はてなキーワード: 微積とは
学部1, 2年でやること。
3, 4年からはロボットとか人工知能みたいに専門を決めていくらしい。
日本の情報系も変わらないのかな?まあ、あんまり知らないけど。
以下そのリンク。
東大基礎科学科卒。過去250~340年間世界の大数学者達が解こうとして解けなかった、世界史的数学難問4つを解き、現在ロシア科学アカデミー数学の部で審査中。マスターした11ヶ国語を駆使したプロの通訳・翻訳家。矛盾だらけの現代物理学を初め、全科学(自然、社会、人文科学)の主だった物を体系的に批判し各々に別体系を提起。各種受験生(医学部、難関大学入試、数学オリンピック、社会人大学院入試、IT関連資格)支援。
■経 歴
2002年 (至現在)セント・クレメンツ国際大学 物理学教授
2001年 英国系セント・クレメンツ大学で数理物理学の博士号取得
2002年 ロシア科学アカデミー・スミルンフ物理学派論文審査員となる
1999年 英国系ウィットフィールド大学でコンピュータ科学人工知能の博士号取得
1991年 (~1993年)University of California、 Irvine人工知能研究所で確率論批判・学習システムの研究
1988年 (~1991年)世界の認知科学の権威ロージャー・シャンクのCognitive Systemsのデータベース研究所IBSで自然言語処理研究
1986年 (~1988年)欧州先端科学研究プロジェクトESPRITにESPRITディレクターとして仏Telemecanique研究所より参加(生産ラインへの人工知能導入の研究)
1985年 西独ジーメンスのミュンヘン研究所で生産ラインへの人工知能導入の研究
1982年 (~1985年)[仏国]世界一速い列車TGVのメーカーAlsthom社の知能ロボット研究所
1981年 (~1982年)[仏国]グルノーブル大学院、ソルボンヌ大学院で通訳の国家免状取得
1980年 (~1981年)[スペイン]マドリード大学院で言語学履修 西国政府給費留学生
■専門分野
数理物理学Ph.D.、コンピュータ科学人工知能Ph.D.、マスターした11カ国語を駆使したプロの通訳・翻訳家
■講演テーマ
「ビジネスマン、文系卒社員に理工系技術と技術的発明を評価できる眼を」
近年世界の大学でビジネス志向の学生向けに、理系の技術的な事がある程度分かるためのカリキュラム改変が始まっている。しかし申し訳程度であり、また理系の拠って立つ数学物理学の科学理論自体に欠陥が有る事が最近明らかとなっているため、正しい数学と物理学の粋を伝授し、文系でも本物の理系技術評価が出来るように支援する。
「英語を完璧に&現地語(非英語)を或る程度使えるマネジャー急遽創出と、社員の中から各国語通訳をネーティブに肉薄する敏捷性と正確さで急遽育成を支援」
海外のプロジェクトや企業と折衝するとき、英語がネーティブ並みであったり、現地語を自社のディレクター自身がある程度こなせるか、英語、現地語につきネーティブ並みの社員が通訳出来ると先方との話が大きく好転する場合が少なくない。それを本当に実現する教育訓練を私は提供できる。平明に説明し、実体験をしてみたい方がいらっしゃるなら講演会場で手解きをしてみたい。
「発見された言語学理論と外国語訓練方法論を基に、文科省と英会話学校の英語教育訓練方法論の根本的誤りの中枢を詳説」
統語法意味論、文脈意味論、実世界意味論の3レベルで進展するネーティブの母国語習得過程の中、言語能力の真の中枢は解説も無しに親の喋るのを聴いているだけで分かるようになる統語法的意味把握能力で、これは文法用語を全く使っていなくても徹底した文法訓練となっている。ネーティブが敏捷性、精度の点で万全であり、先ず文法的間違いをすることはない理由はここにある。全文法分野について書き換え問題の「即聞即答訓練」を一気に中学生以上の年齢の人に施し、全文法のビビッドな一覧性を習得させるとネーティブに肉薄する敏捷性と精度で外国語を使いこなせるようになることが発見された。
「<証明された欠陥数学> 確率統計と微積分学のビジネス、金融工学、保険業界での使用に対する警告と、それに取って代る新数学体系」
我々物理世界は離散値の世界であることが原因で、物理世界に住む人間の頭脳が考え出した数学の中で連続実数値に基づく確率統計学と微積分学だけが欠陥数学として発現していることが証明された。決して建設的な予測をすることができず、崩壊していく事象に後ろ向きにしか適用できず、せいぜいリスク管理にしか使い道の無い確率統計学をビジネス学の分野では金科玉条の如く信用し積極的やり方で利用しているが、ここに「理論」と現実との間に大きな食い違いが生じている点に警告を発したい。そのためそれに取って代る新数学体系を提起する。全てを分かり易く解説します。
「新エネルギー・エコ向けの発想を大転回した技術的な重要な発明を提起」
20世紀初頭に数理物理学者Henri Poincareは二体問題までは解けるが三体問題(三つの星が互いに重力で引き合いながら運動している時の時々刻々の位置を計算で求める事)以上は微積分学を使って解く事が出来ない事を証明した。これは無限小差分を使う微積分は計算式中で交差する項をほぼ同等とみなして相殺してしまうため、作用反作用の法則(F1*v1=-F2*v2)の取り違い(F1=-F2が作用反作用の法則であると圧倒的多数が信じている)と相俟って、交互に対称な運動しか記述できないため、対称性の有る二体までは記述できても対称性のない三体以上は記述できないためである。この欠陥数学微積分を基に二体までは「エネルギー保存則」を証明したものの三体以上の「エネルギー保存則」は本来的に証明不可能であることが明らかと成った。現に永久磁石がエネルギー保存則を大きく超えることが実証され始めている。それらの実験につき具体的に物理学の素人の方々にも分かりやすく報告したい。
「世界史的体系的誤りに迷い込んだ現代物理学とその使用者への警告とそれに取って代る新物理学」
現代物理学の二本柱、量子力学と相対論の中、量子力学は水素原子の原子核と軌道電子の関係説明を辛うじて試みただけで、水素原子より複雑な原子や分子の構造の説明に実は悉く失敗し、繰り込み・摂動理論はその失敗を隠すため後に持込まれた。軌道電子は光速に比べ無視できぬ速度でクーロン力で原子核に引かれて急カーブしながら等速加速度円運動、大量のエネルギーを消費するが、半永久的に軌道を回る。しかしシュレーディンガーの波動方程式(その波動関数とその共役関数の積は確率)はエネルギー消費に一切言及せず、エネルギー・レベルが一定に保たれるという明らかに矛盾した論を展開する。また確率を持ち込んだからには、エントロピー単調増大法則がここに適用され、水素原子は瞬時に粉々に飛び散らなければならぬ現実に反する二つ目の重大矛盾に遭遇するが、これもシュレーディンガーは見てみぬ振りをする。つまり水素原子の構造の説明にすら量子力学は完全に失敗した。量子力学とは動力学でなく各エネルギー・レベルについての静力学でしかなく、「量子力学」の「力学」なる名前とは裏腹に力を論じられない。論じればエネルギー消費が起こりエネルギーレベル一定論が崩れる。
