新聞に載っててブクマカが読み取れてない!」で喜んでいたらそこで読解終了なんだよ。

 

新聞記事というのは「見出し-結論-本文-結論」と書かなければならない文章の筆頭だ。会社でこの記事フォーマット報告書を書いたらどうなるか考えてみたらいい。そこにはそもそも映画の真似をして良いという合意すらない。

一方、ルポルタージュなどはこの記事のような釣りタイトル→後半で意味の転換が許される。これは最初から腰を据えて読む長文だからだ。

だがこのような短文記事ではそんな余地があるはずがない。見出し結論を要約する惹句である必要がある。

 

なぜ麻生氏が映画等の真似をして答え、コメント最後意味が転換されるという構造のままに記事にされるかというと、そこに記者政治家合意があるからだ。

もっとはっきり言えば政治部記者連中と政治家癒着だ。

これが海外メディアであれば、「クライム映画のノリで最後台詞意味が転換されるよ」「麻生氏はマフィアのような服を好む人物だよ」という文脈記事を書いてくれただろうか?そのまま「顔が悪いと言った」でお仕舞だ。

紙幅があれば説明を付けるだろうが、それは「麻生氏はワルぶる事を好むナルシストとして有名だ」「日本には記者クラブ制度があり政治家顔馴染み記者ツーカーぬるま湯風土にいる」「日本政治部記者映画のワルのようなコメントをするとその舞台装置のままに記事を書いてくれる」というものになるだろう。

 

からあの記事を読んで得る情報というのは、「麻生氏は年の割には洒落た事が出来る」という事のほかに癒着舞台装置作ってそれを公器に載せてやがる」「朝日政治部バカ」というものだ。それがメディアリテラシーだ。

だが元増田早稲田一文現代文問題構造を見つけて喜んでしまっているのでそこで情報処理が遮断されているのだ。馬鹿である

 

日本移民社会に舵を切ったので、日本語の機智を持たない話者というものを考えていかねばならない。出版産業新聞というのは国民意識国民国家という想像の共同体の基盤である

リンガフランカとしての日本語」というのを意識していかないと永住権を持つ人間でも「ガイジン」のままなのだ

それなのに政治記事でこんな内輪ネタやっててどうすんだってことだ。結論要旨-本文-結論の順で書けよ。とんねるず業界ネタが今の若者に受けてるかとか類推しろよってことだ。

 

からこの記事はある問題意識惹起させる。それは「麻生朝日新聞政治部冷や水ぶっかけろ」だ。

上演されるべきでない場面で上演された舞台に疑問を抱かないでどうする。

サンデルトロッコ問題への回答で「そんな問題を提起する者を殺す」というソリューションがあっただろう。それでいいんだ。

それなのに早稲田一文入試問題構造を見つけてそこに固執してしまマウントを取ったつもりで情報処理停止してしま元増田愚鈍の極みである

 

2021-09-27

anond:20210927135724

現代文教師団鬼六の話してたら周りから現代文教師とタメをはるレベル読書経験がある」っていう認識されて自分で言うのもなんだけど尊敬されてたよ。

AV女優知識同級生たちの中知識豊富なやつ沢山いたか知識をひけらかしても差別化出来なかったと思う。とマジレス

偏差値40の高校で学年順位真ん中ぐらいだったんだけど

趣味読書サン・テグジュペリとかヘッセとかヘミングウェイ読んでたか現代文教師が授業で喋る小ネタ拾えて周りから「めちゃくちゃ頭が良い奴」だと思われてた

なお、俺自身の頭が悪すぎてコミュニケーションが苦手だったか休み時間本読んでただけで、実際のところ趣味読書と言いつつ家帰ったら蒼井そらとか麻美ゆまとか浜崎なおでシコってばっかだったし、執筆趣味文書くどころかマスしかかいてなかった。今は三十路フリーター

読書(それも何故か小説しか読まない)してるだけで頭いい認定される学生時代の風潮ってあれなんなんだろうな。JK物で抜いてからふと思った。

2021-09-22

予診票の「医師の診察・説明を受け…」は悪文

コロナワクチン予診票はみんな目を通したと思う。

署名欄を思い出してほしい。奇妙な項目があったはずだ。

twitter 界隈がざわついている。ボクが危惧していた通りに、予診票のこの部分がトラブルを招いているようだ。

新型コロナワクチン希望

医師の診察・説明を受け、接種の効果副反応について理解した上で、接種を希望しますか?

