はてなキーワード: 動物病院とは
うちの犬の様子がおかしくなったのは、3年前の秋、私が高校1年生のときだった。
後ろ脚だけがもつれる。ふらつく。地面に脚を擦って歩く。何か、様子がおかしい。その時点でそれなりに年を取っていたこと(当時12歳)、以前子宮系の病気になって九死に一生を得たこともあって病院の先生にもよくその存在を知られていたこともあり、すぐに動物病院へ連れて行った。
というのも我が家には昔、その子と一緒に飼っていて、小学生の頃に白血病で死んでしまったもう一匹のコーギーがいたのだが、異変に気付いていたのに大丈夫だと高をくくってしまったが為に病院へ行くのが遅れてしまったという過去があったからだった。
最初に獣医さんが言ったのは、ヘルニアかもしれない、とのこと。コーギーのような胴長短足犬がヘルニアになりやすいのはよく知られた事実である。実際に、昔読んだ様々なコーギーの飼育本のどれもが、ヘルニアという病気について取り上げていた。発症を防ぐために階段の上り下りはさせない、だとか、そんなようなことが書かれていたことを覚えている。実際に、レントゲン写真を見せつつ説明もしてくれた。
ただ、それと同時にちらっと言われた、別の病気の可能性。現段階では確定できないけれども、もうひとつ「これかもしれない」という病気がある、と、何気なく言われた。後ろ足からどんどん動かなくなっていく病気。ヘルニアと違って痛みはないけれども、だからこそ犬自身は気づかず普段通り歩こうとする。今考えると、あれは変性性脊髄症(DM)のことを言っていたのだろう。
とりあえず当面はヘルニアの疑いとして治療を行っていきましょう、という方針になったが、その後の病気の進行は今考えるとまさしくDMそのものであった。
まず、自力での散歩ができなくなった。後ろ脚が本格的に動かなくなってきても、犬はそれに気づいていない。だから、後ろ脚を引きずって前脚だけで歩こうとする。ちょうど、お座りの姿勢で移動しているような格好になる。そうなると、お腹のあたりが傷ついてしまうため、介助ベルトを使って後ろ脚を持ち上げて歩かせる必要がある。だけどそれはかなり負担で、かつうちの犬はあまりそのベルトで釣り上げられつつ散歩するのを好んでいなかった。もともと散歩が大好きで走り回るのも大好きな子だったから、なおさらだと思う。
またこのころ、排便がうまくできなくなってきた。後ろ脚でふんばることができないからとのことだった。獣医さん曰く、自力で出せないが為に腸の中に便がたまっており、新しい便に押されるようにして出てくるしかないため、コントロールができなくなっていたらしい。
もともと排泄はすべて散歩のときに済ませトイレシートなどは使わないのが常だったので、仕方がなくおむつを履かせることになった。ここでうっかりしていたのが、犬用おむつ。コーギーは例外的だが、ほとんどの犬にはしっぽがついている。そのためおむつにもしっぽを出す穴が付いているのだが、コーギーの場合はそれが仇となった。しっぽがないために、排泄物がその穴から出てきてしまうのだ。結局、赤ちゃん用のおむつの中でもとりわけ大きいサイズのものを着用させる方向に落ち着いた。
また、病気になる前からも誰かが家にいるときは基本的にケージから出してリビングの中を自由に動き回らせていたのだが、病気になり外へ散歩に行けなくなってからはほとんどケージを使わなくなっていった。以前のように階段を昇って行ってしまう心配もなかったし、そこまで部屋の中を動き回らないだろうと思ってのことだった。だが、そのすぐ後に問題に直面することとなった。
脚を擦って歩くと、おむつが脱げてしまう。これではどんなに今のおむつに優秀なポリマーが入っていても意味がない。そう考えた私たちは、仕方なく犬に服を着せてその服とおむつとをガムテープで結ぶことにした。見栄えも何もないが、仕方がない。
本当はうちの犬は服を着るのが嫌いで、幼いころに着せた時には気づいたら自力で脱いでしまっていたのだが、この時ばかりは何の不満げな様子も見せずにいてくれた。その後タンクトップスタイルの服から介護用の多機能ベストのような服を着せるようになっていったのだが、その時も何もなく受け入れてくれた。人間と同じで、犬も年を取ると丸くなるのかな、なんて考えたりもした。
ともあれ、私たち家族も犬自身も、病気とうまいこと付き合いながら、いつも通りの生活を続けていっていた。
そして2年前の初夏、ちょうど私が定期考査を終える頃に、犬が体調を崩して入院した。それと同時に、獣医さんからDMのことを聞かされた。そして、DMにかかっている犬の献体を受け付けている大学がある、ということも聞かされた。現段階ではヘルニアではなくDMの可能性が非常に互いが、この病気は脊髄の病気だから生きている間にその検査を行うことはできないため、除外診断的にしか分からないこと、また今はまだ治療法どころか詳しいメカニズムさえも明らかにされておらず、病気の進行を見守るしかないということ。だからこそ、もしも亡くなったときには献体に協力してあげてほしい。そう、言われた。
私はその時点から亡骸を献体として提供することをある程度は覚悟していたが、家族の思いはもっと複雑だったらしい。今年の春先にようやく意見が固まったぐらいだったのだ。かくいう私も、それが本当に犬にとっても良いことなのか、最初は迷った。もちろん遠い目で見れば、病気が解明されて多くのDM犬が助けられるようになったほうがいいだろう。
だけど、そんなそろばん勘定ではものごとは片付かない。臓器移植云々で色々な意見が出ているのと同じだ。当人の意思を省いた周りの勝手なエゴで、犬に嫌な思いをさせてしまわないか? 何度そう考えたか、分からない。
それと同時に、家の中では車いすの話が持ち上がった。自宅から少し離れたところに、犬用の車いすを取り扱っているところがあるらしい。それを聞きつけてほんの少し後の2年前の7月初旬、本当に車いすを作ってもらうことになった。まだ前脚がまったく動かなくなったわけでもないし、車いすを使えば昔のように走り回ることができて犬も喜ぶだろう、という考えだったそうだ。
車いすを使い始めてすぐは慣れておらずたびたび角にぶつけたり私や家族の足を車輪で轢いて行ったりしたこともあったが(笑)、犬は車いすを気に入ってくれたようだった。昔のように散歩ができることを、何よりもうれしそうにしていた。体力が落ち、徐々に前脚にも力が入らなくなってくるまでずっと、その車いすと共に外を歩き回ったことをよく覚えている。
車いすに乗らなくなって少ししてから、悪い癖がついた。目に留まったものを噛んでボロボロにしてしまう癖だった。それまではほとんどそんなことをする子ではなかったが、動けないことへのストレスがたまっていたのだと思う。新聞に始まり、プラスチック製のかご、障子、畳まで噛むようになった。少し目を離したすきにやられてしまうのでどうしようもなかった。帰ってきたら新聞がバラバラになって床に散乱している、なんてのはしょっちゅうだった。
同じころに、褥瘡が見られるようになった。いわゆる床ずれだ。お腹のあたりを中心に、毛がなくなり、代わりにかさぶたのようなものができていった。とても痛々しく、見ていてもかわいそうだった。せめて早く治るようにと、患部を清潔に保つことを心掛けるしかなかった。
受験勉強で私しか家にいないときは同じ部屋に犬を連れてきて、冷房の効いた部屋にいさせて熱中症を防ぐと共に様子を気にかけつつ勉強する、なんてこともあった。基本的に昼間はずっと寝ているので、そのいびきに少し腹が立ったこともあったが、それもいい思い出だ。