「現代のフォン・ノイマン型コンピュータ・アーキテクチャーの誤りと、創るべき新コンピュータ・アーキテクチャー」
現代のフォン・ノイマン型コンピュータの計算機モデルが取りも直さずチューリングマシンそのものである。チューリングマシンは決ったパラメータ数の状態間の遷移を静的モデル化したものであるのに対し、歴史的にその直前に発表されたアロンソ・チャーチの計算モデルのラムダ・キャルキュラス(人工知能プラグラミング言語LISPの言語理論でもある)は関数の中に関数が次々に入れ子のように代入されて行き擬パラメータが増えていくダイナミックな仕組みを持つ。この後者は人間が作ったコンピュータを遥かに凌ぎ、宇宙の始原から発生した環境データから関数をf1(t),f2(t),.,fn(t)と次々に学習し入れ子のように代入進化し、次の一ステップの計算には宇宙の始原からの全ての関数f1,f2,...,fnを思い起こし、そのそれぞれの差分を取って掛け合わせる事をしているコンピュータとも言える物理世界とその時間の学習・進化を時系列順に模写するのに持って来いの仕組である。関数と言っても多項式で充分である事を世界の7大数学難問の一つPolynomial=Non-Polynomialの私の証明も交えて平明に解説する。これは日本の国と世界の先進諸国のコンピュータ科学の今後の研究方向を左右する発言となる。
■実 績
【講演実績】
Trinity International University
「コンピュータ科学」 学士号コースの学生に卒業まで全コースを講義
St.-Clements University
「金融工学に必要な数学・物理学」の博士号コースの学生3年間に渡って講義、研究テーマと研究内容、博士論文のアドバイス
St.-Clements University
研究テーマ「コルモゴロフ複雑系の二進ビット・ストリングの下限=Lower bound for binary bitstring in Kolmogorov complexity」の博士号コースの学生Dr. Bradley Ticeに英語でアドバイス
St.-Clements University
外国語学部のポルトガル語・伊語の通訳・翻訳の学士号コースの学生に教養学部のレベルから全社会科学(経済学、法律学、社会学、経営学)、人文科学(哲学、言語学、心理学、歴史学)、自然科学(数学、物理学、化学、生物学、医学、計算機数学)、エンジニヤリング(Information Technology、ソフトウエア工学、電気工学、電子工学)の各々の学科の全講義を行う。
Госдарственный Университет Санктпетербургской Гражданской Авиации (サンクトペテルブルグ国立航空大学)
物理学学会の論文発表会で幾多の論文の露語によるプリゼンテーション。
【メディア出演】
【執筆】
ti-probabilistic Learning by Manifold Algebraic Geometry, SPIE Proceeding, 1992 Orlando 等 人工知能学会論文
殺処分はやりすぎだろう。
しかしながら35歳であっても微積分さえも出来ない女性とセックスをしている成年男子がいるが
こいつらはペドフィリアと変わらないと思う。
幼稚園や小学校などで出てくるモンスターペアレントの話もそうだ。
体は成長しても良識が伴っていないのだ。
本来人間は13歳−16歳ぐらいで体の変化が見られ大人となるはずだが
現在成人は良識がある年齢(と思われている)、20歳が基準になっており
しかしながらこれは子供の再生産を止めるに至っていない。これは基準として適当でないのだ。
そこで私は提案なんだが、簡単な微分積分を理解できる事を大人の条件にしたらどうだろうか?
簡単な微分積分なら知的障害でない限り理解できるだろうし、子供の再生産も防げるだろう。
とっても惜しい。
良い題材だと思うけど、書き方が悪かったな。
うまく書けば200は釣れたと思う。
次は頑張ってほしい。
主な問題点は4つ。
1.タイトルが釣る気なさすぎ。
2.設定が矛盾している。
3.はてなキーワードが入ってない。
4.全体的にダレている。
1.タイトルが惹かれない。
はてぶのカテゴリに乗ったとしても注目度が低くなる。
同じく書き出しもただのグチになってる。
この後でどんでん返しが待ってるとは、とても思えない。
タイトルと書き出しを見て読むかどうか決めるんだから、ここは超重要。
これじゃ、「あーバカが嘆いてるなー」ぐらいでクリックしようとは思えない。
これで読みに来る奴は、「バカを思う存分バカにしてやろう」って底意地の悪い奴だけだ。
そういう奴が読めば、確かに「思ってたのと違う」って釣られた状況になるのかもしれないが、世の中そんなに意地の悪い奴ばっかりじゃないぜ?
2.設定が矛盾している。
なんで天才なのに物覚え悪いんだよ。
せっかく小学1年で微積分、なんて衝撃的な設定作ったのに、ぜんぜん生きてない。
昔々の頃に俺のライバルだった人々は遥か遥か遠いところにいて
ここで言ってるライバルって誰だ?
大学時代の回想なのだから、高校時代の同期は「昔々の頃」のライバルではないはずだよな?
高校3年の夏の時点で上に30人しかいなかったのだから、全員ほぼ同じレベルなはずで、「遙か遥か遠いところ」にはいけっこないよな?
全体的な不信感につながる。
3.はてなキーワードが入ってない。
どんなクソみたいな文章でも、適切なタイミングで適切なはてなキーワードを突っ込めばそれだけで釣れる。
俺はそういうの卑怯だと思ってるからあんまり分析してないけど、例えば学歴と女と職歴の話は釣れる。
今回の場合は、受かった大学として偏差値60前後の国立大を、ちょっと考えれば特定出来る程度に匂わせるべきだった。
あと、大学で遊びまわった話にヤリサーに所属していた経験を匂わせたり、就職先も広告代理店とか、さりげなくエリート層に近かったって匂わせるべきだった。
その辺の話が軽すぎる。
「設定」じゃなくて、その人がしたはずの「体験」を書け。
もしくは取材だ。
4.全体的にダレている。
前半が細かく偏差値の話が続いてるのに、大学以降話が大雑把になりすぎている。
自殺未遂、大学中退、就職、女遊び、退職、まだ大学に入り直すって、どんだけ波瀾万丈な人生だよ。
その全部がさらーっとした文章で流れていて、血の通った文章になってない。
全然真に迫ってこないんだよ。
エピソードを削るか、全部をもっと肉付けして分量を3倍から4倍に増やすかのどちらかだ。
自殺未遂をなくして女遊びを大学時代に持ってきて、中退、就職、退職、大学の流れがいいんじゃないかな。
「仕事はできる」って評価をえたんじゃなくて、入って即辞めたことにした方がスムーズだろう。
で、ニートやりながら株でもやった話にしたらいいと思う。
たかが増田の釣りって言っても、短編小説でも書くような気持ちで書かなきゃいけない。
読み手にどういう感情を呼び起こしたいのか考えて書かないといけない。
読み手を感動させたいのか、いらだたせたいのか、劣等感を刺激したいのか、優越感に浸らせたいのか、どれなんだこの文章の狙いは?