☑︎接種を希望します □接種を希望しません


——みなさん、この文章、何を言ってるのかわかりますか?

ボクはセンター試験現代文を八割正答した国語マスターですが、ぜんぜん解りませんでした。

以前、匿名ダイアリーでこの事について不満を述べたところ、ただちに三人から返信があり、少なくとも二人がボクと同じように読んでいた。

「接種はモチロンしたいが、まだ、かかりつけ医とかの診察や説明は受けてないぞ??🤔」

個人的ニュースサイトとかを調べてワクチンのことは理解したつもりではあるけど、医師の診察や説明は受けてない。コロナワクチン接種は予めかかりつけ医の診断を想定しているのだろうか。〇〇した上で△△しますか? って質問は、そもそも前提の〇〇をしてないときは No になるはず。

ボクは仕事柄、契約署名するときは極めて慎重に日本語を精査するので、ここの引っ掛かりは看過できなかった。調べるとこの文言は旧来のワクチン接種で伝統的に使われてきたもの踏襲したようだ。しか最近まで、同じように悩んでる人は twitter にもチラホラとしかいなかった。匿名ダイアリーコメントには「お役所仕事なんだからスルーしろよ」みたいな意見が投げつけられた。

ひょっとしてみんな、アプリとか Web サービス利用規約とかスクロールしてまったく読まず脳死で「はい」を押しちゃうタイプ人間なのか?

危険な習慣だよ。それでトラブルになっても何も文句は言えないぜ。


…ボクは接種前日、頭を抱えて悩んでいた。ネットをさまようのをやめて、予診票の細部に救いを求めていると幸いにも真に正しい理解にたどり着いた。

問題署名欄、実は直ぐその上にこんな項目があった。

医師記入欄

以上の問診及び診察の結果、今日の接種は(□可能・□見合わせる)

本人に対して、接種の効果副反応及び予防接種健康被害救済制度について、説明した。


患者が書く項目ではないので、多くの人はスルーしたと思う。

でも続けて並んだ二つの項目でまったく同じ言い方をしているところを見ると、両者が示す意味は同じと見るのが良さそうだ。つまり、「医師の診察・説明を受け」の医師現場スタッフ、だったのだ。だから問題文章が言いたいことは…

あなた現場スタッフから診断や説明があった場合、それを受けたいですか? 理解したいですか? そしてその上で接種を受けたいですか?

… ということだ。この署名欄は「患者希望」を聞く項目だ。患者希望しようとしまいと、現場スタッフから説明はなされないかもしれない。聞いても理解できないかもしれない。接種は中止される場合もある。希望あくま希望であって、お互いに何も約束は締結されていない(希望していないときに接種したら流石に問題になるだろうが…)。

読まなくてもいい場所を読まなければ理解できない文章は、悪文でしょう。

この文章を悪文たらしめている理由はいくつかあると思う。

…した、が出てきたらその用法の多くは過去形だ。問題文章では未来完了形として使われている。

執筆担当者はおそらく、文章を短くすることを狙って「説明を受ける・理解する・接種される」のみっつを並列に並べて「希望する」で受けたんだと思う。しかし回答が「接種を希望しますか」になっているせいで、それだけが独立して読めてしまい、ほとんどの読者は想定通りに受けとっていないだろう。

未来完了形として素直に読むと、まるで、理解約束させられているように見える。

一般に、理解に努めることは誰にでもできるが、最終的に理解できるかは運次第で、約束できるようなものではない。でも署名書かなきゃワクチン受けられないし… ため息をついて思考停止して署名するに至る。

署名といったら大抵は 契約 か、署名活動 だ。

予診票の当該項目は性質上、後で文句を言わせないように念を押すための契約に見えてしまう。実際には真の意図アンケート調査と見るのが正しいだろう。

しかアンケート自筆サインを求める必要があるのか? 紛らわしいように思う。

ネット卑怯詭弁家がよく使う手法だ。

後段にイエスと答えると、前提まで飲んだことにされるやつ。

学力に差がある国民の広くに行き渡る公的文書で、このような曖昧質問をすべきではない。

anond:20210922000102

未成年みえ女子キャラクターモデルに乳揺れを含んでいるんだから

未成年身体性的対象物として描写し強調していると言えるんじゃないの?