私が高校を卒業し実家を出たころから、呼吸がおかしくなっていった。この頃には胸ではなくお腹で呼吸をするようになっていて、呼吸自体も荒くなったりすることもよくあった。また、それより前ではあるものの、鳴き声も以前のように太いものではなくて、かすれたような声で鳴くようになっていた。
息を引き取る二日前、お水もご飯も摂らなくなった。大好きなおやつやミルクにも興味を示さなくなり、いよいよか、と覚悟した。DMは基本的には食欲の低下は見られない。ただし、終末期を除いて。病院で点滴を打ってもらってから少し食べ物を食べたりもしたそうだが、嫌な予感は当たっていた。次の日の昼、呼吸がおかしくなり、そのまま息を引き取った。
学校からそのまま急いで実家へ帰り、亡骸とようやく対面した。寝ているときの様子とまったく変わらない、いつも通りの表情をしていた。そのとき、以前獣医さんが言っていたことを思い出した。DMは、たとえ進行していても犬自身は痛みを感じない。白血病で亡くなってしまったもう一匹のコーギーは最期のその瞬間以外はずっと苦しそうだったけれど、この子は苦しまずに逝けた。それだけでもずっと幸せだったのかもしれない、と思った。
翌日の朝にDMのコーギーの献体を受け入れている大学へと訪れ、病気の経過を伝えるとともに献体として提供した。褥瘡の少ないからだを見た大学の動物病院の獣医さんに、よく介護されていたんですね、と言われ、自分たちのやってきたことは間違っていなかったんだとようやく一安心した。
そして、ご協力ありがとうございます、と何度も感謝された。大学のほうにはかかりつけの獣医さんに連絡してもらっていたそうなのだが、そのどちらからもすごく感謝されたことをよく覚えている。DMのコーギーは大学付属の動物病院でも何匹か診ているそうなのだが、あまり献体を提供することに協力的な飼い主さんはいないらしい。最後の最後に、苦しい思いをさせるかもしれない。そんな気持ちは、誰だってあるだろう。
献体提供後、検査をした後にはペットの葬儀社で個別に火葬してもらい、お骨はこちらに戻ってくるとのことだった。私が実家を出る日の朝、ちょうどお骨が家に届いた。大学を訪れて3日後だったと記憶している。人間の葬儀の時のようにしっかりとした骨壺と骨袋に入れられて帰ってきたそれは、他のペットたちの写真と一緒に今も実家に大切に保管されている。
獣医学部に入った段階で、生涯年収はかなり低め、あるいは人並み以上の生涯年収は得られるが人の倍以上働く人生が待ってる。
まず、動物病院。
動物病院で働くと、かなり安くこき使われる。
いい獣医さんと、そうでない獣医さん、その違いってわかる人なんかいない。
というより、いい獣医さんの基準なんて、人それぞれで、主観的なもの。
腕がいいとか、仕事が早いとか、そういう絶対評価じゃなくて、あくまで主観。
親身になってくれる、みたいなもんでしょ。
そして、次は安いこと。
度外視で汗水たらしてくれて、安い、そりゃそういう職場環境になるよ。
病院経営は遊びじゃないから、当然建屋には維持費がかかり、開業資金は返済しなくてはいけないし、そんな感動ポルノをやったら切り詰めるのは人件費しかないわけで。
客が、ペットの余命を5年延ばすために何百万出せるかって話。
動物病院だって、年に1回使うかどうかの高度な検査機器をに、1千万も出せるか?
その情報がなかったら死なせてしまうような検査機器だったらそれでも買うかもだけど。
いや、買わないか。
万全の設備でオペをしても、なにもモニターしないでチャチャっとオペしても、客がみるのは請求額だけでしょ。
本当言うとさ、ヒトじゃ禁断の優生学を使って、病気も怪我も滅多にしない健康な犬でも猫でも作れるよ。
でも、そんなの求めてないでしょ?
筋骨隆々、雑に扱っても、なにを食べさせても平気って犬を求めてるわけじゃないでしょ?
人の倍くらい働いて年収400万、終身雇用なんてないから、動物病院開業資金を貯めて、そんな稼ぎじゃ当然足りないから銀行に借りて、晴れて開業。
人を雇う余裕が出たら、自分がされたように、安く安く新卒の獣医を雇う。
だって、本当は雇いたくないんだもん。
狂犬病予防法で、獣医を野良犬捕獲の陣頭指揮役に保健所に置かないといけないけど、ぶっちゃけ置きたくない。
他の大卒と同じ給料だから雇ってるけど、獣医が保健所にいるメリットなんてないわけで。
最近じゃ野良犬も少ないからさ、窓口でエイズの相談受けたり、スーパーのバックヤードに指導に行ったりだけどさ、獣医じゃなくてもよくね?ってみんな思ってる。
当の獣医ですら思ってる。
食肉検査もさ、そりゃ重要な仕事だけどさ、獣医じゃなくちゃいけないといやそうだけど、そうでないとも言えなくもない。
リスクを取って全摘か、日常生活に支障が出ないように温存か、みたいなやつ。
でも、食肉検査ってそういうんじゃないじゃん。
流れてくる肉の色がおかしかったら、原因はさておき、全部アウトにするしかないじゃん。
そりゃね、すっげー高い和牛なんて、廃棄は勇気がいるけどさ、食の安全のほうがずっと重要なわけで。
もちろん、獣医のほうが、なぜそんなおかしい色をしてるのか、おかしな病変があるのかの原因の推理は出来るんだけど、おかしいことは誰でもわかる。
だからね、食肉検査をしてる獣医だって、それ以上の給料は望めないのは知ってる。
高度な教育を受けたのだから、高い給料をくれというのは通らない。
高度な教育を受けた人が検査しても、そうでない人が検査をしても、結果がかわらないなら、望む給料はもらえないのが道理だ。
それは、増田の諸君を含めて「獣医師は稼いでいる」って思っているんじゃなかろうか、と。
残念ながら獣医師は「6年間の投資に見合うほどのリターンは得られない(ただし、一部の人を除く)」が正直な実感。
獣医師の仕事として、世間の人がまず頭に浮かぶのが小動物臨床、いわゆるペットのお医者さん。
そして、鳥インフルエンザや口蹄疫のときに注目される公務員獣医師。
といったところかな。
獣医師の仕事の範囲としては、ほかには医薬品メーカーでの研究職や畜産コンサルタント、動物園獣医師などなどいろいろあるけど上記3つについて知っている範囲で書いてみる。
小動物臨床は専門ではないのでざっくりとしか書けないけど大まかなイメージとしては、
卒業→病院に就職→3年位で次の病院に就職→3年くらいで次の病院に就職・・・を繰り返し、タイミングのよいところで開業
というのが多いのかなと。
医師のように研修制度が充実していたり、医局があるわけでもないので、就職先は自分で探して回る感じ。
開業までは労働時間からすると給料も安い。医師でいうところの研修医がずっと続く感じ。
医師のように総合病院があるわけでもないので、勤務獣医師である限りは高給は望めない。
そして、開業。
実家がもともと動物病院ならいざ知らず、自分の代で開業したときに開設費用を自分の代で返せるかどうかってところ。
最近は動物病院でもCTとかMRIとか置いてたりするので、買った病院はがんがん使わないとペイできないんじゃないかな。
小動物臨床は自由診療なので、診療費の値づけは病院が決められる。
けど、よっぽど腕がよくないと周りの病院と価格差つけられないんじゃない?
勤務獣医師だと食ってけないので開業する人はいっぱいいるしね。
成功した人は稼げてる。
大動物診療は、あまり知られていないけど農業共済組合(NOSAI)に所属している獣医師が多い。
これはNOSAIに牛などの飼主が加入し、NOSAIの獣医師が加入者の家畜を診療する。
診療費は固定されたお値段。(全国のNOSAIで統一されてるかは知らないが、県内は同一価格になる)
なぜなら獣医の収入が上がる=農家の収入が減るor畜産物の価格が高くなる。
ただでさえ輸入畜産物より高いのに、肉の値段牛乳の値段高くなっても買ってくれるの?
