はてなキーワード: 修論とは
先日大学院の修論発表会があって、先生方にボコボコに問題を指摘されていた学生がいた。
(学生とはいっても、社会人の割合の多い大学院で、彼は会社員をしつつの研究だった模様)
どのような内容でボコられていたかというと、おおよそ以下の通りだ。
いずれも、基本的な指摘だとは思う。※基本的だけど、必ずしも容易だと言うつもりは無いです
・貴方の提出した修士論文には参考文献の記述が全く無いが、関連研究に関する調査はしたのですか?
・そもそも参考文献の記載も無いような体裁では、修論として受理しかねる場合もありますよ
・先行研究の課題などを明確にして、どう改善していくかとか、新しい視点や貴方の考えを提言していくとか、そういうのが大事ですよ
それらの指摘に対する件の学生の反応は下記のような感じだった。
(2) そもそも勉強と研究は違うものであり、先行研究を提示したところでそれらは所詮他人の真似事であり、本なり文献の紹介にしかならない
「あー、基本的な考え方が出来ていないのにプライドは高いタイプだ・・・(私のような人間が指摘するのも何だが)正直、
卒論ならまだしも修論でこのレベルはまずい」というのが率直な第一印象だが、何故この人が(1),(2)のような発想を
まず(1)についてだが、件の人は、フォーカスしている視野が狭いなと感じた。
(おぼろげな記憶だが)ドラえもんの話で、「宿題くらい百科事典で調べなさい!」と怒られたのび太が、
「いくら調べても、どこにも"今日の宿題"なんて載ってないよ~」と嘆くシーンがあったように思えるが、
それに近い現象が発生していたかなと(宇宙完全大百科の話だったかな、確か)。
(2)についてだが、よく言われるように「勉強と研究は違う」のは確かだが、自分の研究の位置付けが適切に
なされていないために発生している考え方のように思えた。
あとは「巨人の肩の上に立つ」ことが腹落ちしていないのかなとも思う。
ただ、それらの問題を差し置いて、彼の最大の難点は「何か指摘されると真っ先に口答えをしてしまう」ところかなと。
結局、他のゼミの学生が見かねて「こういう調べ方をすると良いですよ。関連研究を提示しないと、せっかくの研究が
「逃げ恥」心理学を学んだことがある人たちは内容がリアルでいかにも…と思っているという話(togetterより)
「心理の院生がやりそうなダメっぽい研究」という指摘があったので、少し情報を整理して感想を述べる
原作冒頭において、こんなやりとりがある
黒●徹子(妄想)「あなた 大学では心理学をお勉強なさってたんですって?」
みくり「はい それで」
徹子「それで就職は人事部や企画 商品開発なんかを志望していたと」
徹子「だけどあなた ウフ ごめんなさい 全滅だったんですって?」
みくり「そうなんです 今思えば もっと業種を広く」
徹子「それで就職職浪人するよりも と大学院進学をしたけど 文系大学院は就職がさらに大変だったらしいじゃない」
みくり「文系の院全てがそうとは言い切れないとは思いますが 院で臨床心理士の資格を取ったのでそれを生かせる仕事ができればと」
徹子「でも 心理カウンセラーとかスクールカウンセラーは中々就職がなかったと」
――海野つなみ「逃げるは恥だが役に立つ 第1巻」より
臨床心理士は指定された大学院修士課程を修了後に「受験資格」が得られる
そして、臨床心理士資格認定試験は毎年10月に開催され合格発表は12月となる
修了後の4月は無資格なので、資格取得見込みでも受け入れてくれる仕事を探さないとならない
同じ大学院・研究室の先輩や指導教官に紹介して貰ったり、非常勤で週2~3日の仕事を自力で見つけて応募することが多い
作者である海野つなみがどこまで知っているかは不明だが、みくりは大学院修了後にそうした仕事にもつけず、資格取得後も就職先が見つからなかったことになる
ストレートで卒業・修了・資格取得をしたとすると、この時点で24歳である
心理学部・学科卒業で人事部や企画・商品開発を志望すること自体には問題がないが
「仕事がない」という理由だけで、より狭き門であるはずの心理職に進む所に見通しの甘さが感じられる
専門職である心理職は、何かの代わりに選んで成れるような進路ではない
(正直、指導教官や周りは大学院進学を止めなかったのか。それと、こんなにふわっとした見通しの甘い人間に、臨床心理士試験の面接官はよく合格を出したな)
「甘く見てましたね。まさか文系の大学院卒がこんなに就職できないとは」
「大学院では心理臨床コースを選択、卒業後に臨床心理士の資格を取得した上で再び就職活動に臨んだ(ナレーター)」
「2013年度 青明大学大学院入学式(大学院時代の写真より)」
2.2履歴書(一部抜粋および組換え)(出典はhttps://twitter.com/i/events/868751617960443908:title=こちらから)
【提出先(※推測)】
【提出日】
2014年12月15日(※大学院2年(最終学年)の12月に提出したものであると思われる。つまり、物語開始より1年前ほどのものになるか)
【生年月日】
【住所】
神奈川県横浜市都筑区黒沢5-5-6(※黒沢は架空の地名とのこと)
【学歴】
【資格】
2012年6月 実力英語検定2級(※いわゆる英検は、正式名称が「実用英語技能検定」であるので誤記の可能性がある)
2014年12月 臨床心理資格(取得予定)(※ナレーションでは「臨床心理士」と言っているため、誤記の可能性がある)
趣味はカフェ巡りです。特技は整理整頓です。サークルはお散歩サークルに入っていました。
具体的な内容:上記のテーマを「幼少期の両親の養育態度」と「甘え」の観点から分析しています。この研究で青年期になっても対人関係にコンプレックスを強く持つ者は、幼少期に両親から否定的なイメージを受けており、「甘え」という行為が成立していなかった場合に多く見られた。これによって「甘え」の形成は対人関係を育てることが分かったが「甘え」の感覚を得るには両親との幼い時の関係性が重要であることが学びとれた。