から議論は何も最初からズレていない

しろそれになんの根拠があって犯罪につながるといっているのか?の方が議論を誤魔化している

なぜなら未成年身体性的対象物として描いたものだとしたらそれは問題であるという世間的な合意があるので

から乳揺れは性的かどうか?で揉めてる方が建設的な議論といえる

現代文がまともにできなかった人しかいない

萌え議論をしているうちはいいが政治人権平等に関わる議論に参加して欲しくない

2021-09-06

原始人がネックレスをつけた理由 パート6

収集品の属性

人類は小規模で、ほぼ自給自足し、互いに敵対する部族進化してきたので、好意の追跡の必要性を減らし、これまで検討してきた他の人類の富の移転制度可能にするために、収集品を使用することは、人類の種の期間のほとんどにおいて、物々交換の規模の問題よりもはるか重要であった。実際、収集品は互恵利他主義の仕組みを根本的に改善し、他の種にはない方法人間が協力することを可能にした。他の種では、記憶信頼性が低いために互恵利他主義は大きく制限されている。他の種には、大きな脳を持ち、自分で家を建て、道具を作って使うものもいる。しかし、互恵利他主義の仕組みをこれほどまでに改善した種は他にない。その証拠に、この新しい開発は紀元前4万年には成熟していた。

メンガーはこの最初貨幣を「中間商品」と呼び、本稿では収集品と呼んでいる。刃物のように他の用途にも使える道具は、収集品としても使える。しかし、富の移転を伴う制度価値を持つようになると、収集品はその収集性のためだけに製造されるようになる。その性質とは何か。ある商品価値ある収集品として選ばれるためには、収集品としての価値が低い製品比較して、少なくとも次のような望ましい性質を持っていなければならない:

1. 偶発的な損失や盗難からより安全であること。歴史ほとんどの場合、これは持ち運びが可能で隠しやすいことを意味していた。

2. 価値を偽造することが難しい。これらの重要な部分は、以下に説明する理由から、偽造できないほど高価であり、それゆえに価値があると考えられる製品である

3. この価値は、単純な観察や測定によって、より正確に近似していた。これらの観測は、より信頼性の高い完全性を持ちながら、より低コストであっただろう。

世界中人間は、これらの特性をよりよく満たすアイテムを集めたいという強い動機を持っている。この動機の中には、おそらく遺伝的に進化した本能が含まれている。このような物は、(特に優れた明確かつ近接した理由ではなく)集めることを純粋に楽しむために集められ、そのような楽しみは人類文化においてほぼ普遍的である。直近の動機の1つは装飾であるアリゾナ大学考古学であるメアリー・C・スタイナー博士によると、"装飾は現代人の採集者の間では普遍的ものである "という。進化心理学者にとって、このように、自然淘汰という観点からの最終的な説明はつくが、快楽以外の近親的な根拠がない行動は、遺伝的に進化した快楽が行動の動機になっているという有力な候補になる。例えば、このエッセイの推論が正しければ、希少品や美術品、特に宝石を集めるという人間本能がそうである

(2)については、もう少し説明必要であるコストが高いという理由商品生産することは、一見すると非常に無駄なことのように思える。しかし、永遠にコストのかからない商品は、有益な富の移転可能にすることで、繰り返し価値を高めていく。取引可能になったり、コストが低くなったりするたびに、コストはより多く回収される。最初は全くの無駄であったコストは、多くの取引償却されていく。貴金属貨幣価値は、この原理に基づいている。また、収集品は、希少性が高いほど、また、その希少性が偽造できないほど、価値が高くなる。また、芸術品のように、証明可能技術独自人間労働力製品に加えられている場合にも適用される。

