学部3年の終わりごろ、周囲の友人が就職の道を選ぶなか、俺は院進を決めた。
院進を決めた理由は…何だっただろう。
研究活動を一度経験してみたかった。もっと学びたかった。就職活動が嫌だった。TAの人が優しかった。もし自分が研究に不向きだったとしても、(学部時代の成績が良かったので)まぁ2年くらいなんとかなるっしょ、と思って決めてしまった。
当時はそんな自分の浅はかさを薄々自覚しつつも、得意の楽観視をキメることで、「大学院生活が失敗に終わる自分像」から目を背けていた。
その研究室に同級生や先輩はおらず、学生はなんと俺一人だけという環境。(博士課程の学生なら何人か居たが、非常にとっつきにくかった)
なので分からないことは指導教官に聞くしかなかったのだが、これが最初の挫折ポイント。学部までの授業は席に座って聞くだけのいわば受け身でいい。しかし、研究は誰かが手取り足取り教えてくれる訳ではなく、自分で行動し、分からなければ質問に行かなくちゃいけない。
研究室に入ったばかりで分からないことすらわからなかった俺には、指導教官の顔色を伺いながら質問に行くのが辛かった。せめて同級生か先輩が居てくれたら、ちょっとはマシだったかもしれないが…その研究室を選んだのは自分だし。がんばって新しい環境に慣れながら、がむしゃらになって駆け抜けた。
そして、沢山の恥ずかしい失敗(マジで思い出しては消えたくなる)や挫折を重ねながらも、指導教官の手取り足取りなご指導のおかげで成果を出すことができ、なかなか満足いく形で大学を卒業した。
やってよかったなと思った。(成功したのは9割指導教官のおかげたが)
その一方で、研究に対する拒否反応がじわじわと膨れ上がってきているのも感じていた。
コロナが流行り、今年度から研究室には行っていない。面倒でつらい発表ごともなく、進捗も求められない生活は非常に心地がよい。
いままで騙し騙しやってきたが、自粛がずっと続けばいいのにと思っている時点で、俺はやっぱり研究なんてやりたくないのだ。
自粛の終わりが近づいているのが憂鬱だ。気がつくと涙がとまらなくなる。
どうして俺は大学院なんか来てしまったのか。ちゃんと考えて進学するべきだった。やっていれば興味が湧くだろうと安易な考えで進学したことを悔やむ。
何かと理由をつけて辞めれたら、心が一瞬楽になるだろうが、周りに全てを打ち明ける勇気はない。
いまだに俺は論文の読み方も分からないし、発表もド下手くそだ。なのに上達する努力はしたくない。疲れた。やめたい、やりたくない、やめたい、そればかり考えているクズだ。
論文を読もうとしても、資料を作ろうとしても、すぐに意識が明後日の方へいってしまう。
ここまでにしよう
とりとめなく気持ちを書いていたら、少し気分が軽くなった気がする。
うんち
就職しても似たようなこと書いてんだろうな
んー、チャンスが来たら、逃さずつかんだ方がいいよ。何でも、ぽろっと目の前に来たら、それ、死に物狂いでとりに行った方がいい。もう2度と来ないから。 恥かいたっていいじゃん。...
昔の自分を見ているよう……。 卒業を第一目標に定めて行動をしたほうが良さそう。 1. 指導教官に、研究に集中できないことを伝える。 2. (最悪鬱でダメになった時のために)とり...