真面目なところと思いたったらすぐに行動するところです。
私の長所は真面目な所です。頼まれた仕事はきっちりこなす性格です。短所でもありますが、突拍子もないことを考え、思い切り突っ走ってしまい、びっくりされてしまうことも多いですが、その新しい発想のおかげで上手く運んだこともあったので、長所としてとらえています。
【学生時代に打ち込んだこと】
心理学の研究です。私は人の役に立つことが好きで、人が何を求めているか察知できる人間になりたいと思い、心理学を専攻しました。心理学で学んだことをアルバイトでの接客でも発揮され、お客様が求めていることを先回りして提供することができるようになりました。今後も、会社というチームの一員として自分に何ができるのか、お客様には何を提供できるのか、心理学を生かして察知していきたいです。
【志望理由】
私は貴社で、新商品の開発や企画に携わりたいです。貴社はもぐもぐ蕎麦という今までこの世になかった新しい商品で、世界の食文化を変えた会社であり、私ももぐもぐ蕎麦のように世界の文化にインパクトを与えるような商品を開発したいと思っています。大学では色彩心理学や希少性の原理などを学び、消費者心理についても研究してきました。大学院まで心理学を勉強してきたことを生かして、消費者がついつい買ってしまいたくなるようなアイデアを提案したいです。
世界中の、とくに栄養の不足に悩まされている地域の人々に、自分の開発した商品を伝え、健康を改善してくことが夢です。栄養不良に悩まされている人は8億人以上いるといわれていて、普及するには手軽さ・価格の安さ・おいしさの3つが必要だと私は考えます。そのまま食べられる、あるいは水やお湯などをかけるだけで簡単に作ることができ、安価ながらもおいしい食材で作られた商品を開発し、世界に広めたいです。
「青明大学 舞台」で調べた所によると、ロケ地自体は「日本大学経済学部7号館の前」との情報がみつかった
「青明大学」と同名の大学は勿論ないが、名前の響きからして「青山学院大学」や「明治大学」「明治学院大学」が近いと思われる
何となくこういうリア充的な雰囲気の学生は青学じゃねえのかという偏見がある。というか、青学は児童系の心理に強いイメージがある。なんでそんな大学院を選んだんだこいつ。何も考えないで生きてんのか
この場合、大学院修了後の2015年12月に臨床心理士資格は取得見込みとなる筈である
履歴書には「2014年12月 臨床心理資格(取得予定)」となっているので、資格名もしくは取得時期については現実の制度とは違いがある
ナレーションの説明とも乖離が起きているので、作成したスタッフの誤記や勘違いの可能性がある
他の資格について、大学1年生の11月に漢検2級を、大学4年の6月に英検2級を取得している
全体的に、こんな薄っぺらいやつ採用試験で落ちて然るべし。もっとちゃんと考えて進路決めなさい
漢検や英検くらい高校で取っておけよ。というか、色彩心理を研究したというなら、「色彩検定」とか「カラーコーディネーター検定」とか、色彩計の資格を取っておきなさいよ。
商品開発したいなら、日本商品開発士会の資格でも取りなさい。合格率も低くないみたいですよ
他国に自社の商品を売り出したいと思うなら、TOEICとTOEFLくらい受けておく発想には至らなかったんでしょうかねえ……
履歴書とは関係ないが、人事に行きたいなら産業カウンセラーを取りながら就職活動をしても良かったのでは……
臨床心理コースなので仕方がないが、「青年期の対人恐怖心性と自己愛傾向について」と志望部署の関連が薄い。本気で商品企画・開発したい人の選ぶ心理ではないよねえ
「青年期の対人恐怖心性と自己愛傾向について」は手垢が付いたような薄い研究なんよ。青年期を対象にした研究室でよくある、質問紙を都内大学生に沢山配ってやるような量産型研究なんですよ。土居健郎の「甘えの構造」とかを理論的支柱にして、適当な尺度を組み合わせて因子分析とか重回帰分析掛けるとそれっぽいデータが出るんですよ。そこらの大学の卒論発表会レベルのものを、大学院でやってはいかんのですよ。指導教官何やってんの。きっとこれじゃ、修論審査会でボコボコにされますよ、本当に(ry)
時間 | 記事数 | 文字数 | 文字数平均 | 文字数中央値 |
---|---|---|---|---|
00 | 88 | 16093 | 182.9 | 33.5 |
01 | 95 | 12102 | 127.4 | 51 |
02 | 75 | 14017 | 186.9 | 52 |
03 | 23 | 11338 | 493.0 | 63 |
04 | 30 | 3882 | 129.4 | 49.5 |
05 | 21 | 3568 | 169.9 | 54 |
06 | 24 | 1898 | 79.1 | 57.5 |
07 | 15 | 1119 | 74.6 | 52 |
08 | 81 | 7819 | 96.5 | 41 |
09 | 101 | 8959 | 88.7 | 38 |
10 | 103 | 15712 | 152.5 | 64 |
11 | 95 | 14930 | 157.2 | 77 |
12 | 100 | 17496 | 175.0 | 33.5 |
13 | 156 | 11460 | 73.5 | 37.5 |
14 | 198 | 13717 | 69.3 | 32.5 |
15 | 144 | 16196 | 112.5 | 34 |
16 | 141 | 15282 | 108.4 | 39 |
17 | 133 | 14487 | 108.9 | 46 |
18 | 112 | 10722 | 95.7 | 40 |
19 | 129 | 10105 | 78.3 | 38 |
20 | 156 | 8742 | 56.0 | 37 |
21 | 178 | 11413 | 64.1 | 34.5 |
22 | 163 | 10490 | 64.4 | 35 |
23 | 186 | 19466 | 104.7 | 46.5 |