我々は、この3つの要素を兼ね備えた製品発見したり、作ったりしたことはない。アート収集品(この言葉現代文化で使われている意味ではなく、この論文で使われている技術的な意味で)は、(2)を最適化するが、(1)や(3)は最適化しない。一般的ビーズは(1)を満たしているが、(2)や(3)は満たしていない。宝石は、最初は最も美しく、あまり一般的ではない貝殻で作られるが、最終的には多くの文化において貴金属で作られるため、3つの特性をよりよく満たすことができる。偶然ではないが、貴金属の宝飾品は鎖や指輪のような細い形をしていることが多く、無作為に選んだ場所安価に鑑定することができた。貨幣さらに改良されたもので、小さな標準的な重さと商標を鑑定の代わりにすることで、貴金属を使った小さな取引コストを大幅に削減した。貨幣は、収集品の進化のほんの一歩に過ぎない。

旧石器人が作っていたモバイルアート(小さな置物など)も、この特徴によくマッチしている。実際、旧石器人が作ったものの中で、実用性がなく、(1)〜(3)の特徴を備えていないものほとんどない。

ホモ・サピエンスには、役に立たない、あるいは少なくとも使用されていない火打石の不可解な例がたくさんある。我々はクロヴィス族の使えない火打ち石について述べた。Culiffeは、ヨーロッパの中石器時代発見された数百個の火打ち石について述べているが、これらの火打ち石は丁寧に作られたものであるが、顕微鏡写真分析により、切断には使われなかったことが明らかになっている。

リントは、宝石のような特殊目的を持った収集品に先立つ、最初収集である可能性が高いのである。確かに最初火打石コレクターは、刃物としての実用性を求めて作られたはずだ。富の伝達手段としてのフリントの付加価値は、本稿で紹介する制度を開花させるための偶然の副次的効果であった。このような制度は、特殊目的収集品を製造する動機となったであろう。最初は切削工具として実際に使用する必要のないフリントであり、その後、ホモ・サピエンスサピエンスが開発した他の様々な種類の収集である

新石器時代中近東ヨーロッパの多くの地域では、一部のジュエリー標準化され、美しさより標準的サイズやアセイ性が重視されるようになった。商業地域では、このような宝石の量が伝統的な宝石の量を大きく上回ることもあった。これは宝飾品と貨幣中間的な段階であり、収集品の一部が貨幣的な形態をとるようになったのである紀元前700年頃、リディアンの王たちは前述のようにコインを発行し始めた。標準的な重さの貴金属は、市場で、賃金労働者が、あるいは徴税者が、ランダムに選ばれた場所コイル状のワイヤーを切断する代わりに、商標、すなわち造幣局ブランドを信頼して「評価」することができるようになったのである

収集品の属性が、貴金属コイン、そしてほとんどの非現金通貨を支えてきた準備商品共通しているのは偶然ではない。本来貨幣は、これらの特性を、人類先史時代ほとんど全ての時期に使用されていた収集品よりも純粋な形で実現したものである

20世紀新機軸は、政府による不換紙幣の発行である。(「フィアット」とは、それまでの金や銀をベースにした通貨のように、基軸商品裏付けられていないことを意味する。) 不換紙幣は、交換手段としては一般的に優れているが、価値の保存手段としては非常に劣ることが証明されている。インフレで多くの「たくわえ」が破壊された。前述の収集品に共通する希少品やユニークアート作品市場が、前世紀にルネッサンスを迎えたのは偶然ではない。我々の最も進んだハイテク市場の一つであるeBayは、これらの原始的経済性を持つ物を中心にしている。進化過程重要役割果たしていた頃に比べて、我々の富に占める収集品の割合が減ったとしても、収集品の市場はかつてないほど大きくなっている。収集品は、我々の本能的な欲求を満たすと同時に、安全価値の貯蔵庫としての古代役割果たしている。

結論

一方的もの相互的なものも、自発的もの強制的ものも、多くの種類の富の移転には取引コストがかかる。自発的取引では、双方が利益を得る。真に無償の贈り物は、通常、親族利他主義行為である。このような取引は、何かを作るという物理的な行為と同様に、一方または両方の当事者価値を生み出す。貢物は勝者の利益になり、損害賠償判決被害者利益になるだけでなく、さらなる暴力を防ぐことができる。遺産相続は、人間次世代親族財産を渡す最初動物となった。これらの家宝は、商品取引担保や代金、飢えをしのぐための食料、あるいは結婚の際の花嫁代金などに使われた。このような移転を行うためのコスト取引コスト)が十分に低いかどうかは別問題である。このような取引を初めて可能にしたのが、収集である