そして、知的好奇心を満たしてくれる度合いは小動物に比べると低い。
仮にブラックジャック級の腕を持つ獣医師がいて、その牛を助けることができたとしても、牛を治療するよりも処分したほうが経済的に合理的ならそちらが選ばれる。
わが子のようなペットと収入に直結する家畜じゃこの差が生まれるのは当然。
公務員獣医師。これもあまり知られていないけど、公務員獣医師には2系統いる。
鳥インフルや口蹄疫で獣医師が足りない!っていわれてるけど、正直どっちも足りていない。
家畜衛生は家畜保健所にいて法定伝染病(鳥インフル等)の監視だったり、地域の家畜の衛生向上だったりと農家をまわって診療したり検査したりしている。
公衆衛生は保健所やと畜場にいて、飲食店の監視だったり、と畜した牛なんかが病気にかかってないかなどの検査をしたりしている。
これは公務員の給料の基準になる俸給表が医療職の表が適用されていないので、扱いとしては農学部卒かよくて大学院卒と同じ扱いになるため。
最大出世で本庁課長級に一人二人なれて、もしかしたらその上になれるかどうかってところ。
私立の獣医学部卒業に2000万かかるとして、そういう人が公務員なりたがると思う?
一番足りなくて困っている公務員獣医師がこれだけの処遇しか受けていないっていうことをわかったうえで、獣医学部の新設によって鳥インフルに対応する獣医師を増やすかどうかを考えてほしい。
自治体によっては15年間特別手当(斬減して15年目になくなる)をだしたりするとこもあるみたいだけど、それって15年間給料一緒ってことだと思うんだよね。
それって何やっても(何もしなくても)給料一緒ってことだったら、やる気なくならない?
獣医師を大量生産→小動物が飽和→公務員に流れるのを期待するより、
公務員獣医師の待遇改善→公務員が増える のほうが早いし合理的な気がする。
それと、既存の獣医学部の教育にもっと投資して、小動物じゃなくて家畜の診療のための授業がもっとできるようにするとか、定員を増やすとかしたらいいと思うんだよね。
そういうとこの学生が卒業したって大動物臨床に進むとは思いがたいんだよね。
私大のニーズが小動物診療に偏るのはしかたないので、そういうところで大動物診療の授業がもっとできるようにするとか、大動物診療に力を入れている大学の定員増やすとか予算増やすとかの方が効率的に思えて仕方ない。
安倍総理が全国に獣医学部新設を認めるとの発言をした。それについてネット上で様々な意見が見られるが、多くは今まで新設されていないことがおかしい、既得権益だ、動物病院の料金が下がるなら歓迎だ、といった意見が多いようである。私は小動物臨床獣医師であり、利害関係者の意見と一括りにされてしまうかもしれないが、モヤモヤしていたので匿名で吐き出したい。
諸外国と比べて、既存の獣医学科の数が極端に少ないということはないようである。
2獣医師会の主張は何か
獣医師の数を絶対増やすなということは言っていない(大阪府立大学の獣医学科の定員数の増加要請をしている)。
既存の獣医学科の規模が小さすぎで必要な教官、スタッフが足りない。従って統廃合が必要。統廃合は地方自治体の反対により難しかったため共同獣医学科という形で取り組んでいる。
獣医学部を新設するとなると既存の大学から引き抜いて来ざるを得ず、これまでの獣医学教育改善の流れに反するのでやめてほしい。
既存大学からの観点と、小動物臨床獣医師からの観点があると思うが、ここでは小動物臨床獣医師の観点から述べる。
獣医学部新設がない状態であっても小動物の獣医師数及び動物病院数は増えている。犬と猫の数もこの間増えているが、その伸びは獣医師数、動物病院数の増加率より低い。緩い競争なのかもしれないが、全く競争がないようなイメージを持たれているように思う。少なくとも私の身の回りの先生たちは全員、小動物臨床が既得権益であるかのような言われ方に首を傾げている。
http://plaza.umin.ac.jp/~vetedu/files/2013kyouryoku09-01-1-.pdf
(平成10年から22年までの12年間に小動物臨床獣医師の数は8369人⇨13271人へと増えている。動物病院の数は9257⇨16200へと増えている。犬と猫の飼育頭数は1659万⇨2147万と増えている。)
4動物病院の数が増えたら料金は下がるか
まず、普通に考えれば動物病院の数が増えれば一病院あたりの来院数が減るわけで、それを補うために1頭あたりの料金は上げざるを得ないはずである。ではどこが上がるか?誰がやってもほぼ同じであるフィラリア予防やワクチンについては値下げせざるを得ないかもしれない。しかし、トラブルのリスクがあり技量の良し悪しが結果に直結する手術の費用は上がると思われる。(例として、過当競争と言われる歯科業界で、自由診療であるインプラントの価格は激安でしょうか?違いますよね、、、?)。手術の費用が上がれば欧米のように安楽死も増えるのかもしれない。それが結果的に良いことかどうかはなんとも言えない。
獣医師の数が増えても良いと思うけれど、
Fラン大学増やして補助金をそちらに流すなら既存の獣医学科に使って欲しい。
政治力使うなら統廃合すすめるほうで発揮して欲しい。
6年かけて大学行って国試落ちて関係ない職業に就くのって本人、親、納税者、誰にとっても特じゃないと思うよ。(大学関係者は留年ビジネスできて得かもね)
前回の知恵袋も含めて騒ぎになる前の関心のある人達の意見です。
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q13169087098
2017/1/1119:04:04
1.名乗りをあげている大学は岡山理科大(非常に偏差値の低い大学)、広島大学に設置ならまだ理解が出来ます。
3.四国に獣医学部がなくても鳥取・山口・大阪には獣医学部がある。
もし、感染病(BSEなど)が発生しても現在は瀬戸大橋・しまなみ大橋があり交通の問題はないので、何かあれば対応がとれるのでは?あと畜産業はどう考えても衰退していくのが目に見えているのに。
4.四国の学生にチャンスをって、どう考えても関東圏の優秀な学生が合格しそうだし、四国と都会の学力レベルの差って残念ながら大きいでしょう。
2017/1/1605:54:23
京都案も私学前提ですが、確か京大出身者が創立した、京大とパイプのある生命科学に重点投資している私大でしたしね。かなりのハイレベルな研究者を集めていましたし、京都案の方が説得力があるような意見も専門家の間には無かった訳ではないようですが、特区の今治を含めた四国の町興しが優先されたのかな。それは、それで国土の均衡ある発展と言う総合判断なのでしょう。京都は隣県で同じ特区の大阪府の府大に獣医学類が、あるのもあったのでしょう。しかも、府大と市大の統合も議論される微妙な時期。本当に必要なら、国公立で作れば良いとは思いますが、京都案も私学でしたから、民間活力と言う視点があったのかもしれません。まあ、いろんな事情があるのでしょう。基本的に新設が認められない獣医学部ですから、特区今治市さんは、よく頑張られたと思います。
2017/1/1501:43:15
設置は加○学園とA首相の太いパイプによってA首相の独断で決まりました。
加○学園が得をする利権だけの理由なので獣医学部が必要だとかそんな社会事情は関係ないです。
2017/1/1311:59:19
学校法人K学園はどうしても獣医学部が欲しい。ずーっと欲しかった。獣医学部に近い学部は既に持ってますし、倉敷芸術大学には付属動物病院まで設けている。 今治市は経済効果を期待。笑える話、今治市議が日本獣医師会にて懇談を行った際(4月13日)、今治市には獣医師の雇用は無く、将来的にも雇用の予定は無いと返答。両者の思惑が合致した。K学園とソーリは大変仲がよろしい様でパブリックコメントを募集していたものの形だけで決まった様なものらしい。K学園の経営する学校、大学はどれも偏差値が低く、設立されても悲しい結果になりそう。
2017/1/1311:42:47
政府と広島県、今治市は1月12日、国家戦略特区の区域会議分科会を開き、今治市に新設予定の獣医学部を運営する事業者として岡山市の学校法人可計学園を選んだ。
近く開かれる国家戦略特区会議での事業計画認定を経て、獣医学部が新設されれば50年ぶりで、四国で初めてとなる。
省略
応募するだろうとの見込みは立ちます。
どう考えても無理だと思います。
猫貰ってポスター貼りだしを断られた時に坊さんに言われたが、寺や神社の人は優しいはずだと捨てられやすくて困ってるらしい。
あとは動物病院に子猫が欲しいと頼んだらどうだろう、拾った時にとりあえず綺麗にして病院で見てもらうから、そういう人から回ってきやすくなる。
あとは捨て猫を保護して貰い手を探してる団体はたくさんあるからそこからとか。
普通の人は猫捨てられて困ったら保健所に渡すから保健所からとか。
猫を拾って困ってる家はたくさんあるから、近所や知り合いに捨て猫が欲しいと言えば年に一度か二度くらいの頻度で押し付けに来られるけど、きりがないからオススメできない。
私は最初に拾った時に近所や知り合いに猫もらってくれんかと声をかけたせいで、それから毎年捨て猫を押し付けられた。
あとめっちゃ小さな赤ちゃん猫は自分でウンコできないから注意、お母さんが肛門を嘗めて刺激してさせるもんだからぬるま湯に浸したティッシュとかで優しく刺激して出させてあげんと死ぬ。
非常にエゴイスティックな悩みかもしれないが、
画像検索したらわかるが非常に痛ましくて、治療も難しい病気だ。
気が付いたときには、もう鼻もなくて、目元まで病に侵されていた。
常に傷口から血がでて、見るからに弱ってて素人目にも長くないことはわかる。
でも、痛みだけでもやわらげられないかと動物病院にでもつれていこうとした。
が、ここで。ふと思った。
「同じだけのお金を出せば、もっと多くの猫が救えるんじゃないか?」と。
1匹の猫を見殺しにすることで、そのお金でもっと多くの猫が助かる治療や避妊手術なんかもできるかもしれない。
それがわかっているなら、最も効率的なことを行うべきなんじゃないかと。
でも割り切れない。死が目前の猫に少しでも安らかな死も与えてあげたい気も大きい。
どうしたらいいんだろう。
災害は「自分は関係ない」って思っている人のところに来る。神戸の震災は神戸には地震は来ないって言われてたのに来た。東日本大震災の被災地ではずいぶん前に起こった大津波を忘れかけて、ほんとは建てちゃいけないところに家を建てたりしてた。九州の人たちは東北は遠いし震災のことはぴんと来ないといっていたら熊本に地震が来た。そのうち増田のところにも来るだろう。神戸でも家具が倒れないようにしていたところは被害が少なかったし、東日本大震災でも高台に家を建て、訓練通りに逃げた人は助かった。熊本でもペットが避難できる施設を作っていた動物病院で助かった人がたくさんいた。増田は震災にあった人の気持ちを想像する余裕はないのかもしれないけど、発達障害の自分が災害にあって避難所生活をしなければならなくなったらどうなるか想像して、準備できることはしておくといいんじゃないかな。障碍者が災害にあったらどうなるかという体験談は探すと結構あるよ。
猫の一生を100%とすると、子猫の期間はそのうちわずか5%にも満たないということ。
耳が折れた、足が短いなど、見た目が特異な猫には起きやすい疾患もあるということ。
ペット保険未加入の場合、動物病院での診療は全額負担のため高額になるということ。
粗相が治らない猫、躾をしても覚えられない猫もいるということ。
適切な時期に避妊去勢手術を受けないと、特定の病気を患いやすくなること。
旅行の際には留守番係を設けるか、ペットシッターが必要になること。
早く親から離された子猫は、不安とストレスから将来問題行動を起こす可能性もあること。
猫ブームで、いろいろな可愛い猫がマスコミで取り上げられています。
でも彼らは生き物。人間と同じ命です。
可愛いからといって安易な気持ちで飼い始めると、後から色んなことに気づくと思います。
どうか、人間の家族が1人増えるのと同じくらい、家族が増えることを真面目に考えてください。
見た目の可愛さだけで買うことや、アクセサリー感覚で買うことは、どうかやめてください。
今でも多くの犬や猫が、飼い主の手によって保健所に持ち込まれている現実があります。
そこに待っているの多くの結末は「死」です。
真面目な飼い主さんが増えることは、不幸な犬猫を減らすための大切な一歩です。
実家で飼っている犬が死んだ。
膵炎だったらしい。
いつも予防注射をお願いしている動物病院では、これまでも定期的な検査も提案され、
2日入院させている間に(もちろん2日間お見舞いには行っていたらしい)
完全にぐったりしているばかりでなく、
可哀想だったので、連れ帰ってきたという。
検査を断って、
連れ帰ってきて、往診してくれるという獣医さんがいたので、
昨日診てもらったら、すぐに、十分な高齢だし、膵炎だという診断。
できるだけ一緒にいて見送ってください、と言っていただいたそうだ。
病気のことだから、一概に入院させた動物病院が全部が全部悪い、と思ってるんじゃない。
でも、犬だって、死ぬときに、病院の檻のなかでさみしく心細い思いをして死ぬよりか、
もし言われるがまま検査を受け続けさせて、退院させなかったら、
言われて、何万も請求されたのか、
と思ったら、なんかゾッとする。
なんだか、とっても悔しい。
http://anond.hatelabo.jp/20161005192648
飼って良いのは飼われる覚悟のあるヤツだけだ。
彼女がオマエに対して、次のような「紹介」をした際に、受けとめる必要がある。
「犬のおまわりさんって困ってしまってわんわんわわんわんわんわわんだったんだって。で、メタモルフォーゼできる犬の出るカートゥーンが……」
「桃太郎に出てきた犬ってきびだんご一個で鬼退治させられたわけでしょう?それで、こんどPETAが……」
「渋谷駅の銅像のモデルになった、ハチ公っていう忠犬がいて……」
「N.W.Aてドクター・ドレーが所属してたんでしょ?それで、will.i.amのCD持ってきたんだけど……」
「『アーティスト』のアギーちゃんが出てた『俺たちスーパーポリティシャン』って映画……」
こういう「非犬好きの彼氏に勧める」「犬興味ない彼氏を」「散歩不精の」「雑種未体験の」「飼いたい犬を」みたいな、
彼女がオマエに対して「自分の犬を紹介して、できれば一緒に飼ってほしいな」という願望に対して
オレは犬にも犬にも犬にも犬にも犬邦画にも興味はねェヨって言わないヤツだけが
次のオススメ一覧を参考にできるし、その上で勧めても良いし、勧めなくても良い。
アレは犬がかわいそうでとっ散らかってる上に、全体的に「神経を試す」要素が強い。
「甘え」とまでは言わないが、「科学の発展」と言う割に、相手にだけ負荷をかけていると思う。
想像して欲しい。
「混合ワクチン接種は現在のペットを飼う上ではどうしても外せない。どう思ったか聞くのが狙い」
現実世界は徳川綱吉じゃねえから、病院のベッドの上でイヤイヤされたら二度と仲良くなれねえぞ。
彼女と一緒に「君の名は。」を観に行って、相手が「犬出てなかったじゃん!」となっていること。
犬を嫌悪しない
犬に忌避感がない
犬なら付き合ってくれる
目標は「自分が勧めたら、アフガンハウンドでも一緒に飼ってくれる」ところに持っていくこと。
いきなり超大型犬かよ!とか言わない。
必要なのは「相手の飼いたいもの」と「自分の趣味」とがクロスしている部分を探す努力だ。
『アルプスの少女ハイジ』でもおなじみの犬種で、基本的に性格はおだやか。
こどもに対しては人間にも犬にもやさしくて頭のいい、よく出来た犬種だ。
大きいイヌは威圧感があった怖い……みたいなベタ先入観を茶化しつつ、ベタベタにじゃれてくる。
オタクとして観るなら「換毛期に落ちた毛をどうやって回収するか」に着目してみよう。
昨今観ることのなくなったデカい犬の一挙手一投足に注目するのもおすすめ。大型犬すげえぞ。
たまに大型犬が嫌いな女性もいるが、普通の犬なのでそこまでマイナスになることもない。
(ただし、相手に負荷をかける意味は全く無いので、イヌがのしかかってきたら配慮してあげること)
一見気品ある、気位が高そうな見た目ながら、実際飼ってみるとに(彼女にとって)親しみやすい要素を多く含む。
しなやかな肢体と、すらっとしたチャーミングな体躯で目をたのしませてくれ、
ガチャガチャとした被毛や、実は意外とヌケている性格をスッキリ見せる。
オタクとして観るなら「ロシア貴族に猟犬として愛されてたころの名残」を一つでも多く探そう。
彼女に「ボルゾイちゃんと今日も一日がんばるぞい」と言わせられれば目的達成。
オマエまた超大型犬かよ!とか言わない。
ドッグショー要素を排除しつつ、あくまで人間のパートナーとしての遺伝子を挟んでくる犬種。
親父の都合で引っ越しを余儀なくされ、アクシデントにも前向きに取り組むものの、
転校初日の自己紹介で情緒不安定になってしまう少女ライリーちゃんにもきっとやさしくしてくれる犬だ。
人見知りやすい割に、ちゃんと身内にはなついてくれて安心できる。
「『フランダースの犬』のパトラッシュとちょっと違うけど、みてて面白い」と相手が思えば目的達成。
「ブリアード」→「ボーダーコリー」→「オールド・イングリッシュ・シープドッグ」
(コーギーを完走できれば、ほぼ教化は完了している。ペンプロークとカーディガンを一緒に飼えるだろう)
ジャックラッセルのテリアじゃないけど、かなりのガッツもある。
「『デレステ』の渋谷凛のテリアとは方向性が違うテリア」を違和感なく観てもらえればOK。
この辺で多少、飼い終わったあとに在りし日の思い出が言い合えればベストだけど、どうかな。
いまさら柴かよ!とか言わない。
偽装飼い犬になるバイトを憧れの人間から持ちかけられたわんこが、
人間の実家でかわいいかわいいと親戚一同にモミクチャにされながら
「かわいかったけど、犬は苦手かな」と言われたらここで一旦諦めよう。
皆様おなじみシベリア生まれの雪玉野郎だけど、ちゃんと血統をつなでいるのがエライ。
前提知識が要らない、極端にじゃれにいかないけどじゃれも入れてくる、
紛れもなく犬オタ向けであり、歴史ネタ(最初に南極大陸を踏んだ犬)もちゃんと入ってる。
あとは好きにしろ。
犬から入って、犬、犬、犬、犬、そして犬。
おおよそ、20年~100年半ほどかけて、いわゆる犬オタの好む犬に寄せて行こう。
毛並みの綺麗な犬や上級者向きの野犬ばっかりの構成では意図するところが達成できず
ディンゴとの邂逅で絶縁されかねない。
ティーカッププードルとかカニンヘンダックスあたりですら「ちゃちゃい活発な犬種」ってだけで
いきなり見せたら、かわいい!マジで!このわんちゃん以外みんな(おまえも含め)死ねば良いのに!って思われても仕方がない面もある。
(ボクサーとかブルドッグとか、その手のきもカワ犬からの距離を考えよう)
みんな麻痺してると思うが、結構一発アウトになる犬ってあるんじゃないかな。
シャーベイとかチャウチャウとか、非犬オタから見たらアビシニアンと同レベルだと思う。
(正直、ワイマラナーも一発目はムリ)
段階さえ踏めば犬は好きなので良いと思うんだけど、
いわゆるオタク向け犬に慣れてもらうのって大変だと思う。
ポルテュギーズ・ウォーターとかオバマが飼いはじめたことで知名度あがったけどまだ貴重だし、
ペキニーズみたいなアクの強いのもアレだし、
書いてて思ったんだけど、「勧めたら一緒に飼ってもらえる」信頼を得つつ、
『101匹わんちゃん』観てても「ああ、なんかダルメチアンばっかりのアニメだけど、面白いのかな」って思ってもらえるって
すんごいハードル高いな。オレの友人はついに犬のきぐるみを購入することに成功したらしいが。すげえな。
やべー。
うちの犬について書くの忘れてた。
おまえらにはやんないけどな。
健闘を祈る。
同じ風に感じている方がいるなら、今いる子を可愛がって欲しいと、そう思う。
あと、決して後味のいい話ではない。
愛犬、と言いながら、実際に愛していたかといえば、怪しいものであった。
中学生のとき飼い始めた小型犬は、自分のしつけと世話がへたくそだったおかげで
飼い始めて5年後くらいに父の実家の祖母に飼われることになった。
散歩がろくにできないこと、糞尿の処理が面倒だったこと、
頻繁に洗えなかったこと、そしてその汚れや臭いで、
更に近づこう、触れようという気持ちが遠ざかることの悪循環だった。
全てにおいて未熟そのもので、そして同じく犬を買い与えた親ですら
汚れて狭いケージで過ごした5年間は、彼にとってはさぞかし地獄だったろうと思う。
祖母に引き取られてからの8年間は、ケージの中でなく、自由に家の中を歩く事ができ、
1日2回の散歩に連れていってもらい、月1回のトリミングとシャンプーで
不潔であることはなくなった。当たり前のことだった。
引き取った頃はガリガリに痩せていて、カーテンや畳に尿をかけて大変だったと聞いた。
祖母を信頼するようになったら、徐々にそういったことが減り、
よく『笑う』し返事するようになった。
(愛されている犬の写真というものは毛並がきれいとか、瞳が輝いているとか、
それ以外にも、『表情が笑っている』ように自分には見える。)
祖母に引き取られた後も、時々顔を見せるようにしていたが、
久し振りだね、元気にしてた?遊んでよ、と寄ってくる。
自分はますます彼をきちんと世話できなかったことで自分を責めた。
でも、彼にとっては自分からの愛情がほしかったのだろうとおもう。
祖母のことは好いていたけれど、それとは別に、自分からの愛情が。
祖母はたまに嫌味を言ったが、それでもこんなに笑って幸せそうに暮らしているのなら
彼にとってはそのほうがずっとずっといいと思っていた。
あんな飼い方をするより、嫌味を言われるくらいどうということはないと思った。
(その後その犬は胃を患って、ご飯が食べられなくなり、今から5年前に息を引き取った。
可愛がっていた祖母はたいそう悲しんでいた。)
その犬が祖母に引き取られて数年たたないうちに、
また親が別の犬を家に連れてきた。
同じ職場にブリーダーがいて、このほど子犬が生まれたのだという。
もしペットショップなどで購入したら30万くらいだろうと思う。
それを20万で譲ってくれるというのだ、試しに1日だけ家で見てみないかと、
自分は世話ができないので、全て親が見るのならいいが、
そうでないのなら飼うべきでない。こんなにかわいいのなら他に飼い手が見つかる。
絶対に返してきて、そう何度も念を押した。
その次の日、自分は遠出の予定があり、外泊したため家に2日ほど帰らなかった。
帰宅したらどうだ、察しの通りあの犬はまだ家にいた。
飼うことに決めたのだと。今度は狂犬病予防もワクチンもフィラリアの知識もある、
散歩も協力して行こう、ということで支払が済んでしまっていた。
それから10年、やはり親は忙しいという理由で散歩にいくことはしなかった。
家に人が尋ねれば、誰かが来たことにワンワン鳴いた。
犬のいる部屋で家族の誰かと誰かが触れ合ったりすると、羨ましがってワンワン鳴いた。
洗濯かごを持てば、また部屋に人が戻ってくることが分かっていたから、やはりワンワン鳴いた。
あんなに放置しているのに、なぜだか親に一番尻尾を振っていた。
自分は多分2番目だったと思う。
この犬もやはり、誰の愛でもなくて親の愛が一番欲しかったのだと思う。
その犬を飼い始めて3年後、大学最後の1年だけ単位が足りず恥ずかしながら
就職したとき、きちんとお金で返すと伝えたが、お金は要らないが、
1日いくらなのか、どれほどの期間世話をしたら元が取れるのか、
結局そのあたりの協議があいまいなままだったため、最後まで自分が世話係だった。
あなたにお金を払ってやってもらっているのだからやれと言われただけだった。
犬を飼育する上で最低限のことは欠かさずやっていたが
日常生活においてはたまに(1.5か月に1回ほど)洗って、爪を切って、
そのまま散歩したり遊んであげたりするだけで
毎日散歩などしたことがなかった。ひと月に1~2回、あればいい方だった。
生かさず殺さず、ただ狭いサークルの中で、生き地獄だったろうと思う。
4年前の今頃、ある朝ご飯を食べたがらなかった。
カリカリでも、おやつでなくても、残さず平らげていた子が珍しいなと感じ、
その日なんとなく、仕事の休憩中に今の犬も広義にはネグレクトなのでは、と思い
動物愛護団体に賛成するような人の、立派に犬を可愛がって育てている飼い主の意見が沢山でてきた。
それと同時に、こうしてサークルやケージの中で一生を終える犬が1/4くらいいることも知った。
ますます責められているように感じて、帰宅したら散歩に連れていこうと思った。
帰宅したら、おやつはなくなっていたが、ご飯を全部食べておらず、
お水も飲めなかったのか鼻が乾いていて呼吸が浅く、ぐったりとして、明らかに普通ではなかった。
最寄りの動物病院はすでに終わってしまっていて、電話をしてもなしのつぶてだった。
しかしながら、時間外でもたまに電気がついていることがあったので、
親の帰りを数分待ってから、ダメ元でも直接尋ねてみることにした。
親が病院の裏口に先生を呼びに行ってすぐ、犬の咳が激しくなった。
今まで聞いたことのないタイプの咳だった。包んだタオルに薄い血がついた。
処置室に運んですぐ、鼻と口から血を出して、突如首の力が抜けた。
もうダメかもしれません、覚悟してください、とお医者様が言った。
心拍を測る金属製のピンチを足の付け根の皮膚が薄いところにつけ、
血を吐かせて、心臓マッサージと酸素吸入をしたら、再びもがくように動いた。
そのまま酸素を嗅がせているだけで違うと言われ、吸入器を鼻に近づけ続けた。
肺水腫あるいは心臓疾患と診断された。
肺に水が溜まり、充分な酸素が取り込めず、呼吸困難に陥っているという。
強力な利尿剤を用いて下から水を排出できれば、なんとかなるかもしれない、
その間血液検査をしたり、レントゲンを撮ったりしながら様子を見ていた。
時折苦しそうに口から血の混じった水を吐きだしたが、
意識がはっきりして目がうごき、こちらを見る余裕がある瞬間もあった。
2回ほど呼吸が止まり、挿管して気道を確保したりした。
小さな体の半分ほどの長さもある管を、入れられる様は言葉にならなかった。
もうやれることは全てやりましたので、あとは酸素室に入れて薬が効くのを待って、
数分と無かったと思う、突如よろよろ立ち上がり、そして酸素室の奥へ行き、
それから動かなくなった。
大量に血を吐いていた。
診察台に戻し、心拍数を測りながら、心臓マッサージと酸素吸入を続けたが、
ほどなくしてそのまま動かなくなった。
お医者様が何度も、力になれず申し訳ございませんと、頭を下げた。
それ以上に、時間外でも嫌な顔をせず、ここまで処置をしてくれたことを
有難く、本当に申し訳なく感じて、ただ、ありがとうございましたと伝えた。
小さな箱に入れて、亡骸を渡されるまで、待合室で、
彼が生きた人生はどうであったろうかと考えていた。
親に「もう犬は飼わないで」と伝えた。
人生の8割くらいを、あのトイレと寝床とエサ入れと水入れしかないサークルで過ごし、
どんなに寂しい想いをしただろう。構ってほしくて吠えただろう。
あの時急変したのは、お医者様に預けて、帰ってしまいそうな自分たちを見て
1人で逝きたくなかったから、酸素室から出たかったからではないだろうか。
ペットを愛している方から、後悔するくらいなら親などあてにせず、
怒りをぶつけられても仕方のないことと思う。
何故こんなことを書き綴っているのかもよくわからない。罪から逃れたいのだろうか。
親のせいにして、自分のせいにしたくなくて。
けれど、どうして救えなかったのか、愛せなかったのかを考え続けている。
友人に犬が亡くなったことを知らせたら、「愛されて幸せだったと思うよ」と言った。
けど、そうではない、愛されていたら、こんな終りではなかったはずだ。
今朝餌を食べたがらなかった時点で、医者に連れていけたはずだ。
その日の夜に、合同葬の予約を取り付けて、夜眠れなくて階下に降りたら、
玄関口に安置していたはずの亡骸の入った箱がなくなっていて驚いた。
親が自身の枕元に持っていっていた。
一人で寂しいだろうから、と言った。泣いていた。
彼は生きているうちに、ずっとそうしたかったんじゃないだろうか。
生きているうちに、親の布団で一緒に眠れたら、よかったのではないだろうか。
毛が付くから、犬臭いから、そんな理由をつけて、一度もそうしなかった。
彼は他でもない、誰よりも親の愛がほしかったはずなのに。
泣くくらいなら、毎週のように旅行になんて行かず、
朝餌を食べない事くらい、自分ですら容易に気が付けたはずなのに。
追い打ちをかける言葉ばかりが出て、結局黙っているしかなかった。
あの日、強く反対していれば。
手続きを終えて、支払を済ませ、あとはお別れをしてきてくださいね、と受付の方に言われた。
祭壇の部屋で、安置された亡骸に、
ただ寂しい思いをさせて申し訳ない、
次はもっとちゃんと愛してくれる人のところへ生まれてくるようにと
一人で手を合わせた。
犬や猫、果てはウサギなどのペットの避妊手術をする女飼い主が増えている
特に、ウサギに至ってはメスが妊娠しない場合、約50%と高い確率で子宮がんになるなどと、どこぞで吹き込まれたらしく
「長生きしてほしいから」とか言う理屈をこねつつ動物病院へ一人暮らしの動物を飼ってる女がやって来る訳だが、
子宮がなきゃ癌にならねぇのは、てめぇら腐れマンコも一緒だぜ?
使わなければ子宮がんのリスクが高くなるのも、てめぇら腐れマンコも一緒なんだぜ?
3回以上の出産するとリスクが高まる子宮頸がんだって、子宮がなきゃ癌にならないんだぜ?
ペットの為にも、てめぇらも長生きしなくちゃいけないんじゃないの?
動物ってのは牛豚鶏羊の食肉用動物から、ペットに至るまで、人の為にその命を犠牲にしてくれている
彼らに感謝して、愛情を注いで、時にはパートナーとして共に歩む事は人生を豊かにしてくれるだろう
食卓に上がる為に育てられてる豚だって畜産農家が愛情込めて育てている
盲導犬や災害救助犬の様な、人の人生を救う動物には、子ども一人を育てられる程の金すら使われる
その愛情は、血を分けた我が子に注ぐものなどと、その本質は同じものだ
どこの親が、自分の血を分けた子供の子宮がんリスクを抑えて長生きさせるために、避妊手術を受けさせるんだろう?
てめぇらがやってんのはそういう事で、だから、腐れマンコがペットを飼うという行為は、どんなオナニーよりも醜くて
実際、女の一人暮らしが飼ってる犬は、くっそ甘やかされてて躾もなってないアホ犬しか見た事ねぇ
ペットと同じ痛みを味わって、一緒に長生きする為に、同時に避妊手術受けるなんてどう?
ペットへの愛情の深さをこれ以上ないほど完璧にアピールできて、犬のママ友間で圧倒的差別化が出来るよw
どうせ一人暮らしでペットを飼ってる地雷なんぞ、滅多な事じゃ拾って貰えねぇから、子宮なんか要らんだろうし
三十路も後半になれば諦めがつくんでないの?w
たまさん死去
たまさん(たま=和歌山電鉄社長代理、常務執行役員)22日夜、急性心不全のため和歌山県岩出市内の病院で死去、16歳。紀の川市出身。自宅は和歌山県紀の川市貴志川町神戸803番地の貴志駅構内。葬儀・告別式は近親者のみで済ませた。社葬は28日午後0時半から、貴志駅で営まれる。喪主は、たまの飼い主の住友利子さん。葬儀委員長は同電鉄社長の小嶋光信氏。
2007年1月5日に和歌山電鉄から貴志駅長に正式に任命され、日本初のネコ駅長となった。就任後、たまさん目当ての観光客が増加し、08年には課長職に相当するスーパー駅長へ昇格し、県から和歌山県勲功爵を叙勲された。さらに10年には執行役員へ昇格し、貴志駅もたま駅長をモチーフとしたものへ改築された。翌11年には常務執行役員へ昇格し、県知事より和歌山県観光招き大明神の称号が与えられた。13年には社長代理に就任したが、近年は高齢のため部下であるネコに実務を任せ名誉職として時折、利用者への挨拶をするにとどめていた。先月、動物病院で定期検診を受けたところ鼻炎であることが判明したため19日から療養し、入退院を繰り返していたという。
うちで飼ってた猫が亡くなった。
夜七時過ぎくらいにうちに帰ると、ドアを開けるなり娘が
「みーちゃんが息をしていない!」と大声で泣き叫んだ。
慌ててその場へ向かうと、押入れの手前下のちょうどそこだけフローリングになってる和室で静かに横たわってた。
体に触れるとまだ温かかったが、確かに息をしていなかった。
触れるとどんな時でも猫らしくぐるぐると嬉しがるのにまったく微動だにしない。
ふと見ると失禁というか、床には尿が大量に流れていた。
ともかくこのまま置いておけないと判断して、マンションのゴミ庫にあるダンボールを取りに行こうと玄関を出ようとするとちょうど買い物に行っていた妻が帰ってきたところだった。
「みーちゃんが亡くなったようだ」
と告げると妻は一瞬で表情を変えた。
ダンボールを取ってふたたび戻ると妻は動物病院に電話していた。
おそらく心停止して10分以上は既に経ってるから動物病院でも無理だろうと思いつつ、ダンボールにタオルを敷いてそこに入れた。
ふと、もう一人いるはずの息子のことが気になり、和室に引きっぱなしになってた布団をめくるとそこでゲームする息子がいた。
動物病院では、先生が酸素吸入しつつ心臓マッサージをしてくれたが、息を吹き返すことはなかった。
状況から、最初は押入れの段の上にいたが、そこから降りようとして失敗して落ちてしまい、頭を打ってしまって打ち所が悪く死んでしまったのではないか、とか先生と話したけど、遺体解剖するわけでもなく原因は分からない。
昨日まで、というか家にいた妻や子供の話では夕方まで、老いたとは言えそれなりにいつもと変わらない様子だったらしいし、腎臓は高齢とともに少し弱っていたが大した病気もしたこともなく、食事だって普通にとってたし排尿排便もまるで問題なしで、体重だって至って普通、予兆は全くなかった。年に一回の三種混合ワクチンも欠かしたことなく、その際にいつも軽く診断もしてもらってたし…。何れにせよ、原因は分からない。
うちにその亡骸を抱えて帰ると娘は依然として泣いていたが、息子がその死を理解できず、亡骸をみるもののすぐにゲームしようとしたので流石に妻が怒った。
でも、ほんとに理解できなかったようで、いずれ目を覚ますとでも思っていたらしかった。不意に息子が「これからどうなるの?」と聞いてきて「明日役所に引き取ってもらって焼かれることになる」と答えた時点で理解したらしく、突然大泣きしだした。
今年で17歳になる筈だった。
妻と結婚する年に、一人暮らししていた俺のマンションに妻が予告もなく生まれて間もない子猫を友達から貰い受けて連れてきた。
だから付き合いとしては多分、家族の中では一番長く付き合ったのが俺だろう。
彼女(※雌である)は子猫時代、恐ろしく元気でやんちゃだった。
俺は引っかき傷が耐えなかった。
あまりにとんでもなくやんちゃだったので俺も彼女をビシバシ叩いた。
そんなもんでやんちゃが止まることはなかったけど、カーテンを上るのだけは止めてくれたのが懐かしい。
思い出は語り尽くせないけど、なんとなく最近、死期は近いだろうなとは思っていた。人間にすれば90歳位だし。
亡くなって、実のところ、自分自身は特に悲しいとか感情は湧いてこないのが不思議。これからじわじわくるのかな。
16年と11ヶ月。ありがとう。俺がそっち行くまでまだ大分あるけど覚えててくれるかな。覚えててくれたらお前が一番気持ちよかったらしい尻尾の付け根をいっぱい叩いてやるからな(笑)
酒を飲んでいる。眠れない。昨日猫が死んだそうだ。我が家に来る予定だった猫だ。猫は怪我をして動物病院に入院していた。うちに届けてもらう予定だった日の数日前に怪我をしたと聞かされた。入院は二週間というので新たに日を設定し待った。その日の数日前の検査で退院が一週間延びた。明日再検査をして問題が無ければ退院してうちに来るはずだった。昨日処置をしていたら突然暴れてそのまま死んだのだそうだ。すでに火葬も終えたと知らされたのが今日のことだ。猫には直接会っていない。写真を見ただけだ。だから悲しいとか寂しいとかそういう感情は出てこない。ただ余りにも余りだ。気持ちの持っていき場がない。溺愛していた猫なら号泣するだろうし知人の飼い猫ならお悔やみのひとつも言えよう。そこまでの愛着はまだ無く完全に他人の猫でもない。眠れない。結局猫には会えなかった。火葬されているから写真で見たつやつやした毛並みを撫でることも叶わなかった。猫社会で上手くやれなかった猫だったのだそうだ。我が家の猫ひとりの環境でいずれのびのびと過ごしてほしかった。うちにはキャットタワーや猫トイレがある。猫が来るので買い揃えた。フードもある。おやつもある。猫だけいない。死んだ。酒を飲んでいる。飲み足りない。眠れない。
プログラムの癌(Runy)をなくすの前に人間の癌をなくすやり方について書いておこう
癌は熱に弱い。42度の熱で消滅する。心臓に癌ができないのは熱に弱いから 外部から熱をあてて癌を直す治療がある。ハイーパーサーミアという治療法で厚生省から認可がおりており健康保険がきく。1回3千円くらい 10回セットで3万円くらい 病院にいけばやってくれる。動物病院でもやっている。42度の熱をあてるだけ 手術がない 体に負担がかからない 副作用もない 入院がいらない 時間が取られない 抗がんん剤や複雑な手術をする必要ない。体を痛めない
でだ ここからが問題だ まずハイーパーサーミアの機器を導入している病院が少ない。少ない理由は病院が儲からないから 3万円では医者が儲からないしやりたがらない。最近ハイーパーサーミアが知れ渡ってきてハイーパーサーミアの操作できる人が不足を理由に取りやめる病院が出てきている。また一緒に抗がん剤を抱き合わせてきたり、効果がないと否定してお金や体に負担がかかる3大療法をすすめてきたりする。3大療法はやらないほうがよい。放置もよくない。それより熱線をあてることに徹した方がいい。近くにハイーパーサーミアがなかったり、受けられなかったら、三井式温熱治療器やダイエットサウナをおすすめする。治療が受けれるのであれば3大療法よりハイパーサーミアだけやる。3大療法もやめたほうがよい。ハイパーサーミアは高いステージから生還してるし、費用が安く、副作用もなく、時間が取ることなく、体に負担がかからない。
抗がん剤は結局正常な細胞を弱らすだけでがん細胞を消滅させるわけではないのでけっしてやってはいけない。もちろん放置もいけない。
三井式温熱治療器やダイエットサウナでも体に42度の遠赤外線をあてる事が出来る。
三井式温熱治療器はアマゾンや楽天で買える。レビューがたくさん書かれていて癌に効果があったとたくさん書かれている。
ハイパーサーミアの医療現場で使われているサウナ機器(スマーテイ)もアマゾンで売っていたりする。
これで外から42度をあて続けるだけでよい
三井式温熱治療器の楽天のレビューを見てみる 癌治療に効果があったと高評価が150件が書かれている 要確認
http://review.rakuten.co.jp/item/1/202385_10001070/1.1/
三井式温熱治療器のamazonでも癌治療に効果があったと多くの高評価が書かれている 要確認
心臓 癌
癌 熱
癌 熱
などを調べてみると実際受けた患者の感想が書かれている。どれも末期だとか手の施しようのないといわれたとこから生還している。
ちなみに血液性の癌や白血病には高濃度ビタミンC点滴が有効 保険はきかない
日本の医療は米に10年 欧州に20年遅れていると言われている。
なので他の病気に関しても日本の医者の言う事よりもまず欧州がどんな治療をしているか調べてから判断した方がいい。医者はSilrだと思え
欧州では2008年の段階で癌が減っている事が記事になっている。
www.news-medical.net/news/2008/04/10/30/Japanese.aspx
http://hayabusa6.2ch.net/test/read.cgi/cancer/1251284895/
他にもここに詳しく書いてあるぞ!
http://apps.wiki.fc2.com/wiki/その他
プログラムの癌と言えば動的言語のことだろう。それを広めようとする関係者、開発者もまたがんだ。
メーカー製の静的言語フレームワークを使えば誰でも簡単に高度なことができる。
わざわざ出来損ない言語を引っ張りだしてきて、無駄に苦労したり、無駄な苦労を広めたりする輩はほんとうにがんだ。
その苦労は数年後無駄に終わる。動的言語は数年ごとにバージョンアップを繰り返し、今書いているものは
すべて動かなくなる。2007年頃に意図的に起こされた第一次Rubyブーム 1.7のRubyはもう動かない。
互換性の問題で起動できないし、サポート対象外だから脆弱性だらけ 今もRailsやNodejs angluerなどが
意図的にブームが起こされているが、それらも数年後には使えなくなる。負債にしかならない。
IT経営者にとってはそのほが都合いいのだろう。仮に辞められてもその技術で手間がかかりすぎて独立はできない。アプリストアがあるわけでもない。課金プラットフォームがあるわけでもない。 だからIT経営者はいきばのない技術者を酷使し放題だ。動的言語は技術者を自由にさせない鎖付きの言語なのだ
鎖のついてない言語は何か?それはC#だ。C#はシステムを簡単に作れる。管理画面サイドはexeアプリで作り、サーバーサイドはasmxとado.net ORMを使えば一日でWEBアプリケーションが作れてしまう。リファクタが効き、ビルドができエラーは直ぐ見つかりアップデートも自動でソースを書き換えてくれる。C#ができるとUnityからlot Robot スマートフォン タブレット One Windows 医療 業務用アプリまで 様々な分野に進出することができる。Railsではこうはいかない。Webしか作れないし、3年後にはバージョンアップが行われ、その都度のコードの修正に時間を取られる。つきっきりになっていないといけない。他の事が出来なくなる。ビルドできないからすぐバグがわからない。バグ潰しに時間を取られる。動的言語の現場がいつもギスギスしてるのは、バグが探しの疑心暗記がいつのまにか人に向けられていじめみたいなことになっている。
IT派遣事業者にとっても動的言語はいつまでも脆弱性が発生し続け、保守作業がうまれる都合のいい金になる言語だ。
企業が無料で教えるのには彼らだけが儲かるカラクリがあったのだ。今もRuby On Rails Ruby JavaScript Node.jsなど意図的なブームが起こされている。
メーカー製の静的言語やっている身からすると動的言語をやる輩はとても愚かだ。静的言語なら自分で書いたコードは自分の資産になる。
静的言語で書いたコードはリファクタが効くし、コンパイルでバグがすぐわかる。コードを最新のバージョンに自動で書き換えてくれる。
共通ライブラリを他のプロジェクトで使い深い内容で書いても、元のプロジェクトで開いた時にビルドでバグがすぐわかるから、深い内容で共通ライブラリを書く事ができる。
自分用の共通ライブラリを出来上がってくると開発速度があがっていく。無理に20倍速の早さとかメデイアで煽られて複雑に書かなくても、一度書いた物を組み合わせて使い回していけば生産性は普通にあがっていく。
動的言語では共通ライブラリを深い内容を書くのは難しい。バグを発見に時間がかかるから、浅い内容のことしか書けない。生産性があがらない。ファイルの管理に追われて断片化したり バグを探したり バージョン管理に追われたり いつまでも手間が掛かる始末だ。
なぜこんな無駄な言語を使い続けるのか なぜあのブックマークはRubyの時だけ数字がはねあがるのか不思議でしょうがない。Botにブックマークさせてるのではと疑ってしまう。
2007年頃のステマRubyブームで騙された技術者は酷い目にあってたいはんはRubyから去っている。
求人がある訳ではない。アプリストアがあるわけではない。脆弱性は出し続ける。すぐ互換性がなくなる 使う用途が限られている。汎用性がない
加えて他の動的言語にも言える事だか
フレームワークの乱立 CMSの乱立 フレームワーク自体バージョンがあがると別ものになる。フレームワーク自体に脆弱性がありサポートしてくれない。プロジェクトごとにフレームワークを学び直さないといけない
フロントサイドとサーバーサイド 両方 動的言語選択してしまってカオスな状態。スパテッゲテイすぎて再利用は不可、資産は築けない。
こんな安心して生きていけない言語は止めて、iPhoneアプリ、C#アプリの開発をやるべきだ
医者は儲かるからという理由で人の命よりお金になる抗がん剤を優先するのと、Silrが儲かる理由で脆弱性が多い動的言語を推奨するのは同じムジナだろう。