1日 | 2547 | 271013 | 106.4 | 40 |
いまを生きる(7), GraphQL(5), 1300人(8), 近大(5), マ・マー(3), よいお年を(6), 生姜湯(3), 岡崎体育(3), 駆(3), 水路(6), ジッポー(3), PIXIV(3), 別姓(35), 姓(25), 墓(12), 夫婦別姓(16), 年末年始(13), 食堂(10), 雪(17), 年末(20), 身勝手(9), 五輪(10), 不倫(42), 来年(36), 産み(10), 今年(60), 緊急事態宣言(13), 貼ら(7), 論文(15), 2020年(21), 漫画家(14), 寿司(12), お母さん(12), 宗教(19), 夫婦(19)
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現在10/5(月)の夜ですが、今日から研究室に復帰しました。今日は片付けだけでなにもしませんでしたが、意外と皆排斥せず受け入れてくれて有り難かったです。申し訳ないです。
「今日からお世話になります!あ、留年が決まりましたので、あと1年半よろしくお願いしますね!」と挨拶回りをしました。
自分も増田と同じ有機合成専攻で、M1の3月に東日本大震災に遭って就活も修論もやる気がなくなり、大学に全然行けなくなって就職決まらず卒業した。(以下略)
増田で有機化学の人なんて見つかると思っていませんでした。コメント有り難いです。震災の時もやはり色々大変だったかと思います。
私はひとまず修士は出るか、と心に決めましたので、頑張りたいと思います。
こないだ久しぶりにマクマリー(学部の有機化学の教科書)を読んで、自分有機化学好きだったな、と思い出しました。
そうだよ、私有機化学好きだったじゃん。巻き矢印とかが楽しかったから有機化学来たんじゃん。高校生の時にカルボン酸とかせっけんとかアセチルサリチル酸とか作ったのが楽しかったから化学科来たんじゃん。
というか有機化学得意じゃないっつったってさ、比較対象は学年首席とかな訳で、まあそれと比べたらちっとも勉強は足りなかったが、有機化学の院生に最低限求められている知識は有していたつもりじゃん。研究室内学力テストだってギリギリだけどパスしたじゃん去年。(でも半年引き込もって多分結構忘れているからまた勉強しないとな……。)
中小製薬は人手不足ですか、本当ですか?製薬は興味自体はありますが、化学の人からすれば薬学部生と争う必要があって狭き門だからあまり視野に入れていなかったのですが、入れそうなら説明会くらい行こうかな…今年はネットだろうしな…
途中自分語りが入ってしまいすみません。なんにせよ頑張ります。コメントありがとうございます。
・研究ってやったからといって結果が必ず出るわけではないけど、やらなければ結果がでることは絶対にない
ある種の信念というか自信がなければ、結果が出るまでやり続けるのはつらい
そうした信念や自信に根拠がないことも多いし、根拠らしきものがあると思っても見当違いだったりもする
自分を信じられるようになるまで、結果がある程度見通せる仕事に就いたほうがいいかもしれない
心にささります。ある種の自信が無いと研究は続けられない、それはそうだな、とすごく分かります。私は少なくともアカデミアは向いてないです。
トラバを汚してしまってすみません。あなたの日記はとてもとても共感しながら読みました。
あなたが、中退という形になりましたが、無事就職できたようでよかったです。私はつまりあなたの過去を歩んでいるので、あなたのこれからについてあまり言えることが無いですが、あなたが納得できる人生を歩めることを望んでいます。
すごく理性的でためになる文章です。ありがとうございます。いわゆる「本当に適正のない」1-2割から「可もなく不可もない」7割にいけているかの自信が無いです。そこそこの条件検討を、先生に許可とってから振ってます。今、ちょうどテーマの切りがよくて、新しいテーマを自分で考えろと言われてすごく困っています。たかだか修士に無理では…?とも思うし、それが出来なければ修士ではないのでは…?とも思ってすごく困っています。せいぜい今までのテーマのまじでちょっと変えた派生しか出てこないです。色んな後輩とか助教の先生とかに助言を聞こうと思います。
私は元からアカデミアは目指していないので、そこは大丈夫です。アカデミックは向いてないな、と研究室入ってすぐ分かりました。
余談ですが、教授の性格はまさに「図太く、楽観主義的で、かつ超強烈な自我をもっている人」なので、先生は
教授に適正があったのだな、なれてよかったな、と思います。あの楽観主義はどこから来ているのでしょう、すぐ上手くいくよ!とすぐに言います。すごいですね。
うちの学科の卒業生でITに行く人はそれなりにいます。やはり院生の肩書きは求められているのですね。
学部の教養の授業でさわりだけ(if文くらいまで)触れたC言語は超楽しかったので、プログラムを書くことの適正が全くない訳ではないとは思います。
ただネットワークとかパソコン関係、機械操作にに全く強くないしあんまり興味ないので、それだときつくないか?と勝手に思っています。理系だからね、周りに私より機械に詳しい人が沢山いたらわざわざ覚えようとは思わないよね。
あと増田はIT系の巣窟だからすぐ引っ張り込もうとするが、あんなにITつらいの文章で溢れているのにみすみす行こうと思うのか、いや、ない。
増田の皆様のおかげで場末の大学院生の退学を阻止できたということで、誠にありがとうございます。
アドバイスは求めてないと思うけど、学費含めたお金の問題をクリア出来るのであれば留年して修士課程を修了したほうが良いんじゃないかな。
①「バイオテクノロジーってカッコ良さそう。」というノリで生物系学科に進学する。(勉強はあまり出来ないのでB4でピペドとなっていた。)
②「リーマンショックで不景気確定なのに就活やりたくないよ~」と言って大学院へ進学する。
③B4時から薄々感じていたが周りの人間のレベルについていけなくなり引きこもりっぽくなる(当時は一人暮らしていたのでアパートとコンビニとATMを往復する毎日であった。)