ほとんどの動物が非親族との遅延互恵的な協力関係を築けないという「囚人のジレンマ」を解決するために、収集品は我々の大きな脳と言語を増強したのである。それは、どの人が何をしたかというエラーと、その行為によって生じた価値や損害を評価する際のエラーである一族部族のサブセットを形成する、小さくてすぐに地元に帰れる親族グループ、または大家族)の中では、我々の大きな脳はこれらの誤差を最小限に抑えることができたので、世間の評判と強制的制裁が、相手が将来協力したり欠陥を犯したりする能力によって提供される限定的動機に取って代わり、遅延した互恵関係の主な執行者となったのであるホモ・サピエンス・ネアンデルターレンシスホモ・サピエンスサピエンスも、同じように脳のサイズが大きかったので、地元一族の全員が、他の地元一族の全員の好意を把握していた可能性が高い。小さなローカル親族グループの中では、収集品を取引に使うことは最小限だったかもしれない。部族間では、好意の追跡と収集品の両方が使用された。部族間では、評判に代わって収集品が完全に互恵関係執行者となったが、暴力は依然として権利執行に大きな役割果たしていたし、高い取引コストのためにほとんどの種類の取引ができなかった。

一般的な富の貯蔵と富の移転手段として有用であるためには、収集品は、少なくとも1つの制度に組み込まれ発見製造コスト複数取引償却されるような閉ループのサイクルを持つ必要があった。さらに、収集品は、単なる美しい装飾品ではない。身につけられる安心感、隠したり埋めたりするためのコンパクトさ、変えられない高価さなど、一定機能性を持っていなければならない。そして、その高価さは、現代コレクター収集品を鑑定するのと同じように、譲渡を受けた人が確認できるものでなければならなかった。

本稿で示した理論は、これらの文化で交換される「貴重品」にこれらの特徴があるかどうか(あるいはないかどうか)を調べ、これらの貴重品が移動するサイクルから得られる経済利益を調べ、(現代を含む)さまざまな文化でこれらの特徴を持つ物に対する嗜好を観察することによって、検証することができる。

前例のない協力の技術により、人類地球上で最も恐ろしい捕食者となっていた。彼らは移り変わる気候適応したが、一方で、アメリカヨーロッパアジアでは、狩猟気候の変化によって、何十もの大きな群れの獲物が絶滅に追い込まれたのである現在地球上のほとんどの大型動物投射物を恐れているが、これはたった1種の捕食者に適応したものである。また、狩猟よりも採集を中心とした文化も大きな恩恵を受けた。ホモ・サピエンスサピエンスは、骨が弱くなり、脳の大きさが変わらないにもかかわらず、地球上のより多くの地域に、ネアンデルタール人10倍以上の人口密度で住むことができた。この増加の多くは、効果的な富の移転言語によって可能になった社会制度、すなわち貿易結婚相続、貢ぎ物、担保、そして復讐のサイクルを弱めるために損害を評価する能力に起因していると考えられる。

原始時代貨幣は、我々が知っているような現代貨幣ではなかった。現代お金機能の一部を担っていたが、その形は家宝宝石などの収集品であった。これらの使用は非常に古くから行われており、収集品を探求し、収集し、作り、展示し、鑑定し、大切に保管し、売買するという欲求人間普遍的ものであり、ある意味では本能的なものである。このような人間欲望集合体を「収集本能」と呼ぶことにする。多くの古代人は、貝や歯などの原材料を探したり、収集品を製造したりすることにかなりの時間を費やしていたし、多くの現代人は、趣味としてこれらの活動にかなりの資源を費やしている。その結果、具体的な実用性とは異なる、初めての確実な価値の具現化、そして今日貨幣の先駆けとなったのである

原始人がネックレスをつけた理由 パート2

鑑定や価値測定の問題は非常に幅広いものである人間にとっては、好意の返礼、物々交換貨幣、信用、雇用市場での購入など、あらゆる交換システムに関わってくる。また、強要課税、貢ぎ物、司法上の刑罰の設定などにおいても重要である動物互恵利他主義においても重要である。例えば、サル背中を掻くために果物を交換することを考えてみよう。相互に毛づくろいをすることで、個人では見えないし届かないダニノミを取り除くことができる。しかし、どれだけの毛づくろいとどれだけの果物を交換すれば、お互いに「公平」だと思える、つまり離反しないお返しになるのであろうか?20分間のバックスクラッチングの価値は、果物1個分であろうか、それとも2個分であろうか?また、どのくらいの大きさの果物であろうか?