感動させたいなら、こんなダメな俺でも小さな幸せを手に入れた、みたいな話でシメるし、いらだたせたいなら世の中に不平不満をぶつけまくってシメる。
どんな気持ちにさせようかってのか、それが弱いんだよ。
俺だったら、この人物の天才性をもっと表すエピソードを入れて、万能の天才、レオナルド・ダ・ビンチの再来みたいな言い方で読み手の劣等感を刺激しつつ、
それでも一つの事に集中できない俺は、所詮器用貧乏を超えられず、一つの事に熱中できる凡人がうらやましい、ってシメて優越感に浸らせるね。
そしたらブコメで「考えさせられた」とかなんとか、いかにも何にも考えてなさそうな奴らが大量に釣れる。
ネットを見ていると、『進学校になろうとしている』学校の涙ぐましい努力と、それに振り回された元生徒の体験談を多く見ます。
ですが、そういう学校が目指している”進学校”の本当の実態はなかなか目にしません。母数が違うから当たり前といえば当たり前なのですが。
ですが何かそのせいであらぬ誤解が蔓延している感もあるので(勉強合宿とかしてないし、他の学校見下したりしてないからね!)、増田がそのような”進学校”の実態について、少し語ってみようと思います。ちなみに
・男子校です
・東大合格人数トップ10の常連です。というかむしろ名前がなかったら驚く前に『公表しなくなったんだな』と疑う余地もなく思います。
そういう”トップクラスの『進学校』の生徒”と聞いて、読者の皆様はどんなのを想像しますか?
”ガリ勉で勉強しかしてこなかったようなヒョロ or デブ”?
――そういうのも居るにはいますが、世間でイメージされるほど多くはありません。というか、後述しますが”ガリ勉”では学校内での競争に生き残れません。
”エリート気取りで、人を見下してばかりいるヤツ”?
――学校の外ではどうか知りませんが、同じ学校にいる以上は同級生はそいつと同等程度には勉強ができるヤツです。学校でそういう態度のヤツはいません。
”逆に、周囲は皆ライバルと思ってあくせくしてるヤツ”?
――そういうヤツは少ないです。少なくとも、(皆が勉強での成功体験を一定程度持っているから?)努力している人を尊重するという校風はあり、
(小学校時代に自分がされて嫌だったからか?)努力が嘲われるようなことは少ないです。となると、周囲とはそこまで仲が悪くなることもありません。
「それでも、コミュ障なら嫌われるんじゃないか」って? コミュ障は多いので、ターゲットは分散しまくります(笑)。これについても後述します。
――うん、まあ確かにそれは多いです。真面目な話、”他では会わないような変人に会える”というのはそういう学校に行く意味の1つです。
生徒の体格は意外と悪くないです。「教育熱心な親はたいてい食生活にも気を使っている」という理由でちゃんとした物を食べているし、
生活習慣も(受験前は若干睡眠を削ったこともあるかも知れませんが、それ以外は)しっかりしているので、学校の平均身長は同年代と比べると若干高いという結果が毎年出ます。
だから(勿論スポーツ推薦でスポーツエリートを集めている学校には負けると思いますが)陸上競技や、通常小学生以前に始めることの少ないラグビーのような競技はそこそこ強かったりします。
音楽はピンキリです。良い家のお坊ちゃんで、何らかの楽器を習った経験のある生徒は多いですが、全員がそうだということもありません。音楽で楽器やるときは出来る子と出来ない子がはっきり分かれます。
こういう学校は実のところ、生徒を鞭で叩いて勉強させるような学校ではありません。放っておいても生徒は勉強するし、勉強したいヤツには手助けするけどサボって落ちこぼれるのは本人の責任、という学校です。
そして、中学・高校生というのは誰でも閉鎖空間の狭い社会で生きていて、生徒達は、『自分たちの学校は進学校と言われている』『自由な学校である』という認識はあっても、『他の学校は実際どうなのか』ということは断片的にしか知りません。
生徒A「友達が行った○○って学校、夏休みに4日ほど勉強合宿があるらしいな」
生徒B「俺の友達が行った△△って学校はそこまでは行かないけど、成績悪いと部活禁止されるらしい」
生徒C「弟が通ってる◇◇って学校は部活禁止までは行かないけど、期末試験の成績悪いと赤点じゃなくても強制的に補習になるらしい」
一同「「「そこまでしなきゃいけないものなのか?」」」
という会話を増田はリアルにやったことがありますが、『学校の授業についていければ日本のたいていの大学には受かる』という前提があっての会話だと今となっては思います。
そして、上で書いたようなことは本当にやっていません。成績悪くても部活止められないし、夏休みは高校1年生くらいまでは40日以上フルに自由です。
だからあまり『学校が進学のために必死になっている』というイメージが無く、世間で言う”進学校”のイメージからはかけ離れています。表題の”他称”進学校はそういう理由です。増田は今でも母校が進学校と言われると若干違和感があります。
こういう学校の出身者はたいてい、自分のことを『数学が出来ない』人だと言います。実際はそう言っていながら数学ⅡBレベルの微積分が当たり前のように出来て、
会話するときに”必要条件、十分条件、逆、裏、対偶”といった単語が通じるのは当然ではないと気がつくのは大学生になって以降だったりするのですが、それでも彼らにとっての自分自身は『数学ができない人』です。
「いや、出来るでしょ」と言われたら「まあ世の中の普通よりは出来る」とか微妙な表現をします。彼らにとって『数学が出来る人』は理系に進んだ人や、母校で平均以上だった人ではありません。
それどころか、東京大学の理系数学を6問全部解いた人でも『数学が出来ない』を言っていたりします。
彼らが『数学が出来ない』という本当の意味は……『(数学オリンピックでメダル取った同級生の○○君と比べて)俺は数学が出来ない』という意味です。
というのは、人よりも勉強が出来る生徒が集まっているとき、一番能力の差が思い知らされる教科は数学になりやすいからです。
理科と社会の能力は『知識として知っているか』の差は彼らにとっては『じゃあ覚えれば良い』であり、『理解しているか』の差は表に出にくいです。
国語は大学入試の二次試験に至るまで基本的には『出来そうな気がする』(けれども本当に出来るかどうかの差が点数には出る)もので、
英語は『どんなに出来たとしても、ネイティブほどではない』物です。(それでも、数学ほどではないですが英語が出来るとある程度は尊敬されますが)。
その点、数学の問題が解けるか解けないか、あるいは同じように解いたとしても解き方が美しいかどうかの差(解き方の美しさが競われるのは本当です)は如実に出ます。なので、こういう学校では数学が出来る人が一番尊敬されます。
昨日か今日の元神童も挫折したエピソードに数学使ってましたよね。
「勉強するの本当は嫌だけど、アイツに勝つために」などという動機でやっていては勝負にすらならない世界の人間がいます。
「色々苦しいこともあるけど、それでもやっぱり俺は数学が好きなんだ」と言うのを態度にも結果にも出しているヤツが学年で一番数学の出来るヤツです。
増田の同級生で一番数学が出来たヤツは在校中に「数学の問題が解けたときの快感はオナニーでイった時に匹敵する」と変態じみたことを語っていました。現在は旧帝大の数学研究室にいるはずです。
アイツは増田みたいな数学が出来ない(母校基準で)人間とはレベルが違います。
中学に入ったばかりの入学者アンケートで定番質問に『女子がいないことについてどう思うか』という質問があり、最大多数の回答は『気楽で良い』です。
いくら勉強が出来たって、小学校卒業したばかりの男子なんてそんなものです。増田自身も、中学に入学した時点では、『人よりテストで点を取るのは得意だけど、普通にジャンプを読み、ドラクエとFFが好きで、好きな女の子の話は出来ない』男子でした。
これが高校入学組になると『寂しい』という回答の方が多くを占め、中学入学組も高校に上がる頃には寂しいとか言っているのですが、今になって思います。『ホモソーシャルで、楽だったなあ』
上で書いた数学の天才がオナニーを比喩に使っているあたりも含めて、女子がいないことで気を使わない部分はあります。ですがメリットもあります。