④自分と連絡が取れなくなった指導教官が両親に連絡して心配してアパートに来て自分を連れ出し嫌々ながら研究室に行くようになる。
⑥除籍は流石にマズイので先輩から実験データをもらって何とか修論を書く。
大学院で研究に打ち込んだ事はいい経験になるみたいなことを言う人いるけど自分にはそれもない。修論の実験データも先輩からの貰い物ですし。
それでも修了しちゃえば修士号持ちになるわけで、就職する時に大卒より高い修士卒の初任給を得たのよ。
あの時は本当に大学院行って良かったと思ったよ。
理系大学院生にとって実験というのは食べて寝て呼吸をするのと同じくらい当たり前にするものである。
人間ってどうして呼吸するの?なんて日々考えてる人がいないように、毎日研究室に行って論文を読み先生と先輩の研究の雑務をし自分の研究も進めて後輩の面倒をみるのに疑問なんか持ってなかった。
でも自粛期間を経て一回立ち止まってみたら、当たり前にしていた研究室生活ができなくなっていた。自主自粛期間が6ヶ月を超えて修了出来るかも怪しくなってきたM2の、心と生活の変化を記録してみる。
コロナ前は月-土で8時には家を出て研究室に行き、9時過ぎに帰って、日曜日は一日中バイトしてたから、毎日疲れてて自分のことも必要最低限しかできていなかった。夜でも日曜でも先生からメールは来るし、後輩からも添削お願いしますメールがくる。結局は自由時間も研究室業務をしていたから、本当にメールを確認せず過ごせるのはなんとか時間を作って高校の友達とご飯を食べに行く時だけだった(同じ大学の友達はみんな同じ境遇だから、一緒に何かしてても研究室関連の連絡が来たら即対応してた)。でも、連絡にはすぐ対応しないと先生から色々言われるし、特に先輩は嫌な感じでストレスだったから、すぐ対応できるよう携帯が手元にないと不安だったし、友達がトイレ行ってる間とかに新着をいつも確認してた。とにかく時間がないから付き合える人間が限られてくるし彼氏ができてもわたしは週7で労働してるようなものだから続くわけもない。
3月末、大学は研究自粛となり、バイト先も休業し就活も終わっていたから、大学生になってから初めてなんの予定もない1週間ができた。うちは実験室に行って手を動かさないと基本何もできないタイプの研究室だから、本当にやることがない。(この時はデータも大学から持ち出せなかった)。みんなすることないから誰からもメールがこない。携帯が手元になくても、不安にならない。思い切って1日電源を切ってみたけど、次の日つけてもメールが一通もなかった。幸せを感じた。
久しぶりに2時間とかかけて料理してみたり、道具と材料揃えていろいろなお菓子作ってみたり、夜になったらYouTubeみながら毎日45分運動してみた。どうぶつの森を買って一日何時間もSwitchと向き合ったり、録画して観る時間がなかったドラマをみたり(やっと逃げ恥みれた)、Netflixに入ってずっとみたいと思ってた作品を一気に観た。1時間くらい散歩したり、zoomで高校の友人と久しぶりに話した。夜も時間あるからパックしたりストレッチしてみた。メイクも、集めてても結局考えたくなくて同じものばっかり使ってたけど、毎日いろいろな組み合わせを試した。髪も巻く時間たっぷりあるし、実験しないから好きな洋服を毎日着れる。食べる量とかは変わってないけど、生活習慣が格段に良くなったおかげでニキビとかも無くなったし、体重も減った。何より毎日肩が軽くて快適だった。
そんな日々が1週間を超え3ヶ月が過ぎ研究が解禁された頃、研究ができない体になってた。研究室に行ってた時も、全く自分の時間がなかったわけじゃないけど、気力が起きなくてせっかく1時間あってもずっと横になりながら意味なくSNSを眺めてて終わってた。もうそんな日々に戻れなかった。
研究室に行かないと人生がこんなに楽しいのに、なんで年間50万円の学費を払ってあんなことしなきゃいけないんだろう。っていうかなんで50万円払って先生の研究の手伝いと後輩の指導してたんだろう時給マイナスじゃん。マイナスなのにストレスまで多くてなにこれ。あーもう無理無理。明日こそ行こうって毎日思って寝るけど全然家から出れない。買い物とかには行けるのに、研究室に行こうと思うと家から出れなくなる。
今思えば、ブラック企業みたいなものだった。もしこれが会社だったらみんな辞めて転職しろって言ってくるやつでしょ。会社はいいね、やめて次踏み出せるから。てか辛くても長時間でもお金もらえるからいいな。研究室ってね、入ったら合わなくてもストレートで卒業したかったら耐えるしかない。やめたら就職に不利だし、他大学に移動できるタイミングも限られてるし、仮面浪人なんて莫大なお金かかるし。学科のパワハラ相談室とかあるけど、有名な教授よりどうせ卒業する生徒を切り捨てるから何の役にも立たないし。
本当なら7月から大学行けてたけど行かないでもう9月も終わって自主自粛期間6ヶ月になっちゃった。
3ヶ月の空白分を実験するのも大変なのに6ヶ月ってやばいよね。だって今から実感してデータまとめて考察して修論書くの?無理無理。
何より今更先輩と先生と顔合わせたらなに言われるか分からなくて無理。同期からは気にかけてるよって連絡くるけど、2人きりになったらわからないじゃん。
でもせっかく就職先決まったし、今週内定式もあるのに就職できないのは嫌だな。推薦じゃないから迷惑はかけないかどもう就活したくないし…。
なんなら、後輩の方がガンガン結果出しちゃって。
自分の方では、よくわからない結果が出て、コレなんだろうねーで終わった気持ち悪さ。
修論なんて、変なデータすぎて、解釈間違ってるんじゃないか、見方によっては都合の良いデータ解釈じゃないのか。とか。
というか、出てきたデータの大半が意味不明だったり、実験手技自体のミスっぽい感じがあった。
先輩のポスドクや博士の先輩も、データの解釈の間違いなんじゃないかみたいなデータばかりだった。
自分が提案した手法は、「いいんじゃない?」みたいになったけど、結局やれるチャンスはなかった。
実験計画も何も、今思えば、できないこと、実現厳しいことをやらされていたような。
実質的には、条件出しみたいなもんだったのかな。
何事も中途半端以下、努力も才能も、納期に間に合わせる力もないクズ。
そんなままこれまでの人生を生きてきた、自他ともに認めるクズ系クズ、それがわたし。
小学校の頃はまだまじめだった。いや、真面目の皮を被って生きていけた、というのが正しい。
合唱コンクールのピアノ伴奏で、本番にも関わらず二小節ほど停止した。
すぐ復帰はしたものの、「伴奏すら満足にできないクズ」「一生懸命練習しろよカス」と揶揄された。
「こっちだって十日前に突然任されたんだから」という思いでごまかしていたのが、クズの思考だったんだと思う。
高校の頃もひどかった。文武両道を語る、自称進学校にしか入れなかったのも原因の一つかもしれない。
だけれど、そうやって他責を真っ先に思いつきそれに縋るのも私がクズゆえの思考なんだと今になって自覚する。
夏休みの宿題を「明日出す」と一週間繰り返して出さなかった結果、生徒指導室行きになった。
テストは一夜漬けで、英語の赤点なんてザラだった。クズなので高3になってもベクトルの基礎がボロボロで「お前、やばいぞ」と叱咤された。
そうはいっても復習もしない、中身もない、自分に甘いクズなんだから仕方ない。
部活では、インターハイの三日前に怪我をしてキャプテンに詰め寄られてキレられた。
「本気じゃないだろ」「士気が下がる」「お前来んなよ」
重々承知してるけど、体面を気にするクズだから来るしかないんだ。ごめんなさい。
サークルでは技術の上達しないクズ部長を任された。指導は先輩に全部投げたし、全国大会ではわたしの凡ミスで奇跡的な逆転負け。
後輩を入れた以外は部室の置物として生きていた。これが本当の役立たず。
趣味の小説も電撃文庫に応募した。二次選考落選。それでプッツリキレて、投げ出した。
他の人たちは血のにじむ努力をしているのにさ、あーあ自分に甘いしメンタルが弱いドクズだこと。
研究室なんてひどさの塊だった。研究の報告会で、自分の研究をあまり理解していない始末、教官に顔をしかめられる状態がずうっと続いた。
ゼミの論文紹介なんて、内容が大したことないのに基本的なことすら上手く説明できずひたすら燃えて時間が終わった。
それを次に生かせれば良いものの、三年間ずうっと同じ感じでゼミは終わっていき。
最終的にドクターの先輩から「炎上商法」「ゼミの質問で、他の人が答える部分が多いのはM2としてどうなの」と御叱りをもらった。
修論なんて、実際完成度はめちゃくちゃ低いし、追い出され枠のお情けで卒業させてもらったんじゃないかと今でも思う。
修論とは別に論文化で必要なデータなんかも、わたしが責任もって行うべき部分を、残った人たちに押し付けて、逃げた。
正真正銘のクズ系クズ。そうやってこれまでの人生、生きてきた。
そして社会人になって、一か月。同期を数十~百人単位でとる企業に、文字通り『潜り込んだ』。
研修で、まだボロは出ていない。と思いたい。
しかし、この思考が頭に侵食されている時点でクズ系クズはまだ終わっていないし深く根付いていると思う。
それが社会人になって表出して、これまでとスケールの違う規模の失敗、負債を抱えてしまうことがたまらなく怖い。
そして今日、夢を見た。今まで迷惑をかけた先生やら同期やらいろいろな人が出てきて責められる夢。
全部元をただせば自分が悪い、出るとこ出れば10:0で負けることばっかやってきたので勝手にトラウマ負ってるだけなのだけれど。
実際甘えなのは分かっているが、このトラウマの数々を拭い去りたい。そして、人として多少はマシな状態になりたい。
藁をもすがる気持ちで、ここに吐き出して、書いている。
最近とつげき東北というやつがTwitterで炎上?している。
それで彼を見始めたけれどまあ言い訳の酷いこと酷いこと。
昔は三番目の帝国大と言われていたようだが、いまは昔。
かつての光ファイバーをはじめとする功績は見る影もなし。
今は自殺者をもみ消すだけの哀れな大学、それが堕落した東北大である。
うちの会社にも東北大出身の奴らがいるが、ことごとく使えない。
同じことを何度も聞き返すのはまだしも、渡した仕事がいつのまにか消えている。
「◯◯は?」と聞かないと報連相すらしやしない。
挙句こっちへくる資料が軒並みクソ。もうね、君本当に修論やら資料作ってきた?って言いたくなる。
あげく休みだけはしっかりとる。週休2日だけど申し訳ないから1日出ますとかないの?
国公大とは比べるべくもないし。
GMARCHやら大東亜帝国とかのネームバリューある他の私大の方がよっぽど仕事するし熱意に溢れてる。
うちの会社の学生応募も、東北大だけで弾くかもとぼやいていたくらい。
この時間まで研究室にいても、一向に発表資料作りが進まない。修論もどきは既に渡してある(期日までに改めて提出する必要はあるが)。発表中に首をかしげられても、いくら恥をかいたり叱られたりしても、約30分壇上で堪え忍べば取り敢えずは大きな山を越えることができる。一応発表練習はしてアドバイスもいただいたので、あとはそれに応じてスライドを修正すればいい。ただそれだけだ。でも、そのあと一歩の作業が進まなくて、ひとり背中を丸めてスマホで文を打っている。かれこれ5時間は作業が止まっている。こんな時間なのに眠気はない。なんか知らないけど涙と鼻水が止まらない。たぶん、ろくに寝てないから体がおかしくなったのだろう。
昔から人に頼るのが下手だった。言わずもがな、友達を作るのも壊滅的に下手である。
だから、自分で問題を解決しようとしすぎてしまう。ストレスを溜め込みがちなのも割と自覚している。自分の嫌いなところはその他にも色々あるけれど、特に「自分に甘くて他人に厳しいところ」と、「やらなければいけないことを先延ばしにする癖」は大学に入ってから悪化した気がする。
対人関係のストレスで勉強が手につかなくなり、センター試験はまあまあ悲惨な成績だった。センターの結果にあわせて出願した大学に後期試験でなんとか合格した。学費を出してもらっているし、入学を決めたのは他でもない自分なので、講義はしっかり出席した。選択科目はいくつか落としたものの、卒業に必要な単位はしっかり取った。1年生のときは将来なりたい職業もあまり考えていなかったので、取り敢えず何となくで教職課程を取った。教職科目は思いのほか興味深くて、教員になることも一度は考えた。でも決めきれず、向いていないことは薄々気付いていたものの、大学院に進学することを決めた。そして迎えた教育実習だが、これが本当につらかった。この仕事は自分に向いていないとはっきり分かった。加えて実習中には色々あって、精神的に追い詰められてしまった。正直、人生で初めて死を考えたほどである。2年半経ってもこのときのことを考えようとするだけで涙が出てくるので、極力思い出さないようにしている。暫くはベッドから起きれなかったし、泣きながら親や相談センターに電話した。見かねた親がはるばる新幹線でやってきて、ごみ屋敷と化した部屋を片付けてくれたこともあった。幸い研究室の活動は週1のゼミのみで負担は少なかったし、大学院進学も運良く推薦をいただけたので、進学のこともなんとかなった。でもこんな調子だったのと、先生が厳しく言わないのをいいことに卒研の開始は先延ばしになっていった。徐々に体力も回復してきた頃にはかなりギリギリの時期だったが、なんとか卒論発表には間に合った。ただこの頃から、先延ばし癖はどんどんひどくなっていった。
大学院に進学してからの生活を振り返っても、研究にきちんと取り組んだとはお世辞にもいえない。授業やTAの仕事、アルバイトには人並みに取り組めていたから、おそらく自分で規則や締切を考えてタスクを片付けるという作業が嫌だったのだろうと思う。卒論発表を終えたときには「修論は反省をいかして頑張ろう」と思っていたのに、気がつけば立派なダメ院生になっていた。趣味は楽しめていたから、たぶんただの甘えだと思う。
そんな私だが、義務教育時代は大きな問題なく過ごすことが出来ていた。未だに「どこで間違えたんだろう」なんてことを考えてしまうのは、この頃の成功体験によるものだろう。そんなこと振り返っても仕方ないが、あの頃の全能感や将来への期待感みたいなものを思い出すと、現状にひどくがっかりする。ただ、今思えば部活でもちょっと浮いた存在ではあったと思うし、友達からお祭りに誘われなくて落ち込んだこともあった(自分から誘えばいいのに)。多分、人からの悪意にはめちゃくちゃ鈍感なところがあるので、それで自分の身を守っていたのかもしれない。今はちょっと人の目が気になるようになった。
ああ、どこで間違えたんだろう。
ああ、どこでなら取り返せたんだろう。
色々思い当たる節はあるけど、悩んだときにいい子ぶらないで親や先生に相談していれば、事態は変わっていたと思う。「誰にも言いたくない」というわがままは、きっと自分を苦しめる。自分ではSOSを出していると思っても、相手がそれを受け取っているとは限らない。「言わなくても気付いてくれる」というのは、ある種の甘えかもしれない。
と、誰にするわけでもない言い訳を並べている。
この時期になると修論出せませんでした or 不合格でしたっていう報告が相次いで
修論に失敗するのはほぼほぼ下記のような「試験期間になってから勉強を始めるタイプ」ばっかり
普段は授業で寝てるんだけど中間テストとか期末テストの1週間前になったら
先輩・友人から過去問入手して対策の勉強だけしてテストに臨むタイプの人。
過去問外しが来て撃沈しても先生に頭を下げて追試してもらって留年を免れたりして大学院まで来ちゃった人。
「何をやればいいんですか?先輩の論文からコピペすればいいんですかね?」
っていういつものノリを発揮して撃沈する。
もう、だいたいこのパターン。何かを得るための努力の最大値が1ヶ月みたいな人。
卒論レベルであれば先輩論文のほぼコピペみたいなものを書いて1ヶ月研究室に泊まり込んで
最終的にはお涙頂戴で卒業できるような大学もあるらしいけれど、さすがに修論はそういうのないし博論だと全く不可能。
「研究室に来てください」
って言うくらいしかないし、それすらできんのは土俵に上がってないわけでどうしようもない。
授業料分ぐらいはしっかり指導せーよって思うような教員もいるのでなんともだけど
そもそも学生も20歳すぎて数年経ってるはずなんだから自分のことは自分でしっかりやれよ、と。
個人的な意見だけど、修論ってのは1年間とかの長い間取り組んできた研究内容について
最後に報告書として提出するためのものであって、提出すれば修士がもらえるもんじゃない。
1年間とかの長い期間研究した行動、それによる成長に対して修士を与えるもんであって
1ヶ月前に「何したらいいっすか」みたいな感じで来ても「いや、無理じゃね?」っていうのが一般論。
もちろん中には1ヶ月でスラスラ〜っと論文書き上げて修士取っていく人もいるから
「じゃぁ何ヶ月前に来たらいいんですか!」みたいな質問には答えにくいんだけど
感覚的には最低でも半年ぐらいは一つのテーマに真剣に取り組まないとなかなか修士レベルにならんよね。
明日は修論の発表日だ。スライドの完成度は5割ほど。0じゃないだけましだけど安心してゆっくり寝られる状況じゃない。だのに、なぜか焦っていない。パニックモンスターが目を覚まさない。院試の前も卒論の時も結局、ラストスパートでちぎるようなことは起きず、人から助けられたり運が良かったりでなんとかなった。そのある意味よくない成功体験のせいだろうか、踏ん張ってしかるべき時に踏ん張れなくなった。このままだとまずいとわかっているのにからだが動かない。鬱では多分ない。楽しそうな逃避ならすぐに行動できる。ここで頑張れる人は一生頑張れるし、頑張れなかった人は一生頑張れませんって言葉は嫌いだし普通に偽だとおもうけど、院試とか卒論とか人生の大イベントで頑張らなかった自分はきっとこの先も、という予感は実際にある。
英語を全く使わないメーカーのルート営業に就職。理由は金が良かったから。年500はあった。でも英語で採用された。
研修期間に遊びまくり試験成績が悪かったからか地方の田舎の営業所に配属。