血と血を交換するという単純なケースでさえ、見かけよりも複雑なのだコウモリは、受け取った血の価値をどのように見積もっているのだろうか。重さ、大きさ、味、空腹を満たす能力、その他の変数価値見積もるのだろうか?それと同じように、「あなたが私の背中を掻いてくれたら、私があなた背中を掻く」という単純な猿の交換でも、測定は複雑になる。

大多数の潜在的な交換において、動物にとって測定問題は難題である。顔を覚えてそれを好意に結びつけるという簡単問題以上に、そもそも好意価値推定値について双方が十分な精度で合意できるかどうかが、動物相互利他主義の主な障壁となっているのではないだろうか。

現存する旧石器時代初期の人類の石器は、我々のような大きさの脳には複雑すぎる面がある。誰が誰のためにどのような品質の道具を作ったのか、したがって誰が誰に何を借りているのかなど、彼らに関わる好意を記録しておくことは、一族境界線の外ではあまりにも困難であっただろう。それに加えて、おそらく残っていない多種多様有機物や、身だしなみなどの刹那的サービスなどがあるであろう。これらの物品のほんの一部でも譲渡され、サービスが行われた後には、我々の脳は膨れ上がっていて、誰が誰に何を借りているのかを把握することはできなかった。今日、我々はこれらのことをよく書き留めているが、旧石器人には文字がなかった。考古学的な記録が示すように、氏族部族間での協力が実際に行われていたとすれば、問題さら悪化する。狩猟採集民の部族は通常、非常に敵対的相互に不信感を抱いていたかである

貝がお金になる、毛皮がお金になる、金がお金になるなど、お金法定通貨法に基づいて政府が発行した硬貨紙幣だけでなく、さまざまなものであるとすれば、そもそもお金とは何なのであろうか。また、飢餓危機に瀕していた人類は、狩猟採集もっと時間を割くことができたはずなのに、なぜネックレスを作って楽しんでいたのであろうか。19世紀経済学者カールメンガーは、十分な量の商品交換から自然に、そして必然的貨幣進化することを初めて説明した。現代経済用語で言えば、メンガーの話と似ている。

物々交換には利害関係の一致が必要であるアリスピーカン栽培してリンゴを欲しがり、ボブはリンゴ栽培してピーカンを欲しがる。たまたま果樹園が近くにあり、たまたまアリスはボブを信頼していて、ピーカンの収穫時期とリンゴの収穫時期の間に待つことができたとする。これらの条件がすべて満たされていれば、物々交換はうまくいく。しかし、アリスオレンジ栽培していた場合、ボブがピーカンだけでなくオレンジも欲しかったとしても、運が悪かったとしか言いようがない - オレンジリンゴは同じ気候では両方ともうまく育たない。また、アリスとボブがお互いを信頼しておらず、仲介してくれる第三者を見つけられなかったり、契約を履行できなかったりした場合も、運が悪いと言わざるを得ない。

さらに複雑な事態も起こりえる。アリスとボブは、将来的にピーカンリンゴを売るという約束を完全に明確にすることはできない。なぜなら、他の可能性として、アリスは最高のピーカンを独り占めし(ボブは最高のリンゴを独り占めし)、他の人には残りかすを与えることができるからである。2つの異なる種類の商品の質と量を比較することは、一方の商品状態記憶しかない場合には、より困難になる。さらに、どちらも凶作などの出来事予測することはできない。これらの複雑さは、アリスとボブが、分離した互恵利他主義が本当に互恵的であったかどうかを判断する問題を大きくしている。このような複雑な問題は、最初取引互恵的な取引の間の時間的な間隔や不確実性が大きいほど大きくなる。