男女を問わず中学、高校くらいの思春期では『モテ』が過剰に評価され、『アイツは○○は出来るのかも知れないけど見た目がキモいから無理』といった否定を食らうことがあり、
ネットを見ているとその手の『見た目がブスだから男から否定されまくった』『見た目がキモイと女子から言われまくり、自分が通ると女子が勝手に避けていくモーセ現象が発生していた』ような体験談を見ます。
そして、そういうことをされると(もちろん必ずそうなると言いたいわけではありませんが)人格形成にはマイナスの影響が出ることが多いでしょう。
その点、男だけ・女だけの環境ではそういう否定を直接食らうことが圧倒的に少なくなります。進学校に限らず、男子校・女子校が現在でも求められる理由は実のところその辺だと増田は思っています。
コミュニケーションがいつまで経っても出来ないヤツもたまにいますが(心当たり複数)、『コミュニケーション下手だけど、訓練すれば人並みに出来るヤツ』も実は結構いて、そういう人にとってはホモソーシャルで気を使うことの少ない環境はコミュニケーションの訓練に向いてます。
ちなみに自由な学校なので(違)校内恋愛禁止という校則もありません。
先生によると、『校内恋愛で失恋した』という理由で学校休んで旅に出たヤツも昔いたそうです。増田の同級生にもゲイとバイのどちらかはいたらしいです。伝聞ですが。
この前母校に行ったら、恩師が『数学の先生探してるんだけどなあ』と言っていました。
「どんな人が良いんですか」と聞いたら『幾何を専攻したか、そうでなくても幾何のセンスがあって生徒に舐められない先生』と言われました。OBを当たるのが一番手っ取り早いと思います。
神童だと言われて育った。2歳で平仮名を全部覚え、3歳になる頃には、保育園で他の子達に絵本を読み聞かせていた。保育士の間で変な子がいると噂になり、近所の教育大で知能検査を受けることになった。その後、両親が大学に呼び出され、しばらくして算数の教科書と問題集を持って帰宅した。それを読んで勉強するようにと言われ、試しに読んでみると、何を言っているかが大体理解できた。分からないところは親に聞きつつ、小学校に入る頃に分数の勉強を終え、小4の途中で高校の微積分を終えた。
学校は楽しくなかった。あらゆる授業で、5分で済む話に1時間以上をかけていると感じた。全部の質問に手を挙げていたら、1週間もしないうちに、もう手を挙げるのは止めろと教師に言われた。漫画やゲームをしていると取り上げられた。教師ももてあましていたのだろう、途中から、図書室で借りた本なら、授業中に読んでいても何も言われなくなった。ただ、小4の途中で、読みたい本は大体読んでしまった。同級生からは面倒な存在として扱われていた。
地元には目立った進学校はなかった。親戚の家から通うかと言われたが、某有名校の中学受験の問題集に目を通したところ、代数は使わず鶴亀算で問題を解けと書いてあるのを見て、これは意味がないと感じた。まがりなりにも、三角関数も虚数も指数関数も勉強してきて、それでもxもyも使わずに鶴亀算で解答しないといけないのかと思うと、情けなくなった。教師や親戚など、事情を知っている周囲の大人からは、〇〇くんは特別だから、と言われた。でも、特別でいいことなんて、何も思いつかなかった。
その直後、小6で反抗期が訪れた。もう勉強は止める、と親に宣言し、地元の中高でそのとおりに6年間を過ごした。授業は聞かず、ノートはとらず、教科書も学校以外では開かなかった。それでも成績は概ね上位だった。別に天才だったからではない。必要な勉強の大半を、小学生の頃に済ませてしまっていたからだ。運動部に入り、服に気をつかいはじめ、カラオケやビリヤードに行くようになった。「特別」な子はもう卒業だった。孤独な努力を続けるのは、もう飽き飽きだった。
その後は平凡な人生だ。大学4年間を引き続き遊んで過ごし、それなり以上の会社に潜り込んだ。同僚からは、理屈よりもむしろ調整能力で評価されている。運よく社費で留学することになったとき、壮行会で、〇〇が留学とはな、きちんと勉強してこいよ、と何人かに言われた。こう見えても昔は神童だったんですよ、と冗談めかして返事すると、その場の皆が笑った。僕も笑った。
「幸せか、と訊かれれば、だろうね、と答えるしかない。」村上春樹の小説のうち、この台詞だけは、今でも折に触れて思い出す。
今、この日本全体で、かつての僕のように、指数関数や三角関数を学習したのに小学校で分数の足し算をさせられている子供が、一学年に少なくとも数人はいるだろうと思う。そのほぼ全てが、最近報道であったようなカナダやアメリカでの飛び級のチャンスには恵まれず、中学受験のために鶴亀算をやるのだろう。又は、その選択肢を見限って、自分の知的好奇心よりも、同年代の子に溶け込むことを優先するのだろう。もし、それを少しでも、日本にとって人的資源の無駄だと思うなら、飛び級制度の抜本的な拡大をぜひ支援してほしいと思う。
他の主張を落としめることで自分の主張を際立たせるやり方がスマートでないのは承知の上で、あえて言えば、
総務省の「和製ジョブズ」発掘プロジェクトよりも、飛び級の抜本的拡大の方が、絶対に将来の日本を変えるチャンスを秘めていると思う。
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追記:
「ガチの神童ではない」のはおっしゃるとおりというか、少なくともガチの天才ではないと思います。SPIやGMATのような類の試験では、今でも苦労せず高得点が出ますが、単に事務処理能力が高いだけで、何かを考え抜いて新しいものを生み出す資質とは違うのでしょう。「二十歳を超えれば只の人」というのは、自分でも折に触れて実感するところです。元神童の典型例のひとつとして読んでいただければと思います。
今の境遇には満足しています。過去に後悔があるわけでもありません。ただ、昔の自分を幼かったなと感じるだけです。
そういえば、授業を集中して聞けない癖は今でも抜けておらず、留学先では苦労しています。自分の意思の弱さの問題だと言われればそのとおりですが、この点については、幼い頃の境遇に原因を求めたくなる気持ちもないではありません。幸い、今は周囲が競争して手を挙げる環境なので、自分も積極駅に参加することで乗り越えようとしています。
鶴亀算に対する思い違いについては以下のとおりです。僕は面白がって取り組むタイプではありませんでした。パズルとして楽しむよりも効率を求めてしまうのだと思います。http://anond.hatelabo.jp/20140722211051
天才のまま、知の最前線を走り続けている人がどれだけいるのかについては、僕自身も知りたいところです。そのような人達をみて、飛び級がなくても問題はないというか、飛び級があればもっと早くその才能が世に出た筈だというかは、ひとつの判断でしょう。
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追記2:
引き続きコメントありがとうございます。
>「本当の天才」でないとしても、学習意欲・知的好奇心のある早熟な子供に既知の退屈な授業をする必要はないと思う。飛び級というのは「本当の天才」だけを特別扱いする制度ではない。
まさに我が意を得たりという思いです。ありがとうございます。
>そこで頓挫したなら、ただ早熟なだけだろ。その壁が越えられない自称天才達なんて掃いて捨てるほどいる。
そういう「自称天才」の子達が、小学校の頃に互いに出会えたらよいのではというのが、この日記で主張したかったことの一つでした。競い合う環境は能力の啓発を促します。それで「本当の天才」が生まれなくとも、何人か何十人かの「秀才」の知的好奇心が満たされ、かつ能力が底上げされるなら、充分に価値があるのではと思います。
あと念のためですが、僕は自分を神童だったと言ってはいるものの、天才だとは言っていません。この点分かり辛かったとしたら失礼しました。はてなは高学歴が多い印象だったので、元神童や現役の天才達が自分達の経験を語る流れがメインになるかと思っていましたが、僕が天才に該当するか否かの議論に焦点が当たってしまったのは残念なところです。今からでもぜひ!もっと!
ちなみに、天才でないという指摘はそのとおりだと思っているので気になりませんでしたが、「賢い人が書いた文章ではないように感じる」というご指摘には地味に凹みました。論理的な文章を書けることが重視される職業なので。。まだまだ至らない身だと胸に刻み、精進してゆきたいと思います。そのせいもあってか、釣りか否かの論議が続いているのは哀しいところですが、増田で書く以上は仕方ないのでしょうね。
見よう見まねが全く出来ない人間にとって、この世は非常に生きにくい。
と、のっけから主語が大きい増田だが、自分の観測範囲でこのハンデを抱えていて幸せという人には会ったことがないので仕方ない。
見よう見まねが出来ない人間は、あらゆる物事の習得に、普通の人の数倍時間がかかるので、大抵習得出来ないまま終わる。
というのも、人間の諸活動で言語化できる範囲などたかが知れていて、大抵の物事はいちいち言語化されたノウハウやハウツーなど使わずに会得するものだからだ。
そして、そういう「非言語的アプローチ」の核になる知的要素が、見よう見まねと。
最近、暗黙知を形式知にすることの必要性が喧伝されているが、早晩限界に突き当たると自分が考えている理由でもある。
これだけだと何がどうハンデなのかピンと来ない人がいると思うのでもう少し説明すると、見よう見まねで覚える最たる物がスポーツとコミュニケーションだったりする。
こう書くと、見よう見まねが出来ないで大人になることのヤバさが多少は理解できるだろうか。
例えば球技の場合、キャッチボールから始まってバレーのサーブやテニスラケットのスイングまで、最低でも肩・肘・腰・脚の連動が必須で、これらがきちんと噛み合わない限り、絶対に上手くいかない。
しかし普通の人は、自分から言わせればそういう恐ろしく難しい動作を、ほぼ見よう見まねだけで習得してしまうのだから信じられない。
もしこれを自分が習得しようと思ったら指導者がいるのは前提で、更に「今手本を見せるからな、肘見てろよ、絶対だぞ!」とか細かく注意喚起してもらいながらやれば、そのうち出来るようになるかも?という体たらくだ。
というわけで、絶対こんなのより微積の問題とかのほうがまだ簡単じゃんと思ったり。
それでもスポーツは、コミュニケーションに比べれば、コーチングとかが確立している分、まだマシかも知れない。
何しろ、今のところコミュ力アップの方法は、心の広いリア充に色々連れ出してもらったり、或いはヤリチンヤリマンのおこぼれにあずかるのが最も効率良いというか、それくらいしか方法がない。
そうやって洗練された(?)コミュニケーションの渦中に放り込まれて、見よう見まねで悪戦苦闘しかないということだが、自分が最も苦手な方法が最も効率良いとか、全く最悪の状況だ。
やる前から壮絶にコストがかかると容易に予想できるものを、進んでやりたくなるわけがない。
とにかく、そんなわけで人間が生きる上で最も必要な知的能力が欠落したまま育つ結果、出来ることしかやらなかったり、努力というものに強いアレルギーを抱いた挙げ句、色々足りていない大人になると。
かくいう自分は勉強だけは出来たが、それも高校止まりで、気がつけば「十で神童、十五で才子、二十過ぎればただの変人」という流れだった。
かといって、当時もっと勉強を頑張って、後年「俺が高学歴なのは努力の結果だ、今まで遊んできた奴には(ry」などと言い放つのが幸せな人生だったかも大いに疑問。
学校で役に立つことを教えろ、ねえ…
まあ、読み書き算盤といわれたような、50音と漢字の読み方、足し算引き算掛け算割り算はできないと困るなあ。
今みたいな文学入りの国語はやめちゃっていいや。そんなものより、説明書の読み方書き方を教えるべきだと思う。テクニカルライティングな。
社会科は何県の名産が何でなんてどうでも良いから、法律とその活用の仕方(区役所市役所県庁と警察と裁判所と弁護士の使い方と商用契約の結び方)を教えるべき。
歴史は「何があったか」を全部捨てて「どうしてこういう流れになったか」に重点置いてほしい。あともっと科学史を。
数学はもっとみっちり。高校物理と高校微積分のへんな分離はもっと融合して欲しかったと思うけど今どうなってるのかな。
http://1000nichi.blog73.fc2.com/blog-entry-2281.html
**以下引用**
ダニング-クルーガー効果 上から目線の人や自信家はむしろ愚かであることが多い「アメリカ人は30カ国中数学25位、科学21位、自信は1位」
個人的な経験と感覚で正確性も何もないものですが、ブログのコメント欄(現在は閉鎖)では上から目線の人や、自分は何でも知っているぞというスタンスの人の方が、幼稚な主張であることが多かったです。
また、有名人でも「自分はすごいぞ」という言動をなさる上杉隆さんなど虚言癖のある方が、論理性のまるでない主張をして一人悦に入るところが見られます。
そういった私のイメージが思い込みじゃなくてある程度一般的な傾向なのかも……と思ったのが、次の話です。
アメリカ人は先進30カ国で数学25位、科学21位、ただし自信は1位
(略)Education.comと言うサイトのコラムでは、アメリカにおける教育の現状を冷静に分析しており、要約すると以下の5点を問題に挙げています。(中略)
2. 国際比較をすると明らかに学力が低い
国際ランキングでは数学が25位、科学が21位。2002年に落ちこぼれの子を出さない誓約を立てながら、8年後の実情はミシシッピで14%、ニューヨークで30%、そしてカリフォルニアで24%のみが数学を習得している。また、全国では24~34%の子供だけがその学年レベルの読みを習得している。驚くことに、数学のレベルの低さとは別に、他国と比べてアメリカの生徒が数学に1番自信を持っているとの結果が出ている。(中略)
・アメリカの子供はいわゆるダニング・クルーガー効果"Dunning-Krugereffect"によって、自信が1位になっているのかも。
・ダニング・クルーガー効果:無能な人ほど自分の能力を過大視するという心理学。認識の偏り。知能の低い人間ほど自分をかなり知能を高く見積もる、あるいはその逆の認識をするケースが往々にしてある。
http://labaq.com/archives/51674348.html
このダニング・クルーガー効果に関する話は後々やりますが、上記で省略した部分も気になるでしょうから載っけておきます。
1. 現在のアメリカでは教育に対する予算カットが頻繁に行われているが、問題はお金だけではない
インフレ率に合わせて、生徒一人当たりに費やされる金額が30年間に4300ドルから9000ドルへと倍増したものの、成績が全く上がっていない。他の低予算の国よりスコアが悪い。(中略)
3. 教師の質が著しく落ちているが、解雇出来ない
他の専門職では失敗をすると失職したり資格を剥奪されるのに比べて、ほとんどの教員はふさわしい資質を持っていなくても職を失わない。イリノイ州では57人に1人の医者、97人に1人の弁護士が資格を失っているのに対し、教師は2500人に1人のみ。巨大化した組合が、教職を2年務めると終身雇用という契約を結ばせるためである。
4. チャータースクール(民間運営の新しいタイプの学校)が質の悪い公立の学校の代わりとなっている
普通の学校でうまくやっていけない子たちのバックアップとなっているが、良い結果を出しているチャータースクールは5校に1校しかないのが現状。
5. 子供を学力別に分けることは不公平であり、多くの生徒の成功を奪う
学力別に生徒を分けることはアメリカでは一般的に行われているが、中レベルから低レベルの位置にいる子供に不利な可能性がある。この学力別システムは1950年に始まり、20%のみが大学に進み、30%が専門職(会計士、経営者、その他の大学の資格を必要としない職)、そして50%が肉体労働者になる。
「3. 教師の質が著しく落ちているが、解雇出来ない」ですが、アメリカの先生は日本の比じゃないほどレベルが低い、より正確に言うとレベルの差が激しいようです。
私はそれはきちんとした教員制度がないせいであると聞きましたが、「終身雇用」ってのもびっくりですね。
学力別に生徒を分けた後が問題であり、この場合下位を切り捨てにしているからということでしょうが、その層に適した教育を重点的にやるということは理論上は可能です。
学力別に生徒を分けないということは高校を全部学区別にするなどして、レベル別にしないということになりそうですが、そうしたとしても結局大学は学力別に生徒を分けます。
世界大学ランキング2012-2013 東大はアジア1位で27位(3つ上昇)で1位だったマサチューセッツ工科大学(MIT)への入学を学区制にしましょうとは、さすがに誰も主張しないでしょう。
あと、こういう風に現在学力別に分ける状況にありながらも、なお「1番自信を持っている」というのも不思議な気がします。
普通はこうやると自信を持つ生徒が減りそうなものですが……。
こちらを広げると話が逸れていきますが、先の「アメリカ人は先進30カ国で数学25位、科学21位、ただし自信だけは1位」の波紋です。
・ダニング・クルーガー効果もこの現象の原因ではあると認めるが、どっちかと言うとこれは、アメリカの教育が自尊心を増大させていることが一因のように思う。
良いことを実行させるよりも、文化の良いと思わせる点を強調している。アメリカより科学などで抜きん出ている多くのアジアでは、それほど自尊心を強調しようとする概念がない。でもそれなりに満足を得ているか、自尊心が高い国より幸せだったりする。それは幸福の本質が単に自分のことをどう思うかだけではないからだ。
だから失敗を認めたり、訂正をすることは自分自身の見方を脅かす。これが全てを説明してるとは思わないが、好きな解釈のしかただ。
・自分が何をわかってないかをわかってない状態ってやつだな。同じことがスペイン語を学んだときに自分にも起こったよ。習い始めた最初の1学期が終わったとき「もうスペイン語はだいたい何でも言える、次の学期では何をするのかな」。次の学期が終わる頃「やっと過去形が終わった。うわまだ何もわかってねーじゃん」。(略)
・世界にNo.1であることを宣言し続けなくちゃいけないのなら、深刻な不安定さを象徴している。そういう間違った自信が国を滅ぼす。皮肉にもこの手の崩壊をもたらすやつらこそが、愛国者と呼ばれたりしている。
・宣伝工作もだよ。「世界で1番の健康保険」とか「世界1の憲法」とか「我々の民主主義がすばらしすぎるので輸出しよう」とか、「世界1自由な国民だ」とか。
・その「自由」ってのに引っ掛かる。過去15年で5カ国(スコットランド、オーストラリア、カナダ、アメリカ、ドイツ)に住んだよ。で、一番不自由な体験をしたのがアメリカさ。
・単に他の国が、いちいち「我々はナンバーワン!」とか「U-S-A U-S-A!」とか叫ばないだけだ。ちょっと恥ずかしいだろ。オーストラリア人より。
・記事によると同じ試験を受けた他の国の子供たちは、「一番出来るというわけではない」と答えている。(略)
・実際アメリカは世界的には偉大な大学を持って、研究者も世界中から集まっている。それからお金もだ。研究するための莫大な金を持っている。
・確かに世界でもベストといえる施設だが、研究者たちの70%は少数派の民族だ。(アジア人とか東南アジアとか)
・少し誤解を招いている。サンプルのサイズに大きな問題がある(アメリカは他の国と比べて大人数を教育し、さらに国がそれを無料で提供している)。試験の点数は35%もいる黒人やヒスパニックの悪い成績により引き下げられている。アジア系アメリカ人は平均541点で、上海、香港、日本、韓国と似通った点数である。ヒスパニックではないアメリカ人は平均525点でカナダの524点、ニュージーランド521点、オーストラリア515点に匹敵している。それとは対照に平均のヒスパニックは446点、黒人441点である。
・その書き方だとアジア人、黒人、ヒスパニックはアメリカ人じゃないみたいだな。
・カナダもマルチ民族で白人ばかりではない。オーストラリアやニュージーランドもだ。なのでやはり全体として悪いんだよ。
・違いは民族から来るというより文化からだね。他の文化に比べて、学習することを強調するサブカルチャーもある。
・1年レジで働いたが、みんなお釣りがいくらになるかわかってなくて、小銭を嫌い、余計に請求されても感謝していた。
・「近代の基本的な問題の原因は、愚か者が確信しきっていて、賢い者が疑問でいっぱいだからだ」―バートランド・ラッセル
オーストラリア人としてアメリカに6年住んだ経験から、両国の差を次のように考える。
アメリカ人は「NBAにプレイできるように頑張る」とか「NBAでプレイがしたい」というより、「NBAでプレイをするんだ」といった風に育てられる。自身を肯定することが根付いているんだ。利点としては自信を持つことで実現につながるし、ポジティブ思考であり、自分を信じることにつながるが、欠点としては、自身に対する錯覚や思い違いにつながることがある。
オーストラリアでは偽の謙虚さが根付いていて、自慢したり、何が得意だとかは絶対に言わない。がんばるしベストは尽くしても、自分が人より優れているとは思わない。昔はこれが尊敬すべき方法と思っていたが、今は2つの観念の間にはさまっている。アメリカに住むまでは自分が何かを得意だとは思わなかったし、ネガティブなコメントを恐れて言うべきことを遅らせたりした経験もあった。アメリカの「出来る」という態度や大げさな褒め言葉やサポートは気に入ってる。オーストラリアの真面目に働くところや謙虚さも気に入ってる。
最後にバランスの良い意見が載っていましたが、ダニング・クルーガー効果は全体的な傾向であり、絶対的なものではありません。
場合によりけりであり、世の中では自信を持つことが大事という主張がむしろ多いように、これが良い助けとなる場面も存在します。
過ぎたるは及ばざるが如しで、極端に自信がないこともまた問題となるでしょう。
といった点を踏まえつつ、ダニング・クルーガー効果の別のところの説明です。
ダニング・クルーガー効果(Dunning-Kruger effect)
(略)これは、コーネル大学の2人の研究者の実験による理論として1999年に発表されたもので、「知識の少ない人間が、もっと知識の多い人々より自分の方が物事をよく知っていると思い込む」現象のことです。実験に当たって彼らが立てた仮説は以下の4つで、結果的にそれらがほぼ証明されたのです。
1. 無能な人々は、自分のスキルのレベルを過大評価する傾向がある。
2. 無能な人々は、他者が持っているスキルを正しく認識できない。
3. 無能な人々は、自分の無能さがどれほどのものかを認識できない。
4. こうした人々も、本質的にスキルが向上するような訓練を施されれば、それまでのスキル不足に気づき、それを認めることができる。
http://ogasawara.cocolog-nifty.com/ogasawara_blog/2011/06/dunning-kruger-.html
「それまでのスキル不足に気づき、それを認めることができる」とありますが、能力がない人ほど自分の間違いを認めることができないというのは、最初に書いたコメント欄、有名人だけでなく、職場の人を見ていても感じます。
もう一つのブログはかなり詳しいですけど、ダニング・クルーガー効果以外の話です。しかし、内容的には同じ傾向の話があります。
それほど自信のない人のほうが、より成功する?
by creiajp on 7月 12, 2012 • 12:30 未来の人事を見てみよう
The Worse-Than-Average Effect: When You're Better Than You Think
平均以下効果: もし自分が思っているより自分がマシだった場合
http://www.spring.org.uk/2012/06/the-worse-than-average-effect-when-youre-better-than-you-think.php
そして、
Less-Confident People Are More Successful
それほど自信のない人のほうが、より成功する
http://blogs.hbr.org/cs/2012/07/less_confident_people_are_more_su.html
最初の記事で話題になっているのは、Worse-Than-Average Effect (もしくはBelow-Average Effect) で、ここでは「平均以下効果」と訳しました。(中略)
"もし自分が何かが得意だったとき、同様に他の人にとってもそれが得意だと思いこむ傾向があること。したがって、もし自分が得意な物事において難しいタスクにぶち当たってしまった時に、自分の能力を過小評価してしまう〔なぜなら他の人は得意に違いないから〕"(中略)
この説を唱えているクルーガーという学者は、一般的にはダニング・クルーガー効果で知られています。(中略)
"人々は、チェスやギャグ、ジャグリングやプログラミングといった、ステレオタイプ的に難しいとされる能力について過小評価する傾向がある。"
ということで、自分がある程度学習して出来るようになった能力は、自分でも出来たんだから誰でも追いつけるはずで、自分はそれほど大したことないはずだ、という思い込みですね。実は習熟するまでにはそれなりの時間を投資しているにも関わらず。
http://www.creia.jp/blog/2012/07/12/6
平均以下効果はダニング・クルーガー効果の"逆パターン"だそうです。
本当はよくできているのにも関わらず、そうではないと思う方ですね。
なお、"それほど複雑ではない簡単な内容については、先のダニング・クルーガー効果のほうが当てはまる確率が高い"そうです。
ということは、高度な分野においてはダニング・クルーガー効果はあまり現れず、平均以下効果の方が現れやすいということでしょうか?じゃあ、今日の最初で書いた上杉隆さんは例外になっちゃいますね。
どうにも扱いの難しい「自信」の取り扱いですが、Harvard Business Reviewに載った2番目の記事では、自信のない人のほうが、より成功する、という説を唱えていて、このメディア上ではコメント欄が200近くに達して軽く炎上しています(笑)。(中略)
"自分への自信は低い時に限って助けになる。"
とのこと。ただ、extremely low (極端に低すぎる) のはダメ、とのことで、その案配がどうにも難しいところなのですが。
先のクルーガーの「平均以下効果」が発揮されているような自信のない人のほうが、自信満々の人よりも成功する要因は、以下の3点にあるとのこと。
1.Lower self-confidence makes you pay attention to negative feedback and be self-critical
低い自信はネガティブなフィードバックへの傾聴を促し、自分自身に対して批判的になれる
2.Lower self-confidence can motivate you to work harder and prepare more
低い自信はさらなる勤労・勉強と、さらなる準備に向けたモチベーションを起こさせる
3.Lower self-confidence reduces the chances of coming across as arrogant or being deluded
低い自信は傲慢になったり勘違いしたりといった傾向を減らしてくれる
他人の無知を指摘することは簡単であるが言うまでもなく人間は世界の全てを知る事は出来ない。ギリシアの哲学者ソクラテスは当時、知恵者と評判の人物との対話を通して、自分の知識が完全ではない事に気がついている、言い換えれば無知である事を知っている点において、知恵者と自認する相手より僅かに優れていると考えた。また知らない事を知っていると考えるよりも、知らない事は知らないと考える方が優れている、とも考えた。
なお、論語にも「知るを知るとなし、知らざるを知らずとなす、これ知るなり」という類似した言及がある。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%84%A1%E7%9F%A5
適度に謙虚でかつ貪欲にという姿勢が大切なのかもしれません。
(12/8追記:こういうコピペがあるそうな。
「パソコン詳しいですか?」
工学系「(寄せ集めで自作PC作ったくらいだし…)いえ、そこまでは…」
情報系「(周りの奴のほうが詳しいしな…)まぁ、人並みには…」
文系「(パソコン?毎日YouTube見てるしな…)あぁ、詳しいっすよ」
2012-01-10■僕は自分が思っていたほどは頭がよくなかった しのごの録
"(中略)高校の成績は、いままでずっとAを取りつづけていましたが、去年始めてBをとってしまいました。もしそのBがなければ、卒業生総代に選ばれていたでしょう。
総代にふさわしいのは自分だ、つまりクラスで本当に一番頭がいいのは自分だと思いたいです。でもこの一年で、僕にそれほどの知性はないし、僕より頭のいい人はたくさんいるんだということを思い知らされました。
また僕は、自分の頭のよさについて、少なくとも自分自身に対して嘘をついているところがあります。成績表からAがひとつ盗まれちゃったんだということにして、自分自身を納得させようとしているんです。(中略)昔は、自分はMITに行けるものだといつも思っていました。でも、その可能性はゼロに等しいんだという厳しい現実が明らかになってしまいました。(中略)"
対する返信。
"私は意気揚々とMITの寮に引っ越してきました。(中略)一年生の微積分と物理の単位をすでに取っていました。(中略)
時間が経ち、壁にぶち当たりました。私は高校時代それほどよい生徒ではありませんでした。悪い成績をとれば、適当ないいわけをしたものです。そんなものどうでもいいとか、忙しすぎたとか、やる気がでないとか(中略)自分はちょっとやる気がないだけで、他の誰よりも頭がいいんだと思えました。しかしいまや、そんな考え方は通用しませんでした。(中略)ほんとうに惨めな気持ちでした。
幸運なことに、私のとなりの部屋にはRという賢いやつが住んでいました。Rは、控えめに言っても、優秀な学生でした。(中略)微分方程式に半学期悩まされたあと、プライドを捨ててようやくRのところへ助けを求めに行きました。確か彼は私の教科書を一晩借りて復習して(彼は小学3年生からの全ての授業内容を憶えているわけではない)、その後、私の分からないところをひとつひとつ丁寧に解説して教えてくれました。その結果、学期末に私はB+をとり難を逃れることができました。ここでひとつ大切なことがあります。それは、彼が教えてくれたことのなかに、頭の回転が速くなければ理解できないことなどひとつもなかったということです。彼のことを知るにつけ分かったことは、彼の知性と実績のほとんどは、まさに勉強と鍛錬によってもたらされているということでした。(中略)
「頭がいい」ことが成績の良し悪しを決めるのだと言って自分自身を欺くのは簡単なことです。とても多くの場合で、これはあり得るなかで最も安易な説明です。なぜなら、これを認めれば努力をする必要もありませんし、自分の失敗をただちに正当化してくれるからです。(中略)(おもしろい事実:SATの成績と最も相関の高い変数はSATのために費やした勉強時間です。)
http://d.hatena.ne.jp/tictac/20120110/p1
ダニング・クルーガー効果と平均以下効果のどちらかが現れるかの境目とも関係するんじゃないかな?とちょっと思ったので、ここで紹介しました)
無事に大学院が第1志望に受かったので、今後受ける人のために記録を残しておく。
・シス創の特徴
科目が論理(数学)・英語・小論文・面接の4つのみで、勉強を要するのは事実上論理と英語のみ。英語はTOEFL ITPを当日受験かiBT提出(2014より)だが、iBT提出者は受験者122人のうち2人だけだった模様。
配点は順に300/150/150/200と言われている。
従来、科目数が少なく受けやすいことから他研究科の滑り止め的な扱いで全体倍率が2倍以上だったが理学系研究科との併願は不可能になったからか、倍率が大きく下がり1.5倍程度になっている。
・勉強開始時期
私は3月末より開始。落ちたくなかったし、他専攻を受ける都合上早めに対策しておきたかったため。
・科目別対策
【論理】
論理という名の数学。問題を見ればわかるが、パズルのような問題が多い。20問中15問を解く形式。
H23まではパズルが多く、H24,25は比較的大学数学が多かったが、H26で戻った。
事実上この科目が合否を分けるが、勉強しにくいことこの上ない。
基本的には大学1,2年レベルの数学(微積、微分方程式、線形代数、統計あたり)、公務員試験の数的処理・判断推理、確率のあたりをやるくらいか。
合格ラインはH22までは10/15くらいといわれているが、実際はもっと低いだろう。
H24は不明なれど、H25は4完合格を確認しているほか、合格者平均が7/15らしいので大体同じくらい。
H26は形式こそH23以前に類似しているが、問題の難易度が上昇していることもあり、合格者平均はH25より少し上か、同じくらいと思われる。
私は7~9くらい。
H23は問題が余りに簡単なので、参考にならない。
志望する研究室の人気が高いようなら8/15はほしいところ。
落ち着いて解けば割と行けるのだが、何より時間がなく、あせる。
【英語】
TOEFL ITPで550とれば大体大丈夫。最低でも520はほしい。
圧縮率が高く、差がつかないとも言われるが理系は英語が出来ない人が多い(シス創ABはしんふりの点も低い)ので、550とれば多少は有利になろう。
論理もさほどやることがないので、英語にそれなりに力を入れてもいいだろう。特に文法に関してはちゃんと勉強すれば8割は行ける。
リスニングは市販の教材だと遅いので1.5倍速くらいにして練習しましょう。
ただリスニングはどうせ音質が悪くて聞き取れないので文法と長文中心でやってもいいかも。
iBTは難しいのでITP受ければいいと思います。
【小論文】
対策のしようがない…んですが、周りを見ると「時間が足りなかった」との声があったので文章を読むことに慣れていないときついかも。私は時間が結構余った。
【面接】
志望動機はしっかり考えましょう。
10分しかないので大したことは聞かれませんが、私のような転向組は志望動機を主に聞かれました。
このくらいかな。
さらに疑問が増えるんだけど、そんな地方の学校で、何も情報がない状態で、友だちもそんな事知ってる人が全く居ない状態で、
先生には、物理の問題を微分方程式を使って解いてみたり、学部1年くらいの数学の質問をしてみたりしてた記憶がありますが、まともな回答は得られなかったと思います。
という状況へはどうやって行ったの?
自分も地方出身だけど、地方だと先生もそんなこと教えてくれないし、周りも勿論そんなこと知らないし、親も知らない。
で、大学行ってみると、実際そういうこと、高校の頃からやってる人いるのに驚いたけど、皆、先生が余興で教えてたり、微積に関しては塾でテクニックとして教えてたりするんだけど。
いまならまあネットで知る人も多いだろうけど、よっぽどの事がないと大学数学まで自分でやるなんて事は難しいと思うけど。。。
で、それらを先生に聞いても余り答えてくれないとしてもだ、受験については知ってるはずで。旧帝レベルを目指すくらいならある程度ちゃんとした指標を見てるでしょうと思うんだけど、そこはどうなの?
東大の存在自体を知らなかった、みたいな雰囲気だけど、でも旧帝受けてる人がそんなことはなかろうと思うんだけども。
外の模試とか一切受けなかったの?塾も一切行かなかったの?
中高一貫の学校があるくらいだから、それなりにちゃんとした都市で、周りにいくらでもちゃんとした環境がありそうだけど。(しょぼい中高一貫一校だけあるような地方って存在するの???)
似非数学徒としては,線形代数がなんなのか学部一年でわからなかったし今もわかっていない.
教養課程の数学は,だいたい線形代数と微積分で(いたれりつくせりの学校だと基礎論とか集合と位相のさわりとかあるのかも)
というのが実情だろうな.数学科にいかない場合線形代数はよく使う気もする.よくしらん.
もう特に言うことはないが、小学一年生の喩えで憤慨したと仰るので、なぜこの喩えを出したのかだけ付け加えておく。
この喩えを出したのは、そういうやる気のない小学生を想定してたんじゃなくて、
小学生の頃、友達がそういえばこんな感じの事言ってたなって思い出したからだ。(もちろん正確ではないけれど)
「算数って、お店やさんにならないと使わないでしょ?国語はみんな使うから、国語のほうが大事だよね。」
じゃあこの子にどう返事するの?ってのを、もし暇なら考えてみて欲しい。
私は小学生の時、確かこれに反論できなかった。その頃、算数がなぜ大事かっていう話を先生がするときはいつも、
みたいな事を言ってたからだよ。でもこれおかしいよね。レジに並ぶときカゴに入れた品物の値段を合計して小銭準備している奴って、まぁ居るには居るけれどそんな事しなくてもいいでしょう。私は当時そんな風に思ってて全く納得してなかったけど、まぁなんとなく算数は将来使いそうだなって思ってた。
結局小学一年生の手の届く範囲に、算数の具体的な使い道ってないわけだよ。大学一年の手の届く範囲で線形代数の使い道って、まぁそんなに無いけれどあるにはある。「例えばこれこれこういう使い道があります」って誤魔化しが効かないぶん、線形代数の場合より面倒だと思うんだ。
行き過ぎた例として、
線形代数の授業でジョルダン標準形と常微分方程式しか教えませんでした。てへり
とか、
微積の授業でゲーデルの不完全性定理から始めて微分はフレッシェ微分教えました。てへり
こういう伝説いくらでもあるのよ。
以下を読んで
http://agora-web.jp/archives/1354654.html
以下を参考に考えてみる。
授業時数について
http://www.bunri.co.jp/infosrv/shinkatei_s.html
まず、入学試験にも使われず、「これで飯が食える」という観点では微積分以上に役に立たない実技科目を削る。
小学校では…
生活 207
音楽 358
図工 358
家庭 115
体育 597
合計1635
中学校では…
音楽 115
美術 115
保体 315
技家 175
合計 720
あと、ふやす方は…
学校にエアコンを導入して夏休みを1.5カ月から二週間にすることで、
中学校は
週休二日制を20年前の土曜午前までの週休一日半にすることで、夏、冬、春で2週間ずつ長期休暇があるから、
小中合わせて
合計2238時間!
減らした方と会わせて2350+2238=4588時間!!
すっげー勉強させられる(もしくは遊ばさせる)じゃない!