毎日上司or客先の営業を兼ねた酒の付き合いで体調と精神を崩し、1年で退職。実家に帰る。
英語を使う仕事なら出来ると開き直り上京して未経験可のIT中小へ就職。客先出向でヘルプデスク。年収200万ダウン。
上京したテンションで前職で覚えた風俗とギャンブルにハマり借金を抱える。
このままではいけないと2年後に未経験可の社内SEに転職。完全にポテンシャルのみの奇跡の採用。年収が100上がる。
部長からやる気を買われ社会人大学院生として推薦される。学歴に自信が無かったのでロンダして転職出来るかなって二つ返事でOKする。
1ヵ月で生徒達のレベルの高さに入学を後悔。ゼミ、授業についていけず鬱になる。授業もディスカッション形式のものは的外れの事ばっかり言ってた。でもみんな優しいし気遣ってくれる、そんな出来た人間と自分を比べて鬱になる。
なんとか1年を耐えて二年次へ。
諸事情でゼミが変わる、と同時に実験再現性の無さから研究テーマの変更を勧められる。
新規テーマで書き始めるも仕事が忙しくなり研究をさぼり始める。
年末にまとめる予定だったが怠けて失敗。修論締切カウントダウンが始まるも全然書けない。教授からのコメントに震えて返信ファイルが開けない。有休を使い果たし論文を進めるも教授から意味不明とのコメント。とりあえずyoutube見て気持ちを落ち着かせて3連休終了。
バックれたいけどセットで会社もバックれるハメになり、借金だけが残って人生詰む未来が見える午前2時。
こんなの書いてるくらいなら論文進めろよ。
徹底して自己管理が出来ない人間が勢いだけで生きたら失敗した。
間違いなく将来を見据えて毎日勉強して技術力をつけてより良いところへステップアップすべきだし今時1つの会社にいるのはリスクだ的な事はわかるし俺もそうありたいけど。それって継続して努力出来る出来た人間だけであって、俺みたいな無能は目指しちゃいけなかった。
もしもうちょっと頑張れて卒業出来たなら程々の努力でちょっとずつそこそこの給料もらえるプレッシャーも少ない今の職場に感謝して定時退社して遊ぶことにする。
というかもし卒業しちゃったらなんちゃってMaster of Engineeringになってもっと調子乗っちゃうんじゃないの。
俺は研究して新たな成果を見出すことに何の興味も無かったんだな多分。
勉強するのは嫌いじゃないけど。
TOEICのせいみたいな書き方して風評被害すみませんでした。
自分の能力以上の評価をされて鼻の下伸ばして背伸びして生きてたら人生狂ったが正しいです。
900無ければ学歴通りのそれなりのところでそれなりの仕事して今のような苦労は無かったのかなと、でもそしたら違う苦労があるんですよねたぶん。
Procrastinationの動画を教えて頂いた方ありがとうございます。締切直前になってやり始める事を繰り返してたら、最近パニックモンスターが出てくるのが遅くなった気がします。
私は比較的好奇心が強い子供だったと思う.小さい頃から親になんでなんでと訪ねては疲れさせていた.小学生の頃,調べ学習が大好きだった.調べ学習の時間では,その時間が始まるといてもたっても居られなくなり,先生の言うことを聞かずに行動して怒られたりしていた.
中学生の頃は,物になぜ色がついて見えるかを調べた.それを調べている時はとても楽しかった.階段状に並んだタイルの総数を考えたり,N次元空間に置かれた立方体がある視点から見える最大の面数は何か疑問に思ったりしていたこともあったっけ.
母親は欲しい本はなんでも買ってくれた.ラノベや宇宙の本を買ってもらった.雑学の本も好きだった.ブラックホールが発生してから蒸発するまでの話に私はとてもワクワクした.
私が友達なんていらないと思うようになったのは,中学生の頃,同じクラスの女子が原因だった.彼女は手下にできそうな私を見つけて,私を支配下に置いた.私はそれ以来人間不信のような状態になった.
私が自尊心がないのは両親の不仲が影響しているようにも思う.父親が帰ってくるたび毎日家がピリピリしていた.母親は私が中学3年生の頃家出してしまった.その時は毎日泣いていた.学校も休みがちになった.父親は料理ができないから,コンビニ弁当ばかりだった.その頃,母親も浮気していたと思う.私はとても寂しかった.人生は結局一人なのだと思った.
けれど,母親は結局,私を別居先のアパートにいさせてくれた.学校をサボって,会社をサボっている母親と映画を見た.映画のシーンでセックスの描写があったときに後ろから目隠しをされた.母の手は暖かくて,なんだか嬉しかった.
高校受験の時は,親に経済的な負担をさせるまいと,確実に合格できる公立の商業高校の情報処理科を受験した.
高校では友達を作らないようにしようと自分の殻にこもった.入学直後,女の子がお弁当を一緒に食べようと誘ってくれたが断った.友達になろうとしてくれた人の誘いはほとんど断っていた.
けれど,部活には入部した.商業高校だったものの科学への興味があったため科学研究部に入ったのだ.
生物のドクターを出た先生が顧問だった.高校2,3年生の頃は水生生物の調査が主な活動だった.部活の顧問は「お前はドクターまで進学した方がいい」と助言してくれていた.
この頃も,宇宙の本を読んでいた.その本は量子力学に関する奇説を扱う本だった.この宇宙は,あらゆる状態の分岐に応じて,並行して無数に存在しているという説もあった.今生きている私というのも,無数に存在する宇宙のうちの一つの認識している自我でしかないのかもしれないと思った.宇宙にとって私とはエネルギーの濃淡の揺らぎ,またはセルオートマトンの点滅.私が生きていようが死んでいようがどちらも美しくなりたつ宇宙に思いを馳せた.
大学受験では,文系の高校から理系の大学への進学は難しかったが,やはり理学への興味が尽きなかった私は,理系へ進学することを決断した.高校では数学はIとIIしかやっていなかったため数学の受験勉強は独学で行なった.私はひどく頭が悪いわけではないけど,かといって大して頭がいいわけではないから,低い偏差値の大学の推薦入学だったけど,それでも苦労した.
何回か,母の前で自殺するふりをした.反抗期だからか,勉強ができないストレスか.ある日,母に他の男の気配を感じた.当時の私はそれがたまらなく許せなかった.死んでやる,といって包丁を持ち出して,自分の首に突き立てたりした.本当は死ぬつもりはなかったけど,別に死んでも構わないとも思っていた.
高校で,中学生の頃いたような人間には出会わなかったので,大学では友達を作ろうと思った.
また,研究に対して大きな憧れを持っていた私は,すぐに研究室に配属を希望した.その教員は快く迎え入れてくれた.3年生の頃には,先輩の卒論を手伝うほど知識がついていた.今思えば,あの頃が最も楽しく知識を身につけていたと思う.授業でも良い点を取ろうとか考えてなかったので,授業を聞かずにオリジナル(?)のアルゴリズムを使って手書きでボロノイ図を書いたりして自由に楽しんでいた.外部発表もしたし,卒業論文も特に苦労もなく書き終えた.この頃,「ゲーデル,エッシャー,バッハ」という本に出会って,その本に魅了された.
いつからか,「論文を出さなければならない」,「自分は周りと比べて劣っている」,という考えにとらわれるようになった.体調的にも良くなかった.学部の頃からのカフェインの大量摂取,昼夜逆転の生活,慢性的な睡眠不足・運動不足・栄養不足などが祟ったのである.締切前になっても全く焦りが働かなくなった自分に気付き,おかしいと思って心療内科に通院し始めた.修士論文も提出しなければいけないのに全く取りかかれなかった.学部の頃からお世話になっていた指導教員ではないO先生がそんな私を見かねて,一緒にLaTeXを書いてくれた.一応提出はできたけど,修論発表を終えた後は悔しさで泣いた.
それでも私は博士へ進学してしまった.修士の頃からドクターは進学しようと決めていたし,エネルギーの低くかった私は,判断を変えるほどの力がなかったのかもしれない.正直,そんな覚悟で博士をやっているのは日本でも私ぐらいなのだろうと時々思う.幸い,修士からの学費や生活費は奨学金や授業料免除,アルバイトで何とかして親に頼らずにいられた.
博士の間はずっと,健康を取り戻すために時間を使ってしまった.カフェインを断ち,夜更かしを辞め,休日は一切休むことにして,睡眠を十分にとり,運動もして,という生活を送った.論文よりも睡眠や運動を優先した.O先生は博士の間もずっとメンタリングしたりしてくれた.なんとか学会論文を2本書いたが,卒業要件でもあるジャーナルの論文が完成しない.とうとう何もできないまま3年生になってしまった.
O先生に,成果という葉にとらわれず自分という根を大切にしなさいと教えられた.成果にばかり気を取られていると自分のエネルギーが朽ちてしまうというのだ.確かに思い当たると思った.そもそも自分ってなんだっけ?と思った.ドクターには,「自分」が必要なのだ.でも私はそれがなかったのだ.目の前の成果だけしか考えていなかった.
自分はなんのためにドクターをやるのだろう?一瞬,救済を必要とする人や弱い立場の人のためになりたい,と思ったけど,本心からそう思っているか自信がない.ひとまずそう思うことで安心したいと思っているだけかもしれない.自分とは,ちょっとした好奇心を満たすのが好き,それだけだった.
私はなんのために生きているのだろう?私は高校生の頃から,セルオートマトンの瞬きにしか過ぎない人生などに,意味を見出すことはできなかった.
死の淵に立てば,生きる意味が見出せるかもしれないと思った.服薬自殺は病院巡りをして薬が準備できるのに時間がかかりそうだし,飛び降りは失敗した時が怖いと思った.死ぬときは失血死か,首吊りかどちらかにしようと思った.結局,なんとなく気が進まなくて,自殺の手筈を整えるのはできなかった.
人文系の先生に生きる意味を相談したところ,その先生は四諦八正道の考えを教えてくれた.確かに考えても意味はないのかもしれないが,考えるのをやめることは難しかった.
哲学科の先生にも訪ねた.私の考えはニヒリズムに分類されることがわかった.達成することに意味がある,後世に何か残すことに意味があると見出すのはナチュラリズム と呼ばれるものらしい.私はどうもその考えはしっくりこなかった.その先生にニヒリズムの考えを持つ中島 義道という哲学者を教えてもらったので,後でその人の本を読んでみようと思う.また,哲学の入門として,図書館にある,哲学の雑誌の現代思想を読んでみることを勧められた.
現代思想12月号は巨大数の特集だった.2chの「一番でかい数を書いたやつが優勝」スレから始まった日本の巨大数ブームの歴史や,ふぃっしゅ数,小林銅蟲(パルの人)の漫画が載っていた.11月号は確か,反出生主義についてがテーマだったと思う.
まだちゃんと読んでないけれど,あぁ,私はこういうものを読みたかったのだ,と幸せを感じた.
私は毎日,贅沢ではないけれど,質素に暮らしていけるだけのお金があって,現代思想とかを読めればそれだけで幸せなのだと悟ったのだ.
諦めずにドクターを取得するのか,ドクターをやめて就職活動をするのか,決断しなければならない.
高卒には分からない世界だろうが、博士号取得のために絶対必要になる「まともな査読付き国際(英文)学術誌に自分が第一著者となって原著論文を通す」っていうのは、大学学士(下手したら修士も)でやってきた""お勉強""と全く違う能力が必要とされるからなあ。
話の流れ的に工学系だと仮定するけど、修士卒を新卒で取って社内で育ててから社会人で博士号取らせるというルートはもちろんあるけど、そんな社内育成なんてしち面倒くさいことしなくても初めから博士号持ってる奴を採用したほうがポテンシャル低い新卒を掴まされるリスク低いし、というのはあるはず。
下手したら修士でも、っていうのは知ってる例だと京都大学の医学系研究科でも原著論文どころか学会発表もせず20ページくらいの修論で修了した人を見たのでまあアレですよ。皆さんの回りにも意外とそういう人いるんじゃないですか?私は理学系の博士卒なんでそういうオボちゃん予備軍みたいな人は周りにはいなかったですが。