関連する問題として、エンジニアが言うように、物々交換は「スケールしない」ということがある。物々交換は、少量であればうまく機能するが、大量になるとコストがどんどん高くなり、労力に見合わないほどのコストになってしまう。取引される商品サービスがn個ある場合物々交換市場ではn^2個の価格必要になる。5つの商品であれば25個の価格必要となり、悪くはないが、500の商品であれば25万個の価格必要となり、一人の人間管理するには現実的ではない。貨幣を使えば、500の製品に500の価格というように、n個の価格しかない。この目的のためのお金は、交換媒体としても、単に価値基準としても機能する。(後者問題は、暗黙の保険契約」とともに、競争市場存在しなかったこから価格が近しい交渉ではなく、長い間進化してきた慣習によって設定されることが多かった理由でもある)。)

物々交換必要なのは、言い換えれば、供給スキル、好み、時間、そして低い取引コストの偶然の一致である。そのコストは、取引される商品の数の増加よりもはるかに速く増加する。物々交換は、確かに全く取引をしないよりははるか効果的であり、広く実践されてきた。しかし、お金を使った貿易に比べれば、その効果はかなり限定的である

原始的貨幣は、大規模な貿易ネットワークよりもずっと前から存在していた。貨幣には、もっと早くから重要用途があった。貨幣は、信用の必要性を大幅に減少させることで、小規模な物々交換ネットワークの働きを大きく改善した。好みが同時に一致することは、長い時間の間に一致することよりもはるかに稀だった。お金があれば、アリスは今月のブルーベリーの熟度に合わせてボブのために採集し、ボブは半年後のマンモスの群れの移動に合わせてアリスのために狩りをすることができ、誰が誰に借金をしているかを把握したり、相手記憶や誠実さを信用したりする必要はない。母親の子育てへのより大きな投資を、偽造できない貴重品の贈与で担保することができる。貨幣は、分業の問題囚人のジレンマから単純な交換に変えてくれる。

多くの狩猟採集民が使用していた原始的貨幣は、現代貨幣とは全く異なる姿をしており、現代文化の中では異なる役割果たしており、おそらく後述する小さな交易ネットワークやその他の地域的な制度限定された機能を持っていた。私はこのような貨幣を、本来貨幣ではなく、収集品と呼ぶことにする。人類学の文献では、このようなものを「お金」と呼んでいるが、これは政府印刷した紙幣硬貨よりも広い範囲定義されているが、このエッセイで使う「collectible」よりも狭い範囲定義されている。また、曖昧な「valuable」という言葉もあるが、これはこのエッセイ意味でのcollectiblesではないものを指すこともある。原始貨幣名称として他の可能性がある中で、コレクティブルという言葉を選んだ理由は明らかであろう。コレクティブルは非常に特定属性を持っていた。それらは単に象徴的なものではなかった。コレクティブルとして評価される具体的な物や属性は、文化によって異なる可能性があるが、恣意的ものではない。収集品の第一の、そして究極の進化機能は、富を貯蔵し、移転するための媒体であった。ワンパムのようなある種の収集品は、経済的社会的条件が貿易を促進するところでは、現代人が知っているような貨幣として非常に機能である。私は、コイン時代以前の富の移動手段議論する際に、「原始的貨幣」や「原始的貨幣」という言葉を、「収集品」と同じように使うことがある。

富の移転による利益

人々、一族、あるいは部族自発的貿易を行うのは、双方が何かを得ることができると信じているかである価値についての彼らの信念は、例えばその商品サービスについての経験を積むなどして、取引後に変わることがある。交易の時点での彼らの信念は、価値についてはある程度不正であるものの、利益存在については通常正しいものである特に初期の部族貿易では、高額商品に限られていたため、各当事者自分の信念を正しく理解しようとする強い動機があった。そのため、貿易ほとんどの場合、双方に利益をもたらした。貿易は、何かを作るという物理的な行為と同様に、価値を生み出した。

個人一族部族はそれぞれ好みが異なり、これらの好みを満たす能力も異なり、これらの能力や好み、そしてそれらの結果として得られる物について持っている信念も異なるため、貿易から得られる利益は常にある。このような取引を行うためのコスト取引コスト)が、取引価値あるものにするのに十分低いかどうかは別問題である。我々の文明では、人類歴史上の大半の時代よりもはるかに多くの取引可能であるしかし、後述するように、いくつかの種類の取引は、おそらくホモ・サピエンスサピエンス誕生した頃まで、一部の文化にとっては取引コスト以上の価値があった。

