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2016-08-29

Makuakeの『惑星軌道と同じ動きをする腕時計』がかなり誤解を与えてる

はじめに

https://www.makuake.com/project/anicornwatches/

もし購入者が本当に「宇宙」を意識して買ってるのだとしたら、ちょっと詐欺がかってる気がする。

はじめに名乗っておくと、私は天文学Ph.Dを取得して、現在宇宙関連機関で働いている者です。

結論から言うと、私の主張は、

宇宙惑星軌道ケプラー」と同じ動きをする腕時計』は宇宙とはあまり関係がない

ケプラーの法則とは何か?

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B1%E3%83%97%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%81%AE%E6%B3%95%E5%89%87

第1法則(楕円軌道法則惑星は、太陽ひとつの焦点とする楕円軌道上を動く。[3]
第2法則面積速度一定の法則惑星太陽とを結ぶ線分が単位時間に描く面積は、一定である(面積速度一定)。
第3法則調和法則惑星の公転周期の2乗は、軌道の長半径の3乗に比例する。

注目すべきはどれも楕円運動に関する法則だということ。

昔々、太陽系惑星がどうやって太陽の周りをまわっているのか(公転)が分からない時代に、

地球水星火星のまわり方を調べて法則化したという歴史的経緯がある。

議題の時計はただの円運動なので、ケプラーの法則とは全く関係がない。自転と公転でググる程度で一般の方にも理解してもらえると思う。

モノは言いようだが、ただの円なので、特別なことはなにもなく、宇宙とは一切関係がないのだ。

デザインとしては美しいが、既存の"針"を"円盤"に置き換えただけのただの腕時計

問題時計について、

3層の同心円状ディスクシステムにより時計の針が不要、回転するディスクから秒、分、時間を垂直に読み取ります

とのこと。

だがしかし、これは針が回転する代わりに、赤い印の位置が通常と反対方向に回っていると見なすのと同じことである

分針が1回転したら、時針が1/12回転する通常の時計と同様に、分円盤が回転したら時円盤が1/12回転するだけである

美しいとは思うが、ただの円だし、いままでもよく見られた時計に過ぎない。

美しいが、時計タイトルは完全に釣りである


この時計を持って、飲みの席で「惑星軌道と同じ動きをする腕時計なんだぜ」と言ってみてほしい。

一般常識を持っている人なら鼻で笑うだろう。

支援者は、少し考えを巡らせてみてほしい。

2013-08-25

http://anond.hatelabo.jp/20130825002204

現在知られてる物理法則をもとに地球固定の数学モデルをつくることは可能

からどの物理法則重力は使わないんだよね?地球固定にして惑星のあの動きを再現することを考えるんだよ?

本当に相対性を理解してるしてるなら「記述できない」とか書かんと思うが

あんたの言う、相対性はだから違う。

あのね、繰り返すけど現在物理法則、単純にケプラーの法則から天体の動きを記述することが出来るのはいいよね?

それが重力のような広がりを持つ引力を要する2体間の運動として記述できる、と。

から、これは同じよ言うな磁力で引きあうような場合も同じ式で記述できる、と。


で、その場合、座標軸はどこでもいいよ?例えば太陽中心でも地球中心でも。

地動説は、これがさら太陽と小さな惑星の引力によるもので、太陽が異常にでかく、他の惑星が小さいので、結果的に太陽と各惑星の間の2体運動の様に近似できて、

太陽の周りを惑星が回っているような記述に出来る、と説明できる。

この記述場合でも、ただ座標をずらせば地球中心になるけど、それがそのまま天動説になるわけではないよ?


天動説と言った場合には、まず、太陽や、遠くの恒星はなどは地球を周回するような記述を行う。

これに対し、惑星はそれぞれ特有な特別な性質を別に加えてやる必要がある。これは、上で書いた、"地球中心にした"場合に出てくるものと全くべつの話。

それくらいは分かりますよね?相対的な話ではないの。

地球太陽のどっちが中心なのかという論争なのでそれは違う

本当に地動説天動説の経緯を理解してたら「惑星の動きを説明できないか天動説から地動説に変わった」なんてでたらめは書かんと思うが

なんで自分の思い込みにそこまで自信を持てるのやら

天動説地動説自体は単なるモデルで、昔からあったものだろう?で、天動説の方が記述や考えが単純なのと(惑星などを特別にするのは別としても)、

そもそも地球中心の方が宗教的にも都合が良いこともあって、天動説が優勢になっていったわけでしょ?

地動説のほうがよりシンプルな論拠だけから示せる様な兆候は昔からあったけど、やはり最終的に全てを記述しようとすると複雑になるので、単純な観測と比べるには天動説のほうがやりやすかったわけで。

そこから観測技術が発達して、コペルニクス辺りからはっきりと強い証拠を示せる様になって、論拠もしっかりとしてきて、一方、天動説はほころびが出始めた。

更に進み、重力などの理解が深まり物理的な意味を加えていった所、地動説の考え、つまり地球が固定されてない、と言う事の強い後押しになっている。

物理的根拠とやらが俺様定義っぽいので何が言いたいのかわからんニュートンの根拠は引力の法則だろうとしてケプラーの与えた物理的根拠って何?

これに関しては、例えば重力だけでなく、他の力も同じように記述出来て、観測を非常によく表している。

まりモデルとして、より広く適用でき、より多くのものを正しく記述できる。

重力記述というシンプルものからスタートして、天体の動きを記述出来る。それが現在強く支持されている根拠。

一方、天動説モデルを作る事も勿論可能だが、その根底にくる物理法則が無い。単にモデルとして記述できた、と言っても何も意味が無い。

よりシンプルモデルから天動説で言われた惑星の動きなども記述できる様であれば、再び天動説が優勢になると思うが、今のところそんなものはない。

あるんですか?

http://anond.hatelabo.jp/20130824234322

地球を固定した場合現在知られてる物理法則では記述することは出来ません。勿論、それだけのために"モデル"を作ることは可能です。数学的に書くことも。

現在知られてる物理法則をもとに地球固定の数学モデルをつくることは可能

本当に相対性を理解してるしてるなら「記述できない」とか書かんと思うが

また、天動説地動説は、基準の取り方に基点するものではありません。

地球太陽のどっちが中心なのかという論争なのでそれは違う

本当に地動説天動説の経緯を理解してたら「惑星の動きを説明できないか天動説から地動説に変わった」なんてでたらめは書かんと思うが

なんで自分の思い込みにそこまで自信を持てるのやら

ケプラーニュートンが出てきて、それらに物理的根拠を与えたわけです。その辺りはご理解いただいてるのですよね?

物理的根拠とやらが俺様定義っぽいので何が言いたいのかわからんニュートンの根拠は引力の法則だろうとしてケプラーの与えた物理的根拠って何?

こういう数学モデルケプラーの法則)で惑星の動きが予測できるということなら天動説だって予測できるモデルは作られてたわけだが

2013-08-24

http://anond.hatelabo.jp/20130824214233

別にケプラーの法則が、万物すべてを記述する、なんて言ってないでしょうが。そのくらい分かってて、もう突っ込みようがないから変なツッコミいれてるんですよね???

いやこっちも天動説ですべてを記述するなんて言ってないという皮肉なんだが

一方、天動説地動説と言った場合数学モデル自体が根本的に変わります。そういった、相対的な話ではありません。

そういう風に俺様定義で話を進めるからこじれる

地動説天動説と言ってもいろいろあるわけで数学モデル自体が根本から変わるとは限らん

地動説ニュートン力学相対論区別はついてるの?

http://anond.hatelabo.jp/20130824212655

モーターやエンジンの動作記述するのにケプラーの法則土台にするか?

なんでモーターやエンジンの動作記述するのにケプラーの法則土台にするの?

別にケプラーの法則が、万物すべてを記述する、なんて言ってないでしょうが。そのくらい分かってて、もう突っ込みようがないから変なツッコミいれてるんですよね???

それに相対論理解してるならどこを中心にしようが数学的に記述できるってのはわかりきった話では?

この場合数学記述は、地球を中心にするか、他を中心にするかではないのも理解してますよね?

単純に座標中心変えただけで?

それでも、そこで書かれる式は同じものですよ?単に座標変換されるだけで?

一方、天動説地動説と言った場合数学モデル自体が根本的に変わります。そういった、相対的な話ではありません。

後、「相対論」は、あたたの考えてるような、単純な話ではありません。それは導入時に分かりやすイメージとしてまず挟む与太話の様なレベルの話です。

http://anond.hatelabo.jp/20130824211125

天動説土台では、重力やそのたの物理現象をどの様に記述するのですか?

その他の物理現象は地球を中心にするかどうか関係ないので天動説地動説持ち出す必要ないはずだが

モーターやエンジンの動作記述するのにケプラーの法則土台にするか?

てか、wikipediaの一部を何も知らないまま抜き出してきて、それにごちゃごちゃ付け加えよう、たって無理だよ。

あなたの話、どんどん逃げるようになってるし、根本的な話が何もわかってないじゃん。

ウィキペディア持ち出したのは別の人だし何から逃げてるのかわからん

そっちが質問してるから数学的には地球中心で記述できるって答えただけなんだが

それに相対論理解してるならどこを中心にしようが数学的に記述できるってのはわかりきった話では?

一体何に疑問を持ってるのか不満を持ってるのかわからん

2007-12-01

自分のバックグラウンドを少し明かしたほうがいいのではないか

まじめに話し合おうとしているのか、中2病の大学生二日酔を慰めようとしているのかによって対応は違うから。なんにせよ、元増田ゲーデルを知らないことはよく分かった。以下読み物。

数学歴史は長いが、ユークリッドピタゴラス以降、恐ろしく長い空白があった。その後、ニュートンライプニッツあたりから突如急角度の上昇が始まる。この後、オイラーガウスといった大天才がヨーロッパに続けざまに現れて17世紀から19世紀くらいまでは数学の黄金期と言って良い。こんな急激な進歩があったのは、数学物理学、工学がかみ合って足並みをそろえて進歩を始めたことに原因がある。当初、数学は本当に純粋学問だったが、微分積分が物体の運動を予言できることからにわかに風向きが変わり始めた。

反証可能性」「未知の事象の予測」「知られている事象との一致」といった厳しい原則に基づく科学的アプローチは天動説に反する観測的事実が蓄積し始めたことに端を発するといってよい。太陽を中心とする円形軌道に地球を諸惑星を置いたコペルニクスモデルは、当時の精密化した天動説と大差ない誤差を持っていたが、太陽を焦点とする楕円軌道を提唱したケプラーは、きわめて精密に観測結果に一致した。

その後、ニュートンが現れ、ケプラーの法則万有引力の法則と微積分で説明することに成功した。

このように近代数学と近代科学は足並みをそろえて歩き始めたのだが、この二つには大きな差がある。自然科学(いわゆる科学)は自然の事物を理解するための仮説の集合であるのに対して、数学とは最初に提示された公理とその操作方法に基づく演繹された知識の体系であるということ。つまり、数学自然に根ざしていない。これは強調してもしすぎることはない点で、しばしば数学者はこの数学の自立性を以って自然科学を見下すことがある。

数学公理とその操作からなる演繹的な体系と書いたが、もちろんはじめはそうではなかった。最初はものの数を数えるところから始まり、距離を測り、面積を測り、重さを量り、時間を計るためのツールだった。つまり自然に根ざしていた。が、19世紀後半に精密化が進んだ後、いったん数学は崩壊の危機に面した。それを救うために公理系を整理し、再出発して網羅的に数学の完全性、無矛盾性を証明しようとする動きがあらわれた。だが、最後にはゲーデルが現れ、完全且つ無矛盾公理系はないと証明して、公理主義者たちをがっかりさせた。

数学は出発点こそ自然科学に密着していたが、今では(失敗したものの)公理に基づく独立した体系と考えて良い。そうしたところで、数学の出す答えが変わるわけではない。が、じっくりと考えたときに、自然現象がこうもうまく数学に従うという点については少し気味の悪さを感じざるを得ない。たとえば、速度を積分すると距離を算出できるというのは、科学的な仮説である。この仮説は徹底的に検証されているので安心して利用できる。だが、速度ときょりという自然現象がなぜ数学概念である微分積分にこうも厳密に従うのか。突き詰めて考えると、それは時空間の線形性、時普遍性に支えられているが、それ自身がなぜそうなのか、誰にも分からない。

微分積分というのは公理から出発して導き出された数学の体系のひとつである。それ自身は自然科学的アプローチで反証する必要ない。なぜなら、数学の証明は自然科学実験による「証明」とはまったく異質の厳密な証明だからだ。一方、自然科学実験による「証明」は確からしさを積み上げることでしかない。

http://anond.hatelabo.jp/20071201141145

 
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