取引コストが低いことで利益を得ることができるのは、任意スポット取引だけではない。これが、貨幣起源進化理解する鍵となる。また、家宝担保にすることで、取引の遅延による信用リスク回避することもできた。勝った部族が負けた部族から貢ぎ物を取ることは、勝った部族にとって大きな利益となった。勝利者の貢ぎ物を集める能力は、貿易と同じ種類の取引コスト技術恩恵を受けていたのである。慣習や法律に反する行為に対する損害賠償請求する原告や、結婚斡旋する親族集団も同様である。また、親族は、タイムリー平和的な相続による富の贈与の恩恵を受けていた。現代文化では貿易世界から切り離されている人間の主要なライフイベントも、取引コストを下げる技術によって、貿易に劣らず、時にはそれ以上の恩恵を受けていた。これらの技術のうち、原始的貨幣収集品)よりも効果的で重要ものはなく、また初期のものでもなかった。

H.サピエンスサピエンスがH.サピエンス・ネアンデルターレンシス駆逐すると、人口爆発が起こった。紀元前4万年から3万5千年の間にヨーロッパ占領した証拠からサピエンスサピエンスはネアンデルターレンシスに比べて環境収容力を10倍にしたこと、つまり人口密度10倍になったことがわかる。それだけではなく、彼らは世界初の芸術創造する余裕があった。例えば、素晴らしい洞窟壁画多種多様精巧な置物、そしてもちろん貝殻、歯、卵殻を使った素晴らしいペンダントネックレスなどである

これらは単なる装飾品ではない。収集品や、その時代進歩したと思われる言語によって可能になった、新しい効果的な富の移動は、新しい文化制度を生み出し、環境収容力の増加に主導的な役割を果たしたと考えられる。

新参者であるH.サピエンスサピエンスは、ネアンデルタール人と同じ大きさの脳、弱い骨、小さい筋肉を持っていた。狩りの道具はより洗練されていたが、紀元前35,000年の時点では基本的に同じ道具であり、2倍の効果10倍の効果もなかったであろう。最大の違いは、収集品によってより効果的に、あるいは可能になった富の移動だったかもしれない。H.サピエンスサピエンスは、貝殻を集めて宝石にしたり、見せびらかしたり、交換したりすることに喜びを感じていた。ネアンデルターレンシスはそうではなかった。これと同じことが、何万年も前にセレンゲティで起きていたのである

ここでは、コレクションアイテムが、自発的無償相続自発的相互取引結婚、法的判断や貢ぎ物などの非自発的移転など、それぞれの種類の富の移転において、どのように取引コストを下げたか説明する。

これらの種類の価値移転はすべて、人類先史時代の多くの文化で行われており、おそらくホモ・サピエンスサピエンス誕生したときから行われていたと考えられる。このような人生の一大イベントである富の移転によって、一方または両方の当事者が得られる利益は非常に大きく、高い取引コストにもかかわらず発生した。現代貨幣比較して、原始的貨幣の速度は非常に低く、平均的な個人の一生の間にほんの数回しか譲渡されないかもしれない。しかし、今日では家宝と呼ばれるような耐久性のある収集品は、何世代にもわたって持ち続けることができ、譲渡のたびに相当な価値を付加することができたし、しばしば譲渡可能になることもあった。そのため、部族は、宝石収集品の原料を製造したり、探索したりするという、一見すると軽薄な作業に多くの時間を費やしていた。

富の移転重要な要素となっている制度では、次のような質問をする:

1. 事象移転された財の供給移転された財の需要の間には、時間的にどのような偶然の一致が必要だったか?偶然の一致があり得ないことは、富の移転にとってどれほどあり得ないことか、あるいはどれほど高い障壁になるか?

2. 富の移転は、その制度だけで収集品の閉ループ形成するのか、それとも循環サイクルを完成させるために他の富の移転制度必要なのか。貨幣流通の実際のフローグラフ真剣に考えることは、貨幣の出現を理解する上で非常に重要である多種多様取引の間で一般的流通することは、人類先史時代ほとんどの期間、存在しなかったし、これから存在しないであろう。完結したループが繰り返されなければ、収集品は循環せず、価値がなくなってしまう。作る価値のある収集品は、そのコスト償却するのに十分な取引価値を付加しなければならない。

まず、今日の我々にとって最も身近で経済的重要取引を見てみよう。

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん